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社会主義教育理論創造へのみちのり

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社会主義教育理論創造へのみちのり

   1金日成教育論の紹介をとおしてー

沢 有 作

一 社会主義教育の比較研究の必要性

 一定の方法論のもとに整序された世界教育史の記述が大胆に試みられてよいのではないか︒ことに同時代史としての

世界現代教育史の記述が登場してもよいのではないか︒日本教育の進路を世界教育の歴史と動向のなかでたえず確かめ

てみるという発想法をわれわれが身につけるためにも︑こうした知的冒険が試みられてよいように思う︒

 しかし反面︑こうした冒険を試みようにも︑それを可能にする研究的実力が日本の教育研究にまだまだ備っていない

ことは︑われわれのよく知るところである︒研究のなかにある大国主義と功利主義との複合した傾向.その長年におよ

ぶ定着は︑日本における外国教育研究を英︑独︑仏︑米の諸﹁大国﹂に集中させ︑戦後わずかに生じた社会主義教育研

究でもソ︑中に限り︑他のもろもろの﹁小国﹂の教育を見捨てさせてきた︒こうした対象にかかわる問題のうえに︑民

衆の解放運動とむすびつけて教育を考えるという方法論的視点が︑資料不足と重なって︑外国教育研究において貫ぬか 5       17 れることが弱いという事情もみられた︒世界教育にむけるわれわれの視野はあまりにも狭く小さいものにすぎぬ︑とい

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わざるをえまい︒      6       17  要望と現状のあいだの距離ははるかにかけはなれている︒しかし︑その距離をちぢめる可能性はないではない︒むし

ろ少しずつではあるが︑その可能性を強める芽は育ってきているといえよう︒社会主義諸国およびAA﹄諸国の教育を

研究の対象とする者がでてきて︑共同研究体制を組織しうる主体的条件が弱いながら見通せるようになったからである︒

この主体的条件の成長が世界︵現代︶教育史構想の希望をうみだしてきているのでもある︒

 世界︵現代︶教育史の構想・記述を可能にするためには︑その不可欠な構成要素として﹁社会体制と教育﹂という対

象を区切る範ちゅうを視点にもつことが要請されるであろうし︑そこへせまる基礎的な方法として﹁解放運動と教育﹂

という観点も必須となってくるであろう︒そう考えてみると︑近代以降︑とりわけ現代においては︑教育の構造を決す

る範ちゅうとして︑資本主義社会体制︑社会主義社会体制︑AA﹄における民族解放運動という三領域をとりだして︑

それとのかかわりで教育の事実・変化・思想をおさえていくことが︑基盤的な枠組みとなる︒そして︑このことについ

ては︑こんにちの教育研究ではほぼ異論なく承認されているところであろう︒

 では︑このような世界︵現代︶教育史を構想するに役立つ資産として︑何がわれわれに残されているであろうか︒教

育史研究から近づいたものと比較教育から近づくものとの二分野での蓄積が有用となろう︒

 教育史研究の支配的な傾向は︑いわゆる近代学校が欧米で発達し︑その系譜をたどることに主眼がおかれていたから︑

﹁西洋教育史﹂研究にあった︒欧米でも日本でも︑それは今もそう変っていない︒そこでは制度発達史および教育思想

史の探索に力が注がれ︑その胎内にはぐくんだ本国の民衆運動と教育要求の進展の系譜づけの研究は︑サイモン等二︑

三の著作をのぞいて︑まだまだすくない︒ましてやその植民地の解放運動と教育批判を視野にいれて記述したものは︑

ほとんどない︒

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   これにくらべて︑ソビエトの教育史研究はマルクス主義を基点にして歴史を総括しているので︑構成.記述がおのず

  から異なっている︒その比較的早い時期の代表的著作がコソスタンチーノブ監修﹃世界教育史﹄二九五二年︶であろう︒

  ここでは社会進歩の観点からマルクス主義以前の教育の思想と事実を記述するが︑重点はマルクス主義教育思想の運動

  的発展とその具体化としてのソビエト学校史におかれている︒社会主義社会の建設と教育という視点が中心になってい

  るものの︑時代の制約をうけて︑人民民主主義国家の段階にあった他の社会主義諸国の教育はソビエトにつづく存在と

  して衛星国的に描かれていると同時に︑AA瞼諸国の教育がまったく切りすてられている点は解せないところであった︒

   日本では︑教史研編﹃近代教育史﹄︵全三巻︑一九五一年︶が世界教育史的構想をもった最初の著作であろうが︑その

  ものズバリの題名で刊行されたのは梅根悟﹃世界教育史﹄︵一九五五年︶であった︒世界史認識とむすびついた教育史認

  識が戦後ようやく成立したことの意味は大きいが︑しかし︑この両著作をとおして︑社会主義社会の教育が描かれず︑

  また植民地支配と教育の歪曲の観点が採りいれられたにもかかわらず︑他方の民族解放運動と教育の側面が捨象されて

り いる︑という欠落点が目立った︒それは一九五〇年代の日本における外国教育史研究のでこぼこを正直に反映せざるを

弛えな三た藁であろう︒梅根氏はその後﹃世界警史大系﹄全四四巻を構想︑一九七四年より刊行をはじめた︒各国

Ψ 教育史および問題別通史の二側面から世界教育の歴史と現在をとらえ直そうとする気宇壮大な試みであるが︑私には︑

髄言史的記述と警問題史的記述の併用の欠陥として・社会体制と誓︑解放運動と教育とい皇礎的な問題穿﹄

理 ーレビューして︑それを理論的に整理するしごとが薄弱になっているように思われる︒

轍呈のような呈に反映している誓史研究の動向をみて︑荒っぽい⊇︑いかたをするならば︑いぜん︑研究対象とし

註て︑当事国による研窪別として︑中︑ソ︑東独をのぞく社会主藷国の警の個別研窪あまりすすんでおらず︑そη 社 のため・われわれは社会主義教育の比較研究をとおして社会主義社会体制と教育のあゆみの問題について総体的かつ個 −

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別的な認識を獲得するにいたっていない︑と率直にいわねばならないであろう︒さらに︑AA﹄諸国における民族解放 8        17 闘争と教育変革という現代教育史の不可欠な課題については︑ようやく個別研究に着手しはじめようとするところで︑

