原
著
〔東女医大誌 第63巻 第2号頁191∼195平成5年2月〕ラットにおける妊娠時1,5−anhydroglucito1(1,5−AG)の変動
第1報 正常妊娠ラットにおける妊娠経過に
伴う血中1,5−AGの推移
東京女子医科大学 第三内科学教室(主任
モリ タ ユウ コ森 田 祐 子
大森安恵教授) (受付 平成4年10月24日)Fetal and Matemal 1,5・Anhydroglucitol(1,5・AG)in Pregnant Rats
Part I:Alteration of Serum 1,5・AG in Normal Pregnant Rats
Y覗ko MORITA
Department of Medicine III(Director:Prof. Yasue OMORI) Tokyo Women’s Medical College Recently serum 1,5・anhydroglucitol(1,5・AG)has been deveioped as an index of diabetic control. However, it can not be used in pregnant diabetic women, because it decreases in pregnancy. Consequently, these serial experiments were done in order to clarify the reason why serum 1,5−AG decreases after conception. In the first report, blood from the femoral artery of normal pregnant Sprague−Dawley rats on the 5th(n=14),10th(n=7),15th(n=12)and 20th(n=15)days of gestation were collected and serum 1,5−AG and blood glucose were measured in each sample. Normal non・pregnant Sprague−Dawley rats(n=10) were used as controls. In controls serum 1,5−AG level was 12,02±2.96μg/ml(mean±SD)and blood glucose was 119.2± 7.4mg/d1. In pregnant rats on the 5th,10th,15th and 20th days of gestation, serum 1,5・AG levels were 9.70±2.31,6.05±2.22,6.19±1.84 and 6.79±1.30μg/ml respectively. There were correlation between serum l,5−AG and blood glucose in non・pregnant rats(r=一〇.631, p<0.05). However, there were no correlation between them in any pregnant day. This study showed that in normal pregnant rats serum 1,5−AG levd decreases after cOncepti6n (p<0.01)similar to human pregnant women. 緒 言糖尿病の母親から生まれた児では,母体の妊娠
中の血糖コントロールが悪い場合,児に奇形・巨
大児・生下時低血糖などが認められ,母体糖尿病
の血糖正常化の重要性が強調されてきた1>2).ヒトにおける妊娠時および非妊娠時の血糖のコ
ントロールの指標として,血糖値・HbAlc・fructo−
samineの他に,最近,新たに血中1,5・anhydro−
glucitol(以下1,5−AGと略す)が用いられるよう
になった3)4).しかし,妊娠時には,血中1,5−AGは血糖値と関
係なく低値を示し5)6>,i血中1,5・AGが妊娠中のコントロールの指標とならないことが報告されてい
る6)7).妊娠すると何故血中1,5−AGが低値を示すのか
まだ解明されていない.さらに,妊娠ラットにお
げる1,5・AGの変動をみた報告は全くない.妊娠時
に血中1,5−AGが低下するメカニズムを知ること
は1,5−AGの病態生理学的意義解明にも役立つの
で,ラットにおける1,5−AGの胎盤通過性,正常妊
娠ラットにおける1,5−AGの体内分布,および
streptozotocin−induced糖尿病ラット(以下STZ
糖尿病ラット)における1,5−AGの体内動態につ
いて調べた.第1報として,正常ラットにおける妊娠経過に
伴う一血中1,5−AGの変動について報告する.
実験動物および方法
1.実験動物
未経産雌性Sprague−Dawley(以下SD)系ラッ
トの,妊娠5日目(n=14),妊娠10日目(n=7),
妊娠15日目(n=12),妊娠20日目(n=15)のラッ
トを用いた.対照として,非妊娠ラット(n=10)を
使用した.いずれも,日本チャールズ・リバーよ
り購入した.週齢数は未妊娠ラット8週齢,妊娠5日目ラッ
ト9週齢,妊娠10日目ラット9週齢,妊娠15日目
ラット9∼10週齢,妊娠20日目ラット9∼10週齢
であった.2.方法
夢ド女壬娠,女壬娠5日目,女壬娠10日目,女壬娠15日目,妊娠20日目各々のラットをネンブタール麻酔下,
大動脈より採血し,直ちに血清分離後,1,5−AG濃
度を測定した.同時に血糖をマイルス・三共グル
コスターIIにて測定した.
血中1,5−AGの定量は,亀谷らの方法8)により
以下のように行った.内部標準物質として,重水
素標識AG(1,5−anhydro−D−glucito1−1,2,3,4,6,6・2H6)を0.1μg採取し,血清20μ1を加えた.更に,エタ
ノール2mlを加え,遠心分離により蛋白除去し,上
清を採取した.上清を乾燥させ,無水酢酸100μ1,
ピリジン200μ1を加えた後,80℃で30分間イン
キュベートし,アセチル誘導体にした.これをク
ロロホルム100μ1で溶解し,このうち1μ1を用いて
gas chromatography mass spectroscopy
selected ion monitoring(以下GC/MSSIMと略
す)分析を行った(図1).
