〈論 文〉
MBA でステップアップに成功した MBA ホルダーは,
MBA 課程でどのような経験をし,それをどのように 役立てているか?
─SCQRM による視点提示型研究
(1)─
西條剛央
1)、沖尚彦
2)、金堂聖子
3)、上原美穂
4)、天江健史
5)、 佐野和弘
6)、大野慎悟
7)、奥田祐介
8)、野田麻衣子
9)What Kind of Experiences Do MBA Holders Have in MBA Course,
and How Do They Utilize Their Academic Experiences in the Business Field?
─ Perspective Construction Research Utilizing M-GTA Based on SCQRM ─
Takeo Saijo, Naohiko Oki, Seiko Kanado, Miho Uehara, Takeshi Amae, Kazuhiro Sano, Shingo Oono, Yusuke Okuda, Maiko Noda
Abstract
Due to the short history of MBA programs in Japan there are few studies on Japanese MBAs.
This study qualitatively examined MBA students’ experiences in MBA courses and how the students utilize those experiences in business fields. SCQRM (Structural Construction Qualitative Research Method) was adopted as the meta-research methodology to attempt to assure scientific falsifiability in this limited sample study, in which semi-structured interviews were conducted on MBA graduates.
The study conceptualized interview data and systematized a structural model based on M-GTA
(Modified Grounded Theory Approach). As a result, the model suggested that MBA students mature as business professionals through “a broad range of experiential, problem solving learning in MBA programs” based on the “freedom of being released from corporate bonds by returning to school” and “interaction with others who do not have ulterior business motives.” The study reveals the experience and significance particular to MBA programs, which has not been identified in previous investigations. Therefore, it can be suggested that introducing qualitative research to the research process on MBA students and graduates can be an effective method to investigate the affect reality of their experience.
早稲田大学 WBS 研究センター 早稲田国際経営研究
No.45(2014)pp.149-167
1)早稲田大学大学院商学研究科 専任講師 ふんばろう東日本支援プロジェクト代表 2)早稲田大学大学院商学研究科 専門職学位課程ビジネス専攻 修了 現、イオン株式会社
3 )早稲田大学大学院商学研究科 専門職学位課程ビジネス専攻 修了 現、スタイルコンフォルテ及び NPO 法人 地域彩生フォーラム
4)早稲田大学大学院人間科学研究科 博士後期課程 現、一般財団法人日本国際協力センター 5)早稲田大学大学院商学研究科 専門職学位課程ビジネス専攻 修了 現、株式会社バイタルネット 6)早稲田大学大学院商学研究科 専門職学位課程ビジネス専攻 修了 現、富士通株式会社
7)早稲田大学大学院商学研究科 専門職学位課程ビジネス専攻 修了 現、三井住友海上火災保険株式会社 8 )早稲田大学大学院商学研究科 専門職学位課程ビジネス専攻 修了 現、株式会社インターネットインフィニ 9)早稲田大学大学院人間科学研究科 修了 現、有限会社のだやインターナショナルティー
要 約
MBA は日本国内においてはまだその歴史も浅く,国内 MBA を対象とした研究はほとんど 行われていない。本研究では,MBA の学生は,MBA 課程においてどのような経験をし,そ こで獲得したものをビジネス現場でどのように活用しているかについて質的に検討することに より,その構造の一端を明らかにすることを目的とした。また、少数事例においても科学性を 担保するためにメタ研究法として SCQRM(Structural construction qualitative research method)を採用した。フルタイムで大学院に通う全日制の MBA の卒業生を対象に、半構造 化インタビューを行った。M-GTA(Modified Grounded theory approach)に基づき、インタ ビュー内容を概念化し(インタビューデータから概念を生成し)、構造モデルを生成した。そ の結果、「学生に戻ったことによる前向きな解放感や自由感」や「利害関係のない多様な人と の豊かな交流」に支えられた「多様なニーズに応える MBA プログラムによる体験的学び」を 通して、「ひとまわり大きなビジネスマンとしての成長」を遂げていることが示された。この 研究は、先行研究では明らかにされてこなかった MBA 特有の経験や意義を明らかにした。以 上から、質的研究を MBA 学生や MBA ホルダーに関する研究に導入することは、彼らの経験 のリアリティに迫る効果的な方法たりうることが示唆された。
1.問題
現在、社会人育成の一環としての MBA が注目を集めている。古くから米国等への留学を通して MBA を取得したビジネスエリートが、旧来の日本企業を捨てて外資系をはじめとする企業で活躍する ようなサクセスストーリーがあり、MBA 取得は成功を目指す若者にとって一つのマイルストーンとも 呼べるような目標であった。その一方で、国内にはビジネススクールはほとんどなく、MBA 取得には 海外へ赴く必要がある状況が長らく続いていた。
