• 検索結果がありません。

第4章 中国の2つの「新しい労働運動」――1989年天安門事件と2000年代――

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "第4章 中国の2つの「新しい労働運動」――1989年天安門事件と2000年代――"

Copied!
39
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

第4章 中国の2つの「新しい労働運動」――1989年

天安門事件と2000年代――

著者

山口 真美

権利

Copyrights 独立行政法人日本貿易振興機構アジア

経済研究所 2021

雑誌名

新興国の「新しい労働運動」――南アフリカ、ブラ

ジル、インド、中国――

ページ

141-178

発行年

2021

章番号

第4章

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00052105

(2)

はじめに

 中国の「新しい労働運動」を論じる前に,中国の「 い労働運動」とは だっ たのかを考えてみたい。一 的に新しい労働運動とは, いつまり 型の労働 運動に するものである。 の先進各国において, 型の労働運動とは, 賃金など職場の労働条件の改善や向上に主な関心をおく「労働組合」運動であり, それは労働者の労働条件を向上させるために一 の役割を果たしてきた。  一方,その労働運動は社会主義 経済体 の中国においては 在しなかっ た。労働者は社会主義中国の 国 念の中では と んで「プロレ リア 」を進める主役であるとされ, 前上は企 の所有者でさえあった。つまり, 本家,経営者に 取される い 在としての労働者が前提の 本主義経済とは, そもそも 図が異なっている。  社会主義経済を するにあたり,中国には 国(1949年) 前から 労働 組合といわれる中 国 会1)が 在し, 経済体 においては非常に い組 を っていた。そこで,労働組合組 による職場 の運動を「 い労 働運動」とみなすのであれ , 会による労働者の組 化がそれにあたったので はないかと思われる。しかし,実際には中国の 会は政 的 図のために労働者

国の

の「新しい労働運動」

4

1) 国の行政 ,企 に 組 を つ中国 一の 労働組合のことを本章では労働組合組 としては「 会」と記述する。その中 組 のことを「 会」と記す。

(3)

の組 化を進める組 であって,労働運動を 進する組 ではなかった。このこ とについては ,本章第 で述べる。 すれ , 経済体 の労働運 動がなかった 代を, 的だが中国の「 い労働運動」 代と本章では こ ととしたい。  これに して, 経済体 に限 がみられる19 0年代後 には, の主 で公有 企 労働者によるストライ やデ 活動が したことが さ れている。このような社会の政 経済状況を前提として,1989年天 門事件の 中で中国の第1の「新しい労働運動」が きた。この の労働運動の新しさは, 当 の政 の で,労働者が の 労働組合の を えて を上げ,自 らの権利を主 したことにあった。これを本章では,「新しい労働運動」(第 ) と する。   年の を経て,1990年代 に した労働 Oによる労働者の権利 護のための取組みは中国の「新しい労働運動」(第 )と べるもので,現在ま で いている。第 の「新しい労働運動」の新しさは,労働 Oと れる の の O組 の ートを けつつ,労働者が自らの 的な権利を主 し,擁護している点にある。  本章はまず,中国の「 い労働運動」の 史に し,「新しい労働運動」を 義する。 く第2 では天 門事件前後の第 の「新しい労働運動」,第 では1990年代後 の第 の「新しい労働運動」の を,その と 関係と共に考 する。最後に, の の労働者による自 的な運動である「新 しい労働運動」と,体 内の上からの動きとの関 に れ,現 点での中国の「新 しい労働運動」の 点を すことを目的とする。  なお,中国の文脈でのこのような「 い労働運動」,「新しい労働運動」の は筆者 自のものであり,中国研究,労働運動研究のなかでは, 個別には言 及されてきたものの, 性をもって語られてはこなかった。本 は,この視角 によって,中国研究と労働運動研究の 方に今日につながる 性のある見方を 提 する みである。

(4)

1

 新中国は1949年,中 共和国として 国された。中国はプロレ リア が指 し,労 ,つまり労働者と の を とした 主主義 の社会主義国だと自らを している 。「 」とは,「 」( つの の )と れる中国の国 に かれる つの で,労働者, , 本家, 知 などその の 国的 主分子を す。大きな は中国共 を し,共 がこの つの を指 することを している( 199 5 1999 18)。  「 主主義 」については, が1949年 点で,プロレ リア が指 することを指 し,その後の1954年 ,社会主義 の 行 (195 年),文 (19 5年),1982年 とも,「プロレ リア 」だ と 明されている。なお,このプロレ リア は中国共 が代行する( 1999 18)。ここに,中国共 の一 体 のイデオロ ー的 が ある。マルクス・レーニン主義によれ ,「プロレ リア 」は「プロレ リア の前 」によって代行される。共 がその前 で,「プロレ リア の政 」であるとされる( 1999 19)。  それでは中国共 と労働者の関係はどのようなものだろうか。 ,中国の 「 い労働運動」の実 から,「新しい労働運動」の 前 の19 0年代~ 1980年代の経済状況を り る。  中国語の労働組合にあたる「 会」と れる組 が中国で最初に された のは, 文らが を し,中 国を した であった( 1992 1)。国共内 を経て 一国家の を目指す中国共 は,労働の組 化 を1921年の から 的に進めた( 2010)。1925年には労働組合の 国組 として中 国 会( , 国 会)が された。   国 会の は であった。 (1992 32 )の によれ ,「政 的

(5)

には中国共 の指 の ,労働者大 を組 動員して経済体 の新 主主義2) から社会主義 の 行を よく実現すること。経済的には の と経済の を中心 として, 労 (労働者と 本家)と 公 (国家と個 )の を調 しつつ, く労働者の 性を き出すこと,それを て労働運動の を し進めること」とされている。  しかし, 国 会の ,労働運動にまつわる記述は中国の公 料や 研究にはほとんど見当たらない( 1992 200 2010)。つまり,中国の 一の 労働者組 は 国 には 運動のために労働者を組 化,動員し, 国後は国の経済 のために労働者を動員する組 であり,労働者の権利を り, 労働条件を改善するという労働運動体としての機能は果たしていなかったことが わかる。中国において公 された 一の労働組合とは,このような今も もほと んど労働運動を担ったことがない労働者の組 であるといえる。  労働者の上からの組 化という役割を担う 会によって, く え まれてき た労働者の や が,ストライ やデ 行進の で するようになったの は19 年の文 後のことである。 場経済の 入が まった19 8年 から の 代は,後述するように の賃金 活者には な 代であった。  19 年, の賃金 活者の実 賃金は,20年前より20 していた。労 働者の賃金は19 3年 の で されていた一方, は上 していたか らである。また,19 8年 点で の の1 当たり は3 で, これは1952年の4 3 よりさらに くなっている。 本的な 活必 は であり,マッ やトイレット ーパーといった日 の供 が してい た( al e 198 c a )。 えて, 場の労働現場は 場 や 場 での 2)「新 主主義」とは, により提 された「 論」の中 的な のこと。 は 途上の 国という中国の条件 で共 主義を実現するためには,まず第 として 国主義・ 主義の「 主主義 」(この 後に される状 を「新 主主義」と んだ)を行い,あ る 度 力が した で第 として「社会主義 」を実施するという ジ ンを して いた。

(6)

