ス
リ
ラ
ンカ
のarafifiika
(
森
林 比
丘
)
藪
内
聡
子
1
.は じめ に
紀 元 前
1
世 紀 頃の ス リラン カ に お い て ,仏 説の 根 本 は学(
pariyatti
)
か行(
patipatti
)
か とい う論 争がdhammakathika
とpamsUkUlika
の 間に起こ っ た。 学が守られ てい て こ そ行は な りたつ ,学が な け れ ば証 悟 は あ りえ ない と して
dhammakathika
の勝利
にお わ っ たが(1), そ れ 以降
,比
丘 の間
に はganthadhura
, vipassanEdhura とい う専 門性
を類 別す る呼 称が存 在 し(2>,ス リ ラ ン カ に おい て は学の 伝 統が行の 伝統 よ り優越 し て い た とさ れ る(3)。pampsukUlika
の 衰 退に伴
い ,ganthadhura
, vipassanadhura は,g
五mav5sin(
町 や村 落に住む比 丘)
,arafifiavasin(
森 林に住む比丘)
に受け継がれて い くと考 え ら れて い るが , これ らの 異な る二 つ の 立 場 は, ス リラン カ仏教 教団の 歴 史 に お い て時に交 錯す る(4]。 ス リラン カの 史 書 や碑 文 に おい て は,仏教教
団再建
に際 して のhrafifiika
(
森林比
丘)
の活
躍,王 のarafifiika
に 対 す る高い 評価 も記さ れて い る。本稿
におい て は, こ の よ う な史書
や碑 文
に み られる事
例に 基づ き, かつ 現代
の 5ra鯔ika
の 現 地 調 査も踏
ま え なが ら (5) , ス リ ラン カ仏
教 教 団に おける firafifiikaの 果た した役割 とその意義につ い て考 察したい 。2
. ア ヌラ
ーダ プ
ラ時
代 後期
ス リ ラ ン カ に お い て 互rafifiika が 史書に明
確
に現れて くるの は ア ヌ ラーダプ ラ時 代 後 期にあた る10
世 紀で ある(6)。pamsUkalika
につ い て は8
世 紀 頃 か ら 史書に顕 著に現 れ始め, 衣食 住につ い て 王 の多
大な る庇 護を受け た こ とが記 さ れ て い るが ω, drafifiikaにっ い て の 記述は, 王 か らの 寄 進の み な らず, 「長122 パ ーリ学 仏 教 文 化 学 老の 系譜に お ける燈 明」 とい う最
高
の 尊 称を 附 された もの と なっ て い る。Sakka
将 軍 の 母 で あ るDeva
妃 は, 長 老 の 系 譜 に蚕
け…6
.一燈 明た る(
theravamsappadipa )森 林住 の比丘 らに ,自
己 と同 じ名
を付
した住 処をつ くっ た。 (Cv
.52
.64
)ま た, 学に通暁した
ara
鯔ika
に つ い て も記 されて い る。(
Mahinda
lV
世は)
ラ ン カ ー 島の 宝飾
の ご と き(
Lafikalamkfirabhnta
)
Dath2ntiga
とい う名の 森林 住の 長老 に,ア ビダン マ を語 らせた。 (Cv
.54
.36
)Mihintale
Tablets
に よれ ぼ(8),ganthadhura
の うちで もア ビ ダン マ を講 じ る比丘 は,
律
,経
を講
じる比丘 に も ま して よ り高い 報 酬(
vasag)
を得てい る こ と か ら(9),arafifiika
で あ り, かっganthadhura
と しての高
い 評 価を受け る比丘 も存在
して い た こ と が わ か る。イ ン ドか ら7
世紀初
頭 頃に は来島
してい たJotipala
も,arafifiika
であっ た との 見 方 もある (1 〉 。Jotipala
は当時
の イン ド仏
教論
理学 に通じて い た とさ れ(11>,Vetulla
を論 争で破 っ て王の 信 頼を勝ち 得 て い るG2)。3
.ポ
ロ ンナ
ル ワ時 代
10
世 紀の ス リ ラン カ は,南イ ン ドのCola
王朝に よる侵略を うけて い た (13)。そ して
11
世 紀にAhuradhapura
はCola
王朝
に 占領されて 都はPolonnaruva
に移さ れ た が,
V
加yab
訛 ul
世(
1055
−1110)
{14>はPolonnaruva
を奪回 し た 。 当時受戒
を行
うだ けの 比丘 を集め るこ ともで きず,VijayabAhu
l
世は ビル マ か ら比 丘 を迎えて仏教教
団再
建に つ と め た が〔15), 息 子のVikkamabahu
王は戦闘のため に教 団財 産 没 収を行
い , 比丘 た ちは反 乱をお こ して 四 散した (16) 。parpsukalika
は そ れ を最後に 史書に は あ ら わ れ な くな る“7)。こ の よ うな政
