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元で 共に創り続けていくものだから 2. 乱れる世を立て直し それを治めるために重要な決まり事を作ったと言われる存在たちが 実は 乱れ行く世のその姿を何もせずに無責任に放って置き 自らもその負の原因と同調しつつ 否定感情を強め 誰も抗えない権力を是が非でも手に出来る時のために 狡く 巧妙に立ち回りな

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Academic year: 2021

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HP「無有日記」 http://www1.odn.ne.jp/mu-mew/

歴史の芯(1)

1.それは、窓の無いビルの中。1 階は、邪馬台国。2 階は、大 和・飛鳥。そして、3 階は奈良と、上層に向かって時代は続い ていく。場所は固定され、どの時も同じ。ただ天井の高さがそ れぞれに違うだけ。動きも広がりも無いその場所でのテーマ は、型に留まる(収まる)、結果のみ。繋がり、生まれ、創られる 原因はゼロだから、生命を生きる人間としての変化は無い。 太陽の光が注がれる機会さえ遠ざけるそのビルの最上階で、 この現代も、それまでと同じように、時は非生命化されつつ、 滞りを安定させる。当然、その窓の無いビルの中では、非人 間の本質維持のために、LED 照明が活躍する。人間が普通 に人として大切にすべく栄養源、玄米や全粒穀物は(and 新鮮な生野菜も果物も)、そこには無い。 本来であれば無かったはずのその中に、永いこと取り込ま れてしまっていた、自由な空間を自由に生きる、隔たりも争い も知らない存在たち。その中で完全に埋もれ、何もかも失うギ リギリのところで、そうではない歩みの原因をこの地球時間 にもたらした生命たち。自然界の摂理も、動植物たちの意思 も、望みも、その真は、そのビルの中には無い。人間が人間で いるために、この地球に生きる一生命としての本来(責任、役 割)を普通に実践するために、よりその原因を高めていく。歴 史は、ある枠内に残されるものではなく、一切の枠の無い次

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元で、共に創り続けていくものだから。 2.乱れる世を立て直し、それを治めるために重要な決まり事 を作ったと言われる存在たちが、実は、乱れ行く世のその姿 を何もせずに無責任に放って置き、自らもその負の原因と同 調しつつ、否定感情を強め、誰も抗えない権力を是が非でも 手に出来る時のために、狡く、巧妙に立ち回りながら、そのこ と(決まり事)を制定・施行し得る立場を体よく保持していた だけ、ということを知るだけで、あらゆる不穏なことが、その原 因深くから浄化され出すという、時の理解がある。 それは、窓の無いこの国の歴史ビルの中の、2 階のフロア でのこと。だるま落としのように、そのフロアをコツンと叩き、全 体発の透明感のある原因で、大きくズレる(外れる)ぐらい、 そこに在る嘘の重たさを刺激してみる。内なる意外な変化が、 新たな普通の始まりを告げる。 3.この世の病みのルーツには、2つのコースがある。1つは、 嘘の神をあの手この手で真実にし、罰や祟りを道具に、人々 の精神を、怖れと不安で不自由にさせるもの。もう1つは、身 体的・物理的に危害を与え、人の脳(体)が覚える痛みや苦 しみを通して、彼らの行動を支配するというもの。その2つは、 現代に至り尚その姿(原因)を備える、神道と政治と考えてよ い。別の時代では、その政治に、武力が普通に加わってい た。嘘の神と、それを利用する暴力により、人々は、人間として

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経験しなくてもいい経験を、永いこと送り続けている。 この国の負の歴史の重要な柱となるその2つの病みのル ーツが誕生した理由は、その実行力をもって完全に抑え込ま なければならなかった、ある存在たちの力が在ったから。その 力は、正義感と友愛の情を基に、人々の心と暮らしの平穏さ を大切に行動していた、どこか粗削りであっても、不正や不義 には屈しない、優しき勇敢な人たち。時代環境からなる必要 性で、武力も用いたが、その理由は、人としての真のためで あり、心ある素朴な人々の命(人生)のためであった。 彼らの力が潰され、その生命の繋がりが根こそぎ絶たれた ことで、恐ろしく動き出した、その後の真の無い歴史。だがし かし、この今のみんなの時を何より喜んでいるのは、彼らの、 生命の意思(生命体の本質)。そのままであってはならない 嘘を正し、未来に持っては行けない重しを外すという、人とし ての、何でもないあたり前の普通は、彼らの中のシンプルな 真実の実践(の原因)と密に繋がっている。 そんなこんなも、歴史を、多次元的な生命の、その原因の 蓄積(建物、空間)として捉えれば、容易に分かり出すこと。そ れを平面的な直線上で扱えば、自らも、嘘(真の外れた歴史) を生きることになる。 4.否定感情を知らない動物や植物たちの目線で、時の流れ を観た時、そこには、人間の頭の中でのみ通用する、過去や 未来の風景は無く、ただ淡々と変化し続ける原因の今が在る

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だけである。そのエッセンスを感覚的理解の世界に組み入れ てこの国を思う時、どの時代の出来事も、そこでの暮らしも、 そのどれもが、その時々の個性ある原因として、今この場所 に在るということになる。つまり、今みんなが生活しているそ れぞれの場所に、平安時代や江戸時代が重なるように存在 し、当時の人々の姿も、全てこの今の原因の土台となって、多 次元的に影響を及ぼし、繋がりを持っているということ。今住 んでいる場所は、500 年前も、1000 年前も変わらずそこに 在り、そこでのその時々の時間の流れがここにそのまま繋が り得ていることを考えれば、動植物たちの直感的な意思(理 解)に触れるまでもなく、それは感じ取れるものである。 人間が、原因の世界に無頓着となる時、隔たりや争いの (感情の)原因を持たない自然界の動植物たちは、そのどう にもならない時の受容に、厳しさを覚える。それは、自然界を、 そこに住む生命たちに犠牲を強いつつ、それを都合良く利用 する、不自然の極みとなる非人間的な人間の、その負の影響 力。それはまた、窓の無い歴史ビルの中での価値観に付き 合わされた、自然界との融合を普通とする、心優しき人たち の悲しみ。 そのひとつひとつの負の原因の固まりが、ひとりひとりの思 考の性質が本来となる時を経て、その内側に隙間が出来、動 き、浄化される時を経験する。残し、残される歴史は、そのま ま自然界が窮屈さを覚える、人間の欲からなる、人間だけの、 低次の(成長・進化とは無縁の)お遊戯。共に生きる自然界 惨さと残酷さの原因は癒されない。 人は皆、あたり前に支え合い、生かし合う、生命としての存 在である。そうではなかった時の記憶の原因を本来へと変え、 人としてそこから再スタートを切るためにも、確かな原因を生 きる。原因の無い世界に付き合わされることはない。 8.嘘(の原因)を生きる人間は、神社が好きである。彼らは、 本音と建て前を上手く使い分け、キレイ事で、良い人を生きる。 その嘘は、かの2人が好む性質であり、結果、その重く動きの 無い原因で、心ある柔らかな人たちの生きにくさを作り出す。 神社と関わりを持ちたがる人の本性は、自分が安泰であれ ば、人が苦しんでいても平気な、残忍さ。嘘の神々の中身を 覗けば、普通人間は、近寄ることも出来ない。 この国の病みのルーツは、歴史ビル 2 階の床が崩れ、天 井が無くなることから、その浄化が始まる。それにより、2人の 今も影響力を失くし、そして自然界は、人間を迎え入れる。そ んな面白い時を、私たちは生きている。これ以上無い、病み だまりの現代。「歴史の芯」は、人が人として、生命を生き、人 間をやる際の、燃料源でい続ける。それは、この時を喜び、笑 顔になる太陽と、それに安心する地球自然界の、人間への祝 福の時である。(by 無有 5/02 2017)

