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韓日キリスト教の歴史的比較と未来の課題

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(1)

著者 徐 正敏

雑誌名 基督教研究

巻 63

号 1

ページ 14‑34

発行年 2001‑09‑28

権利 基督教研究会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004238

(2)

論文発表

韓日キリスト教の歴史的比較と未来の課題

An Historical Comparison of Korean and Japanese  Christianity and Their Future Tasks

徐 正 敏(ソ・ジョンミン)

Suh  Jeong-Min

序論 − 受容と展開過程の比較

この発表の目標は韓日のキリスト教の未来である。しかし未来に向かうためには歴 史的省察が必要である。 したがってこの論文で検討すべき主なる対象は、韓国と日本 のキリスト教の歴史である。韓日のキリスト教は歴史的経緯が異なりながらも、共通 の時代を過ごしたという面もあり、並列して考察することも可能である。両国のキリ スト教の歴史を検討し未来を展望するためには、二つの国の教会の歴史を共通点、相 違点、関係論等で区分して接近するのが有効である。そして、このような検討を加え る領域を分ける際、平面的で機械的な区分をせず、そこに内在している代表的な主題 を通して接近する方法を選択した。

第一に、政治的状況の中で規定されたという点に両国キリスト教の共通点がある。

両国のキリスト教は、民族的、国家的体制に対して親密な関係にあった。これが両国 の関係史を理解する上での基礎の一つである。両国のキリスト教宣教の開始は日本の ほうが早い。すでに 16 世紀中頃から始まったカトリック教会の伝来があり1、ついで 1872 年の横浜公会設立に示されるプロテスタントの宣教があったように2、すべての ことにおいて韓国の場合よりは時期的に早く始まった。しかし時期の差にもかかわら ず、両国キリスト教の展開過程における類似は多くの点で明らかである。まずカトリ ックの場合、苛酷な迫害期の共有において一致する。特にその迫害の原因が、伝統思 想の破壊や「外国勢力の浸透」に対する閉鎖性であったことに共通の面が見られる。

それはキリスト教という宗教そのものに対する憂慮だけでなく、政治的脅威に対する 恐怖をあらわしている。これはまた両国においてのちに開始されるプロテスタント伝

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道にも影響を与えて、日本のプロテスタント・キリスト教はそれなりに、また韓国プ ロテスタント・キリスト教は、カトリック教会との相違性を強調して、「反国家」的 主張、「反民族」主義ではないという立場を主張することにおいて、自らのアイデン ティティーを明らかにしようとした3

このような歴史的特性は、韓日プロテスタント・キリスト教の政治的傾向と立場に 大きな影響を与えた。すなわち韓日両国キリスト教は、いずれも伝道の開始期以来、

その信仰の内容は国家という共同体に対して適応して、その政治的な展開とその推移 に順応する存在様式を取り入れることに力を入れた。その後の歴史的展開は、両国の 教会の状況の変数によって違う方向を見せたものの、原則的に両国のキリスト教のこ の特徴は、一定の歴史的変革期を経て、政治的な不義に対する「抵抗的キリスト教と しての編成」4を確立する際に、影響を及ぼした。

第二に、信徒の霊的活力の源泉である信仰的な「内燃」、あるいは内面化の深さの 現れ方に両国のキリスト教の差異がある。

ここから両国のプロテスタント・キリスト教の特質を抽出してみるならば、その源流、

すなわち宣教されたキリスト教は、米国の「福音主義型教派教会」として展開され、

その特徴として、信仰復興、伝道への熱情、内面的な信仰の強調、さらに進んで国家 関係においては、いわゆる「政教分離」を根底にした類型であることが共通点である5 しかし韓国のキリスト教は、政治的状況に対応して「民族教会」としての方向へと歩 みながらも、ある時期6に「内燃」の過程を経過したと言うことができる。それに対し て日本のキリスト教は、その過去において信仰内面上の変革や深化の歴史的機会を経 験しなかった。すなわち韓日両国キリスト教が、政治的状況に関係づけられた歴史的 経験、また米国宣教師によって伝えられた福音主義信仰の受容と伝道という共通の源 流があるにもかかわらず、「内燃」の度合いにおいては明らかに相違がある。それゆ えに韓日キリスト教の歴史的展開過程に生じた、その差異の検討が重要である。特に

「内燃」の度合いを強める契機を経験した韓国のキリスト教は、朝鮮戦争期、経済開発 期という時期をたどりながら現世利益的な信仰、いわゆる個人の祝福を祈るタイプの 信仰を強調してキリスト教の量的成長に寄与した。その反面、「内燃」の度合いを強調 することの少なかった日本のキリスト教は、このような個人的信仰のタイプについて は積極的ではなく、キリスト教の量的成長をなすという側面においては弱かった。

第三に、文化的一致の必要性という両国のキリスト教に共通する課題がある。つま り、韓日両国のキリスト教が、ともに文化的な諸分野において、なお「外来性」を克 服し得ていないという共通課題がある。

教会の対外的態度としては民族と国家に対する政治的「順応」か、そうでなければ

「抵抗」の傾向が強力にあって、政治的な問題や社会的な課題には敏感に反応する側

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面を持つ反面、教会の内部にあっては西欧の教会の制度を導入することや教派の「伝 統」を踏襲しようとしたことによって、あいかわらず外来宗教としての側面を保持し 続けてきた。もちろん、日本のキリスト教の一部において、西欧的キリスト教の限界 を克服することを課題とした信仰共同体が存在し、時に韓国キリスト教においてもい わゆる「土着化神学」とか「土着化宣教」の議論が登場するが、キリスト教会がそれ 自体として、伝統文化との幅広い対話と一致をいまだ見出し得ていないという課題を 持っていることが共通的なことである。

以上 3 点の特徴を探っていくこと、すなわち韓日両国のキリスト教の歴史的共通性、

歴史的相違性について検討しながら、未来の共通課題をともに探っていくことが必要 である。もちろん両国教会の個々の特徴や両国教会が置かれた状況は異なっており、

両国教会間の関係史に対するそれぞれの評価も違いを示しながら展開してきた。した がって植民地統治の時代における天皇制国家のもとにあった韓日両教会の歴史をふま え、両国における政治的関係と葛藤を考察し、連帯と和解に向かって、そして共通課 題に向かって相互の使命を担っていくことが両国のキリスト教の課題であり、この発 題が模索するところのものである。