情不
安に も と つ く仏 教 教1
寸1
の荒廃 状況 に 対 して 教団再興 を促 進 したの はParakkamabahu
1世 (ll53
−1186)
で あっ た (]s)。Parakkamabfihu
1
世は
Mahavihdra
所属のDithbulagala
(19)のarafifiika
で あ るMahakassapa
を 上 首と し,教団の 浄 化 と,
Mahavihara
を軸 とす る 三宗 派の和 合を推
進 した(20)。勝者
の教説
を繁栄
させ るため に, 教説の浄化に先ん じて三宗 派の比丘たス リ ランカの drafliiika(森 林比 丘)
123
Moggaliputtatissa
長 老 を上 首 としたよ うに, 三 蔵に通 暁 し, み ご とに戒律を熟知 し, 協 調 的で ,
出家
して久 しい 長 老の 系譜に お ける唯一 の燈 明た
る (therava恥sekap
鋤
ota)
Mahakassapa
と呼 ばれ る大 長 老を 上首 と して… …(
Cv
.785
−7)
Mahakassapa
は, 長 老 会議に おい て比丘 の 教 育, 生活 規 範の 徹 底, 教 団組織化のた めの
Katikavata
(
Poronnaru
Katikavata
)
を制定
した(2D 。 そ こ に は ,比
丘に は
ganthadhura
, vipassanadhura の 二 つ の道
が あ るこ とを前提
と
した 上 で,学 習すべ き基本 的な律 と経 と,瞑 想
実
践 の義務
をお り込んで い る(22)。4
.ダ
ム バ デー ニ ヤ時 代
Parakkamab
巨hu
I
世 治 世の の ち島 内は再び政情 不 安 とな り,V
加yab
圧hu
III
世(
1232
−1236
)の 治 世 下 に お い てDarbbadeOiya
に 都 は 移 さ れ た。 次 な るParaklcamabahu
II
世(
1236
−1270)
は,
gamavasin
, arafifiavain か ら なるサ ン ガ全 体 の
Mahasami
で あ るDi
面buhgala
のErafifiika
,Medhafikara
が 決 議 し たKatikavata
(
DafUbaderpi
Katiknvata)
を発布
し(23), イ ン ドか ら誉 れ高
いCola
人の 比 丘を招き(24), arafifiavasin,
gamavasin
を と もに保 護 して 支 援 し た。… …
村落
と森林
に住む 思慮
ある長老た ちに,… …多くの僧園 (samgharama )をつ くっ て 彼 らに施 し, … … 王 は村落 と森 林に住む比丘 たちの 大サ ン ガ
を一 つ に し, … … ,
彼
らす べ て を選 抜 して ,Putabhatta
岩山 に林
棲 処(
arafifiavasa)
をつ く らせ て彼らに与えて・・… ・自己の 治 世に ラ ン カー島をあ たか も阿羅 漢が 存 在す る
島
の如
くに した … … あ らゆる書物
を もJambu
州よ りとりよせ, ア ーガ マ や ,
論
理学
・文
法学
な どあ らゆ る学 問 も同様に学ばせ て … …,
(
Cv
.84
.18
−27)
5
.現
代
そ の後 都は
Y5pavuva
,Kuru
頃gala
,
Garhpala
,K6
#e と移 動 され ,16
世 紀から西 欧諸 国に よる植 民 地 時代 となっ た。 その
後
も受戒の た めに ビル マ か ら比124 パ ーリ学 仏 教 文 化 学 そ れ タ イ, ビル マ の 比丘か らの 受 戒を得て現代の 仏教 教 団は復 活 した。
drafifiika
につ い て も他 国 との往来
を通 じ て その 伝 統は継続
され(26),現代に おい て も宗 派 の 分 類 と は別 に ,gamavEsin
とarafifiavasin の 別が存在 す る(27)。 前者は学問 を重視
し, 主に,布
教,教育
,社
会 的行事
に関
与す るが ,後者
はarafifiikafiga
(
阿蘭 若 住 支)
を第
一条 件 と してErafifia
(
森林道
場)
で の定
住生活を し,世俗
との 接 触をでき る限り断っ て瞑想 主体の 生活を送っ て い る(28)。 こ と に1956
年 の ブッ ダ ・ジャ ヤ ン テ ィ(
仏紀2500
年祭 )を契機 と して次々 とarafifia
が建て られた¢ 9)。現代の
arafifiika
の某本
的な1
日の ス ケジュ ール は,夜明 け前に起 床 し, ブ ッ ダへ の 供養 と聖典誦 唱, 基 本 的教 義の学 習, 掃 除, 食事以外は ほ と ん どの 時間を瞑 想に充て る とい う,
Polennaru
Katikavata
,Dathbaderpi
KatikEvata
に記され た vipassanfidhura と して の 生活 規 範の
伝
