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智山學報 第41 016桜井 宗信「Kriyasamgrahapanjikaの灌頂論(4) : 第四灌頂,和訳と註解」

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(1)

智山学報第四十一輯

 

平 成四三月

Kriyasamgrahapafijika

灌 頂 論

4

註 解

桜   井   宗   信

(日本学術振 興会特別 研究員) <論文要 旨>

Kr

妙σ昭 grα厩ρ槭 タ鳶σ(

KS

)に よれ ば 「第四灌頂」は 「智慧の浄化」 を

 

目的とし,そ れ まで に説かれて き た儀 則に基づ い て 「言葉の み に よっ て」,「般若智灌  頂を実際に得て甚深広大な 理趣を 信解す る」弟子に対し て のみ与 えられる もの である。

  KS

四灌頂次第 (内容上

6

節に分段出来る)の う ちの

2

〜 第

5

節で説かれ  てい る事柄が, その 弟子に与え ら れ る 「言葉」に ほぼ沿っ てい る と考え られ る。 そ し  てそ れ ら4 節の考察に よ り “ 先に行われた般若智灌頂で の性的瑜伽に よっ て汝は確

i

か  に倶生 歓喜 を体 験し た のだ”とい う承認の 「言葉」 が弟子に してえ られ た もの と  推 定される。    し か し こ こ での 「倶生歓喜」は灌頂とい う一儀 礼にける要素と して相対 化さ れて

 

お り,そ れ を体験 した弟子は密 教 の法統を伝授さ れ た 「仏子 」, 「菩提に到る ま で有情  利 益を行」 うべ と な ので あ る。

 

筆者

まで に

K

吻 45

g7

驫 砂 α

々‘ (以 下

KS

)を 主 な

料としなが ら, 無上瑜 伽 タ ン トラ階 梯の

4

種 灌 頂 次

の うち般

若智灌

頂まで を

じて きた。 本

稿

で はその 最終 段 階である 「

頂 」の

に つ い て

検討

する。

 

紙 幅の

KS

及び比較 資 料と し ての

2

文 献の校 訂テ クス トは別

稿

に譲 り, 以

で はそ れに基づ

KS

灌頂儀軌

」 の和 訳を提 示 し, 併せ て その 註

を行い た い 。

1

Kriyasarpgrahapafijika

灌頂

軌 和 訳

1

コ 今 や智 慧を

浄化

する ため に , 先に説か た

則に 基づ き, 般 若 智灌 頂を実 一

33

(2)

 

Kriyasarpgrahapafijika

の灌 頂論(

4

)(桜 井宗 信)

に得た者に対しての み, 宝の

き灌 頂であ り果である

四灌 頂を説 示すべ し そ れ 以 外の

して は三昧 耶を

損 する恐 れがあるの で,

説示すぺ か ら

ず。

 

ま た

次の ように も

言わ れる :

  

に, まだ

灌頂

か らない

が瑜

者 たるこ と

を望

むの は ,

虚空

  

握 り挙で 打っ た り幻の 水 を

も う とする よ うな もの だ。 /

1

従っ て

  

に説

れ た

則 通 りに

を授 けて か ら

子の 信

解す

る とこ ろを 意に よ

  

っ て は っ きり

か め,

広大

に し て

甚深

なる理趣を信 解す る者に言

の み を

  

もっ て宝の

如 き灌

頂を授 くべ し。 それ 以外の者に対 して

くべ か ら

〕 ず

   ノ

2

/ と 〔説かれ る の である〕。

 

「そ れで は一

どの ように して “ こ の

を信

する

る” と知る の か」 と言 うな らば,

え て曰 く

  

煙に よ り火

存 在

られ, また鶴に よ り水 〔の 存在〕が知 られ る よ

  

うに,

者達は菩 薩の種 姓を特 相か ら知る。 /

3

  

非 常に輝い た

歓喜

しつ つ

び で総 毛立た せ て い る

を, 師は 明 らか

  

い て摂 受 する。

4

2

i)

そ れ故に世 尊は 〔次の よ うに〕お っ しゃ っ た :

  

この タ ン トラ で は 灌 頂は

3

種に区分 されてい る。

即ち〕 阿闍

秘密

1

 

般若智 〔

各灌 頂

であ

4

目 も そ れ と また同

る。 /

5

// と。   微笑む こ と・ 見 合 う と・手を執 り合 うこと , 更にまた 男 女の 交 会に

  

於い て, 歓 喜 ・ 最 勝

が生 じ

, そ してま た

離 〔

喜〕

喜〕

  

も同

に生 ずる

6

  

多様

に於い て歓喜が, 異

に 於い て最勝 歓

が, 摩 滅に於い て離 歓 喜が ,

  

そ し て

相に於い て倶 生歓 喜が

生ずる

。 ノ

7

//

  

多 様は抱 擁や接 吻な どの様々 行為〕を 示 し , 異熟は そ れ と反 対に

 

享 受す る こ とで あ り, 楽で ある。 /

8

 

滅は “ 我に よ り楽が享

さ れ た” と

省察

す る こ と と

定義

さ れ,

離相

は       一

34

(3)

             智山学報第四十一輯

  

以 上の

3

段 階

の で

離貪

とを

れた

状態

   である。 /

9

 

それ 故に

次の ように

わ れ る :

  

も,

離貪 も

, また

その

中間 も

倶 生 歓

と して は

〕得

られ ない 。

  

れ ら

3

捨 離 し て い る か らこそ

生正

と言わ れ る。 //

10

//

 

圃 他な らぬ こ の

る所が

G

π

邵 α 〃

漉 砌 ’rα

次の よ うに

説かれてい る :

  

所 成 就 と

との

相応

親 近

で ある と言わ れる。 金 剛

と蓮 華 との 相応

  

と言 わ れ る。 /

11

  

H

聯 字 と

Phat

字 とを伴 っ た動かす こ とが成 就 と言わ れ,

らの楽を本

  

