唯 識
思
想
に
お
け
る
真
理
の
意 味
真
実
性
と は、般 若
空思 想
に おけ
る能 所 識
の止 滅
と、真
如
・空
の実 有 を説
いた も
の であ
る島 村 大 心
0
.序
文
唯 識思 想に おける
真
理概念
は、 本 来 どの よう
に把 握 されるべ きなの であろう
か。 そ れ は大乗 仏 教 思想 史におい て どの ように位 置付 け られ る もの なの で あろ うか。 この 問 題 に対
す る我々 の 結 論を初め に述べ る なら ば、 それ は般 若 経 典に説か れ た空の 思想と同じ内容 を、 しか しなが ら中観 派とは異 なっ た角 度か ら説い た もの なのだ、 とい うこ とで ある。仏 教 思 想 史にお ける般 若 経 典の 意
義
は、「
空」
の 概 念 を深化
す る こ と に よっ て、 諸 大乗
仏 教思想
の 基 盤 と な る理論を構
築 し たこ とであっ た。 しかし 般若
空思想
は その 理解
が困難
で あっ た た め 、常に虚
無論 また は空性 実 体 論に転化 す
る傾向
を有
してい た。 これは客 観 的 な思 想 史 的事 実である。 思 うに、 か かる傾向
に対 処 するべ く、 大乗 仏 教 思 想 史上の 二つ の 学 派 一 すな わち 、 龍樹 (NagErjuna
AD
l50〜250
頃)の『
中論』
を代表
とする中観 派の 思想 と、 本論に おける考 察対象
で ある とこ ろの 唯 識派の 思想が 形成さ れ たの であ る。 この
点
に おい て我々 は、 従 来の 見解、 す な わ ち般 若 空 思想 と中観
思 想の 同一性 を重 視 するの に対 し、 般 若空 思想 と唯識 思想の 関連 をや や もす
れば軽 視しが ち な 近年
の 学 説に異を 唱 える もの で ある。 我々 の理解に よるな ら ば、 唯識思想 とは、 学人 が般 若空思想を 理解 する こと を援 ける ため に、 同 一の 思 想をそれ まで とは異 なっ た角 度か ら説い た もの なの で あっ て 、 その内 容 自体 は中観 派の 思 想 と根 本 的に異 なる もの で は ない 。 か か る想 定の もと、 我々 は唯
識思想
の検 討
を、 同派
の代 表 的
な論書
であ
る無著
(Asafiga
AD
・395
−−470
頃)の『
摂
大乗論』
を中心
に進
めて来
たの で あるが、 そ の結
果、次
の四つ の (21
)智山学報第五十四輯 ことが明ら か になっ た。
(
1
)
縁
生依
他 性 を 中心とす る三性
説は、般若
空思想
に おけ
る第
一真
理命
題 (一 「悟 り に お い て は能所識が止滅 し て い る」;詳細 は島村 a 参 照)を、 唯 識派の 立場か ら 一段と明
確
に した もの であ
る こ と 。 (2
)二 分 依
他性
及び転依
の 思想は、 般若 空 思 想にお ける第二 真 理命
題 (= 「悟 りにおい て は無 明即 明 ・煩悩即 菩提の事態 が成立 して い る」:詳 細は 島村
b
参照) を、 唯 識 派の立場か ら理論
的 に表
現し よう
と した も の で あるこ と。(
3
)
真 実性
は、 般若
空思想に お ける第三真 理 命 題 (= 「真 如は実 有で あ る」:詳 細は島村 a252 以下 参照 )を唯 識 派の 立場 か ら捉 え直 した もので ある こ とい
う
こ と。(
4
)
後
得
智の 思 想 は、 般 若 空 思 想に お ける第四真
理命
題 ( = 「後 得 智 思 想は実質的に初期般若経典に おい て確 立さ れ てい る」) を唯 識 派が発 展 させ た もの で ある こ と (詳細は準備 中)。上記の 四
点
の論
述 を通 じて 、 般若経
典 = 中観 派の 思 想 と唯識 派の 思 想の根
本 的 な連続 性 (同一性) が示さ れ るの であ る が、 枚 数の 関 係上、 本 論 考に お い て は (1
)と (3
)につ い て述べ る もの で あ る。(
2
)
と(
4
)
につ い て は他日の 機会 を待 ちたい 。 ま たこ の ような 目的の性 格か ら、 本論考
は主と し て、 比較的統
一 的な理解
が容 易で あると思わ れる〈
上 田義 文が解 明 した古
唯論〉
に依 拠
して叙
述 を進め る。 した が っ て、 我々 は学 会 内で な お未決 着と思 われる古 唯 識と元 奘 唯識 との是 非という
問題 には立 ち入 らない 。なお、 『摂 大 乗 論 』の テ キ ス トは長 尾 雅人
博
士の『
摂
大乗論』
上下 (イン ド叢書 講 談社)を「
長 尾 a」と して使用する。 文 中の 「2
・8
」 等の 数 字は 本書の分節
を示 す。 ま た 必要
に応 じて大 正 蔵 第31
巻に お ける本 書の 頁 数 を併記
した。唯識 思想に おける真理の意 味 (島村 )
1
.依他 性 (
玄 奘
訳
で は依他起 性 )
の意 味 内容
初め に依 他性の 意 味 を端 的に述べ るな らば、 そ れは
〈
凡 夫の 虚 妄 なる認 識 作 用 ・認識 能力〉
、 要す
る に認 識さ れた もの (境 = 分 別性)に対 する認識 する もの く識 ) とする こ とが で きる (境 と識は 同時 成立で あっ て 、悟 りにおい て両 者 は同一である)。 た だ し、 こ の意 味の依 他性 = 縁生依 他 性と二 分 依 他 性 と は異 な るもの なの で、 注 意が必 要である。(
1
)
依他性
の語義
依
他性
(paratantra
.svabhava )とは、 依 他 相 (paratantra
.lakSapa)と も言 い(長尾 a 上
272
)、「
他
に依 存
して い る こ とを自性 〔
ま
た は自相〕
としてい る もの 」 (上 田 a24g ) と い
う
意 味 で あ る。 具 体 的 に は 「ア ー ラ ヤ 識 (alaya−vi髄 na ) を種 子 と し (= 他に依存して い る )
、
〔
凡夫の 無明 に起因 す る〕虚 妄 分別 (abhrtta −parikalpa)の 中に
含
ま れ る識 (vij fiapti)」の こ とで あ る (2
・2
)。つ ま り
「熏 習の種 子か ら生 じる (vasana −
bljotPAda
