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アメリカにおける20世紀前半の臨時教員免許状政策 とその後の影響

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

アメリカにおける20世紀前半の臨時教員免許状政策 とその後の影響

著者 八尾坂 修

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

巻 47

号 1

ページ 167‑175

発行年 1998‑11‑10

その他のタイトル Emergency Teacher Certification System and Its Influences in the U.S.A. in the First Half of the 20th Century

URL http://hdl.handle.net/10105/479

(2)

奈良教育大学紀要 第47巻 第1号(人文・社会)平成10年  

Bull.NaraUniv.Educ.,Vol.47,No.1(Cult.&Soc,),1998  

167   

アメリカにおける20世紀前半の臨時教員免許状政策とその後の影響  

八尾坂   修  

(奈良教育大学教育経営学教室)  

(平成10年4月17日受理)  

キーワード:臨時免許状、教員不足、臨時教員  

Ⅱ.第二次大戦前後における臨時免許状の特質  

20世紀前半における各州の免許制度が教員の需給状   況によって影響を受けたのも確かである。この点、教員   需給を左右する要因として合衆国全体から見た場合、二   度の大戦、移民の増加とともに、経済的好況・不況を無  

視できない(2)。つまり教員不足が異常に生じたのは1918  

年頃から1923年頃、1942年頃から1950年(およびそ  

れ以降)の時期であり、いずれも戦争時に関連を有する。  

また、教員の過剰供給は1928年頃から1934年の経済不  

況時に発生しているからである(3)。   

そこでまず第1の教員不足期は、第一次大戦直後に当   時必要とされる約80万の教員のうち5万人が不足して   いたことが合衆国教育局長官により報告されていた事実   から示される。その背景として複合的に判断できるが、  

男性教員の軍隊への派遣とともに、19世紀末にピーク   に達した教職への女性化のもとでの給与面、教職像の低  

さが指摘されたのである(4)。この点、給与面では、同教  

育局が1890年から1919年まで都市部(人口1万人以  

上)の初等教員の年間給与について4度の調査を行い、  

平均給与水準は上昇していることが明示された。しかし、  

特に大戟時期を直視すると、給与自体は1913年から   1919年の間に約30%上昇したが、この6年間に生活費   や他の職業における給与は教員給与の2倍以上の増加を   示していた(5)。しかも、1916年から1917年にかけての   州立師範学校入学者の全国的動向を見ると男女双方とも   減少し、増加を示したのは州平均給与が高い位置にある  

ニュージャージー州に過ぎないのであった(6)。   

その結果、危急の教員不足に対処するため一定の免許   要件を免除した臨時免許状が発行される一因となったの   である。そこで教員不足との関わりで発行された臨時免   許状は当時いかなる特徴を有していたのかを考察してみ   る。   

この点、1910年代までは試験検定制度が定着してお   り、しかも試験の成績、教職経験年数等に基づいて等級   

Ⅰ.は じ め に  

アメリカにおける教員免許制度は植民地時代にまで遡   ることができるが、教員の免許資格に関する権限は20   世紀初頭において州支配によって構築されつつあった。  

また、免許状の所得方式としての試験検定も1920年以   降後退を余儀なくされ、むしろ師範学校、さらには大学   による養成方式が発展したのであった。   

このように20世紀前半において州支配、養成方式が   確立されつつあったことは教員免許制度上の特徴的な側   面を呈しているといえよう(1)。しかしそれとともに、こ   の時期アメリカの教員免許資格構造要因において看過し   得ない他の側面として二度にわたる大戦、経済不況によ   る教員需給の不均衡がもたらした影響、特に本来の普通   免許状と性格を異にする臨時免許状、さらには第二次大   戦期の戦争臨時免許状(war emergency certificate)  

の特質は資格構造要因を考察する上で研究上重要な位置   を占めるのである。   

この点、上記の研究課題、特に戦争臨時免許状を直視   した体系的な研究は管見するにわが国において無論、ア   メリカにおいても存在しないと思量される。   

そこでこのような問題意識のもと、本稿では、各州の   教員免許規定、当時の連邦教育局の免許資料、関連研究   諸論文、未出版を含む学位論文等を手掛かりに、以下の   側面について考案したい。   

まず第一次大戦前後に発行された臨時免許状の特徴、  

需給関係と矛盾する臨時教員の存在を明らかにする。次   に第二次大戦前後に発行された戟争臨時免許状の特質を   免許資格構造の視点から考察する。そしてさらに、臨時   免許状発行が1950年代における教員不足解消のための   養成プログラムに与えた影響および同年代における臨時   免許状取得をめぐる新たな特徴について検討することに   する。  

(3)

168   八尾坂   修  

表1初等教員需給と臨免教員(1924−25年度)  

過疎地の臨免教員数   

(単級学校)  

州   供  給   需  要   過剰供給   不  足  

400人   1,000人    600人  

アラバマ   アーカンソー   アリゾナ   コロラド   コネチカット   ジョージア   インディアナ   メイン  

マサチューセッツ   ミシガン1  

ミネソタ   ネブラスカ   ネバダ  

200   150    518    600    600   1,829  

200   100   170   150   700   250  

100  

600−800   600−800    1,600   2,000   2,500   700    1,600   1,200  

400  

0 0 0 5  

0 ︵U 5  

8 4 1  

1  

ニューハンプシャー   250  

ニュージャージー2   1,200   1,400  

(需要は供給の2倍)   

ニューヨーク   ノースカロライナ   オクラホマ   オレゴン   ペンシルバニア   サウスダコタ   バーモント   バージニア   ウェストバージニア   ワイオミング   ウィスコンシン  

