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『 唐 草 物 語 』 の 中 の 「 私 」

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(1)

﹃唐草物語﹄の中の﹁私﹂

小 倉

はじめに

 いまから十年ばかり前︑晩夏のころだったと思うが︑ただでさえ

暑い京都の六波羅のあたりを︑わたくしはある寺をさがして︑炎天

のもとにうろうろと歩きまわったことがあった︒すでに記憶もおぼ

ろげになっており︑その日歩いたコースを明確に思い出すことはで

きそうもないが︑その年久しぶりに読んだ澁澤龍彦の﹃唐草物語﹄

に収められている﹁六道の辻﹂に出てくる六道珍皇寺のことが妙に

気にかかり︑一度訪ねてみようと思い立っての小旅行であった︒

 京都市東山区松原通東大路西入小松町にある六道珍皇寺の門前︑

つまり松原通︵旧五条通︶に面する繊櫨町から新シ町にかけての南

北の丁字路を﹁六道の辻﹂と呼ぶ︒六道の辻は︑古くから葬送の地

であった鳥辺山の麓にあって︑あの世とこの世の境域と考えられて

いた︒京の都で亡くなった人の亡骸を︑枢に納めて鴨川を渡り︑寺 の僧侶が迷える亡者の霊魂に引導を渡して野辺の送りをするまでの いわゆる冥界への入口に当たる場所なのであった︒  中世のころには︑このあたりに六波羅蜜寺や珍皇寺・念仏寺のほ か︑地蔵堂・閻魔堂・姥堂などの御堂が点在していた︒鳥辺山の地 形に沿って︑音羽山から湧き出た水は︑清水寺の北を流れ︑轟川と なって八坂庚申堂のすぐ南西を通り︑珍皇寺や閻魔堂︑念仏寺の北 側を通って鴨川へ東西に流れる小さな川となり︑三世川と呼ばれた︒ 鴨川や三世川はさしずめ三途の川といったところであろう︒  ﹁六道の辻﹂の名は︑古くは﹃今昔物語﹄や﹃古事談﹄に見え︑

﹃平家物語﹄巻十﹁海道下﹂から取材した謡曲﹃熊野﹄には︑﹁愛宕

の寺も打ち過ぎぬ︒六道の辻とかや﹂︑﹁実に恐ろしやこの道は︑冥

土に通ふなるものを︑心ぽそ鳥辺山﹂︑﹁姻の末も薄霞む︑聲も旅雁

の横たはる﹂などとあり︑葬送の地︑鳥辺山の入口にあたるところ

から︑冥土への通路として﹁六道の辻﹂と呼び慣わされていたこと

愛知淑徳大学論集−文学部・文学研究科篇ー 第二七号 二〇〇二・三 一五ー二五

一五

(2)

