序章 研究の目的と課題 第1節 本論文で取り扱う商業教育の範囲 本論文では、後期中等教育段階での商業に関する専門 教育を商業教育として研究の対象とし、本論文の本文中 では以後、商業高等学校については商業高校と表記する。 第2 節 研究の目的 もともと商業高校では、実践的な教育を受け、卒業後 企業等に就職する生徒が多数を占めていたが、最近では 大学進学希望者が増加し、就職希望者よりも大学進学希 望者の方が多い商業高校も増えてきている。本研究は、 このような状況の中、商業高校における商業教育の社会 的意義と機能を明らかにすることを目的とする。 第3 節 研究の課題 社会の変容は中学生の高校進学における普通科志向を 高め、商業高校への入学者の多様化や進路の多様化など 様々な影響を与えた。本研究では以下の視点を念頭にお きながら、商業教育の現状について考察する。 ①戦後における商業教育の曲がり角はどこか。②学ぶ 側(生徒と保護者)の高校入学の目的はどう変わったか。 ③企業等雇用者の商業高校への期待はどう変わったか。 ④大学へ進学するのになぜ普通高校に行かないのか。 第4 節 研究の背景 今日、わが国では大学の大衆化という現象に見られる ように、高学歴化による中学生の普通科志向が高くなっ ており、商業高校への志願者数は減少しつつある。学校 基本調査によれば、商業高校入学者数は 1970 年の 691,883 人をピークに、その後高校への進学率の上昇傾 向にもかかわらず一貫して減少し続けている。問題は、 単に入学者数にとどまらず低学力生徒の増加や問題行動 の頻発となって学校関係者を悩ますことになっているこ とである。また、将来にも期待の持てる活性化した商業 高校が多数存在することももう一方の現状と言える。 このような商業高校をめぐる背景から、商業高校の現 状を調査し今後のあるべき姿を模索することは、日本の 後期中等教育の充実につながるのではないかと考える。 第5 節 研究の方法 1 先行研究や各種資料に基づき文献研究を行う。 2 全国の代表的な商業高校等について調査する。 3 商業高校生が進学している国立大学の学生にアン ケートおよびインタビュー調査を行う。 4 福岡県内の商業高校における生徒との個人面談の 結果を整理し、現代高校生の意識を探るための資料 として活用する。 第6 節 先行研究のレビュー 石山(1996)は、「高校を選ぶ段階で高卒後の進路を 決めることは極めて少ないといえる。それが普通科志向 の原因であるが、その結果商業高校を選ぶのは主として 卒業後進学することができない者ということになる」と 述べ、今日の商業高校低迷の原因を、商業高校が大学進 学に不利であるという点に求めているが、現在の商業高 校の真の姿は見えてこない。 第1 章 商業教育の基本理念と意義 第1 節 教育基本法および学校教育法と商業教育の意義 岡田ら(2006)は、教育基本法(1947 年公布の旧法)に おける教育の目標および学校教育法における高等学校の 目的に照らして商業教育の意義を以下のように整理して いる。 教育基本法第2条を踏まえて、商業教育は、実際の経 済活動や社会生活に密接な実際的・体験的な学習を取り 入れた教育活動を通して、勤労と責任の重要さを体得さ せることはもちろん、ビジネスに対する望ましい心構え や理念を身に付けさせるとともに自主的精神を養い、ビ ジネスの諸活動を主体的、合理的に行い、経済社会の発 展に寄与する能力と態度を育てることを目標としている。 わが国の商業教育を学校教育法第 41 条および第 42 条 から考えてみると、社会的公民的な資質を養うとする高 等学校教育の目的からいっても大きな意味を持っている。 加えて、専門的な知識・技能に習熟させ、国家および社
商業高等学校における商業教育の今日的意義と課題
キーワード:商業教育,実業学校,高等学校再編整備,実践的な学習,普通科志向,高学歴社会 教育システム専攻 羽野 繁行会の有為な形成者として必要な資質を養ううえからも、 商業教育の意義や必要性は非常に重要である。 このように岡田らは、法に照らして商業教育の意義を 整理しているのであるが、きわめて抽象的であり、本論 文では今日、商業教育が具体的にどのような社会的機能 を果たしどのような意義があるのか、探るつもりである。 第2 節 商業教育の基本理念と意義 1950 年にわが国で最初の「高等学校学習指導要領商業 科編(試案)」が出され、「商業教育の正しい在り方」と される基調理念として次の5つの一般目標が示された。 ①商業が、経済生活において、どのような機能を果た しているかについて理解する。