1. 政治的状況との関係

今上陛下の御治世は栄光なり、国民の栄光なり。吾々は……主なる基督を奉ずる国民 として、開進の国是に参し、微力を竭して陛下御宿志の萬一に報ひ奉つらんことを期す。7

◆  ◆ 

これは初期日本キリスト教の指導者である植村正久の文章で、特にキリスト教に対 する信教の自由が許容された後、その感激を天皇に対する忠誠として表現した内容で ある。プロテスタント・キリスト教受容期の日本の政治状況は、天皇制を中心に国家 体制を再編して強力な帝国主義国家の形成を目標としていた。特に天皇制国家体制の 確立において、社会はいわゆる「日本的」思想構造から逸脱する精神や信念に対して、

極めて排他的な雰囲気に満ちていた。このような雰囲気は、キリスト教を最も外来的 であり、最も反天皇主義的な思想を濃厚に持つ集団と見なしたし、これに対して警戒 する社会的雰囲気が醸成された。

◆  ◆ 

教会やキリスト教系学校は、天皇・皇后の恩徳を語り、忠誠の意を表明してきた。彼

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らは天皇制のもとに追い込められ、そのイデオロギーのとりこにされたという被害者意 識はなく、天皇制のもとにある自己を自覚し、そのイデオロギーとキリスト教をさまざ まな方法で結びつけながら、自らの活動をすすめてきた。しかし、当時の社会は、それ とかかわりなしに、キリスト教を反国体観念を唱える外来宗教として一方的に排斥した8

◆  ◆ 

天皇制強化期における近代日本の国家社会では、キリスト教はきわめて外来的であ り、反天皇主義的集団と見なされ、キリスト教を警戒する社会的傾向が強かった。

このような状況下において、日本のキリスト教が選択した存在様式は、最大限に日 本の国家的目標や天皇制イデオロギーに順応しようとする道であった。そして日本の 国家や社会がキリスト教の外来性をあげて警戒心をあらわし、特に天皇の神格化とそ れへの絶対的信仰を強制する国家態勢が進行していく中で、キリスト教を迫害すれば するほど、国家に適応しようとするキリスト教主流派の意志はより一層強化されるこ とになった。近代日本の政治的目標に対する日本のキリスト教の立場は、全体的に見 れば国家に順応するものであった。日本のキリスト教は、類型的には広義の「民族教 会」という範疇に分類されるが、その国家の実体が強力なファシズムの方向へと向か い、あらゆる思想を統合していく状況下では国家の目標をキリスト教自らが率先して 宣揚していくことになり、その点では「親衛的キリスト教」9を志向したのである。

一方、受容期における韓国のキリスト教の方向はどのようなものであったのか。

◆  ◆ 

ソウル耶蘇教信徒たちが大君主御誕生祝賀会を開いて、人々が千名ぐらい集まって愛 国歌を歌い、大君主陛下の聖体の安泰と朝鮮人民の富強を祈願し、全国人民の心を一つ にして助け合い、愛し合って、願わくは朝鮮が自主独立し、人民が他国人民と同様な扱 いを受ける……君主と国旗を自分の命より大事に思い……国の名誉と栄光を他の事より さきに考え、すべて神に祈ることは朝鮮を憐れんでくださり、他の国と等しく、祝福を 受けるように助けてくださいと数百名が心をひとつにして頭をたれ……10

◆  ◆ 

日本のキリスト教がその受容過程で国家や社会からの排他的雰囲気に直面しながら 国家に順応していく存在様式を強く持つことになったのに対して、韓国のキリスト教 の場合は一部異なった側面がある。

その一つは、韓国のキリスト教は、初期の入信者自らが、キリスト教への入信の意 味と意義を、救国あるいは民族的愛国心の強化として理解していた。もちろんこのよ

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うな態度は来韓した宣教師たちの政治的態度や彼らの神学的傾向とは相反したものだ った。全体的に見れば、韓国の当時の歴史的状況を国家や民族の危機として認識して 民衆の叫びや願いを受け止めた一部の先覚者らは、西欧文化の積極的流入を検討し、

その一環としてキリスト教の受容も強調したのである11

このようなキリスト教の受容の目的は、西欧文化の受付窓口としてのキリスト教、そ してキリスト教を媒介として西欧諸国との関係を作ろうとする傾向を見せた。もちろ ん韓国プロテスタント・キリスト教の場合も、カトリックの受難以来持続してきたキリ スト教に対する政府や民間の排他的雰囲気を意識しなければならなかったが、すでに プロテスタントの受容以後の韓国の状況は、国家体制や伝統的社会的結集力による外来 思想に対する排除の力は非常に弱体化した状態であった。むしろキリスト教を受容し た者により国家共同体の危機を打開していこうとする自発的運動がすすめられなけれ ばならなかった状況であった。これを詳細に比較すると、日本のキリスト教の場合、そ の国家社会に対する適応のエネルギーが外部的条件、国家的統制力であるとか排他的 な社会の雰囲気に徹底的に規定されたとすれば、韓国のキリスト教の場合は、キリスト 者自らの民族的アイデンティティーの追求、キリスト教の役割と有用性の面において民 族国家の現実的な寄与を目標とした自発的適応モデルということができる。

次に、韓国のキリスト教が、帝国主義の侵略や植民地主義とは無関係に受容された ので、民族国家との関係において自由であり得たとする論議もないわけではなく、説 得力を持つ見解もある。

◆  ◆ 

帝国主義国家から伝えられたキリスト教が、韓国において初期の時代からこのような 民族運動に参加したという主張は、西欧教会の宣教の歴史から見れば、容易に肯定する のは難しい。なぜなら宣教の歴史はキリスト教国家である西欧帝国主義国家のアジアお よびアフリカへの侵略の歴史と密接に関連しているからである。……韓国のキリスト教 会は帝国主義国家の直接的な侵略の対象として認識されなかったから、むしろ抗日運動 に参加できるような条件を備えていたのである。韓国のキリスト教宣教のこのような特 殊性に、キリスト教は李王朝末期の開明派知識人によって民族の自主と独立を守って近 代社会に移行するための理念的土台として見なされることによって、韓国教会は草創期 から容易に民族運動に参加することができた。教会と民族運動の結合の過程に対するこ のような説明はその主要な背景を宣教と植民地主義の分離から論じている。12

