ソシオサイエンス Ⅵ止14 2008年3月 281
博士(学術)学位申請論文審査要旨
今枝 俊哉
『コミュニティ再生の方位と原理
一新しい労働運動および互助システムの形成にみる近代理念の弁証法的展開−』
早稲田大学大学院社会科学研究科博士課程満期退学(2005年3月)の今枝俊哉氏は,「コミュニティ再生の方位 と.原理一新しい労働連動および互助システム形成にみる近代理念の弁証法的展開−」を早稲田大学大学院社会科 学研究科へ提出して,博士(学術・早稲田大学)の学位を申請した。後記の審査貞は,上記研究科の委嘱を受け,
この論文を2007年10月18日より審査してきたが、2008年1月21日審査を終了したので,ここにその結果を報告する。
(−)論文の特質
(1)近代社会の歩みを,主としてヘーゲル弁証法にもとづいて,「自由,平等,友愛の弁証法的展開」であると捉 えている。同時に「近代社会に関する思想および社会理論の展開」を,この歴史との関係において整序した。
そのことによって現在展開されている社会運動,とくに労働運動の意義を解明し,これからの社会が「進むべ き」であると同時に「進みつつある」方向を示唆している。ここに「コミュニティ再生の方位と原理」を見てい る。
(2)近代社会は自由経済社会として出発し,やがてその中で階級闘争が激化したが,その結果,一方で平等を重視 する「福祉国家」と,他方で平等を核とする「社会主義体制」を生んだ。しかし,それらのいずれもが頓挫し,
新自由主義的かつリベラル民主主義の世界が生まれた。これで近代社会のヘーゲル的弁証法の歩みは完結したと いう主張(フランシス・フクヤマ)に対して,理論的かつ現実的な反論を展開している。
筆者は,合理化と資本主義の進展のなかで,個人のアイデンティティの疎外と,グローバリズムの弊害が深刻 となってきたことを問題視する。そして第1にそのアイデンティティを形成し獲得する意識と運動,第2に経済 グローバリズムがもたらす「生活世界」の圧迫と,これに対する抵抗,これらの二つが契機となって,新しい労 働運動や社会運動が展開し,それが一体となって,新たなコミュニティの形成につながっていくという現状を明
らかにしている。
それは連帯・友愛にもとづく社会形成であり,こうして近代社会はさらに,「自由・平等・友愛」の弁証法的 ステップを踏む方向で展開していくことを,社会哲学的に解明した。
_(3)」丘代社会の弁証法的_な展開にも_と_づいて,_これからの市民社会が_「友愛に_も_とづく共生社会土であ_る_こと_を避 示し,その動きが「新しい労働運動」ばかりでなく,多くの社会現象を通じて,現実に進みつつあることについ て考察している。これにより,来るべき共生社会が,人間間の共生ばかりでなく,社会と自然との共生であるこ
とを強調している。
具体的にはオランダ型の「同一労働同一賃金の時短・ワーク・シェアリング」,地域通貨,資源エネルギー効 率を上げることによる「エコノミーとエコロジーとの和解」,ワーカーズ・コレクティブ,スローライフなどの 現実の世界的な展開をとりあげ,それらが共生社会を形成しつつあり,これが,近代社会の「自由・平等・友愛 の弁証法的展開」の第3段階であるという結論に達している。同時にこの方向を思想と社会理論の双方から解明
した。
(二)目次と概要
(1)目次 はじめに
第一章 近代市民社会の変遷 第一節 社会契約論による社会の設計
(1)生存権と合理性
(2)所有権と労働
(3)一般意志と平等
第二節近代市民社会の成立と課題
(1)社会契約論のインパクトー正義と正当性のパラダイム転換−
(2)市場と分業による国富
(3)結果の平等と一般意志の由来
(4)承認を求める闘争とリベラルな民主主義の行方 第三節 資本主義社会の発展と疎外
(1)階級対立と疎外された労働
(2)資本蓄積と目的合理性
(3)合理性と疎外
第四節 生活世界の抵抗と新しい社会運動
(1)対話による矛盾の克服
(2)自分探しと権力の可視化
第二章 新しい労働運動とコミュニティの形成 第一節 グローバリゼーションと国際連帯
(1)下からのグローバリゼーション
(2)内なる国際化
第二節 コミュニティの成立要件
(1)価値観と正義
(2)社会的正義と承認
第三節 社会的正義を紐帯としたコミュニティの継続性
(1)生活賃金運動と世間の承認
(2)苦汁労働工場反対連動とモニタリング
(3)地域コミュニティとの一体化 第四節 民衆教育による組織化と地平の融合
一−−(1「コ」ミュニケ一一ショーンtの地平一−一一
(2)対話による意識化の実践一識字教育−
(3)アメリカ労働組合における民衆教育の事例 第三章 共生社会に向けて
第一節 共生社会への道標
(1)近代以降の社会体制とフランス革命の理念
(2)共生社会と第三の道
(3)共生社会と持続可能性 第二節 労働の弁証法と仕事の創出
(1)オランダ型ワーク・シェアリング
審査要旨 283
(2)各国のワーカーズ・コレクティブ
(3)生活者の視点と世代間の承認 第三節 生活世界の抵抗としての地域通貨
(1)開放と封鎖の弁証法
(2)等価交換の罠
(3)循環と増殖 第四節 交換から贈与へ
(1)信頼の贈与
(2)贈与と友愛
(3)「限定された目的の貨幣」の復活とコミュニティ金融 結語一真の豊かさと近代社会の弁証法的展開−