愛知淑徳大学論集−文学部・文学研究科篇ー 第二七号

が窺い知られる︒

 また︑このあたりは︑相当量の人骨が出土したところから︑鰯腰

原と呼ばれていた時期もあり︑これが転誰して﹁六道﹂﹁六原︵ろ

くはら・ろっばら︶﹂﹁麓原﹂﹁六波羅﹂と表記されるようになった

とも言われている︒そういえば︑﹁六﹂をむつと読めば︑﹁道の口﹂

つまり︑ある国︵冥界︶への入口という意味にとれなくもない︒

 こんなことを考えつつ︑わたくしは自ずと︑澁澤龍彦の﹁六道の

辻﹂の中で﹁六道絵に関するしらべもののために京都にきていた﹂

﹁私﹂の足取りを辿ることになったのである︒

 われわれは普通︑非日常的時空間に入り込み︑︿旅﹀をすること

で︑︿旅人﹀になり︑︿旅﹀を主宰し︑︿旅﹀を語る視点を獲得する︒

そこで語られるものは︑当人にしか味わえない︿かけがえのない体

験﹀であり︑︿未知なるものの発見﹀である︒︿旅人﹀とは︑その

︿かけがえのない体験﹀を語ることができる﹁私﹂なのである︒そ

して︑一般的には︑︿旅人﹀が語る︿未知なるものの発見﹀という

︿体験﹀を綴ったものが紀行文であり︑原則として︿旅人﹀と作者

は同一人物ということになる︒言い換えれば︑紀行文においては作

者自身が主人公として︿旅﹀を主宰し︑︿旅﹀を語るしかないので

ある︒  ところで︑﹃唐草物語﹄には︑﹁金色堂異聞﹂および﹁六道の辻﹂

の二編の紀行文的物語が収められ︑いずれにも冒頭から︿旅﹀を主

宰する﹁私﹂が登場する︒

一六

 昭和五十四年五月︑私は思い立って奥州の平泉にあそんだ︒

 上野から特急で五時間もかかって︑東北本線の平泉から二

つ手前の駅である一ノ関に着いてみると︑朝からびしょびしょ

降っていた雨はまだやんでいず︑私は傘もなしに駅前でタク

シーの列にならばなければならなかった︒しかも︑そのタク

シーの数が極端に少なくて︑いつまで待っても車はあらわれ

ない︒とど︑三十分近くも待たされる羽目になったのには︑

いい加減げんなりした︒私は中っ腹で運転手に八つあたりし

た︒       ︵﹁金色堂異聞﹂︶

 いまから十年ばかり前︑晩夏のころだったと思うが︑さら

でだに暑い京の六波羅のあたりを︑私は或る寺をさがして︑

炎天のもとにうろうろと歩きまわったことがあった︒

 すでに記憶もおぼろげになっているが︑しいて薄れた記憶

の糸をたぐって︑その日のコースを思い出してみると︑たし

か最初は三十三間堂の前の京都博物館に立ち寄ったのだった︒

むろん︑なにを見たかは忘れてしまったが︑そのとき私は六

道絵に関するしらべもののために京都にきていたので︑そこ

でも浄土教関係の展示物を見たのだったと思う︒それからす

ぐ近くの養源院に寄ったのは︑これは六道絵とはまるで関係

がなくついでといっては申しわけがないが︑私の好きな宗達

の杉戸絵にちょっと挨拶しておくためだった︒それから五条

(3)

通を越えて北へ歩き︑線香の煙がもうもうとしている六波羅

蜜寺の前を通って︑ごちゃごちゃした横町をあてずっぽうに

うろうろした︒このあたりは六道と呼ばれている︒そして私

がさがしているのは︑大椿山六道珍皇寺という寺なのだった︒

京都の町筋に私がとんと明るくないためか︑べつにそれほど

分りにくい地域にあるわけでもないのに︑寺はなかなか見つ

からなかった︒見つからないと思うと︑暑さが一層こたえる

ようであった︒       ︵﹁六道の辻﹂︶

 あえて長々と引用したのはふたつの物語の紀行文的雰囲気を再現

するためである︒ただし︑そこに登場する﹁私﹂が必ずしも作者と

同一の存在ではないことは言うまでもない︒﹁私﹂は︑紀行文の形

式を借り︑︿旅﹀を主宰し︑︿旅﹀を実際に体験した人物として︑

︿旅﹀について語り始めるのである︒

 渋澤はある時期まで︑いわゆる︿体験﹀なるものを蔑視していた︒

 鬼の首でも取ったように何かと言えばすぐ﹁体験の裏づけ

がない﹂などと批判したがる人間は︑私には最初から無縁の

人間だ︒    ︵﹁体験ぎらい﹂﹃人形愛序説﹄一九七四年︶

心境がどう変化しようと︑おれにとっては︑そもそも体験な

んていうものは何の意味もないのだから︒世の中には︑むろ

﹃唐草物語﹄の中の﹁私﹂ ︵小倉 斉︶

ん︑いろいろな体験があるだろうさ︒たとえば冬の夜︑道頓 堀を歩いていると︑突然︑モーツァルトの交響楽のテーマが 頭の中で鳴り響くというような体験もある︒パリに住んで︑ 毎日毎日︑ノートルダム寺院を眺めているというような体験 もある︒ところがおれには︑そんな立派な体験は一つもありゃ しない︒いったい︑きみ︑おれがいつ体験を語ったというの かね︒         ︵﹁体験﹂﹃玩物草紙﹄一九七九年︶

 ﹃玩物草紙﹄は︑当時澁澤の心境が変化し︑幼時の回想などを語

り始めたという状況の下に書かれている︑ここでの︿体験﹀の否定

は興味深い︒巌谷國士によれば︑︿体験﹀を綴り始めたことに対す        る轄晦の気味があるということではあるが︑ここには︑あくまでも

﹁体験の裏づけ﹂や﹁立派な体験﹂を否定し︑古今東西の書物から

得た情報を駆使した物語を紡ぐという基本的な態度が示されている︒

こうした姿勢で書かれた澁澤作品に登場する﹁私﹂とは︑一体どの

ような存在なのか︒

1

澁澤作品における﹁私﹂

 澁澤の紡ぎ出す物語の際立った特徴は︑﹁はじめにまず既知なる

ものありき﹂という点にあり︑それは﹁既知なるものの再発見・追

体験﹂としての物語という形をとって現れる︒そして︑その﹁既知

なるもの﹂が澁澤作品を成立させる多くのプレテクストとでも言う

一七

(4)