0 0 0 0 0 0 3 0 0 0  

0 0 0 0 0 0 9 0 4 0  

6 ︵U 7 5 6 1 2 5   2  

1    2 1    2 1    1  

400   1,000   

400   2,000   1,200   

75   2,000   1,800   

750  

0  

200  

0 0 ハU 5 3   0 0 ハU 2 9  

3 5 4   2  

650  

50   400   700  

0  0  

.2  

(注1)これらの値は1923−24年度である。  

(注2)これら1,200人のうち多くは村落地域の学校に赴任する。  

(出典:McCrory,JohnR., ElementarySchooITeacherSupplyandDemandfor1924−25: SchoolandSocie秒,August16,1924,pp.223−224   に基づき作成。)  

別の免許状が発行されていた。そのような状況のなかで   臨時的に発行された免許状は、1903年当時の各州免許   規定によると4州に過ぎない(7)。臨時免許状の名称をみ  

ると、以下のように特定の郡や学区でのみ有効であるこ   とが明白な場合もある。「SpeCial−district certificate」  

(ミネソタ州)、「SpeCial−COuntyCertificate」(ミズーリ   州)、「tempOraryCertificate」(ネバダ州)、「tempOrary   Certificate」(ワシントン州)。ただし「temporarycer−  

tificate」の名称でも特定の郡、学区で効力を有し、ま   た4州の免許状いずれも有効期間は次の試験検定までで   あり、短期間であった。しかも取得要件として教職経験   や一定の教育水準は特段要求されることばなかったので   ある。   

しかしながら、教員不足期である1921年当時の各州   免許規定を分析すると、臨時免許状発行は18州に及ん   でいる。しかも免許状の名称から、「emergenCyCertifi−  

CateJ「permit」のように緊急性を帯びた免許状が定着   しつつあり、しかも発行主体も従来の郡や学区とともに   州支配が広まりつつあったのである。また、有効期間が  

1年程度の場合も多くの州でみられ、しかも教育水準と   して中等学校卒業プラス師範学校での一定の履修あるい   は4年制の大学卒業を要求する州も存在するようになっ   ている(8)。   

このような状況は教員不足が沈静化し、しかも過剰供   給に入りつつある前の1927年当時の免許規定において  

も同様の資格構造を示していることが理解できる(9)。た   だ臨時免許状を発行する州が増加していたが、第一次大   戦時における臨時免許状発行によって本来の免許資格基   準の引き下げが生じたとはいえない。また1924−25年   度において38州からの教員需給状況の回答によると、  

需給関係は州によって相違していたのである。しかもミ  

シガン、ペンシルバニア、バーモント、バージニアの各  

州のように州全体においては教員供給が需要を超過して   いるにもかかわらず、一教員村落学校においては臨時教   員(permit teachers)が存在するという矛盾が生じて   いた(10)(表1参照)。  

Ⅲ.第二次大戦と戦争臨時免許状の位置  

第二次大戟の開始によって第2のしかも異常とも考え   られる教員不足をもたらしたが、この状況に対処するた   めに導入された主たる免許政策は戦争臨時免許状の発行   である。この臨免の発行は1940−41年度に2,305件で   あったが、その後急速に増加し、戦争終結時には減少す   ることなく1946−47年度にピークに達し、12万7,016件   の発行数となった。その後漸次減少するものの、1949−   

(4)

アメリカにおける20世紀前半の臨時教員免許状政策とその後の影響   169  

50年度にはいまだ9万5,146件の臨免発行数であり、し  

かも臨免教員数は全教員数の約9分の1を占めてい  

た(11)。   

しかし、それとともに耳目を引くのは、州によっては   本来の免許基準を維持する意図のもとに、臨免の発行数   を極力少なくするための措置がなされたことである。つ   まりすでに失効した、あるいは現在効力を有する期限付   普通免許状を通常1年程度、無条件で、あるいは条件付  

で復効、延長する州が存在したのである。すなわち、無  

条件で復効、延長を認めたサウスカロライナ州では臨免   を1943−44年皮6種類発行していたものの、当時各州   平均1,446件(12)の臨免発行数に対して758件という数値   だったのである(13)。   

また当時すでに初等教員免許状に対して中等学校卒業   後4年の教育、同様に中等教員免許状に対して5年の教   育を要求したアリゾナ州の如く、第2次大戦終結前と後   では臨時免許状発行要件が異なり、終結後に強化されて   いる状況もみられた。具体的に当時の州教育委員会議事   録をもとに検討してみよう。まず第1は、大戦前の中等   教員の不足に対して、1943年5月17日に、不足が生じ   ている当該学区の教育長の要求に基づき、学士号を所持  

している初等教員に中等学校で教えることを州教育委員   会が認可することを議会側が全会一致で認めた点である。  

この方途は後述する、1950年代に各州に普及した免許   状の変換プログラム(conversion program)の前兆と  

して注目されてよいであろう。   

第2は、1944年1月21日に州教育委員会によって以  

下の措置が決定されたことである。①臨時免許状(war  

emergency permit,tempOrary Certificate)以外の、  

現在効力を有するすべての免許状を、失効の日を超えて   1年間延長する。②臨時免許状の継続性を1944−45年   度認可する。③1942年7月1日以前に失効しているす   べてのアリゾナ州の免許状を履修単位を要求することな  

く、1944−45年度有効とする(14)。   

しかしながら大戦後の1946年2月9日に再び臨時免   許状を管理する規定が強化されることになった。   

まず臨時免許状であるpermitは1946年7月1日以  

降、初等・中等学校段階で発行されず、また現在効力を   有するpermitも更新あるいは延長されることはないこ  

とが決定されたのであった。   

次に初等学校で指導する場合、学士号を有し、しかも   普通免許状取得として要求されている教職専門教育の履   修単位を6単位以下不足しているに過ぎない場合にのみ、  