(2)概要
第1章 近代市民社会の変遷
第1に,近代市民社会が資本主義社会として発展していく過程を,社会契約論にまでさかのぼり,理論的に解明 している0ホップス,ロック,ルソーの社会契約論を検討して,「個人の自由と社会秩序との両立」のための近代 社会の方位と矛盾を検討している。
近代市民社会は間もなく資本主義社会へと展開して,階級対立,景気変動から慢性不況をもたらしたが,本論は 次に,この必然性と「福祉国家」への展開の流れを,マルクスおよびケインズ理論によって説明する。
第2に,福祉国家と資本主義の展開から,行政と市場の両システムによる「生活世界の植民地化」(ハーバーマ ス)が生じてくるが,本論はこれを「合理化によるアイデンティティ疎外」と捉える。それゆえに「生活世界の抵 抗」という「新しい社会運動」(メルッチ)が展開されているが,それは各人の「アイデンティティ形成」の運動 だと主張する。
第3に,福祉国家が破綻し「市場原理主義」とグローバリズムが支配的となることから 新たな貧困 と,これ に抵抗する社会運動が生じているが,本論はこれらを考察し,社会運動が新次元に入ったことを明らかにする。
第2章 新しい労働運動とコミュニティの形成
本章では,ハーバーマスのいう生活世界の抵抗運動が,グローバリゼーションの下で,新たな形で現象する様子 を明らかにする。それは,資本の流動化がもたらす「労働条件の下向きの競争」に対抗して,底辺の人々の労働条 件を公正な水準まで引き上げる「上向きの平準化」を目指す運動である。
具体的にはアメリカのUE(theUnitedElectrical,RadioandMachineⅥbrkersofAnerica全米電機ラヂオ機械工組合)
とSEIU(theServiceEmployeesInternationalUnion全米サービス従業員労働組合)を取り上げ,それらが,最低基準 確保のための国際連帯であ九一「上向−き−の平準北」−を目指した−「下からの−グローナバーリーゼーシーヨン」一一であーる−ことを明 らかにする。
しかもこれらの運動が,言語・文化の違いや差別を乗り越えて,女性,マイノリティを含む未組織労働者の組織 化をも積極的に推進し,国境を越えて緊密に連携する運動となったという点を解明している。
こうして労働運動は「利益配分の承認を求める闘争」だけでなく,民族や性別という「出自の承認を求める闘争」
という意味合いも持つようになった。そして,労組がこのように「社会的正義」の追求に向かった結果,労働運動 が社会運動と融合して新しい労働連動となり,現在では「社会運動ユニオニズム」に至ったという。
この社会運動ユニオニズムを掲げる組合では,女性,マイノリティの参加により組合内部の多様性つまり「内な る国際化」が進み,組合内で個々の組合員の民族的アイデンティティやジェンダ問題が承認される。そして,これ ら「出自の承認」が,運動体の内部においても「アイデンティティの疎外」を止揚し,個々の成員に安心して自分 自身でいられる居場所を与えることで,運動体そのものがコミュニティとなったと主張している。
さらにコミュニティの成立要件として,①理念・価値観,②正義,③承認,④継続性を挙げ,社会運動ユニオニ ズムを推進する運動体は,①③に関しては社会的正義,③に関しては「出自の承認」がそれぞれの要件を満たすと いう。加えて連動を基体とするコミュニティの継続性に関しては,アメリカの「生活賃金運動」と「苦汗労働工場 反対運動」の例を上げる。
前者は,広範な「世間の承認」を後ろ盾として継続性を保持し,勢力を拡大することに成功している。後者は,
運動体がコミュニティと一体化となり,コミュニティが企業に対する監視のモニタリングを継続している点を明ら かにした。さらにパウロ・フレイレの識字教育を祖とし,対話によって意識化を促し,参加者間の異なるコミュニ ケーションの地平を融合しようとする運動をも検討する。これらの結果,新しい労働運動が「承認を求める闘争」
であると同時に,相手との対立を友愛によって止揚するという運動であることを明らかにしている。
第3章 共生社会に向けて
2章の結論を受けて,3章では友愛を核とする「協同社会」,さらには自然とも共生する「共生社会」に至る道 筋を考察する。
ここでは共生社会への道標として,ギデンズの「第三の道」と,レスター・ブラウンの「プランB」を検討し,
共生社会の「効率」が資源効率やエネルギー効率であって,生産労働における効率ではないことを強調する。これ は同時に「環境に対する配慮」と「生活のゆとり」を重視する社会だという。
これらの点から,時短とワーク・シェアリングが不可欠だとし,「オランダ型のワーク・シェアリング」を考察 する。同時に「ワーカーズ・コレクティブ」および「地域通貨」を検討し,これら3つを一体的に取り入れること より,地域の参加型福祉が促進され,「中負担高福祉」が実現されるという。とくに地域通貨に関しては,それが
「信頼の循環」を形成するシステムとして論を展開している。
これらは,共同体における「不可視の紐帯の可視化」「人間関係の結晶化」「生活世界における人々の潜在的な紐 帯(ソーシャル・キャピタル)の顕在化」につながり,それが「信頼の交換」,「友愛に基づいた承認」となるとい う。先のコミュニティ成立の4つの条件に,この「友愛・連帯」がもうひとつ加わることにより,コミュニティが 確立されると主張する。
