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イギリス児童諸法の統合化における<家族>の構築 -児童法(1908)をめぐる議論を中心に- [ PDF

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1.論文の構成 序章 第1 節 本論文の課題 第1 項 イギリス児童法(1908)の成立 第2 項 <自明性>を問う 第3 項 社会秩序維持装置としての「家族」の発見 第2 節 論文の構成 第3 節 史料と方法 第1 章 イギリス児童保護策における「子ども」の統合 第1 節 児童法制定以前の「矯正」策 第1 項 子どもの「矯正可能性」の発見 第2 項 非行少年の「治療」と「再生」 第3 項 社会秩序の維持と子ども 第2 節 子どもを育てる「装置」としての家族への着目 第1 項 子どもの生命への着目 第2 項 「子どもの育て方」の規定 第3 項 家族への国家の介入 第3 節 児童法立案―「すべての子ども」の対象化― 第1 項 「国家の子ども」という認識 第2 項 子どもの生命保護 第3 項 非行少年に対する「救済」 小括 社会の担い手としての「すべての子ども」 第2 章 児童法制定をめぐる議論における<子ども>の 構築 第1節 「すべての子ども」から<子ども>へ 第1項 添い寝や部屋の暖炉による「不幸な」事故 第2項 子どもの「損失」による国家の危機 第2節 身体発達をめぐる議論における<子ども> 第1項 喫煙の禁止をめぐる<子ども>の構築 第2 項 年齢の設定 第3 項 国家の将来と子どもの身体 第3 節 将来の犯罪者根絶をめぐる議論における<子ど も> 第1 項 少年裁判所の「救済」をめぐる<子ども>の 構築 第2 項 堕落の「予防」―<子ども>の特異性 小括 <子ども>の構築 第3 章 <家族>の構築の嚆矢 第1 節 <子ども>を育てるエージェントとしての<親 >の構築 第1 項 <子ども>の生命保護をめぐる「不適切な親」 第2 項 <子ども>の素行をめぐる「不適切な親」 第2 節 階級差についての議論をめぐる<親>の構築 第1 項子どもの生命保護(死の予防)における階級 差 第2 項 子どもの育て方をめぐる階級差 第3 節 「介入」をめぐる議論とそれにともなう<家族 >の構築 第1項 親子関係への介入をめぐる議論 第2 項 「イギリス人の城」への介入をめぐる議論 小括 <家族>の構築 終章 まとめと今後の課題 2.概要 序章 本論文は、1908 年のイギリスで「すべての子ども」を 対象とした児童法が成立する過程において、「適切な子育 て」を行う装置としての<家族>が議会の中で構築され ていく過程を明らかにするものである。単に法の成立過 程を追うのではなく、児童法の立案から制定までの議論 のなかでの発言によって<子ども>とともに<親>を含 めた<家族>が構築されていく過程を明らかにする。 1908 年のイギリス児童法は、政治家の H.サミュエル の提案により制定へ向けた動きが始まった。その正式名 称は「児童・少年の保護、矯正学校と授産学校、少年犯 罪者に関する法の統合・改正、児童・少年に関する法を 改正するための法律[Hansard’s:vol.183, col.1432]」で あり、第1 部「幼児保護」、第 2 部「児童・少年虐待の 防止」、第3 部「少年の喫煙」、第 4 部「矯正学校・授産 学校」、第5 部「少年犯罪者」、第 6 部「総則」からなる。 イギリスにおいて福祉国家制度の起源となる諸制度 (学校給食、健康診断等)が導入されたのは 20 世紀初