性 とし寂 静で るもの が大 成

と言 わ れ るQ /

12

/ 能 成 就 と所 成

とが金 剛

うまでが

歓喜

である。

全に動かすこ と であ り苦提心

を 生

るに

到 る までが最 勝 歓

である。 消 え

る こ と が

歓喜〕

で ある。

最勝 ・ 離〕 両 〔歓 喜〕の 間で楽を 本性とす る寂静な る もの が 生 じ た 時, 倶生歓 喜が 成就す るで あろ う, とい う意 味で ある。

 

  そ れだか らこ そ

次の よ うに

言わ れる :

  

そこ に は始め な く,

わ りもな く,

そ れ らの

中間 もな い。

で も浬槃

  

で もない それこ そ

最勝

な る大楽で あり, 他で も

で もない。

13

 更

の よ うに も

言われる :

  

とは最 勝歓

で ある と言われ, また

離貪

である か ら涅 槃である。 単 なる

  

歓喜

間で ありそ れ らを離 れた もの が

歓 喜〕

である。 ノ

14

  

また,

歓喜

られ て

異性を離 れた刹 那に , 教主 は おっ しゃ る で あ

  

ろ う, “ 大 薩墟 よ大 楽を把 持 すべ 持 金 剛よ,

を得る

に 到 る ま

  

有情

利益 を行え” と。 ノ

15

ノ 云 々 と。

 

v

3

され るの か 」 と言 えぽ, 答 えて 曰 く

  

果と 因 とが 別 の もの では ない か ら,

先ず

3

で あると知 り, 〔果 た る 倶生

  

歓 喜は〕 離

喜〕

歓 喜 との で明らか とな るの で

4

と知       一

35

(4)

  Kriy

五saTligrahapafijikti の 灌頂論(4)(桜井宗信)

  

16

 

「で は何故 そ れ らの 間で 明らか に されるの か 」 と問 うな らば, く

金剛は, 最 勝

歓 喜

の 果て であ り, 離 〔歓 喜〕 との 間にある空に して 非

な るもの であ る〉云 々 と説かれ て い るか らで

る。 一 (1)

 

(vi〕「

如何

に して “ 空に して

な るもの ” なのか 」 〔と問 うな らぽ, そ れに つ い て は

   

無 始無 終に し て寂 静で あり, 有 と非 有とを 自性と し, 不

で ある最 高の

  

て,

性と

心 との 不可

る もの が菩 提 心で ある と

え られ

   

て い る○

ノ 17 /

とい うの が宗義 であ る。

 

圃 「そ れ は どの ような方 便に よっ て生 起せ しめ られ るの であろ うか 」

と問

な らぽ

, 〈

荼 羅

な どの

方便

と,

自加持次第

に よ っ て〉 と詳 細

に説かれ       (2) て い る

3

] そ し て これは我々 に よっ て は 明 らか に さ れ ない 。

何故

とい えば

  

こ の

は 言説の

表 現

を越 えた

対 象

自証

されるべ き も

  

故 な らこれは一切智 智に等 しく加 持の対 象である か ら。

18

 

更に 〔次の ように も

言 わ れ る :

  

倶 生は

これ

に よっ て は表 現され ず, どこ に於い て も

られ ない 。

  

到っ て上師

に見 え

親 近 する こ とに よ り,

福分

き自

るの で

   あ

る。 ノ

19

  

大 福

者達

へ の 上師 猊 下の 恩寵に よ り, 瑜

者に 言説の

表現域

を越

  

え た対象であ る智が生 ずる。 ノ

20

そ れ故に

の ように〕 も言われる :

  

の 王

に して

であ り因に

係せ

世々 に常に存在 する方, そ して

  

また話を され る時に 言葉を 欠い て お ら れ る よ う な 一 切 智 者 に 栄 え あ    れ。 ノ

21

 

そ れは他の タ ン トラ で も

わ れて い る :       −

36

(5)

      智山学報第四 そ れ は上

に よっ て

かれ

, ま た そ れ は

子に よっ て知 られるこ と もな い 。

そん な

の 流れの 如 き倶 生は誰に対して また どの よ うに 説 か れ ようカlio

 

 

22

 

覚知の 対 象で はない か ら言

い た

表現中

に は

わ れ

ず, 〔言 葉 よ り〕 遠 く

れ てい るけれ ども, 事 柄を表 現する能 力を備えて い るの で 明 ら か に して くれ る上師は, 順に 彼 (=弟 子 )が悲心等の

浄化

し た

に,

そ れ ら

誠 信を

する

者達

の 心 に, 自ら

直観

的心

を刻み込む。 ノ

23

4

 

「で は一体 菩 提心 を 円満 した

特 徴とは何か」 と問 うな ら ば, 次の よ うに言 わ れ る :

  

諸 根は眠るが

くであ り, また

沈降

した如 くで ある。 真の 楽 と 一 体 と

  

なっ た

はあたか も行動 能 力を失っ たか に

える。 /

24

  

根群

が沈 潜 し, 分 別は失われ, 有の 種 子 も 現上 し な い

状 態である

  

れは, 歓 喜の 光 輝 よ り成 り, 更に虚 空に等 しく, 鳴呼,

涼 で 甘

で あ

  

るQ

/ 25 ノ

  

根が

壊され 自 らの 本 性 し た

状 態で る〕 倶生 歓 喜の体を,

よ,

  

上師

下に 明 らか に尋ぬべ

26 ノ

 

そ れ故に こそ

次の ように

言わ れ る :

  

そ れ を生起 するや否や諸 対 象と同一 となっ て諸 根が

する,

にま た

歓喜

  

せ る

勝者

しい

で あり

一 の もの で

るけ れども,

諸賢者

の 胸に 秘蔵

  

されて い る もの を 目覚めさせ る もの で もある

彼 〔

に帰

致 しま    す。 /

27

/  従っ て

  

