博士論文
中華人民共和国における弁護権の保障
-被疑者の弁護人依頼権を中心に-
中央大学大学院法学研究科刑事法専攻博士課程後期課程
岡本 梢
【目次】
序章
第一章 中国弁護権へのアプローチ 第一節 中国刑事司法手続の概要 1 公判前段階の手続 2 公判段階の手続 第二節 中国弁護権の歴史
1 はじめに
2 古代(夏の時代から清末まで)
3 清末以降
4 中華人民共和国成立後
第三節 自己負罪拒否特権と弁護人依頼権
1 日本における自己負罪拒否特権,黙秘権
2 中国における黙秘権
3 無罪推定の原則
第二章 弁護人依頼権に関する規定 第一節 憲法上の保障
1 中国憲法125条をめぐる問題
2 アメリカ合衆国における弁護人依頼権の保障
3 日本における弁護人依頼権の保障
4 中国刑事司法手続における訴訟目的,訴訟構造の転換
5 中国における弁護人依頼権の憲法的位置付け
第二節 中国刑事訴訟法上の保障
1 1979年刑事訴訟法及び1996年刑事訴訟法における弁護人依頼権の概要
2 1996年刑事訴訟法の問題点 3 2012年刑訴法改正
第三章 弁護人依頼権の実質的保障 第一節 接見交通権の保障
1 はじめに
2 接見交通権の保障と限界
3 中国における接見交通権の歴史
4 1996年刑訴法下における実務上の問題点
1
5 2012年刑訴法の理論的課題と実務の現状
6 接見交通権が侵害された場合の救済措置
第二節 効果的な弁護を受ける権利
1 はじめに
2 アメリカ合衆国における効果的な弁護を受ける権利
3 日本における効果的な弁護を受ける権利
4 中国における効果的な弁護を受ける権利
第三節 刑事法律援助
1 はじめに
2 刑事法律援助の形態
3 刑事法律援助制度の歴史と発展 4 刑事法律援助の理論的根拠 5 中国刑事法律援助制度の課題
終章
2
序章
中華人民共和国(以下「中国」)は,今やGDP(国民総生産)で日本を抜き,アメリカに 次ぐ世界第2位の経済大国となった1.先進国の仲間入りを果たさんとするその勢いはとど まることを知らず,今後の更なる発展が期待される.他方で,チベット問題2に代表される ような少数部族に対する弾圧が問題となったり,反革命罪で投獄された民主化運動家劉暁 波氏がノーベル平和賞を受賞したり3と,多種多様の人権問題を抱えていることも否定でき ず,文明国家としての成熟度に疑問の声が上がっていることもまた事実である.
一国が文明国家たりえるには,法制度の完成度,とりわけ刑事手続制度の成熟度が求め られ,それは無辜の者が処罰されることのないよう,被疑者・被告人の人権保障に努める 手続きである必要がある.こうした視点から中国の刑事手続を見たとき,疑問の念を抱か ざるを得ず,様々な問題点が挙げられる.厳罰主義のもと,被疑者・被告人には主体性が 認められず,それぞれ単なる捜査及び公判の客体とされ,種々の権利が保障されていない のである.例えば,被告発者には,いかなる段階においても黙秘権が認めておらず,2012 年の刑事訴訟法改正において自己負罪拒否特権と考えられる規定が新設されたものの,依 然として黙秘権には消極的である.また,刑事手続の重要な原則である無罪推定の原則に ついても,中国では徹底されていないのである4.
1 『朝日新聞』2011年1月20日
2 大井功『チベット問題を読み解く』(祥伝社,2008年)
3 『読売新聞』2010年10月8日
4 中国刑事訴訟法は,1996年の改正において,「人民法院の法に基づく判決を受けていない 場合は,何人に対しても有罪であると確定してはならない」と規定し,初めて「無罪推定」
の考え方を導入した. そもそも 1996 年改正前は,無罪推定の原則はブルジョアジーの虚 偽を示すもっとも典型的な制度であり,中国法の基本理念である「实事求是」(「実事求是」: 清朝の学風であり,事実に基づいて物事の真相心理を求め尋ねるという考え)や「坦白从 宽,抗拒从严」(自白すれば軽く処罰し,拒めば厳しく処罰する)等の考え方と対立するも のであるとして批判の対象となっていた.また,中国の伝統的政治理念である「マルクス・
レーニン主義・毛沢東思想」(1979年法第1条「中華人民共和国刑事訴訟法は,マルクス・
レーニン主義,毛沢東思想を指針とし…敵に打撃を与え人民を保護する…」)にそぐわない として排除された.中国は,過酷な反封建闘争,反植民地闘争を経て建国された歴史を有 し,その歴史的教訓から,国民を「人民(味方)」と「敵」とに分類し,人民の敵に対して は容赦なきまでに制裁を加えるという理念を築き上げてきた.そして,人民の財産,身体 の安全,生命を脅かす犯罪分子は「敵」であり,これに制裁を加えることこそが刑事訴訟 法の目的とされた.79 年法下では,被告人と被疑者の区別がなく,両者とも「被告人」や
「犯罪人」と称され,その権利保障は不十分極まりないものであった.特に,文化大革命 時代は,「先定後審」(先に有罪と決定して後にその証拠を収集して審理を行う)による「有 罪推定」の人権蹂躙が横行した.
このような人権軽視が招いた悲惨な歴史に対する反省から,96年法12条が誕生し無罪の 推定が意識されるようになり,「被告人」と「被疑者」が区別して規定されるようになった.
もっとも,旧法に掲げられた「マルクス・レーニン主義,毛沢東思想を指針とする」旨の いわゆる「指導思想」は刑事訴訟法上からは消えたものの,現行憲法前文において「マル クス・レーニン主義と毛沢東思想の導きの下に…」とある以上,以前として「指導思想」
は刑事訴訟法を含む中国法全体に及ぶものであり,79年法と96年法及び現行法の精神的支 柱は何ら変わっていないと見ることもできる.とすれば,犯罪分子は,人民の敵であり容
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弁護権もまた,その保障を蔑ろにされてきた権利の一つであった.刑事訴訟の拡充は弁 護権の拡充の歴史であったと言われる5が,それは刑事弁護システムの進んだアメリカ合衆 国はもちろん,中国,日本においても同様であった.そしてその「拡充」は絶え間なく続 いている.しかし,弁護権及び刑事弁護制度の拡充はそう容易くはない.一般的に被告人 は,無罪の推定を受けるものの,国民からすれば「犯罪者」であり,その保護をする刑事 弁護には抵抗が強く,刑事弁護制度維持のための公費利用には厳しい批判が待っているか らである.中国にあっては,無罪の推定が徹底されておらず,長い間厳罰主義を採り被疑 者・被告人を「打破」してきたのであるから,ますます刑事弁護制度に対する抵抗は強い.
それでも,中国初の刑事訴訟法典である1979年制定の刑事訴訟法から,2度目の改正を経 た2012年制定の刑事訴訟法に至るまで,その改正の中心はいずれも弁護権の強化及び刑事 弁護制度の充実であった.