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物であるから。 7.「心の遺伝子」を内なる世界で躍動させる人は、鳥居の存 在に、恐怖を覚える。かつてのそれは、罪無き心ある人たちの 迫害(殺戮、拷問)と深く関わり、社は、嘘の神を人々の脳に 染み込ませて、彼らに心(真)を捨てさせた、化け物の住み家 である。 その実が曲げられたまま今に至り、そのままで居られるの も、人々の脳がオカシクさせられたまま、不安の裏返しの安心 にすがり、耐え忍ぶ精神を生かされてきたからである。その中 心辺りに居続ける、聖徳太子と言われる人物と、彼と同質の 存在たち。歴史の芯が真っ黒になった歴史ビル 2 階での原 因を浄化しないまま、時代が先へと行くことはない。どうにも ならない現実も、何をしても変わらない関係性も、その全ての 原因に、その存在たちが関わっているのだから、自らがまず 原因を変える。無くてもいい経験から離れることは、人間の、 真の普通の大切な要素である。 そうは言っても、どうにも出来ない、という姿勢ほど、危うい ものはない。これまでがそうであったから、そうではない選択 は難しい、という思考も、人間本来のそれではない。心優しく、 素朴で純粋な人たちの苦しみがずっと固められたまま存在し 続ける鳥居の内側に、生命としての原因は無い。それを普通 とする(信奉する)自らの性根の奥底に何があるかを見つめ、 それを外す。自らの原因が動かなければ、無くてもよかった悲 の生命たちと共に、力強く柔らかな原因を、あたり前に生きる。 創り、繋ぐ、生命としての経験(歴史)を、変化し続ける原因の 中に、楽しみながら溶かしていく。 5.ある人の無自覚の負の影響力が力を失くしたことで、何人 もの人の心身が、それまでに経験したことのない元気を経験 することがある。でも、そこには、そうなるまで、長いことずっと 影響を被っていたことにも気づけず、そのことを普通に、不要 な関わりを持ち続けていた歪な普通が在ったということ。そし て自らも、そうである中で、その気もなく縁する人に負荷をか けることを行っていたということ。 だから、動く。それまで普通に出来なかったことを、次にす べきことの原因に変え、普通の質を向上させる。そのことで、 内心被害者でいることに安住していた不穏な感情が癒され、 二度と通らなくてもいい道を、後方に置く。他を隔てる感情を 大切にしていたからこそ、そんな自分を人に責めさせず、何 かあれば、責め得る人を設けて逃げ回っていた自分。そんな 性質も返上し、そうであったために引き受け続けてきた負の 影響力にも、終わりを告げる。 どんな出来事にも、原因がある。それが形無き抽象的な心 の風景での、不本意な出来事である時、その原因は、とても 複雑で、分かりにくい。そんな場所に、必ずと言って良いほど 関わりを持ち、影響を及ぼし続ける存在。それは、神道と武力 政治のルーツとなる世界に生を持ち、現代に至り、繰り返し何

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度もその質を非生命化させつつ更新していた、嘘を本当とし て生きる存在たち。その世界との融合を離れ、「生命の歴史」 の原因そのものでいることで、どんな出来事の原因も、本来 をテーマに修正・浄化されることになる。心の風景から、その 確かな原因となる新たな出来事が生じ、心の望みが、普通と なっていく。 中庸の世界に、人は抵抗することは出来ない。全体発の 普通も同じ。地球自然界の、自然な営みそのものであるその 中庸の世界に包まれ、支えられている、そこに生きる生命た ち。そこでの普通が、これまでになく人間世界を包み、そこに 在る原因を浄化しようとしている。 6.窓の無い日本歴史ビルの住人は、未だ自然を知らず、太 陽の光も、そこに在る多次元的な原因の要素を経験しないま まである。それは、太陽を避ける神社(神道)の形態からも理 解でき、その世界を基に行われてきた儀式や風習からも、 人々が永いこと不自然の中で不健全に生きてきた姿が伝わ り出す。 そこに窓を開ける。そのために、要らない歴史認識を白紙 にする。人殺しの達人や、我欲まみれの凶悪な人間が英雄 視される歴史自体、地球の(生命の)歴史の異物である。そ の上に在るものは、皆風に吹かれ、太陽の光を浴びなければ ならない。事の本質を無視することは、異常人の証である。 覇権維持のために、悪質なことも平気で行われてきた政 いる。それは、その存在たちにとって、初めて経験する、危うさ と緊張である。 この国の人間が、歴史上初めて経験する、人間本来の在 り様と、その元となる世界の自浄作用。その原因の働きを確 かなものにするために、この今の‘原因を生きる’という普通を 高めていく。そして、その妨げとなるものを外していく。時代の 意思が、自然界の生命たちの望みをここに集約させるかのよ うにして始まった、「LED 感染/LED の影響」と「歴史の芯」。 それを基に、この国の、世界(未来)に向けられた負の原因を 浄化していく。 その時、さらりと自然な感覚で、自由になり、離れる場所と して在るのが、人間が人間らしく生きる原因の全てを破壊し たその存在たちの凶悪さの通り道である、神社である。神道 は、切り離された心ある人々の原因が閉じ込められ、動けなく なっている囲いであるゆえ、その世界との関わりを外し、自ら の心深くの経験の記憶の中に、風穴を開ける。素朴で、自分 に正直でいる人の脳の中に入り込み、彼らの人生を恐怖で 潰し、楽しんでいた存在たちが、後世に渡りそれをし易くする ために、飛鳥・奈良・平安…と、人間本来に対するくさびのよ うにして全国に増やしていった、神社(鳥居)。その場所は(神 宮も大社も)、人間が嘘の世界につかまるきっかけとなる蛇 (大蛇)や烏も関わっているゆえ、地球自然界の未来のため にも、真に生きる道を歩み出すためにも、その全てから、離れ る。それらは、この世で、最も怪しく、不気味な、嘘の原因の産

