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村崎精一村崎精一

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−−ー一一で一一

一 1 −

内容目次

まえがき第一章構成要件と罪数第一節構成要件説の原型一序二わが国における構成要件説の原型三ドイツにおける構成要件説の原型第二節構成要件説の変遷一道義的責任の類型化二構成要件の形態的類型論三構成要件的評価の外延の面四計構成要件説と立法案第三節構成要件説の意義一構成要件説の原則的意義二手続上の罪数と構成要件説三構成要件説の限界第二章法条競合第一節沿革的・比較法的考察一ロ−マ法二中世末期のイタリア法学とドイツ法学三外国刑法と立法案第二節特別関係一特別関係の定義二構成要件相互の概念的論理的分析と特別関係

刑法における法条競合論

三特別関係における内包の包摂と外延の包摂との区別︲四特別関係における内包包摂の意義五特別関係における内包の包摂と刑の権衡六特別関係における外延包摂の意義第三節補充関係一法条競合の分類と補充関係二補充関係と吸収関係との連関三明示的補充関係と立法者の意思四明示的補充関係と交差の関係五明示的補充関係と科刑上の効果六相対的な明示的補充関係と絶対的な明示的補充関係七黙示的補充関係第四節吸収関係一吸収関係と法益の同一性二侵害犯と危険犯三吸収関係と刑の軽重四吸収関係と攻撃の強弱五吸収関係と攻撃方向の同一性六不可罰的事後行為七副次的随伴行為八不可罰的事前行為あとがき

村崎精一

(2)

I ′ I

− 2 −

一罪数について︑今日わが国の学説においては︑﹁構成要件を一回充足するごとに一罪﹂という命題に要約する

ことのできる構成要件説が通説の地位を占めている︒すなわち︑窃盗とか殺人とか放火とか公務執行妨害など刑法各

本条において特殊化されている犯罪特別構成要件をただ一回充足している犯罪事実だけを一罪とし︑数個の犯罪特別

構成要件を充足している場合も同一の犯罪特別構成要件を数回充足している場合もすべて数罪とする︒ 罪数論の前線は移行するしまた移行させなければならない︒かつては観念的競合に論議が集中され︑説は多様に分かれていたが︑今日では︑実践的に有意義なもろもろの結論について︑どの見解もほぼ平準化されている︒構成要件説はわが国において久しく顧みられなかった後に︑今日では︑圧倒的な多数説になっている︒構成要件説は︑罪数を分ける意義を刑法と刑事訴訟を通じて強化する糸口を開いており︑その妥当性の及ぶ範囲は他のどの説よりも広い︒しかしながら︑構成要件説の妥当性にも限度がある︒すなわち︑原則として構成要件説による罪数の区別は妥当であるが︑例外の存在を否定することはできず︑その例外はとくに法条競合の問題に集積されているとみられる︒罪数論の深化は︑原則と例外を通じた統一的理解範囲の拡大にあり︑わが国においてはほとんど論じられていない法条競合の問題に焦点を合わせ︑構成要件説との接触においてその内容を分析し︑罪数論の基盤について考察してみようとおもう︒

第一章構成要件と罪数

第一節構成要件説の原型

まえ

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(4)

〒一

1

− 4 . −

︲︵5︶において論じられていたのであった︒︵R︾︶︵f︶︵R︾︶ゞ三ドイツにおいて構成要件説的色彩の強い罪数学説は︑すでに︑ブーリー︑ビンディンク︑オルトゥマン︑トーー︵9︶︵m︶︽︵︑︶︵狸︶︵過︶ゞ︵︶︵婚︶︵6︶︵w︶マス︑フラウム︑メスニル︑ステューレンブルヒ︑フライマン︑ケーラー︑ケンデルス︑コンラド︑アルフェルト︑.︵岨︶︵四︶︵釦︶︒︵幻︶︵︶シャハノウ︑ホー一ツヒ︑ベール︑ハーネ︑フランクならによる観念的競合についての数罪説に示されていたのであ