)」 とい う点 、 そ して「生じた後に は一刹 那 以上 は 自 ら存 在 する こ と がで きない 」とい
う
点にお い て、「
依
他」
なの である (長 尾 a2 ・15
A
)。 す なわ ち 「一刹 那の 後には、 滅 し て次 刹 那の能縁 によっ て対象
と して 捉 えら れて所
取 (分 別性 ) と なり、 そ れ (=その 自で ない他 ) を所 縁とする こ とに よ り、 〔識 と して〕 ある」 もの なの で あ る (上 田 c151 、真諦 訳 『摂大 乗論世親 釈』大正31
巻 186b
尚、 以 下 『世 親釈 』 と呼称する)。さ らに具体 的には、 依
他性
と はアー ラヤ 識 と、
そ こか ら現
象
と して現 わ れて くる 第七 識 と、前 六識の こ とで ある (上 田cl6 、
16g
〜70
お よ び長尾b
438
)。す
な わち凡夫
の 煩 悩 を本性 と してい る とこ ろ の 、 無 明に覆
わ れ た虚妄
分 別 (; 凡夫の認 識 作 用 『唯 識 三 十 頌』第21
頌 尚、以 下 『三 十頌 』 と呼 称す る)の こ とで あ り、 凡 夫の〈
無 明に基づい た識る働き その もの〉
の ことであ る。「依
他性」
には 上記
と異
なっ た定
義 も存 在 する。 す なわち、 依他 性
とは 「認 識 主
体
(能識 また は能 繍 お よび認
識対 象
(所識 ま た は所縁)この 二 者は、 厳 密には 「分 別性
」
を 意味
するが措 定さ れる以 (
23
)智山学報第五十四輯 前の もの 」(長 尾
b456
) と規 定 さ れる こ とが ある。 これは 「二分 依 他性」
(序 文参照)を念
頭におい た定義
であっ て、 ここ で の依他性
と は全
く異 なる もの である。 上田は三性の
う
ちの 「依 他 性 」 は、 「二 分 依 他性
」
の 意味
とは異 なっ て、 そ れ が 凡夫の 虚妄
分別で あ るこ と、 つ ま り上記
定義
の もの で あ る こと を論 証 して い る (上 田 alg9 他)。また依 他 性、 す なわち
く
識る働 きその もの〉
が、 漢 語 表現で は〈
識る主
体〉
を意味す
る「
能縁
・能取
・能分 別」
という語
で表現
さ れる こと も
多
い の で注意
を要す
る。 両者
を混
同しては な らない 。 こ の点
につい ては、 例
え
ば長尾
b483
以 下、 上 田 a456 、 上 田blO2
、 上 田 c165等
を参
照。 ま た依他
性は 、本識、 一本 識 、 乱 識 ともよば れる こ とが あ る (『世親釈 』186b
上田 c89 >。我々 は 以
後
、 こ こ で述べ る 上記の ご と き依他 性 を、第 一 に その凡 夬へ の属 性とい う点 か ら、 第二 に 「二 分 依 他 性 」との 区別の 必 要 性か ら、「
縁
生依
他 性 」 と呼称す
る。『
摂 大乗
論』
は、 縁 生 依 他 性に対 して次の よう
に複雑
な定
義
を行
なっ てい る。 すな わ ち、「こ れ らの識 ※1は 、 〔境と して は非 存 在なの で あっ て〕 唯 識の み (vijfiapti − matrata ) があるの で あ り、 それ (唯識 ) は 〔凡 夫の〕 虚 妄 分 別に含 まれてお
り
、〈
〔
識
のみであるもの が〕
虚妄
な る (一非有な る)境
※2 (= 一切法)と して 顕現 して い る もの〉
であ
る。〔
縁生〕
依 他 性 と は、 そ れ (一一切 法 す なわ ち境 とし て顕 現 し てい るもの)の 拠 り所 となる もの で 、 これ こそ が 〔縁 生 〕 依 他 相なの である」
(2
・2
)。 ※1
こ こに言 う識 とは、 虚 妄分 別 その もの で は な く、 虚妄分別が境 す
な わち認 識対
象
と して顕現 し た もの で、 そ れ を その 本体で ある依他 性 す な わ ち 識 と してあ らわ した もの。 具 体 的に は 三界に属 する 一 切法
=六境 ・ 六根 ・ 汚 染 意 ・ 六識の こ とを指 す (上 田 c19 ) 。 な お次
節
2
.参
照
。 ※2
こ こ に言
う
境 と は、 見 ・聞 ・得 ・覚 知 されて い る もの の 意。 「顕唯 識 思 想 に お け る 真 理の 意味 (島村 )
現 」 とは存 在 論 的な発 生の 意味で はない 。
つ ま り縁 生依 他 性 と は、 凡
夫
の虚妄
分 別に含
まれてお り、〈
本来非存在
であ る虚
妄
な る もの が三界の 一切法 (認 識 対象) と して 顕現 する (snafi・ba
, pratib−hasa
認識 一得知 さ れる一上田 c19 )〉
、 とい う事
態 の依 り所で あ る もの (gnas gahyin
pa
,飴raya 三界 に お ける一切法の 顕 現の根拠 〉で ある。 した がっ て、 そ れ は三界
に属す
る心 ・心所
である (上 田 c238 )。(
2
)
依他性
(縁生 依他性 )の特性
以上 の 検 討 を踏 ま え、 さら に上 田 c21 以下の 叙 述に従っ て縁 生
依
他性
の 特性 を 述べ る な らば、 そ れ は次の 三つ に まとめ ら れる であろ う。縁生 依 他 性の第一 の
特性
は、 縁 生 (仮有)な る もの で ある こ とで ある (2 ・2 )。依 他 性は ア ー ラヤ 識 とい
う種
子の 所生 で ある か ら縁 生 (ptatyaya
一 udbhava )、 す な わ ち 〔仮 〕 有 なる もの (上田 c124 、 上 田b40
)で ある。尚、 ア ー ラヤ識は依 他
性
を生み出す種
子である か ら因 である が 、 同時 に その ア ーラヤ識 自身はその種 子の転 変に よっ て暴流 の ご と く に相 続 してい るの で 、 縁 生で もある。paratantra
−svabhavas … …pratyayodbhava
厨
『
三 十頌』
21
ab依他 性は縁か ら生
ず
る もの で あ るとこ ろで、 唯 識 説 におい て は
「
縁 生の法」
に は二種
類 ある とされ るが (2
・18
に対 する 『世親釈』188b
)、 これ につ い て は 下記 を参 照 されたい 。第
一は、「
業
煩 悩の熏 習 す なわち種
子 よ り生 じる識」
