公共領域と非政府主体(1) 119
公共領域と非政府主体
――住宅政策,都市計画とコミュニティ開発法人
(1)
宗
野
隆
俊
目次 はじめに 第1章 自己責任の社会と住宅政策 1.1 住宅問題と自己責任観念 1.2 1930年代の住宅金融政策 1.3 公共住宅供給の開始 1.4 1949年連邦住宅法 1.5 公共住宅の失敗 1.6 オルタナティブとしてのアフォーダブル住宅とその担い手(以上,本号) 第2章 住宅政策とコミュニティ開発法人 第3章 サンフランシスコの住宅問題と都市政策 第4章 コミュニティ開発法人の住宅政策へのコミットメント 第5章 都市計画策定プロセスのなかのコミュニティ開発法人 第6章 非政府主体の公共領域へのコミットメントを促すもの はじめに 本論では,アメリカ合衆国におけるコミュニティ開発法人(Community Devel-opment Corporation, CDC)の活動状況をさぐり,非 ! 政 ! 府 ! 主 ! 体 ! に ! よ ! る ! 公 ! 共 ! 領 ! 域 ! へ ! の!コ!ミ!ッ!ト!メ!ン!ト!という,やや長い射程をもつテーマを論じる。とりわけ以下 の点を主たる問題関心としながら,考察を進めたい。すなわち,①当該社会の なかで解決への取り組みが期待される事柄にコミットする‘公共的’な機能を 担うことのできるのは,政府や行政だけなのか,②非政府主体としての中間集 団は‘公共的’な機能を担いうるのか,③非政府主体としての中間集団が‘公 共的’な役割を担うことができるのであれば,なぜそれが期待されるのか,で120 彦根論叢 第361号 平成18(2006)年7月 ある。 こうした‘国家の守備範囲’に関わる問題意識を深めるにあたっては,ヨー ロッパの先進資本主義諸国とアメリカとの比較福祉国家分析が1つの有効な手 法であろう1)。本稿は,比較福祉国家分析を直接採用するものではないが,上 述の課題にあたる際に,社会問題への国家的関与と国家機能の推移(政策領域 ごとにおける増大もしくは縮減)を看過することはできない。 ところで,かねてよりアメリカ型福祉の欠陥が顕在化する領域の1つとされ てきたのが,住宅政策である。本稿の目的の1つは,彼の国の低所得層を対象 とする住宅政策の特徴を,非政府主体によるコミットメントという現象から考 察することである。この作業を通して,居住という生活基盤の確保への国家的 配慮の弱さ,それを補完する非政府主体の対応を考える。 なお,ここにいう「政府代替的機能」を,「政府が国民生活の保障のために 果たすべく期待される様々な介入的・後見的政策が欠如した場合に,非政府主 体が当該領域の問題に取り組み,その衝撃を緩和することによって,部分的で あるにせよ,政府介入の欠如を補う機能」として定義する。特に,政府の介入・ 後見が求められる領域として,低所得層を対象とするアフォーダブル住宅の供 給(affordable housing policy)をとりあげる。
しかしながら,対低所得層・貧困層の住宅政策に関わる非政府主体は,ア フォーダブル住宅供給のみを担ってきたのではない。アフォーダブル住宅の確 保は,現代アメリカの,否,広く現代国家の福祉政策における喫緊の課題の1 つであるが,非政府主体がこの領域に関わることのみをもって,公共領域への コミットメントを説くだけでは十分ではないであろう。所得再分配の政策過程 1)比較福祉国家論においては,アメリカは,しばしばヨーロッパ諸国と比して不完全であ ると論じられてきた。そもそも,アメリカを俎上に載せない比較論さえ少なくはないので ある。こうした事情の背景には,イギリス,フランス,ドイツなど,‘福祉国家コンセン サス’を獲得した戦後資本主義体制の中軸たる国々との比較で,アメリカ型福祉が多くの 欠陥を抱えているという認識があるものと思われる。また,比較論によるアメリカ分析に は,経済的規制のみならず社会的規制をも過度に縮小し,社会に行き過ぎた競争原理を導 入して弱者を生む規制緩和への批判的視座や,先進国らしからぬ極端な所得格差と階層分 裂を経済活力の源泉とするアメリカ的社会観への疑問もあろう。
公共領域と非政府主体(1) 121 への非政府主体の関与は,単なる政府機能の代行あるいはアウトソーシングに 過ぎないのではないかという疑問が拭えないのである。 政府の活動には,所得再分配の他にも,政治的権威,正統性を有する民主的 決定手続,物理的強制力といった要素を背景とする公権力行使が不可欠であり, ある非政府主体の公共領域へのコミットメントをいう場合には,当該主体の権 力的行政への関与の程度と態様も問われるべきである。もちろん,非政府主体 というからには政府とは異なる主体なのであり,そうした主体に国家権力を担 う術はない。しかし,政府と異なる主体が何らかの手続きを経て公共の意思決 定に影響を及ぼし,あるいは公権力の行使に作用を及ぼすことは,十分に考え られることなのである。とりわけアメリカの政治過程は,――連邦レベルであ るか,州レベルであるか,あるいは地方政府レベルであるかを問わず――多元 的なアクターの活動と影響力の存在を前提として構成されるものであり,非政 府主体も有力な政治的アクターとして認識されている。連邦政府レベルの環境 政策に影響を及ぼす NGO のロビーイングや代替的政策提示などが,そのわか りやすい例である。 こうした意味での非政府主体の公共領域へのコミットメントは,公共政策策 定過程への参加という形で現れる。実際,本稿で扱われる非政府主体たるコミュ ニティ開発法人は,都市計画策定というきわめてパブリックな政策形成過程へ の参加(しかもそれは,単なる公聴会における意見表明といったものに限定さ れない)を志向している。この過程の分析を通じて,本稿は,「非政府主体が ポリス・パワー行使にも関わる権力行政の領域に何らかの影響を及ぼしうるこ と」を,仮説として示す。 なお,本稿の構成は,次のとおりである。導入部で19世紀後半から20世紀中 盤までの住宅政策における政府介入の消極性と市場志向を考察し(第1章),20 世紀後半の住宅政策へのコミュニティ開発法人の関与2)について検討する(第 2章)。この2つの章は,いわば本稿の総論にあたる。 2)第1章では,住宅政策を通史的に概観するのではなく,住宅政策への政府の関与の消極 性(あるいは市場メカニズム重視のイデオロギー)の現れ方を検討する。特に,19世紀末!