◆  ◆ 

したがって韓国の場合、単純にキリスト教を受容した者たちの積極的意志だけでな

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く、その受容環境が、民族や国家との関係において有利に作用したのである。これは全 体的に韓国のキリスト教の宣教が、西欧植民地主義とは関係なく展開されて受容された という意味であり、むしろ結果として、日本帝国主義の侵略過程が、愛国的、あるいは親 民族的という方向に傾斜させていったという伝統的な解釈である。これまで議論してき たことにおいて共通している点として、韓日両国のキリスト教の中に民族や国家との関 係における政治的偏向性の証拠を指摘することができる。ところがここで注目すべきこ とは、同様に「民族教会」という形を体現した両国のキリスト教における政治的偏向性 の内容とそのあり方である。

◆  ◆ 

韓日キリスト教はその歴史的実存過程において共通点と差異点をあらわすこともあ る。両国のキリスト教が受容以来、宣教的課題として「民族」、あるいは「国家」の問 題に共に直面したという事実は共通している。…… しかし何故両国のキリスト教は共 通的な民族的課題の前で、互いに正反対の論法で自らのアイデンティティーを説明した のだろうか。これもやはり「状況的制約」という概念で説明するしかない。国家と民族 の強力な実体的存在があるかどうかが問題なのである。13

◆  ◆ 

韓日両国のキリスト教の共通の課題は、それぞれに民族や国家との関係、あるいは 政治的関係のありようを手掛りとして探ることができる。このような課題を論ずる場 合には、両国の教会の実存的状況の中で、それぞれの教会自身の課題を問うというこ とでなければならなかった。

このような過程でなされた日本のキリスト教主流派の韓国伝道は、一面では、他の第 三世界の被宣教地域で行われた西欧キリスト教の帝国主義的宣教モデルと同じ類型で あった14。それに対して韓国のキリスト教は、いろいろな形態の民族運動に参加して抵 抗し、植民地統治に対して批判的立場を明らかにするに至った15。しかし日帝末期には、

韓国のキリスト教でも圧倒的な「日本化」の過程が進行し、両国の教会はともに同じ政 治的関係の中にも置かれた。韓国の教会は、日本による植民地統治の中で、教会の一 致という神学的名分の下に組織的次元で協力することを強いられた。

つまり日本の教会が自ら進めてきた国家社会との「近親性」を見せた一方で、韓国 のキリスト教は日帝に抵抗した「民族教会」としてのアイデンティティーをこの時に、

組織的には喪失することになった16

戦後の韓日両国のキリスト教、そして両国の政治的立場や置かれた状況は大きく変 化した。

(8)

戦後の日本のキリスト教が画期的な変化を示したのに対して、韓国のキリスト教の 場合は、一部において多様化という複雑な様相を示した。日本のキリスト教は戦後期 を経過した後、かつて日本の政治的論理に順応して日本の民衆と日本侵略下に置かれ たアジアの民衆に対して犯した歴史的罪責を告白し始めた。その頂点は、1967 年 3 月 に日本キリスト教団議長鈴木正久の名前で発表された「第二次大戦下における日本基 督教団の責任についての告白」である17。これを主要な転換点として日本のキリスト 教は、政府や社会に対して預言者的機能を遂行しようとする歩みを選択した。

すなわち戦後日本の新しい右傾化現象や経済的再興とともに推進されてきた軍事大 国化、また天皇制の再編強化、歴史教科書問題に代表される歴史的過誤を認めない傾 向などにあらわされる、いろいろな政治的社会的問題に対して、教会が批判と戦いの 声を出し始めたのである。これは日本のキリスト教が、政治的な問題に対して敏感で あるという傾向は保持しながらも、その立場を「公義」という預言者の立場で大きく 変化させたことを示す。

一方韓国のキリスト教では、既に経験してきた持続的な信仰のタイプに変化が起こ り、政治的な立場を明確にするという意味における傾向、具体的にはいわゆる「民族 教会」としてのアイデンティーがかなり弱まったといえる。また解放後、分断と戦争 の民族的危機の中で、教会内の内部分裂に没頭するという没歴史性を見せて、李承晩 政権のもとでは「政治的近親性」を強力に発揮した。ただし 1960 年の 4 ・ 19、61 年の 5 ・ 16 という政治的事件を経過しながら、その後一定期間続いた軍事政権と開発独裁 の時代に、一部で新しい神学的自覚が呼び起こされて民主化運動、民衆運動を推進す る社会抵抗的な神学と運動勢力も生み出した18。しかし、これはやはり少数の進歩的 なグループであって、その範囲は限定されており、大半の韓国キリスト教勢力はいわ ゆる「非政治的政治主義」(non-political politicism)として19、現実の政治に対しては、

暗黙の形で同調する様相を見せた。このように考えると、解放後の韓国のキリスト教 は、政治的立場の変革に対する関心が極めて低い水準にあることを指摘できる。ただ し、先に言及したように大多数のキリスト教会がいわゆる「政教分離」を主唱しなが らも、政権追従的な反応を見せていることも指摘できる。このような態度を政治的な 関心のカテゴリーの中で考察すれば、これは実は充分に政治的な偏向的特性を維持し たものであると言える。

2.信仰的「内燃」 (内面化)の度合いをめぐる問題

聞く朝鮮国に著しき聖霊の降臨ありしと、幸福なる朝鮮国彼女は今や其政治的自由と

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独立とを失ひて、其心霊的自由と独立とを獲つつあるが20

◆  ◆ 

1907 年の韓国教会大復興運動の過程を見た内村鑑三の評論である。もちろん、韓国 教会で行われた大規模な信仰復興運動に対する驚嘆を表現したこの論説を、いろいろ な側面で検討してみる必要がある。内村の韓国観を全体的に検討すれば、彼の韓国人 や韓国教会に対する認識を肯定的にのみ論ずることはできない21。しかし、純粋にこ の復興運動にキリスト教信仰が果たした内的影響、過程、結果に対する彼の評価は、

正当な理解を持ったものと見ることができる。特に宣教の歴史において日本のキリス ト教が成し遂げていなかった聖霊降臨の体験、信仰的更新の歴史を、韓国の教会が迎 えているという事実を指摘したのは重要であった。もちろん内村は、韓国で生起した 聖霊降臨、すなわち 1907 年の大復興運動が宣教師たちの主導で進行した依存的で受動 的な運動の性格を持っていることを前提にして、このような韓国教会で先に起きた信 仰の強化、霊的更新の「プロセス」が決してうらやましいものでないのみならず、日 本のキリスト教もまた、このような信仰運動を自主的に発揮させる時が来るだろうと 断言したこともある。その意味ではこれは大復興運動以後、韓国教会の主導権が急速 に宣教師たちに移されて、表面的ながら以前の韓国キリスト教があらわした独自的

