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ラオス南部の都市考古学的研究

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Academic year: 2022

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論文概要書

ラオス南部の都市考古学的研究

大坪 聖子

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序章

ラオス南部にあるワット・プー(Vat Phu )は、最南端部の県チャンパサッ(Champassak )・

チャンパサック郡に位置し、西は古来より聖なる山として崇められてきたカオ山(Phu Kao )、南北に流れる東南アジアの大動脈メコン川(Nam Mekong )、その間の狭い沖積平野 チャンパサック平原に約400km2の広さに展開している。このような地理的環境に、メコ ン川に面し三重の方形の城壁をもつ古代都市シェスタプラ(Shrestrapura )、この正面に聳え 立つカオ山の山腹に現在は仏教寺院として現存するワット・プー寺院(Vat Phu Monument )、

その裏山の頂には自然の岩塊をリンガと拝し信仰されてきたリンガバルバタ(Linga Barbata )が屹立し、川は中国・ミャンマー・タイ・カンボジア・ベトナムの地域を結び、陸は アンコール(Angkor )都城から東北方向へ聖地ワット・プーまで王道で繋がれている。すでに

11~12世紀代には、水路・陸路が整備され、ヒト・モノが頻繁に行き交う都市であったこ

とが窺える

古代都市シェスタプラは、ワット・プー遺跡群(Vat Phu complex sites )を代表する古代遺産 の一つで、東南アジアのインド化が進んだ後 4~5世紀に都市として出現していたと考え られ、東南アジア史の中で重要な位置を占めている。この都城内には、都市が出現した時 に建立されたとされるヒンドゥー教寺院(現・仏教寺院)があり、この境内から5世紀後半代 のサンスクリット語で書かれた石碑が発見されている。この寺院は内城に位置し、都城内 で最も重要な中枢部にあたる。内城の周囲は、この地に最初に都市が誕生したときに構築 された最も古いレンガ積みの城壁が囲っている。このことからシェスタプラは、東南アジ アで最初の都市の一つとして考えられ、東南アジア古代国家の出現と形成に繋がる重要な 遺跡とされる。

本論では、この古代都市とクメール期都市遺跡に焦点をあて、遺跡分布調査や発掘調査の 成果を基に考古学的な分析を行ない、都市の機能性について追究することを目的とする。ま た、この題目に至る経緯や研究背景として遺跡現場の現状と諸問題について述べ、本研究の 意義を唱えた。

第1章 地理的環境

本章ではラオス全土の地理的環境として、ラオスからみた東南アジア地域という枠組み での中で、特有な自然環境、複雑な民族構成、文化の受容と生成、多種多様な宗教の視点 から、ラオスの地理的な特性を見出し、ラオス地域を取り巻く環境を概観していく。

本章1-1は「ラオス全土の地理的環境」として、まずラオス地域全体の地理的な特徴に ついて述べ、さらには地質、気候、人口、民族に分け各項を纏めていく。また1-2では、

南部地方をクローズアップし、「ラオス南部の地理的特質」として南部地方の地域の概要に ついて述べ、次にチャンパサックの地理的環境について簡潔に概括する。さらにはチャン パサック平原を取り巻く自然環境から、低地部農耕の人々がどのような資源獲得をしてき たかを分析し、ミクロ生態系の観点より居住パターンを分類しチャンパサックの地理的特

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質を考察する。

第2章 先行研究

本章では各時代別に、フランス植民地支配によりメコン川踏査隊結成した19世紀後半 頃、探検家や軍人によるBassac 踏査が行なわれた19世紀後半~20世紀初頭頃、20世紀 初頭のフランス極東学院(EFEO)創立とVat Phou建築学 調査、Vat Phu 調査研究の低迷 期―20世紀中~後半頃、プロジェクト調査研究―1990~2000年、世界遺産ワット・プー調 査研究―2001年以降に分け、調査方法の特徴や調査成果を纏めた。