122 彦根論叢 第361号 平成18(2006)年7月 次に,コミュニティ開発法人の活動の盛んなサンフランシスコでの現地調査 で得た知見を基礎にして,非政府主体による公共領域へのコミットメントとい う主題を展開する。その際に,サンフランシスコにおける住宅問題の現状,こ の課題への対処におけるコミュニティ開発法人の寄与を考察する(第3章,第 4章)。さらに,都市計画策定という権力的行政過程にコミュニティ開発法人 が関与する経緯を紹介する(第5章)。最後に,コミュニティ開発法人という 非政府主体が,住宅政策や都市計画といったきわめて公的な政策過程に深く関 わることを積極的に認め促進する仕組みについて,検討を加える(第6章)。 第1章 自己責任の社会と住宅政策 1.1 住宅問題と自己責任観念 社会的弱者に対して政府の行う公的な保障が十分でないならば,政府に代 わってその機能の一部を担う非政府部門の存在が不可欠となる。1つの可能性 として,市場におけるサービスの提供と購入が考えられる。しかし,市場にお いては,社会的弱者がその生活の維持に必要なサービスを購入できない場合も ままある。そのため,政府でもなく営利企業でもない,第3のサービス供給主 体が求められるのである。アメリカにおいて,こうした公的保障の貧しさが典 型的に現れる領域の1つが住宅問題であり,この政策領域で第3の主体として 注目を集めているのが,コミュニティ開発法人(Community Development
Corpo-ration, CDC)なのである。 ところで,アメリカにおいては,住宅問題は住宅政策の問題であると同時に, から20世紀中盤までの,いわば「公共政策としての直接給付的住宅政策の困難さ」に焦点 を絞る。この作業を通じて,非政府主体たるコミュニティ開発法人が住宅政策に積極的に 関与することの意義を照射することが狙いである。いうまでもなく,20世紀後半以降も, 住宅政策における重大な変化はいくつか生じており,住宅政策の大きな潮流を知るために はそれらについての検討が不可欠である。しかし,本章では,あくまでコミュニティ開発 法人による住宅政策への関与を考える前提となる「住宅政策における消極主義」を論点と したい。なお,住宅政策の通史的検討については,以下の文献を参照されたい。R. A. Hays,
The Federal Government and Urban Housing, State University of New York Press,1985,平山洋介 『コミュニティ・ベースト・ハウジング――現代アメリカの近隣再生』(ドメス出版,1993
年),井村進哉『現代アメリカの住宅金融システム』(東京大学出版会,2002年) !
公共領域と非政府主体(1) 123 「貧困の原因は個々人の能力と努力の不足に帰せられる」とする自己責任観念 との相克の歴史でもあった。つまり,住宅問題に政府が介入し,市場規制的政 策を導入すれば,「個人のイニシアティブ・独立独行・自給自足を尊び,自由 な市場と財産権を称揚する個人主義的,自由主義的政治文化の伝統を脅かしか ねない」3)と考えられるのである。 こうした状況下で,住宅問題,さらにはより広範な人種や貧困に関わるクリ ティカルな問題に取り組む最前線であったのは,近隣住区(neighborhood)や コミュニティといった言葉で観念される比較的狭域のなかの活動主体であっ た。セツルメント,学区単位の社会事業センター,ソーシャルワーカー等々が それである。ニューヨークにおいては,早くも1834年に,スラム改善活動の開 始が記録されている。19世紀を通じての住宅改善運動は,慈善活動家によって 担われており,さらにこれらの活動家は,個人的責任とパターナリズムの観念 に規定されていた。つまり,ソーシャルワークの現場では,「貧困とは個人の 弱さの結果である」とする自己責任観念が広く流布し,「多くの活動家たちが 節倹,自律および道義の美徳(virtues of thrift, self-reliance, and morality)へと住 民を教導するべく熱意を注ぐ」4)様が見られたとされる。かかる態度の背後に は,「スラム化を防ぐ唯一の方途は,己の人格をいかに向上させるべきかを住 民に教示することなのだ」という観念がある。自己責任観念は自律を求めるも のであり,いきおい「強いヴォランタリズム」を喚起する。ここにいう「強い ヴォランタリズム」とは,積極的には「自由と個人主義」「自立」「競争的市場 においてメリットにもとづいて報酬を配分する経済的動機づけのシステム」「契 約の原理」「衡平の原理」に基づく問題解決への志向を意味し,消極的には国 家介入への拒絶,集権化への拒絶として現れる5)。かくして,この時代のソー シャルワークの思想には,政府の市場介入による救済と社会的安定を図ろうと する姿勢は,希薄なものとならざるをえない。
3)M. S. Sidney, Unfair Housing, University Press of Kansas,2003., p.7
4)R.O.Davies, Housing Reform during the Truman Administration, University of Missouri Press, 1966, p3.