結語一真の豊かさと近代社会の弁証法的展開一
近代社会は,パイ(国富)の拡大を追求して市場メカニズムを採用し,そこでの自由な分業と交換,さらには競 争を通じて「豊かな社会」の実現を目指したが,ここでは,自由・競争・繁栄というシナリオに含まれる矛盾を検 討し,共生社会のあり方を解明する。
競争が起こるのは,人々が貧しい状態に置かれるからであるが,少なくとも先進国においては,物的豊かさは達 成されている。それでも,競争に追い込まれるのは,市場交換が欠乏を先につくり,それを埋め合わす形で交換を 促す仕組みであり,市場経済の本質が「欠乏経済」だからだという。結語ではこのことを明らかにし,真の豊かさ が人と人,人と自然との間の「分かち合い」と協同・互助・信頼の循環の中にあると結論づけている。
(≡)審査および公聴会における審査員の主なコメントと議論
(1)来るべき「共生社会」への契機について,検討されている点は評価できるが,一般的には「福祉国家」の再生 による「豊かさ」が叫ばれている。しかし経済発展にともなって,産業に占めるサービス業の割合が増加し,そ の分だけ生産性が低下するゆえ,福祉国家の再生が難しくなっている。こうした視点を考慮したうえで,本論文 の主張する「共生社会」における「豊かさ」とは何か。
この問いに対する筆者の豊かな社会についての返答
①他人から承認されるという各人の「承認欲求」が充足される社会,②たとえばスローライ.フやワーカーズ・
コレクティブなど「自己の目指すものの実現」が可能な社会,③「欲望の交換」から信頼が循環する「信頼の 交換」に向かう社会,④生産性の効率ではなく,資源・エネルギー利用の効率による「エコノミーとエコロジー の和解」が可能な社会だという返答であった。
審査要旨 285
(2)弁証法について,自由と平等を友愛が止揚するという主張に関して,そのような図式的な理解で弁証法を捉ら えてよいのか。
この弁証法に関する筆者の返答
弁証法的な理解では,自由の中に,もともと平等も,友愛も含まれているが,それが社会現象として歴史とと もに外化してくる。その現象形態が自由に対する平等であり,具体的には社会主義国家や福祉国家の出現であ る。さらに本来的に自由に含まれている友愛つまり連帯が,自由社会と福祉社会の双方の行き詰まりを止揚す るという社会現象として外化してきた。この止揚されつつある社会は,それゆえ自由社会と福祉社会の双方を 含みながら,「信頼の循環」という次元で双方を統合するとの返答であった。
(3)コミュニティ成立の要件の1つとして「持続性」を上げているが,たとえばネット上のグループなどのように,
必ずしも「持続」をともなわないコミュニティのあり方もある。この点をどう考えるか。
コミュニティの持続性に関する筆者の見解
コミュニティは,時間的および空間的に捉えられ,その時空間が技術進歩などとともに変容している。しかし 労働運動その他の,とりわけ社会形成に関与する運動体としてのコミュニティの場合,コミュニティの持続性 は不可欠だとの返答であった。
(4)本論文の労働運動に対する貢献は何か。また「新しい労働運動」というが,ここで取り上げている運動の原理 は,すでに過去に展開されたものであるゆえ,どういう意味において「新しい」と言えるのか。
論文の労働運動に対する貢献と「新しい労働運動」に関する筆者の見解
労働運動論とコミュニティ論とを結合して,労働運動の広がりと意義に関して,理論づけを試みた点で貢献で きたかと思われる。また今日のアメリカの労働運動の原理は,すでにかつてのアメリカやブラジルで展開され た社会運動や労働連動の原理であるが,それが国境を越える極端な資本移動の「今日のグローバリズム」に対 抗するために,再び導入されたということ,ならびにそれゆえに労働運動が地域社会や遠隔地の地域をも巻き 込んで,新たなコミュニティづくりの運動となっている。これらの点で「新しい」と言えるとの返答であった。
(5)これらのほか審査員から,アメリカの労働運動や福祉国家に関する文献に関して,いくつかが指摘され,それ らに関する言及があれば,なお良いという見解が述べられた。またフランシス・フクヤマの歴史観に対する反論 という切り口から入っているが,フクヤマの見解は,初めはかなり注目されたが,現在はそれほど評価されてい ないという見解が述べられた。
(四)審査員の総合的評価
(1)多くの思想・哲学や社会科学の諸理論と,現実の社会現象や個人の意識とを関連付けて,実際に展開している 社会現象の意味を解明している。これは「見える社会現象を通じて,見えない意味を明らかにする」とう「社会
草のカム_ki」_に金致し_こ_の点で本論文は,一社会薯学の論文としての意義をも_ち,_学術的に貢献しひさる_。_
とくに現実の社会現象を熟視する観察力と,思想や理論の正しい理解をもって,この社会哲の課題に取り組み,
一定の成果をあげた。
(2)本論文は,このような枠組みにおいて市民社会の弁証法的展開を解明するなかで,幾つかの思想や理論に関し て,それらの相互比較をしながら批判的考察を加えている。同時に,これらを現在の社会現象との関係で捉えな おして,その現代的意味を解明しているが,これに関して次の諸点を評価できる。.
