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「銀の匙」本文調査

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「銀の匙」本文調査

著者 服部 功夫

雑誌名 同志社国文学

号 23

ページ 14‑38

発行年 1984‑03

権利 同志社大学国文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004982

(2)

﹁銀の匙﹂本文調査一四

﹁銀の匙﹂本文調査

堀  部 功  夫

は じ めに

 久保田正文は︑︿夏目漱石の推薦で﹃銀の匙﹄が﹁朝目新聞﹂に

連載されたのは大正二年であることはほぽあやまりたいところであ

るが︑毘在の形のものとどのように異同があるかは明らかでない︒

﹃夏目先生と私﹄と︑ ﹁先生の手紙と﹃銀の匙﹄の前後﹂とをあわ

せよんでみると︑漱石がこの作品をよんだのも大正二年ころではた

いかとうたがわせるフシもある︒和辻哲郎の岩波文庫版﹃銀の匙﹄

解説も︑いっぱんの文学史辞典たども︑このあたりの説明は明確を         ︵1︶欠いている︒Vと記した︒

 ﹁銀の匙﹂初出年月目については︑右文以前すでに﹃現代目本小

説大系﹄17巻ル洲・汕に︹ただし前編開始目・後編完結目の日付は

誤︺︑および熊坂敦子がく﹁前編﹂は大正二年四月八目から六月四目 まで五七章︑ ﹁後編﹂は題名﹁つむじまがり﹂として大正四年四月

一七目から六月二目まで四七章﹃東京朝目新聞﹄に連載されたVこ

  ︵2︶とを報告しており解明済みである︒

 しかし︑その初出本文がく現在の捗のものとどのように異同があ

るかVは未だ十分にはく明らかで在いV︒本文異同にふれる先学の        ︵3︶      ︵4︶業績として︑熊坂敦子・飯山︹現姓藤山︺真代のよき成果がある︒

その労苦を察しながらも︑私の調査と照合すると先人が未提示のて

んもあり︑発表を中止したいこととした︒やはり管見を記録して︑

作品の読みに備えておきたいと思ったのである︒

 とりあえず︑引用させていただく先学の諸論考︑生島遼一氏︹先

生の照会に対し昭和58年4月29目付手紙で報告したのが小稿の骨子

とたった︺︑中和氏・嶋田豊子氏︹中家に関する教示︺︑藤山真代氏

︹論文複写恵投︺︑渡辺外喜三郎氏︹﹃カソナ﹄誌・﹃鹿児島大学文

(3)

科報告﹄抜刷恵投︺および岐阜県歴史資料館・神戸市立図書館・堺

市立図書館︹ともに蔵書利用︺各位に深甚たる謝意を表したい︒

 注

 ︵1︶ ﹃日本青春文学名作選﹄19︹昭和40年2月10目︑学習研究杜︺﹁解説﹂

  以m︒

 ︵2︶ ﹃鑑賞と研究11現代日本文学講座/小説3﹄︹昭和38年−月15目︑三

  省堂︺﹁銀の匙/解題﹂皿湖︒

 ︵3︶熊坂は注︵2︶文献叫洲〜汕で︑初版と岩波文庫旧版とを比べ︑回区

  分の相違と後編く四十七Vの削除とを指摘し︑文庫旧版前編く十七V.

  後編く六Vについて28箇所の異文を示す︒

 ︵4︶ ﹁仮綴本﹃銀の匙﹄についてー﹃銀の匙﹄成立に関する美意識﹂

  ︵一︶〜︵四︶︹刊目未詳〜昭和53年2月28目刊﹃カソナ﹄85号〜89号︺︒初

  版と岩波文庫新版とを比べ︑回区分の相違を指摘し︑主に内容上の改訂

  を論じる︒

     一 本   文

 私の見ることができた﹁銀の匙﹂︹のちに﹁銀の匙﹂補遺とされる

﹁花さか爺﹂﹁こまの歌﹂を除く︺本文は︑次のとおりであった︒

A 初出本文       ぎん  さち 前編︹題名﹁銀の匙﹂︑署名く那迦V︺連載に先立つ大正2年4

月7目付紙面に作者予告が載っている︒これまで注意されたことの

ない著作たので︑再録する︒

     ﹁銀の匙﹂本文調査   わたくしおも   で   か      おも  た       とき  私が思ひ出を書かうと思ひ立つたのは十六七の時であつたらう      .こ  ねんほど      ねんぜん  か︒その後十年程もそれなりになってゐたのを二三年前ながら   びやうしやう   あひだひま        Lる    お      こんど      ぶ   て  く病床にゐた間暇にまかせて記して置いた︒今度その一部に手      ぎん  さち  なづ        の      おのれ あしあと  をいれて銀の匙と名けこ上へ載せることになった︒己の足跡を       像ど  こと  し      わたくし  とめるといふことはどれ程の事か知らないけれど︑私のやうな  もの      ちひ    しわ     あしあと       おも  者にさへこんた小さな鐵のない足跡をつけたこともあるかと思    むかしなつか    た  へぱ昔懐しさに堪へられない さらに︑前編末尾にー︿︵明治四十三年春病床にて︶Vと付記する︒       ぷ   てけだし︑これは素材の脱稿時点を示すもので︑︿その一部に手をい       ︵1︶れVた﹁銀の匙﹂脱稿は明治4511大正−年であるらしい︒

後編︹題名﹁っむじまがり﹂︑署名く那迦V︺連載に先立っ大正

      かっ  ほノ一し   の       ぎん  さじ   こうへん4年4月16目付紙面にはく曽て本紙に載せたる﹁銀の匙﹂の後篇V

との簡単た紹介しかない︒後編に末尾付記なし︒

 前後編とも漢数字以外総ふりがなである︒

B 初版本文

 大正u年−月刊か︹奥付にはく大正十年十二月十日発行Vとある

げれどもく大正十一年一月十日V付の正誤表が冒頭に綴じ込んであ

るので︺︑岩波書店版・著者表示は表紙・背文字にく那珂著V︑奥

付にく著者中勘助V︒四六判︑仮綴紙表紙︒前編末尾にく︵大正元

年︶V︑後編末尾にく大正二年Vとそれぞれ付記する︒後老にっい

      一五

(4)