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これに対して,政府不介入とキリスト教的パターナリズムの限界が認識され, そして規制の必要性が理解されるようになったのは,20世紀を迎えてからで あった。世紀初頭に制定された1901年ニューヨーク共同住宅検査法(New York
Tenement Inspection Law of1901)は,最低衛生基準を定め,基準の執行機関と
して共同住宅委員会(Tenement House Commission)を設置した。同法は,そ の名称からも理解されるように,公衆を詐欺や危害から保護し,公衆衛生,安 全,福祉を増進することを立法目的とする。さらに1911年には,住宅改善運動 を全米規模に拡大するべく,全米住宅協会(National Housing Association)が創 設された。こうした活動の中核を担ったのは,都市計画家,建築家,市政府の 公職者,公衆衛生職員,ジャーナリスト,政治家などである。ただし,当時と してはいわゆる開明派であったこれらの人々でさえ,政府による直接的な住宅 供給に反対の意を明確に表していた6)ことには,注意が必要である。 第1次世界大戦の最中には,こうした状況にかすかな変化の兆しがあった。 この時期に発生した国防産業労働者向け住宅の深刻な不足に対して,連邦政府 は海運委員会の下に設置された緊急船舶会社(United States Shipping Board’s
Emergency Fleet Corporation
)と労働省の下に設置された合衆国住宅公社(Depart-ment of Labor’s United States Housing Corporation)を通じ,東部の造船工場地帯 に約29,000戸の住宅(家族向け15,183戸と単身者向け14,745戸)を建設したの である。しかし,この時代においても,政策の基調は,政府の直接的住宅供給 の回避であった。世界大戦終了後の1920年代には公共住宅の必要性は概して受 容されず,住宅改善運動の担い手たちも共同住宅検査法の改善や,投資家の融 資による実験的住宅の建設で満足するようになっていたのである8)。 その一方で,一部のソーシャルワーカーたちは自らの実践や調査を通じて, 都市の社会問題は貧困な居住環境に源をもつと主張するようになる。この主張 を突き詰めると,荒廃地域を一掃すれば,不道徳,疾病,非行,そしてこれら
6)Davies, op. cit., p.5 7)ibid.
8)そうした試みの代表的なものが,2つのガーデンシティ,すなわちニュージャージー州 のラドバーン(Radburn)とロングアイランド州のサニーサイド(Sunnyside)である。
公共領域と非政府主体(1) 125 から派生する無秩序状態は劇的に改善されるということになる。こうした主張 が盛んになる1930年代までには,共同住宅検査法による最低衛生基準の設置・ 維持は失敗であるということが,多くのソーシャルワーカーたちによって認識 されるに至り,これに代わる解決策として,政府補助による公共住宅供給が認 知されるようになったのである9)。 1.2 1930年代の住宅金融政策 住宅領域への本格的な政府介入の呼び水となったのは,自動車に代表される 「耐久消費財の革命」と住宅建設ブームの後にやって来た大恐慌,そしてそれ に続く30年代の不況であった。 この時代の自動車産業における革新的な出来事は,T型フォードの生産開始 (1908年)による急速な低価格化と劇的な普及である。1908年に1台850ドル の価格をつけたT型車は,生産方法のさらなる革新とともに,12年には600ド ルに,さらに16年には360ドルにまで価格を下げている。その結果,自動車の 保有者層は中産階級からブルーカラーに拡大し,モータリゼーションは高速道 路網の整備と郊外住宅地の形成を促進した。1920年の全米のマイホーム所有率 は46パーセント(都市部41パーセント)であったが,労働者の賃金の上昇と建 築コストの低下などにより,1922年から29年にかけて年平均88.7万戸の住宅が 建設されている10)。勿論,住宅建設ブームの起爆剤となったのは,自動車の 普及ばかりではない。第1次世界大戦の終結とともにヨーロッパから帰還した 若い兵士を含めて,若い世代が世帯を形成し,新規に住宅を建設する傾向が顕 著になったという事情もある11)。 こうした旺盛な住宅市場を支えたのが,住宅金融システムであった。現代国 家における住宅政策の態様は,家賃補助,公共住宅供給,税制優遇措置,そし
9)Davies, op. cit., p,6
10)秋元英一『アメリカ経済の歴史 1492―1993』(東京大学出版会,1995年)152,157頁 11)林敏彦『大恐慌のアメリカ』(岩波新書,1988年)75頁