で あっ て、 これは ア ー ラ ヤ識の 本 体 よ り生 じ、 その仲 間 (体 類) とい うべ き もの で、
染 汚
法
(不 浄 品) に属 す る。 こ れが 虚 妄 分 別 (abhuta −parikalpa, vi−kalpa
) と呼
ば れ るも
の であ
る (上 田 c122 )。 つ ま り凡 夫 の無
明に基づ く認 識の こ とで ある (『起信論 』はこれ を く一心 に無明 が熏習 し て生起 する (25
)智 山学 報 第五十四輯 妄 識〉とする)。
第
二 は、「
聞熏 習 よ り生 じる もの」
で あっ て、 それ は 厂出 世 間の 聞慧、
修
慧の体
類」
で あっ て (r
世 親釈』同上)、浄品
に属
し、意 言分 別
(manojalpa ) と
呼
ば れ、悟
りへ の 転機となる もの である (上田 c28 )。ア ー ラ ヤ識とい う
種
子 か ら生 ず る 識 (縁 生 依 他 性)は、 第 一 の 不浄品で あっ て、 第二 の 浄 品で は なく、 別
稿
で述べ る予定
の 二 分依 他の依他性で もない 。 つ ま り凡
夫
の 無 明煩悩 に基づ く識で ある。 次に縁
生依他性
の第
二 の特性
は、 虚妄分別
として の凡夫
の識で ある こ とで ある (2 ・2
)。『
三 十頌 』
に 曰 くparatanrta
−svabh 百vas vikalpab /『三十 頌
』
21
ab依他 性は、 〔虚妄 〕 分 別である。
最
後
に、縁
生 依他
性の第三 の特 性は、 唯識 (塵 =境 は な くして 識 の み が仮 有)である に もか か わ らず、 その 識 嘘 妄分 別)が、 非有
・虚妄
な る境 (塵) と して 顕 現 する (得 知、 認 識 さ れ る)こ との 依 止 と な っ て い る こ とで ある (2 ・2 )縁
生依他
性その もの は、無 明に基づ く迷 乱の識であるが、 こ の縁
生依他
性の内容 (上記第一 〜第三 の 特性) を認識
し得
るの は凡夫
の迷
乱の識で は なく
、悟
りの後
の後得智
である (『三 十頌 』22
一安慧釈の 梶山訳168
)。 そ し て後得智
に おい て は、 以下の事態
が認 識さ れる の である。 以 下『
世 親 釈 』に沿っ て (182a
以 下)、 この ような縁 生 依他 性
の特性
を さ らに具 体 的に検 討 し て み よ う。(
a) 凡 夫
の 認 識対 象
(境 ・塵)な るも
の は、「
全
くの無存在
(定ん で 無 所 有)である にも拘
わ らず、〈
六 識の 所縁 (認 識対象) なる境界
(六識 縁縁 )〉
= 虚妄 なる塵、 と して 顕現 してい る (得 知さ れてい るsnafi
ba
, pratibhEsa)の で唯識 思想に お ける真理の意 味 (島村) あ る」
(
b
)「顕現 (pratibhasa > につ い て は、 上田 に よっ て用例 研
究
が なさ れてお り (上 田 a271 以 下)、 その 意 味は第 一 に「
顕 れ 出て くる という存在 〔
論的〕
現象
を言う
の で は なく」
(上 田b138
)、 「識に よっ て或 る もの (境 ・塵 ) が見 聞覚 知
さ れ るこ と」
(上田 c24 )で ある。第
二 に は、 顕 現 す る (=見 聞 覚 知さ れ る) もの は 、「
識の外
に独 、k
に存 在 する もの で は なく」
(上田 c24 つ まりく
実 際に存 在 する もの 、 すなわち識の外 にある ・認 識 者 と無 関 係に独立 し て い る外的事 物 〉、 で は な く)、凡夫
の 識 (見 聞 覚 知 す る もの) その もの が凡
夫に対 し認 識 対 象と して顕現して (得知 さ れて )い るの で あっ て 、 つ ま り凡 夫の識が 境 (六 根 ・六境 ・染汚意 ・前六識すな わ ち一切 法、 の い ずれ か)に似て顕現 してい る (似 現= 認識さ れてい る)だ けの こと (「根塵我な る 識 〔=分 別性 =境 〕に似て生住滅等 の心の 変 異注が明 了にな る が 故 に 顕 現 とい う」182a
) なの であ る (上 田 c24 )。 汪尚、 「心の 変 異
」
(vi髄 na −parirpama
) と は 、 「現在 刹
那 に生 ず る凡 夫の
識
は… … 一切 法の 中の ど れ か一つ の 法で ある境と して縁ぜ ら れ る(似現す る = 認 識対 象とさ れ る)が、 次の 刹 那に生ずる識は別の
法
と して似 現 する
」
こ とで あっ て (上 田 c25 、240
〜1
)、 境 として似 現 した識
における相違、 すなわち凡 夫の識の時 間的前後の 相違と して
成
立す
る こと、 つ ま り凡夫における
時
間感覚
が、 似 現を通 して 成 立す
るの である。これ に
対
し悟
りにおい ては、 時 間は存 在 しない 。 これ は識の顕 現 (境 Mと して得 智さ れ た もの) と して説か れ る十一’
Xp
(下記 (d
)を参 照 )の っちの 世 識で あ り (一時 間 長 尾 a 上 276 )、 こ れ ( ; 時 間)は識に他な ら
ない か ら外 的 事 物と して の 時 間は、 悟 りにおい て は全
く存在
しない こと を現わ して い る。 この事 態は、 諸大
乗
経 典お よび中観論書
におい て繰
り
返し説か れてい るの で ある。 これ につ い て は島
村 a の272
頁にお い て詳 説 した。 (C) 「唯 識の み (vi価 na−mfitrata )」
の 意味
は、 言 う まで もなく悟 り
の立場 での 叙 述であっ て、 その 中身は次の 三 つ で ある (上 田 c26 )。 (27
)智山学報第五十四輯
1
境
(分 別 性= 認識 対 象)の 否 定 (無)… …凡夫
が実 際に存
在 して い ると
信
じて い る認識 対 象 (境)は、悟 り
に おい て は、 凡 美に見 えて い るよ
う
に は存在
してい ない という
こ と。識 (縁 生依 他 性 )の肯 定 (仮 有 )… …凡 夫 の 虚
妄
分 別 (縁生依 他 性) は、 ア ー ラヤ 識 か らの縁生 である か ら仮 有で あ る という
こ と。境の否
定
を 通 して の〈
凡夫
の識
と顕