政 的思 や いに巻き まれ,労働者の働く を ものだった ( al e 1991 4 8)。そのため,この から断 的な ージ , の ,非協力や 的 , 場に供 された をくす るなど,労働者によ る の がみられていたという( al e 198 c a s 4 an )。  これらの労働者の は 的に し,大きなストライ や での 議活 動が多くの で きた( al e 1991 4 8)。19 5年 の における公 共 通の と地域の大企 であった の ,さらに 省政 前 における労働者の大 座り みデ などに した。このようなストライ に よる の断 的な機能 はこの , 地域でも多くみられた( i 19 5 9)。 また, で の大 場が に実施したストライ は, による 入を みるまで しなかった(Fo ste 1990 214 228)。これら,労働者による をもとにしたデ 活動が各地であったことは, 19 年4月のいわ る第一 天 門事件3)に労働者代表が していたこと,そして 年 に で「労働者 による 運動」と名 る 上 リ ードとピ によるストライ によって 通が 断され, 機能が した ースにもつながる動きであるといわ れている( al e 1991 4 9)。  その後の1980年代は の労働者にとっては収入が し, 活 が上が った である。19 8 年の国有 門 賃金は 44 ,集 所有 門では 50 だったが,10年後の1988年には,それ れ1853 ,142 になってい た( 中国 年 1989年)。つまり19 8年からの10年の に公有 企 の 賃金は 3 になり,電 機, レ , , 機などの家電の 有 も し, が きた( al e 1991 4 0)。  ただ, にインフレも進んだ。19 8年から1984年にかけて,インフレ は 年 2 8 であったが,1985年から1988年にかけて は12 1 に上 し, 最も くなった1988年には20 にも上ったのである( al e 1991 4 1)4) なお,これは 国の であって,地域, による やそれによる企 3)19 年4月, 者を う 明 の に,1月に した を することを 由に行われた大 運動。当 実権を っていた「 組」 を大 に行った運動であり,ピークの 明 前後に は天 門 場に30 から50 の が集まったといわれている(天 ほか 1999 913)。 4)インフレ の は al e(1991) が 中国 年 1989年版を に行ったもの。

(7)

の盛 を した労働者個 の実 賃金の 化はさらに であったと考えられ ている。   al e(1991)は198 年に,天 の 労働者1011名に する 自の社 会経済調査を実施した。そのなかで,経済改 によって労働者の 力は 上 し,新 代の家電や な を入手できるようになり, 的な 活は か になったこと,しかしそれは主に198 年 前に きたことで,198 年 ,実 賃金はインフレによって し,1980年代 に した 活 を す ることが難しくなったことを明らかにしている。また,労働者の労働の現場では, 1980年代はそれまでの中 による 一的な 経済と による 視体 から新 たに 場 が され, 場 が労働者の賃金や についても でき るようになった。さらに 組 による労働者に する 接的な 力も より まった。その分, 場 に される権限が 大し,ルールのない 等に んじ るを ないなど, 場内の と一 労働者の や労働者 にも政 的利 関係が まれ,労働者が集 的アイデン ィ ィを 成する 地になったこと も指 されている( al e 1991 4 3 482)。

2

 天 門事件は一 的に, が中心の 主化運動であり,それに大 や 家などの一 の知 が した社会運動として知られる。しかし, 運動の で労働者も自ら組 し, たちとは別に 自の を げて運動を 開,事 件の後 においては運動の中心となっていたことは実はあまり 目されていな い。本 では,天 門事件の中で成 した労働者組 と,労働運動としての主 , 及 運動の を したい。  1980年代から められた経済改 (改 開 )は,経済 の一方で やそ の家 による 職やブローカー行 , の などを多 させ,大 は を らせていた。天 門事件は,こうした経済改 に って じた な を

(8)

に, や知 がさらなる 主化を し,共 体 の を 調す る 指 と , による 力 で を させた事件である。  一 の事件は1989年4月15日,進 の ・ 書記のための 行動 という で まり, 月4日の による 力 で した。中国政 の公 見 でさえ, 者319名と 表されており,実際にはこれを上 る 者 を出したといわれる(天 ほか 1999,913 914)。   が した4月15日 日の1 日には, 内の20大 で 内に300 りものスロー ンや ス ーなどが された。そして1 日 後には,中国 政 大 の 名が を げて天 門 場までデ 行進した。これが 場 デ 第1 であった( 1990,2 )。さらに19日には, リーダーの一 , が「 大 会」という 運動組 を し, の運動を組 し める。   たちの運動は4月2 日, 日 が 運動を「動 」とする社 を したことで く し,38大 3 が する 議デ に していく。 また,「 大 会」は「 自 合会」( ,「 自 」)と改 する。  多くの労働者が の運動に共 を せるようになったのは,5月4日,進 の が 運動は 国的な 図に くものであるとする を 表し, 上記の動 社 の 議運動の しにかかった だといわれる( al e 1991 483 484)。これを機に,新聞各社にも 運動に関する が され,さ らにそれらの が たちに 情的なものだったため,労働者も大いに共 し たという。インフレに まされていた労働者たちは,インフレの原 は の 職にあり, 主化が実現すれ 職は ると考え, 職に する たちのス ロー ンに共 した( al e 1991 484)。 の労働  5月13日, たちは「 ン ーストライ 」を組 し,政 との を めて ン ーストライ を開 する。この の ン ーストライ の

(9)

開 と共に,労働者の には自分たちと共通の で,自 のもとに ン ーストライ をする たちを しなけれ という機運が まった。そし て労働者たちは各職場で「 」という組 を り, を ったり,職場の トラックを借りて天 門 場 応 の 思を表明しに行くよう,上 に した りした( al e 1991 485)。この には,各 場(職場 ) の 組 の ントロールは非常に まっており,職場として 運動を するかどうかに する 断は各 場 に されていた。実際に,多くの が の運動に 情的であり, の労働者が運動 の を表明しに 場 行きたいと言え , それを めるか, なくとも はしない が多かったと, al e(1991 48 ) は記述している。このような, 運動に共 , を表明する労働者の職場 でのデ 行進は, だけでなく,上 や で5 ,天 , , で1 ,その , ,南 , , , ル ン,ラ , ,成 , 南 ,フフ ト, , 明などでも政 料により公 に確 されているとい う。労働者は政 が の に応じ, に応じることを主 していた。   上の職場 の労働者組 の ,そうした職場 から する労働者を た の労働者組 も現れた( al e 1991 488)。それらの職場から自 した 労働者組 を の(2)に する。 い労働     労働者 (「 」)  別 を「 」ともいう。これらは労働者をデ 行進に動員するために 組 された やかな組 である。     労働者ピ (「 」)  別 ,「 ピ 」ともいう。デ 行進の際に公共 や, の 議運動 を るために見 る10 ~ の労働者 ームであった。      (「 」)  目的は のピ と近いが, の実施(5月20日) に現れた い 性 5)ここでの内 は, al e(1991 488 490)より。

(10)

の 動 で 内 域のみならず の省 までも, 力行 や事件があれ け つけ, の動きをブロックしようとした。     自主 労働組合  労働者の利 を代表しようと組 された 組 である。自主 労働組合と は,労働者によって自主的に組 された労働組合であり, の「 会」組 か らも,その 政 体からも した労働者の組 であった。   に ,上 に なくとも 組 ,また合 , , , , ル ン, , , ,南 , ,フフ ト, ,済南,天 , ,南 でそれ れ1組 が活動していた。なお,南 の自主 組合は 一, ーラン ドの 自主 労働組合と じ「 」(中国語は「 会」 Soli a it Union)と名 っていた。   ,天 門事件 に で 開された労働運動として,この自主 労働組 合の活動を中心に したい。   al e によれ , では なくとも つの自主 組合が組 された ( al e 1991 489))。そのうち2つは 別組合で,1つは 社の労働 者 ループによる,「 労働者自 組合」(原語は「 自 会」)で ある。この組 は天 門事件中の大きなデ 行進のなかで,「 労働者」 という 断 を げて行進したことがあり,また後述する自主 組合,「 自 」 との接点もあったという。  もう1つの 別組合は「中国 労働者自 合会」(原語)であり,この組 合は,「 自 」 ン ーが されたあと, 労働者 体を代表してし ら く天 門 場における「 自 」の 点を き いで 在 を った。しかし, 残念ながらこの2つの 別組合について,これ 上の はわかっていない。  第 の自主 労働組合が 自 合会,中国語の で「 自 」と れ,労働運動体として最も 目される自主 組合である。この労働組合は 天 門事件中に中国国内で組 された自主 組合の中でも最も が大きく, ) ,主に al e(1991 489 491)より。