12)井村進哉「日米の住宅金融と変化する政府の役割」,渋谷博史・井村進哉・中浜隆編『日 米の福祉国家システム 年金・医療・住宅・地域』(日本経済評論社,1997年)139―140頁
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て住宅金融市場参加者に対する信用計画による助成,の4形態であるとされ る12)が,20世紀前半のアメリカにおいては,住宅金融への信用供与が発展し ていた。大恐慌の発生以前に住宅金融業務を主に担ったのは,貯蓄貸付組合 (savings and loan associations, S&L)や貯蓄銀行(savings bank)など,地域コ ミュニティを基盤とし,住宅金融に特化した貯蓄金融機関である。貯蓄貸付組 合は1880年代末には全米に普及し,90年代前半には,5,600組合と135万人の組 合員を擁し,総資産は4億7,500万ドルに達したとされる13)。当時の家族収入 の平均は年2,000ドル,郊外の注文住宅の平均価格は5,000∼6,000ドルであっ たとされ,この時代にあらたに住宅所有者となった人々の多くが,貯蓄貸付組 合から5年程度のローンを組んで住宅購入資金に充てたとされる14)。この時 期,市場金利は低位で推移しており,それが住宅モーゲージ増大の要因ともなっ ていた。 そうした環境で発生した金融恐慌とそれに続く不況は,過熱気味であった住 宅ブームに冷や水を浴びせるものとなった。住宅モーゲージ市場とこれを支え てきた貯蓄貸付組合が,壊滅的な打撃を受けたのである。そもそも住宅ローン の借り手である労働者階級の相当部分が失業し,支払い能力を失った。金融機 関も深刻な流動性不足に陥り,巨額の不動産やモーゲージの売却を余儀なくさ れる場合が生じた。また,貸し手側の貸付資金の不足から,満期を迎えたモー ゲージの借り換え先の不在という事態もしばしば生じ,それがさらに債務不履 行や抵当流れを余儀なくしていったのである15)。 こうした状況に対して,時のフーバー政権(Herbert C. Hoover)の下で,連 邦住宅貸付銀行制度(Federal Home Loan Bank System)が創設され(1932年), さらに住宅保有者貸付公社(Home Owner’s Loan Corporation)が設立される(1933 年)。前者は住宅購入の資金を供給する貸付組合への信用を供与し,後者はモー ゲージの借り換え機会を逸した住宅所有者から直接モーゲージを買い取ること
13)井村前掲2),33頁
14)秋元英一『世界大恐慌』(講談社選書メチエ,1999年)30―31頁 15)井村前掲2),38頁
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で,貸付組合の機能を代替することを目的とした。住宅保有者貸付公社は,実 に100万件以上のモーゲージ買い取りを行っていたという16)。また,1934年連 邦住宅法(National Housing Act of 1934)を根拠法として設置された連邦住宅 局(Federal Housing Administration)は,主に2,000ドル以下の住宅の近代化と 修繕のための貸付を保険対象とし,連邦貯蓄貸付保険公社(Federal Savings and
Loan Insurance Corporation)は,5,000ドルを限度額とする貯蓄を保険対象とし
た17)。 以上の一連の措置は,中所得層を対象とする住宅モーゲージ市場の信用維持, ならびにモーゲージ買い取りを通じての住宅所有の促進を図り,ひいては住宅 モーゲージのシステムそのものの維持保全を志向するものであった。住宅金融 市場,さらにはそれを超える射程をもって政府介入が進められ,金融システム 全般の信用の回復と維持が図られたのである。これが,この時代の住宅政策の 特徴である。 1.3 公共住宅供給の開始 それでは,この時代,住宅金融システムの維持の他に,いかなる住宅政策が 追求されたのであろうか。この時代には,住宅政策の柱の1つである公共住宅 供給が連邦政府によって開始されている。実のところ,先にみた1934年連邦住 宅法は,連邦政府による直接的な公共住宅供給の嚆矢でもあった。すなわち, 同法の下,公共事業庁(Public Works Administration)の住宅部局を実施主体と する公共住宅の直接供給が図られたのである。ニューヨーク州選出のワグナー 上院議員(Robert F. Wagner)の主導で,全国産業復興法(National Industrial
Re-covery Act)の公共事業部門に低価格住宅供給の項目が挿入されたのは,この 時期である。ちなみに,この事業では,21,769件の公共住宅が建築されてい る18)。 これ以降,連邦政府による公共住宅供給が本格化する。3年後に成立した1937 17)ibid., p.8 18)ibid.
