エレクトロスプレー蒸着した巨大分子の単一分子計測
Single-molecular measurements of large organic- and bio- molecules deposited by an electrospray method
横山 崇
(横浜市立大学大学院生命ナノシステム科学研究科 教授)
1.はじめに
巨大な有機分子や生体分子などのような構造に自由度がある分子において、その構造 は機能に直結するため、微細構造を単一分子レベルで明らかにすることは重要である。
一般に、そのような構造の詳細は核磁気共鳴(NMR)や
X線回折によって調べられて いるが[1]、得られる構造は平均的なもので、個々の分子の違いまでを明らかにすること はできない。一方、走査型トンネル顕微鏡(Scanning Tunneling Microscopy: STM)は、
原子レベルに尖った金属探針を、試料との間に流れるトンネル電流を一定にして精密に 走査することで、固体表面上に吸着した単一分子を高分解能で観察できる測定法であり、
この測定法を用いることで、個々の分子の多様な構造を明らかにすることが可能となる
[2]。しかしながら、STM
で高分解能観察するためには低温および真空環境での測定が好
ましい。そのため、分子を固体表面に真空中で蒸着する必要がある。固体表面上への分 子の真空蒸着法として、加熱による昇華を利用した手法が一般的であるが、蒸気圧が低 く熱的に不安定な巨大分子や生体分子には適さない。したがって、加熱を伴わずに真空 中に分子を導入し、固体表面上に蒸着する手段が必要となる。いくつかの手法の中で、
質量分析で広く用いられているエレクトロスプレーイオン化(ESI)法は、分子を溶かし た溶液を微細な液滴イオンとして真空中に導入することができる[3]。
本研究では、この
ESI法を長鎖オリゴチオフェンや
DNAを真空蒸着するために利用し、
STM
によるそれらの単一分子観察を目指した。
2.実験方法
図
1は、ESI 法による微細な液滴イオンの生成過程を示した図である。目的分子を溶 かした溶液を、エミッターにシリンジポンプを用いて流し込み、真空への導入部となる キャピラリーとの間に数
kVの高電圧を印加する。それにより、帯電した溶液が高電界 によって円錐状のテイラーコーンを形成し、その先端から荷電液滴が放出される。放出
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図1 ESI 法において微細液滴イオンが生成する模式図
された荷電液滴は、溶媒の蒸発によって表面積が減少し、表面電場の増加の結果として クーロン分裂することで微細化する。このクーロン分裂を繰り返すことで、プルームと 呼ばれるスプレー状に広がった超微細液滴イオンとなり、その一部をキャピラリーから 真空中に導入する。
本研究では、内径が
50μmのエミッターおよび
500μmのキャピラリーを使用した。
キャピラリーから真空中へ導入された超微細液滴イオンは、差動排気チャンバーを通し て段階的に高真空へと導かれる。図
2のように、本研究で用いた差動排気チャンバーは、
内径
1mm以下のスキマーまたはオリフィスを介して
4つの部屋に仕切られており、最
図2 エレクトロスプレー蒸着装置の概略図。
エミッター
キャピラリー プルーム
テイラーコーン
RP RP TMP TMP
基板
オリフィス スキマー
シリンジ
図1 ESI 法において微細液滴イオンが生成する模式図
された荷電液滴は、溶媒の蒸発によって表面積が減少し、表面電場の増加の結果として クーロン分裂することで微細化する。このクーロン分裂を繰り返すことで、プルームと 呼ばれるスプレー状に広がった超微細液滴イオンとなり、その一部をキャピラリーから 真空中に導入する。
本研究では、内径が
50μmのエミッターおよび
500μmのキャピラリーを使用した。
キャピラリーから真空中へ導入された超微細液滴イオンは、差動排気チャンバーを通し て段階的に高真空へと導かれる。図
2のように、本研究で用いた差動排気チャンバーは、
内径
1mm以下のスキマーまたはオリフィスを介して
4つの部屋に仕切られており、最
図2 エレクトロスプレー蒸着装置の概略図。
エミッター
キャピラリー プルーム
テイラーコーン
RP RP TMP TMP
基板
オリフィス スキマー
シリンジ
初の
2部屋はロータリーポンプ(RP)、次の
2部屋はターボ分子ポンプ(TMP)を用い て真空排気している。これら4つの部屋を通過することで、大気圧から段階的に高真空 領域へ進み、最終的に基板が配置している蒸着チャンバーへと繋がる。大気圧からの導 入にも関わらず、この蒸着チャンバーの圧力は、蒸着中でも
10-5Pa程度を保つことがで きた。さらに、超微細液滴イオンは、徐々に溶媒を除去しながら差動排気チャンバーを 通過するため、多くが溶媒の付加しない単一分子イオンになると期待できる。
本研究では、分子を蒸着するための基板として、不活性な
Au(111)単結晶表面を用いた。アルゴンガスイオン(Ar
+)を用いたスパッタリングおよび超高真空下でのアニール 処理を繰り返すことで表面の清浄化を行い、その清浄表面上に上述したエレクトロスプ レー蒸着法によって目的分子を蒸着した。溶媒による汚染を最小限に抑えるために
1回 の蒸着時間は
5分とし、蒸着後に
1時間程度、蒸着なしで超高真空状態を保持すること で、想定外に表面吸着した溶媒を昇華させた。この作業を複数回繰り返し行うことで、
希望量の分子蒸着を行った。そして、このような分子蒸着後、77K に冷却した
STM観 察ステージに試料を移動し、吸着分子の単一分子計測を行った。
