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智山學報 第54 - 033島村 大心「唯識思想における真理の意味 : 真実性とは、…」

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(1)

唯 識

意 味

と は、

般 若

思 想

に お

能 所 識

止 滅

と、

実 有 を説

た も

の で

島  村   大   心

0

 

唯 識思 想に おける

理概

は、 本 来 どの よ

に把 握 されるべ きなの であろ

か。 そ れ は大乗 仏 教 思想 史におい て どの ように位 置付 け られ る もの なの で あろ うか。 この 問 題 に

す る我々 の 結 論を初め に述べ る なら ば、 それ は般 若 経 典に説か れ た空の 思想と同じ内容 を、 しか しなが ら中観 派とは異 なっ た角 度か ら説い た もの なのだ、 とい うこ とで ある。

 

仏 教 思 想 史にお ける般 若 経 典の 意

は、

の 概 念 を深

す る こ と に よっ て、 諸 大

仏 教思

の 基 盤 と な る理論を

築 し たこ とであっ た。 しかし 般

空思

は その 理

が困

で あっ た た め 、常に

無論 また は空性 実 体 論に

転化 す

る傾

してい た。 これは客 観 的 な思 想 史 的事 実である。 思 うに、 か かる傾

に対 処 するべ 、 大乗 仏 教 思 想 史上の 二つ の 学 派 一 な わ 、 龍樹 (

NagErjuna

 

AD

 l50〜

250

論』

を代

とする中観 派の 思想 と、 本論に おける考 察対

で ある とこ ろの 唯 識派の 思想

   

が 形成さ れ たの であ る。 この

に おい て我々 は、 従 来の 見解、 す な わ ち般 若 空 思想 と中

思 想の 同一性 を重 視 するの に対 し、 般 若空 思想 と唯識 思想の 関連 をや や も

れば軽 視しが ち な 近

学 説に異を 唱 える もの で ある。 我々 の理解に よるな ら ば、 唯識思想 とは、 学人 が般 若空思想を 理解 する こと を援 ける ため に、 同 一 想をそれ まで とは異 なっ た角 度か ら説い た もの なの で あっ て 、 その内 容 自体 は中観 派の 思 想 と根 本 的に異 なる もの で は ない 。 か か る想 定の もと、 我々 は

識思

検 討

を、 同

代 表 的

論書

無著

Asafiga

 

AD

395

−−

470

頃)の

乗論』

を中

めて

たの で あるが、 そ の

果、

の四つ の (

21

(2)

智山学報第五十四輯 ことが明ら か になっ た。

1

 

他 性 を 中心とす る三

説は、

般若

思想

に お

  命

題 (一 「悟 り に お い て は能所識が止滅 し て い る」;細 は村 a 参 照

  

を、 唯 識派の 立場か ら 一

の で

。 (

2

 

分 依

他性

転依

の 思想は、 般若 空 思 想にお ける第二 真 理

題    (= 「悟 りにおい て は無 明即 明 ・煩悩即 菩提の態 が成立 して い る」:詳 細

  

は 島村

b

参照) を、 唯 識 派の立場か ら理

的 に

現し よ

と した も    の で あるこ と。

3

真 実

は、 般

空思想に お ける第三真 理 命 題 (= 「真 如は実 有で あ る」:詳 細は島村 a252 以下 参照 )を唯 識 派の 立場 か ら捉 え直 した もの

  

で ある こ とい

こ と。

4

 

智の 思 想 は、 般 若 空 思 想に お ける第四

題 ( = 「後 得 智 思 想は実質的に初期般若経典に おい て確 立さ れ てい る」) を唯 識 派が発 展 させ た もの で ある こ と (詳細は準備 中)。

 

上記の 四

述 を通 じて 、 般

若経

典 = 中観 派 思 想 と唯識 派 思 想の

本 的 な連続 性 (同一性) が示さ れ るの であ る が、 枚 数の 関 係上、 本 論 考に お い て は (

1

)と (

3

)につ い て述べ の で あ る。

2

4

につ い て は他日の 機会 を待 ちたい 。 ま たこ の ような 目的の性 格か ら、 本論

は主と し て、 比

較的統

が容 易で あると思わ れる

上 田義 文が解 明 した

論〉

依 拠

して

述 を進め る。 した が っ て、 我々 は学 会 内で な お未決 着と思 われる古 唯 識と元 奘 唯識 との是 非とい

題 には立 ち入 らない 。

 

なお、 『摂 大 乗 論 』の テ キ ス トは長 尾 雅人

士の

乗論』

上下 (イン ド叢書 講 談社)を

長 尾 a」と して使用する。 文 中の 「

2

8

」 等の 数 字は 本書の分

を示 す。 ま た 必

に応 じて大 正 蔵 第

31

巻に お ける本 書の 頁 数 を

併記

した。

(3)

唯識 思想に おける真理の意 味 (島村 )

1

依他 性 (

玄 奘

で は

依他起 性 )

意 味 内容

 

初め に依 他性の 意 味 を端 的に述べ な らば そ れ

凡 夫の 虚 妄 なる認 識 作 用 ・認識 能力

、 要

る に認 識さ れた もの (境 = 分 別性)に対 する認識 する もの 識 ) とる こ とが で きる (境 と識は 同時 成立で あっ て 、悟 りにおい て両 者 は同一である)。 た だ し、 こ の意 味の依 他性 = 縁生依 他 性と二 分 依 他 性 と は異 な るもの なの で、 注 意が必 要である。

  (

1

他性

の語

 

paratantra

.svabhava )とは、 依 他 相 (

paratantra

.lakSapa)と も言 い

(長尾 a 上

272

)、

依 存

して い る こ とを

自性 〔

た は

自相〕

としてい る も

の 」 (上 田 a24g ) と い

意 味 で あ る。 具 体 的 に は 「ア ー ラ ヤ 識 (alaya−

vi na ) を種 子 と し (= 他依存し る )

凡夫の 無明 に起因 す る〕虚 妄 分

別 (abhrtta −parikalpa)の

ま れ る識 (vij fiapti」の こ とで あ る (

2

2

)。

つ ま り

 

「熏 習の種 子か ら生 じる (vasana −

bljotPAda

」 とい 点 、 そ して

 

「生じた後に は一刹 那 以上 は 自 ら存 在 する こ と がで きない とい

にお い て、

なの である (長 尾 a2 ・

15

 

A

)。 す なわ ち 「一刹 那の 後には、 滅 し て次 刹 那の能縁 によっ て対

と して 捉 えら れて

取 (分 別性 ) と なり、 そ れ (=その 自で ない他 ) を所 縁とする こ とに よ り、 〔識 と して〕 ある」 もの なの で あ る (上 田 c151 、真諦 訳 『摂大 乗論世親 釈』大正

