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密教文化 Vol. 1974 No. 108 003頼富 本宏「般若三蔵について (上)――その思想と時代背景―― P33-55」

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(上

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一 そ の 思 想 と 時 代 背 景 一

序 章 中 国 に お け る 密 教 は 唐 代 に そ の 最 盛 期 を 迎 え た。 そ の 中 で も、 政 治 的 社 会 的 に、 か つ ま た 教 義 的 に も そ れ を 大 成 し た の は 不 空 三 蔵 で あ っ た。 不 空 の 滅 し た 後、 中 国 密 教 は 下 降 線 を 描 き な が ら も、 道 教 等 の 中 国 的 信 仰 を 導 入 し つ つ、 人 々 の 間 に か な り の 勢 力 を 有 し て い た。 し か し 当 時 の 他 の 仏 教 各 宗 と 比 較 し て、 国 王 ・ 王 族 ・ 宙 官 ・ 軍 閥 等 の 信 仰 が 中 心 を 占 め る 傾 向 に あ っ た 密 教 は、 有 名 な 武 宗 の 会 昌 の 法 難 ( 八 四 二 一 八 四 五 ) の 影 響 を 最 も 激 し く 受 け、 以 後 あ ま り 顕 著 な 活 躍 は 見 ら れ な く な る。 と こ ろ で 中 唐 か ら 晩 唐 に 移 る こ の 時 代 に 活 躍 し た 翻 訳 僧 の 一 人 に 般 若 な る 者 が あ る。 こ の 般 若 は、 善 無 畏 ・ 金 剛 智 ・ 不 空 な ど の よ う な 純 然 た る 密 教 者 で は な い。 彼 の 翻 訳 し た 経 典 の 幾 つ か は、 大 正 大 蔵 経 の 密 教 部 な ど に 収 め ら れ て い る が、 そ れ ら は 不 空 訳 の 諸 経 論、 あ る い は 宋 代 に 訳 さ れ た 密 教 経 典 と 幾 分 性 質 の 異 な る も の で あ る。 す な わ ち 般 若 訳 の 諸 経 典 に は、 不 空 や 宋 代 の そ れ に は 見 ら れ な い 特 異 な 思 想 が 認 め ら れ (1) (2) る。 こ の 点 に 注 目 し て、 常 盤 大 定 博 士、 月 輪 賢 隆 博 士 等 は、 般 若 の ﹁ 翻 訳 ﹂ に つ い て 疑 問 を 提 出 さ れ て い る。 後 述 す る よ う に、 筆 者 も お お む ね そ れ に 賛 同 す る も の で あ る が、 逆 に そ の よ う な 般 若 の ﹁ 翻 訳 ﹂ 態 度 と、 そ れ を 支 え た、 当 時 の 経 典 翻 訳 の 在 り 方 こ そ が 重 要 な 問 題 で は な い だ ろ う か。 そ れ こ そ が 不 空 以 後 の 中 国 密 教、 広 く は 中 国 仏 教 の 一 つ の 断 面 を 示 す も の と 考 え ら れ る の で あ る。 以 上 の よ う な 観 点 に 立 っ て、 こ こ に 般 若 三 蔵 を 取 り 上 げ て、 そ の 生 涯 と 思 想 を 論 じ よ う と す る わ け で あ る が、 般 若 に 般 若 三 蔵 に つ い て ( 上 )

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-33-密 教 文 化 注 目 す べ き も う 一 つ の 理 由 を あ げ て お き た い。 そ れ は、 弘 法 大 師 空 海 が 在 唐 時 代 に 般 若 か ら 教 え を 受 け、 そ の 結 果、 空 海 の 著 作 の 中 に、 明 ら か に 般 若 か ら 受 け 継 い だ と 思 わ れ る 重 要 な 思 想 的 特 色 が 認 め ら れ る と い う 事 実 に 基 い て い る。 空 海 が 唐 の 都 長 安 に お い て、 恵 果 阿 閣 梨 か ら 密 教 の 法 を 相 承 し た こ と は 余 り に も 有 名 で あ る。 一 方、 般 若 は、 恵 果 が 代 宗 ・ 徳 宗 な ど に 厚 く 帰 依 さ れ て い た ほ ぼ 同 じ 時 期 に、 イ ン ド か ら 海 路 中 国 に 入 り、 主 に 訳 経 の 面 で 名 を 残 し て い る。 空 海 が こ の 般 若 に 長 安 の 醒 泉 寺 で 種 々 の 教 え を 受 け た こ と は、 そ の 著 作、 ﹁ 御 請 来 目 録 ﹂、 ﹁ 秘 密 曼 茶 羅 教 付 法 伝 ﹂ 等 か ら 知 ら れ る と こ ろ で あ る。 け れ ど も 恵 果 と 空 海 と の 付 法 相 承 関 係 が 余 り に も 強 調 さ れ た た め に、 従 来 や や も す れ ば 般 若 の 影 響 は 等 閑 視 さ (3) れ て き た。 し か し 般 若 の 訳 と 伝 え ら れ て い る 諸 経 典 を 読 み、 ま た 空 海 の 著 作 を 眺 め る 時、 そ こ に 般 若 の 思 想 が 大 き な 比 重 を 占 め て い る こ と に 気 が つ く。 四 恩 説 は そ の 代 表 的 な 例 で あ ろ う。 以 下 明 ら か に す る よ う に、 般 若 訳 の 諸 経 典 に 見 ら れ る 各 々 の 思 想 は、 当 時 の 密 教、 い な 当 時 の 中 国 仏 教 全 体 の 一 つ の メ ル ク マ ー ル で あ る。 そ れ を 空 海 が 受 け 継 い で、 我 が 国 に も た ら し た こ と は、 中 国 仏 教 の 一 種 の 受 容 と い う こ と に な る。 勿 論、 空 海 は、 後 に 真 言 密 教 と い う 日 本 的 密 教 を 確 立 す る に あ た っ て、 そ の 中 国 か ら 受 け 継 い だ 諸 要 素 を、 適 宜 取 捨 選 択 し て、 そ れ な り の 変 容 を 行 な っ て い る。 し か し な が ら、 日 本 密 教 の 思 想 的 展 開 を 理 解 す る た め に も、 そ の 一 つ の 要 因 と な っ た 般 若 の 思 想 を 抽 出 し、 そ れ に よ っ て 後 期 中 国 密 教 の 形 態 と 思 想 を 再 構 成 す る こ と も ま た 必 要 な 操 作 で あ る と 考 え ら れ る。 こ の よ う な 二 つ の 観 点 に 立 っ て、 こ の 小 論 で は、 衷 ず 般 若 な る 人 物 の 生 涯 の 軌 跡 と、 そ の 翻 訳 経 典 を 検 討 す る こ と か ら 始 め、 次 に そ の 中 に 散 見 さ れ る 重 要 思 想 を 取 り 出 し、 そ れ に よ っ て、 彼 の 人 間 像 と 思 想 の 大 体 の 輪 郭 を 描 き 出 し た い。 そ し て さ ら に は、 可 能 な 限 り、 当 時 の 中 国 仏 教 の 特 色、 あ る い は 歴 史 的 背 景 な ど も 明 確 に し て 行 き た い と 考 え る 次 第 で あ る。 < 註 > (1)、 仏 書 解 説 大 辞 典 第 七 巻、 三 四 九 頁、 ﹁ 大 乗 本 生 心 地 観 経 ﹂ の 解 題。 (2)、 月 輪 賢 隆、 般 若 三 蔵 の 翻 経 に 対 す る 批 議、 ( 仏 典 の 批 判 的 研 究、 五 二 六 頁一 五 三 九 頁 ) (3)、 最 近 で は や や 再 評 価 さ れ て き た よ う で あ る。

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中 野 義 照、 密 教 の 信 仰 と 倫 理、 四 四 頁 以 下 松 長 有 慶、 密 教 の 歴 史、 一 四 七 頁、 佐 和 隆 研、 空 海 の 軌 跡、 一 〇 九 頁、 一 二 二 頁。 第 一 章 般 若 の 生 涯 に つ い て。 一、 資 料 般 若 の 生 涯 に つ い て 記 し た も の は 数 多 く は 残 っ て い な い。 本 論 で 依 用 し た 資 料 を 列 挙 す る と 次 の 如 く で あ る。 。 大 唐 貞 元 続 開 元 釈 教 録 ( 唐 ・ 円 照 ) ・ 貞 元 新 定 釈 教 目 録 ( 唐 ・ 円 照 ) 。 宋 高 僧 伝 ( 宋 ・ 賛 寧 ) 。 仏 祖 統 紀 ( 宋 ・ 志 磐 ) ・ 御 請 来 目 録 ( 日 本 ・ 空 海 ) 。 秘 密 曼 茶 羅 教 付 法 伝 ( 目 本 ・ 空 海 ) 表 中 の ﹁ 大 唐 貞 元 続 開 元 釈 教 録 ﹂ ( 以 下 続 開 元 録 と 略 す ) と ﹁ 貞 元 新 定 釈 教 目 録 ﹂ ( 貞 元 録 と 略 す ) の 二 つ は、 同 じ 円 照 作 で あ る。 円 照 は 西 明 寺 を 中 心 に 活 躍 し た 僧 で、 こ の 他、 ﹁ 粛 宗 代 宗 制 旨 碑 表 集 ﹂、 ﹁ 代 宗 朝 贈 司 空 大 弁 正 広 智 三 蔵 和 上 表 制 集 ﹂、 ﹁ 一 行 制 表 集 ﹂、 ﹁ 翻 訳 大 徳 翰 林 待 詔 光 宅 寺 利 言 集 ﹂ な ど、 す こ ぶ る 著 作 ・ 編 纂 が 多 い。 と く に 時 代 の 関 係 で、 密 教 者 に 関 す る 記 録 が 多 く、 ま た 後 述 す る 如 く、 般 若 三 蔵 と は 訳 経 の 上 で 密 接 な 関 係 を 持 っ て い る。 す な わ ち 円 照 は、 般 若 の 訳 経 の ほ と ん ど の 場 合 に、 筆 受 の 役 割 を 果 し て い る。 従 っ て 般 若 の 生 涯 と 思 想 を 考 察 す る 上 で、 こ れ ら 円 照 の 記 録 は 不 可 欠 の 資 料 と 言 わ ね ば な ら な い。 な お 両 者 の う ち、 ﹁ 続 開 元 録 ﹂ は 貞 元 十 年 ( 七 九 四 ) に、 ﹁ 貞 元 録 ﹂ は 貞 元 十 五 年 ( 七 九 九 ) ︹ 進 上 は 貞 元 十 六 年 ︺ に 撰 集 さ れ た。 般 若 に 関 す る 記 事 は 両 者 と も ほ ぼ 同 じ で あ る が、 一 部 に 広 略 の 相 違 が あ る。 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ は、 ﹁ 僧 史 略 ﹂ を 著 わ し た 賛 寧 の 作 に な る 高 僧 伝 で あ る。 そ の 中、 訳 経 篇 に ﹁ 唐 洛 京 智 慧 伝 ﹂ ( 巻 二 )、 ﹁ 唐 醒 泉 寺 般 若 伝 ﹂( 巻 三 ) と し て 別 々 に 記 さ れ て い る。 け れ ど も 大 (1) 村 西 崖 氏 も 指 摘 す る よ う に、 そ れ は 賛 寧 の 誤 ま り で あ っ て、 翻 訳 経 典 の 関 連、 あ る い は そ れ ら の 内 容 の 思 想 的 同 一 性 か ら 判 断 し て、 両 者 は 同 一 人 物 で な け れ ば な ら な い。 言 語 的 に も 、 智 慧 と 般 若 は 同 じ 意 味 で あ る。 内 容 的 に 見 れ ば、 ﹁ 智 慧 伝 ﹂ は ﹁ 続 開 元 録 ﹂、 ﹁ 貞 元 録 ﹂ と 大 略 に お い て 同 じ で あ る が、 年 時 に つ い て は く い 違 い が 多 い。 ﹁ 智 慧 伝 ﹂ が 先 の 二 書 と 同 様、 貞 元 年 間 ま で の 記 事 に 限 ら れ る の に 対 し て、 ﹁ 般 若 伝 ﹂ は む し ろ 元 和 五 年 ( 八 一 〇 ) の ﹁ 大 乗 本 生 心 地 観 経 ﹂ 翻 訳 の こ と が 般 若 三 蔵 に つ い て ( 上 )