現在戦争臨時免許状(waremergencypermit)で教え  

ているかを問わず臨時免許状であるtemporary certifiT   cateが、1年間のみ発行されることになった。しかも  

この免許状は、所持者が不足している履修単位を満たす   まで更新されることも延長されることもなかったのであ   

る。   

また、中等学校で指導する場合は、修士号を取得し、  

主・副専攻を指導できることの条件以外は、初等学校で   指導する場合とほぼ同様の要件であった(15)。いずれに   せよ臨時免許状が発行されたとしても、本来の普通免許   状取得要件とさはど差異が生じなくなったと指摘できる   であろう。   

さらに、1946年2月9日現在、所持していた普通免   許状は失効しているが、過去4年間のうち2年間教職経   験があり、しかも認定された大学で5単位を取得した、  

学士号を有する元教員に対してのみ、2年間有効な新し   いタイプの初等教員免許状が発行されることになった。  

しかもこの免許状を2年間さらに更新するために、追加   的な5単位の取得が義務づけられたのである(16)。   

それではさらに臨免をめぐる状況を関連諸論文を細見   する限り、当時論議を醸しだしたと考えられる「取得要   件における特色」、「臨免教員の特性と問題点」、「普通免   許状取得との関わり」、「臨免発行の与えた影響」の観点   から検討してみよう。   

まず臨免取得要件の特徴に関しては、1944−45年度   連邦教育局が40州から得た回答によると、臨免取得の   最小限教育水準として10州は中等学校卒業のみを要求   し、9州は特段設定せず臨免発行の際、当該学区当局に   最小限基準を委ねる状況も存在した。また、他の21州  

は大学での教育(半年から4年、さらにはノースカロラ   イナ州のように6種類の臨免のなかで一つは修士号)を   要求しているのが実態であった。それとともにニュー  

ヨーク、  ペンシルバニア、ロードアイランドの3州では  

標準的な免許状取得水準(4年の大学教育)と同等の水   準を維持する試みから、臨免発行については、その基準   を状況に応じて州教育長の決定に委ねられていたのであ  

る(17)。   

このような基準を有する臨免の発行は、1種類からフ   ロリダ州のように8種類に及び、しかも教育水準ととも   に教職経験、さらには雇用学区の要求、州外教員の有無   等の区分に基づき発行されていた(18)。この点、臨免取   得の教育水準は普通免許状取得の最小限教育水準よりも  

1年間程度低いのが一般的であったが、州によっては普   通免許状取得の最小限水準と同等あるいはそれ以上の学   歴を要求する臨免も有することが見出される。この結果、  

学歴面では同等であるとしても、普通免許状取得に必要   とされる教職専門教育の履修要件を欠いていたがゆえに   臨免が発行される場合も往々にして存在したと指摘でき   る。   

例証として、先述のサウスカロライナ州を取り上げよ   う。この州は1943−44年度当時初等教員普通免許状を  

2種頬発行し、各々30、60単位(semester hour、以  

下s.h.と略)の大学教育(他に教職専門教育含む)を   

(5)

170   八尾坂   修  

結後3年間有効期間を延長できることにしていた。しか   し1947年に至って初めて、臨免での2年間の教職経験、  

60単位(s.h.)のコース履修のもと、2年間有効で更新   可能な仮一般初等教員免許状が発行されたのである(23)。  

この要件はジュニア・カレッジ修了程度であったとはい   え、更新期閣内に州内の大学におけるサマープログラム   に出席し(24)、12単位以上の修得を継続することによっ   て学士号とともに普通免許状取得への機会が開かれたの   である。そしてこのような方策によってカリフォルニア   州では1951年まで約4,000人の臨免教員が普通免許状  

を取得したと指摘されている(25)。   

なお考量すべき点として、戦時下における臨免の発行   が各州の免許制度、教職の地位に与えた影響があろう。  

この点、臨免発行数の拡大により臨免教員の増加は、  

教職にはだれでも就くことができる というイメージ   を公衆に植え付けたとも論じられている(26)。しかしな   がら、例えば1940年代における免許状取得基準の動向   をみた場合、ほぼ10年間で初等・中等教員に対する最   下級普通免許状取得要件として学士号を要求する州は、  

一貫して上昇していたのである(27)。それゆえ臨免は戦   時下において普通免許状の基準について上昇を阻止した  

とされるが、あくまで教員不足分を補足する策だったの   であり、むしろ各州は教員不足の直前に各州で達成して   いた免許水準を殊に臨免発行の極に達した1947−48年   度以降には向上させるべき傾注してきたと指摘できよう。  

Ⅳ.戦後の臨時免許状発行と変換プログラム  

本来の普通免許状と性格を異にする臨時免許状の発行   は、1950年代においても継続した。その後全国的に   1960年代末まで衰退することはなく、1966−67年度に   おいて、全学級担任教員に対して臨時教員の占める比率   はいまだ5.1%で数にして9万500人に及んでいたので   ある(28)。   

この点、特に戦後の40年代後半における教員不足時   期に焦点をあてると、不足の要因は、むしろ戦後の継続   的な人口増加であった。つまり、1947年以降は毎年350   万人以上の出生者数がみられ、しかも1940年当時の出   要求していた。しかし以下の表2から顕然たることは、  

6種類発行の臨免のなかで30単位未満の大学教育のみ   で取得できる2−Fの臨免者(特に黒人)とともに、3   年あるいは4年の大学教育を要求する1−Aの臨免取得  

者(総じて白人)(19)が多いことを見過ごすことができ  

ない。このような状況からして、例えばある州における   臨免取得者は他州の普通免許状取得者よりも高学歴な状   況にあったとも推察される。また当時の臨免発行数全体   からして臨免を希望する者は簡易に取得できるかのよう   に考えられようが、特に上位の臨免に関しては学歴面か  