統 に連 な る もの で ある。 学の習 得 にっ い て は, 出家の 年 齢, 出家 前の 学 習の 度 合や個々の 関心の 持ち よ う, あ るい はそ れ ぞ れの道場 に お ける方針
な どに よっ て 差 違が生 じて い る(30)。 現代 の arafifiikaは ,比ff
:全体の 比率
か ら す る と3
〜4
% とい う わずか な数で は あ るが,devalaya
に代表
さ れる民間信仰
を取 り込 み, 時代 と と もにシ ンハ ラ仏教
と言わ れる まで に変容
を遂 げたgamavasin
の仏
教に 対して,arafifiikartga
と い う頭陀 行 を実 践 して行 に専心 する ara黼 av 互sin は,上座 仏 教の 伝 統を よ り純 粋に引き継
い で い る存 在で あ る とい え よ う(31>。6
.結
語
ス リラン カ とい う
島
国の 教団事情
を考 察す る に あ た っ て は, 絶えず 諸 外 国 か らの 侵 略 とい う危機 に曝 されて い た こ とを考 慮す る必要が あ る。 戦 乱状 態 に おい て 都 市 部は特に 危 険 とな り, 戦乱 と関わ りの な い 安全 な地 方のarafifia
に おい て,仏教 教 団の伝
統の 維持と継続
はよ り可能で あっ た ともい え よ うB2)。紀元 前
1
世紀 頃に起 こ っ た とさ れ る論 争以来, ス リ ラ ンカ の 仏教 教 団に は 学か行か とい う二 っ の 型 態 の 専 門的伝 統が 存続 してき た が , 教 団再 建時 に お け るganthadhura
と vipassanfidhura との 団 結は,学 と行を教 団全 体と し て一体ス リ ランカのhraflfiika(森 林 比丘)
125
化さ せ よ う とする試みであっ た とい え る。Erafifiikaた ち に
帰
せ られ た 「長 老の 系譜
に おける燈 火(
theravamsappadipa
)」, ま たDiThbulaga
】a のMahakassapa
に帰せ られ た 「長 老の 系譜 に お ける唯
一 の 燈 火 (theravamsekapajjota)
」 とい う讃辞
は, 「… … ラ ン カー島
の燈
明で あ る(
Lafikadipa)
偉 大なるMahinda
長老は ,勝 者
の最高
の教 説で あ る学 (
pariyatti
)と行 (
patipatti
)
と証 悟 (pativedha
)
と を, 見事に ラ ン カ ー島
に光
り輝かせ て … … 」 とい うMahinda
長老へ の尊 称 と重な り合 う〔33)。 ス リ ラ ン カに初め て仏 教を伝
え たMahinda
長老, ひい て は ブッ ダ 時代の僧伽 に遡ろ うとす る試み に お い て(34),行を 主体 とす る Erafifiikaの存 在がス リラ ン カ仏教 教団の 歴史
にお い て不 可 欠で あっ た。 そ こ にdrafifiika
の 伝統
の 大きな意義が あ ると考
え ら れ る。 そ して ま た 現代
のdrafffiika
も, 行の伝
統を受け継 ぐ 日々 を送っ てい る 。 注 (1
)Mp
・・1
・・PP ・・92
−93
・R・h
・1・,・W .,・Hi・t・ry・・
fB
・ddhi・m ・i・・C
・yl・n,・C・】・mb ・ ・M
.D
.Guna
,ena ,1956,
p
. 158.早 島鏡正 『初期仏教 と社会生活』 東京 1岩 波書店 ,1964
,pp . 145− 146 ,奈良 康 明 『仏教 史 1 』 東京 :L1[川出版 社,1979,
pp
. 410 −411
. (2)Mv .34 .66, DhpA ,
1
, pp.7− 8. (3)Rahula, op. cit.,
pp
.158ff
.(
4
>T
・mbi ・h
・ S ・J
・・Th
・B
・ddhi
・tS
・i・t・・Of
theE
・rest and theCutt
ofAmulets ,C
・mb ・idg・・Cambridge University Press,
1984
,pp
.53−61 ,Gombrich
, R . F., BuddhistPrecept
andPractice(2ed .〉,
Delhi
:Motilal Banarsidass,1991,
pp
.314 −316 な ど。(
5
)2000
年度財 団 法 人東 方研 究 会ア ジ ア諸 国派遣 短期 留 学 生 とし て,2000
年 7 月 12 日か ら
9
月14 日に か けて , 金 漢益博士 と共に ス リラン カの arafifiikaの現 地調査 を行った。ス リ ラ ン カ国 立ル フナ大学の客 員研 究員 と して
Ven
,Dr
.Medagama
Nandawansa
Thero の指導を受け,他 Ven .(Pro£)
Dr
.Gatare
Dhammapala
Mahfithero,
Ven .