②商業に関する基礎的な 知識・技術を習得して、経済生活を合理的に営むために 役立てる。③商業を自己の職業とする者にとって必要な 知識・技術を身につけ、商業を合理的・能率的に運営す る能力を養う。④正しい、好ましい経営の態度・習慣を 養い、国民の経済生活の向上に貢献するように努める心 構えを養う。⑤商業経済社会の新しい状態に適応したり、 さらに、いっそう発展した研究をしたりするために必要 な基礎を養い、将来の進展に役立つ能力を身に付ける。 この基調理念を基盤にして、1995 年 3 月の職業教育 の活性化方策に関する調査研究会議最終報告および 1998 年 7 月の理科教育および産業教育審議会答申を踏 まえて、学校教育の在り方として「ゆとり」の中で自ら 学び自ら考える力などの「生きる力」の育成が基本とさ れ、現行学習指導要領において教科「商業」の目標が示 されているのである。では、その目標を掲げて行われて いる今日の商業教育は、実際にはどのような機能を果た しているのであろうか。 そこでは社会の変化から実に多様な生徒がひとつの高 校で教育を受けている。今日の商業高校はこうした一人 ひとりの希望に可能な限り応えていかなければならない。 第2 章 商業高等学校における商業教育の現状 第1 節 商業高等学校における商業教育の特色 1 実学として座学と実習を加味した授業が展開でき、 生徒に興味・関心を持たせる学習をさせることがで きる。このことは生徒に将来の進路を考えさせる上 でもよいし、職業教育の基礎にもなるのである。 2 特色ある学校経営ができる。例えば文化祭におい て、専門教科「商業」の各科目で学んだ理論的な知 識や技術を生かして、大規模な販売実践を行うなど、 実践的教育活動に学校全体で取り組める。1 千万円 を超す売り上げをあげる商業高校も多数ある。 3 全国各地の商業高校から芽生えてきている特色あ る取り組みとして、商品開発と商標登録、起業家教 育等があり、卒業後仕事に必要な様々なことを、実 学として実践的に学ぶことができるのである。 4 商業にかかわる企業に就職する生徒には、商業高 校での学習が役に立っている。企業活動とはどのよ うなものか、その職務の一端を担うことがいかに責 任重大であり大切なことであるかという予備知識を 持ったうえで実際の仕事に従事する意味は大きい。 5 最近、商業高校から大学に進学する生徒が増加す る傾向にある。大学等においては、高校における商 業教育の成果が立派に生かされている。 第2 節 商業教育の現状 −成果と課題− 1 商業高等学校在籍生徒数の推移 1999 年度学習指導要領改訂の後、吉野教科調査官は、 2002 年当時、商業教育を取り巻く状況について、「商業 に関する学科においては、女子化の現象が止まるととも に、卒業した生徒の就職についてはサービス業が増大、 および、さらに上級の学校へ進学する生徒の増大など進 路の多様化が進んでいる」と述べている。 商業に関する学科で学ぶ生徒数は、1970 年前後がピー クで、その後は減少傾向にある。 2 資格取得の状況 古い時代の商業学校、あるいは第二次世界大戦後の新 制商業高校のアイデンティティは「簿記と珠算ができる」 ということであったが、今日の商業高校の学習内容は 4 つの専門分野に分かれており、生徒たちはそれぞれの専 門分野の学習を通して知識や技術を身に付け、学習指導 要領を基準にした多くの検定資格を取得できる。意欲あ る生徒は課外授業等による、より高度な専門的学習を通 して実力を付け、社会人を対象とした様々な資格に挑戦 することができるということも一つの特色となっている。 3 商業高校生の進路(就職、進学) 商業高校生の進路は、戦後一貫して圧倒的に就職者が 多かったが、前々回の学習指導要領改訂時の 1989 年頃 から減少し始め、前回改訂時の 1999 年には進学者数が 就職者数を上回りその傾向が今日も続いている。就職に ついて職業別にみると、1978 年には事務職に就く者が 63.0%もいたが、その後事務職就業者が減少しつつあり、 サービス業や製造建設の技能職に就く者が増加している。 第3 節 商業高等学校の課題 高校生全体に占める商業高校生の割合は 1955 年頃か