らして必ずしも是認できない。   

それでは一体、臨免をどのような人が取得したといえ   ようか。臨免教員の個人的な特性を知ることは当時の臨   免教員が与えた教育的影響を評価し、また研修施策を企   画するためにも必要だったのである(20)。この点、大戦   時におけるカリフォルニア州における調査事例(1944   年)によると、以下の特徴を摘録できようが、中高年で   教職を離れていた者が多いと認められよう。一つは、臨   免教員1,479人のなかで約90%の者は以前に教職経験   を有していたものの、過去10年以上教職経験のない者   が657人存在したことである。もう一つの事実は、年齢   について確認できる臨免教員1,090人のなかで、40才以   上は630人に及んでいたことである(21)。   

このような実状は臨免教員のみならず、監督者として   の学校管理職側の意識においても、一般に臨免教員の教   授能力、行動に対して次のような問題を惹起させている。  

例えば、現代の教育課題、新たな教育内容、教授方法を  

受容し、学びとろうとする姿勢に欠けるきらいがあるこ  

と、しかもこれまでの離職期間における研鎖不足から生   じる自信の欠如という側面が挙げられる(22)。それゆえ   このような課題を払拭するために検討された免許政策は、  

臨免所持者に漸次普通免許状取得を奨励する方途であり、  

さらには臨免発行の種類を削減し、あるいは発行するに   しても先述のアリゾナ州の例でみたように一定の履修単   位を要求するというものだった。この点、臨免教員数、  

全教員のなかで臨免教員の占める割合が1946年当時最   高位に達していたカリフォルニア州においても、1943   年当初1年ごとの更新で臨免を発行し、そののち戦争終  

表2 戦争臨時免許状発行状況(1943−44年度)  

臨 免 の タ イ プ   白人取得者数   黒人取得者数  

クラス1−A(プランA,B:大学教育3,4年)  

クラス1−B(大学教育60単位,S.h.)  

クラス1−C(大学教育45単位.教職経験1年以上)  

クラス1−D(大学教育31単位,教職経験1年以上)  

クラス2−E(大学教育30単位)  

クラス2−F(大学教育30単位未満)  

7 7 8 3 2 9  

9 6 2 2   9  

1   4 3 7 2 3 3  

1     1  

3  

416   342  

※クラス1−A〜2−Fいずれの臨免も普通免許状取得に必要な教職専門教育の履修要件を欠いている。  

(出典:Loggins,W.F.,了セαCher Cerltficationin South Carolina,(DoctoralDissertation,New York Univ.,  

1945),UMI,pp.73−74に基づき作成。)   

(6)

アメリカにおける20世紀前半の臨時教員免許状政策とその後の影響   171  

いる。この夏季プログラムの満足のゆく修了によって1   年間、臨時的な免許資格のもと初等教員として雇用され  

る。この1年間において、当該学校に最も近い州立大学  

(教育学部)の教官から指導助言がなされる。この臨時   教員に対する良好な評価が行われることにより、その教   員は次年度からは自己の費用でプログラムを継続するこ   とが認められている。そして追加的な夏季講座や拡張講   座に参加し、毎年6単位以上履修することによって普通   免許状取得への道が開かれたのである(33)。   

このようなパターンによる養成プログラムは、その後  

多くの州プログラムに導入されたが、はぼ同時期に  

ニュージャージー州、オハイオ州によっても開発される   に至った。しかもこれら2つの州は1949年当時の中等   教員過剰供給のなかで、特に中等教員免許状の取得資格  

を有する者に対して、初等学校教員への方途をも考察し   ている。オハイオ州のプランを取り上げると、中等教員   免許状取得者は以下の12単位相当の科目履修を提示す  

ることによって、現職教育を義務づけた一定の初等教員   免許状が得られることになっている。〔初等学校の目的   と実践3単位、初等教育法(読解)3単位、初等教育法  

(算数)3単位、児童心理学3単位〕しかもこの免許状   は、初等教育の学士号取得に相当する追加的な12単位   の取得に基づいてのみ更新されるが、最初の更新に続く   満足のゆく教職経験の証拠に基づいて、普通免許状であ   る専門免許状(professionalcertificate)を取得できる   道が開かれたのである(34)。   

なお、コネチカット州の変換プログラムにおいては  

1960年の夏季まで毎年300人から400人が入学し、初  

等教員不足の解消策に寄与したが(35)、この変換プログ  

ラムは、州政策に限定されるものではなかったことも確   かである。特徴的な例として、オレゴン州のポートラン   ド市では1949−50年度に地元の大学との連携によって   中等教員を初等教員に変換させる計画が功を奏したこと  

が報じられた(36) 

ところで、変換プログラムは初等教員の養成、供給に   とって重要な位置を占めたことが、上記の考察から理解   できるが、このプログラムは中等教員の確保にも一定の   役割を果たしたことも事実である。この根拠としてまず   中等教員の需給関係を1950年から1958年を通して検討  

してみよう。「初等教員」は明白に教員需要指数(当該  

年度の新規採用教員数を、同年度の有資格新大学卒業生   で除した値)が高く、逆に「中等教員全体」のように低  

く、初等教員の需要指数よりも概ね80〜100の需要度   の開きが存続している状況もみられた。しかしながら、  

教科別にみれば、「図書館学」のように継年的に教員需   要指数が高い科目も存在し、さらには「ジャーナリズ  

ム」、「物理学」、「数学」、「理科」、「化学」のように年度   によって需要指数の変化が著しい例を無視できない(37)。   

生者数をベースにした場合、毎年50%前後の増加率   だったのである(29)。この傾向は当然のことながら、初  

等学校の教員不足の到来を生じさせている。例えば  

1950年度における教員の定年退職・自然退職・死亡者   の補充、児童の自然増によって新たに求められる初等教   員は、約7万5,000人であるのに対し、年間に供給され  