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-35-密 教 文 化 中 心 と な っ て い る。 ﹁ 仏 祖 統 紀 ﹂ は 宋 代 の 大 石 志 磐 の 撰 で、 正 史 の 体 裁 に 倣 っ て 編 纂 さ れ て い る が、 そ の ﹁ 法 運 通 塞 志 ﹂ に 般 若 の 記 録 が 認 め ら れ る。 そ れ ら の 大 部 分 は ﹁ 新 訳 華 厳 経 ﹂、 ﹁ 大 乗 本 生 心 地 観 経 ﹂ 訳 出 に 関 す る 記 事 で あ る。 一 方、 空 海 の 著 作 に 見 ら れ る 般 若 の 記 述 は さ ほ ど 多 く な い。 し か し 空 海 も 直 接 般 若 か ら 教 示 を 受 け た の で あ る か ら、 資 料 と し て の 信 頼 度 は 高 い と 思 わ れ る。 そ れ ゆ え、 先 の 中 国 系 の 諸 資 料 と は 異 な っ た 意 味 で 重 要 で あ る。 以 上 の 他 に、 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ 巻 十 五 の ﹁ 唐 京 師 西 明 寺 円 照 伝 ﹂ に よ る と、 か の 円 照 に ﹁ 般 若 三 蔵 続 古 今 訳 経 図 譜 ﹂ な る 著 作 が あ っ た よ う で あ る が、 そ の ま ま の 形 で は 現 存 し て い な い。 も っ と も ﹁ 続 開 元 録 ﹂ に、 (2) ﹁ 広 如 二 般 若 三 蔵 続 訳 図 紀 乙 と い う 表 現 が 見 ら れ た り、 ﹁ 貞 元 録 ﹂ 巻 十 七 の 冒 頭 に、 (3) ﹁ 般 若 三 蔵 続 翻 訳 経 記 日 ﹂ と あ る こ と か ら 考 慮 す る と、 む し ろ こ の ﹁般 若 三 蔵 続 古 今 訳 経 図 譜 ﹂ と い う 著 作 が、 ﹁ 続 開 元 録 ﹂、 ﹁ 貞 元 録 ﹂ の 依 り 所 と な っ た と 考 え る こ と が で き る。 な お、 金 剛 智 ・ 善 無 畏 な ど の 他 の 密 教 伝 法 者 の 場 合 と 同 じ く、 イ ン ド ・ チ ベ ッ ト 系 資 料 は 般 若 に つ い て 全 く 触 れ る と こ ろ が な い。 < 註 > (1)、 大 村 西 崖、 密 教 発 達 志、 三 七 九 頁 (2)、 大 正 大 蔵 経 第 五 十 五 巻、 七 五 七 頁 下。 (3)、 同 七 五 七 頁 下、 八 九 一 頁 下。 二、 印 度 で の 般 若。 ' 貞 元 年 間 に 到 る ま で の 般 若 の 伝 に 関 し て は、 ﹁ 続 開 元 録 ﹂、 ﹁ 貞 元 録 ﹂ が 比 較 的 詳 し い。 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ の ﹁ 智 慧 伝 ﹂ は そ れ ら を そ の ま ま 引 い て い る。 従 っ て 主 に ﹁ 貞 元 録 ﹂ に よ り な が ら 般 若 の 生 涯 を 眺 め て 行 き た い。 ﹁ 貞 元 録 ﹂ 巻 十 七 は、 ほ と ん ど が 般 若 の 伝 記 と そ の 翻 訳 に 関 す る 記 事 か ら 成 っ て い る。 そ の う ち、 ま ず 彼 の 出 生 等 に つ い て 次 の よ う に 述 べ て い る。 ﹁法 師 梵 名 般 刺 若 唐 言 二 智 慧 一 北 天 竺 境 迦 畢 試 国 人 也。 (1) 言 二尉 賓 一 者 誼 略。 ﹂ 般 刺 若 と はPiijna の 音 訳 で あ っ て、 通 常 は 般 若 と 言 わ れ て い る。 割 註 に あ る よ う に、 智 慧 と は そ の 意 訳 で あ る。 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ の ﹁ 智 慧 伝 ﹂ は そ れ に 従 っ て い る。 次 に 出 身 地 で あ る が

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﹁貞 元 録 ﹂ で は 北 印 度 迦 畢 試 国 ( 国 巷 一 鐙 ) と な っ て い る。 さ ら に ま た 割 註 に ﹁ 魔 賓 と 言 う は 誰 略 な り ﹂ と 述 べ ら れ て い る こ と か ら、 こ の 場 合 厨 賓 と 迦 畢 試 が 同 一 の 国 を 指 し て い る こ と が わ か る。 後 に 般 若 が そ の 出 身 地 に ち な ん で、 ﹁ 閥 賓 国 沙 門 ﹂、 ﹁ 魔 賓 国 三 蔵 ﹂ な ど と 呼 ば れ る の は そ の た め で あ る。 な お 蜀 賓 国 の 所 在 に 関 し て は、 す で に 白 鳥 庫 吉 博 士 な ど の 研 究 (2) が あ る が、 時 代 に よ っ て そ の 示 す 地 域 が 異 な っ て い る。 簡 単 に 言 っ て、 漢 代 ま で は ガ ン ダ ー ラ 地 方 を、 東 晋 南 北 朝 時 代 は カ シ ュ ミ ー ル 地 方 を、 そ し て 階 唐 以 後 は カ ピ シ ヤ ( 迦 畢 試 ) 国 を 指 す と さ れ て い る。 今 の 場 合、 ﹁ 貞 元 録 ﹂ は 唐 中 期 の 作 で あ り、 か つ ﹁ 大 唐 西 域 記 ﹂ 等 の 記 事 に よ っ て 蜀 賓 と 迦 湿 蜜 羅 (Kasmura) が 別 な 国 で あ る こ と は 明 瞭 で あ る。 そ れ ゆ え に、 般 若 に つ い て 言 わ れ る 麗 賓 は、 カ シ ュ ミ ー ル 地 方 で は な く、 迦 畢 試 国、 す な わ ち 現 在 の カ ー ブ ル 北 方 の コ ー ダ ー マ ン (3) (Kohdaman) 盆 地 と、 コ ー イ ス タ ー ン (Kohitn) 南 部 と 考 え て 大 過 な か ろ う と 思 わ れ る。 次 に そ の 生 年 で あ る が、 正 確 な 年 次 を 説 い た 記 録 は な い。 (4) し か し な が ら 一 般 に は、 開 元 二 + 二 年 ( 七 三 四 ) 説、 も し く (5) は 同 二 十 一 年 ( 七 三 三 ) 説 が 採 用 さ れ て い る。 そ の 理 由 は ﹁ 続 開 元 録 ﹂ の 記 録 に 基 い て い る。 ﹁ 続 開 元 録 ﹂ 巻 上 の 貞 元 六 年 の 個 所 に ﹁ 時 般 若 三 蔵 法 師 行 年 五 十 七 尖 ﹂ と い う 言 葉 が 見 ら れ る。 従 っ て こ の 記 録 が 正 し け れ ば、 般 若 は 貞 元 六 年 ( 七 九 〇 ) に は 数 え 年 五 十 七 才 で あ っ て、 そ れ か ら 逆 算 し て、 開 元 二 十 二 年 ( 七 三 四 ) に 生 ま れ た こ と と な る。 満 年 令 で 数 え れ ば、 生 年 は 開 元 二 十 一 年 ( 七 三 三 ) に な る。 他 に 資 料 が な い の で、 よ り 正 確 な 結 論 を 下 す こ と が で き な い が、 イ ン ド 在 住 の 期 間 が 相 当 長 い こ と や、 後 に 空 海 と 出 会 っ た 時 の 老 齢 か ら 判 断 し て、 こ れ ら の 生 年 は お お む ね 的 を 得 て い る と 思 わ れ る。 さ て 般 若 は、 当 時 の 他 の 仏 教 者 と 同 様、 ま ず 小 乗 の 教 え か ら 入 っ て、 つ い で 大 乗 仏 教 の 教 義 を 究 め た。 ﹁ 貞 元 録 ﹂ に、 ﹁ 七 歳 発 心、 違 二 侍 二 親一、 帰 二 依 三 宝一。 時 依 三 大 徳 名 二 調 伏 軍一、 調 二 四 阿 含 経 満 十 万 偶、 阿 毘 達 磨 二 万 余 偶一。 又 乃 随 レ 師 詣 二 迦 湿 蜜一。 至 二 年 二 十 一具 二 足 律 儀一。 調 二 薩 婆 多 近 四 万 偶 及 倶 舎 論 偶 二 万 八 千 井 大 婆 沙一、 兼 受 二 其 義一。 七 年 此 国 学 二 習 (7) 小 乗 ご 般 若 三 蔵 に つ い て ( 上 )

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-37-密 教 文 化 と あ る よ う に、 七 才 で 発 心 し て、 三 宝 に 帰 依 し、 調 伏 軍 (Vindsesna) な る 師 に つ い て、 主 に 阿 含 経 等 を 学 ん だ。 そ の 後、 師 に 随 っ て 迦 湿 蜜 (Karnsra) 国 へ 行 き、 そ こ で 二 十 才 に し て 具 足 戒 を 受 け て い る。 迦 湿 蜜 ( 口 迦 湿 蜜 羅 ) は 昔 か ら、 有 部 な ど の 小 乗 系 仏 教 の 盛 ん な 所 で あ り、 般 若 も そ こ で、 倶 舎 論、 大 毘 婆 沙 論 な ど の 論 書 を 学 ん で い る。 と り わ け 倶 舎 論 は、 般 若 訳 と 言 わ れ る 経 典 の 中 に、 し ば し ば そ の 影 響 を 認 め る こ と が で き る。 つ い で 彼 は 那 蘭 陀 (Nallanda) に 行 き、 そ こ で 大 乗 仏 教 の 諸 学 問 を 体 得 し て い る。 ﹁ 貞 元 録 ﹂ に は 以 下 の 如 く あ る。 ﹁ 至 二 二 十 三一、 詣 二 中 天 竺 那 蘭 陀 寺一。 受 二 大 乗 唯 識 喩 伽 中 辺 等 論 及 声 明 論一。 学 下 与 二 金 剛 経 一 因 明 医 明 工 律 論 等 上。 並 依 二 智 護 進 友 智 友 三 大 論 師一。 時 乃 遊 下 従 二 讐 林 一 八 塔 上、 往 来 謄 礼 (8) 一 十 八 年。 ﹂ 般 若 は 二 十 三 才 の 時、 中 印 度 の 那 蘭 陀 寺 に 入 っ た。 玄 奨 ・ 義 浄 の 記 録 か ら も 知 ら れ る よ う に、 那 蘭 陀 は 大 小 乗 兼 学 の 地 で あ っ た が、 と く に 中 観 ・ 唯 識 の 両 学 派 が 栄 え て い た。 金 剛 智 や 善 無 畏 な ど の 密 教 伝 持 者 も、 こ こ で そ れ ら の 勉 学 に 励 ん で い る。 さ て 上 記 の 表 現 か ら も 窺 わ れ る よ う に、 般 若 は こ こ で 主 に 唯 識 関 係 の 学 問 に 専 念 し て い る。 こ の こ と は 後 に 般 若 の 思 想 を 理 解 す る 上 で、 重 要 な 意 味 を 持 っ て く る。 般 若 訳 の 諸 経 典 に 唯 識 系 の 用 語 が 多 く 用 い ら れ て い る の は そ の 一 例 で あ ろ う。 ま た ﹁ 隻 林 よ り 八 塔 に 遊 ぶ ﹂ と あ る こ と に も 注 意 し て お く べ き で あ る。 彼 は い わ ゆ る 八 塔 の 巡 礼 者 で あ っ た。 彼 の 訳 し た ﹁ 大 乗 本 生 心 地 観 経 ﹂ で は、 八 塔 の 説 明 が 二 カ 所 も な さ れ て い る。 さ ら に 同 じ く 般 若 の 訳 出 に な る ﹁ 造 塔 功 徳 延 命 経 ﹂ は 塔 崇 拝 の 功 徳 を 説 い た も の で あ る。 こ の よ う に カ シ ュ ミ ー ル、 ナ ー ラ ン ダ ー で 小 ・ 大 乗 の 研 鎭 に 励 ん だ の で あ る が、 彼 が 密 教 に 触 れ、 そ れ を 体 得 し た の は 南 イ ン ド で あ っ た。 般 若 の 密 教 相 承 に つ い て ﹁ 貞 元 録 ﹂ は 以 下 の よ う に 説 明 し て い る。 ﹁ 時 聞 二南 天 尚 二 持 明 蔵一、 遂 便 往 詣 諮 三 票 未 聞一。 有 二 潅 頂 師 厭 名 法 称一。 受 二 喩 伽 教 一入 二 曼 茶 羅一。 三 密 護 身 五 部 契 印、 如 レ 是 承 奉 住 経 二 一 年一。 (9) 謁 満 二 三 千 五 百 余 偶一。 ﹂ こ の 表 現 中、 南 天 竺 で 持 明 蔵 ( 真 言 行 を 中 心 と す る 大 乗 仏 教 )

