印度學佛敎學硏究第67巻第2号 平成31年3月 (167) ― 876 ―
ツォンカパの中観思想における
滅諦と勝義諦について
拉 毛 卓 瑪
はじめに
ツォンカパ(Tsong kha pa blo bzang grags pa, 1357–1419)は中観帰 派の自説として, 最晩年の著作『入中論 ・密意解明』の第五章において,滅諦は勝義諦であり, かつ法性であることを示唆し,その否定対象は所知に存在するものとする.しか し,究極のものである勝義諦の否定対象は真実なものとして成立しているもので あるので,所知に存在しないものである.ツォンカパの中観思想における勝義諦 について考察する上では,これら滅諦と法性の関係を明らかにすることは避けら れない論点である.先行研究として,ツォンカパにおける滅諦の翻訳研究として はツルティム(1996)が挙げられるが,ツォンカパの中観思想における滅諦と, 勝義諦,法性の位置づけを明らかにしているものはない.そこで,本稿では,大 乗仏教において最終的に目指される滅諦が勝義諦と法性とどのような関係にある かを考察し,ツォンカパの中観思想における滅諦と勝義諦,法性の位置付けを明 らかにすることを目的とする. 結論から言うと,四聖諦のうち,滅諦は空性の見解を修習する時に,無明とその習 気を一つ一つ浄化して得られた状態を指しており,これを法性と呼ぶ.一般的に, 諸法が真実として成立しているものという否定対象を断じたことを指して法性あ るいは勝義諦という場合がある.これは,所知に存在しない否定対象である.しか し,滅諦は,汚れすなわち無明という否定対象を断じた得た法性のことを指してい るため,その否定対象は,所知に存在しているものである.法性の汚れという無明 から離れた時に,得られるのは汚れがない法性のみであり,それが滅諦であり勝 義諦でもある.そこから,勝義諦という場合に,自性に関して空であるというこ とと無明とその習気から離れた法性という滅諦の両方を指していると考えられる. 以下では,ツォンカパのテキストに従って,先の結論を検証したい.
(168) ― 875 ― ツォンカパの中観思想における滅諦と勝義諦について(拉 毛) 1
.ツォンカパの中観思想における勝義諦の解釈
ツォンカパによれば,以前のチベットの中観論者たちは,勝義諦は聖者の三昧 智によって得られるなら,真実なものとして成立しているものとなってしまうの で,勝義諦は知の対象にはならいないと主張し,それがチャンドラキールティ (Candrakīrti, 600–650)の見解であると述べている.ツォンカパは,そのように主張 する者は,勝義諦は聖者の三昧智によって得られるが,真実として成立するもの ではないというチャンドラキールティの意味を全く理解しないものであると批判 し,彼以前のチベットの中観論者たちと異なる視点を取り,独自の見解で勝義諦 を示している.すなわち,ツォンカパは,チャンドラキールティの『入中論』第 6章の第23偈の注釈1)で,内外の全ての事物に世俗諦と勝義諦という二つずつの あり方があり,そのうち,正しい所知すなわち真実義という対象を見ている正理 知によって認識されるものが勝義諦であると解釈している2). さらに,『入中論釈』の言葉3)を根拠として,勝義諦は特別な智慧によって得 られるものであるが,真実成立ではないと批判している.この場合の「特別な智 慧」とは,聖者一般の智慧ではなく,真実義,すなわち空性をありのままに見て いる智を指している4). 無明を断じている聖者には真実において存在しない虚偽なる諸法が現れる後得 智と,諸法は現れてこない三昧智があり,勝義諦は彼らの智にとっては交互的な ものである.それに対して,仏智は,常に真実義を直接認識している.仏にとっ ての勝義諦は,聖者のような交互的なものではなく,自性そのものである. 以上,ツォンカパは独自の見解によって勝義諦は所知であるが,真実成立では ないことを示している.勝義諦は最終目標であり,如実智と聖者の三昧智によっ て得られるものであるが,それぞれの智の差異によって勝義諦の認識の仕方は異 なる.そして,勝義諦は所知であるが,その否定対象は所知において存在するも のと存在しないものがある.これについて次の節で詳細に分析する. 2.ツォンカパの中観思想における勝義諦と滅諦について
ツォンカパが主張している滅諦は勝義諦であり,その否定対象は所知において 存在するということと最終的に目指される勝義諦の否定対象は所知に存在しない ということは,一見矛盾しているように見えるが,この意味は勝義諦の否定対象 には,所知の領域に存在するものと存在しないものがあり,そのうち,滅諦とい(169) ― 874 ― ツォンカパの中観思想における滅諦と勝義諦について(拉 毛) う勝義諦の否定対象は所知の領域に存在するものである.ツォンカパは『入中論 釈・密意解明』にある基体の上で,真実成立という否定対象が断じられたことを 勝義諦と設定するとき,その否定対象は所知に存在しないものである.しかし, すべての勝義諦であるものの否定対象が所知に存在しないわけではないと述べて いる.ツォンカパはこれに関して3つの理由を挙げている.1つ目は,ナーガー
ルジュナ(Nāgārjuna, ca. 150–250)作とされる『法界讃』(Dharmadhātu-stava)5)の言葉
によると無明という汚れから離れた法性が涅槃あるいは法身である.浄化された ものが涅槃であり,それは無明という汚れから離れた法性であると設定してい る.清浄になった法性の否定対象は無明という汚れであるので,存在するものと なる.2つ目は,無明という汚れから離れた法性は存在しないなら,無明を退け るために,修行することに努力していることも無意味になってしまう.3つ目 は,無明あるいはその習気から離れた法性が存在するなら,その否定対象は所知 に存在するものである.前述したように,一般的に勝義諦あるいは法性の否定対 象は存在しないものであるので,この場合の法性は滅諦を指していなければ,以 上のような設定は成り立たない6). ツォンカパによれば,勝義諦と同じく,法性についても,一般的に,一切法は 自性に関して空であるという無自性である法性の否定対象は所知に存在しない が,「特定の有法」に関しては,法性に汚れ,すなわち客塵が存在し,各々の段 階において徐々に浄化していく必要がある.この「特定の有法」とは,客塵煩悩 に汚れた心のことである.ツォンカパはその客塵煩悩を浄化した状態を法性と言 い,それは滅諦であると示している7).このように,ツォンカパは彼自身の見解 で滅諦は勝義諦であり,かつ法性であることを示唆している.