31

巻 186 

b

 尚 以 下 『世 親釈 』 と呼称する)。

 

さ らに具体 的には、 依

他性

と は

 

アー ラヤ 識 と、

 

そ こか ら現

と して現 わ れて くる 第七 識 と、

 

前 六識の こ とで ある (上 田cl6 、

16g

70

お よ び長尾

b

438

)。

な わち凡

の 煩 悩 を本性 と してい る とこ ろ の 、 無 明に

わ れ た

虚妄

分 別 (; 凡夫認 識 作 用    『唯 識 三 十 頌』第

21

頌 尚、以 下 『三 十頌 』 と呼 称す る)の こ とで あ り、 凡 夫の

無 明に基づい た識る働き その もの

の ことであ る。

  

 

「依

他性」

には 上

なっ た

義 も存 在 する。 す なわち、 依

他 性

   

とは 「認 識 主

(能識 また は能 繍 お よび

対 象

(所識 ま た は所縁)

     

この 二 は、 厳 密には 「分 別性

を 意

する

   

が措 定さ れる以 (

23

(4)

智山学報第五十四輯   前の もの 」(長 尾

b456

) と規 定 さ れる こ とが ある。 これは 「二分 依 他

 性」

(序 文参照)を

頭におい た

定義

であっ て、 ここ で の

依他性

と は

 

く異 なる もの である。 上田は三性の

ちの 「依 他 性 」 は、 「二 分 依 他

 

の 意

とは異 なっ て、 そ れ が 凡夫の 虚

分別で あ るこ と、 つ ま り

 

上記

定義

の もの で あ る こと を論 証 して い る (上 田 alg9 )。

 

また依 他 性、 す なわち

識る働 きその もの

が、 漢 語 表現で は

 

る主

体〉

意味す

能縁

能取

能分 別」

とい

う語

表現

さ れる こ

 

と も

い の で

注意

要す

る。 両

同しては な らない 。 こ の

につ

 

い ては、 例

長尾

b483

以 下、 上 田 a456 、 上 田

blO2

、 上 田 c165

 等

照。 ま た依

性は 、本識、 一本 識 、 乱 識 ともよば れる こ とが あ   る (『世親釈 』

186b

 上田 c89 >。

 

我々 は 以

、 こ こ で述べ る 上記の ご と き依他 性 を、第 一 に そ凡 夬 性とい う点 か ら、 第二 に 「二 分 依 他 性 」との 区別の 必 要 性か ら、

他 性 」 と呼称

る。

摂 大

は、 縁 生 依 他 性に対 して次の よ

に複

なっ てい る。 すな わ ち、

 

「こ れ らの識 ※1 、 〔境と して は非 存 在なの で あっ て〕 唯 識の み (vijfiapti − matrata ) があるの で あ り、 それ (唯識 ) は 〔凡 夫の〕 虚 妄 分 別に含 まれてお

のみであるもの が

な る (一非有な る)

※2 = 一切法)と して 顕現 して い る もの

る。

  〔

縁生

依 他 性 と は、 そ れ (一一切 法 す なわ ち境 とし て顕 現 し てい るもの)の 拠 り所 となる もの で 、 これ こそ が 〔縁 生 〕 依 他 相なの である

2

2

)。 ※

1

 

こ こに言 う識 とは、 虚 妄分 別 その もの で は な く、 虚妄分別が境 す

 

な わち認 識対

と して顕現 し た もの で、 そ れ を その 本体で ある依他 性 す な わ ち 識 と してあ らわ した もの。 具 体 的に は 三界に属 する 一 切

 

六境 ・ 六根 ・ 汚 染 意 ・ 六識 こ とを指 す (上 田 c19 。 な お次

2

 照

。 ※

2

 

こ こ に言

境 と は、 見 ・聞 ・得 ・覚 知 されて い る もの の 意。 「顕

(5)

唯 識 思 想 に お け る 真 理の 意味 (島村 )

現 」 とは存 在 論 的な発 生の 意味で はない 。

 

ま り縁 生依 他 性 と は、 凡

虚妄

分 別に

まれてお り、

本来非存在

あ る虚

な る もの が三の 一切法 (認 識 対象) と して 顕現 する (snafi・

ba

 pratib−

hasa

認識 一得知 さ れる一上田 c19

、 とい う

態 の依 り所で あ る もの (gnas gah

yin 

pa

raya 三界 に お ける一切法の 顕 現の根拠 〉で ある。 した がっ て、 そ れ は三

属す

る心 ・心

である 上 田 c238

  (

2

他性

(縁生 依他性 )の

特性

 

以上 の 検 討 を踏 ま え、 さら に上 田 c21 以下の 叙 述に従っ て縁 生

の 特性 を 述べ る な らば、 そ れ は次の 三つ に まとめ ら れる であろ う。

  

縁生 依 他 性の第一 の

特性

は、 縁 生 (仮有)な る もの で ある こ とで ある (2 ・2 )。

 

依 他 性は ア ー ラヤ 識 とい

う種

生 で ある か ら縁 生 (

ptatyaya

一 udbhava )、 す な わ ち 〔仮 〕 有 なる もの (上田 c124 、 上 田

b40

)で ある。

 

尚、 ア ー ラヤ依 他

す種

る か ら因 でる が 、 同時  に その ア ーラヤ識 自身はその種 子の転 変に よっ て暴流 の ご と く に相 続  してい るの で 、 縁 生で もある。

 

paratantra

−svabhavas … …

pratyayodbhava

三 十頌

21

 ab

   

依他 性は縁か ら生

る もの で あ る

 

とこ ろで、 唯 識 説 におい て は

縁 生の

法」

に は二

類 ある とされ るが (

2

18

に対 する 『世親釈』

188b

)、 これ につ い て は 下記 を参 照 されたい 。

 

一は、

煩 悩の熏 習 す なわち

子 よ り生 じる

識」

で あっ て、 こ

 

れは ア ー ラ ヤ識の 本 体 よ り生 じ、 その仲 間 (体 類) とい うべ き もの で、

 

染 汚

(不 浄 品) に属 す る。 こ れが 虚 妄 分 別 (abhuta −parikalpa,  vi−

 

kalpa

) と

ば れ る

の で

る (上 田 c122 )。 つ ま り凡 夫 の

明に基づ   く認 識の こ とで ある (『起信論 』はこれ を く一心 に無明 が熏習 し て生起 する (

25

(6)

智 山学 報 第五十四輯  妄 識〉とする)。

 

