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矢崎法哲学と法文化 : 法理学から法文化論への展 開

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(1)

矢崎法哲学と法文化 : 法理学から法文化論への展

その他のタイトル Professor Yasaki's Legal Philosophy and Legal Culture

著者 角田 猛之

雑誌名 關西大學法學論集

巻 59

号 3‑4

ページ 765‑797

発行年 2009‑12‑18

URL http://hdl.handle.net/10112/1520

(2)

矢 崎 法 哲 学 と 法 文 化

法理学から法文化論への展開

(3)

はじめに││本稿の課題

. 一

九八0年代にいたる矢崎法文化論の前史││︑王要業紙を手がかりにして

から英米流の法理︑法社会

九五0年代から六0年代にかけて

九七0年代にかけて

九八0年代以降から最晩年にいたるまで

.矢崎法文化論の基本的視座のひとつとしての︿複線的・複眼的思考

1 1志向法

対極としての﹁紋切り型

1 1ステロタイプ的思考の排除

.日常世界の法構造

制度の段階と法文化

段階と﹁制度の第

隣人訴訟を手がかりにして

むすびにかえて裁判員裁判と法文化︑社会通念

(4)

矢崎法哲学と法文化

法文化︵制度の第一︑第二︑

サ ブ

︑ の三段階︶︑比較法文化論︑法継受・法移植の問題︑

六五

︵ 二 0

0七年︶に掲載された拙稿﹁矢崎法哲学と法文化法文化の視座からの内在的理解﹂

においてわたしは︑戦後日本の法哲学会を代表する法哲学者のひとりたる矢崎光囲の法文化論のさまざまなトピック をつぎのように提示した︒すなわち︑﹁まずは総論的テーマとしては︑法意識と法文化︑法思想と法文化︑法制度と

日常皿界と社会的プラク

︵法︑道徳︑その他の社会的ルールの根幹としての社会的プラクティス︶︑等々である︒また各論的テーマ︑

トピックとしては︑日本社会における常識や社会通念︑医療をめぐる法と倫理︑性をめぐる法と道徳問題︑隣人訴訟︑

(1

パターナリズム︑日米経済摩擦︑パプアニューギニアの法文化︑等々である

︒﹂

そしてその論文では︑﹁法文化の視座からの内在的理解

というサブタイトルの趣旨に沿って︑﹁

一法哲学︑法理

学と法社会学——ー法文化の視座から曰法哲学と法理学の学問的相違点・類似点と法社会学、

口法哲学の学問内容、

課題とそのアプローチ︑接近方法における多様化・多様性︑拡大と︑収敏化・共通性︑縮減︑曰法哲学の﹁求心ー

遠心の動き﹂

││マルチ・リーガル・カルチャー

﹂そして﹁ニ

の法社会学的考察﹂曰﹁法思想についての法社会学的考察﹂︑口法思想のにない手を媒介とする法思想史の動態的プ ロセス︑口翻訳を媒介とした法思想の動態翻訳をめぐる日本と西洋の思想の交流﹂等々の︑法哲学・法思想史︑

法社会学をベースとする矢崎法文化論における主要な総論的問題を検討した

そこで本稿では︑前稿での法哲学︑法理学︑法思想史そして法社会学という︑矢崎法哲学が射程範囲に収めた広範

ス ﹃

法の

理論

六号

は じ め に 本 稿 の 課 題

法思想史と法社会学と法文化ー﹁法思想について

(5)

的な軌跡をごく簡単に年表風にたどっておきたい︒ 第五九巻―――•四号

な学問的領域と法文化にかかわる総論的な検討を踏まえつつ︑前稿では検討できなかった矢崎法哲学および法文化論

の方法論の中核をなす︑︿複線的・複眼的思考

11

志向法﹀と﹁日常世界の法構造﹂に関する矢崎の見解を検討したい︒

そしてその前提として︑法哲学研究開始の最初期段階にさかのぼって︑矢崎の著書と一部の主たる論文︑および学会︑

シンポジウム等での報告︑発言などを通して︑本格的に法文化研究を展開していく一九八0年代にいたるまでの学問

以上のような内容を有する前稿と本稿を合わせて︑矢崎法文化論の総論︑各論にわたる大枠を提示したものとわた

(2

) 

し自身は考えている︒

( l )

角田猛之﹁矢崎法哲学と法文化法文化の視座からの内在的理解﹂︵﹃法の理論二六号﹄︵成文堂︑二

0

0七

年所

収︶

四頁

( 2

)

﹃法の理論﹄掲載論文は︑二

0

四年に亡くなられた矢崎光囲教授の追悼の意味を込めて執筆したもので︑﹁はじめに﹂の0

注にて﹁より詳細なる総論的検討とさまざまな具休的︑各論的問題の検討は︑わたしが所属する大学の紀要たる﹃関西大学

法学論集﹄誌上にてここ一︑二年の間に︑できれば二︑三回程度の連載にて行う予定である︒﹂と書いている︒しかしなが

ら︑第二作目にあたる本稿が︑大阪府立大学から関西大学への移籍にともなうわたし自身の事情から大幅に遅れてしまった︒

また︑当初の予定を変更して︑一応のところ︑矢崎教授の法文化論を主題とした単独の論考︵モノグラフ︶は本稿で完結と

しておきたい︒ただし教授の法文化論に関しては︑もちろん︑今後のわたし自身のさまざまな論考の中で具休的トピックと

方法論を手がかりにして検討を続けていく︒ 関法四五四︵七六六︶

(6)

矢崎法哲学と法文化

九 八

0

年代にいたる矢崎法文化論の前史

主要

業績

を手

がか

りに

して

自然法論と法実証主義ー—最初期段階で〈複線的・複眼的思考11志向法〉の展開

四五

︵七

六 七

︿複線的・複眼的思考

11

志向

ドイツ流の法哲学から英米流の法理学︑法社会学ヘ

一九

0年

代か

ら六

0年

代に

かけ

の後の五

0

年以上にわたる法哲学研究を開始しており︑研究開始の当初はドイツ流のオーソドックスな法哲学

(R ec ht sp hi lo so ph ei )