GC/MSは,日本電子JMS AX・500を,データ
処理にはDA−5000型コンピューターを使用,検量
線は,10ng/mlから100μg/m1まで良好な直線性
5μg/m12H6−!,5AGに
検体(血清)
エタノール 混合 遠心分離 3,000rpm 上清採取 乾燥無水酢酸
ピリジン アセチル化 80℃ 乾燥 20μ1 20μ12m1
10min
100μ1 20Dμ130min
GC/MS/SIM クロロホルム100μ1に溶解し1μ1を注入
図1 GC/MS−SIM法による血中1,5−AGの定量:法 内部標準物質として2H6−1,5AGを使用し, GC/MS・ SIM法で測定した. 含2
9
ξ 2H6−1,5AG 12
r’etentlon tlme (min)図2 GC/MSにて抽出された1,5−AGのスペクトル
右上:検体中の内部標準として用いた2H6−1,5AGのス ペクトル,中央:検体中の1,5−AGのスペクトルを示した.1,5−AGの同定は図2のマススペクト
ルにより行った.
3.統計処理
有意差および相関検定には,.Kruskal−Wallis検
定,Mann−Whitney検定, Pearsonの相関係数を
用いた.結 果
1.妊娠日数別にみた母体血中1,5−AG
妊娠日数別の母体の体重と子宮内胎仔数は表に
示した.平均母体血中1,5−AG値は,図3に示すごとく,
非妊娠ラットでは平均12.02±2.96(maen±SD)
表 実験動物妊娠日数 n(匹) 体 重i9) 胎仔数i匹) img/dl)血糖値
非妊娠 10 190.5±:15.4 『 1192±7.4 妊娠5日目 14 248.5±13.9 } 110,5±.12,1 妊娠10日目 7 262.1±15ユ 15,3±1.2 120.0±12,4 妊娠15日目 12 295.1±30.5 13.7±2.2 1093±17.2 妊娠20日目 15 309.5=ヒ89,0 14,5±1.1 88.9±11,1
mean±SD
正常ラットにおける非妊娠,妊娠5日目,10日目,15 日目,20日目の平均体重,子宮内胎仔数および血糖値. 血糖値は妊娠20日目において非妊娠,妊娠5日目,10日目,15日目と比較して有意に低値を示した(p〈
0.01).μg/mlであり,妊娠5日目のラットでは平均9.70±
2.31μg/mlと減少し,妊娠10日目のラットでは平
ラ ッ ト 母 体 血 中 伊9/mひ 20 15 10 1,5 1 5 .AG 0 非妊娠 妊娠5日目 妊娠10日目 妊娠15日目 妊娠20日目 n冨てO n=14 n二二 n=12 n=15図3 正常ラットにおける妊娠経過に伴う血中
1,5−AGの変動 妊娠5日目,10日目,15日目,20日目において非妊 娠と比較して有意に下値を示した(*p〈0.01).さら に,妊娠10日目,15日目,20日目において,妊娠5 日目と比較して有意に低値を示した(*p<0.01). 仏φmO 20a.非妊娠ラット
n=1018
16
血 中 14 1,5 12 1 AG 旬 8 0 ● ● ● ●・ 100 1で0 120 130 140 rmg!dひ血糖
伊ψ・り2bb.妊娠5日目ラット
r1=1415
血 中 10 1,5 1 AG 5 o ● ● ・’ ・ ● ● ・dP ● 80 100 壌20 140 血糖 「㎎燗。.妊娠10日目ラット
n;7 砂μm〃20 15 血 中 10 1,5 1 AG 5 o ● ● 、 ・・ 80 100 雫20 140 血糖 lmg切d∫妊娠15日目ラット
伊9伽ひ20 n冨12 15 血 中 10 1,5 1 AG 5 0 。.’●@ =亀 ● ・ 80 100 可20 140 血糖 侮ψりe.妊娠20日目ラット
‘μ即η020 n=1515
血 中 10 1,5 1 コ口 5 0 ロ 』●f●・’E.’@●
● 80 100 120 准40 血糖 仰g燗 図4 正常妊娠時の血中1,5−AGと血糖値の関係 a.非妊娠ラットにおいてY=34.49−0227X, r=一〇.630, p<0.05の相関関係を示した. b.妊娠 5日目,c.妊娠10日目, d.妊娠15日目, e.妊娠20日目のラットにおいては,相関は認められなかっ た.均6.05±2.22μg/m1と最低値を示し,妊娠15日目
のラットでも平均6.19±1.84μg/m1で低値を示し
た.妊娠20日目のラットでは平均6.79±1.30μg/
m1と再び軽度の増加を示した.妊娠10日目,15日
目,20日目のラットでは,血中1,5−AGは非妊娠ラッ
トと比較して,有意に低値を示した(p<0.01).