二 は、

聞熏 習 よ り生 じる もの

で あっ て、 それ は 厂出 世 間の 聞

 

慧、

慧の

で あっ て (

r

世 親釈』同上)、

浄品

し、

意 言分 別

 

(manojalpa ) と

ば れ、

りへ の 転機となる もの である (上田 c28 )。

 

 

ア ー ラ ヤ識とい

子 か ら生 ず る 識 (縁 生 依 他 性)は、 第 一

 

品で あっ て、 第二 の 浄 品で は なく、 別

稿

で述べ る予

の 二 分依 他の依

 

他性で もない 。 つ ま り凡

の 無 明煩悩 に基づ く識で ある。 次に

依他性

二 の

特性

は、 虚

妄分別

として の凡

の識で ある こ とで ある (2 ・

2

)。

三 十

頌 』

に 曰 く

  

paratanrta

−svabh 百vas  vikalpab /

 

『三十 頌

 

21

 ab

    依他 性は、 〔虚妄 〕 分 別である。

 

に、

生 依

性の第三 の特 性は、 唯識 (塵 =境 は な くして 識 の み が仮 有)である に もか か わ らず、 その 識 嘘 妄分 別)が、 非

・虚

な る境 (塵) と して 顕 現 する (得 知、 認 識 さ れ る)こ との 依 止 と な っ て い る こ とで ある (2 ・2 )

依他

性その もの は、無 明に基づ く迷 乱の識であるが、 こ の

依他

性の内容 (上記第一 〜第三 の 特性) を

認識

るの は凡

乱の識で は な

りの

後得智

である (『三 十頌 』

22

一安慧釈の 梶山訳

168

)。 そ し て後

得智

に おい て は、 以下の

事態

が認 識さ れる の である。 以 下

世 親 釈 』に沿っ て (

182a

以 下)、 この ような縁 生 依

他 性

特性

を さ らに具 体 的に検 討 し て み よ う。

 

a

) 凡 夫

認 識

対 象

・塵な る

の は、

くの無

存在

(定ん で 無 所 有)である にも

わ らず、

六 識の 所縁 (認 識対象) なる

境界

(六識 縁縁 )

= 虚妄 なる塵、 と して 顕現 してい る (得 知さ れてい る

 

snafi  

ba

, pratibhEsa)の で

(7)

唯識 思想に お ける真理の意 味 (島村 あ る」

 

b

 

「顕現 (pratibhasa > につ い 田 に よっ て用例 研

が なさ れてお り (上 田 a271 以 下)、 その 意 味は第 一

顕 れ る と

う存在 〔

論的〕

現象

を言

の で は な

く」

(上 田

b138

)、 「識に よっ て或 る もの (境 ・塵 ) が見 聞

覚 知

さ れ るこ と

上田 c24 )で ある。

二 に は、 顕 現 す る (=見 聞 覚 知さ れ る) もの は 、

識の

に独 、

k

に存 在 する もの で は な

く」

(上田 c24 つ まり

実 際に存 在 する もの 、 すなわち識の外 にある ・認 識 者 と無 関 係に独立 し て い る外的事 物 〉、 で は な く)、

凡夫

の 識 (見 聞 覚 知 す る もの) その もの が

夫に対 し認 識 対 象と して顕現して (得知 さ れて )い るの で あっ て 、 つ ま り凡 夫の識が 境 (六 根 ・六境 ・染汚意 ・前六識すな わ ち一切 法、 の い ずれ か)に似て顕現 してい る (似 現= 認識さ れ る)だ けの こと (「根塵我な る 識 〔=分 別性 =境 〕に似て生住滅等 の心の 変 異注が明 了にな る が 故 に 顕 現 とい う」

182a

) なの であ る (上 田 c24 )。 汪

 

尚、 「心の 変 異

(vi髄 na −

parirpama

) と は 、 「現

在 刹

那 に生 ず る凡 夫

 

は… … 一切 法の の ど れ か一つ の 法で ある境と して縁ぜ ら れ る

 

(似現す る = 認 識対 象とさ れ る)が 次の 刹 那に生ずる識は別の

と して

 

似 現 する

こ とで あっ て (上 田 c25 、

240

1

)、 境 として似 現 した

 

おける相違、 すなわち凡 夫の識の時 間的前後の 相違と して

る こ

 

と、 つ ま り凡夫における

間感

が、 似 現を通 して 成 立

るの である。

 

これ に

りにおい ては、 時 間は存 在 しない 。 これ は識の顕 現 (境        M

 

と して得 智さ れ た もの) と して説か れ る十一’

Xp

(下記 (

d

)を参 照 )の っ

 

ちの 世 識で あ り (一時 間 長 尾 a 上 276 )、 こ れ ( ; 時 間)は識に他な ら

 

ない か ら外 的 事 物と して の 時 間は、 悟 りにおい て は全

く存在

しない こ

 

と を現わ して い る。 この事 態は、 諸大

経 典お よび中観

論書

におい て

 

返し説か れてい るの で る。 これ につ い て は

村 a の

272

頁にお   い て詳 説 した。 (C) 「唯 識の み (vi na−mfitrata )

の 意

は、 言 う まで もな

く悟 り

の立場 での 叙 述であっ て、 その 中身は次の 三 つ で ある (上 田 c26 )。 (

27

(8)

智山学報第五十四

1

 

(分 別 性= 認識 対 象) 否 定 (無)… …

凡夫

が実 際

在 して い る

  

じて い る認識 対 象 ()は

悟 り

に おい て は、 凡 美に見 えて い る

 

に は存

してい ない とい

こ と。

 

 

識 (縁 生依 他 性 )の肯 定 (仮 有 )… …凡 夫 の

分 別 生依 他 性) は、 ア ー ヤ 識 か ら る か ら仮 有で あ る とい

こ と。

 

境の否

を 通 して の

凡夫

してい る (凡夫得知さ れ い る)境 との一

体 性

性)

… …悟 り

凡夫

に とっ て の 境 (顕現 して い るの)は凡 夫の 識 (虚妄分 別 ・縁生依 他 性)に他 なら ない

こと。

 

換 言 す れば、 悟

と は、

 

所 縁 (凡 夫に とっ て の境 ) と能 縁 (凡夫の能

ua

 = 縁生依 他性 一凡夫の識 別作用) との一

体不

  無

(境 ) と仮 有 (凡 夫の 識) との 一

) とう両 者

態なの で ある (上 田 c26 )。 さ らに

  唯

識の識は縁 生 依 他性 帆 夫の虚妄分 別)で あっ て、 そ れ は凡

の識 別作 用 なる虚

分 別である と共に、 一 切 法 嘘 妄分別さ れ たもの = 凡

k

と っ ての一切 の 認 識対 象) と して も似 現 して い るの で あ る (何 故に この よなこ と が言 えるの か につ い て は後 述)。 これ を 『世 親 釈 』