が主たる研究対象であった︒そして︑その研究成果として一九五三年に刊行されたのが﹃自然 法﹂︵法律学体系第

二部﹃法学理論篇﹂第一八巻︑日本評論社︶

である

︒しかし矢崎はその一0年後に︑自然法論の

(1

対極に位置する法実証主義に関する研究書﹃法実証主義﹄︵日本評論社︶を刊行している︒

相互に拮抗する理論︑方法論を学問上の同

一視野に収めて自らの研究対象とすること研究開始の早い段階から

矢崎が有していたこのような方法的視座のなかに︑次章で紹介する矢崎法哲学そして法文化論において

一貫して理論

展開の柱に据えてこられた︑矢崎の

︿複線的・複眼的思考

11

志向法﹀

を明確に読み取ることができる︒すなわち︑ギ リシ ャ︑

(1)  [I] 

ローマの古典・古代時代以来︑相互に拮抗しつつ現代に至るまで洋の東西を問わずわれわれの法思考や法思

をし

つつ

︑ 想の二大潮流として生き続けている︑自然法論と法実証主義という相反する思考法の両面に複線的・複眼的に目配り

いわば二正面作戦にて法哲学︑法思想の研究をすすめている︒そしてこの

法﹀

は︑さまざまな制度やそれを支える価値︑伝統︑文化などの相対主義的な見方︑新カント派の用語を用いるなら ば価値相対主義的な見方と相まって︑本稿の主題たる矢崎法文化論を支える基本視座となっていくのである︒

矢崎は尾高朝雄の指導の下で︑そ

(7)

可能性がある︒その点

で包括的であって︑

一種のグランド・セオリー

(G

ra

nd

t h

e o

y r

)  

としての特徴を帯びるかぎり 第五九巻三•四号

英米系の法理学と法社会学の摂取矢崎は一九五八年から六0年にかけてハーバード大学︑また︑六六年か

ら六七年にかけてコロンビア大学にて在外研究を行っている︒約三年間にわたるアメリカでの在外研究において矢崎

は︑英米系の法理学︑法理論の影響を強く受け︑その後は碧海純一や井上茂︑八木鉄男︑そして次世代としては田中 成明、深田徳などとならんで英米系の法理学(Jurisprudence)研究_—'矢崎が大阪大学で初代の教授として担当 した講座名は「法理学講座であった—|ーの中核を担っていくのであるなかでも矢崎はオクスフォード大学のH.

L.A ハートの影響を強く受け︑わが国のイギリス法理学とりわけハート研究においては︑井上茂とならんで中心的

(3な役割を担ってきた︒

矢崎法文化論に関する拙稿において︑ドイツ流の法哲学と英米流の法理学︑法社会学︑そしてそれらの総合の上に

構築された矢崎の法文化論との関係を︑矢崎の見解を参照しつつ︑

おこう︒二矢崎は]法哲学との対比での法理学の学問的な射程範囲の︿広範さと多義性﹀をつぎのように指摘してい

る︒﹃法理学のばあいには︑ちょうど﹁生理学﹂の語感と同じように︑かなり広汎な法学の︽基礎︾領域にまたがる

では今日の︿基礎法学︾の観念をさきどりしている感もないではない﹄︒そしてさらに︑法文化の視座からの矢崎法 哲学の検討にとって︑このような法理学の射程範囲の広さと多義性を踏まえた法哲学と法理学︑そして法社会学の

者の関係に関するつぎの見解はきわめて重要である︒﹃法社会学という用語は法哲学のそれと対立する面で⁝⁝とら

えられがちである︒ところが︑これが﹁法理学﹂という用語の範囲内でなら⁝⁝法社会学と法哲学に相当する仕事は

同じ枠内での協力という方向でつかまれるように見える︒その点で枠の幅広さは法理学という用語の魅力である︒﹄

(2) 

関法

つぎのように指摘した︒若干長くなるが参照して 四五六

六八

(8)

(1)  矢崎法哲

と法文化

叩 法 理 学 と 法 社 会 学

一九

0年代にかけて

の小野木常の翻訳チームに加わって︑

ウェーバーの

︵日 本評 論社

四五

︵七

九 六

[改行]すなわち法理学の射程範囲の広範さとその多義性ゆえに︑学問内容においても方法においても︑

鳴﹂

︑﹁

共振

しうる法社会学との密接な連関が︑矢崎を法社会学の重要な

一要素をなす法文化⁝⁝にかかわる諸契機

および諸問題に関心を抱かせ︑着目させていったもっとも重要な方法論的ポイントのひとつである︒またさらに法社 会学との密接な連関は︑矢崎の学問的足跡のなかでは後期に属し︑晩年にいたってはその中核をも占めるにいたった

(4

⁝⁝矢崎法文化論・比較法文化論の方法的な基礎をなしている︑ともいうことができるであろう

︒ ﹂ 英米系の法理学と経験科学的な法社会学へのこのような強い学問的関心矢崎は大阪大学大学院では法理学とな らんで法社会学も担当していたは︑もちろん︑上で言及した三年間のアメリカでの在外研究が決定的な意味を有

していることは明らかである︒

もっとも︑法社会学そのものに関しては︑矢崎の研究開始当初からのドイツ流法哲学︑

法理論への関心から︑とりわけマックス・ウェーバーの諸業績に関心を寄せており︑

アメリカ流の法社会学の影響

﹃法 社会 学﹄

一九

五八

年︶

いわば﹁共

一九五八年には民事訴訟法学者

の共訳者となっている︒

わが国の法社会学は︑戦前における日本社会の民主化改革という実践的な課 題を担って戦後に新たなスタートを切っている︒そのようなアメリカ流の経験科学にもとづくあたらしい法社会学の パラダイムを提示し︑その後の研究動向を決定づけたのが戒能通孝︑渡辺洋

三︑そして川島武宜などである︒なかで

も川島は一九七二年から七三年にかけて︑わが国の法社会学研究史のみならず基礎法学全般にわたる研究史において も画期的意義を有する﹃法社会学講座﹄全一

0巻︵岩波書店︶を︑さまざまな分野の専門家を結集して︑編者として

(9)