したがって共通する概念がもてるはるか以前の段階にあるといわざるをえない︒これらの課題の解明は︑いずれも﹁教

育の未来﹂にかかわってわれわれがどのような見通しをもちうるのかという認識の態度に影響をあたえるものであって︑

私には大事なしごとのように感じられている︒

 日本において外国教育の動向を研究するもうひとつの集団として比較教育学がある︒戦後その輪郭をあらわし︑学会

の創設︵一九六五年︶もみられたが︑日本では︑比較教育学の方法論論議と西洋世界の現在の教育事情の検討にとどまっ

ていて︑社会主義社会およびAA﹄世界の教育変化をとらえていこうとするところまで大勢はおもむいていない︒しか

し︑欧米の比較教育学は︑かつての植民地領有時代の調査経験と第二次大戦後の教育援助計画の国際的動きを契機とし

て︑AA﹄諸国の教育の個別調査には一定の蓄積を有している︒それへのフィールド・リサーチも盛んである︒ただこ

こでは︑知ることへの細分化の傾向が強く︑ともすれば﹁教育博物誌﹂の弊に落ちいりがちである︒だから逆に︑ここ

から脱けだそうとしていつも方法論議が展開される︑という関係が生じているのであろう︒この事情はわれわれに比較

教育学の成果を摂取するさいに独自の視点をもつべきことの必要さを示唆しているように思われる︒

 比較教育学の歴史は新しい︒日本では戦後に一分野として確立したものであるが︑ヨーロッパでもそう古いものでは

ない︒もともと︑近代教育の発達は︑諸外国の教育の思想と事実と交流し︑自国の立場から取捨選択するという国際的

契機をつねに内在させていた︒そこから諸外国の教育動向にたいする関心も生じ︑それをとおしてわが身を正す比較の

視点もおのずから生起していた︒ただ︑このような事実史をとりだして学問の光をあてようとした試みは︑はるかに遅

れる︒ ヨーロッパでは︑ ジュリアン︵﹈≦°︾°﹄巳匡①ロ︑ミ昂山c︒︽c︒︶による﹃比較教育研究試論﹄︵一八一七年︶が最初にご

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  うした研究価値に気づいたものとされるが︑その後とだえて︑こんにちにつづく比較教育学の創始者はサドラー︵忌゜

  ◎力①巳Φご﹂c︒臼山廷ω︶であるといわれ︑その編になる﹃教育問題特別報告書﹄︵全二八冊︑一八九七年−一九一一年︶が記念碑

  的作品であるという︵池田進﹃比較教育学研究﹄一九六九年︶︒それから︑キャソデル︑ハンス︑シュナイダーなどの諸活

  動をとおして︑二〇世紀前半︑比較教育学はひとつの研究領域として教育研究の世界に自らを確立するにいたったが︑

  広汎な対象を扱う博識の前に強烈な方法論的個性は隠されがちとなった︒

   比較教育学の対象および方法についてはさまざまな議論がある︒十人十色である︒これまでもそうであったが︑こと

  に第二次大戦後︑﹁教育の国際化﹂が唱えられ︑ ユネスコ︑OECD等による国際教育計画の推進と他方における自国

  の教育計画の樹立が話題になるにおよんで︑いっそうその議論は分れるようになった︒それを反映して︑現在日本人の

  手で公刊されている比較教育学書のおおくはその整理・紹介に力を注ぎ︑いわば比較教育学の学問的性格づけに追われ

  ている︑とみてよいほどである︒しかしながら︑そうした諸議論を貫流する共通した根底の意識として︑教育の構造あ

助 るいは変化をもたらす力を研究することを対象として︑それを教育外的要因と教育内的要因とのかかわりで︑ことに前

紡者が後者にどのような影響をあたえているかという発想のもとで︑国際比較的におこなう︑とい三しとはあるように思

への @う︒静態的な記述を何とか克服して︑動態的な記述の方法に移っていこうと苦悶しているように感じられる︒各国の教 創 育計画・改革の研究にごんにちの比較教育学の焦点があるのも︑このことと無縁ではあるまい︒

轍科学的方法のよわさであり︑教育的価値追求のオリジナリティのうすさであり︑せんじつめれば︑事実.変化の理論化

理  このような脱皮への志向を認めながらも︑いくつかの作品に目を通してみて︑私にはいぜん不満が残る︒それは社会

蝕のぜい弱さである・私の関心からすれば・AA皆おける植民地支配と警構造の歪曲︑民纂放運動と教育価値の創9 社       17   造という事態を総括する観点の提示︑それによる整理が弱いのであり︑革命と教育︑社会主義建設の諸コースと教育の

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変化というような人民の解放闘争と教育のかかわりの問題にあまり関心を払っていないのである︒したがって︑社会運 0        18 動・社会体制と教育についてのカテゴリカルな知見を求めにくく︑そこから世界︵現代︶教育史の構想へはいたりにく

い︒

 以上私は︑世界︵現代︶教育史を求めてそれを得がたいことへの不満をのべてきた︒最大の不満の内容は︑解放運動

と教育︑社会体制と教育の問題にかかわって︑歴史的・運動史的にカテゴリカルな論理が事実の総括のうえで提示され

きっておらず︑またそこへむけての作業がすくない︑ということであった︒本来自分ないし自分のまわりの者がやれば

いいことだから︑これは身勝手ないい分ということになろう︒必要に応じる力量が少くかつ四散しているのであれば︑

課題を見きわめ︑研究を組織し︑自らがそこへむかって歩きはじめることだ︒

 世界︵現代︶教育史の構想にむかって歩きはじめようとするとき︑それはもちろん個人的作業の範囲をこえ研究共同

を要するが︑すぐにいくつかの隆路︑たとえば既述のような難関が浮び上ってくる︒この段階ですでにきちんとした研

究共同が課題に即して組まれなければならないであろう︒私はそのひとつとして社会主義教育の比較研究をあげたいの

である︒  さしあたって現存の社会主義諸国の教育に限るとしても︑ロシヤ革命にひきつづくソ聯邦の教育五〇年のあゆみに加

えて︑現在では十数の社会主義国の教育がすでに二〇年から三〇年におよぶ歴史をつみ重ねている︒そこにはマルクス

主義の教育思想を一枚岩的に解してすべてを解析できるような現実はみられず︑それぞれに固有な歴史と矛盾をかかえ︑

個性的な現実化過程をたどり︑すすんできている︒大きく類別してみても︑民族解放闘争から社会主義化のみちをたど

った中国︑朝鮮︑ベトナム︑さらにはキューバの歩みかたと︑ソ聯邦や東欧社会主義諸国の歩みかたは異なっているし︑

また一国ごとに異なる背景︑環境︑課題をになっていて︑社会主義教育化の一本道を順次に一列になって歩いていると

(7)