昨今,そのような中国刑事弁護制度の在り方に,我々日本人も無関心ではいられない事 態が生じている.2014年7月25日,中国・大連で,覚せい剤を日本に密輸しようとした 罪で死刑判決が確定していた50代の日本人男性に死刑が執行されたのである.中国での日 本人の死刑執行は,2010年年4月に同じく覚せい剤事件で4名が執行されて以来,4年ぶ りとなり,1972年の日中国交正常化以来,5人目となった.冒頭述べた通り,中国は1990 年代の市場経済導入以来,凄まじい経済発展を遂げ,国際化を果たした.隣国日本にとっ ても中国は重要な経済パートナーとなった.2002年にはアメリカを抜き,中国が日本の輸 入相手国第一位となり,2009年には輸出相手国としてもアメリカを抜いて第一位となった6. 大企業の多くが,中国工場において低コスト・低賃金で製品を生産し,日本に輸入すると いった生産,貿易システムを構築していった.それに伴い在留邦人の数も増加し,現在14 赦なく打ちのめすべきであるという基本的姿勢に差異はなく,無罪推定の原則を手放しに 受け入れたとは考え難い.
1996年の刑訴法改正後,学者の間でも,96年法12条が近代法に言う「無罪推定の原則」
を意味するものであるかという点について激論が交わされた.同条により,中国において も無罪推定の原則が確立したとする学者もいれば,同条はただ裁判所が統一して罪を確定 するという原則(法院統一定罪原則)を定めたものにすぎないとする学者もいた.後者は,
同条は,従来行われていた起訴免除制度(従来,検察官は,その裁量により,有罪と思わ れる被疑者について,刑罰を科さないことを決定できる権限を有していた)を廃止するに 伴い,捜査機関が有罪を認定することに歯止めをかけ,裁判所こそが有罪を確定する唯一 の機関である旨を確認したものであるとする.前述の96年法下における指導理念からすれ ば,被疑者・被告人の人権保障よりも社会秩序の維持に重点を置いていたものであり,無 罪推定の原則を極めて制限的に解していたとしてもやむを得ないといえる.
2012年改正法は,無罪推定に関する1996年法12条をそのまま受け継いでおり,特段の 進歩はないといえる.96年の改正以来,無罪の推定に関する議論が盛んになり,「無罪の推 定」という概念自体は広く社会に周知されるようになったが,未だ認知されるには至って おらず,全面的に被告人に無罪の推定が及ぶまでは至っていない
なお,最近の無罪推定に関する論文として,林喜芬「中国确立了何种无罪推定原则-基于 2012年刑诉法修订的解读」江苏行政学院学报(2014年).易延友「论无罪推定的涵义与刑 事诉讼法的完善」政法论坛(2012年)等がある.
5 田宮裕「弁護権の実質的な保障‐有効な弁護を受ける権利‐」北大法学論集16(2‐3)
(1965年)287頁.
6 財務省貿易統計参照.
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万人超もの日本人が中国各地で生活するようになった7.先に述べたような中国における日 本人の死刑執行のニュースは,昨今の市民レベルでの日中関係の密接化と相まって,偶発 的なもので終わらない可能性を秘めている.市民レベルにおいても無関心ではいられない 中国刑事司法手続の在り方について,日本政府及び法学界としても無関心ではいられず,
その詳細,とりわけ近年中国が改革に力を注いでいる刑事弁護制度について見識を深めて いく必要があると感じる.
そこで本稿では,1979年刑事訴訟法,1996年刑事訴訟法,2012年刑事訴訟法の変遷を 追った上で,中国刑事弁護制度がどのような課題を抱え,そしてそれをいかに克服してき たか,また,現在どのような課題を抱えているかについて,その核心に迫りたいと思う.
まず,第一章では,中国における弁護権を理解するに当たり,日本では比較的馴染みの 薄い中国刑事手続及び弁護権の基本的事項について紹介する.具体的には,中国刑事司法 手続の概要を見たうえで,弁護権の歴史を古代より紐解き,現代における弁護権の理解へ とつなげたい.さらに,弁護権と同様に被疑者・被告人の重要な権利とされる自己負罪拒 否特権・黙秘権に関する中国の考え方を学び,弁護権及び弁護制度が抱える課題を理解す るための一助としたい.
続いて第二章では,中国における弁護人依頼権に関する憲法及び刑事訴訟法の規定を紹 介し,弁護人依頼権の制度上の位置付けを確認する.憲法上の保障を論ずるに当たっては,
中国が刑事弁護改革の参考とするアメリカ及び日本の在り方と比較した上で,その問題点 を掘り下げてみたい.中国刑事訴訟法を検討するに当たっては,1979年刑事訴訟法,1996 年刑事訴訟法,2012年刑事訴訟法の各規定に触れ,特に当事者主義を導入した 1996年刑 事訴訟法は刑事弁護制度発展の観点から重要といえるため,その問題点について掘り下げ ていきたい.
第二章において弁護人依頼権の条文上の保障を見たうえで,さらに第三章ではその実質 的保障の実現に向けた努力について検討する.条文上いかに周到に弁護人依頼権の保障が 定められていたとしても,現実として弁護人と相談する機会が与えられなければ弁護権保 障は意味をなさない.弁護権の実質的保障のためには,接見交通権の手厚い保障が必要不 可欠なのである.そこで,第三章では,その第一節において接見交通権の保障の在り方に ついて検討をしていく.
そして,弁護人との面会がかなったとしても,弁護人による弁護活動が功を奏さなけれ ば弁護人依頼権の実質的保障は適わないため,弁護活動の内容,質を問う「効果的な弁護 を受ける権利」について,第二節の中で論じる.
さらに,弁護人を付するには費用がかかることから,貧困等の理由により自分で弁護人 を依頼できない者に対して,法的援助を施さなければ大多数の被疑者・被告人が弁護人を 付すことができず,結局は弁護人依頼権を保障した趣旨が全うされないこととなる.そこ で,第三節として,刑事法律援助について論じたい.
7 外務省領事局政策課「海外在留邦人数調査統計〔平成24年度版〕」. - 3 -
以上,第三章のいずれの節においても,その深い理解のため日本法と比較しながら論を 進めていきたい.効果的な弁護を受ける権利については,日本においても未だ実務におい て活発な議論がなされる段階にまでは至っていないため,最も進んだ議論がなされている アメリカ合衆国における同権利の保障の在り方を参考としたい.昨今,職権主義から当事 者主義へとその訴訟構造の転換を図らんとする中国にとって,アメリカ及び日本の刑事弁 護制度はその模範となるべきものであり,したがって,日米の在り方と比較するのは有益 である.
