−J5ノー,
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研究ノート
引 当 金の本質に.つ い て
馬 場 理 代
Ⅰ
引当金は,周知のように,企業会計原則,商法,税法濫届いてそれぞれ異なる規定がな されている。こうした規定の多様性を反映して,引当金をめぐる問題も多種多様であり,
あまたの論作が公に.されている。
したがって,引当金の本質についても,すでに多彩な検討が加えられてきているが,そ れでは,引当金の本質についてほもはや論じ尽くされ,不動の見解をみるに至っているか といえば,必ずしもそうとはいえない。そこで,いま一度歩をあらためて,引当金の本嚢 についで尋ねて結んだ覚えがきが,小稿である。
Ⅱ
わが国企業会討原則は,「引当金にほ評価勘定に.属するものと負億的性質をもつものと の区別がある」(注解16)ことを明らか紅している。このように.,引当金を評価性引当金
と負債性引当金と紅分別せんとする思考は,引当金紀聞する通説として,あまねくわれゎ
れの目にするところである。周知のごとく,引当金は,特定の会計処理基準に基づいて計上される費用の対応項目で ある。それゆえ,引当金の本質は,対応項目そのものか,あるいはそれを要請する費用項 目か,そのいずれかの分析によって明らかになるはずである。
上述の評価性引当金と負債性引当金という分類は,そのうちの前者,すなわち引当金の
対応項目としての性格を基準としたものである。しかしながら,この考え方は,引当金紅 対する貸借対照表能力および表示方法を問題とした考え方であって,いわゆる静的観に.影
響された見解であると考えられるため,動的観に立つ近代企業会計における引当金の本賀
■の解明に.資するものではない。
したがっ・て,もちろん,引当金を評価性引当金と負磁性引当金とに分類することをもっ
籍44巻 貨4・5。6号
−ユ房2・−・ 478
て事足れりとする安易さは,厳紅.戒められなければならない。また,この分類を分かつ相 異点を強調して,すなわち特定支出が予想されそれが負債として掲げられることのみ濫着 目して,引当金即負債性引当金であり,評価性引当金は引当金に.あらずして価値修正勘定
(1)
であるとする早計も,憤しまなければならない。しかもその上,この分類自体が決して一
義的でなく不明確な部分があるのであってみれば,なおさらそうである。いまこのこと を,修繕引当金と減価償却引当金について:みてみることにしよう。
修緯引当金は,いうまでもなく,当該固定資産の修滞自体が未だ行なわれず未済の場合 に設定される引当金である。したがって,企業は将来において必ず当該資産の修繕を行な い,かつその修描費を支出しなければならない義務があるので,修繕引当金ほ負債性引当 金−た七え.会計的負債の意味にせよ加・の典型とされるのがつねである。しかしよく考 えて魂ると,修繕引当金が設定されるのは,当該贋産の損傷,減耗等の結果であるから,
修繕引当金ほ.,固定資産の価値評価に対する修正という意味で評価性引当金の要菜を持 ち,当該資産勘定紅対する評価勘定(評価性引当金)であるともいえるのである。
他方,減価償却引当金についてみると,それは.,まぎれもなく固定資産の減価=価値喪 失に対する修正であって,当該資産勘定の評価勘定を意味するから評価性引当金とされる
のである。しかし,いま継続企業の公準の上紅立てば,当該固定資産の耐用年数経過後には(少なくとも)当該資産の再調達(更新)が不可欠であるから,減価償却引当金は,そ のための将来支出の引当準備を意味し,この意味で当該資産の再調達義務を表示する負債
性引当金であるとも解されるのである。このようにみてみると,引当金はたしか紅,そのいずれもが評価性と負債性の双方の要 素を持つと考えることができるのである。だが,かく考えたのは,もちろん,負債性引当 金を資産全体から控除する形の引当金と解釈して,引当金を−・元的に.(広義の)「評価性
(2)
引当金」と捉えんがためでもなければ,また,ゴーイング・コソサーンの観点紅立って,
(3)
引当金はすべて「負依性引当金」なりと主張せんがためでもない。
(1)なお,ドイツ株式法のごときほ,ほっきりと,評価性引当金を否定しこれを価値修正 項目(Wertberichtigungsposten)としている(152条6項)。
(2トこのような捉え方を太田哲三教授が示されたことは,′座談会「引当金の研究」(『企業 会計』第15巻第12号(1963年12月),74−104ページ)紅おける江村稔教授の発言から明