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年合衆国住宅法(United States Housing Act of1937)では,州の授権により地方 政府に公共住宅局(Agency)を設置し,これが低家賃住宅の開発・取得・管 理を行うこと,内務省に設置される合衆国住宅庁(National Housing Agency) が各地の公共住宅局に補助金や融資などの支援を行うことが定められた。同法 を通じ,連邦政府から地方の住宅局に支出された補助金によって,117,755件 の公共住宅が建設されている19)。 37年合衆国住宅法は,全国産業復興法や農業調整法(Agricultural Adjustment Act)といった,典型的な初期ニューディール立法群とは制定の時期を異にし ている。しかし,両者は,産業の自己規律と市場の自立的調整能力の限界を前 提として連邦政府の介入を積極的に進め,さらに公共投資による有効需要の喚 起を目指す点で,同じ政策的志向性をもつものであることが理解されよう。 1.4 1949年連邦住宅法 連邦政府による直接的な住宅供給政策は,さらに1949年連邦住宅法(National Housing Act of1949)において本格化する。49年連邦住宅法は,その名称や立 法の時期から容易に判断できるように,都市中心部への人口集中に起因する居 住環境の悪化,第2次世界大戦終結に伴う復員兵の住居不足等の問題に対応す るべく登場したものである。同法は,都市再開発事業(Urban Redevelopment Pro-gram)を,上記の目的達成のための基本政策の柱として位置づけた。 ここで,49年連邦住宅法の立法化の背景を,法成立の前年度にトルーマン大 統領(Harry S. Truman)の1948年大統領経済報告に探ってみよう。同経済報告 では,第5章「アメリカ経済長期目標」のタイトルの下,「都市再開発」と「住 宅供給」への言及がなされた。 まず「都市再開発」の項目では,都市の改良計画と再開発が,大量生産と通 商の拠点としての都市の物理的有用性を拡大するばかりでなく,健康を育み士 気を高める生活環境のなかで労働者の生産性を高めることが主張される。さら 19)ibid., p.9
公共領域と非政府主体(1) 129 にこれに続けて,報告は以下のように説く。 「土地が経済的再開発の促進に適した区画ごとに集約されるならば,極 大の投資機会が現実のものとなる。建設産業は経営による寄与を求められ, 労働セクターは技術提供を求められ,そして大量生産工業は建設資材及び 住宅,学校,工場,オフィス,店舗に用いられるあらゆる製品とサービス, ならびに今日の共同社会を構成するその他諸要素の提供を求められる。政 府が都市部の再開発を適切に行うならば,民間資本に巨大な投資機会がも たらされよう。」20) さらに経済報告は,都市再開発の計画策定と執行における民間資本―地方政 府―州政府―連邦政府の連携の重要性を,次のように指摘する。 「民間事業体と地方のイニシアティブのみでは都市の再建,近代化は行 いえない。民間開発業者は,健全で適正な再開発を可能にするに十分な規 模の区画で土地を取得する資源と法的権限を欠く。地方政府は土地集約の 権限を獲得しつつあるが,しかし,民間投資を促進し,クリアランスされ た土地を経済合理的な価格で利用可能にするために必要な規模で事業を遂 行する財政力を持たない。 地方政府は用地の集約,地域計画の策定,ならびに道路,学校,上下水 道その他の関連施設を提供する際にイニシアティブをとるべきである。州 政府はこれを可能にする財政立法を行うべきである。(中略)連邦政府も 同様に,スラムクリアランスと低家賃住宅の供給のみならず,高速道路, 空港,連邦関連建設物及びその他の施設にも関心を抱いている。」21) 次に,「住宅供給」の項目をみてみよう。同項目は,次の記述で始まる。 「合理的な期間のうちに住宅の量的不足を解消し,都市のスラムと農村 の掘立て小屋をアメリカの基準に適う住宅にとって代えるべく,住宅建設 を現在よりも高い水準で維持しなければならない。
20)The Economic Report of the President to the Congress, January14,1948, p.64 21)ibid.
130 彦根論叢 第361号 平成18(2006)年7月 経済的安定性の観点からすれば,住宅建設を継続的に高い水準に維持す るだけの十分な理由がある。過去,住宅建設の総量は,他のいかなる主要 経済活動領域よりも激しく変動してきた。(中略)住宅供給の不安定は, 経済全体の不安定をもたらしてきたのであり,住宅建設の安定は経済全体 の安定化の大きな要因となるだろう。」22) この経済報告の特徴は,その性質上当然のことではあるが,経済開発の促進 が強く意識されていることである。ただし,これが1948年という戦後復興期の 最中に行われたものであることを勘案しても,「都市再開発」と「住宅供給」 が経済開発の手段として位置づけられていることは,指摘しておくべきであろ う。 こうした印象をさらに深くさせる言質がある。それは,1945年に同じくト ルーマンが行った大統領議会演説である。そこでは,時局を反映して,戦後復 興のあり方が焦点となった。トルーマンは,戦後復興プロセスへの取り組みを, 最も効果的かつ迅速な方法で平時の生産水準と雇用水準を回復することと規定 し,その目標遂行のための具体的方策を21項目ほどあげている。そのうちの1 つに,「住宅供給」がある。大統領演説は,「住宅供給」の分野に民間投資と雇 用の拡大にとっての最大機会が存在することを指摘したうえで,さらに次のよ うに述べる。すなわち,――基準を充たす住宅が不足し,標準的水準以下の住 宅に暮らすことを余儀なくされるという事態は,国民の需要が満たされていな いことを意味し,この需要は退役兵の帰還とともにより一層顕著となろう。こ うした状況では,今後10年間に100万戸から150万戸の住宅建設が必要となる。 新規住宅建設事業は,年間600万ドルから700万ドルの民間資本投資機会を提供 し,年間数百万人の雇用の創出が見込まれる。また,新規住宅建設は家具産業 などの関連分野の雇用を創出し,新たな市場を開拓する。そして,住宅整備法 制を支える枢要な原則は,住宅建設と購買者への融資を民間事業者に委ねるこ とである――と23)。