      ﹁銀の匙﹂本文調査

て︑ ﹁私の処女作と自信作﹂の記述と一致するとはいえ︑それ以前      ︵1︶のつまり執筆により近い時期の記述とは一年くいちがいを生じる︒

︿二年Vはく三年Vの誤記かと思うが︑推敵・整理・浄書をくりか

えす作者のことだから︑しぱらく断言しないでおく︒

 なお︑初版本の復刻が昭和44年4月10目・日本近代文学館より出

ている︒よく出来た復刻であるげれども︑底本︹岩波書店所蔵の一

本︺の書き込みと推定される文字まで復刻されているので要注

        ︑       ︑意︒叫67L1︿環の真中V︑︸67L3︿蓮華の花V︑皿70L6︿よ

 ︑       ︑く見ようV︑皿閉1・14︿から出てVの各傍点字である︒

C 改訂版本文      ︵2︶ 小稿でいう改訂版とは一般にむしろ初版とよぱれている大正15年

4月10目刊︑岩波書店版をさす︒著者表示は奥付にく著者中勘助V︒

四六判︑函入︒前編末尾にく大正元年初稿V︑後編末尾にく大正二

年初稿Vと付記する︒

 この時すでに著作を実名で発表するようにたっていたため︑著者

表示からく那迦V・︿那珂Vが消える︒と同時に本文中く己が名V

のく俊坊VあるいはくしゆんぽんV等をく□ぼうV・︿□ぽんVと

改める︒自分をく俊V某と仮名であらわしていたのを︑勘助と読ま

れうる︹実際改訂版く口ぽうVを勘坊と読む人の例は︑中の他の著作

﹁闘球盤﹂・﹁水尾寂暁師と三千院﹂にみえる︺ように修正している︒       ニハ この度の推敵は犬正14年のく夏のはじめVにたされたらしい︒

﹁しづかな流﹂犬正15年−月9目の条参照︒

 なお︑脳年6月3目︑改装復刻︿第二刷Vが︑巻末にく初出一

覧Vを付して刊行された︒

D 岩波文庫旧版本文

 小稿でいう旧版とは︑昭和10年u月30目刊第−刷以降︑37年u月

16目刊第36刷以前の分をさす︹このうち第1・3・8・10・12・15

・19・20・26・27・32刷のみ卒見︺︒第37刷以降分は次記全集本文

をく底本としてVいるので後述する︒

 各編末尾付記は改訂版と同じ︒巻末の和辻哲郎﹁解説﹂が前編を       ︵3︶︿明治四十四年の夏V執筆とするてんは︑渡辺外喜三郎﹁漱石と勘

助と三重吉﹂︹昭和32年9月−目刊﹃国語と国文学﹄︺が指摘するよ

うに︑作者自身の記述と一年齪鶴する︒中が明治44年にも野尻へ行

っていることに起因する和辻の錯誤ではなかろうか︒

 ところで︑文庫本は昭和23年9月−目刊第13刷時にく改版Vした

ようである︒︿改版Vによりハシラが無くなり︑誤植が生滅し

〜12局第13〜36局

・3 .OPH11

PH1一2

・6 .ooP〃11 怒怒

き つつざ 恐恐き つつざ

(5)

 となったのを除げば︑本文上の異同には未だ気が付かない︒その       ︵4︶他︑第1〜12刷中で︑象眼訂正があったとみられるけれども︑今は

文庫旧版本文と一括称しておく︒

E 全集本文

 昭和35年12月5日刊︑角川書店版﹃中勘助全集第一巻﹄所収︹レ

5〜一⁝︺︒各編末尾付記は改訂版と同じ︒レ⁝⁝に﹁あとがき﹂があ

る︒ この度のく校正Vは昭和33年5月頃になされたらしい︒昭和33年

5月19目付・小宮豊隆宛手紙11渡辺外喜三郎﹁中勘助︵二十五︶﹂

︹昭和57年9月30日刊﹃鹿児島大学文科報告﹄︺参照︒

 注

 ︵1︶ ﹁漱石先生と私﹂︹のち﹁夏目先生と私﹂と改題︺・﹁先生の手紙と

  ﹁銀の匙﹂の前後﹂たどの記事を整理して︑前編成立略過程を示してみる

  と︑次のとおり︒

    3  3明治・年頃回想執筆を思い立つ︒  34

  42年 u月明治〜     ︑病床︒この問に作品の素材を書きためておく︒  43年 5月頃

明治45年  4月7目︑兄の同僚の先生の勧告に従い︑執筆によって収入     を得ることとした︒

  〃  夏前か︑友人を通じ︑漱石が原稿を見る約束︑成る︒  〃  夏︑福岡市九大病院内︑妹の枕べで作品の書き起しの部分を     書く︒

    ﹁銀の匙﹂本文調査   〃

︹大正−年︺

  〃大正2年

  〃 夏︑長野県上水郡信濃尻村野尻・石田津右衛門方の二階で︑作品を書きつぐ︒

9月頃︑脱稿︒隣村柏原の郵便局から漱石宛発送︒

10月15目︑漱石︑﹁銀の匙﹂稿を読み終わって︑賞讃し︑原稿をあずかみ︒

2月26目︑漱石︑東京朝日新聞杜員・山本松之助に宛て掲載願の手紙を書く︒

3月︑新聞連載のために体裁を整える︒回を立てる︒用字を改める︒予告を作る︒署名︒新聞杜へ渡す︒

後編成立に関しては

大正3年夏︑比叡山横川の恵心堂で︑

10月︑漱石︑ 原稿を漱石宛発送︒閲読︒ 前編残りの整理・執筆︒

 の略経過が知られる︒

︵2︶ ﹁現代目本文学全集﹄月報51皿2に改訂版の書影がく初版本Vとの説

 明付で掲載されているほか︑現在も古書璋の目録に散見する︒

︵3︶﹁銀の匙﹂明治44年作と記すものは︑︹ホ印は管見本後刷︺

○﹃目本の名著﹄︹昭26二〇・5︑毎日新聞杜︺の無署名︹埴谷雄高か︺

 ﹁銀の匙﹂皿閉︒

○﹃現代目本小説大系17﹄︹昭26・u・15︑河出書房︺の伊藤整﹁解説﹂

 皿蜘︒

○矢端乙実﹁近代文学への反省﹂︹昭27・7・10﹃上毛国語﹄︺皿36︒

○﹃日本詩人全集4﹄︹昭27・10・10︑創元杜︺の無署名略伝叫閉︒

○﹃現代文学総説2﹄︹昭27・10・25︑学燈杜︺の杉森久英﹁随筆文学﹂

 皿洲︒○﹃世界少年少女文学全集30﹄︹昭28・9・ユ︑創元杜︺の坪田譲治﹁解

説﹂叫捌︒

       一七

(6)