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づくりと言える。身体を経験していても、普通一般の感覚での それではない状態でいる中、彼らは、余裕で、形無き危うい 原因の仕事をし続ける。人の脳が経験する不安感や疲労感 をより強めるために、好感と違和感の狭間(無礼・不遜ギリギ リのところ)での微妙な言動を上手く振る舞い、縁する人の 感情を抑え込む。理由も分からず、気落ちし、元気が無くなる 状態を、人は、そうであって欲しくない時に経験させられ、知 らずうちに不安を蓄積させていく。 身体経験の健全な原因が壊されて無くなり、そこに、鉛の ような結果(という動きを止める原因)を埋め込まれて、どこま でも、その仕掛け役である姿無き存在によって人生を操作さ れるという恐さ。ただそれも、その存在の本質と融合すること を普通とはしない本来の意思を、その人がずっと大切に持っ ているからであり、多数の人たちは、彼らの悪徳の材料となっ て、嘘を頑なに本当と信じ、けんめいに生きている。この時代 は、その危うさによる、混乱の極みのような時である。 6.形を持たない、目には見えない世界が、この今ほど揺れ動 いている時は無い。この世界の本質であり、全ての現象世界 の理由となるそこでの性質がそれまでと同じに行かない状 態を、その存在たちは経験している。 この世は、その世界から見れば、とても小さく、どうにでも なるところである。ところが、この今が次へと繋がる新たな原 因の場所に、その形無き世界の意思は入り込みにくくなって 治。そこに居続けようとする存在たちの後ろ盾となる、嘘の神 (神道)。そのビルの中で、どれ程の人たちが、太陽の心を経 験できないまま、人生を潰され、命を絶たれてきたか。そのど の時も、そこには、鳥居と社があり、偉そうに嘘を信じ込ませ て、人々を支配していた、役人や神主(神官)が居る。(「この 国の病みの始まり」etc.)歴史の真を知り、嘘を外すことから、 そのビルの修繕が始まる。 修繕が行われている間、そのビルの住人たちは、外に出な ければならない。その同じ場所に住み続けていた蛇や烏も、 自然界に抱かれ、太陽の光を浴びることになる。一度ビルの 外に出て、風を感じ、心ある生命たちと共に過ごせば、戻る時 は、名も無き無数の存在たちが、その時を歓迎する。出入り 自由の扉。風の通る大きな窓。天井は吹き抜けとなって、そ れぞれの時代の原因は、行き来し、重なり合い、ひとつになる。 その歴史ビルは、生命たちが集う憩いの場。みんなの調和と 友愛を広げ、膨らませる、優しさの基盤へと姿を変えていく。 7.時は、2017 年、春。これまでの時の歴史が、その中に沈ん だままの未消化の原因を外へと押し出す時を迎える。主人公 は、ずっと生命としての人間を生き続けていた心ある存在た ちと、いつの時も彼らを見守り、応援してくれていた、自然界 の生命たち。「LED 感染/LED の影響」の元に集まり、想い をひとつに重ね、融合する存在たちは、この時に続くこれから の未来に、それまでとは全く違う原因を繋ぎ、ここに至るこれ

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までの全ての時を癒す。歴史は、歴史ではなくなり、歴史とい う名の望むべく原因の連なりが、新たに動き始める。それは、 どんな言葉をもっても表すことの出来ない、自然界の意思そ のものの、その時である。 他の人が出来ないことをしたがる危ない人間ではなく、誰 もがあたり前に行って欲しいことをさりげなく主導する普通の 人がそのままでいることで、世は、いつ、どこでも、平和の原 因が力強く息づき、健康も、その意味さえ誰も知らない、あり のままの姿となる。どんなことも、理由の要らない喜びがその 原因に溶けていることで、生きることそのものが喜びとなる時 を、自然界の動植物たちと共有する。そんな時が、静かに、水 や空気のように、淡々と流れていく。 ここまで来れたこと。ここまで繋ぎ得たこと。それだけで、た だ嬉しい。そして、そのことが、過去が癒され、未来が喜ぶ確 かな原因であることも、この上ない喜びである。そして今、更 なる次へと歩みを進める。経験から自由でいる本来を力に、 そこに在る、かけがえのない原因をどこまでも細かくし、どん なところにも届く心の風に、それを乗せる。心も細胞も、安心 と躍動を経験する。 8.それは、窓の無い歴史ビル。でも今は、傷を負った鳩や小 鳥たちも癒されに来る、その面影を大きく変えた、風通しの良 い優しいビル。その変わり様は、自然界のあらゆる生命たち に安心を運び、癒し色の雨を誘い、太陽の光を招く。全ての 極端な言い方でも何でもないが、この世に、本当の自分を 生きている人は居ず、自分はそうであると思っている自身の 意識(意思)も思考も全て、自分のものではない。それは、大 いなるひとつの超越的な存在の意思によって生かされてい るといった次元のものではなく、ただ、人間の基となる部分の 世界を仕切る非生命的な存在によって、彼らの思うままに生 かされ、動かされているのである。それを知るという経験の元 となる、知り得ないままであったこれまでの経験全てが、自分 のものではないゆえ、その実のあり得なさ(恐さ)が、まさに超 越的とも言える。 5.その存在は、どこにも居る。形を持たないから、‘どこ’という 概念は通用しないが、どんな時も、扱いやすさの度合いに応 じて、その対象にかける負荷を調整し、性分や性質の中身を 見て、その人の感情に強力な負の燃料(否定的な原因)を注 いだり、空間を重くしたりして、不安発の争いを作り出す。結 局、人は、どうにもならない状況に居るにも拘わらず、それで どうにかなっていると思い込まされ生きているので、いつも彼 らの思うままである。人のために何かをしても、調和はすぐに 崩され、どんなに頑張っても、健康は安定せず、健全さは維 持されない。それが人間の世であると、誰もが信じて疑わな い。 この世の本当の姿(本質)を一言で言えば、姿を持つこと も不要とするその存在たちによる、自由気ままな不穏な現実