イギリス児童諸法の統合化における<家族>の構築

―児童法

(1908)をめぐる議論を中心に―

キーワード:イギリス児童法,子ども,親,家族,児童保護,<自明性> 教育システム専攻 草野 舞

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頭であり、児童福祉の歴史を語るうえで、1908 年の児童 法はその端緒とされる。同法では「すべての子ども」が 対象となり、それまで別個に存在していた児童保護立法 が統合された。同法によって児童保護を一定の方向にむ けて処理する枠組みが与えられ、児童問題を一政策とし て展開させていくことになったとされている[川田:281]。 児童法における「子ども」に関する研究としては、寺 﨑の論考がある。寺﨑によれば、児童法において子ども は「帝国統合推進と国際競争力強化を支える「帝国の市 民」のひな型」であり、「帝国市民として成長すること、 とりわけ軍隊の中で活躍することが期待され」ていた[寺 﨑:275]。20 世紀初頭のイギリスでは、ボーア戦争での 苦戦が国家退潮への不安と結びつき、出生率低下や子ど もの身体的衰弱が人々の関心となっていた。児童を将来 の帝国市民として育成することで発展をもたらすことが できるという考えが強化されてきていた[川田:277]。こ の時期子どもを「国家の子ども」とする論が広く共有さ れ、こうした土壌のもと、「すべての子ども」を対象とす る児童法が提案された。寺﨑は議会文書をもとに、児童 法では「国家の未来のために」「帝国市民として」子ども を保護すべきとされていたと指摘する。本論文によって、 同法では「帝国市民」としての子どもだけではなく、階 級や生活状況を超えた、普遍的な<子ども>さらに<親 >が構築されていたことが明らかとなる。 この<子ども><親><家族>という表記について、 本論文では、児童法で期待された「あるべき子ども」「あ るべき親」「あるべき家族」という意味で使用する。児童 保護の研究において「子どもは保護されるべきである」 「親は子どもを養育すべきである」「子どもの保護はま ず親がその役割を担うものであり、それが不適切である 場合に国家が介入するべきである」ということはいわば 自明のこととして扱われてきた。こうした「自明のこと」 にもとづいて政策や民間団体の活動に焦点をあてている 研究は非常に多い。 本論文では、20 世紀初頭のイギリスにおいてその「あ るべき」像が構築されていく過程に焦点をあて、児童保 護についての研究がこれまで「自明のこと」としてきた ことのルーツをさぐるものでもある。「すべての子ども」 を対象とした児童法はすぐに可決されることなく、さま ざまな議論を経て成立した。このことから、同法は単な る法の制定過程を経ただけではなく、子どもや親につい て現在「自明のこと」が「自明」とされていく過程を経 たものでもあったといえる。 この「あるべき」像に関して、土戸が<自明性>と表 現した論考がある。土戸は、この<自明>という言葉に ついて、「説明の要がないほどおのずから明らかだとい うことであるが、一般的には、すでに受け容れられてお り、疑問の余地なく、まったく当然であるような事態、 状況を意味する。すなわち、その語の指す事態は、分か りきったことであって、それをそもそも問題にすること 自体、不自然なことだ、というわけである[土戸:67]」 という。<自明性>においては、関連や根拠のない事象、 また恣意的なものがあたかも関連や根拠をもっているか のように扱われる。それらが規範となっていく過程と< 自明性>は密接に関係している。 ここで歴史研究における児童保護の語られ方を再び考 えてみると、先述したような児童保護における「自明の こと」が問い直されることは無い。では、はたしてこの <自明性>はどのようにして構築されてきたのだろうか。 本論文は児童法をめぐる議論を対象とし、児童保護策に おける「保護されるべき子ども」「子どもを育てる親」、 またそのような親子で構成される「家族」といった、< 自明>であるとされる<家族>や<子ども><親>が構 築されていく過程を歴史的にとらえる試みである。 児童法をめぐる議論は、法に正統性を与える動きであ った。「すべての子ども」についての規定をめぐって議論 がなされ、児童保護における<自明性>が構築されてい くのはまさにこの時期であったのである。同法の分析は、 児童保護の文脈における親や子ども、そして家族の<自 明性>の構築過程を見る重要な手がかりであると言える。 本論文は、私たちのなかにある<子ども>が何によって つくられているのか、その脱構築の試みなのである。 近代家族研究において、個人と国家を結びつける装置 として「家族」を捉えるというドンズロの研究の果たし た功績は大きい。ドンズロはフランスにおいて家族が個 人を管理する装置、ひとつの「決定機関[ドンズロ:7]」 として配備されていく過程を分析している。 19 世紀のフランスでは、子どもの保護・住居管理・衛 生等に関する多くの法律が制定された。これらについて ドンズロは、社会全体にある種の規範を広めることで大 人と子どもの関係を「正常化 [ドンズロ:90]」する目的 をもっていたとしている。これらの規範によって人々の 管理が目指され、家族はその管理の主体とされた。家族 は近代社会において規範を成立させる「装置」であった とされる。社会の安定のため、国家が医療や衛生、住居、 結婚、子育てに関する守るべき規範を提示する際、その 規範は家族を通して個々人に伝えられた。社会秩序の維 持という目的のもと、家族は提示された規範によって構 成員を管理するひとつの装置として機能する。 ドンズロによる分析は、近代社会における家族の機能