     ﹁銀の匙﹂本文調査

○﹃中勘助自選随筆集︵上︶︵下︶﹄︹昭28・u・20︑昭29・1・30︑創元

 杜︺の﹁著者紹介﹂皿2︒

○﹃縮約目本文学大辞典﹄︹昭30・1・20︑新潮杜︺の﹁中勘助﹂レ閉︒

○槌田満文﹃文学東京案内﹄︹昭31・3・20︑緑地杜︺皿冊︒

○﹃玩代目本文学全集75﹄︹昭31・6・25︑筑摩書房︺の河盛好蔵﹁解説﹂

 叫蝸︒

○﹃中学生文学全集17﹄︹昭32・6・30︑新紀元杜︺叫25︒

○﹃現代国民文学全集14﹄︹昭32・12・15︑角川書店︺の山本健吉﹁解説﹂

 レ搬︒       ○﹃目本文学鑑賞辞輿近代編﹄︹昭35・6・30︑東京堂︺の熊坂敦子﹁銀

 の匙﹂レ湖︒

○村山古郷﹁中勘助の俳句﹂︹昭35・8・1︑﹃鶴﹄︺叫24︒

○﹃名作の研究事典﹄︹昭37・7・10︑小峰書店︺レ川一︒

○久保田正文の前記﹁解説﹂ル刷︑閉︒

○﹃児童文学への招待﹄︹昭40・7・5︑南北杜︺P蜥︒

○﹃掌勺>zo■>内弓向肉−■**・︒﹄︹蝸︑朝目新聞杜︺皿獅︒

○槌田満文﹃東京文学地名辞典﹄︹昭53・2・25︑東京堂︺以m︒

○阿部猛﹃近代詩の敗北﹄︹昭55・2・5︑大原新生杜︺皿90︒

とおびただしいが︑いずれも根拠を示さず︑和辻文の踏襲とみられるの

 で取り合わないこととした︒

︵4︶第3刷本文中︑次の欠字・印刷不鮮明箇所がある︒

 5皿7Lー

レ76L8

 5皿81.1 叫101一−仏m1・14叫m1・14 9   0叫151・1 2   1■叫18L1弘汕1・10 よ〜

〜﹂41

一﹂

一八

  これらはその後︹管見第8刷では︺訂正されている︒

     二 回 の 区 分

 初出の各回ごとの掲載月目を示し︑初版・改訂版以後とでは回の

区分に異同があるのでそれらを一覧する︒すなわち︑初出の回と掲

載月目︑各段落頭︹・印を付す場合は段落途中︺10字およびそれ以

下の段落数︹ooは一段落未満︺︑対応する初版・改訂版以後のそれ

ぞれの回︹×は該当段落なし︑点線交又は段落の逆順︺を表示する︒

       わたし うま    ときたとえぱ︑初出が4月8目のく一Vの後半く私の生れる時にはV以

下2段落は︑初版でもく一V内だが︑改訂版以後く二Vとなること

を示す︒掲載月日 初出の回段落頭10字 それ以下の段落数 初版の回 改訂版以後の

回前編︹大正2年︺

4月

8目 わたししよさい いろく私の書斎の色々な︑がわたし うま    とき    は上私の生れる時には母は

(7)

・目一二 を は叔母さんのつれあひは

10目u目

!2日

13日

14目

15日

16目

!7目

18目五六七八九十

十一       わたしびやうおぱさんはまた私の病わたし うち  なか私は家の中はともかくわたし うま        かんだ私の生れたのは神田の ぱんき        ところ いま一番気にいりの処は今

  ひと       あさある人のゐない朝のこ

 いなり      峰お稲荷さんへ行かない

シe         み せ・もの気にいつた見世物の一

わたし やう  もの  かんだ私の様な者が神田のま

  ころと ち   ふうしふその頃土地の風習にし

みやうじんさま   まつ    とき明神様のお祭りの時は

を ば      とき−ビ︑ふたり伯母さんは時々二人の

さんのうさま    まっり     だ山王様のお祭にい二山

  ほかかんだ       と︐きその外神田にゐた時の

わたし     じぶん私はその時分から三目

びやうしんもの わたし しじふ  い病身者の私は始終お医

  へん  ひとたち  みなすぎがきこの辺の人達は皆杉垣

ふる  いへ  かりずま古い家に借住ひをして

9^

二三五六 三

×八

×九

3  +

十一 ×

    19目

五六

20目21目22目

九×   23日

×   以目

×    25日十

十一

× 26目  ママ十三十三十四十五十六十七十八十九 すこ        ちゃにたげあひ^﹂少しぱかりの茶畑を間  をりくきんじよ だいにちさままた折々近所の大日様  へん   はちす  おほこの辺には木樫を多くふ峰冬のはじめのことであすちむか    かざみ  をしどり筋向ふの風見の鴛鴛はうんどうふそく      うま運動不足のうへ生れつ  ころその頃△△さんといふをば      き  み伯母さんは木の実どちなつ    套ぐ かたち夏になると様六の形ししおうや  てっぼう      を ぱ庄屋の鉄砲をして伯母かま  うち   こいへ    でいり構へ内の小家へぱ出入     お・もちや・そのそぼに玩具をぶち

わたし        くら私があかりの暗いのを

はなし うち    をさ  ご二ろ かな・話の中にも稚な心の悲

また︑ ほとけしやうを ぱ仏性の伯母さん

峰き  よ     をぱ雪の夜には伯母さんは

わたし うち    てら  やぶ私の家はお寺の藪から ︵︶︵︶︵︶1■r︑

十二十三十四十五

ヲ叩

十七

十八十九 十二十三

×

十四

十五十六

×

十七

十八十九

﹁銀の匙﹂本文調査一九

(8)

﹁銀の匙﹂本文調査

27目

28目29目

5月−目

2目3目

4目

5目

6目

7目

8目 二十二十一二十二二十三二十四二十五二十六二十七二十八二十九

三十 二〇

あるとき      ゑ ぴ或時いつしよに海老を

   つぽ     うら三四十坪ほどの裏のあ

はたけ        すぎがき畑のぐるりの杉垣のそ

  ちか    えんまさまぢき近くに閻魔様のお

ぷつしやうゑひだいにちさま仏生会の目に大日様で

ねはんゑ   ひ    ふる  くす浬築会の目には古い燥

っき     だいにちさま 江ん月三さいの大目様の縁

よみせ    じゆんみ夜店を一順見まはつて

すこ  はや  ゆ    みせもの少し早く行げば見世物

よみせ  なか  ほうづきや  こころ夜店の中に酸漿屋は心

おくぴやうもの わたし ひとなか臆病者の私は人中では

    こ      きこちらへ越して来てか

 くにお国さんとはいつとは

 くに      うちお国さんの家もよその

 くに      こどもどうしお国さんは子供同士が

お融さんの瀞赫く竺・

ふたり      ゑ  だい二人ともうつし絵が大

   このへんす ひやくやはり此辺に住んで百

二十二十一二十二

×

二十三

二十四

二十五 ×      9目二十 10目

     u目二十一 三十一三十二三十三

X 土三十四

二十一  13目

二十二  14目

×   15日

二十三

二十四 16日

二十五

二士一一一二士一 17日

二十七

二十八二十九

三十 二十七 18日

×

二十七     19目

二十八

二十九    20目三十 三十五三十六三十七三十八三十九四十四十一四十二   しづ    こども   ひあの静かな子供の目のとうりやう たつ      せん棟梁の辰さんにはお仙 くに      ちひお国さんは小さいのや くに       あんをんお国さんとそんな安穏       ひ   き