(11)

活 だった組 であり,記 料も多い( al e an on 1993 al e 1991 al e 1989 1999)。  「 自 」は, が した4月15日の に天 門 場の 記念 を取り 活動の中で まれ,4月18日に な 言を出した。5月 には2 の労働者を ン ーとしていた。「 自 」は 場などの職場 の 組 を ってはいなかったため,個別の労働者を集めて い に 大してい たということができる。  「 自 」の には,前 で述べたピ と の「 」 ームがあった。 また天 門 場内にラジオ ス ー ンを け, ラなどを する専 の 所を っていたことが知られている。「 自 」はその 所で,25 上の 言文や い リストを した。「 自 」は天 門事件中の5月 のデ 行進には て し,その中でも 出した 在 を ったという。 場の ス ー ンでは,政 , の の指 , の を表明するな どして多くの を きつけた。  5月20日から が実施されると,「 自 」の ン ーに して各職場か らの 者が 議活動を しに たという。しかし,「 自 」はそれにもかか わらず大 な デ を行い, 運動と して 公 と し, されていた3 の「 自 」 を することに成 した。また,2 の スト かけを行った。  「 自 」の は, 運動が 主義的, 的なスロー ンに きがち だった( al e 1991 491)のに して, で 体的なものであった。例え 当初から, り し していたのが の と賃金の上 であり, 年 に 労働者に賃金の一 として 的に される公 の と を めた ( al e 1991 491)。また,自由に 職する権利,年 と家 の 状況によ る賃金 の , と 利 での 性 別の を した。さらに, 運動に先 けて政 とその子 の収入と 出を調査して公表することを めた。  こうした を げる一方で,「 自 」は労働者の利 を代表する 在とし てその組 を けることがまず必 だと主 した。 一の公 労働組合であ りながら,労働者の利 代表としての機能を果たしていない 会に代わり,国レ

(12)

ルの政 に し,共 の を する必 があると主 した。「 自 」は ての企 に 組 を し,経営 と 等に する権利を めた。 これらの「 自 」が げた は,1980年代の経済改 の 果に する 応 であり,こうした をする労働運動が今後も再 出現する可能性は大いにある 上,条件によってはより大 に きる可能性も 分にあると, al e (1991 491)は指 している。この指 に関しては,本 の「おわりに」で再度 考 してみたい。  しかし,こうして ごしらえながら着実に運動を 開していた「 自 」によ る労働運動は,非常に に わった。 月3日 明に まる運動 の中で, 天 門 場の中に された「 自 」の本 ントは第一の 的として指 さ れていたという。政 は当初より, による 主化運動に労働者が合 するこ とに非常な を っていた。それは,「体 の 機」につながりか ないと いう, 有の 機 である( 2008 12)。一 の運動組 の 力 により, 自 の3名のリーダーはのちに された。その の労働者も めて, 天 門事件に関わった労働者 の当 の は, 者と して に しく,そこにも中国当 の労働運動 の の さがみてとれるとする見方は 多い。   上,本 では,19 8年の改 開 後, 場経済の 入 にあって の 労働者が 的な労働運動を企図し,その動きが1989年天 門事件の中で に まった 子を した。当 の国際的な政 の中では,この中国におけ る「新しい労働運動」は, の社会主義 の も けつつ,1980年代後 , 天 門の 主化 運動の一 として社会的に 目された。それは天 門事件の 中で して さくはない 在 を しつつも,当 による 力 によって され, に わった。この一 の事件は ,労働運動として から扱わ れてこなかったものの,こうしてみれ 実は,本書でいう「新興国型の新しい労 働運動」,つまり19 0年代~ 1980年代のいくつかの新興国においてみられた, 開 や経済 のあり方を うたり,体 や 行の打破を目指すこともある イ プの「新しい労働運動」と けることができる(本書 章2 1)。つまり,南 アフリカ,ブラジル,フィリピンなど,ほ 代の「新しい労働運動」とも共 通した性 をもった運動であったといえる。

(13)

 これに して,もう1つの「新しい労働運動」は,労働組合の関心が 向か わなかった労働者やマイ リ ィ, された労働者の組 化や権利 護,社会 義の実現に取り組 労働運動である。その も労働組合のみならず, O や , 護 や活動家などの個 が主 することも多い。本書ではこの「新し い労働運動」を,「包摂・権利擁護型労働運動」と している(本書 章2 2)。 でみる中国の労働運動の新しい 開は,この2つ目の イプの「新しい労働運 動」とみられる性 のものである。

3

 本 では中国の労働運動の1990年代 の 開を論じる。前 でみた1980年 代中国の「新しい労働運動」は,本書でいう「新興国型の新しい労働運動」,つ まり経済 や政 体 のあり方を う性 を せ つ の「新しい労働運動」 であった。  これに して,本 で するのはもう1つの「新しい労働運動」である,「包 摂・権利擁護型労働運動」と べるものである。それは中国で「労働 O」( a o O)と れる の の組 による労働者の権利 護運動として1990年代 に出現した。これらの運動は,中国において 労働組合である「 会」が 年組 化の としてこなかった 出 労働者( )の権利 護や組 化 を する動きを担っている。 は中国社会における社会経済的な 者であ り,その権利 護活動は社会的 義の実現でもある。筆者はそうした 点から, この1990年代 に出現した中国の「新しい労働運動」を,本書の す第 の 型,つまり「包摂・権利擁護型労働運動」だと考える。  1990年代の「新しい労働運動」には つの がある。1つは中国における 最初の「新しい労働運動」である天 門事件に を する れ。もう1つは の 社会の動き。さらに3つ目は中国大 の労働者と 者による自主的な 動きである。 ,この3つの イプの労働 Oを に しよう。

(14)

 第 でみた天 門事件中の労働運動を担った中心的組 ,「 自 」は,組 としての確 とした はもっていなかったが, 方氏が組 の中 を担って おり,実 的なリーダーの一 だったといわれている( al e an on 1993 9 2008 10)。  天 門事件当 ,2 で の労働者であった は 明 で 力 のある で, 自 のス ークスマンを めていた。天 門事件 後の 月 8日, 自 には を筆 に3名のリーダーに する 状が出された( 1990 103)。 は公 に出 し,その後22カ月 の の に を い, 状 が になって入 のために された。1992年8月のことであった(「大 」 2004年 月1日)。その後, して の を けた後, 経由で 省の さな から入国しようとした は公 に され,自 が中国に 国できない 場にいることを知った。  中国 の 国が わない は,その後 にとどまって1993年 , O「中 国労働通 」(中国語では,「中国労 通 」。 語は ina a o B lletin B 。 , O中国労働通 を指すときには,本 中では Bと表記する)を した。 に 点を きつつ,自らが中国大 の労働者であった の は わら ず中国国内の労働者の 改善と労働運動の 進にあり,中国大 の労働 を とする Oとして Bを した。 Bは 当初より, に 地しつ つも中国国内の労働者の労働運動を 進する組 であることを しており, の労働 は 本的に取り扱っていない8)。途中, されたり ていた も めて, の の上では1989年 ,ずっと労働運動をしてい ると考えているとのことであった。   Bの初 (1994 ~ 199 年)の活動は,中国国内の労働 や労働組合の組 の実 についての文章を書き,月 「中国労働通 」として大 の企 に )本 の記述は 氏 の筆者によるイン ー(2015年10月, の中国労働通 オフィスにて)を, ほかのいくつかのイン ー記事で したものである。 8)なお, は199 年に中国に されたものの,その後も一国 度が され, に の に 関しては今も事実上の「国 」 が行われている。大 と の労働者の状況も,労働 も く 状況が異なるため, Bは 後も わらず「中国国内」つまり やマカオを まない 義の「中 国国内」を活動の としている。