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や役割についての研究に大きなインパクトを与えた。ド ンズロの研究以降、社会福祉やそこでの「家族」につい て、単なる進歩の歴史としてではなく同時に管理の歴史 としてとらえる数多くの研究がなされている。本論文の、 <子ども>と<親>、そして<家族>とその関係の構築 過程を問うという視座は、以上のような家族史研究の上 にある。 史料としては、議会議事録(Hansard’s Parliamentary Debates)を用いた。児童法の立案から制定にいたる第 3 読会において、同法の対象となる子どもやその親の処遇 についての様々な意見交換がなされた。それらの分析か らは、階級や生活状況に関わらないあらゆる立場の子ど もや親が<子ども>や<親>としてまとめられ普遍的な ものとされたことが明らかになった。 法を制定していく過程は、規範や正統性つまり<自明 性>を構築していく過程でもある。児童法はすぐに可決 されることなく議論の的となり、多くの修正が求められ ることとなった。そこで議論がなされたということは、 児童法の成立過程は、それまで「すべての子ども」につ いて「自明である」とされていなかったことを「自明な こと」にしていく過程でもあったといえる。 周知の通り、1908 年の児童法はイギリスにおける福祉 国家制度の起源となる時期に制定された。同法以前は、 「貧しい子ども」「虐待を受けた子ども」といったさまざ まな子どもが別個の法律によって扱われ、そのような子 どもを「あるべき子ども」に戻すという取り組みがなさ れてきた。しかし、これらの取り組みは、児童法の成立 によって<子ども>が「貧しい子ども」「虐待を受ける子 ども」といった状態に陥ることを予防することが目指さ れた。同時にその親についても<親>からの逸脱を防ぐ ことが重視され、<子ども>と<親>による<家族>の 構築が目指されていたのである。 「すべての子ども」のための法律の成立は、同時に< 子ども>や<親>、<家族>の構築を伴うものでもあっ た。議会の議論を通じてそれが構築されていく過程を明 らかにすることが本論文の主眼である。 第1 章:イギリス児童保護政策における「子ども」の統 合 本章では、同法成立以前の子どもに関する諸立法を先 行研究やサミュエルの立案をもとに整理した。 同法成立に至るまでの政策は、子どもの「矯正」から しだいに子どもの「保護」を含むものへと移行した。「保 護」については「子どもをどう育てるか」という問題が 議論され、子育ての担い手として家族が着目されるよう になる。「保護」の名の下に家族への介入が正当化される こととなった。「保護」政策は、「処罰されるべき子育て」 を規定する機能をもっており、それはさらに「「処罰され るべき子育て」ではない子育て」を規定してくこととな った。このように、児童法成立までの政策は子どもの「矯 正」からしだいに「保護」を含むものへ、そして家族へ の介入と子育ての規定へと展開される。それには子ども 自身の「治療」だけではなく、社会秩序の維持という目 的が密接にかかわっていた。非行少年に対する「社会の 安定のため」の策の展開は、しだいに「社会に混乱をも たらす可能性」を減らすために、子どもに対する親の存 在への着目を生み出すこととなったのである。 同法では、あらゆる状況の「子ども」に関するそれま での法律を「すべての子ども」のための児童法として統 合することが目指された。この時期「すべての子ども」 が将来の社会の担い手として考えられるようになったの である。 第2 章:児童法制定をめぐる議論における<子ども>の 構築 本章では、児童法をめぐる議論のなかで、子どもにと って望ましいとされたこと、望ましくないとされたこと を分析し<子ども>が構築されていく過程を論じた。こ の分析は2つの経路で<子ども>の構築過程をみること となる。子どもに望ましいとされたことから「あるべき 子ども」を読み取ることができるが、もう一方の「望ま しくない」ことの分析も逆照射的に「あるべき子ども」 を浮かび上がらせることになる。本章では、子どもの生 命保護、子どもの身体発達、将来の犯罪者根絶という議 論が<子ども>の構築の要素であったことを指摘した。 子どもの生命保護に関する規定をめぐる議論では、児 童法の規定を守ることですべての子どもを保護すること ができるとされた。「児童法で守ることのできる子ども」 は「すべての子ども」であると考えられ、それは児童法 における<子ども>の構築の基礎となるものであった。 将来の「帝国市民」の生命保護は、国家の重要課題であ り、児童法の規定によって、市民として有益な<子ども >は育つのだとされた。 また、子どもの身体発達を考える際、児童法では子ど もの喫煙が体力低下の主な原因に据えられ、その禁止が 提案された。当時、子どもは喫煙すべきではないという ことは<自明>ではなく、児童法の規定によって<自明 >とされていったのである。「国家の子ども」の身体発達 を妨げるものとして喫煙は問題化されたため、喫煙を禁 止する基準としては、実際の年齢よりも見た目の身体発

