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指示と認識 : 隠喩表現からの一考察

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(1)

指示と認識 : 隠喩表現からの一考察

著者 岡 良和

雑誌名 主流

号 48

ページ 105‑120

発行年 1987‑02‑20

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014985

(2)

指示と認識

一 一 隠 聡 表 現 か ら の 一 考 察

岡 良

日 手

ギリシア時代から現在に至るまで言語を記号として見る立場が言語研究に おいで支配的である.この立場では,ある表現はある事物や概念を指示する ことが官白提とされており,隠聡表現は,周縁的な扱いを受けている.その理 由は,言語単位と指示物との関係が確立されている字義的な表現こそが正し い認識や判断を導くのであり,隠聡表現はことばの技巧により人の正しい認 識や判断の障害になるものであると考えられるからである.この考えに沿う

と,隠喰表現は字義的表現の代わりに用いられるに過ぎず,従って丈体の問 題として扱われてしまうことになる.本論の目的は,認識面において隠聡表 現が言語のもつ根元的機能を示しているという仮定のもとに従来の図式を反 転し,隠験表現から見た言語の姿を問い直してみることである.

隠験論については現在のところ三つの説が並存している.すなわち代置説 CSubstitution  Theory), 比 較 説 CComparison Theory), 相 互 作 用 説 Clnteraction Theory)である.代置説は隠除的に使われた語は別の字義通 りの語の代わりに使われたのだとする説であるたとえば,

( 1)  Man is  a tiger. 

といった丈で,隠験的に使われている atigerはfierc巴の代わりに使われて いるとこの説は主張する.

比較説は穏聡とは何らかの比較が含まれた表現であると考える従って

(3)

(1)は,

( 2 ) Man is  like a tiger 

C i

n being fierce) 

といった意味構造の上に成り立ったものであると考えられる.この説は隠聡 成立のための条件を述べている点で,代置説より一歩進んだものであるとい えるであろう. しかし比較説も代置説と同様に,隠聡表現と字義表現とが相 互に言い換えられると考えている以上,両表現の相異を説明していないので ある.

さてこれまで考察の対象としてきた代置説および比較説を記号論の立場か らみてみたい.この見地から隠聡ばかりでなく広く言語使用全般までを取り 扱った論考として, Langacker (1983)がある.それによれば言語使用の 際には標的構造 (targetstructure)と慣習的構造 (sanctioningstructure)  とがあり,それぞれが音声面,意味面とを備えている.標的構造は実際に発 せられた音と,実際に思考されている対象とが結びついており,慣習的構造 は社会的に認められた lan伊 tとしての音声と概念とが結びついたものであ る.そして各発話はこの再構造を基にして可能となる.たとえば

( 3 ) This is  a penci1. 

という発話がなされた場合, thisによって指示されている物体が[pens81]と いう音の連続と結びついて襟的構造を構成する.これが可能となるためには 言語使用者がどういうものが pencil"という範障に入り,またどういう音 の組み合わせと調音とが pencil"と呼ばれるものと結びつき得るかを熟知 していなければならない.従って言語記号と対象物との関係は次ページの図 3のようになる.

今考察したのは字義的な言語使用の場合で,言語記号とその指示物との間 には何ら矛盾 (conflict)はない.Langackerは次に比聡的表現一一隠聡的 表現よりその適用範囲が広いーーに視点をうっす.そして比験的表現にお

(4)

PENCIL  I  1 ‑ <

ご) ) 

p e n c i l   SANCTIONING 

STRUCTURE 

園田ー四ー静

p e n c i l '   TARGET  STRUCTURE 

いても字義的表現における言語使用と同様な説明がなされる.たとえば

(  4  ) Tom i s   a  t i g e r  

において

Tom

が指示物であるから標的構造であり,

t i g e r

が慣習的構造を構 成する.そして

Tom

t i g e r

の問にはどう猛さという共通点があるため,

言語記号

t i g e r "

が指示物

Tom

をさすという下図に示されるような説明が なされる.

TIGER 

t i g e r   SANCTIONING 

STRUCTURE 

ー一一一一歩

TOM' 

t i g e r '  

TARGET 

STRUCTURE 

すなわち彼の説明によれば,

( 3 )

において,対象物が言語記号

p e n c i l "

によって指示可能な条件を備えているため,その表現が成立するのと同様に,

隠町議表現の

( 4

)においても対象物

Tom

がどう猛だという点で,言語記号で ある

t i g e r

によって指示される条件が備わり,この隠験表現が成立するので ある.