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第一章 中国弁護権へのアプローチ
第一節 中国刑事司法手続の概要8
1 公判前段階の手続
事件が発生すると,公安機関,人民検察院,人民法院9が通報,告訴,告発,自首により 審査を開始し,刑事事件として捜査または裁判を行うかどうかを決定する.審査により捜 査を行うべきと判断した場合には,「立件」し,行う必要なしと判断した場合には「不立件」
となる(法 110 条).立件は,中国刑事手続の出発点となる手続きである.立件されると,
主に公安機関(公務員の横領,賄賂事件等は検察院(法18条))が捜査を行う(法113条). そこでは,被疑者の有罪に関する証拠の他,無罪の証拠,刑罰の軽重に関わる証拠のすべ てが収集の対象となり,取調べが行われる.必要があれば,勾留,逮捕等の強制措置が採 られる10.検察の承認又は裁判所の決定を経れば被疑者を勾留することができ(78条),現 行犯もしくは罪を犯したと足りる十分な嫌疑がある場合には,逮捕される(80条).日本と 異なり,勾留は比較的短時間の身柄拘束をいい,逮捕は長期間の身柄拘束を伴うことがあ る.日本における逮捕前置主義のような制度は採られていない.
警察は,捜査をしたときは,予審を行い,収集し,取り調べた証拠を確認する(114条). 証拠収集手段としては,被疑者取調 116 条~),証人尋問(122 条~),検証及び身体検査
(126 条~),捜索(134 条~),押収(139 条~),鑑定(144条~)が挙げられる.さら に,一節を設けて「技術捜査措置」の条文が設けられており,国家の安全に危害を及ぼす 犯罪,テロ犯罪,黒社会11の性質を持つ組織犯罪,重大な薬物犯罪等の重大事件において,
通信傍受や秘密捜査,おとり捜査,コントロール・デリバリー等が可能とされている(148 条~).
被疑者が逮捕された場合,拘束期間は原則として 2 か月に限られるが,人民検察院の承 認を経て1か月延長することができる(154条).さらに,156条が掲げる重大な事件12に
8 刑事手続きの流れの概要は,木間正道等『現代中国法入門』(有斐閣2009年)277頁以 下を参照.
9 中国における「公安機関」は,日本でいうところの「警察」に,「人民検察院」は「検察 庁」に,「人民法院」は「裁判所」に該当する.
10 中国における「強制措置」とは,日本でいう「強制捜査」に当たり,勾引,立保証,居 住監視,勾留,逮捕を指す.勾引(刑訴法64条)とは,身柄を拘束されていない被告人に 対し,一定の時間内に指定する場所で尋問または取調べを受けるよう強制する措置をいう.
立保証(65条以下)とは,被疑者・被告人に対し,保証人を提供するか保証金を納付する ことを命じて,いつでも出頭できるよう保証する措置をいう.居住監視(72条)とは,被 疑者・被告人が指定区域を離れないように命じ,併せてその活動に対して監視及びコント ロールする措置をいう.
11 いわゆるやくざの世界,暗黒街,マフィアをいう.
12 2か月間延長できる場合は,(1)交通が極めて不便な辺境地区の重大かつ複雑な事件(2)重 大な犯罪集団事件(3)逃亡しながら事件を起こす重大かつ複雑な事件(4)犯罪にかかわる範囲
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関しては,拘束期間を 2 か月延長することができ,それが経過しても,捜査の必要性があ り,被疑者が10年の有期懲役以上の刑罰に処せられる可能性がある場合には,更に2か月 延長することができる(157条).よって,拘束期間は最長7か月ということになる.
捜査の終結に当たっては,捜査機関は弁護人から要請があった場合,その意見を聴取し,
調書に記載しなければならない(159条).その後,捜査が終結した事件については,公安 機関が起訴意見書を作成し,事件記録資料及び証拠とともに,人民検察院に送致する(160 条).この送致以降の手続を「起訴審査段階」と呼ぶ13.
送致を受けた人民検察院は,起訴審査を行い,原則として 1 か月以内に,起訴するかど うか決定をする(169条).被疑者の犯罪事実がすでに明確で,証拠が確実かつ十分である 場合,人民検察院は人民法院に公訴を提起しなければならない(172条).現行刑訴法は,
起訴に当たって,日本の採るような起訴状一本主義は採用しておらず,検察官は起訴状と ともにすべての記録,証拠を裁判所に提出しなければならないとされている.
2 公判段階の手続
公訴提起されると,基層人民法院,中級人民法院,高級人民法院,最高人民法院の 4 つ の各裁判所が,管轄(19 条以下)に従って第一審裁判所を構成する.第一審は公開で行わ れるが,国家の機密又は個人のプライバシーに関わる事件については非公開とされる(183 条).
第一審は,起訴状に犯罪事実が明確に記載されていれば開廷され(181条),検察官及び 被告人が出廷する(184 条).開廷にあたり裁判長が当事者の出廷を確認するとともに事件 名を宣言する(185条).続いて,裁判長が合議体の構成員,書記官,検察官,弁護人,訴 訟代理人,鑑定人及び翻訳人の名簿を読み上げ,当事者に回避請求権及び弁護人依頼権が あることを告知する.
その後,検察官により起訴状が朗読されると,被告人及び被害者に犯罪事実についての 陳述の機会が与えられ,検察官は被告人に対し尋問することができる(186条1項).被害 者及び弁護人も,裁判長の許可を経て被告人に質問をすることができる(186条2項).被 告人質問の後,証人尋問(187条),次いで物証,書証の証拠調べが行われる(190条).証 拠調べが終わると,検察官と弁護人それぞれが証拠及び事件の事情についての意見表明を 行い,相互に弁論を行う(193条2項).裁判長が弁論終結を言い渡した後,被告人には最 終意見陳述の機会が与えられる(193条3項).被告人による意見陳述が終わると休廷し,
合議体の場合,評議を行い判決が下される(195条).公訴提起されると,裁判所は受理後 2か月以内に判決を宣言しなければならず,遅くとも3か月を超えてはならないとされてい
が広く,証拠の収集が困難である重大かつ複雑な事件と規定されている.
13 起訴審査段階前,及び起訴審査段階はいずれも捜査段階といえるが,起訴審査段階とそ れ以前を明確に区別するために,本稿で「捜査段階」という場合,主に起訴審査前の公安 による捜査段階を指すものとする.
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る(202条).重大事件については,一級上の裁判所の許可を経て更に3か月延長すること ができ,特別な事情があり更に延長が必要なときは,最高人民法院の許可を経て延長をす ることができる.
以上のように人民検察院が公訴を提起する事件を「公訴事件」というが,中国にはこの 公訴事件のほかに,被害者等が自ら人民法院に対して直接起訴することのできる「自訴事 件」が存在する(204条).
第二節 中国弁護権の歴史
1 はじめに
つづいて,中国弁護権の歴史について刑事法典や刑事手続の歴史を織り交ぜながら見て いきたい.
中国法は,古代より分断の連続であったと言われる.特に清朝以降は,アヘン戦争敗戦 に伴う外国法文化の導入,共産党による中華人民共和国の建国などにより,極端な法制度 の改廃が行われた.そこで,そのような歴史の変容に従って,以下では①清末以前の古代,
②清末以降,③中華人民共和国成立後と分類し,各時代の在り方について言及する.
