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コメニウスにおける直観教授

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

コメニウスにおける直観教授

著者 石井 正司

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

巻 21

号 1

ページ 193‑211

発行年 1972‑11‑15

その他のタイトル On the Intuitional Instruction in J. A.

Comenius.

URL http://hdl.handle.net/10105/2823

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コ メ ニ ウ スにおける直観教授

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(教育学教室)

I.コメニウスの直観教授を支える精神的雰囲気

コメ二ウス(J.A‑ Comenius, 1592‑1670)はその主著「大教授学」 (Didactica Magna, 1657)において旧釆の伝統的教授方法一書物によって既成概念を注入する、いわゆる言語主義 的教授方法‑を徹底的に批判し、これと反対に、具体的事物に即し、感覚を通じて教授すべきこ

とをさまざまな形で表明している。たとえばこういっている。 「人間はできるかぎり、書物から ではなく、天と地、樫の木やぶなの木から学ぶ態度を教わらなくてはなりません。いいかえれば 単に事物についての他人の観察や証言をきくのでなく、事物そのものを知り、探究することを教 わらなくてはならないのです。認識というものは事物という原型そのもの以外のところから掘り あげることができないのですから、他人の観察や証言だけを学んでいては、また昔の賢者の足あ とに戻ることになると思うのです。こんなわけで法則としてほしいと思いますのは、 (1)すべて の学識を事物という不動の根源からとってくること(2)なに一つ単なる権威で教へないこと、

あらゆるものを、感性と理性に訴える方法を使って教えることです。 ‑‑」的 またこういってい るO 「認識はいつも必ず感覚から始まらざるをえませんo J 「知識の真実さと的確さとを左右する ものは、やはり感覚の証言以外にありません」…と。

認識、教授において重要なものは書物や言語ではないO事物であり、感覚であるo事物は認識 の「原型」であり、 「不動の根源」である。感覚は認識の出発点であり、真実性、的確性の根拠で ある。たしかに同時代の教授学者ラトケ(W. Ratke, 1561‑1635)も教授一学習において感覚 を重視していた糾。しかし、これを「教授の黄金律」として大胆に宣言したところにコメニウス の兵骨頂があるoすなわちこういっている。 「あらゆるものを、学習者のできるだけ多くの感覚 にさらすということが、教授者の黄金律にならなくてはなりません」̀日と。そして、彼は単に教 撹‑学習において事物一感覚を強調しただけでなく、その具体的体系を確立したのである。

さて、 19世紀末以来、教育史的通念は教授‑学習において、感覚的直接性を重視する教授理論 を直観教授(Anschauungsunterricht)とみている.そして、それはベーコン(F. Bacon, 1561‑1626)、ラトケを先駆として、コメニウス、ルソー(J. J. Rousseau, 1712‑1778)、ぺス

タロッテー(J.H. Pestalozzi, 1746‑1827)によって唱道きれたとみられている….上記のよう な教授‑学習におけるコメニウスの表明をみるならば、彼は直観教授理論史上で重要な位置、ま たその最初の理論家としての位置をしめていることは容易にみてとれようO ところで、彼の通観 教授の理論構造はのちにふれていくことにして、まず、それはどのような精神的零囲気の中で生 成してきたものであろうか。そして、そこからそれはどのような性格をになってきたのであろう か。この点からみていくことにしよう。

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3jtテウスにおける直観教授(石井)

周知のようにコメニウスは生粋のチェック人である1792年東欧モラビアに製粉業者の息子と して生れ、 16才でラテン語学校に入学し、ついでドイツのヘルボルン大学、ハイデルベルク大学 に学んだ1616年24才で故国のポへミヤ同胞教団(Bomische Briider)の牧師に紋品きれ、

1648年56才でこの教団の最高指導者に推挙された。しかし、これは平和のうちになきれたのでは ない1618年チェックを中心として全ヨーロッパ的な三十年戦争が勃発するが、この動乱と悲愁 の中でなきれたのである。この戦争は同胞教団とコメニウスにとっては反ドイツ、反カトリック、

反ハブスブルグ王朝、反封建の民族解放運動であり、まさに必死の斗争であったのであるo しか し、この運動、斗争は成功したのでなく、まきに徹薗徹尾悲運と挫折の連続であった。このため 1628年36才のときには故国チェックを逃れ、その後42年間にわたる再び帰ることのない亡命放浪 の旅に出るのであるO彼の足跡はT)ッサ、エルビング(ポーランド)、ロンドン(イギリス)、ス

トックホルム、ノルケビング(スエーデン)、サロス・パターク(バンガリヤ)、シユレジヤ、ステ ッチン、ハンブルグ(ドイツ)など、ヨーロッパいたるところにのこされ、 1670年78才でアムス テルダム(オランダ)に客死するのである。これは亡命教団指導者、新教徒の政治的指導者とし ての東奔西走の足跡である。彼は生涯に「大教授学」や「世界図絵」 (Orbis Pictus, 1654.初 版1658)などの著名な代表的作品のほかに200程近い著作、論文を公刊しているが、その大部分 はこの亡命放浪の間になされたのである。したがって、彼の教授学思想(当然、直観教授も)が チェックの民族独立と世界平和への希求という精神的零囲気あるいは精神的緊張の中で生成して

きたとみるのは、まことに自然であり、そして、 「大教授学」の序文にあたる「読者へのあいさ つ」州をみれば、まことに妥当な見解であることが証明できる.どの教育史家もこの点を見落し てはいない(7)。

しかし、ここではこの問題(直観教授、教授学思想の生成)を若干別の視角からみてみたい。

とはいっても、それは従来の教育史家の見解に対立するものではなく、従来軽視されていた側面 に新しい光をあてるということである。すなわち、それは、彼の直観教授(教授学思想)の生成 をフス派の後継者としてのポへミヤ同胞教団の精神的零囲気(‑プロテスタンチズムの一派のエ ートス)、中産的生産者層の形成、との関連においてみていくということである。そして、これ によって、彼の直観教授(教授学思想)が「近代」教授理論としての性格をになっていることを あきらかにしていく、ということである。