第1にロックとルソーの人間観・社会観,第2にウェハーとマルクスの疎外論,第3にハーバーマスとメルッ チの社会運動理論,第4にギデンズとレスター・ブラウンの社会論,これら4グループを取り上げ,それぞれに おいて相互間の内的な関連を明らかにすると同時に,相違点も明確にして,それぞれの意義を解明している。ま たフレイレの社会観と教育論を近代社会の弁証法的展開の中に位置づけした。
(3)これらの理論をテコとして,現実に展開されている「新しい社会運動および労働運動」の意味を明らかにし,
とくに労働運動が,ジェンダー,人種間題,環境問題をはじめ,その他の社会運動と一体となって,それが来る べき社会に対して重要な働きをすることを明らかにしている。これに関しては,次の諸点が評価される。
① 新しい労働運動の特徴を次のように解明した。労働運動が経済グローバリズムに対抗するた舶こ,国際的連帯 を強めている。同時に運動体の地平を広げて,これまで組織化されなかった人々をも組織化して,人種やジェン ダーの問題をはじめその他の社会問題にも取り組んでいる。したがって経済格差ばかりでなくさまざまな社会的 格差の是正を求める運動となっていることを,連動の「内なる国際化」として考察している。
② これらによって労働運動が,一方で運動に参加する成員のアイデンティティ形成を促し,他方で「社会的正義 の実現を目指す運動体」として,地域住民の「承認」を獲得し,地域社会と連携してきた。したがって運動体と
コミュニティが一体化し,運動の継続が可能となってきたという点を考察している。
③ 労働運動はこのように広い社会運動となり,多様な運動性と多様な視点を包含することになった。本論はこれ をガダマーなどの解釈学を援用して「地平の融合」として捉え,そのために運動に参加する人々の意識改革がお こなわれている点を考察している。こうして民衆教育・学習が重要となってきたことを明らかにし,この点でフ
レイレの「課題提起教育」を取り上げて考察し評価している。
(五)結 論
以上の審査の結果,審査委員は全員一致で,本論文の提出者が博士(学術)の学位を受けるに億する者と認め る。
2008年1月21日 審 査 員
主 査 早稲田大学教授 経済学博士(早稲田大学)
早稲田大学教授 経済学博士(慶応大学)
早稲田大学教授 早稲田大学教授 日本大学教授
田 村 中 野 那 須 篠 田
佐々木 勝 忠 玄 徹 雄
正
政
賓
概 要 書 287
博士(学術)学位論文概要書
『コミュニティ再生の方位と原理
一新しい労働運動および互助システムの形成にみる近代理念の弁証法的展開−』
今 枝 俊 哉
近代になって地縁,血縁,身分などに基づく伝統的な共同体は崩壊し,これ以上分けることができない個人
(individual)にまで解体された。だが,人間は一人では生きていけないから,やはり社会を必要とする。けれども,
この社会は伝統に根ざした無意識的・自然発生的な共同体ではなく,個人が独立した主体であることを認めた上 で,意識的・人為的に構成された社会でなければならない。一度,近代において各人が個に目覚めた以上元に戻 すことは難しく,自由な個人を前提とした社会でなければ機能しないからである。
それゆえ近代以降の社会は,必然的にテンニースのいうゲゼルシャフト(契約社会),つまり自由で独立した諸 個人が相互に契約を結ぶ社会となった。その契約の履行を国家が社会の外から促すか,あるいは市場メカニズムが 社会の内において促すかは別として,ともかく自由で独立した諸個人から成る近代市民社会は,自由の理念を核と
した社会として生まれたのである。
しかし,ゲゼルシャフトにおける人間関係は冷たい契約関係であり,それが常に強いる緊張状態に人々は耐え続 けることができない。それゆえ,親密で水入らずの共同生活を求めて,やはりテンニースのいうゲマインシャフト
(共同社会)を再び,今度は意識的に形成していかざるをえなくなる。だが,それは当然にも近代以前のものとは 違った形で現象する。したがって本論の目的は,自由の理念を核とした近代市民社会の誕生と前後して崩壊した伝 統的コミュニティが,新たな共同社会として建っていく過程を明らかにすることにある。
ところでその過程は,まずは,近代市民社会が資本主義社会へと変質しつつ発展していく過程として現れる。だ が,その間,フランス革命の理念の一つである平等を核とした社会体制,すなわち共産主義や社会主義の社会が出 現した。そして,周知のように,ソ連と東欧圏の共産主義体制はすでに崩壊している。それゆえフランシス・フク ヤマは,『歴史の終わり』の中で,今までのところリベラルな民主主義以上の社会はなかったと結論し,リベラル な民主主義社会はこれで終わるのだろうかという問題を提起して考察を終えている。彼の考察の背後には,言うま でもなく,世界史が自由の理念の実現過程であり,その進行の極点は現代であるというヘーゲルの歴史哲学がある。
本論は,過去においてリベラルな民主主義社会以上の社会はなかったというフクヤマの主張をある程度は認めつ つも,リベラルな民主主義社会はこれで終わるのかという問いに対しては否と答える。そしてリベラルな民主主義 社会の中に,友愛(連帯)を核とした社会(共同体・コミュニティ)が新しい形で現象しつつあるというのが本論