2 古代(夏の時代から清末まで)14
ひとえに「古代」といっても,中国最古の王朝と伝えられる夏(紀元前2000年頃から 紀元前1600年頃か)から清朝(1636年から1912年)が滅びるまで,実に約4000年とい う悠久の歴史を有している.その刑事司法の歴史を全て紹介するには,膨大な研究と紙面 が必要となるので,ここではその特徴について,訴訟代理制度,弁護制度との関連を示し ながら紹介することとする.
上述の通り,中国法は分断の連続であったが,法の根底に流れる思想や精神と言ったも のは脈々と受け継がれ,今日に至っている.帝政時代(戦国時代以降清朝までの時代)の 中国の刑律と現代の法典とに「或る種の発想の連続が認められるのではないかと思い当た る点がいくつか見出される」15のも頷けるところである.ゆえに,現代中国法を学ぶ上で,
清朝以前のいわゆる「古代法」を紐解くことは有益である.
中国では紀元前500年頃,遅くとも紀元前300年から400年ころには国家権力を中心 とする体系的な刑事法典が成立していたといわれる.紀元前 536 年に鄭の子産が鉄鼎を鋳 て刻み付けた「鋳刑書」がその始まりとされる.戦国時代になると法家の李悝が「法経」
を編纂し,法典の元祖ともいわれる系統的な刑事法典を作り上げた 16.『周礼』17には,訴
14 古代から清末までの中国刑事法の歴史については,陈光中主编『刑事诉讼法』(北京大学 出版社,2009年)45頁以下,張晋藩『中国法制史(上)(下)』(中央大学出版部,1993年)
を参照.
15 滋賀秀三『中国法制史論集(法典と刑罰)』(創文社,2003年)349頁.
16 『鋳刑書』や『法経』などの存在については,歴史的史料が乏しく,その実在を疑問視 - 7 -
訟代理という現象がすでにあったと思われる記載が残されているが,それは,貴族が辱め を受けないために,手下の者を代理として出廷させるといったものであった.
その後,戦国時代の「法経」に,同じく法家の商鞅が手を加えて「秦律」を完成させた.
このころの法典編纂作業は「法治主義」を唱える法家の思想家によって進められた.法家 は,道徳との絶縁を主張し,法治主義を唱えたが,すでに時は帝政期に突入していたもの であり,ここにいう「法」は君主の統治の道具に過ぎず,法治主義といっても西洋にいう ような「法の支配」を意味するものではなかった.君主の定める法のみが民衆にとって唯 一無二の規範であったのである.秦の始皇帝は,秦律を基盤として帝政の興隆を果たすが,
始皇帝の死後,国が弱体化し,時代を漢に取って代わられるとそれまでの法家思想から一 転,漢の武帝(即位前141年から前87年)は儒教思想の統一を図り,中央集権政策に乗り 出した.その後,清朝滅亡に至るまで古代の法文化はこの儒家思想に強く影響を受けたも のとなった.
もっとも,漢では,秦の実定法がそのまま継承され,儒家思想と法家思想の合作ともい える「九章律」が編纂された.次いで魏,晋,南北朝,隋の各時代に律が成立し,それら を集約し,注釈をつけて唐の「唐律」が完成した.唐律は,帝政期の中国法の代表格と言 われるものであり,明律,清律の基礎となったばかりでなく,日本やベトナム,朝鮮等ア ジア諸国にも多大な影響をもたらした.唐の律令が日本の大宝・養老律令の母法となった ことは周知の史実である18.
ところで,儒教の祖・孔子は,徳治,礼教,人治を重んじ,「和を以て貴しとなす」の格 言通り,訴訟自体を嫌った.法治には重点が置かれず,訴訟代理の制度も抑制され発展す ることはなかった.元の時代(1271年~1368年)には,老弱病者のための訴訟代理制度が 一部で認められるが,貴族特権を維持するためのものであり,現代的な普遍的意義はなか った.
また,明の時代及び清の時代において「訟師」と呼ばれる代理人が存在した.それらの 時代では,例えば告訴内容が真実に合致しないとされた場合,告訴者が処罰されるといっ た規定や審級を誤って訴訟を提起したものが処罰されるといった規定が存在したため,法 律規定を知らず,読み書きもできない一般庶民が訴訟制度を利用するには,律令に精通し た者の助力が必要であった.そこで,読み書きのできる者が訴状やその他の法律文書の代 理作成を生業とするようになった.しかし,訟師の活動は法的根拠もなく,規制する法律 もなかったため,依頼主から金銭を騙し取り,庶民を苦しめる存在となるものもいた.庶 民からは忌み嫌われ,統治階級からはその存在を容認されることはなかった.結局,彼ら
する声もある.仁井田陞『中国法制史』(岩波全書,1963年)62頁.
17 西周王朝の行政組織を記述したものとされ,儀礼,礼記とともに三礼と言われる.伝説 的には周公旦が周代初期に記したものとされるが,前漢末の劉 歆りゅうきんの偽作だとする説もある.
実際には,戦国時代末期に斉国の学者たちが編纂したものと推定される.「大百科事典7」
(平凡社,1985年)268頁参照.
18 「大百科事典10」(平凡社,1985年)721頁参照.
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に法的地位は与えられず,弁護士制度につながらなかったばかりか,清の時代には滅亡し たといわれる19.
3 清末以降
1840年のアヘン戦争敗北により,それまでの古代法は徹底的に打破され,半封建・半植 民地社会へと移行する.イギリスとの間で結ばれた南京条約(1842年)をはじめ,欧米各 国との間で不平等条約が締結され,中国にとっては良くも悪くも国際法や近代西洋法を学 ぶ結果となった.イギリス,アメリカ,フランス等による外国租界(外国人居留地)がま ず上海に設置され,清朝の司法権は奪われ諸外国による領事裁判権が確立された.租界地 域では,公開裁判が行われ,公立の監獄も設置された.領事裁判所はやがて租界内に住む 中国人に関わる民事・刑事事件までも管轄権を有するようになった.それに伴い,租界国 の外国弁護士が中国国内において活動をはじめ,中国人の中には外国人弁護士に助力を求 める者も現れはじめた20.そこで,清朝は,政権維持のため,1902年,近代的法定編纂の ための専門機関たる「修訂法律館」を設立し,その中で中国弁護制度の構想も練られるこ ととなった.中国弁護制度は,人民の権利保障の観点から内発的に生じたものではなく,
諸外国に対抗,対応するため,外発的に萌芽したのである.