いよくとい含が来

さき      こたち先にはいつた子達はもいくにち    のち    がくかう幾目かの後には学校のいははし 僚ん あか江んびつ岩橋の本は赤鉛筆でめぺんじよ  げうぢやう便所は教場からはなれがくくわ        ぱんみんな よろこ学科のうち一番皆の喜   ゆき  なか  みち  まよそれは雪の中に路に迷わたし そのころ    ひとめ私は其頃から人目をは いしやさまお医者様のす上めに志あさ  はや  お        あ朝は早く起きてまだ明あるひちふ       ふか或目父といつしよに深かいがん  たび    かへ海岸の旅から帰つたらせんせい  はんぶん先生は半分べそをかい

ふぺんきやう むく    てきめん不勉強の報いは観面に

三十一三十二三十三三十四三十五三十六三十七三十八三十九四十四十一四十二 一三士

×

三十二

三十三

三十四

三十五

三十六

三十七三十八

三十九

三十九四十

四十一

(9)

21目

22目

23目24目

25目

26目

27目

28目

29目

30目 四十三四十四四十五四十六   がくき  をは    ちかその学期も終りに近づ・一四十三

 く一﹂     あそ    ころお国さんと遊んだ頃の

かいがん  たび    のちわたし海岸の旅から後私はは

ふム﹂り  がくかう    かへ二人は学校から帰れぱ

四十七一  けい       ひ まお惹ちやんと目増しに

四十八

四十九五十

五十一五十二  けい お惹ちやんはそはく となり   ぢやうさまお隣のお嬢様がみ江た

 けい       み二*お惹ちやんの耳たぶは

 冷い        うらぐち お慧ちやんは裏口から

 けい       かうくわつお惹ちやんは狡猜にも

 けいお惹ちやんのとこでは

あるときはしか      いくにち或時麻疹のため幾日か

がくかう      げい学校がひけてからお惹

あるひ      しうLん    はなし或日のこと修身のお話

をとこ くみ        こんど男の組がすんで今度は

まいにちす!毎日鈴のついたぽつく

ふゆ  よ  あそ     たの冬の夜の遊びには楽し

その   にしとなり ぬひはく其ころ西隣へ縫箔をす

﹁銀の匙﹂本文調査  11+仁q+に 1 3

四十四四十五四十六四十七四十八四十九

五十五十一

五十二 ︑︑ ︐バ 四十二四十三四十四四十五

×

四十五

昔五十三震は震に嚢がな丁五十三

6月−目 とみこう       うら    かし富公のとこは裏では樫き   くる        ひ   いく気も狂ひさうな日が幾

11×五十四五十四五十

2日五十五

撃にたけた震は土

五十五

      たいしゃう  まこのきたない大将の負つら二  を  かたずみ  喰き垂氷を折り堅炭で雪を

3目五十六 12

五十六五十二

4目

五十土釦句各ぎて彫差一・

五十七五十三

後編︹大正4年︺

五十 4月

17日

四十五

× 18目

四十六 19日

20日

四十七  21目

四十八  22日

     23目四十九 二三四五六七 なかさはせんせい  き中沢先生は気のやさし      ね     はそんなにして根ほり葉わたし      さら  ふ しあは私にとつて更に不仕合わたし    いじやう  はんかん私はより以上の反感とどうきふ  せいと同級の生徒はどれもこわたし かにもと      きげん私は蟹本さんの機嫌のちきう   いんりよく地球には引力といふもあさ  しふじ   じかん朝の習字の時間であつあに     とし     もの兄はその年ごろの者が       くさ  ほりどろくのわる臭い堀 二三四五六七 二三×

二一

(10)

﹁銀の匙﹂本文調査二二

青一八

25目

26目27目

28目 九十

十一十二

ある賭これも繋と二・

29目30目

緊灘いので維欝三・

掛ちの輝嘗と二

2  +

   た   ひとむれ  れふしまた他の一群の漁師は   きょう         み*それを興あることに見

  かへいざ帰るとたれぱこの

あに  ずゐぷんねつしん  めんみつ兄は随分熱心に綿密に

十三一    あみ  か      つりそこは網を貸したり釣 十四 うらぽんゑ  ちか    を孟蘭盆会が近づけぱ伯

いへ      き  のこ家のぐるりには切り残 1+1 1

十一十二十三十四

坦十王鰍は蒸をか貢献一 ・一十王

2目

3目4目 十六十七

十八   た ね  かへ    ときその蚕種が艀つた時にわたし

私はいろく竺とか

  ひわたし こめびつ  うへある目私は米櫃の上に   きやうぐう一つは境遇から︑一つ

        た1くわうこのころはもはや唯悦

  ちひ    むね  おも:⁝小さい胸の思ひの

わたし      とし  しりうぐわつ私が六つの年の正月の

十六十七十八

十九 五5目

×六   6目

    7日七

    8目

八9目

××   10目

九  u目

    12日

××   13目 十九二十二十一二十二二十三二十四二十五二十六二十七 わたし みな  め        あか私は皆が目のふちを赤  つぎ  わたし     そぽその次に︑私はその祖母︑わたし なに    きら    がくくわ私の何より嫌ひな学科わたし がくかう私は学校へあがつてか せんせい  ひと     かう﹁先生︑人はたぜ孝し

  よ    ひと  さそある夜ふと人に誘はれ

てら  おも  はたもと  だんか寺は重に旗本を檀家に

はる  ころ    さかひと  むか春の頃には坂一つ向ふ

おそ         とびかしら むす恐ろしいのは鳶頭の息なつまいにちせみう夏は毎目蝉とりに憂き

 ぱんたのし      くり  さか一番楽みなのは栗の盛

あき       ききやう秋のはじめには桔梗が

なつ         ころ夏のはじめの頃にはこ

ちじやう  はな  あた上   ゆめ地上の花を暖かい夢に  ひ      ていある目のこと貞ちやん

欝露をふるはせ上

せうりんじ  すぢむか    やうくわん少林寺の筋向ふの洋館

さすが   いじん      も流石の異人さんも持て

×

十九二十

二十一二十二

二十三

二十四

二十五

二十六

二十七 X十

十一十二

十三

×

十三十四

十五

×

×

(11)

14日

15日 二十八二十九

且三十 且三士

18日

19日

20日

21日

22日

23日

24日25日 三十二三十三三十四三十五三十六三十七三十八三十九 いじん       て       こし異人さんは手すりに腰  ときていある時貞ちやんが△△ぱん     いじん晩がた異人さんのとこおたし私はそれからもどうぞわたし わか       かしやふだ私は判りきった貸家札わたし私はかつがれたやうなわたし ちうがく        てい私は中学へはいり貞ち  みちつい二道連れのあつたのあんない      ひと  にはさき案内もなく人の庭先まを ば      ふる      あん伯母さんは古ぽげた行山﹂ は       あと伯母さんは後でさはり  ころ    くろ   こいぬ工︑の頃まつ黒な小犬を   とし  なつ  わたL ひとり十七の年の夏を私は一  と ち       ふその土地でぼあやは不ぢい     わか  ときこども爺さんは若い時子供の    はん  ひ     あさぼあやは半の日には朝ぼあやは三十ぱかりの    たいせつ  むらさきふぱあやは大切に紫の風

