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現代風俗アプロ ーチへの試論

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現代風俗アプロ ーチへの試論

一一先駆理論の検討を中心に一一一

柳 洋 子長

An Approach to Modern Manners 一一一Focusing on the F ormer Theories--

Yooko Yanag i

は じ め に

本稿の展開にあたって, まずテーマ選択まで の経路を明らかにしたい。 筆者は, すでに集屈 について, G.C・Homans及びJ・L・M or eno 理論を踏襲し, 武田良三教授の社会体制論の示 唆を得て, 形成・存続・崩壊という三つの過程 からとらえることを試みた。 さらに集自の機能 として, 社会化 (Socia lization ) という概念の 導入と, その標的としての文化 (C ultur e) と いう概念の援用によって, 集団論の構築を試み た。 しかし, 現代社会という状祝のもとでは集 団の規範 (Norm) のみで, 人間の行動の準拠 枠 (f rame of r巴f er ence) を見出 すこと の不 可能なことがわかった。 現代を論じるには, 価 値観の多様性を派生させる臼常性へのアプロー チが不可欠ではないかということが, 当面の関 心事となった。 つまり日常性をどう規定し, 日 常性をどの視点からとらえるかということにな る。 そのために年令・性別・地域を間わず現代 人の特性を表象している社会行動のーっと思わ れる流行 (Fash ion ) についての究明を試みる ことにした。 Ny storm やK. Lang

&

G.

E.

本本学教授社会学

Lang の理論の踏襲を経て, 前者からは, ["社 会力 (Socia l F orces) J 後者 から 「集合動態 (C o llectiv e D ynam ics) Jという概念と大衆の 焦点、集中行動としての流行現象についてのアプ ローチを学んだ。 つぎに N. J .Smelser の「集 合行動(C o llectiv e B ehav ior )Jというこれま での諸理論の集大成に有力な理論に出合った。

このばあいの集合行動は, パニッ クにみられる ヒステリッ クな信念に基づく社会不安を構成体 とする側面と, 流行にみられるような願望達成 的な信念に基づく社会幻想を構成体とする側面 とがあり これらが価値付加過程(va lue-added p rocess)を経て顕在化する大衆行動をとらえる 概念である。 いわば, 現代人の行動の準拠枠そ のものであり, この集合行動による社会化が,

現代の文化的側面を規定するのではないかとい う視点を設定した。 短絡なは握ではあるが, こ の視点の論拠はつぎのようなことによる。 封建 社会と規定されるわが国のかつての 社 会 状 況 は, 集団とくに家族集団の規範が社会構造を貫 流し, そのまま為政者にとっても便宜的なイデ オロギー基盤でもあった。

明治を中心とした近代化社会は, 殖産興 業・

富国強兵という為政者側の施策がそのまま, 教

( 205 )

(2)

育集団・職場集団の確立へとつながり, 西欧化 志向と相まった新しいイデオロギーの醸成と浸 透の時代であった。 それはそのまま, 大正期か ら昭和初期への, いわゆる大正デモクラシーの J台頭と, 労働者・階級・農民階級による労働運動 や農民運動へと受けつがれはしたものの,

制と家;族主義的イデオロギーの土台の上に構築 された大衆運動という宿命の否定もないまま,

戦争社会への挙国一致行動へと収敬されたわけ である。

1945年 (昭 20) を起点として, 自由・平等と いう価値観は, 家族集団の形成, 教育・職場集 団の選択にも, 個人の意志優先が支配的な参加 の論理の務芽と社会的合意の醸成を促進したこ とは事実である。 ここにさまざまな大衆文化の 成立と共に, 集合行動が集団と同等に社会化と いう機能をもっ基盤の確立があったと考えられ る。

ともあれ, Smelser は願望達成信念 (wi sh f ulf illmen t bel ief ) に基く集合行動として,

政治・経済・宗教・表現的側面をあげ, それぞ れ, 大統領候補指名選挙の大会, 株 式 や ブ ー ム, 伝導集会, 流行を事例としていることは,

そのまま, わが罰の1945年以降の社会状況にあ てはまる。 つまり, 成人男女の選挙権や被選挙 権, 株式の公開, 宗教の自由, 日常的ファッシ ョンの浸透という状況は, まさに集合行動を基 盤とした, 社会構造の時代が現代そのものとい えるからである。

以上のような経過から, 大衆社会とは, 集団 と集合行動とによって社会化される人間性を基 盤とする社会状況であるという立場をとって,

流行を分析用具として, 大衆文化 ( mass c ult­

ur e) の理論の構築を試みようとした途上, 日 常性あるいは, 日常生活そのものをとらえる必 要性に迫られたわけである。 つまり, 衣・食・

住を核にした生命維持の営みそのものが, 大衆 文化の原点を規定しているということである。

それは主として, ある事物とそれに人聞がどう 係り合うか, その係り合い方の様式 ( sty le)を とらえることが急務ではないかという漠然とし

た構図を描くことにとどまりながら, 運々とし て進展しなかった時期 (1976年 (昭51 )) に現代 風俗研究会の設立を知ったのである。 例会・研 究会・読書会などの成果及び「はがき報告 Jと いう風俗観察, 風俗体内化の実際を報告する方 法などが現代風俗'77, '78、となり, 他方では多 間道太郎氏「風俗学一路上の思%,197 8 J山本明 氏「嵐俗の論理1979 J小関三一平氏「風俗の人間 学1979 Jが出版された。

ヌド稿は, 以上の先駆理論の究明を 手 が か り に, 日常生活と大衆文化の媒体としての風俗,

及び風俗アプローチの方法などの試論を提示す るものである。

I 先駆理論について

多国道太郎氏のばあい

現代風俗のイメージ決定因子は日、 大衆変 化, 表層であり, 民俗学は農村の不変文化を対 象にする学問であるのに対して, 風俗学は, 変 化という観点から都市文化を対象とした感覚に かかわる学問であるという前提によって, 理論 の展開がおこなわれる。 大衆とは全体の雰囲気 を皮膚感覚で分ちもつ生命体の統合であって,

それぞれは, 狭義の自分一皮膚一広義 の 自 分 (第一の自分一皮膚一第二の自分〉により成り 立っと考える。 つまり, 自我が皮粛を媒体に社 会的行為者となる過程に大衆という概念が成立 するわけである。 つぎに変化であるが, これは 基本的にアニマという概念2) の理解が必要にな る。 アニマとは, 自然なり環境なりを改変する 欲望であらゆる事物の新旧に内在する葛藤の前 提となるものということである。 多田氏は汚IJの 個所で「物のうしろに, 亡霊のようにつきまと っている, 日本ではもののけとかものおもうと か, そういう「もの」と説明している剖。 たと えば, 本来は原生林が自然の姿であったにもか かわらず, 染井吉野にみられるように作り出さ れた自然が出現し, それがプラスチッ クの桜,

つまり全く人工の自然の出現という経過をたど

るその背後にある人聞の欲望の総体が, アニマ

であるということになる。 つまり変化の原動力

( 206 )

(3)

がアニマその1のなのである。 具体的には, 技 術や生産力にプラスアノレファーされるものであ るという指摘叫がある。 さらにアニマによって 作り出された事柄や事物が, 色や匂いや形とい う社会的表層となり, それは時代の情報となっ て第二の自分を規定する感覚を在右するという 表層としてのさまざまな所産があげられる。 た とえば, ファッ ションとは, 外面性にこだわる 感覚によって成り立っと考え外見をまとうこと によって成立するという多国氏のとらえ方5) が ある。 端的な表現をするなら外見をまとうため の衣服・ アクセサリーがそのまま表層であり,