182b

は 「識

変… …

唯一 識 無 有 塵

別体 故、皆 以識

為名」

説 明してい る。

 

d

そ れ故、 一 切

(+一識注と して の 一切の 認 識対 象) は、

りの 立場か ら見 れば、 凡 夫の 虚

分 別 (縁生依 他性が 顕 現 してい る一境 とし て得 知 さ れて い る一 ものであっ て、

依他

性 (凡夫の 虚妄 分別 )こそが

一切 法 として顕 現 してい る もの

依 り処 (依 止)に他 な ら ない の で ある。

言 すれ ば十一 識な る認 識対 象は、

凡夫

と して顕 現 して い る

依他性

その もの なの で ある。 注

 

十一

とは、 縁生依 他 性 が

認 識 対 象

と して顕 現 し た もの (上 田 c

 

156

)で あっ て 、

具体 的

に は、

 

身 体 (五根)、

 

身 体の 所 有 者 (染汚

 

意)、

 

験 者

(意 根 )、

 

経 験 さ れ る

対 象

(六 境)、

 

経 験

る主

 

(眼 識等の六謝 、 及び 以上 の もの の 具 体 例 と しての

  時

間 、

 

数、

 

(9)

唯 識思想における真理の意 味 (島村)

場所

 

 

自他 差 別、

 

善 趣 悪趣に生 まれ死ぬ こ と、 以 上の 十 一 と し て分 類さ れてい る (尾 a 上

276

)。

3

性が無で あ るこ と 本 論 考の次々

3

. におい て説 明

る。

2

別性 (

玄奘

で は

所 執性

意 味

 

初 め に 分 別 性の 意味 を端 的に述べ る ならば、 それ は

の 虚

なる

認識

作 用 (縁生依 他 性) に よっ て

見 誤られて〕 覚 知 ・認 識 され た (=意識に顕 現 し た) もの〉、要 する に

認 識 す る もの

(識)に対 する

認 識 された もの

(境 ) と

ことがで きる し か し実 際のテ キス トにおい て はこ の 理解に と ど ま ら ず、  分 別性と縁 生 依他性が 同時成立 とされる こと、  こ の両者が同一 と さ れ るこ と、   時には 分 別性の 無が真 実性 と され る こ と等、 多 義 的に表現さ れ るの で、文脈に よっ て意味を把握する 必 要 が あ る)。

  (

1

分 別

の語

 

分 別 性 (parikalpita−svabhava ) とは、

分 別 相

(parikalpita−

lakSa4a

)と も言い

(長尾a 上

272

)、

分 別 さ れた 〔こ とに よっ て

見誤

られ た

こ とを 自 性 〔また は自相 〕と してい る もの とい

意 味である (上田 a249 )。 具体 的 に は

凡夫

によ っ て認 識さ れ てい る (= 捉え ら れ た も ・所 取 grahyatva )一 切

法〉

、 つ ま

り く

凡 夫

に とっ て認 識 対 象 と して 無な る もの が有 とし て、 増 益 samaropa さ れ て顕現 して (二 凡夫に よ て見 聞覚 知さ れて ratibhasa )い る も の

で あ る (

2

3

)。 この こ とは 「〔縁生〕 依 他 性を依 り所 と して 、

本 来 は〕 非 存 在 なる 〔認 識

が 顕現 してい るこ と」 とも説 明さ れ る (

2

15

B

)。 この

と して 顕 現 し て い る もの

の 本 体 は何 であ ろ うか。 そ れ は

1

.一 (

2

) におい て縁 生 依他 性の 第三 の 特 性 と して述べ た よ

、 凡 夫 の

生依 他 性 = 凡 夫 認 識= 無 明に

分 別 その もの 、 を謂

の であ る。 我々 凡

は、

か を認 識 して い る場

、 虚

分 別 とい う顛 倒 に よっ て (

29

(10)

智 山学 報 第五十四輯 (2 ・15B )、

その 認 識対

来、

な わち

りに おい ては

(非存 在 )で

る に

も拘

わ ら

ず〉

、 現

実世

界 に

際 に

存在

してい ると増 益 して

えて い る (上 田 c124 )。 こ こ で注 意 すべ き点は、 悟 りに おい て は

〈〔

本 来〕は非 存 在 な る 認 識 対

と して述べ られ い る ものが同時に

凡 夫に よっ て有る と して 増益さ れてい る もの

に とっ て現に認識 されてい る境

なの だ、 と い

こ とで ある。 この こ と は、

別稿

での

真実性成

立 の

におい て真 理の 根拠 を示

として

挙 げ

未覚者

の顛倒

以下で 詳細に説明 さ れ るの で あ るが、 その要 諦 をこ こ で 簡

に記 すな らば、 そ れ は

う場 合におい て重 要なの は

凡 夫の 四 見 が 無 実体

とい こと なの で あっ て、 一水 自体 あ る か は題 と さ れ る の で 、 と い うこ と で あ る。

 

2

分 別 性の成 立

 

認 識 対

象す

な わち

は、 凡

の虚 妄 分 別 が境 と して顕 現 して (=覚知 さ れて)い る もの で ある。 しか し本 来、 すな わち悟 りに おい て認 識対 象は無 (非存 在)なの で あっ た。 か くの ごとき

態は大

仏教思想におい て広 く叙 述 され る とこ ろ である。 例 えば、 中

で は次の ように説 明 される。 す なわ ち

凡 夬に とっ て は一切

諸法

(個 物)が

と区 別 され て

在 して い る と認 識 されてい 。 悟

に おい て は、 一

切諸法

は凡

に認 識 されてい る各々 の

を失い (一無相 )、 し た が っ て

てが平 等 となっ てい る。 そ こ では個 別な る 認 識対 象は止滅 し、 同時に認識主

も止滅 して、 その結 果、 識別 作 用 自体 も 止 滅 する

、 と (詳 細は島村a 参照 )。 ま た、 『大 乗 起 信

論』

で は

の よ

に説 明 さ れ る。 すな わ ち凡 夫におい て は 一 して無 明

習 して 妄 識 (識 別 作用 = 縁生依他性 )が成立 し 、 次に妄 識が無 明 を

習する こ とによっ て、 妄 境 界 (認識 対 象) と転 識 (認 識 主体 ) が成立す る。

悟 りす なわち 無 明が滅 し た

状態〉

では 一心は独 存 となっ てお り、 そ こで は凡 夫の妄 識は 生起 して お ら

、 その 結果、 認識

対象

も認 識主体 も生 じて い ない 状 態 と な る、 と (詳細 は準備

(11)