のパースペクティブである。すなわち,近代市民社会の発展は,自由と平等の狭間を揺動しながら進行する歴史と いえるが,この自由と平等の対立を友愛が止揚した社会の萌芽がすでに表出している。
ち−なあに,一一一でゝとゲルの払う止揚には一一[廃棄する‥−(否定する)」,「持ち上げる−(向上させる)」という意味ともに,
「保存する」という意味が含まれている。それゆえ,自由と平等の対立を友愛で止揚した社会には,自由(リベラル)
と平等(民主主義)が保存される。つまり,友愛を核とした社会は,リベラルな民主主義社会という体制の下で生 成するのである。
したがってリベラルな民主主義社会の成立をもって歴史が終わるわけではない。この友愛を核とする社会は,人 と人との友愛のみならず人と他の生き物との友愛も大切にする。人と他の生き物との友愛無くしては,生態系が破 壊されて,それこそ人類の歴史が終わりかねないからである。
本論は,このように自由・平等・友愛という3つの理念を極として現象する社会が弁証法的に展開していく様相 を,労働,正義,承認を媒介項として記述する。ここでなぜ労働,正義,承認を媒介項にするのかといえば,今日 の社会の弁証法的展開の支配的要因がこれらに集約されているからである。
諸現象の実在のあり方は『華厳経』が説くように,一切が「重々無尽」の関係にある。また金剛般若経において
は,AがA以外のあらゆる非Aとの関係において成立しているという「即非律(A即非A)」が説かれている。だが,
いずれにしても,そうした関係をすべて列挙することは不可能であり,それゆえ「労働・正義・承認」を,自由と 平等の対立を友愛が止揚するに至る内的連関の主要な契機としてここに抽出するわけである。
このような形で提示する展開は,人間と自然が共生する社会に方位を定め,近代になって解体されたコミュニ ティがそこに向かって再生していく道のりを描くことである。そして,その過程で現れる新たなコミュニティの実 相と背景を,原理的に明らかにすることを本論では試みる。
なお,本論の構成は以下の通りである。
はじめに
第一章 近代市民社会の変遷
第二章 新しい労働運動とコミュニティの形成 第三章 共生社会に向けて
結語一兵の豊かさと近代社会の弁証法的展開−
この構成に沿って,本論の概要を以下に述べる。
第一章 近代市民社会の変遷
第一章では,近代市民社会が資本主義社会となって発展していくまでの過程を,社会契約論にまで遡り,理論的 に明らかにしていく。
近代においては,各人が自由に目覚め,今まで社会に埋め込まれていた個人が突出して,宗教や伝統に基づく固 定的な身分と階層から成る共同体社会は解体した。しかし,いくら個人が自立を主張しても,元来社会的動物であ る人間は一人では生きていけない。それゆえ,なんらかの秩序を持った社会が要請され,近代の初期に社会契約論 者によって,自由な個人を構成要素とする人為的構造体としての社会が提示された。したがって,本章ではまず代 表的社会論者であるホップス,ロック,ルソーの理論を検討する。
彼らはすべて,社会を設計する際に,人間が自由な状態に置かれた自然状態を想定し,そこを起点として自らの 理論を展開し,新しい秩序原理の正当性を社会契約による合意に求めた。だが,そこから導き出された社会像は相 違する。性悪説に立って自然の資源を有限とみなすホップスと,性善説に立って自然の資源を無限とみなすロック
やルソーとでは,結論は自ずから異なっていた。
またロックとルソーの違いは,人間の生得の能力を楽観的に捉えるか悲観的に捉えるかに由来する。ロックもル ソーも,人間の生得の能力に差があることは認めていた。だがロックは,格差が深刻な対立を生み出すとまでは考 えていない。これに対してルソーは,人間の生得の能力(改善能力)の差が決定的な不平等を生み出すと考え,生 得の能力の差を固定化する私有の制限を主張して,平等を実現しようとした。ルソーが捉えたこの自由と平等の対
立は,正義の問題として扱うことができる。したがって,本章では次に正義の問題について考察する。
正義とは交換と一資源配分をめ一ぐる概念であーる丁そして従来は,−その交換比率と配分比率をどうする−かに議論の重 点が置かれていた。だが,この点をくつがえしたのがロックである。ロックはホップスの生存権を所有権と言い換 え,所有権の権原を労働にみるとともに,労働によって資源量が増やせると主張した。それゆえロックにより,正 義のパラダイムは「交換と分配比率」の問題から「労働による生産」の問題へと転換した。
だが,ロックは労働によりパイを大きくできる可能性は示したにすぎない。その具体的方法を提示したのは,ア ダム・スミスである。したがって,本章では,次にスミスの理論を検討する。
スミスは,分業と市場メカニズムがパイを大きくし,それゆえパイの分け前を争って生じる正義の問題を解決す るとして,自由な社会の自律性を論証した。こうしてスミスによって経済の「自由放任」が説かれて以降,近代市 民社会19世紀を通じて目覚しい経済発展をとげた。だがそれは,当初の期待に反して均等的なものではなく,景気 変動を伴いながらの発展であった。それは,近代市民社会が抱える矛盾が次第に明らかになっていく過程であり,
本章ではこの点を次に検討する。