る初等教員(大学卒)は3万2,443人に過ぎず、明らか   に供給不足であった。これに対し、同様に中等教員の場   合、必要とされる教員数は約4万8,000人であるのに対  

し、供給数は6万2,692人(大学卒)だったのである。  

初等・中等教員には、需給関係に顕著なアンバランスが   あったわけである(30)。   

このような現状のなかで、とりわけ初等教員不足に対   する免許政策として1948年以降導入されたのが先述の   免許状変換プログラムであり、その役割を無視できない。  

すなわち特に中等教員として養成された大学卒業生、こ   れまで教職課程を受講していない教養学部の卒業生に対   し、初等教員免許状取得への道を確保するプログラムが   州教育局の主導で実施され、1951年には少なくとも16   州に及んだのである(31)。   

この変換プログラムが各州で導入されるに至った契機   として、全米教育協会(NationalEducation Associa−  

tion=NEA)の一機関であった全米教師教育・専門職の  

基準委員会(NationalCommissiononTeacherEduca−  

tionandProfessionalStandards)が1949年に提示し  

たガイドラインがある。基本的原則は9項目からなるが、  

1951年当時でさえ、初等教員普通免許状に対する教育   水準として最低学士号を要求する州が17州しか存在し   なかったにもかかわらず、このプログラムにおいて学士   号を要求したことは画期的であった。またプログラム水   準・内容、入学基準、養成機関の基準を通常の養成プロ   グラムと同水準であることを求めるとともに、当時受講   者に修士号取得の道が開かれていたことも注視すべき点  

である(32)。   

それでは実際に、このようなガイドラインを背景にど   のような変換プログラムが実施され、その効果はいかな   るものであったのかを検討してみよう。   

初期の典型的な例としてコネチカット州を取り上げて   みる。この州は初等学校教員不足を満たすため、1949   年に養成経験のない大学卒業生を対象に初等学校段階で   教えることを可能にする州レベルのプログラムを開発し   た最初の州であった。初期は臨時教員養成プログラム  

(theEmergencyTeacherTrainingProgram)と呼称  

され、のちにカレッジ卒業生集中プログラム(theIn−  

tensiveProgramforCollegeGraduates)として知ら  

れている。   

このプログラムではまず初等教員養成のために8週間   に及ぶ子どもとの交流をも含んだ夏季講座が開設されて  

(7)

172   八尾坂    修  

るため職務を全うするであろう(42)と察していたが、こ   れらの教員の存在自体が学校の活性化を生起したと考え  

られるのである。   

さらに、1950年代後半に視点をあて、テキサス州に   おける臨免教員の特性に関するウィルキンソン  

(Wilkinson,Harold A.)の研究を分析してみる。この   点、1955年度から1959年度までの5年間に州内公立初   等・中等学校で初めて臨時免許状(emergencypermit,  

1年間有効)を取得した教員(43)は1,299人存在していた   が、そのなかで学士号以上の教育水準を有する者は、  

1,027人(学士号取得899人、修士号取得126人、博士   号2人)存在していた点である。もちろん1955年当時   の臨時免許状取得要件が、大学での学士号取得、あるい   は大学での90単位プラス2年間の教職経験であったこ   とから予測し得たかも知れないが、ともかく高い教育水   準であったと指摘できるわけである。   

しかしながら、特徴的な点として、臨時免許状を発行   した理由が教職専門科目の未履修よりもむしろ普通免許   状取得要件としてテキサス州が要求していたテキサス州   憲法(アメリカ憲法含む、6単位[s.h.])、アメリカ史・  

テキサス史(6単位[s.h.])といった州独自の要件を   履修していなかったことに帰因する点である。臨免教員  

(1,299人)のなかで、テキサス州憲法を未履修の者は   704人(54.2%)、同様にアメリカ史・テキサス史291人  

(22.4%)存在し(44)、他の教科よりも極端に高い数値が   見出されるのである。この背景としては、先述のカリ  

フォルニア州のごとく、テキサス州においても他州(43   州、コロンビア特別区)からの臨免教員が多いという事   実であり、全体の762人(58.7%)を占めていた。その   なかでテキサス州の近隣州(オクラホマ132人、アーカ  

ンソー67人、ルイジアナ51人、ニューメキシコ27人)  

から277人を有していたが(45)、いずれにしても上記い   ずれかのテキサス州独自の要件を履修しない者に州外か  

らの志願者全員が含まれていた(46)のである。   

それゆえ、このような実態から臨時免許状を発行する   にしても、普通免許状取得に必要な未履修単位の程度  

(特に州憲法、州史の履修)に応じて臨時免許状の種類   を峻別すべき(47)との意見が下されたが、当時の状況を   踏まえた妥当な見解といえるであろう。結局、1950年   代以降、臨時免許状政策において州外志願者への対応は   主要な政策として残されたのである。  

Ⅴ.お わ り に  

アメリカにおける教員免許資格構造を歴史的推移をふ   まえてとらえた場合、その要因は免許状の発行主体、取   得方式(養成、試験検定)とともに、免許状の種類(等   級、校種、教科、職位)、取得要件(教育水準等)、効力    このような状況のなかで、中等教員の場合、特に理数  

科目養成を核とした変換プログラムが大学を中心に発展   したのであった。この点、ウォロノフ(Woronoff,Isra−  

el)は1958年に教養学部卒業生を対象とした臨時的な   養成プログラムを代表的な28大学を対象に調査してい  

るが、最小限共通する点として、プログラム入学に際し、  

学士号が要求されたことであった。入学基準、プログラ   ム内容に関しては、多様性がみられるものの、入学に際   し、学力あるいは人物を最優先する大学もあり、またプ   ログラムについては、エール大学(Yale University)  