現してい る (凡夫に得知さ れて い る)境 との一体 性
(不二 性)〉
… …悟 りにおい て は、凡夫
に とっ て の 境 (顕現 して い るもの)は凡 夫の 識 (虚妄分 別 ・縁生依 他 性)に他 なら ない と いう
こと。換 言 す れば、 悟
り
と は、所 縁 (凡 夫に とっ て の境 ) と能 縁 (凡夫の能
ua
= 縁生依 他性 一凡夫の識 別作用) との一体不
二 (同一)、無
(境 ) と仮 有 (凡 夫の 識) との 一体
不二 (同一) とい う両 者の事
態なの で ある (上 田 c26 )。 さ らに唯
識の識は縁 生 依 他性 帆 夫の虚妄分 別)で あっ て、 そ れ は凡夫
の識 別作 用 なる虚妄
分 別である と共に、 一 切 法 嘘 妄分別さ れ たもの = 凡k
に と っ ての一切 の 認 識対 象) と して も似 現 して い るの で あ る (何 故に この ようなこ と が言 えるの か につ い て は後 述)。 これ を 『世 親 釈 』182b
は 「識所
変… …実
唯一 識、 無 有 塵等
別体 故、皆 以識為名」
と説 明してい る。(
d
)
そ れ故、 一 切法
(+一識注と して の 一切の 認 識対 象) は、悟
りの 立場か ら見 れば、 凡 夫の 虚妄
分 別 (縁生依 他性が 顕 現 してい る一境 とし て得 知 さ れて い る一 もの)であっ て、縁
生依他
性 (凡夫の 虚妄 分別 )こそが、〈
一切 法 として顕 現 してい る もの〉
の 依 り処 (依 止)に他 な ら ない の で ある。換
言 すれ ば十一 識な る認 識対 象は、凡夫
に境
と して顕 現 して い る縁
生依他性
その もの なの で ある。 注十一
識
とは、 縁生依 他 性 が認 識 対 象
と して顕 現 し た もの (上 田 c156
)で あっ て 、具体 的
に は、身 体 (五根)、
身 体の 所 有 者 (染汚
意)、
経
験 者
(意 根 )、経 験 さ れ る
対 象
(六 境)、経 験
す
る主体
(眼 識等の六謝 、 及び 以上 の もの の 具 体 例 と しての
時
間 、数、
唯 識思想における真理の意 味 (島村)
場所
、言
説
、自他 差 別、
善 趣 悪趣に生 まれ死ぬ こ と、 以 上の 十 一 と し て分 類さ れてい る (長尾 a 上
276
)。(
3
)
依他
性が無で あ るこ と 本 論 考の次々節3
. におい て説 明す
る。2
.分
別性 (
玄奘
訳
で は遍
計
所 執性
)
の意 味
内
容
初 め に 分 別 性の 意味 を端 的に述べ る ならば、 それ は
く
凡夫
の 虚妄
なる認識
作 用 (縁生依 他 性) に よっ て〔
見 誤られて〕 覚 知 ・認 識 され た (=意識に顕 現 し た) もの〉、要 する にく
認 識 す る もの〉
(識)に対 する〈
認 識 された もの〉
(境 ) と言う
ことがで きる (し か し実 際のテ キス トにおい て はこ の 理解に と ど ま ら ず、 分 別性と縁 生 依他性が 同時成立 とされる こと、 こ の両者が同一 と さ れ るこ と、 時には 分 別性の 無が真 実性 と され る こ と等、 多 義 的に表現さ れ るの で、文脈に よっ て意味を把握する 必 要 が あ る)。(
1
)
分 別性
の語義
分 別 性 (parikalpita−svabhava ) とは、
分 別 相
(parikalpita−lakSa4a
)と も言い(長尾a 上
272
)、「
分 別 さ れた 〔こ とに よっ て無
が有
と見誤
られ た〕
こ とを 自 性 〔また は自相 〕と してい る もの 」という
意 味である (上田 a249 )。 具体 的 に は〈
凡夫
によ っ て認 識さ れ てい る (= 捉え ら れ た もの ・所 取 grahyatva )一 切法〉
、 つ まり く
凡 夫
に とっ て認 識 対 象 と して 無な る もの が有 とし て、 増 益 samaropa さ れ て顕現 して (二 凡夫に よっ て見 聞覚 知さ れて ratibhasa )い る も の〉
で あ る (2
・3
)。 この こ とは 「〔縁生〕 依 他 性を依 り所 と して 、〔
本 来 は〕 非 存 在 なる 〔認 識〕
対象
が 顕現 してい るこ と」 とも説 明さ れ る (2
・15
B
)。 この〈
対象
と して 顕 現 し て い る もの〉
の 本 体 は何 であ ろ うか。 そ れ は前
節1
.一 (2
) におい て縁 生 依他 性の 第三 の 特 性 と して述べ た よう
に、 凡 夫 の縁
生依 他 性 = 凡 夫の 認 識= 無 明に基
づく
虚妄
分 別 その もの 、 を謂う
の であ る。 我々 凡夫
は、何
か を認 識 して い る場合
、 虚妄
分 別 とい う顛 倒 に よっ て (29
)智 山学 報 第五十四輯 (2 ・15B )、
〈
その 認 識対象
は本
来、す
な わち悟
りに おい ては無
(非存 在 )であ
る にも拘
わ らず〉
、 現実世
界 に実
際 に存在
してい ると増 益 して考
えて い る (上 田 c124 )。 こ こ で注 意 すべ き点は、 悟 りに おい て は〈〔
本 来〕は非 存 在 な る 認 識 対象
〉
と して述べ られて い る ものが同時にく
凡 夫に よっ て有る と して 増益さ れてい る もの〉
=〈
凡夫
に とっ て現に認識 されてい る境〉
なの だ、 と いう
こ とで ある。 この こ と は、別稿
での「
真実性成
立 の根
拠」
におい て真 理の 根拠 を示す
例
として挙 げ
た「
未覚者
の顛倒」
以下で 詳細に説明 さ れ るの で あ るが、 その要 諦 をこ こ で 簡潔
に記 すな らば、 そ れ は所
謂「
一水
四見」
とい う場 合におい て重 要なの はく
凡 夫の 四 見 が 無 実体〉
とい うこと なの で あっ て、 一水 自体 (その もの)が何で あ る か は問題 と さ れ てい る の で はない 、 と い うこ と で あ る。(
2
)
分 別 性の成 立過
程認 識 対
象す
な わち分
別性
は、 凡夫
の虚 妄 分 別 が境 と して顕 現 して (=覚知 さ れて)い る もの で ある。 しか し本 来、 すな わち悟 りに おい て認 識対 象は無 (非存 在)なの で あっ た。 か くの ごとき事