概 要 書 289 スミスが捉えた近代市民社会の実相は,各市民が労働して何かを生産し,次にある程度商人となってそれを交換 するという「商業社会」である。だがそれは,やがて市民が生産手段の有無により資本家と労働者に分化する「資 本主義的生産様式」の社会へと移行する。しかも,景気変動は自由経済から資本主義経済への移行とともに拡大し,
1929年からはついに世界大恐慌に突入して,「慢性不況」へと続いていった。そして,「慢性不況」の経過とともに,
資本家と労働者の対立は決定的となった。
これを契機に,「資本主義が発展すると,何ゆえに慢性不況となり,また階級対立が激化するのか」が問われる ようになり,前者に対してはケインズが,後者に対してはマルクスが解答を出している。
ところで,マルクス主義に一よれば,資本主義社会は死滅して共産主義社会へと移行するはずであった。だが,こ の予言はやがてケインズによって打ち砕かれる。有効需要を喚起する彼の政策(累進課税,利子率の引き下げ,公 共投資等)が慢性不況を解消し,パイ(国民所得)の分け前をめぐる階級間闘争についても,パイそのものを拡大 すること(高度経済成長政策)で媛和したからである。
だがそうなると,法治国家は政治(行政)国家とならざるをえない。階級対立と慢性不況という2つの問題を解 決するには,市場メカニズムによる経済調整の不備を補う「経済政策」と階級対立の競和を目指す「社会政策」が 必要となるからだ。そして,国家の市民社会への介入が増えるにつれて,市民の側もこれを当てにするようになり,
国家はさらに国民の生活保障を任務とする福祉国家へと変転する。
この福祉国家において,経済的自由が生み出す階級対立と慢性不況という矛盾は止揚された。だがその結果,
ウェーバーが指摘するように官僚制が発達し,別の矛盾が噴出する。したがって本章では,次にこの間題を検討す る。
カール・レーヴイツトは,マルクスの資本主義社会を捉える観点が人間疎外であるのに対して,ウェーバーは合 理化であるという。だが,マルクスのいう人間疎外は,ウェーバーの説く合理化の進展と相まって「合理化による 疎外」という資本主義社会の矛盾に集約される。そして,「合理化による疎外」という矛盾は,福祉国家によって も止揚されることはない。なぜなら,経済的自由を追求して物的豊かさが満たされると,次に「自分とは何者か」
というアイデンティティに対する問いが生じてくるからである。
すなわち,自分自身であるための手段として追求した物的豊かさは,いつの間にか目的に転じて「合理化による 疎外」を生み,自分自身であることを困難にする。それゆえ,福祉国家においても「合理化による疎外」は「アイ デンティティの疎外」となって止揚されずに残る。本章では,最後にこの点について考察する。
ハーバーマスは,「合理化による疎外」を市場と行政という「システムによる生活世界の植民地化」と捉え直し,
社会運動が「生活世界の抵抗」として現象するとした。それを受けてメルッチは,「生活世界の抵抗」連動を「新 しい社会運動」と呼び,それがアイデンティティ形成の役割を果たすことを明らかにした。その結果,「新しい社 会運動」はアイデンティティに対する問いに答えを与え,運動体の内部において「アイデンティティの疎外」を止 揚する。だが,その止揚は人々に生活を保障する「福祉国家の破綻」とともに消滅したdケインズ政策は,自由経 済を救済したが,その成功ゆえに「福祉国家の肥大化」と「財政赤字」をもたらしたからである。
そして,この失敗の反動として,自由経済の市場メカニズムを過大視する新自由主義(市場原理主義)の思想と,
それを丑屡劇に敷術しよう_とまるグ旦二ノtリ_ゼ「シ軍γが生_まれた。その結果,現在,_人々は弱肉強食の論理にさ らされている。したがって第二章では,グローバリゼーションに対抗する人々の運動について考察する。
第二章 新しい労働連動とコミュニティの形成
本章では,ハーバーマスのいう生活世界の抵抗運動が,グローバリゼーションの下で,新たな形で現象する様子 を明らかにする。それは,具体的には,アメリカにおいて,「新しい労働運動」として出現した。
グローバリゼーションが引き起こす資本の流動化は,資本を誘致しようとして,他よりも労働コスト,社会コス ト,環境的コストを下げていく「下向きの競争」に労働者,地域社会,そして各国をも駆り立てる。その結果,仕 事や工場の海外移転が頻繁化し,労組のストライキも効力を失った。国内の工場でストライキを打っても,その会 社が海外に仕事を移せば,生産を継続できるからである。
それゆえ,ストライキという最大の武器を失った労組は,資本家や経営者に対する交渉力を著しく低下させたが,
やがて反撃に出てグローバリゼーションに対抗する新しい労働運動を創出している。それは,資本の流動化がもた らす「下向きの競争」に対抗して,底辺の人々の労働条件を公正な水準まで引き上げる「上向きの平準化」を目指 す運動である。本章では,そのような運動の実例として,最初にUEのマキラドーラでの活動とSEIUの「ジャニ タ一に正義を」運動を取り上げる。
UE(theUnitedElectrical,RadioandMachineWorkersofAmerica全米電機ラヂオ機械工組合)とSEIU(theService EmployeesInternationdUnion全米サービス従業員労働組合)が行ったのは,最低基準確保のための国際連帯であり,