こ こ に憩 う者は一切の 分 別を滅し た

知を

え, また

うべ きこ と

  

を成し

げた

者で もあ り, そ れ以

は家畜で ある。 ノ

28

卒 〔その ような家 畜 同然の者 達が

〕 増

加せ ざらん こ とを。 [

5

 

そ れ故に

の 上師 方を お

こぽせ し上

て か ら, 良 き弟 子 達は 三

中       一

37

(6)

 

KriyasarPgrahtipafijika

の灌頂論(4桜井宗

する

大楽

本質

を 自

すべ 。 匸

6

以 上の

般若

頂 を得た行 うべ とを

の よ

べ し。

  

や我が出生は実 り

きもの とな り, また

寿

生 も

り多 き もの となれ

  

り。 今や仏の部 族に生まれ, こ の 時に 我は仏 子 と なれ り。

ノ 29 ノ

 

以上 が

灌頂

の儀 軌で ある。

  

H

註  解

 

和 訳で 示 した よ うに, 筆 者の 理解に よれ ば 本 次第は 内容上 [

1

] 〜

6

6

       (1 に分 け られる。 その

成 及び記 載 内

般若智灌頂

次第の場 合と同 じく,

dGab

 

babi

 rdo  rje 

98

盈 妙 r盈 r’顕 (以下

SP

)の

灌頂次第

非常

に よ く

      (2) 一 致 ・ 対 応 し て い る 。

 

両 次

骨格

と な っ て い る記 述は タ ン ト ラや論 書か ら引用された 偈頌であ り, そ れ らを対 照 してみ る と

SP

vv

7

11

35

に相 当する

6

偈が

KS

で は欠け て い る。 またその 他の

部分

で もチ ベ ッ ト

訳される段

で の

か い 相

か         に見 られる。 し か し

後述

の よ うに, これ ら

6

偈の有 無は両 次

間に 本

的な差

を生み

出す も

の で は ない。 この よ うな

成を

る文 献が

A

厩 プッ盈 プ砂δ5α 一       〔4) muccaya (以下 λ

K

)な ど

数本確認

され たの で, 本 灌 頂の 典型 的 な 構 成例の 一 つ と考えて よい であろ う。       (5)

 

1

]は

説であ り,

頂が何で

るか を, 他

か らの

引用偈

えて

に規定 し て い る。

所説

を ま とめれ ぽ

の ようになる :     (

1

)果であ り宝の 如 く尊

   

慧の

浄化

」 を 目的とす る。

  

3

先に説か れ た儀 則に基づ き, 言 葉の み に よっ て与え られる。

  

4)般若智灌頂

際に

, 同

甚深広大

な 理

信解

する

子 に の み       授け られる。       − 38 一

(7)

              智山学報第四十一輯

 

瓶 ・ 秘 密 ・ 般

若智

灌頂に

・ 心

化を対応さ せ る理

灌頂儀

が説 くとこ ろである。 しか し

 

の よ うに

頂を 「

智慧

浄化

」に

て る

方は無 上 瑜 伽 父 ・ 母 両タ ン ト ラ に 基づ くと される何 れの

儀 軌

中に も

られ

,         た だ

SekoddeSa

にの み確認され, 同タ ン ト ラを

奉ず

Kalacakra

の影

と も考 えられる。

SP

す 体

ど を

っ てい る本 次

にあ っ て それに依 らない

一 の

記述

り,

KS

頂 次

第独 自

特徴

と して

注意

すべ き点で ある。

   

を除 く

3

点は多 くの 儀 軌同様規 定が 説かれ て お り, どれ も第四

頂 の 基

本 的

性格

え るこ とが

出来

る。 こ れ らの

意義

考察す

る こ とが即ち本

を明らか に

るこ とに

な ら ない の で

る。

に , そ れ が言

え られ る もの で

るな らば,

当然

その

られる内

が問われなけ れ ばな らない で

ろ う。 しか し

セこは 「その 説 示すき内

た形で それは 明示 されて い ない 。 従

の 方法に よ りそ れを推 定 しなければ な らない

 多

くの 灌頂

軌が こ の 「総説」に 相 当 する記 述 し か記さない た め, その 推定 が難しい 。 し か し本 次第の場 合は, [

2

]以 下 の所 説を理解 する こ と で ,

KS

SP

四灌 頂 次

を最初に

め た 論 師

以下 「

KS

5P

系 原

著者

」 と呼 ぶ

して い た 〈

子に

教誡

言葉

概略

推察

る と

筆者

えて い る。 そ こ で ひ と ま

ず [

2

以下の

検討

む こ とに したい 。

 

2

]は先

「灌 頂は

3

種である」 とい う規 定 を 基礎に置 きなが ら, そ れと

4

種 灌 頂 体 系 と の 整 合を計る ((

O

〜 (v )) 。 次にそ の 整 合化を利用 して, 灌頂 を 円 満 し た受 者の

る境地 が

生 歓 喜に な らない 「空 悲不二 の

心 」 で るこ とを 示 す ((

Vi

最後

に そ の

提心 の 生

方 法を提示 す る (圃)。       (7)                                               _

 

i)

v・

5

は何 らか の タ ン トラ か らの

の ように

見受

け られる。

AK

Heva

4皰 廓 擢 (以下

HV

)所

説 とするが 同ト ラ

現行

ク ス トに は

ず , む       (8) し ろ 内容は

Guhorasama

7

’atantra (以下

GS

X

113

に 一致する。 こ こで 問題セこな る

  

第 四番 目 〔の 灌頂

もまた, それと同

である

caturtharp  tat 

punas

 

tathE)

(8)

  Kriyfisar

;igrahapafijikfi の湛頂論(

4

)(桜井宗信) の

る所で ある。

筆者

文脈

か ら

判断

し て 「それ 」 が

般若智灌頂

を指 して い る と

釈する。 ま たそ う理 解 すれぽ, 本 灌頂が 「先に説かれた

則に

づ」

くも

の で

る と

る[

1

]中の 規 定 と整 合する。

っ て こ の

で は,

灌頂

と         般

若智

灌 頂 とが 本

的な差異 を持た ない ことが述べ て い る こ

 

  は主に

HV

用 しな が ら, 般 若

智灌

頂の性 的瑜 伽 よ っ て四歓 喜 ・ 四刹 那が

現証

される こ と を

べ る。 v .