らかである。
(3)このような見解を代表するものに,新井活充「引当金会計」
学大系』第3巻(中央経済祉,1968年),249−280ぺ一汐)がある。
引当金の水質について
・−J∂β−〟
479
上のような引当金の解釈も,し.よせんは評価性引当金,負債性引当金という分類から導 出されたものであるので−そこで求められているのは,資産からの控除をメルクマ−ル
とする評価性引当金であり,また支出の準備をメルクマ−ルとする負債性引当金であるの でM,近代企業会計に.おける引当金の解釈としてほ適当でありえない。
あらためていえ.ば,以上の見解は,引当金の本質を求むるに.,その対応項目としての性 格から出発するものであってニ,その評価性引当金,負俵性引当金という分類を基礎とする
ことがそもそもフR適当だ,とわれわれに.は思われるのである。
かくして,引当金の本質の考察のためには,引当金を要請する費用項目に目を転じなけ れぼならないことに.なる。評価性引当金と負債性引当金の両者に共通する点は,はたして
何であるか。そこ.で求められるそれぞれの費用項目に共通する性格が,必ずや引当金の本
質を形づくるはずである。事実,このような具象形態から共通点を抽出しひとつの概念を抽象してその本質を把捉
する思考は,われわれのよく知るところである。(たとえば,男性と女性はもらろん異な
るが,男性も女性も人間たる点で共通である。かくして,人間なる廟念が成立し,その概 念隠人間の本質を明らかにするのである。)
「評価性引当金」といい「負債性引当金」というも両者ともに引当金であるかぎり,まさ に「引当金」たる点で共通し,引当金の本質の解明のためには,その共通点こそ求められ
るぺきである。そしてそれを,われわれほ,費用項目のなか把.見出そうとするのである。
これこそ,引当金の本質に関するまさしく動的な解明であると侶ずるがゆえ紅…・。
Ⅲ
それでは,引当金を設定せしめる費用項目に・共通する点ほ,いったい何であろうか。
結論からさきにすれば,引当金の共通点すなわち引当金の本質は.,(収益の認識紅おけ
ると同様に)費用の認識についても,実現概念を併用することによって求められると考え る。収益も襲用もともに,期間損益に対するファクダーのプラスとマイナ・スというちがい
だけであるからノ,収益に適用される実現概念が費用に適用されえないはずはない。
かくして,「引当金とは,当該痢に発生したが未だ実現していない費用の計上に際して
設定される貸方項目である」と一哉的に規定することができる。求め畠共通点とは,「当
期発生・未実現費用」であり,これこそ,引当金の本質を・なすものに・ほかならない。ここ
で「費用の発生」とは,通説のごとく「収益実現のためのあらゆる価値犠牲の発生」が意味
血−プぶ4一−・・
寛44巻 籍4・5・6号480
されるが,このような諸概念の解明のために,少し立ち入った考察をしてみよう。
−・般に.,経営経済学における費用概念のはとんどは,限界効用学派の主観的価値論に基 づいているといわれる。このばあいの価値とは,もちろん,財と,財を消費するあるいは 必要とする経済主体との効用関係をあらわす。国民経済学に.おける主観的価値論において
は,どこまでも費用が心理的数値(失なわれた効用)として理解されているが,経営経済 学においては,それが貨幣数値に転化されてしまう。問題ほ,それによって価値という概 念紅.もはや効用関係の意味が与えられず,貨幣額として理解されることである。まさに,
会計学にあっては,価値ほ価格なりといわれるゆえんである。
いい換え.ると,会計学に.おいてほ費用はたしかに.価イ直犠牲と考えられているが,そのば あい費用の貨幣数値への転化のために,本来の価値=効用関係は見失なわれがちなのであ
る。そこで,費用が貨幣数値に転化し.え.ないばあい,かえって,費用ほ本来の価値=効用関 係をあらわす。貨幣数値が費用となるのではなぐて,本来の=効用関係を意味する価値の 犠牲が費用となるのであり,またこれも当然,費用と称されるぺきなのである。
ところで,費用が貨幣数値に.央に転化しうるのは,確定的かつ客観的な事実(一・般には 市場取引)を認識の基礎として持つときである。しかるに,修繕引当金設定の際にも,減 価償却引当金設定の際にも,そしてどの引当金設定の際にも,そのような事実は存しな い。さきはどの引当金の定義を,いま一度想起願いたい。実現とは.,はかならず「資産あ