23)Message of the President of the United States to the Congress., Thursday, September6,1945., pp. 18―19
公共領域と非政府主体(1) 131 さらに大統領演説は,スラム・荒廃地域のクリアランスについて言及してい る。すなわち,――我々は,都市部のスラム・荒廃地域が真にアメリカ的な流 儀で再構築され,低所得層のみならずあらゆる所得層の家族が居住できるよう にするべく,スラム・荒廃地域の再開発を真剣に考えなければならない。この 事業の大部分を,民間事業体が担わなければならない。えてして,民間事業体 は公共セクターの支援なしではスラム地域の再建を完遂することはできない。 荒廃が進みつつある地域の再開発を刺激し促進するための連邦政府支援プログ ラムに着手する時が来たのだ――と24)。以上の議会演説と経済報告は,それ 以降の立法を完全に拘束するものではない。しかし,住宅政策を通じた戦後復 興という企図は,議会によっても共有されていた。 これら議会演説と経済報告については,いくつかの論点をあげることができ る。まず,議会演説と経済報告では,発せられた時期に3年のズレがあるが, いずれも経済復興を主要なテーマとしており,住宅供給もそのための手段とし ての意義を与えられていることである。次に,その一方で,少なくともこれら の演説と報告が行われた時点では,低所得層が低廉な家賃で入居できる公共住 宅の整備として「住宅供給」を構想しているのか,あるいはそれ以外の所得層 (とりわけ中所得層)に住宅所有機会を与えるものとしてこれを構想している のか,にわかには判然としない。さらに重要なことは,再開発及び住宅建設の ための用地確保手段として,公共セクターによるスラムクリアランス(slum clearance)の採用が想定されている点である。実際,49年連邦住宅法では,再 開発事業の実施に際して,クリアランス手法によるスラム・荒廃地域の更地化, 及びその跡地への新規住居建設が採用されている。 このように,45年及び48年の時点では,「住宅供給」政策の受益者としてど のような所得層が想定されているのかが不明瞭であったが,49年連邦住宅法で はこの点が明確にされる。すなわち,法第2条の「連邦住宅政策宣言」におい て,「アメリカの全ての世帯に,人が人として生活するに相応の住宅と適切な 24)ibid., pp.19―20
132 彦根論叢 第361号 平成18(2006)年7月 居住環境を保障するという目標」が謳われたのである。住宅市場において適正 水準の居住条件を確保することができない所得層に対して,公的財政支出を通 じてこれを保障することが,法によって規定されたのである。 1.5 公共住宅の失敗 49年連邦住宅法の下では,当初50年度から6年間にわたって,年間13万5千 戸,計81万戸の新規公共住宅を供給する計画が構想された。しかし,実際の供 給戸数は,1950年のピーク時においてさえ9万戸を超えるものではなかった。 1954年度には供給実績はゼロとなり,5年間の供給総数は,結局当初予定の4 分の1を下回った25)。こうした事態の原因としては,全国不動産組合協会
(Na-tional Association of Real Estate Boards)のような反公共住宅の圧力団体による
ロビー活動が成功したことがあげられる26)。しかしながら,公共住宅にとっ ての真の問題は,別のところに存在した。1つには,M・アンダーソンが「フェ デラルブルドーザー」というセンセーショナルな言葉を用いて告発した27)よ うな問題である。つまり,49年連邦住宅法が都市再開発事業の中心手段として 位置づけたスラムクリアランスが,担税力のある中所得層の都市中心部への定 着を急ぐあまり,法の建前に反して低所得層の住居を剥奪し,彼らの所得では 手の届かない街区へと変えてしまう結果となったのである28)。 公共住宅のもう1つの真の問題は,公共住宅そのものの「失敗」である。「失
25)Hays, op. cit., p.93 26)ibid, p.94 27)アンダーソンは,次のように指摘する。「トルーマン政権下の1949年連邦住宅法は,都 市計画家に対しては都市再開発におけるより柔軟な計画づくりを保障し,同法の下で新規 の都市改造事業が機械的に標準下住宅を除去していった。翻ってこの柔軟性は,都市改造 事業がもつ傾向――すなわち標準下住宅を破壊し,当該地域の旧来からの住民の経済力が
及ばない高級住宅,準高級住宅の建設を許す傾向――への批判を招くこととなった。M.An-derson, The Federal Bulldozer: A Critical Analysis of Urban Renewal1949―1962., The M. I. T.
Press,1964., p.4
28)これは,都市再開発によって受益する者と,それによってあまりにも大きな被害を被る 者が生まれ,しかも両者が一致しない(受益と負担,受苦の乖離)という問題である。こ の点につき,拙稿「アメリカの都市政策におけるコミュニティの意義(二)」早稲田大学大 学院法研論集88号,185―206頁,同「アメリカの居住環境政策における再配分と再開発――!