﹁法社会学の基礎﹂理論のひとつとして川島によって にも多大の関心を寄せていたのである ︒

矢崎

もま

た︑

アメリカ留学を契機として英米系法理学へ傾倒するなかで︑

の理論法社会学とともに︑アメリカ流の経験科学的な法社会学にも多大の関心を有していた︒そのようななかで︑

九七二年に刊行された法社会学講座第三巻﹃法社会学の基礎I﹄に︑川島の依頼のもとで﹁法社会学と法思想史

分担執筆している︒川島武宜は︑矢崎の直接の師匠である尾高朝雄︑そして直接︑間接に指導を受けた丸山真男︑大

塚久雄などと並んで︑矢崎の学問全般にもっとも大きな影響を与えた学者のひとりである︒そして矢崎は︑戦後の学

問体系の大転換の中で川島がとくに心血を注いだ︑実践的意義をも有するアメリカ流の経験科学的な法社会学の展開

﹃法社会学講座﹄に組み入れられた法思想史に関するこの論

考で矢崎は︑テキストに内在化して解釈を施すことを主たる課題とする法思想研究のみならず︑法社会学との明確な

連携の下での法思想研究をも模索している︒矢崎は言う︒﹁思想史は⁝⁝その時代︑その社会の思想を理解し叙述す

ることであり︑またこのようにして叙述されたものである︒思想を理解し叙述することは︑その思想の特徴にそって

であり︑その思想のうごきに即してである︒それでは思想のうごき︑形成と発展とはどういうことであろうか︒法思

(7想史と法社会学の﹁関連﹂を理解する鍵の︱つはこのあたりにあるように考えられる︒﹂矢崎はテキストクリティー

ク的な法思想の内在的理解を当然の前提として︑まざまな法思想の形成︑展開とその後の当該思想の働き

11

機能の探

求にも︑法思想研究の重要性を見ていた︒つまり︑矢崎が示唆する﹁法思想史と法社会学の

とは︑法思想の動態

11

形成︑展開と機能が繰り広げられる場であり︑言うならばそれらの母体たる各社会との 関法第五九巻――•四号

(6

刊行している︒

マックス・ウエーバーのいわばドイツ流 四五八︵七

0 )

﹃関連﹄を理解する鍵の

(10)

矢崎法哲学と法文化

を形成していくのである︒ 関

係︑

四五九

つま

︿法

と社

﹀会

︿法思想と社会﹀

という視座に立つことである︒この視座に立つならば︑個々の法思想が いかなる社会的背景の下で形成され︑更なる展開もしくは衰退︑消滅にいたったのか︑また︑

いかなる機能・役割を 果たしたのか︑あるいは︑たとえば時代を先取りしすぎた結果︑すくなくとも当該社会︑時代においては︑なんら役 割を果たさなかったのか︑等々を︑法社会学的手法をも加味しつつ︑法思想の動態的プロセスを探ることがきわめて 重要な課題となるのである︒

そしてさらに一九七三年には︑﹁法社会学

を書名に冠した最初にして最後の単著たる﹃法哲学と法社会学﹄

書店︶が刊行されている︒本書の﹁あとがき﹂で矢崎は︑﹁この書物はこの一

0

年ほどの間に筆者が書いたもののう ちで︑︽法哲学と法社会学﹀というテーマに関連あるものをまとめたものである﹂とのべているように︑六

0年代な

かば以降からさまざまな雑誌等に投稿されたものを一書にまとめたものである︒そして本書は︑とりわけ八

0年代以

降の矢崎の学問的関心において︑かなりの比重を占めるにいたる﹁法文化﹂の問題へと連なる論文を多数収録してい

ることが注目に値する︒

ただし︑本書では少なくとも明示的には﹁法文化﹂というタームには言及していない

しか

しながら︑本書に収録されている︑①﹁法哲学と法社会学﹂︵﹃思想

則﹂

﹃思

想﹄

五六

0号

︶︑

﹁法 と社 会通 念

︵ ﹃

思 想

五七

一号 ︶

五三五号︶︑﹁法の運用における社会通念と経験 での﹁社会通念論﹂が︑﹁法哲学と法文化﹂という観 点から︑さらにまた︑②﹁法思想の理論﹂︵法社会学年報﹃法思想の法社会学的研究

﹄︶︑﹁法思想の社会的な意味と機

能﹂︵法律時報別冊﹃法と社会﹄︶が︑﹁法思想史と法文化﹂︑とくに﹁法思想の社会的考察

とい

う観

点か

ら︑

も法社会学との相互交流に依拠しつつ︑八

0年代以降の矢崎法文化論︑比較法文化論の主要トピック︑テーマの

一部

︵七

一︶

いずれ ︵

岩 波

(11)

第五九巻三•四号

[さ

しあ

たっ

ての

] が国の法哲学研究の最高水準のひとったる﹃法哲学概論

︵ 有

斐 閣

︵七

二︶

総決算として︑矢崎の最初の法哲学に関する体系書たる﹃法哲学﹄︵筑摩書房︶が刊行されている︒本書において矢

五つの仕事﹂として︑﹁田法の説明の問題﹂︑﹁②法学方法論の問題﹂︑﹁③法の

社会的機能︑役割の問題﹂︑﹁④法の目的︑価値の問題﹂︑﹁固法と言語︑論理の問題﹂を掲げているが︑いずれの課

題においても︑この書物においても少なくとも明示的には法文化には言及してはいない︒またとりあげられている

テーマや構成においても︑たとえば一

九七五年に刊行された加藤新平の当時の︑そしてまた現在においても︑わ

と比較するならば︑英米系の法理学への傾

(8一応は︑従来の伝統的な法哲学の﹁テキストスタイル﹂をとっているといえる︒

しかしながら︑矢崎・法哲学の基本的方法たる﹁批判的経験主義﹂についてつぎのようにのぺている点は︑七三年

の﹃法哲学と法社会学﹄同様に︑法社会学との交流を通じた経験的手法の法哲学︑法思想史への援用︑したがって︑

のちの法文化論︑比較法文化論の展開への契機をも内在化しているといえるであろう︒矢崎は言う︒﹁以上にのべた

経験主義は合理主義に対し︑後者のア・プリオリズムを別とすれば︑そこから多くの示唆を汲みとろうとする︒

知識

認識の発生の面では経験主義であるが︑その機能︑ないし妥当の面では十分に理性批判から学ぼうとする︒経験主義

(9はその限りで﹃批判的経験主義﹄と呼んでもさしつかえないであろう︒﹂ここでいうところの︿経験主義

11

法社

会学

合理主義

11

法哲学﹀と考えるならば︑ここでも法社会学的な経験的アプローチによる︑法哲学︑法思想史上の諸問題

の検討︑そして後の︑英米系の法理学と法社会学をベースとする法文化論︑比較法文化論への展開の契機を読みとる

ことができるのである︒さらにまた︑後の法文化論の中核をなす﹁制度と法文化﹂

の 問 題 本 書 で は 法 哲 学 の 主 要

倒が顕著であるものの︑ 崎は﹁法哲学の

②英米系法理学の色彩の濃い最初の法哲学体系書の刊行

関法

そして一九七五年にこれまでの法哲学研究の一

応の

四六〇

(12)

