自衛官募集の変遷と世相の変化について(昭和 60 年~平成 4 年) 今回は昭和 60 年から平成 4 年にかけて、合併前の旧長門市の広報紙に掲載された「自衛官募集 記事」を中心に紹介しましょう。なお一部の画像については編集してありますので、ご了承くださ い。 突然ですが、最初に合併前の旧市町発行広報4誌の昭和 60 年 1 月号表題部分を紹介します。皆 さんはこの違いに気がつくでしょうか。字が小さいので分かりづらいと思いますが…
年の表示に大きな違いがあります。 実は元号の表示は習慣的に行われているものであり、西暦表示をしたからといって法律に違反し ているわけではありません。しかし、元号をおろそかにすることは、日本の歴史・文化を否定する ことにならないかと心配になります。幸いに現在の長門市は広報誌に元号を併用しています。 年号(昭和)で表示 年号(昭和)で表示 年号(昭和) 西暦 西暦のみ表示
旧三隅町広報 昭和 60 年(1985)5 月 1 日より 内容がすっきりしてきましたが、何となく物足らない感じがします。 旧三隅町広報 昭和 60 年(1985)6 月 1 日より 三隅町の招魂祭の模様です。約 150 名が参列された。 旧長門市広報 昭和 60 年(1985)6 月 15 日より この年から、中国残留身元未判明孤児の永住帰国受け入れが開始された。敗戦後 40 年を過ぎ孤 児の多くは日本語を話すことができず、現在も日本語が不自由でその多くがいまだに生活保護を受 けているという。
旧長門市広報 昭和 60 年(1985)11 月 15 日より 自衛隊生徒の募集案内である。こちらも簡略化さ れ、必要最小限の事項のみ記載されている。 旧油谷町広報 昭和 60 年(1985)12 月 1 日より こちらも、上記と同じ自衛隊生徒 の募集案内である。内容に差がある のは、広報誌に余裕があるか無いか の差だけではないような気がする。 旧長門市広報 昭和 61 年(1986)4 月 15 日より 近頃の市報は国旗掲揚を促す記事も無くな ってきましたが、当時の長門市ははっきりと 書いてますね。 旧長門市広報 昭和 61 年(1986)8 月 1 日より 詳細については、萩募集事務所へと書いてあ るが、もう少し詳しい内容が必要ではなかろう か。また、文面を見る限りでは高校を中退した 者は受験資格がないと思われるかもしれない。
旧三隅町広報 昭和 61 年 (1986)8 月 1 日 より 上記旧長門市の案内と同 じ案内であるが、隣接した 市町でも内容に少し違いが ある。また、町役場でも問 い合わせに対応しています。 旧日置町広報 昭和 62 年(1987)9 月 1 日より 各市町の広報誌も横書きが増えてきました。この案内では、 募集期間を詳しく表示していますね。 昭和 62 年は波乱の年でした。昭和天皇がご病気で手術さ れました。国鉄が民営化され、NTTが株式上場され、初値 が 1 株 160 万円!とは驚いたね。 地価の異常高騰により、銀座の土地 1 坪がなんと 1 億円、 東京為替相場でも円が急騰して 150 円を記録する等、バブル 経済が進行していた。 そんな中、名優石原裕次郎が逝去、おにゃん子クラブの解 散、サラダ日記の大ヒットもありました。 任天堂のファミコン国内出荷累計が 1000 万台を突破しま した。管理者も、RPG ゲームのドラゴンクエストにはまった のを覚えています。
旧油谷町広報 昭和 62 年(1987)9 月 1 日より 紙面の都合のせいか、問合せ先が示されていない。 しかし、こちらも高校卒業生対象と書かれており、中卒者 や高校中退者には門が開かれていないような印象を与え る記事である。 旧長門市広報 昭和 63 年(1988)9 月 1 日より 昭和も終わりに近づいたころの募集案内です。お隣の韓国ではオリンピックが開催されました。 1 年を通じて募集とあるのを見ると、募集環境はあまり良くないのが分かる。 この年は昭和天皇がご病気のため、皇居付近で回復祈願の署名が行われていました。管理者も檜 町警備の合間を縫って記帳に行ったことを覚えています。
旧長門市広報 昭和 63 年(1988)8 月 1 日 より 毎年この時期に、長門市広報で掲載されています。他の旧町ではこれが無いのが不思議です。 旧長門市広報 昭和 63 年(1988)8 月 15 日よ り 時代が下がるにつれて、広報内容が簡単に なってくる。こちらも高卒予定者では誤解を まねきそうな気がする。 旧油谷町広報昭和 63 年 (1988)9 月 1 日 より こちらも、新規高卒の自 衛官募集とある。これを 見ると市町により掲載 内容が異なるのが良く 分かる。
旧長門市広報昭和 63 年(1988)11 月 15 日よ り 敗戦により苦労さ れ た 方 々 へ の 慰 労 品・慰労金の支給であ る。戦後 40 年を過ぎ てやっとと思うか、40 年を過ぎても配慮し て い る と 思 う の か 色々考えさせられる 記事である。 旧長門市広報昭和 63 年(1988)11 月 15 日より 目立たない記事であるが、長門地区の市町は毎年追悼会を行っている。 旧長門市広報昭和 63 年(1988)12 月 1 日 より 2 等陸海空士は年間を通じての募集 とある。同じ年の 9 月にも記事が掲載 されており募集環境は厳しいと思われ る。