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が 流 行 し て い た と い う こ と は、 す こ ぶ る 示 唆 に 富 ん で い る。 す で に 知 ら れ て い る 如 く、 南 イ ン ド で は 七 世 紀 の 後 半 か ら 金 剛 頂 経 系 の 楡 伽 部 密 教 が 興 隆 し て き た。 ﹁ 金 剛 頂 経 ﹂ を 最 初 に 中 国 へ 将 来 し た 金 剛 智 も、 密 教 者 と し て 活 躍 し た の は 南 イ ン ド で あ っ た。 と こ ろ で 般 若 の 密 教 思 想 に は、 も う 一 つ の 中 心 経 典 で あ る ﹁ 大 日 経 ﹂ の 思 想 も 継 承 さ れ て い る が、 そ れ よ り も 遥 か に ﹁ 金 剛 頂 経 ﹂ の 影 響 が 強 い。 般 若 の 翻 訳 の 中 に、 初 会 の ﹁ 金 剛 頂 経 ﹂ の 系 統 に 属 す る ﹁ 諸 仏 境 界 摂 真 実 経 ﹂ が あ る の は そ の こ と を 示 し て い る。 さ ら に ﹁ 貞 元 録 ﹂ 中 の ﹁ 護 身 五 部 印 契 ﹂ と は、 仏 ・ 金 剛 ・ 蓮 華 ・ 宝 ・ 掲 磨 の、 い わ ゆ る 金 剛 界 五 部 を 意 味 し て い る と 思 わ れ る。 な お 潅 頂 の 師 で あ る 法 称 な る 人 物 に 関 し て は 明 ら か で な い。 大 論 理 学 者 の 法 称 (harrmakiti) の 例 を 出 す ま で も な く、 法 称 と は か な り 一 般 的 な 名 前 で あ り、 有 名 な チ ベ ッ ト 仏 教 の 改 革 者 ア テ ィ ー シ ャ (Atusa) の 密 教 の 師 も 法 称 と 伝 え ら れ て い る。 < 註 > (1)、 大 正 大 蔵 経 第 五 十 五 巻、 八 九 一 頁 下。 (2)、 白 鳥 庫 吉、 厨 賓 国 考 ( 東 洋 学 報 七 ノ 一 ) (3)、 田 辺 勝 美、 迦 畢 試 国 出 土 の 仏 教 彫 刻 の 製 作 年 代 に つ い て ( オ リ エ ン ト、 十 五 ノ 二、 九 〇 頁 ) (4)、 望 月 仏 教 大 辞 典 第 六 巻 ( 年 表 編 ) 一 六 八 頁。 密 教 大 辞 典 第 四 巻、 一 八 三 二 頁。 (5)、 小 野 塚 幾 澄、 守 護 経 と 大 日 経 と の 関 係、 ( 豊 山 学 報 七、 八 九 頁 ) 高 田 仁 覚、 密 教 と 如 来 蔵 思 想 と の 関 係 H ( 密 教 文 化 五 六、 二 七 頁 ) (6)、 大 正 大 蔵 経 第 五 十 五 巻、 七 五 七 頁 中。 (7)、 同 八 九 一 頁 下。 (8)、 同 八 九 一 頁 下。 (9)、 同 八 九 一 頁 下。 (10)、 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ で は 達 摩 耶 舎 と な っ て い る。 大 正 大 蔵 経 第 五 十 巻、 七 一 六 頁 中。 三、 入 唐 前 後 次 に 中 国 へ 渡 る 問 の 事 情 を 見 て み た い。 ﹁ 嘗 聞 支 那 大 国、 文 殊 在 レ 中。 東 赴 二 大 唐 一誓 レ 伝 二 仏 教一。 汎 レ 海 東 遭 架 レ 険 乗 レ 航。 垂 レ 至 二広 州 一風 瓢 却 返。 至 二 執 師 子 国 之 東 隅一。 又 集 二 積 資 一堅 修 二 船 舶一。 備 歴 二 南 海 路 次 国 中一。 建 中 二 年、 垂 レ 至 二 広 府 一風 吹 舶 破 平 没 二 数 船一。 始 レ 従 二 五 更 一泊 二 干 日 出 一 或 漂 或 溺 頼 レ 遇 二 順 風一。 所 持 資 梵 來 経 論、 遭 二 此 厄 難 一不 レ 知 レ 所 レ 之。 及 レ 至 二 海 儒 一巳 在 二 般 若 三 蔵 に つ い て ( 上 )

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密 教 文 化 岸 上 於 白 砂 内 大 竹 筒 中一。 宛 若 レ 有 レ 神 歎 二 未 曽 有一。 知 下 大 乗 理 趣 六 波 羅 蜜 経 与 二 大 唐 国 中 一根 縁 熟 上 夷。 東 行 半 月 方 達 二 広 州 一 泊 二 建 中 (1) 三 年 一届 二 干 上 国 一夷。 ﹂ そ れ に よ る と、 中 国 は 文 殊 菩 薩 縁 り の 国 と 聞 き、 伝 道 を 決 意 し た と あ る。 こ れ は 金 剛 智 が 観 自 在 菩 薩 の お 告 げ に よ っ て、 大 唐 国 に て 文 殊 師 利 菩 薩 に 会 う よ う に 勧 め ら れ た 話 と よ く 似 て い る。 晩 年 の 不 空 の、 五 台 山 を 中 心 と し た 熱 烈 な 文 殊 信 仰 に 見 ら れ る 如 く、 密 教 者 と 文 殊 は 関 係 が 深 い。 般 若 の 記 事 も そ の よ う な 点 を 意 識 し た も の か も 知 れ な い。 渡 航 に あ た っ て は、 金 剛 智 と 同 様、 非 常 に 苦 労 し た よ う で あ る。 執 師 子 国 と は 恐 ら く セ イ ロ ン で あ ろ う が、 い く ら 難 破 し た と は い え、 広 州 か ら セ イ ロ ン ま で 流 さ れ た と は 幾 分 誇 張 の 感 が す る。 再 度 渡 航 し た 際 も、 広 州 の 近 く で 難 破 し た が、 持 参 し た ﹁ 大 乗 理 趣 六 波 羅 蜜 経 ﹂ ( 以 下 六 波 羅 蜜 経 と 略 す ) の 梵 本 等 は 竹 筒 に 入 っ て 浜 辺 に 打 ち 上 げ ら れ て い た た め 無 事 で あ っ た と い う。 こ れ は 後 に ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ を 弘 め る に あ た っ て、 そ の 価 値 を 高 め る た め に 付 け 加 え ら れ た 話 と 考 え ら れ る。 と も あ れ 銀 難 辛 苦 の 末、 建 中 二 年 ( 七 八 〇 ) に 広 州 の 近 く (2) (3) に 漂 着 し、 同 三 年 に は 京 師 に 到 着 し た。 < 註 > (1)、 大 正 大 蔵 経 第 五 十 五 巻、 八 九 一 頁 下一 八 九 二 頁 上。 (2)、 ﹁ 貞 元 録 ﹂ の ﹁ 備 歴 南 海 路 次 国 中 建 中 二 年 ﹂ の 個 所 が、 ﹁ 続 開 元 録 ﹂ で は ﹁ 備 歴 南 海 路 次 国 中 二 十 二 年 ﹂ と あ り、 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ も そ れ に 従 っ て い る。 そ の 場 合、 前 後 の 関 係 か ら、 般 若 の 漂 着 を 建 中 三 年 ( 七 八 二 ) と 考 え る こ と が で き る。 松 長 有 慶、 密 教 の 歴 史、 一 四 七 頁。 (3)、 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ で は ﹁ 貞 元 二 年 始 届 京 賛 ﹂ と な っ て い る。 大 正 大 蔵 経 第 五 十 巻、 七 一 六 頁 中。 四、 中 国 で の 般 若 ﹁ 貞 元 録 ﹂ に よ れ ば、 般 若 は 貞 元 二 年 ( 七 八 六 ) に、 神 策 軍 正 将 羅 好 心 な る 者 に 会 っ て い る。 こ の 羅 好 心 に 対 し て、 ﹁ 続 開 元 録 ﹂、 ﹁ 貞 元 録 ﹂、 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ と も に、 そ れ を ﹁ 慧 ( 般 若 ) の 舅 氏 の 子 な り ﹂ と し て お り、 ま た 羅 好 心 自 身 も ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ 翻 訳 完 成 の 褒 美 に 対 す る 上 表 の 中 で、 ﹁ 表 弟 厨 賓 国 沙 門 僧 般 若。 ⋮⋮中 略 ⋮⋮。 微 臣 表 弟 十 四 離 レ 郷。 志 慕 二 紬 流 一跡 親 二 僧 侶 一。 ⋮⋮中 略 ⋮⋮。 臣 家 西 (1) 番 得 レ 居 二 中 国 一。 ⋮⋮。 ﹂ と 述 べ て い る。

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従 っ て こ れ ら の 記 述 に よ れ ば、 羅 好 心 は 般 若 の 母 方 の 親 戚 と い う こ と に な る。 こ の 他、 ﹁ 貞 元 録 ﹂ 中 の ﹁華 厳 経 ﹂ 翻 訳 の 個 所 に、 ﹁ 般 若 三 蔵 生 二 是 国 中 一 ( 閥 賓 )。 俗 姓 喬 答 (2) 摩。 或 従 二 母 族 一姓 羅 氏 実。 ﹂ と あ る こ と な ど を 併 わ せ 考 慮 す る と、 般 若 の 母 方 の 系 統 は、 幾 分 中 国 の 血 が 混 っ た 西 域 人、 あ る い は 安 禄 山 の よ う な 雑 胡 で あ っ て、 当 時 西 域 か ら 中 国 へ 移 住 し て い た と 想 定 す る こ と が で き る。 資 料 の 不 足 で、 現 在 の 段 階 で は こ れ 以 上 明 ら か で な い が、 不 空 の 母 が 西 域 康 国 の 出 身 で、 彼 が 後 に 母 方 の 叔 父 の 世 話 に な っ て 中 国 へ や っ て 来 た こ と を 考 え る と、 唐 代 の 自 由 な 往 来 と い う 環 境 か ら、 般 若 の 親 戚 が 中 国 に い た と し て も 決 し て 不 思 議 で は な い。 い ず れ に し て も、 こ の 羅 好 心 な る 人 物 は、 す で に 熱 心 な 仏 教 信 者 で あ り、 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ に (8) ﹁ 慧 得 二 好 心 啓 導一、 訳 務 有 レ 光。 ﹂ と あ る 如 く、 般 若 は 強 力 な 支 持 者 を 得 た わ け で あ る。 な お 般 若 と 羅 好 心 の 親 戚 関 係 の 真 偽 は 別 と し て も、 両 者 の 関 係 は、 不 空 と 河 西 節 度 使 ・ 御 史 大 夫 寄 督 翰 と の 関 係 と 類 似 し て い る。 こ の よ う に 将 軍 ・ 軍 閥 が 有 力 な 被 護 者 と な っ て い る と こ う に、 唐 代 密 教 の 性 格 の 一 端 を 窺 い 知 る こ と が で き る。 般 若 は、 ま ず 訳 経 活 動 の 手 始 め と し て、 大 秦 寺 の 波 斯 僧 の 景 浄 と と も に、 胡 本 か ら ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ 七 巻 を 訳 出 し た。 景 浄 は 景 教 ( ネ ス ト リ ウ ス 教 ) の 僧 で あ り、 ﹁ 大 秦 景 教 流 行 中 国 碑 文 ﹂ の 撰 者 と し て 知 ら れ て い る。 と こ ろ が ﹁ 貞 元 録 ﹂ に、 ﹁ 時 為 下 般 若 不 レ 閑 二 胡 語一、 復 未 レ 解 二 唐 言一、 景 浄 不 レ 識 二 梵 文 ハ 復 未 上 レ 明 二 釈 教一。 錐 レ 称 二 伝 訳 ハ 未 レ 獲 二 半 (4) 珠 一。 ﹂ と 言 わ れ て い る よ う に、 寄 り 合 い 所 帯 の 翻 訳 は 成 功 せ ず、 折 角 訳 出 し た も の の、 ﹁ 理 昧 く 詞 疎 し ﹂ と 評 さ れ、 両 者 は そ れ ぞ れ の 宗 教 で 精 進 す る こ と を 命 ぜ ら れ た。 そ こ で 般 若 は 改 め て こ の ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ を 翻 訳 し 直 す こ と と な る。 貞 元 四 年 ( 七 八 八 )、 徳 宗 皇 帝 は 桐 部 に 命 じ て 十 大 徳 を 選 び、 長 安 西 明 寺 に お い て 重 ね て こ れ を 訳 出 さ せ た。 こ の 時 の 訳 場 の 列 位 は 大 徳 尉 賓 国 三 蔵 沙 門 般 若 宣 釈 梵 本 光 宅 寺 沙 門 利 言 訳 梵 語 西 明 寺 沙 門 円 照 筆 ・受 般 若 三 蔵 に つ い て ( 上 )