おわりに
以上,ツォンカパの中観思想における滅諦と勝義諦の関係を彼自身のテキスト に従って考察した.勝義諦は最終的に目指されるものであり,所知すなわち真実 義という対象を見る正理知によって直接に認識されるものである.そして,仏, 聖者という認識主体によって勝義諦の認識の仕方には差異がある. 勝義諦の否定対象は真実成立であり,それは所知に存在しないものであるが, ツォンカパはチャンドラキールティの「四聖諦のうちの滅諦は勝義諦である」と いう説から彼独自の見解で滅諦は勝義諦であり,かつ法性であることを示唆して いる.ツォンカパは聖者が各々の段階において法性に付着している無明あるいは(170) ― 873 ― ツォンカパの中観思想における滅諦と勝義諦について(拉 毛) その習気が浄化される必要があり,浄化された状態を法性と言い,それこそが滅 諦であるとする. 滅諦という法性の否定対象である無明及びその習気は「存在するもの」である. 無明及びその習気を滅して実現される法性という滅諦が勝義諦であるとすれば, その勝義諦は存在する否定対象を否定することによって得られるものである. 一方,無明によってあると思い込まれている否定されるべき諸法の自性を否定 することによって得られる無自性も勝義諦あるいは法性,空性と言われるが,こ のときの否定対象は存在しないものである. これによって,これまで曖昧であったツォンカパの中観思想における滅諦と勝 義諦,法性の関係を確定することができた.また,無明の習気を否定することに よって得られるのが,究極の涅槃であり,最終の滅諦であるが,涅槃と勝義諦の 関係については,また別の機会で詳細に論じたい.
1)MAK, 6.23, 7: samyagmṛṣādarśanalabdhabhāvaṃ rūpadvayaṃ bibhrati sarvabhāvāḥ | samyagdṛśāṃ yo viṣayaḥ sa tattvaṃ mṛṣādṛśāṃ saṃvṛtisatyam uktam // 2)LRC, 178b3–4, 236a3–4; GR, 95b5–6. 3)MABh, 253a6–7. 4)LRC, 181a5. 勝義諦と真実義,「離戯論」などの表 現は異なるが,意味は同じであることについて拉毛(2018)参照. 5)『法界讃』帰敬偈 の第一偈である.chos kyi dbyas su bstod pa, Tohoku No. 1118, dstod, ka 63b5–67b3. 6)GR, 62b2–5. 7)GR, 62b2–63a2.
〈略号表〉
GR 『入中論釈・密意解明』Dbu ma la jug pa i rnam bshad dgongs pa rab gsal / tsong kha pa blo
bzang grags pa i dpal. gsung bum, zhol par ma, ma. Tohoku No. 5408.
LRC 『菩提道次第小論』Skyes bu gsum gyi nyams su blang ba i byang chub lam gyi rim pa chung ba / tsong kha pa blo bzang grags pa i dpal. gsung bum, zhol par ma, pha. Tohoku No. 5393.
MAK 『入中論偈』Madhyamaka-avatāra-kārikā / Candrakīrti. Madhyamakāvatāra-kārikā. Chapter
6. Ed. Li Xuezhu. Journal of Indian Philosophy 43(1): 1–30. Netherlands: Springer, 2015. MABh 『入中論釈』Madhyamakāvatārabhāṣya (Dbu ma la jug pa i bshad pa) / Candrakīrti. In
Madhyamakāvatāra par Candrakīrti, Traduction Tibétaine. Ed. L. de la Vallée Poussin. Bibliotheca
Buddhica IX. St. Petersburg. Reprint, Osnabrük. 1970; Tohoku No. 3862, bdu ma, 'a 220a1–348a6.
〈参考文献〉 ツルティム・ケサン1996「滅諦に関するゲルク派内における異見」『大谷学報』76(1): 21–35. 拉毛卓瑪2018「ツォンカパの後期中観思想における 離戯論 について」『印度学仏教学研 究』66(1): 775–778. 〈キーワード〉 ツォンカパ,滅諦,勝義諦,法性 (大谷大学大学院)