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ック教育の観点から―」

著者

吉田 敦彦

雑誌名

「エコ・フィロソフィ」研究 Vol.8 別冊

8

ページ

119-128

発行年

2014-03-25

URL

http://doi.org/10.34428/00007500

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止

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サステイナビリティといのちの教育

―ホリスティック教育の観点から―

吉田 敦彦(大阪府立大学)

持続可能な開発は、たしかに自然環境に関する科学、経済や政策決定の問題を含むが、それは 先ずもって文化の問題でもある。・・・・・・ この教育のヴィジョンは、持続可能な未来に向けて必要な認識や技能を育てるとともに、価値 観や態度や暮らし方に必要な変化を生み出すための、ホリスティックで総合的なアプローチを 強調する。 ――松浦晃一郎(ユネスコ第八代事務局長)、二〇〇二年ヨハネスブルク・サミット講演よ

り。(UNESCO 2004, Educating For A Sustainable Future, p28-29)

はじめに ○ ホリスティック教育/いのちのつながりを求めて ○ 喜びはいじめを超える/ホリスティックとアドラーの合流 一、「サステイナビリティの教育」と「教育のサステイナビリティ」 教育という営みは、後続世代の幸福への先行世代のレスポンスを真正面から課題とする、それ自体 がサステイナブルな人間活動である。教育は、サステイナビリティの手段として語られがちであるが、 その目的として理解される必要がある。本稿では、学びと教育の現実から出発して、ESDをホリス ティックに捉え直す理解モデルを提案する。 生態系の病と教育の病の同根 一九九一年に「生態系の病と教育の病、両者の病の根は同じところにある」という印象的なフレー ズではじまる「ホリスティック教育ヴィジョン宣言」が北米で出された1。ブラジル・リオの国連地球 サミット(一九九二年)へ向けてエコロジーへの関心が高まるなか、環境問題を解決するための教育 の重要性が認識されはじめた頃である。この宣言では、その重要性を認めつつも、既存の教育システ ムが抱えている問題を根本的に問い直すことなく環境教育が進められても、本質的な解決にならない ことをいち早く訴えている。そして、「ホリスティック教育」という、当時はまだ耳慣れない新たな アプローチを提唱した。十年後、ヨハネスブルグの「持続可能な開発」サミットで、ESD(サステ

1 日本ホリスティック教育協会編『ホリスティック教育入門(復刻増補版)』せせらぎ出版(2004 年)。宣言は 第六章に所収、第7章は筆者による宣言の解読。

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イナブルな開発のための教育)に向けての取り組みを提案したユネスコの事務局長が、冒頭のリード のように、ホリスティック・アプローチを強調するに至った。そしてESD10 年がはじまり、日本で も環境教育の展開としてだけでなく、ホリスティックな観点からESDが捉えられるようになってき た。二〇〇九年、ドイツのボンで開催されたESD10 年の中間総括をする世界大会の開催にあたっ ても「ホリスティックな理解の広がり」が成果として特筆されていた2 近代的パラダイムそのものの転換 では、先にみた「生態系と教育の病」に共通する根源はどこにあるのか。現在の大人世代が「開発 (発展・発達Development)」の目標を定め、それを実現するための手段として対象に関わる――〔生 態系〕人間が、自然を対象として、開発のための手段・素材として関わる/〔教育〕次世代の子ども を対象として、発展のための手段・人材として関わる――そのような関わり方(ものの見方・考え方 の枠組み=パラダイム)そのものに問題の根をみることができる。自然やいのちを、感謝や畏敬をもっ て接する「何か大いなるもの」としてではなく、自分の利害に基づいて操作しコントロールする対象 物、目的のために利用する手段としてみる見方。子どもや次世代を、その健やかで幸せな成長そのも のを願う目的としてみるのでなく、先行世代の大人がつくる社会の発展ための手段、教育の対象(人 材)としてみる見方。このような一面的な見方――「近代文明」に支配的(ドミナント)になった主体 ―客体(目的―手段)関係に基づくパラダイム――の陥穽に気づくことが、まず肝要なのである。主客 の不二一如、万物同根一体の全連関的・包括的なホリスティック・パラダイムは、それへの代案(オ ルタナティブ)として提案されたものである(表1参照)3 「サステイナビリティの教育」と「教育のサステイナビリティ」