9﹈

二十八二十九三十三十一三十二三十三三十四三十五三十六三十七二十八三十九 × 26目

×

× 27目

× 28目

十五  29日

十六  30目

十七 四十四十一四十二四十三四十四

土四十五

畠四士一

・ ・1四十七

かれ       へだ彼がこのやうに隔てなゆふ     峰夕がた湯からあがってきう︑ほん   よ旧盆の夜ばあやにす上  ひ   ご ごわたし うしろある目の午後私は後の  みね  うみ  ひか    ひらこの峰は海に向つて開わたし       うら私はいつものとほり裏︑わムに1し      −﹄ 〃に占曲    みね私はそこを木霊の峰とわたし       いき私はほつと息をつくと    わたし た︸﹂ゆゑ  でそれから私は何故か出  よくじつよ  をは    しんその翌日読み終つた新  よね江さまその夜姉様はいつにな

﹁それから二三日して

︐  ﹂  四十四十一四十二四十三四十四四十五四十六四十七 ××

十九二十

二十一二十二

×

十八

× 三

十八 初出から初版へ

初出と初版の異同は︑第一に回の区分であり□前記︺︑第二に誤植

﹁銀の匙﹂本文調査 十八 の訂正であり︹省略︺︑第三に表記上のある︒ 第三・表記上の改訂についていえぽ︑ ︑第四に内容上の︑改訂で

    二三

(12)

     ﹁銀の匙﹂本文調査

一 ふりがたの廃止

二 用語用字上

︵一︶︿江︹の草体︺Vを廃してくえV・︿ゑVにかえる︒

︵二︶漢字の字体を好みのものに統一する︒

  たとえぱ      ︵1︶  ︿顎V←︿曙V

︵三︶送りがたをっける︒

三 読点の加減

 の傾向である︒

 第四・内容上の改訂についていえば︑煩墳箇所の削除が主であろ

う︒削除段落は次の五箇所であった︒

   ぴしやもんさま  江んにち O︿毘沙門様の縁目Vを描くくだり︵前七︶︒

     ほかかんだ      とき  おも   で  ︿その外神田にゐた時の思ひ出Vを羅列する︵前八︶︒

   だいにちさま       こじき  ︿大目様V縁目の婆さんく乞食Vに施す︵前二十三︶︒

   し       おも @︿死たうかしらと思ふVときがあった︵後十八︶︒

       そうぱとう        か @そのときく走馬燈のやうに駈げめぐるV回想を列挙する︵後十

  九︶︒

 の各段落である︒このうちもっとも長文の を例にとる︒例文の    江んにち おほぜいこじきで てらへい直前がく縁目には大勢の乞食が出てお寺の塀ぎはにづらりとなら

ぶVさまを綴った28行からたる一段落であることを前提に読まれた い 二四

   よみせ    じゆんみ        かへ  ころ    だいにちさま  もんぜん  お僚ぜい  こじき   夜店を一順見まはつて帰る頃には大目様の門前に大勢の乞食

       こじき  なか   げい     きなた  がならんでゐる︒こ上にゐるのは乞食の中でも芸ましの稼いの

        しやみせん      ひい    こども  ぱかりでぽろ三味線をべんぺこぺんぺこ弾たり子供とあんぺら

   うへ  すわ    うた  の上に坐って唄みたいにどうぞやどうぞをいったりしてゐる︒

    なか   せ  まが    しな      ぱあ        てら  もん  その中に背の曲って萎びかへった婆さんがお寺の門ぎははみん

      こじき  ぱ         ひとどほ       はら       みぞ  なほかの乞食に場をとられて人通りのない原のそぱの溝ぱたに

  き      ひと  た    まへ       まい      ぎ   お  消江くのかんてらを一っ立て︑前には二三枚のつげ木を置い   かぜと  やういし   しやみせんこども  だま  て風に飛ぱされぬ様石ころをのせ︑三味線も子供もなしに黙つ

       よ        ろてん       みせ  てうっむいてるのがあった︒夜がふげて露店のあき人ども店を

     なかま  こじき  かへ    ひとどほり た    ころまで  しまひ仲間の乞食も帰つて人通の絶江る頃迄もさうしてうつむ

       かんぷう  ふ  ふゆ  よ      み    竜つかく5   た  いてゐる︒寒風の吹く冬の夜などそれを見れぱ折角浮き立った

  き      せうりんじ   やぷ  はら    あひだ なが  さかみち  気もめいつてしまひ少林寺の藪と原との間の長い坂路をそのこ

      かんが      かへ         わたし    ぱあ     僚どこ  とぽかり考へながら帰ってくる︒私はその婆さんに施さないこ

  とはたかつた︒

 この段落が削除されたのは︑前接段落と類同の内容のためくだく

だしくなるので整理されたものとみられる︒作者は﹁漱石先生と私﹂

において︑︿﹁銀の匙﹂が出た時分のこと先生はその縁目のことを書

いたところに︑あまりくどく同じ様たことがくり返してあるといふ

ことを非難した︒私はよくも覚えてゐなかつた二めか︑さういふこ

(13)

とがあまり問題に匁らなかった上めかなにかで︑唯き二流しにして

おいた︒その後先生はまたそのことを注意した︒私はまたき二流し

ておいた︒それからある時ふと思ひ出してそこを読みかへLてみた︒

そして先生の非難が当ってゐると思つた︒先生は私がいつもき上流

しにするので︑私がまだ気がっかずにゐると思ったのか︑この時も

またそのことをいひ出さうとした︒私は先生が二言⁝一目いひかげた

時に﹁あ︑あれは別りました︒﹂といつた︒先生はすぐに﹁あ︑さう

か︒﹂といってその話をやめてしまった︒こんなところが大変よかっ

た︒Vと述べていた︒このてんからも右の改訂事情を想定できよう︒       ︵2︶ なお︑初版本に付された﹁正誤表﹂においては︑誤植訂正のほか︑

次の改訂もなされている︒

○接続助詞くてVを付加する傾向

 たとえぱ

 く取出しV←︿取出してV

○文章を区切って短くする傾向

 たとえぱ

 くのいたのを︑V←︿のいた︒V

などである︒

︵1︶河盛好蔵は中がく顎という字の代りに︑

  ﹁銀の匙﹂本文調査 膳といつも書いているのも︑ 作者の好みの強さを語っているVと︑既掲﹃現代目本文学全集75﹄の﹁解説﹂で指摘していた︒︿曙といつも書Vくのは初版以後でこのような好みによる漢字の書きかえは次項に述べる改訂版時に多い︒︵2︶紀田順一郎はこの正誤表がく本文中の誤植についてではなく︑新聞連載当時と単行本上梓にあたつての相違を列挙したものVであると︑昭和40年8月7目付﹃図書新聞﹄のコラムで解説しているげれども︑その事実はなく誤である︒