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きの無い)原因が言動へと形になる時の、その思考全般の下 地の中にも、その存在たちは居る。 感情や感動も然り。心や優しさへの想いも全て、そこに在 るべき人としての原因は無く、何もかもが結果(への反応)で あるという虚構世界を、そうである自分を全く感知できないま ま、根無し草のように(操り人形のように)人々は生きている のである。その結果の世界の嘘の原因の中に、その存在たち は居る。 4.つまるところ、人間の住むこの世は、かの存在によって、そ の形を持たない(目には見えない)世界の全てを支配されて いて、それを結果に(結果という名の動かし難い原因に)成り 立たされている社会を、人は、人としての原因を放棄したまま、 生きているということ。彼らは、生命が活動する際に欠かせな い明暗の暗であり、動静の静の世界に居座り続ける(陣取っ ている)。もちろん、そこには、生命本来の性質(活動)は無い。 人は、形ある結果をその気もなく生きる(生かされる)中、そう である原因を固め続ける存在の意のままとなる。 この今の、人間の居る世界全体を、その大部分を占める形 無き原因を含めて多次元的に観察(感得)すれば、知識や経 験豊富な人の誰もが否定するであろう、思考の域には収まら ない様相がその実として形になる。価値観の性質が自浄さ れ得る機会を遠ざけて安心を覚える人たちの中に、強い怖れ と不安を生じさせる事実が、そこには在る。 中で、ありのままの地球感覚が呼び醒まされていく。 地球感覚は、太陽の意思(光の多次元的原因の要素)と の融合。それは、自らの分(真の自分)を自然に生きる、自然 体の生命の姿。どこに居ても、何をしても、その原因は調和そ のものであるゆえ、どんな時も、自然界は平和で、滑らかな時 の流れを普通とする。全てが自らの原因(の性質)の反映で あり、投影であるその風景の中で、人も動物も植物も皆、一 切の頑張りや犠牲を知らない真の普通(本来の在り様)を、 たださりげなく真剣に、楽しみ、遊び、生きる。 そこから尽くかけ離れていた、この国の歴史ビル。海を遠 ざけ、山に入り、太陽を避けて、人の心に苔を住まわせた、そ こでの歪さ。そのことが、地球自然界にとって、どれだけ負担 になっていたか。神社(神道)の存在が、どこまで生命を蝕み 続けていたか。そのどれもが、ビルの最上階での、この今の 新たな変化に乗り、太陽の光が存分に注がれる中、表情は 崩れ、溶け出していく。永いこと、思考型(恐怖・祟り系)の洗 脳に侵され続けた人たちの目覚めに、動物も植物も、笑顔に なる。 何かに向かって頑張ろうとする気力が無くなり、それに楽 な気持ちを覚える自分がいれば、それは、やっと訪れた、人間 本来の姿。頭を働かせ、考えることが難しくなっていれば、そ れは、心の意思の望みだった、喜びの時。永い時を経て、細 胞たちは、ずっと忘れていた本来の意思活動を元気にする。 何があっても無くても、心は嬉しくて、誰と居ても、どこに行っ

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ても、空間は温かく、時は優しい。要らないものがいつのまに か外れ、何も無くても、何かでなくても、ただそのままで、かけ がえのない一生命でいる。その普通が、その真が、内なる進 化を、太陽の意思(魂)と重ねる。 ここに居ること。こうして、この時を共にできること。それだ けで、言葉は要らない。そこに太陽が在るだけで、心は、理由 の 要らない ハッピー感で一杯にな る。 (by 無有 3/12 2017) 人としての原因を持たない存在。要らない無意識が意識を離 れて存在するうちは、その無意識が真の生きる世界であるよ うに(「無意識」より)、人間は、永いこと、人間本来から遠いと ころで、そう思うことで良しとする(それを疑うことのない)偽 りの人生を生きている。 3.形ある人間時間での出来事は、形を創る、形無き原因の 世界に支えられ、その性質が様々に重なり、融合し、衝突・分 解・結合しながら、それにより、現実としての様が具現化され 続けている。そのことを考えると、この今に至る歴史も含めた 人間の世界は、何千年もの間、その原因が、(人が人の命 (人生)を奪うという)非人間的なものとして連なり続けてい たことを知る。そして、その生きる基本であるべき原因は、生 命としての原因のそれではなくなり、人は皆、原因を生きるこ とが至極困難になってしまう程、その不自然な普通の中で、 触れることもはばかられる、不気味で無生命的とも言える妙 な原因に支配されているということになる。そこに、その存在 たちは居る。 人が人として、人間らしく原因を生きるという、生命の基本 形からなる観点でこの現実世界を観た時、その人間らしく人 として生きる人は、どこにも居ない。時を経て、人は、いつのま にか、生きる上で最も重要な原因の世界を切り離して、結果 のみを連ね、人が経験できないはずのそれを普通とし、過ご すことを覚えてしまう。その際の、結果にい続ける不穏な(動

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が、そうも行かない。無有日記の原因と、自らのそれを重ね、 経験に引っ張られず、経験を創る。その存在たちが嫌うことを、 普通に高めていく。 2.心身の反応や変化を通して、聖徳太子とその妹の、野獣 (化け物)のような本質を感得できるようになると、人間社会 の人間像は、本来とは大きくかけ離れて、全くの異常な形態 を取り、動いていることを理解する。自然界と一緒に変化に 乗っているようでも、人々の内心は変化を拒み、他の生命た ちと共に原因そのものでいても、生きる姿勢は、結果から離 れない。それが、生命世界にとって、どれ程不都合で危ういこ とか。そんな歪な人間社会を、人は何の疑いも無く生きてい る。 それは、この国の殆ど全ての人が、どんなに身を繕っても (そうではない理由を並べても)、中身は、個の欲のためだけ の個人主義を生きているということ。そんなだから、どこにも 心ある原因は無く、経験から自由でいる自然な姿(生き方) も、経験できないでいる。病気の原因は無視され、健康の原 因は語られない。困った人が減っていく(居なくなる)変化に は背を向け、困った人の存在を前提とする実の無い変化に 熱を注ぐ。その普通ではない世界に生きていることを普通と することで、どんな人も、心は、自分のものではなくなってい く。 その歪な人間世界を、その元のところで我が物顔に操る、

歴史の芯(2)

