• 検索結果がありません。

Vol.68 , No.2(2020)082庄司 史生「「須菩提品」とは何か――『世尊母伝承随順』による理解を手がかりとして――」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "Vol.68 , No.2(2020)082庄司 史生「「須菩提品」とは何か――『世尊母伝承随順』による理解を手がかりとして――」"

Copied!
6
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

「須菩提品」とは何か

―『世尊母伝承随順』による理解を手がかりとして―

庄 司 史 生

1

.問題の所在

従来,般若経成立論に関わる議論において指摘されていた『八千頌般若』第

2

章に言及される「須菩提品」とは何を指すものであろうか

1)

.本稿では,後期イ

ンド仏教における『八千頌般若』に対する注釈書である『世尊母の伝承に随順し

たものという解説』

(以下『世尊母伝承随順』:12世紀,ジャガッダラに住むもの著)

はじめとした般若経注釈文献による理解を手がかりとして再考する.

2

.『八千頌般若』第

2

章に言及される「須菩提品」

まず『八千頌般若』第

2

章における「須菩提品」への言及箇所の確認を行う.

ネパール系梵本においてそれは次のように言及される

(下線筆者)

そのとき神々の主である帝釈は具寿舎利弗にこのように言った.「聖舎利弗よ,菩 摩訶 による般若波羅蜜はどこに求められるべきか」舎利弗は言った.「帝釈よ,菩 摩訶 による般若波羅蜜は具寿須菩提品に求められるべきである」2)

以上の箇所に対応する『八千頌般若』から『十万頌般若』までの現存する梵・

蔵・漢にわたる般若経諸本の経文は,多少の異同はあるものの,基本的にほぼ同

文である

(『一万頌般若』に該当文はない)

それでは梶芳博士による「須菩提品」とは『八千頌般若』の第

1

章を指すとの

理解

(注1参照)

は妥当なものであろうか.インドで成立した般若経注釈文献のう

ち,それらを『現観荘厳論』と関連させて般若経を注釈する論書

(ここではアビサ マヤ系論書と呼ぶ)

とそれ以外に分け,まず非アビサマヤ系論書

(ここでとりあげる のは,『世尊母伝承随順』『三母広注』『十万頌広注』の三書の他,念のため『大智度論』も参 照する.これらはみな,著者問題を抱える)

における理解から確認する.

(2)

3

.『世尊母伝承随順』による理解

同論は,「須菩提品」とは経典第

1

章のことを指すものであると理解している.

1

)経典第一章の章題に対する解説 同論における「須菩提品」への言及は,ま

ず『八千頌般若』第

1

章の章題に対する解説の中で行われる.

「須菩提品」というのは前の諸本における読みであって,須菩提が主となり説くから,「須 菩提品」であり,まさにこの故に〔この後,本経典第二章に〕説かれるであろう「須菩提 品に求められるべきである」というの〔がこれ〕である.〔これは〕「行の章」というので あり,「一切相智性の行の章」というのは,ある読みである.そこにおいて「行」は行ぜら れるものであり,それが明らかにされる章〔が行の章〕であり,第一章である3)

なお,蔵訳『八千頌般若』には旧本と新本があり,旧本の第

1

章章題は「行品と

いう須菩提品」

(spyad pa i le u zhes bya ba rab byor gyi le u)

であること,また新本は「一

切 相 智 性 行 品」

(rnam pa thams cad mkhyen pa nyid kyi spyod pa i le

u=sarvākārajñatācaryā-parivarta)

とあることが山口氏によって指摘されている

(川合1980)

.『世尊母伝承

随順』はまさに,この新旧『八千頌般若』の第

1

章章題について言及しているこ

とがわかる.

2

)経典第二章における「須菩提品」への言及箇所に対する解説 次に,先に示

した『八千頌般若』経典第

2

章における「須菩提品」への言及箇所について,同

論は次のように説明を与える.

そのように,道の一切相智性(=「三智」中第二番目の「道智性」)である般若波羅蜜をこ こ(第二章「帝釈品」)に説くから,〔「三智」中の第一番目の「一切相智性」であるところ の〕一切相智性の般若波羅蜜において問われた事が「どこに求められるべきか」というの であるが,〔それは〕「須菩提品(=経典の第一章)に」〔求められるべき〕というのである. 中(bar ma)の般若波羅蜜を説く「須菩提品より」知られるべきであることを述べたので ある4)

以上の「中の…」と述べるそのことに対する説明はここに見られない.同論が所

依とする『三母広注』にはどのように説明されているのであろうか.