6

は “

微笑

交会

” に “歓

生歓

” を こ の

対応

させ る とい の で はな く, “ 微 笑〜 男女

会 ” とい う 表現

象徴

され る

般若智灌頂

性 的 瑜伽に於い て 四歓 喜が体 験 された こ とを明示 し         て い る もの と

える。        

  続

くvv .

7

8

9

は順に

HVHiiig

7

8

の 引 用で ある。

7

で 四歓 喜に 対 応す る四刹 那の存 在を述べ , 続 く

8

9

四刹 那

を定 義

生 歓

が生 ず る 「離 相」 が他の

3

刹 那 とは別であ り 「貪 と離 貪と を離 れた状 態」 である こ とを 示 す。

 

そ れ故に “倶 生が

離貪

・ そ れ らの 中

の い

れ で もな い ” と

HV

Iviii32

が v.

10

と して

用 され る。 こ の場 合言 う まで も な く 「

」は

最勝

喜 (

paramananda

), 「

」は

離歓 喜 (

viramananda

, 「そ れ らの

間」 は 歓 喜 (

ananda

) を そ れ ぞ れ意 味し て い るの で あ り, 四歓

内に 於 ける倶 生

歓喜

性 が 明示 されて い る。   圃で は

GS

い て もこれ と全 く同様に 四歓 喜の 現 証が説かれて い る とい うこ とを論 ずる。

用 されてい るの は 同タ ン ト ラ

X

176

177

で あ り, 所 謂 「四

就法

」を説

く偈

る。

 

2

偈の

に付された解 説に よ れば 「親 近」 と 「近 成就」 が歓

に, 「成

」 が最 勝 歓 喜に 「大 成就」 が倶生 歓 喜に それ ぞれ 相 当 する。 対 応する支分を 四支 中に

た ない

離歓喜

は 「

る こ と

cyuti

)」 と さ , 般

智 灌 頂の

程に 照 らして る と “倶 生

歓 喜

を もた らした菩 提心 が金 剛 摩尼よ り消 え 去る         こ と” を指して い ると捉え られ る。

 

ま た倶 生 歓 喜が成 就 する 「両 者の

い て (anayor   madhye )」文 脈         上 “

最勝歓喜

離歓喜

” と

釈されるの で , 四歓

の 順 位は く歓

→       −

40

(9)

             智山学報第四 十一

最勝歓喜

生 歓 喜→ 離歓 喜〉 となる 。 こ の順

して は

後述

する。

 

し て 「四

成就 法 」に よっ て も四歓 喜が成就される との 趣 旨であ り, 遅

y

に特 徴 的 な凶

歓醤

体系

を もっ て

GS

の 観 法の 再解 釈 を計 っ た もの とい える。 「

KS

SP

系 原 著

」が 元

GS

体 系に属 す

頂 次

と し て

本次第

L

た 可能 性を 示

し て い るとも考え られる。

 

iv

ex

再び

HV

か らの 引用で

構成

され, vv . 

i3

14

15

は順に

HV

 

H

 v 

68

Iviii

 

34

, 

H

 

iii22

23

(ab

である 。

 

apabhrarpga で綴られた v・

13

に出て くる 「初め 」 「終わ り」 な ど は

義 通 りの

柄で は な く, 四歓 喜の 支分 と解 釈されて い る。

けて

か れ た v.

14

及           び

諸註

照し て それ らの

対応関

係 をま とめれば 次の り :

  

1

中 間」.

  最勝歓 喜

:「

, 「

」,

 

離歓喜

:「

わ り」, 「

    槃」 こ れ らの れ で も ない 倶 生 歓 喜は 「大 楽」 に他な ら

それは

勝 歓

られるの である

v。

15

こ こ で

最勝歓喜

→ 倶生 歓 喜〉 の 順 序が 示 唆され てい る点に 注

したい なお v.

15cd

意義

につ い て

後述す

 

v

で は

先ず

, その 冒頭で

示 される 「何 故

3

種に区

されるのか 」 とい う

い の 「

3

種」 が何を指し て い るの か を 明 らか に して お く必

が ある。 これ ま で の

論で 「

3

種」 が登場 し た の は, v.

5

の “

灌頂

3

で ある” とい う

箇所

のみで

るか ら, こ こ で

も灌頂

が主題に なっ てい る もの として

め る。

 

上 記の い に紺す る

とし て 出されて い る のが出典不 明の v.

16

で あるQ 同

偈前半

の論

は, こ こ で

頂の区

が問

に さ れ てい る と

定 する限 り “ 「果」 である倶 生歓

が 厂因 」としての

般若智灌頂

に よ っ て生 ずる とは言 っ ても,

般若智灌頂

瑜伽

に於い て

獲得

される の で

る か ら

両考

差異

は ない

っ て 灑 頂 次第は これ らの

3

種と して 先ず

め られ る ” とい こ とに なろ うo

 

一 方同偈後 半は文 脈 上國歓 喜を取上 げてい る とし か

え られず “ 倶生 歓 喜は そ れ 以

3

種歓喜

とは

な り, 最勝 歓

離〕

の 間で

られ る第

4

番 冒の

歓喜

で あるか ら,

4

と定ま る ” との

ろ う。 つ ま り

頂は窺       一

41

(10)

 

KriyEsarpgrahapafijikEの灌 頂論 (4)(桜井 宗信) 〜

若智灌頂

4

で は , 歓

して

第 4

で あるとい う こ になる。 し か し これは 「

」を 「

」に

め た前 半の 論

と明 らか に

矛盾

し てい る。

 

v.