その後、近年の文部科学省の専門職大学院設置の奨励を受けて、国内の様々な大学がビジネススクー ルを開講したことにより、現在は国内の大学においても MBA が取得できる環境が整い、海外留学する ことなくビジネススクールに通えるようになった。しかし MBA の世界ランキングを見ると国内ビジネ ススクールの名前はほとんどない。また国内のビジネススクールはほとんどが日本語によるものであり、
国際言語である英語を使用した MBA が少ない、といった批判もある。
しかしながらそうした批判に対して、海外 MBA がグローバルプレイヤーを育てる役割を持つ一方で、
国内 MBA は国内でのビジネスリーダーを育てる重要な役割がある、という議論もなされている。早稲 田ビジネススクールの内田和成教授は、慶應ビジネススクールと海外 MBA を比較して「卒業生のクオ リティで見ると違いはない」「私は国内で学ぶ方が理解が深いと思っている」(ジャパン MBA ネット ワーク編 , 2002, p.67)、「日本語で教育することの強みをもっと発揮すべき」(慶應義塾大学ビジネス・
スクール編 , 2009, p.65)といったように国内 MBA の有効性を強調している。
このような議論もあるものの、一般的にいえば、海外において MBA は高く評価されているのに対し て、国内において MBA はまだその歴史も浅く、社会的にも十分評価されているとはいいがたいのが現
状といえよう。こうした現状を打開するためにも MBA に関する研究が求められており、海外では多く なされているため、以下、代表的な MBA 研究を概観していく。
古くは Alpander(1973)の米国での外国人 MBA 留学生を調査し、米国企業での雇用と活用を調べ たものがある。MBA 留学生は米国企業のマネージャー候補としては様々な点でメリットがあるが、結 論として米国企業は彼らを効果的に雇用できていないことを指摘している。また Gordon と Strober
(1978)は、スタンフォードビジネススクールを修了した女性 MBA ホルダーを対象とした調査を行い、
男性 MBA ホルダーとの違い(学部での出身や将来の目標など)について明らかにした。
1980年代に入ると米国の国際競争力低下が見られるようになり、Behrman と Levin(1984)がビジ ネススクールの教育がその要因の一つなのではないかと Harvard Business Review に “Are business schools doing their job ? ”(ビジネススクールは責務を果たしているのか?)という論文を提示し、痛 烈な問題提起をしている。具体的には MBA 教育の内容が短期的利益の追求や MBA 理論に偏重してお り、そのことで創造性や起業家精神が失われていることがあり、カリキュラムをより幅広く学際的なも のに変える必要があること、また学生はビジネススクール入学以前にビジネス経験を経てから入学すべ きであること、教員は研究よりも教育に力を入れるべきこと、実務家がビジネス教育の再構築を手助け することなどを提言している。
また Schneer と Reitman(1990)は MBA 入学による雇用の空白が生まれることによる影響について 研究した。その4年後には Schneer と Reitman(1994)は長期的な研究を行い、MBA の中間キャリア における仕事環境が男女で比較できるかどうかを調査した。早い段階のキャリアでは性別ごとの差異は 見つからなかったが、中間キャリアでは女性は男性よりも、より少ない収入・キャリア満足・上司から の評価といった待遇を受けていることがレポートされ、女性のキャリアに対する差別の存在を明らかに した。
Hofstede ら(2002)は15カ国における地元大学の夜間 MBA コースで学んでいる1800を超えるジュ ニアマネージャー・専門家たちによるビジネスパーソンとしての成功目標をランク付けた。認知された 目標の階層的クラスター分析では国々を7つのクラスターに分類した。それらのクラスターの中での目 標の関連ある序列は、7つの異なる典型的なビジネスリーダーの役割を意味し、認知された目標は国の 豊かさ、同様に国民文化の程度に有意に関係していることが示唆された。
インターネットの普及した現在では MBA は大学の教室のみならず、オンラインでの運営もされてき ている。Kathawala ら(2002)はオンライン MBA を調査し、オンライン MBA で何を学ぶことができ るか、オンライン MBA と伝統的な MBA の比較、加えてオンライン MBA の強み(S)弱み(W)機 会(O)脅威(T)を徹底的に評価している。
また英国においては、Simpson や Brauch らによってさまざまな英国 MBA の研究(MBA のキャリ アや成果など)がなされており(たとえば、Simpson, 2000a; Simpson, 2000b; Simpsonm, et al.2005;
Simpson & Ituma, 2009; Baruch & Leeming, 2001; Baruch & Peiperl, 2000)、アジアにおいても Thompson や Chang による中国人 MBA の研究(Thompson, 2000; Thompson,2002; Thompson & Gui, 2000a; Thompson & Gui, 2000b; Chang, 2002)やマレーシア MBA の研究(Tay, 2001)がなされている。
こうした欧米を中心としてビジネススクール研究は様々な分野で行われているのと比較すると、国内 MBA を対象とした研究は十分に活性化していないのが現状である。ただし、米国で最初のビジネスス クールであるハーバード・ビジネス・スクールが創立されたのが1908年であり、その後のビジネスス クールの創立ラッシュを経て100年の歴史を持つ米国に比べ、1978年に初めて慶應義塾大学大学院経営 管理研究科(慶応義塾大学ビジネス・スクール)の開講によって幕を開けたものの、本格的に始まった のはビジネススクール元年と呼ばれる2004年であることを勘案すれば、国内ビジネススクールの研究が 進んでいないことは当然のことともいえよう。
そうした中で、金(2002, 2004, 2007, 2009)の国内 MBA に関する一連の研究は先駆的なものとして 評価すべきものといえる。特に最新の「国内ビジネススクールに対する7つの幻想──国内 MBA と企 業に対する意識調査から」と題する論文(金 , 2009)では、「国内 MBA や国内ビジネススクールの実 態(意識)を探る」ことを目的として、「2005年から2006年にかけて実施した、国内 MBA101人と企業 34社に対するアンケート及びインタビュー調査を参考に、両者の意識とギャップ、さらに一般に考えら れている国内 MBA に対する通念を検証」している。後述するが、この研究は科学性の担保という点で 問題あるものの,しかし意識調査がなされていない国内の現状においては貴重なものであり,そうした 限界を踏まえた上で,国内 MBA の現状(大まかな傾向)を把握する参考資料として活用していくこと は問題ないと思われた。そのため以下その結果を概観していく。なお、以下国内 MBA のことを「MBA」