それをまとっている姿それ自体も表層そのもの を形成しているということになろう。 したがっ て表層は社会的産物によって構成され, 自我の 皮膚感覚の対象物であると同時に, 人間関係の 媒体としての役割をになうものということにな るであろう。

以上をまとめると囲Iのようになる。

つぎに理論の構造を手がかりに, その展開を たどってみると, かんざし, 橋, 乗合が姐上に のぼる。 かんざし引 は本来, 呪術的な性格のも のであったが, 装飾性が強調され日本髪には不 可欠のものとなっている。 このばあいのアニマ は自然の造物の改変ということで, アクセサリ ーとなったかんざしには, 本来の呪術的な意味

図I 多国理論の構造

は全く読みとれなくなっている。 自分の髪にさ すことによって日本髪風俗を体内化しているよ うに感じるが, 実はかんざしの装飾性を皮膚感 覚で察知し, 装置としてのアクセサリーをつけ たに過ぎず, そういう個人の総合が現代の日本 髪風俗を構成し, 社会の表題となっているので ある。 橋7) という社会的装置は, 向うの透視と いうアニマが, 橋をかける技術集団を動かし,

分離や結合という観念が皮膚感覚となり, 現在 では渡るという用役ばかりではな し 橋 の 装 飾・色彩効果とか風景としての橋や, らんかん に腰かけるという新しい用役も生れ, 従来には なかった別の文化形成が可能になる と い う と らえ方である。 また粂合8) は, パスカルのアニ マ, つまりA地点から B地点へ行く人をいっし ょに乗せるということから生まれたものである というみ方である。 そしてこの乗合を通じての 人間関係の形式が透視され, それは今日の都市 の形式を予告したものなのである。 つまり偶然 の叡知の結果はそのまま思想史的歴史への脈絡 をもっということである。 このように追究して くると多田理論の力点は, アニマという概念に あることが明白になり, それがさまざまな社会 装誼をっくり出し, それが社会の表層となり変 化を産み出し, その変化への対応のし方が感覚 となって, 皮蔚を媒介し, 自我と結節し, そこ

( 加7)

(4)

に新しい感覚が生起し, 社会現象となり, 何ら かのアニマの出現をみるという謂環が風俗を規 定するということになる。 この理論構造を, 遊 戯施設, 身辺の事物, 景観, 他方では, ひやか しとかうわさというようなきわめて日常性の強 いものにまで充当し, それらは, ある技術, 生 産力にアニマがプラスされて構成されていて,

反映理論というみ方がまとめとしてとられてい ることに注目すべきである。 したがって, 風俗 には古いものの形の名ごりを土台に, 新しい意 味の探究告とすることによって社会の動向の示唆 が内包されている, ひじように多角的な社会分 析指標という意味があるということも合せて注 目すべきであろう。

2) 山本明氏のばあい

現代風俗は, 雑然指向に基づく雑然文化その ものである。 したがって雑然文化の解明そのも のが急務であるという視点に立つ理論である。

雑然そのものは, 大衆の美意識の表象であり,

二次的文化の特=長であると向時lム現代南法を 貫流している現代の社会的価値観ということに なる。 つまり'本来の一次的文f化乙

り, 日本料理であり, 茶・庭であるが, 江戸期 の繁栄の中で, 日光の東照宮や商人屋敷のたた ずまいに, 華美と過剰という装飾観が挿入され 出した時点で, 二次的文化は雑然性を前提に形 成されることになるわけである。 その典型が,

アクセサリー主義にみられるという指摘10)があ る。 これは1961年のマイカーブームの車内装飾 に原点があり, それが家鹿内へのカパ一文化と なって転位し, ブッ クカパーをはじめ, ソファ ー, 鏡台, テレピ, 電話のカパーとなって顕在 化したということである。 このアクセサリー主 義が雑然文化の構成要国であり, 現代風俗の風 景を支配しているとみなされている。 つぎに雑 然文化のパターン凶として, 1 ) 和洋の雑然,

2) 戦前戦後の雑然, 3) 大衆文化と高級文化 の雑然, 4 ) 成人文化と若物文化の雑然, 5 ) 都会文化と回会文化の雑然があげられる。 これ らの雑然現象は, 江戸の町人文化一明治の西欧

文化一昭和のアメリカ文化という脈絡から, い わゆる外部からの導入によって, 第一次文化に 混合, あるいは変形, さらには改変された文化 変容の結果と考えられよう。 それらの文化変容 の原動力として山本氏は, 変形. 逆転変転.流 動をあげ, それぞれ, 高級文化の変形としての 大衆文化, 本来は低俗と忠われた コマーシャノレ に読み込みの可能な情報があるから, かえって 高級という逆転, 演歌は農村のヤクザ踊りと,

ポッ プス系のものは都市のダンスとの脈絡があ ったが, 開発や人口流動によって, それぞれ変 転し流動し, 合体するということで例証12)して いる。 そのような変容はいづれの形をとるにせ よ, テレどの存在は看過できないということに つぎに注目しなくてはならない。 テレビ13)こそ 雑然文化の象徴であって, それは刺激となって 雑然文化の発展を徒すというものである。 マス

・メディアそのものが, 大衆化を可能にする機 能を具有しているわけであるが, とくにテレビ は視党・聴覚の動員と臨場感という皮腐感覚に 訴えるメディアであるという点で強 力 な 大 衆 化. つまり平準化の道具といえよう。 ともあれ,

雑然文化そのものも実際には, 共有の心理的投 銭地を前提にして, 日本人のイメージ構造が構 成されているということに注思すべきである。

それは方向としての北, 風物としての雪, 景観 としてのエキゾチシズム, 人情としての敗者へ のいたわりによって成り立つ北国という地域イ メージが典型となっている。 山本氏は, それは 北海道であり, 雪は静かに降るというイメージ と援かい室内というイメージの重層によって,

美しいが厳しいものにとり臨まれ, 自分は安全 留で静かに暮すという雪国イメージ を 創 り 出 す, あらゆるものを浄化するというシンボル性 を雪にもとめることによって, 北イメージが日 本人の皮膚感覚に適応していると論述凶してい る。 これはそのまま, 地域文化や風土文化とい う問題の究明への手がかりとしての論理といえ る。 つぎに,教義主義のイメージの問題である。

この教義主義は, 共通性としての教義を重視す

ることを前提とし, とくに教義の概念日}は共通

( 208)

(5)

相:とf法ひ。ついて恐!想、をつくり出すというイメー ジのものであったというわけである。 そして!日 制高校や大学はそのイメージの体内化の場であ ったといえる。 しかし現在の大学は, そのよう な教養主義が風化し, 共通性の喪失に と も な い, むしろ風俗としての大学へと変質している というみ方である。 それは1) 従来の回定観念 にとらわれずさまざまの分野に関心をいだく,

D

本も読まず社会への関心も希薄, の すべ てにおいて人並, 4) 学生flド間で、の変人 (専 門家タイヅ〉という4 つのタイプの雑蔚という 学生像分析凶}で明らかになっている。 いわゆる 青年世代文化論であり, み方を変えると, モラ リトアムの開/哩そのものといえるであろう。以 上をまとめると図江のようになる。