さてここで今まで紹介してきた古典的な隠総理論である代置説および比較 説が,そのまま

L a n g a c k e r

の記号論的隠験論と合致していることは明らか であろう.

A r i s t o t l e

の隠町議の定義は,

r

異質の名調が類から種へ,種から類 へ,また種から種へ,あるいは類比によって移行すること」であるが,移行

(5)

される名詞が移行する名詞を指示する働きを有する点に記号論的視点を見い 出すこともできるのである.たとえば(1 ) Man is  a tigerという表現は,

Aristotle流にいえば,本来ある種の動物群を指すのに使われるtigerという 名調がmanに移行したのであるから,種から種への名詞の移行が行なわれ たことになり, Langackerに従えば, manがtigerとある共通属性を有して いるため,慣習的構造であるt1gerの指示範囲がmanにまで拡張されるとい

う風に説明されるのである

また類から種への転用としてAristotleは「ここにわたしの船が止まって いる」という例を出し,この丈の中の「止まっている」という語は,錨泊し ているという語の上位語として使用されていると述べている.この例は語の 指示範囲の縮小を示すものである.種から類への転用の例である「いやまっ たくオデュッセウスは,万と数えるりっぱな働きをなしとげた」においても,

「多数」という上位概念語の代わりに,

r

万」という下位概念語が使われた,

指示の拡張として捉えることができる.類比関係の例としてAristotleは「ア レスの盃j を出しているが6 これは「盾」の代わりに使われた表現であり,

記号論的に見ると指示範囲の拡張として捉えることができる.

記号論的見地から隠町訟を説明する際には指示項と被指示項の存在が前提と なるが,あらゆる型の隠聡表現についてこの前提が成立し得るのかを考えて みたい7

( 1 ) Man is  a tigerという丈のように被指示項,指示項共に名調の場合 もあるが,このような名調隠験 (nominalmetaphor)だけでなく,他の種 の隠聡表現もある.次のような例はどうであろうか.

( 5 ) Mrs. Gandhi steamed ahead. 

この述部隠聡 (predicativemetaphor)では,隠喰的に使われている steam ahead"が指示項であり,被指示項は progress"である.また隠磯表現の中

には次例のように表現全体が隠聡的なものもある.

(6)

( 6 )  A:  What kind of mood did you find the boss in?  B  The lion roared 

この

B

の表現において特徴的なことは, (1)のような名詞隠聡や(

)のよう な述部隠喰が,字義的な部分と隠聡的な部分を一つの表現内に備えているの に対し,この種の文隠聡 (sententialmetaphor)は,文全体が臨検的であり,

字義的部分を有していないという点である8

この丈隠喰においてはlionが指示項,被指示項はboss,またroarが指示項,

被指示項はcryoutであると考えられる.以上で伝統的な隠験理論は指示の r

面から見て記号論的に捉え直せることがわかった.

では,この記号論の立場からの隠聡理論は,妥当であるかどうかを問題と しよう.Man is  a tigerのようないわゆる慣習的な隠聡は man"と tiger"

との類似点も明瞭で、あるため,字義的表現である M

: a

nis  fierceに直しでも 認識的価値は失なわれない.従って tiger"のもつ外延が拡張したと考えて もよいが,次に挙げる詩的隠聡においては,類似点の不明瞭なことや,字義 的表現に直せないことが隠喰の記号性を否定しているように思われる

(7)  My Life had stood‑a Loaded Gun

In Cotners‑till a Day 

The Owner passed‑identified‑

And crriedMe away一(EmilyDickinson) 

( 7')  My life was one of unrealized but readily realizable potential (a  loaded gun) in mediocre surroundings (corners) until such time (a  day) when my destined lover (the  owner) came (passed), recog‑ nized my potential(identified), and took (carried) me away. 

更に代置説,比較説を含む記号論的隠聡論による類似の説明は修正を受け ねばならないと思われる.というのはたとえば(1 ) Man is  a tigerにおいて

(7)

110 

manとtigerは両者共に「どう猛である j という点で類似しているとするの は誤った考えであるからである tigerのどう猛さとは,獲物に飛びかかり,

肉を引き裂き,貧り食うという類のものであり,人間はこのような行為を行 なわない.つまり tigerのもつどう猛さを元々人間は有していないのである.