愛知淑徳大学論集ー文学部・文学研究科篇ー 第二七号

べきものであり︑澁澤作品の多くはこうしたプレテクストの語り直

しから成り立っていると言うこともできる︒とくに︑初期の作品︑

エッセイにおける﹁私﹂は︑まさに﹁既知なるものの再発見・追体

験﹂の担い手とも言うべき存在である︒﹁私﹂は︑プレテクストを

蒐集し︑再構成する役割を担う︒﹁私﹂によって集められた様々な

プレテクストは︑はるか昔の︑遠いどこかの先例であったり︑物象

の原型であったりする︒

 このプレテクストを蒐集し︑再構成する﹁私﹂を︑仮に蒐集家的

﹁私﹂‖造形的語り手と呼ぶことにしよう︒

 澁澤は︑現実の遠近法的発想の中で事物をありのままに描きだし

再現するという近代リアリズム小説の原理からは限りなく離れた場

所に立って作品を書いていた︒その結果︑澁澤の描く人間や事物に

生々しい現実臭を嗅ぎ取ることはできないし︑澁澤作品においては︑

人間のみが特別視され︑特権化されることはあり得ない︒人間は︑

人間以外のものとほとんど同列であり︑そこに根源的・本質的な差

異というものはない︒人間は︑森羅万象の一部として︑他の事物と

同様のものとして︑イメージされ︑描かれるのである︒そして︑他

の事物同様︑蒐集家的﹁私﹂を通じて作品世界のものに変換される

のである︒

 澁澤作品の中では︑日常と非日常︑現実世界と幻想世界とは地続

きに描かれる︒澁澤は︑自身の奔放な空想や幻想を直接的に作品化

するのではなく︑該博なる知識を媒介として︑一種の解説者・代弁

者としての﹁私﹂を通じて幻想世界を作り上げる︒

 この﹁私﹂は︑箱に集めたガラクタのような玩具を次々に取り出

して箱庭的な自分だけの空間を作る子供のようでもある︒

 わたしたちもまた︑子供の頃︑役にも立たぬ壊れた時計の

部分品だとか︑長火鉢の抽斗から盗み出したお祖父さんの眼

鏡の玉だとか︑スポーツマンの従兄弟にもらったメダルだと

か︑練兵場で拾った真鍮の雷管だとか︑色とりどりのビイ玉

だとか︑つやつやした大きなドングリの実だとか︑乾燥した

トカゲの死骸だとか︑万年筆のキャップだとか︑鎖だとか︑

ゼンマイだとか︑鉛の人形だとか︑フィルムの切れっぱしだ

とか︑短かくなったバヴァリアの色鉛筆だとかいったような

ものを︑ひそかに箱のなかに蒐集することにも︑得も言えぬ

快楽を味わった記憶があるであろう︒コクトオの﹃恐るべき

子供たち﹄にもこんな小さなガラクタの数々を蒐集する子供

たちのエピソオドが出てくる︒これらの﹁宝物﹂は︑子供た

ちの想像力にとって︑一つの別世界を開顕する神聖なオブジェ        フェティワシユ の数々なのであり︑これらの呪 物は︑わたしたちの種の記

憶の底によどんでいる物体への汎性欲的な愛着の端的な現わ

れなのである︒そして︑それらの物体の集大成は︑そのまま︑

それ自身で完結する一つのエンサイクロペディックな︑自立

的な宇宙を意味するものになるのである︒

(5)