Wekada
Sirinivasa
Thero
, Ven . KeselhenaweDevananda
Thero など多 くの 方々 に 案 内,通訳 などの こ.協力をいた だいた。心よ り御 礼 申し上 げ ま す。
(6)
Gunaw
・・d・na・ R ・A
・・L
・・H
・,・R・わ・祕 P」・ugh ,・Tuc
・・n・Th・ U・i・ersity ・f
A・iz
。n、P
,,ss,1979, p.
45
.tapassin とい う語は 6 世紀 頃よ り認め ら れる (Cv .41 .99)。Rahula
, op . cit.,p
,196 .
126 パ ーリ学 仏 教 文 化 学
Franz Stciner Verlag Wiesbaden, 1986, pp .
202
−203, Wijesuriya,G
., Buddhist
Meditation
Monasteries
ofAncientSri
Lanka ,Colombo
:Department ofArchaeology ,Government
of SriLanka,1998, pp .
138
....・
148
な ど。(8) Mahinda
IV
世 (956
−972)治世下の もの で ある。EZ
.1
, pp .75ff
.(9) EZ .
1
, p.91 ,11. A l 2− 14,p
.100. vasag の 解釈は統一...・さ れていない。Gunawardana
, op . cit.,
pp
.147− 153.(10> Malalasekera, G . P, The Pali Literature of Ceylon, Kandy :Buddhist
Publication
Society,1994,
p
.210, Panabokke , G ., H癬o町y of the BuddhistSangha
in indiaand Sri Lanka , Kclaniya:Unjversity ofKclaniya ,1993, p.183−
(ll) Rahula, op . cit., p.
103
.〔12)
Cv
.42
.3S
−39
.(13) 以 下前田惠 學編 『現代ス リ ラン カの上.座仏教
』 東京 ;山喜房 佛 書 林 ,1986,pp.
457 −467 参照。
以.ド()内は王 の 在位期 間を示す。注(
8
)も 同様 。 Nicholas,C
.W
. andParanavitana
, S .,A
Concise
History
ofCeylon ,Colombo
:Ccylon University Press,1961
,PP .341
−345 を参照した。 森祖 道
『パ ーリ佛教註釈 文献の研 究
』東京:山喜房佛書 林 丁1984,
pp
.319 −338 .(15)
Cv
.60
.4
−8.5
世 紀 か ら7世紀 頃に は,す で に ビ ル マ に上座仏教が存 在 して い た。Gunawardana , op . cit., p.272 . Duroiselle, C .,
‘Excavations
at
Hmawza
,
’
Annual Rqport(ofthe
Archaeological Sum,ey (〜
flndia
,1928
−1929
, pp .105− 109.(16)
Cv
.6
.1.54−62 ,(17)
Gunawardana
, op. cit., p.44
.
Bechert
, H .,‘The
Nikdyas
ofMediaeval
Sri Lanka andthe
Unifieation
ef the Sanghaby
Par巨
kramab
吾hu
I
,’
in
Wagle
, N . K , and Watanabe ,F
.(ed.),Studies
on Buddhism in Honour
of’
Profe
,ssor∠A . K . Mader, Toronto;University
ofToronto ,1993, pp ,11
−
21
.
シン ハ ラ語の
Dithbulfigala
ま たは DurYibulagalaは,パ ーリ語で は Udumbaragiri と訳さ れる。Gunawardana , op . cit.,
p
. 46 . EZ .II
, p .188
.Cv .73 .