16

はその 内容か ら

本来灌

頂の

で は な く歓 喜の 区分を述べ 定され “

頂 次

3

である” とい う規 定を こ の か ら

き 出 そ うとするこ と自体に 無理 がある。 し か し

な 不

し て ま で,

灌 頂に

い て 倶 生 歓

が得 られ 灌 頂 が

完結

する こ とを示そ うとする仕方に 充分 注意したい

 

(vい て , 倶生

歓喜

歓喜

と 〔

〕 歓 喜 との 間で現 証されるとい う上

v・

16

後半

所説

証 明す

るた め に

HVHv70

半に対 応 する 一文 (下

1

)を教

として

る。

 

言 うまで も な く同文 中では 「空に して 非空な る もの」 が倶生 歓

を意

し て い る か ら,

は く

最勝歓喜

生歓

→ 離 歓喜〉 順で体 験 される とに な る。 一 方先 議 論に よ 歓 喜→ 最 勝歓

→ 倶生 歓喜〉 順 位 も

確定

してい る 従 っ て 本次 第に於 ける四歓

現証

順は 〈

歓喜

歓喜

生 歓

〉 となる 。        

 

既に指 摘されてい る通 り,

HV

は四

歓喜

の 順

2

りの 在 り方で記 し てい る :

  

1)歓喜

最勝歓喜

・ 離 歓 喜 ・ 倶生歓

  

2

)歓喜

最勝歓喜

歓喜

・ 離 歓

本次第

拠 とな る双

か ら偈 を

用 し てい るの で,

今見

てい る よ

体験時

順 位 とし て(

2

)が示 される一方で, vv ・

6

7

で は(

1

の順で紹 介 され て い る。 し か しこ の

2

偈は本 次

に限っ て言 えぽ, あ くまで四 歓

の 各 支 分を

介 する た め に 引用さ れた の で あっ て , 四歓

の 仕 方に

2

種がある こ とを述      

aq

で は い 。 単に各 歓

べ る

に は,

 

の方が,

喜がそ れ 以

3 種

とは全 く異なる究 極 的な

地である こ とを際立 た せ る と判 断された の で あろ う。

 

 

では,

歓喜

が 「

に して

空 なる もの 」で ある とする(v

半を承 け て ,

にそれ が 〈

空悲

不 二の

菩提

心 〉 で

る との 「

宗義

」 を 明 らかに す る。 同       一

42

(11)

             智 山学報第四十一輯

菩 提

心の

定義

を示 す v・

17

GSX

38

引用

る ことは

め て指 摘す る必要も ない で あろ う。

 

圃で はそ の

提心 を生

す る ための 方 法を明 らか にする。

教証

と して

用さ れ る下

2)

HVIiv29

前半

る が, 「

曼荼

羅 輪等の 方 便 と自加

        次

」を生 起 ・ 究

2

と把る せ よ

荼 羅造 壇を含 む

頂 次

と         解 釈 するに せ よ, 般若

灌頂まで に行われた

法を それに

対応

させ るこ とが可

る。 菩 提心を先 ず 自らの

に 生み出す 手 段と して 密 教 的観 法が 必要と さ れる点, しか し 一

それ が 「生

」の た め で

っ て 「円満」 の ため で はない点 に それ ぞれ注

したい

 

3

]で は 「生起 」された 「

菩提

心」一

歓喜〕

円満に導 く要

を,

となすべ

6

明 らか にする。

 

ず第

一 に, 倶 生歓

は 「我々 に よっ て は明 らか に されない 」 の であ り, 上 師 の 助け を俟っ て初め て

られ る (vv .

19

20

) 。

 

そ れ は ま た 「言 説の表 現 域を越えた」 「加 持の対

(v.

18

で も ある か ら, 「上師に よっ て も説か れ ない」 (v・

22

)。 即ち上師が弟子に対して行 う

は, こ の場

に よ る解 説で はな く, 心か ら心へ

直截

え られる性

の もの で あ る。 「話を される時に言 葉を欠い て お られ る」 (v.

21

)上師が弟 子の

「心に 自ら

直観

的心象を 刻み込 む (

hTdi

 

padarP

 svayam  

adadhati

v.

23

) と

表 現

か ら もその

わ れ る。

 

し か し最 終 的な局面に 於い て は, 倶生 〔歓 喜〕は弟 子 自らに よっ て 「自

さ れ るべ き も」 (v ・

18

の で あ り, 上師に 「

近」 し て各々 の 「

福分

に基づ き

ら知る」 (v.

19

) もの である。 即ち

生 〔歓

は 「上

の恩

」が 生み 出

の で な く, それ を 言わ ぱ

と し て 厂瑜 伽

に」 「生 ずる」 の で あ る (v.

20

 

ここ に記された事 柄を般若

灌頂の 儀 礼 中に対 応させ て

釈す れぽ, 上師の        

1

’,

W

,寵」は性 的瑜 伽の 方 法 と そ れ が もた らす

地の指 南 , 及び

観法

上の

助法

と し て理

出来 よ う。 ま た その 結果 最 終 的に

歓喜〕

を 「

自証

」 した弟子が,       −

43

(12)

KriyfisarPgrahapartjik

吾の灌 頂論(

4

)(桜井宗信) v.

18

HV

 

I

 viii 

51

(但し第

3P5da

が異な る ) v.

19

H

γ

Iviii

 36 v.

20

不 明 v.

21

V

α為励 舷 臧 勉 9α’伽 孟’ワ α ∫嫋 毎 (

VT

)v.

1

v.

22

Sa

τahapadiya −

doha

 

II

 v. 

9

v.

23

5ψ46蔽 ‘鍾 ん両「π σ々「α ηzα (

SK

) v. 