また

( 8 ) Time flies. 

という隠聡表現において timeと飛ぶ物体との間に元々類似はあったのだ ろうか timeそれ自体を感知することはできない.つまり timeを直接に経 験することはできない.この経験できないということは,何らそれ自体では 属性を備えていないということである.そうすると,飛ぶものとの類似を前 提とすること自体が不可能になる. しかし何ら属性のないtimeを飛ぶもの として捉え,飛ぶものの属性を timeに与えることによって理解,伝達を可 能にする機能をこの隠聡表現はもっているのである.

記号論的見地から代置説および比較説を考えてきたが,これらの説の不備 な点が明らかになってきたと思う.そこで我々は第三番目の説である相互作 用説を検討したい.この説は, I.  A. Richards, Max Black, M. C. Beard‑ sley等によって構想,発展させられたものであるが,紙数の都合上,三人 の説のうちで最も重要な位置をしめるMaxBlackの論考について検討を進 めでいきたい10 彼によれば隠輸とは意味の類似した語同士の置き換えで もなく,また直聡の短縮された表現でもなく,新しい認識や情報をもっ表現 なのである.この新しい認識や情報は,次の引用からもうかがえるように,

既存の類似の定式化によりもたらされるのではなく,当該の隠職表現以前に は存在すると考えられなかった類似が,生み出されることによりもたらされ るのである.

It  would be more illuminating . . . to say that the metaphor creates the 

(8)

similarity than to  say that it  formulates some similarity antecedently 

11 

eXlstlllg. 

この類似の創造は相互作用によってなされるのであるが,このことを ( 9 ) Man is  a wolf. 

を例文として Blackは説明している.隠喰表現は,二つの異なる主題 (subjects)一一一主主題 (principalsubject)  と副主題 (subsidiarysubject)  ーーで構成されており,この場合前者に当たるのがman,後者に当たるのが wolfであるが,これらの主題は単に物というより「常套連想体系 (thesys‑ tem of associated common places) 

J

と考えられる.そして副主題の特徴か ら成るこの体系を主主題にあてはめることで隠険は機能するのである.たと えばこの隠験においてはwolfのもつ「他の動物を餌食にする

H

凶暴である」

「貧欲である

J r

絶えず闘争している

J r

腐肉を食っている」等の諸属性が主 主題の属性を強調 (emphasize)し,抑制 (suppress)する.つまり組織化 (organize)する.また反対に副主題も主主題による影響を受ける.なぜな らこの隠聡においてmanと並置されたwolfは,人間的に見えるからである.

主主題の属性の強調・抑制=組織化について以下の例文により考えてみよ

っ .

( 1)  Man is  a tiger.  (10)  Man is  a chicken  ( 9 ) Man is  a wolf. 

これらの隠聡表現が意味することは「人間が生物であること

J

r

人聞が動物

であることjなどではないと思われる.ここで分かることは,副主題におい て比較的上位にある意味は,隠聡表現の対象とはならないということである.

(1)で強調される属性は「どう猛であること」であり, (10)で強調される「臆

(9)

病であること」という人間のもつ属性を抑制する.また(1)や(10)で強調さ れる属性は, tiger"や chicken"のもつ属性としては比較的下位にあるが,

fそもそもこれらの語を成立させている属性である.つまり隠憾表現を構成す る意味は,主主題を組織化する副主題=言語単位を成り立たせていて,他の 言語単位と対立させられる価値から生まれるのである。このことを(1)と ( 9 )を比較することにより考えてみよう. (9)が作られるための経験的事実 は,人間の残酷な面に関するものであろう.ただしこの wolf"の残酷さと いうのは, tiger"のもつ残酷さとは,ぴったりと一致しないものなのである.

人間の残酷さの類別は, tiger"や wolf"という言語単位があるためにでき ることで,いろいろな種類の残酷さが,これらの隠聡表現以前に与えられて いるということはないので、ある.つまり隠喰は既存の類似の上に成立するの ではなく,類似をつくり出すことによって,ある対象についての新しい視点 を我々に与えるのである.