1.歴史の芯の世界に触れ得るという事実の普通は、自らの 奥深くに(身体を借り物とする本体(生命体)にも)その気も なく染み込ませてしまった非人間的な価値感情に何の違和 感も覚えられないまま本来ではない人生を繰り返し送るとい う姿の、その元となる原因の嘘の(無くても良かった)経験の 蓄積が、細かく動き出す機会。 だがしかし、それが具体化する過程は、至極厳しく、苦難を 伴うことも考えられる。何よりすべきことであっても、それは、 これまでに誰も経験し得なかったこと。環境も価値観も、今尚 その(神道絡みの)嘘に囲まれ、その上に人々は生きている ゆえ、知ることが、どこまでも変化・成長し続ける原因のそれ でなくてはならない。結果に留まれば、内側の動きは無く、結 果を求めれば、要らない経験の記憶を引き連れてしまう。揺 るぎない想いと柔らかな感性を、そのまま、何ものともぶつか らない原因に重ねる。 2.この世の病みのルーツとなる、嘘の神々と、それに支えられ た、野蛮な政。そして、その大元となる時代の、その基盤づく りを担った、恐ろしき存在たち。 彼らと本性の遺伝子を同じくする存在は、当然現代にも生 を持ち、病み続ける世の先導役のような性質の原因で、心あ

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る柔らかな人たちの無意識に負荷をかけ、彼らの動きにくさ (生きにくさ)の材料を供給し続ける。それは、細胞レベルで の不穏な動きを簡単に作り出し、それによる本来であれば経 験しなくてもいい原因不明の不調や疾患などを通して、人は、 生きる力を無くしていく。 そんな中、狂暴な獣が引いてしまう程の心の無さ(無意識 の危うさ)を備え、その質の極度の重たさと冷たさゆえに、何 もせずに、人の健全さを壊し、どこに居ても、心ある風景の原 因を潰し得る存在のことを、ここで言葉にしてみる。それは、 「歴史の芯(1)」を書き上げるタイミングが無ければ、姿を見 せなかった存在の姿。「歴史の芯(2)」の原因(導線)となる EW が進行する中、無有日記のフィルターも、負の蓄積のよ り深層部の異物を鮮明に映し出す程になっている。 3.「歴史の芯(2)」の文章が始まったあたりから、思いがけず 眠気や疲労感を覚えたり、その理由が全く分からない不安感 (怖れ、焦り etc.)を抱いたりと、これまでとはどこか質の異な る反応とそのタイミングを感じる人がいるのではと思う。人に よっては、震えるような冷え(寒さ)や体(頭)の痛みを経験す る人もいる。そのひとつひとつの感覚は、その材料となるもの が、心身の奥深いところにずっと何にも反応しないまま在っ たことを意味する。 沈んだまま決して動こうとはしないその異様で異質な重た い固まりをそのままに、それでもどうにか動き、それを普通に

歴史の芯(4)

1.誰にもそうとは決して思わせず、それでいて、強弱を柔軟 に誰の中にも居て、その人たちの痛みと苦しみの原因でい続 ける存在。同質他の人たちも恐れるその存在は、その身体 (姿)を単なる道具に、いくらでも好きなように人を問題事へと 誘い込み、彼らの辛く悲しい現実を演出する。病みの蔓延の 妨げになるであろう意思に出会せば、事の手前で、その人の 生きる原因を潰し、体が思うように動かせない状態を、彼(彼 女)に経験させる。それをどうにかしようとする気持ちすら誰 も持てずに、世は、重く、粘っこく、普通に病み続ける。その存 在の、身体としての(見た目の)姿は、その自覚もなく不自由 の中にいる(いさせられる)人たちの間で、尊ばれ、愛され、 大切な人として崇められる。 どんな人でもいとも簡単に病ませられる力を持つその存在 は、人前で、都合よく(人の気を惹くために)調子を落とすこと も、自らの身体に痛みを作り出すことも、上手い。融合しにく い人を思い通りに抹殺できた時代の暴力が利用できない現 代において、その本性の働きが微妙に鈍くさせられる状況で は、それは活躍する。人は意識を引っ張られ、感情をくすぐら れ、彼女の犠牲になる。 何も目に映さず、耳に入れずに過ごせれば、その存在の 危うさとの融合から本能的に離れ得る可能性も手に出来る

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の、この今に至る病みっ振りを、改めて把握することになる。 そして、人は、生命を生き、人間をやる、生き直しの時を創り出 していく。 数千年振りに、人間を生きる。この時代に、その病みの原 因を更新させず、地球自然界の生命たちのために、LED の 世界を外す。そのための人生は、人が、この時に経験し得る、 かけがえのない一生命としての、尊い在り様である。ただそ の原因でいて、それを未来に繋ぐ。未来は、過去が癒される この時を、ずっと待っていた。(by 無有 4/18 2017) (馴染ませ)生を営み、命を繋いできた、人間の歴史。それが、 思いがけず旬の無有日記に反応し、これ程の経験は無いと いうぐらいのことが、経験の外側と重なる自らの原因の世界 で生じ、進行する、この時の今。厳しく辛い側面もあるが、そ れは、生命の歴史(人間の真の在り様)の、尊い体験的知 識。 心ある生命の意思が完全に抑え込まれるようにして病み の基の部分に埋め込まれた、その経験の記憶の危うい粒子 は、邪馬台国での治世(=人間の生のリズムを持たない無意 識の力で、人々の精神と心を支配し、操る、非人間的な政)を 活かして始まった、大和・飛鳥時代の、恐ろしく獰猛な本性を 持つ存在たちによって、人知れず、冷酷に、呪術的に為され る。その時の原因の変化をここに招き、それを通しての新たな 原因を、ここに創る。 4.2人の男女が、この世の、心ある人々の理由の分からない 苦しみの原因に、自らがそのくさび役となって、関わり続ける。 兄と妹の関係である2人は、冷血と強欲が衣を着たような、人 の命を弄ぶことを何より好む、獣同然の存在。前の時代でも、 互いにその悪質な感情を磨いた経験を持つ彼らは、歴史ビ ル 2 階で、後世に残る好印象の、その嘘のひな型を協力して 作り出す。それは、神道全般の基礎固めの時と言える。 兄は、時の実力者。妹は、今で言う呪術使い。病的な感受 性(霊媒体質)を神がかり的に上手く振る舞う彼女の、その