つまり, 大衆の価値観としてのアクセサリー 主義は, カパ…文化を形成し, その大衆は, 世 代と地域志向によって, 風化文化及びサパイパ ノレ文化を形成し, それらは個人にマス・メディ アやイメージによって体内化され, それらの全 体が, し、わゆる雑然文化という現代風俗を構成 しているというみ方である。

図II 山本忍!論のわI�';丘

3) 小限i三平氏のばあい

風俗のカギは, マス・メディアとライブ昼間 により, 化肉された家及び拡大された身体とな って社会が構成される過程はあるという前提で ある。 つまりライブ空間の風景が風 俗 と 流 行 のカギをになっている17)ということである。 ま ず, マス・メディアは現代人の稀薄化した, あ るいは緊張過剰な人間関係のボンド機能川であ るというとらえ方である。 多元的なソースから 情報が発せられ, それは共通の話題を提供する と同時に, その共通性に対し, 個人の生活体験 や資質に応じて体内化したり捨象したに 理想 像化するエネルギーが, 生活や文化の活性化に 役立っているというわけである。 他方, マス・

コミュニケーションは, 本来, 一つの情報源を マス・メデ、ィアによって大衆へ知らせる全過程 であるが, この情報源の発現は, 庶民のサロン にあるという点に注目すべきである。 それは江 戸時代の遊里の存在に先験があるというみ方で ある。 遊虫は遊び空間の核で, そこには情報通 で話し上手で芸事上手という人間( 粋人〉と,

もてなす側ともてなされる仮.IJのファッ ションセ

、日恰伐

( 209 )

(6)

ンスと, それをとりまく空間演出のインテリア があるわけである。 現代では, 欽食物が関をと り緊張緩和の役割をもっていて, 逸脱の連帯感 という捻があり, 私的関心や利益によってのみ 集まるサロンとして喫茶躍、 レストラン, パペ キャパレー, ピヤホーノレ, ディス コ, サウナ,

トノレ コが同じように機能しているというみ方日}

である。 このようなライブ空間では, 情報が修 正され, そこに新しい解釈と意味づけがおこな われ, 集まる人間の年令・性別・職業などから 持ち込まれる多様な価値観のインターチェンジ を経て, 多方向へとマルチチャネノレ化される。

その結果, 年令文化・性JjIJ文化・職業文化の変 質を招来する場としての存在理由が現代ではき わめて大きいわけである。

つぎに現代人がライブ空間志向をもっ理由と して, 本来, 人間は誕生と同時に分離不安2引を もっ生命体という前提がある。 この分離不安か ら逃避するために移動人, 分凝人となったり,

化肉化された家, 拡大された身体としての共同 体としての社会への依拠が強化され, 個体と全 体, 家と国との融合が求められるわけである。

しかし現状では, さまざまな社会問 題 に よ っ

劉111 小関理論の構造

て, 分離不安を受けとめる場としての社会や国 家, あるいは住宅さえも, 生活空間の社会生態 学的な危機によって, 現代人をロッカ一人間と いう鋳型にはめ込んでいる現状な の で あ る。

このロッカ一人間は, 未知の仲間を恐れ, 自我 は, ファッションとインテリアへ投影し, 同化 され, それを自分の存在の外皮とする特性をも つのである。 このような状況は, 自然空間が民 族の素質(体質+性質〉を規定する第一次的な 外的要因であり, それらは生活様式の発生を促 進し, とくに日本人の視覚的特性と知的構成法 の一面を規定していたにも拘らず, テレピが自 然の代替として機能していることによるという のが小関氏のみ方2日である。 テレビは, 自然と 社会の風景の縮少された電波代替物(f背景〕で あり, 家族生活と社交生活の間をつなぐ, つま り外と内を流通させる コンパクト媒体なのであ る。 つまり情報化社会の現況では, 情報やその 媒体が人間への素質を規定する第一次的な外的 要因となったことで, 作為的な視覚的特性と,

情報受容法が現代人を大きく規定しはじめたと いうことになるであろう。

以上の前提から青年i!t代の学生について, 大

マスコミュニケーション

危 機

デア誌に

風俗=人間行動

己2

マスコミュニケ】 ション

(210 )

(7)

学から会社への分離不安の顕在として, 求職行 動のタイプの 6 類型22)の析出がおこなわれてい るが, それは奔走から憤溜まで , あらゆる面へ の青年世代の行動タイプにみられるものといえ る。 他方, 中年世代の男性2

派を中心に, 気分と肉体の関係から解明されて いる。 つまり, スポーツ派が想像力の復しゅう という機能があり, マジメ文化の影 法師で あ り, 求道と勤勉精神によって支えられるという 点で, 現代の日本の象徴的一面を具有している ということになる。 同じことは, 多くの雑誌文 イむにもいえるように,思うし, さらに, コミュニ ティマガジンやミニ・ コミ紙にも共通性がある といえよう。

以上をまとめると図班のようになる。

4 ) ま と め

以上で先駆理論としての多国氏, 山本氏, 小 関氏の著書を中心に, 現代風俗アプローチを;垣 間みたわけであるが, その結果つぎのようなこ とが明白になった。 従来, 風俗とは, その語義 が, 自然から感化された人性という意の風と,

政治家や聖賢から感化されて生れた人類の行為 の俗にあるといわれていた。 具体的には, 抽象 的な精神現象に基づく(事〉と具象的な(物〉と が風俗研究の対象となるということである25)。

したがって土地の風土気候という自然現象もし くは地理的条件による民族性の問題, 一国家の 中での種々 の様相, 個人的習慣(勤務, 教義,

談笑, スポーツ, 洗濯, 食事など〉もその対象 となり, いわゆる個人風俗と社会風俗とが並列 して究明されるべきであるという江馬務氏の主 張が, 三氏によって具現されたとみてよいと思 う。 即ち多国理論は社会風俗アプローチが主眼 であり, 小関理論は個人風俗アプローチが主眼 で, 山本理論はその結節アプローチとして文化 が主眼となっているというのが筆者による卑見 である。 さらに付脅するなら, わが国では社会 構造の特性から, 多くは為政者もしくは支配者 層の風俗に対する識見は文献・資料などでこと 欠かないわけであり, 他方に風俗取締まりとか

風俗営業という表現には, ある種の社会的弊害 視があっても比較的, 対象が明らかである。 し かし, 端的な表現をすれば, その両者を支えて 来た庶民, いわゆる大衆の風俗については, 井 上忠司氏の指摘によれば2引「風俗漸化を計る簡 単法1887・ 4 Jにみられる坪井正五郎氏の風俗 測定が始祖で, つぎに「モデ、ノレノロジオ・考現 学1930 Jの今和次郎氏によって考現学という手 法で確立をみて, 以後, 今氏の手法を土台に篠 田統氏, 安田武氏, 山階克子氏の業績に受けつ がれているということである。

ともあれ現時点では, 現代の大衆の日常生活 と, 大衆文化を体系化するための理論及び手法 を多田・山本・小関諸氏のものにもとめる立場 を筆者はとろうと思う。

立 現代風俗について

前述したことから, 風俗とは, 物と人間の係 りあい方を, 個人の次元, 社会の次元, それを 結びつける次元から, 生活という概念でまずと らえ, 具体的に衣服を核とした, 衣風俗への手 がかりを見出そうと思う。

