https://iidrill.com 解説
★★★ (1)
★★★★ (2) バルカン半島は、列強の利害と民族、宗教の対立から紛争が絶えず、(Cヨーロッパの火薬庫)と呼ばれていた。
★★★★★ (3) 1914年,(Dオーストリアの皇太子夫妻がセルビア人の青年に暗殺され)、第一次世界大戦が始まった。
★★★ (4)
★★★★ (5) 第一次世界大戦中は1914年~1918年までの間のできごとを選ぶ。ア1875年、イ1915年、ウ1895年、エ1911年
★★★ (6)
★★★ (7) 1922年に成立した「ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)」は、1991年(平成3年)まで続いた。
★★★ (8)
★★★★ (9)
★★★★ (10)
解説
★★★ (1)
★★ (2) ドイツのワイマールで開かれた国民会議で制定されたことから、ワイマール憲法となった。
★★★ (3)
★★★ (4)
★★★ (5)
1918年,ドイツが降伏して第一次世界大戦が終わり,翌年パリ講和会議が開催され,(Aベルサイユ条約)が結ば れた。
二十一か条の要求には、ドイツが持つ山東省の権益の継承、旅順・大連の租借期間の延長をはじめとする、満州 での権益の拡大などをもりこんだ。
五・四運動をきっかけに、孫文は中国国民党を結成し、1921年に結成された中国共産党と協力して、民族の自立 と国家の統一をめざす運動をくり広げた。
三・一独立運動に対し、朝鮮総督府は、武力でこれを鎮圧する一方、政治的な権利を一部認めるなどの統治の 方針を示した。
ドイツ,オーストリア,イタリアの(A三国同盟)と,これを包囲するイギリス,フランス,ロシアの(B三国協商)との 二つの陣営に分かれた。日本は協商側に加わった。
1917年にロシア革命がおこった。ソビエトとは、ロシア語で「会議」という意味で、ソビエトは、工場や軍隊にも設 けられた。
ロシア革命をおそれた列強は、シベリア出兵を行い、干渉戦争を行ったが、革命政府(労働者と農民からなる軍 隊)は国内対立をおさめ、干渉戦争にも勝利し、ソ連が成立した。
共産党の政権は、土地や工場など生産手段を国有化、すべての経済活動の国家統制、そして平等な分配をかか げた。
スターリンの五か年計画によって、世界恐慌で苦しんだ資本主義の諸国とは対照的に、ソ連は順調に経済成長 を達成した。しかし、形式的な面ばかりが重視されるようにないr、非効率的になっていった。
日本は1902年の日英同盟によって連合国側に参戦し、1917年にアメリカも連合国側に加わるなど、戦争は世界 中を巻きこんだ。
1
目標時間
30
分★・・・簡単 ★★・・・少し簡単 ★★★・・・標準 ★★★★・・・少し難しい ★★★★★・・・難しい ★★★★★★・・・かなり難しい
1節 第一次世界世界大戦と日本(解答)
第5章 二度の世界大戦と日本
(9) (11)
エ
(10)
ワシントン イ
(12)
ガンディー
(4)
ワイマール憲法 二十一か条の要求 五・四運動
(5) (6) (7) (8)
三・一独立運動 ウィルソン 国際連盟 ジュネーブ
(1)
ベルサイユ条約
(2) (3)
2
(5)
共産党
人物 計画
スターリン 五か年計画
ロシア革命
(7) (8)
ソビエト社会主義共和国連邦 シベリア出兵
(9)
(3)
オーストリアの皇太子夫妻がセルビア人の青年に暗殺され
(4)
日英同盟
(10)
イ
(6)
(1)
A B
三国同盟 三国協商
(2)
ヨーロッパの火薬庫
https://iidrill.com
★★★ (7)
★★★★ (8) 国際連盟はジュネーブ(スイス)に本部を置いた。
★★★★ (9) 常任理事国には、イギリス、フランス、イタリア、日本がつき、アメリカは国内の反対で加盟できなかった。
★★★ (10) このころ、アメリカ、イギリス、フランス、日本の間の四か国条約により、日英同盟は解消された。
★★★★★ (11)
★★ (12) 非暴力・不服従を唱える(Iガンディー)の指導により,完全な自治を求める運動が高まった。