4

.『三母広注』と『十万頌広注』による理解

同論は『一万八千頌』と『二万五千頌』と『十万頌』とを「三門十一異門」説

のもとに理解する点に特色がある

5)

.同論によれば,「須菩提品」とは「三門

十一異門」説の「三門」

(広・中・略)

の中の「中」

(=十一異門の第二番目「須菩提」)

(3)

にあたるとする

(注5参照)

「大徳よ,般若波羅蜜はどこに求められるべきか」というのは,まさにこの般若波羅蜜に道 の相智性(=道智性)〔が説かれ〕,また〔すでにこれ以前に〕一切相智性が説かれたから, 般若波羅蜜〔はどこに求められるべきか〕が尋ねられたのである.「須菩提品より」という のは,般若波羅蜜を中に(bring du)説くもので,それらはすべて,「須菩提品」というの である6)

以上により,先の『世尊母伝承随順』は『三母広注』による理解を前提としてい

たこと,またそれは両論書による般若経理解の骨格となる「三門十一異門」説に

基づくものであることがわかる.なお,この「三門十一異門」説に基づき『十万

頌般若』を解説する『十万頌広注』

(D3807[Na]298b1–3; P5205[Na]350a8–b3)

は,

経典の当該箇所について,『三母広注』とほぼ同文の説明を与えている.

このように,『世尊母伝承随順』は,『三母広注』や『十万頌広注』に示される

「三門十一異門」説をベースとしながら「須菩提品」に言及している.そして

『世尊母伝承随順』は,『八千頌般若』第

2

章にて言及される「須菩提品」とは,

経典第

1

章のことを指すと明言している.

なお,『大智度論』は経文中の「須菩提品」が『八千頌般若』でいうところの

1

章を指すものであるか否かについては言及せず,また「舎利弗は須菩提に対

して嫉妬していない」等,他の論書にはみられない独自の説明を与えている

7)

5

.アビサマヤ系論書による理解

まず,『現観荘厳論』との関連において般若経を注釈する論書のうち,スムリ

ティジュニャーナキールティの三母に対する注釈

(D3789; P5187)

,アーリヤ・

ヴィムクティセーナによる注

(D3787; P5185)

,バダンタ・ヴィムクティセーナに

よる注

(D3788; P5186)

,またハリバドラの『現観荘厳注』

(D3793; P5191)

,ラトナー

カラシャーティの『シュッダマティー』

(D3801; P5199)

と『サーラタマー』

(D3803; P5200)

,またアバヤーカラグプタの『マルマカウムディー』

(D3805; P5202)

には

「須菩提品」に関するコメントは見られない.

アビサマヤ系論書においては,ハリバドラの『現観荘厳光明』に一言のコメン

トがある他,ダルマシュリーの『十万頌開示』において経典からの引用文中に

「須菩提品」が言及されるのみである.

1

)『現観荘厳光明』による理解 ハリバドラは「須菩提品」について言及する

が,それは「品」

(章)

とは「説」のことであるというにとどまる.

(4)

「〔須菩提〕品に〔求められるべき〕」というのは,須菩提による説に〔求められるべき〕, ということである.〔経典の冒頭で須菩提による説は如来の威神力によると告げられてい たにもかかわらず,帝釈は〕如来の威神力性であることを忘れてしまったことにより,「誰 の〔威神力によるのか〕」等というのである8)

2

)『十万頌開示』による理解 ダルマシュリーは,『現観荘厳論』本頌を『十万

頌般若』の経文とあわせて解説するが,その中で「須菩提品」について言及す

る.ただし,それは本頌に該当する経文を単に提示しているだけであり,『現観

荘厳論』の偈

(II-11–12偈)

と「須菩提品」との必然的な関係を指摘しているわけ

ではない.

