著者 岡田 健吾, 永野 智子
雑誌名 同志社大学歴史資料館館報
号 14
ページ 13‑21
発行年 2011‑10‑30
権利 同志社大学歴史資料館
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000012837
はじめに
同志社大学臨光館は、現在同大学の新町キャンパスの南端部(京都市上京区近衛殿表町)に位置し、
同館の建て替えに伴って2004年に発掘調査が行われている。調査地は近衛家の別邸(「桜の御所」)跡 といわれる地にあたり(図1)、調査の概要は、同志社大学歴史資料館2005『同志社大学校内遺跡発掘 調査報告書(2004年度)』として既にまとめられている。
近衛家は五摂家の一つであり、政治的・文化的に重要な人物を何人も輩出している。その別邸「近 衛殿」は、歴博甲本や上杉本「洛中洛外図」にも描かれており、遅くとも戦国時代には当該地に存在し たことが知られる。近世には、庭に植えられた糸桜が優れていたことから「桜御所」と呼ばれた(渡辺 2005)。
今回報告を行うのは、同調査で出土した資料でありながら、報告書には未掲載であった墨書土器と 石造物の残欠である。いずれも、近衛家跡や近隣の歴史を考える上で貴重な資料と考えられるため、
ここで改めて資料紹介として取り上げるものである。
(岡田・永野)
1.臨光館地点出土の墨書土師器皿
(図2、写真図版1)ここでは、墨書がある土師器皿を6点紹介する。以下、文中の数字は図2及び写真図版1の番号に 対応する。
1は、7トレンチの第3層下部から出土したものである。口径は11.0㎝、器高は1.75㎝を測る。口 縁部をヨコナデしている。また、底部内面には圏線状に凹線が巡る。年代は、16世紀前葉に比定でき よう。墨書は土器の底部外面にあり、「雄□」と判読できる。2文字目は「方」のように見えるが、「雄」
とのバランスなどを考えると欠損部分に偏が付く可能性が高く、おそらく別の文字になると考えられ る。
2は、6トレンチの土坑489から出土したものである。口径は8.4㎝、器高は1.85㎝である。口縁部 はヨコナデによって少し外反している。底部内面には定方向にナデが施されている。16世紀の前半に 収まるものであろう。墨書は土器の底部外面に「八幡□」と書かれている。3文字目は判読が難しいが、
左側はさんずい偏と思われる。また、薄く書かれた文字の上にもう一度なぞるように書かれており、
おそらく二度書きしたものと思われる。
3は、7トレンチの第3層下部から出土したものである。口径は11.2㎝、器高は1.85㎝である。口 縁部はヨコナデされており、外反している。16世紀中葉の年代が与えられる。墨書は土器の底部外面 にあり、欠損部分が大きく全体はわからないが、「十六」の2文字が判読できる。文字の位置から、全 体では2行に渡って10文字程度の墨書があったものと思われる。
臨光館地点出土の墨書土器と石造物
岡田健吾・永野智子
図1 調査地位置図およびトレンチ配置図(上:S=1/5000、下:S=1/1000、報告書より典載)
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0 1:4 20 ㎝
図2 墨書土師器皿実測図(S=1/ 4)
4は、同じく7トレンチの第3層下部から出土したものである。口径は11.2㎝、器高は1.85㎝を測る。
口縁部はヨコナデが施されており、外反する。年代は16世紀中葉であろう。墨書は土器の底部外面に、
「佛」と書かれている。
5は、9トレンチの土坑916から出土した。口径は10.1㎝、器高は1.8㎝を測る。口縁部はヨコナデ によりやや外反する。底部内面には圏線状に凹線が巡る。16世紀中葉に属するものであると思われる。
墨書は土器の底部外面に書かれており、「佛」と読める。4に比して崩れた字体となっている。欠損部 分が大きいが、おそらくこの1文字だけが書かれたものと思われる。
6は、4トレンチの土坑305最下層から出土したものである。口径は13.8㎝に復元でき、器高は1.75
㎝を測る。口縁部にはヨコナデが施される。底部内面には圏線状に凹線が巡り、また定方向にナデが 施されている。時期は16世紀中葉に比定できる。墨書は土器の底部外面に書かれており、「二」と判読 できる。
なお、報告書において、土坑305から出土した墨書土師器皿が他に2点報告されている。それらに は、それぞれ「八才 首 大 也 □(師か)」と「一」という墨書がある。あわせて参照されたい。土坑305
は調査区の西端近くで検出された遺構であり、報告書の記載によれば、東西4.2m、南北2.2m、深さ2.4 mの規模を測る亜方形の土坑である。水が滞留した痕跡があることから、井戸のような機能を有して いた可能性があるとされている。出土遺物には、土師器皿や輸入陶磁器、国産陶器などがあり、それ らの年代は15世紀後半から16世紀前半であるとされている。これは6の墨書土器の年代と矛盾するも のではない。
墨書土師器皿は以上6点である。出土した地点はそれぞれ違うが、いずれも16世紀前葉~中葉の年 代観が与えられる。以下に、これらの墨書土師器皿に書かれた文字と近衛家との関係を少し考えてみ たい。