コメ二ウスは1616年24才でボへミヤ同胞教団の牧師、 1648年56才でこの教団最後の、そして最 高指導者になる。周知のように、この同胞教団の歴史は15世紀のフス(J. Hus, 1370頃‑1415, 焚殺)の宗教改革運動に淵源している。フスの死後からコメニウスの同胞教団牧師としての登場 まで約200年、この間には、到底ここに書きつくせないフス派内部の分裂抗争の歴史がある糾。

したがって、この同胞教団の中にはフス派の伝統(教理も)多重多層化して継承されているO こ の点から同胞教団の精神的雰囲気を正確に要約することはなかなかむずかしい。それにフスは理 論家ではあったが、ウィクリフ(J. Wyclffe,1320頃‑1384)と比較すると理論家というよりも ウィクリフの教理の普及者、説教者であった(H。また、ボへミヤ同胞教団だけをとっても、この 教団は一般に学問、教育にきわめて熱心であったが、卓越した教義学者をもつことがなかった。

皮肉にも最後の教団最高指導者となったコメニウスが最高の教義学者でもあったのであるO そこ でこの同胞教団の精神的雰囲気をコメニウスに即してみていこう。

コメニウスまた同胞教団の精神的雰囲気のなかで第‑に気づくこと、 ‑そして、それはフス 以釆の伝統でもあるが‑それは世俗内的禁欲であり、そして、中産的生産者層の生産的行為が

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コメニウスにおける直観教授(石井)

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模範あるいはモデルとしてみなきれていることであろう。これらはすでに先行研究者が無意識の うちにさまざまな形で指摘しているが(10)、ここではあらためてこれを強調しておきたいのであ る。まず世俗内的禁欲について「大教授学」の中から例をとってみよう。彼は、人間の究極的目 的は来世における神との合一であり、現世は単にそれへの準備過程、通過過程にすぎない.そし て来世と現世の生活に役立ち、その「土台」をなすものとして学識、徳行、敬神の三つを規定、

重視し、その他一切の価値は認めなかったのであるOすなわち、こういっている。 「人間の卓越 性はすべてこの三者(学識、徳行、敬神‑石井註)の中にあるのです。なぜなら、これだけが現 世と釆世との生命の土台であるからです。それ以外のもの(健康、体力、容貌、権力、地位、交 友、幸運な成功、長寿)は、神が授けてくれた場合でさえ、いわば付録です。生命の外側につい ている装飾品にすぎないのです。もし欲望の目でこれに見とれ、自分からこれに手をのばし、こ れに心を奪われ、われを忘れて、もっと大切なあの三者をないがしろにすることがあれば、それ はかえって無用の長物であり、不要な錘りであり、有害な邪魔物になるのです。 」そして時計、

馬、健康の例をあげて、時計には時間を計る機械こそ大事であり、その「外枠、彫刻、絵模様、

めっきなどは付属品」にすぎないのである。馬には敏活な動作こそ大事であり、馬衣、馬具、尻 尾やたてがみなどはどうでもよいのである。健康には活力のある内臓器官が大事であり、美衣、

美食は関係ないのである。 「ですから健康を増すよりも賓沢なものの方をしきりに求めるのは愚 劣な人間です。しかし、人間であろうとしながら、人間の本質よりもその装飾の方に多く心を注

ぐのはずっと危険な人間です。賢者ソロモンが、われらの生活を遊びと見なす者、あるいは儲け の多い商売と見なす者を指して、愚かな者、神をけがす者と呼び、このような者からは神の賞讃 と祝福とは飛び去って行くのである、としばしば語っておりますのもこれによるのです。 」 「で すから現世にいる間に学識と徳性と敬神との追求に努力すればするほど、私たちはあの窮極の目 的に近づいて行くということは動かせないようです。それゆえ、あの三者をこそ、私たちの生涯 の本務としなければなりません。残りはすべて副業であり、妨げであり、虚飾であるのです」(ll)

と。コメニウスはなによりも来世を窮極的目的とし、これと現世とを一直線につなぐものとして 学識、徳行、敬神の三つをあげ、それ以外のものには一切価値を認めなかったのである。ここに 彼の憧俗内的禁欲が明確に示されているといえよう。彼の直観教授(教授学思想)はまずなによ

りもこのような学識、徳行、敬神のみを目的とし、その他のものには目もくれないボへミヤ同胞 教団の精神的雰囲気二世俗内的禁欲を背景として生成してくるのである。

ところで、つぎに中産的生産者層の形成あるいは彼らの生産行為を模範ないしモデルとしてみ ることとの関係はどうなのかO コメニウスは直観教授(教授学思想)を合理的に構成する原理と して自然主義‑ 「生産する自然」に基礎をおいていることは周知のことである。 「生産する自 然」とは「自然界」 「技術界」 「社会」での生産の秩序である(12)。そして、この「技術界」 「社会」

での生産の秩序とは、実質において、中産的生産者層の生産の秩序である。彼は学校の設立から 教授の具体的展開の模範、モデルに中産的生産者層、農村の半農半工的な小商品生産者の像を枚 挙にいとまがないほどあげている。たとえば学校設立と教育の分業化の説明のための例としてこ

ういっている。

「ところで学校の建設を要求しておりますものは、はめたたえるべき事物の秩序であります。

例えば、一家の家父は家政に入用なものを全部自分の手で生産する必要はなく、さまざまの職人 を利用すればよいわけです。同じことが教育の場合にないのはおかしいではありませんか。つま り、家父は小麦粉が入用な時は製粉職人のところへ行きます。肉は屠殺職人、飲料は飲料製造職

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人、衣服は裁縫職人、靴は製靴職人、家の建築や鋤や釘などは大工職人、石工、鍛治職人、鋸職 人などのところへ、それぞれゆくわけですOいやそればかりではありません。成人の信仰心を養