︵羽︶

るが︑そこでは自説をとくに構成要件説として性格づけることはなされていなかった︒なぜならば︑ドイツ刑法七三

条の観念的競合と同法七四条の実在的競合とではそれぞれ法的効果を異にし母しかも両者は明瞭に行為の単複によっ

て区別されているので︑ドイツ現行法の解釈論としては︑罪数論における行為の単複の意義を完全に否定してしまう

ことはできないと考えられていたからである︒その意味では︑ドイツにおける観念的競合についての数罪説は︑一罪

︵型︶

説も同様であるが︑多分に名目的であるか︑さもなければ相当に折衷的であった︒

ドイツにおいて自説を構成要件説として性格づけているのは︑解釈論においてではなくして立法論においてであ

り︑古くは︑一九○八年に発行された﹁ドイツおよび外国刑法の比較研究総則第五巻﹂に収められているパゥル・メ

︵顔︶

ルケルの﹁競合﹂と題する論説にその例をみることができる︒

メルケルは︑構成要件説ないしは構成要件標準説を︑罪刑法定主義の基本原則︵毎口且茜言邑匡言君9口の旨の

︾の需君窒農︶との関連において主張している︒まず︑刑法各本条は個々の犯罪特別構成要件とこれに対する刑罰

︵法定刑︶について規定するが︑それは罪刑法定主義の原則上法律をもって規定しなければならない当のものであり︑

個々の犯罪特別構成要件は︑それぞれの犯罪に特殊な行為事情の客観的な限界づけによって明確にされ︑個々の法定

刑は︑みずからが規定されている刑法各本条における個々の犯罪特別構成要件を一回充足した犯罪事実に対するより

ほかの何ものでもないとみている︒したがって︑どの法定刑にも通常相当の幅が認められているが︑それはその犯罪

特別構成要件を一回充足した犯罪事実に対する評価に相当の幅を認めておかなければならないと考えられているから

(5)