態は大乗
仏教思想におい て広 く叙 述 され る とこ ろ である。 例 えば、 中観
思想
で は次の ように説 明 される。 す なわ ちく
凡 夬に とっ て は一切諸法
(個 物)が他
と区 別 され て存
在 して い る と認 識 されてい る。 悟り
に おい て は、 一切諸法
は凡夫
に認 識 されてい る各々 の 個別相
を失い (一無相 )、 し た が っ て全
てが平 等 となっ てい る。 そ こ では個 別な る 認 識対 象は止滅 し、 同時に認識主体
も止滅 して、 その結 果、 識別 作 用 自体 も 止 滅 する〉
、 と (詳 細は島村a 参照 )。 ま た、 『大 乗 起 信論』
で は次
の よう
に説 明 さ れ る。 すな わ ち凡 夫におい て は 一心に対 して無 明が熏
習 して 妄 識 (識 別 作用 = 縁生依他性 )が成立 し 、 次に妄 識が無 明 を熏
習する こ とによっ て、 妄 境 界 (認識 対 象) と転 識 (認 識 主体 ) が成立す る。〈
悟 りす なわち 無 明が滅 し た状態〉
では 一心は独 存 となっ てお り、 そ こで は凡 夫の妄 識は 生起 して お らず
、 その 結果、 認識対象
も認 識主体 も生 じて い ない 状 態 と な る、 と (詳細 は準備唯 識思想における真理の 意味 (島村) 中の拙 論 「『大 乗起 信 論』に説か れる真如の 意味」の 発表を待 っ て参 照さ れ たい )。 こ れ らの
事
実 を確 認 した 上で、 以 下に唯識説
に おける分別性
と、 それ が悟 り におい て は非存在
で あ るこ と を一層掘 り下 げて見る。まず 『三 十頌 』
20d
で は 次の よう
に 述べ ら れ る。1
そ れ (≡ 分 別性 )は有 なる もの で ない (na sa vidyate /)次
に、『
摂大 乗 論』
に お ける説 明は次の ご と くであ る。「
そ れ ら (分 別性 )に は自相
(svalak §apa )が な く (中観の無 相 と同義)、そ こに は虚 妄 分 別 (凡 夫の 識 別 作 用 parikalpa)あるの み (matra ) と認 め ら れ る か ら、 分 別 〔性 〕(境 =分 別 され た結 果 、凡 夫に とっ て認 識 対象
と して似 現してい る もの
parikalpita
) と名付 けら れ る」
(2
・15
B
)。「色 等の相貌 は 識 を 離 れ て 別の 体 無 し (一 「識 等 相 容 貌 離誠 無 別
体」)」 (
2
・17
に対 する 『世 親釈 』188a
)。「〔
悟 り
におい て は凡 夫に よっ て認 識さ れて い る外
界の〕
対象
物は実際に は
存
在せず
(asad .artha )、 唯だ識の み (vijfiaptimatra )で あっ て、そ れに も拘 らず対
象
が〔
実
際 に存 在 するかの ご と く目前
に〕
顕現す
る(得知さ れて い る pratibhfisa)、 とい
う
こ とが実現 して い る」(2 ・3
)。 ※な お、 この
に
対す
る 「世 親 釈 』182a
の 注釈
は次の 通 り。「す なわ ち
〔
凡夫
の認
識 対象
で ある〕一切 法は 、〔
悟
りに おい て は〕存 在 して お らず、 塵 (認 識対象 ・境 )の
本体
は識 (縁生依 他性 ・凡 夫の虚妄 分 別)そ の もの で ある
〔
つ ま り、境
(所 縁 ) は存 在せず、 仮有
なるもの は識 だ けで ある〕。 しか し、 こ の識を
〔
た だ ち に は〕分 別 性 と は言わ ない で、 識が変 異 した もの、 す なわ ち
<
一切 法
俄 等 )〔のう
ちの
何
ら か の相貌〕
と して の認
識対 象
(塵)と して 顕 現 し た (得知さ れた)もの
〉
が 〔分 別 性であっ て〕
、 そ れ は無で ある の に、存 在 す る がご とくに (似 有)、
識
の所取
となっ た ものなの であ
る。」
以 上 の〜 を上 田は 以 下の よ うに整 理する (上 田 c35 )。 (31)
智山学報 第五 十 四輯
第一 に は、 縁生 依 他 性 とは
〔
凡夫
の〕
識で あっ て、 知 る もの (=知る働き :長 尾
b
456 vijfiana )であ り
、妄
分 別 す る もの (vikalpa ) で あ る。 分別 性
(
parikalplta
−svabhava ) と は、 その 凡 夫の 識に よっ て取
られ (grEhya )、 知 られ て (vijfieya)、妄
分 別さ れ た (vikalpita )もの の こ とである。第
二 に は 、縁生依 他 性は縁生 (前節1
.一 (2
)一第一参 照。 また、 梶 山 423 に よ れ ば 「染汚法の 種子よ り生 じ、 変化 しつ つ 相続 する 流 れ」)なの で ある か ら、〔
仮〕有
なる もの である。 一方
、 分 別 性 (凡夫の 境)は、〔
悟
っ て み れ ばその本体
は〕 〈
こ の縁 生依
他 性 なる 〔凡夫の〕
識 その もの 〔が境 と して似 現 した もの〕〉
なの であっ て 、 そ れ故分別性
に は実体 はない (すな わちこの 時点 に お い て は仮 有ですら ない )。 この こ とを 『中辺分 別論』
皿一3
は 「永 無、 恒 無 (asat nityam )」
と表
現 し、「
摂 大 乗 論』
は「
自相
(svalaksana )が なく
、〔
唯
だ 凡夫
に よっ て〕 実 体有るもの と して増
益さ れ一長 尾b254
一 顛 倒 した もの であ る」
とする (2
・15B
)。 つ まり
、〔
凡夫
の〕
識が仮 有 と して、 ア ー ラ ヤ識か ら生 じた結 果存
在 し てい るだけ なの で あっ て、 凡 夫が 認 識 し てい る分 別 性 (境 )自身は、 悟 りにおい て は、 その 実体
が凡夫
の 識なの で あるか ら、 境そ れ自体
は仮有
ですらな く (上 田 c168 )、「
恒無
」 なの で ある。こ こ まで の
論
述に よっ て、 識 (縁生依 他性 ・凡夫の虚妄分 別 ) と境 (分 別性 ・ 凡 夫に よ っ て識 られ てい るもの )は一体
・不二 であるが、 そ れと同時 に、 この 両 者は凡 夫 とい う識 る もの (能識jfiana