うために寺院があります。訴訟の黒白を論議したり、民衆を召集して必要な事項を伝達するため に議事堂や裁判所があります。だとすれば青少年のために学校がないのはおかしいではないでし ょうか。事実、村の農夫たちは豚や牛を自分で飼わずに飼育業者を雇って、この飼育業者がどの 農夫からも家畜を預かっているではありませんか。農民の方は、その分だけ仕事の分散を免れて 本業に専念できるわけです。いいかえますと、ひとりの人間がひとつの仕事だけを運行して、ほ

かの仕事による分散をこうむらなければ、そこにまことに見事な労働の節約が生ずるのでありま す。申すまでもなく、このやり方によってひとりの人間が数多くの人間の役に立ち、また数多く の人間がひとりひとりの役に立つのです。」̀川

コメ二ウスがアタム・スミス(A. Smith, 1723‑1790)の「国富論」 (1776)に先立つこと 150年も前に分業の利を認め、そこから学校設立論を基礎づけた嫡眼に驚くのももっともなこと である(14)。しかし、ここではそれと同時に、彼がここにあげたさまざまな職人‑小商品生産者‑

中産的生産者の生産技術、合理主義、職業倫理に深い深い信頼をよせていることを見事によみと ることができよう。これはまさにポへミヤ同胞教団の世俗内的禁欲の経済活動への投影であり、

マックス・ヴェ‑バーのいうプロテスタンチズムのエートスと「近代」資本主義の精神の「内面 的な親緑関係」を示すものといえよう。

通例コメニウスの教授学思想(直観教授)は封建社会から資本主義社会への転換期に出現して きたものとみられている̀川。しかし、それはコメニウス教授学思想(直観教授)をめぐる単な る生産力、生産関係の変化とか、時代的諸徴候などの表面的現象によって規定されてはならな い。これはまさに上述したような精神的雰囲気の深みにおいて把握されねばならないのである。

本稿が強調したいのはこの点であり、このゆえにコメニウスの直観教撹(教授学思想)はまさに

「近代」教授理論としての性格をになってくるのである̀1日。ここまで論及したついでに、かなり の誤解、危険、反論を予想しながら一つの比愉的仮説をのべておきたい。中産的生産者層の発生 は封建的共同体の中に局地的、地域的市場圏を形成することと平行してくる。そして、そこでの 経済はあの前期資本‑商業資本の不等価交換とことなり等価交換を不可避的に招釆してくるもの である。すなわち、 「近代」資本主義の発生、発達を招釆するのである(IT)。このことを教育的場 面にひきうつすとどういうことになるか。書物による既成観念の無批判的注入、ギリシャ語、ラ テン語の言語主義的教授は多分にコケオドシ的、装飾的教授であり、事物の真実性とは不等価 (交換)の教授ということができよう。これに対し、直観教授は事物≠感覚に基礎をおく教授で あり、事物の真実性と等価(交換)の教授であるといえよう。これこそ近代人‑中産的生産者層 がそののっぴきならぬ生活を支える教育、教養をつくるのにふさわしい教授である。この点から も直観教授が「近代」教授理論の性格をになっていることを証明することができようO以下、直 観教授の理論構造に入っていくことにしよう。

II.教育の日的、汎知教育

コメニウスの直観教授の基本的構造は一見きわめて簡単にみえる。なぜなら、それは感覚的認 識論を基礎にした教授理論だからである。すなわち、教授において事物を用い、感覚を通じて認

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識を造出しようとする原理にたっているからである。しかし、その場合、教育内容、教材として の事物の選択、酉己列体系化の原理はなにか、学習主体(生徒)における感覚的認識の構造、機能 はどう理解されているのか、など、一歩つっこんだ問題になると事態はたちまち複雑になってく る。ここではさしあたり、教育内容、教材としての事物、その選択、配列体系化の側面から入っ ていこう。しかし、この側面から入るにしても、まず教育の目的から入っていかざるをえない。

なぜなら、事物の選択、酉己列体系化はこの教育目的によって規定されてくるからである。

前述したように人間の窮兜的目的は来世における神との合一による幸福である。現世はそれへ の準備、通過過程であり、それは学識、徳行、敬神によって準備されることになる。すなわち、

学識、徳行、敬神が教育の目的であり、教育内容、教材としての事物はこの見地で選択され、こ の見地に合致しないものは排除されることになる。この間の事情を若干説明しておこう。来世の ために、人間は現世において、「(1)理性をそなえた被造物、(2)被造物の支配者である被造物、

(3)創造主の似姿であり、よろこびである被造物」にならなければならない。(i)の「理性をそ なえた被造物」とはあらゆるものを知り、名前をあげることができ、理解することができる。す なわち、あらゆるものの探究者、命名者、解明者になることである(2)の「被造物の支配者で ある被造物」とは、それ自体では無意味である被造物(動、植物など)を「利用」することによ ってそれに意味をあたえ、本釆の目的に向けることであり、また他人との関係において行動、行 為の規範をつくり、それを守ることである。(3)の「創造主の似姿であり、よろこびである被造 物」とは「人間の原型である神の完全きを生き生きと形に表わすこと」、「万物の源泉である神に 自分自身とあらゆるものとをかえす者になる」、すなわち、神‑の帰依者になる、ことである。

この三者を「世間ふつう」の言葉で簡潔にいえば、(i)学識、(2)徳行、(3)敬神ということに なるのである。この教育目的はあくまでもまだ教育目的であり、達成されたわけではない。人間 にはこの目的を達成すべき必要性と可能性があたえられている。しかし、これを達成するかどう かは神の手によってではなく、人間みずからの手によって、人間の責任において、人間の主体的 努力によって、達成されなければならない。これは神事(resdevinae)に対して、まさに「人 事」(reshumanae)といえようO