(「

゚具について﹂﹃夢の宇宙誌﹄一九六四年︶

 引用したエッセイからも窺えるように︑集められたガラクタの数々

を再構築し︑作品世界のものに変換することで一つの別世界を開顕

する役割を担うのが︑蒐集家的﹁私﹂であった︒

 ところが︑この蒐集家的﹁私﹂がある時期から変化し始める︒そ

れは︑﹃胡桃の中の世界﹄︵一九七四年︶から﹃思想の紋章学﹄二

九七七年︶を経て︑﹃唐草物語﹄︵一九八一年︶へ向かう頃のことで

あったという︒この変化は︑澁澤の作風がエッセイから小説・フィ

クションへと移行することによってもたらされたとも言えよう︒澁

澤自身︑次のように述べている︒

 ひたすら原型を求め︑イメージの結晶を求めていた私だっ

たが︑いまや︑それをロマネスクにふくらませることに楽し

みを味わっているというわけだ︒これまであまりにストイッ

クだったものだから︑その反動であろう︑フィクションの世

界で少し放蕩したくなったというわけだ︒これが私の近年に

なって小説を書き出すようになった理由である︒

 ︵河出文庫版﹃胡桃の中の世界﹄︿あとがき﹀一九八四年︶

 ﹁フィクションの世界で少し放蕩したくなった﹂という心境の変

化が何によってもたらされたかが問題なのだが︑その要因の最も大

﹃唐草物語﹄の中の﹁私﹂ ︵小倉 斉︶

きなものとして︑澁澤が︿旅﹀を経験したことが挙げられよう︒そ れまでは︑﹁書斎のダンディズム﹂﹁リヴレスク﹂﹁ブッキッシュ﹂ などと評されたように︑ストイックなまでに書物の世界の中で生き ようとする姿勢を保持していた澁澤が︑ここで︿旅﹀をしたのであ

る︒

 とはいうものの︑澁澤は︑はじめは︑自身の︿旅﹀を﹁それまで 自分が書いてきたものを確認する﹂ためのものであり︑︿旅﹀もま た﹁既知なるもの﹂で作り上げた空間の中での行為に過ぎないとし︑

︿体験﹀とは決して呼んでいない︒        へ    ﹁﹃滞欧日記﹄の真相﹂という夫人澁澤龍子へのインタビューの

中で︑澁澤の︿旅﹀の変化について︑回想がなされている︒それに

よれば︑はじめは自分の書いたものを確認するための︿旅﹀であっ

たが︑次第に︿旅人﹀として自分の︿旅﹀を︿体験﹀するようになっ

た︑ということである︒その結果︑作品世界を︿再発見﹀︿追体験﹀

し︑書物を読み直す手段であった︿旅﹀が︑作品世界の中に読み直

される事物になり︑やがて︿旅﹀そのものが作品世界を構築するも

のにさえなっていくのである︒

 では︑この︿旅﹀を︿体験﹀する︿旅人﹀とは何かというと︑

︿旅﹀を主宰し︑︿旅﹀という︿体験﹀を語ることができる存在で

あると同時に︑︿旅﹀を外から眺める傍観者でもある︒すなわちこ

れが︑作品世界では︑旅人的﹁私﹂11傍観者的語り手として存在す

るのである︒

一九

(6)

   愛知淑徳大学論集ー文学部・文学研究科篇ー 第二七号

 この旅人的﹁私﹂は︑澁澤がいかに﹁体験ぎらい﹂を表明しても︑

作品世界に明らかに現れ︑澁澤の︿旅﹀の形が変化するにつれ︑ま

た︑創作の方法がエッセイから小説・フィクションの方向に向かう

につれ︑傍観者としての自己を強く主張し始める︒

 かつての︑﹁原型を求め﹂︑﹁イメージの結晶を求めていた﹂﹁私﹂

が︑流れる︿旅﹀の時間に溶解していったとでも言おうか︒︿旅﹀

を語る﹁私﹂は︑やがて︿旅﹀そのものとなり︑﹁私﹂という主体

からも解き放たれ︑説話やおとぎ話の語り手を思わせる︑個を超え

た存在になる︒それは︑誰でもなく誰でもある﹁誰か﹂‖説話的語

り手︑とでも言うべきものである︒﹁むかし︑むかし︑あるところ

に︑⁝⁝﹂と述懐する﹁誰か﹂は︑語り手であるとともに︑物語の

傍観者でもある︒澁澤の﹁私﹂は︑ここで姿を変え︑もはや作品世

界に﹁私﹂としては登場しない︒たしかに︑澁澤の後期の作品﹃ね

むり姫﹄︵一九八三年︶や最後の作品﹃高丘親王航海記﹄︵一九八七

年︶などでは︑語り手は﹁私﹂としては存在しない︒

   2  ﹃唐草物語﹄における﹁私﹂

 ﹃唐草物語﹄は一九八一年に刊行され︑澁澤の作品の中では後期

小説の最初に位置づけられている︒この時期の澁澤は︑蒐集家的

﹁私﹂の立場を守るために﹁体験ぎらい﹂を表明してはいたが︑

︿旅﹀の体験は既に始まっており︑旅人的﹁私﹂が頭を撞げ始めて

いた︒そして︑﹃唐草物語﹄以降の作品には︑説話的語り手が現れ        二〇 る︒この変化は︑決して急激に起こったものではなかった︒﹁私﹂ という語り手が︑物語の語り手としてのあり得べき形を求めて︑一