と表記し、海外 MBA を指す場合には「海外 MBA」と表記することとする。
まず、国内ビジネススクールに対する人的ネットワーク形成としての期待は、企業側はあまりないの に対して、MBA ホルダーにとっては人脈形成の場として認識されている。また多くの企業で、MBA ホルダーのスキルや成果が曖昧と指摘されており、MBA ホルダー自身も、学習内容や修得スキルの不 明確さを指摘する意見が4割程度みられる。その一方で、企業、MBA ホルダーの双方において、国内 ビジネススクールは、ビジネスリーダー育成の場として期待されていることも示されている。
しかし、MBA 課程においてどのような人脈がなぜ形成されるのか、それが一般の企業活動における 人脈形成とどのように異なるのか、またそこで得られるスキルはどのような意味において曖昧なのか、
その曖昧さの内実は何なのか、そしてなぜ、どのような経験からビジネスリーダー育成の場として期待 できるのかといったことに関しては明らかになっていない。
また KBS(慶応義塾大学ビジネス・スクール)の卒業生を対象としたアンケートにおいては、会社 ではあまり高く評価されておらず、給与面などにおけるメリットはほとんどないことが報告されている にもかかわらず、他方では「業務遂行上役に立った」「自分自身に自信がついた」といった精神的満足 は高いという結果が出ている(慶應義塾大学ビジネス・スクール編 , 2009)。この点に関しても、個々 の MBA 課程での経験やその役立ち方を丁寧に聞いていくことによって、MBA におけるカリキュラム の中でどのような経験によって精神的な達成度が高まり、精神的満足につながっているのかを明らかに できる可能性がある。
給料や昇格といった外的な評価は誰の目にも明らかだが、個々人が MBA 課程でどのような経験をし、
それにどのような意味を見出しているのか、また MBA で学んだことをどのように活かしているかに関
しては、インタビューや体験談といった形のものは散見されても、明示的な形で構造化した研究はみら れない。そして、実際これまでの調査は量的研究が主であり、そうしたアプローチでは、個々の MBA の体験や実感を明らかにすることは困難なのである。
したがって、個々人の内的視点を尊重し、構造化することに向いている質的研究によって、MBA の 体験とそこで得た知識やスキルの具体的活用のあり方といった内実が明らかにできれば、MBA への進 学希望者や在学者は、そこでどのような体験をするのか予測し(予測可能性)、そこで得たものを実務 でどのように活かせばよいのかを自覚的に活用できる可能性が生まれる(制御可能性)。
また、それは MBA の意義や課題の「見える化」につながり、MBA の社会的価値の向上や、ひいて は各大学院における MBA 運営の際の一助となる可能性もある。
2.目的
以上の問題意識から、本研究では、MBA ホルダーは MBA 課程でどのような経験をし、そこで獲得 したものをどのように活用しているかについて、その構造の一端を明らかにすることで、有用な視点と して提示することを目的とする。
3.方法
3.1 メタ研究法としての SCQRM
本研究では、MBA 課程でどのような経験をし、それがビジネスの現場でどのように役立っているの かを明らかにする際、従来の研究のように多標本をサンプルにした広く浅くというスタイルではなく
──それも意義があるのだが本研究では従来明らかにできなかった MBA を巡る経験の質的な側面を明 らかにするべく──少数の事例を対象として深くその体験を聞き出し、その経験の内実を構造化するこ とを目的とした。したがって、少数事例の質的研究においても広義の科学性を担保し、対象とした事象 の予測や制御につなげることが可能な SCQRM(Structure Construction Qualitative Research Method:
西條 , 2007, 2008)をメタ研究法として採用することとした。
従来の質的研究法がアプリケーションソフトだとすれば、SCQRM とはそれらの理論的・方法論的機 能を高める OS(Operating System)に位置づけられるメタ研究法であり、少数例でも科学性を担保す ることで、信憑性のある知見を提示することが可能になる。実際、SCQRM は高度な理論性と実効性を 兼ね備えていることから、これまで,医学、看護学、リハビリテーション学、言語学、心理学、教育学 をはじめとして様々な領域に導入され、多くの研究が生み出されている(たとえば、阿部 , 2011; 足立
& 柴崎 , 2010; 長谷川,2009; 羽石 , 山内 , & 中西 , 2011; 廣瀬,2009, 2010; 池田 , 玉木 , 山本 , 田中 , 西條 2009; 石塚 & 相磯 , 2011; 石川 , 2011; Iwata et al,2010; 岩田 & 西條 , 2009; 小山,2013, 村中 et al, 2007; 中島 , 炭谷 , & 土屋 , 2010; Nakajima & Okazaki, 2013; 岡崎 , 2012; 佐々木 , 田中 , & 鄭 , 2011; 西 條・堀越 , 2007; 佐藤 & 西條 , 2011; 柴田,2009; 蘇 , 2009; 田辺,2010; 戸田 & 本田 , 2011)。
3.2 対象者の関心相関的選択
多標本のランダムサンプリングに基づく数量的研究であれば、対象者は MBA 課程修了者であれば問 題ないということになる。しかし、SCQRM において少数事例から仮説を生成していく際には、研究目 的に照らして対象者選定の精度が高いほどよいとされている。逆に、少数例の研究であればあるほど、
対象者を選定するにあたってその選定理由を目的に照らして明記しないと、都合のよい事例を恣意的に 選んだのではないかといった「恣意性問題」を呼び込んでしまうことになる。したがって、本研究では 研究目的に照らして、妥当な対象者を選択するために、関心相関的選択という方法視点を用いる(西條,
2005,2007)。
関心相関性を「価値の原理」の側面に特化していえば、関心相関性とは “ あらゆる価値は欲望や関心 や目的といったものと相関的に(応じて)見出される ” というものである(西條,2011a)。お腹が空い ていれば食料が価値を帯び、喉が渇いていれば水が価値を持ち、知的に渇望していれば書物に価値を見 出すように、原理的には、価値とはどこかにモノのように転がっているものではなく、各人の欲望や関 心に応じて立ち現れるもの、ということになるのである。それを方法視点とすれば、目的と無関係に正 しい方法があるわけではなく、対象者、データ収集法、分析法といったものの価値も、研究関心に応じ て決まることになり、そうした観点から選択していけばよいことになる(西條,2005,2007,2009)。
したがって本研究では、MBA 課程でどのような経験をし、それがビジネスの現場でどのように役立っ ているのかを明らかにするにあたり、特に従来「精神的な満足」といわれているものの内実や、外部か らみただけではわからない MBA の「暗黙知的な役立ち方」も含めて検討したいと考えたため、今回は 特にその後の望ましいキャリアにつながり、ビジネススクール(MBA 課程)に行って良かったと確信 している「ステップアップに成功した人」を対象にすることとした。充実した MBA 課程を過ごし、そ こで得たものを仕事に活かしている点で成功例といえる人の経験を構造化することで、今後の MBA 課 程を目指す人にとっても有益な知見を生み出すことができると考えられる。