この「人事」のレベルで学識、徳行、敬神という教育目的を達成するために対象化された世界 が「事物」の世界であり、コメニウスのいわゆる汎知学(Pansophia)の世界であるOだから逆 にいえば、事物、汎知学の世界は学識の対象であり、徳行が利用,模倣すべき秩序であり、敬神 のバストを喚起する恩恵の世界である。したがって、ここで選択された事物はけっして偶然にま かされたものではなく、学識、徳行、敬神という教育目的の規準に合致したものなのである。こ のような事物、汎知学の教育が彼における教授学の主題であり、したがって、教授学と汎知学は 相互包摂関係に立っているといえよう(13)

ところで、この事物界、汎知学はどのように配列体系化されるべきか。ここには彼自身の修学 時代の苦々しい体験が反省されている。たとえば、こういっている。「私たちが弁証論、修辞学、

形而上学を学習した頃、教師はあるときはくどくどした規則で、また注釈書や注釈書のまた解説 早,それに著作家たちの比較や論争史などで私たちを悩ました」(191のである.また、こういっ ている、「学習者の目の前にあるのは、いわば材木と木っぱだけですし、それにどんな方法をと れば、これが密着するかということにJbを配る人はいないのです」(叫o事物界、汎知学はこうあ ってはならない。これでは学習者の力量、「自分で自分を養い、自分を強め、自分を広げていく 知識」l!l>とはならないのである.事物界、汎知学は体系化されねばならない。では、それほど

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のようにさるべきか。これについてみていくにはまず教授学の方法にふれなければならない。

III.教授学の方法原理

コメニウスの「大教授学」は「あらゆる人に、あらゆる事柄を教授する普遍的な技法」日日であ る。したがって、それは教授一学習を「的確」 「平易」 「着実」に進展する方法であることは当然 であるが、しかし、それだけに限定されたものではないO それは同時に「あらゆる人」に教育機 会の均等を保障するために学校を設立する方法でもあり、また、教育内容、教材としての「あら ゆる事柄」 ‑汎知を構成する原理を示しているのである。したが.?て、事物界‑汎知学の方法は 教授学の方法からはじめなくてはならない。

コメニウスは大教授学の冒頚「読者へのあいさつ」でこういっているO彼の同時代の教授学者 も教授の技法の探究をはじめたO しかし、それは言語とか知識、技術とかの個別学科を手取り早 く教授する方法を探究したにすぎない。しかもそれは表面的な観察にもとづいて単に改良された 教授実践例をよせあっめたにすぎなかったのである。したがって、それはアポステリオリ(経験 的)な方法にすぎなかったのである。これに対し、コメニウスはみずからの立場を明確に区別す る。すなわち、彼は「自然」というアプリオリ(先験的)な方法によって教授の方法を確立しま うとするO彼はそれを「自然的方法」̀川とよんでいるo

ところで、その「自然」、 「自然的方法」とはなにか。コメこウスは「自然界」 「技術界」 「人間 罪(社会)」の生産過程に「自然」を見出そうとする。すなわち彼の「自然」とは単なる山川草 木的「自然」でもなければ、単なる理念的仮設的「自然」でもない。それは自然界、技術界、社 会を通じてみられる「生産する自然」である。それは一つの秩序(当然のこと、一つのメカニズ

ム、技術)であるとみることができる。 「この宇宙をそのいちばん小さい部分にいT=るまですべ てを包んで今ある姿に保っているものがなんであるかをよくみてみると、それは秩序以外のなに ものでもなく、絶対になにものでもないことがわかると思います。」鮒といっているo そして、

彼は、世界、天空、微妙な営みをする虫、人体、精神、艮政の行なわれている王国、アルキメデ スの機械、一切を粉砕する火砲、印刷術、単軸、船舶、時計という12の自然界、技術界、社会の 実例において秩序(メカニズム、技術)のあることを実証している。そして、このような秩序 (メカニズム、技術)に立脚することが教授学の方法原理、教授学の「自然的方法」である。上 記から明らかなようにコメニウスにおいては「技術」は「自然」と対立し、それを支酉己する主体 的把瞳としては確立されていないO この点で今日の「技術」観とは本質的にことなるO これは彼 が神を前提としたとき「自然界」 「技術界」 「社会」を同質的世界とみなしていること、逆にいえ ば、 「自然界」 「技術界」 「社会」に神の啓示をみるという彼の世界観‑ボへミヤ同胞教団、プ

ロテスタンチズムのエートスを示しているといえよう̀2日。

上述したところから、 「技術は自然を模倣しなければ、なにごともなしえない。 」 「技術の生産 活動は自然の生産活動の基準に、それこそ精密に合致させる以外にはありえない。 」ということ になる̀川O かくて技術は自然界の生産の秩序を原型として技術界、社会へと「類比の方法」を 通じて貫かれていくものとみる。学校、教育、教授もその例外ではない。 「教育の方法は技術に 帰さざるをえない。 」 「学校の精密な秩序は自然から借りなければならぬ。まことに自然から借 りた秩序はいかなる障害もおしとどめることはできない。」 「あらゆる事柄を教授し、学習する技

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術の普遍的な原型と考えられる秩序は自然という教師以外の手から受けとってはなりませんし、

受けとることはできない」(ill、ということになる.このように彼の教授学は「自然的方法」、その 系としての「類比の方法」によって構成されていく。そして、この方法は教授学だけでなく、事 物界、汎知学の体系化の方法に転換されていくのである。

IV.事物界、汎知学の体系‑ 「世界図絵」を例としてO

コメ二ウスにおける事物界、汎知学の体系化の努力は、めぼしいものだけあげてもつぎのよう なものがある1616年24才、 「事物界の劇場」、 1623年31才、 「現世の迷路と魂の天国」、 1631年39 才、 「開かれた言語の扉」初版、 (以下略「扉」)、 1633年41才、第2版「扉」、 「母親学校の指針」、

1656年64才、 「演劇による学校」、 1658年66才、 「世界図絵」、などという具合である。これでみる と、この努力はかなり若い頃から晩年までにおよんでいるし、また、教授学作品(チェック語