矢崎法哲と法文化 続く︑この書物の最終項たる﹁五 も関心を示すようになる︒ 英米系の法哲学や政治哲学そして現代社会思想などの影響のもと︑また世界のグローバル化の進展とともに︑わが国の法哲学会においても多文化主義やさまざまな文化の問題が脚光を浴びてきている︒そして矢崎はそのような従来の法哲学や政治哲学︑そして社会思想のレベルにおける多文化主義の問題にとどまらず︑さらにもう

一歩進めて︑わが

国のみならず国際学会においても法文化論︑比較法文化論のパイオニアのひとりとしてきわめて高い評価を受けてい

る千葉正士の多元的法体制論(

l e g a l p r u l a r i s m )

  と︑それとセッ

トにして展開されている法文化論︑比較法文化論に 矢崎法文化論に関する拙稿の﹁むすびにかえて晩年の矢崎法哲学での法文化論の位置﹂において︑法哲学に関

する最後の体系書

たる

青林版﹃法哲学﹄

︵ 二

000

年 ︶ 一 ︑二加えると﹂

法体制をめぐる諸問題︒

それらは︑たしかに︑現代の揺れ動きをよく表して︑

れるように︑近代国家に見合った法の樹立

は︑近代化に当面した諸国なら避けて通れないほどに重大な課題の

︱つ

あった︒

だが︑国家法が法のすぺてだと見るなら︑偏っている︑と批判されても当然である

︒裏返していえば︑ここ ︵千葉正士の多元的法体制論と法文化論への関心

の最終章たる﹁第七章

四六 法学の方法﹂

﹁ 四 の最後のつぎのふたつのパラグラフを参照した

ま﹁

た多

元的

いや象徴しているかもしれない

いわ

︵七

三 ︶ 多元的法体制に 一矢崎法哲学の後期に該当するとくに

九八

0年

代以

降は

[III] 

法文化への問題関心の顕在化

九八

0年代以降から最晩年にいたるまで ラクティス論の影響が大である︒

課題のひとったる﹁法の説明﹂というコンテクストで論じられているに関しては︑とりわけ︑

ハートの社会的プ

(13)

こらで多元的法体制が脚光を浴び︑ 第五九巻•四号

ワルド︑千葉[正士]

七四

マークされておかしくない︒中身があるのだから0 [ニール•] マコーミック

はそれぞれ貴重な示唆を与えてくれる︒︵改行︶それでも︑近代法のバックボーンになってい

る近代西欧風のモラル︑とくに自律的人間像が儒教やイスラムやヒンズーなど︑固有の︑宗教的人間像の影響力の強

い諸国で︑多元的法体制の下でどう生かされていくかなど︑今後とも考えさせ

はない0

[マコーミックの

言う

O 6 ^

pe n  m in de d  p h i l o s o p h y   o f   l aw

" の表現を用いるならば]

研究の余地は広いといえよう︒﹂ オープンマインデッドな

千葉の多元的法体制論は︑とりわけ一九世紀後半以降に植民地化とともに非西洋世界にも拡大した︑西洋起源の国

家法一元論に対する批判から生まれてきた理論で︑文化人類学︑とりわけ法人類学の基礎理論である︒千葉は多元的

法体制に対する独自の分析的道具概念として﹁三ダイコトミー﹂︵公式法と非公式法︑移植法と固有法︑法規則と法

前提︶を提示し︑それら三ダイコトミーの複合的な組み合わせによって︑自立的な集団が保持する法と法文化をトー

タルに分析するとともに︑その総体を文化的に統合する究極の原理としての﹁アイデンティティ法原理﹂

によ

って

各集団の固有の法文化の統合のあり方を探求するという︑多元的法体制下でのトータルな法や法文化の分析枠組みを

( 1 2 )  

提示している︒

矢崎は法哲学者として︑もちろん︑以上のようなデータ分析に適用される分析的道具概念による多元的法体制の経

(1 3

験論的手法による研究に着手したわけではない︒しかしながら︑多元的法体制論の文字通り中核をなす国家法一元論

批判︑すなわち﹁国家法が法のすべてだと見るなら︑偏っている︑と批判されても当然﹂であって︑そのゆえに﹁こ らで多元的法体制が脚光を浴び︑ 関法

マークされておかしくない﹂との認識にいたるのである︒そしてそのような基本

︵ ら

れ ︶

る問題は多い ︒日本も例外で 四六

(14)

(2) 

矢崎法哲と法文化

四六

法文化への問題関心が顕在化する八

認識を出発点として︑さまざまな国や地域に固有の歴史や伝統︑文化に依拠した慣習︵法︶

クティス︑倫理・道徳︑﹁生ける法

﹂︑そして法の運用における社会通念など︑総じて

( l

a w

i n     a c t i o n ) を対象とする研究︑すなわち﹁日常世界の法構造﹂

や社会慣行︑社会的プラ の研究へと展開していく︒そしてそのような

﹁日常世界の法構造

のトータルな分析が︑まさに矢崎法文論の中核をなしているのである

矢崎を企画責任者とする日米法文化に関する国際シンポジウムの開催

0年代以降の矢崎法文化論の展開を象徴的に示す︑法文化を統一テーマとした国際シンポジウムが矢崎を企画責任者

として一九八

一 年 に大阪大学で開催されている︒すなわち︑﹁﹃日米法文化の比較検討﹄研究会議弁護士の実務活 動 を 手 が か り に し て ー

﹂ ︵

﹁日米文化系学術交流委員会﹂︵大阪大学・神戸大学・大阪外国語大学︶主催︶企画委員 長・ 矢崎 光囲

あで

この会議についての概要は︑﹁

﹃日米法文化の比較検討﹄研究会議・報告集﹂︵﹃ジュリスト

﹄ ︑

七六

0

号︶︑﹁会議の総括的まとめ

﹂ ︵ ﹃

ジュリスト﹄

︑七六二号︶に掲載されているが︑この会議に対する﹁まえおき

この会議について﹂

において矢崎はつぎのようにのぺている

︒ ﹁ 文化が人々の生活経験の母胎であり基礎になっ

ているように︑法I

文化も裁判官︑法実務家︑法学識者ばかりか︑日常︑法に関与して生活し行動し生活設計したり

する

一般の人々にとっても︑はかり知れないほど直接︑間接の意義をもち︑その手びきにもなれば︑制約にもなって

いる︒では法文化とは何か︒彼らの法︑法意識︑法思考⁝⁝に焦点は絞られようが︑それを包み込んでいる文化状況

は当然︑視界に入る︒

さらに時代の雰囲気とか社会や国家の体制も考察からはずせない︒いま︑現代の日本とアメリ 力に目を向けてみても︑経済摩擦に象徴されるような数多くの問題が生じているが︑見直すと︑かなりの話題は案外︑