(『現観荘厳論』引用)というのは,神々の主である帝釈による舎利弗に対する「般若波羅 蜜はどこに求められるべきか」という問いの答えが「須菩提品に求められるべき」という のであり「それはあなたの加持力と威神力のいずれかなのか」という9)

アビサマヤ系論書において,般若経は

8

つに区分

(八現観)

して理解される.つ

まりアビサマヤ系論書においては,「須菩提品」にあたる箇所を,第一現観であ

る「一切相智性」を説く箇所として理解する.このように,「三門十一異門」説

と関わりのないアビサマヤ系論書においては,「須菩提品」への言及もない.

6

.まとめ

本稿において,(

a

)『八千頌般若』第

2

章で言及される「須菩提品」に関する

経文は,般若経諸本においてほぼ同文であること,(

b

)『世尊母伝承随順』は,

『八千頌般若』第

1

章に言及される「須菩提品」について,経典第

1

章を指すもの

と理解していること,(

c

)同論は,『三母広注』と『十万広注』における「三門

十一異門」説に基づいて『八千頌般若』を理解する中で「須菩提品」に言及して

いること,(

d

)アビサマヤ系論書において,「須菩提品」を重視する傾向はない

ということが明らかになった.

以上のうち,(

b

)は,梶芳博士による推定を裏付けるものとなる.ただし,博

士が指摘したように,同品が般若経の原型かというと,その点について注釈文献

がそのような説明を与えているわけではない.つまり,『八千頌般若』第

2

章に

おいて言及される「須菩提品」がただちに般若経の原型として理解される根拠

は,注釈文献には示されていない.

(5)

1)本稿に関わる従来の研究を概観すると次の通りである.まず梶芳光運博士は『八千頌 般若』第2章における,帝釈による般若波羅蜜はどこに求められるべきかという問いかけ に対して舎利弗が「般若波羅蜜は須菩提品に求められるべきである」(subhūteḥ parivartād gaveṣitavyā)と答える記述をふまえ,さらに東アジアの経録類の記述をたよりとして, 『八千頌般若』第1章のタイトルが,当初は「須菩提品」であったであろうこと,そして同 章が『八千頌般若』を含む般若経の原型であると推定した(梶芳1980,1944年初出).そ の後,山口(川合)務氏は蔵訳『八千頌般若』には旧本が現存しており,またその第1章 のタイトルが「行の章と名付けられる須菩提品」であることを明らかにした(川合1980). そして,鈴木健太博士は般若経成立論について代表説の整理を行い,梶芳説の再考を行っ た(鈴木2015).さらに後,筆者は『世尊母伝承随順』において,『八千頌般若』第一章章

題の異読に関する言及があることを指摘した(庄司2016).   2)atha khalu Śakro

devānām indra āyuṣmantaṃ Śāriputram etad avocat | prajñāpāramit ārya Śāriputra bodhisattvena mahāsattvena kuto gaveṣitavyā || Śāriputra āha | prajñāpāramitā Kauśika bodhisattvena mahāsattven āyuṣmataḥ Subhūteḥ parivartād gaveṣitavyā (Wogihara 1932–1935, 169.23–172.4) ||   3)rab 'byor gyi le'u zhes bya ba ni sngon gyi po ti rnams la don pa yin te rab byor gtso bo nyid du bstan pa i phyir rab byor gyi le u ste / di nyid kyi phyir chad par gyur ba rab byor gyi le u las btsal bar bya zhes bya ba o // spyod pa i le'u ste rnam pa thams cad mkhyen pa nyid kyi spyod pa'i le'u zhes bya ba ga zhig tu don pa o // de la spyod pa ni spyod pa byed pa ste de gsal bar byed pa i le u ste le u dang po o // (D[Ba]56a5–6; P[Ba]66a4–5) //   4)de ltar lam gyi rnam pa thams cad mkhyen pa nyid shes rab kyi pha rol tu phyin pa la dir bstan pa i phyir gang zhig rnam pa thams cad mkhyen pa nyid kyi shes rab kyi pha rol tu phyin pa de la dri bar byed pa ni gang las btsal bar bya zhes bya ba ste / rab byor gyi le u las zhes bya ba o // gang zhig di bar ma shes rab kyi pha rol tu phyin pa i bstan pa de rab 'byor gyi le'u las shes par bya bar brjod do (D[Ba]70a2–3; P[Ba]79b1–3) //    5)三門十一異門説については,庄司 2017を参照.『三母広注』における「三門十一異門」