1902年からの一連の法制改革は,日本,ドイツ,アメリカ等の法律を参考にしながら進 められ,1906年に『大清刑事,民事訴訟法草案』として公表されることとなった.そこで は,公開審理制度,陪審制度と並んで弁護制度が盛り込まれた.しかし,各省地方長官の 反対を受け,法規化されることはなかった.その理由は,上海等の都市部では,西洋文化 の浸透が図られつつあったが,地方においては,西洋資本主義の法文化を受け入れるほど の道徳的,法的基盤が全くできていなかったためと考えられる.その後,1909年に再度刑 事訴訟法が編纂され,そこでも弁護制度が導入されたが,1911 年の清朝滅亡とともに,つ いに世に出ることはなかった.もっとも,清朝では法律によって弁護制度が導入されるこ とはなかったものの,事実上,租界地区では中国人弁護士も少数ながら存在していたよう である.
1911 年,辛亥革命により 2000 年に及ぶ封建君主専制統治時代が終わり,中華民国が打 ち立てられ,孫文率いる南京臨時政府が成立した.同政府は,アメリカを手本に三権分立 を打ち立て,刑事弁護制度についての準備を整えたが,3 か月余りで政府が解散したため,
未発付となった.もっとも,この時期,蘇杭地区及び上海地区において「中華民国弁護士 総工会」が設立され,中国初の弁護士団体である「上海弁護士公会」が設立された21.
南京臨時政府の退陣後は,軍閥による北洋政府が成立した.そこでは,1912年に「律師 暫行章程」が発付,施行され,中国初の弁護制度が法律によって定められた.同年,中国
19 陈卫东『中国律师学』(中国人民大学出版社,2008年)18頁.
20 费成康『中国租界史』(上海社会科学出版社,1994年)146頁.
21 王申『中国近代律师制度与律师』(上海社会科学出版社,1996年)39頁.
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初の弁護士資格試験も実施され,全国で297 名の有資格弁護士が誕生した22.この時点で は,弁護士は男性に限られた.1922年には,清朝の「刑事訴訟律」をそのまま承継する形 で「刑事訴訟条例」が制定された.そこでは,管轄,訴状の方式,訴訟費用,法定起訴原 則,簡易手続,弁護制度が定められ,判例に先例としての拘束性が認められた.
北洋政府に変わって政権を獲得した南京国民政府(国民党政府)は,1927年,北洋政府 の「律師暫行章程」にかわって,「律師章程」を制定した.1935年には弁護士に関する詳細 な規則を定めた「律師法」を起草し,1941年に施行された.同法は,弁護士登録や職務の 執行に関する規則を定めたもので,特に日本の制度が参考にされた 23.同法により女性も 弁護士となることが可能となった.弁護士団体の組織化も進み,1928年には中華民国律師 協会が成立し,1948年には,中華民国弁護士公会全国連合会が成立した.
このように,アヘン戦争以後,西洋の法文化が導入され,弁護制度が急速に進んだが,
中華民国が築いた弁護制度の基礎は中華人民共和国に承継されることなく,再び分断の歴 史をたどることとなる.弁護制度をはじめとする国民党が作り上げた法制度は,共産党が 政権を取ってかわると,すべて破棄されるのである.なお,国民党政府の築いた法制度は,
台湾に受け継がれ,今も存続,変容を続けている.
4 中華人民共和国成立後24
1949 年10月1日,中国共産党率いる中国人民解放軍が中国国民党率いる中華民国国軍 を破り,中華人民共和国を建国した.中国共産党は,「国民党の六法全書を廃棄し,解放区 の司法原則を確定することに関する指示」により中華民国法を全廃し,ゼロからのスター トを切った.
1950 年に定められた人民法院組織通則及び1954 年憲法では,旧ロシアを参考とした弁 護人依頼権に関する規定が置かれた.それまでの弁護士組織は解散され,新しい弁護制度 の設立を目指した.大都市(北京,上海)には,公設弁護人室が開設され,弁護士は公務 員として職務を行うものとされた.被告人の申請により裁判長やその他の公的機関が弁護 人を指定する指定弁護制度も発足した.新制度のもと,1957年までに約3000 名の弁護士 が全国で誕生した.
しかし,1957年から始まった反右派闘争により,弁護士は資産階級の所産として右派と みなされ,弁護士制度が破壊されることとなる.1957年上半期に弁護士暫行条例が起草さ れたが,制定には及ばず,そこからの約20年,弁護士不在の時代が続くのである.
刑事訴訟法典そのものについても,中華民国時代にその草案が出来上がっていたものの,
共産党がこれを破棄したため,その制定が遅れ,建国以来,1979年に刑事訴訟法が制定さ
22 流水长『中国律师史话』(改革出版社,1996年)28頁.
23 张志铭『法理思考的印迹』(法律出版社,2003年)16頁.
24 現代中国刑事法については,西村幸次郎編『現代中国法講義』(法律文化社,2008年),
小口彦太等『現代中国法』(成文堂,2004年)等を参照.
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れるまで,刑事訴訟法典が存在しないという状態が続いた.その間,逮捕拘留条例,人民 法院組織法及び人民検察院組織法や司法省,最高人民法院などが公布する指針等が刑事訴 訟法の役割を果たしていた.もっとも,これらは共産党指導のもとで刑事手続きが行われ ることを容認するものであり,政治的色彩の濃いものであった.特に文化大革命時代には,
それまで行われてきた刑事手続はほぼ機能を失い,共産党と結びつきを強くする公安機関 による独自の刑事手続きが取られ,多数の冤罪事件が起こった.
毛沢東が死去し,文化大革命に幕が引かれると,国際社会における中国の後退,孤立が 際立つ結果となり,中国は,過去の反省とこれからの発展に向けた法整備の必要性に直面 することとなった.そうして,1979年7月7日,遂に中華人民共和国初の刑事訴訟法が公布 され,1980年1月1日に施行される運びとなり,弁護制度も復活を遂げた.1980年には,中 華人民共和国律師暫行条例が施行され,弁護士の性質と任務,権利義務,弁護士資格,弁 護士組織,弁護士協会などが定められた.ここでは,弁護士は国家の法律業務遂行者であ り,弁護士が職務を行う機構である法律顧問処の運営は国家事業とされた.したがって,
弁護士は国家司法行政機関の指導,監督を受け,自ら弁護士事務所を選択することや,開 業することは許されなかった.1981年までの間に,1456もの法律顧問処が設立され,5500 名超の弁護士が誕生した.1986年7月には,第一回全国弁護士大会が開催され,全国弁護士 協会がスタートした.その翌月には,司法部が新制度第一回の全国弁護士資格試験を実施 した.このように,新しい弁護制度は,国家の後ろ盾のもと実施され,弁護士の独立性は 認められなかったが,文革から立ち直ったばかりの中国社会には,民間の機関によって弁 護士制度を支えるだけの財政的基盤も精神的支柱も存在しておらず,やむを得ない措置で あったと評価されている25.
建国以来 30年に渡って刑事訴訟法典が存在しなかった中国にとって,1979 年刑事訴訟 法(以下「79年法」)の誕生はもちろん画期的なことであったが,文化大革命後の中国は依 然として政治優位の社会であり,個人の権利よりも国家集団の利益が優位に立つものとさ れ,近代市民法的な刑事手続制度を十分に導入することはできなかった.