MBA と一言でいっても、大学院ごとに研究、実務、国際性といった様々な特徴(重視するポイント の違い)がみられる。そこでまずは MBA 課程における経験の多角的な側面を捉えた仮説を生成するた めに、実務経験を入学条件としており、かつトライアングルメソッド(学生・教員・学外異業種)によ るリサーチ重視に加え、留学生が半数を占める国際性の高さにも特色のある早稲田大学ビジネススクー ル(以下 WBS とする)の(2009年当時のプログラムにおける)「MBA 全日制」の学生を対象とした。
なお「早稲田 MBA」とのみ定義すると、ファイナンス研究科・会計研究科・商学研究科 MBA 夜間主・
MOT 夜間主・南洋大学(double degree)といった早稲田大学内の他の MBA も対象に入り、そのプロ グラムも多岐に亘るため、ここでは「WBS の全日制」に焦点化することとした(2)。
MBA には企業から派遣されてきている学生も少なくないが、今回は、ステップアップに成功した MBA ホルダーの典型例を扱いたいと考えたことから、MBA ホルダーの中でも、一度企業を辞め自費 で入学し、その上でステップアップに成功し MBA に行って良かったと確信している人を対象とした。
またその中でも様々な国籍の人がいるが、議論が拡散しないために、まずは最もベーシックな日本人 を対象とすることにした。その理由としては、WBS の在校生の半分を占める日本人であり、かつ
MBA 卒業者に焦点化するのは、まずは国内 MBA の主流を占めるこのターゲット層の教育(教育者や 志望者)に対して、有用な提言内容となるようにするためである。
また対象者は、1年で修了する1年制ではなく、2年制の MBA 課程修了者であり、卒業後1年経過
〜3年以内の人を対象とした。「2年制」を対象とするのは、1年制は1年間の詰め込み教育で課題に 追われ時間的余裕がないのに対し、2年制では余裕を持ってじっくりと人脈作りや弱点の克服する機会 を得ることができるため、1年制よりも経験内容が豊富であると考えられるため、類似の試みがない現 状においてはまずは2年制から明らかにすることが妥当と考えたためである。MBA 取得後1年経過〜
3年以内としたのは、MBA 入学以前・在学期間の経験を聞くに当たり記憶が残っており、かつビジネ スの現場(実務)に戻って1年以上は経過し、MBA の経験を実務に活かす時間があると判断したため である。
以上のことから、本研究では研究関心に照らして、WBS の全日制 MBA2年制課程の修了者の中で、
日本人で、自費入学者(企業派遣ではない)であり、かつステップアップに成功しており、当人も行っ てよかったと確信している卒業後1年経過〜3年以内の人を対象者とすることとした。そのような観点 から、MBA を経てステップアップに成功した典型例として選出されたのが次の2名である。
3.3 2名のインタビュー対象者について
A氏は大学卒業後、大手金融会社に入社し、国内での営業職・海外支店勤務の後、中堅証券会社へ転 職し管理職として活躍。その後周囲の勧めや自分自身のキャリアアップのため30代半ばで退職し WBS に入学。ビジネススクールではベンチャー系のゼミにて学びを深めた。卒業後は入学前の企業に復職す ることになり、ビジネススクールで学んだ知識を生かし、キャリアも大きくステップアップさせ、役員 として経営の一翼を担う立場として活躍していた。
B氏は大学卒業後、国内大手電機メーカーに勤務。その後外資系メーカーへ転職し、そこでの数多く の MBA ホルダーとの出会いに触発され、20代後半で退職して WBS に入学。ビジネススクールではマー ケティング系のゼミにて学びを深めた。卒業後は外資系のメーカーへ再就職するも業績悪化のあおりを 受け退職を余儀なくされるが、即、別の希望した外資系メーカーへ好待遇での転職を果たした。Bさん は危機的状況を乗り越えて希望するキャリアを実現したことから、MBA に行って良かったと確信して おり、その意味では順風満帆というべきキャリアではないが、逆風の中でも MBA での体験を活かした くましくステップアップしていく事例としては本研究テーマに相応しいと考えたため、インタビュー対 象者として選定することとした。
このように MBA 課程修了後のキャリアは異なるものの、両名とも、ビジネススクールに行って良 かったと確信しつつ自分の希望するキャリアを歩んでいるという点では共通している。
3.4 本研究で採用した分析枠組み:M-GTA
本研究は視点として活用可能なモデル構築を目的としているため、その目的に照らし、データをもと にボトムアップにモデル構築するのに適した木下(1999, 2003)の修正版グラウンデッド・セオリー・
アプローチ(以下、M-GTA と略す)を分析の枠組みとして採用した。
M-GTA は、オリジナルの M-GTA の良さを残しつつ、問題のあったシステマティックなコーディン グと深い解釈を両立させ、かつ概念生成から理論化までのプロセスをシンプルかつ明確にしたものであ る(木下 , 2003)。一般的な GTA との差異という観点からいえば、データの切片化や作業が複雑になり がちなプロパティやディメンジョンを軸とした分析は行わず、M-GTA ではデータの解釈から直接概念 を生成する。そのために分析ワークシート(後述)を作成し、ヴァリエーション欄に書かれたデータと 概念との関係を十分に確認できるようにし、grounded on data の分析が着実にできるよう工夫されて いる。またこの方法によれば、分析ワークシートによって研究者が概念をつくっていく上で、データを 見ながら何度も定義、概念名を吟味することが可能になり、概念洗練をスムーズにすることが可能にな る。
ただし、M-GTA では具体例(ヴァリエーション)の少ない概念は採用しないとされており、本研究 のような少数事例に基づく研究に適していない側面がある。しかし、本研究では、各種分析法を研究関 心に応じて適宜修正しながら進める機能を持つ SCQRM をメタ研究法として採用したことで、少数事 例研究における理論的、方法論的な課題を解消し、M-GTA のエッセンスを活かしつつ研究を進めるこ とが可能になる(西條,2008)。たとえば、SCQRM においては,事例数や具体例の数がどれだけ必要 かは、研究者の関心(研究目的)と相関的に決まると考える。そのため,本研究の目的は、これまで焦 点化されてこなかった側面をモデル化することにあるため、少人数から生成された概念についてもこの 目的に照らして重要と考えられるものは採用していくことが可能となるのである。
3.5 半構造化インタビュー項目の作成とインタビュー方法
SCQRM のインタビューにおいては、リサーチクエスチョンに照らして、聞きたいことを適切に聞け るようにインタビュー項目を関心相関的に設定することが重要になる。本研究では MBA ホルダーは,
