越前一乗寺谷朝倉遺跡群
著者 山口 卓也
雑誌名 阡陵 : 関西大学博物館彙報
巻 60
ページ 14‑15
発行年 2010‑03‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/00023926
越前一乗寺谷朝倉遺跡群
山 口 卓 也
戦国期城下町の研究は、文献研究と考古学 的発据が相補いながら解明が進んでいる。具 体的な生活文化や城砦、城下町構造の解明は、
発掘調査による成果が大きい。
ところが、戦国期の城下町遺跡は、土地利 用に都合のいい場所にある。そこは重複・継 続利用されて、大景の遺物が残されるが、「生 活が目の前に浮かぶような情景」を語りうる 調 査 は 難 し い 。 ひ と つ の 時 期 を 水 平 的 に 観 察
しようと思っても、継続して利用された遺構 は内部が片付けられて、「殺された」状態になっ たり、すぐ後の時代の遺構がのしかかってい たり、再整地されて削られたりして、同時景 観と空間利用動態を明らかにすることも難し くなっている。考古学者は、発掘条件の悪さ を嘆いて、「ポンペイ的な遺跡にでも当たらな きゃ」と呟くことがある。
越前一乗寺谷朝倉遺跡群は、福井市街の東 南 約10kmにある。
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R越美北線一条谷駅近くに開口する狭陸な回廊である。 一乗 寺 谷 川 が 南から北に流下して足羽川に合流するまでの 両岸、長さ約2km幅500mの河岸平地を居館 と城下町の中心とし、東の尾根上の一条谷城、
西の稜線の砦群が防御施設となる。北稜線上 の砦からは福井平野を見渡すことができる。
この地は、応仁の乱で活躍した朝倉氏七代目 の朝倉孝景が越前に進出して、文明3年 (1471)
朝倉館の庭園
発掘後整備保存された町並遺 構
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朝倉義景館跡
復元された武家屋敷通り
から拠点と し、 以後戦国大名朝倉氏が五代続い て本拠とした。この間、京の文化を積極的に取 り入れ、越前の地に雅やかな文化を開花させた ことで知られるが、天正元年 (1573)に織田信 長に攻められて焼尽され、以後放棄された地で
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ある。朝倉氏敗亡で武士• 町民ともども城下住 民が逃散し、城下町や領主館群、社寺などに火 がかけられた。
多くの遣構が埋没して田畑、山林に転じた。
領主館や寺院の庭園遺構、城下の防塁や縄張り 結界の石垣、町割、石組み井戸などは地表に露 出していて、江戸時代から故地巡りの粋人が訪 れることもあったというが、悲劇的故事の伴う 静かな農村となって眠りについていた。
有力な戦国大名の居館と城下町は、交通の 要衝で経済的なメリットの大きい地に営まれ る。大名が敗亡したとしても城郭や城下町は 維持されることが多かった。本来の居館や城 下町の建物は次第に更新され、最後は近代化 した市街に飲み込まれる運命なのだが、一乗 寺谷遺跡群では、再び城下町として再建され ることはなく、焼尽された当時のまま埋没し て田畑に還元されたので、後世に遺跡が毀損 されることはなかった。
昭和5年 (1930)に一部が史跡・名勝指定 されていたが、圃場整備が迫ったことなどか ら、昭和42年 (1967)から奈良国立文化財研 究所の指導の下に発掘調査が行われ、現在も 継続している。昭和46年 (1971)には、周囲 の稜線上の城砦も含めた278haが国の特別史 跡となっている。
発掘調査の結果、朝倉氏遺跡群は、 一乗 寺 谷回廊を南の上城戸、北の下城戸と呼ばれる
2つの防塁で守られた地域に、領主館、社寺、
城下町が計画的に配されていることが明らか になった。
左岸中央の平面復元地区では、寺院や武家 屋敷、町屋が間口30mを基準として配される。
建物は焼尽しているが、防御のための屈曲を
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復元された町屋裏庭
未発掘武家屋敷の埋没した門
設けた道路、区画境の石垣や土塁、井戸跡、
便所跡などの配置を見てとることができる。
南の立体復元地区では、武家屋敷と職人の 住まう町屋の並び、約200mの道路に面した景 観が復元されている。この中には、発掘調査 で検出された遺構や出土遺物の研究成果が織 り込まれ、さらに想定される生活の様子も再 現されている。道路西側の土塀に設けられた 門をくぐって見ることができる、建物を失っ た武家屋敷と町屋の石垣、井戸跡が累々と広 がっている様は、まさに焼尽した当時そのま
まの城下町の姿であり、壮観である。
見事に残された領主館跡や往時を偲ばせる 庭園跡は、京文化を積極的に取り入れた雅な 朝 倉 氏一族の特徴が現れている。その一方、
特別史跡範囲の南北山塊に朝倉城や城砦が、
緑に覆われた稜線上にそのまま残されている のも重要である。
一乗寺谷遺跡群は、朝倉氏滅亡時埋没した 地上を歩ける「ポンペイ的遺跡」そのもので ある。 2009年11月、福井の秋の天候を甘く見 た築者は、秋雨前線の活発化した最中に一乗 寺谷を訪ね、戦国武将の健脚を呪いながら一 乗城山に登り、谷全体を見下ろしたのは忘れ がたい経験であった。
福井市「特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡トップページ」
http://www.city.fukui.lg.jp/d620/bunk:a/iseki/ 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館
福井市安波賀町4‑10
http://www.pref.fukui.jp/doc/asakura/index.html
関西大学博物館学芸員
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