11

 (

Sa

ha

著) 本

四灌 頂 次

1

に 於い て言われる 「般

若智灌頂

実際

た 」者に相 当 するで あろ う。

 

次に [

3

]に 用 された

6

偈に 関して 簡単に 触れて お きたい 。 便宜 上 これ らの 出 典を表に ま とめ れば上掲の 通 りで ある。

 

v.

18

の 第

3pada

が 「加

対 象 (adh

hanapadam

)」と あ るの に 対し,

拠 と推 定 され る

HV

は 「加 持の 次 第

adihi $‡

hAnakramah

)」 である。 しか し こ の

複合語

は 「一切

者に

しい と同

bahuvrihi

 compaund と

釈 出

るの で , 両語を同義 と見

せ る。

 

v.

20

出典は 今の ところ 不 明である。 内容 的に は vv .

18

19

を合

し た,

とな っ て お り, 何れかの タ ン ト ラ よ りの 引用 と推測 され る。

 

v .

21

VTv

1

に一

し, 一 切 智者た る上 師へ 帰 敬 偈で る。

本次第

に は こ

め て

VT

よ り

2

偈 が

用さ れて い る。 同

者はチ ベ ッ トの         所

で は “

Tsi

 to” い は ‘‘

Tsi

 

ti

” と され るが, 既に紹 介がある通 り

5

励 鰄 一

5itasamgraha

(以 下

SS

Saraha

と伝 えて お り, また 内

の面で も

の        

に な る

Doha

文献

親近性

あ られて い る。 vv ・

22

23

に も

られ る よ うに 本次第では,

Saraha

の 所 説が教 証 とし て重 要 視さ れて い る。 

VT

へ の

依拠

もその

れの わ れ た と考え られ る。

 

Kuladatta

は続 く vv .

22

23

を 「

の タ ソ ト ラ」の

説と紹 介 し て い る が, 上記の

Saraha

が典 拠で あ り, 現に

SP

及び

AK

は 「

Saraha

」 と して

引用

する。        

 

v.

22

P

C

. 

Bagchi

紹介

2

Doha

” の

の v ・

9

44

(13)

      智 山学報第四十一輯 に一致し, 原文は apabhralp6a で

られて い る。 続 く v.

23

と共に

生をめ く ・ る 問答を構成し て い る。

 

v.

23

典 拠で ある

3K

はサ ン ス ク リッ ト原本

発 見で, チベ ッ ト語 訳にの み

完本

見在す

る。

16偈

よ りな る

小著

で ,

菩提

心 と上

とが

える

え そ れ らへ の 帰 命を表明する こ とを 主た る内 容とする。 ∬ が 「

Saraha

曰 く」 とし て

引用す

に も,

本書

を出

る もの が

3

偈含

まれてい る。

 

ま で に

次第

で 「

菩提

心 を円

し た

」即ち

歓喜〕

現証

し た 弟子 はどの よ うな特徴を持っ て い るの で あろ うか。 [

4

]で は こ の 点に関 し        

5

偈を引 用 し て述ぺ る。

  彼

は 「真の 楽 (satsukha と一

となっ た」 こ とに よ り, 諸

感根

きが

し 「

沈降

し た

く」 「

別は失われ」 「

力を失っ た か に

え る」, つ ま り一種の 忘 我 ・

恍惚

状 態 入 っ て い る の で あ り, そ れ が 「倶 生 歓喜の 体 くsahajanandatanu

 

そ れ故に, 一

ば 失

る よ え る そ

た 「

うべ こ とを

し遂

た知

v.

28

り, そ れ を もた らす

提心 は 帰 依すべ き対 象 v ・

27

  感 根の 働 きの 停止に触れ る偶ぼか りを集め てそ の 点を殊 更 強調し てい るの は, こ れで は失

神状

態 と

わ らない ではないか との

問が弟 子に生 じない よ う, そ の 正 統 性を根拠 付 け ようとし た か らで あろ うと

者は

釈 する。

 

こ こ で引用された各 偈の出

は次の りで る : v.

24

不  明 v.

25

yTv

8

v.

26

1

)oゐ譟 054v ,

29

Saraha

作) v.

27

5Kv

2

v,

28

不  明 v.

24

は 現在出典不 明である が,

Munidatta

は 「

吉祥

なる上

四の

教誠

      一

45

(14)

 

KriyfisarTigrahapafijika

の灌頂論(

4

)(桜 井宗信) を

て繰 り返し

修 習

す るこ とに よ り双 入 の 本

現証

した 」

を 示

教 証 と して, 本 偈を

C

αrッδ

g

痂 々05  ∫観 (

C

γ)に 「

Agama

曰 く

」 と し て

引用

してい る。  v..

28

も出 典不 明で あるが

SS

に引用されてい る その 記載 状 況 よ り

V7

▼         の 一

とも見

るが, 同 書現 行テ クス ト中に は含ま れて い ない 。

 

v .

26

所 謂 『サ ラ バ ドーハ ー コ シ 』中 偈であ り , v .

27

共々

CV

に 一

用 されてい る。

 

5

3

4

の ま とめ で あ り, 仏の 本 性である大 楽, 即ち

歓喜

が, 上師の 助 力を得た上で 自証 されるべ き もの で あるこ と を

簡潔

べ て い る。

 

本 次第を

め括るの が [

6

]で あ る。 「般 若である良 き灌 頂を得 (

pra

樋 satse −

kab

)」た弟 子は最 後に ,

1

偈 一v

29

SamPueodbhavatantra

 

I

 

i

 

51c

d

52a

b

に対

する一を唱え る とで ,

頂が成 満 し

自身

が 「

子」 と なっ た と 宣してその

を 自 ら祝す。 これ を もっ て全次

了 と な る。 な お

子 が

仏で はな く “ 「

」 とな っ た ” と され る

意 味に 関し て は

で触 れる。

 

以 上 で

各項

を一一

ma

り検討 し終 えた。 以下これ を踏まえな が ら, 本 次

に於い て授 ける 〈言

に よ る灌 頂〉 が ど うい

内容

また どの よ うな意

の な か を考えてみ たい

 