  いうものではない︒ここに︑マルクス主義教育思想を系譜的に丹念に追い整理するにとどまっていては不充分となり︑

  現実のありようとして︑一国史的な理解への接近︑その比較︑それらをわきまえたうえでの社会主義教育の思想と構造

  への総体的な認識の形成が必要とされる所以があろう︒

   私は︑こうして社会主義教育の比較研究の必要を感じ︑その試みを待望するものであるが︑その課題の内実を仮説的

  に説いてみせるほどの力量をそなえているものではない︒日本の教育研究の蓄積に即していえば︑中国教育についての

  通史的理解の著作をのぞいて︑他の社会主義諸国の教育史はいまだ描かれていない︒ソ聯邦および東独のそれは近いう

  ちに描かれるようだが︑それ以外のソ聯邦の各民族共和国の教育をふくめて他の社会主義諸国および朝鮮︑ベトナム︑

  キューバの教育にかんしては白紙もしくはようやく手がつけられたばかりの状態といっても過言ではあるまい︒マルク

  ス主義教育への思想的理解とその諸現実へのリアルな理解とのあいだに︑まだ深い溝がうかがえるのである︒であれば︑

  溝をうめる個々の知的努力の開始と︑それらが社会主義教育への総体的認識の形成という課題を意識してひとつにより

りそってみることとが︑さしせまっての必要であるということになろう︒そのおりには私は朝鮮を分けもちたいと思う︒

膀         二 金日成の教育の思想と作風

髄古来・社会の激動や転換の時代において・すぐれた警思想がうみだされ︑古典としてこんにちまで読みつがれてい

齢る・私は・そのようななかに・轟した蕃の指薯による警論を加えてもよい︑と考えている︒革命の指薯は︑

轍とりわけ言の革命蓬成した指薯︑たとえばレーニソ︑毛沢東︑すチミン︑カスト︒などは︑みな警の蕃に

註ついて高い思想と創造的蓮論をつくりだしている︒金晟もそした天であろう︒しかも︑これら革命指薯の教田 社育論が他の教育論と大きく異なる点は・それが全人民的な規模で現実的な力に転化して生きつづけていることである︒−

(8)

金日成の教育論は朝鮮の教育革命を指導し実現したという実績をもち︑また現在から未来にかけて朝鮮教育の実践を左       82 右し︑そのなかで生きつづけるであろう︒革命指導者の教育論は事実による検証という裏付けをもたざるをえない︒  −

 一国の革命の指導者は︑いずれも自国の革命になによりの直接的責任を負うているから︑その教育論もマルクス主義

教育思想の創造的発展の側面と自国の状況に即しての発言・具体化という側面をそなえ︑それぞれに主体性を有する︒

前章にひきよせていえば︑指導者の教育論というレベルで︑社会主義教育の比較研究も可能になろう︒

 さて︑朝鮮民主主義人民共和国の特質は︑何といっても︑主席・金日成の指導に全面的に負うて形造られてきている︑

という点にあろう︒金日成は抗日武装闘争から建国︑社会主義建設にいたる現在までの期間︑理論的にも実践的にも一

貫して最高指導者であり︑ことに解放後︑現地指導という共和国独特ともいえる指導方法を創意して共和国全土を歩き︑

民衆とともに呼吸してきた︒そのような結果︑その主体思想は共和国教育の骨格を構成し︑その教育現実のすみずみま

で浸透している︒指導者の思想・作風と国の教育現実がこれほど密着しているところは︑世界でも稀ではないか︒そうし

た意味では︑金日成の教育思想とその歩みを知ることは︑とりもなおさず共和国の教育の真実をうかがうことに通じる︒

朝鮮の社会主義教育に近づく入口として︑まず金日成の教育論を検討することは︑不可欠のしごとのように思われる︒

 以下︑私は金日成教育論について三つの事柄をのべてみたい︒私は前に︑抗日闘争から建国直後にかけての金日成教

育論を記述したから︵﹁朝鮮における民族解放闘争の発展と教育﹂﹃激動するアジアと国民教育﹄所収︑一九七三年︑明治図書刊︶︑

これからの紹介は朝鮮戦争後社会主義建設に本格的にすすみだした時期以降に限りたい︒

       1 教育における継続革命の思想

      ー﹁共産主義教育﹂の原則−

 朝鮮民主主義人民共和国の教育活動における中心的課題は︑ひとことで集約するならば︑資本主義の思想的毒素をと

(9)

  りのぞき︑共産主義の思想で武装させることにある︑といってよいであろう︒この観点が教育の原則や方法をうちだす

  基底にいつも働いており︑科学的・技術的な能力もここと結びついてのみ意味のあるものとされる︒

   金日成は﹃共産主義教育について﹄︵一九五七年二月︶のなかで︑この点にかかわって﹁勤労大衆の頭にまだのこっ

  ている古い封建的︑資本主義的な思想の残りかすを根こそぎにしなければなりません﹂とのべたあと︑つづけてその根

  拠として︑﹁われわれがおこなっている革命は︑すなわち︑いっさいの古いものを粉砕し︑新しいものを創造するたた

  かいです︒新しいものと古いものとのたたかい︑進歩と保守とのたたかい︑積極的なものと消極的なものとのたたかい︑

  集団主義と個人主義とのたたかい︑総体的には社会主義と資本主義とのたたかいーこれがわれわれのおこなっている

  革命闘争の内容であります﹂と説き︑資本主義思想を克服し共産主義思想を肉体化することなくして革命の継続発展は

  ありえないことを告げている︒

   教育活動において﹁階級的な線﹂を明確にひいていくこと︑そのためには継続革命の思想が確固としてすえられてい

り なければならないこと︑ここに金日成の数多くの教育著作をつうじて変らぬ思想的立場を求めることができるように思

紬う︒

への @ 金日成は︑継続革命の観点から︑朝鮮革命の各発展段階ごとに︑すなわち人民民主主義革命期︑朝鮮戦争期︑社会主

継義的改造期全人民の労働者階級化の現在というそれぞれの段階の力量に即して・警のはたすべき課題を提起︑警

理 革命の新しいみちをきり開いてきたが︑それを別言すれば︑共産主義教育の原則の提示︑その精密化ということで表現

撒 してきたともみることができる︒そのさい︑このような教育原則が子どもにのみ適用されるのでなく︑圭目年︑勤労者に

註おいても生かされるという全人民的性格をそなえていることは︑暴としてはならない点であ言︒   3 社朝鮮が蟹され・人民民圭嚢会の実現を当面の課題とした轟において・會成は・植民地的奴隷根性からの脱路

(10)

皮と反帝思想の体得を強調しながら︑朝鮮青年の教育の原則としてつぎの五点を提起した︒すなわち︑①﹁青年を政治       84 的︑思想的にしっかり準備させること﹂であり︑具体的には︑﹁日本帝国主義の残りかすを徹底的にとりのぞき﹂︑﹁祖 −