唯 識思想におる真理の 意味 (島村) 中の拙 論 「『大 乗起 信 論』に説か れる真如の 意味」の 発表を待 っ て参 照さ れ たい )。 こ れ らの

実 を確 認 した 上で、 以 下に唯識

に おける

分別性

と、 それ が悟 り におい て は非

存在

で あ るこ と を一層掘 り下 げて見る。

 

まず 『三 十頌 』

20d

で は 次の よ

に 述べ ら れ る

 

1

そ れ (≡ 分 別性 )は有 なる もの で ない (na  sa vidyate /)

に、

摂大 乗 論

に お ける説 明は次の ご と くであ る。

 

 

そ れ ら (分 別性 )に は

自相

(svalak §apa )が な く (中観の無 相 と同義)、

 

そ こに は虚 妄 分 別 (凡 夫の 識 別 作 用 parikalpa)あるの み (matra ) と認  め ら れ る か ら、 分 別 〔性 〕(境 =分 別 され た結 果 、凡 夫に とっ て認 識 対象

 

と して似 現してい る もの

parikalpita

) と名付 けら れ る

2

15

 

B

 

「色 等の相貌 は 識 を 離 れ て 別の 体 無 し (一 「識 等 相 容 貌 離誠 無 別

 

体」)」 (

2

17

に対 する 『世 親釈 』

188a

)。

 

「〔

悟 り

におい て は凡 夫に よっ て認 識さ れて い る

界の

物は実

 

際に は

在せ

asad .artha )、 唯だ識の み (vijfiaptimatra )で あっ て、

 

そ れに も拘 らず対

際 に存 在 するかの ご と く目

顕現

 

(得知さ れて い る pratibhfisa)、 とい

こ とが実現 して い る」(2 ・

3

)。 ※

 

な お、 この

 

対す

る 「世 親 釈 』

182a

の 注

は次の 通 り。

  

「す なわ ち

識 対

で ある〕一切 法は 、

りに おい て は〕

 

存 在 して お らず、 塵 (認 識対象 ・境 )

本体

識 (生依 他性 ・凡 夫

 

妄 分 別)そ の もの で ある

つ ま り、

(所 縁 ) は存 在せず、 仮

なる

 

もの は識 だ けで ある〕。 しか し、 こ の識を

た だ ち に は〕分 別 性 と は

 

言わ ない で、 識が変 異 した もの、 す なわ ち

切 法

等 )

 

ら か の相

貌〕

と して の

対 象

(塵)と して 顕 現 し た (得知さ れ

 

た)もの

が 〔分 別 性であっ て

、 そ れ は無で ある の に、存 在 す る が

 

ご とくに (似 有)、

所取

となっ た ものなの で

る。

以 上 の

 

〜  を上 田は 以 下の よ うに整 理する (上 田 c35 )。 (31

(12)

智山学報 第五 十 四

 

第一 に は、 縁生 依 他 性 とは

識で あっ て、 知 る もの (=知る働

き :長 尾

b

 456 vijfiana )で

あ り

分 別 す る もの (vikalpa ) で あ る。 分

別 性

parikalplta

−svabhava ) と は、 その 凡 夫の 識に よっ て

られ (grEhya )、 知 られ て (vijfieya)、

分 別さ れ た (vikalpita )もの の こ とである。

 

二 に は 、縁生依 他 性は縁生 前節

1

.一 (

2

)一第一参 照。 また、 梶 山 423 に よ れ ば 染汚法生 じ、 変化 しつ つ 相続 する 流 れ」)なの で ある か ら、

〕有

なる もの である。 一

、 分 別 性 (凡夫の 境)は、

っ て み れ ばその

本体

〕 〈

こ の

縁 生依

他 性 なる 〔凡夫の

識 その もの 〔が境 と して似 現 した もの〕

なの であっ て 、 そ れ故分別

に は実体 はない (すな わちこの 時点 に お い て は仮 有ですら ない )。 この こ とを 『中辺分 別

論』

皿一

3

は 「永 無、 恒 無 (asat  nityam )

現 し、

摂 大 乗 論

(svalaksana )が な

だ 凡

に よっ て〕 実 体有るもの と して

益さ れ一長 尾

b254

一 顛 倒 した もの であ る

とする

2

15B

)。 つ ま

識が仮 有 と して、 ア ー ラ ヤか ら じた結 果

てい るだけ なの で あっ て、 凡 夫が 認 識 し てい る分 別 性 (境 )自身は、 悟 りにおい て は、 その 実

が凡

の 識なの で あるか ら、 境そ れ

自体

仮有

ですらな く (上 田 c168 )、

恒無

」 なの で ある。

 

こ こ まで の

述に よっ て、 識 (縁生依 他性 ・凡夫の虚妄分 別 ) と境 (分 別性 ・ 凡 夫に よ っ て識 られ てい るもの )は一

・不二 であるが、 そ れと同時 に、 この 両 者は凡 夫 とい 識 る もの

jfiana

) と凡 夫に よっ て 識 られ る もの (所 識 vijfieya)とい

う対

立 の 関係で もある とい

こと が

らか になっ た (2 ・

15

 

B

、 上 田 cl55 〜

6

)。 つ ま り、 識 (vijfiana)

自身

識 なる境 (相貌一

r

世親釈』

191

a) と して得 知 され て い る (一顕現して い る)の である。 すなわち凡

に お い て は、 縁生依 他 性が一切 法 中の い

れ かの相 貌 と して 分別 (認 識) さ れて い る の で ある (上 田 cl73 、

2

16

(3))。 その意 味で は、 凡夫に お い て は識 (縁生 依他 性) が

身を 〔本 来 無 なる境で あ る に も拘 らず、有 なる

と して

(13)

唯識 思想にお理の意味 (島村) 誤っ て

分別してい るの で ある。 故にその 見誤られた境 =分 別 され た 識 = 境 と して得 知 さ れ た識その もの が、 分 別 性 (境)とい うこ とになる (上 田c177 、

MSA

 

XI

24

、『三 十頌』 第

17

頌 、 『二 十論』 第

20

頌 )。 で ある か ら、 分 別性 と縁 生依 他性 とは、 同時に成立 して い るの で ある (上 田 c241 ち なみ に 「後得 智」 の場 合 は、 これ に加 え、 真実性 も同時に成立 して い る と さ れる )。

 