両国の法文化に関連し︑日本の法律家︑

アメリカの法律家たちの︑問題への対応︑処理の仕方︑そこでの考え方とい

︵ 七 七 五 ︶

︿日常世界に生きている法﹀

(15)

うか︑発想︑心がまえの違いに起因することがけっして少なくないことがわかる︒ひいて言えば︑日本とアメリカの

人たち︑それぞれがもつ生活感覚のズレにかかわってくると言えようか ︒問題の根はかなり深い

︒ ﹂

﹁い

った

い︑

その

ような相違はどれほど深く︑どのような法レベルの問題にあらわれ︑どういう事態を現に惹き起こしているか︑また

相違にもかかわらず︑相互交流の度がますにつれ︑時の経過とともに︑しだいに相互間に歩みより︑受けいれが生じ

て︑近似した処理の仕組︑態度︑考えがあらわれるとすれば︑それはどのようなものか︒それにこたえようとしたの

がこの会議である︒

もち

ろん

ひと目でわかるような答えは期待すべくもないが︑この種の法文化問題を論じたり考

( 1 4 )  

えたりする手がかりを少しでも提供できたらと考える︒﹂

この会議そのものは︑矢崎が言及しているように︑

ゆる﹁ジャパンバッシング﹂という問題を日米間で抱えていた当時の時代状況︑社会

11

経済状況を背景として企画︑

開催されたものであることは明らかである︒しかしながらこの会議は学問的観点から見るならば︑単にそのような時

流にのった︑実践的意味・意義と意図によってのみ企画︑開催されたわけではもちろんない︒少なくとも企画責任者

たる矢崎に関しては︑それ以後の法文化論の展開にとってもきわめて重要な意義を有しているといえる︒

とい

うの

は︑

矢崎は日米経済摩擦の根幹に法文化の相違を見て取り︑そのような相違はさらにさかのぼれば︑﹁日本とアメリカの

人たち︑それぞれがもつ生活感覚のズレ﹂に起因しているがゆえに﹁問題の根はかなり深い﹂︑したがっ

て︑

﹁こ

の種

の法文化問題を論じたり考えたりする手がかりを少しでも提供﹂することがこのシンポジウムの目的である︑と法文

化論︑比較法文化論の視座を根幹にすえた︑日米共同の国際シンポジウムであることを明確に認識し︑表明している

からである︒つまり︑日米経済摩擦の根底に控えている法文化比較の問題は︑﹁日常世界の法構造﹂のトータルな分 関法第五九巻―――•四

一九

0年代の日米の貿易

11

経済摩擦と︑それに起因するいわ

四六 四

七六

(16)

矢崎法哲と法文化

見られる︒法文化をめぐるこのような学会動向の中で︑わが国の法哲学会をリードして行ったのが︑

八五年まで日本法哲学理事長の地位にあった矢崎である

まず最初に特筆すべきは︑

哲学・社会哲学国際学会連合

( I n t

e r n a

t i o n

a l e

V e r e

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  S o z

i a l p

h i l o

s o p h

i e   : 略称

IV

R)

が主体と

なって︑わが国で

I V

Rの世界大会たる﹁

IV

R8

7

神戸大会﹂が約八0年の大会の歴史においてアジアで初めて開

催されたことである︒

矢崎はその大会委員長を務めていたが︑大会のメインテーマは﹁法︑文化︑科学・技術

1

文化間の相互理解を求めて﹂であった ︒

それは︑﹁科学・技術の先進国として︑また東西文化の接点にあるというこ

(1 5

とで︑新しい時代の世界的な課題に直面している日本での開催に相応しいもの﹂であった

︒またその前年には

I V R 8 7 の統一テーマと連動して︑日本法哲学会学術大会が﹁東西法文化

﹂を統一テーマにして開催された︒

そこ

では

>R

78

大会委員長の矢崎の﹁法をめぐる異文化相互の距離と接合﹂をはじめ︑

︱ ‑

﹁中国法文化の考察﹂︑大木雅夫﹁極東の法観念に関する誤解﹂などの︑東西の法文化比較にかんする多彩な研究

(1 6

報告がなされている︒

この

よう

な︑

︵日

本法

哲学

会︑

る企画││は八0

年代後半以降から現在に至るまでの︑わが国の法哲学会でのアジアの法伝統や法文化への関心の

にも

及したように︑

(3

四六五

析としての矢崎法文論における︑学問的とともに実践的意義をも有する格好の応用問題であったのである

矢崎を責任者とした法文化を主要テーマとする国内︑国際学会の開催と日本法哲学会のその後の動向

一九

0年代以降︑わが国の学会をも含めてグローバルな規模での法文化への関心の高まりが

I V

R日本支部共同主催︶

五十嵐清﹁法系論と日本法﹂︑滋賀秀

IV

R8

7を咽矢とする日本法哲学会と

I V

R日本支部のその後の展開ーー'﹁

IVR

神戸レクチャー﹂

や日本法哲学会の学術大会での非西洋の法思想︑法制度︑法文化をめぐ

︵七

七七

︶ 一九八七年に日本法哲学会と法 一九七九年から さき

(17)