このような観点からみれば、ESDがE. for S.D.(Education for Sustainable Development)で

あるかぎり、そこで教育(E.)が、開発・発展(D.)のための手段として捉えられていることに気づ く。その開発が、たとえ「持続可能な開発(S.D.)」――周知のように世代間公正を考慮に入れた優れ た定義、「将来世代のニーズを充たしつつ、現在の世代のニーズをも満足させるような開発」(環境と 開発に関する世界委員会、一九八七年)であるとしても、そのような開発が先行する目的としてあっ て、そのためのプロジェクトとして教育活動を捉える点では、変わらない。それに対して、発想を逆 転させて、将来世代(子どもたち)が途切れることなく学び成長するニーズを先行させ、それを充た す活動=教育活動のためにどのような開発が望ましく、また望ましくないかを考えていくパースペク

ティブがありえる。いわばS.D. for E. (Sustainable Development for Education)である。「サステ

2 吉田敦彦著『世界のホリスティック教育/もうひとつの持続可能な未来へ』日本評論社(2009 年)。第Ⅱ部第

5章でユネスコESDにおけるホリスティック概念を検証した。

3 ホリスティック・パラダイムについては、吉田敦彦著『ホリスティック教育論/日本の動向と思想の地平』日

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サステイナビリティといのちの教育

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表1 パラダイム対照表 第 2 章 ホ リ スティック教育の基本的観点 。 包括的なホリスティ ック 教育 0 従来型の学校教育

ホりスティック教育 論 の強調点 、 基本的教育観 鍋 │教育 者(主体)と後教育 者 ( 客体)の区別 ! 学 習 の鵠 する関係性・場の成立が前提

ω

!教育者 からの 一方的線型 耐 教育関係

i

教 育者 / 学習者 の循環 的 相互形成的関係 ③関経済的 ・政治的 等の機能への還元 │全体的 宇宙的生命進化{い のち)の 流れ への軒、 @沼心イ 学 習者内部への知識 ・ 校能の蓄積過 程 │自己と世界 の多重的な関 係 のあ O 方的変容過程 鎖拘 1 標準化 ・均質化・画ー化 ! 個性化・異質化 ・3-緑化 ! 学習者観 唱鴻列島 │合理的知性が基本的樋能.心身 の分際 │ 知 情意、心身、意議/量意識、等の統合的理解 1 航拘│人材、操作対車としての被教育者 │ 全体としての人間 . 全人格的応筈的責任円相手 l @i! 誕

n

独立 し た個人、自己完結的自立 │関係町中の個人、相 E 依存的自律 │ @両国 l 無 限の一般的可 能 性 ! 特殊的な個性的滞在力 @⑬ │外的動機ヴけ、コントロ ー ルの 必要 ! 内発的動峰、自発的活性の内在 l 教育内容/学習方法 錨 │学 力的要素主義的理解 │ 学力的全 f 事 的理解 ⑬⑤ゆ l 事実 一般 法制、明示的な知識の重羽 │精神位、意味、価値、暗黙知、党寵の重視 喧渇 XIDI 教育内容の教科 目へ の骨事 l 断 片化 │ 総合掌雷、経験的学習による教科の統合 笹沼⑪ l 知的作業 による学習中心 │ 直視 、 身体 、 イメージ等、多角的アプロ ー チ ⑬@ゆ l 競 争原理 l 相互依存、相互扶助 ⑫⑬⑤ 卜効率 性 、結果 重視 l プロセス 重 視 制蹄 い 回定的スケ:; :;J.. -J レ 、 時間割 、計 画 性 │ 品会い 、 柔軟性、流動性、非連続的 ⑨拘ト標準化された一元的基準・学目方訟 │ 弘 元 的基準 ,姉 な学習形態 G ほ H 事卜客 観的 評価、測定 、数量化・数学的 記述 │相 互主 観 的評価、詩的、散文的記 述 ⑬⑬ 十多数意 見、 標 準的 中心 的学習 者 の尊重 │ 少数意見 異質的周語的学習 者 の尊重 学絞制度 ⑪ │ 学授 の均質化、標準牝 、 一元化 1 . 多機性 、 学 検 選択の 幅 の 拡大 、 ゆらぎの許容 ⑫ │ 中央の管理統制 │ 自治.生徒・親の学校運営害加 ⑪ 1 m 鎖的、専門家章旗教育機会の泊占 1: オ ープ ン システム 、 他町教 育機 関との相互 依存 舗 )@ I 国 家レベルでの統合が中心目的 l 個人から地線共同体まで$躍的 レ ベル内システム く 付 記〉 ・ 行績の丸融 字 によ勺 T 、 全般的なパラ ダイム転控と 数 膏に必付る転換町連 動 開悟~示す. -この襲 1;1、島吟ダイム的対照による撞問点を慰霊したも的であり 、 ~,ずしも排盤的なニ輔 ー ではない . 機械 論 的 パ ラダイム