四 初版から改訂版へ

 初版から改訂版に至るあいだに1なされた推敵箇所は全ぺ−ジ・ほ

とんど全文におよび︑質量とも最大の改訂であった︒こころみに前

編一の第一段落を取上げ︑その推破箇所を数えれぱ

初出から初版一一以雛枇る一

初版から改訂版へ

改訂版から岩波文庫旧版へ

岩波文庫旧版から全集へ 13箇所48〃3 〃

9  〃

 であり︑そのことがよくわかる︒

 初版と改訂版の異同は︑やはり︑

内容上の改訂にまとめられる︒

 表記上の改訂をみよう︒

一 用字 回の区分︑正誤︑

二五 表記上の改訂︑

(14)

     ﹁銀の匙﹂本文調査

︵一︶漢字を適宜かなにかえる︒代名詞・形式名詞の大概はかなに改

める︒ いきおい︑かなの使用が増加する︒これまた前編一の第一段落で︑

かなと漢字とを数えると

か套数一漢字の数丁益用率

初     出gnnU281I約69%初    版711約70%

改  訂  版g2u308約81%岩波文庫旧版g3308約81劣

全     集33308約81劣

 で従前より白っぽい字面にたった︒

︵二︶別体の漢字にかえる︒

  たとえぱ

  く着V←︿著V

 作者は﹁漱石先生と私﹂において︑ ﹁銀の匙﹂原稿を読んだ漱石

がく仮名を﹁めちやく﹂に沢山使ふことを非難した︒それは事実

であった︒仮名を多く使ふことについては︑一つは私の或主義から

一つは漢字に好悪があるので嫌な漢字を出来るだげ使はない為にさ

うするのであったが︑私はその時格別そんな弁明はしたかった︒V

と述べ︑初版﹁正誤表﹂前書においても︑︿﹁銀の匙﹂は約十年前        二六ある新聞に1前後二回に分載したものであるが︑送り仮名法や句読法や漢字のあてかた  漢字をあっべきか否か及びあてる場合の文字の選択  前者に関しては私が最初仮名を用ひたのをその原稿にっいて御厄介になった夏目先生の意向を尊重して漢字に書きかへたところが沢山ある  のかへたいのが無数にある︒それは今愈書物にして出すとなれぱやはり自分の流儀にしたくもあり︑また十年前と今目とは私自身多少考へや好みがちがってゐるからでもある︒Vと記しながら︑もちこしていたのである︒このため︑改訂版を機にー︑かなを多く用いたり︑好みの字体の漢字に直したりしたのにちがいない︒二 用語︵一︶同語の反復を避ける︒  たとえぱ  く小箱がしまってある︒箱はV←︿小箱がしまってある︒それ はV

︵二︶稚気を帯びた語も交え生き生きした表現をめざす︒

  たとえぱ

  く一っの方V←︿かたっぼV ︿散六V←︿さんざV

三 文体︵一︶口語化

(15)

  たとえぱ

  く露しらぬことV←︿つひぞ知らないことV

︵二︶文章を区切って短くする︒

  たとえぱ

  く飛のいたのをV←︿飛のいた︒V

用語・文体の改訂では︑本文を聴くときの配慮がきわ立っ︒今一

度引くが﹁漱石先生と私﹂にく﹁草枕﹂を非常に面白く読んだ︒そ

してなんでもその文章︑ことに語彙の豊福な点に最も心にひかれた

やうに記憶してゐるが︑併し先生が常に︑若しくは屡︑耳を無視す

ることに対してはいっも不満であった︒Vと記す作考は︑さすがに

く耳Vを重視する人であった︒

四 記号︵一︶くりかえし符号をやめる︒

  たとえぼ

  く色々なV←︿いろいろなV

︵二︶読点を加える︒

 これも前編一の第一段落でみると︑

初出 読点の数引点の数一総字数

QU        71

﹁銀の匙﹂本文調査^買U︸﹁U 句調点間の

平均字数

  9  3 初    版改  訂  版岩波文庫旧版全    集 911皇

 で︑読むときも見た目も易しくなった︒

︵三︶問をとるところを一字あきとする︒

  たとえぽ

  ・1\蓋をする時ぱんとV←︿蓋をするとき ばん とV

 いかにも字面や口調に注意する作者らしい改訂といえよう︒

 次に︑内容上の改訂をみよう︒削除段落︹○印で示す︑い印はそ

れに準じる長文の削除である︺が60箇所を超える︒すなわち

¢病身をなおすため水天官の御符を伯母さんと一緒に呑む︵前三︶︒

¢父二っれられ山王祭に行き機嫌を悪くした私は栄太楼の梅干です

かされる︒ ぽいごまの思い出︒¢蜆幅追いの回想︒6同邸内の車

夫の兼さんから鉋を貰い大事にする︵前八︶︒

@恐ろしい夢をうなされて泣く︵前九︶︒

¢末の妹が生まれ可愛がってやろうと意気ごみ大好きの栗とい名う

前を提案して皆に笑われしょげる︒@草地で遊ぶ︵前十一︶︒

@まわる風見鳥・匂う芋虫︵前十三︶︒

@伯母さんと庄屋の鉄砲で遊ぶ︵前十五︶︒

       二七

(16)