「上向きの平準化」を目指した「下からのグローバリゼーション」である。労働組合がグローバリゼーションに対 抗するには,多国籍企業との交渉が不可欠であるが,そのためには国境を越えて緊密に連携する運動が必須となる。
それゆえ彼らは,言語・文化の違いや差別を乗り越えて,女性,マイノリティを含む未組織労働者の組織化を積極 的に推進した。
これまではそれほど対象にしてこなかった女性,マイノリティのような人々を引き付けて組織化するには,「経 済的格差の是正」を訴える従来のやり方だけでは不足である。彼らを組織化するには,労組があわせて「社会的格 差の是正」を目指して闘う姿勢を示さなければならない。その結果,労働運動は「利益配分の承認を求める闘争」
だけでなく,民族や性別という「出自の承認を求める闘争」という意味合いも持つようになった。そして,労組が このように「社会的正義」の追求に向かった結果,労働運動が社会運動と融合して新しい労働運動となり,現在で は「社会運動ユニオニズム」と呼ばれている。
この社会運動ユニオニズムを掲げる組合では,女性,マイノリティの参加により組合内部の多様性つまり「内な る国際化」が進み,組合内で個々の組合員の民族的アイデンティティやジェンダーが承認される。そして,この「出 自の承認」が「新しい社会運動」と同様に,運動体の内部で「アイデンティティの疎外」を止揚し,個々の成員に 安心して自分自身でいられる居場所を与えることで,運動体そのものをコミュニティとした。
コミュニティの成立要件として,①理念・価値観,②正義,③承認,④継続性が挙げられるが,社会運動ユニオ ニズムを推進する運動体は,①②に関しては社会的正義,③に関しては「出自の承認」がそれぞれの要件を満たす。
だが,運動を基体とするコミュニティの場合,連動の持つ一過性という性質上,1④の継続性が短いものとなりやす い。したがって,運動を基体とするコミュニティの継続性をいかに維持するかが次に問われるが,本章では継続性
を獲得した運動体の事例を二つ提示する。
最初の事例は生活賃金運動であり,それは地方自治体と取引をするか政府の援助を受けている企業に対して,そ の企業で働く労働者の世帯が貧困線以上になる賃金の支払いを要求し,それを義務付ける条例の制定を目指すもの である。そしてそれは,広範な「世間の承認」を後ろ盾として継続性を保持し,勢力を拡大することに成功してい る。
第二の事例は苦汗労働工場反対運動であり,それはアパレル産業などで常態化している肉体的・言語的虐待,不 衛生で危険な環境,解雇の脅しなどの劣悪な労働状態を糾弾する運動である。それゆえそれは,企業が遵守すべき 行動規範を設定し,企業の履行状況を監視するた釧こモニタリングを重視するが,モニタリングを継続するには運 動体の存続が前提となる。そして,そのための最良の方法は運動体をコミュニティと一体化させることであるが,
UNImtunion−0仁Needletrades,Industrial−and一策xtile−Employees全米縫製繊維産業労働組合)−は「労働者セーンクー」
における教育や学習を通じて地域コミュニティへの定着を果たしている。
この教育・学習は組織化の柱として,運動体の維持・拡大にも多いに貢献する。それゆえ本章では,最後に社会 運動ユニオニズムが実践する教育の事例を検討する。それは民衆教育と呼ばれるもので,パウロ・フレイレの識字 教育を狙とし,対話によって意識化を促し,参加者間の異なるコミュニケーションの地平を融合しようとするもの である。
ところで,新しい労働運動は平等を重視する「承認を求める甑争」とはいえ,相手のせん減を図るものではない。
運動が企業の横暴を暴き,広く世間に社会的正義を訴えるのは,相手を交渉のテーブルに就けるためであり,最終 の目標は和解することにある。だが,闘争の後の和解によって対立は統一されるが,その統一の中には未だよそよ そしさが残っている。真の統一を求めるのであれば,統一後の関係が親密なものにならなければならない。そし て,そうなるためには,対立を友愛によって止揚するしかない。したがって第三章では,この友愛を核として現象
概 要 書 291 する社会について具体的に検討する。
第三章 共生社会に向けて
近代市民社会の変遷は,自由と平等の理念の対立を反映した社会体制の変化の歴史といえるが,この対立は友愛 をもって止揚しなければ解消されない。そして,友愛を核として現象する社会は,協同社会として一部で既に現象 している。だが,その友愛は人間以外の生物にも向けられるべきであり,協同社会は最終的に友愛を核とする社会 は共生社会に至らねばならない。それゆえ本章では,この共生社会に至る道筋を考察する。
本章では,まず最初に共生社会への道標としてギデンズのいう「第三の道」を考察し,続けてレスター・ブラウ ンの説く「プランB」を共生社会に不可欠な施策_として提示する。すなわち,持続可能性を必須とする共生社会は,
ギデンズの「第三の道」と同様に「社会民主主義の刷新」を目指すが,その刷新の仕方は違ったものになる。それ は,社会民主主義社会から「公正」を尊重する姿勢は継承するが,物的豊かさを追求する福祉国家は受け継がない。