で、は次に組織化について考えてみよう.ある言語単位には特徴的な意味素 と非特徴的な意味素とがある. wolf"の場合だと「どう猛であるj,

r

餌を むさぼり食う」などが特椴的な意味素であり,非特撒的な意味素としては,

「生物である j,

r

動物である j,

r

四足歩行する j などがある.これに対し man"のもつ特徴的な意味素としては「理'性を持っている j,

r

感情をもって いるj,

r

ことばをもっている

J

などが,また非特徴的な意味素としては「動 物である j,

r

晴乳類である」などが挙げられるであろう.言語単位は,その シンボル性が強い部分と弱い部分とを含んでおり,隠町議は言語単位のシンボ ル性の弱い部分を,他の言語単位のシンボル性の強い部分,つまり示差的価 値によって組織化するのである.

以上で,隠聡はある語の代わりに別の語が使われるのではなく,ことばが 表象する対象の属性を組織化することが分かつたが,次に経験世界と言語表 現との間の関係について考察を進めることにする.

(10)

言語について現在までなされてきた考え方の中で支配的なものは,言語を 記号的に捉えることであった.つまりギリシア時代から現代まで,言語とは ある事物,あるいは概念を指し示すものであるという考え方が続いてきたが,

これについて少し検討してみよう.

この考え方の代表的なものとして

Ogdenand R i c h a r d s  

(1

9 2 3 )

を挙げる ことができる12 この説は下図が示すように,ある言語記号,つまり象徴

(SYMBO

L)が,概念

(THOUGHTOR REFERENCE)

を示し,そして この概念が指示物

(REFERENT)

を指し示すというものである.

THOUGHT  OR REFERENCE 

SYMBOL  Stands for  REFERENT 

Ogden and R i c h a r d s

の論の特長は,言語記号が直接に対象物を指示しない と考えたことであろう.両者の聞には概念が介在しており,言語記号と対象 との聞の恋意性が表わされている.このことにより言語記号と他の記号との 相異点が明瞭にされる.たとえば寒暖計の水銀柱の高さが気温を示すとか,

初期キリスト教芸術において,船が教会を象徴していたとかいう場合には,

有契性が存在している13 ところが言語記号の場合には,

t r e e[ t r i : ] "

とある 種の植物との聞には何ら有契性は存在していない.この点を明示したのが

Ogden a n d  R i c h a r d s

である. しかしこの論では,象鍛と指示物の関係が,

どのようにして確立されたのかという点を説明できない.

(11)

次に記号論的言語理論の立場から見ると,指示の問題はどう扱われること になるのであろうか.先に我々が記号論的隠験論の項でみたように,ここで も指示の縮小と拡張が考えられる.まず縮小の例を取上げてみる.ここにあ る種の物体があるとしよう.細長い木の軸の中央に黒鉛の芯が通っており,

長さは20cm弱,軸の色は赤で六角形をしている.これを何と呼ぶかというと,

すぐに鉛筆

( p e n c i

l)という語が頭に浮かぶ.ところである物体が鉛筆とい う語で呼ばれるためには 一定の条件をその物体は満たしていなければなら ない.たとえば「芯」を「木の軸jで「包んだ

J r

筆記用具

J

といったもの がそうであり,他の付随的な属性,たとえば軸の色,長さ,重さ,どこに置 いであるかなどは指示条件とはならない.ぞうするとこの場合は,ある物体 の諸属性が,指示条件を包摂する.逆にいえば「鉛筆」は,個々の鉛筆の集 合をその外延とするのだから指示の縮小が起こっているといえる. 指示の 拡張について考えてみよう.鉛筆の外形は保っているが,芯が抜けている物 体があり,これを鉛筆と呼んだり,鉛筆の芯を鉛筆という語で指示したとす る.このような場合には,鉛筆ということばで指示されるための諸条件の全 てを,被指示物が満たしているわけではないにもかかわらず,それらの物体 を鉛筆という語で指示しているのである.この場合は,指示項である鉛筆と いうことばの適用範囲が拡張されたことになる.

言語記号は外界を言語単位の指示範囲の拡張,縮小により範時化する働き がある.再び「鉛筆」という言語記号を例にとると,実際に我々が目にする ことができるのは,様々な長さ,太さ,重さ,色をもっその場に固有の,そ してその時々の物体としての筆記具である.このように時空的に固有の感覚 のうちのあるものを我々は「鉛筆

J

という範障に入れているわけである.つ まり言語記号は,時空的に固有の経験に対して範時化する役割を果たしてい るということになる.