また,妊娠10日目,15日目,20日目のラットでは,
血中1,5−AGは妊娠5日目のラットと比較しても,
有意に即値を示した(p<0.01).
2.妊娠時の血糖値の変動
血中1,5−AGと同一サンプルで測定した母体血
糖値の平均は,非妊娠ラットで119.2±7.4(mean
±SD)mg/ml,妊娠5日目110.5±12.1mg/ml,妊
娠10日目120.0±12.4mg/ml,妊娠15日目109,3±
17.2mg/ml,妊娠20日目88.9±11.1mg/mlであっ
た.母体血糖値は妊娠20日目において,非妊娠,
妊娠5日目,10日目,15日目と比較して有意に引
値を示した(p〈0.01)(表).3.妊娠時の母体血中1,5−AGと血糖値の相関
上記各群において,血糖値と母体血中1,5−AG
の相関を検討した(図4).非妊娠ラットにおいて
は,血糖値が高い程,血中1,5−AGは低値を示して
おり,弱い相関関係(r=一〇.630,p<0.05)が認
められた(図4−a).しかし,妊娠ラットについて
は,女壬娠5日目(r=一〇.229),10日目(r=0.472), 15日目(r=一〇.134),20日目(r=0.017)とも,血糖値と血中1,5−AGの問には,相関は認められなかっ
た(図4−b,c, d, e).考 案
1,5−AGはグルコースと極めて類似した構造を
もつポリオールの一種で,広く植物界に存在する
物質である9)10),1,5−AGがヒト体内に存在するこ
とが,1973年Pitkanenにより報告されID,その後
1980年代に,Pitkanen12),吉岡ら13)14),山内
ら15)∼17),赤沼ら18)19)により,糖尿病患者において,血中1,5−AG濃度が低値であることが明らかにさ
れた.さらに,血中1,5−AGは尿糖排泄量の増加に
対し鋭敏に減少し,食事の影響を受けず随時血液
で評価可能であるため16),厳格な一血糖コントロー
ルの指標として,また糖尿病のスクリーこソグ指
標として有用であると報告された20).
しかし,ヒト妊娠時には,妊娠経過に伴い母体
血中1,5−AGが低下し5)6)7),妊娠時のコントロール 指標とならないことが判明した6)7).妊娠時に母体血中1,5−AGが低下する原因は,
まだ不明である.我々は,分娩時母体血中1,5−AG
と膀帯血中1,5−AGには相関関係があることを発
見しており,母体から胎児へ1,5−AGが移行して
いる可能性があると報告している21).
そこで,妊娠時における血中1,5−AG低下の原
因を知る一丁目して,正常および糖尿病の妊娠
ラットを用いて,妊娠に伴う1,5−AGの体内動態
の変化を検討し,ラットにおいても,妊娠中血中
1,5−AGがヒトと同様に低下することを今回の実
験で明らかにした.
ラットの妊娠における胎仔の重要器官形成期は
妊娠8∼10日目であるが22),この期間に母体血中
1,5−AGが最も低値を示した.これらのことから,
ヒトにおいて推定されたと同様に,ラットにおい
ても妊娠時に1,5−AGは母体から胎盤を通って胎
仔に移行し,母体の1,5−AGが胎仔形成に何らか
の役割を果たしている可能性が考えられた.この
事実を更に確証するため,第2報として,正常ラッ
ト妊娠経過による,1,5−AGの母体内分布を調べ
る.結 語
ヒトにおける妊娠時の母体血中1,5−AG低値の
原因を明らかにするため,正常妊娠ラットを用い
て妊娠経過に伴う血糖と血中1,5−AGの変動を観
察し,1。ラヅトにおいても,ヒトと同様i,妊娠中血中
1,5−AGは妊娠経過とともに低下すること
2.妊娠時には,血糖値と母体血中1,5−AGに相
関関係がないことを認めた.
文 献
1)Pedersen J: The neonatal period.動 The Pregnant Diabetic and Her Newborn, pp178 −197,Munksgard, Copenhagen(1977) 2)大森安恵:妊娠.「糖尿病学」(垂井清一郎,葛谷 健編),pp491−502,朝倉書店,東京(1990) 3)藪内正彦,赤沼宏史,赤沼安夫:新しい糖尿病マー カー一1,5一アンヒドログル営トール。ファルマシァ26:221−225,1990
4)Yaman①ucbi T, Minoda S, Yabuuchi M et a1: Plasma 1,5・anhydro・D−glucitol as new clinical