るいほ負債の変動が,会計的に認識することができるはど,十分に確定的かつ客観的にな
(4) ること」である。引当金設定を招来せしめる費用は,まさに「未実現」だというぺきであ
ろう。
以上から明らかなように,引当金を設定せしめる費用こそ,ま草しく本来め=効用関係 を意味する価値の犠牲なのである。なればこそ,「価値犠牲の発生に基づいて引当金が設 定される」ということを,「発生費用紅基づいて引当金が設定される」といい換えうるの である。
もちろん,かかる費用の発生が当期費用として認識されるのは,認識基準としていわゆ
(4)この実現概念の解釈は,1957年にアメリカ会計学会(AAA)が公表した「会社財務 諸表紅関する会計および報告基準」(Accounting and Reporting Standardsfor Corp・
orate FinancialStatements−−1957Revision)に示されている見解によるものであ る◇
引当金の本質紅ついて
−・Jβき−481
る発生主義によるからであるが,そ・の発生主義とは,「未だ現金の支出はないが,当期の
(5) 費用となるぺき庶因ないし事実は現濫発生しているものを,当期費用として討上する」基
準にはかならないからである。ことに.「費用となるべき原因ないし事実」とほ,「本来の
=効用関係を意味する価値の犠牲が行なわれたということ」そのものが考えられるわけで ある。
当期の企業活動は,たとえば,労務の鄭肖,資産の扱傷,減価の発生,幻影たる収益の 発生(マイナスさるぺき価値の発生)等,まさ紅価値犠牲をその期に発生せしめる。しか しながら,その期にほ,これらを認識せしめる従業員の退職,修繕,固定資産の売払貸 倒等の事象は存しない。まさしく費用ほ.,「発生」しているが「未だ実現」していないの
である。
引当金ほ,つねに,「当期費用(当期末実現費用)の発生」紅基づいて設定される。決
(6)
して,将来費用に基づくものではない。
ⅠⅤ
かくして,引当金ほたしかに.「当期発生・未実現費用」に・基づいて設定されるのであ る。しからば,そもそも当期発生・未実現費用が引当金設定を招来せしめるのは,なにゆ えであろうか。
この問題を考えるに.あたって,われわれは,山下勝治教授の所説を少し検討してみた
い。いうまでもなく,近代企業会計ほ,期間損益計界をその根本課題とするものである。そ こで,なかほ永続的な生命を持つ継続企業の経営活動を人為的に切断しで,劇定期間の損 益を静定しなければならなくなる。そのため紅,発生費用をそれぞれの期間の費用とし.て
適正紅計上しようとするいわゆる発生主義が登場したわけである。ところが,「その発生 とは,費用に伴う事実ないし原因の発生を意味しているので,その計上せられたる費用の
(5)山下勝治『(新版)会計学一・般理論』(千倉書房,1963年),48ぺ一汐。
㈲ たえとぼ細田末書氏ほ,このような考え方に.立ち,「引当金とは,将来発生する費用 で当期に.帰属すると判断されるものを合理的な見積り引算にもとづき当期の費用紅計上 した結果,・その費用計上額に対応して生じた貸方項目の名称である」と規定している。
:細田末書「引当金の設定と収益費用対応の原則」『産兼経理』弟28巻努12号(ユ968年
12月),46−51ぺ−ジ,同「引当金設定基準の理論構成」『企業会計』斧20巻第12号(19
68年12月),99一112ぺ一汐。
第44巻 算4・5・6号
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大きさが予見に.よって一決まるところに.特徴がある。費j計を伴う事実ないし原因は過去ない し現在に発生していると考えられるのでほあるが,その費用としての大きさが未だ決定し うる状態紅ないので,これを損益計界に.計上するに際してほそこに『判断』が介入する以
〔7)
外軋ない」。しかるに.,「期間損益引算に.計上せられる費用が見積りとか,判断によったも
(8)
のである限り,その大きさはもともと客観性(は)ない」。したがって,そうした判断に
よって決定された費用は,その実際額との間にくいらがいが生ずるのがつねである。
このように「事実との相違ほ,人為的な期間損益計算常闇避けられないとしても,その 相違を永久に放任し,その相違を追求することを断念してよいということであってはなら
(9)