は︑法文化論に関しても方法論上重要な意味を有する︑従来の法思想史の書物とは異色の書物たる﹃法思想史﹄

本評論社︶が刊行されている︒この書物は︑矢崎が二年間にわたって

ノート」『法学セミナー』、七七年五月口万—七九年六月号連載)をもとにして刊行されたものであるこの書物の序

章において︑矢崎は明確に法思想を法文化の一部ととらえている︒矢崎は言う︒﹁その上︑考えてみれば︑西洋の法︑

法思想を私どもがどれだけ理解できるかという問題がある ︒法も法思想も︑広い意味ではその社会︑その国の文化

︑ ︑

︑ これを法文化と呼んでおこうの一部である

︒西洋の文化︑特にここで話題の法文化はそこでの言

語︑

習俗

伝統︑思考様式と不可分に絡み合い︑したがってそこで生まれ育ち成長した人々によってより的確に︑生得的につか

まれると言えるかもしれない︒これは︑後に述ぺる歴史法学派が特に強調したところである︒

かりにそう考えるなら︑

私たちは西洋の法文化を︑彼ら以上とは言わないまでも︑彼ら並みに理解する余地があるだろうか︒それは並たいて

(1 7

いのことではない︒ここにも西洋型法文化に対する固定視とは別の問題がある︒﹂

千葉正士は︑他の数人の法哲学者と並んで矢崎のこのような︑先に言及した︿法と社会

﹀ ︿

法思想と社会﹀という

視座ひいては︿法文化としての法思想﹀という︑法思想および法思想史の把握をつぎのように評価している︒

﹁法

想に対する法哲学者の関心は︑歴史的なものだけには限られなかった︒現代世界の問題を追及する法思想︑または現 八0年代以降の法文化論への傾倒 していることは明らかである ︒ 関法第五九巻三•四号

﹃法学セミナー﹄に連載した﹁法思想史研究

七八

︵ 日

持続的高まりを示している︒それは︑法文化をもその大会テーマのひとつとした

IVR

神戸大会とそれに先立って︑

日本法哲学が﹁東西法文化﹂を大会テーマとしたこと︑すなわち︑矢崎の法文化をめぐる学会企画が大きな意義を有

日米の経済摩擦をテーマとするシンポジウムが開催された一

九八

一年

四六六

(18)

(9(8)  (7(6) (5(4(3)  (2(1) 

矢崎法哲学と法文化 二000

年ニ

﹃法 哲学

九六 年ニ

﹃法

思想 の世 界﹄

0年~法学入門」 八七年~『日常世界の法構造』

︵放 送大 学教 育振 輿会

( 1 8 )  

代的意義における過去の諸法思想が︑現在的関心から検討しなおされることも多くなった﹂︒また

一九八

三年

には

︑ 大阪大学法学部にわが国ではじめて﹁比較法文化論講座﹂が矢崎の尽力によって開設されている

︒ただし︑これ以降

の法文化にかかわる主要業績をなす著書︑論文等については次章以降でその一部を検討するので︑ここでは文字通り

年~「法文化伝統と現在」岩波『思想

八四年~「法意識雑感(「続法意識の研究」八四年度『法社会学年報

八六年二日本法哲学会学術大会統一テーマ﹁東西法文化﹂︵統一

テーマとしてはじめて﹁法文化﹂が採用︶

八六年~「法をめぐる異文化相互の距離と接合」(「東西法文化」八六年度『法哲学年報」、巻頭論文 八七年:IVR•神戸大会委員長・矢崎光囲)「法、文化、科学・技術異文化間の相互理解を求めて」

︵み

すず

房 ︶

︵放送大学テキスト

︵塙

書房

︵ 青

林書院︶

以下に

年表風に列挙するにとどめておく︒

応七

一三︶

四六七

︵ 二 0

0四年逝去︶

(l)矢崎はこの両著書以降︑ほぼ一0年毎に単著の主要著書を刊行している︒

(2)ただし周

知の

よう

に︑

二0世紀にいたっ

てこ

古典古代以来の二大潮流は︑両者歩み寄りの形でオーヴァ

ーラ

ップ

する傾

向にある︒たとえば︑角田猛之﹁第三講義西洋の法理論︑法思想を形づくるもの﹂︵長谷川晃・角田猛之編著

﹃ブ

ッジ

ブック法哲

学﹄

信山

社︑

二0

︶所収︶参照自然法論者ホセ・ヨンパルトと法実証主義者0四年この箇所でわたしは︑﹁︒

ハート﹂として︑両﹁陣営﹂の側からの﹁歩み寄り﹂について指摘しているが︑矢崎法哲学との関係から︑ハートに関する

︵七七九︶

(19)

関法第五九巻三•四号

記述を参照しておく︒﹁法実証主義の立場からの両者の整合性の追求の試みとしては︑ここでもH.L.Aハートの見解が

重要である︒彼は法実証主義者として伝統的な自然法論には批判的である︒しかしハートは︑﹃人間の生存﹄という生き物

すべてに共通するもっとも自然な事実から出発して︑生存確保に必然的に関わる五つの事項を提示する︒すなわち︑人間の

傷つきやすさ︑おおよその平等性︑かぎられた利他主義︑かぎられた資源︑かぎられた理解力と意思の強さ︑である︵

ハー

ト﹃法の概念

﹄ ︵

みす

ず書

房︑

一九七六年︶ニ︱

八頁

︒つまり︑人間の生存にかかわるこれら五つの事項を︑不可避

の前提として法を定立することが求められるのである︒ハートはこれらを﹃自然法の最小限の内容﹄と呼んでいる︒そして

かれ

は︑

生存にかかわるこれらの自然的事実を前提として︑その事実を確保するための法を︑﹃最小限の内容の自然法﹄と

している︒つまり︑法実証主義の立場を維持しつつも︑人間の生存という自然的︑経験的事実から必然的に生じる法的な内

容を自然法として提示しているのである︒﹂︵七

七九

頁 ︶

(3)日本の法哲学者のみならず政治哲学︑社会哲学の研究者︑そして︑法哲学関係の著書としては異例であるが︑多くの実定

法学者にも多大の影響を与えたもっとも重要な成果が︑ハートの主

著ぺ

C

o n

c e

p t

  of

L a

 

"  w

( O

x f

o r

d  

UP)の翻訳﹃法の概念﹄

︵みすず書房︑九七六年︶の刊行である︒また矢崎が中心となってハートの法学 ︑哲学に関する論文集﹃法学

・哲

学論

︵みすず

書房

も刊行している︒ちなみに︑ハ︶卜の法理論の全容については︑かれの弟子でエディンバラ大学法理学教授

のニール・マコーミック

︵ 二 0

0九年没︶の﹃ハート法理学の全体像

﹄ ︵

角田猛之絹訳︑晃洋書房︑一九九六年︶も参照︒

(4)本稿﹁はじめに﹂の注(

l)