ら1970 年頃までをピークに、1975 年以降低下の一途を 辿っている。高学歴志向の高まりや、商業高校から企業 への就職が大変厳しくなってきたこと等が大きな要因と して考えられる。金融機関やそれ以外の大企業の事務職 等への就職は商業高校生の主要な進路先であったが、多 くの企業が大学や短大卒業者へと求人先を変えていった。 そこで、そのあたりの経緯を次章において考察する。 第3 章 商業高等学校における現状の調査と分析 第1 節 商業高等学校における求人企業の変遷 1975 年から 1995 年まで進路指導の責任者および進路 指導主事として商業高校生の就職指導を行った久多良木 元教諭の語る要点を以下に示す。 戦後から昭和 60 年代までは、いわゆる幹部候補生 ではない一般職については、大企業も地場産業等も一 貫して高卒を採用した。パソコンが実用化される以前 において、特に商業高校卒業生を企業が必要とした理 由としては、①電子計算機やパソコン等の事務機器の ない時代の事務処理は算盤が主体であったというこ と、②売上伝票や仕入伝票等帳票類の集計や、各種の 統計資料の作成においては、帳簿組織に関する知識と 算盤の技量とがあいまって、商業高校卒業生はまさに 即戦力となっていたこと、③1 日にこなす事務処理の 仕事の量、仕事の速さ、仕事の正確さは、各企業にお いてきわめて重宝されたこと、等があげられる。 昭和 60 年代後半に入ると新規高卒者の就職問題の 動きが強まり、金融機関をはじめとして、大企業や中 小優良企業からの新規高卒者への求人は急速に減少 し、短期間のうちにほぼゼロになった。そして、女子 の採用は新規高卒者から新規短期大学卒業者へと移 行し、また男子の採用は新規高卒者から新規専門学校 卒業者へと移行していったのである。 第2 節 商業高等学校における進学指導 1 全国的な進学の状況 全国商業高校協会の資料によると、2008 年3月におけ る商業に関する学科の卒業者のうち、50.7%の者が進学 し、そのうち4年制大学への進学者が37.3%、さらにそ の中で国公立大学に進学した者が 8.6%おり、今日の商 業高校は、就職する生徒の指導のみでは十分な機能を果 たしているとは言えない状況に置かれているのである。 2 進学指導体制づくりに成功した商業高等学校 ここでは、10 数年前から成果をあげている商業高校と して宮崎県立宮崎商業高等学校を取り上げたい。 その取り組みは、各大学の推薦入試制度とAO入試制 度への対策を徹底して行うものだった。進路指導部は、 全国の国公立大学と有名私立大学商学部、経営学部、経 済学部の入試制度を調査し、それぞれの大学に合格する ために必要な学力について分析した。国語、数学、英語 を中心とした基礎学力の定着、小論文指導、そして資格 取得への取り組みである。資格取得に関しては、全国商 業高等学校協会のものを基礎として、その上に、社会的 に広く認められている日本商工会議所や経済産業省、日 本英語検定協会主催の検定試験を特に重視して取り組ん でいる。難関の一橋大学商学部から一般の国公立大学ま で、各大学が要求する検定資格の取得に向けて、課外授 業のクラス編成を行い、生徒と教師が一体となって希望 実現に向けた取り組みが熱心に行われている。文武一体 化の教育により、明るく柔軟な社会人を育成していると ころにこの学校における商業教育の今日的意義を感じる。 第3 節 商業高校生の意識−個人面談の結果から− 筆者は、2009 年に北九州市内の県立C高校の商業に関 する学科の3 年生全員(149 人)に対して個人面談を行 い現代商業高校生の実態把握に努めた。その結果、次の ようなことがわかった。 高校進学時にはそれほど多くなかった大学や専門学校 への進学希望者が3 年次になると大きく増加しているこ とがあげられる。その要因としては、高校で学習した「簿 記」・「会計」や「情報処理」の専門的な内容に興味関心 を持ち上級の学校において専門的な学習をさらに深めた いと考えるようになったこと等が面談の際に感じられた。 中学校において商業に関する学科や商業高校というも のについて必ずしも十分な説明が行われているとは言え ないが、ホームページを調べた者が 18 人(12.1%)い た。結構、主体的に自分の進路を考えようとする態度が 窺われるが、中学校において、受験する高校を決める際 の指導が実際にはどのように行われているのか、その具 体的な内容について詳しく調査する必要性も感じる。 第4 章 大学における現状の調査と分析 第1 節 商業高等学校からの大学進学の実態 商業高校生の大学進学の実態を把握し、商業教育の今 日的意義を探る手がかりを得たいと考え、国立A大学経 済学部会計学研究室の3・4年生26 名に対して 2009 年 7 月にアンケート調査を行った。その集約内容をさらに 詳しく調べるために翌8 月には、アンケート協力者のう ち、商業高校出身者4 名と普通高校出身者 8 名に対して