(15)

することが中心だった。情 は中国国内と の新聞や で,それに が を書くス イルであった。  199 年になると, が 国のラジオ ,ラジオ・フリー・アジア( a io F ee sia F )のラジオプロ ラムを担当することになった。このラジオ 組 の イトルもまた,「中国労働通 」という。 F は 国の 共プロパ ンダ の一 として1950年代に が関わって されたという の ラジオ である。このラジオ は を アジアの各国,地域に 点を ち,アジア の に向けて多言語で 組を している。 はこのラジオ 組の中で中国国 内の労働者から レクト ールで電 を ける ー ーを け,そのやり取 りを して した。 電 の内 は,まさに 代の中国の現場の労働者 の 体的な現実だった。 F のラジオ 組は,国内の労働者と 接やり取りでき, にいながらにして国内の現場の現実を知ることができる場となった。  この の電 は 国各地の国有企 の労働者からのものが中心で,労働 の がなされない, 当 ,レイオフなど,それ れ異なる文脈の で はあるものの,非常に な かりだったという。しかし, を聞く かり では も につながらない。そこで,そのうちの最も な 件に して, Bとして 護 に して を めたのが2004年のことである。労働 の 件は当 ,すでにたくさんあった。しかし も を こさなけれ そ のままになってしまう。 Bが代表的な 件を に ち ことで, 所 にこうした 件を扱う経 を ませることにつながり,多くの な 件がある ことを知らしめることにもなる。だから,まずは を こすことに な があったという。  中国において労働 議は, 前に必ず労働 を経なけれ ならないことが められている。労働 の 果に 服の場合,改めて 所に する。 の一 は レ ルの 所で行われ, 果に 服の場合, は レ ルの中 所で が行われ,通常それで になる。それでも 服の場合,最 的に は省レ ルの 所での を行う場合もあるが,そこで が される確 は めて いといわれる。   Bとしては, 体的な を通じてこのとき初めて,国内の労働 に実 際に 入することができた。また,こうして 入することで,国内の 度や

(16)

状況 の も進んだ。   Bとして2004年には年 20 件の を行い,年々 えて2008年に は800件 りになった。この , Bは中国国内の に関して公 的な 9) をする機関として 一の組 であった。当 ,労働 に限らず無 で個 の を する組 などなかった。しかし,2008年になって を した。 える かりの 件に して,すべてを しきれなくなっていた。また,自分た ちの は労働運動を し進めることであり, 善組 になってはいけない との考えもあった。そこで,その後は する ースを の 件の前例となり, 政 の や改 につながる可能性のある 型的なものに り,年 100件前後 の 件を 的に している。   に き,2005年 から Bが 目したのはこの え めた か りの労働者によるストライ であった。労働者が企 内で 体 をできるよう になれ ,ストライ を収め, に ことができる。なにより多くの労働者 の権利 を に ,労働条件を改善することが可能になると考えた。なお, 中国は Oの 社の自由及 権 護に関する8 ,また 権及 体 権に関する98 の両条 を共に しておらず, 一の労働者組 である中 国 会のみに 国の労働者の組 化と労 の調 機能を担わせる 場を とっている。  1989年の天 門事件の中で労働運動に目 めた にとって, この まで 活動のスロー ンは,「自主 労働組合を 成すること」だった。しかし,活 動開 から10 年, の労働運動の事例や労働組合関係の会議で見聞したこ とから,労働運動の目 を した。つまり,それまでの自主 組合の 成か ら, 体 の実現に目 を フトしたという。労働組合があるから 体 が できるのではなく, 体 ができるようになって初めて,労働組合が 成され るはずだと考えを改めた。実際, 体 の実現の方が中国の文脈において 的現実的である上, 体 により企 と することさえできれ ,目 の労 働条件を き上げることができるのである。労働組合を るかどうかは, のス ップの だと考えを改めた。 9)ここでいう公 的な とは, の主体が考える公共的な利 のために無 で行う を指す。

(17)

 そこで, Bはこの2005年 ,各国の労働組合と 体 について事例 研究をし, した。 しも中国国内の労働者によるストライ が し めた。 まだ件 は なかったが,この すでに2000件近い に 入していた Bと しては,中国で労 の は今後 けられず,ますます 化すると 断していた。 このとき していたストライ はこれまで Bが 入してきた との共通 性もあり,ストライ の 後にある労働者の権利 がどれほど か, し ていた。ストライ が きれ 労働者のみならず,経営者 も を必 とする し,政 もそれを と考えた。 体 は したストライ を収め,また することもできる。このような 和的な は, にとっても ましいと 考えた。  この, 体 に 点を くという 断は,当 は成 する可能性は めて く,しかしうまくいけ 大きな 破 になるという で 打のようなものだっ たが,今 り れ 情 的に しかったと は考えている。労働者,経営者,政 の3者のすべてにとって リットがあるからである。  さらに,2008,2009年 から,国内の労働 護 と労働 Oが ってきた。「 らがいて初めて,国内の労働運動が手 を った」と, は言う。 にいて, ラジオや研究 書でアプロー せ るを ない とは い,国内の らは実際 に 体 をリードし,動かした。 は,中国国内で労働者によるストライ が 体 を経て成果を んだ最初の事例と, くもう1つの代表的な ースで ある。   事例1  2010年5月, 省 にある日 の自動 組み て 場,南 ン ダにおいて したストライ と,その後の 体 が成 したことが中国の労 働運動上の1つの ン マークだったといわれる。 社のストライ では, い 能労働者が企 内でストライ を め,労働者が自ら し, を めた の専門家の な助言のもと,企 と政 と労働者代表の3者の での が 実現し, 果的に大 な賃上げを実現した( 2010)。このストライ と 体 の成 を機に, は企 のストライ を するべくし し 力動員も 入をした地方政 が企 内ストライ には 入せず,中 的な 場をとる

(18)

ようになった。そのことは労働運動にとっては大きな い となった。   事例2  2011年, の ズンのOEM( 手先ブランド ) 場において し た1200 のストライ では,賃金の い方 の (出 いから ) の 議に まり,D 護 の助言を て労働者代表を 出し, 場 と 体 を実施した 果, 5年 の い残 代の に成 した(2011年12 月 日「 新 」)。この ースを りに,2014年にはストライ が し, イ やアディダスのOEMを手 ける の 本・ では,20日 にわたって最大で5 のストライ が きた。ストライ は 場 が労働 者 の社会 の いが 分だったこと の をめ って こり, 労働 Oが 入して にあたり, 主に社会 の いを めさせた。  このように,2011年 に きた労働者によるストライ は 省の を中心に主に 企 において, い賃金や残 代, が する社会 金などの いをめ って しており,労働 護 や労働 Oの専門的知 による を つつ, 主との 体 に ースも多くみられたが,労 働者 の が められ,成 する ースはそのうちの一 である。  つ く2 型は,中国国内に 点を つ労働 Oである。   場経済化後に労働運動の主力となったのは, と れる 者で ある。国有企 改 の中で,企 は と れる の 労働者を する一方,非 の を多く し めた。 は, 出 の労働者 のことである。改 開 後, 公社の 体と共に 籍による ントロール が 和された1980年代後 から多くの が の に 入した。   は大 の 労働力として改 開 後中国の な経済成 に 献した が, はその権利が 分に されてこなかったことにある。企 においては を 労働者として, 賃金と最 限の 利 で した。 スト