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達が、つまり<子ども>に見えるかが重視された。喫煙 の禁止についての議論は、同時に、子どもの身体発達を <子ども>を構築する要因としていく過程でもあった。 少年裁判所等をめぐる議論からは、本来犯罪への意志 をもたないとされた<子ども>に対し、大人からの犯罪 傾向の影響が懸念されたことを見出した。児童法におけ る子どもの「矯正」についての議論は、子どもをめぐる 弊害を根源から断つことが重視された。それは「堕落し た子ども」を<子ども>にするのではなく、<子ども> を「堕落した子ども」にしないための議論であった。 「すべての子ども」をめぐる議論は、児童法の規定を 決める過程であると同時に、議会において<子ども>が 構築されていく過程でもあった。子どもの扱いについて の議論からは、彼らが<子ども>を構築していく過程が みてとれるのである。 第3 章:<家族>の構築の嚆矢 本章では、<子ども>を育てるのに「ふさわしい親」 として<親>が構築されていく過程、そしてそうした< 子ども>と<親>による<家族>が構築されようとする 過程を論じた。 <子ども>の生命保護においては、<子ども>を「適 切に」育てる担い手として<親>が想定され、<親>は <子ども>に対し責任を負うものだとされた。<親>の 構築については、階級差が問題とされながらも「子ども のため」という理由で無効化されていく動きに焦点を当 てた。子どもの保護については階級や生活環境が無視さ れ「親であれば何らかの手段で子どもを保護するはずだ」 という論理がもちだされることとなる。この議論によっ て、<親>は階級をこえた普遍的な存在として構築され ていったのである。また、「大帝国(great Empire)の有用 で実用的で有益な市民になるであろう方法で子どもたち が育つよう気をつける義務がある」という論、つまり「子 どもを守るため」という目的のもと親子関係への介入は 正当化された。これはすなわち<子ども>と<親>の構 築をより強固にしていく過程でもあった。 同時に、<子ども>の保護のための家庭調査について、 不可侵な空間である「イギリス人の城」としての「家」 への介入ととらえる論も起こっていた。親子関係の議論 と「家」の議論が同時になされたということは<子ども >と<親>の関係そのものが、不可侵な「家」の内部に あるとされていたということである。この「家」への介 入についても「子どもの保護のため」という論によって 正当化された。介入を正当化する際に議会が想定してい たのは、空間としての「家」ではなく、規定に沿った「適 切な子育て」が行われ、健全で健康な市民を育成する装 置としての<家族>であったといえる。 しかし、空間としての「家」の概念と装置としての< 家族>概念が混在していたということは、この装置とし ての<家族>という見方は全員に共有されていたもので はなく、<自明>ではなかったと考えられる。児童法の 制定が目指されたまさにこの時期、ひとつの装置として <家族>を構築しようとする動きがみられたのであった。 終章:まとめと今後の課題 本論文では、「すべての子ども」を対象としたイギリ ス児童法(1908)が成立する過程において、<子ども>と <親>の構築がなされると同時に<家族>が構築されは じめていく過程を明らかにしてきた。児童法はすぐに可 決されることなく、議会での慎重な議論を経て成立する こととなる。「すべての子ども」とそれに対応する「すべ ての親」について規定する際、子どもだけではなく親の あり方をめぐっても多くの議論がなされた。この児童法 をめぐる議論は、一つの法の制定過程であると同時に「自 明でないもの」を<自明>なものとしようとする過程、 すなわち児童保護における<子ども>や<親>を構築す る過程でもあったのである。 これまで述べてきたような議論を経て、児童法は1908 年に成立した。国家の法として成立することによってこ の<子ども><親>そして<家族>は規範性をもち、< 自明性>をもつものとして構築されたといえる。そうし て強力な規範性をもった<子ども>や<親>そして<家 族>はその後どう広がっていったのだろうか。議会の議 論だけではなく医師や民間団体といった多くの担い手に よって<家族>が複合的に構築されていく過程を明らか にすることが今後の大きな課題である。 3.主要参考文献および史料 川田昇『イギリス親権法史―救貧法政策の展開を軸にし て』一粒社、1997 年 土戸敏彦『冒険する教育哲学 <子ども>と<大人>の あいだ』勁草書房、1999 年 J.ドンズロ著、宇波彰訳『家族に介入する社会―近代家 族と国家の管理装置』新曜社、1991 年 寺﨑弘昭「イギリス1908 年児童法と H.サミュエル―自 由帝国主義と児童政策―」『東京大学教育学部紀要』第 20 巻、1981 年

Harry Hendrick, Child Welfare, England 1872-1989, Routledge, 1994

参照

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