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-41-密 教 文 化 資 聖 寺 沙 門 道 液 潤 文 西 明 寺 沙 門 良 秀 〃 荘 厳 寺 沙 門 円 照 〃 慈 恩 寺 沙 門 応 真 証 義 醒 泉 寺 沙 門 超 悟 〃 光 宅 寺 沙 門 道 岸 〃 西 明 寺 沙 門 弁 空 〃 で あ り、 当 時 の 仏 教 界 と し て は な か な か の 威 容 で あ る。 六 月 八 日 起 首 し て、 十 一 月 十 五 日 繕 写 し 終 り、 同 二 十 八 日 録 表 進 上 し て い る。 こ れ が ﹁ 大 乗 理 趣 六 波 羅 蜜 多 経 ﹂ 十 巻 と 呼 ば れ る も の で あ る。 徳 宗 は そ の 労 を 嘉 し、 般 若 に 絹 一 百 疋、 冬 服 一 副、 他 の 諸 大 徳 に は 各 々 絹 五 十 疋、 衣 一 副 を 授 け ら れ た。 こ れ に 対 し て、 般 若 お よ び 羅 好 心 が そ れ ぞ れ 上 表 し て 深 謝 し (5) て い る。 翌 貞 元 五 年 二 月 四 目、 般 若 は ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ 中 の 真 言 ・ 契 印 等 を 略 出 し、 そ の 唐 梵 対 照 を 進 上 し て、 茶 三 十 串 を 勅 賜 さ れ て い る。 新 訳 の ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ は 後 述 す る 如 く、 第 二 巻 の 陀 羅 尼 護 持 国 界 品 の み 密 教 的 色 彩 が 顕 著 で あ る。 こ の ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ は、 当 時 の 仏 教 界 に お い て、 表 面 的 に は 非 常 に も て は や さ れ た。 翻 訳 が 完 成 す る と、 直 ち に 訳 揚 に 列 し て い た 良 秀 ・ 超 悟 に よ り、 奉 勅 で も っ て ﹁ 疏 ﹂ が 作 成 さ れ た。 さ ら に 醒 泉 寺 な ど に 六 波 羅 蜜 院 を 置 い て、 こ の 経 を 講 ず る こ と を 請 う て い る。 し か し こ れ ら の 一 連 の 措 置 は ど う も (6) 政 治 的 色 彩 が 強 い。 月 輪 博 士 の 指 摘 さ れ る 如 く、 最 盛 期 を 過 ぎ て 次 第 に 沈 滞 し つ つ あ っ た 当 時 の 仏 教 界 は、 ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ を 新 し く 翻 訳 す る こ と に よ っ て、 同 時 に そ こ に 当 時 の 仏 教 事 情 に 適 合 す る 新 し い 要 素 を 持 ち 込 み、 そ れ に よ っ て 自 己 の 存 在 意 義 を 強 調 し よ う と し た も の と 考 え ら れ る。 貞 元 五 年 五 月、 徳 宗 よ り 先 の ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ の 御 製 の 序 を 賜 わ っ た。 こ の 序 文 は 元 代 の 念 常 に よ っ て 編 纂 さ れ た ﹁ 仏 祖 (7) 歴 代 通 載 ﹂ の 中 に も 引 用 さ れ て い る。 つ い で 貞 元 六 年 七 月、 般 若 は 北 天 竺 迦 湿 蜜 羅 国 に 使 す べ き 勅 命 を 受 け た。 か っ て そ こ で 学 ん だ 経 歴 を 買 わ れ た も の で あ ろ う。 七 月 二 十 四 日、 長 安 を 出 発 し、 貞 元 八 年 四 月、 命 を 果 し て 北 天 よ り 帰 国 し た。 こ の 間、 貞 元 六 年 七 月 二 十 五 目 に、 般 若 三 蔵 の 名 と 紫 衣 を 賜 わ っ て い る。 ﹁ 貞 元 録 ﹂ 巻 二 十 二 の 目 録 の 個 所 で、 (8) ﹁ 魔 賓 国 三 蔵 賜 紫 沙 門 般 若 ﹂

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と あ る の は そ の こ と を 示 し て い る。 般 若 の 晩 年 の 最 大 の 事 業 は、 ﹁ 大 方 広 仏 華 厳 経 ﹂ 四 十 巻 の 翻 訳 で あ る。 こ れ に つ い て は ﹁ 貞 元 録 ﹂ に 詳 し い。 そ の 概 略 を 示 す と、 貞 元 十 一 年 ( 七 九 五 ) 十 一 月、 天 竺 烏 茶 国 王 が 華 厳 経 普 賢 行 願 品 の 梵 本 を 唐 朝 に 献 上 し た。 そ こ で 勅 に よ っ て、 般 若 が 崇 福 寺 に お い て 翻 訳 に 従 い、 同 十 四 年 三 月 訳 了 し た。 俗 に ﹁ 華 厳 経 四 十 巻 本 ﹂ と 言 わ れ る も の で あ る。 訳 場 の 構 成 は 以 下 の 如 く で あ る。 厨 賓 国 三 蔵 賜 紫 沙 門 般 若 宣 梵 本 東 都 天 宮 寺 沙 門 広 済 訳 語 西 明 寺 賜 紫 沙 門 円 照 筆 受 保 寿 寺 沙 門 智 柔 廻 綴 ( 綴 文 ) 〃 智 通 〃 成 都 府 正 覚 寺 沙 門 道 弘 潤 文 章 敬 寺 沙 門 堕 霊 〃 大 覚 寺 沙 門 道 章 証 義 千 福 寺 沙 門 大 通 〃 大 原 府 崇 福 寺 沙 門 澄 観 詳 定 千 福 寺 沙 門 霊 遽 〃 こ の う ち 円 照 は ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ 訳 出 の 時 に も 筆 受 を 務 め て い る。 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ 巻 十 五 の ﹁ 円 照 伝 ﹂ に よ れ ば、 彼 は 後 に 紫 衣 を 賜 い、 臨 壇 両 街 十 望 大 徳 内 供 奉 検 校 鴻 朧 少 卿 に 充 て ら れ て い る。 ま た 綴 文 の 役 の 智 柔 は、 ﹁ 続 開 元 録 ﹂ に よ れ ば、 般 若 に ﹁ 般 若 心 経 ﹂ の 訳 出 を 請 い、 般 若 が 北 天 へ 遣 わ さ れ て い る 間 に、 新 訳 ﹁ 般 若 心 経 ﹂ の 証 義 ・ 潤 文 を 終 え て 奉 進 し た 者 で あ る。 詳 定 の ﹁大 原 府 崇 福 寺 沙 門 澄 観 ﹂ と は、 ま さ に 清 涼 国 師 澄 観 そ の 人 で あ る。 彼 は 当 時、 河 東 節 度 使 李 公 自 良 の 請 い に よ り、 崇 福 寺 で 経 を 講 じ て い た。 澄 観 は 不 空 の 訳 場 に 列 し た こ と も あ り、 さ ら に 般 若 の ﹁ 守 護 国 界 主 陀 羅 尼 経 ﹂ 訳 出 の 際 も、 詳 定 と し て 参 加 し て い る。 と こ ろ で 貞 元 十 五 年 ( 七 九 九 ) に 作 ら れ た ﹁ 貞 元 録 ﹂ で は、 こ の 辺 り で 般 若 の 伝 は 終 っ て い る。 勿 論 ﹁ 続 開 元 録 ﹂ も 同 様 で あ る。 し か し 逆 に、 年 代 が 非 常 に 接 し て お り、 か つ 般 若 と 円 照 が 訳 経 の 上 で、 共 に 仕 事 を し た と い う 点 か ら、 そ の 資 料 的 価 値 は 高 い と 言 え る で あ ろ う。 さ て そ れ 以 後 の 般 若 の 活 動 の 中 で、 そ の 跡 を 辿 り 得 る の は、 ﹁ 守 護 国 界 主 陀 羅 尼 経 ﹂、 ﹁ 大 乗 本 生 心 地 観 経 ﹂ ( 以 下 ﹁ 守 護 般 若 三 蔵 に つ い て ( 上 )

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-43-密 教 文 化 経 ﹂、 ﹁ 心 地 観 経 ﹂ と す る ) 両 経 の 訳 出 と、 日 本 僧 空 海 と の 接 触 で あ る。 ま ず 両 経 の 翻 訳 の 模 様 か ら 眺 め て み た い。 ﹁ 守 護 経 ﹂ 翻 訳 の 状 況 は、 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ 巻 三 の ﹁ 唐 京 兆 慈 恩 寺 寂 黙 伝 ﹂ に 説 か れ て い る。 寂 黙 と は 意 訳 で、 梵 名 は 牟 尼 室 利 (Munisri) と い う。 徳 宗 の 貞 元 九 年 ( 七 九 三 ) に イ ン ド の 那 蘭 陀 寺 を 発 し、 苦 難 の 末、 貞 元 十 六 年 ( 八 〇 〇) に 長 安 に 至 り 興 善 寺 に 住 し た。 そ の ﹁ 寂 黙 伝 ﹂ の 最 後 の 個 所 に、 ﹁ 守 護 経 ﹂ の 翻 訳 に 関 し て 次 の よ う に 述 べ て い る。 ﹁ 案 守 護 国 界 主 経、 是 般 若 訳、 牟 尼 室 利, 証 二 梵 本一。 翰 林 待 詔 光 宅 寺 智 真 訳 語、 円 照 筆 受、 堕 虚 潤 文、 澄、 観 証 義 焉。 ﹂ こ れ よ り 判 断 す る と、 般 若 が 訳 し て、 牟 尼 室 利 が 梵 本 を 証 し た こ と に な る が、 一 般 の 漢 訳 大 蔵 経 で は、 ﹁ 守 護 経 ﹂ は 般 若 と 牟 尼 室 利 の 共 訳 と さ れ て い る。 空 海 は こ の 両 者 か ら 教 え を 受 け て い る が、 牟 尼 室 利 の 中 国 で の 活 躍 期 間 が 短 か か っ た た め か、 空 海 の ﹁ 御 請 来 目 録 ﹂ で は、 ﹁ 守 護 経 ﹂ は 般 若 の 訳 と あ る。 一 方 の ﹁ 心 地 観 経 ﹂ は 般 若 の 翻 訳 で も 最 末 期 の も の に 属 す る。 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ 巻 三 の ﹁ 般 若 伝 ﹂ に、 ﹁至 三 兀 和 五 年 庚 寅一、 詔 二 工 部 侍 郎 帰 登 孟 簡 劉 伯 劉 薫 挽 等 ﹁就 二醗 泉 寺 一、 訳 二 出 経 八 巻一。 号 二 本 生 心 地 観一。 此 之 梵 來 乃 高 宗 朝 師 子 国 所 レ進 者。 写 畢 進 上。 帝 覧 有 レ勅、 朕 願 為 レ (10) 序。 尋 頚 二 下 其 文 ハ冠 二 干 経 首 一。 ﹂ と あ る よ う に、 ﹁ 心 地 観 経 ﹂ は 元 和 五 年 ( 八 一 〇 ) の 訳 出 で あ (11) る。 ( 進 上 は 元 和 六 年 )。 原 本 は 師 子 国 の 献 上 と あ り、 憲 宗 の 御 製 の 序 に も そ の 旨 を 記 し て い る が、 後 述 す る よ う に、 経 典 自 体 に 発 達 の 段 階 が 認 め ら れ る。 こ の ﹁ 心 地 観 経 ﹂ は、 先 の ﹁ 守 護 経 ﹂ と 並 ん で、 般 若 の 思 想 を 考 察 す る 上 で 最 も 重 要 な 経 典 で あ る。 な お ﹁ 心 地 観 経 ﹂ 訳 出 の 際 に、 日 本 国 の 沙 門 霊 仙 が 筆 受 並 び に 訳 語 を 勤 め た こ と が 知 ら れ て い る が、 ﹁ 心 地 観 経 ﹂ は こ の 霊 仙 を 通 じ て 我 国 へ 伝 え ら れ た と 推 測 さ れ て い (11) る。 次 に 空 海 と の 遅 遁 に 関 し て は、 空 海 が 帰 朝 後 作 成 し た ﹁ 御 請 来 目 録 ﹂、 ﹁ 秘 密 曼 茶 羅 教 付 法 伝 ﹂ ( ﹁ 広 付 法 伝 ﹂ と 略 す ) が 有 力 な 資 料 と な る。 ﹁ 御 請 来 目 録 ﹂ で は、 般 若 三 蔵 の 訳 経 と し て、 新 訳 華 厳 経 一 部 四 十 巻