の拙稿参照︒

(5)マックス・ウエーバー著︑小野木常監訳﹃法社會學﹄︵

日本

評論

新社

一九

五八

年︶

(6)

角 田 猛 之

﹁ 2 2 法 文 化 へ の ア プ ロ ー チ 法 文 化 論 の 概 念 の 試 論 的 提 示

︵六本佳平編著﹃法社会学の新地平﹄︵有斐

閣 ︑

九九八年︶参照︒

(7)

﹃法

社会

学の基礎理論ー﹄四六頁︒

(8)加藤新平の﹃法哲学概論﹄は︑矢崎の﹃法哲学﹄と比較してドイツ流法哲学であることは︑その目次を見るだけでも明ら

かである︒

(9)矢崎光捌﹃法哲学

二四

頁 ︒

(1 0

)一

九八

0年代以降の国内外の学会における法文化研究の動向については︑角田猛之﹁アジアの法文化へのアプローチ﹂ 四六八︵七

0)

(20)

箇所

で︑

矢崎法哲学と法文化 ︵安田信之・孝忠延夫代表編集﹃アジア法研究の新地平﹄

( 1 1 )

本稿﹁はじめに﹂の注

( l

) の 拙稿 参照

︒ ( 1 2 )

千葉正士の法文化論︑多元的法体制論については︑角田の一

連の 論考 参照

︒ ( 1 3 )

ただし︑矢崎を﹁団長﹂として︑パプアニューギニアに調査に出かけている︒その調査をもとに執筆したのが︑﹃日常世

界の法構造﹄のパプアニューギニアに関する記述である︒

( 1 4 ) 五五 頁参 照︒ ( 1 5 )

﹁ま えが き﹂ 参照

︒ ( 1 6 )

日本法哲学会編一九八六年度﹃法哲学年報﹄参照︒

( 1 7 )

矢崎光圏﹃法思想史﹄︵日本評論社︑一

九八

一年 ︶

︒ ( 1 8 )

千葉正士﹃要説・世界の法思想﹄︵成文堂︑年︶三頁︒

二.矢崎法文化論の基本的視座のひとつとしての︿複線的・複眼的思考

11

志 向

法 ﹀

対極としての﹁紋切り型﹂

11

ステロタイプ的思考の排除

本章では︑矢崎法哲学の方法論にかかわる基本的視座のうち法文化論にも直結する方法的視座たる︑法に対する

︿複線的・複眼的思考

1 1 志向法﹀と︑その法文化論︑比較法文化論への応用について検討したい︒

前章の冒頭でわたしは︑矢崎は研究の早い段階から﹁自然法論と法実証主義という相反する思考法の両面に複眼的

に目配りをしつつ︑

いわぱ二正面作戦にて法哲学︑法思想の研究をすすめて﹂いると指摘した︒この点について矢崎

は︑最晩年に刊行した青林版﹃法哲学﹄

四六九

︵成 文堂

︑二 0

0六年︶所収︶参照︒

の﹁法についての批判的経験主義﹂というサブタイトルを有する記述のある

つぎのように述懐風にのべている︒﹁考えてみれば︑著者は昔︑自然法論に関心をもった︒研究の歩みの中

︵ 七

一︶

(21)

会学の講義や演習における口頭での分析においても︑

﹃一

眼的

と形

容す

れば

第五九巻―――•四

七八 二 ︶ で︑これと対照的に扱われる法についての実証主義にも目くばりが必要だと気づく︒この方の研究が長びいた︒と いって︑前者から離れたわけではない︒複線的︑複眼的に見てきたつもり︒時折り使うことばでいうと法についての

(1批判的経験主義が志向的相対主義と共に︑両者の後ろにあったとでもいえようか

︒ ﹂

さらにまた矢崎は︑本書

の別

箇所で自らの基本的思考法のひとつとして︑この︿複線的・複眼的思考

11

志向法﹀について簡潔にのぺている︒矢崎

は言う ︒﹁法哲学のような学問分野では︑その原埋的考察の関係上︑法をただ最初にまとめた単純な説明︑これを

を﹃複眼的﹄と形容すれば︑複眼的説明をおこなうことは意外にも必要なのではないだろか

⁝⁝

一眼的にみたもの

をこのように複眼的にみながら補強するということがそのさきに控えてい﹂る ︒

このような︿複線的・複眼的思考

11

志向法﹀については︑上の指摘に二五年先立つ筑摩版﹃法哲学﹄においても明 確に提起されている︒そして︑さまざまな論文や著書におけるトピック分析において︑また法哲学や法思想史︑法社

る︒

たとえば矢崎は︑法思想史研究に関しても﹁西洋型視座と西洋型法思想への志向の問題﹂に関して︑

に指摘している︒

﹁西洋の社会で成

立した法が⁝⁝次第に合理化され︑やがて近代社会︑近代国家の展開に対応しつ

つ︑今日あるような法︑法思想の形態に結晶してくる姿は︑たしかにこの方面の研究者にとってはきわめて魅力的な︑

︱つの対象である⁝⁝ ︒

しかし︑そのために︑西洋のそれを唯一の普遍的対象と考えないまでも︑いわば法および法

︑︑

︑︑

思想の発展のあるべき姿とみなし︑西洋型以外のものはそこからハミ出たもの︑あるいはそれに劣るものと見るなら ば ︑ 言うまでもなく︱

つの固定観念で歴史を割り切るという危険を冒すことになる︒⁝⁝わが国でも︑西洋でも︑す

関法

一眼的な説明だけではなく︑

いまのべたようなプラス・アルファも含んだ弾力的な︑これ

一 貰

してその根底にすえられていた思考

11

志向法であるといえ

四七

つぎのよう

(22)