) と凡 夫に よっ て 識 られ る もの (所 識 vijfieya)という対
立 の 関係で もある という
こと が明
らか になっ た (2 ・15
B
、 上 田 cl55 〜6
)。 つ ま り、 識 (vijfiana)自身
が所
識 なる境 (相貌一r
世親釈』191
a) と して得 知 され て い る (一顕現して い る)の である。 すなわち凡夫
に お い て は、 縁生依 他 性が一切 法 中の いず
れ かの相 貌 と して 分別 (認 識) さ れて い る の で ある (上 田 cl73 、2
・16
(3))。 その意 味で は、 凡夫に お い て は識 (縁生 依他 性) が自
分自
身を 〔本 来 無 なる境で あ る に も拘 らず、有 なる境
と して見
唯識 思想における真理の意味 (島村) 誤っ て
〕
分別してい るの で ある。 故にその 見誤られた境 =分 別 され た 識 = 境 と して得 知 さ れ た識その もの が、 分 別 性 (境)とい うこ とになる (上 田c177 、MSA
XI
−24
、『三 十頌』 第17
頌 、 『二 十論』 第20
頌 )。 で ある か ら、 分 別性 と縁 生依 他性 とは、 同時に成立 して い るの で ある (上 田 c241 ち なみ に 「後得 智」 の場 合 は、 これ に加 え、 真実性 も同時に成立 して い る と さ れる )。『摂 大乗 論 』は (2 ・16 大正巻
31
巻119c
)、 一つ の 識 (縁 生依他 性 )が、 二 つ の もの 、 す なわ ち 第 一 に〈
分 別 す
る働
き〉
、 第二 に〈
所 分 別 (所 取 )で ある一切 法 と しての 相 (境 ・分 別 性)〉
、 とい う二 者 と し て 顕 現す るプ ロ セ ス を 、次の六 つ の 過程
として説 明 して い る (以 下 上 田 c184 取 意)。所 分 別と しての 個 々 の 境。を 最 初に認 識 す る (= 縁生依 他性 ・識が、
分 別性 ・境と して得知 さ れ る )際に、 まず 個 別の 名 称 (na 皿 an 概念 )が
与
え ら れ る。
2
・24
は、 こ の こ とを 「名称 〔が 与え ら れ る〕
以前
に は 〔境に対 する〕 知は ない 」と述べ てい る。次回以 降はその 同 じ名称に よっ て境と して の
分
別性
が繰 り返 し得 知されて (似 現して)、 そ れ に
対す
る執
着が生 じ、 その境が はっ き り と した相 貌 を伴っ た概 念 と して 固
定
化さ れ、概
念の 一人 歩 きが始 まる 。そ
う
なる と、 この 一 人歩 きするく
相貌
を伴
っ た概 念〉
を操 作 する こと に よっ て、 その 境に対 する判 断 (見) が
行
な わ れ ( ≡ 仮 設 さ れ 上 田 c239 )、 外界の 境 を実 際に (見た ままに) ある もの と して誤 っ て 思い 込む よ
う
に な る。続い て、 それ (仮 設 さ れ た境)につ い て種 々 の 考 察 を巡ら し、 その
考察 内容
を〔
日常〕
言 語に よっ て表現 する。こ の結 果、
見 聞覚知
という
四種の 日常言 語 習 慣 (vyavahara )の介在
を原因とし て 、 そ の仮 設 概 念を他人 と共有 する こ とになる。
この よ うに して凡 夫は、 〔悟 りが実現 した見 地 よ りするなら ば
〕非
存 在 な る
境
を、 実 際 に 存 在 す る か の ご と くに 構 想 す る (増 益一
。 (33
)智山学報 第五十四輯
以 上の過程 を要 言 する なら ば、 悟 りに おい て は、 凡 夫が認 識 して い
る ような もの は存 在 しない も拘 ら
ず
、凡夫
は共 通の名称
・概 念 を仮設
し、 そ れ を境 として
増
益 してい る という事
なの で ある。※
境の 同
義
語として は、 塵、 相 識(上 田 cg 、143
)、 色 識 (rapa .vijfiapti,MSA
XI
−24
)、 塵 識 (artha −vijfiapti )、 乱因
(上 田 c127 )等
が挙 げ
られ る。
上記の 〜 の 過 程によ る
説
明 は、 次の こ と を説い てい る。 すな わちこ の説
明は、覚者
の 認 識に おい て は、〈
凡 夫が実在 してい る と見 誤っ て い る境は、 実は虚 妄 分 別 ・識にす
ぎ ない〉事
態が、他方
、 凡夫
の 認 識に お い て は、〈
覚者
の悟 り
に おい て は非存在
なる境が、名
称 ・概 念に よっ て実 際に存在 するか の如 く増 益さ れて い る〉
事
態、 と なっ てい ることを説く
もの なの で ある。ち な み に
「
応知
入 勝 相 」(大正31
巻122
)に 対 応 する3
・3
、3
・16
は同 じ
事態
を 、 もの の名
称 〔名〕、名称の与 えられてい る事物 〔
義〕
、 自性
〔設 定〕、 属 性の設 定 〔差 別〕、 の 四つ に細 分 し、 その い
ず
れ もが存在
し ない と説 明する。(
3
)
分 別性の成
立過程
と諸般若経典
の記述
との同一性
前
項(
2
)におい て解 説 したよう
な説 明は、 下記引
用 の如 く
、実
は最初期
の 般 若 経典か ら そ れ 以降の 大乗 諸 経 典に おい て継 続 的にな されて い る ものな の で ある。 また、〈
凡夫
に よっ て 認 識 さ れて い る 一 切 法は名称の み〉
という
ことは、 その 認識対象
に は個物
と しての 実体が存 在 しない こ とを意味してい るの で、般若経
典に おい ては、 通 常は この 事 態 を無相 ・空 ・平等
・不可得
・ 無所
有 (非 存在 ) ・不可取 相 ・無戯 論等
と説 く。1
『
八千頌 般 若 』におけ る記 述sarvadharm 酷 ca namam 巨
trepa
vyavah 巨ram 亘trepa
abhirapyante /V
,2354
.6
唯 識 思想に お ける真理の 意味 (島村)
て い る に過 ぎ ない 。
buddha
iti
n亘madheyam 亘tram
etat /bodhisattva
iti
n盃madheyamfi −tram
etat /prajfiaparamiteti