公共領域と非政府主体(1) 133 敗」とは,公共住宅が「官製のスラム」と揶揄されるほどに,貧困層が集中し 荒廃した場所となったという事情である29)。こうした状況が生まれるには, 歴史的な背景があった。制度開始当初の公共住宅は居住継続資格要件について の規定を有しておらず,入居後に所得を増加させ低位の所得階層を脱したよう な人々が公共住宅に居住し続けるという事態が生じた。こうした状況は,本来 制度が受益者としている真の低所得層から公共住宅入居の機会を奪うという批 判を生んだ。これは,主にリベラル派から出てくる批判である。他方で,公共 住宅は住宅市場で住宅を確保しうる者にも入居機会を開放し,民間住宅市場の 顧客を奪っているという批判も生じた。これは,不動産業界及び保守派の論理 から導かれるものである。特にリベラル派からの公共住宅批判は,公共住宅へ の入居基準の厳格化の大きな推力となった。こうした批判を受けて,居住の継 続に所得の上限が課せられるようになったのである。この措置は,公共住宅の 利用機会を低所得層に限定させることとなった30)が,それによって公共住宅 そのものが貧困の象徴となり,さらに公共住宅に対する根強い拒否反応を社会 のなかに醸成していくという悪循環を生んでしまった。連邦政府が主導した住 宅政策によって,一方では既存コミュニティが解体され,他方では社会病理の 集中する街区が出現するという事態が生じたのだ。 公共住宅をめぐる荒廃した環境の例については,それこそ枚挙に暇が無い。 シカゴの公共住宅について,ある論者は次のように述べている。 「シカゴの公共住宅プロジェクトで,レイジョー・リバースと彼女の幼 子たちは,自分たちの住居とその近隣が日々生存を脅かすものであること を 思 い 知 っ た。こ の よ う に 圧 倒 的 に 貧 し く,黒 人 ば か り の コ ミ ュ ニ ティ――学校は定員を大きく超え,財政的にも立ち行かなくなり,通りで 戦後復興期の住宅法を素材として――」早稲田大学大学院法研論集91号,179―205頁を参 照されたい。 29)岡田徹太郎「アメリカの住宅政策――政府関与の間接化とその帰結――」,渋谷博史・ 内山昭・立岩寿一編『福祉国家システムの構造変化』(東京大学出版会,2001年)125頁 30)岡田前掲29)126―127頁 31)Sidney, op.cit., p.1 !
134 彦根論叢 第361号 平成18(2006)年7月 はギャングたちがしばしば威嚇しながら銃を撃つ,そのようなコミュニ ティ――では日用品やサービスを賄える商店もない。アパートの壁は石炭 のように汚れ,キッチンは錆びつき,バスタブの湯栓は壊れ,暖房装置は 制御不能になっている。家族は流れ弾を防ぐために窓のそばに家具を置き, 子供たちは銃声を聴くと廊下に走りしゃがみこむ。」31) 公共住宅を囲繞するこうした環境が,公共住宅をめぐるネガティブな言説を さらに再生産し,イメージの増幅作用を担っていることは,言うまでもない。 宗教社会学者ベラーが,その著『心の習慣』の中で,興味深いエピソードを紹 介している。それによると,連邦政府の住宅・都市開発省(Department of
Hous-ing and Urban Development)が高齢者向けアフォーダブル住宅建設の予定地と
して選んだある自治体(この自治体の住宅局も,建設に一旦は同意していた) の住民が,それに付随して低所得層向け住宅も受け容れなければならないと 知った途端に,翻意し,最終的にタウン・ミーティングで感情的な反対意見が 噴出したというものである32)。これは,タウンミーティングの伝統を維持す るほどの自治体の住民にとってさえ(否,そうした人々であるからこそ),連 邦政府の公共住宅が耐えがたいものであることを示している。 公共住宅をめぐり数十年間にわたって堆積してきたネガティブなイメージ は,しかし,単なるイメージに過ぎないものではなく,相当程度に実態を反映 したものと思われる。そうであるからこそ,その失敗をうけて,オルタナティ ブとしての住宅政策が求められてきたのだといえよう。 1.6 オルタナティブとしてのアフォーダブル住宅とその担い手 先にも述べたとおり,今日の住宅政策の基本は,家賃補助,公共住宅,住宅 税制,住宅金融の四様である。このうち前二者は低所得層を対象とする政策で あり,後二者は中上層・高所得層向けのものである。20世紀中盤までのアメリ カの住宅政策の主軸は,後者であったといってよいだろう。確かに,連邦政府 32)R・N・ベラー,R・マドセン,S・M・ティプトン他(島薗進・中村圭志訳)『心の習慣』 (みすず書房,1991年)14―15頁
公共領域と非政府主体(1) 135 による直接的な住宅供給が政策アジェンダとされ,それが実際に法制化された 時代もある。1949年連邦住宅法は,その典型例である。しかし,それは必ずし も当初の計画を達成できず,また法がその対象としていた低所得層の居住環境 を破壊する局面も生じた。期間をみても,公共住宅が連邦をはじめとする各政 府の住宅政策の柱であった時期は,長くはない。こうした事情を考えると,20 世紀中盤までの住宅政策の主潮流は,民間住宅市場との競合を極力回避し,そ の十全な展開を保障するための住宅金融制度の整備にあったといって差し支え ないであろう。 住宅金融制度の整備という政策アジェンダで想定されている中上層及び高所 得層とは,本来市場経済への自力参入が期待される層であり,アメリカ的自己 責任の観念からすると,こうした層に対する政策的配慮は不必要であるとも思 われる。それにも拘わらず政策当局が実際に様々な住宅税制,住宅金融政策を 構築してきたことの正当性根拠については,この層に対する優遇が最終的に社 会全体の経済的厚生を増進すると期待されること,またこの層に対する助成が, 間接的に中下層・低所得層の住宅賃貸や住宅取得の条件を改善すると期待され ることがあげられてきた33)。いわゆる,トリクルダウンの理論である。概し て中下層・低所得層を対象とする住宅政策は,第一義の住宅政策ではなく,中 上層・高所得層を対象とするそれの反射的利益を享受するものとして位置づけ られてきたといってよい。視角を少し変えれば,住宅政策は健全な市場経済の 担い手である中上層・高所得層の利害に拮抗すべきではない,という観念が支 配してきたといえよう。しかしながら,これは,単に中上層・高所得層の階級 的利害や有力なロビー勢力を擁する不動産業界の業界利益を反映しているばか りではなく,上にみたような公共住宅の失敗の経験を経て形成されてきた,緩 やかな合意のようなものではないかと思われる。 しかし,そうであるからといって,中下層・低所得層を対象とする住宅政策 が皆無であってもよいということにはならない。中下層・低所得層に宛てられ 33)井村前掲12)140頁