また,共生社会は「効率」を重視するが,それは資源効率やエネルギー効率であって,生産労働における効率で はない。環境に配慮するのであれば,人々の生活をもっと「ゆとり」あるものにしなければならないからである。
そして「スロー・ライフ」を実現するには,時短とワーク・シェアリングが不可欠である。それゆえ,本章では次 に,オランダ型のワーク・シェアリングを検討する。
オランダ型ワーク・シェアリングでは,「同一価値労働同一賃金」の原則が貫徹しているため,パートタイマー の時間給は正社月と同等で,社会保険や,育児や介護休暇も同じ条件で支給される。それゆえ,それは多様な就業 型ワーク・シェアリングであり,人々は人生の局面に応じて,ゆとりを持って多様な働き方を選択できる。
けれども,オランダを手本に時短とワーク・シェアリングを進めても,仕事を創り出すこと自体を行わなければ,
失業者を吸収することは難しい。そこで本章では,オルターナティブな働き方として,ワーカーズ・コレクティブ を次に検討する。
一般にワーカーズ・コレクティブは,働く人自身が資金と知恵を出し合い,社会に必要な仕事を起こして運営す る形態をとるが,特に福祉分野の事業運営に適している。なぜなら,ワーカーズ・コレクティブに集う人々は,そ の地域に住み暮らす人々である。それゆえ彼らは,自分の住み慣れた地域で暮らし続けることを前提に,当事者と して老後の問題の考え,解決策をそこにおいて実行するからである。こうしてワーカーズ・コレクティブが在宅福 祉支援システムの運営を引き受けることで,地域の参加型福祉が促進され,「中負担高福祉」が実現される。
しかし,いくらワーカーズ・コレクティブが中負担の福祉サービスを提供するといっても,費用がかかることには 変わりがない。また,ワーカーズ・コレクティブを起業する際には出資金が必要であり,「先立つものはお金」と いう現実は常について回る。そこで本章では,次に近年流行している地域通貨について検討する。
一般に地域通貨とは,一定の地域やコミュニティ(会員)の間でだけ流通する価値媒体のことを指すが,本論で は経済人類学的視座に立って,地域通貨をボランニーのいう「社会の自己防衛」の現象態として捉える。またそれ を,ハーバーマスに依拠して,グローバリゼーションに対する「生活世界の抵抗」の一つの現象形態とみなす。
メルッチは,ハーバーマスの「生活世界の抵抗」を「新しい社会運動」として理解し,それが「不可視の権力の
」江視北」−を行う−と−いう。一地域通貨も一同−じく−「生活世界の抵抗」−と−して現れるが,それは共同体における一一「不可視 の紐帯を可視化」を行うと看取することができる。このことは,ジンメルが貨幣を「人間関係の結晶化」と捉えた
こととも符合する。地域通貨は,生活世界における人々の潜在的な紐帯(ソーシャル・キャピタル)を顕在化し,
グローバリゼーションから「生活世界」を守るための閉じたシステムなのである。
では,なぜある地域を封鎖する(閉じる)のかといえば,それは域内で経済を循環させ,財と資源の分配を最適 化するためである。そして,循環させるには地域通貨が人と人をつなぐ必要があるが,本章では地域通貨が人をど のように媒介するかついて次に考察する。
地域通貨は,形式的には等価交換であるが,実は贈与交換でもある。では,何を贈与するのかといえば,それは 信頼である。地域通貨において重要なのは,貨幣を発行する側ではなく,貨幣を受け取る側である。貨幣は誰でも 発行できる。しかし,発行された貨幣を受け取っても,それと交換に財やサービスを与えてくれる相手がいなけれ ば,紙くず同然である。したがって,国家の裏付けのない貨幣を受け取るということは,実は受け取る側が発行す
る側に信頼を贈与しているのである。それゆえ,地域通貨は「善本位制通貨」であり,人間の良心に対する信頼の ない所では成立しない。そして,この「与えること」が,ホネットのいう最も基本的な承認の形式である愛(友愛)
の本質である。
第二章においてコミュニティが成立するための4つの要件を挙げたが,この友愛は5つ目の要件であり,最も重 要な要素である。そして,友愛の本質が「与えること」である以上 信頼を贈与する地域通貨は人々をつないで貨 幣共同体を形成する。だが,コミュニティを形成する贈与の形は地域通貨に限られない。本章では,最後に世界各
国のコミュニティ金融の事例を検討して考察を終了する。
結語一兵の豊かさと近代社会の弁証法的展開一
結語においては,近代の歴史がパイ(国富)の拡大を追求して市場メカニズムを採用し,そこでの自由な分業と 交換,さらには競争を通じて「豊かな社会」の実現を目指した歴史であることを最初に確認する。
だが,この自由・競争・繁栄というシナリオには矛盾が含まれている。そもそも,競争がなぜ起こるのかといえ ば,人々が貧しい状態に置かれるからである。もし,資源が豊富であるならば,わざわざ競争する必要はないし,
少なくとも先進国においては,物的豊かさは達成されている。それでも,競争に追い込まれるのはなぜだろうか。
それは,市場交換が欠乏を先につくり,それを埋め合わす形で交換を促す仕組みであり,市場経済の本質が「欠乏 経済」だからである。結語ではこのことを明らかにし,真の豊かさが人と人,人と自然との間の「分かち合い」と 協同・互助の中にあると結論する。
以上が本論文の概要である。