1 ) 生活とは

ここでいう生活とは, 生命維持という人間行 動を核として, 衣・食・住に関する文化との係 り合いと考える。 ここでいう文化とは, 材料,

道具, 技術, 空間, 情報及び各種産業, 経済,

政治などを一方にもち, もう一方に, 作法, 習 噴, 慣習, 因襲, 風智, 慣行, 伝説, 規則, 法 などから成り立つもので, R .リントンの文化 概念を援用するなら, 現実的文化と典型的文化 から成り立つ一文化(a cultu r e) ということに なる。 他方, これを筆者なりに規定すると, 現 実的文化は生活の様式 (Lif eStyle) の要素で あり,典型的文化は生活の型式(Lif ePa ttern) の要素ということになる。 したがって, 典型的 文化は, 具体的には伝統 (Tra di ti on ) となっ て所属する集団の規範となるばあいが多いし,

現実的文化は, 流行 (Fashi on ) として, ばあ

いによっては集団の規範と対峠し, あるいは捨

(211 )

(8)

象されることも考えられるわけである。 唐突の そしりをまぬがれないが, 現実的文化と典型的 文化の力関係がどうあったかということが, 生 活を中心に歴史を考えるための手がかりといえ るのではなかろうか。 封建制社会とは典型的文 化に支配されるものとして現実的文化が成立し たし, 近代化社会になると, 両方が拾抗しあう 状況になり, とくに現代では現実的文化が支配 的になり, 大量消費社会, あるいはファッショ ン化社会という社会的性格をつくりあげたわけ である。 その中での人間の生命維持行動は, と うぜん様式追求が支配的になり, 変化への刺激 を求めることは否めない。

他方, L ・A・ホワイトの文化に関する扇面 理論の援用によって, 筆者の生活の枠組をより 鮮明にしようと思う。 ホワイトは文化を, a ) 観念的部分(i deological sector ) …信念, もし くは哲学的要素により構成される部, b ) 社会 学的構成部分 ( soci ological comp onen t) …人 間の相1î.作用を要素とした商, c ) 感情と態度 部分 ( senti ment a tti tu de) …心理的側面によ り構成される面, d )技術的部分( technolog ­ ical sector ) …資源の開発を主とする面の四つ の扇面から構成され, とくに技術を主力とした とらえ方をしている。 このばあい, 先述のリン トンとの統合で筆者なりのとらえ方をすると,

典型的文化=観念的部分十感情・態度部分 現実的文化=社会学的構成部分十技術的部分

となり前者は Pa ttern を, 後者は Style を構 成するということになり, 集団における社会化 ( sociali za tion ) を通じてこのPa ttern を維持 し, S tyle を醸成することが生活過程と考えて よいと思う。 したがって生活とは, 生命の維持 を集団における社会化によって、 Pa tt ern を維 持し, Styleを醸成する活動を通じておこなうも のであり, 具体的には衣・食・住を核とした典 型的文化の亨受と, 現実的文化の創造に参加す ることであるといえよう。

2) 衣生活について

生命の維持過程を規定する衣 ・ 食 ・ 住のう ち, 衣に関しては, 身体保護という機能が初源 的なものといえる。 ただ, 人間をとりまく環境 の変化に応じて, 本来の身体保護機能の軽重が あり, 装飾機能や表象機能が加わって, 現代に 吏っていると考えてよかろう。 筆者なりに表現 すれば, 衣服のPa tternは身体保護機能そのも のであり, Style は装飾機能や表象機能によっ て構成されるということになる。 もっと具体的 にとらえるなら衣服は, 材料と道具によって維 製され, それを人間が積装することによって,

和装もしくは服装という社会的存在となる性格 のものである。 また, 和装もしくは服装はその まま, 社会関係を構成しているということにな る。 つまり封建制社会にあっては, 身分関係を 表示するものとして衣服の機能は重要であり,

近代化社会においては, 職業を表示するもので あり, とくに大正から昭和初期にかけての軍国 社会への傾注は, 制服や軍服の日常化によって も明らかである。他方. 私生活の側面でも衣服 は, 家族集団, あるいは居住空間, 社交面の程 度などによって, ひじように多様化した Style が選好されるであろう。また人間の体格, �本型,

動作というような身体そのものによっても, さ まざまなStyleが要求される。 衣生活は社会的 側面, 私生活側面, 身体状況によって, 社会規 制との係り合いで成立するという点で, 食生活 や住生活よりも, 流行という社会現象が顕著に あらわれると考えられる。 さらに, 材料はその 時代の産業の性質に依拠して変化するし, 縫製 技術札機械の開発によ叶て変化するものであ るから. つねに時代性との呼応によって Style の創造がおこなわれる点でも衣生活へのアプロ ーチはそのまま時代指標の解明にもつながるも のといえよう。

3 ) 風俗としての衣服について

既述の多田・山本・小関氏の理論から, 風俗 とは, 物と人間の係りあい方を, 個人の次元,

社会の次元, それを結びつける次元から生起す

る種々 の社会現象であり, それはそのまま時代

( 212 )

(9)

文化であるということが明白になった。 ここで それらの理論を衣服に充当して検討してみるこ とによって, 衣風俗へのアプローチの準備にと りかかろうと思う。 多田理論からは, 1文J露感覚 に基づく衣服の着装が, 個人の社会的存在の枠 組によってアニマが支配し, 衿のあけ方, アク セサリーの付け方, ベルトのしめ方などに変化 をもたらす結果, いわゆる衣服, アクセサリー,

携行品が装置として機能し, 社会的には流行と いう表層となって顕在化し, II守代を構成する変 化となるということである。 つまり衣服という ものと, 人間との係り合い方が, 個人の皮j替と 装置としての衣販と, 表!訟としての流行とが変 化をもたらし. 自我は感覚によってそれらを選 好し, それらの集積が社会を構成し, アニマと なって自我に帰依し, 皮痛感覚を刺激するとい う係り方といえよう。 開じようなとらえ方はウ ィリアス ( P

W

Wi llias) による。 モーター 付自転車文化の分析28){こみられる。 ウィジアス によると, 一稜のノj、数文化(minori ty c叫 tur e) とみなされるモーター付自転車愛好の少年たち は, 本米のヘノレメット(事故防止) , ゴーグノレ (ほこりや突)!I\iからの防禦), ウエストベルト,

ノ、ィネック(ス ピードで服がふくらむことや,

風を防く), グロープ(腕の保護 ), ウーノレソッ クス(足 のむれをと防ぐ)などの伝統的な機能の 服装をするが, それらに修正を加えた着用のし 方をしているということである。 つまり, 出発 11寺にへ/レメット, ゴーク勺レを付けないというこ ともその一つである。 その理由は, 顔原や耳に 当る風によっての興奮をさまたげるからという ことである。 ジャケットについても, 第一釦を はずすとかベノレトをしない, ズボンはブーツの 中に入れないということである。 このようなこ とは, ス ピードとそれによる快感を価艦とする 少年たちにとって, 服装, 着装品, 危険の受容 ということで, ス ピードに対する身体感覚を強 化し, f�険に対する勇気を強化するための手段 なのである。 つまり, 皮f障と風のかかわり合い が, 務装品を除去させるということ自体, モー ターバイクのもつアニマそのものであり, パイ