− 5 −

であって︑その法条において対応していない他の犯罪特別構成要件を充足した犯罪事実までを包括して評価されるこ

とを予定しているのではないとみている︒

そして︑メルケルは︑構成要件を数回充足した犯罪事実をどのように処断するかについて︑構成要件的刑法に明示

することは︑やはり罪刑法定主義の基本原則にもとづいて要請されるのであり︑観念的競合︵国の巴百国宮司の旨︶に

対しても︑実在的競合︵8房︒ご宮同g園︶に対すると同じく︑構成要件を数回充足した﹁真正の競合︵の︒宮の尻○二︲

屋風の目︶﹂として︑もっとも重い罪の法定刑に一定の限度内の加重を許す﹁単一刑主義︵卑言園巷号門固ご意房の貢呉①︶

﹂の確立が妥当であるとする︒

法条競合︵の①附言①切言ご宮同g域︶については︑﹁不真正の競合︵巨邑のo三①宍○邑言風①旨︶﹂として︑観念的競合およ

び実在的競合と区別しているが︑その法条競合の是認についても︑﹁主たる構成要件︵国目冒冨号のの冨目︶﹂と﹁補助

的もしくは付加的構成要件︵霞房︲呂閏旨の鴛異画苦のの冨呂︶﹂との区別と連関が︑各構成要件の外形と配列において

明確に認識できるように立法されていなければならないと主張する︒

メルケルは︑法条競合の一罪性を基礎づけることができるのは︑構成要件的刑法に明らかにされている立法者の意

思だけでなければならないとみているのである︒すなわち︑いわゆる明示的補充関係においては立法者の意思が法文

に明示されているが︑正犯と教唆犯と籍助犯の関係については刑法総則の各規定とその配列において︑既遂犯と未遂

犯と予備犯の関係についてはさらに刑法各則の各規定とその配列において︑特別関係についても基本犯と加重犯と減

軽犯についての各規定とその配列において︑立法者の意思を明らかに定めることができるように整序されていなけれ

︵妬︶

ぱならず︑それらの関係外で疑わしいときは﹁真正の競合﹂を認めなければならないと主張する︒

このパウル・メルヶルの主張は︑罪刑法定主羨の基本原則から出発して科刑との結びつきに着目した法律上の定型

説としての構成要件説にかなり徹底した立法論であり︑そこに構成要件説のいわば原型的主張をみることができよ

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− 6 −

黒ソ○

︵1︶小野清一郎可犯罪の単複と構成要件L犯罪構成要件の理論︵昭和二八年︶三三七頁︒

︵2︶小野清一郎﹁構成要件充足の理論L松波先生還暦祝賀論文集︵昭和三年︶三三七頁以下︒

︵3︶小野清一郎・刑法講義全︵昭和七年︶二四六頁以下︒

︵4︶小野﹁犯罪の単複と構成要件L犯罪構成要件の理論︵昭和二八年︶三三四頁参照︒

︵5︶不破武夫・刑法総論講義案︵昭和一七年︶二三頁以下︒

︵6︶旨.国自国・同旨言詳目Q冨呂暑呈号制ぐ閏胃g言口ゞ屋君︾の.蝉

︵7︶〆.m言島眉鳶法呂ggg塑国津g宮︾麗息︾岳誤︺の壷弓顛.

︵8︶宛︒○再自画目鼻圃匡制伊の彦3ぐ◎ロロ関屋の四房◎回丙巨風の口駒画のP・用崖︒興岳の斜⑫い﹃廟.

︵9︶ご宍鈩.目旨○日儲︾同旨国の笄国頤目HFg3ぐ︒p興胃屋8房︒冒宍目風の口禦岳拐﹀の.霞.

︵蛆︶○・℃色四日口︾ロのご胃⑦隅碑鳥禺︒p丙匡員の冒碗︾届④興切廓

︵u︶西.旨ののロ凛国凰笥凋圃員Fの言のぐopg尉国8房︒昌弄巨周のロ闇︾届温.の.蟹.

︵岨︶国聾胃①国ご目四口厨国$再画曽冒m丙○口丙巨埼凰関①ロ号甸ぐ閏寓の号の国︾毛呂︾の.P

︵蛆︶病.甸儲聖日四目旨︾己儲圃属の四日目の具3露の旨く◎ロ旦閂ぐの里の甘口口甥I巨口Qoの歓言Q巨画飼豊堅涛一一日璽愚時の︒茸竺岳届︾の.匿焦.

︵雌︶淫.宍参三閏寧ロ①具の︒言の理国笥①︒茸.諺.弓・望忌蜀・の.韻の届.

●●

︵妬︶歩.○◎のロ烏吊ご己冨﹃農の国8房○国両目円の目園︾の旨く自恩三崎園巨自国のロ①口聾国碕のの①頁這匿︾の.届︷.

︵妬︶国.○.貝農・己閂国溜凰魚宮口Qs①国a①巨言冒函号舜宍︒易昌具ざ目︵鈩冨貝冨ざ口︶の旨のの目煙夢の印冨昌号の皇昌呂の言の自画昌号吊冒目︺

守旬

ロの具胃匿のロ罰凰o房騨国司R毒.毛いいの.画切

︵Ⅳ︶︑冠.淫壹①国璽Pg号巨9号のロの巨蕨o言冒塑国陣の呂屋酌跨匡建.︑乞隠︺の.麗劃

︵蛆︶国.の9画gご●o舅ppmの写の感冒登鴇圏四口全戸ロ帰固︾①旨①F旨冨葺画鴨弄のロ号昌塑国時恩冨︾這侶︾切侶.