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大 乗 理 趣 六 波 羅 蜜 経 一 部 十 巻 守 護 国 界 主 陀 羅 尼 経 一 部 十 巻 (12) 造 塔 延 命 功 徳 経 一 部 一 巻 の 計 四 部 六 十 一 巻 を あ げ て い る が、 こ れ と は 別 に、 般 若 三 蔵 か ら 譲 り 受 け た 梵 來 三 口 の 説 明 と し て 以 下 の よ う に 述 べ て い る。 ﹁ 梵 來 三 口。 右 般 若 三 蔵 告 日、 吾 生 縁 蜀 賓 国 也。 少 年 入 レ 道 経 二 歴 五 天一。 常 誓 二 伝 灯 一来 遊 二 此 間一。 今 欲 レ 乗 レ 婬 東 海 無 レ 縁 志 願 不 レ 遂。 我 所 訳 華 厳 六 波 羅 蜜 経 及 斯 梵 來 将 去 供 養。 伏 願 結 二 (13) 縁 彼 国 一抜 二 済 元 元一。 恐 レ 繁 不 二 二 一。 ﹂ こ の よ う に 空 海 は 般 若 か ら、 彼 の 翻 訳 経 典 と 梵 本 を 与 え ら れ、 そ の 日 本 伝 来 を 付 託 さ れ た の で あ る。 こ の 梵 本 に つ い て は、 現 在 の と こ ろ そ の 内 容 を 知 る こ と が で き な い。 そ れ が 判 明 す れ ば、 般 若 理 解 の 一 助 と な る の で あ る が。 さ て 空 海 が 般 若 に 教 え を 受 け た 時 期 に 関 し て は、 そ れ を 恵 (14) (15) 果 に 出 会 う 以 前 と す る 説 と、 恵 果 の 滅 後 と す る 説 が あ る。 こ こ で 直 ち に そ れ を 決 定 す る こ と は 難 し い が、 恵 果 の 俗 弟 子 の 呉 磐 の ﹁ 大 唐 神 都 青 龍 寺 東 塔 院 潅 頂 国 師 恵 果 阿 闊 梨 行 状 ﹂ に、 ﹁ 今 有 二 日 本 沙 門 空 海一。 来 求 二 聖 教 一以 二 両 部 秘 奥 壇 儀 印 契一。 漢 梵 無 レ 差 悉 受 二 於 心一。 猶 如 二 写 (16) 瓶 一。 ﹂ と 説 か れ て い る こ と を 考 慮 す る と、 恐 ら く 恵 果 と 出 会 う 前 に、 般 若 等 に 梵 語 な ど の 教 え を 受 け て い た も の と 推 測 さ れ る。 と こ ろ で 般 若 は 徳 宗 の 勅 を 受 け て、 ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂、 ﹁ 華 厳 経 ﹂ な ど を 訳 出 し て、 唐 代 最 後 の 翻 訳 者 と し て 知 ら れ て い る が、 密 教 者 と し て は、 ど う も 恵 果 よ り 下 の 立 場 に あ っ た よ う に 思 わ れ る。 空 海 の ﹁ 広 付 法 伝 ﹂ 巻 二 で は、 般 若 が 恵 果 の 法 (17) 莚 に 列 し て い た こ と が 報 告 さ れ て い る。 ま た 彼 の 翻 訳 経 典 の 中 で、 完 全 な 意 味 で の 密 教 経 典 は、 わ ず か に ﹁ 諸 仏 境 界 摂 真 実 経 ﹂ ( こ れ も 問 題 が あ る が ) の み で あ り、 そ の 他 の 経 典 は 部 分 的 に 密 教 を 導 入 し て い る に す ぎ な い。 こ の 点 に 関 し て は 後 に 詳 し く 触 れ る が、 要 す る に 般 若 は 密 教 者 と し て は 不 完 全 性 を 残 し て い た と 言 え る。 と は い え、 空 海 が 般 若 か ら 密 教 の 相 承 に 関 す る 教 え を 受 け た こ と も 事 実 で あ る。 例 え ば 竜 智 三 蔵 に 関 し て、 ﹁広 付 法 伝 ﹂ 巻 一 に は、 ﹁ 貧 道、 大 唐 貞 元 二 十 二 年、 於 二 長 安 醒 泉 般 若 三 蔵 に つ い て ( 上 )

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-45-密 教 文 化 寺一、 聞 二般 若 三 蔵 及 牟 尼 室 利 三 蔵 南 天 婆 羅 門 等 説一、 是 竜 智 阿 闊 梨 今 見 在 二 南 天 竺 (18) 国 一伝 二 授 秘 密 法 等一。 云 云。 ﹂ と あ る。 南 イ ン ド で 密 教 を 学 ん だ 般 若 は、 龍 智 の よ う な 金 剛 頂 経 系 の 相 承 者 に つ い て は 知 る と こ ろ が あ っ た の で あ ろ う。 般 若 は 言 葉 の 全 き 意 味 に お い て、 密 教 者 と 言 え な い か も 知 れ な い が、 当 時 の イ ン ド に 生 ま れ、 学 ん だ 者 と し て、 当 然 密 教 的 素 養 を 有 し て い た こ と は 否 定 で き な い。 垂 空 海 は 元 和 元 年 ( 八 〇 六 ) 三 月、 長 安 を 発 し て 帰 国 の 途 に 着 い て い る の で、 そ れ 以 後 の 訳 出 で あ る ﹁ 心 地 観 経 ﹂ の 直 接 の 伝 承 は な か っ た よ う で あ る。 ま た 般 若 と と も に ﹁ 守 護 経 ﹂ を 翻 訳 し、 空 海 に も イ ン ド に 関 す る 教 示 を 与 え た 牟 尼 室 利 は、 同 年 六 月 に 滅 し て い る。 永 貞 元 年 ( 八 〇 五 ) 十 二 月 の 恵 果 の 示 寂 と い い、 空 海 の 入 唐 が も う 少 し 遅 れ れ ば、 恵 果 ・ 牟 尼 室 利 か ら 教 え を 得 る こ と も 無 か っ た は ず で あ る。 そ の 点 空 海 は 実 に 幸 運 で あ っ た と 言 え る で あ ろ う。 般 若 の 晩 年 に 関 し て は 不 明 な 点 が 多 い。 ﹁ 続 開 元 録 ﹂ の 貞 元 六 年 ( 七 九 〇 ) の 項 に、 ﹁ 時 に 般 若 三 蔵 法 師 行 年 五 十 七 な り ﹂ と 記 さ れ て い る こ と か ら 考 え て、 空 海 と 出 会 っ た 貞 元 二 十 一 年 ( 八 〇 五 ) の 頃 に は、 す で に 七 十 才 を 過 ぎ て い た と 思 わ れ る。 彼 の 臨 終 に つ い て は、 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ 巻 二 の ﹁ 智 慧 伝 ﹂ に、 (19) ﹁ 慧 後 終 二 干 洛 陽一。 葬 二 龍 門 之 西 岡一。 塔 今 存 夷。 ﹂ (20) と あ る の み で、 そ の 正 確 な 殿 年 は わ か ら な い。 た だ ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ 巻 三 の (21) ﹁ 般 若 終 二 乎 訳 場 一﹂ と い う 表 現 を、 当 面 の 般 若 三 蔵 の こ と と す れ ば、 最 後 ま で 訳 経 に 従 事 し た の で あ ろ う。 彼 は 死 後、 龍 門 の 西 岡 に 葬 ら れ た と 記 さ れ て い る が、 密 教 の 相 承 者 の う ち、 善 無 畏 が 開 元 二 十 三 年 ( 七 三 五 ) に、 同 じ く 金 剛 智 が 開 元 二 十 九 年 ( 七 四 一 ) に そ れ ぞ れ 龍 門 に 葬 ら れ て い る。 偶 然 か 必 然 か、 興 味 の 存 す る と こ ろ で あ る。 < 註 > (1)、 大 正 大 蔵 経 第 五 十 五 巻、 八 九 二 頁 上一 八 九 二 頁 中。 (2)、 同 八 九 四 頁 下。 (3)、 大 正 大 蔵 経 第 五 十 巻、 七 一 六 下。 (4)、 大 正 大 蔵 経 第 五 十 五 巻 八 九 二 頁 上。 (5)、 羅 好 心 の 上 表 文 は ﹁ 全 唐 文 ﹂ 巻 六 一 二 に 収 め ら れ て い る。 (6)、 月 輪 賢 隆、 前 掲 書、 五 三 〇 頁一 五 三 一 頁。