国と人民を愛する精神で教育し︑科学的な先進思想と理論で武装させる﹂ことである︒②ついで︑﹁青年を労働と建設

を通じて︑難関とのたたかいを通じて教育﹂することをあげる︒それは労働を愛し︑知識を実生活とむすびつけること

である︒③さらに︑﹁敵を憎み︑かれらと仮借なくたたかう精神で教育する﹂ことをしめす︒米・日両帝国主義の侵略

策謀という外敵と旧地主や民族反逆者などの内敵とたたかいつづけることで︑そのさい﹁われわれにとってもっとも有

害なのは慢心と安逸である﹂と指摘する︒ついで︑④﹁国際主義の精神で武装させること﹂︑わけても﹁世界の自由を

愛する人民との友好﹂の教育を重んじるとともに︑⑤﹁すべての青年が先進的な科学・技術を習得する﹂よう呼びかけ︑

工業建設の大事さを説いている︵﹃青年にたいする思想教育活動は民青組織の基本任務﹄一九四八年=月︶︒解放後のきびしい

闘争・課題のありようが正直に反映されている文章である︒

 このような青年にむかっての文章では︑青年であることの特性をふまえて︑青年が諸活動の先頭にたってみちをきり

開く﹁模範的な働き手﹂になるよう訴えている︒語りかける対象に即して︑その特性を充分発揮するように配慮して話

すことは︑金日成の諸論文をとおしてみられる特徴のひとつであるが︑それはともかく︑前記の論文で提起された政治

思想性を高め︑労働と教育を結合し︑敵を憎み︑国際主義を身につけ︑科学・技術を摂取するという教育の原則は︑朝

鮮社会の社会主義的改造をなしとげた五八年以降の段階では︑それに応じた新しい内容をもりこまれて発展するのであ

る︒

 五八年=月に全国市︑郡党委員会の扇動員講習会でおこなった演説﹃共産主義教育について﹄では︑勤労者にたい

する思想教育の重点として︑①﹁資本主義にたいする社会主義と共産主義の優越性についてよく認識させること﹂をあ

(11)

  げるとともに︑②﹁個人主義や利己主義に反対すること﹂をあげ︑新しい革命の段階における政治思想性を高めること

  の内実とした︒また︑③社会主義制度のもとにある﹁自分の職場︑自分の村や町を愛することからはじめて⁝⁝自分

  の社会主義祖国を愛する﹂ようになり︑すすんで﹁社会主義陣営のすべての国を愛し⁝⁝世界のすべての勤労者を愛す

  る﹂にいたるという新しい段階での意味をこめて︑﹁社会主義的愛国主義とプロレタリア国際主義の精神で教育する﹂

  ことの必要性を説く︒さらに︑④﹁人びとに労働を愛する精神をつちかう﹂ことについても︑社会主義社会では﹁あそ

  んで食うことはもっとも恥ずべきこと﹂で︑労働は﹁もっとも誇らしく楽しいもの﹂であると教える︒これとむすびつ

  いて︑⑤﹁すべての勤労者は技術を学び︑新しい技術を創造﹂することを重視し︑技術革命と文化革命の遂行を新しい

  課題として提唱するのである︒こうしたいっさいの教育活動は︑すべて﹁党に忠実な精神で教育する問題とむすびつか

  なければならない﹂のであり︑ここに教育の源泉が求められるのである︒社会主義の社会制度を構築した状態のもとで

  の教育原則の提示であるとみてよいであろう︒

り  このように思想教育を第一におくのが共産主義教育の何よりの特質であるが︑それとならんで︑科学・技術の大衆的

紡 規模における修得.向上がつねに強調されていることにも注目しなければならないであろう︒社会主義改造期以降︑思

への

@想革命と併置されて技術革命︑文化革命の推進が叫ばれて現在にいたる︒社会主義の社会制度への移行の新段階がわけ

髄ても知識゜技術水準の向上を要求し・それなくして生産力の高姿発展・社会・国家生活への参加蓮営が望めなくな

轍 には学問や科学を知らなくても百姓仕事にはさしつかえないときめこんでいた農民たちも︑いまでは勉強しなければ多

理 ったからである︒これは全人民に要求された︒たとえば農業においても︑その集約化は科学的営農を必然化し︑﹁以前

註収穫をあげることができないとさと﹂らざるをえない状況が五〇年代末頃より生じ︵﹃金晟伝三一悪︑三頁︶︑その後︑5 社水利化・化学化・電気化という嚢の科学化と協同農場の主体的な警とは全農民にさらに 同い技術と文化の学習を要路

(12)

求するにいたっているのである︒工場においても事態は同様であった︒工場の管理運営と技術の水準を維持し高めるた 6         めに︑工場の活動家はすべて二︑三年のうちに大学か高校を卒業するように求められたのであった︵﹃郡の役割を強化し︑ −

地方工業と農業をいっそう発展させて人民生活をいちじるしく向上させよう﹄一九六二年一〇月︶︒制度が先行し人間の能力がそ

れに追いついていく状況であった︒一九五六年一二月よりはじまった千里馬運動は︑こうした技術の向上・革新と思想

の変革を統一させて︑人間が制度に追いつき追いこしていく総路線的な大衆運動であったといえよう︒

 こうして金日成が共産主義教育を重視するのは︑かれが社会の発展でもっとも重要なのは人間をより強力な存在に育

てることであり︑革命と建設をすすめるためには人を改造する活動を先行させなければならない︑と考えているからで

あろう︒このような革命の現在にかぎらず︑さらに革命の将来を充実させていくことを思うと︑若い世代を﹁革命家﹂

に育てることが必須の重要性をおびてくる︒ここに革命事業としての教育というおさえかたが生じてくる根拠がある︒

しかしながら︑現実の進展は︑社会改造と人間改造の関連について︑別の側面をあらわにする︒社会の改造より人間の

改造がおくれ︑ことに人間の技術的・知識的能力の改造よりも思想・意識の改造が複雑でむずかしい︑という事実であ

った︒この現実の側面からもあらためて思想教育の重視が説かれるようになる︒

 金日成は︑﹃青少年教育における教育者の任務について﹄二九六一年四月︶のなかで︑次のように説く︒すなわち︑

﹁人間を改造することは︑社会制度の改造や技術を発展させることより︑はるかに複雑でむずかしい仕事﹂である︑と

事柄の本質を指摘したのち︑﹁社会の物質的諸条件は人間の意識を規定するけれども︑人間の意識は社会の物質的諸条

件の変化よりおくれるもの﹂であることを認める︒それは﹁古い思想や古い習性はきわめて保守的﹂であるからであり︑

また﹁思想・意識の変化は表面によく現われない﹂特徴をもっているからであり︑さらに人によっておのおの異なる意

識の水準と内容を有するからである︒したがって︑﹁人間の意識を改造する仕事は︑長いあいだ辛抱つよくすすめられ

(13)