︵⑲︶.國○凰四聾巨忌の目園貝旨凰騨厨呂の昌巨目且目鼻胃﹈旨言ロ題画ロ昌巨昌鼎四口言津.這誤.切興シ昌冒.詞

︵別︶国.ロ.門翫夢p荷いロヮ凰島胃罵群﹄日野国寄のo再︾岳誤簿切P

︵瓢︶司.里画匿pp己蔚Fの言のぐ︒p且関固口昏の笄宮口口冨の言昏の岸・閏ぐ閏寓g篇目巨具関蔚gpg扇弓国胃胃爾ざ茸狩属国碩烏の需岸①昌号口

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1 1

1

− − 7 −

I

︵︺

一﹁犯罪の単複と構成要件﹂と題する昭和一八年︵一九四二年︶に発表された論説においてはじめて︑小野清一

郎博士は︑広い視野のもとに既存の罪数学説を批判して構成要件説を支持する詳しい論述を展開され︑構成要件説は

その後次第にわが国において通説の地位を占めるようになったのであるが︑そこでの構成要件説には︑重要な点にお

いて︑構成要件説の原型的な主張からの変遷が認められる︒まず︑﹁構成要件は違法性の類型化であると同時に道義

︵妬︶

的責任の類型化でもある﹂と主張されることによって︑その構成要件は特殊な概念になっており︑それでは元来構成

要件説がその生命としてきた法律上の定型説としての性格がくずれてしまいはせぬかが問題になり︑ついで︑﹁科刑

の軽重とか手続上の取扱とかいうことも一罪・数罪に関係があり︑従って︽これを勘酌する目的論的思考もあり得るわ

けであるが︑それは第二義的なものであり︑犯罪の本質に依る罪数の規定はより根本的なものである﹂と主張される

︵鯛︶

ことによって︑従来の構成要件説と科刑効果との直接的な結びつきは後ろに退けられており︑それでは何のために成

立した犯罪の数を数えるのか︑罪数を区別する実益があらためて問題になる︒

まず︑﹁構成要件は違法性の類型化であると同時に道義的責任の類型化でもある﹂という主張は︑構成要件が法律 qの巨訪o彦のロロロニ尉扇目の旨冨の︒写①口屍の◎三の◎ヨヨ①Q閂塑国碕のmの蔚の昌急胃詩島$関F陣ロロ関ぐ◎旨岳cc匪の這画劃岳暗︾の.認顛.