MBA 課程でどのような経験をし,そこで獲得したものをどのように活用しているかを明らかにするた め、「MBA 入学の経緯や目的」「精神面でのメリット」「カリキュラムや授業を通しての学びの内実」「現 場での役立ち方」「MBA だからこそできた人脈」といったことを主軸とし、それぞれの項目を深めて いけるよう半構造化面接のための質問項目リストを作成した。またこのリサーチクエスチョンに関して 当人が感じる違和感や問題点も視野に入れつつインタビューを行った。
インタビューは2009年12月に行った。インタビューの場所は、喫茶店や早稲田大学内の教室であった。
対象者には、研究倫理に配慮して研究を行うことを説明し、研究協力の承諾を得た上で、上述した半構 造化した質問項目を用いて面接を行った。インタビューは1名のメインインタビュアーと2名のサブイ ンタビュアーの計3名で行った。その際、半構造化した質問項目のチェックリストを用いて聞きたいこ とは押さえつつ、個々の話を深め展開していけるように心がけた。その様子を IC レコーダで記録した。
3.6 分析とモデル構築の手続き
収集した録音データを文字起こしし、テクストを作成した。それを以下の SCQRM の分析手順に沿っ て概念を生成し、分析ワークシートを作成した。以下に概念名「多様性を受け入れられるしなやかさ」
の分析ワークシート例を挙げる。
概念名 多様性を受け入れられるしなやかさ
定義 多様な属性を持つ人の価値観を、受け入れ、取り入れる思考を身につけることや心の度量が広
がること。
ヴァリエーション 「多様性があるのを受け入れられるようになりましたね。考えに。会社だと先ほど申し上げた ように考え方として狭いドメインというか領域で仕事をしているので、かなりもうこれについ てはだいたいこうだろうというような見方を会社の中では決まっちゃうんですよね。多分、お そらく、グループワークで出身が違うメーカーだったり、役員だったりすると、皆違う見方を するのでとまどいますよね、これは当たり前じゃないのっていうところまで」(Aさん)
「いろんな視点から見れるようになった。例えば30代の視点からしかみれなかったのが、20代 の視点とか、70代の視点から見たらどうだろうとか。」(Aさん)
「いろんな属性から見れる、というか見なければならない、そういったものに対して受け入れ られるようになった。」(Aさん)
「あとは、視点が広がったとか人間的な幅みたいなものかもしれないですが、そこの度量が少 し大きくなった。多分 MBA に行ってなかったら、ここまではなかったかなっていうふうで、
そこがありますかね。…多くはそこですかね。」(Aさん)
「日本人同士だけの議論だったらなかなか出てこないアイディアが、留学生から出てくるって こととかがよくあって、それであぁなるほどそういう見方もあるのか、という風に思うことは 良くありましたかね。」(Bさん)
「視野は広がったと思います。やっぱりあのぜんぜん違うバックグラウンドの人が、業種、業 界、職種、年齢、国籍、バラバラな人が集まっていて、ぜんぜん違う、同じことに関してもぜ んぜん違う意見がたくさん出るっていうのはすごく面白いですね」(Bさん)
「やっぱりあの、いろんな人と話した方がいいなっていうのは思いました(笑)。いろんな人 と知り合って、接して。やっぱりどうしても会社…勤めだと会社の中の人と話すことが多いの で、そうするとなかなか違う視点とか、いろんな価値観とかって触れる機会って少ない…です から。そういう意味で、ビジネススクールとかって、ぜんぜん違うバックグラウンドの人がい て。まぁ単純に面白いですよね、やっぱり。接してて。」(Bさん)
理論的メモ 特になし
上記のような形で生成された概念は30個以上となり、それらを材料としながら、対象となる事象をう まく説明できるカテゴリーにまとめ、各研究者の観点から多角的に意見を出し合い、抽出された概念や カテゴリー間の関連を捉えながら構造図を作成していった。
4.結果
以上のプロセスによって、テクストを分析し、ボトムアップに構築したものが次の図1のモデル(構 造図)である。以下、カテゴリーは【】で、概念は「」で表示しながらモデルの説明を行う。
まず【MBA 入学に至る動機】としては、「マネジメントへの志向性」や「企業経営に関わる全般的 知識やスキルを身につける必要性」を感じ、「MBA に積極的価値を認める人が周囲にいる」ことで「長 期的にみて MBA は糧になるという確信」を持つに至ったことがわかった。
これは、慶應義塾大学ビジネス・スクール編(2009, p.43)のアンケートにも示されている「日本企 業においては MBA 取得が直接的なキャリアアップにつながりにくい」ことを踏まえながらも、長期的 なキャリアビジョンのもとでは先行投資として十分な意味があると判断したと考えることができよう。
また MBA に入学すると「仕事上のストレスからの解放・リセット」され、「学生ならではの自由感」
を味わい、それによって「立ち止まって考えることによる将来的展望の拡がり」を実感するといったよ うに、【学生に戻ったことによる前向きな解放感や自由感】といったポジティブな側面について語られ ていた。
また MBA では、【利害関係のない多様な人との豊かな交流】を通して「多様なバックグランドを持 つ人からの多角的視点の獲得」、「指導教官や仲間の振るまいの模倣」、「ラウンジでの偶発的な交流を通 した刺激や発見」といったことを経験していた。
そして、多様な MBA プログラムを通して「実務に即した講義からの学び」「ケーススタディによる 経営の仮想的トレーニング」「修士論文を通したリサーチメソッドの習得」「成果物としての修士論文を 残せたことによる達成感」といった「知の吸収による学び」や、「短期交換留学による新しい価値観や
図1 MBA 課程における経験とその活用モデル
多様なニーズに応えるMBA プログラムによる体験的学び
MBA入学に 至る動機
社会人としての器量の拡張 マネジメント
への志向性
MBAに積極的 価値を認める人が
周囲にいる
長期的にみてMBAは 糧になるという確信
企業経営に関わる 全般的知識やスキル を身につける必要性
MBAにおける 多様な経験
将来的な選択肢の拡がり ビジネスマンとしてのスキルや 体系的知識の獲得とバージョンアップ
学生戻ったことによる 建設的な解放感や自由感
利害関係のない多様な 人との豊かな交流
MBAだからこそ得られた人脈 ひとまわり大きなビジネス
マンとしての成長
実社会との 隔たり 実務に即した
講義からの学び
修士論文を通じた リサーチメソッドの修得
ケーススタディによる経営 の仮想的トレーニング
成果物としての修士論文を 残せたことによる達成感
短期交換留学による新しい 価値観や考え方の獲得
異なる文化や 価値観を持つ人との議論
グループワークに 取り組むことによる一体感
多様なバックグラウンドを 持つ人からの多角的な
視点の獲得 指導教官や仲間の
振る舞いの模倣 ラウンジでの偶発的な 交流を通した刺激や発見 学生ならではの自由感
仕事上のストレス からの解放・リセット 立ち止まって考える ことによる将来的展望
の拡がり
理論と実践 のギャップ ブランクに よる実戦感覚
の低下
実務に生きる具体的な 知識・スキルの獲得
研究成果を活かした 商品開発 複数のフレームワーク
の実務への応用