  なければならないし︑綿密な研究と科学的な方法にもとついておこなわれなければなりません﹂とみるのである︒ここ

  に思想教育の重視と科学としての教育学樹立の必然性が生じてくる︒

   それだけではない︒ 一九六〇年代にはいると︑右の論文であわせて指摘されているように︑﹁地主や資本家にたいす

  るなまなましい印象をもっていないし︑解放前にわが人民がどんな生活をしていたかをよく知﹂らない若い世代が育ち︑

  社会の主人として登場してくる︑という新しい現象が生じてきた︒植民地体験はもちろん︑朝鮮戦争さえ体験したこと

  のない世代である︒金日成は︑人民軍でも﹁若い戦士はわらじ︑小作料︑作男などという単語がわからず小隊長に質問

  するといいます︒このように︑わらじも知らず︑地主や資本家も知らず︑搾取や抑圧も知らない若い人びとに︑帝国主

  義や地主︑資本家が悪らつだといっても︑よく理解できるかどうか問題です﹂というふうに問題を提起したのち︑一部

  の青年に﹁闘争をきらう傾向﹂や﹁安楽に勉強するのを当然のことのように考えておる﹂傾向があらわれていることを

  指摘︑つづいて﹁もしわれわれが︑育ちゆく若い世代を教育せずにほおっておくならば︑かれらは安楽な生活になれて︑

助 ただ楽に暮すことばかりを考え︑困難にうちかって革命をなしとげようとする強固な闘志を失ってしまうでしょう﹂と

抽懸念したのである︵﹃わが人民軍は労働者階級の軍隊︑革命の軍隊である︒階級的政治誓活動をひきつづき強化しなければならな

への @い﹄一九六三年二月︶︒若い世代にたいする共産主義教育はことあらためて重視されざるをえない︒

創  このような認識と現象をふまえて︑金日成は教育の意図性の大事さについて全国の教師に訴える︒それが全国教育活

鯉動者大会でお.﹂なった前記﹃圭目少年教育における教育者の任務について﹄という論文であった︒そこで︑﹁われわれの

撒学校教育の目的は︑共産主讃想で武装し︑新しい社会の建設に必覆知識と技術を身につけた共産主蓼設者を震

註することです・われわれにとって共産主義の思想とむすびつかない知護役に立ちません﹂と誓目的を明示︑確認し7

社       18   てから︑子どもにたいする共産主義教育の原則を明快に︑かみくだくように話している︒それはもちろん︑思想原理的

(14)

には︑青年︑おとなのそれと同一であることはいうまでもない︒       88  ﹁われわれの経験によると︑青少年の共産主義教育においてまず第一に重要なことは﹂というように金日成はきりだ ー

すが︑それは﹁かれらに人民を愛し︑友だちを愛し︑組織や集団を愛する精神をつちかうこと﹂である︑という︒これ

が利己主義︑個人英雄主義︑独断主義をなくし︑集団主義にいたる根本のみちである︒そのためには﹁集団の力の偉大

さをさとらせること﹂が大事である︒②つぎに︑﹁共同の財産を大事にして愛護する精神﹂を養うことが重要である︒

人民の共同所有である財産を大事にする精神は︑人民を愛する精神と重なって︑愛国主義思想の形成にすすむのである︒

③さらに﹁労働を愛するよう青少年を教育すること﹂が必要である︒﹁遊んで暮すものは他人のおかげで生きていく社

会の寄生虫﹂であって︑﹁われわれの社会では労働は神聖で創造的な活動﹂であり︑﹁われわれが学習するのも労働する

のに必要な知識や技術を学ぶため﹂である︒④また﹁学生たちに社会主義制度の優越性を認識させること﹂も欠かせ

ない︒解放前と解放後の生活︑朝鮮の南半部と北半部の生活を比較して教え︑革命の果実を守りぬく思想を育てなけれ

ばならない︒⑤さいごに﹁若い世代を未来を愛する精神で教育すること﹂が重要である︒﹁理想のない人︑未来を愛し

えない人は革命家になれません﹂という︒保守主義や消極性をなくし︑苦しい時にも革命的な楽天主義を失なわないよ

うにすることである︒

 こうした共産主義教育の原則を︑子どもにたいして︑①﹁肯定をもって否定を克服﹂し︑②﹁小さいことからはじめ

て大きなことへ移っていく﹂︑③﹁中核を養成し︑それをよりどころにする﹂という教育方法ですすめるとともに︑か

ならず﹁体育教育を強化﹂して︑﹁知識と技能と身体がつねに統一﹂されているようにしなければならない︑というこ

ともつけ加えるのを忘れないのである︒

 以上のように︑金日成は青年にむけて︑勤労者にむけて︑教師・子どもにむけて︑それぞれに共産主義者として人間

(15)

を形成するみちを提示するのであるが︑そのそれぞれにおいて共通する教育の原則がつらぬかれ︑変ることがない︒朝

鮮革命の継続遂行という最高目的で教育が統率されていることによるからであろう︒そこに従って教育活動をつねに点

検・整理していこうとするつよい意欲が察せられるのである︒

       2 古い思想・意識とのたたかい

      1金日成の作風にかかわって1

   古い思想・意識をのりこえて新しい思想・意識をつくりだすのは︑一朝一夕でできるものではない︒むしろ両者の矛

  盾・葛藤の日々にほかなるまい︒共産主義教育の実践は︑うらがえせば︑資本主義思想のさまざまな残りかすとたたか

  いつづけているということでもある︒金日成の教育著作を読んで感じることは︑その古い思想・意識とのたたかいにお

  いて︑金日成がじつに正直かつ大胆にその一つひとつを摘出し︑その克服を人びとに呼びかけてうまないことである︒

  私はそこに教育革命の作風のありようを感じとる︒リアリズムの精神をみてとる︒

り  それはたとえば﹁修養﹂を重視する態度となってあらわれている︒全人民の革命化の課題を提起したおり︑一部の人

紡は工場へいって労働でもすればそれが完成されると竃︑.﹂・﹂にだけ目をむけて︑修養論に反対したことがあった︒.﹂

禰 れにたいし︑金日成は一面的な考えだとし︑﹁修養とは︑古いものに反対し︑革命的な世界観をうちたてるための一つ

賑の思想闘争﹂であると指摘し・﹁だれでも革命化するためには・自分自身をねばりつよく鍛練し修養しなければなりま

理 せん﹂と説いた︵﹃学生は労働にたいする共産主義的態度を身につけ︑朝鮮革命の利益にかなう科学知識を学ばなければならない﹄

轍六八年三月︶︒.﹂れは︑たんなる経験主義を排し︑修養という古いことばに新しい内容をもり.﹂んだものとして︑私に感 蝕銘をあたえる個所であ三︒      9 社たしかに・人びとの思想を根底から蓼るためには・獲得すべ薪しい愚へのみちをさししめすだけでは不充分で・路

(16)

その裏側にはりついている古い思想を断ち切っていくことが必要である︒そして︑古い思想の残りかすは革命の各発展       90 段階に応じてことなった姿で立ちあらわれる︒それはそのつど的確に指摘され︑つぎつぎにのりこえられていかねばな ー

らない︒これが教育や思想における階級闘争の継続であろう︒この点において金日成みずからが模範的な作風を堅持し

ているように思われるのである︒朝鮮には﹁以身作則﹂ということばがあり︑教育の場では指導者︑教師に求められる       シ 態度であるが︑それを地でいっているようである︒