12
−22,7820 −27 .) Poronnaru Katikavata は 別 名 Maha −Parakramabahu K.atikavata と も 呼 ば れ る。
Ratnapala, N ., The Katiktivatas, MUnchen :Mikrokopie ,1971 , pp .37−44 , 127
−
135
.Mah 蕊
kassapa
は, 戒律研究に おい て はSamantapas
亘dik盃一sanne , 論 書研究におい て はAbhidhammattha
−safigahatika ,サ ン ス.ク リッ ト文法の研究に お い て は Balavabodhana など を著 して い る。彼の 弟 子
Sdriputta
な ど も著 名 な 注 釈 書 な ど を残 して い る。Jayawardhana 、
S
., Handbook 〔of’
P々ti Literature,
Colombo
:Karunaratne andSons
,1994
, pp 、
79
− 80,144.囲
Ratnapala, op .cit.,
pp
,129− 130. KatikAvataにつ い て は,橘 堂.正 弘ス リ ランカの 5rafiisika(森林比 丘)
127
E
.座 仏教の特質」前田惠學編 前掲書,pp
.619
−659
,C23
) Ratnapala, op . cit., pp .224
− 225 , EZ . II, p.262 . Medhafikara の著作にっ い ては
Jayawardhana
, op . cit,,p
.g
l
,t24
>Cv
.84.9− 10,α5〕
Cv
,94 .15− 19,97 .8− 13.
Udumbaragiri
(D 揃bui
互gala
) の arafifiikaの MahEsami は 14 世紀 前半 ビ ル マ のR…imafifiaにわ たっ たが,その と き Sumana とい う タイ の僧が これ を聞い て ビルマ に
む か い,こ の Mahasami の も とで修 行を し,タ イ に帰 鬪 後 Sihala Sahgha の確立 に努め
た。 Panabokke , op . cit.,
p
.194
, Jkm .pp
.84ff
.吻
現 代ス リラン カの arafifiikaに つ い て は,
Carrithers
, M ., The Forest
Monks
’ ofSri
Lanka
,1)elhi:Oxford University Press,1983.
衂
前田惠學 「セ イ ロ ン 仏 教学 術 調 査 中 間報告」 『金倉 博士古 稀記念 ・印度学 仏教学
論 集』 京都 :平 楽 寺書 店 ,
1966
,pp ,351
− 362,神谷 信 明 「上 座仏 教の 存 在 形態画一 僧 侶の生活 と活動
」 前 田惠學 編 前掲書 ,
pp
.172−206 ,片山一良 「仏教にお ける 「聖性 」 」 『宗教学 論集』 16,
1990
, pp .1− 16, 鈴木正崇 『ス リ ラ ン カの宗 教と社 会』 東京 :春秋 社, 1996,
pp
.79− 84. 励 宿泊施設の整っ た メ ディ テーシ ョ ン セ ン ター と命 名 さ れ る もの も 存 在 する。Hewage
, L . G (武 田龍 訳) 「ス リ ラ ンカの近代化 と 上 座 仏教の対 応田一 一仏 教理 想の実 践
」 前田惠學編 前掲書 ,pp ,
605
−618
,Bond
,G
. D ., The Buddh ist
Revival
in
Sri
Lanka , Delhi:
Motilal
Banarsidass
, 1992.Bo
) arafifiikaの 現 地 調 査にっ い て は金 漢益 「上座仏教 の真の 姿を考えるス リ ラ ン
カ実 地 調 査を中心に
」 (中 外 日報 2001 年 3 月29日号〉。
GD
シン ハ ラ仏 教 (Pansala−
Buddhism
)と純 粋.上座 仏教 (Arafifia
−Buddhism ), あるい はPopular Buddhism とDoctrinal Buddhism に関する論考にっ い て は,前 田惠學 「現代ス
リラン カの上座仏教
その現 地調査
」『パ ーリ仏教 文化研究』 パ ーリ文化研 究
会編, 東京 :由喜 房佛書 林,
1982
,pp
,57−69 ,Mayeda
,E
,‘Buddha
and
Gods
in
CoTltemporary
Sri
Lanka
:The
Twofold
Structure
of Buddhjsm ,’in
Wagle, N . K . and
Watanabe
,E
(ed .),op . cit.,pp
,76
−85
.
12世 紀 前半頃の Dithbulagalaは 500人の 比丘 が住む 石窟大寺 院であっ た の に対 し
(EZ . II,
pp
.189,196, Gunawardana , op . cit., p,45, Wijesuriya, op. cit,,
p
.3
, n.7),現 代のdrafifiaは,ハ ーミ テ ジ とも呼ぶべ き 小 規模な ものが多い こ とには 留 意 し な けれ ば な ら
ない 。
(33) Mv .20 ,30−
31
,
128
パ ーリ学 仏教文化 学 略号 (パ ーリテキス トはすべ てPTS
版に よ る)Cv
.C
冴lavam∫aDhl
冫A . Dhmmapada #hakathdi
Jkm . 丿Finakjla澀diliMp
.Manorathaptira
解i .4cfv. ル知 海δ1/61η15・aEZ