「民族教会」としての傾向を失ったことに対する評論であるとも言える。

◆  ◆ 

時間に於ては朝鮮国に先きだたるるも、方法に於ては矢張り日本国が優さるであらう と思ふ、朝鮮国は或ひは日本国に先だちて外国宣教師に依て基督教国と成るであらう、

然しながら日本国は其自国の民に由て自から基督教国と成るであらう、… 我等は朝鮮 人に後れてキリストの弟子と成るならんも、彼等よりもより好き方法に由て其栄光に入 るであらう、朝鮮国は或ひは欧米宣教師の最大の穫物として神に献げられるであらう、

乍然、日本国は自から己を神に捧げるであらう22

◆  ◆ 

先の韓国教会の大復興運動に対する淡泊な評論とは異なり、その 2 年後に記述した 内村の預言では、一部に的外れな指摘を発見することができる。もちろんこれはあく までも日本の韓国統治期を一つの時代的単位で見る時代区分の前提があるときに可能 な論法である。

第一に、韓国のキリスト教の特質と進路に対して、「宣教師たちの最大の宝物」、すな わち韓国のキリスト教の独自な歩みと民族問題に対する参加が遮断されたまま依存的

(10)

キリスト教として展開するであろうとする、彼の将来の展望に関する部分である。もち ろん韓国キリスト教が、大復興運動以後の過程で、神学的にあるいは教会政治的に宣教 師に対する依存度が強化されたことを否定することはできない。一時的に一部の場合で あるが、初期韓国のキリスト教指導者の多数が教会を離脱したり、指導的リーダーシッ プを喪失した事例も多数見られる。しかしここでより重要な事柄は、初期韓国キリスト 教の最も大きい特徴であった民族問題に対する態度の変化の問題である。特に当時、

韓国駐在宣教師の共通の見解は、韓国教会が民族問題、抗日抵抗路線から離れて、個人 救済や内面的信仰運動に没頭することを願っていたのである。もし名実ともに大復興運 動以後韓国教会が宣教師の完全支配下に、彼らの「最大の宝物」として確立していたと すれば、それ以後の韓国キリスト教の抗日運動の様相は、歴史的実際の流れとはまった く違う道を歩むことになっていたであろう。

しかし以後展開した「105 人の事件」、「3・1 運動」だけでなく、1920 年代以後持続し た農村の啓発運動、社会改良運動などの改良的キリスト教民族運動、ついには日帝末期 に現れた「神社参拝反対運動」などの過程は、韓国のキリスト教の民族教会的運動の新 しい流れを形成している。

総じて結論的に言えることは、歴史的変遷の中にあっても韓国のキリスト教の民族的、

政治的アイデンティティーは持続したということであり、むしろいわゆる「内燃」の過程、

すなわち信仰的成熟と内面化の度合いを合わせる過程を通じて、その「内燃」の発露と しての「外延」の強度と幅がより一層強化されて広がる特徴を見せたのである。同じ民 族キリスト教としての実践過程においても、韓国のキリスト教は単なるイデオロギー的 理念とその活動の動員組織としてのみ受け入れられたのではなく、信仰の「内燃化」過 程を保持しながら、教会の信仰の成熟度を高めたのである23

このように韓国の民族的キリスト教の展開を指摘できる反面、他方ではこの時期のキ リスト教は、保守的な信仰運動、根本主義的神学の確立等によって、教会の雰囲気が異 なったもう一つの変化を見せた。吉善宙、金益斗、李籠道に代表される信仰復興運動 者たちが政治的目標や社会的更新よりは、個人の救霊と恩寵の体験を強調する流れを 形成した。これらの信仰運動の影響が先なのか、当時の植民地下における韓国の民衆 の霊的な要求が先なのかについては、別な検討が必要であるが、それよりもこのような 信仰内面化が韓国のキリスト教の主流として登場した現象自体は注目していいことであ る。ところが実は、このような韓国キリスト教の根本主義的で保守的、あるいは内面化 された個人信仰の特性こそ神社参拝反対運動では、いわゆる受難のもとにあった民族 キリスト教における抵抗の主体となるのである。

◆  ◆ 

(11)

朱基徹牧師はこのような政治的状況の中で能動的に対処したのではなく、また日帝に 直接抵抗しようとしたのでもない。ただ彼は徹底して信仰に立脚し、そこに命を捧げた だけである。その信仰に対する熱い思い、そして神への誠実、そして信仰の内に燃える 力が、結果的に「自ら」日帝に対する根源的で原点的な抵抗に「現象化」したのである。

これをいわゆる「抵抗の現象学」という。24

◆  ◆ 

結局、信仰の「内燃」の度合い、内面化の成熟は、民族キリスト教の目標を直接的に遂 行する過程においても、信仰による決断の強化、そして信仰を持った者としての信仰の 社会的表明、すなわち「自動外延」の側面において、多様なエネルギーをもって広く作用 しただけでなく、それ以外の部分でも新しい抵抗パラダイムとなって現出したのである。

すなわち信仰の度合い、その純粋性だけに固執した保守的な信仰者やそのグループが、

特殊な状況構成の中で民族キリスト教として、抵抗の先鋒に立つ結果を見せたのであ る。日帝末期ファシズムの絶頂期に、また日本国体の権威を宗教的な次元にまで高め て彷彿させるほど高揚した時期に、天皇の神聖性について信仰の立場を明確にし、そ の権威には屈しなかったのであった。非参与的、非政治的信仰を持った人々が、むしろ 強力な挑戦勢力として登場したのである。彼らの究極的な信仰の論理は、特殊な状況下 に猛烈な政治的抵抗となり、また韓国の民族的理念を具現する現象とまで見なされる 状況を作ったのである。これは抵抗主体となった信仰者の社会的、政治的認識という 認識の問題ではなく、信仰者の信仰対象に直接関与し介入してきた事柄に、信仰者とし て危機意識をもって対応したことによる。それゆえにこれらの信仰者の抵抗運動を、あ くまで「現象」と呼ぶのである。以上のように、大復興運動以後の日帝下における韓国 のキリスト教は「内燃」、あるいは「内面化」への強化の過程を経て、「民族のキリスト教」

となり、その政治的偏向性の傾向にもかかわらず、一定の宗教的役割を確実に担ってい たと考えられる。しかも「民族」と「信仰」を真剣に一体化させた金教臣の神学まで到達 すれば、政治的偏向性を持つ「民族キリスト教」に、新しい次元を提示し得ることもある。