つ一つの物語世界を︿旅﹀しながら︑変化していったのである︒

﹃唐草物語﹄における個々の物語に現れた︿旅﹀の形を順に追って

みることにしよう︒

 巻頭の﹁鳥と少女﹂では︑ウッチェロ︵‖鳥︶という名の画家が︑

セルヴァッジャ︵‖野生児︶という名の少女と出会い︑ともに生活

する次第が物語られている︒

 セルヴァッジャは愛を求め︑肖像を描いてもらいたがるのだが︑

ウッチェロは応じようとしない︒恋する少女の生身の体より︑その

姿から引き出される抽象的な﹁形﹂の方に︑彼の関心は向けられて

いるからである︒

﹁肖像というものを︑わしはもともとあまり好かんな︒人間

の顔は︑人体のなかの一部分︑さらに大きくいって自然のな

かの一部分だ︒わしには︑それを独立させて扱おうという趣

味はないな︒﹂

︵中略︶

﹁つまるところ︑わしの考えでは︑人間の顔には不純な要素

が多すぎるのだよ︒どうせ小さく分けるなら︑唇や目や髪の

毛まで徹底させるにしくはない︒﹂

(7)

 造形を志向するこのウッチェロこそ︑ストイックな構築家として

の蒐集家的﹁私﹂そのものである︒死んだ少女の硬直した身体です

ら︑ウッチェロにとっては︑形を写し取るための材料でしかない︒

 ここで注目すべきは︑そのウッチェロが︑﹁うつけたような顔で

泣いていた﹂ことである︒そして︑﹁いくら世間知らずの画家であっ

たとはいえ︑人間の死ということを彼が知らなかったはずはなかろ

うとも思う︒これは私の意見である﹂と︑ウッチェロに意見を差し

挟む﹁私﹂︑言い換えるならばウッチェロを見ている﹁私﹂がいる︒

その﹁私﹂は︑﹃唐草物語﹄の後半では︿旅﹀という︿体験﹀を語

る存在に姿を変えていくことになるが︑ここでの︿旅﹀は︑まだプ

レテクストの一つとして︑﹁私﹂によって作品世界に語り直されて

いるもののようである︒これは︑蒐集家的﹁私﹂と旅人的﹁私﹂の

混在︑あるいは蒐集家的﹁私﹂から旅人的﹁私﹂への過渡と見るこ

とができる︒

 そのあとの﹁空飛ぶ大納言﹂﹁火山に死す﹂﹁女体消滅﹂﹁三つの

鰯腰﹂では︑プレテクストを作品世界のものに語り直す﹁私﹂︑す

なわち蒐集家的﹁私﹂の面影が色濃く現れる︒ただし︑それらの中

にも︑ふと客観的な意見を差し挟んだり︑疑問を投げ掛けたりする

旅人的・傍観者的﹁私﹂が現れるのである︒

 続く﹁金色堂異聞﹂﹁六道の辻﹂では︑﹁私﹂は︿旅人﹀という明

確な形をもって登場する︒そして︑﹁私﹂自身が︿旅﹀を︿体験﹀

し︑︿旅﹀を語る︒

﹃唐草物語﹄の中の﹁私﹂ ︵小倉 斉︶

 ︿旅人﹀という立場を明らかにした﹁私﹂が︑﹁盤上遊戯﹂以降

﹁避雷針屋﹂までにどうなっていくのか︒一見大きな変化はないよ

うに見えるが︑かつての蒐集家的﹁私﹂の造形へのこだわりから次

第に解き放たれていったことはほぼ間違いない︒その結果︑旅人的

﹁私﹂の傍観する語り手としての主体が生き残り︑さらに語り手は

物語中に溶解し︑﹁私﹂はもはや︑誰でもなく︑しかも誰でもあり

得るような不思議な﹁誰か﹂へと変容する︑そんな変化がここで起

こっているのである︒

 ﹁鳥と少女﹂で澁澤は︑蒐集家的﹁私﹂へのこだわりをウッチェ

ロに託していた︒

 ところが﹁金色堂異聞﹂では︑清衡と名乗る老人が︑﹁もともと

私には︑なにか普遍的なもの︑包括的なものを求めようとする性質

があったのですね﹂とか︑﹁見る自己と見られる自己︑永遠に自己