136 彦根論叢 第361号 平成18(2006)年7月 る住宅政策は,やはり必ず存在するものであるが,しかしそれは中上層・高所 得層の利害を反映した住宅政策とは担い手や手法を異にした,オルタナティブ として存在しているはずである。 つとにその失敗が説かれてきた公共住宅とは,文字通り政府(連邦,州,自 治体)が直接供給してきた公共住宅を指す。いわば「住宅をめぐる政府の失敗」 が説かれてきたわけであるが,これに代わり注目されてきたのが,中下層・低 所得層と政府との間にもう1つのアクターをはさむアフォーダブル住宅の供給 (affordable housing)である。アフォーダブル住宅の供給は,1980年代後半に は国家的な課題となり,そして1990年にアフォーダブル住宅法(National
Afford-able Housing Act of1990)が成立している。同法の眼目の1つは,公共住宅を
民間非営利団体などに売却し,民の管理の下で低所得層の住宅確保を図ること を目的とする事業(HOPE Ⅰ)プログラムである。 ここからも推測できるように,アフォーダブル住宅の最有力の供給主体は, 各レベルの政府ではなく,また,市場の純粋な営利主体でもない。それは,民 間非営利主体,とりわけコミュニティ開発法人である。そして,コミュニティ 開発法人は,アフォーダブル住宅の建築,取得,維持のために公共セクターや 民間セクターから莫大な資金援助,その他の資源提供(たとえば技術的教育や 情報の伝達など)を受けており,その居住者には,いわば事実上の所得移転が 行われていることになる。したがって,我々は,オルタナティブとしての低所 得層向け住宅政策を探求するにあたって,コミュニティ開発法人とアフォーダ ブル住宅の関わりに注目すべきである。 ところで,今日活動しているコミュニティ開発法人のうち,少なからざるも のが,その淵源を1960年代後半から70年代前半にもつといわれる。これには, 1960年代に展開された「偉大な社会」キャンペーンとその下での「貧困との戦 い」関連立法の影響が大きいものと思われる。つまり,196
4年経済機会法(Eco-nomic Opportunity Act of1964)に典型的に見られるように,社会福祉プログラ
ムの実施において,「一定の要件を備えた住民団体を直接の対象として連邦補 助金を交付する」34)事業が創設されていったことが,後のコミュニティ開発法
公共領域と非政府主体(1) 137 人の叢生を準備した35)という評価が可能であると思われる。 コミュニティ開発法人は,連邦政府による低所得層を対象とする住宅補助が 縮小した1980年代にかえって活動を活発化させ,当時既に1,000を超える法人 が活動していたとされる。さらに,1990年までに,全米で約2,000の法人が組 織されるに至ったという。また,1980年代の10年間のコミュニティ開発法人の 年間平均住宅供給量は30,000戸に上り,同期間に連邦政府が供給した低所得層 向け公共住宅(年間平均26,000戸)の総数を凌駕している36)。いまや,コミュ ニティ開発法人は,アフォーダブル住宅供給の領域において,欠くべからざる 存在となっているのである。 如上の領域において存在感を発揮してきたコミュニティ開発法人ではある が,これについての明確な定義が存在するわけではない。コミュニティ開発法 人の組織や機能も実に多様であり,組織の淵源を辿っていくことも簡単ではな い。また,60年代後半から70年代前半に淵源をもつといわれながらも,その出 現の背景についてはいまだ明らかではないことも多いようである。これらの点 について,何らかの知見をうることができれば,コミュニティ開発法人の意義, さらには非政府主体の公共領域へのコミットメントという本論の課題への接近 の一助となろう。 次章では,60年代以降の住宅政策におけるアフォーダブル住宅の位置づけ, その供給をはじめとするコミュニティ開発法人の機能を俎上にのせる。 *本研究は,平成14年度科学研究費補助金(基盤研究B)「いわゆる近隣政府 ないし都市内分権制度と基礎地域組織との関係に関する法社会学的研究」及 34)新藤宗幸・武智秀之「連邦制・地方自治・立法過程」,社会保障研究所編『アメリカの 社会保障』(東京大学出版会,1989年)50頁
35)1964年経済機会法(Economic Opportunity Act of 1964)の202条"!においては,コミュ ニティ活動事業(Community Action Program)策定過程への,住民や団体構成員の‘最大 限可能な参加’が規定された。
36)ジェーン・ノッデル=秋山義則「アメリカのコミュニティ開発と政府の役割」,渋谷博 史・井村進哉・中浜隆編『日米の福祉国家システム 年金・医療・住宅・地域』(日本経 済評論社,1997年)226頁
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び平成15年度科学研究費補助金(若手B)「アメリカ合衆国の都市行政にお ける近隣住区政府ないし都市内分権制度の研究」の成果の一部である。