◆  ◆ 

朝鮮より良いところが地球上にほかにあるのか。たとえ白頭山がなかったとしても金 剛山がうまれなかったとしても、それでも朝鮮は、ほかにはない朝鮮だと考えるのは、

もちろん私たちの主観である。世上に第一良いことは聖書と朝鮮であり、聖書を朝鮮に、

そして愛する者に与えたいということ、これは変わらない。空の星でも取ってあげたい が、人の力には自ら限界がある。ある者は音楽を朝鮮に与え、ある者は文学を与え、ま たある者は芸術を与えて、朝鮮に花を咲かせ、服を着せて、冠を被らせるが、しかし我ら

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は朝鮮に聖書を与え、その筋骨を立てて、その血液をつくろうとする。同じキリスト教 でも、ある者は祈祷生活の法悦の境地を主張し、ある者は霊的体験の神秘世界を力説し、

またある者は神学知識の組織的体系を大事にするが、我らはただ聖書を学んで聖書を朝 鮮に与えようとする。より良いことを朝鮮に与えようとする人は与えてほしい。我らはた だ聖書を与え、微力を尽くす者である。故に聖書を朝鮮に …… 広く深く研究して、 永 遠な新しい朝鮮を聖書の上に立てなさい。故に朝鮮を聖書の上に。25

◆  ◆ 

これに比べて、日本のキリスト教が成し遂げた「内燃」の度合いや内面化の成果は いかなる様相を見せたのだろうか。もちろん日本のキリスト教は、初期からキリスト 教信仰の宗教的深みに一定の関心を持っていたことは明らかである。

◆  ◆ 

(使徒たちが)聖霊ノ感化ニヨリテ政府ノ主張ニ対シ頑強不屈ナル如ク、我等ニモ亦 剛強ヲ与ヘンコトヲ希フ。26

◆  ◆ 

日本の初代教会の信仰中心論者たちの主張には、あらゆる偶像はもちろん、政治的、

社会的などの勢力の前でも信仰そのものに立脚する信仰者の気概を目標にする立場が 表れており、特に聖霊感化の価値を最優先に置いた「宗教性」が窺える。しかし日本の キリスト教の雰囲気は変化していく。先の横浜公会設立当時の初代の教会人の基本的 な主張さえ、その規則自体に反映されなかったし、その後の日本の政治的社会的な状況 に適応して「諸々の権威」、すなわち日本国体の絶対的権威である天皇に対しても隷属 する特徴を見せた。以後、特に戦前期にキリスト教の信仰の論理の優先、あるいは聖霊 感化、あるいは個人救済の内面化信仰を重視する事例を日本のキリスト教の主流派に見 つけるのは容易ではない。ただし一部の小教派や個人的信仰者の間で、韓国で見出さ れる「タイプ」の信仰優先主義や抵抗への事例が見られることもあった。しかし彼らが 数において少数であっただけでなく、また主流派の教会の脈絡の中で生まれたこともな く、「セクト的」性格が強いという例外性を持ったことに、その限界がある27。このよう に見る時、日本キリスト教史においては、韓国キリスト教と同様の信仰内面化の深化過 程は不十分であったと言える。したがって、この部分で両国キリスト教が示した相違性 はより明確であり、その後のいろいろな進路とも密接に関連していることを発見できる。

このような特徴は、戦後から現在にいたる両国のキリスト教の信仰様態上の特徴や 量的拡散の問題としても論議することができる。すなわち韓国のキリスト教は、信仰

(13)

の論理を土台にして解放以後の教会史において新しい大衆化というパラダイムに入っ た。ここにまた南北分断と朝鮮戦争という歴史的状況が作用して、新しい信仰様態の 構築はより一層拡がっていくことになった。

◆  ◆ 

戦後(朝鮮戦争)の絶望的な雰囲気の中で、多数の人々が生存と安定を希求した時期 には、進歩的な社会参与よりは、信徒個人の生に関心を持つ根本主義的な信仰、またペ ンテコステ運動を含んだ復興運動が広がっていた。いわゆる戦後の教会は、おおむね根 本主義的な復興運動を通じて、信徒たちの生存への願いに応答したのである。根本主義 的な信仰体系が精神的混乱から逃れようとする信徒個々人の霊性的欲求に応答したとす れば、復興運動は彼らの霊的な要求とともに現世的要求を満たした内容で、多くの信徒 たちの関心と人気を呼んだ。このように戦後の社会的要求に応答する過程から信仰体系 は復興運動によって主導される現世的信仰体系にその姿が変わっていった。28

◆  ◆ 

信仰内面化の過程が比較的充実した韓国のキリスト教、特に根本主義神学と復興運 動的な信仰を追求した韓国教会は、分断と戦争という特殊な状況下で生存の問題、現世 的祝福と「神癒」を中心とする信仰傾向を形成した。もちろんこのような韓国キリスト 教の現世的信仰様態の根源を、伝統的なシャーマニズムの影響で議論する神学的分析も 有力である。しかしそれを基本的な基調として認めるとしても、先に述べた戦争と分 断、急激な社会変動などの歴史的状況の要因がその拡大の中心要因であったことは疑 問の余地がない。要するに韓国のキリスト教の歴史的経験の中で、根本主義的で復興 運動的な信仰内面化過程があったのである。もちろん日本の宗教伝統にも、その程度と 様相の差はあるものの、現世的祝福を希求する傾向を強く持ち、一定の時期、特に戦後 の廃墟の中で民衆の生存問題が大きく台頭した状況が存在した。したがって信仰類型に ついてお互いに他方の展開を、内面化の歴史的経験への契機として考察することができ る。但し、このような比較分析には、もう一つの課題として、韓日両国でキリスト教を受 容した階層、すなわち信徒の社会階層についての社会学的な分析が必要である。29

以上の比較過程を通じて見れば、信仰の内面化の過程、これを一つの前提として祝 福中心の信仰様態の形成部分で韓日両国キリスト教の格差は比較的大きい。ここに政 治的傾向についての歴史的経験の共有とは反対に、互いに相違する背景と経験が姿を 見せているのである。

(14)

3. 文化的一体感の課題

韓国のキリスト教は韓国の宗教の一つなのか。日本のキリスト教は日本の宗教の一部 を構成しているのか。キリスト教は韓日両国で依然として外来宗教でしかないのか。こ のような問いは、両国キリスト教の現在の位置と未来の課題を凝縮するものである。