は,『世尊母伝承随順』においては「三門十異門」と改変されている.   6)btsun pa

shes rab kyi pha rol tu phyin pa gang btsal bar bya zhes bya ba ni dir shes rab kyi pha rol tu phyin pa nyid las lam gyi rnam pa shes pa nyid dang / rnam pa thams cad mkhyen pa nyid bstan pa i phyir shes rab kyi pha rol tu phyin pa dris so // rab byor gyi le u las zhes bya ba ni gang shes rab kyi pha rol tu phyin pa la bring du bshad pa de dag thams cad ni rab byor gyi le u zhes bya o (D[Pha]180a5–6; P

[Pa]204a1–3) //   7)…答曰.此不問般若体.但問般若言説名字可読誦事.是故舎利

弗言当於須菩提所説品中求.須菩提楽説空.常善修習空故.舎利弗雖智慧第一.以無吾我 嫉 妬 心. 又 断 法 愛 故. 而 言 当 於 須 菩 提 所 説 品 中 求. …(『大 智 度 論』454a19–b1).    8)parivartād iti nirdeśāt | vismṛta-tathāgatādhiṣṭhānatven āha: kasyaiṣa ity-ādi (Wogihara1932– 1935, 172.8–13)|   9)zhes pa ni lha i dbang po brgya byin gyis shā ri i bu la / shes rab kyi pha rol tu phyin pa gang nas btsal bar bya / dris pa i lan rab byor gyi le u las btsal bar bya o zhes zer ba de khyod kyi mthu dang byin gyi rlabs yin nam (D [Ta]231b2–3; P[Da]286a7–b1) /

〈参考文献〉 (一次文献)

『現観荘厳光明』:Haribhadra, Abhisamayālṃkārālokā Prajñāpāramitāvyākhyā. Abhisamayālaṃkā-rālokā Prajñāpāramitāvyākhyā: Commentary on Aṣṭasāhasrikā-prajñāpāramitā. Ed. Unrai Wogiha-ra. Tōyō Bunko, 1932–1935.

(6)

『三母広注』:Phags pa shes rab kyi pha rol tu phyin pa bum pa dang nyi khri lnga stong pa dang khri brgyad stong pa i rgya cher bshad pa. D3808; P5206

『世尊母伝承随順』:Jagaddalanivāsin, bCom ldan das ma i man ngag gi rjes su brang ba zhes bya ba i rnam par bshad pa. D3811; P5209

『大智度論』: 龍樹造・鳩摩羅什訳.T1509. (二次文献) 梶芳光運(1944)1980『大乗仏教の成立史的研究』山喜房佛書林. 川合務 1980「東洋文庫所蔵・写本チベット訳『八千頌般若経』について」『印度学仏教学 研究』28(2):150–151. 庄司史生 2016『八千頌般若経の形成史的研究』山喜房佛書林.

― 2017「『世尊母伝承随順』による経典解釈の特徴」Acta Tibetica et Buddhica 10: 37–54.

鈴木健太 2015「小品系般若経について」『印度学仏教学研究』63(2):(174)–(180). (令和元年度科学研究費若手研究「インド仏教におけるもうひとつの般若経解釈史―『三 母広注』の研究―」(18K12202)による研究成果の一部) 〈キーワード〉 般若経,『三母広注』,『世尊母伝承随順』,般若経成立論 (立正大学専任講師,博士(文学))

新刊紹介

李子捷 著

『究竟一乗宝性論』

と東アジア仏教

―五-七世紀の如来蔵・真如・種姓説の研究―

A5判・673頁・本体価格13,000円

国書刊行会・

2020年2月

参照

関連したドキュメント

わかうど 若人は いと・美これたる絃を つな、星かげに繋塞こつつ、起ちあがり、また勇ましく、

これらの定義でも分かるように, Impairment に関しては解剖学的または生理学的な異常 としてほぼ続一されているが, disability と

手動のレバーを押して津波がどのようにして起きるかを観察 することができます。シミュレーターの前には、 「地図で見る日本

わかりやすい解説により、今言われているデジタル化の変革と

これも、行政にしかできないようなことではあるかと思うのですが、公共インフラに

当事者の一方である企業者の手になる場合においては,古くから一般に承と

従って、こ こでは「嬉 しい」と「 楽しい」の 間にも差が あると考え られる。こ のような差 は語を区別 するために 決しておざ