クという装置の使用を通じて, 社会の表層とし て, いわゆる暴走族文化が育つということであ る。 ウィリアスは, 原点として, モーター付自 転車文化は, 人間の欲情と感性が機械との特殊 な関係によって成立すると考える。 つまり力の ある機械に対する不安の克服が実際には, 皮j爾 感覚を刺激する風の受容を考えることによって 消去すると開時に, ス ピードと対時し快感を得 るという, 一見, 相反するような現象となるわ けである。 これらが社会の表層となると, 組野 で乱暴でi因襲的基準によって行動する暴走族に なるのである。 しかし自分をス ピードの受容と いう一つに縛りつけ, 少なくとも安全に風との 対決で快感を得るという確信で移動し, この移 動に関する信頼が, モーター付ノξイク文化の鍵 であるということになる。 換言するなら, こと ばではなく, 一定の様式と動作によって文化的 共鳴方法を表現したり反応している 典 型 と し て, バイク少年をとらえることが可能であり,

いわゆる, 現代社会のス ピードを価値観とする 社会装置の一つをとりまく風俗現象がウィリア スの分析にもみられるわけである。 つぎに山本 理論のばあいは, R ・ ミラー(R. Mi llar)によ る英国社会の社会変動の分析29)に対峠できる。

ミラーは, 英国における上流階級(upp erclass) 中流階級(mi ddle class)労働者階級(working class)という伝統的な階級構造指標によらず,

選良( eli te), 管理者・(a dmini stra tors), 技術 者( technici sts), 職人(ar ti sans) という指標 に基く新しい階級の拾頭が英国社会の変動をも たらしたとするみ方をしているわけである。 こ の指標は, 意識の変革, 完全麗用, 職業階層間 の移転・ 移動, 教育体系の変革, 権力構造の変 化に基づいて構成されるものとみなされる。 と くに人口移動が大きな原動力となっていること は看過できない。 この人口移動の主国は, 農業

・鉱山・ 織物・ 造船業のような十九世紀産業の 衰退と教育体系の変化にあるといわれている。

このような現象に対し, ミラーは服装による社

会変動へのアプローチをさしている点に注目し

たい。 従来, 町の勤人や高級文官は黒い上衣と

( 213)

(10)

細いズボン, 学校の先生や秘書は定式化したド レス, 技術者は紺の仕事着と重労働用作業衣,

筋肉労働者はマフラー, 支配人は山高帽, かん とくは中折帽, 労働者は布製のものという目別 があったわけである。 しかし, 現状では, 技術 者と職人階級, 管理者と選良の見分けが服装や 着装品から不可能になったという指摘である。

そして, さらに, 若い世代の間では, 服装につ いても, 音楽についても余暇の過し方について も, 間一化の傾向が強く, 世代による一体化主 義によって, 風化文化志向にあるというとらえ 方は, 山本理論にみられるわけである。 いわば 多国理論とウィリアス理論からは衣服と人間の かかわりあいを個人の次元からとらえる方法の 示唆, 山本理論とミラー理論からは衣販と人間 のかかわりあいを, 社会の次元からとらえるた めの示唆を得たわけである。 そしてとくに詳述 を省くカが;/イ小jト、関理論と N. J. スメ/ルレサ一(N. J.

Smels総erο〉理論8

としてのマス . コミュニケーションと集合行動 ということによって構成されていることから,

衣服と人聞のかかわりあいを流行という概念で はあくするための示唆を得たものといえる。

4 ) ま と め

以上で, 物と人間の係りあい方を, 個人の次 元, 集合行動の次元, 社会の次元からとらえ,

現代風俗研究の拠点としての生活に対する筆者 なりの考え方, 及び現代風俗の典型としての衣 服, つまり衣風俗へのアプローチの可否を, 三 氏の理論の検証と並行して論述した。 その結果 個人の次元では, 皮鴎感覚と衣服の着装につい て, 社会の次元では, 帰属感覚と衣服の着装,

その両者の結節としての流行現象というとらえ 方で衣風俗へのアプローチの可能性が明らかに なった。

直 衣風俗アプローチの試論

くり返しになるが, 人間とものとの係り合い が風俗を規定し, その係り合い方から生じる社

会現象が時代風俗の構造であるという前提によ って, 衣風俗をとらえる試論をまとめてみよう。

衣風俗は, 和服と付属品と携行品十人間のば あいと, 洋服と装身具と携行品+人関のばあい とから成り立つ。 前者は和装, 後者を服装, も しくは洋服という。 ここでは主として, 服装に ついて論述しようと思う。 いうまでもないこと であるが, 衣・食・住生活のうち, 衣, とりわ け服装ほど変化を核にした様式をもつものは見 当らないということである。 つまり, 人間の身 体のプロポーションは常に変化を前提としてい るし, 服装に関しては, 伺じ服穏のものでも着 装のし方, あるいは組合せ方によって変化をも たらすものである。 従来, 衣生活に関するもの については, 和服, 洋服, 下若, アクセサリー,

携行品という項目で, 服装史, 被服構成, 被服 生理学, 被服材料学, 被服管理学, 服飾手・工 芸, テキスタイノレなどの対象としてとらえられ ていた。 身体については, 人体美学, 人間工学 という分野で, 心理については, 服飾美学, 服 飾心理学, 着装心理の分野でとらえられていた わけである。 衣風俗とは, 成長につれてプロポ ーションが変化する, つまり身体の S t yleと,

状況につれて対応のし方が変化する心理の結果 といえる。 商品選択の S tyle との間に向一化 を見出そうとするところに生じる着装行動があ り, それらが集合現象として顕在化したばあい に, 成立する社会現象といえるわけである。 具 体的には, それらをは撮する方法として現象国 と構造聞とからのアプローチが考えられる。

本稿では構造面からのアプローチに中心を霞 き論述をすすめようと思う。

1 )

表庖としての衣嵐俗

そのl 昭和20 年まで

いうまでもなく衣風俗とは, 衣服というもの と, 若装するという動作と, 人間の身体との係 り合い方によって成立する。 つまり, 衣服とい うものと, 人間の身体とを着装するという動作 で係り合いをもたせるところに衣風俗の原点が あるわけである。 問題は着ー装そのこと自体が,

(214 )

(11)

身体保護や身体装飾という衣服の基本的な機能 ( Patt ern) ばかりではなく , 着装そのものが 着装する人間と社会との係り合い方を表象して いるということである。 たとえば, 日本史教育 について結婚生活と服装の変遷から, 時代の陸 史的背景を明らかにしようとして, 教科書検定 問題となった家永三郎氏の見解31】も, T ' カー ライノレ(Carly le)の社会は服地を基礎にして築 かれているという衣服哲学32)にも, )1[日高風氏 33)の戒律と袈裟についても同じこと が い え よ う。 筆者なりにいうなら, 着装のStyleが問題 であり, そのSty leを規定するものは, 社会構 造そのものということになる。 たとえば封建制 社会にあっては, 個人は家族の系譜・によって出 生と同時に支配者か被支配者として 社 会 と の 係り合い方が規定されたわけである。 したがっ て, それらをE主観的に承認させ, 人間の移動に よってのその地位を明確に出来るものとしての 衣服は, 衣服令, 触書, 法度, 口上などによっ て規定されていた。 その結果, 身分差別文化を 構成し, 官職表示の一種の制服社会をっくり上 げていたといえる。 さらに近代化社会にあって は, 富国強兵, 殖産興 業という国家命題にとも なって, 職場集団, 教育集団の確立と, 一方に は, 自由民権運動にみられるような集団の枠組 を超えた, 集合行動の拾頭があった わ け で あ る。 このばあい個人は, 教育の亨受によって知 識人となり, いわゆる選良層となることも可能 になって来た。 このような社会状況 の も と で は, 集団と集合行動とによって社会化され, 西 欧化(w est erni zat ion)が偲 進される中で‘一種 の立身出世主義も確立される。 したがって, 衣 服は, 地位や職制, 職種を表示する機能の重姿 性を増大し, 官制制躍と選良洋装化 が 進 行 す る。 この時代の文化は西欧化導入文化というと らえ方になるであろう。 大正期から昭和初期に かけて, 大正デモクラシーを突破口とした庶民 の為政参加への腕芽がみられるが, 治安維持法 の成立, 政治面の軍事化, 経済面の不況化に対 にする統制支配よって限定されたものとなった といえる。 しかし労働運動・農民運動の激化に