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神秘的とも思える異様な姿は、彼の政に悪用される。人の心 が全く理解できない兄と、心ある振りの真似事に長けた妹。 人々は、力で正当化された嘘の世界に引き込まれ、心を操ら れ、人として無くてもいい経験の下地を重ねていく。 5.兄のその本性は、冷酷非道という言葉もはね返されてしま う程の、氷のような冷たさ。心の機微への感応は当然無く、心 通わせる経験も知らない。人間味のある世界の原因を持た ない彼の居る場所では、ふと思う直感的な発想や、心が覚え る何気ない感覚を、そこに居る人が言動にすることは一切無 い。素朴で純粋な、自らの心に正直でいる人は皆、彼の殺害 (排斥)欲求の対象となる。 彼は、軽薄な精神(理解)でもまかり通る、自分に都合の良 い形式世界に固執し、それだけに思考を働かせ、それだけで 良しとする関係性を固め、広げていく。その心の無さが基とな って築かれた、彼の時代の権力構造とその影響力は、現代 人の気質・性分の根底で、今尚生き続ける。別の位のある年 配の女性の背後で、狡賢く、巧妙に彼が制定した(とされる) 決まり事の本質は、その先どこまでも、心など一切要らない 世を連ねるための、非生命的な原因のそれである。 6.この世に、妖気(妖術)や妖女(妖怪)という言葉が存在す る理由が彼の妹の中に在ると考えれば、彼女の姿無き醜さ の凄さが分かる。容姿と表情は、いくらでも好きなように、愛 けたりする時、そこには、その人の全てを見張るように様子を 伺う、彼女の目がある。彼女は、そのエリアの存在たちが何よ り欲しがる力(術)を、いとも簡単に発揮し、その全ての痕跡を 完全に隠す。恐ろしいという言葉も、そのどこにも当てはまら ない。 8.彼女が最も苦手とするのは、歴史ビル 2 階の時に兄(太子) だった、現在の息子であるが、自らの内実がこうしてさらけ出 される現実は、これまでと同じようには行かない別次の原因 が活動的であることを意味するゆえ、それへの憎悪は、彼女 の中(無意識の意思)では、歴史的と言える。彼(息子)にとっ ても、それは恐れていたことで、2人とも、思いがけず、取り返 しのつかない現実の真っ只中に居る。彼女の時を経て、彼の 世界にも行く。 聖徳太子と呼ばれる存在の原因の性質(本質)は、何びと も感知できない、鉛のような非生命のそれであり、現代に至り 維持されてきたその印象は、同質の存在たちが巧く作り上げ、 その後脳をオカシクさせられた(洗脳された)人々が否応なく 支持する(させられる)ことになった、まがい物である。その人 間ではない本質(正体)は、精神疾患の何ものでもない神道 の基礎を固め、殺害と迫害の道具となる嘘の神々を生み出し ていく。 生命としての原因の質を高め、人間らしさを普通に成長さ せていく中で、それは、普通に理解できる常識となり、この国

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7.妖術という言葉が可愛らしく思える程の力を普通とする彼 女の能力を、思考レベルの理解に触れやすいよう表現すれ ば、彼女は、誰の脳の中にも居る。歴史ビルの地下階の頃か ら、あたり前にその力を行使していた彼女にとって、それは、 常識的事実である。戦の度に生まれ、増えていった人間の、 その原因となるところ(生命体の中枢)に深く関わり続けてい るので、誰も、彼女の力には抗えない。 その能力の原因のところからこの世を観た時、これがとて も重要なのだが、人は、彼女の無意識世界(本体)の中で、彼 女の操り人形のようにして生きている。生きる原因が牛耳ら れているというのは、そういうこと。人は皆、人間である前の、 その手前のところから、彼女の意思のまま、成長・進化とは無 縁の世界を生きる。その異常を、誰も異常とは思わず(思え ず)、歴史は繰り返される。 身体は、仮の姿。(もちろん人は皆、本当の人間ではなくな っているが…)その本体は、想像することすら許さない、凶悪 な意思だけを生きる、巨大な姿無き化け物。心ある自分に目 醒めたことで、彼女の感情の対象(ジャマ)となれば、どこに 居ても、逃げられない。異常なその能力で、生き血を吸い取ら れるようにして、人は、生命力を無くしていく。何もせず、ただ 普通の人でいて、その本体となる恐ろしい意思が、勝手にそ れをする。 自然界と自然に融合する人が、どうにもならない状況に陥 り、気力・体力を無くしたり、原因不明の痛みや不調を抱え続 らしさと気品を備えられる術を行使し、関わる誰もが自分の ために生きることになる状況を作り出す。どんな人も理解でき ないその手法と、人の気を惹く仕草と言葉づかいで、彼女は、 思い通りに人を操り、いつのまにか苦しみの淵に立たされる 志ある彼らを憂い、そして、ほくそ笑む。心ある素朴な人たち が人生を絶たれようとする時、近くには、その心根の素晴しさ を誰も信じて疑わない、清廉で慈悲深い彼女が居る。 人間であれば決して持ち得ないものが、彼女の中では普 通であるため、その性質を言葉にすることは難しい。ただそこ では、彼女の嫌悪や不都合の対象となれば、その人は心身 の全ての動きを支配されてしまい、感情に触れば、消えること のない不穏な意思の塊が、その人の中にいつまでも住み着 くことになる。 兄の政の重要な部分(祭祀、祈祷)を補佐するように、その 醜い感情を形にしていた彼女は、現代でも、気になる人の脳 の中に簡単に入り、その人の見るもの、手にするものまで牛 耳る(把握する)程の、気味の悪い(無意識の意思の)力を操 作する。 7.兄の政治・政策上、あからさまに忌み嫌い、遠ざけることも 出来ずにいた、その(彼が利用する)位のある女性への彼女 の嫉妬と悪意は並外れたものであったが、その女性が備え る普通感覚は、自分には無い健全さのそれであったため、思 うように融合の主導権を握れないまま、悪感情ばかりを募ら