実務経験・実践知識 の整理・再構築 体系的知識への アクセス可能性 課題に応じた知識や スキルの効果的な組合せ
ど の よ う に 活 き て い る か
多様なMBAプログラムで 得られた安心感と自信
多様性を受容れられる しなやかさ 多様な価値観を
まとめるリーダーシップ
将来さらにステップアップ した時の備え
将来のエグゼクティブ MBA アカデミックキャリアの
可能性
価値感が近く利害関係 のない友人 修士論文を通した
交流の拡がり
友人関係の 国際的拡がり アカデミズムとの窓口 受
験 を ク リ ア し 入 学
知の吸収 による学び
知の交換や 融合による学び
考え方の獲得」「グループワークに取り組むことによる一体感」「異なる文化や価値観を持つ人との議論」
といった「知の交換や融合による学び」を経験していることが明らかとなった。これらを【多様なニー ズに応える MBA プログラムによる体験的学び】というカテゴリーにまとめた。
修了して実務に戻ると「理論と実践のギャップ」や「ブランクによる実践感覚の低下」といった【実 社会との隔たり】を感じることもあるが、すぐに克服することが示された。
その後、実務に従事する中で活かされている「実務に生きる具体的な知識・スキルの獲得」「実務経 験・実践知識の整理・再構築」「複数のフレームワークの実務への応用」「研究成果を活かした商品開発」
「体系的知識へのアクセス可能性」「課題に応じた知識やスキルの効果的な組合せ」といったことがビジ ネススキルや知識のバージョンアップ【ビジネスマンとしてのスキルや体系的知識の獲得とバージョン アップ】効果として語られていた。
また MBA 課程での経験を通して、「多様な価値観をまとめるリーダーシップ」「多様性を受け入れる しなやかさ」「多様な MBA プログラムで得られた安心感と自信」といった【社会人としての器量の拡 張】がみられた。
そして、多様な人間関係の豊かさに支えられた MBA 課程での経験を通して、「価値観が近く利害関 係のない友人」「修士論文を通した交流の拡がり」や「友人関係の国際的拡がり」、「アカデミズムとの 窓口」といった【MBA だからこそ得られた人脈】が構築されることがわかった。
また「将来のエグゼクティブ MBA」や「アカデミックキャリアの可能性」、「将来さらにステップアッ プしたときの備え」といった【将来的な選択肢の拡がり】が語られた。
5.考察
5.1 本研究の科学性に対するスタンス:従来の研究の一般化不可能性とそれを超える SCQRM におけ る科学性とアナロジーに基づく一般化
本研究に対して、従来の量的な研究のパラダイムから「2例に基づく研究では一般化できないのでは ないか」といった批判がなされる可能性は高い。したがって、本研究の意義を正しく受け取ってもらう ためにも、まず構造構成主義の科学論(西條,2005a,2009,2011b,2013a,2013b)に基づき、本研 究の限界として指摘されうる事例的研究の一般化不可能性に焦点化し、社会科学がとるべき科学性に対 するスタンスを明らかにしておく必要があろう。
まず、同じ MBA といっても学校によってその教育方針やカリキュラムは異なる。さらにいえば、同 じ WBS といっても、本研究は2009年にインタビューを実施したものであり、その対象者はそのさらに 数年前に MBA 課程を修了した MBA ホルダーであった。したがって、論文公刊時(2013年度)の WBS とは異なるカリキュラム下での体験を構造化したものである。こうしたことから、本研究の知見 はどこまで一般化できるのか、他の MBA や現在の WBS に一般化できないのではないかという指摘は 可能である。
しかし,原理的な問題として、仮に全数調査に基づき推測統計学によって一般化できる知見として提
示されたとしても、それは未来の MBA に当てはまることを保証しない、という問題がある。当然なが らこの先にも社会の変化やニーズに対応してそれぞれのビジネススクールは教員やカリキュラムを含め 変化していくと考えられるためだ。
従来看過されてきたが、物理現象を対象とする物理学とは異なり、社会や文化、人間を対象とした研 究は、その対象自体が変化してしまうということを押さえておく必要がある。実際、2010年に原発の安 全性に対する意識調査を行った研究で、知見を一般化してよいとされている統計学的に有意な結果が得 られていたとしても、その結果が今の社会にそのまま当てはまると考える人はいないだろう。それは 2011年の東日本大震災の福島第一原発の事故によって、社会や我々の意識自体が変わってしまったため である。
このように人間や社会を対象とした人間科学、社会科学といった分野では、対象そのものが変化して しまうため、いかに厳密に一般化の手続きをとろうとも従来的な意味では一般化できないという原理的 限界があるのである(これを「一般化不可能性」という)。
では、こうした一般化不可能性に対してはどのように考えればよいのだろうか。実は、「一般化」と は研究論文の中で完結するものではなく、原理的には人間が行っているのである。つまり、我々が「こ の知見は目の前のこの現象にも当てはまるが、こっちには当てはまらないな」と類推しながら一般化し ているのである(これは SCQRM においては「アナロジー(類推)に基づく一般化」として定式化さ れている)。そして、原発の安全性に対する意識調査の結果が、今の社会に当てはまらないと考えるこ とができるのは、時期や調査方法が明記されているからに他ならない。
つまり、研究論文では、何を目的として誰を対象にいつどのように調査した結果、どのような知見が 得られたのか「構造化に至るまでの諸条件」を明記することで、科学性を担保することが可能になり、
それによって読み手が自分の目の前の事象に当てはまるかどうか判断できるようになる。社会科学にお いてはそうした「類推に基づく一般化可能性」が担保されていること、それが本質的に重要になるので ある。
ここで提示された構造モデルは、構造化に至る諸条件を開示することで、他者が批判的に吟味可能と いう意味での科学性を担保した上で構築された仮説的な視点なのである。言い換えれば、本研究は、
MBA ホルダーが全般的にどのような体験をしており、それをどのように実務に活かしているか、その 実態や傾向を明らかにする実態調査研究ではない。むしろそのような量的な調査では明らかになってこ なかった個々人の体験を深く掘り下げて、その体験の内実を明らかにする(見える化する)ことで、読 み手にとって役立つ視点(構造)を提示することが目的とした視点提示型研究なのである。つまり、
SCQRM においては、データや事例は視点を提示するための材料に過ぎず、その材料が何例であるかと いう点は本質的な話ではない。何千例に基づいていようとそれが視点として有用でなければ意味はない し、一例であってもそれが視点として有効なら意義があるということになるためだ。
こうした研究論文の科学性を検討可能な「論文の公共性評価法」(西條,2011c)の観点から、先行研 究の問題点を指摘しておく。国内 MBA の研究としては金(2009)の研究は先駆的であり、その意味で の意義は大きなものがある。しかし、量的には十分な検討がなされているものの、他者が批判的に吟味