範時化によって指示するためには,指示項と被指示項との間にどんな関係 が必要であろうか.これに対する答えを

Langacker

が出してくれる.彼に

(12)

115  よれば,被指示項である標的構造と指示項である慣習的構造との聞に,何ら かの類似が存在することが指示のための条件なのである14 しかし,ここで 一考を要する問題は,果たして被指示項と指示項との潤に類似が元々存在し ており,これに基づいて指示がなされるのかどうかということである.我々 が隠喰における類似で明らかにしたのは,類似は元々存在するのではなく,

隠聡表現により類似が生み出されるといラことであった.これと同様に言語 一般の場合においても,言語表現と被指示物との聞には元々類似などはなく,

言語表現が被指示物をっくり出し,その結果あたかも両者の間に類似が存在 するような関係がっくり出されるのではなかろうか.

このことをよく示す例として挙げられるのは,色の識別について表現の仕 方が異なることである.同じ虹を見ても日本人は紫,藍,青,緑,黄,桂,

赤の七色に区切るのに対し,英語ではpurple,blue, green, yellow orange,  redの六色に分類するし,リベリアの一言語であるパッサ (Bassa)語では,

huiとZlzaの二色に分類する.それぞれの言語の色に対する表現内容と,対 応する色との聞には元々類似はなく,語によって対応する色がっくり出され,

あたかも両者の聞には類似があるような関係ができあがったのである.

直接には認知不可能な概念とその表現について考えてみよう.たとえば love"という概念についてはどうで、あろうかJ love"という語で表現され るような概念がこの語以前にあったのであろうか.もし人間の精神に元々言 語以前に,ある観念,あるいは概念か存在していたとするならば,各言語表 現で表わされる概念は同一で、あるはずである.ところがフランス語のcher

と, ドイツ語の liebとかtheuerとの聞には正確な概念の一致はみられな い15 このことは,言語による分節以前に,明瞭に区分された概念は存在せ ず,言語が一区切りの概念や対象を生み出すことを示す.隠除表現の場合も 同様であった. (9) Man is  a wolfにおいて man))をwolf"で分節するこ とにより man"のもつ属性が現われることは,すでに見たところである.

では類似関係が成立した言語単位と指示物との間には実際にはどのような

(13)

関係が見られるのだろうか.先に隠聡の例で見たように,主主題と副主題と は相互作用し,囲定化されない多様な面での類似を構成じた.このような現 象が言語全般に見られることを「鉛筆j と呼ばれる様々な物体を例にして示 してみたい.たとえばプラスチック製の鉛筆の外形をしたおもちゃを「鉛筆j と呼ぶ場合には,その物体は外形の点で類似をつくり,また鉛筆の芯の先を

「鉛筆j という場合は,機能の面で類似を構成する.ニのように言語と経験 世界との類似は固定した関係ではなく流動的である.これは実際の言語使用 の場合でのことだが,これを言語体系内部の関係にまで拡張すると, Lud‑

wig Wittgensteinの「家族的類似 (familyrsemblance)

J

につながってい くと思われる.我々はたとえば「ゲーム (game)

J

の中に,チェス, トラン プ,野球,フットボール等を分類しているが,どういう基準でそうしている のかは明瞭ではない.チェスのもつ概念とトランプのもつ概念の間の類似と,

トランプと野球の両概念の聞に見られる類似とは異なっているにもかかわら ず,我々は,すべてをゲームと呼んでいる.つまりすべてのゲームに共通な 性質も,またどこからどこまでをゲームと呼ぶのかという境界も不分明なの であり,我々がそこに見るのはただ「互いに重なったり,交差する複雑な類 似性の網の日」であり,

1

大まかであったり,細やかであったりする類似 性

J

16にすぎないのである.このことを別の面から見れば,

1

ゲーム」は,個々 の事項がもっ概念と,多様で非固定的な類似を形成しているということなの である.

さて,これまで隠臓は言語の果たす認識的な機能,すなわち対象のもつ属 性を秩序化する機能をもつことを主張してきたが,ここで予想される反論は,

隠聡表現は真偽値をもたない点で字義的表現と区別されるべきであるという ものであろう.このことに答えておく.以下の例文,

(4) a  Tom is  a tiger  b  No, Tom is  a chicken. 