を見ている自己︑こういう視点をおのれのものにしたかったのです﹂

と語る︒さらに﹁六道の辻﹂では︑目撃者となる景海という人物を

以下のように登場させる︒

 この景海は︑なんなら作者の代理人だといってもいいだろ

う︒さもなければ読者の代理人だと考えてもいい︒つまり私

がいいたいのは︑彼はもっぱら目の機能をはたす人物で︑そ

れ以外の役割は有していないということなのである︒

 いっそ思いきって︑山伏の景海などという︑持ってまわっ

二一

(8)

愛知淑徳大学論集ー文学部・文学研究科篇− 第二七号

た三人称を使うのはやめにして︑景海はすなわち私だという

ことにしてしまったらどうだろうか︒一度出した登場人物を

ひっこめて︑そのかわりに作者が前面にしゃしゃり出てゆく

わけだが︑それだって︑べつに悪い趣向ではあるまい︒以下︑

景海のかわりに私という一人称代名詞を使って話をすすめて

ゆくつもりであるから︑さように御諒承いただきたいと思う︒

私が珍皇寺の庫裡で︑大黒さんの催眠術にかかって夢をみた

とすれば︑その夢の光景が以下に叙述されるのだと考えても

よいだろう︒

 ここには明らかに﹁目の機能をはたす﹂傍観者的立場の﹁私﹂が

登場している︒当然︑この傍観者的﹁私﹂は︑不特定の﹁誰か﹂で

もある︒  最終的に﹃唐草物語﹄は︑=冊の書物は鏡のごときものだ︒猿

がこれをのぞきこめば︑そこに映るのは明らかに使徒の顔ではない﹂

という言葉で閉じられる︒ここに至って︑﹁私﹂というものの主体

が人間であることさえ疑われ始め︑誰でもなく誰でもあり得る﹁誰

か﹂への移行が示唆されているのである︒

 ﹃唐草物語﹄という一冊の書物の中で起こった変化は︑目につく

ほどの大きなものではないかも知れないが︑﹁私﹂が蒐集家的・造

形的語り手の位置から説話的語り手の位置へ︿旅﹀をしたことは確

かである︒最終的に﹁私﹂は︑作者であり︑語り手であり︑読者で

二二

あり︑あるいは誰でもなく誰でもあり得る﹁誰か﹂へと変容したの

である︒  ところで︑蒐集家的﹁私﹂から誰でもなく誰でもある﹁誰か﹂へ

と﹁私﹂が変化していく過程に現れた旅人的﹁私﹂が語る物語︑

﹁金色堂異聞﹂・﹁六道の辻﹂が︑十二編の物語から成る﹃唐草物

 ユ

語﹄の六番目と七番目に位置するのは︑この二つの物語が﹃唐草物

語﹄中の︿旅﹀する﹁私﹂が通過する︿辻﹀として機能しているか

らである︒︿辻﹀とは︑言うまでもなく︑﹁境界であり︑そこを通過

することで別の世界が見えてくる場所﹂である︒

3 旅人的﹁私﹂

 ﹁金色堂異聞﹂・﹁六道の辻﹂は︑紀行文的書き出しで始まり︑明

確に旅人的﹁私﹂が登場する物語である︒この旅人的﹁私﹂につい

て︑能における語り手との比較によって考えてみようと思う︒        ユ  能の形式は︑大別すると︑夢幻能と現在能という二つになるが︑

ここで取り上げるのは︑夢幻能である︒

 夢幻能の基本的な筋立ては以下のようである︒

 ︿旅人﹀が︑何かゆかりのある︑いわくありげな場所を訪れる︒

そこへ里人がやって来て︑︿旅人﹀にその土地に伝えられる昔の物

語を聞かせる︒最後に里人は︑﹁自分は︑実は今の物語の中に出て

きた何の某だ﹂と名乗って失せる︒やがてさきの人物が何の某の姿

︵霊の形︶で現れ︑昔のことを仕方語りに物語ったり︑舞いを舞っ

(9)