解説
★★★★ (1) 第一次護憲運動によって、桂内閣は退陣した。
★★★★ (2)
★★★ (3) 米騒動は富山県の魚津町で始まった。
★★★ (4)
★★★ (5)
★★★ (6) 青鞜者は、女性差別から解放を目指す、女性だけで構成された文学団体だった。
★★★ (7)
★★★★ (8)
★★★ (9) 普通選挙法と同時に「治安維持法」が成立し、共産主義に対する取り締まりが強められた。
★★★★ (10) 第一次世界大戦によって、重化学工業が発展し、工業国としての基礎が築かれた。
★★★★ (11) アは第二次世界大戦中(昭和時代)、イは明治維新、ウは大正時代、エは戦争後の説明である。
★★★★ (12) ア1872年(明治時代)、イ1953年(昭和時代)、ウ大正時代、エは江戸時代の化政文化の内容。
ア 幸徳秋水(日露戦争前に開戦を反対した社会主義者) イ 吉野作造(答え) ウ 中江兆民(岩倉使節 団とともにフランスに留学し、東洋のルソーと呼ばれた。) エ 吉田松陰(長州藩士で、幕府の対外政策を批判したこと で、安政の大獄により、江戸で処刑された。)
原敬は、それまでの首相とちがい、華族ではなかったことから、「平民宰相」と呼ばれて国民から人気があり、19 19年に選挙法を改正し、選挙権を持つのに必要な納税額を10円以上から3円以上に引き下げた。
調のための(G国際連盟)が誕生した。
アは1875年のロシアとの樺太・千島交換条約、イは1921年のワシントン会議、ウは1915年の二十一か条の要求、
エは1933年のリットン調査団によって、国際連盟の総会からの勧告の説明である。
1912年に、労働者の地位を向上をめざして友愛会が結成され、1920年には日本で最初のメーデーを主催した。
1921年には、日本労働総同盟と改称し、労働者の団結と労働条件の改善を求めた。農村でも1922年に日本農民組合が 結成され、農民運動を指導した。
北海道でも差別に苦しむアイヌ民族の解放運動もおこり、1930年には北海道アイヌ協会を結成して、アイヌ民族の 日本社会への同化をめざす政策に反対した。
1925年の加藤内閣による、普通選挙法によって、納税額による制限を廃止し、満25歳以上の男子に選挙権をあた える普通選挙法を成立させた。これによって、有権者は4倍に増加した。
3 記号
イ
(11) (12)
(9)
治安維持法
(10)
第一次世界大戦がおこり、輸出額や工業生産額が増加し、好景
気になった。 ウ ウ
原敬 政党内閣 労働争議 小作争議
(6)
平塚らいてう(らいちょう)
(7)
全国水平社
(8)
満25歳以上の男子にあたえられた
(4) (5)
C D E F
(1)
第一次護憲運動
(3)
A B
シベリア出兵 米騒動
語句 民本主義
(2)
【大正時代の文化と生活について】
カテゴリー 内容など
教育 ・中等、高等教育の普及
・大学や専門学校の増加 大衆文化
・活字文化(新聞、週刊誌、雑誌、岩波文庫など)
・トーキー(有声映画)、蓄音機、レコードの普及
・1925年にラジオ放送開始 文学
・志賀直哉(白樺派)
・谷崎潤一郎や芥川龍之介
・小林多喜二(プロレタリア文学)
美術 安井宗太郎、梅原龍三郎
音楽 山田耕筰、宮城道夫など
都市の生活
・ガス、水道、電気などの普及
・ライスカレー、トンカツ、コロッケなどの洋食
・洋装の広がり
https://iidrill.com 解説
★★ (1)
★★★★ (2)
★★★ (3)
★★ (4)
★★★★ (5)
★★★ (6) ムッソリーニ率いるファシスト党が、1922年に政権を握り、独裁を行った。また、1936年にエチオピアを併合した。
★★★ (7)
★★ (8) ナチスはドイツ民族の優秀さを強調する宣伝を行い、ユダヤ人を迫害し、共産主義者や自由主義者を攻撃した。
★★★ (9)
★★★★ (10)
アは答え、イは1973年の第四次中東戦争をきっかけにおこった、ウは開国直後の貨幣改鋳の説明、エの秩父事 件は1882年から1886年にかけてのできごとである。