7

ホ リステ ィッ ク ・ パラ ダイム 主導的な科学・思想 デ方ルト的偲議鎗 世界観、古典物理学 i 量 子 力学 、 一 般システム論 、 生態学 行動主 義 心理学、テクノロアー │ 非平 衡系熱 力学、 ト ラ ン ス ・ パ ー ソ ナル心理輩 近代丙津医学 、 ダ ウィン的進化論‘ etc. 1 東洋伝統医学 、 神揺思想 、 東 洋思想. et c 基 本的存在論 ・ 認撮論 。 主 客円分離、ニ元 首 . 客観的措写可能 │ 主客円未分、 一 元論 . 観窮 者向主観的関 与 ②実 体 内軍 一 次佐.独立自存の可視的実体 i 関係司事 ー 次性 . つながり、場、あ いだ @ 全 体は . 分割可能な基本的要素の構成 │ 全 体 1 ;1、諸部分の総和以上 の も の . 栂 E 依存 i 車関 ④絶対的な時間空間. 局 所的位置 │ 相 対的な時空. 生き られる時 空.非局 所的遍 在 ⑤普通的な究極の基 本 物質的悶 果 法則的制御 l i 司域 内聞 い た r ホロン J の 多重量 閥 的 屠 状 秩 序 強調される賭原 理 ⑥ 基本的要素 の特性 . 分 割 . 還 元主 義的理 解 │ 全体関連 ・ 相 互関係のあり方.総合 . 全 体把握 d 液型 、 直線的凶果関係、決定論的 「非線型、因畢の循環的連鎖、偶然性の 関 与 ③ 知的、合理的 、 分析的 、 左脳的 │ 直 観 的、イメージ的 、 実的 、 全体知、 右 脳的 ⑨互換 性、可逆的、再現可 能、 ー 験的 │唯 一 位 、 不可逆的 、 再現不可艇、一向的 、 個性的 ⑮均質 性 、平衡、秩序 ! 多様性、非平衡、乱雑性、申らぎを通した秩序 。組立系、同定的、硬 直化 │ 開放系 、 f 也との相互作用、柔軟性 ⑬刺激 ー 反 応 、量動的、外的操作 i 自発的活性、自己 組織化・自 己更新 ⑬ 適者生 存 、 生存競争、優勝劣敗 l 相互依存.共生進化、和合縞和 、 協調の中町競争 ⑬メ ッ セージ、明白な目に見え る原 理 │ コンテ キ スト、暗黙の織 り 込 ま れた原理 ⑮ 量 的、測定 、 定量化、法自 1) の数学的記述 I! 質的.詩的散文的記述 価値観 ・生活様式 への能響 膨張・拡 大無 鎮の 進 歩 │ パ ラ ンス 、持 続性 ‘ 適正規模、相互限定 自然 / 肉体町対輩 it , 支配、手段貌 │ 自然 / 身 体との対醤 ・ 共生 締約‘男性的、自 己主 張的 、 攻撃的 │ 険的、女性的 、 傾 聴 的 、 受容的 一元的コントロール 、 中央集権、力による支配 │ 相互扶助 、 フ ィ ー ル ドパ y 夕、 分権 効率性、目的至上主袋、プロセス の 省略 │ 結 果 よりもプ ロセ ス 、 プロセス 自 体 に も目的 大量生産、標準化、農俗化、大量消費 1 子 作 1 ユニーク害、個性、シンプルライフ 副 作用、他 への 膨響の軽視 │ 全体的 ・ 長期的な影 響 の配嘩 病因 Ii、特定可能な単 一 因子 病 位 の特定、診断、症杖の 分 類 病因の除去 、 制御、加工 外 科手 術、役軍 疾病観、霊徳観 精神や内外環境と の 総合的相互関係 症杖は全体的な不均衡 の ー 表現 自 己自然治癒力 、 精神、 イ メー ジ 療法 の 重視 治 療師 と患者との全人格的関係