「教授学」、 1628‑32 (36‑40才)頃成立)の出現よりも早いといえよう。したがって、その体系 化の中でも変遷があったことは当然想像される。コメ二ウス研究家堀内守博士はすでに初版「扉」

と第2版「扉」における変化を詳細に研究している(ES>。しかし、ここでは事物界、汎知学の体 系そのものの理解が必要であるし、また、そのもっとも完成されたものをみるため、さらには、

本稿が後述する便宜のため、 1658年の「世界図絵」についてみていきたい0

1657年「大教授学」はアムステルダムで刊行されるが、その第28章「母親学校の原型」におい て、 「小さな絵入りの本」の近刊を予告しているo そして、翌1658年ニュールンベルクで「世界 図絵」が刊行きれた.これはまず「母親学校」 (1‑6才)の教科書であり、そして周知のよう に世界最初の絵入りの教科書であり、直観教授の原理そのものを表現した教科書であるO これは

〔別表〕のように最初の「入門」 「アルファベット」、最後の「結論」を除き全150章で構成されて いる。この葦目によって事物界、汎知学の体系をみてみよう。 (参考のために「扉」‑の葦目につ いていえば、初版、第2版「扉」ともに100葦目、したがって、 「世界図絵」の方が50章目増加し、

それだけ詳細になってきたといえよう)。l!D C別表⊃ 「世界図絵」の葦目

I 入 門      (12)樹 木     (25)四足猷     (38)頭と手

Ⅱ アルファベット  (13)木の実     (26)群居動物    (39)筋肉と内臓 :ok!:

(2)檀 (3)天

界空

(4)火 (5)空 気 (6)水

し71 '‑'.*

(8)大 地 (9)地上の産物 (10)金 属 (ll)石

(14)花 芽 (15)庭園の果実 (16)穀物、畑の実り (17)潅木、多年生草木 (18)動物まず鳥 (19)家 島 (20)鳴く鳥 (21)野 鳥 (22)猛きん類 (23)水 鳥 (24)飛ぶ昆虫

(27)駄 猷 (28)野生動物 (29)野 獣 (30)蛇と虫類 (31)遣う昆虫 (32)両棲動物 (33)川、沼の魚 (34)海の魚と貝 (35)人 間 (36)人間の7世代 (37)人間の外的構造

(40)脈管と骨格 (41)外、内部の感官 (42)人間の魂 (43)不具、奇形 (44)園 芸 (45)農 業 (46)牧 畜 (47)養 蜂 (48)製 粉 (49)製パン (50)魚 業

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狩 鳥     (77)時計師     (103)天球儀 狩りよう     (78)絵かき      (104)惑 星 肉 屋     (79)眼 鏡     (105)月の形 台所作業    (80)桶 職     (106)蝕

(129)葬 式 (130)演 劇 (131)軽業師 (132)撃 剣 ブドウ摘み   (81)網匠と馬具商  (107)地球儀     (133)ボール遊び ビール憾造   (82)旅 人

食 事      (83)騎乗者 麻 織     (84)荷 車 織物作業    (85)運 輸 亜麻織     (86)橋 製 縫     (87)水 泳 靴 屋      (88)稽 舟 大 工     (89)商 船 レンガ積み   (90)難 破

機 械 家 屋 鉱 山 鍛冶屋

指物師とロクロ師 陶工師

家の諸部分 居間と寝室 釣べ井戸

(91)筆記法 (92)紙 (93)印 刷 (94)書 店 (95)製本屋 (96)本 (97)学 校 (98)博物館 (99)話し方 抹 浴     (100)楽 器 床 屋     (101)学 問 馬小屋     (102)測 量

(108)ヨーロッパ

(109)倫 理 (110)賢 明 (Ill)勤 勉 (112)節 制 (113)強 壮 (114)忍 耐 (115)愛 想 (116)正 義 (117)柔 和 (118)婚姻関係 (119)親類縁者 (120)両 親 (121)家 父 (122)都 市 (123)都市の内部 (124)裁判所 (125)罪人の体罪 (126)商 業 (127)度量衡 (128)医 術

(134)将 棋 (135)競 走 (136)子供の遊び (137)王国と国土 (138)国 王 (139)戦 士 (140)陣 地 (141)戟 斗 (142)海 戦 (143)都市攻撃 (144)宗 教 (145)異 教 (146)ユダヤ教 (147)キリスト教 (148)拝火教 (149)摂 理 (150)審 判 結 論

この150章目を眼前にして、一体この葦目はどのような領域からえらばれ、どのように体系づ けられているのか、にいささか戸惑わざるをえない。しかし、 (1)の「神」を別格とすれば、そ れは、自然界C(2)‑(42))、 (例外(43))技術界((44)‑(90))、人間界‑社会((91)‑(150))、も

っと細分すれば、教育、学問((91)‑(117))、社会((118)‑(143))、宗教((144)‑(150))に 三大別できよう。しかし、これを体系づける原理はどこにみられるか1657年頃の彼の「教授学 全集」 (Opera Didactica Omnia, S, 473‑475)における汎知界の構成図は大きな暗示をあた えているといえよう。この構成図にしたがえば150革目はつぎのように割当てられよう。

(10)

コメニウスにおける直観教授(石井)

第1秩序

〔汎知学の構成図〕

自然の事物と作用

汎  知

遍歴・事物と作用との

L結去

人間の作用 (労働による)

神の事物の作用

尋薫薫・(2)‑(7)

・(8)‑(34)

・(35) (42)

事物を巧みに 扱う‑技術

人間を巧みに 統治する技術

‑政治

粗野な‑農業・一一一‑‑‑‑ (44)‑(46) 精密な‑工作技術‑・ ‑‑‑・‑‑ (47W90) 最も精密な‑学芸‑‑‑‑‑‑‑(91)‑(117) (≡;≡誓…三菱軍三三‑(118)‑(121)

・・・(122)‑(136)

・・・(137) (143)