世界恐慌の対策として、アメリアでは、ルーズベルト大統領のもとニューディール政策(新規まき直し)という政策 をとった。これにより、国内の結束が強まり、少しずつ国民の購買意欲が上向き、デモクラシーへの信頼も回復に向かっ た。
イギリスとフランスのブロック経済に対して、植民地の少ないイタリア、ドイツ、日本などは、反発しながらも、それ ぞれの対策を探っていった。
好況から不況へと急激に変わる恐慌は、周期的におこるといわれている。この世界恐慌によって、それぞれ自国 第一の政策を追求したので、国際協調の体制は大きくゆらいだ。
ソ連は、以前から「五か年計画」を推進していたので、世界恐慌の影響を受けることなく、成長をとげ、アメリカに 次ぐ工業国となった。
ヒトラー率いるナチスは、支持を集め、世界恐慌の混乱に応じて、19
33年に政権をにぎった。民主主義を無視し、ほかの政党を解散させ、独裁を行った。また、国際連盟から脱退し、国際世 論を無視して軍備を増強し、東方に領土を拡大させた。公共事業と軍需産業によって、ドイツは軍事大国となった。
民主主義や自由主義を否定する全体主義の体制を「ファシズム」といい、1930年代には、イタリア、ドイツ以外に も各地で勢力をのばした。
1923年の関東大震災で経済に大きな打撃を受け、その後の混乱から。1927年に取り付けさわぎがおき、多くの
銀行が休業、倒産する金融恐慌に見舞われた。さらに、生糸の最大の輸出先であるアメリカで1929年に始まった世界恐 慌によって、日本の経済も大きな打撃を受け、深刻な不況におそわれた。
(2)
(9)
ファシズム
(10)
関東大震災
(7)
F G
ヒトラー (国民社会主義ドイツ労働者党)ナチス
(8)
ユダヤ人
(4)
ブロック経済
(5)
(例1)ソ連は社会主義の経済だったから。
(例2)ソ連は計画経済を行っていたから。
(6)
ムッソリーニ
(1)
世界恐慌 ア
(3)
B C
ルーズベルト ニューディール政策
目標時間
30
分★・・・簡単 ★★・・・少し簡単 ★★★・・・標準 ★★★★・・・少し難しい ★★★★★・・・難しい ★★★★★★・・・かなり難しい
2節 世界恐慌と日本の中国侵略(解答)
第5章 二度の世界大戦と日本
1
https://iidrill.com 解説
★★★★ (1) 1927年,(A蒋(蔣)介石 )の率いる中国国民党が、南京に国民政府を樹立して、翌年には中国をほぼ統一した。
★★ (2)
★★★★ (3) 関東軍は、1932年3月、清の最後の皇帝溥儀を元首とする満州国の建国を宣言し、実質的に支配した。
★★★ (4)
★★★ (5) 軍需と政府の保護によって重化学工業が大きく発展し、軽工業の生産を上回った。
★★★ (6)
★★★★ (7)
★★★★ (8)
★★★ (9)
★★★★ (10)
★★★ (11)
★★★★ (12)
★★★★ (13)
★★★ (14)
1938年に近衛文麿内閣が国家総動員法を公布し、国の産業や経済から、国民の生活のすべてにわたって、戦争に動 員できる権限をもった。
1940年に近衛が「挙国一致」の体制をつくる運動を始め、ほとんどの政党や団体は解散し、国民を戦争に動員する機関 として新たに大政翼賛会が結成され合流した。
朝鮮では(皇民化)の名のもとに、日本語の使用や姓名のあらわし方を日本式に改めさせる創始改名が推し進められ、
労働力として動員したり、志願兵制度を実施するなど、戦争に動員した。
南京事件は、南京大虐殺として国際的に非難されたが、日本の国民には知らされず、戦後の極東国際軍事裁判で明ら かにされた。
日本の軍部(関東軍)は、1931年9月18日、奉天郊外の柳条湖で満鉄の線路を爆破し、それを機に軍事行動を開 始した(満州事変)。
満州国の承認に対する反対の態度をとっていた犬養毅は、1932年5月15日、海軍の将校によって暗殺された(五
・一五事件)、後継の斎藤実(さいとうまこと)内閣は満州国を承認した。
1936年2月26日,陸軍の将校が,軍事政権をつくり政治改革を実現しようとして,首相検定や警視庁などを襲撃をしたが 失敗に終わった。これを(D二・二六事件)という。以後,軍部は政治的発言を強め,軍備拡張をいっそう進めていった。