(14)

No

, 

Tom i s   a  human b e i n g .  

においては

a)

を(4b)のように否定することはできるが, (4 

c )

のように 否定することはできない.これは隠輸が真偽値をもたないことを意味する.

真偽値をもたないということは,あるものをある一定の仕方で見ょうという 提案をしていることを示す.ここから隠験はいわば、仮空世界描写であり,字 義的表現が実在世界描写であるという見方が出てこよう17 しかし字義的表 現が真偽値をもつのは,言語単位と指示物との結合が確立されているからで あり,無秩序な世界の秩序化という点では,隠聡表現も,字義的表現も同じ 機能を果たしている.また字義的表現も既に見たように,経験世界の一つの 解釈にすぎないのであり,この点で隠聡表現も字義的表現も同一の性質をも つのである.

次に隠聡表現における副主題は,主主題の属性の強調・抑制ニ組織化をす るという点がそのまま言語全般に当てはまることについて述べる.B. L. 

Whorf

は,その論述において,各言語が経験を独自の方法で分節すること を述べている.ある言語がある一連の経験を一つの語で表現しているのに対 し,他のある言語ではそれを二語以上の表現形態でもって,より細分化して いることが見られるのである.たとえば英語では

snow

の一語で言い表わし ているものを,エスキモ一語で、は降っている雪,積もった雪,溶けかかった 雪などに分類している18 英語においては

snow

は,それが氷品状態にある ということが示差的価値により強調され

ram

のもつ液体性と対立し,抑 制している.これに対しエスキモー語でーはそれぞれの語は降っている,積もっ ている,溶けかかっているという示差的価値により,雪のある状態を強調し,

他の状態と対立し,抑制しているのである.つまり雪に関する経験のもつ属 性を言語が秩序立てているのである.また言語単位同士は互いに示差的対立 により存在していることも憶聡表現の場合と同様でーある.エスキモ一語に,も し雪に関する経験を表現するのに,溶けかかっている雪を表現する語がなけ

(15)

れば,それは残りのどれか一つの表現に吸収されていることだろう.正に言語 は,その内部の各辞項の対立関係により構成されている体系なのである19

以上の考察により,言語が無秩序な経験世界を秩序づけるための視点を 我々に与えていることが明らかになったが,ここで注意を要するのは,

Blackが隠喰論の中で述べているように,主主題(分節される主題)も,副 主題(分節する主題)に影響を与えるという点である.このことを言語にあ てはめれば経験世界も言語体系に作用を及ぼすということになる.そもそも 隠聡表現が使われるということも,経験世界の言語に対する作用を示してい るといえる.極端な相対主義が述べるように,もし言語により全認識が支配 されるならば,隠聡の存在はそもそもあり得ないのである.こうしてみると 先に述べたエスキモ一語と英語における雪に関する語蒙体系の差にしても,

それぞれの民族に対して雪がもっ重要性の差を反映しているのだと考えられ る.つまり言語は経験世界を分節し,秩序立てるのみならず,経験世界をも 反映しているのであり,従って経験世界(分節組織される側)と言語体系(分 節組織する側)とは相互に作用しているということになる.

さて,我々は周縁的表現形態とみられてきた隠聡表現を基にして言語表現 を再考してきた.隠聡表現が示す経験世界の構成機能,そして言語体系内部 の示差的対立性は,そのまま言語表現全体についても該当する機能であるこ

とが明らかになった.言百吾体系とは,密な所や粗い所のある不ぞろいな網の 目のようなものであり,それが経験世界の砂の上に影をおとし,砂の上に区 切りを入れていく,そして,これによって我々の経験世界の認識は可能にな るということになろう.実体としての経験世界は言語により関係化される.

また言語体系内部においても,それぞれの言語単位は実体としてではなく,

示差的価値という関係においてのみ存在しているのである.