 それでは︑どのような思想・意識を古いものとして摘出し対決してきているのであろうか︒共和国の教育思想の歩

み・そこにおける古いものと新しいものとの矛盾にかかわって︑金日成の指摘する点をおってみよう︒

 第一は事大主義を克服し主体思想をうちたてることである︒事大主義は﹁大きな国を恐れ︑たてまつる習性﹂であり︑

これにおちいれば﹁人は愚か者になり︑民族は滅び︑革命は失敗をまぬがれ﹂ないものであるが︑これこそ朝鮮で歴史

的にもっとも根ぶかい古い思想の代表的なものである︒だからこそ︑解放後からこんにちにいたるまで思想闘争の主要

な課題の一としてたたかわれつづけているのであるが︑それだけにとどまらず︑金日成はさらに﹁代をついでひきつづ

きそれとたたかわねばなりません﹂といい︑その克服の中心のみちとして︑﹁われわれは絶対に他人の顔色をうかがっ

てはならず︑つねに自分の力を信じ︑自分の頭で考え︑行動しなければなりません﹂という主体思想の確立をさししめ

すのである︵﹃青年たちはわが革命の終局的勝利のために経済建設と国防建設のすべての戦線で先鋒隊になろう﹄一九六八年四月︶︒

 この事大主義に反対し主体をうちたてる課題は︑教育・科学の分野においても︑解放後一貫して追求されてきている︒

外国を重んじ自国に根ざさない悪風はとくに知識人を深くむしばんでいるが︑これを介して︑教育や科学の分野にまだ

まだひろく生きのこりつづけている︒たとえば︑金日成は﹁わが科学者︑技術者が自国のことをよく研究しないために︑

もっている資源も適時に見つけだすことができないありさまです﹂と指摘し︑﹁いまも一部の科学者には事大主義が少

(17)

  くありません﹂と率直に批判しているし︑また︑芸術分野においても︑﹁われわれは外国の歌をありがたがるのではな

  く︑朝鮮人の感情にあう歌をうたうべきであり︑われわれの歌を発展させなくてはなりません﹂といって︑﹁朝鮮人民

  がたちおくれており︑無知であるからイタリアの歌や他国の歌をうたうことをしらない﹂という一部の人の言説をたし

  なめてもいる︵六八年三月論文︶︒このように外国の科学・技術・文化を無批判的に学ぶことから事大主義が生じている

  ことにたいして︑金日成はことが生じるごとにすばやく指摘し︑きびしく戒しめつづけているのである︒

   第二はさまざまな﹁神秘論﹂をなくして主体の能動性を発揮するようはげましていることである︒神秘論は朝鮮人民

  の主体性を卑下する古い思想にほかならず︑それへのとらわれは社会の前進と人間の変革をおおきく妨げる︒それは未

  知なるものへの恐れ・逡巡から生じるものであろうが︑ここでは機械と大学にかかわる神秘論への批判をみておこう︒

   封建時代・植民地社会の歴史のなかで︑朝鮮は自主的な科学・技術体制をつくることを妨げられてきた︒科学・技術

  のたちおくれは自分たちにはできないという劣等感をうみだし︑機械にたいする神秘論となって解放後も生きつづけて

り いた︒五〇年代後半にもそれは残り︑それにとらわれた﹁神秘主義者は︑自動車やトラクターは神秘なものなのに︑ど

弛うしてわれわれにそれがつくれるだろうか﹂といっていたが︑党が﹁神秘主義を粉砕してからは自動車︑ト一フク‡そ

⑰ 

フ他多くの機械がつくり﹂だされるようになった︑という︵五八年二月論文︶︒ このように機械にたいする神秘論を克

創 服することによって共和国の技術は主体的な前進能力を獲得したのである︒

轍職場で︑公称能力六万トンの機械を使っ三二万トンの鋼材を生産し︑さらには四五万トンの生産能力を発揮さ芸労

理  また︑機械の公称能力を固定不変とみなす考えかたが現場にひろまっていたが︑現地指導した隆仙製鋼所の分塊圧延

蝕働者の奮闘を例にとりながら︑金晟は﹁このように機械の公称能力は固定不変のものではあり喜ん︒生産をりっぱー        社におこなえるよう肉つけをし・技術革新をおア﹂ない・人びとの思想゜意葉準と技術水準を高めるならば︑公称能力をー

(18)

いくらでもうちやぶることができますLと説いているのである︵六八年四月論文︶︒機械と人間の関係において︑機械に         膝まずく神秘論を排し︑主体の能動隻第三おいて物ごとを律していくところに・金晟の思想闘争における革命的四

態度をみてとることができよう︒

 金日成は﹁人びとが自覚的にふるいたってなしとげようととりくんで︑できないことはありません﹂とつねつねはげ

ましているが︑それがさまざまな神秘論を克服する主体的な根拠であった︒それは教育の分野でも同じように生かされ

ている︒たとえば︑﹁多くの人が共産主義教育を神秘的なものと考えているし︑かつてはそれはなかなか簡単にはでき

ないものと考えていました︒しかし︑われわれが実際にこの問題にぶつかり︑この仕事を本格的にやってみると︑共産

主義教育は神秘的なものではないことがよくわかるようになりました﹂とのべ︵一九六一年四月論文︶︑神秘論の克服は

実践をとおして果されることを教え︑そうしうる力を朝鮮人民がもっていることをしめしているのである︒

 このように神秘論は実践の過程でのみ追放されていくものであるが︑しかし問題の端初はどのように発想の転換をな

して新しい実践を組織するかにあろう︒教育に固有な古い思想として学歴主義があり︑共和国でもそれは生きのこりつ

づけている︒﹁大学を神秘視する病﹂もそのひとつである︒金日成は︑﹁ある同志たちは︑人の履歴書をみて︑大学卒で

あればこの人は相当なものだといい︑小学卒であればこの人の文化水準はとても低いんだな︑と速断します︒わたしは︑

このような速断がどんなにおろかで︑危険なものであるかは何度も見てきました﹂と批判して︑﹁学校の卒業証書が問

題なのではなく︑人びとの実際の文化水準と知識水準が問題なのです﹂と告げ︑ここで判断する発想・作風をつけるこ

とによって大学神秘論を克服するよう提起している︵五八年一一月論文︶︒

 学歴主義は別のかたちをとっても生きつづけているようである︒保育園の教師を軽視する風潮がそれである︒金日成

はつぎのように指摘している︒﹁少なからぬ女性たちが︑中学校や大学の先生になるのはよろこんでも︑人民学校の先

(19)