のように中等教員志願者の個別のニーズに則したプログ   ラムを導入し、基本的共通コースを設定しないタイプも  

みられたのである(38)。   

以上、臨時的に初等・中等教員を供給するための変換   プログラムを検討してきたが、一考を要するのは、臨時   免許状発行との関わりでみた場合、50年代も従来のよ  

うに教員不足に対処するため一定の要件のもとで臨時教   員となった者も量目在化した点である。   

この点、当時の臨時免許状発行に関する学位論文(州  

事例)を通して、特徴的な点を検討すると、以下を指摘   できる。まずカリフォルニア州に視点をあてると、  

1952−53年度、臨時的な基盤で中等教員免許状が1,314   人に発行されていたが、その中で年間常勤講師として勤   務していたのは281人(主要教科181人、専科78人、  

商・工業科22人)であった。ページ(Page,Bradley  

C.)の研究によると、主要教科、専科担当の臨時中等教  

員(259人)のなかで学士号を有する者158人(61.0%)、  

修士号を有する者56人(21.6%)、さらに1人は博士号   を有し、学士号を有しない者は44人(17.0%)に過ぎ  

ないことから(39)、たとえフルタイムの臨免教員を対象  

としているとはいえ、臨免教員の教育水準は向上しつつ   あったと推察できよう。   

これを裏付けるかのように、これらの臨免教員の半数   以上はカリフォルニア州の中等教員普通免許状に要求さ   れる特定の1〜2科目を履修していないために臨時免許   状が発行されたに過ぎず、しかもこれらの大多数の教員  

は州外で教育を受けた教員だったのである。しかもこの   281人の臨免教員の141人(50.0%)はカリフォルニア   州外の34州および6ヵ国(カナダ、フランス、ドイツ、  

オランダ、スコットランド、イギリス)で教育を受け、  

最小限学士号を有しているのみならず、そこでの教職経   験も1年から32年に及んでいた(40)事実を看取できるか  

らである。勤務校の学校管理職の評価によると、もし臨   免教員が普通免許状を所持していると仮定するなら、彼   らの少なくとも75%の教員を自校に永久のメンバーと  

して採用したいと要望していたのも確かである(41)。こ  

の点、ページによれば、むしろ未経験の臨免教員(92   人、32.7%)や州外の臨免教員は自らの再雇用を維持す  

(8)

アメリカにおける20世紀前半の臨時教員免許状政策とその後の影響   173  

しいかという課題に対する手掛かりを与えた(49)と指摘   されている。この点、再度1980年代に生じた教員不足   に対処するため、1985年以降多くの州で導入され、今   日40州以上に及ぶ教職資格特別プログラム(50)(alter−  

native certification program)と対比した場合、この   変換プログラムは、どのような影響、示唆を与えたのか   の解明が残された研究課題である。   

注   

(1)拙稿「アメリカ合衆国における教員免許資格構造の特質   と課題−19世紀後半から20世紀初頭において」『日本教   育経営学会紀要』29号、1987,pp.97−113.  

(2)Maaske,RobenJり Analysis of Trendsin Teacher   Supply and Demand,1900−1950: ノournalqf7bacher   E血c(三才わ乃,Vol.2,No.4,1951,pp.263−268.  

(3)教員不足自体は全州的にみて1960年代末まで問題とされ   ていたが、州事例としてカリフォルニア州においてもほ   ぼ同様であった。Hobart,Billie,7セαCherShortagesand   才力g Sぬ乃血rds(オ7セαC/‡gγCβr古漬c(Zわ0乃吉和班βSねねq/  

CaL的rnia(DoctoralDissertation.Univ.ofCalifornia   atBerkeley,1992),(University MicrofilmsInc.以下、  

UMIと略),p.8,pp.109−124.  

(4)Fahey,SaraH., SomeCausesofthePresentDeclineof   TeachingasaProfession: 伽ceedingsandAddYeSSeeS,  

1919,pp.383−387;Ennis,IsabelA., CausesofthePres−  

entShortageofTeachers, fケoceedingsandAddresses.  

1918,pp.387−389.  

(5)Burgess,Randolph W., Four Censuses of Teachers    Salaries, American SchooIBoardノOumal,Vol.61,Sep.  

1920,pp.27−28.  

(6)Brown,,.C State NormalSchooIs and the War,   

Schooland Socie抄,Vol.7,No.181,June15,1918,pp.  

694−695.  

(7)Jackson,William R.,771ePresentStatusqfthe CertUi−  

cationqf7t2aChersinthe UnitedStates(Reportofthe   CommissionerofEducation fortheYear1903),U.S.  

Gov.PrintingOffice,Vol.Ⅰ,1905,pp.469−519.  

(8)Cook,KatherineM.,StateLawsandRegulationsGovern−   

ing7bachers CertificaねS(U.S.Bureau ofEducation,  

Bulletin1921),uS.Gov.PrintingOffice,No.22,1921,  

pp.39−198.  

(9)Cook,KatherineM.,StateLawsandRegulationsGovern−   

ing7bachers Certificates(U.S.Bureau of Education,  

Bulletin1927),U.S.Gov.PrintingOffice,No.19,1928,  

pp.42−260.  

(10)McCrory,John R., Elementary SchooITeacherSup−  

ply and Demand for1924−25, Schooland Socie秒,  

Vol.20,No.503,Aug16,1924,pp.222−223.  

(11)Frazier,Benjamin.W., ChangingNatureoftheTeach−  

er Shortage, American SchooIBoardノOurnal,June   1948,p.19.  