『摂 大乗 論 』は (2 ・16 大正巻

31

119c

)、 一 の 識 (縁 生依他 性 )が、 二 つ の もの 、 す なわ ち 第 一

分 別 す

、 第二 に

所 分 別 (所 取 )で る一切 法 と しての (境 ・分 別 性)

、 とい う二 者 と し て 顕 現す るプ ロ セ ス を 、次の六 つ の 過

として説 明 して い る (以 下 上 田 c184 意)。

 

所 分 別と しての 々 の 。を 最 初に認 識 す る (= 縁生依 他性 ・識が、

 

分 別性 ・境と して得知 さ れ る )際に、 まず 個 別の 名 称 (na 皿 an 概念 )が

 

え ら れ る。

2

24

は、 こ の こ とを 「名称 〔が 与え ら れ る

に は   〔境に対 する〕 知は ない と述べ い る。

 

次回以 降はその 同 じ名称に よっ て境と して の

が繰 り返 し得 知

 

されて (似 現して)、 そ れ に

対す

着が生 じ、 その境が はっ き り と し

 

た相 貌 を伴っ た概 念 と して 固

化さ れ、

念の 一人 歩 き始 ま

 

なる と、 この 一 人歩 きす

相貌

概 念

を操 作 する こ

 

と に よっ て、 その 境に対 する判 断 (見) が

な わ れ ( ≡ 仮 設 さ れ 上 田 c239 )、 外界の 境 を実 際に (見た ままに) ある もの と して誤 っ て 思い 込

 

む よ

に な る。

 

続い て、 それ (仮 設 さ れ た境)につ い て種 々 の 考 察 を巡ら し、 その

 考察 内容

常〕

言 語に よっ て表現 する。

 

こ の結 果、

見 聞覚知

とい

四種の 日常言 語 習 慣 (vyavahara )の

介在

 

を原因とし て 、 そ の仮 設 概 念を他人 と共有 する こ とになる。

 

この よ うに して凡 夫は、 〔悟 りが実現 した見 地 よ りするなら ば

〕非

 

存 在 な る

を、 実 際 に 存 在 す る か の ご と くに 構 想 す る (増 益

。 (

33

(14)

智山学報 第五十四輯

 以 上の過程 を要 言 する なら ば、 悟 りに おい て は、 凡 夫が認 識 して い

る ような もの は存 在 しない も拘 ら

凡夫

は共 通の

名称

・概 念 を

仮設

し、 そ れ を境 として

益 してい る とい

う事

なの で ある。

 

境の 同

語として は、 塵、 相 識(上 田 cg 、

143

)、 色 識 (rapa .vijfiapti,

 

MSA

 

XI

24

塵 識 arthavijfiapti

上 田 c127

挙 げ

 れ る。

 

上記の   〜  の 過 程によ る

明 は、 次の こ と を説い てい る。 すな わちこ の

明は、

覚者

の 認 識に おい て は、

凡 夫が実在 してい る と見 誤っ て い る境は、 実は虚 妄 分 別 ・識に

ぎ ない

〉事

態が、

他方

、 凡

の 認 識に お い て は、

悟 り

に おい て は

非存在

なる境が、

称 ・概 念に よっ て実 際に存在 するか の如 く増 益さ れて い る

態、 と なっ てい ることを説

もの なの で ある。

  

ち な み に

入 勝 相 」(大正

31

122

)に 対 応 する

3

3

3

16

  

同 じ

事態

を 、 もの の

称 〔名〕、名称の与 えられてい る

事物 〔

義〕

、 自

  

〔設 定〕、 属 性の設 定 〔差 別〕、 の 四つ に細 分 し、 その い

れ もが

存在

し    ない と説 明する。

3

分 別性の

過程

と諸

般若経典

の記

との同一

 

2

)におい て解 説 したよ

な説 明は、 下記

用 の

如 く

は最

初期

般 若 経典か ら そ れ 以降の 大乗 諸 経 典に おい て継 続 的にな されて い る ものな の で ある。 また、

に よっ て 認 識 さ れて い る 一 切 法は名称の み

とい

ことは、 その 認識

対象

に は

個物

と しての 実体が存 在 しない こ とを意味してい るの で、

般若経

典に おい ては、 通 常は この 事 態 を無相 ・空 ・平

・不可

・ 無

有 (非 存在 ) ・不可取 相 ・無戯 論

と説 く。

  

1

八千頌 般 若 』におけ る記 述

  sarvadharm 酷 ca namam 巨

trepa

 vyavah 巨ram 亘

trepa

 abhirapyante /  

V

2354

6

(15)

唯 識 思想に お ける真理の 意味 (島村)

  て い る に過 ぎ ない 。

 

buddha

 

iti

 n亘madheyam 亘

tram

 etat /

bodhisattva

 

iti

 n盃madheyamfi −

 

tram

 etat /

prajfiaparamiteti

 namadheyamStram  etat

V

13

 

e

7

8

   

仏 陀とい

の は、

名称

の みの もの に過 ぎない 。

薩とい う もの は 、

 

名 称の みの もの に過 ぎない 。 般 若 波羅 蜜も

名称

の みの もの に過 ぎない 。

 

yada  na 

bhavati

 sarpjfiA samajfia 

prajfiaptir

 vyavaharab , 

tada

 

pra

 

jfiap

証ramitety  ucyate

V

89

 

e

18

   表象

名称

、 言葉に よる仮 設、 世俗の 言 語 習慣が存 在 し ない 時、 般   若 波 羅 蜜多が在ると言わ れ る。

2

大品

般若 』

に お け る記

 

「こ の

は強い て

施設

をなす。 謂 わゆ る是 れ 色、 是 れ

、 想、

 

行、 識… … と。 一切の 和 合の 法は

是れ

仮 名

な り。

を以 て諸 法 を取    る。 是の 故に名と為 す。 一切の有為 法は但だ名 相あ るの み。 … …こ の

 

名は但だ 空 に して

あ るの み。 虚

臆 想 分 別 中に生 ず。」大正蔵 第

8

  巻

398b

 

色は但だ字 あるの み。

、 想、 行、識 似 上 で 一切 法) も但字 あ    るの み。」

221c

247

 

b

 

施設に して、 受は仮の施 設、

施設

り」

231a

 

「諸 法の

は仮の

な り」

231c

 

は但だ

字の み あ り」

239c

 

菩薩摩訶薩

は、

名字

あるのみ」

267

 a

 

色は是れ仮 名に して

、 想、

、 識 も是れ

仮名

な り」

268c

 

「世 間の

字の 故に須 陀お ん乃 至阿羅 漢、 辟 支仏、 諸 仏 あ り。 第一

  

義の 中には … …須陀 おん 無 く、 乃 至仏 無 し。 」

271c

 

「六道の

も亦た世 間の 名 字の故にあ り。 第 一

を 以 てる に

  

。」

271c

 

samyaksarPbuddha  

iti

prajfiaptimfitrarP

 yac ca 

praJfiaptim

trarP

(16)

智 山学報 第五十四輯

  

sa 

dharmat

ta

甲 ca subhtitib  sthaviro  na virodhayaty  upadi 忌ati ca/

  

ll

・皿

122

 

2

. 