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せることになる。その感情に含まれる、呪詛(呪縛)と破壊の 意思の原因となるものは、その後に姿を見せた別の男性に 集中的に注がれ、彼を通して、更なるあり得ない性質の負の 土台がそこで誕生する。奈良以降も、ずっとその兄と妹の凶 悪な原因は広がり、人の脳(心)に染み込み続け、人が人の 命を奪うというオカシナ世が、非人間的に進行することにな る。 幼い頃から、動物的な鋭い感覚と攻撃性を備えるその(彼 女の負の原因を注がれた)男性が、権力を手にした時、人々 の心は、恐ろしい程に消沈し、荒んでいく。しかし、そこには、 そうであるしかない恐怖構造の作用が、そのずっと前の時代 からの彼女との関わりの中で彼の中に植え付けられ、何をし ても外せず、抗えないその力によって、操り人形のように脳の 全てを支配され、そうであるように利用されたもの。心を持た ない、人間とは思えない凶悪な本性そのものの存在が、最も 好み、その手法を磨きたがる(得意とする)悪行は、純粋な感 性をそのままに生きる人の脳の働きを支配し、世にも恐ろし いことを自分たちの代わりにさせること。歴史ビル 2 階の時 の、聖徳太子と言われる人物と、彼の妹は、その前も、後も、 同じことを行い続ける。 8.事実は、事実である。ところが、いつのまにか、事実は、結 果としてのそれとなり、なぜそうであるかの原因である事実 は、時が経つ中で、姿を消してしまう。 の心で交流する時、人は、不安や怖れを知らない、隔たりの 無い友愛と調和を普通とする。頭を働かせる意味も、頭から 始まるものではなくなるので、その意識もなく人は生かし合 い、心に思考を付き合わせ、支え合う。 人間本来の原因が変化・成長し続けるその場所での、そ の自然な営みが完全に潰されてしまったとしたら…。その決 してあり得ないことが、邪馬台国を経て、大和時代の人間世 界に生じた時、人の生きる世は、言葉から始まり、行為にのみ 価値を置く関わりを主に、素朴な想い(心)が全く活躍できな い時を連ねることになる。 人の心と心が通じ合うことも、優しさと思いやりを重ね合 わせることも不可能となった時、人間が最も大切にすべく原 因の、その抽象世界における創造の意思は、かの兄と妹の 居る世界に完全に支配され、非人間的に(呪術的に)牛耳ら れてしまう。その内実は、その原因となる理由が全く分からな いままその上に人は人生を重ねてきているゆえ、誰も理解で きない。その気もなく嘘の世界(価値観)を永いこと支え、生 きて来ているので、抱え持つ常識は、当然それへの拒否・抵 抗の材料となる。 それ程のことが、あの時以来為され続けているのだが、今、 細胞の意思からなる多次元的な変化を通して、この時ならで はの新たな経験の質が、常識となっていく。内実は、知識世 界の次元を超えて、この今の体験の事実の中に、その原因の 性質のまま姿(意思)を見せる。

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手に動き出す。 5.心に正直な想いをそのまま表現していた人は皆、この世の 病みのルーツとなる場所での、嘘の神々を後ろ盾とする悪政 や暴力(殺戮、拷問 etc.)によって、その原因全てを失う。それ でも、この現代、自然界で共に生きる生命たちのその健気な 意思に抱かれ、純粋さを本質とするゆえに次々と脳に負荷を かけられてどうにもならなくなることが分かっていても、心ある 存在たちは、自らの、それまでの原因と向かい合う(闘う)。 世の隅々まで嘘(偽善)で汚染され、その上に存在する歪 な人間観から誰も出られなくなっている今、その元となる場 所で人間性(心ある健全な感性)ゼロのくさびをこの世(の原 因)に打ち込んだ存在たちの、その土台を崩す。そこに、滞り の原因の権化のようにして存在し続ける、聖徳太子と妹。偉 いとされる人物の所有物(家畜)のようにして命を落としてい った無数の罪無き人たちの、その切なる想いを解放する。彼 らの心の意思を、2人から自由にする。 (それぞれに、同質の強者級の援者が集う、2人の空間であ るが、彼女の場合、その嘘が完全であるよう、加害者的存在 の演技がそこでは発揮される。あり得ない程の人間味の無さ が、その原因深くの嘘から、人間味ある風に為されていく) 6.言葉や行為を通しての身体活動に全く比重(価値)を置か ず、その手前の形を持たない想いを手段に、ありのままに素 不調や不安を抱く事実の背景には、必ずその原因となる 経験や環境的な負の要素が事実として在るのだが、その全 てが、嘘の事実から始まった、神道を元とする(生命としての) 原因の無い歪な価値観によって、存在意義を無くす。 それを嬉しい、真(心)を持たない存在たち。そして、彼らが 得意とする、結果(見た目)だけを大切にする生き方。それは、 同じ原因が嘘である密教系や、親鸞・日蓮の世界を生み出し (「空と海」「1000 年目の夜明け」etc.)、現代では、キリスト 教まで巻き込んで、世の非生命化を安定させる。 変幻自在の呪術系(蛇系)の意思を、自らの本質とする彼 女。冷酷な本性と鉛のような精神を一つに生きる彼。2人は、 重量級の嘘の事実の原因を固めて、結果としての真実を作 り上げ、それを力に、現在の(神道絡みの)病みのルーツを確 固たるものにする。 そんな2人の今に、段階的に触れられるということ。自然体 で普通に真を生きるために、自然界の普通を大切にするため に、その機会を活かす。 9.原因が外された事実には、そのどこにも真実は無く、その 原因となる事実が、真実という言葉を使うまでもない、それそ のものとなる普通の事実である。原因が大切にされれば、心 の嘘(心の無さ)は存在できず、真実という言葉も、そこでは 要らなくなる。 ボタンのかけ間違いをそのままに、1500 年もの間時を連

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ねて来た、この国の嘘の歴史。その間に否応なしに育まれた 非人間振りと、そのことによる他の地域(国)への負の影響力 は大きく、それは、地球規模の災いの原因である今の LED 化に、この国の人々が総じて無頓着・無感覚でいるその姿か らも、容易に頷ける。その様相は、健康も平和も、病気や争い の裏返しのそれとしてでしか扱えない人たちの、その不健全 な原因の具現化。時代背景が、これまでとは全く異なる今だ から、その動きの無い不穏な原因は、形になりやすい。どれ 程深く、人々の精神(脳)が病まされて来たかも、心ある原因 を生きることによるその原因への対処によって、確実に、余裕 をもって分かり出す。 神社の鳥居(参道)は、ボタンを意識的にかけ間違えさせ た存在たちの、その残酷な意思の通り道と言える。それを放 ったまま、人は平和を語れず、未来への責任も、その世界の 本質に背を向ければ、その原因を持ち得ないままである 10.「歴史の芯(1)(2)」を通して経験し得る反応の本質は、 永いこと蓄積するばかりでどうにもならなかった、その元とな る原因の、人としてのあり得ない経験の事実。状況(背景)把 握や思考による理解・認識は不可能であっても、それまでに ない感覚的反応は、その事実を、性質として伝える。生命とし ての理解は、頭(思考)を働かせるまでもなく感じ取る、そこに 在る(潜む)原因への反応。成長・進化し、その分母を大きく するそこでの感性は、時を経て、病み世の土台を崩し得る原 2人の影響力は、これまでのどの時よりも強烈である。互い の思惑が日々ぶつかり合うだけでも、そのとばっちりは大きい。 心あるひとりひとりのその事実への感応は、自らの生きる原 因(経験の記憶の蓄積)の、歴史的修復の時と言える。その 時のための、これまでの体験的知識は、これまでとは全く違 った現実の、その原因の力となる。 4.放っては置けない存在として、人の心の中に簡単に居座 る彼女は、その人の生活全般を監視するかのように、縁する 心ある人の脳の中に居着き、自由にならない心身を慢性化 させて苦しむ彼らの姿を、感知して、楽しむ。身を守るために、 自分には無い、心を生きる人たちの空間に居ることを選んだ 彼女。そのために、何人もの人が、当時と同じく、彼女の犠牲 になる。 人の不幸(悲しみ、痛み)を生きる源とするその本性の欲 望は、自らも不幸の材料となる(同情心を誘う)経験を溜め込 むことでその質に磨きをかけ、本能的に、世の不幸の原因の 中心でいる自分を生きる。人は、その場所に引き込まれ、自 由(自然)な動きを止められて、彼女の餌食となる。 そんな存在が、この国の礎となる場所で、冷却鉄のような 精神の兄と一緒に(その後の歴史の)重量級の負の原因と なる仕事をし、今その彼と、互いにその意思(正体)のまま、本 性のせめぎ合いを繰り広げるという、その恐ろしさ。シンプル な真実の、その原因となる様相が、形無き世界の奥深くで勝