(12)Frazier,Benjamin.W. WartimeChangesinTeacher   Certification, Educationjbr VictoYy,Vol.3,No.7,Oct.  

3,1944,p.11.  

(13)Loggins,WilliamF.,7bacherCertificationinSouthCar   olina,(DoctoralDissertation,NewYorkUniv.1945),  

UMl,pp.72−75.   

(有効期間、地域)から構成されてくる。   

この点、20世紀前半における教員免許制度全体の特   質を各構成要因を通して考えた場合、免許状の発行主体  

としての州支配は、20世紀初頭すでに急速な進展を示   し、前半末には今日的様相でもある州支配が実質的に及   んだ。取得方式においては、試験検定のみによる免許状   の取得は第2次大戦下の教員不足時においてもほとんど   消滅するに至った。また、免許状の多様化のなかで取得   要件としての教育水準は、教員需給状況の変化にもかか   わらずほぼ一貫して向上した(48)。しかも、免許状の更   新・上進制と現職教育が対応し、終身免許状廃止の方向   へと進んだことも今日的な教員免許資格構造の基盤と   なったのである。ただし免許状の効力として、各州で発   行された免許状の全国的な互換認定は第二次大戦後に進   展したのであった。   

このような免許資格構造要因の特徴のなかで、本稿は   教員需給変化の免許資格要件への影響、殊に第一次、第   二次大戦下に発行された臨免をめぐる特色と免許状変換   プログラムへの影響、さらには50年代における臨免の   位置に焦点を絞り、分析、考察した。   

考察の結果、明白になった点を摘記すると以下の通り   である。   

まず、二度にわたる大戦は教員不足を生起したものの、  

第二次大戦とともに大量に発行された臨免については、  

特に上位の臨免の場合、学歴面からして普通免許状取得   水準と同等である場合があり、むしろ取得は安易とは言   えないことが判明した。それとともに臨免教員の特性か   らして、新たな学習課題に対する能力の欠落等が問題と   された。この事実は戦争終結以降、臨免取得者を対象と   して普通免許状を取得させる方途を築いたのである。ま   た、州当局が臨免発行のピーク時である1947年頃から   再度免許状取得水準を向上させようとしたことも剖目に   値しよう。   

さらに臨時的な免許状の発行は1950年代においても   継続するものの、特に初等教員さらには特定教科におけ  

る中等教員の不足に対する免許政策としては1948年以   降、免許状変換プログラムの役割を無視できないので   あった。すなわち中等教員として養成された大学卒業生   やこれまで教職課程を受講していない教養大学の卒業生   に対し、初等教員・中等教員免許状取得への道を確保す   るプログラムが州教育局や大学等の主導で実施されたの   である。また、50年代以降における臨時免許状政策と  

しては、本来の普通免許状取得者と同等の教育水準を有   しているにもかかわらず、州独自の履修要件の未履修に   よって発行される臨時免許状のあり方も検討課題であっ   た。エルスブリー(EIsbree,W.S.)によると、変換プ   ログラムの一策は単に初等教員不足を充足させるという   よりも、むしろ今後どのような教員養成のあり方が望ま  

(9)

八尾坂  

修  

fセ和宣ざね乃Cef乃7セαC九f乃gq/Cβγねf乃βαC短m〟乃dCゐ8和C−  

ぬ頑痛αlげJ52Co乃乃eCJ哀αf劫∂〟cSc加oJ了セαCゐβ柑ゐ−  

s〟βd7セ〝ゆ0γロ叩E∽e曙e花町fセmぬカr5gco乃血叩Acα一  

demicSuりectsandSpeciaLSubjects,1957j960,(DoctorT   alDissertation,TheUniv.ofConnecticut,1961),UMI,  

pp.63−64.  

(34)National Commission on Teacher Education and   ProfessionalStandards,Op.cit.,pp.276−277.  

(35)Lesure,JamesS.,Op.cit.,p.65.  

(36)Ebey,George W., Meeting the Elementary Teacher   Shortage: EducationaLLeadership,April1950,pp.474−  

478.  

(37)中島太郎編『教育養成の研究』第一法規、1961年、pp・  

229−230.  

(38)Woronoff,Israel, Teacher Education Programs for   LiberalArts Graduates: JoumalqF7セacher Educa−  

tion,Vol.9,Dec.1958,pp.359,362.  

(39)Page,BradleyC.,EmergenqTbachersinCalifomiaSec−  

ondaTySchooLs,1952J953(DoctoralDissertation,Colo−  

radoStateCo11egeofEducation,1954),pp.70−83・  

(40)Jわid.,pp.84−98.  

(41)乃id.,p.162.  

(42)J∂fd.,pp.162−163.  

(43)Wilkinson,Harold A.,An AnaLysis一げiheEmergency   7bachingEbYmit物min7bxas1955」96a(Doctor−  

alDissertation,TexasTechnologicalCollege,1961),  

p.1,4.なお、1955−56年度から1958−59年度までの4  

年間にテキサス州で発行された臨時免許状の数は、1,121   

(1955−56年度)、3,376(1956−57年度)、4,110(1957−  

58年度)、3,923(1958−59年度)に及んでいるが、1年  

ごとに継続して取得した臨免教員の数が含まれている。  

(44)乃fd.,p.112.  

(45)乃id.,pp.57−62.  

(46)乃fd.,p.115.  

(47)乃fd.,p.242.  

(48)Woellner,R.C.. The Authority toIssue Teacher s  

Certificatesin the United States, Elementa叩SchooI   

J?urnal,Vol.38,June1938,pp.751−758;Woellner,R・  

C., ProfessionalTraining Required for AnInitial   Secondary−SchooITeacherCertificate: SchooIReview,  

Vol,47,Apri11939,pp.280−283;Frazier,B.W. War−  

time Changes〜: qp.cit.,pp.9−13;Kinney,Lucien   B.,CertificationinEducation,Prentice−Hal1Inc.,1964,  

pp.66−88.  