  生になるのはいやがっており︑教養員や保育員になることはなおさらいやがっています﹂と嘆き︑保育員学校や教養員

  学校には﹁ほかの学校にはいれなかった女性だけがしかたなしにたずねてくる﹂が︑このようなことは﹁社会的に彼女

  たちを尊敬せず︑また彼女たちにたいする物質的待遇が高くないことにも関連があります﹂という︒これをただし︑保

  育員︑教養員が自分のしごとに誇りをもつのには︑﹃子どもたちを共産主義的に教育し育てることは保育員︑教養員の

  光栄ある革命的任務﹄であることを自らも︑そして社会も自覚していくことにある︵同上名論文︑六六年一〇月︶︒保育所

  蔑視論は大学神秘論と対をなすもので︑教育を革命事業とみなしきれない古い思想のあらわれにほかなるまい︒

   第三は︑教育をとおして﹁死んだ人間﹂が育てられることに反対して︑﹁生きた人間﹂を育てるよう説きつづけてい

  ることである︒共和国の教育において︑知識中心主義や点数主義など教育に特徴的な古い思想がたえることなくあらわ

  れ︑また労働や実生活と教育の遊離も顕在化しがちであり︑このようなブルジョア的な教育の気風が革命の時代にふさ

  わしくない﹁死んだ人間﹂をつくりだしている︒金日成はこの古い教育思想の復活をきびしく注意する︒

助  ﹁現在︑同志たちは学生を生きた政治活動家︑生きた知識人に育てようとは考えず︑家でただ本でも読む﹃知識のも

越ちぐされ﹄に︑﹃死んだ人間﹄に育てています﹂と批判し︑その具体的なあらわれとして︑教師が﹁学生に四六時中す

への

墲閧アんで本ばかり読め﹂といったり・もっと悪いのは﹁秀才論﹂という差別の思想をもちだして︑﹁才幹のある人に

創 は本ばかり読ませなければならない﹂といいだしたり︑また﹁試験をりっぱに受けて一〇点さえとればよいというふう

轍はいいがたい﹂と指摘する︒知謹それを覚えることが大裏のでなくて︑それを実生活で使いこなすことが大事なの

理 に学生を教育して﹂︑試験の点にばかりこだわったりしていることをあげ︑﹁われわれの教育学が革命的なものであると

註である・舎盛あらためて﹁学生を生きた人間につくるためには︑学校にばかりひきとめておかないで︑かれらにい3 社      19   ろいうな社会︑政治活動をさせなければなりません﹂と教え︑こうした知識と実生活の結合のしかたの必要さをさしし

(20)

めさざるをえない︵﹃学生たちを社会主義︑共産主義の真の後継者に教育しよう﹄六八年三月︶︒        94  教育活動における知識と生活の遊離の問題と同質の現象として︑かつておとなにおいても学習と労働が遊離しがちで ー

あった︒六〇年前後まで一部の人たちは﹁学習と生産が対立する﹂ように思ったり︑﹁学習と労働は関係がない﹂よう

に考えたりする傾向が残っていたが︑これにたいし金日成は誤まった考えと批判して︑﹁われわれが学習するのも︑け

っきょく︑労働するのに必要な知識や技術を学ぶためです︒役にたたない知識はなんの必要もありません﹂と説き︑

﹁精神労働が成果をおさめるためにはかならず肉体労働とむすびつかねばならない﹂という社会主義の学習原理をしめ

したのである︵六一年四月論文︶︒﹁死んだ人間﹂と同じように﹁死んだ知識﹂であっては︑社会主義を建設できないので

あった︒  このような﹁生きた知識﹂を重んじる姿勢は︑別の観点からであるが︑つぎのようにも表明されている︒それは首都

建設に参加した大学および高等技術学校学生との会合でおこなった演説﹃学生は労働にたいする共産主義的態度を身に

つけ︑朝鮮革命の利益にかなう科学知識を学ばなければならない﹄︵一九六七年二月︶のなかで︑学生に肉体労働をす

すめる理由としてのべられていることばである︒ここで﹁肉体労働に直接参加して︑それがいかに骨のおれるものかを

体験してこそ︑勤労者を骨のおれる労働から解放するためにいっそう勉学にもはげむようにもなり︑良い機械をたくさ

んつくり︑技術を発展させるためにいっそう大いに努力するようになるでしょう﹂と語り︑勤労者を骨のおれる労働か

ら解放することに役立つ教育と研究を推奨して︑ここに﹁生きた知識﹂のありかたの一端を示唆しているのである︒

 第四は︑一九六〇年代後半より︑修正主義の影響を警戒して︑その批判をくりかえし展開していることも見おとせま

い︒修正主義は思想闘争における﹁自由化﹂の主張としてあわられるとして︑古い思想を短時日でなくそうと急ぐ﹁極

左的方法に反対﹂すると同時に︑﹁修正主義者のように思想革命をおこなわず︑すべてのことを発展してもしなくても

(21)

  かまわないという式に︑なるがままにまかせる自由化の方法にも反対﹂する︵一九六八年三月論文︶︒﹁自由化﹂の主張は

  ﹁ブルジョア思想の毒素とのたたかいをやめようということであり︑プロレタリア独裁の機能をまひさせ︑革命の武器

  を放棄するのと同じ﹂である︑とみるのである︒それだけでなく︑修正主義思想は﹁戦争を恐れる﹂気分や﹁物質的関

  心だけを主張する﹂態度を人民のなかにもちこむと指摘︑革命への敵対物とみて警告を発している︵﹃青年たちはわが革命

  の終局的勝利のために経済建設と国防建設のすべての戦線で先鋒隊になろう﹄一九六八年四月︶︒

   以上のように︑金日成は教育における古いものと新しいものとの矛盾を鋭敏に見ぬき︑古きものの残存︑拾頭︑流入

       ヘ  へ   を大胆に摘出してはばからない︒それはいわば革命的警戒心の高さがなせるわざであろう︒このような矛盾とむきあう

  という姿勢なくして教育の発展が保障されないことは︑誰がみても明かなことであろう︒

       3 過渡期の教育理諭形成をめざして

      −社会主義教育学の提唱−

助全人髪革命化︑労働者階級化する新しい発展段階に突入したことに応じて︑共産主蓼育の原則も発展の新しい段

紡 階にすすむことが求められた・金日成はそれを﹁社会主義教育学﹂の実践というかたちで提起︑﹁人びとを革命家︑労

へ 働者階級化︑共産主義化することがとりもなおさず︑わが社会主義社会における教育学の原理﹂である︑と規定した

酬︵﹃教育薫で社会主嚢享の原理を徹底的に目窺する.﹂とについて三九七一年三月︑以下格別の注を裡たもの以外は本論文か

鯉らの引用である︶︒共和国の教育は質的に新しい段階にすすもうとしている︑とみてよいであろう︒

撒  金日成は﹁資本主義から社会主義または共産主義へ移行する過渡期において︑搾取階級がなくなり︑社会主義制度が

註うちたてられたのち・ζレタリァ独裁のもっとも重萎藷は・思想革命姦化することであり手﹂と規定する5 社       ︑  19   ︵一九六入年三月論文︶︒マルクス︑ エソゲルス︑レーニソの過渡期理論において︑技術革命・経済建設を重視して思想革

(22)

命11人びとを革命化︑労働者階級化する側面が軽視されていることにたいする︑それは批判的克服の思想である︑と位       96 置づけられている︒過渡期において﹁かならず物質的要塞とともに思想的要塞を占領しなければならないという思想﹂ −