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イナビリティの(ための)教育」に対する「教育の(ための)サステイナビリティ」という視角であ る。

二、三つ巴のESD理解――サステイナビリティ学の観点から

さらに、リンカーン大統領のゲチスバーク演説の修辞法(government of the people, by the people,

for the people)を借りよう。ESD が「教育による持続可能な開発 Sustainable Development by

Education」であり、それに対する SDE は、「教育のための持続可能な開発Sustainable Development

for Education」だと言える。加えて、「教育の持続可能な開発Sustainable Development of Education」

という視角が、重要である。あまり語られないのであるが、この観点では、教育という営みそのもの

と、持続可能な人間の開発(発達成長)とを同格においてみている。同格のof であり、「教育として

の持続可能な開発/持続可能な開発としての教育」。ここで教育は、持続可能な開発の手段でも目的 でもなく、世代間の人間形成としての教育、すなわち先行世代が後続世代の人間を次々と途切れるこ となく形成していくプロセスが、そのものとして即ち、サステイナブルな人間活動の根幹を成してい

る。「サステイナブルな人間開発として教育」E. as S.D. (Education as Sustainable Development)と

いう視角である。 こうして、「三つ巴のESD理解」を取り出してくることができた。 A「持続可能な開発のための教育」という視角だけでなく、 B「教育のための持続可能な開発」、 C「持続可能な人間開発としての教育」の三つである。このような多角的な視点を相互連関的に捉 える包括的・俯瞰的なアプローチが、ホリスティックなアプローチに他ならない。 サステイナビリティ学の「地球/社会/人間システム」の観点から この三つ巴のESD理解は、この数年に提唱された「サステイナビリティ学」の定義4――すなわち、 「地球システム」、「社会システム」、「人間システム」と、その相互関係に破綻をきたしつつ状況を解 決するために、俯瞰的・統合的アプローチで取り組み、持続可能社会の実現を目指すための新しい学 術体系――と関連づけて理解することもできる。A「持続可能な開発のための教育」では、地球シス テムが破綻をきたしつつある環境問題や、その背景にある構造的な社会システムの持続不可能性を解 決するために、その問題を科学的に認識しその解決に向けて取り組む力をもった次の世代の人間を育 成する。目的は持続不可能な環境問題・社会問題の解決。手段は次世代の人間育成=教育。B「教育 のための持続可能な開発」は、次世代の人間の健全な育成が困難になっているという問題(人間シス テムの持続不可能性)を解決するために、子どもたちの健やかな成長を支える(阻害しない)社会シ

4 小宮山宏編『サステイナビリティ学への挑戦』岩波書店(2007 年)を参照。

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サステイナビリティといのちの教育

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ステムや地球環境を開発する。目的は次世代の人間育成(教育)、手段は社会・環境の改善。C「持続 可能な人間開発としての教育」は、次世代の人間育成が困難になっている世代連鎖の持続不可能性を、 教育システムが内在的に抱えている問題として捉えて、それを解決できる人間教育のあり方を転換し