(49)EIsbree,WillardS.andReutter,EdmondE.,StWfセr,  

sonnelinthePublicSchooIs,Pretice−Hal1Inc.,1954,pp.  

44−45.  

(50)拙稿「アメリカにおける教職資格特別プログラムの特質  

と効果に関する一考察一州事例に視点をあてて」『比較教  

育学研究』、20号、1994年、pp.153−164.   

174   

(14)Gustafson,AlburnM・,AHisto7yqF77acherCertifica−  

tioninArizona,(DoctoralDissertation,Univ.ofArizo−  

na,1955),p.179.  

(15)乃豆d.,p.180.  

(16)乃豆d.,pp.180−181.  

(17)Frazier,B.W. Wartime Changes〜: OP.cit.,pp.11−  

12.  

(18)Blyler,Dorothea., Emergency Teaching Permits for   ElementarySchooITeachers, ELementarySchoolノOur−  

nalVol.46,Dec.1945,pp.209−213.  

(19)Loggins,W.F.,Qp.cit.,pp.73r74.  

(20)Young,WilburandOthers,..CharacteristicsofPermit   Teachers, ノOurnalqf7bacherEducation,Vol.4,1953−  

54,pp.188−190.  

(21)Freeman,FrankN., CharacteristicsofTeachersHoldT    ing War−Emergency Credentials, CaLifomiaJ)urn  

qfElementaTyEducation,Vol.13,Aug.1944,pp.56−64.  

(22)West,GuyA., TheProblemoftheEmergencyTeach−  

er, CαJ的γ柁ぬノ0鮎川α上げEJe椚e乃ね叩E血cαわ0乃,Vol.  

13,May1945,pp.203r210.  

(23)Morgan,HerschelS., ProvisionalGeneralElementa−  

ryCredential: SierraEducationalNews,Vol.44,April   1948,p.17.  

(24)当時のプログラム事例は、 SpecialSummer Work for   EmergencyTeachers: CaliforniaSchooLs,Vol.19,May    1948,pp.134−135; Emergency Teachers, CaLifornia   SchooIs,Vol.20,May1949,p.137.  

(25)Stone,James C. Supply and Demand for Certified   Personnelin California Public SchooIs, CalLfornia   SchooIs,Vol.22,May1951,pp.137−166.  

(26)Frazier,BenjaminW., ChangingTrendsintheTeach−  

erShortage: SchooILifb,May1947,Vol.29,No.8,p.6.  

(27)Armstrong,EarlW.and Stinnet,T.M.,A ManuaLon   Cβrf研cαJわ乃月明〟i柁mβ乃JざノOr5c九00Jfセ門0乃乃βJi乃f力e  

UnitedStates,FederalSecurityAgency,OfficeofEdu−  

Cation,CircularNo.290,1951,pp.6−9.  

(28)Stinnet,T.M.,AManuaLonCertification  

jbrSchooIEbnonneLinthe UnitedSねtes,1967edition,  

NationalEducationAssociation,1967,p.46.  

(29)Maul,Ray C., How Many Teachers Do We Need?,   

ノOurnaLqF7bacherEducation,Vol.3,June1952,p.104.  

(30)Maul,RayC., Implicationsofthe1950NationalStudy   OfTeacherSupplyand Demand?, J)urnalqf7bacher   Bkiucation,Vol.1,June1950,pp.95LlO2.  

(31)Armstrong,EarlW.and Stinnet,T.M.,A Manualon   Certification〜,1951,OP.cit.,pp.9p13.  

(32)NationalCommission on Teacher Education and   ProfessionalStandards, Conversion Programs for   the Preparation of Elementary Teachers, ノoumalqF   7bacherEducation,Vol.3,Dec.1952,pp.270−280.  

(33)Lesure,James S.,An Ana&sis qftheRelationshゆto  

(10)

175

Emergency Teacher Certification System and Its Influences in the U. S.A. in the First Half of the 20th Century

Osamu YAOSAKA

{Department of School Administration, Nara University of Education, Nara 630 - 8528, Japan) (Received April 17, 1998)

One important event in the history of teacher certification in the United States was the establishment of a state-controlled teacher training and certification system in the first half of the 20th century. When examin- ing the structure of the teacher certification system of that period, the following aspects cannot be over- looked.

1. The effects of supply-demand relationships on the requirements for the acquisition of certificates, especially the features of the emergency certificates issued during World War II.

2. The Influences of the conversion program and the new problems concerning emergency certificate in the fifties.

In Japan very few investigators have referred to these issues.

Even in the United States, only brief analyses of these issues have been made. The results of the author's re- search of these issues are summarized as follows.

The two world wars caused shortages of teachers. During World War I , the shortage of teachers was particularly serious in rural schools, where usually only one teacher was assigned to each school. A large number of emergency certificates were issued during World War II. Some states issued a variety of certifi- cates, each requiring a different academic level.

Relatively high level emergency certificates were sometimes issued only to individuals who had actually sat- isfied requirements equivalent to those for receiving ordinary certificates.

Emergency certificates were often issued to middle-aged or older individuals who had stopped teaching many years before. These teachers were sometimes less than skillful at teaching and unable to accept new teach- ing techniques and approaches. To resolve these problems, summer training programs for teachers with emer- gency certificates were offered after the end of the war.

Although it has been pointed out that emergency certificates unfavorably affected the social position of teaching professionals, it is noteworthy that in around 1947, when the number of emergency certificates is- sued reached a peak, states took actions to improve the educational levels required for the acquisition of teach- er certificates.

Key Words : emergency certificate, teacher shortage, emergency teacher, conversion program.

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