て見せたりして︑成仏できない苦しみを訴え︑やがて夜明けととも

に消える︒気がつくと︑これは︿旅人﹀の夢であった︒前後二場か

ら成り︑前場のシテは人間の姿をとる化身で︑後場のシテは本体を

顕わした霊となるものが多い︒

 何の某は名だたる源平の武将であったり︑物語中の有名な美女や

貴公子であったり︑罪業のためにあの世で苦しむ亡者であったり︑

神や仏や鬼︑草木の精であったりと︑多種多様である︒その化身で

ある里人も︑老若男女様々であり︑一様ではない︒話を聞く<旅

人﹀の方は︑人間でないものたちと︿夢﹀という空間で出会い︑成

仏させるという役割を担っていることもあり︑僧や山伏である場合

が多い︒遠来の朝臣や神職であることもあるが︑必ず︿旅人﹀とし

て登場する︒

 夢幻能の構成の中心は︑里人なり何の某なりの物語と舞いとにあ

る︒︿旅人﹀は︑それを引き出すために登場する脇役に過ぎず︑シ

テの演技のきっかけさえ与えられれば実体は不要となり︑舞台の脇

隅に端座して︑シテの演技を見守るだけの立場になる︒能のワキで

ある︿旅人﹀は︑︿旅﹀をし︑︿旅﹀を語る︿語り手﹀であり︑物語

を見守る傍観者として物語中に存在する︒

 ︿旅﹀を主宰し︑物語の傍観者でもあるという二面性は︑﹁金色

堂異聞﹂.﹁六道の辻﹂における旅人的﹁私﹂の姿でもある︒﹁金色

堂異聞﹂︵舞台は奥州平泉︶・﹁六道の辻﹂︵舞台は京都六波羅︶にお

ける旅人的﹁私﹂が夢幻能のワキであるならば︑﹁金色堂異聞﹂の

﹃唐草物語﹄の中の﹁私﹂ ︵小倉 斉︶

老タクシー運転手と﹁六道の辻﹂の大里⁝さんが前シテ︵里人︶︑﹁金 色堂異聞﹂の散位藤原朝臣清衡と﹁六道の辻﹂のマカベが後シテ

︵異形︶ということになり︑二つの物語と夢幻能とはきわめてよく

似た筋立てにより成り立っていると言えよう︒

 ここで︑能の中で︿旅人﹀が果たす役割について今暫く考えるこ

とにしたい︒

 そもそも能とは︑勧進猿楽・勧進田楽から発展した最初の演劇で

ある︒﹁六道の辻﹂に﹁貞和五年六月︑四条河原で田楽興行の桟敷

がくずれ︑瞬時にして五百人の死者を出したという事件﹂という記

述があるが︑この年︵=二四九年︶の二月に初めて能と呼べる内容

を備えた劇が現れたことが﹃貞和五年春日若宮臨時祭記﹄に記され

てる︒以後︑一つの演劇ジャンルとしては希有なほどの命脈を保ち︑

三百番以上の作品を生み出す力を持ち得たのだが︑その理由は夢幻

能の形式を作り上げたことにあると言われている︒そして︑その形

式を支えるものが︑︿旅人﹀の︿夢﹀を媒介にして物語を再構成す

るという方法である︒新たな物語を創造するのではなく︑既に語ら

れた物語をその形式の中に組み替えるのである︒

 したがって︑能の中には︑人々が知らない人物は登場しない︒文

学化されていない人物の場合でも︑説話化された人物であったり︑

民俗伝承の中の人物であったりする︒そうした人物は︑人々の想像

力や記憶の中に確たる場所を占めている︒︿旅人﹀としてのワキが

訪れるいわくありげな場所とは︑人々の想像力・記憶の中に潜む

二三

(10)