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(7)、 ﹁ 仏 祖 歴 代 通 載 ﹂ 巻 十 四 に 引 用 さ れ て い る 御 製 の 序 文 に は、 ﹁ 代 宗 皇 帝 親 製 叙 文 ﹂ と あ る が、 ﹁ 徳 宗 ﹂ の 誤 ま り で あ ろ う。 大 正 大 蔵 経 第 四 十 九 巻、 六 〇 八 頁 上。 (8)、 大 正 大 蔵 経 第 五 十 五 巻、 九 三 八 頁 中。 (9)、 大 正 大 蔵 経 第 五 十 巻、 七 二 一 頁 上。 (10)、 同 七 二 二 頁 中。 (11)、 ﹁ 仏 祖 統 紀 ﹂ 巻 四 十 一 に は 以 下 の 如 く で あ る。 ﹁ 六 年、 般 若 三 蔵 訳 二 本 生 心 地 観 一。 諌 議 大 夫 孟 簡 潤 文。 帝 御 二 製 序 一。 ﹂ 大 正 大 蔵 経 第 四 十 九 巻、 三 八 一 頁 中。 (11)、 中 野 義 照、 密 教 の 信 仰 と 倫 理、 四 四 頁 (12)、 弘 法 大 師 全 集 第 一 輯、 八 四 頁。 (13)、 同 一 〇 一 頁 (14)、 渡 辺 照 宏 ・ 宮 坂 宥 勝、 沙 門 空 海、 七 八 頁一 七 九 頁。 中 野 義 照、 弘 法 大 師 と 真 言 宗 の 成 立、 印 仏 研 一 五 一 二、 三 頁。 (15)、 守 山 聖 真、 文 化 史 上 よ り 見 た る 弘 法 大 師 伝、 一 九 七 頁一 二 〇 〇 頁。 宮 崎 忍 勝、 新 弘 法 大 師 伝、 一 九 一 頁一 一 九 二 頁。 (16)、 全 文 が 空 海 の ﹁ 広 付 法 伝 ﹂ に 引 用 さ れ て い る。 弘 法 大 師 全 集 第 一 輯、 四 三 頁一 四 五 頁。 (17)、 弘 法 大 師 全 集 第 一 輯、 四 一 頁一 四 二 頁。 (18)、 同 九 頁一 一 〇 頁。 な お こ の 文 中 の ﹁ 貞 元 二 十 二 年 ﹂ は、 ﹁ 貞 元 二 十 一 年 ﹂ の 誤 写 と 思 わ れ る。 ま た ﹁ 真 言 付 法 伝 ﹂ ( 略 付 法 伝 ) に も 同 文 が 引 用 さ れ て い る。 弘 法 大 師 全 集 第 一 輯、 五 五 頁。 (19)、 大 正 大 蔵 経 第 五 十 巻、 七 一 六 頁 中。 (20)、 鈴 木 宗 忠 博 士 は 般 若 の 段 年 を 貞 元 十 四 年 と す る が、 根 拠 も 不 明 で あ る し、 内 容 と し て も 賛 同 で き な い。 鈴 木 宗 忠、 金 剛 頂 経 の 実 存 形 態、 宗 教 研 究 一 一 二 ・ 一 一 三、 二 五 七 頁。 (21)、 大 正 大 蔵 経 第 五 十 巻、 七 二 五 頁 中。 第 二 章 般 若 の 翻 訳 経 典 前 章 に お い て、 般 若 の 活 動 を 年 代 順 に 概 観 し た が、 般 若 の 思 想 体 系 の 考 察 に 移 る 前 に、 彼 の 翻 訳 と 伝 え ら れ て い る 諸 経 典 を 取 り 上 げ て、 そ の 翻 訳 状 況 と 大 体 の 特 徴 を 眺 め て み た い。 一、 翻 訳 状 況 と 訳 出 年 代 大 正 大 蔵 経 所 収 の 諸 経 論 の う ち、 般 若 三 蔵 の 訳 出 と 伝 え ら れ て い る も の を 挙 げ る と 以 下 の 如 く で あ る。 大 正 番 号 経 典 名 ・ 巻 数 訳 出 年 代 No. 二 六 一 大 乗 理 趣 六 波 羅 蜜 多 経 十 巻 貞 元 四 年 No. 五 四 七 大 華 厳 長 者 問 仏 那 羅 延 力 経 一 巻 貞 元 四 年 No. 二 五 三 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 一 巻 貞 元 六 年 No. 二 九 三 大 方 広 仏 華 厳 経 四 十 巻 貞 元 十 四 年 般 若 三 蔵 に つ い て ( 上 )

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-47-密 教 文 化 No. 九 九 七 守 護 国 界 主 陀 羅 尼 経 十 巻 貞 元 十 九 年 No. 一 〇 二 六 造 塔 延 命 功 徳 経 一 巻 貞 元 二 十 年 No. 一 五 九 大 乗 本 生 心 地 観 経 八 巻 元 和 五 年 No. 八 六 八 諸 仏 境 界 摂 真 実 経 三 巻 不 明 No. 一 二 七 八 迦 楼 羅 及 諸 天 密 言 経 一 巻 不 明 こ れ ら の 諸 経 典 の 中 で、 ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ と ﹁ 華 厳 経 ﹂ の 翻 訳 の 一 部 始 終 は、 ﹁ 続 開 元 録 ﹂、 ﹁ 貞 元 録 ﹂ に 詳 し く 説 か れ て い る。 ま た ﹁ 大 華 厳 長 者 間 仏 那 羅 延 力 経 ﹂ ( 以 下 那 羅 延 力 経 と す る ) は、 ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ に あ る 八 万 四 千 六 百 六 十 三 種 の 那 羅 延 力 と い う 言 葉 の 典 拠 を 示 し た も の で、 ﹁ 貞 元 録 ﹂ に あ る 如 く、 西 明 寺 沙 門 円 照 の 請 い に よ り、 貞 元 四 年 に 訳 出 さ れ た。 同 様 に ﹁ 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 ﹂ ( 以 下 般 若 心 経 と す る ) も、 千 福 寺 沙 門 智 柔 の 求 め に よ っ て、 貞 元 六 年 に 訳 さ れ た。 こ の 時、 般 若 は 途 中 で 勅 命 に よ り 天 竺 へ 向 っ た の で、 智 柔 が 証 義 ・ 潤 文 を 終 え て 進 上 し て い る。 な お ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ 巻 二 の ﹁ 智 慧 伝 ﹂ で は、 ﹁ 八 年 上 表、 挙 二 慧 翻 伝一。 ⋮⋮中 略 ⋮⋮。 開 二 名 題 一 日 二 大 乗 理 趣 六 波 羅 蜜 多 経 一成 二 十 巻一。 又 華 厳 長 者 間 仏 那 羅 延 力 経 般 若 心 経、 各 (1) 一 巻、 皆 貞 元 八 年 所 レ 訳 也。 ﹂ と し て、 ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ 以 下 全 て 貞 元 八 年 の 訳 と し て い る。 け れ ど も、 他 に 貞 元 八 年 を 支 持 す る 資 料 も な く、 さ ら に ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ に 対 す る 徳 宗 の 序 文 に、 ﹁ 以 二貞 元 四 年 歳 次 戊 辰 十 二 月 二 十 八 日一。 (2) 於 二 西 明 寺 一訳 成 上 進。 凡 一 部 十 巻 ﹂。 と あ る こ と か ら 考 慮 し て、 少 く と も ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ は 貞 元 四 年 に 訳 出 さ れ た と 考 え ら れ る。 そ れ ゆ え、 こ こ で は ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ の 説 を 採 ら ず に、 ﹁ 般 若 心 経 ﹂ な ど の、 他 の 経 典 に 関 し て も、 ﹁ 続 開 元 録 ﹂、 ﹁ 貞 元 録 ﹂ の 説 に 従 い た い。 と こ ろ で ﹁ 守 護 経 ﹂ 以 下 の 五 つ の 経 典 は、 そ れ ぞ れ 問 題 点 を 含 ん で い る。 ま ず ﹁ 守 護 経 ﹂ で あ る が、 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ 巻 三 の ﹁ 寂 黙 伝 ﹂ に 言 う 通 り、 こ れ は 般 若 と 牟 尼 室 利 が 訳 し た 経 典 で あ る。 と こ ろ が 訳 出 さ れ た 年 が 貞 元 十 九 年 ( 八 〇 三 ) で あ る か ら、 ﹁ 続 開 元 録 ﹂、 ﹁ 貞 元 録 ﹂ に は、 そ の 翻 訳 の 有 様 は 説 か れ て い な い。 し か る に ﹁ 貞 元 録 ﹂ 巻 一 で は、 先 の 四 つ の 経 典 と 並 ん で ﹁ 守 護 経 ﹂ と ﹁ 心 地 観 経 ﹂ を 列 挙 し、 (3) ﹁ 己 上 六 部 共 七 十 巻 並 般 若 三 蔵 奉 詔 訳 ﹂ と 述 べ て、 両 経 と も 般 若 の 訳 と し て い る。

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さ ら に ﹁貞 元 録 ﹂ 巻 十 七 で は、 そ の 冒 頭 に お い て ﹁大 乗 理 趣 六 波 羅 蜜 多 経 一 部 十 巻 御 製 序 大 花 厳 長 者 間 仏 那 羅 延 力 経 一 巻 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 一 巻 守 護 国 界 主 陀 羅 尼 経 一 部 十 巻 貞 元 六 年 庚 午 訳 本 生 心 地 観 経 一 部 八 巻 御 製 序 貞 元 六 年 庚 午 訳 右 五 部 三 十 巻 其 本 見 在。 ⋮⋮中 略 ⋮ 大 方 広 仏 花 厳 経 一 部 四 十 巻 (4) 右 一 部 四 十 巻 其 本 見 在 ﹂ と 記 さ れ て お り、 こ こ に も 両 経 の 名 前 が 見 ら れ る。 要 す る に 記 事 と し て の 翻 訳 の 模 様 は 全 く 述 べ ら れ て い な い が、 目 録 の 個 所 の み ﹁ 守 護 経 ﹂、 ﹁ 心 地 観 経 ﹂ の 名 前 が 認 め ら れ る わ け で あ る。 け れ ど も こ こ で 注 意 す べ き こ と が あ る。 す な わ ち ﹁ 守 護 経 ﹂ と ﹁ 心 地 観 経 ﹂ の み が、 割 註 と し て ﹁ 貞 元 六 年 庚 午 訳 ﹂ と 付 け 加 え ら れ て い る こ と で あ る。 恒 安 の ﹁ 続 貞 元 釈 教 録 ﹂ も、 (5) そ れ を そ の ま ま 踏 襲 し て い る。 ﹁ 貞 元 録 ﹂ が 貞 元 十 五 年 ( 七 九 九 ) の 撰 で あ る か ら、 も し ﹁ 守 護 経 ﹂ と ﹁ 心 地 観 経 ﹂ の 訳 出 が 正 し く 貞 元 六 年 で あ っ た な ら ば、 そ こ に 両 経 の 名 前 が あ っ た と し て も 決 し て 不 思 議 で は な い。 し か し な が ら、 ﹁ 守 護 経 ﹂ の 共 訳 者 で あ る 牟 尼 室 利 は 貞 元 十 六 年 に 初 め て 長 安 に 到 着 し、 元 和 元 年 ( 八 〇 六 ) に は す で に 示 寂 し て い る。 従 っ て 貞 元 六 年 訳 出 と い う こ と は 不 可 能 で あ り、 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ の 貞 元 十 九 年 説 を 正 し い と し な け れ ば な ら な い。 一 方 の ﹁ 心 地 観 経 ﹂ に つ い て も、 ﹁ 仏 祖 統 紀 ﹂ 巻 四 十 一 に ﹁ 元 和 六 年 進 上 ﹂ と あ る こ と、 あ る い は 同 経 の 践 文 に 憲 宗 の 元 和 五 年 か ら 六 年 に か け て 訳 出 さ れ た こ と が 記 さ れ て い る か ら、 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ 巻 三 の 元 和 五 年 ( 八 一 〇 ) 説 の 方 が 妥 当 と 考 え ら れ る。 し か ら ば ﹁ 貞 元 録 ﹂ に 両 経 の 名 前 が 引 か れ る こ と は あ り 得 な い は ず で あ る。 こ の 問 題 を ど う 説 明 す れ ば 良 い で あ ろ う か。 と こ ろ で 正 倉 院 の 聖 護 蔵 本 に よ れ ば、 ﹁ 貞 元 録 ﹂ 巻 十 七 の 般 若 翻 訳 の 個 所 が、 ﹁ 大 乗 理 趣 六 波 羅 蜜 多 経 一 部 十 巻 御 製 序 大 花 厳 長 者 間 仏 那 羅 延 力 経 一 巻 般 若 三 蔵 に つ い て ( 上 )