本論考では機能面で隠聡表現と言語表現とを考えることにより,字義対隠 聡という三分化を避けてきた.こうすることにより,字義的か隠聡的か不分

(16)

明な表現はもちろん,隠聡表現と字義表現を一括して扱うことができた.ま たこの立場からの考察は,字義的表現が正確な認識を可能にし,隠聡的表現 はそれを妨げるという考えの不合理性をも示す.なぜなら各言語はそれぞれ の体系により経験世界を分節するのであり,この点で,隠聡のもつ分節性と 同様の機能を果たしているからである.以上の論考により,言語のもつ認識 的機能の一端が,隠聡を通して示されたことと思う.

f主

1 この説の創始者と目されるAristotleは,隠聡について以下のような考えをもっ ている. Metaphorconsists in giving the thing a name that belongs to something  else;  the  transference  being  either  from genus  to  species, or  from species  to  genus, or from species to  species, or on grounds of analogy." (Aristotle, 

o n  

Po‑ etlcs, trns.W. D.  Ross [Franklin Center, Pennsylvania: The Franklin Library,  1978], 1457b.) 

2 この説をとる一人である Cicero1:1:,A metaphor is  a brief similitude con‑ tracted into a single word;" (Cicero,On the Character of the Orator,"  Cicero on  Oratory and Orators, trans. 

S.  Watson [Carbondale, Illinois:  Southern Illinois  University Press, 1970], p.  157.)と述べている.

3 R. W. Langacker, Foundation 

0 /  

Cognitive Grammar (Bloomington: Indiana Uni‑ versity Linguistic Club, 1983), p.  65の図を参考にして作成した.

4 lbid., p. 67参照.

5 意味の拡張により隠I織を説明するものとしてStephenUllmann, Semantics; An ln‑ troduction to  the Science 

0 /  

Meaning (Oxford: Basil Blackwell, 1962), pp.  162‑63参 BH 

6 以上三例の引用は, Aristotle, 1457b 

7 以下の例文,および用語は, S.  C. Levinson, Prag1 tics(London: Cambridge  University Press, 1983), pp. 143‑53を参考にしている.

8 隠町議的な部分を有していない文も隠聡表現となり得るかどうかについては,

R.  Searle,Metaphor,"  Metaphor and Thought, ed.  Andrew Ortony (London C 1

bridge University Press, 1979), pp.  103‑5とS.R. Levin,Standard Approaches  to  Metaphor and a Proposal for  Literary Metaphor,"  Metaphor ulThought, ed  Andrew Ortony (London: Cambridge University Press, 1979), p.  126を参照.

9 この詩とそのパラフレーズは

J

R. Searle,Metaphor," Expression and Meaning 

(17)

(London: Cambridge University Press, 1979), pp. 82‑83よりイ昔用した.

10  それぞれの隠聡論については, 1. A. Richards, The Philosophy of Rheωric(New  York:  Oxford  University  Press, 1936), M. C. Beardsley, 

Twist"  Philosophy  and  Phenomenological  Research, 22 (1962), Max  Black,  Metaphor" Models and Met,aρhors (Ithaca:  Cornell University Press, 1962)を参 照.

11  Max B1ack, p.  37 

12 記号論的な立場からの言語研究は, Gustaf Stern, Meaning and Change of Mean‑

g(Goteborg, 1931; rpt.  Bloomington: lndiana University Press, 1964), pp.  34  45, Stephen Ullmann, The Priαiples of Semantics (Oxford: Basil B1ackwell, 1957),  pp. 6974などにもみられる.

13  C. S.  Peirceは,寒暖計の水銀柱は気温の指標記号(indexindexical sign)であ り,船は教会の類似記号(iconiconic sign)であり,言語記号は象徴記号(symbol symbolic sign)であると述べている.

14  R. W Langacker, p.  66参照.

15  フランス語のcherは「親愛なJ, ドイツ語のliebは「気にいったJtheuerは「愛 する

J

という意味をもっている.

16  Ludwig Wittgenstein 

r

哲学探求j藤本隆志訳(東京:大修館,昭和51) 66節.

17  この考えを明確に述べているものに, Ina LoewenbergIdentifying Metaphors" 

Foundations of Lang:ge12 (1975), 315‑38ーがある.

18  B. L. Whorf, Language, Thought, and Reality, ed.  ].  B.  Carroll  (Cambridge,  Mass.:  The Technology Press of  Massachusetts Institute  of  Technology; New  York: John Wiley & Sons, 1956), p.  210. 

19  この点について, F erdinand de Saussureは次のように述べている.

r

言語は一つ の体系であり,その辞項はことごとく連帯的であり,そこではー辞項の価値は他の ものの同時的現前からのみ生じる…・J(F erdinand de Saussure( 

r

一般言語学講義j 小林英夫訳(東京:岩波書庖,昭和47) p.  161 

参照

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