日本が満州国を承認したことに対し、国際連盟のリットン調査団を派遣して、調査を行い、1933年に総会で満州国を認め ず、日本軍の満鉄沿線への撤廃を求める勧告を採択した。これに反発しした日本は国際連盟を脱退した。
1937年7月7日北京郊外の盧溝橋付近で起こった日中両国軍の武力衝突(盧溝橋事件)をきっかけに、日中戦争がおこ った。
このころ,中国では国民党と共産党の内戦が続いていたが,日本の侵入に対する抗日運動が広がる中,共産党の指導 者であった(F毛沢東)が協力を呼びかけ,国民党もこれに応じ,1937年に協力体制が実現し、抗日民族統一戦線が結成 された。
(7)
記号 エ
蒋(蔣)介石 満州事変 溥儀 犬養毅 五・一五事件
イ
(8)
下線部③ E
盧溝橋事件 日中戦争
(9)
毛沢東
(10)
抗日民族統一戦線
(5)
ア イ
軽 重化学
(11)
南京事件
(13)
大政翼賛会
(14)
皇民化
法律名 国家総動員法
(12)
(6)
二・二六事件
溥儀
https://iidrill.com 解説
★★★★★ (1)
★★ (2)
★★★ (3) 1940年9月、ドイツ、イタリアは、日本と日独伊三国同盟を結び、結束を強化した。
★★★★ (4) 協力拒否や、武力などによる抵抗運動をレジスタンスという。
★★★★ (5) 日本指導のもと、欧米の植民地支配を打破し、アジアの民族だけで繁栄しようという主張を「大東亜共栄圏」という。
★★★★ (6)
★★★★ (7)
★★★ (8)
★★ (9) 1941年,日本軍はハワイの真珠湾を攻撃するとともに,マレー半島に上陸し,(E太平洋戦争)が始まった。
★★★★ (10)
解説
★★★★ (1)
★★★★ (2) 戦時中の都市の小学生は、空襲が激しくなると、農村に集団で避難した。このことを(集団)疎開という。
★★ (3) 1945年7月,アメリカ,イギリス,ソ連による連合国は(Bポツダム宣言)を発表し,日本に無条件降伏を求めた。
★★★ (4)
★★★ (5)
★★★★ (6) 日本が降伏することを昭和天皇がラジオで国民に知らせた放送を「玉音放送」という。
オーストリア,次いでチェコスロバキア西部を併合したドイツは,それまで対立していた(Aソ連と独ソ不可侵条約を結ん で、ポーランドに侵攻した。)
第二次世界大戦は、ファシズムの枢軸国(ドイツ、イタリア、日本など)と反ファシズムの連合国(アメリカ、イギリス、ロシ ア、中国など)の戦いという構図が明らかになった。
日本はポツダム宣言をすぐに受け入れなかったため,アメリカは(D原子爆弾)を8月6日に(E広島),8月9日には(F長 崎)に投下した。
1941年に北方の確保を目的とした(D日ソ中立条約)を結んだが、1945年の8月8日にソ連はこれを破り、満州や朝鮮に 侵攻してきた。
ABCD包囲陣を打ち破るためには早期に開戦するしかないという強硬論が高まり、東条英機内閣は、アメリカとの戦争を 最終決定した。
アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相によって、1941年8月にファシズムに対決する決意と戦後の 平和構想を示したものを「大西洋憲章」という。
戦争が長期化するにつれ,それまで徴兵を猶予されていた文科系の大学生などが軍隊に召集される(A学徒出陣)も行 われた。
(8)
エ
(9)
太平洋戦争
(10)
大西洋憲章
(4) (5)
レジスタンス 大東亜共栄圏
(6) (7)
日ソ中立条約 ABCD包囲陣
(1)
ソ連と独ソ不可侵条約を結んで、ポーランドに侵攻した。
(2)
第二次世界大戦
(3)
日独伊三国同盟
(5)
E F
広島 長崎
原子爆弾
(6)
玉音放送 学徒出陣
(2) (3)
(集団)疎開 ポツダム宣言
(4)
(1)
目標時間
30
分★・・・簡単 ★★・・・少し簡単 ★★★・・・標準 ★★★★・・・少し難しい ★★★★★・・・難しい ★★★★★★・・・かなり難しい
3節 第二次世界大戦と日本(解答)
第5章 二度の世界大戦と日本
2 1