昭和 64 年 1 月 7 日昭和天皇が崩御され、年号が平成に変わった。この時の市町の広報誌の対応 が非常に興味深い。 旧長門市広報平成元年(1989)1 月 15 日より 旧長門市は、広報誌の冒頭で簡単に弔意を記述していた。 旧油谷町平成元年(1989)2 月号 旧油谷町広報紙には天皇陛下の崩御に関する記事は一切なく、上の出初式紹介記事の中で簡潔に 触れているだけであった。
旧三隅町広報平成元年(1989)2 月号 より 旧三隅町は、表紙及び裏表紙を使って天皇陛下の崩御について記事を特集していた。 旧日置町広報平成元年 2 月号には崩御に関する記事は一切掲載されていなかった。 さて、皆さん上記の記事等を見てどう思われますか。憲法にも記載されている天皇が崩御された ことについて何の記事もない広報誌があるというのは一抹の寂しさを感じます。 行政は中立であることを求められていますが、それは歴史・文化を否定するものではないことを 知るべきでしょう。色々な考えを尊重するのは、少数意見におもねることではないのです。国民の 大多数が敬愛する皇室をもっと大事にする必要があると思います。
旧三隅町広報平成元年(1989)5 月 1 日より この頃の三隅町広報は全般にあっさりしたものが多 いようです。 旧日置町広報 平成元年(1989)5 月 1 日 より この年は各市町で募集活動が活発になっていることが分かり ます。直接関係はないけれど、イラストを加えると記事が目立ち ます。
旧長門市広報平成元年(1989)5 月 15 日より
前年の 12 月に引き続き、2 等陸海空士の募集記事です。
旧油谷町広報平成元年(1989)6 月 1 日 より
前述の日置町 5 月募集記事と同じ内容ですが、ボーナスが年3回、任期満了時に特別退職手当支 給等詳しく説明されている。簡単なことだけれど、大事なことである。
旧油谷町広報 平成元年(1989)7 月 1 日より 文中の第 28344 部隊大国部隊(※他の資料では 28346 部隊との表示もある)とは終戦直前の 7 月 に編成された歩兵第 348 聯隊のことである。長門市の熊野岳にも防御陣地が構築されていたことが 分かる。 旧三隅町広報 平成元年(1989)9 月 1 日より 前項で、三隅町はあっさりした記事が多いと書いたが、これは写真満載の迫力ある募集記事です。 広報官の意気込みが感じられる。
旧長門市広報 平成元年(1989)11 月 11 日より 気がつかれた方もいるかもしれません。行政側の担当者が総務課防災車両係となっています。こ の頃から防災担当が募集も手掛けるようになったようです。 旧三隅町広報 平成2年(1990)5 月 1 日より 三隅町の記事は写真が多用されている。画像で自衛隊のイメージを伝えるのは良い方法ですね。 前年度より初任給もボーナスも上がっている。 旧長門市広報 平成2年(1990)11 月 15 日より 募集は萩募集事務所に一本化されたようだ。
旧 三 隅 町 広 報 平 成 2 年 (1990)12 月 1 日より この時期の三隅町広報は写 真をふんだんに使った迫力あ るものが多いです。 三隅町広報平成3年(1991)8 月 1 日 より こちらも、P3C対潜哨戒機を背 に凛々しい海上自衛官幹部の写真を 使っています。
旧 三 隅 町 広 報 平 成 4 年 (1992)3 月 1 日より 身分・待遇の詳細が記述さ れているのは分かりやすくて よい。 旧長門市広報平成 4 年(1992)3 月 15 日より シンプルだが、日の丸をイメ ージしたのは印象的である。 旧長門市広報 平成 4 年(1992)4 月 1 日 厚生労働省は昭和 51 年から遺族を主体 とした慰霊巡拝を計画的に実施している。 旧長門市広報 平成 4 年(1992)5 月 1 日 より この頃から、記念行事の広報が頻繁に 掲載されるようになった。
旧三隅町広報 平成 4 年(1992)7 月 1 日より 下記の募集案内とほぼ同じ内容だが、看護学生、防衛大学校、防衛医科大学校の募集が掲載され ている。 旧長門市広報 平成 4 年(1992)8 月 1 日 より 縦書きの多かった長門市広報が横書きに移行したようだ。上記の三隅町広報から 1 か月遅れだが 内容が異なるのはなぜだろう。 旧長門市広報 平成 4 年(1992)10 月 15 日より 簡潔に表現されているが、前回募集記事から 2 カ月もたたない記事である。募集状況が切迫して いたのだろうか。
旧三隅町広報 平成 4 年(1992)11 月 1 日よ り 旧油谷町広報 平成 4 年(1992)11 月 1 日 より 上記と同じ日の広報誌だが、こちらに は自衛官の地位等が明記されているのが うれしい。