インタビュー調査を行った。 それぞれの学生との意見交換の過程で、学生の実態を ある程度捉えることができた。特に強く感じたことは、 商業高校出身の学生たちが、一部苦手な教科はあるもの の、普通高校出身者に比べて遜色ないということ、きわ めて活発に、そして自信をもち、意欲的に学生生活を送 っていることであった。また、有利な面、逆に商業高校 としてもっと指導しておくべき事についても把握するこ とができた。 終章 本研究のまとめと今後の課題 第1 節 本研究のまとめ 中学校を卒業した生徒の約 98%が高等学校に入学す ることから、その資質、能力、適性、興味関心、学習意 欲、進路の希望等はまさに様々である。少子化や経済社 会の深化から、統廃合により商業高校の学校数は随分と 少なくなった。しかし、商業高校の重要性は依然として 薄れてはいない。その理由は次のとおりである。 ①商業高校から大学進学を考える者が増えてきた。大 学進学を決めたのは、高校3 年生の時と遅い傾向がある が、高校生の素直な時期に専門の実践的な学習を積み重 ねていることが、大学での会計学や経営学の理論的な学 習に大いに役立ち、就職するに当たっても、理論的な知 識と実践的な知識・技術の両方を身に付けており大いに 伸びる可能性を秘めている。 ②専門教育は、授業以外の教育活動即ち学校行事や生 徒会活動をも非常に重視して行われている。現在では、 文化祭において学校デパート(バザール)と呼ばれるも のに取り組む商業高校が多い。専門教科「商業」の各科 目の授業で学んだ知識・技術を実際に活かして、仕入れ や販売、決算等、一連の営業活動を行うもので、生徒の 指導・監督には、学校の全教職員が当たる。生徒たちが 授業の中で商品として開発し、地元企業の協力を得て製 造したものを実際に商品として販売する商業高校も最近 では増えてきている。この行事を通して、挨拶や応対、 コミュニケーションに関する指導等も行うことができて、 指導の効果をあげている学校が多い。これは学校をあげ て全教職員で商業教育に取り組む一例である。 ③様々な意味でその人の人生の基盤ともなる、きわめ て多感な16 歳から 18 歳の 3 年間においてどのような高 校生活を送ったのか、ということは非常に大切なことで ある。全教職員で取り組む学習指導と学校行事、生徒会 活動を有機的に連携させた教育こそ、高校が本来果たす べき機能であると考えるが、このような総合的な教育を 実現する条件や教育環境を、日本の高等学校商業教育は、 120 年を超える長い歴史の中で蓄積し、今日なお十分に 備えている。このような教育環境を活用しながら、多様 な生徒たちを指導し社会に送り出していることも、今日 の高等学校商業教育の重要な機能の一つであると考える。 高等学校商業教育は、高校教育システムの中で独自の 形で上記のような重要な機能を果たしており、それ故に 今日でもなお大きな意義を有していると考えるのである。 第2 節 商業教育活性化のための今後の課題 1 中学校教育への職業系専門教育の導入 中学校の教育課程に 1970 年代初めまであった職業に 関する教科・科目の学習を再度導入すれば、職業や勤労 について考えさせる機会にもなるし、また職業に関する 専門教科の内容を少しでも具体的に理解した上で受験す る高校を選択すれば、職業系専門高校の活性化にもつな がるのではないかと考える。 2 学習指導要領の目指す商業教育と現状との乖離 商業高校にも各種検定試験のための指導に特化した授 業を行い、その取得者数を宣伝しようとする傾向がある。 インタビュー調査に協力してくれた学生も疑問を投げ掛 けていた。これは商業教育本来の理念に沿わないことで あり、商業教育が今日担っている筈の機能を十分に果た さなくなり商業教育の今日的意義を損なうことにもなる。 主要引用文献 ・石山智典(1996)「商業教育の将来」(『商業教育論集 第6 集』所収)日本商業教育学会、114・116・118 頁 ・岡田修二ほか(2006)『教職必修 最新商業科教育法』 (日本商業教育学会)実教出版、9-10 頁 ・トーマス・ローレン(1988)『日本の高校』(友田泰正 訳)サイマル出版会、104 頁 ・マーチン・トロウ(1976)『高学歴社会の大学』東京 大学出版会、47 頁 ・吉野弘一(2002)『商業科教育法 −21 世紀のビジネ ス教育−』実教出版、215 頁 主要参考文献 ・笈川達男(2001)『商業教育の歩み−現状の課題と展 望−』実教出版 ・全国商業高等学校長協会編(1985)『商業教育百年史』 全国商業高等学校長協会 ・文部省(2002)『高等学校学習指導要領解説 商業編』 実教出版 ・文部省(1973)『学制 100 年史』ぎょうせい