namadheyamStram etat /V
.13
e
.7
〜8
仏 陀とい
う
もの は、名称
の みの もの に過 ぎない 。菩
薩とい う もの は 、名 称の みの もの に過 ぎない 。 般 若 波羅 蜜も
名称
の みの もの に過 ぎない 。yada na
bhavati
sarpjfiA samajfiaprajfiaptir
vyavaharab ,tada
pra
−
jfiap
証ramitety ucyate /V
.89
e
.18
表象
、名称
、 言葉に よる仮 設、 世俗の 言 語 習慣が存 在 し ない 時、 般 若 波 羅 蜜多が在ると言わ れ る。2
『
大品般若 』
に お け る記述
「こ の
名
は強い て仮
の施設
をなす。 謂 わゆ る是 れ 色、 是 れ受
、 想、行、 識… … と。 一切の 和 合の 法は
皆
是れ仮 名
な り。名
を以 て諸 法 を取 る。 是の 故に名と為 す。 一切の有為 法は但だ名 相あ るの み。 … …こ の名は但だ 空 に して
名
あ るの み。 虚妄
臆 想 分 別 中に生 ず。」大正蔵 第8
巻398b
「
色は但だ字 あるの み。受
、 想、 行、識 似 上 で 一切 法) も但だ字 あ るの み。」221c
、247
b
「
名
は仮
の 施設に して、 受は仮の施 設、法
は仮
の施設
なり」
231a
「諸 法の
名
は仮の施
設な り」231c
「
法
は但だ名
字の み あ り」239c
「
菩薩摩訶薩
は、但
だ名字
あるのみ」267
a「
色は是れ仮 名に して受
、 想、行
、 識 も是れ仮名
な り」268c
「世 間の
名
字の 故に須 陀お ん乃 至阿羅 漢、 辟 支仏、 諸 仏 あ り。 第一義の 中には … …須陀 おん 無 く、 乃 至仏 無 し。 」
271c
「六道の 別
異
も亦た世 間の 名 字の故にあ り。 第 一義
を 以 てする にあら
ず
。」271c
samyaksarPbuddha
iti
…prajfiaptimfitrarP
yac capraJfiaptim
五trarP
智 山学報 第五十四輯
sa
dharmat
乱ta
甲 ca subhtitib sthaviro na virodhayaty upadi 忌ati ca//
木
村ll
・皿122
2
.24
〜5
正等 覚 者 とい う ものは、 … …ただ仮 名の み である 。 諸
法
の実相
は、た だ
仮名
な ること を、 長老
ス ブ ー テ ィ は争 う
こ とな く説 く。「
仏は是
れ但
だ仮名
な り。 … …諸 法は但だ仮 名 な り。」277b
idarp
dharma
−adhivacanamtigantukam
etan namadheyarpprak
§ip
−tam
avastukam etan n訌madheya 甲prak
§iptam
, an五ramba4am etannamadheyarp
prak
§iptaIp
yad uta sattvaり
sattvaiti
〃 木村ll
・1
皿33
e
.17
〜19
もの の名称は偶 然の もの で あっ て、 そ れ は
名称
が仮設
さ れ た〔
だけの
〕
もの で ある。仮設
さ れ た名称
は実体
を持たず、 衆生 なる もの は、衆
生という名称
が仮
設さ れ た〔
だけの 〕 もの であっ て、 そ れ を支 えるもの (そ れ が依拠 すべ きもの =実体) を持っ てい ない 。
「法の 衆 生と名つ くる もの 有るこ と無 し。
仮名
の故
に衆生 と為 す 」279b
eva 皿 ete savradharma nama −matram …nama .matram
idam
sarvasarpskrtarp … …/同
V123
2
.21
〜p
.124
e
.9
この よ
う
に、 この 一 切法
は、 た だ名称
のみで ある。 … …こ の一切 有 為法は た だ名称の み で ある。「こ の …切 法、 但だ名 相 あるの み。 … … 一切 有
為法
、但
だ名
相 ある の み 。」375b
3
『善 勇猛 般
若
経』
の記述
sarvapy etani … … manyitani … …
prapaficitani
・… ・・/H
.81
e
.23
こ れ らの もの全て (=色 受想 行識すな わ ち一切 法)は、
妄
りに考え られた もの … …戯 論… …に過 ぎ ない 。
戸 崎
225
sarva −
arambapani
tair
vaSikanijfifitani
/H
.・76
Z
6
〜7
〔菩 薩た ちは
〕
あ らゆ る認 識対 象
が空虚
な もの (存 在 し てい ない も唯識思想における真理の意味 (島村)
parikalpita
−satvah sarvasatv的
… …avidyasarPskarasatvah sar−vasatva … … /
H
.172
.10
〜12
全て の衆生 は、 妄 想さ れ た 〔虚 妄 〕 分 別 され た衆生 である。 … …全
て の衆生 は、 無 明の 作 り出 した もの とし て の 衆生である。 同
108
abhfita
hy
ete sarva eva vyavahfirab , natrakaScit
svabhavall /……vipary 五sasamutthit
的
sarva −dharm
巨b
/H
.89
e
.21
〜p
.90
e
.4
これ ら (一切法)全て は、 日
常言語
習慣 〔
によっ て存 在 す
る と さ れてい る
〕
の み で〔
実際
に は〕存在
しない 。 こ れ らに は どの よう
な実体
も
存
在 しない 。 … … あ らゆる もの は顛 倒に起 因してい る か らである。同
238
abhutaparikalpa e§a satv 互na 甲, manyana syandana
prapaficanaiSa
satvanEm /H
.1104
.17
〜18
こ れ (=顛 倒に起因する凡美の 増益 ) は、 衆生 の 虚 妄 分 別であ り、 衆生の 妄 りに
考
え たこと、 思い の動転
、 戯 論に過 ぎない 。 同269
〜70
以 上述べ て きた事 態は、 中観 思 想 ・ 『起 信 論 』の場 合 と同様に、 覚 者の み が これ を理 解 し得るの で あっ て、 当然 なが ら凡 夫に とっ て 理解可能 な境 地で は ない (尚、こ の ような覚者の境地、す なわち次節3