(19)

のため,社会 や 利 のみならず労働 や職 の 10)はし し な されず,企 合での の も しくない。   はそれでも, と の大きな賃金 を に,2000年代 ま では 々と働いてきた。その状況は2004年,「 」と れる労働力 の 出現により, 開した。ルイスの 点の ともいわれ,労働力の り手 場に じたのを機に, の賃金も 上 し, に によるストライ やデ などの労働運動がみられるようになる。 によるストライ が主に したのは, 省, 省, 省などの 地域である。企 別に は, を多く って労働集 的な を 開する 企 や 営企 でスト ライ が に多かった。  中国で事 を 開する 企 の中心は, , 本の企 であり,なか でも大 と 接する との関係は かった。 企 ( 場)の大 進出と共に, 1990年代 には多くの の Oが に進出したり, 金 する 携 Oを つようになった( an 2018 4)。 anによれ ,大 に活動を げ

た Oは の 組 を とした Oや大 などの 者による Oが

中心であったという。  ところで, Oという 念が中国に ち まれたのは1995年のことであった。 この年,国 主 の 性会議がアジアで初めて で開 され,この会議中 に政 代表と共に O代表が するフ ーラムがあったことから, Oの 念が中国にもたらされたといわれる( ・ 200 )。この後,中国国内に Oと名 る組 が まれ, , ,労働, , 困 助などの分 野で活動を 開している。なお, Oという本 の 念とは するものの, 中国の Oの 運営 体には政 関 の組 によるもの, のものな どが多く,それらと 別するために本 の非政 組 としての Oは中国 では「 の O」と されることがある。そして,労働者の権利 護や 10)労働 に当たる中国の「労働 」(1994年公 )では,第 条「労働 」中に労働 に関 する がある。そこでは 主の労働 に関する義 に に言及するのみであり, 体 的には199 年施行の「労働 及 職 による 体 度 」(労働 「職 職 残 度 」,最新版は2015年)が す労働 の に しい。中国の労働 は 上の事 による 的 の「 」と, 上 である「職 」を 念である。

(20)

のために活動する労働 Oは,中国では政 的に「 」な 在とされ,通常 政 との関係は 接ではなく,ほとんどが の Oである( ama c i 2015)11)   国初の労働 Oは1995年,アジア 性会議の 後に と で まれた。 そのうちの1つ, の O「出 性の家」は の 向け 出版社の 職員有 による出 性 のための Oである。 方 では, で

された O「 性 」( inese o kin omen et o k)が, の南

にある 会の 組 である 南 会と共 で199 年に し た。 の Oと 会の合 運営による Oである。名 を「南 性労働者 ー ス ン ー」(南 職 服 中心)という。   ースの労働 Oが中国の労働現場で 目された事件として,8 名の 性労働者が した1993年の 場の大 事がある。この事件の後, の労働者 体が の労働組合や 者 体との協力の に,この 場に委 を行っていたイ リアの ブランドに 運動や社会的 の などの 力を え 者 の を めた。この大 事事件 の が になって,上 述の O「 性 」12)と, くからある リスト 協議会 の 委員 会13)が大 で労働者の権利 護のために活動するようになったという( an 2013 10)。  中国の O (2001年)を機に,多くの 企 が大 から したため, Oも組 を大 の後 者に し, っていった14)。一 現 す る労働 Oもあるが, ス ッフのいる労働 Oとして現在も大 で活 動しているものはないとみられる。また,その の労働関係の Oも,大 11)なお,中国語で Oはローマ 表記の Oをそのまま表記, ともに している。そのため, 語, 語であり,労働者などの に しては「公 機 」,「公 組 」などの を えることが多い。 12)「 性 」の 名 は 労 性 。 語では と される。 者, ー ル ーカ ーとフ ニストの有 により で された 体で,その活動 金は と から集め られた( an 2013 10)。

13) on on istian n st ial ommittee( )は, リスト 協議会( on on istian o ncil)が 化する 社会 の 応として19 8年に した労働者 の ート,

を進めるための組 である。なお, リスト 協会とは, 域内でのプロ ス ント リスト 各 での 携や を図る目的の 組 。

(21)

の関心を つ組 は現在ではほとんど 在しないといわれている。   ースの労働 Oの活動に き,1998年8月には労働者自 による最初 の労働 Oが された。本 では,最初に された組 を , つの代 表的な Oの活動を する15)   省の中心 で 省出 の が 専 の専門職であった と出会い,1998年8月に出 文書 ー ス (原語は「 打 文書 服 」, 「出 」と )を した。 のきっかけは がある , で んだ 知 によって の たちのために労働 金を ち 取ったことであった。「出 」は 分野の専門職であった の を て, 労働者のために による権利 護活動をする 組 となった。  当初,前例のない新しい組 であったため, の取 , などに ついて政 から多くの 限をかけられた上, である からの ー ス料 収も困難を め,経営困難に って最初の 者であった が してしまう。 その後,2001年に の リスト の組 から 金 助を けるようになっ て初めて,残された が代表となって Oとして再出 した。  「出 」の活動の中心は権利を された労働者 の であり, ン ル ィン と に う 文書の 成を無料で代行していた。この , 2003年からは 企 の を け,文化 ー ス を け,パ ン , 語 ,ダンス などの 実 座や 楽活動を行った。目的は, の 活を文化的に かにして,出 先の に を ってほしいという い であったという。実際に,この文化活動 点に集った から,その後 省 15)本 で する大 の3つの労働 Oについては,後述するように代表がそれ れ後に され, O活動のかどで 事 に われている。その執行が現在も進行中な ースを ため,個 名に ついてはアルファ ットによる 名で表記することとする。 1 )本 は主に,「 飞 一 劳 O的 缝 」,「中国劳 维 O的困 」により,筆者が して記述した。

(22)

内の の で労働 Oを する者も出ている。労働者 の ニ ー ンと自 の場となり, 果としてのちの労働 Oの 化 としても機 能したことが指 できる。しかし,後にこの文化活動 点は,200 年に所在地 の公 門からの に い, させられた。 日100 を える が集 うため,組 化して 動を こすことを れての 入だったといわれている。  後述する2つの労働 O,「 」,「南 」はいずれも,前述の「出 」 の活動に された の が した労働 Oである。 労働   者のBは 南省 出 の で1993年に 省 出 に 出た。 の 本企 社で働くうち, の の 力, 事件を 多 目 し,自らも 中の 通事 で労働 を経 した。 な 護 はとても えず,自分で書 を えて を こしたが, 料 で し た経 をもとに, が自らを る労働組合が必 だと考えたという。  Bはまず,当 めていた企 の中に地 会つまり,非公 な労働組合を組 した。 は当 , 営企 に合 的な 会を新 することを しており, Bらの 会 の取組みにも い になったが, 場 がかたくなに しなか ったために に わり,Bは された18)   されたBは,企 の で出 に自分の 経 から んだ 的知 を提供するための組 を ることを考えた。2004年にBが した 協会である。 協会はその後,2005年5月に「 労働 議 ー ス社」(原 語は「 労働 議服 社」, 「 」)として企 した。 上,企 の をとるものの,その実 は労働者の権利 護のための有 ,無 の ー ス 1 )ここでの記述は「 」代表のB氏 の筆者による2度のイン ー(2010年5月,2015年 月)を 中心に,各 により して した。 18)Bらの地 会は30 りの と組 したものだった。Bが されたのち,地 政 の 会 及 活動があり,この地 会の活動が された。地 会 ン ーが中心となって 社内で大 なストライ を実施し, 事の改善,賃金の ,月1 の 日の確 の3点の を 会組 として提出した実 があるという。

(23)