ない」。すなわち,その見積り費用額が確定する将来時点において,必ず,さきの見積り計 算が事実計算紅よってこ引き戻されなければならないのである。そうすることによって,期 間損益計算の真実性−ここでは,いわゆる全体的・相対的責実性が意味されようが−
が保証されるからである。そして,その保証のためのH会討手段こそ引当金制度紅はか
ならないと山下教授はいわれるのである。したがって,引当金ほ,教授によれば,期間損益言十算上やむなく背走計算として行なわ れた費用項目を,その実際額が確定する時期まで引き継ぐ役目を果たすものに・ほかならな
い。繰り返すまでもなく,そうした計算的仕組みは,暫定的性格を持つ費用項目が,時の
経過にしたがって自動的,必然的にその実際額へと調冬ざれる可能性を意味しているので
ある。たと.え.ば,・修繕引当金についてみれば,当該引当準備額が将来の修繕支出に現に利用さ れる時点紅おいて,それほ当然陀解消する。そして,見敢りに基づいて準備された引当金 額と実際支出額とのくいちがい額ほ,その時点において調整されるのである。また,減価 償畢口引当金紅ついてみると,当該国走資産の売却処分時に海い、て,その解消がみられ,処 分時までの引当総額と処分時にはじめて判明する実際価値喪失額との差額が,いわゆる固
定資産売却損益として表面化するのである。そ・レて,引当金がこ.のよう紅判断と事実との調整を行なうこと紅着目すると,引当金は つぎのように理解されるぺきこととなる。すなわち,「会計上の引当金勘定は,単純紅費
(7y81山下勝治「会計的判断とその論理一引当金の近代的理解のため紅−−」『、企業会 計』貨11巻算12号(1959年10月),3ぺ一汐。
r9J山下勝治「会計における方法と数値の継続」『 企業会計』算10巻算7号(1958年7
月),7ぺ−汐。
引当金の本質紅ついて
483 −・Jβ7−
用が判断によって計上される場合に用いられる勘定であるという段階紅止まるものであっ てほならない。むしろ,費用が判断紅よって計上せられるものである限りでほ,何等かの 会計的手段を通じて二,その後に,それが事実上の費用額と必然的,自動的紅−・致すること
(10)
を保証する会計的仕組みの表現として理解することが必要である」と。
引当金に対する叙上のような山下教授の捉え方について,われわれは,これを引当金の 本質とみるよりほ,むしろその機能とみたいと思う。引当金が判断と事実との調整を自動 的,必然的紅なしうるという機能を持つがゆえに,(少なくとも)引当金を設定すれば,
期間損益計算償.おいて−,判断紅よる発生・未実現費用の計上が是認されるという意味で…
(〉
ともあれ,当期発生・未実現費用が引当金設定を招来せしめる因由はな紅かという当初 の問い紅対して,期間損益計静紅おけるいわゆる判断と事実とのくいちがいゆえであると いう答えが得られることは,いまや明白であろう。
Ⅴ
以上のようにして,引当金と鱒,「当期発生・米英軍費用の計上紅対する貸方項目」で あり,それは,「自動的に.判断と事実との調整を行なうという機能」を持つことが明確紅 なる。では,このような引当金の本質についての規定は,引当金をめぐるさまざまの問題
に,いか紅資することができるであろうか。ここでは,その例として,貸倒引当金および低価引当金の問題に・ついて検討してみよ う。
まず,貸倒引当金については,その設定ほ,売掛金や受取手形に対してなされるぺき か,あるいは売上収益自体紅対してなされるべきかという問題がある。このばあい,引当 金の本質を当期発生・宋実現費用軋見出すわれわれとしてほ,当然,後者に親しなけれは ならないであろう。なぜなら,すでに触れたごとく,貸倒引当金の設定ほ,幻影たる収益 の発生(マイナスさるぺき価値すなわち費用の発生)の認識に基づいてなされるのであっ て量れば,貸倒引当金に魂あういわゆる貸倒損失は,いわば売上収益よりマイナスさるぺ
き営業費用であると考えるぺきだからである。丑α 山下勝治「会計的判断とその論理一引当金の近代的理解のため紅−」,4ぺ′軸汐。
・−エ説g−−
第44巻 第4・5・6弓
484その意味で,一一・般紅,「貸倒引当金計上の根拠は,受取手形,売掛金などの債権額が次 期に・おいて回収されるぺき金額と異なっているため,この回収不能額を見競ることであ
(11) り,そのため通常期未に・おけるこれら債権額を基準にして引当金額が引算される」といわ