できない形式になっており、科学性という観点からは大きな問題がある。この研究では、調査法は脚注 で触れられる程度しか記載されていないのである。たとえば、どのような質問項目からなる質問紙を配 り、その結果をどのように分析処理したかが記載されていない。またインタビューを行ったと記載され ているが、具体的なインタビューの概要についても記載がない(インタビューにも構造化インタビュー / 半構造化インタビュー/ 非構造化インタビュー、エピソードインタビュー/ アクションインタビュー/
エピソードインタビューといった様々な種類のものがあり、何をどのように聞いたかによって答えは変 わってくる)。このように、科学性を担保するための「構造化(結果)に至る諸条件」が十分に記載さ れていないのである(3)。
標本数が多いと科学的と思われがちだが、科学は政治ではない。科学とは予測と制御に役立つ構造の 追究であり、社会科学(人間科学)において、広い意味での反証可能性、批判的に吟味できる可能性を 残すためには、構造化に至る諸条件が開示されているか、そして提示された構造モデルが予測可能性、
制御可能性という観点から有効な視点であるかどうかが重要になる。したがって、以下の考察では誰に とってどのような意味で有効な視点となりうるかを論じていく。
5.2 MBA の社会的意義の認知向上
まず本モデルによって、従来指摘されていたスキルの向上だけでなく、MBA だからこそ得られる貴 重な経験や人脈、人間的成長といった従来曖昧だった側面が明らかになったことで、MBA の積極的価 値を企業側に認知してもらいやすくなるといえよう。また本モデルを用いることで、MBA 課程での学 びの内実やその役立ち方を具体的に説明できるようになることから、企業や上司はもとより、家族や配 偶者にもビジネススクールに行く意義を理解してもらい、説得する際にも有効であると考えられる。
5.3 「多様性を受け容れられるしなやかさ」の意義
慶應義塾大学ビジネス・スクール編(2009, p.51)のアンケートや金(2004, p.52)の調査によれば、
派遣側の日本の企業は国内ビジネススクールに対しては、総合的な経営知識を修得することや、専門知 識の修得、日本人人脈を獲得することを期待する一方で、国際的なビジネス感覚については海外ビジネ ススクールに期待している、とされている。しかし今回の研究を通じて、国内ビジネススクールにおい ても留学生等異なる文化や価値観を持つ人々と交流できる環境であれば「多様性を受け容れられるしな やかさ」(分析ワークシート例参照)を身につけていることが明らかになった。これは今後の日本企業 が求めるグローバルリーダーのマインドを育成する土壌を国内ビジネススクールも備えうることを示唆 している。日本企業はそういったメリットを考慮した上で国内ビジネススクールの人材派遣先を検討す ることも可能になるだろう。
5.4 リーダーの育成の根拠
また先行研究(金 , 2009)では、企業側もリーダーの育成に役立つと思うという人は多いという知見 は示されていたものの、その根拠や内実は明らかにされてこなかった。今回、【MBA ならではの多様
な経験】を通して、「ビジネスマンとしてのスキルや体系的知識の獲得とバージョンアップ」「社会人と しての器量の拡張」「将来的な選択肢の拡がり」「MBA だからこそ得られた人脈」といった【ひとまわ り大きなビジネスマンとして成長】することが明らかになったことから、どのような意味においてリー ダー育成に役立つのかがより具体的に示されたといえよう。
5.5 MBA における人脈形成の内実
そして問題部分でも述べたように、従来の研究では、MBA は人脈形成の場という認識はあったもの の、MBA 課程においてどのような人脈がなぜ形成されるのか、それが一般の企業活動における人脈形 成とどのように異なるのかといった点は明らかにされてこなかった。今回、【利害関係のない多様な人 との交流】を通して、「価値観が近く利害関係がない友人」「修士論文を通した交流の広がり」といった
【MBA だからこそ得られた人脈】が得られることが示された。それは、企業利益に直接つながるコネ クションといった一般の企業活動における人脈形成とは異なるものである。一度社会に出ると「価値観 が近く利害関係がない友人」を作るのは難しいが、MBA 課程においてそうした友人ができることによっ て、目先の損得にとらわれない本質的な意味での良い刺激を与えあい、また社内の人には話しにくい相 談などもざっくばらんにできることは、モチベーションの向上やメンタルヘルスの維持という点でも意 味のあることであり、結果的には企業利益にもつながりうるものと考えられる。
5.6 MBA における効果的な学び方を考えるために
MBA 志望者にとっての MBA 課程で学ぶことは、「実務に即した講義」や「ケーススタディ」を主 として思い浮かべることが多いかもしれない。しかし WBS においては、それらに加え、このモデルで 示されたように「グループワーク」「修士論文」「交換留学」や「多様な価値観を持つ人々との交流」と いった【多様なニーズに応える MBA プログラムによる体験的学び】も経験されていた。
「実務に即した講義」などを知の吸収を機軸としたインプット型学習と捉えるとすれば、「グループ ワーク」「修士論文」などは知の交換・融合を機軸として外部へ発信するアウトプット型学習として捉 えることができる。二人のインタビュー対象者のうちのAさんは、20代で若くインプット型学習を重視 して吸収していく学び方を追及していった。他方でBさんは30代である程度のキャリアを積んだ後に入 学していたためアウトプット型学習を重視して自ら成果を明確に求めて学んでいった。これは、MBA 課程での学びは一律ではなく自らの求める方向にフォーカスしてそれぞれのニーズ(関心)に応じた学 びを深めることができることを示している。
そして二人に共通していたのは明確な目標を持ち、それぞれの目標に照らして自覚的に学びを深めて いた点である。MBA 志望者にとっては、こうした多様な学びができる条件(プログラム)が備わって いるかどうかを入学前に事前に確認した上で、明確な問題意識や目的意識を持った上で入学することで、
より効果的な学びが可能になるといえよう。
また、従来は「彼ら(MBA 志望者)にとって学位とは『高い給与を得るためのキャリアエンジン』
でもある」(金 , 2004, p.60)といわれてきたが、今回の MBA に行って良かったと確信している MBA
ホルダーはむしろ、短期的給料のアップに期待しておらず、「長期的にみて MBA が将来糧になること」
や「将来的なマネジメントへの志向性」が挙げられたことから、長期的なビジネスキャリアに MBA が 位置づけられている可能性が示唆された。
長期的展望に基づいていることは、必ずしも MBA が高く評価されない国内 MBA の現状においても、
MBA に行って良かったと確信できている一つの要因である可能性がある。またこれは金(2004, p.85)
が「MBA はもはや一部のエリートの勲章ではない。様々な MBA の取得方法がでてくるなか、経営の プロフェッショナルを目指す人のための一選択肢となりつつある」と述べているように、多様なキャリ アプランの一つの選択肢として位置づけられつつある現状を反映している可能性も示唆されたといえよ う。