を組み合わせた公 事 組 であった。個別の労働 は「 」として, 公 的な労働運動は 協会として活動する の組 である19)  Bは 協会として,200 年に労働 の を めて, 度の大 な 名活動を行い,取 りにあっている。この活動の には200 年当 ,労 働 や賃金の など,労働者が権利の にあった際,労働 を申し てることができるが,その が ( の )だったため,労働者に とって労働 の が現実的ではなかったことがある20)。労働 を って職を い, にも事 く が を って労働 を申し てることは困難で, えて も 明なため, 的だったという。そのため, この 取り しを めて 名活動を行ったが,これは中国では なデ 活 動であり,当 の取り まりにあって組 分を けた。ところが200 年 10月にア リカの 金会から 金 助の申し出があり,組 を て すことがで きた。なお, 名活動の となった労働 はその後,2009年10月に 一 50 に され,労働者にとって現実的に利 できる金 になっている。  「 」の活動内 は労働者を とする 座の開 , ,労 , 図書 料 の つがある。一 して行っているのは労働者の権利 護であるが, そのやり方は2010年を に大きく 化している。それ 前は主な 内 は労 働者に自らの権利を 護するための 的知 を する ーと,実際に権 利を され,労働 ,賃金 い などの を こす労働者 の 的な ート,つまり労働者個 を とした 済活動であった。  2010年8月 は, 体 を するス イルに 方 を大きく した。 この には, の個別 の行き まりがあった。2009年 までは,おお が く,政 も労働者の 改善に 的だったため, い賃金や残 代の いを める労働関係の は9割方 していた。ところが2009年 の途中から, じような労働 が9割方 するようになった。この として, の 化による地方政 の企 護主義があると考えられる21)。そうした状況 で,2010年5月に南 ンダのストライ から 体 の成 という ルクマ 19)中国の労働 Oの 型的な原 であるが,当 はまだ,組 として Oを名 っていなかった。 20)日々の 活にも のない にとって, の4 を として 収されることは 担が大 きい。ましてや労働 が成 しても 金を わない企 は今に っても多い現実がある。

(24)

ール的な ースが き,これ 2010年8月にBが したとある労働関係の研 会で企 内 会を利 した 体 の リットについて んだことが,活動方 を 体 を中心とするよう するきっかけとなったという。  Bによれ , 体 の成 の は企 内の労働者の組 化にある。Bはもっ ら, に た労働者を して企 内の 会に 入させ, の企 内 会 を改組(つまり, 会の天 り を し,自分たちの利 を代表するリーダ ーに える)することによって合 的に 体 を行う を助言している。な なら,企 と政 は通常,一 して企 内の労働運動を しようとする。 それに する は, 会という の 度を利 した合 的な 体 し かないとBは考えていたからである。 の文中では,このような運動 を つ労働 Oを,「 体 進型」と する。  「南 」は200 年, 省 で 南省出 の の個 所(「 」)として まった。 役経 のある リートの は 役後, の 営 企 での 職を され したが,経営者の 職に 議してストライ を組 した経 を つ。それを非難されて し, 省 出 に出た 後に 中の事 から手指を 断してしまった。この とその後の経 は, が後 に当事者として労働 者 の 活動に 入する 機となった。事 後, 入 していた の に「出 」ス ッフが に れ,その ートを て 場主と し,労働 には 入だったが 場主からいくらかの 金を け取ることができた。その後,知 を につけて じ 場の を助け ようと, の「出 」で ラン ィアとして働いた。労働 の 知 を につけたのち, に って自らの個 名を した「 」という名 で っそりと労働 の活動を めたのである。  その200 年は,現在は 社会に のある改 で知られる が 省 書記に した年であり,省内で ー ル ーク組 の が され,社会 21)中国の 度はし し 政 , に する地方政 の 向を けて大方 を するというこ とが労働 関係者の では く知られているという。なお,このような中国の地方 護主義によ る 当な の があることは, 分野でも されている(大 2019 ・冯 2015)。

(25)

的な非営利活動をする Oには い となった。そこで は 年 月,組 名を

後の南 ー ル ーク ー ス ン ーに改め, 政 に な

Oとして することができた。労働 Oの中で, Oとして に 政

に することができた Oは当 , 国でも に例がなかった22)。政 公 の Oという 性は合 的な であるのみならず,政 が にアウト ー ン する公共 ー ス事 に入 し,経営を け うことで 的な収入 とすることができる リットもあった。「南 」は の困 者のための け みス ー ン(「 助 」)経営を 政 から け い,わずかながら 的な収入を 政から ていた がある。  「南 」の主な活動は,労働 者 の 的 である。 的に実 施する 知 研 座と実際の 者 の個別 ン ル ィン によって,1 上の労 者に を るための を実現してきた。「南 」の ートは, 本的に 者( 者)本 が書 を え,自ら に出 するこ とを前提としている。労働 者が主体的に自らの権利を めて うのが ましい,その での ンパ ー ントも だとのことであった。 者 の 的 は代表の とその ス ッフの知 と経 によっており, 労働 Oと ,専門的な 護 は在籍していないが,それでも 分に できる という。  もう1つの活動として,地域に 地方出 者の子どもたちのための 活動にも取り組んでいる。日常的な の 指 と, みの合 イ ン トなどを行っている。 4 労働 の 動   つの労働 Oの活動 金はいずれも, の や O,労働組合組 などからのプロジ クト 金に申 して たものである。201 年より中国政 が 国 O 23)を施行し,国内 Oの活動 金 の からのつなが りに目を らせている。 22)一 的に の Oは 政 に O することができず, を めて に企 として 記し,活動するのが通常であった。中国の O 記をめ る は (201 )を 。

(26)

 この つの中国大 の 自 による労働 Oは,当初ほ 共通する活 動を 開していた。労働者に必 な 的知 を える ーなどと,労働者 の権利にかかわる を こすための 的な ートである。 の内 とし ては,権利の に する ,賃金 い ,労働 などがある。 いずれも,権利を された労働者個 を とした 済活動であった。   つの Oの分 点は2010年に じた。「出 」と「 」が個別 から手を き,企 内での労働者による 体 を する方 を取り め たのである。この については,(2) 労働 議 ー ス社の 所で述べ た通りである。  中国国内の労働 Oの分 は, 省の ( , , )と の を中心に,ピーク には100ほどあったといわれている( an 2018 2011及 氏 の筆者イン ー 2015年8月15日 )。労働 O の活動内 は筆者の によれ 大きく分けて の3 型にまとめられる。   文化活動型   の多い地域に 地し,労働者のための図書 , , 楽などの文化活 動を提供しつつ, 活や 知 の 活動を中心とする労働 Oである。 向けの 楽 ンド, ユニット, 上 などの活動をする 体がある。   権利 護型  労働 ,職 ,賃金 い, など,労働現場で 当な をされた労 働者の権利を などにより個別に 済する活動をする労働 Oである。   体 進型  労働者の を 上げするために,労働者が企 内で 会を組 ,改組し,経 営 と 体 をすることによって労働条件を改善することを目 に,ストライ 23)この の 名 は「域 非政 組 域内活動 」(原文は, 非政 組 内活動 )で, 国 国内ではなく,域 域内としたのは,主に をこの の (つまり 国 O に しく する)とするためである。 では,域 Oの中国国内での活動には, の に代わり公 が 視役を担うことが され,国内 Oはこの により,それまで主な収入 であった からの 金調 が事実上できなくなった。中国政 は 国から中国国内の O の 金提供を ましく思っておらず,この によって に 金の自由な れの ントロールを実 現したとみられる。

(27)