3.実験結果
図
3は、本研究で用いた長鎖オリゴチオフェン(nT-Si-Dod)である。6個のチオフェン 環に2個の嵩高いシリル基、側鎖として4つのドデシル基が付加した部分が1組となっ ており、これを複数繋げて合成することで分子鎖長を制御したオリゴチオフェン分子が 得られる。様々な鎖長のオリゴチオフェンについて調べているが、ここでは、4組繋がっ た分子が
24T-Si-Dodの結果について報告する[4]。この
24T-Si-Dodを
THFとメタノール の混合溶媒に溶かし、
Au(111)表面上にエレクトロスプレー蒸着した。これを77Kで
STM観察した結果が図
4(a)である。この
STM像では、
Au(111)表面のステップ端やテラス上でひも状の輝点が多く見られ、その長さが約
10nmとなっている。これは
24T-Si-Dodの チオフェン鎖長にほぼ一致することから、ひも状の各輝点が単一分子に相当すると考え られる。また、
Au(111)表面上には24T-Si-Dodによるものと考えられる輝点以外はほとん ど見られないため、溶液からの蒸着にも関わらず、溶媒による汚染は防げており、目的 分子のみが分解せずに蒸着できていると考えられる。
さらに図
4(b)のように、各分子を詳しく見ると、白丸で示したような8個の輝点が繋がってひも状を形成しており、シリル基に対応すると考えられる。また、矢印で示し たように側鎖であるドデシル鎖が伸びている様子もわかる。各分子は、様々に折れ曲がっ
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図3 本研究で用いた長鎖オリゴチオフェン分子(nT-Si-Dod)。チオフェン鎖には、嵩高いシリル基、ドデシル 基が付加している。
図4 24T-Si-Dod 蒸着後の Au(111)の STM 像(77K、 (a)100nmx100nm、(b)30nmx30nm)。(b)において、シ リル基を丸で、ドデシル基を矢印で示している。
2.5nm
2 0 n m
(a) (b)
図3 本研究で用いた長鎖オリゴチオフェン分子(nT-Si-Dod)。チオフェン鎖には、嵩高いシリル基、ドデシル 基が付加している。
図4 24T-Si-Dod 蒸着後の Au(111)の STM 像(77K、 (a)100nmx100nm、(b)30nmx30nm)。(b)において、シ リル基を丸で、ドデシル基を矢印で示している。
2.5nm
2 0 n m
(a) (b)
ているが、これは、隣り合うチオフェン環同士の
cis配置や
trans配置の組み合わせによ るものであることが分かっている[5]。
次に、生体分子として
DNAのエレクトロスプレー蒸着および
STM観察を試みた。本 研究で用いた
DNAは、バクテリアファージλ(c1857 Sam7)である。この
DNAは、制
限酵素
Hind IIIによって、約
16.5μmの鎖長を8種類のフラグメントに分解しており、
λ-Hind III digest と呼ばれる。それらフラグメントの鎖長は、約
42.5nmから約
7.9μmと なっている。この
DNAを水とアセトニトリルの混合溶媒に溶かし、24T-Si-Dod 同様に エレクトロスプレー蒸着を行った[5]。
図
5は、蒸着後に
77Kで得られた
STM像である。表面のステップをまたいで縦に伸 びた直線状の輝点が見られる。その長さは約
190nm、幅は約6nmであった。さらに、拡 大すると二重らせん構造に起因すると考えられる周期の凹凸も見られたため、
DNAフラ グメントに対応したものと考えられる。
一方、図
6のように、直線状とは異なる上に、分岐がある
DNAも見られた。この
DNAは場所によって太さが異なっており、細い部分(図中の青)は二重らせんが一本鎖に解 けた状態と考えられる。
図5 DNA 蒸着後の Au(111)の STM 像(77K、200nm x 200nm)。
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図6 DNA 蒸着後の Au(111)の STM 像(77K、300nm x 300nm)。(b)は DNA の部分に色をつけたものであり、
青の幅は緑の半分になっている。
以上のように、巨大有機分子である
24T-Si-Dod、生体分子であるDNAなど、それぞ れの多様な形状を単一分子レベルで明らかにすることができた。このエレクトロスプ レー蒸着法は多くの分子に適応できるため、それらの単一分子を
STM観察できること になり、自由度を持つ多くの分子に対して有益な知見を得られるようになると期待できる。
謝辞
本研究は、卒業生である小暮勇太君、川崎光徳君、寺﨑航平君などと共同で実施した。
また、オリゴチオフェン分子は、分子科学研究所の田中彰治博士に提供いただいた。皆 さんに、この場を借りて感謝したい。
引用文献
[1] Protein Data Bank Japan (PDB).
[2] T. Yokoyama et al., Nature 413, 619 (2001).
[3] J. B. Fenn et al., Science 246, 4926 (1989).
[4] F. Nishiyama, T. Yokoyama et al., J. Phys. Chem. B112, 5272 (2008).
[5] T. Yokoyama et al., J. Phys. Chem. C117, 18484 (2013).
[6] K. Terasaki and T. Yokoyama, J. Phys. Chem. B123, 1780 (2019).
(a) (b)