地球システム

社会システム

【持続不可能な環境社会】

【持続不可能な次世代形成】

(問題解決)

(問題解決)

地球システム

社会システム

(問題解決)

(問題解決)

人間システム

次世代の人間育成

人間システム

【持続不可能な教育システム】

人間システム

次世代の人間育成

人間システム

次世代の人間育成

A「持続可能な開発のための教育」

C「持続可能な人間開発としての教育」

図1 ESDの三つ巴モデル:サステイナビリティ学の観点より

B「教育のための持続可能な開発」

E. for S.D.

E. as S.D.

S.D. for E.

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ていく。このように整理して図示してみると(図1)、AとBとCそれぞれの観点がもつ限定された 意義と、その相互関係に総合的にアプローチしていくという課題を俯瞰することができる。これを、 サステイナビリティ学の観点からみた「ホリスティックなESDの三つ巴理解モデル」として、ここ で提案しておこう5 三、いのちを表現する様式としての「文化」の次元 このようにサステイナビリティ学の観点からみたホリスティックなESDの課題を探求する際、 「人間システム」における「文化」の次元を強調しておく必要がある。それは、国連・ユネスコでこ の十年の間にホリスティックなESDへの理解が熟成してきた成果である。 冒頭のリードでユネスコ松浦事務局長が「文化」の問題を強調していたように、『ESD10 年国際

実 施 計 画 の た め の 枠 組 み 』(UNESCO 2006, Framework for the UN DESD International

Implementation Scheme)には、「この計画では、持続可能な開発の鍵となる社会、環境、経済とい

う三つ領域を、その基底となる次元としての文化culture as an underlying dimension とともに、提

示する」と記されている。それを「図2 ESD の三本柱とそれを支える文化」で図示しておく。 ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)は、 長年にわたってアジア・太平洋地域の文化協力・ 教育協力事業に取り組み、近年はESDを推進し ているが、そのHPには次のように「文化」の次 元に注目しつつ「ESDのホリスティックな課 題」を明記している。 「ESDは、環境、社会、経済という三つの領域と、これらの領域は、相互に複雑に関連している ことに注目しつつ、進める必要があることから、きわめてホーリスティック(全体論的)な課題です。 さらに、文化とこれら三つの領域との関連をどう考えるのか、また、精神・こころという人間の内面 的な側面はどのように位置づけられるのか、これらは、ESD関連の国際会議などで、しばしば指摘 される課題です」。 さらに、このようなホリスティックな観点を取り入れて、ACCUはESDの 10 年の前半にHOP

E(HOPE: Holistic, Ownership-based, Participatory, Empowering)評価法を開発し、すぐれた成

5 サステイナビリティ学からホリスティックな哲学に着目した論考として、竹村牧男・中川光弘編『サステイナ

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サステイナビリティといのちの教育

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果をあげている6 では、なぜ「人間システム」における次世代育成をサステイナブルなものとするために、「文化」の 次元が重要なのであろうか。ここで「文化」は、経済システムや政治システムなどの「社会システム」 の次元から区別されて、人間のこころや精神に関わる次元で理解されている。この点については、A CCUと日本ホリスティック教育協会が二〇〇七年夏に共催した国際シンポジウムにおいて主題的 に探求された。最後に、その国際会議で発表された「ホリスティックESD宣言」を紹介する(詳し くは同会議の記録『持続可能な教育と文化』7所収の拙論を参照)。つまりは、いのちを表現する様式 としての文化が、人間存在の意味や価値(アイデンティティ)、そして大いなる生命との根源的な絆(ス ピリチュアリティ)を支える叡智を含んでいること、その文化のエッセンスを見極めて過去から未来 へと、世代から世代へと創造的に継承していく営みが、まさにサステイナブルな教育の営みに他なら ないのである。 「ホリスティック ESD 宣言」解読――いのちの教育のために 1.現代社会へ単に適応させるために教育するのではなく、何が子どもの全人的な発達のために適し ているかを注意深く考えて、学びの環境をデザインしていくこと。そのこと自体が、ESD の目的を 実現することにつながる。 この第1項は、「持続可能な開発のための教育(ESD)」には、「持続可能な教育のための開発(DSE)」 という観点も重要であることを強調している。私たちは、社会を開発・発展させようとするとき、子 どもたちの健やかな成長にとって、それがどのような影響を及ぼすか、どれほど考慮に入れてきただ ろう。開発が、自然環境に及ぼす影響に配慮すべきであるのと同じように、開発が未来を担う子ども たちに及ぼす影響を考慮すべきである。日々、子どもを目の前にして、心身ともに健やかな全人的な