や 体 の ウ ウを指 , ートする イプの労働 Oである。   と の イプの Oは することが多い。つまり,1つの Oが , の活動をどちらも 開することが多い。前述の つの Oは活動の主 は で はあるが,どの組 もこの2つの を えていた。また, の Oはす べて, から進化したもので,2010年の 述の南 ンダでの労働 議 の ことである。  前述の つのうち,「出 」と「 」はどちらも, から した Oである。 に「南 」は労働 者の個別 済という 自 を いている。   護 の からも「労働 護 」と れる労働者の権利 護分野を専門領 域として活動する 護 が出現した。いわ , の労働 Oである。労働 護 は こそ ないものの,専門知 を って政 と 会,労働者の三者から される専門家として,労働者によるストライ が した初 の労働運動の 途を した 献は大きい。また,労働運動に する政 と 会の の も みることができる点で興 い。  労働 護 は 確には, 省 で活 するD 護 と にある の 労働 護 事 所24)に所 する の 護 のことを指す。 労働 護 事 所は,2005年に された,目 中国国内 一の労働者の権利 護を専門 領域として活動する 護 事 所である。  労働 護 は2005年に 護 協会が行った 改 のなかでいわ , まれた。当 , 護 協会は各分野に専門化した 護 事 所を する目 を げ, 動 , 事 , 事 ,労働 など,10 分野を 挙げた。そのうち,労働 だけは の 護 が も手を挙げず,D 護 が んだという(「一家労 所的 」2014年8月31日)25)。当 ,D 護 は 24)原語は 労 事 所すなわち, 労働者の権 護 護 事 所。 25) ,本文中のD 護 に関する記述は, に断りのない限り 記事に く。

(28)

ですでに30年近く活 する実力 だった。2005年 月29日,D 護 の労働 護 事 所は に されたが,当初から する 護 を すのに 労し, 収入 にも んだ。   は2004年に出現した労働力 ( )の 後で,労働者による 議運動は りパフ ーマンス,集 「 」という名のデ , , 座り みなど,手 は 成 ながらも 見されるようになっていた。 Bによ れ ,賃上げや 改善を めた労働者による集 行動が えていた である (中国労 通 2011)。2004年, では日本 本の知利電 の1 デ を はじめ, 場労働者による やストライ が き,近 の では 本の大 場 社において ストライ があった。  労働者による大 ストライ の経 がない地 の 政 は,これを 上の事件ととらえて,当初は公 や から まで,あら る実行行 に より え もうとした。   会もまた, の な役割を担わされていた。2008年, 会と つの 護 事 所が協議書を し, 会組合員のための権利 護をする こととなり,当 , 労働 護 協会「労働 と社会 」専門委員会主 だったD 護 の労働 護 事 所も活動の担い手となった。この年, 会は提携 護 事 所が 会組合員の 護を行った場合,1 当たり3000 の 護料を うべく,年 300 あまりの を していたという。実 際に,提携 護 事 所により,400件の労働 議の調 と , が行われた。  当 ,D 護 の労働 護 事 所は大 ( ) 上の新 護 を20 い, の 大に えた。また,労働 護 事 所は労働者による 会組 に 目し,事 所内 に労働 ,労働者研 , 体協議 を り,実際 に企 会に向けて 体協議書について研 をしていたという。ところが,D 護 が を めていた2008年の大 ストライ では,活動中にその企 の 会が 入し,のちに 会まで 入してきて企 ・労働者 ですでにほ まっていた賃上げ を 方 して させられたという事 が した。 その後の地 紙, (2009年4月1 日)に,「労働者の権利 護と を 合させることは の 会の な指 思 である。そのため,労働 議の調 においては, の 会は企 を 護し,社会の を図ることを最も

(29)

な前提とする」と された。  「企 の 護を第一に考えた上での労働者の権 護」という 会の方 では, 労働 護 たるD 護 とは目 が異なる。 ,D 護 の事 所と 会の提携関係は て破 され,労働 護 事 所の 在は再 ,経済的にも政 的にも しくなる。  しかし,こうした中,D 護 は ームを いてイ リア,オランダ,フランス, 日本など先進 国 視 に行き, 体 が だとの考えに ったとい う。中国の労働者は政 と企 が した労働条件を 動的に け入れさせられ ている。そうではなく,労働者が自らの利 に関わる分 の に すること が大事で,そのためにはストライ 権と, 体 権が まれた。しかし政 が 進しているのは,政 と 会の主 の に めた「 体協議」(原語は「集体協 」) を企 の労働者と 者(労 )の現場に する「 体協議」である。 体 は労 が主 するものだが,政 が提 する「 体協議」は名 こそ ている が,政 主 で労 は け な 在である。 的なものにす ず,実 的な を実現するものではなかった。  しかし,2010年の南 ンダのストライ の成 を経て,また で 場労 働者によるストライ が する中で, 省政 の にも 化が現れた。そ うした中,2011年にD 護 が をした ズンのOEM 場のストライ では,D 護 の みた 体 の実 が成 を収めた。労働者と 者 で の (労 )の前に,D 護 は , 会,政 労働 門の 者に し, されないということは ズンのストライ に 護 が 入 することを 会も 政 も する なのだろうと 断している。 ズ ン 場の労働者代表には 場労働者 の 上の委 名を集めさせ,労働 者代表の合 性を 明した。さらに,D 護 自 が 者に,労働者代表を無 条件に 護すること,一 の 則 は取らないことを させた。これにより 実現した 体 では,労働者代表はストライ が くことを 料に 者 と し, 35 の賃上げに成 した。 は に し, 社トッ プの日本 経営者は 場の1000 りの 労働者を4つ ルのレストラン し,1 あたり1000 の料 を べた ーブル100 の 会でもてなした と語られている(「一家労 所的 」2014年8月31日)。

(30)

 労働 護 の 在が,労働 Oと共に労働運動の 開にとって な指 と なっていることは いない。 に,2000年代の「新しい労働運動」の 成 において,専門的知 を って運動を進めた 献は非常に大きい。しかしながら, 事 所の経営状況は であり,その後 手 護 の一 が されるなど, 近では の労働 O に活動の力が大きく がれている。   上,本 で した つの組 のうち,「新しい労働運動」の主体として 在 があり,自ら を上げている点で 目されるのは天 門事件の れを 労 働 O(3 1)と, 自 が ち上がって組 した労働 O(3 3)であろ う2 ) の第4 では,この2つの労働 Oを中国の第 の「新しい労働運 動」という で「新しい労働運動 」と し,天 門事件の中で きた中国の 第1 の「新しい労働運動」を「新しい労働運動 」として両者の での と 携,また断 について考 したい。

4

 1989年の天 門事件は, 体としては を中心とする 主化 運動であ った。しかし,その一 として労働者の があり,労働者は自らの組 を り, 自の を げて天 門で した活動を 開していたことを本章第2 で した。これは中国における最初の「新しい労働運動」であり, 者の視 の 先には 社会主義国の 主化運動があったが,19 0年代~ 1980年代の「新 興国型の新しい労働運動」とも を じくしている。天 門事件が権 主義体 の として まれた 主化 運動だったのと ,その一 としての「新 しい労働運動 」も権 主義体 の が んだ「新しい労働運動」であった。 2 )労働 護 は, に労働 Oによる「新しい労働運動」の 成 において,労働者によるストを 体 につなげ,労働条件の改善を ち取るという成 実 を き,その後の労働運動の 開 に を いた 献と 在 は非常に大きかった。ただ,実 的に1 護 による 事 所のみであり, 近年の当 による もあって の労働 O , 性の 断には が必 である。そのため, ここではカ リーとして挙げなかった。

(31)