.に述べ る 「真実性」が実現 した境 地 に お い て は、仮 有なる縁 生依 他 性 も また 〈分 別性が無で あるが故に無 とな る〉点に注意を要する)。ち なみ に
『
摂 大乗
論 』は、 上 記 の よう
な「
分 別性
(認 識 対 象 ) は〔
凡 夫の〕
縁 生 依 他 性 (識) その もの である」 (=唯 識無 境 :唯識の み が仮 有に して境 は無い ) とする 唯 識説の根本主 張の 経 証 を、 次の 二 つ の 経
典か ら引用 してい る (
2
・7
大正31
巻118b
)。 すな わ ち 、 一つ は『
十地 経
』
の 「三界 唯 心」 (これは 『唯識二 十謝 も冒 頭に引用 して い る)であ り
、 もう
一つ は『
解 深密経』
「分 別 瑜 伽 品」の 「唯 有 識、 此色
相境界 識
所
顕現」
で ある。また この 唯 識
無境
に つ い て 、2
・11
(大正31
巻119a
)で は三相 と (37
)智 山学報 第五十四輯 して、 すな わ ち
(
a)
唯 量 = 唯 識 、(
b
)
唯二 = 能 取 所 取 、 (c)種々 類 = 一切境
、 と して説
か れ る が 、分別性
が能取所取
の 二つ と して顕 現 し、 そ れ は唯識である と重 ねて 説い た以外はこれ まで述べ た唯識 無 境と同 内 容であ る た め、 省 略する。3
.真実性 (
玄奘訳
で は円成 実性 )
の意味 内容
初めに真 実性の意 味を
端
的に述べ るなら ば、 そ れ は〈
凡夫
の虚妄
な る認識
作 用 (識 =縁 生 依 他性 ) を通 じて認 識 得 知さ れ た もの (境 一分 別 性 )が悟 りに お い て は存 在 しな くな り、 その こ とに よっ て凡 夫の認 識作 用 も また存在 しな くなっ た こ と〉、 要 する に悟 りが実 現 し た事 態 と言 うこ とがで きる。 注意す べ き点
は、後
述の よう
に、 この真
実性
は実有
なるもの なの だ、 という
ことで ある。(
1
)
真 実 性の語義真 実 性 (parini§panna −svabhava ) と は、
真
実相
(pariniSpanna
−lakSarl
) と も言い (2 ・4 )、 「〔修 行が完成 し た結 果、 真実 が〕完 全 に 〔行者 に対 して〕実 現
してい る
事
態 (parinispanna ) を自
性〔
ま た は相〕
と してい るこ と」
という
意味で ある。 つ ま り、 「〔行 者の 縁 生の〕 依 他 性 (paratantra −
lakSarpa
識)がく
塵の
相
(artha −lakeapa
ti
と して の相 )として は似 現 してい ない事
態〉
(atyantabha −vatti 完 全に無と成れる こ と
don
gyi mtshan fiidde
gtan med panid
do
−2
・4
) が実現 して い る こ と」、 これ を真 実性 と呼ぶの である。 また これ と同一の事 態 は 「〔分別 性が〕い か な る 意 味 で も存 在 し な い とい う 相 (atyanttibhfiva −
laksana
)」
(2
・15
c)、 ま た は「
分
別さ れ た よう
に は、如何
な る意味
で もそ れ (一塵一r
世 親釈 』188a
に よ る) は、存在
しない」
とも規定
さ れ る (2
・17
)。 す なわち、 悟 りに おい て は、〈
縁生依 他性 が 塵の 相 (分別性 ) として顕 現 して い ない 状態〉
と なっ てい るの で あ る。 つ ま り凡 夫は、〈
縁生依他性 (虚妄 分 別) が外
的事 物
(分 別 性 ) と して単 に顕 現 して (見えて)い るに過 ぎない こ と〉
を増益 して、実 際にく
その単に見えてい る もの〉
が見えて い る 通 りに存唯 識 思想に お け る真理の 意味 (島村)
在
してい る と見 誤っ てい るの であ る。 こ れこ れ に対 して 、 悟 りに おい て は前 記の よう
な構造 が 理解さ れてい るの で 、 元来無 なる境を増益 する こ と な く、 その ま ま境の無として 了解 してい る の で ある。 こ の ような悟 りの事
態 におい て は、 これ に加
えて、〈
凡夫
の 虚妄分
別た る縁
生依他相
も、 次項 (2 )
に詳 述 する ように止滅 して い る〉
の で あっ て、 か か る事
態こそ が真 実性
に他
な ら ない (長 尾 aE 283 ) 。ni§
pannas
tasya
pOrve
孕a sad 五rahitat 飢 u 画 /『
三十頌』第
21
頌
cd真
実性は、 そ れ (縁 生 依他 性) が前 者 (分 別性 )を、 常に遠 離 している こ と。
arthan sa vijfiaya ca
jalpamatran
sarptisLhate ten −nibha −cittamatre /pratyak
§at…im
eti cadharmadhatus
tasmfid
viyuktodvaya
−lak
$apena//
MSA
VI
−7
3
・18
彼は、
外
界は た だ 言 葉 の み であ る と知っ て、 〔存 在 する もの は〕それ (外 界) に 似 て現わ れ る 心 のみであ る、 との 立 場 に立 ち、 そ れ故に 〔能 取 所 取の〕二 つ の相 を離 脱 してい る法 界、 を直 証 する にい た るの
で
あ
る。そ して こ の よ
う
な事
態は ま た 、〈
無 分 別智
なる悟
り=般若波 羅
蜜〉
なの で あ る (8
・21
)。(
2
) 縁
生 依他
性の無が真 実 性である 『三 十頌 』及びMAV
は、〈
境 (対象)の 無 か ら認 識 の 無へ〉
とい う構 造 を次
のよう
に説
い てい る。grahya
−abhavetad
agrahat /『
三十頌』
28
d
境が無 けれ ば、 それ を認識 する こ と (一縁生依他 性 すな わ ち凡夫の 虚
妄分 別)も無い の で
upalabdhes
tata
尊
siddha noparabdhi −svabhavata /MAV
I
−7ab
それ
故
、獲得す
る こ と (=認識する こ と)は獲 得 し ない こ と (=認 識
智 山学報 第五 十四輯