成長(healthy, whole > holistic な成長)を願っている教育者として、「社会の開発に適した子ども(人

材)の育成」ではなく、先ずもって、「子どもの成長に適した社会の開発」を求めるものである。 子どもは、持続可能な開発にとって、いわば「坑道のカナリア」である。いま子どもたちは、生き た自然とのかかわり、いのちのつながりから切り離されて、また、生きる意味や価値、アイデンティ ティを感受する文化の土壌から根扱ぎにされて、生の実感が希薄になって浮遊している。国際市場競 争に勝ち残るための知識学力だけが重視され、学べば学ぶほど心と身体と頭がバラバラになり、さま ざまな歪みのなかで悲鳴をあげている。このような息も絶え絶えの子どもたち、坑道のカナリアたち の声に耳を傾け、少しでも早く私たちの社会と環境の方向を据えなおさなければ、この社会全体の未

6 とくに永田佳之の監修によるAsia/Pacifi c Cultural Centre for UNESCO (ACCU), Tales of HOPE II, 2009.を参照。

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来は危うい。大人よりも鋭敏な子どもたちの、持続不可能な社会への警鐘を受けとめ、子どもに優し い社会をつくることが、ひいては大人にも、すべての人に優しい、持続可能な社会をつくっていくこ とになる。 2. マイノリティの文化やローカルな地域文化を保持し、文化的多様性を維持することが、ESD にとっ て力強い基盤となること。これは必ずしも、国民的なアイデンティティの土台を掘り崩すことにはな らない。 輸出用の単一商品作物のプランテーション農業=モノカルチャーが、土地に根ざした多品種の有機 的な農業に比べて、気候などの環境変動に対して、また通貨危機などの経済変動に対して、いかに脆 く持続不可能であるか、そして、そのグローバル経済に呑み込まれたモノカルチャー経済が、いかに 文化をも破壊して「精神のモノカルチャー」を生み出すか、つとに指摘されているところである。こ の第2項では、それぞれの地域風土に根ざした文化・経済活動を尊重すること、つまりマルチカルチュ ラルな多様性を保持することの持続可能な社会にとってもつ意義を、あらためて強調している。 地域に根ざした文化が、自然環境と社会や経済とのかかわりを媒介しつつ支えていること、しかも それが、人間の心身ともに健やかな成長にとって重要であること。とりわけ、植民地化やグローバル 化のなかで軽視・抑圧されてきたマイノリティやローカルな文化に焦点を当てるとき、鮮明にその意 義をとらえることができる。しかし、事柄はそう単純ではない。伝統回帰を志向する原理主義的傾向 と、欧米的価値を受け入れてグローバル市場経済に参画することで生き延びる道との間には、現代世 界に共通した対立・葛藤がある。それは、普遍化する近代と地域に特殊な伝統との間の、グローバリ ズムとナショナリズムの間のディレンマに通じている。次の第3項は、この問題に言及している。 3.伝承文化を、現代のグローバルな社会の現実を踏まえて創造的(交響的)に継承していくこと。そ のためには、その文化の最善のものと克服すべきものを見極めていく眼を持つことが大切である。 ESD における文化伝承の課題を捉えるうえで、現代世界が直面している背反する(ようにみえる) 二つのベクトル、つまり近代と伝統、普遍性と特殊性、グローバリズムとナショナリズムという二つ のベクトルの交錯と接合という問題が重要である。これは人類がまだ解決を見出していない難題であ る。 大切なのは、「伝承文化」というときに、1)それを実体的固定的に捉えるのではなく、歴史的に可 変な、創造のプロセスにおいて捉えること、2)その「文化の単位」を、より大きな方向にも、より小 さな方向にも、実際には様々な線引きを許容するものとして、また、多かれ少なかれ他文化を受容し た重層的あるいは混交的(ハイブリッド)なものとして捉えること、さらに、3)二つのサイドの立