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彼女は、彼が最も敬遠したがる、全体(中庸)という多次元的 な価値基準の世界に、それまでの経験を活かして、形(思考) のみで接点を作る。その影響は、柔らかな感性を普通とする 人たちへと及ぶことになる。 3.無有日記に触れ続け得る人の、理由の分からない心身の 不調は皆、この2人の本性(正体)の意思とどこかで繋がって いる。そしてまた、この無有日記を通して、その人たちの、本当 は無くても良かったその原因は、確実に癒されていく。 それまでの負の原因が一挙に一つの場所に集められ、そ れが固めに固められたことで、後に続くどの時代も、その時 の負の影響力を受けずにはいられない時を経験することに なる、その堅固な病みの土台となる、この国の歴史ビルの 2 階。そして、その場所で、(抽象世界の重石のようにして)中 心となって自らの非人間の本性を形にしていた、歴史を異常 化させていく存在たち。 その時も、今も、人間の営みの原型は同一であり、時代環 境が違っても、人々が大切にするものが姿を変えても、存在 (生命)の意思の元となる原因は、そのままである。その質が 獣のような、凶悪・凶暴な存在たちの生きる原因。かつての経 験の記憶とその性質を思考(見た目)で見えなくさせたまま、 彼らは、ごく普通の人として、ここに生きる。大和・飛鳥時代 の経験を本性に溶かし、その残酷な(人間世界には無い)無 意識の意思で、心ある人の在り様を破壊していく。 因の力を普通とする。 無有日記の世界に何の気なしに触れた経験が、この今に 招かれる原因となって図らずも(そのエリアの代表のようにし て)意思表示してしまった、彼女と彼。両者の、普通人を装う 思考は、呪術系の隠れみの的道具であり、それで見えにくく させられている冷血な目は、惨たらしく命を奪われた時の恐 怖心を人々に思い起こさせる、不気味な力である。普通の人 間は、縁するだけでも、恐ろしい。 しかし、人間らしい経験の原因全てを潰された、かつての 普通の人たちの切なる想いを、ここに迎え入れ、繋いだ、普 通の人間でしか出来ないことがある。無有日記の原因と融 合しつつ、ふといつのまにかそうである今の姿を通して、歴史 の芯を、本来へと変え得る時を創り出す。普通だからこそ経 験するここでの反応は、無数の心優しき生命たちの希望と繋 がっている。ずっとそのままでいる自然界の生命たちも、この 時を喜び、安堵する。(by 無有 4/03 2017)

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歴史の芯(3)

1.兄と妹だった2人は、現代では、母と息子として生きる。人 間的な感覚を一切持ち合わせない存在たちの生きる世界で は、悲惨で不幸な現実へと人々を追い込んでいく方向性は 同じであっても、互いは、都合よく他を利用し、時にいがみ合 い、けん制し合いながら、それなりの住み分けを守りつつも、 それぞれの欲深さと支配欲、凶悪さに応じて、いつ転覆して もおかしくない主従関係を維持したり、個の満足のために同 質の他を潰し切ったりすることも、平気で行う。 人間であれば決してあり得ないその風景も、人間の命(脳) を思い通りに操り、支配するために身体を利用する本性を普 通とするその存在たちにとっては、それは、ありのままの姿。 それは、家族であっても、関わり深い間柄であっても、そこに 仲間(?)が居れば、あたり前に為され、そこでの形無き力関 係により、どちらかが動けなくなったり、病気になったり、また 時間を奪ったり奪われたりして、傍らからは、その理由が分か らない不自然な出来事が、日常的に繰り広げられる。 普通の人は、何の疑問も持たずに(持てずに)、その世界 の思惑に直接・間接的に付き合わされ、いつのまにか病み、 生命力を消耗し、要らない頑張りと忍耐を強いられる。そのど こにも、心を持たない存在の無意識の働きがある。 2.母と息子の関係は、それを仕組んだ彼と、それを重々承知 していた彼女との、内に秘めた凶悪さのぶつけ合い。呪詛・ 呪縛の行使を本願とする彼女は、兄が居たために充分に満 足を手に出来なかった時代の経験を払拭するために、同じ術 を持つ発展途上の存在たちを従え、満を持して、現代に生を 持つ。歴史的にも初めて訪れる、力で人の命を奪えない世で の、その残酷な無意識の意思の発揮。脳を操られ、何度も人 生を支配された人たちも、彼女自身が良い人でいられるため の道具として、近くに集められる。 彼は、心が全く無くても(分からなくても)困らない価値世 界を固め、そこで、好き放題人々の苦しみの風景を拡大させ ることを、本能のまま行う。思考を強めた理屈と理論で感覚 的発想や直感の世界を退け、人の心が身動き出来なくなる 形式主義を、神道をベースに蔓延させる。 心の世界に触れる意思を持たない彼は、心ある振りをしな がら人の心を重く病ませる彼女の世界(スタイル)に、強い違 和感を覚え、人間の感情の世界に踏み入れることによる、予 期せぬ滞り(危機)の訪れを危惧する。心を持たない自分た ちの本性(存在の意思)は、心ある人との原因の融合を不可 能とするゆえ、形無き世界に危うさを招かぬよう、真っ先に潰 したい存在として、彼女をその対象とする。 子を身籠った頃から、それを直感的に感じ取る彼女は、潰 されかけながらも身を立て直しつつ、出産間もなく、彼を離れ、 姿を消す。時を経て、やむ無く合流する流れが生じ始めた時、

参照

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