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-49-密 教 文 化 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 一 巻 右 三 部 十 二 巻 其 本 見 在 ⋮⋮中 略 ⋮⋮ 大 方 広 仏 花 厳 経 一 部 四 十 巻 右 一 部 四 十 巻 其 本 見 在 と な っ て お り、 ﹁ 守 護 経 ﹂、 ﹁ 心 地 観 経 ﹂ の 名 は 全 く 見 当 ら な い。 同 様 に 巻 一 の 総 叙 の 個 所 に つ い て も、 聖 護 蔵 本 で は 両 経 の 名 前 は な く、 部 数 ・ 巻 数 も そ れ ら を 差 し 引 い た 数 が 記 さ れ て い る。 以 上 の こ と か ら、 次 の よ う に 考 え る こ と が で き よ う。 す な わ ち、 ﹁ 貞 元 録 ﹂ で は 元 来 ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂、 ﹁ 那 羅 延 力 経 ﹂、 ﹁ 般 若 心 経 ﹂、 ﹁ 華 厳 経 ﹂ の 四 経 の み が 般 若 の 訳 経 と 七 て 記 録 さ れ て い た。 と こ ろ が ﹁ 貞 元 録 ﹂ が で き 上 っ て 以 後 に、 ﹁ 守 護 経 ﹂、 ﹁ 心 地 観 経 ﹂ が 翻 訳 さ れ て 一 般 に 流 布 し た。 そ こ で 円 照 (7) か、 も し く は 他 の 誰 か が、 後 に こ の 両 経 を ﹁ 貞 元 録 ﹂ の 目 録 の 個 所 に 挿 入 し、 同 時 に 部 数 ・ 巻 数 を も 訂 正 し た。 訂 正 さ れ る 以 前 の 形 態 が 聖 護 蔵 本 で あ ろ う。 そ の 場 合、 貞 元 六 年 と 割 註 を 加 え た の は、 ﹁ 心 地 観 経 ﹂ の 元 和 六 年 訳 出 を 意 識 し た も の か も 知 れ な い。 も っ と も こ れ ら の 事 実 を も っ て、 ﹁ 守 護 経 ﹂、 ﹁ 心 地 観 経 ﹂ の 両 経 を、 般 若 に 関 わ り の な い 後 世 の 偽 作 と 断 ず る の は 行 き 過 ぎ で あ ろ う。 両 経 典 の 内 容 を、 ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ 等 と 比 較 検 討 す る と、 明 ら か に 同 一 の 思 想 基 盤 に 立 っ て い る こ と が 証 明 さ れ る か ら で あ る。 次 の ﹁ 諸 仏 境 界 摂 真 実 経 ﹂ ( 摂 真 実 経 と 略 す ) は、 ﹁ 続 開 元 録 ﹂、 ﹁ 貞 元 録 ﹂、 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ の い ず れ に も そ の 名 前 を 見 出 し 得 な い。 空 海 の ﹁ 御 請 来 目 録 ﹂ に も な く、 そ の 訳 出 年 代 は 不 明 で あ る。 我 が 国 に は 少 し 遅 れ て、 円 仁 ( 在 唐 八 三 八一 八 四 七 )、 円 行 ( 同 八 三 八 一 八 三 九 )、 慧 運 ( 同 八 四 二一 八 四 七 )、 宗 叡 ( 同 八 六 二一 八 六 五 ) に よ っ て 将 来 さ れ て い る。 ﹁造 塔 延 命 功 徳 経 ﹂ は、 ﹁ 摂 真 実 経 ﹂ と 同 じ く、 中 国 の 各 資 料 に は 何 の 言 及 も な い が、 空 海 の ﹁ 御 請 来 目 録 ﹂ に そ の 名 を 見 出 し 得 る。 ま た 空 海 が 写 し 取 っ た と 伝 え ら れ て い る ﹁ 三 十 帖 策 子 ﹂ 第 十 七 帳 に、 ﹁ 貞 元 二 十 年 十 一 月 三 日 訳 畢、 八 日 進 上。 ﹂ と あ る こ と か ら、 そ の 訳 出 年 月 を も 知 る こ と が で き る。 さ ら に 経 の 末 尾 に、 ﹁ 牟 尼 室 利 証 二 梵 語一、 西 明 寺 円 照 筆 受、 (8) 章 敬 寺 鑑 虚 潤 文。 ﹂

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と 記 さ れ て お り、 ﹁ 守 護 経 ﹂ 翻 訳 の 後 に、 ほ ぼ 同 じ 人 々 に よ っ て 訳 さ れ た と 理 解 さ れ る。 ﹁ 迦 楼 羅 及 諸 天 密 言 経 ﹂ 一 巻 を 般 若 の 訳 出 と す る に は 問 題 が な い わ け で は な い。 こ の 経 は、 尾 題 に は ﹁ 迦 楼 羅 王 持 念 経 ﹂ と あ り、 ま ず 経 題 か ら し て 一 定 し て い な い。 訳 者 も ﹁ 閥 賓 国 三 蔵 大 徳 般 若 力 ﹂ と な っ て い る。 と こ ろ が 入 唐 八 家 の 一 人 で あ る 宗 叡 の ﹁ 新 書 写 請 来 法 門 等 目 録 ﹂ ( 大 正No. 二 一 七 四 ) に、 ﹁迦 楼 羅 王 雑 密 言 経 一 巻。 (9) 蜀 賓 国 三 蔵 般 若 訳 二 十 五 紙 説 消 除 毒 療 病 並 諸 龍 密 言 在 此 中。 ﹂ と い う 経 典 が 認 め ら れ る。 月 輪 博 士 は 宗 叡 の 将 来 し た こ の ﹁ 迦 楼 羅 王 雑 密 言 経 ﹂ を、 そ の 訳 者 が ﹁ 厨 賓 国 三 蔵 般 若 ﹂ と あ る こ と か ら、 現 存 の ﹁ 迦 楼 羅 及 諸 王 密 言 経 ﹂ と 同 本 と 断 定 さ れ、 そ の 結 果、 ﹁ 蜀 賓 国 三 蔵 大 徳 般 若 力 ﹂ と は、 ﹁ 般 若 の 訳 (10) か ? ﹂ と い う 意 味 で あ り、 般 若 力 即 般 若 と 推 測 さ れ て い る。 確 か に 迦 楼 羅 観 は、 般 若 訳 の 経 典 の ほ と ん ど 全 て に 見 ら れ、 思 想 的 に も 重 要 な 役 割 を 果 し て い る。 従 っ て ﹁ 般 若 力 ﹂ の ﹁ 力 ﹂ と い う 字 を 疑 問 符 か、 も し く は 誤 ま り と 考 え る こ と も 決 し て 不 可 能 で は あ る ま い。 し か し な が ら、 こ こ で 注 意 し て お か ね ば な ら な い の は、 中 唐 の 時 代 に、 ﹁ 般 若 力 ﹂ と い う 別 な 人 物 が 現 に 存 在 し て い た 事 実 で あ る。 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ 巻 三 の ﹁ 唐 羅 浮 山 石 楼 寺 懐 迫 伝 ﹂ に 次 の よ う な 記 述 が あ る。 ﹁ 又 乾 元 元 年 有 二 厨 賓 三 蔵 般 若 力。 中 天 竺 婆 羅 門 三 蔵 善 部 末 摩。 箇 失 密 三 蔵 舎 那一。 並 慕 レ 化 入 朝。 詔 以 レ 力 為 二 太 常 少 卿 相 末 摩 為 二 鴻 腫 少 卿 一っ並 員 外 置 放 還 二 本 土一。 或 云 各 齎 レ 経 至。 属 二 燕 趙 阻 7 兵 不 レ 邊 二 宣 訳一。 故 以 二 官 品 一 (11) 栄 レ 之 ﹂。 要 約 す れ ば、 乾 元 元 年 ( 七 五 八 )、 魔 賓 の 三 蔵 般 若 力 と い う 者 が 入 朝 し、 太 常 少 卿 と い う 位 を 授 か っ て い る。 け れ ど も 当 時 は、 内 乱 が 続 い て 国 内 が 治 ま ら ず、 翻 訳 の い と ま が な い の で、 後 に 本 国 へ 帰 っ た と あ る。 般 若 が 広 州 に 漂 着 し た の を、 建 中 二 年 ( 七 八 一 ) で あ る と す れ ば、 両 者 は 少 な く と も 別 の 時 代 に 活 躍 し た 人 で あ る。 濁 賓 出 身 の 仏 教 者 は 別 に 珍 し い 存 在 で は な か っ た は ず で あ る。 こ の よ う に、 ﹁ 般 若 力 ﹂ な る 人 物 が 別 に 存 在 し て い た こ と は 否 定 で き な い が、 し か し こ の 般 若 力 が ﹁ 迦 楼 羅 及 諸 天 密 言 般 若 三 蔵 に つ い て ( 上 )

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-51-密 教 文 化 経 ﹂ を 翻 釈 し た と い う 記 録 は ど こ に も 残 っ て い な い。 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ に よ る 限 り、 折 角、 経 典 の 原 本 を 持 っ て 来 な が ら、 訳 出 で き な か っ た よ う で あ る。 従 っ て 別 に 般 若 力 と い う 人 が 実 在 し て い た か ら と 言 っ て、 か の 般 若 ( 11 般 若 力 ) が ﹁ 迦 楼 羅 及 諸 天 密 言 経 ﹂ を 訳 し た と い う 推 測 が 否 定 さ れ る わ け で は な い。 以 上 の よ う な 次 第 で、 ﹁ 迦 楼 羅 及 諸 天 密 言 経 ﹂ に 関 し て は、 非 常 に 問 題 が 多 い が、 こ こ で は 月 輪 博 士 等 の 説 に 従 っ て、 ひ と ま ず こ の 経 典 を 般 若 の 訳 経 の 中 に 含 め て お き た い。 < 註 > (1) 大 正 大 蔵 経 第 五 十 巻、 七 一 六 頁。 (2) 大 正 大 蔵 経 第 八 巻、 八 六 五 頁 中。 (3) 大 正 大 蔵 経 第 五 十 五 巻、 七 七 三 頁 下。 (4) 同 八 九 一 頁 中一 八 九 一 頁 下。 (5) 同 一 〇 五 二 頁 上。 (6) 大 正 大 蔵 経 第 四 十 九 巻、 三 八 一 頁 中。 (7) 望 月 博 士 は 恒 安 の 加 筆 と 考 え て い る。 望 月 信 亨、 仏 教 経 典 成 立 史 論、 六 八〇 頁。 (8) 大 正 大 蔵 経 第 十 九 巻、 七 二 七 頁 下一 七 二 八 頁 上。 ⑨ 大 正 大 蔵 経 第 五 十 六 巻、 一 一 〇 九 頁 下。 (10) 月 輪 賢 隆、 前 掲 書、 五 三 六 頁。 (11) 大 正 大 蔵 経 第 五 十 巻 七 二 〇 頁 下。 二、 各 経 典 の 概 略 い さ さ か 重 複 す る か も 知 れ な い が、 こ こ で 般 若 訳 と 言 わ れ て い る 諸 経 典 の 内 容 を 概 観 し て お き た い。 。 大 乗 理 趣 六 波 羅 蜜 多 経 十 巻 般 若 が 最 初 に 訳 出 し た 経 典。 先 に 景 浄 と の 共 訳 に 失 敗 し た ﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ と 同 内 容 と 思 わ れ る が、 景 浄 と の 共 訳 が 七 巻 で あ っ た の に 対 し、 こ ち ら は 十 巻 に 増 広 さ れ て い る。 内 容 的 に は、 布 施 等 の 六 波 羅 蜜 多 を 説 く 部 分 ( 巻 四一 巻 十 ) と、 そ れ に 先 立 つ と こ ろ の、 帰 依 三 宝、 陀 羅 尼 護 持 国 界、 発 菩 提 心、 不 退 転 ( 巻 一一 巻 三 ) の 各 品 か ら 成 る。 七 巻 本 は 現 存 し な い が、 月 輪 博 士 は、 七 巻 本 は 主 に 前 者 の 部 分 ( 六 波 羅 蜜 多 ) の (1) み で あ っ た の で は な い か と 推 測 さ れ て い る。 般 若 訳 十 巻 本 の う ち、 陀 羅 尼 護 持 国 界 品 だ け が 密 教 的 で あ り、 と く に 護 国 思 想 が 顕 著 で あ る。 そ の 他 の 内 容 は、 雑 多 な 教 義 の 集 成 で、 般 若 の 他 の 翻 訳 経 典 と 同 様、 大 小 乗 諸 経 典 か ら の 影 響、 も し く は 引 用 と 思 わ れ る も の が 多 い。 な か ん ず く、 六 波 羅 蜜 多 を 説 く 部 分 は、 ほ と ん ど ﹁ 大 方 等 大 集 経 ﹂ 中 の ﹁ 無 尽 意 菩 薩 品 ﹂ (2) ( 大 正 恥 三 九 七 ) か ら 採 ら れ た と 考 え ら れ る。 ・ 大 華 厳 長 者 間 仏 那 羅 延 力 経 一 巻