神をJEhからあがめる技術二宗教・・.‑   ‑・(144)‑(150)

201

(注、この構成図で、もっと細分化することができるが、この程度にとどめておく。 )

ところで、この図はどのように体系化されているのか。それは自然界の自然的生産の秩序、

「技術」から、 「事物を巧みに扱う技術」 (その中味は、 「粗野な技術‑貴業」 「精密な技術‑工作 技術」、 「最も精密な技術‑学芸」と段階づけられている。 ) 「人間を巧みに統治する技術‑政治」

(その中味も、図表のように3段階にきれている。 ) 「神を心からあがめる技術‑宗教」へと、低 次の技術から高次の技術へと排列されているのをみてとれよう。教授学の「自然的方法」 「類比 の方法」は技術(秩序、メカニズム)であったが、この事物界、汎知学の世界も「技術」で体系 化されているのをみてとれよう。

しかし、この「技術」による体系化も、ここでは深入りできないが、やはり一定の限界をもっ ているのに注意しなければなるまい。たとえば、自然界、技術界(図申(2W42)と(44)‑(117)) は低次の技術から高次の技術へと進行しているが、社会(図申、 「人間を巧みに統治する技術」二二 政治」)では技術の低次う高次でなく、小規模→大規模となっている、ことなどである。このよう な限界があるにしても、事物界、汎知学も教授学と同じ方法で構成されていることはあきらかで あろう。そして、事物を「技術」の見地から体系化しようとする意図の中に、事物を知り、支配 し、利用する。 (学識、徳行、敬神)という深い主体的意味がこめられているのを感知するであ ろう。以上、コメニウスの直観教授における教育内容、教材としての事物の選択、その配列体系 化をみてきたが、つぎに、学習主体(生徒)の側における感覚的認識の構造、機能についてみて いこう。

Ⅴ.人間、精神の精気論的、機械論的把握

コメ二ウスの感覚的認識論に入るまえに、まず彼は認識を支える人間、精神について一体どの ような見解をもったのであるか。彼はそれについては精気論と機械論を混在併存させていたよう にみえる。精気論とは人間の日的、能力など、すべては先天的に内在しているものとみる。した

(11)

202

̲1・J二.1‑子!.‑t斗†るL白:観烈揮ca即̲̲

がって、教育は外部から素材をもちこむ必要はなく先天的内在的能力を開発すればよいという見 地である。他方機械論は人間、精神を機械的にみ、それゆえに、それは外部から認識素材を積極 的にもちこみ形成すべきであるという見地である。したがって両者は一面ではまったく矛盾した ものといえよう。しかし、この矛盾はコメニウスにおいては矛盾として自覚されず、むしろ、こ れを止揚する契機としてみられていたようである。 「全知識の集約」とか「総体的な学識の展望」

は、この矛盾した二契機の止揚としてみることができるからである。

ところで精気論、機械論についてもう少し詳細にみてみよう。精気論の見地では人間の目的、

能力‑手段、器具、道具などは神から流出し、人間に先天的に内在しているとみる。 「自然とい う言葉によって神の広大な摂理を考え、あるいは神の働きが休みなく流れこんで、あらゆるもの の中にあらゆるものをつくりだすことを考えます。いいかえれば神が一つ一つの被造物の中に定 めておいた目的を実現していくことを考えます。もちろん神の知恵は、なに‑ついたづらにはつ くりません。いいかえれば神はなにかの目的がなくては、そしてその目的を成就するための手段 を与えずには、なに一つつくらないのです。ですから存在するものは皆なにかのために存在する のですし、その目的を完全にはたすことができるように必要な器官と道具を、いやむしろそれへ のいわば衝動を与えられているのです。ですからなに一ついやいやながら自分の目的に向うもの とか、目的に逆うようなものはありません。かえって自然そのものの原動力によって楽に、楽し く、自分の目的に向かって進み、もし、これを抑えれば苦痛が生じ、死が生ずるのです。こうい うわけで、人間には事物を認識する目的、徳行の調和をえる目的、なににもまして神を愛する目 的を成就する力が生れつき与えられていることは確かです。つまり、どんな樹木でも必ず根をお ろしているのと同じように、人間の中にある三者の根があることは確かなのですoJll)したがっ て、この見地から人間の精神は、あらゆる種類の種子がまかれ、やがて成長し、花開かせる「大 地」 「庭」にたとえられる。また、完成した植物、樹木をすでに内在させている「種子」にたと えられる。 「人間の精神は植物の種子あるいは果実の芯にたとえるのがいちばん適当でありまし よう。種子や芯の中には植物や樹木の姿がそのまま実在しているのではありませんが、しかし、

植物や樹木はそこに現実に内在しているのです。事実このことは大地にまかれた種子が下に根を おろし、上に若枝をのばし、やがてこれらが自然の力によって梢となり、葉となり、葉におおわ れた花や実で飾られるところから明らかになります。ですから人間にはなに一つ外部から持込む 必要はありません0 日分の中に秘められていたものが蔽いをはがれ、繰りひろげられ、一つ一つ のものがその姿を明らかにされるだけでよいのです。」̀"'このような人間観、精神観が精気論で ある。この見地は汎知の統合性や、知識の集約性を説明するには誠に有効であるが、感覚的認識 論、さらにそれを基礎として直観教授論を展開するには、その余地はほとんどないであろう。し たがって、この精気論と裏腹に、いやそれよりもドミナントに機械論が展開される。

コメニウスは世界、天空、虫、王国、機械、火砲、印刷術、事柄、船舶、時計を「自然と技術 との実例」としてメカニズムの論理で説明しているが、 「人体」も「精神」もその中に入れてい る(It)。ここでは精気論が人間、精神を「種子」のアナロジーでみていたのに対し、それを「時計」