矢崎法哲と法文化 て︑法は﹁人々 べて西洋型︱つで割り切ること︑いわば紋切り型的な把握に慎重に対処し︑批判する動きが出ていることは重要であ(3る ︒

﹂この引用文の最後の箇所で言及しているように︑矢崎が学問的にも日常生活においてももっとも嫌い︑警戒した思

考法あるいは発想のひとつが︑この﹁紋切り型﹂

1 1

ステロタイプの思考法であった︒そして︑かれがその対極に位置

づけ︑学問の場においてのみならず日常生活の場においても一貰して依拠したのが︑この複線的・複眼的思考

1 1

志向

法にほかならない︒﹃日常世界の法構造﹄からふたつの見解を参照してみよう︒﹁理論と実際︑実務を分ける手法⁝⁝

この種の手法は二枚舌的な逃げの論法にも使われやすいし︑

交錯し︑もつれ合いながら︑時間と空間︑時代と社会のなかで︑

かに見える歴史的︑体制的︑思想史的事態を取り上げるには有用である︒複合的事態を複合的︑複眼的に見る手法で

あって︑その限りではプラス効果をもつといえよう

︒ ﹂

そしてもう一文︒﹁法という連続体と法を見る目⁝⁝本書

の試

みは︑眼前に転回する︑法にかかわる諸現象︑事態に注目し︑いうならば作業仮説︑

的にでも取り込もうとする試み﹂である︒ここにおいては︑﹁変動しつづける︽連続体︾と︑それをまた動的に捉え

ようとする︿目﹀ ︑︽まなざし﹀とがある︒いうならば複線的と複眼的︒⁝⁝これが日常でも︑よくあること﹂

であ

︵公

機関

一般

の人

そしてさらに矢崎は︑﹃日常世界の法構造﹄

マイナス面があることは否定できない︒しかし︑複雑に

つぎの段階へと進展し転回され︑ときには逆行する

モデルを立てて︑それらを部分

の行動を媒介とし︑時に意識的︑時に無意識的に人々の不断の対応の過程で

つかまれる︒⁝⁝その過程で法は︽濃淡のある連続体︾として現れる︒いままで目︑まなざし︑視線︑視界といって

(4 ) 

きたものを見方とか︑世界観とかに呼びかえてみよう

︒ ﹂

の最終章﹁法哲学への道﹂の﹁⑦柔軟で複合的な法把握﹂においてつ

︵七

八 三 ︶

(23)

八四

ぎのように指摘している︒﹁しかし今日︑われわれに押し迫ってくる問題状況は昨日とは違う︒すでにみたように︑

それは伝統的法把握をかなり困難にする局面である︒われわれは再度︑法分野それぞれの特徴から法的事態のニュア

ンスを押さえる一方︑そこに無限にそそがれる冷ややかな︑または無関心の︑または熱い視線を意識しつつ︑法につ

いての柔軟な複眼的︑複合的把握を示す必要に迫られている︒法哲学︑法理学の現代的課題にこたえる︱つの途がこ

(5

こに

ある

︒﹂

矢崎はここで﹁法についての柔軟な複眼的︑複合的把握﹂の提示とのかかわりで︑法哲学と法理学にのみ言及して

いる

︒しかしながら︑矢崎のその後の研究関心と研究成果をも踏まえて理解するならば︑このような﹁法についての

柔軟な複眼的︑複合的把握﹂の提示という現代的課題に関しては︑法哲学と法理学︑法社会学の複合の下に構築され

た︑あらたな学際的領域としての法文化論︑比較法文化論もきわめて重要な担い手として考えていた︑というぺきで

ある︒というのは︑先にも指摘したように︑そのような︿複線的・複眼的思考

11

志向法﹀はさまざまな制度やそれを

支える価値︑伝統︑文化などの相対主義的な見方とあいまって︑矢崎法文化論を支えるもっとも重要な基本視座と

なっていったからである ︒たとえば矢崎は青林版﹃法哲学﹂において︑グローバル化がますます進展するなかでの法

哲学のあらたな理論動向として︑比較法文化論

11

マルチ・リーガル・カルチャーに言及している ︒矢崎は言う ︒

﹁ 世

紀の末に近づくにつれ︑マルチ・リーガル・カルチャー論などが現れる︒この学問の途はいうところの求心ふ追心の

(6動きにも似ているのであろうか︒﹂

つまり︑矢崎法文化論に関する前稿で指摘したように︑矢崎は法哲学の学問内容︑課題とそのアプローチ ︑接近方

法の多様化・多様性︑拡大とその収敏化・共通性︑縮減を﹁求心I遠心の動き﹂として把握したうえで︑その遠心︑

関法

四七

(24)

矢崎法哲

学と

法文化

つまり多様化・多様性︑拡大の典型的な学問的動向のひとつとして︑新たな学際的分野としての﹁マルチ・リーガ

ル・カルチャー﹂論

11

法文化論︑比較法文化論をあげているのである︒また︑上の言に続く﹁法の分野は今日︑変化 とひろがりを重ねている︒このような事態に対処し︑人間の営みにマッチした法のあり方を捉え︑連用に資するには︑

どうしても法学諸分野の︑また法文化論などの新しい分野の協力が必要となる﹂との指摘は︑伝統的法把握ではその 有効な射程範囲に収め得ない﹁法についての柔軟な複眼的︑複合的把握﹂のためには︑あらたな学際的分野としての 比較法文化論が不可欠である︑と矢崎が明確に認識していたことを物語っている︒

それではなぜ矢崎は︑法哲学研究の後期とりわけ八0年代後半から九0年代以降において︑﹁法についての柔軟な

複眼的︑複合的把握﹂を可能とする法文化論を自らの法哲学研究の中心にすえていったのか︒それは文字通り︑世紀 末に近づくなかで︑冷戦構造の終焉後に頻発する民族や宗教︑文化をめぐる問題︑また急速なる世界のグローバル化 がもたらす社会的︑経済的諸問題︑とりわけ人権や環境︑国境を越えた犯罪︑あるいは先端医療や性と生︑そして死 をめぐる諸問題︑等々︑従来の伝統的な法哲学の視座や枠組みでは解決しがたいさまざまな問題が噴出してきたこと

(7 ) 

に起因しているのである︒

000

(1

) 矢

崎光固﹃法哲学﹄

( 2 )

同上

︑ 一八七頁︒ ( 3 ) 矢崎光捌﹃法思想史﹄

︵ 日

本評

論社

年︶三頁︒矢崎は青林版﹃法哲学﹄︵五九0頁︶において︑帷国の法哲学者の李恒寧の﹃法哲学概論ー

01 1 ﹄︵鈴木敬夫訳︑成文堂︑一九九

年 ︑

九九年︶を︑本文で参照した西洋思想の

普遍論へのアンチテーゼとして︑つぎのように高く評価している︒﹁⁝⁝これらを考慮に入れてみると︑さきの先入見とい

うか違和感は

応︑簿らぐ︒それどころか違和感ということ自体︑疑ってかかる必要がある︒なぜなら︑法哲学には何かし

四 七

︱︵

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