79年法については,制定当初よりその不備や問題点が指摘され,1990年代初頭より全人 代常務委員会による検討がなされ,1996 年に全面改正される運びとなり,1997 年1 月よ り施行されることとなった(1996年刑事訴訟法,以下「96年法」).96年法は,79年法と 比べ,被疑者・被告人の人権保障を考慮するものであり,国際的な基準に一歩近づいたも のとなったが,被疑者・被告人に黙秘権を認めない点や,無罪推定の原則が徹底されてい ない点,弁護制度の不備が見られる点等が問題視された.
刑事訴訟法の改正とともに,弁護士法が採択され,1997年1月1日付で施行された.そ こでは,従来の弁護士総公務員制が見直され,弁護士事務所として,国家出資弁護士事務 所と民間の合作(組合)弁護士事務所,パートナーシップ弁護士事務所の三形態がとられ
25 李薇「中国弁護制度の過去,現在と将来」一橋大学総合法政策実務提携センター報告書
(2007年).
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ることとなった.弁護士は,各事務所を選択する自由があり,地域制限もなしとされた.
経済的基盤のない農村部での必要性から,国家出資の弁護士事務所がなお重視されている ものの,従来に比べて弁護士業の自由化が図られる結果となった.
そして,2012年,第2回目の刑事訴訟法改正が行われた(2012年法).中国は1998年 に国際人権B規約に署名し,国内法を国際基準に近付ける意思表示をするとともに,2004 年の憲法改正の際には,人権保障条項を設けた.そのような流れを受け,人権の尊重を重 視し,国際基準に沿うかたちの刑事訴訟法を目指してきた.学者や弁護士による研究が進 む一方で,2011 年 8 月には,全人代ホームページにて刑事訴訟法改正草案が公表され,8 万件もの民意が集められた.そして2012年3月,第11期全国人民代表大会第5回全体会 議において中国刑事訴訟法改正案が採択され,2013年1月1日に施行される運びとなった.
改正は,111 項目にわたり,自己負罪拒否特権(50 条),取調べの可視化(121 条),違法 収集証拠排除法則(54条)などが明文化され,弁護制度も強化された.
第三節 自己負罪拒否特権と弁護人依頼権
1 日本における自己負罪拒否特権,黙秘権
有史以来,洋の東西を問わず拷問による自白の強要とそれによる冤罪の発生により,多 くの市民が国家権力によって権利を踏みにじられてきた.その反省から,近代法は被疑者・
被告人に対し自己負罪拒否特権ないし黙秘権を認め,自白の強要を禁止し,権利保障の実 現に向けた努力を行ってきた.
日本国憲法は38条1項において「何人も,自己に不利益な供述を強要されない」と規定 し自己負罪拒否特権を保障している.憲法38 条1項は,黙秘権の保障も含むものであり,
自己負罪拒否特権は被疑者・被告人との関係において「黙秘権」と呼ばれる 26.そして,
この自己負罪拒否特権が,日本が弾劾主義を採用する所以とされる.すなわち,訴追活動 は,弾劾主義によって規律され,告発がなければ公判審理は行われず(不告不理の原則),
起訴事実を法律上,証拠上支える義務は訴追者にある(告発者訴追の原則)とされる.被 告発者は,訴追に協力する一切の義務を負わないのであって,当然に自己に不利益な供述 を法律上義務付けられることもないのである.
このような弾劾主義の規律を受けるのは訴追段階であって,捜査段階においてはその規 律を受けない.もっとも,捜査段階にこそ権利侵害の恐れが潜んでいるのであり,告発前 の供述に基づいて訴追が行われる以上,告発前にも上記特権を認めなければ特権の意義が 損なわれる.そこで,被疑者に対しても憲法上自己負罪拒否特権が認められていると解さ
26 渥美東洋『全訂刑事訴訟法〔第2版〕』(有斐閣,2009年)81頁,田宮裕『刑事訴訟法
〔新版〕』(有斐閣,2004年)334頁,福井厚『刑事訴訟法〔第6版〕』(有斐閣,2009年)
162頁.
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れる27.これを受けて,法198条2項は「被疑者に対し,あらかじめ,自己の意思に反し て供述をする必要がない旨を告げなければならない」と規定している.
以上のように,被告発者は,刑事手続におけるいずれの段階においても黙秘権を有する ものの,自身が正当に享有する権利についての知識を欠く場合がほとんどで,法の専門家 によるアドバイスがなければ,有効な権利行使が不可能となる.このような見地から,弁 護人依頼権の必要性は高まるといえる.黙秘権と弁護人依頼権は密接に関係しているので ある.中国において,黙秘権及び自己負罪拒否特権は,法文上も実務上も権利として確立 しておらず,そのような基本的姿勢が弁護人依頼権の強化,刑事弁護制度の充実を妨げる 要因のひとつとなっているのではないかと考えられる.中国における弁護人依頼権及び刑 事弁護制度を論じるにあたり,まずは黙秘権に対する中国の在り方を見ていく必要がある.
そこで,以下では,中国における黙秘権の在り方を確認した上で,それが弁護人依頼権及 び弁護制度に及ぼす影響について考えてみたい.
2 中国における黙秘権
(1)黙秘権の不在
中国憲法では,自己負罪拒否特権もしくは黙秘権及びそれに類似するいかなる権利も認 められていない.中国は,何千年にもわたる封建社会にあって,糾問主義の訴訟制度が採 用されてきたのであり,弾劾主義の所以となる自己負罪拒否特権は認識されずに来た.
刑事訴訟法においても,2012年の改正前までは,自己負罪拒否特権を認めていなかった.
それどころか,79年法64条,96年法93条において,被疑者には「如实陈述」義務,すな わち,捜査官の質問に対してありのままに答える義務が課されてきたのである.被疑者に は供述義務が課されていると解される.このような事実が国際社会の認識に反するもので あるとの考えは,中国が国際人権規約の自由権規約(市民的及び政治的権利に関する国際 規約)に署名をした 1990 年代後半になってようやくされ始めるようになった.すなわち,
同規約は第14条3項(g)において「自己に不利益な供述又は有罪の自白を強要されない」
としているところ,国連常任理事国たる中国が同様の規定を置いていないのは由々しき事 態であると,一部の中国人法学者や人権派たちが主張し始めたのである28.
そのような流れを酌み,2012年改正の改正において,「何人に対しても自己が有罪である ことの証明を強制してはならない」(50条)として,自己負罪拒否特権と考えられる規定が 増設された.同じくして規定された訴追側の挙証責任(50 条)の規定と合わせて,弾劾主 義を採用することの明確な意思表示と捉えることができる.
しかしやはり,改正法においても弾劾主義を徹底し自己負罪拒否特権及び黙秘権を保障
27 渥美・前掲書199頁以下.
28 汪健成「沉默权配套机制研究」宗英辉编『京师刑事诉讼法论从第一卷』(北京师范大学出 版集团,2010年)123頁.なお,中国では,黙秘権を「沈黙権」と呼ぶ.