から︑必然的に︑人間の共産主義的改造をこの期の革命課題としてすえ直して︑教育の任務をことさら重視する発想が

生じてこざるをえない︒これに正面からとりくむことを宣言したのが﹁社会主義教育学﹂である︑とみなしてよいであ

ろう︒

 このような社会主義教育学においてもっとも重視される教育の場は学校教育である︒金日成は﹁学校教育で学生を革

命化︑労働者階級化する活動を第一義的なものとしなければならない﹂という︒こうした認識のもとには︑社会主義建

設がすすみ︑共産主義社会に近づけば近づくほど︑国家の文化・教育者的機能︑その一環としての学校の任務が大きく

なるという法則的現象への自覚が働いている︒

 金日成は﹁たとえ社会主義制度が樹立されようとも︑人は自然に共産主義者になれるというものではありません︒新

しい世代を幼稚園や学校にかようころから革命的に︑共産主義的に教育しておけば︑かれらは成長して熱烈な革命家︑

真の共産主義者になれる﹂とのべ︑人間の自然成長性を排し︑組織的な教育機関による教育力へいちだんと大きな期待

をかける︒そこには次のような現実把握が横たわっている︒すなわち︑﹁社会主義社会では人びとが幼い時から幼稚園

や学校で多くの時間をすごして教育をうけ︑学校教育が終ったのちには軍隊や社会で教育をうけるために︑人びとは主

として学校教育と社会教育をつうじて教育される﹂のであり︑なかでも︑﹁人びとを革命家に育てあげるうえで重要な

基礎は学校教育できずかれなければなりません︒幼稚園からはじまって人民学校︑中学校︑高等技術学校︑大学にいた

るまでの教育機関は︑思想革命を遂行する基本手段の一つ﹂であり︑そのような意味で︑﹁教育機関は国家の文化・教

育者的機能を直接遂行する一つの機関として思想教育の重要な武器﹂である︑とおさえるのである二九六八年三月論文︶︒

(23)

  過渡期における子どもの教育にとっては︑国家の文化・教育者的機能を発揮させることが決定的に重要である︑という

  ことであろう︒共和国では幼稚園から数えて一二年間を全児童が国の施設で集団生活をおこなっているのである︒

   このような国家の文化・教育者的機能の拡大という認識と現実は︑エソゲルスの社会主義教育のテーゼの創造的解釈

  をみちびいている︒エンゲルスは︑すべての子どもたちを母親が世話をしなくてもよい年頃から国の施設と国の費用で

  教育し︑教育を工場労働と結合させてすすめる問題を提起しているが︵﹃共産主義の原理﹄︶︑ これについて︑金日成は

  ﹁育ちゆく新しい世代が両親から古い思想の影響を受けないように︑国の施設で集団的に教育し︑教育と生産労働を結

  合させることによって︑かれらに共産主義建設に必要な知識を教えなければならないという思想がふくまれている﹂と

  解し︑﹁国家が育てる意義﹂を格別に重んじてひきだす︒

   こうして︑革命化︑労働者階級化という課題を前にして﹁国家が育てる意義﹂がますます重んじられてくるにつれて︑

  ﹁共産主義的に教育できる教育理論と方法﹂をもつことの必要性・重要性はよりいっそう高まってくる︒たしかに︑﹁社

り 会主義社会における教育は︑過去の社会とまったく異なった新しい理論と方法によらなければならないし︑教育の内容

弛も薪されなければならない﹂ものであ7︒.﹂.﹂に社会主嚢育学の完成がよびかけられてくる竃的萎因がある

9ように思われる︒

髄ところで・現実の誓はこれに変・これを創造する土壌を豊かにそなえているか︒社会主嚢育学は﹁階級的な

齢墾を明確にするしごとから出立する・金晟は・これまでの警が﹁少からず・共産義的なものでもなく︑資奎

轍藁なものでもないこちゃまぜの警︑いいかえれば労働者階級と資本家階級との︑共産義と資奎義の境界のはっ

蝕きり画されていない誓︑階級的な線の明確でない警をおこなってき芒た﹂と手きびしく批判している︵元ハ八卯 社 年三論文︶・それをただすのにどこから手をつけていったらよいのか︒指導者を改造することと理論を改造することであ ー

(24)

る︒

      98  まず金日成は﹁すべての問題を共産主義的にりっぱに解決できるほど準備された人はきわめて少数です﹂と認めたの ー

ち︑﹁われわれはなによりもまず︑党中央科学教育部や高等教育省︑普通教育省などの指導的地位にいる活動家から﹂

﹁再教育し革命化しなければなりません﹂と指示し︑これとともに﹁教員も革命化しなければなりません﹂とのべる︒

指導者︑活動家が変るのが先決であるという﹁以身作則﹂の姿勢である︒

 つぎに︑﹁教育事業を改善するためには教育学から改めなければなりません﹂と指摘し︑教育学にたいする神秘的な

考えをなくし︑革命化という社会・教育の目的に従ってそれは改造されるべきだという︒また﹁社会主義社会に相応し

た児童心理学を完成し︑それをもとに学生を教育しなければなりません﹂と指摘し︑児童心理は社会制度には関係のな

いどの社会にも共通するもの︑と考えている一部の人たちの誤りを批判︑﹁資本主義社会の児童の心理と社会主義社会

の児童の心理がちがうように︑児童心理学も当然ちがったものにならなければなりません﹂と語る︒理論の分野におい

てブルジョア的︑修正主義的要素をきれいにとりのぞくことを強く要求しているのである︒

 人をかえ︑理論をかえ︑実践を重ねていくなかで︑自力で主体的に社会主義教育学を創造していく覚悟をかため︑そ

の出発点にたっているのが︑現在の共和国なのであろうか︒金日成は力をこめていいきっているのである︒﹁社会主義

教育学について完成された理論をだしたものは︑いまだだれひとりおりません︒またわれわれが見ならわなければなら

ないような社会主義教育学の模範を示した国もありません︒われわれは︑断じて社会主義と資本主義との境界線がはっ

きりしない︑こちゃまぜ式の教育学を再びわが国にもちこんではなりません︒まして︑古い腐りきった封建的︑資本主

義的教育理論と教育方法から学ぶようなことがあっては絶対になりません︒搾取社会の教育学は搾取制度を擁護する目

的でつくられたものであり︑われわれがそこから引きつぐものはなにひとつなく︑それを根底から否定して社会主義教

(25)

育学を新しく創造しなければなりません︒われわれは︑ただマルクス・レーニソ主義の原則とわが国における革命と建

設の経験をもとに︑社会主義教育学を自らの手で完成してゆかねばなりません︒﹂

 過渡期における教育理論としての社会主義教育学がその理論と実践の体系をどのようにして形造っていくか︑われわ

れはしばらく注視することにしよう︒

ち の み への

謙 随

教       ・ 鯉

      1 社      9 会       9

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