第3章 ワット・プー遺跡群の都市機能論―分布調査からのアプローチ―

本章では、3-1ワット・プー遺跡群が形成されたラオス南部の歴史的背景として、9~13世 紀代を中心にアンコール地域を含むラオス南部における通史を概括する。3-2ではワット・

プー遺跡の概要を簡単に纏め、3-3ではこの地域を代表する象徴的複合型モニュメントで あるワット・プー寺院遺跡を概説する。

3-4では、2004-2007年度行なった遺跡分布調査の成果から、遺跡の種類とその傾向を分 析し、さらに地域性を概観する。3-5では各分布地点で採集された陶磁器を観察し、産 地・年代・器種などを特定し、消費地としての都市の様相を考える。終わりに考察とし て、分布調査からみた都市の機能性について総括した。

ワット・プー地域は、一定の機能をもった地域が明確に区分され、「非日常の世界」の「聖 地」と、「日常の世界」の「集落」、二つの世界が共存する特質をもっている。このことはワ ット・プー地域が、古に「聖地」として誕生し、長い時間とともに人が集まり、形成されて いった歴史的経緯があると考えられる。

第4章 シェスタプラの古代都市論―発掘調査からのアプローチ―

本章は4-1ではシェスタプラを取り巻く地理的環境について述べ、地理的環境として、

シェスタプラが展開する村々を中心に、地形や土壌や生業など地域の特質を纏め、4-2で は歴史的背景として東南アジアの初期国家の通史を概説し、4-3では「シェスタプラ」と いう名称の謂れとその所在の位置付けを検証し、4-4では都城内の寺院より伝来されたワ ット・ルアン・カオ碑文の解読と分析を行なう。4-5では都市構成として、これまでの遺跡 分布調査や発掘調査での研究成果から都城内の各地点の遺跡を纏め、さらには主要な遺跡 を概説し、都市の復原に迫りたい。4-6ではフランス・イタリア・日本(早稲田大学)の各調 査隊による調査成果から調査研究史を纏めてみる。4-7では、筆者が行なった2009年度ノ ン・ビエン村小学校新校舎建設に伴う発掘調査および、2010-2012年度ワット・ルアン・カオ 村地区レンガ城壁学術研究調査の調査概要」を述べ、「調査成果」として層序や出土遺物 について纏めてみる。4-8ではさらに層序構成や出土遺物を纏め、総括としてシェスタプ ラ発掘調査からみた古代都市を検証する。

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調査の結果、シェスタプラの都市の崩壊は、大洪水の影響により6世紀前半を境に衰退 したと考えられる。とくにメコン川地域のワットルアンカオ城壁跡周辺では、都市の崩壊 後、ほとんど再開発されることなく、そのまま放置された可能性が高いと層位から確認で きる。おそらくその後11-12世紀代に、アンコール王朝の勢力と高度な治水技術によっ て、新たな都市か形成されていったと思われる。しかし13世紀に入りアンコール王朝が 最盛期を迎えている一方で、王朝の重要都市の一つであったワット・プー寺院を中心とす る地域が、次第に都市の機能を失っていくことになる。その後一農村となったワット・プ ー一帯は、現在まで至っている。しかしながら、このようにメコン川の氾濫地域でありな がら、都市の崩壊後も現在にわたり集落が形成されていった経緯には、メコン川が現在で も経済流通圏であり、生活の中心にあると考えられる[大坪 2007]

終章

城壁によって4つのエリアに区画されたシェスタプラの構造は、それぞれ都市としての 地域性がみられ明らかになり、さらには職能分化などの都市の機能性が見られた。各エリ ア内で検出された遺構や出土遺物などの事例を参考に、地域の特質を纏めてみる。ここで