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したと言い切ることは,困難である.50 条の規定をめぐっては,黙秘権を認めたものであ るかにつき争いがあり,捜査機関及び学者の大半は否定的な立場を採っているのである.
黙秘権を認める立場は未だに少数説にとどまる.黙秘権に否定的な立場は,50 条は,自己 負罪拒否特権及び黙秘権を認めたものではなく,強迫等の違法な方法を用いて自己の罪の 証明を強制することを禁止したにすぎないとする.
50条に関連して,「如实陈述」義務,ありのままに答える義務が改正されずに存続したこ とについての問題点も指摘されている.すなわち,50 条で「何人に対しても自己が有罪で あることの証明を強制してはならない」と規定しながら,自白強要の実質的根拠となって いる「ありのままに答える義務」を存続させたことについて,両条文の整合性をどうとら えるかについて問題が生じているのである 29.これについて,黙秘権に否定的な考えの論 者は,118条の「ありのままに答える義務」は,捜査員が合法に取調べを行う限り被疑者は ありのままに答えることが求められるとするものであり,違法な取調べを禁止する50条と は矛盾しないと説明する.他方,黙秘権肯定論者は,ありのままに答える義務は,被訴追 者から供述に関する選択権を奪うものであるから50条の趣旨に沿わないと主張する.この 点に関し,全人代法制工作委員会の副主任が2012年3月8日に回答したところによると,
「被訴追者は,供述するかしないかを自由に選択することが出き,もし供述することを選 択した場合には,ありのままに答えなければならない」との解釈が採られている.この考 えによれば,供述するか否かを自ら選ぶことができるのであるから,立法者の意思として,
50条は黙秘権,供述の自由を保障したものと解すのが自然である.しかし,このような全 人代の解釈があるにも関わらず,依然として実務及び多数の学者からの黙秘権への反発は 強いのである.
(2)黙秘権否定の根拠
ここで,なぜ,中国では自己負罪拒否特権ないし黙秘権がこうも歓迎されないのかにつ いて考えてみたい.
端的に言えば,中国が糾問主義の訴訟構造から抜け出しておらず,その影響が訴追段階 及び捜査段階に及んでいるからである.その捜査段階における具体的な表れは,捜査活動 の伝統的な手法及び理念の中に見出すことができる.すなわち,中国実務においては,「捜 査中心主義」及び「自白中心主義」が伝統的な手法となっており,それらが黙秘権制定へ の障碍となっているのである.そしてそれらを支える概念として,中国成立以来,「坦白从 宽,抗拒从严」(自白すれば軽く処罰し,拒めば厳しく処罰する)や「重实体,轻程序」(実 体を重んじ,手続きを軽んじる)といった概念が奥深く根付いているのである.
① 捜査中心主義
中国の捜査中心主義は,「流水作业式」(流水作業式)とも表現される.公安機関,検察
29 李畔「我国‘不得强迫自证其罪原则’若干问题研究」山西警官高等专科学校学报(2014 年)7頁.
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官及び裁判所が,互いに抑制するのではなく,協力することにより,犯罪の懲罰に向けて 任務を遂行する形式であり,それはあたかも流れ作業の体を擁しているというのがその所 以である.裁判所の判決は,その権威に基づいて独立になされるものではなく,捜査機関 が認定した犯罪を確認する作業といっても過言ではない.公安機関は,伝統的に共産党と 結びつきを強くするため,その権限は強大であり,裁判所は捜査機関たる公安の判断を優 先することを余儀なくされる.1996年の刑訴法改正により,裁判所は独立して裁判権を行 使し他の機関からの干渉を受けない旨規定されたが,実際独立は守られておらず,行政に 比べると権威も低い.
そしてそのような「流れ作業」の中で最も重視されるのは,「客観的真実」である.中国 では,伝統的に「重実体,軽程序」,すなわち実体を重視し,手続きを軽視する傾向にある.
事実の真相を明らかにすることこそ,捜査目標であり,客観的真実の発見こそが証明の対 象なのである.2012年刑訴法改正直前の実務においても,依然として,客観的真実の発見 こそが捜査の目的であり,実体に沿った事件処理のためであれば,捜査手続きに若干の違 法があっても大して問題とはならないと考えられていた30.
② 自白中心主義と「坦白从宽,抗拒从严」
捜査中心主義にあって,捜査機関に強大な権力が認められていれば,自白中心主義へと 結びつくことは容易に想像がつく.自白は証拠の王であり,被疑者は証拠の源であるとの 認識のもと,捜査機関は被疑者の自供獲得に躍起になるのである.自白の強要は免れえな い.
自白中心主義の精神的支柱となっているのが,中国刑事訴訟における伝統的な標語とも いえる「坦白从宽,抗拒从严」(自白すれば軽く処罰し,拒めば厳しく処罰する)の概念で ある.この概念は,中国成立直後の1955年に初代公安相羅瑞卿が発表した取り調べの基本 方針にそのルーツを見出すことができる.羅は,「自白すれば死刑は死を免じ,重刑は軽減 もされる.手柄につながれば罪と相殺し,手柄が大きければ恩賞にもあずかれる.だが,
自白に応じなければ法律によって厳罰に処すだけだ.今日,反革命分子には 2 つの道があ る.抵抗すれば恥辱にまみれた死への道,自白すれば明るい生への道である.」と演説した のである31.以来,かかる標語は取り調べ室の壁に掲げられることとなった.供述を拒めば 公安への抵抗とみなされる.そしてそれは,公安のメンツを潰す行為であり,ひいては共 産党のメンツを潰す行為とみなされるのである.「メンツ」を重んじる中国社会にあって,
共産党のメンツを潰す行為は,国家への反逆であり,それは死を意味する.その中にあっ て,どうして被疑者が黙秘をできようか.
その後,人権意識の高まりに応じて,1999 年,武漢警察が率先して上記標語を壁から取 り外すなど変化が見られるが,未だ学説上及び実務界においてはその精神が深く根付いて
30 汪・前掲論文118頁.
31 山本秀也『本当の中国を知っていますか?』(草思社,2004年)190頁.
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おり,黙秘権否定の根拠となっている32.他方,黙秘権を肯定する学者の中では,「坦白从 宽」はまだしも,「抗拒从严」は「抗拒不从严(拒めども厳しく処罰せず)と改めるべきと する考えが主流のようである33.
(3)黙秘権の今後
捜査中心主義及び自白中心主義の捜査構造にあって,黙秘権の入り込む余地はなく,2012 年改正後の現在も依然として否定的な立場が大半を占める.実務における黙秘権への抵抗 は,より如実に現れている.例えば,2000年に捜査員に対して行われた調査によると,「も し我が国に黙秘権制度が確立した場合,捜査機関の不利な影響を及ぼすと思いますか」と の問いに対して,235人中 5人が「知らない」と答え,12 人が「影響はない」と答えた.
そして218人が「不利な影響がある」と答えたのである34.