︵躯︶宛︒蜀圖ロ宍.ロ画の聾国碕のの風呂目匿旨昂・画のロの巨誌o毒の詞の一︒F届︒跨員﹄・︾の.画誤鳶

翁︶シ野口自彊耳①目.豆①国8房︒p冒貝のロ園管言姉卑画目丙1漂牌魁冨為淳い迄こぎ雪の.鐸召管鈩昌日.﹄では︑フランクの説を構成要

件説として性格づけているが︑フランク自身の論述には多様な要素が含まれている︒

盆︶小野﹁犯罪の単複と構成要件L犯罪構成要件の理論︵昭和二八年︶三七六頁参照︒

露︶詞冨閏室﹄雰旨冒貝3画︾言壽邑の宮の己の冒璽の言ロ頤号房景︒言ロ自己言忌邑の︒言国警胃︒言︾ショゞ屋.面︾

︵妬︶詞冨の禺巴︾画.画.○.︾の.$の露. 句.里︻○画丙堅︾尻○ロ﹄cc輿の.四℃○冷駒

第二節構成要件説の変遷

b

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I

− 9 −

あり︑従ってこれを斜酌する目的論的思考もあり得るわけであるが︑それは第二義的なものであり︑犯罪の本質に依

る罪数の規定はより根本的なものである﹂と主張されており︑一見︑実益を無視して犯罪の本質観を露出させている

印象を与えるが︑他方において︑﹁右の如く考えることは徒らに観念上の﹃幽玄﹄を弄ばんとするのではない︒解釈

論的・立法論的に﹃実益﹄を有するのである︒解釈論的には︑何よりも構成要件該当性を論ずるにあたって︑常にそ

の道義的な意味の把握を忘れてはならないことを意味する︒特に犯罪の単複を論ずるにあたって︑例えば観念的競合

と法条競合とを分つことば︑その道義的意味の単複に依るものであり︑道義的意味の同一なる場合には法条競合であ

りF道義的意味を異にする場合が観念的競合であると解することが出来る︒その詳細は別にこれを論じなければなら

ない︒立法論的に︑右の如く考えることは︑犯罪の単複と刑罰の単複とが別個の問題であることを判然たらしめ︑犯

罪競合の科刑について犯罪の個数に囚われることなく︑道義と政策との要求に従って自由に規定することを可能なら/

︵魂︶

しめるであろう﹂と述べられている︒そこでは︑罪数論における構成要件説の積極的な実益として︑別に詳しく論じ

ることを条件にしてではあるが︑観念的競合と法条競合とを分つことが例示されている︒

尊属殺人︑強盗殺人︑住居侵入被告事件に関する昭和一八年四月三一百大審院判決︵刑集一三巻六号九六頁︶の評

釈において︑小野博士は︑﹁凡そ法条競合とするか観念的競合とするかは単に科刑の軽重という点から見る限り何等

の実益もないことであり︑実務上からはなるべく法条競合とする方が手数が省けるという実益があることになろう︒

しかし問題は単なる科刑の軽重だけに在るのではなく︑法律上の名分の問題であり︑而して法律上の名分はやがて道

義上の名分の問題である︒刑の軽重だけをいうならば刑法二四○条の刑はすでに死刑又は無期懲役であるから︑刑法

二○○条を併せて適用する実益に乏しいと謂えよう︒しかし︑尊属殺はやはり尊属殺として之を処罰することにょっ

︵犯︶て其の道義上・法律上の名分を正さなければならないのである﹂と論じておられる︒ここにおいては︑構成要件説の

積極的意義が︑﹁法律上の名分を正す﹂ということと﹁道義上の名分を正す﹂ということとの相即においてより具体

I

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−−11−F

︲〆︲︵調︶構成要件の理論﹂において発表されたが︑そ↑﹂では︑まず︑道義的意味の単複を先行させて強調する論述は避けられ

ており︑ついで︑個々の犯罪特別構成要件の標準性に動揺が示されている︒そこでは︑ベーリンク晩年の﹁構成要件

︵弧︶︵弱︶

論﹂やエリック・ウォルフの﹁構成要件該当性の諸類型﹂からの示唆もくまれて︑.一つ又陸一つ以上の構成要件の

間における類型的関係を見出す﹂﹁構成要件の形態的類型論﹂と罪数との関係に注目しておられるのである︒広く知

︵妬︶

られているように︑ベーリンク晩年の﹁構成要件論﹂における構成要件の概念は︑ベーリンクの前著﹁犯罪論﹂にお

けるそれとは異なって︑個々の犯罪特別構成要件から抽象された内包の稀薄なしたがって外延の広い概念になってお

り︑エリック・ウォルフの﹁構成要件該当性の諸類型﹂の論は︑数個の構成要件に該当していることを予定した上

で︑そこに諸類型を認めることができることについて論じているのであった︒

小野博士ぼ︑結果的にはそれらの論に類似しながら︑独自の思考において︑数個の構成要件該当性の類型論として

ではなくして︑一個の構成要件そのものの類型論として理解し︑﹁構成要件を一回充足するごとに一罪﹂という命題

はなお原理的に正しいことを確信しているとされ︑﹁然らば構成要件の一回充足とは何であるか・理論的にいえば︑

各の構成要件において類型的に予想された事実の範囲がある︑その範囲によって決すべきものである︒一つの構成要