この時代の近衛家は、政家(1444-1505)や尚通(1472-1544)が当主を務めた時期に当たる。また、
応仁の乱後の近衛邸の変遷については、高群逸枝氏(高群1985)が既に詳しくまとめられている。そ れによれば、15世紀末以降、後に「桜御所」となる政家が居住した邸宅と、尚通の邸宅が並存してい たようである。これらの邸宅の南側には日蓮宗の本満寺が存在した。この寺院は、応永17年(1410)
に近衛道嗣の長子日秀が開基したのに始まり、尚通によって天文8年(1539)に移建されるまでこの 地に存続した。高群氏は、本満寺が当時の近衛家の事実上の菩提寺であったと指摘する。ところで、
政家が日蓮宗を信仰していたことは、中尾堯氏の研究に詳しい(中尾1980)。それによると、政家は 本満寺において度々の仏事や法要を催しているという。また、尚通の日記『後法成寺関白記』にも本 満寺に出入りしていることが散見される。
ここで墨書土師器皿の文字に立ち返ると、4と5に書かれている「佛」という文字が注目される。
上に記したような状況を鑑みれば、この文字は、当時の近衛家における信仰の一端を表していると考 えられる。また、2に書かれている「八幡□」も注意を引く。先の中尾氏の研究によれば、政家は本 満寺において、「番神」に度々参詣しているという。これは「三十番神」のことであり、日蓮宗にとり入 れられた神仏習合的信仰である。八幡神もこの中に含まれている。先の墨書が、この「番神」に直接 結びつくとするのは無理があるかもしれない。しかしながら、この頃に神仏習合の思想が存在してお り、墨書がそのような信仰の表れである可能性は十分に指摘できるだろう。
以上のように、今回紹介した墨書土器は、点数こそ少ないものの、16世紀の近衛殿の性格を考える 上で示唆を与えてくれる資料であるといえるだろう。
2.臨光館地点出土の石造物
(図3・4、写真図版2)1~3は五輪塔の火輪である。1はトレンチ10の石組22に転用されていたものである。2はトレン チ5の土坑166から、3は第3層の機械掘削中に出土したものである。いずれも室町時代後期のもの とみられ、幅約20㎝程度とほぼ同サイズである。3は1・2に比べ軒反りが強く、1・2は軒下が膨 らみをもつのに対し、平坦に削り出しており、やや丁寧な造りをなす。
4・5は五輪塔の水輪である。4はトレンチ7の土坑809下層から出土した。やや上位に最大径を もち、上部および下部は不整形に凹ませている。室町時代のものと思われる。5はトレンチ5の土坑 279から正位置に据えられたような状態で出土した。最大径は中位にあり、正面には大日如来三身真
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図3 石造物実測図1(S=1/ 6)
言の種子「ビ」が小 さく刻まれている。
鎌倉時代後期~南北 朝時代のものとみら れる。
6・7は花崗岩製 の 一 石 五 輪 塔 で あ る。いずれも銘文や 種子などはなく、地 輪下部は欠損してい る。6はトレンチ4 の石組4に転用され ていたものである。
空風輪はややまるみ をおび、火輪の軒はゆるやかに反り上がる。水輪は寸胴形を呈する。7は、トレンチ7の第2層から 出土した。6よりやや小型で、全体的に上下に押しつぶされたような形状をなす。火輪の軒は上部に 強く反り上がる。室町時代後期のものであろう。
8は灯籠の基礎である。トレンチ3の第3層から出土した。六角形の灯籠とみられ、各面に1枚の 反花を配し、小花を有する。反花はやや角ばった形状をなす。側面には薄い沈線が各面2条刻まれて いる。下部もやはり六角形に造り出している。花崗岩製。室町時代の所産であろう。
9・10は灯籠の火袋。いずれもトレンチ7の井戸23から出土したもので、上端を欠損している。9 は正面に輪郭をとって火口を設け、右側面には×文を刻み、左側面および右背面にはそれぞれ異なる 花状の文様を陽刻している。左背面には縦格子を表わしている。花崗岩製。10は、大型の灯籠火袋で あるが、大きく打ちかかれており、格子文を刻む1面と火口の一部を残すのみである。文様は精緻に 刻まれており、鎌倉時代後期~南北朝期に位置づけられるものと考えられる。
11は宝塔の笠である。花崗岩製。部材の2/3はトレンチ4の石組9の側石に転用され、残る4/
1は同トレンチ土坑243の南壁に転用されていた。幅48.0㎝、高さ27.0㎝と大型で、軒はゆるやかに反 り上がり、鎌倉時代後期に位置づけられるものと思われる。露盤の側面は素面である。下部には軸部 に据えるための半球形の大きな柄穴を有し、上部にも相輪を受ける半球形の柄穴が設けられている。
12は茶臼の上臼で、斑レイ岩製とみられる。トレンチ7の井戸21に転用されていた。台座は菱形で、
繰形状の断面形をなす。臼面は八分角をなし、目は細かい。下部のふくみはなく、平坦に仕上げてい る。室町時代の所産と考えられる。
13は茶臼の下臼である。上部は欠損している。トレンチ4の石組2に転用されていたものである。
花崗岩製。臼面は八分角をなすが12より目が粗い。