     ﹁銀の匙﹂本文調査

何父が子供達に︒維新当時の困窮生活を語る︵前十六︶︒

@伯母さんによる狐の晴き声の説明︒@伯母さんは時々手のっげら

れない痔癩を起こす︵前十九︶︒

@海老を買いに行って腹を立てる伯母さん︵前二十︶︒

@仏生会の思い出︵前二十一︶︒

@近所にあった三本の巨木のこと︵前二十七︶︒

@お仙ちゃんのお母さんも維新時にひどく零落した人だという︒@

ひかえめすぎるお仙ちゃんはいっも仲間はずれにされている︒@お

正月に私は大事の羽子板を持ってお国さんを誘いにゆく︵前三十二︶︒

ゆ二人の豪華た羽子板をお仙ちゃんが羨ましそうと見とれるから︑

彼女のみすぽらしいのと交換をする︒@しかし︑すぐとりもどすの

でお仙ちゃんはしょげてしまう︵前三十三︶︒

ゆ早朝の海岸は人がいなくてうれしい︵前四十一︶︒

@初来家のお惹ちゃんはたちまちわが家中の可愛がり子となる︒

幽お惹ちゃんの両親は肺を病んでいるときく︵前四十八︶︒

@お惹ちゃんは鶯がほうほげきょうでたく︑ひいごじみよと晴くと

言う︒@彼女はまた蝉の晴き声を鳥のそれと言いはる︵前四十九︶︒

ゆ私はお惹ちゃんに取り入る富公を嫉妬して燃え立つ思いだった

︵前五十四︶︒

@先生の引力説に不得心の私は質問をくり返す︒ゆっまった先生か 二八

ら怒鳴られ︑先生も無知と知る︵後五︶︒

ゆ歎満漢の先生をやりこめる︒学校が不愉快でたらない︵後六︶︒

鉤﹁小国民﹂誌を愛読する︵後八︶︒

ゆ漁師が舟を漕ぎ出してゆく︒鯛地曳網を私は見ていた︵後十一︶︒

ゆ一人で餌を取る漁師とであう︵後十二︶︒

ゆ孟蘭盆会に迎火をたく︒ゆあの伯母さんが亡くなって十三年もと

うに過ぎた︵後十四︶︒

ゆ私が目上の者を憎悪するに至った︑事のはじめは次のとおり︵後

十六︶︒ゆ私が何心なく見つげた墨のかげを︑父は人からの貰い物ときめつ

げ私を追求した︒嘘をっくとかえってゆるされたこの一件で︑目上

に対する盲信から醒めた︒ゆくあはれなる人の子よVと慨嘆︵後十

七︶︒ゆ私が六っの年︑祖母が死んだ︒@わげのわからたい私に死は静か

で葬儀は楽しいものとみえた︵後十九︶︒

ゆ桔梗の思い出︵後二十三︶︒

@近所の洋館へ独逸の宣教師が越して来る︒ゆ門前で遊んでいた私

と貞ちゃんとは異人さんの奥さんに邸内へ引張り込まれる︵後二十

六︶︒@通弁の皆川さんが来て︑立派な部屋を見せてもらう︒ゆ異人さん

(17)

の奥さんは気丈た人である︵後二十七︶︒

@ある目︑皆川さんに呼ぱれてあがったとき︑神の救いについてた

ずねる︒@私には悲しいことがあると告白した︒ゆ私は今度のクリ

スマスに必ず教会へゆくと約東して帰った︵後二十八︶︒

@しかしそのまま行げたいことに.たり︑それからは異人さんたちに

気各めがした︵後二十九︶︒

@言い訳をしたいと思ううち︑異人さんはどこかへ引越して行って

しまら︒@寂しく心細く残り惜しい気になる︒@空屋にもどってき

た異人さんの飼犬を涙ながらに見送る︒ゆ私は十三歳で中学へ入っ

たが︑次第に懐疑的になる︒@動物学の先生が勘違いから私を天才

ともちあげた︵後三十︶︒

@だが次の試験で零点をとり先生を苦笑させた︒@私は枇杷に︒水を

やるのを忘れ︑枯らせてしまったことがある︵後三十一︶︒

@十六の頃︑小犬を一匹飼って可愛がっていた︒@その犬が腫物で

醜悪になると︑嫌悪の清から追いまくった︵後三十六︶︒

ゆぱあやはっれあいの爺さんを嫌ったけれども逃げ切れなかったと

いう︵後三十八︶︒

@ばあやは一度死後の美しい路を行き︑もどって来たよし︒働ぱあ

やに灸をすえてもらう︵後三十九︶︒

@湯上がり︑ぱあやのくれた芭蕉の蜜をすう︒@竹竿でたたくとこ

      ﹁銀の匙﹂本文調査 ぼれる︑その蜜︵後四十︶︒@旧盆の夜は鎮守様の村芝居を見にゆく︵後四十一︶︒@姉様と別れ二三目して私も帰ることになる︒ゆ私は不幸にして生れた︒@自らの孤独に涙する︒@⁝︿あはれなる子よ︒汝の憧慣は永劫醒めること狂く︑また充されることもないであらうか︒V︵後四十七︶︒ 以上69箇所が削除される︒削除都としては︑まだこの他に段落未満の小部分が数多くあるげれども︑これだげで十分であろう︒ これらには︑煩墳箇所の削除ケースもあるが︑最も目立つのが登場人物の負的印象に︒かかわる箇所の削除ケースである︒ そのてんをさらに︑人物描写・境遇上と便宜的に二分して概観する︒

一 削除部・人物描写の負的印象

︵一︶︿私Vの思いやり不足︹@〜@︺︑︿憎悪V︹ゆ〜ゆ︺︑︿後ろ

  暗さV︹@〜@︺︑︿懐疑V︹@︺︑︿嫌悪V︹@〜@︺

︵二︶︿父Vの虚勢︹ゆ︺

︵三︶︿伯母さんVのく紺癩V︹¢︑@︑@︺

︵四︶︿お惹ちやんVのく強情V︹@︑ゆ︺

 たとえぱ︑子煩悩のく伯母さんVが反面く時々病的に手のつけら

      ︑  ︑  ︑れぬ瘡療を起すV人であったことは削除部で知られる︒︿のぼせV

       二九

(18)

     ﹁銀の匙﹂本文調査

症やく死に際にはひどく苦んだVことも削除された︒︿伯母さんV

のこれら負的印象は消され︑もっぱらく仏性の伯母さんV像が残さ

れたのである︒         ︵1︶ このてんは︑飯山論文に指摘済みなので︑ここでは重複をさげ

く登場人物は善良で明るいという一面性で描かれている︒それは︑

読者に登場人物を印象づげるためにも必要なことであり︑作品の美

しさの要素でもあるのではないだろうかVという飯山の結語を抄引

して先に進もう︒

二 削除部・登場人物の境遇上の負的印象

︵一︶︿私Vの家族のくみぢめな昔の生活V︹則︺

︵二︶︿お仙ちやんのお母さんVの零落︹@︺

︵三︶︿お惹ちやんVの家庭的不幸︹幽︺

︵四︶︿ぱあやVの過去︹ゆ︺

 これも一部は飯山論文に指摘済みだが︑できるだげ補述・新見に

っとめたい︒

 たとえぱ︑次の削除部分にっいてである︒

  父は声色のすむたんびに

   ﹁は上はあ﹂

  と大気らしい高笑ひをしながら間々に子供達に昔話をしてきか

  せる︒御維新まぎになって十八の年に父に死なれた時譲り受げ       三〇  たものといへぱ箆笥一樟と銭何文とやらにあとは借財であった  といふ話や︑廃藩置県後は御多分に漏れずひどく困窮して殿様  の方の御用の暇には内職に瓦を売つたり凧の骨を張つたりした  といふことなどで︑酒と得意が程よくまはれぱいっでも其頃伝  はったぴいひやりどんどこどんの洋式調練の話をはじめ︑陣羽  織を着た殿様の前で自分が指揮したといふをかしな和蘭語の号  令までやつてきかせた︒みぢめな昔の生活の忠実な伴侶であつ  た母は一も二もなく同感してそぱから相槌を打っ︒同じ様な境  遇を経てしかも無惨な敗北者であった伯母は昔を思ひ起してし  みぐと耳を傾け︑棟梁は煙隻かれてひたすら感心してゐた︒  ︵レ40︶ この部分をしぱらく実話として読んでみる︒と︑今のく洋式調練の話Vから想起されるは︑津田左右吉の父の懐旧談である︒津田も父からく洋式調練の話の出たことがあるが︑それに使はれた術語の