ともなう権利獲得への参加と, エロ・グロ・ナ ンセンスやモダニズムを文化的側面や日常的側 面で拾頭させ, それらを生活の中にとり込むこ とによって, 生活文化への参加を繭したわけで ある。 他方, 衣生活の洋化促進は, 教育面一文 部省主導による教材の変更, 各種学校機関によ る技術指導, 指導著書, ラジオ講I車など, ジャー ナリズム一新開記事, 婦人雑誌, スタイノレブッ クなど, 小売業一広告年末大奉仕などによって かなり強化されたようである。 しかし総体とし て比流行は Fa dの段階程度で, むしろモガ・

モボにみられるように視覚的な存在という性格 が強かったように思う。 とくに女性の服装とし ては, 簡単服にみられる直線裁ちのものが主流 で, シャツ風上衣とスカートが大衆のものに多 かった。 このような洋装化へと衣生活のPatt ­ r切に大きな変革をみると同時に戦争社会の到 来となり, 軍服‘ 戦闘服, 国民服という戦事制 服に統一される。 端的にいうなら, 明治の近代 化という悶家政策が西欧化そのものであり, 西 欧化の表象はi直観的承認性を具有する洋装化で あったといえる。 しかし, これは支配階級にみ られた現象で, 庶民の仮.IJには, 大正のモガ・モ ボが先鞭をつけたといえる。 その後の戦争社会 は, [�家施策としての軍服, 戦間服, 国民服に よって, 戦争という国家自標への国民的参加を 表象したわけである。

その 2 昭和初 年以降

第ニ次世界大戦後の復興期を経るにつれ, 実

質家計消費支出に占める被服費支出 の 上 昇 期

(S26年 8. 9% S35年12. 4 %84) ),逓減 期を経験

する。 とくにこれは量的充足期から質的充足期

への過渡期が昭和30年代にあったとみてよかろ

う。 的確ではないかもしれないが, 高度経済成

長という経済環境に日本人がそれまでに実現し

えなかったファッション志向消費の可能性を見

出したといえよう。 ちなみに昭和50年の全国勤

労者一世帯平均の被服費支出の構成内訳を, 昭

和42年対比でみると, 洋服は 6. 8%の上昇, 和

服は 0. 6%, シャツ・下着は 1. 0%3引のと昇と

( 215 )

(12)

いうことで, 洋服志向の強化が明らかになる。

他方このような傾向に拍車をかけたのは, アメ リカ寧の駐留による生活様式の導入であったと いえよう。 ちなみに21年以降の服装の流行史を 空審者なりに概観36)してみると, つぎのようにな る。

昭和21-25年 A me ric an fas hi on age 駐留軍の中古品を中心に, ア コーデイオン・プ リーツ, ドノレマン・スリーブ, ロング・スカー トなどが目立った時期。

昭和26-30年 F rench fas hi on age C . D i or による一連のプロフィ…ノレ・ライン,

C. Bale nesiaga によるキモノ・スリーブ, G.

Chan巴 l によるシャネノレスーツなどフランスの デザイナーによるものと, 映画ファッ ション

(真知子巻き, ヘッ フ。パーン・スタイノレ, サブ リナ・シューズなど〉の時期。

昭和田-35年 C ounte r culture f as hi on age C. D i or, Nina R icci, Y. Saint-Laure n, J. Patou などによる多4譲化したライン・ファッ ションの 導入の一方に, 青少年がファッ ション・リーダ ーとして拾頭した時期として注目される。 太陽 族, ロッ クン・ロール, 落下傘スタイノレ, 挽歌 スタイルの時期。

昭和36-40年 Participati on fas hi on age アンサンプノレ・ルッ ク, コーディネート・1レγ クなど一連のノレッ ク・ファッ ションの時代, つ まり, 一人のデザイナーの創作ではなく, それ らしく見せるというもので, 幅広い許容'1生をも ち, 年令・体型にとらわれず着装できるファッ ションの時期。

昭和41-45年 Atomosphe re fas hi on age ひざ上10センチのミニ・スカートラ トータノレ・

ノレッ ク, ミリタリー・ノレック, シースノレー, ア ーノレ・デ コ, ネオ・クラシッ ク, ユニ・セッ ク スというように, 明確なスタイル上 の 核 の な い, いわゆる雰間気を主体とした時期。

昭和46年- Multiplicity fas hi on age ボッ プ・アート・1レッ ク, ホッ トパンツ, スポ ーツ・ノレッ ク, シャツとジーンズ, レアード・

ノレッ ク, ミニ・スカート, ロング・スカート,

パンタロンというように, ありとあらゆる様式 が見られた時期で, そのまま, 現在へと受け継 がれている。 つまりファッションの相性化時代 といわれている時代のはじまりが昭和初年 代と いえる。

ま と め

これまでの論述は, いわゆる社会の表層とし ての衣服ファッ ションを大まかに概観したもの である。 つまり多間理論によれば, 皮腐と衣服 もしくはアクセサリーという社会装置とが, そ れぞ�hの時代性によるアニマによって感覚を創 出し, それがさまざまな変化というファッ ショ ンの原動力をつくり出していることで, ファッ ションという社会の表胞の構造が明らかになる わけである。

2) 文化としての衣風俗

社会の表層としてのファッ ションは, そのま ま, 大衆文化として, 生活行動や生活心理に収 欽することはいうまでもない。 ただし, 新しい Sty le の受容は, 世代によって, 地域によηて さまざまな価値体系と, どのように結びつくか ということで速度や範聞にちがいが生じるο わ が閣の社会構造の特性から, 集団 (家族・教育

・職場〉や地域 (都市・農村・郊外 ) により,

人間は社会化されていたわけであるが, 第ニ次 世界大戦後の経済復興にともない, 集合行動37) (c oll巴cti ve behavi or ) による社会化が強化さ れ, ライフ・スタイノレ論やマーケティング論の f台頭をみるわけである。 それはそのまま D R ies man38)のL、う外部指向型 ( othe r-d i rected ty p巴〉という社会的性格をつくり出していて,

老齢人口の増大と未成年人1::1の増大Iこよって9 7年少年世代の社会的な甘やかしが許容され, 性I い規律の捨象にともなう向tfI:代の倫理, 価値観 への依拠と河調が顕在化するわけである。 つま り M.She rif らの分析38)に例証されているが,