24

5

   

正等 覚 者 とい う ものは、 … …だ仮 名 み で 。 諸

の実

は、

  

た だ

仮名

な ること を、 長

ス ブ ー テ ィ は

争 う

こ とな く説 く。

   「

仏は

仮名

な り。 … …諸 法は但だ仮 名 な り。」

277b

 

idarp

 

dharma

−adhivacanam  

tigantukam

 etan namadheyarp  

prak

§

ip

  

tam

 avastukam  etan  n訌madheya

prak

§

iptam

, an五ramba4am  etan

  

namadheyarp  

prak

§

iptaIp

 yad  uta  sattva

sattva  

iti

〃 木村

ll

1

33

   

e

17

19

   

もの の名称は偶 然の もの で あっ て、 そ れ は

名称

仮設

さ れ た

だけ

  

の で ある。

仮設

さ れ た

名称

は実

を持たず、 衆生 なる もの は、

  衆

生とい

う名称

設さ れ た

だけの 〕 もの であっ て、 そ れ を支 える

  

もの (そ れ が依拠 すべ の =実体) を持っ てい ない 。

   

「法の 衆 生と名つ くる もの るこ と無 し。

仮名

に衆生 と為 す 」    

279b

 

eva 皿 ete savradharma  nama −matram …nama .matram  

idam

 sarva

 

sarpskrtarp … …/同

V123

 

2

21

p

124

 

e

9

   

この よ

に、 この 一 切

は、 た だ

名称

のみで ある。 … …こ の一切 有   為法は た だ名称の み で ある。

   

「こ の …切 法、 但だ名 相 あるの み。 … … 一切 有

為法

相 ある    の み 。」

375b

3

 

『善 勇猛 般

記述

 

sarvapy  etani … … manyitani … …

prapaficitani

・… ・・/

H

. 

81

 

e

 

23

   

こ れ らの もの全て (=色 受想 行識すな わ ち一切 法)は、

りに考え ら

  

れた もの … …戯 論… …に過 ぎ ない 。

 

戸 崎

225

 

sarva −

arambapani

 

tair

 vaSikani  

jfifitani

H

.・

76

 

Z

 

6

7

   

〔菩 薩た ちは

あ らゆ る

認 識対 象

が空

な もの (存 在 し てい ない も

(17)

      唯識思想における真理の意味 (島村)

 

parikalpita

−satvah   sarvasatv

… …avidyasarPskarasatvah   sar−

 vasatva … … /

H

172

10

12

  

全て の衆生 は、 妄 想さ れ た 〔虚 妄 〕 分 別 され た衆生 である。 … …全

 て の衆生 は、 無 明の 作 り出 した もの とし て の 衆生である。 同

108

 

abhfita  

hy

 ete sarva  eva  vyavahfirab  natra  

kaScit

 svabhavall /…

 

…vipary 五sasamutthit

sarva −

dharm

b

H

. 

89

 

e

21

p

90

 

e

4

  

これ ら (一切法)全て は、 日

常言語

慣 〔

によっ て

存 在 す

る と さ れ

 

てい る

の み で

実際

に は

〕存在

しない 。 こ れ らに は どの よ

実体

 

在 しない 。 … … あ らゆる もの は顛 倒に起 因してい る か らである。

  同

238

 

abhutaparikalpa  e§a satv 互na , manyana  syandana  

prapaficanaiSa

 satvanEm /

H

1104

17

18

   こ (=顛 倒る凡美の 増益 ) は、 衆生 の 虚 妄 分 別であ り、 衆

 

生の 妄 り

え たこと、 思い の動

、 戯 論に過 ぎない 。 同

269

70

 以 上述べ て きた事 態は、 中観 思 想 ・ 『起 信 論 』の場 合 と同様に、 覚 者の み が これ を理 解 し得るの で あっ て、 当然 なが ら凡 夫に とっ て 理解可能 な境 地で は ない 、こ の ような覚者の境地、す なわち次節

3

.に述べ 性」 した境 地 に お い て は、仮 有なる縁 生依 他 性 も また 分 別性が無で あるが故に無 とな る〉点に注意を要する)。

 

ち なみ に

摂 大

論 』は、 上 記 の よ

分 別

(認 識 対 象 ) は

  〔

凡 夫の

縁 生 依 他 性 (識) その もの である」 (=唯 識無 境 :唯識の み が

 

仮 有に して境 は無い ) とする 唯 識説の根本主 張の 経 証 を、 次の 二 つ の 経

 

典か ら引用 してい る (

2

7

大正

31

118b

)。 すな わ ち 、 一

 

地 経

の 「三界 唯 心」 (これは 『唯識二 十謝 も冒 頭に引用 して い る)で

 

あ り

、 も

解 深密経』

「分 別 瑜 伽 品」 「唯 有 識、 此

相境

 

界 識

顕現

で ある。

 

また この 唯 識

無境

に つ い て 、

2

11

(大正

31

119a

)で は三相 と (

37

(18)

智 山学報 第五十四輯 して、 すな わ ち

a

唯 量 = 唯 識 、

b

唯二 = 能 取 所 取 、 (c)種々 類 = 一切

、 と して

か れ る が 、

分別性

が能

取所取

の 二つ と して顕 現 し、 そ れ は唯識である と重 ねて 説い た以外はこれ まで述べ 唯識 無 境 内 容であ る た め、 省 略する。

3

真実性 (

玄奘訳

で は

円成 実性 )

意味 内容

 

初めに真 実性の意 味を

的に述べ ら ば、 そ れ は

の虚

な る

認識

作 用 (識 =縁 生 依 他性 ) を通 じて認 識 得 知さ れ た もの (境 一分 別 性 )が悟 りに お い て は存 在 しな くな り、 その こ とに よっ て凡 夫の認 識作 用 も また存在 しな くなっ た こ と〉、 要 する に悟 りが実 現 し た事 態 と言 うこ とがで きる。 注意す べ

の よ

に、 この

実有

なるもの なの だ、 とい

ことで ある。

 

1

真 実 性の語義

 