れるが,われわれにほ,かかる表現ほ、必ずしも十全であるとほ思われないのである。そ してたしかに,受取手形や売梯金の期末残高を基準として剛期末残高のたとえば何パー セントとしで叫…貸倒損失なる費用が計上されるが,それほ,単に.計算上の便宜の問題で あって絶対的によるぺき基準ではない,と考える。
つぎ紅,いま一つの例として,いわゆる低価引当金の問題について考えてみよう。
決算時点において棚卸資産の価値が下落して:いると考え.られる態様ほ,ニ種紅分かたれ る。その−・は,品質低下,陳腐化および減耗等によるばあいであり,1そのこは,価格変動 によって時価が下落して−いるばあいである。
いずれのば凱、にせよ,決算時点においてはたしかに価値が喪失しているので,当期費 用が発生していること紅相違はない。
しかるに,前者のば飢、には,そ・の価値喪失は確定的かつ客観的な事実であるので,費 用(評価損)は発生していると同時紅実現していると考えられる。これに反して後者のばあ いにほ,その費用(評価損)は発生してはいるが未実現であるといわねばならない。という のほ,このばあいに・ほ,翌期においですぐさま時価が反腺するかもしれないからである。
それゆえに・,棚卸資産の品質低下,陳腐化減耗等によって生ずる評価損については,
発生・実現費用とし、て当該棚卸資産から直接切下げを行なうべきである。これに対して,
価格下落紅基づく評価損については,発生・未実現費用として5t当法をとるべきであり,
「低価引当金」を設定することが至当となる。このことは,前述の引当金の本質から明ら
かな当期発生・宋実現費用の計上という引当金の設定条件を通用した必然的な結論にはか
ならない。
かくして,低価引当金をめぐる問題(ニつの評価損の会封処理問題)も,叙上のごとき
(12) 引当金一腰の本質に照らして,解釈されることとなるのである。
(11)新井益太郎「会計学上の引当金の性格」『税経通信L』算22巻第14号(1967年12月),79
ぺ・−・ジ
。なお,かかる通説に対しては,新井教授も凝義を呈されている。(12)なお,低価引当金紅関して,評価性引当金一・般についてなされるように,ことさらに 棚卸資産からの控除的表示を主張したり,あるいはそれを価値修正勘定と解したりする
ことは,ともに低価引当金に対する謬見であって,引当金一腰の本質紅目を覆うもので ある。
引当金の本質紅ついて
−∫59−485
あとがき
叙上が,引当金の本質についての・一誌論であるが,引当金の問題を当面の研究課題とし
ていない筆者が,かかる考察をなしたのは,以下の事情に.よっている。
筆者が当面課題にしているのは,リーガ−の企業成果計界論の解明であるが,それは,
リーガ−と同じく,彼が理論的に認識する企業計算像によって現実の限界づけ(期間計算 の蓋然性の指摘)をなしたいがためでほなく,その(理論的)認識像それ自体に・,いわゆ
る「あるべき期間損益計界」のあり方を聞きたいがためである。周知のように,リーガー は,自らの私経済字をどこまでも投価値的科学としてうち樹てんとし,したがって,企業 計静についても,なんら改革的提案を結びつけることなしに(OhnedaβReformvorschl−
去gedarangeknGpftwerden),それの理論的な認識を意図した。そうであってみれば,
リーガ−の認識する企業計界像に聞くぺきことは多いはずである。
ところが,その企業計算像の検討にあたって,一つのきわめて特異な会計思考砿逢着し たのである。それは,いわば当期末発生事象に基づく当期費用認識という思考であり,結 局,どの期間費用も企業の全存続期間の全発生事象紅かかわるという思考であって,これ が,いずれ「時間的部分」計界とレて特徴づけられうるであろうリーガーの期間封静を形 づくっていくのである。(なお,かかる詳細についてほ,別稿を予定している。)そこで,
どうしてもかかる思考が吟味されなければならないのだが,よく考えてみると,これと類 似の思考は,たとえば貸倒引当金にもっとも明白なごとく,いわゆる引当金の思考のなか に存するのである。そのようなわけで,いま一度引当金についての再検討を思い立ったの が,小稿の機縁にはかならない。未発生事象紅基づく費用認識についてのリーガ−の思考 が,引当金把.おけるそれと全く同一・のものであるかどうかは早計には断を下しえないが,
少なくとも,引当金の思考は,リ−ガ−の思考を理解するための一・つの糸口を与えてくれ
たのである。
その意味で,「引当金の本質について」の本考察は,筆者にとっていわば副産物であ り,小稿は,文字通り覚えがきの域を出るものではない。