5.7 MBA 運営サイドへの示唆
また運営サイドがこの構造を視点とすることにより、運営上注意すべき点や工夫すべき点、伸ばすべ き点を自覚しつつ、運営できる可能性もある。たとえば、「実務に即した授業」が有効だったと共通し て語られていたことから、MBA の価値を高めるには、教員はできるだけ実務に即した授業を展開する ことが重要であるといえよう。また【ひとまわり大きなビジネスマンとして成長】させるという点で、
ビジネススクールが輩出する人材の質を更に高める上で、ビジネスに直結するスキルだけでなく、ソー シャルマインドや哲学、リベラルアーツ、ロジカルシンキングといった幅広い視座と深い教養を身につ け、志を高める学びが有効となる可能性も示唆される。
さらに、「多様なバックグラウンドを持つ人からの多角的な視点の獲得」が社会人としての器量の拡 張につながっていたことから、運営サイドにおいては学生同士が化学反応(ケミストリー)を起こす条 件を整備するという意味で、国籍、男女、年齢等様々な背景を持った優秀な人材を如何に確保するかを 考える必要があり、またその人材の接点となる場を提供することが重要であるといえる。その意味では 2名からも直接語られていたように、学生が集えるラウンジの充実はビジネススクールにおける有意義 な学びにおいて必須の条件となることが示されたといえる。
また、仕事に従事しながら学ぶ企業人が多い夜間のビジネススクールに比べて、全日制のビジネスス クールは留学生等様々なバックグランドを抱えた人材が集まることから、多様性が高いと考えられる。
こうしたカリキュラム以外の要素も多様なニーズに応えるビジネススクールにおいて、他の MBA や研 修との差別化を図る要素になっていることを改めて再確認することができる。
5.8 プロジェクト研究(修士論文)の意義理解と動機づけ
MBA 教育の中心は経営知識の獲得であり、意思決定の仮想体験であるケーススタディと考えられる ことが多く、「MBA なのになぜ修士論文を書かなければいけないのだろう」といった疑問を抱く学生 もいると思われる。しかし今回の研究において、自らが関心を持って自立して行う修士論文(プロジェ クト研究)によって、主体的にリサーチメソッドを学び、専門知識を深めることができ、学内外の人々 との交流が促進されることが示された。さらにそうした研究が卒業後に活用できる経営知識の源泉とな
り、その後の人脈につながることが示された。したがって、本モデルは、MBA 学生がプロジェクト研 究(修士論文)に積極的に取り組むためのモチベーションの向上に活用できる可能性もある。またそう した意義を実現すべく意識的に修論に取り組むことも可能になるだろう。
5.9 本モデルの限界と活用の際の留意点
本研究で示されたモデルは、方法部分に明示的に示された構造化に至るまでの諸条件を踏まえて得ら れた知見である。そのため、2005年〜2007年年度に WBS 修了した学生を対象としており、その中でも 全日制2年制・日本人・自費の方であった。早稲田大学には夜間 MBA のようなパートタイムの MBA もある。また全日制 MBA の半数は海外からの留学生であり、主として英語の授業で学んでいる。さら に今回の対象は自費で学んだ方を対象としていたが WBS は企業派遣者も多い。したがって読み手の立 ち位置によっては、本モデルをどの程度視点として適用できるかは異なってくる。
たとえば、MBA ホルダーはビジネススクールにおいて「建設的な解放感や自由感」を経験している ことが示された。そうした自由な雰囲気が自己のキャリアに対して立ち止まって考える機会を提供した り、新たなチャレンジへのきっかけになっていると考えられる。このような経験は基本的に仕事を一時 中断して入学する学生が多く、比較的に時間の余裕がある全日制の MBA 学生特有の経験である可能性 が高い。それと比較すれば、おそらく夜間主で企業に勤めながら通っている人はこうした自由感はあま りみられないと考えられる。
また企業派遣で来ている学生は会社からの指示のもとで派遣されている人もいるため、自主的な動機 の少なさや業務を重視することによる自由度の少なさも考えられ、1年制の学生であればさらに過密な スケジュールであるため、ある程度自らの専門にフォーカスした学習が求められ、ゆとりの部分が少な くなっていくと類推することもできる。
このように本モデルは、本研究が対象としたかつての WBS における MBA ホルダーの経験に基づく ものであるため、それを勘案した上で、読み手自身が本モデルを自分の状況に当てはまる箇所を見極め ながら視点として活用する必要がある。
5.10 今後の課題
今回の研究は、MBA での体験が当人のキャリアとしてステップアップの成功につながり、ビジネス・
スクールに行って良かったと確信している MBA ホルダーに限定したものであった。それは期待に応じ た学びができたことや、それがその後のキャリアに活かせているということでもある。しかし今回のリ サーチクエスチョンからは外れるためモデルには組み込まなかったが、対象者の2名とも、一部の企業 派遣の中には MBA で学んだことを活かそうとしないだけでなく、MBA で育んだ高い意識や理論と いった “ 垢を落とす ” ためにわざと単純作業に従事させるところもあると聞くため、MBA で学んだこ とを活かせない環境に行った人は不満が高いと思う、といった共通した語りがみられた。今後 MBA 課 程に不満を持っている人、あるいは MBA に行った意味がないと考えている MBA ホルダーを対象とし て、その経験を構造化できれば、そこから逆照射することで、不満足の修了生を減らす対策につなげて
いける可能性がある。
また今回の研究の対象外ではあったが、同じ WBS 内においても、夜間主の学生や留学生の経験は全 日制の学生の経験とは大きく異なる可能性がある。したがって今後、留学生や夜間主学生に関する研究 を行っていく必要があるだろう。
謝辞
本研究の協力者ならびに、論文をまとめるにあたり助言をくださった皆様に心より感謝申し上げます。
注記:
1 本研究は2009年秋学期の WBS における「質的研究方法」の成果をもとに洗練を重ね、論文にしたものである。
その後、第一著者が東日本大震災の支援プロジェクトに従事することで保留となっていたが、SCQRM を用いた 視点提示型研究のモデルとしても役立つ可能性があると考えたため、第一著者があらためて質的研究に関する方 法論上の問題や、科学性に関して散見される典型的な批判を解消する理路を加筆したものである。
2 正式名称は「早稲田大学大学院商学研究科・専門職学位課程ビジネス専攻」。なお WBS は2012年度から、グロー バル・ビジネスリーダーを養成する「全日制グローバル」、ジェネラルマネジメントを志向する「夜間主総合」
や「1年制総合」、専門領域別のモジュールごとに学びを深める「夜間主プロフェッショナル」といった新プロ グラムをスタートさせている。
3 この意味では、本研究は西條(2011b)の研究の公共性評価法の有効性を示す実践モデルとしても位置づけられる。
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