◆  ◆ 

宗教の社会政治的な機能から見る時、キリスト教は、韓国の宗教としての地位を獲得する のにある程度成功したと言える。しかしキリスト教は国民一般にはなじみのない信条と韓国 の伝統文化に対する排他的態度のために、相変わらず多くの韓国人にとっては親近感を与 えていない。さらに多くの韓国の教会はキリスト教の福音を韓国の文化体系の中で解釈し伝 達することに関心を持たず、主に改宗者を求めることにのみ熱中してきた。30

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韓国のキリスト教を中心に調べてみると、その「外来的イメージ」に変わりはない。

確かに、韓国は被宣教国でありながら、いわゆる「民族教会」としての実績とアイデ ンティティーを確実に構築してきたというイメージは明瞭である。民族と同苦同楽し た外形的な民族運動の成果においても、信仰における民族感情との一致の過程を通じ て形成された「民族と共にある教会」という性格についても、あらためて証拠を提示 する必要がない程である。もちろん時代によって、その役割の程度と範囲は変化した。

しかしながら、韓国キリスト教において、民族問題は常に重要な課題であった。それ にもかかわらず未だに韓国において、キリスト教が外来的なイメージを持つ理由はど こにあるのか。単純にまだ歴史が短い宗教であり、西洋から伝来された信仰体系の本 質のためであると結論づけることが正しいのか。しかしこのような理由だけでは「民 族キリスト教」が自ら外来的イメージを徹底的に克服できない原因を説明するには足 りないのではなかろうか。これはやはり金興洙教授が指摘したように、民族キリスト 教の主題が「政治」にあったことから解かれるべき課題と言える。

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プロテスタント・キリスト教が韓国に紹介された後、まもなくして韓国は日本の植民地 支配を受けるようになった。民族主義的感情がキリスト教のサークルの内で噴出してい たゆえに、日本の植民地主義者は初めから教会を疑った。……キリスト教徒の民族愛は 弱まらなかった。復興運動が全国の教会を巻きこんだ 1907 年、多数の教会指導者が参 加して秘密結社団体である新民会が組織された。その後、日帝は寺内総督謀殺陰謀事件

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を捏造して百余名の民族主義的キリスト教指導者を監禁、拷問した。1919 年 3 月 1 日、

全国的な独立運動が日帝の植民地政策に対抗して起きた。天道教及び仏教指導者ととも に教会指導者もこの運動に参加した。よく知られているとおり、独立宣言書に民族代表 で署名した人々の中で、教会指導者は 16 名であった。キリスト教徒がデモを主導した り組織したのは全体のデモのうち 25 %、天道教の人々と共同で行ったデモは 38 %に達 した。1919 年末までの日帝側服役者統計によれば、キリスト教徒の服役者は 17.6 %を 占めた。その当時キリスト教徒の比率は、全体人口の 1.5 %にしかならなかった。この 点で韓国プロテスタント・キリスト教は、ある程度韓国民族主義と結びついていたと言 うことができる。キリスト教歴史家は、韓国教会史でこの事件を際立たせながら、3・1 運動を通じてキリスト教が韓国社会からようやく「民族宗教」として認められるように なったと指摘する。この頃から韓国の教会が米国教会の延長線上にあるという要素と韓 国的教会形成という要素を持ち始めたことを見せているが、韓国キリスト教徒の独立運 動への参与は民族教会論の有力な証拠になっている31

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すなわち整理すれば、民族の受難の状況の中で、その苦痛をともに味わった国権回 復のヴィジョンに向けて新しい指標と可能性を開拓していったキリスト教の過程は、

十分に民族的である。またこれが「民族宗教」としてのアイデンティティーに大きく 近づいたことに間違いはない。しかしこれはあくまでも「政治」の領域に限定された 民族のアイデンティティーである。

もちろん韓国のキリスト教の歴史全体を見る時、政治的な領域以外の問題、すなわ ち文化的領域において「民族的キリスト教」として韓国キリスト教を展開させようと 努力した痕跡が全くないわけではない。初期宣教師の宣教政策32と韓国文化と歴史に 対する研究意欲、初期指導者崔炳憲の韓国の伝統とキリスト教を接続しようとした努 33、金教臣の「朝鮮的キリスト教」34運動 、崔泰 の土着「福音教会」などにその 痕跡は示されている。その他、解放以後、本格的な「土着化神学」の研究と適用、名 実ともに韓国創出の神学である「民衆神学」の生成等で、その可能性を窺えることと なった。しかしこのような部分的努力が少数でなされたり、一時期の運動でしかなか ったということに加えて、性格上単純な神学的論議に留まったこと、また「民衆神学」

の場合、従来の「民族教会」の場合を上回る「政治指向」を持ったことなどによって、

韓国のキリスト教は「文化的課題」を解決するのに失敗することになった。

一方、日本のキリスト教を同じ観点で見回した場合でも、類似の結論が導き出され ることが発見できる。すでに述べたように、受容初期から持続した日本のキリスト教 の「日本化」「日本的」という目標も、多くの場合、政治的問題に集中した。日本の

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キリスト教は、韓国の場合よりは、多少強力に初期の教会の行動、制度、財政の諸側 面について、教会としての自立、独立の意欲を見せており35、少数者としての限界は あるにしても、内村を中心とする強力な「日本的キリスト教運動」などがあったが、

これもやはりキリスト教の外来性という性格を文化的に克服するまでには至らなかっ たと結論づけるしかない。すなわち受容以来日帝ファシズム絶頂期に達するまで、日 本のキリスト教は、徹底して日本化や日本的キリスト教を推進した。これ以上「国体」

と一つとなるのに没頭したキリスト教をさがすことができない程であった。しかしこ れは全体的に政治的な領域の事柄であった。日本のキリスト教は神学的名分とか制度 的特性、さらに教会の信条や行動綱領に至るまで日本の国家政策に順応する努力を見 せたが、これも政治的意味での一体であって、民心の底辺の情緒や伝統、文化の範疇 で進められた「日本化」ではなかった。また戦後日本キリスト教の政治的立場の変革 とともに、一部神学者らによる神学的論議も注目するに値する成果を見せている。「日 本的神学」の討論、伝統宗教との対話、第三世界の神学的立場36の検討なども比較的活 発に展開したし、何より日本社会が抱いている固有の問題37に対して、日本のキリスト 教が正直な応答を持続している点は大きい意味を持つ。それにもかかわらず今日の日 本のキリスト教が、日本の民衆から「日本の宗教」として容認されていないという事 実を、単なるその数的劣勢や「パーセンテージ」38だけで説明することはできない。