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ち位置によって、つまり自文化を他に強要し同化する支配的な力をもつ側か、それに対抗して自文化 を防衛する側かによって、それは異なる現実的意味をもつことを認識しておくことだろう。ある民族 に一対一対応するような実体的な文化、「純粋な」文化、本質的・不変的な文化はない。自らの文化を その根っこ(ルーツ)に向けて深く探求すれば、必ずしも狭い自文化の特殊性に閉じられることなく、 その徹底において、他の文化にも通じる普遍性にふれることができる。あるいは、それぞれの深部の 記憶を掘り起こし(痛切な記憶も含めて)、それを共に聞きあい語りなおして、共通の物語をつくり あげていく、そのような道もありえるだろう(吉田2007)。また、文化を両義的なものと捉え、批判 的に吟味する視点も重要だ。 未来へ向けて、文化の何を受容し何に対抗するか、それを見極める眼力が問われている。 4. 子どもたちに伝える前に、大人たちは、そのような ESD 文化を、自ら体現して生きなくてはなら ない。そのような大人の存在の仕方そのものが、子どもの存在を育てる。 ESD は、子どもへのフォーマル教育(いわゆる学校教育)だけでなく、インフォーマル・ノンフォー マルな成人教育、大人の自己教育の課題でもある。子どもに何をどう教えるか、と発想する以前に、 大人自身の、ESD 的認識のみならず、ESD 的な生き方・暮らし方を自らに問うべきだ。容易でなく とも、もし大人自身から変わっていくことがなければ、ESD の実践が子どもたちに受け入れられて いくことは、ますます至難だ。というのも、持続可能な未来をつくるというESD の実践が、現在世 代と将来世代の間の不公正という世代間の溝を埋めていくという課題に関わるからである。持続不可 能な環境と社会を、自世代の利益を追求してつくってきたのは、まぎれもなく子ども世代でなく大人 世代。環境問題を学び、貧困問題を学び、紛争・戦争を学べば学ぶほど、自分たちの未来への閉塞感 を強め、大人世代への不信感を募らせる子どもたちがいる。 そうであるので、他の教育に比してとりわけESD は、大人自身が変わることから出発すべき特別な 意味をもった教育だ。大人が日々、何を大切にし、何をあきらめながら生きているか、その暮らし方、 生き方が、子どもに伝わっていく。ESD とは、このようにすぐれて大人の生き方の変容が問われて いる教育課題である では、そのように大人が、圧倒的な文明の大きな潮流に抗して、信念をもって自らの生き方を変え、 もう一つのライフスタイルを選び取っていけるのは、何に支えられて可能なのか。簡単に「心の持ち 方」を変えることができるとは思えない。そこには、「心」というよりも、もっと深いところ、ある意 味では存在そのものがそこに根ざしているような何か、社会や経済のシステムの次元よりも深部にあ る、人間の生き方をその根っこにおいて支え方向づけている何かであるように思える。それは、「精 神的なもの(スピリチュアリティ/いのち)」とも呼ばれようが、この宣言では「文化」をその最も深 い意味において、その目に見えない何かを暮らしのなかで表現する形や様式を与えるものとして理解

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した。深く根ざすことのできるルーツなくして、この文明の大波に洗い流されずに、自らの生きるべ き方向を保つことは難しい。持続可能な未来へ向けて、私たちの足元の大地(文化)の土壌を耕しな おし、深く根ざしなおさなければならない所以である。

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