のアナロジーでみている。 「人間は肉体の面でも魂の面でも自ら一個の調和以外のなにものでも ありません。申すまでもなく、広大な世界そのものがいわば巨大な時計です。数々の歯車、転子 で精巧に組立てられていることから、力はつぎつぎに宇宙に伝わり、運動の永遠の調和とが生ま れます。人間も同じことです。つまり肉体は驚くばかり精巧に組立てられているのですが、ここ の第一運動者は生命と活動との源泉である心臓です。他の五体はこの心臓から運動と運動の量を

(12)

コメ二ウスにおける直観教授(石井)

203

受けとります。 ・ ‑‑・同じように魂の運動の場合、親歯車は意志です。親歯車の動かす錘りは 欲望と感情で、これが意志をここかしこに向けるのです。運動を制止し、抑制する歯止別ま理性

ですO理性はなにを、どこで、どれほどまで実行しなくてはならないかを計算し、決定するもの です。」̀川前述した精気論でなく、このような機械論的な人間、精神観こそ感覚的認識論、それ にもとづく直観教育論の基礎をなしているとみることができよう。実際、コメニウスが認識能力 として精神または脳髄を「球鏡」 「鏡」 「白紙」 「木蝋」(ss)とみる見方はこの機械論の‑局面をな しているといえよう。

VI.感覚的認識論

人間、精神についての機械論的見解を前述したが、これを基調として彼の感覚的認識論および 直観教授論が展開される。周知のように彼は「予め感覚の中になかったもので認識能力の中にあ るようなものはなに一つないのです」<sォ>といっているO この言葉はギリシャの音から古いが、こ れを新しい理論のもとで強調した点にコメニウスの意義がある。彼は認識において感覚の位置あ

るいは役割、感覚から実践までの回路についてどう考えたのかoまず、その位置、役割について はなんといっても、それが認識の源初性、真実性、的確性、記憶保持性の保証をなしているとい うことである。このことは彼は随所で強調しているO そして、このことから逆に、事物が汎知学 的連関、全体像(前述した「世界像」が一定の体系をもっているように)をもつべきことを要請

している。

さて、つぎに感覚から実践までの回路、メカニズムはどのように理解されていたのか。これに ついてコメニウスは断片的に語っているにすぎないが、先行研究者堀内博士の定式化した図式t…

を用いて概括しておこう。

IE凶m%

1‑6才

く感覚器官)

Cwsォsfi)

母国語学校 7‑12才

(二二⊃

ラテン語学校 13‑18才

〔写懐ノ]〕 〔記憶力〕 〔認識能力〕

(写像)   (想起)

[司三r⊥回⊥

1

外部表現さ れた事物懐

内部に表現さ tXmxSm

(辛.舌)̲

(表現力〕

大  学 19‑24才

⊂⊃ 、・、

〔判K力〕

(価値判断)

帰納された 事 物 傾

l

==エコ

価値を判断さ れた事物像

*蝣‑‑*‑

㊤ 」f*一一‥○事物の存欄態‥ー‥̲.一一̲.一口

器官‥一一( )

;;│:!.:、一一、 l

作川‥ ‑‑( )

(表 現)     : \事物の変化のプロセス一一一一◆

変化させる作目「1‑

認識のメガニズムとはたらきの整理図

(13)

204

コメ二ウスにおける直観教授(石井)

(A)まず年令段階別にみれば、母親学校(1‑6才)では「外部感覚」、母国語学校(7‑

13才)では「内部感覚」、ラテン語学校(13‑18才)では「認識能力と判断力」(精神)、

大学(19‑24才)では「意志」が「訓練」きれるように計画されている。

(B)つぎに年令段階別でなく、平面的に認識の構造、メカニズムをみてみよう。

(1)外部感覚すなわち五官(視覚、聴覚など)はそれぞれ写像作用をもちいて事物の写 像、事物の部分像をつくりだす。

(2)内部感覚はこの事物の部分像を集約、統合して事物像‑事物の全体像をつくりだす。

この事物の造出はまきに事物の模写であり、コメニウスはそれを「認識」と区別し、

その前段階として「知識」とみなしている。そしてこの事物像が「認識」 「言語」 「実 践」の端緒をなしていくとみている。

(3)精神は認識能力を用いて個々の事物像‑個々の知識を帰納して「普遍的な認識」をつ くりだし、同時に認識能力を高めていく。また精神は判断力を用い的確な知識、認識 を比較、評定して正確な価値判断を下し、同時に判断力を高めていく。

(4)意志は人間の全行為の道標として機能する。 (言語、実践も認識と同様事物を契機と して成立していくが、その構造、メカニズムはコメニウス自身においても必ずしも明 瞭ではない、したがって、ここでは深入りしない̀川。)

さて、 「認識」において、事物像の造出は不可欠の、そして第一段階の作業である。いうまで もなく、その主役は感覚(外部、内部)である。このためこの段階のみが強調され、これをもっ て直観教授とみなす傾向がある。しかし、ここで成立しているのは事物像‑ 「知識」であり、こ れを端緒として「認識」は成立していくのであり、 「認識」だけでなく、価値判断、コミュニケ イシヨン、実践も成立していくのである。とすると事物像‑ 「知識」を造出する感覚主義と、事 物像こそ「認識」や「言語」 「実践」の基礎であるとみる感覚主義とは区別きれなければなるま い。前者が狭義の感覚主義とすれば、後者は広義の感覚主義である。コメニウスの教育が単なる

「知識」でないとすれば、それは広義の感覚主義に立っていることはいうまでもなかろう。

以上のような感覚的認識論をふまえて学識(知識、技術、言語と細分している)、徳行、敬神 の直観教授がそれぞれ個有論理をもって展開されているが、ここでは省略する。ここでは彼の直 観教授論をそれこそ直観的に示している、前述した「世界図絵」の図絵そのものに立入っておき ma

VII. 「世界図絵」、図絵そのものを中心として。

「世界図絵」 (Orbis pictus)の構成体系については前述した。しかし、ここでは若干視角を ことにして図絵そのものの性格からコメニウスの直観教授をまさに直観的に認識していきたい。