14も茶臼の上臼とみられる。トレンチ7の井戸23から出土した。高さは10.7㎝と低く、扁平な形状
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0 1:6 20㎝
…
□祐 法藤 十八 遍川
□□ …
日九 廿月 七□ 九□
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図4 石造物実測図2(S=1/ 6)
をなす。臼面は六分角になるものと思われる。下部のふくみはなく、平坦に仕上げている。
15は題目塔の塔身で、高さ39.5㎝を測る。下部には柄穴があり、本来は基礎および笠・宝珠を有す る形状であったと考えられる。トレンチ10の石組22の裏込めから出土したものであるが、転用した際 に上部および下部が打ちかかれている。正面および背面は、輪郭をとって「南無妙法蓮華経」の題目 を刻み、下部には開蓮華を陽刻している。左面には輪郭内に「…□□川遍八十藤法祐□」というよう な銘文が刻まれるが、風化および欠損によって上部および下部は判読できない。銘文の内容から願主 名が刻まれていたと考えられるが、詳細は不明である。右面は輪郭をとらず、「…□□九□七月廿九日」
の銘が認められる。上部には年号が刻まれていたと考えられるが判読できないため、造立年代を特定 できないが、妙覚寺墓地などに残る遺品などからみて、室町時代後期に位置づけられるものと思われ る。石組22からは17世紀中ごろから後半の遺物が出土したと報告されているので、江戸時代前期に石 組が構築される際に、題目塔としての役割を終え、石材として転用されたものとみられる。
以上、臨光館地点の調査で出土した主要な石造物をみてきた。これらはいずれも残欠であり、本来 の機能を終えた後、細分化されて転用されたものであるけれども、京都の石造物と石材の利用を考え る上ではひじょうに興味深い資料である。
なかでも鎌倉時代後期に位置づけられる宝塔の笠(11)や、五輪塔の水輪(5)、灯籠の火袋(10)の 存在は、京都に現存する石造物の中でも希少なものであり、注目に値する。京都市内に残る鎌倉時代 の組み合わせ式宝塔としては、長楽寺宝塔、今熊野宝塔、六波羅蜜寺宝塔など数えるほどしかない。
五輪塔や灯籠についても同様で、現在地を留めていると考えられるものとなるとわずかしか現存しな い。現在、京都市内、とりわけ洛中に現存する石造物は、都市特有の度重なる戦乱や火災などによる 建て替えや造成、移転などによって元々造立された地から動いているものが大半である。臨光館地点 という限られた範囲でこうした古い石造物が数点出土したことは、現存する石造物が極く限られたも のでしかないという評価を改めて考えさせられるものである。
また、これらの石造物の大半は井戸や石組遺構の側石として転用された状態で出土したことも興味 深い。方形に近い形状に加工でき、面をもち据えることができる石造物は、江戸時代になると本来の 役目を終えて、貴重な石材として井戸枠や石室、礎石などに転用された。それが、都市における石材 確保の手っ取り早い方法であった。一方、五輪塔の空風輪や、水輪などの曲面をもつ石材は、据える という目的の上では活用されにくかったようで、溝や土坑に破棄される傾向が認められる。
今回報告を行った臨光館地点で出土した石造物は、大半がその地に近衛家の桜御所が存在した時期 に位置づけられるものであるけれども、それ以前のものもあり、これらのすべてが元々、近衛家邸で 使用されていたものなのか、江戸時代になって石材を確保するために他所から運ばれてきたものであ るかは明らかにできない。しかしながら、墓石ではない灯籠や宝塔は、寺社や貴族の邸宅などに建て られていた可能性が高く、また茶臼などがまとまって出土している状況を鑑みても、近衛家邸との関 係を想起させるものである。さらに、室町時代後期のものと思われる題目塔の存在は、日蓮宗とのつ ながりを窺うことができ、上述の墨書土器とあわせて近衛家の信仰を示す資料として評価できるもの
と考える。 (永野)
おわりに
以上、臨光館地点で出土した墨書土器と石造物を紹介した。これらは、断片的な資料ではあるけれ ども近衛家との関連を窺うことのできるものである。今後、周辺の調査や関連する資料の出土などに よって、これらの資料の評価がさらに深められることが期待される。
末筆ながら、墨書土器の判読に関して、第39回古代史サマーセミナー参加者の皆様に御教示をいた
だきました。記して感謝いたします。 (岡田・永野)
参考文献
高群逸枝1985「近衛政家」『平安鎌倉室町家族の研究』国書刊行会
同志社大学歴史資料館編2005『同志社大学校内遺跡発掘調査報告書(2004年度)』
渡辺悦子2005「「御霊殿」―室町・戦国期近衛家の邸宅と女性たち」『同志社大学歴史資料館館報』第9号 中尾尭1980「近世政家の日蓮宗信仰」『日本中世の政治と文化』吉川弘文館
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写真図版1 墨書土師器皿
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