稿

で 指

し た よ うに , 弟 子は般 若

智灌

頂次

に 於い て 「

般若

母」 との 性

瑜 伽を通 じて

生 歓

現証

すべ る と されて い た。 従っ て, 実 際にそれ を

た し た

子に対し て, こ こ で更に

しい 次

を, そ れ も 〈言

に よ る 説 示 〉 の み を もっ て設定 する とすれ ぽそ の 目的 とし て は 次の

2

点の 何 れかが 当て

ま るで あろ う :

  

1

般 若

智灌

頂で

られ た

歓喜

否定

及至は相 対化 し て, 新 た な 究 極

   

的 要

ち込 むこ と。       − 46 一

(15)

                                          智山学報第四 十一輯

    

その

歓喜

子に

して

め て

示 し, “

は確かに そ れ を

    得

た の だ” と

承認す

る こ と。

  津

田真一

士 に よれ ば

HV

S

四 灌頂

〈言

よ る説示 〉 目的は

1)

す と解釈 され る。 その 〈言葉〉は 「

理の

題」 であ り, 般 若

灌 頂の 性 的瑜 伽で得 られた 「仮の 世 俗 的な無上 正

覚」 とは異な る 「

勝 義の 無上 正 等 覚」へ 弟 子 を

向づ けるもの で る。 「

向づけ られた

子 」 はその 「真理 の

命題

を 「

を以っ て実

せ ねばな ら」

, サ ン ヴァ ラ

系 密

教に い て

わ れ た 巡礼がそ の

の 具

例で る とい

  第

灌頂

が本

来(

1

を基

本的性格

と して

構想

さ れ たこ と は間

い のない ところ        

BD

であろ う。 津田博士 が

GS

M4

ッ4∫α脚 α 厂 α如 艀 rα に基づ い て跡 付 け られた よ うに , 初 期の無上瑜 伽タ ン ト ラは性 的瑜 伽 自体に よ っ て各々 の 目指す 究 極の

地を

獲得

しよう と計っ たの で あ り, そ こに 〈言

〉で の 「

理 の

題」 の 説 示 を更に付 加 するこ とは全 く不必 要な こ とである。 そ の点で

1)

の 性 格を持つ 第 四

灌頂

がそ れ らタ ン ト ラ

信奉者

由来す

るもの とは

え られず, そ れ ら よ り も

で成 立 し た タ ン トラ の で構 想され た可 能 性が強い 。

 

その 一で これ とは異な っ た

釈を取る論

もい た。 幾 本かの 文 献を手掛か りに して, どの よ うな

解釈

っ た かを

める と

大 略次

の よ うに な る : <

A

>第四灌頂の設定 自体 を否定する. <

B

>第四灌頂の設定は認め る.    〈

B

1

>内容を 〈言葉に よ る説示 〉 とは異な っ た もの に変更する.    〈

B

2

>内容を 〈言葉に よる説示 〉 と す る.     〈

B

2

1

>般若智灌頂で倶 生歓喜を得たこ とを証する 〈言葉〉 を授 ける.     〈

B

2

2

>一種の 「真理 の命題」 を授げ る.      〈

B

2

2

1

>機根の劣っ た受者に の み授 ける.      〈

B

2

−2−2>総て の受者に授ける. 〈

C

>般 若智灌頂の中に四灌頂を組み込む.   こはあ くまで諸 文 献 中に 見 られる第 四灌 頂 解 釈 を筆 者な りに整理 し た結 果 で

て の

が一

様ac

同程

支持

て流

してい た と

結論付

ける つ もりは全 く 。 しか し

とも,

HV

が示

す第

釈に

して 一

47

(16)

  KriyasarPgrahapafijik

蚕 の灌 頂論(

4

)(桜井 宗信)

くの

が唱え られて い た こ

がい

れ る。

 筆者

は,

当該

KS

SP

系第

灌頂次第

が 上

記 (

1

を 目

とは せ

, こ の 〈

B

2

1

> (上記

2

点 中の

2

の 立場 )に属し て い る と判断 する。 以下 その 根拠を 述べ て み よ

 

先 ず 第一に, 上述の よ うに v.

5

が第 四灌 頂と般

若智

灌 頂との 本 質 的 同等 性 を

規定

してい る と

解釈出来

挙げ

られる。

 

次に,

般若智灌頂

性的瑜伽

い て

生 歓

られ る こ と を

匚2 ]

5

が 明 らか に し て い る点で ある。 先に述べ た よ うにそれ ら

4

節 中の 記

が, “

とでその教 誡を

か りなが ら

実修

を行い

最終的

生 歓

て知

とな っ た ” とい う弟 子が経て来た経 過の 回顧と見 做せ , 倶生 歓 喜 を 新たな段 階で あ る

灌頂

応させ て はい ない か らで

る。

 

4

註 解で も触 れた よ うに , こ こで言 わ れ る倶 生歓 喜を

た弟子は失

と同等に見 られか ね ない しか しそ うで はな く聖

規 定に則 り, か つ 師の

誡も

め られた通 りの仕 方で 得た

地で あっ て

生 歓

に 他な らな い の だ と論 証 し て お く必要がある。

2

5

が ま さにその よ うな

性格

所 である 従っ て

頂と し て説 示される 〈言

〉 も, 記 述の 体 裁か ら言っ て

2

〜 [

5

]が そ ま ま形で語 られ る 可能性 少な に せ よ , 当然これに

沿

っ た もの と

定され る。 これ ら

4

節が, その 内容か ら言えば

頂次

とは別 個の        

解説

るの に の ような扱 わ れ 方で は な く次

の 一

とされて い るの は, こ の 理 由か らで

る。

 