「世界図絵」の図絵は最初の「入門」 「アルファベット」、最後の「結論」を除き(「入門」と「結 論」は同じ図絵である。参考のため)各章に一葉づつ、つまり150葉の図絵が入っている。各図 絵の重要部分には番号がついており、それを言語と対照させ、それについて教師と生徒が対話す

るという方式をとっている。これは「言語の学習は事物と平行して進まなくてはなりません」̀川 という原則を具体化したものである。それはさておき、この150図絵のうち、 「神」 (1、番号は 葦目、 Ⅳの「世界図絵」の章目参照)とか「摂理」 (144)、 「審判」 (150)とか、抽象的なものを

(14)

コメ二ウスにおける直観教授(石井)

205

除くと約130が具体的な現象や対象を示している。そのうち約10は図式的表現をとっている。 (例

「惑星の位置」 (104)、 「月の満欠の形」 (105)など)、したがって、ここでは約120の図絵につい てみてみよう。

そこで気づく第1のことは、図絵がきわめて写実的になってきていること、第2に、それと関 連して科学的になってきていることである。そして、このことがそれ以前の教授的図絵とことな りコメこウスをして真に直観教授の立場に立たしめていることを直観的に示しているといえよ

蝣)o

まず第一の写実性についてみてみようO教授において図絵を用いることはなにもコメニウスに はじまるわけではない。極端にいえばそれは人類の歴史とともに古ともいえよう。したがって中 世でも用いられている。文盲の大衆に宗教的心情とそれ相応の論理をゆきぶりこむには図絵は有 効であった。これはなにも文盲の大衆だけでなく(主として下級)僧侶の教授にも有効であった。

また単に意図的教育だけでなく、宗教行事を[和むとした日常生活用カレンダ‑に図絵が盛んに 用いられている。しかし、ここが重要な点であるが、その図絵に決して写実的でなく、比輪的、

装飾的とでもいう類のものであった。文末の「水仙」 (Narzisse)の図絵、図1はその典型であ るOいうまでもなく図1はあのナルシズムの物語をふくんでいるo これに対し、図2は「世界図 絵」に直接掲載きれているわけではないが、このような図絵こそ、コメニウス風なのであるO き わめて写実的だといえよう。

つぎに第2の科学性についてみてみよう。コメニウスの生きた時代(1592‑1670)はまさに科 学革命の時代(1492頃‑1687)の最盛期であったo科学革命の主たる内容と指標はつぎの4つで あろう (1)大洋航海(1492、アメリカ大陸発見)、 (2)地動説(1543、コペルニクス、 1687、

ニュートン万有引力の法則)、 (3)科学方法論の確立(1620、ベ‑コン「新機関」、 1637、デカル ト「方法叙説」)、 (4)自然科学の市民権確立としての学会成立(1662、ロンドン、 1666、パリ) である(41)。もちろん、この科学革命は科学だけでなく技術の革命もふくんでいる。コメニウス、

ということはボへミヤ同胞教団や中産的生産者層もこの科学革命の空気を十分に吸いこんでいた のである。

1633年ガリレイは地動説支持の故に監禁されているが、コメニウスは1649年版「開かれた言語 の扉」の脚註にあえて「コペルニクスの新体系によると地球は太陽の周りをまわっている」と記

している(42)。また「世界図絵」 (1658)の「天空」 (3)ではそれを図式化している。 (この図式 化が、見かけ上、また説明上、天動説的に見える点に問題はあるが)科学革命が、観察、経験、

実験を前提とするとすれば、それを意識して教授が「実物」 (必然的にそれは科学的知識を提示 する)の提示を重視するのは当然のことである。コメニウスのいう「事物」とは、 「実物」ある いは「実物の模写」であり、これが最高の価値をもつのである。すなわち「最高の認識とは事物 をあるがままに認識することです。」<*J)し7':がって「世界図絵」が科学革命の中であらわれてく

る成果、精華を大きくとり入れてくるのは当然のことであり、図絵が写実的であるだけでなく、

同時に科学的になってくるのは当然のことである。

たとえば「世界図絵」の「筋肉と内臓」 (39)、 「鉱山」 (67)をみてみようo この章目自体母親 学校(1‑6才)の教科書「世界図絵」の内容としては水準の高いものであるが、それよりも、

この図絵自体が科学革命の中の成果また精華をそのままとり入れたものであることである。

まず「筋肉と内臓」 (文末図3)の図絵申、 「筋肉」の図絵をみてみよう。この図絵は文末図4 を原型としていることは明らかであろうO ところでこの図4は実にヴェザリュウス(A. Vesa‑

(15)

206

コメニウスにおける nfia

lius,1514‑1564、近代解剖学の祖、神聖ローマ皇帝カール5世の内科医)の「人体の構造につ いて」(Dehumanicorporisfabrica,1543)所載の解剖図なのである。(図3の内臓解剖図は すでにVesalius以来広く流布していたものとみられているCIO¥

。/つざに「鉱山」(67)の図絵

(文末図6)は図5のa、bを合成作図したものであることは明らかであろう。ところでこの図 5のa、bは科学革命時代、鉱山冶金方面の第一人者であったアグリコラ(G.B.Agricola, 1490‑1555)の「金属について」(Deremetallica,12巻本)所載のものなのである。したがっ

て彼の「坦界図絵」は科学革命の成果また精華を大きくとり入れ、そして科学的になってきてい るといえよう。

上に主として自然科学、技術についての図絵の写実性、科学性についてふれたが、これは社会 生活をうつした図絵についても同様のことがいえる。しかし、これについては別の機会に論じた い。要するにコメニウスの図絵は実に写実的、科学的になってきたのであり、そして、そのこと によって彼以前の教授用図絵とみずからを区別し、図絵そのものにおいても真に直観教授の立場 に立っていることを実証しているのである。

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参照

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1) Office for Educational Planning and Research, Institute for Education and Student Support, Ehime University 2) Faculty of Education, Graduate School of Education, Ehime