しかし,2012 年の改正において自己負罪拒否特権を設け,弾劾主義への完全な転換を目 指す中国にあって,黙秘権が重要な権利であることは否定できなくなってきている.以下 では,黙秘権保障が実現された場合に備えて,同時に改善すべき中国刑事司法手続の問題 点を簡潔に挙げてみたい.
第一に,弁護人依頼権の強化及び刑事弁護制度の拡充である.前述の通り,黙秘権は,
弁護人依頼権と密接に関連する.黙秘権を認めるのであれば,弁護人の存在は必要不可欠 となるのである.通常,法的知識を持たない一般市民は黙秘権の存在すら知らない場合が 多く,多くは弁護人によって権利の存在を伝えられる場合が多い.弁護制度が充実し,被 疑者への接見が滞りなく行われなければ,被疑者は黙秘権及びその他の諸権利について知 るすべを持たず,およそ行使することなど不可能となるのである.被疑者・被告人の防御 権も,法的専門家たる弁護人の助言・助力なしには有効に行使しえない.次章から具体的 に検討するが,現在中国では弁護制度の改革が進んでいる.近い将来黙秘権が認められる ようになった場合,現在の弁護制度改革は黙秘権の実質的保障に寄与するものでるといえ る.
第二に,裁判所の独立性及び権威を確保する必要性が挙げられる.刑事訴訟法上,裁判 所の独立は規定されているものの(5 条),現実的には捜査機関及び全人代つまりは共産党 からの独立が保障されておらず,時には世論からの干渉を受けて裁判が左右されることさ えある.そもそも,中国において三権分立は採られておらず,人民法院は全人代に対して 責任を負い,かつその活動を報告するようになっている(人民法院組織法 17 条).また,
1996年以降の当事者主義の導入により,後述する通り検察官が「行き過ぎた当事者」と化 し,裁判官の権威はさらに一歩退く形となった.
このような現状にあって,例え権利そのものを明文上規定したとしても,裁判所がそれ
32 崔敏「关于‘沉默权’问题的理性思考」公安大学学报(2001年).
33 汪・前掲論文142頁以下.
34 孙长永『沉默权制度研究』(法律出版社,2001年)307頁.
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を守る最後の砦たる役割を果たしていないのであるから,最終的な権利保護は危うくなる といえる.この点に関連した具体例を紹介すると,中国では刑事訴訟法上自白強要を禁じ
(50 条前段),刑法上も自白強要罪の規定を置いているが(247条),実際に第三者機関に 救済を求める手続きが規定されておらず,裁判所の権威も低いため,公判中に裁判所に救 済の申し立てをしたとしても,受理を拒否されるか,単に聞き流されるだけだというので ある35.将来黙秘権が明文上規定されても,このような事態は不可避であると予想される.
したがって,裁判所の独立性及び権威の強化が必要となるものと考えられる.
第三に,身柄拘束の長期化を避ける運用が望まれる.中国において逮捕・勾留された 場合,被疑者は原則2か月間,最長で 7か月間もの長期にわたり拘束される.さらに,勾 留場所は,公安機関の施設であり,保釈されるケースは極めて少ない(120).そのような 中にあって,被疑者の受ける精神的肉体的プレッシャーは甚大であり,黙秘を保ち続ける ことは困難となろう.したがって,そのような身柄拘束の長期化を避け,被疑者の精神的 肉体的負担を最小限にすることにより,黙秘権の実質的保障を図る必要がある.
第四に,黙秘権の告知規定についても同時に検討されることが必要となる.日本にお いては,被疑者と取り調べるにあたり,自己の意思に反して供述する必要がない旨告知し なければならないとされる(198条2項).これにより,被疑者は黙秘権の存在を知りえる のであり,重要な制度であるといえる.黙秘権が否定され続けており,権利の内容等が一 般市民に全く浸透していない中国において,今後黙秘権が認められるようなことがあれば,
告知制度は黙秘権そのものの保障と並ぶほど重要であると考えられる.黙秘権を認めない 現在の中国では,黙秘権の告知どころか供述義務の告知が欠かさずになされているのが現 実である36.
35 汪・前掲論文120頁.
36 山本・前掲書192頁.
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第二章 弁護人依頼権に関する規定
第一節 憲法上の保障
1 中国憲法125条をめぐる問題
弁護人依頼権が被疑者・被告人にとって重要な権利であることは各国共通の認識である が,憲法上どのように保障するかについては,各国の対応は様々である.アメリカ合衆国 は,合衆国憲法第 6 修正において「被告人は,…自己の防御のために弁護人の援助を受け る権利を有する」と規定し,憲法上弁護人依頼権を保障している.そして,後述の通り,
判例理論により公判前段階における弁護人依頼権も保障するに至っている.日本は,憲法 37条3項において「刑事被告人は,いかなる場合にも,資格を有する弁護人を依頼するこ とができる.」として被告人の弁護人依頼権を保障し,34条において「何人も,理由を直ち に告げられ,且つ,直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ,抑留又は拘禁され ない.」として,身体を拘束された被疑者・被告人の弁護人依頼権を保障している.
中国憲法においても,弁護権に関する規定は存在する.憲法 125 条の「被告人は,弁護 を受ける権利を有する.」との規定である.昨今,中国では同条項の解釈をめぐり論争が繰 り広げられている.争点となっているのは,第一に同条項はそもそも権利保障規定である かという点である.すなわち,同条後段は「司法原則」を示したにすぎず,被告人に対し 権利を保障したものではないという考えが少なくないのである.第二に,同条の定める「弁 護」とは,弁護士たる弁護人による弁護を意味するのかという点が挙げられる.そして第 三に,弁護権が認められるのは公判段階の被告人に限られ,捜査段階の被疑者には認めら れないのかという点が問題となっているのである.
なぜこのような論争が展開されることとなったか.それは,1996年及び 2012 年の刑事 訴訟法改正により,当事者主義訴訟構造が導入され,中国国内において刑事弁護制度の重 要性が認識されるようになったことによる.刑事訴訟法は,当事者主義を意識した刑事弁 護制度を整備・拡大する一方で,弁護権の根拠となる憲法 125 条は,超職権主義ともいえ る従来の制度を支えていた条項から形を変えていない.憲法は,超職権主義当時のまま変 わらず,他方で「憲法に基づいて」(刑事訴訟法1条)制定された刑事訴訟法は,当事者主 義への転換に向けて加速度を増しているのである.そのため憲法と刑事訴訟法の間に温度 差が生じ,憲法には「欠陥がある」と評価されたり 37,現代の刑事訴訟法に沿うように解 釈されたり38しているのである.
この憲法 125 条をめぐる論争を考えるにあたり,中国が当事者主義導入に当たって参考
37 周伟「宪法依据的缺失:侦查阶段辩护权缺位的思考」政治与法律(2003年)90頁.
38 尹晓红「获得辩护权是被追诉人的基本权利-对≪宪法≫第125条‘获得辩护’规定的法
解释」法学(2012年)63頁.
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