第三に, 説示 される 内容一 〈言葉〉が 「先に 説かれ た

則に 基づ く」 もの と 規 定 され て い る点が ある。 これ が本 次

の 冒頭に記されて い る か ら 「

か れた儀 則」 は

然そ れ 以

般若智灌

まで の 「儀 則」を意 味 し てい る。

っ て 〈言 葉〉は

内容

ま え た もの で あり,

HVHxii4

に代 表され るよ う な儀 礼 とは無 関係の 抽 象 的な 「の 命 題」 で は あ り

ない これは上記の 一 の理 由とも符 合 する。

 

最後

に ,

示の

対 象

を 「

甚深広大

の 理趣を信

解す

る」

子に限 て い る点 を

挙 げ

た い。 即ち,

子に差 別 を設 けて “ 性 的瑜 伽 を相 対

する 〈言

〉”       −

48

(17)

       

智山学報第四十一輯 を授 けた な らば,

瑜伽

を越 えた所に本 当の

理が

る と

子と, その 瑜 伽の

地が

究極的

な もの である と受 け取っ た ま まの 状

置 き去

りに されて しま う

子 とが 出現 する こ とに な ろう。 し か しこれ は総て の

子に 「

理 の 命 題」 を

けようとする

HV

な どの

図 と明 らか に 相反 する結 果とな る か ら, 本 次

がそれ らの タ ン トラと同

図で

られた とし た な らば こ の よ うな

定は 設 けなか っ た筈である。

 

以上に よ り本

四灌 頂 次

い て 師が弟 子に 授 け る 〈言葉〉が, [

2

コ 〜

5

]の

まえた もの で “

智灌

頂の性 的瑜 伽で倶 生 歓

を汝は

た” とい う印可

た る もの と推 定される。

 

そ れ では倶 生歓 喜を体 験 し た 弟 子は仏とな っ た と

釈さ れて い たの であろ う か 。

rKS

SP

原 著者」 が 「真理の 命 題」の 説示を 採 用 しなか っ たの もそ の た めで あろ うか

老はその よ うに は

え ない 。 [

6

]にある通 り彼は 「仏子 」 とな っ たの で あ り, 仏となっ た とは されて い ない か らである。

 

歓喜

現証

灌頂次第

とい

儀礼

枠 内

で は

最終

目的で

る とい う意

で , そ れ を果た した弟子 は確か に 「行 うべ きこ とを成 し遂 げた者」 で ある。 し か し

はその の ち

法統

伝持者

とし て

に研

を積み, 布 教や 新た な弟子 の 育成とい た 「有

利 益」を

続 ける こ とが要

される の である。 v.

15cd

は ,

HV

に 於け る原

が どうで あれ, こ の意

で引用されて い る もの と

筆者

釈 する。   本 次 第が最 初に著された 時, 灌 頂 次 第は既に 弟 子 を密 教々義へ 参入 させ る た めの 独 立 した

礼と して

立 してお り, こ の

儀礼

の 成

が成

と同

るわ けで はない こ

暗黙裡

に 了

されて い た の であろ う。 悟 りの

地で

り究

的 状 態のだ っ た倶生 歓 喜 も, その儀 礼 中で体 験 すべ き 一

素に 相対 化さ れて い た と考 え られる。

 

最後

本次第

をめ ぐる

密教

(流

上 の 問題に 触 れて お きたい

ぺ てい る ように,

KS

四灌 頂 次

SP

の それ と

大変

て い       一

49

(18)

 

Kriyljsarpgrahapafijikfi

灌頂論(4)(桜井宗信) る。 こ の

S

P

Bu

 ston に よ り

GS

 

Jfianapada

流に配 されて い るの で, 本 次

が 同

の中で

創始

された可

性が

る。

2

 

註解

で触 れた 通 り

rKS

SP

系 原 著者」 の 念 頭

GS

再 解釈があっ た らし い点 も, この ことを 示唆 し てい る。

 

ま た

本次第

受容

とい う

見落

とせ ない の が

AK

る。 同

頂 次        _      的

は その殆 どを

Abhayakaragupta

著の γ

r励 α

1

(以 下

VA

に負っ て い る。 し か し

頂 次

で は

情が異 なり,

VA

が そ れに 「七 支 (saptahga )」 を 対 応 させ て い るの に

し,

AK

次第

多少

広 が

されて はい る もの の

sP

のそ れ と非 常に よ く一致 し て い る。

 

「七

」 は

V

gi

忌varakirti カミ

特 徴

7

分 け

の で

る。 これ を

示 された

子は

習に よっ て

仏 を 目

すこ とに なる の で,

VagiSvara

の 第四灌 頂 次 第に対 する立場は上 記の 区分で行けば〈

B

2

2

2

>に属 す と判 断さ れ る。 し か し同 じ 「七支 」に 言 及 し て は い て も

Abhayakara

      _        の

解釈

Amndyamanjari

に よればく

B

2

2

1

>である。

 更

Vanaratna

Trayodas

’a’tmah α

Sricakrasa7

tvaramage4alavidhi の

四 灌頂 次

成の 骨

, 特に [

1

] ・ 匚

2

]〜 [

4

]た 対 応す る記 述を有 する点         で

KS

SP

系第四灌頂 次第と密 接な関連を持つ 。 し か しその 冒頭で

  説

か れた

りの

儀則

に よ り

般若智灌

自体

い て

た る

頂 を 授 く   べ と規定 し てい るの で, 上記の 区分で言え ば 〈

C

>に配 当さ れ る。 しか もそ の 本

      _        とし て 開示 され る

容は

VA

と全同で ある。

 

こ れ らの

錯綜

し た

象か ら も,

頂が本

的に

する思

上 の 意 義 とは 全 く別に,

る 一

礼が一旦

立 され た後には種々 の 仕方が相互 に関 連 し あっ て

た な形

へ 展

して

く, とい う密教

礼 変遷の 一窺 う とが

るの で る。

AK

    

略号, 及 び 参 照 テ クス ト ・ 文 献

Jagaddarpa

甼a:

A

、‘drα為r老a − samuccaora .       −

50

参照

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