一っ二っをきいたくらゐであったと思ふ︒Vと記す︒津田の自伝﹃お

もひだすま上﹄︹昭和24年9月15目刊・岩波書店版︺は︑︿御一新

のころV同家中の者がくひどくおちぶれてVいくく運命の下におか

れたVことも記録している︒

 それも当然︑津田の父は中の父と同じ︑維新時の竹腰家臣だった︒

左右吉の父・津田藤馬はく天保十四年九月十四日︑今尾藩竹腰氏の

(19)

家臣で鉄砲術に−長じた親清︵俗名幾蔵︶の長男として生まれ︑嘉永      ︵2︶四年家督相続︑家禄は四十二俵V︵尾関公見︶であり︑勘助の父・

中勘弥は天保13年8月2日︑同名勘弥の長男として生まれ︵中和氏・

嶋田豊子氏の教示による︶︑明治3年12月・今尾藩庁権大属に任ぜ

られ︑明治4年10月今尾県からの届にょれぼ︑元高く百三十石V・      ︵3︶此現米く三十九石V・改正高玩米く十三石V︵森義一︶であった︒

 ところで︑今尾藩家臣群没落講が︑もう一つ︑やはり削除部に在

る︒   棟梁の辰さんにはお仙ちやんといふおない年の娘があつた︒

  お仙ちやんのお母さんはもと同藩で私の家などよりはずっと身

  分のある家の一人娘であつたが︑御維新の際散々零落した挙句︑

  ちよっとした問違ひから:::する様なことになったため︑家は

  めもあてられぬ有様になってしまったのだといふ︒お母さんは

  心臓が悪くて始終床にっきがちであったげれど︑家が裕でない

  ゆゑ病気の養生さへ思ふ様には出来ず︑昔のことを思ひ出して

  は泣いてることがあつたさうである︒どうかして気分のい二時

  には家へ来て涙ながら昔話をして行くこともあった︒母も伯母

  さんも昔を忘れずにお△△様々々々々と丁寧にとりあっかって

  帰ったあとではいっも︑昔どことかのお花見の時にお△△様の

  なりの立派だったこと︑世が世ならぱお供の女中の二人三人も

     ﹁銀の匙﹂本文調査   つれて歩く人だなど上いふ話をしては気の毒がってゐた︒ ︵レ  82︒伏字部11初出はくお父様が牢死V︶ これまた津田が同書叫胴〜湖にく大名のみぶんを一度はもってゐた人の末路として︑あまり例が無からうと思ふし︑明治のはじめの世相を示すものでもあるV︑旧主くタッワカさまVの急没落を伝えたあとでくっいでに︑この人の夫人にっいて聞いてゐることも︑こ上に書きそへようかとも思ったが︑わたしの記憶にたしかでないところがあるような気もするので︑まちがひがあってはいげないと考へ︑さしひかへておく︒もしまちがひがないとするならぱ︑それはやはり明治のはじめのころの世相の一面をあらはす話である︒Vと慎重な書き方ながら︑夫人の零落を暗示している︒︿お仙ちやんのお母さんVも類例であったにちがいない︒ 佐幕開国派だった今尾藩は︑維新時大打撃をうけた︒いわゆろ

青松葉事件〃がらみでお国とりつぶし〃に近い惨状にさらされ

たことは︑水谷盛光﹃尾張徳川家明治維新内紛秘史考説﹄︹昭和46

年3月−日刊・同氏版︺にくわしい︒

 今尾藩士のなめた辛酸が初出・初版﹁銀の匙﹂のそこかしこに反

映していたといえよう︒間題が拡大するので︑いまはただこれを登

場人物境遇上暗面の一とし︑それがほとんど改訂版で表面から消さ

れてしまったことだげに注意しておく︒

       三一

(20)

      ﹁銀の匙﹂本文調査

    ︵4︶ これら削除によって︑陰影的効果を減じたげれども︑作品世界の

純度は高められた︒

 注

 ︵1︶ 飯山論文が︑初版と改訂版との比較でなく︹後者の再々改訂である

  全集を底本とした︺岩波文庫新版との比較であるてんは厳密といえたい

  げれども︑そのことによる大差が無い場合なので︑ここにひく︒

 ︵2︶ ﹁津田先生のご両親﹂︹昭和40年9月刊﹃津田左右吉全集第24巻付録﹄︺

 ︵3︶ ﹃平田町史上巻﹄︹昭和39年12月−日︑平田町役場︺以捌︑洲︒

 ︵4︶ ちなみに︑削除部若千は︑もっぱら人間の暗部を扱う別の作品に生

  かされていく︒削除段落ゆに写生されたく見るも嫌らしい赤裸の犬Vが︑

  小説﹁犬﹂のく見るもいやらしい姿Vの犬像に発展していったように︒

五 岩波文庫旧版・全集

 改訂版本文を岩波文庫に収めるとき︑バラルビを付すなど︑作者

は手を加えた︒

 この岩波文庫旧版は﹁銀の匙﹂流布に大きな役割を果たした︒作

者自身︑昭和22年u月24目付・渡辺外喜三郎宛書簡︹昭和54年9月

20目刊﹃目本近代文学館﹄51号所収︺にく銀の匙は岩波発行のもの

のうち表紙を朱と緑系統の色に染めわげたもの︹小稿でいう改訂版︺

か岩波文庫本で御覧下さい︒それ以前に出た仮綴ちのもの︹小稿で

いう初版︺もありますが自分としては今はあまり好みません︒Vと述

べて︑改訂版・岩波文庫旧版の定本化にむかった︒右文につづげ       三二てく尤も多少文章がちがふだげで内容にたいした相違はありません︒Vとあるのを額面通りには受取れないげれども︒ その後さらに︑凝り性の作者は全集収録にあたりすこし手をいれた︒○助詞くてV︿でVに接続しく⁝し続げるV︿ずっと⁝するVの意を表すくゐるVの︑︿ゐVを省略する︒ たとえぽ くはひつてゐたV←︿はひってたV○読点をいくぶんか省く︒○用字を本来のものに改める︒ たとえぱ く一生懸命V←︿一所懸命V︑︿でろれん左衛門V←︿でろれん祭文V○語義を本来のものに改める︒ たとえぱ 餐の河原に石を積む子供の話でく親たちが供養を怠つたためにV←︿胎内で母親に苦労をかげながら恩を報いずに死んだため塔をたてて罪の償ひをしようとV たどである︒正誤し︑洗練された言葉遺いに直し︑美しい口調に変え︑ ﹁銀の匙﹂の彫琢はここにっきる︒初出以来実に半世紀近い

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