以上、両国キリスト教の未来の地平を「文化的課題」に絞って考察した。これを歴 史的に検討してみる時、「底辺」と「核心」を同時に考慮して真の一致を成し遂げる媒 介は、やはり文化の領域であるというのが論議の前提である。

結論−歴史的特性の整理と未来の地平

この発表の結論的課題は「未来」である。ただしその「未来の課題」を生み出すため に大部分の議論を、歴史的な検討に集中させなければならなかった。言い換えると韓日 両国のキリスト教がどのように「政治」と関わったかについて歴史的な検討を加え、

さらに両国のキリスト教の課題として、どのように「文化」と関わってきたか、という ことを検討しながら、両国のキリスト教の未来を発見しようとしたのである。すなわ ち両国のキリスト教の歴史的状況は「政治的関係性」で説明することができ、未来の課 題は「文化的関係性」で解決していくことができるという可能性を提起したのである。

「政治的関係性」から「文化的関係性」へと軸点を大きく移動させて考察していく中で、

詳細な要素と特徴、領域が見出される。これを整理しなおし課題を明確にしていくこ とによって、未来の地平、つまり「文化的関係性」の課題を共有し得るであろう。

(17)

そのために、まず両国キリスト教の歴史的流れの中で析出される特徴的な領域を整 理し図式化して説明する。

< 表 >  韓日両国キリスト教の領域別対比

政治関係性 内面化過程 政治的立場変革 現世的信仰の創出 文化一体

韓基

日基

整理すると、受容期以来政治をめぐる関係において、韓日両国キリスト教はともに強 い特性を見せる。すなわちともに「民族国家と関係づけられたキリスト教」という歴史 的特徴を持っているという意味である。しかし「信仰内燃」、すなわち「内面化過程」の 経験では、韓国のキリスト教が持続的な更新、強化の経験を持ったのに対して、日本の キリスト教の場合には、明確な経験を論議するのは難しい。この内面化の経験は、キ リスト教信仰が「外延」される過程で、多様な様相を持てるかどうかということとも関 連する。すなわち信仰の社会的表出の範囲を決定する要素でもある。戦後教会の政治 的立場変革という点では、日本のキリスト教が「罪責告白」の過程をたどりながら、い わゆる「預言者的機能」を確かに回復した反面、韓国のキリスト教の場合は他の様相を 見せる。すなわち初期の民族教会としてのアイデンティティーが弱まった後、特に解放 以後には政治的預言機能をほとんど喪失して、1960 年代以後復活してきた預言者性の 傾向も一部進歩的少数派に限定される。すなわち日本のキリスト教が、戦後において たとえ少数勢力であるにしても、強力な社会批判勢力としてその役割を果たしてきた ことと対照的に、量的優勢にある韓国のキリスト教は、個人及び共同体倫理あるいは社 会変革機能の面において数にふさわしい役割を成し遂げることができないという弱点 を持っている。これはキリスト教の公義性がどれくらい強力に具現されるかの問題で あるが、直線的比較によれば日本のキリスト教の強力な点だと判断できる部分である。

次に現世的信仰の創出の項目であるが、これは特に現代キリスト教の信仰様態や量的 拡散と関連し、特に従来の経験で内面化の経験を持ったか否かという点とも直接的に関 連する。やはりこの部分に対する日本キリスト教には明確な転換の痕跡がない。最近 日本でもいわゆる「五旬節(ペンテコステ)系列」の教会が成長速度を上げていること に注目することができるが、韓国の場合と比較してみるならば微小な水準に留まってい る。もちろんこれはキリスト教の公義性、社会的預言性と相反した個人救済の領域とつ

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ながるが、やはり「大衆化」、「復興」、「成長」、「地平拡張」などの課題に関わるものであ る。これは日本のキリスト教における課題の一つとして検討してみなければならない項 目である。

上の表の最後の項目に挙げた韓日両国キリスト教の共通的課題は、「文化一体」の領 域である。これは二つの国のキリスト教が持った共通の弱点だと整理することができ、

未来の地平の最も中心的な課題であるに違いない。韓日両国には、早くから内村と金教 臣のようなキリスト教思想家がいた。彼らが提示した神学の核心には文化の領域までを 理想的に含有する独自なキリスト教のモデルがあった。すなわちキリスト教が持った

「文化的外来性」を「コミュニオン」的に克服する思想が内在されていることである。そ ういう思想の具現、いわゆる正しい文化的適応のキリスト教を創出することは共通の課 題である。しかしここで扱っている文化という範疇は、いわゆる神学的論議としての

「土着」でも、伝統的宗教や思想、あるいは多様な文化習俗との無分別な「習合」を意味 するものでもない。現在と未来の最も平均的な価値で想定された文化とよく交流し、相 応してそこに成長していく真理を宣布することである。

以上の結論において、今後の課題が「政治から文化へ」という大きい軸間の移動であ ることを指摘した。最後に考慮しなければならないことは、いわゆる韓日キリスト教の 関係の問題である。「政治」が主な主題として台頭した歴史の中で、しかも「支配と被 支配」という不遇な両国の政治環境のもとにおいて、葛藤と抑圧、屈折した統合の過程 があった。しかし文化が中心となる主題領域だと見なさなければならないこれからの未 来の地平では、政治的にも対等な共通目標を遂行する過程にあって、韓日キリスト教 は、和解と協力、健康な連帯を模索しなければならない時であることを確信する。

注)

1 1549 年 8 月 15 日、イエズス会のフランシスコ・ザビエルの一行が鹿児島に到着してから日本のカトリ ック宣教が始まった。時期的には 200 余年も韓国のカトリック伝来より早い。海老沢有道・大内三郎

『日本キリスト教史』、東京:日本基督教団出版局、1977 年、参照。

2 土肥昭夫『日本プロテスタント・キリスト教史』、東京:新教出版社、1982 年、pp.60-61。

3 日本プロテスタント・キリスト教は受容期以来ずっとキリスト教共同体に対する「非国民」是非を克服する ための努力を持続しなければならなかった。また、韓国プロテスタント・キリスト教も、カトリックの反民 族的イメージを克服して政治的対決勢力として作用した前例を克服するために、いわゆるカトリックとの「異 体宣言」を強力に遂行しなければならなかった。徐正敏『日本キリスト教の韓国認識−キリスト教会と民族

(19)