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﹁ 六 波 羅 蜜 経 ﹂ 布 施 波 羅 蜜 多 品 第 五 に、 仏 身 の 一 々 の 支 節 に は 皆 八 万 四 千 六 百 六 十 三 種 の 那 羅 延 力 あ り と い う 表 現 が 見 ら れ る が、 筆 受 の 西 明 寺 円 照 が そ の 説 明 を 求 め た の に 対 し、 典 拠 と し て 訳 出 さ れ た の が こ の 経 典 で あ る。 大 正 大 蔵 経 で は 経 集 部 の 中 に 収 録 さ れ て い る が、 わ ず か 一 頁 足 ら ず の 小 経 で あ る。 内 容 は、 表 題 の 如 く、 そ の 那 羅 延 力 の 説 明 が 中 心 と な っ て い る。 那 羅 延 ( 2 母 身 程 餌 ) も 般 若 訳 の 諸 経 典 に し ば し ば 見 受 け ら れ る 言 葉 で あ る。 。 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 一 巻 い わ ゆ る 広 本 の 般 若 心 経 で、 序 分 と 流 通 分 と を 具 備 し て い る。 光 宅 寺 沙 門 利 言 と 共 訳 と い う こ と に な っ て い る が、 実 際 に 翻 訳 に お い て、 中 心 的 役 割 を 果 し た の は 千 福 寺 沙 門 智 柔 で あ る。 同 じ 広 本 の、 法 月 訳 ﹁ 普 遍 智 蔵 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 ﹂ ( 大 正No. 二 五 二 )、 智 慧 輪 訳 ﹁ 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 ﹂ ( 大 正No. 二 五 四 ) と 一 部 の 細 か い 点 を 除 い て、 ほ ぼ 等 し い 内 容 で あ る。 。 大 方 広 仏 華 厳 経 四 十 巻 一 般 に ﹁ 四 十 華 厳 ﹂ と 称 さ れ て い る。 仏 駄 祓 陀 羅 訳 の ﹁ 六 十 華 厳 ﹂ ( 大 正 漁 二 七 八 )、 実 叉 難 陀 訳 の ﹁ 八 十 華 厳 ﹂ ( 大 正No. 二 七 九 ) の う ち の 最 後 の 入 法 界 品 を 単 行 し た も の で あ る。 経 の 政 文、 ﹁ 貞 元 録 ﹂、 ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂、 ﹁ 仏 祖 統 紀 ﹂ な ど に よ る と、 梵 本 は 南 印 度 の 鳥 茶 国 か ら 献 上 さ れ た と い う。 ﹁ 心 地 観 経 ﹂ の 師 子 国 献 上 説 か ら も 窺 わ れ る よ う に、 国 王 権 力 の 強 か っ た 当 時 の 唐 朝 で は、 こ の よ う な 献 上 説 が 歓 迎 さ れ た の で あ ろ う。 経 典 の 内 容 と し て は、 実 叉 難 陀 訳 の ﹁ 八 十 華 厳 ﹂ を 念 頭 に 置 い て い る こ と を 示 唆 す る 個 所 が 多 い が、 一 部 に は 特 殊 な 挿 入 が 認 め ら れ る。 。 守 護 国 界 主 陀 羅 尼 経 十 巻 ﹁ 心 地 観 経 ︹ と 並 ん で、 い わ ゆ る 般 若 訳 経 典 の 特 色 を 最 も 顕 著 に 表 わ し て い る。 空 海 が 初 め て 我 が 国 に 将 来 し、 ﹁ 仁 王 般 若 経 ﹂、 ﹁ 孔 雀 明 王 経 ﹂ と と も に、 護 国 経 典 と し て 非 常 に 重 視 (3) さ れ た。 す で に 諸 学 者 に よ っ て 報 告 さ れ て い る よ う に、 同 経 十 一 品 十 巻 の う ち で、 第 二 の 陀 羅 尼 品 の 後 半 か ら、 第 八 の 般 若 根 本 事 業 荘 厳 品 に 至 る 七 巻 は、 大 部 分、 大 集 経 の ﹁ 陀 羅 尼 自 在 王 菩 薩 品 ﹂ と 同 じ で あ る。 ( 部 分 的 に 文 の 前 後 転 倒 し た 個 (4) 所 も あ る が )。 そ の 他、 明 ら か に ﹁ 大 日 経 ﹂、 ﹁ 廻 向 輪 経 ﹂ ( 大 正No. 九 九 八 ) を 想 定 し た 個 所 も 見 受 け ら れ る 一 方、 第 九 の 陀 羅 尼 功 徳 儀 軌 品 は、 庵 字 や 金 剛 城 曼 茶 羅 を 説 く な ど、 は っ き り と 密 教 色 ( と く に 金 剛 頂 経 系 ) を 打 ち 出 し て い る。 な お こ 般 若 三 蔵 に つ い て ( 上 )

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-53-密 教 文 化 (5) の 経 典 に は、 梵 本 や 概 当 チ ベ ッ ト 訳 が 見 当 ら ず、 さ ら に 異 訳 の 漢 訳 も 存 在 し な い た め ( 般 若 訳 の 大 部 分 が そ う で あ る が )、 (6) そ の イ ン ド 成 立 を 疑 う 向 き も あ る。 ﹁ 守 護 経 ﹂ そ の も の に つ い て は 別 に 稿 を 改 め た い が、 推 測 す る に、 ﹁ 大 集 経 ﹂ を 底 本 と し て、 ﹁ 大 日 経 ﹂、 ﹁ 金 剛 頂 経 ﹂ の 密 教 と、 中 唐 時 代 の 重 要 思 想 で あ る 国 王 守 護 的 護 国 思 想 を 取 り 入 れ た 総 合 経 典 と 考 え る こ と が で き よ う。 。 大 乗 本 生 心 地 観 経 八 巻 ﹁ 心 地 観 経 ﹂ と 言 え ば、 四 恩 の 教 え を 想 像 す る よ う に、 同 経 は 古 く か ら 四 恩 を 説 く 経 典 と し て 人 々 に 親 し ま れ て き た。 四 恩 説 は 般 若 の 思 想 の 中 で も、 護 国 思 想 と 表 裏 一 体 の 関 係 に あ っ て、 非 常 に 重 要 な 位 置 を 占 め て い る。 と こ ろ で、 ﹁ 心 地 観 経 ﹂ は、 ﹁ 守 護 経 ﹂ ほ ど は っ き り と そ の 底 本 を 想 定 す る こ と は で き な い が、 ﹁ 般 若 経 ﹂、 ﹁ 維 摩 経 ﹂、 ﹁ 法 華 経 ﹂、 ﹁ 浬 契 経 ﹂、 ﹁ 梵 網 経 ﹂ 等 の 諸 経 典 を 予 想 し て い る こ と は 明 瞭 で あ る。 さ ら に 第 八 巻 の 観 心 品、 発 菩 提 心 品、 成 仏 品 の み が 密 教 経 典 と 言 え る が、 こ の 個 所 は、 同 じ 般 若 訳 の ﹁ 摂 真 実 経 ﹂ と 大 凡 同 一 で (7) あ る。 そ れ ゆ え、 常 盤 博 士 の 推 論 の 如 く、 ﹁ 摂 真 実 経 ﹂ か ら ﹁ 心 地 観 経 ﹂ を 導 き 出 す こ と も 決 し て 不 可 能 で は な い。 ま た 一 歩 退 い て、 師 子 国 が 梵 本 を 献 上 し た と い う 説 を 承 認 し て も、 (8) 第 八 巻 の み 中 国 で 付 加 さ れ た と も 考 え る こ と が で き る。 い ず れ に し て も、 ﹁ 守 護 経 ﹂ と 同 じ く、 成 立 史 論 的 に も 大 変 興 味 深 い 経 典 で あ る。 。 諸 仏 境 界 摂 真 実 経 三 巻 般 若 の 翻 訳 経 典 の 中 で は 異 色 の 存 在 で、 純 然 た る 密 教 経 典 で あ る。 従 来、 金 剛 智 の ﹁ 金 剛 頂 喩 伽 中 略 出 念 諦 経 ﹂ ( 大 正 漁 八 六 六 )、 不 空 の ﹁ 金 剛 頂 一 切 如 来 真 実 摂 大 乗 現 証 大 教 王 経 ﹂ ( 大 正No. 八 六 五 ) な ど と 同 じ く、 初 会 金 剛 頂 経 の 同 本 異 訳 と さ れ て き た。 し か し な が ら 内 容 的 に は か な り 異 な っ た 要 素 を 含 ん で い る。 は っ き り と 不 空 の ﹁ 蓮 華 部 心 念 諦 儀 軌 ﹂ 等 を 意 識 し て い る と こ ろ も あ れ ば、 他 方 で は、 ﹁ 守 護 経 ﹂、 ﹁ 心 地 観 経 ﹂ に 見 ら れ る 般 若 独 特 の 五 種 三 昧 ( 刹 那 ・ 微 塵 ・ 白 縷 ・ 隠 顕 ・ 安 住 ) を 説 い た り し て い る。 大 村 西 崖 氏、 月 輪 博 士 の 説 の よ う に、 初 会 金 剛 頂 経 を 般 若 風 に 解 釈 し た も の と 言 え よ う か。 。 造 塔 延 命 功 徳 経 一 巻 塔 を 作 っ て 命 を 延 ば す な ど の 功 徳 を 説 い た 経 典。 雑 密 経 典 の 一 種 で あ る。 ﹁ 貞 元 録 ﹂ の 記 述 や、 ﹁ 心 地 観 経 ﹂ の 言 葉 か ら 知

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ら れ る よ う に、 般 若 は 八 塔 巡 礼 者 で、 塔 に 対 し て は 大 き な 関 心 を 持 っ て い た。 そ の 意 味 で 般 若 の 教 学 の 一 翼 を 担 う 経 典 で あ る。 。 迦 楼 羅 及 諸 天 密 言 経 一 巻 先 述の 如 く、 般 若 の 訳 出 と は 断 定 で き な い が、 も し 彼 と 関 連 を 有 す る も の で あ れ ば、 般 若 の 迦 楼 羅 (Garuda) 崇 拝 を 示 す 一 つ の 資 料 と な ろ う。 経 文 の 内 容 か ら 判 断 し て、 同 経 は 決 し て ﹁ 翻 訳 経 典 ﹂ で は な く、 純 然 た る 般 若 の ﹁ 著 作 ﹂ と 考 え ら れ る。 < 註 > (1) 月 輪 賢 隆、 前 掲 書、 五 三 一 頁。 (2) 大 野 怯 道、 大 乗 戒 経 の 研 究、 三 〇 五 頁一 三 一 三 頁。 (3) 高 田 仁 覚、 前 掲 書、 二 八 頁。 松 長 有 慶、 護 国 思 想 の 起 源 印 仏 研 一 五一 一、 七 三 頁 (4) 真 常 の ﹁ 諸 儀 軌 稟 承 録 ﹂ は、 ﹁ 廻 向 輪 経 ﹂ を ﹁ 守 護 経 ﹂ よ り の 抄 出 と し て い る が、 内 容、 訳 出 年 代 等 か ら 考 慮 し て む し ろ 逆 で あ ろ う と 考 え ら れ る。 (5) ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ 巻 三 の ﹁ 寂 黙 伝 ﹂ に ﹁ 乃 奨二 契 師 梵 本一、 出二 守 護 国 界 主 陀 羅 尼 経 十 巻 一。 ﹂ と あ る が、 現 存 の ﹁ 守 護 経 ﹂ の 内 容 か ら 判 断 し て、 玄 爽 将 来 は あ り 得 な い。 恐 ら く、 後 に な っ て、 訳 場 と な っ た 慈 恩 寺 に 関 連 し て 付 加 さ れ た 話 で あ ろ う。 (6) ﹁ 守 護 経 ﹂ に 関 す る 各 説 の 紹 介 に つ い て は、 次 の 論 文 に 詳 し い。 小 野 塚 幾 澄、 前 掲 書、 八 九 頁一 九 一 頁。 (7) 仏 書 解 説 大 辞 典 第 七 巻、 三 四 六 頁一 三 一 五 頁。 国 訳 一 切 経 解 題、 経 集 部 第 六 巻、 一 五 一 頁一 一 六 三 頁。 (8) 大 野 法 道、 前 掲 書、 二 八 六 頁。 松 長 有 慶、 密 教 の 歴 史、 七 三 頁。 ( 未 完 ) 般 若 三 蔵 に つ い て ( 上 )

参照

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