 当 の運動体としての自主 労働組合,「 自 」は政 による を け て に わり,その中心的 も され された。しかし,この「新しい 労働運動 」のリーダーの一 であった 方氏はその後,2年近い と 活を経て し, を 点にしつつも1993年 現在に るまで, き き「新しい労働運動 」を 開している。もう一 の天 門 代の 心の と ともに「中国労働通 」の活動を していると聞く。また,当 の運動の中心 ン ーではなかったものの,1989年 ,ともに労働運動を 進している が中国内 に かいるとのことである。 をはじめ,「新しい労働運動 」 一 して労働運動に携わる,こうした の 在自体がまず,この2つの の「新しい労働運動」の を ける だといえる。  また,もう し 義にとらえれ ,労働 Oが する中国の 社会は,今 も天 門の 主化運動で げられた 主化 のあこがれや共 を している。 その においては1990年代 の「新しい労働運動 」を担う労働 Oや労 働 護 ら 社会のアク ーは多かれ なかれ, 接的に天 門事件当 の社 会運動の思 や 向を しているともいえる。ただし,大 の労働 Oは労 働者の労働の現場から したものであり,個々の労働 Oは天 門事件に らかのルー を っているわけではない。中国の「新しい労働運動 」と「新し い労働運動 」は,いずれも異なる 史的 点の,労働者の現実から した権 利 護, 運動である。  1990年代 ,現在まで主 となっている,労働 Oによる「新しい労働運 動 」の内 では, O の関係は非常に近いようにみえる。例え ,「 」 も「南 」も,最も の労働 Oである「出 」に集い, を け た経 を つ が後に して した労働 Oである。その では, 労働 O の や目的の共有 は非常に いものがある。  しかし,実際の活動は にかなり 的に行っている。まず,労働 O はそれ れ異なる地域に 点を っており, 通った を 開している。そ もそも, や労働 は ースや企 が異なれ 別々の であり, 考にで きる ースはあっても, O で のために協力できることは多くないとい

(32)

う。さらに,労働運動が社会において大きな 力を つことを常に れている 政 が, 々な手 で O での 携に を している。その 果,労働 O での 関係は日常的な個別 にとどめられ,目 った共 行動は に自 しているようである。   方,国内の労働 Oとの 携に 的なのは, ースの Bである。 筆者の B のイン ーによれ ,国内の労働 Oとの協力関係は主に 金 の協力と での指 にあるとのことであった。中国国内の労働 Oは 目 ,活動 金をほ て から調 している。そのためにはまず 語力が 可 だが, 中心の国内の労働 Oはこの点で 的に く, Bが から集めた 金を提供するという での協力が 可 とのことであった2 )。本章 でも した2つの「 体 進型」 をとる労働 Oには, Bからの 金 助があったことが一 的に知られている。まさに, 金を提供すると共に を指 していたとみることができる。 方で,別の Oの中には Bや と関わることで自らの組 としての政 的リスクが まることを れ, Bと の 携を 的に けている Oもあり,中国における労働運動分野での政 的リスク の の さを じさせた。  さらに, Bがこのような 金提供の条件として,活動 に い を してくることが大 の労働 Oの を いている 子もうかがえた( an 2018 8 9)。それ れ, 自の組 や 地の 性も まえた自主的な活動を 開 しようとする各労働 Oに して,一 の を ちそれを 進することを める Bのやり方は専 的にみえるらしいことが, の関係者の からも じられた。   Bからの筆者聞き取りのみならず,労働 Oや活動家の で政 的ス ン スが うために 携できないという もよく聞く。労働者の 済や労働条件の改 善など,個別の 体的な は共有できる であるにもかかわらず,政 的ス ンスが うために O で 携どころか し合うこともできないとい 2 ) B代表の は 国で した経 を ち,その後労働組合関係の国際会議や表 を ける機会も 多く,非常に な 語を す。また, B ン ーには天 門事件後フランス して後に Bに合 した もおり, 国語や 国社会 のアク スは非常に活 である。

(33)

う現状があるものとみられる。  「新しい労働運動」が現場の労働者自 による からの運動であるのに して, い労働運動の中心であった 会の 度はどうであったのだろうか。 らく,労 働運動を える に っていた 会も,2010年 のストライ 件 の に は 応せ るを なかったようである( )28)。それは中 政 からの い でもあった。   え けるストライ の国内的な中心地であり, 着の労働 Oによる労働 者の権 護活動の主な現場でもある 省 の 会組 ( 会)は, こうした労働現場のストライ 件を ,分析している( 会 主 2015 中国 編集 2013 会 主 201 )。 会は1981年 の 内で きた主な企 内ストライ の ース分析を行 い,200 年の ン ー ルの ースのように,ストライ によっ 28)ストライ 件 のデー はそもそも, のデー は 在せず,2010年にストライ が したの を けて Bが収集し めたものである。そのため,2010年 前のストライ 件 はデー が 在 しない。 0 500 1, 000 1, 500 2, 000 2, 500 3, 000 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020   国 ライ 件 (2011 2020年)( 件) (出所) O・中国労働通 ( B)ウ ブ イト( tt s ma s cl o k ) のストライ ・マップより,筆者 成。 ( )本デー は2011年 収集されたため,2010年 前のデー は 在しない。

(34)

て 会 の 接 挙を し 会改組と賃上げを実現したものの, 年にはま たより い賃金 を げてストライ を打つ,というストライ の無限 を 視している。つまり,企 と企 内の 会 組との に「 体協議」と れる中国版の 的な 体 関係があるのにもかかわらず, ストライ で 両者の 関係を破られること の 会の がある。また, の「最 ライン型」つまり, に められた一 の権利ライン(最 賃金や 日,労 働 金 いなど)を まえ,それをクリアすることを めるものだった 労働者 の パ ーンから,常により多い賃金を める「 型」ともいえる を労働者 が げるようになっていること の もあらわにしている。 そして,そうした 型の 体 を 後で「けしかけている」労働 Oを,「労 働 Oは実 上, Oの を った 会29)であり, 会に する 力な だ」( 会 主 2015)と い語調で非難している。  ところが 方の労働 Oの方は, 会改 に も せている。 場経済 入後,各企 が な 労働力である の を やし, 労働者を らしたために, 労働者の組 であった 会は一 して組 の に し, 2010年 は労働者によるストライ の に政 からも有 な を めら れている。 , 営を すべての企 の 会 組 の はその1 つである。「 体 進型」の労働 Oは 会が企 内 会 を して いる機をとらえて,企 内に労働者の 接 挙による本 の機能を果たす 会組 を ることを 進していたと筆者は考える。

おわりに

 本章は中国が1989年の天 門事件前後(第 )と1990年代 現在に る までの (第 )に経 した,2つの「新しい労働運動」を してきた。 中国における「新しい労働運動」の はまず よりも,労働者による自 的な 29) 会とは,中国政 が 一 在を める「中 国 会」組 から の, 手に組 した労 働組合という で,中国政 の文脈では非合 組 という非難の 合いでもある。

参照

関連したドキュメント

90年代に入ってから,クラブをめぐって新たな動きがみられるようになっている。それは,従来の

が成立し、本年七月一日から施行の予定である。労働組合、学者等の強い反対を押し切っての成立であり、多く

実際, クラス C の多様体については, ここでは 詳細には述べないが, 代数 reduction をはじめ類似のいくつかの方法を 組み合わせてその構造を組織的に研究することができる

システムであって、当該管理監督のための資源配分がなされ、適切に運用されるものをいう。ただ し、第 82 条において読み替えて準用する第 2 章から第

自閉症の人達は、「~かもしれ ない 」という予測を立てて行動 することが難しく、これから起 こる事も予測出来ず 不安で混乱

に本格的に始まります。そして一つの転機に なるのが 1989 年の天安門事件、ベルリンの

の主として労働制的な分配の手段となった。それは資本における財産権を弱め,ほとん

(とくにすぐれた経世策) によって民衆や同盟国の心をしっかりつかんでい ることだと、マキァヴェッリは強調する (『君主論』第 3