同調 (c onf ormit y ) と逸脱(di viati on ) を基調

に境界性をもち, 自分で感じた!時代性に対応し

うとするのが, 青少年世代である。 このようよ

(216 )

(13)

なことは, もっとも端的に服装, 音楽, 遊びな どに表象されてくる。 つまり社会構造の性格が 消費中心であれば, ファッ ション行部jとして顕 在化してくるわけである。 他方, 中高年世代に なると, 職場集団の性格や社会的地位により,

あるいは活動範囲により衣服選択にある穏の方 的l性があるであろう。

地域文化としての衣服については, 多く野良

, 作業衣, 職人服などのように, 地域の生産 様式に合せた機能性のものが考えられる。 しか し, 人口移動の激化につれて, そして第二次,

もしくは第三次産業へと労働力が集rllするにつ れ, そのStyle も変化し, 従来の木綿を基本に した, ま)í:, 棒縞の衣服はむしろ資料化しつつあ るといえよう。 それと同時にプッシ織り, 裂織

こぎん,

[ll]ì払絵緋, 府校, 紅型!!, 市11ーなどが 伝統技術に支えられ, 大衆文化の中へ, インテ リアの一部として使われていることにも注目す べきであり, 山本氏のカパ一文化に大きく資し ていることは否めない。 ともあれ, 現代では,

衣服そのものが, 機械生産によりStyleの画一 化;士清めないが, その画一化さと前提とした僻性 化の程度が衣風 俗の構造の核とはいえないであ ろうか。 その個性化とは, 社会の中での個人の 自覚による地位・役割規定と相関性があるよう に思う。 たとえば、青年世代でも, 1長j殺人で、ある ぱあい, モラト リアム的存qtであるlぎあい, 自 由人である{ぎあいとでは, Irfjじジーンズ志向で も差異がある。 したがって大衆という観点から それらの志向枠組をとらえようとするなら, い わゆるクラスター化という手法が導入される。

その多くは, J惑!AZによるもの, 流行志向による もの, ライフ・スタイノレによるもの, 消費行部J 別によるものに類別される。 したがって社会と いう観点から衣服のファッション皮を烏 する ならば, 雑然文化の:lll��盟としてとらえられるこ とは否めない。

の典型として服装流行を烏111誌できるが, 具体的 には世代という一体化主義に依拠す る 風 化 文 化, 地域の伝統的素材の技術伝承の安全度から くる, サパイパノレ文化としての布地のインテリ ア志向, 伝統と創造との並存を可能にするアク セサリ一主義によるカバー文化, それらの合体 としてのファッションが, 大衆化社会の文化で あるというとらえ方を山本理論は示唆している といえる。

3) コミュニケーシヨンとしての衣風俗 T.

Car lyleの衣服の哲学は, 人間の肉体と)J技 I也の関係は, J也汐?と材料であり, 材料によって 人間という美しい建造物が建てられているとい う観点に立っているものである。 人間という しい建造物は, もっと細分するなら, 身体のプ ロポーションや動作と, それに絡着した衣服と の相互連関による動態、美ということになる。 こ の相互連関は身体のプロポーション間のもの,

衣服の素材開のもの, 素材と道具とのもの, 道 具間のもの, さらに維製された衣服とアクセサ リ一間, アクセサリ一間のもの, 衣服の組み合 せ間のものなどの係1)合いによるものである。

換?言すれば衣服とは, 素材による非言語 コミコー ニケーションの総合と, 身体という動作 コミュ ニケーションの総合とによって, 記号化された ものといえる。 現代の社会状況のもとでは, 人 i視をとりまくマス・ コミュニケーションと, ノミ ーソナ/レ・ コミュニケーションという, いわゆ る コミュニケーション環境が支配的であるため に, それらの確認のための投錨地点としての世 代が必要になる。 しかし現実には, それらの場 としてのライブ空間における情報交換が重要な 意味をもつわけである。 ここで衣服は, 現代の 風 景:としてのマス ・ メディアの消化遺;の情報媒 体として, おZLいの非言語 コミュニケーション a:成り立たせる。 家族や組織にはみられないiり:

代マグマの確認の揚が現代の遊び空間であり,

ま と め 現代の共同体そのものであると同11#に, かつて

個人の感性に衣JJEUì毒装の原点に2是認されてL、 の共同体規制に代るものとしての衣服の着装と る大衆社会化状況にあっては, 一見, 雑然:丈化 アクセサリーの使い方, 携行JJ!の穏矧jが機能し

(:m)

(14)

ているといえよう。 服装という視覚メディアの 背景には, ブランドの読みとりとそれの体内化 によるファッション感覚への不安の解消という ことが世代の年少化に比例して強い と 考 え ら れ, 世代の年長化に比例しではむしろ, その場 との一致という雰閤気の読みとりと, 風景の構 成体としての自分の身体と服装との係り合いを 重視するものといえよう。 いうなれば, 年令一 生活の場一生活史一社交場面という 身 体 環 境 と, 下着一洋服一和服ーアクセサリ一一携行品 という衣服環境が, 現代社会という嵐景にどの ように適溶しているかということが, マス・ コ ミュニケーションとパーソナノレ・ コミュニケー ションによって個人に情報としてもたらされて いる状況が現代の衣風俗の特長といえよう。 こ れらの観点から総合して, 子ども世代のファッ ション, 若者世代のファッション, 成人世代の ファッション, 壮年世代のファッション, 老齢 世代の ファッション という 現代社会の ファッ ション理念型の構図が可能となろう。 割愛する が, G. M. ヴァーノン(V ernon)の理論40) は 小関論と対峠するものであることを付記してお く。

ま と め

現代のマス・ コミュニケーション環境のもと で, 世代マグマが, それぞれ不安を原点に, ラ イブ空間において, お互いの情報の確認を種々 の Styleでし合っているのが, 現代人である。

その典型を小関理論の援用によって, 服装につ いてみると, ファッションはまさに現代のライ ブ空間を支配する共同体的性格そのものである ことが明確になる。 そして, マス・メディアの もつ広告機能が, 世代内, 世代間のボンド的役 割として意味をもつことが明らかになった。

ヰ)試 論

現代社会においては, 衣服そのものの社会的 機能が, 封建制社会における身分表示というこ とではなく, 職能表示としての制服, 時代感覚 表示としての私服というように変化して来てい

る。 また制服についても従来のように, 職種に よる機能性追求の様式ではなく, 時代感覚をと り入れるようになっている。さらに, スポーツ,

レジャーウェアーなどのような生活次元の拡大 に適応した衣服が治費量を増加して い る こ と も, 現代の衣服の多元性を表象している。 そし てそれぞれが世代によってさまざまな志向性を 予測した商品企画によって, 商品化され, 大量 消費を促進しているということが, 現代の衣生 活環境といえよう。 と同時に, 大量生産, 大量 販売, 大量消費という消費社会への参加によっ て, 社会化されているのが現代人といえる。 こ れらを前提とし, これまでの先駆理論からの示 唆をふまえて, 現代の衣風俗アプローチの試論 の提示をしようと思う。

衣服については, 素材状況ーたとえば現在は 化合織のうちポリエステル長繊維の占める割合 が大きく, それらの差別化策として, 異形断面 を中心とした高次加工によって, 織密度の高い 縮緬調の織物へのヱ夫がおこなわれているとい う状況のはあくが必要となる。 もっとも, 化合 織は昭和44年に加工糸 技術導入期, 昭和45�49 年に半延, 仲{反撚り加工(P oy-D t的、昭和50�

54年に仮撚糸 技術革新進展によって薄地強撚糸 織物の全盛となるわけで, 業界41)では, 現況を ジョーゼットブームと総称している。 具体的に インターストッフ展ということでこれらは発表 されて市場へ参入する。 製品化状況一大まかに つぎのような過程がある。 ①Sty le に関する情 報収集, @素材・色彩・デザ、イン決定, コレク ション, @型紙・サンフ。ノレ作成・グレーディン グ, @生地受け入れ・延反・裁断・維製, @検 品 ・ 保管 ・ 発送, @小売j吉頭出廻りがその過 程である。 このばあい製品に関して季節という 絶対条件が必要であるために原糸 メーカー, 生 地メーカー, アパレノレメーカー, 小売!苫それぞ れ個別のタイムスケジューlレがあることも大き な特長といえる。縫製工程について も 技 術 革 新が著しし目下, 電子計算機縫製の実現化も 近いことも注目すべきである。 販売状況一小売 庖, 専門}苫, 量販肢が主とした販売経路であり.

( 218 )

(15)

この他に適宜に空間を利用している直販的な方 法も目立つようになっている。 品揃え, バーゲ ン, 苦情処理, 店頭展示の方法(デスプレイ〉

などによって顧客の注視と購買行動の刺激に力 を入れている。 最近は通信販売, テレビショッ ピングなども増加している。 ともあれ, 衣服と いうもの環境として素材・製品化・販売状況の 動的均衡が, 現代の大量生産及び販売の構造と 考えられるであろう。

人間については, 衣服に関する消費行動を規 定する要問として,生活環境がまず考えられる。

このばあい生活環境とは,

所属している集団, もしく は地域を核とした活動の範 囲とみなしてよ い で あ ろ う。 とうぜん, 年令によっ てのfr:ì車十'1はあるものの,

現代では, 人為的環境の多

機性とそれに対する参加志

STYLE> P A TTERN

向の多様性とによって, あ

るいは情報の多元化によっ て価値観もつねに変化して いることから, 多国次元の 構造をもっ生活環境の顕租 は否定できない。 とくに , 衣服の選択については, 身 体の問題がクローズアップ されてくる。 身体はつねに 変化状況におかれているも のである。 つまりプロポー ションが変るということで ある。 心理についても同じ ことがL、える。 つまり社会 状況につれて変化するもの である。 衣服選択とは, 問 問哲学に見られるω行為的 産観論そのものの具現であ るということになる。 直観 と行為は一体不可分 で あ れ身体と世界とを, 身体 的な感性的斑観を通じて,

世界の事物の存在状態を受動的に了解する直観 と, 世界の事物(存在者〉に対して身体を介し て, 能動的に関係を形成する行為によってかか わり合うことが人間の存在様式であるというこ とである。 卑近なみ方かもしれないが, 衣販の 選択及び、着装行動は,まさに感性的直観により,

流行を容認し, それを着装することによって,

状況化された新しいStyleの受容者となる。 身 体にそなわった感性的寵観の能力は, 世代が若 いほど鋭いと考えられることから若者文化の特 長の析出も可 能となるし, 衣服における流行の

æJN 衣風俗の;式論的枠組

流行

|川人l

STYLE) P A TTERN

レU,44 多掛川化

的人志向

STYLE) PATTERN STYLE > P ATTERN

鋭ÍlÙ:

(219 )

(16)

リーダーシップをもつものといえる。

ともあれこれまでの先駆理論及び衣風俗への 築者の現時点での試論の枠組るまとめると図IV のようになる。

お わ り に

衣風俗アプローチの試論的枠組の提起で本稿 は終るわけであるが, この枠組はつぎのような 構成になっている。 ① 他人志向という行動枠組 の大衆と, 多様化した文化を横軸とし, 具体的 には世代と地域を核とするもの, @鋭敏な皮!務 感覚が流行という社会の表層として顕在化する 過額に, 身体と感性, 社会とライブ空間が介在 する縦軸を配し, ③その交点が現時点の衣風俗 と考えた。 さらに衣風俗とは, マグマとなるさ まざまな生活信念, 装置としての物それ自体,

アニマとしての一体感, 変化の原動力としての 新奇さへの関心などが, お五いのパーソナノレ・

コミ1ニケーションによって組合され, 直観や イメージ, あるいは行為や主義となって, マス

・ コミュニケーションとの脈絡によって社会環 境を構成していると考えられる。 さらに衣風俗 をめぐる社会環境としては, 企業環境, 衣服文 化, 生活哲学, 現代人をとりあえずあげること ができょう。

最後にそれらの環境を支配する社会的・文化

11) 山本 明箸 前 掲 12) JlI本 明箸 古íJ掲 13) 111本 明幸子 前 掲 14) 111本 明事手 前 掲 15) 山本 明苓 前 掲

22�23ページ 31�37ページ 24ページ37ページ 41ページ以降 68ページ 16) ILi本 明事� jìíJ掲 72�74ページ 17) 小関 三平著 風俗の人間学 1979 10ページ

18)小関 三平苓 前 掲 2 ページ

19) 小関 三平著 前 掲 6 ページ

20) ノj、関 三平幸子 前 掲 15ページ 21) 小関 三平著 前 掲 179-184ページ 22)小関 三平茶 話I 掲 77-83ページ 23)小関 三平著 前 掲 116-123ページ 24) 江馬 務教:江馬務著作集第1巻

1975 7 ページ

25) 江潟 務著 前 掲 7-8ページ

26) 井上 忠辺幸子 現代風俗研究会編 前掲所収 定点観測の方法 29-57ページ 27) L. A. White, The Evolution of Cu\ture

1959 P355 28) Ed.]. Benthall & T. Polh巴mus, The Body as

Medium of Expression 1975 pp233-242 29) R. Millar., The New CJass 1966 pp 210-292 30) N. J. Smelser., Theory of Collective

Behavior 1962

::31) 家永 三郎著 日本人の洋服鋭の変滋 1976 ::32) 字111 夜亮訳 カーライル選集I

衣服の哲学 1962

的特性として, P att ern に対するStyl eの支配と

33) )11口 荷風幸子 法服格lEの研究 1976

いうことが考えられることを付言して本稿を終

::34) 鍋回 光男箸 繊維業界 1978 35ページ

りたいと思う。 35)

鍋田 光男苓lが'j :tíiJ ::35ページ

::36) ;l'ì\絡は筆者李主 流行の構造 1978 注

1) 多街道太郎著 風俗学路上の思考 1978 8 ページ

115-122ページ 37) N.]. Smelser., Theory of Collective

Behavior 1962 2) 多間道太郎著 前 掲 28ページ 38) D. Riesman., The Lonely Crowd 1950 3) 現代風俗研究会編現{4;;)民俗'77 1977 20ページ pp17-19

4) 多妊i道太郎将 前 掲 41ページ一ジ降降降ジジ 39) M. Sherif & C. W. Sh巴rif., Reference Groups 以

以以一一ぺジジジペペ丸一

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1964 P40

40) G. M. Vernon., Human Interaction an introduction to Sociology 1965 41) 昭和54. 4. 24 日経産業新開所収

42) 湯浅 若手放:手� 身体一東洋的身心論の試み 1977・79 45ページ以降

( 220)

参照

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