愛知淑徳大学論集ー文学部・文学研究科篇ー第二七号

﹁記憶の場所﹂なのである︒

 能そのものが︑既知の物語を︿再話﹀する装置であるとも言えよ

う︒そして︑物語の場を︿旅﹀する︿旅人﹀は︑物語の主人公と出

会い︑夢の空間を作ることで︑主人公に語りの場を提供する︒︿旅

人﹀は語りの場への媒体でもある︒

 能は決してクライマックスでは終わらない︒橋懸りを通って幕の

向こうへ消えていく主人公を見送る︑その空白の時に︑物語も︑物

語について語った主人公も︑物語の傍観者であった︿旅人﹀さえも︑

外から見つめられることになる︒見つめるその目は︑物語の傍観者

である︿旅人﹀のものであり︑︿旅人﹀によって引き出された﹁記

憶の場所﹂としての物語の場を見つめる観客のものでもある︒能で

は︑︿旅人﹀と観客の視点が︑物語の場で一体化する︒だからこそ︑

能の語りは︿旅人﹀によってなされなければならなかった︒       ハじ  ︿旅人﹀は︑小野篁が夢のうちにあの世とこの世とを行き来した

ように︑︿夢﹀という異界と現世とを行き来する︒そして︑二つの

世界をつなぎ︑異界を︑とりわけ異界の者の妄執を現世の者に伝え

る役割を担って舞台に登場する︒︿旅Vによって︑観客の﹁記憶の

場所﹂を引き出す装置︑あるいは語りの媒体として機能し︑舞台の

内と外とを一体化させるというわけだ︒だとすれば︑夢幻能におけ

る︿旅人﹀は﹁境界であり︑そこを通過することで別の世界が見え

てくる場所﹂としての︿辻﹀そのものということにもなろう︒

 ここで︑﹁金色堂異聞﹂・﹁六道の辻﹂の旅人的﹁私﹂について︑ 一つの解釈が可能となる︒ 二四

﹁⁝⁝見る自己と見られる自己︑永遠に自己を見ている自己︑

こういう視点をおのれのものにしたかったのです︒⁝⁝﹂

      ︵﹁金色堂異聞﹂︶

 この景海は︑なんなら作者の代理人だといってもいいだろ

う︒さもなければ読者の代理人だと考えてもいい︒つまり私

がいいたいのは︑彼はもっぱら目の機能をはたす人物で︑そ

れ以外の役割は有していないということなのである︒

 いっそ思いきって︑山伏の景海などという︑持ってまわっ

た三人称を使うのはやめにして︑景海はすなわち私だという

ことにしてしまったらどうだろうか︒    ︵﹁六道の辻﹂︶

 先に︑能では︿旅人﹀と観客の視点が︑物語の場で一体化すると

述べた︒旅人的﹁私﹂が目指したのもそこだったのではないかとい

うことが︑引用部分から窺える︒

 一つの物語を︿旅人﹀である﹁私﹂が導くことで︑﹁私﹂と作者

の視点および﹁私﹂と読者の視点を一体化させ︑さらには物語の空

間と時間を一体化させようと意図されているのではないだろうか︒

ここで︑旅人的﹁私﹂が現れたのは︑さらにその一体化を超えて︑

誰でもなく誰でもある﹁誰か﹂へ向かう道筋における必然なのであっ

(11)

た︒

 注

︵1︶巌谷國士﹃澁澤龍彦考﹄河出書房新社︑一九九〇年二月二〇日︒

︵2︶﹁﹃滞欧日記﹄の真相﹂﹃新文芸読本 澁澤龍彦﹄河出書房新社︑一九

  九三年四月︒

︵3︶﹃唐草物語﹄の十二編の物語は以下のように配列されている︒﹁鳥と少

  女﹂︑﹁空飛ぶ大納言﹂︑﹁火山に死す﹂︑﹁女体消滅﹂︑﹁三つの賜膜﹂︑

  ﹁金色堂異聞﹂︑﹁六道の辻﹂︑﹁盤上遊戯﹂︑﹁闇人あるいは無実のあかし﹂︑

  ﹁展気棲﹂︑﹁遠隔操作﹂︑﹁避雷針屋﹂︒

︵4︶夢幻能に対立する能の形式を現在能という︒生きた現実の芝居で︑一

  つの事件を演劇風に展開させていく︒現在の世界のできごとが︑時間

  の進行の通りに描かれ︑シテは生きている人間である︒人間と人間の

  からまりの面白さや悲しさを︑様式の美しさの中に描くところに特徴

  がある︒このほか︑﹁土蜘﹂のような夢幻能と現在能との中間的なもの

  もある︒

︵5︶﹁六道の辻﹂では珍皇寺の大黒さんが以下のように述べている︒﹁あれ

  が篁伝説の井戸でございます︒あの井戸をくぐり抜けて︑小野篁は心

  のままに︑あの世に通うことができたといわれています︒それと申し

  ますのも︑篁は地獄の閻魔王庁の冥官だったからだそうでございます

  ね︒この世とあの世で︑二つの役割を演じ分けていたのでしょうか︒

  おもしろいのは︑篁はあの世へ行く時には︑この珍皇寺の井戸から出

  かけ︑あの世から帰ってくる時には︑嵯峨の清涼寺の乾の方角にある

  生六道というところから︑もどってきたといいます︒﹂

﹃唐草物語﹄の中の﹁私﹂ ︵小倉 斉︶

二五

参照

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