真 実 性 (parini§panna −svabhava ) と は、

pariniSpanna

lakSarl

) と も言

(2 ・4 )、 「〔修 行が完成 し た結 果、 真実 が〕完 全 に 〔行者 に対 して〕実 現

してい る

態 (parinispanna ) を

ま た は相

と してい るこ と

とい

味で ある。 つ ま り、 「〔行 者の 縁 生の〕 依 他 性 (paratantra −

lakSarpa

識)が

(artha −

lakeapa

 

ti

と して の相 )として は似 現 してい ない

(atyantabha −

vatti 完 全に無と成れる こ と

don

 gyi mtshan  fiid 

de

 gtan med  pa 

nid

 

do

2

4

) が

実現 して い る こ と」、 これ を真 実性 と呼ぶの である。 また これ と同一の事 態 は 「〔分別 性が〕い か な る 意 味 で も存 在 し な い とい う 相 (atyanttibhfiva −

laksana

2

15

 c ま た は

さ れ た よ

に は

如何

な る

意味

そ れ (一塵一

r

世 親釈 』

188a

に よ る) は、

存在

しない

とも規

さ れ る (

2

17

)。 す なわち、 悟 りに おい て は、

縁生依 他性 が 塵の 相 (分別性 ) として顕 現 して い ない 状態

と なっ てい るの で あ る。 つ ま り凡 夫は、

縁生依他性 (虚妄 分 別) が

事 物

(分 別 性 ) と して単 に顕 現 して (見えて)い るに過 ぎない こ と

を増益 して、実 際に

その単に見えてい る もの

が見えて い る 通 りに存

(19)

                              唯 識 思想に お け る真理の 意味 (島村)

してい る と見 誤っ てい るの であ る。 こ れこ れ に対 して 、 悟 りに おい て は前 記の よ

な構造 が 理解さ れてい るの で 、 元来無 なる境を増益 する こ と な く、 その ま ま境の無として 了解 してい る の で ある。 こ の ような悟 りの

態 におい て は、 これ に

えて、

の 虚

妄分

別た る

依他相

も、 次

項 (2 )

に詳 述 する ように止滅 して い る

の で あっ て、 か か る

態こそ が

真 実性

な ら ない (長 尾 aE  283 ) 。

 

ni§

pannas

 

tasya

 

pOrve

a sad 五rahitat 飢 u

十頌

』第

21

cd

  真

実性は、 そ れ (縁 生 依他 性) が前 者 (分 別性 )を、 常に遠 離 してい

  る こ と。

 

arthan  sa vijfiaya  ca 

jalpamatran

 sarptisLhate  ten −nibha −cittamatre /

 

pratyak

§at…

im

 eti ca 

dharmadhatus

 

tasmfid

 viyukto  

dvaya

lak

apena

  //

MSA

 

VI

7

 

3

18

  

彼は、

界は た だ 言 葉 の み であ る と知っ て、 〔存 在 する もの は〕そ

 

れ (外 界) に 似 て現わ れ る 心 のみであ る、 との 立 場 に立 ち、 そ れ故に   〔能 取 所 取の〕二 つ の相 を離 脱 してい る法 界、 を直 証 する にい た るの

 

る。

 

そ して こ の よ

態は ま た 、

無 分 別

なる

り=般

若波 羅

なの で あ る (

8

21

)。

2

) 縁

生 依

性の無が真 実 性である 『三 十頌 』及び

MAV

は、

境 (対象)の 無 か ら認 識 の 無へ

とい う構 造 を

のよ

い てい る。

 

grahya

−abhave  

tad

 agrahat /

十頌』

28

 

d

   境が無 けれ ば、 それ を認識 する こ と (一縁生依他 性 すな わ ち凡夫の 虚

 妄分 別)も無い の で

 

upalabdhes  

tata

 siddha  noparabdhi −svabhavata /

MAV

 

I

7ab

  

それ

獲得す

る こ と (=認識する こ と)は獲 得 し ない こ と (

認 識

(20)

智 山学報 第五 十四輯

 

し ない こ と) を本 性とする こ とが証 明 された。

  

な お、 漢訳 (『中 辺 分 別 論』大 正

31

451c

)で は

「〔

に お い て

 

識は非 識 な り (=境の無の故に識 別作用 も無 し)」となっ てい る。

 

蛇 足 なが ら、

中辺 分 別 論 世

pandeya

23

で は、

「〔

 

とっ て は

な る

(abhata ・artha )が顕現 してい る限 り (pratibhasa−

 

taya)、

認 識 (upalabdhir ) は

、 と さ れて い る。

 

この よ

に、

分別

(認 識 対 象)の

→ 縁生依

性 (凡 夫の識 別作 用)の 無」とい う構 造は、 唯識 論 書の

所で 説か れ てい る の で ある (※)。

なお こ の

造 は、 逆 に 言 え ば 「分 別 性 が縁生依 他 性の因」 とい うこ と を導 くもの で ある点に注 意せ よ。

2

13

の 「相として現 われてい るそ れ らの 識 (境)は、 かの

るこ と (生依 他性) を生ぜ しめ る原 因utpadanimittatva で ある

と い

記 述はこ の点を述べ た もの で ある。〕  つ ま り悟 りにおい て は認識 対 象がない 上 に、 凡 夫の 虚 妄 分 別 ・縁 生 依 他 性 も無であ り、 その 縁 生 依 他 性 嘘 妄分 別)の 無こそ が

実 性 であ る、 と説 く の で ある その 意 味は無 分別智の こ とで あ り、 後に詳説 する)。 この こ と は、

りに おい て は、 凡

て い る よ

な認 識対

、 凡

己 と意 識 して い る

識 主

、 お よ び凡

用 (= 縁生依 他 性) が

非存 在

である

とい

意 味であっ て、 これは、 中観 ・般若 経が発 見 した第 一

と我

呼称す

識 の 止 滅

と同一

態なの で あ る (前 節

2

. 一 (

2

)で見た中観お よ び 『起信 論』で説か れ た事 態と 全同で ある)。   上 記で 認識 主体 につ い て述べ た が 、識が凡 夫に とっ て境とし て似 現 した

  

もの で ある とこ ろ の分 別 性には、 所 取 ・ 認識 対

に加 え

識 主

  

体 も含 まれ る (長尾

b

472

−一・

3

) 。 た だ し、 能

依他 性

  多

長 尾

b484

)の で注 意を

する。 この よ

に唯 識

は、 空の 思

を全 面 的に

承した もの で あ り、 ある時 期 に空 思

が誤

されて

虚無

論に転 落 したこ とへ 反 動と しか れた も

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