国家関係論研究−』、ソウル:図書出版ハンウル、2000 年、序論参照。

4 戦後、日本キリスト教の多数が歴史的罪責告白と政治的問題や国際関係に対する批判的活動をした反 面、1960 年代以後韓国キリスト教の少数が非民主的独裁政権、開発中心の軍部独裁、分断固着勢力に対 して、神学的抵抗をしてきたことを意味する。

5 パク・ミョンス『近代福音主義の主要な流れ』、ソウル:大韓基督教書会、1998 年;リュウ・デヨン「初 期韓国教会における『福音主義』の意味」、韓国キリスト教歴史学会発表論文、2000 年 12 月 2 日、『韓国 キリスト教歴史研究所消息』、第 46 号、pp.15-21 参照。

6 1907 年韓国教会大復興運動などが代表的な事例である。

7 植村正久「天長節」、『福音新報』、第 190 号、1894 年 11 月 2 日。

8 土肥昭夫「近代天皇制とキリスト教―帝国憲法発布より日清戦争まで―」、『近代天皇制の形成とキリス ト教』、東京 : 新教出版社、1996 年、p.303。

9 このような初期日本のキリスト教の受容の特徴を、天皇の権威を優先させ、国家に対して適応したキリスト 教の形態として「皇道的キリスト教」と定義することもある。このような定義が可能な日本キリスト教の 特徴は、天皇の神聖的権威を認めて、それとキリスト教が持っている絶対唯一神性の思想とが対決する時、

天皇権を選択して擁護する極端な形にまで至ったのである。徐正敏『日本キリスト教の韓国認識』、

pp.89-107 参照。

10 「論説」、『独立新聞』、1896 年 9 月 3 日。

11 韓国に受容されたプロテスタント・キリスト教の神学的主流は、米国の教派型福音主義キリスト教で あって、「政教分離」を標榜したし、民族国家教会の政治的偏向には抵抗感を持っていた。しかし、韓 国のキリスト教指導者たちの目標は、主にキリスト教を通して西欧文化を移入し、それによって国難 を克服することにあった。そして、過酷で危機的な国家の状況を認識した初期の宣教師までもが、当 初の神学的警戒を抜け出して、悲運の韓国王室や愛国的信仰者を理解して擁護する態度を見せた。

12 金興洙「韓国キリスト教と民族主義」『民族現実』、第 5 号、1996 年、秋、pp.22-23;K.S.Latourette,"Colonialism and Missions : Progressive Separation," in Readings on Church and State, ed. J.E.Wood, (Waco, Texas : J.M.Dawson Institute of Church - State Studies, 1989), pp.195-212 参照。

13 徐正敏『日本キリスト教の韓国認識』、pp.339-340。

14 いわゆる「韓日合併」の前後に実施された日本組合教会の韓国植民地伝道は宣教と帝国主義の一致、政 治的偏向性を如実にあらわした代表的な事例である。ヤン・ヒョンへ「日本キリスト教の朝鮮伝道」『韓国 キリスト教と歴史』、第 5 号、1996 年 9 月;徐正敏「日帝の植民地政策の先頭に立った日本教会と『朝鮮 伝道論』」、『日韓研究』、第 10 集、1997 年 10 月;徐正敏『日本キリスト教の韓国認識』、pp.203-226  参 照。

15 日本キリスト教は特に 3 ・ 1 運動、神社参拝反対運動等に参加した韓国キリスト教徒たちに対して名 分上では神学的理由をあげてその実践的行動様態を批判してきた。徐正敏『日本キリスト教の韓国認 識』、pp.159-194 参照。

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16 韓日キリスト教の軍国主義ファシズムに対する協力と戦争参加、日本の「日本キリスト教団」統合設 立と、韓国の「日本基督教朝鮮教団」の成立などがその代表的事例であった。

17「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」、1967 年 3 月。Akio Dohi, "The Christian Mission and the Role of Christian Church in Postwar Japan," 1999 Graduate Students' Conference on North East Asia Church History (Seoul: The Korea Academy of Church History, 1999.2.9-12), p36-37 で、土肥はこの罪 責告白文の最も重要な部分を引用してその歴史的意味を整理した。土肥の引用部分は次の通りである。

「わたくしども、教団成立とこれにつづく戦時下に、『教団』の名において犯したあやまちを今一度改めて自 覚し、主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。……わたくしどもはこの教団の成立と 存続において、わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、深 い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。……わたくしどもは、教団の名において、あの 戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り求めることを、内外に向かって声明いたしました。まことに わたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしども は『見張り』の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願 うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞に心からのゆる しを請う次第であります。終戦から 20 余年を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をは らむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわたく しどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たす ことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。」

18 いわゆる「民衆神学」の生成過程、NCC 系列を中心とする社会変革、人権運動を主導したキリスト教界の 活動全般を検討することができる。徐南同『民衆神学の探究』、ソウル:ハンギル社、1983 年、参照。

19 教会が現実の政治勢力の正義如何と関係なく、いわゆる無条件的な「支持」を通じて政治に参加しなが ら、大義名分としては「政教分離」を主張すること。彼らは自分たちの立場と異なり、政治権力に抵抗す る勢力を政治だと言う。広い意味で日本帝国主義下の日本キリスト教、日帝末期の韓国の主流キリス ト教などもここに属していると分類することができる。

20 内村鑑三「幸福なる朝鮮国」、『聖書之研究』、1907 年 10 月。

21 内村の韓国認識に対する全般的検討、いわゆる韓日合併自体に対する認識、その外にも 3 ・ 1 運動、関 東大震災での意見、行動などをともに勘案してみなければならない。内村鑑三「朝鮮国と日本国―東洋平 和の夢」、『聖書之研究』、1909 年 12 月;内村鑑三「平和の実益」、『万朝報』、1903 年 9 月 15 日;内村鑑三

「D. C. Bell にあてた返事」、1917 年 4 月 19 日;徐正敏「内村鑑三の韓国観に関する解釈問題」、『キリスト教 論集』、第 31 号、大阪:桃山学院大学、1995 年 3 月参照。

22 内村鑑三「朝鮮国と日本国―東洋平和の夢」。

23 その一例として、3・1 運動で民族代表の中のひとりとして参加したシン・ソクグ牧師の事例を挙げること ができる。彼は政治的運動であるしかない独立宣言の民族代表として参加の要請を受けた後、3 日の時間 をもらって、信仰上の検証、教理上の検討として熟考する、いわゆる祈祷の時間を持った。このような過程

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