は2010~2012年度に行なった本調査の成果から、都市の時期的な変遷を辿ってみる。

調査の結果、この地点の放射性炭素年代は、3世紀前半~6世紀前半と測定され、その 中心年代は5世紀代を示している。以上のことからシェスタプラの内城レンガ城壁の築造 年代は、少なくとも6世紀前半代までに構築されていた可能性が高いという結論に至っ た。放射性炭素年代と土器編年から、各層の年代を推定すると、以下の通りとなる。

I 層:近現代

II層:11-12世紀―クメール期 III層:6世紀前半-7世紀前半 IV層:5世紀代-6世紀前半 (V 層:地山)

以上のことからシェスタプラの崩壊は、大洪水の影響により、6世紀前半を境に都市が 衰退したと考えられる。その後11-12世紀代にアンコール王朝の勢力と治水技術によっ て、新たな都市か形成されていく。そして13世紀に入りアンコール王朝が最盛期を迎え ている一方で、王朝の重要都市の一つであったワット・プーが、次第に都市の機能を失っ ていくことになる。その後一農村となったワット・プー一帯は、現在まで至っている[大坪 2007]。

またクメール期以降になると、都市の要素である「道」「市」「津」(おそらく「泊」もあ ったとおもわれる)が存在し、中核である「寺院」を支える「生産」「集落」が発達し、こ こでは都市としての機能がみられる。それは中心(寺院を含む須弥山=カオ山)と周縁・境界

シェスタプラ期

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をもつ同心円型の形態を成し、宗教を核にした「宗教都市」といえる。このことは聖地ワ ット・プーが、固有の自然環境を利用し、宗教という精神文化を支柱にして、独自の宇宙 観を表したヒンドゥー型の都市の構造と類似していることが明らかとなった。

--- 目 次

序章

第1章 地理的環境

1-1 ラオス全土の地理的環境 1-2 ラオス南部の地理的特質 第2章 先行研究

2-1 調査研究史

2-1-1 フランス植民地支配とメコン川踏査隊―19世紀後半頃

2-1-2 探検家や軍人によるBassac 踏査―19世紀後半~20世紀初頭頃

2-1-3 フランス極東学院(EFEO)によるVat Phou 調査―20世紀初頭~中頃

2-1-4 Vat Phu 調査研究の低迷期―20世紀中~後半頃

2-1-5 プロジェクト調査研究―1990~2000年

2-1-6 世界遺産ワット・プー調査研究―2001年以降

第3章 ワット・プー遺跡群の都市機能論―分布調査からのアプローチ―

3-1 ワット・プー遺跡群の歴史的背景 3-2 ワット・プー遺跡群の概要 3-3 ワット・プー寺院遺跡(AD3-12) 3-4 ワット・プー遺跡群の特徴

3-4-1 ワット・プー遺跡群の種類と傾向 3-4-2 ワット・プー遺跡群の地域性

3-5 クメール期の陶磁器からみる都市の様相

3-6 考察―ワット・プー遺跡群分布調査からみた都市機能―

第4章 シェスタプラの古代都市論―発掘調査からのアプローチ―

4-1 シェスタプラの地理的環境 4-2 シェスタプラの歴史的背景 4-3 シェスタプラの概念 4-4 ワット・ルアン・カオ碑文 4-5 シェスタプラの都市構成 4-6 シェスタプラの調査研究史 4-6-1 フランスの発掘調査

4-6-2 イタリアの発掘調査

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4-6-3 日本・早稲田大学の調査研究

4-7 ノンビエン小学校遺跡、ワットルアンカオ城壁跡発掘調査(2009~2012年度)

4-7-1 調査概要

4-7-2 調査成果(1) 層序構成 4-7-3 調査成果(2) 出土遺物

4-8 考察―シェスタプラ発掘調査からみた古代都市―

4-8-1 出土遺物の傾向 4-8-2 層序からみた年代観 終章

5-1 シェスタプラからみた古代都市論

5-2 ワット・プー遺跡群の採集陶磁からみたクメール都市論 5-3 結論―ラオス南部の都市考古学研究

参照

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