〜件において類型的に予想された事実の範囲がどの程度に及ぶかは︑各本条の解釈に待たなければならない︒それは意

思︑行為又は結果︵法益︶のいずれか一つをもってはどうしても割り切れない︒構成要件的事実全体の人倫的・社会

的意義を考えて決定しなければならないし︑同時にその刑罰法規における評価の問題として︑科刑に関係しつつ︑科

︵訂︶

刑を合理的ならしめるという観点から考慮しなければならない﹂と主張されている︒

ここでの特色健一時拒否されていた﹁科刑に関係しつつ︑科刑を合理的ならしめる﹂という﹁目的論的思考﹂が

復活させられているところに認められるが︑その﹁目的論的思考﹂もふ法条競合に関して︑構成要件の数回充足を予

定した上での思考と︑構成要件の一回充足が何であるかを問題にする場合の思考とでは︑その意義を異にすることに

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ー − 三 一 一 一 一 一̲

− 1 5 −

の﹁内包の面﹂と﹁外延の面﹂を区別することによって︑それぞれに構成要件の数を異にするとみることはできな

い︒もしもそのようにみるならば︑同一の犯罪類型について複数の構成要件を認めることになるか︑さもなければ一

個の構成要件において﹁犯罪定型﹂としての性格をまったく失うことになる︒

もっとも︑ここでは︑﹁内包﹂の語が通常の用語例とは異なった意味において用いられている︒たとえば︑数個の

財物を窃取した場合︑または︑着衣を貫ぬいて人の身体を傷害した場合︑各一個の財物の窃取がそれぞれ窃盗罪の構

成要件を充足し︑また︑着衣を貫ぬいた点は器物損壊罪の︑人の身体を傷害した点は傷害罪の各構成要件を充足して

いるとして︑ここでは﹁構成要件的評価の内包の面﹂と呼ばれており︑数個の財物を窃取した全体がまた一個の窃盗

の構成要件的評価の範囲内にあり︑着衣を貫ぬいて人の身体を傷害した全体が一個の傷害罪の構成要件的評価の範囲

内にあるとして︑ここでは﹁構成要件的評価の外延の面﹂と呼ばれているとみられる︒したがって︑ここでは︑﹁構

成要件的評価の内包の面﹂と呼ばれているものも︑﹁構成要件的評価の外延の面﹂と呼ばれているものと同じく︑通

常の用語例では﹁内包﹂の面に関する構成要件の属性ないしはその概念要素についての評価が問題にされているので

はなくして︑通常の用語例では共に﹁外延﹂の面に関する︑構成要件のあてはまる事実の範囲についての評価が問題

にされているのであって︑結局︑通常の用語例に従えば︑構成要件の﹁外延﹂には複雑した幅があるという指摘であ

しかしながら︑そのように﹁外延﹂に複雑した幅を認める構成要件に︑はたして法律上の﹁犯罪定型﹂としての性

格を認めることができるであろうか︒たとえば︑法律上︑窃盗罪の構成要件は︑その内包において︑殺人罪の構成要

件がその行為の客体を一人の人に限定してはいないように︑みずからの行為の客体を一個の財物に限定してはいな

い︒また︑法律上︑傷害罪の構成要件は︑その内包において︑殺人罪の構成要件が傷害罪の概念要素を包含してはい

ないように︑器物損壊罪の概念要素を包含してはいない︒そして︑殺人罪では被殺者の一人一人において犯罪を数 にされているのであって︑結局︑りまた主張であると解せられる︒

1

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四パウル・メルケルの構成要件説は︑その点︑法律上の犯罪定型説に徹底していた︒まず︑同種類の観念的競合

の概念を無用のものとみている︒殺人罪についても︑その行為の客体の個数が構成要件において法律上定型的に限定

されてはいないがゆえに︑たとえ同時に数人を殺害していても︑殺人罪の構成要件を一回充足したものとして︑一罪

︵妃︶︵︶

とみている︒そして︑メッガーなどのいう吸収関係を法条競合のカテゴリーから排除している︒なぜならば︑傷害後

かなりの時間を隔てて殺害すれば傷害罪と殺人罪の二罪として数えられるのに︑傷害を随伴した殺人は殺人罪一罪と

して数え︑人を傷害すると同時にそばにあった衣服を穀損すれば傷害罪と器物損壊罪の二罪として数えられるのに︑

着衣を貫ぬいて傷害すれば傷害罪一罪として数えるのほ︑メッガーなどのいう吸収関係に相当するが︑そこでは構成

︵︶ゞ要件という法律上の犯罪定型以上に個別化したまた具体化した類型が予定されなければならないからである︒

しかしながら︑メルケルの罪数論も構成要件説だけに徹底しきれてはいない︒まず︑同種類の実在的競合の是認に

︵妬︶

おいて︑また訴訟上の効果との結びつきにおいて︑行為の単複の標準性が考えられており︑ついで︑法条競合の是認

において︑立法者の意思への依存が主張されていた︒そして︑罪数論における行為の単複の意義についての検討はし

ばらく措いて︑法条競合の是認について︑メルヶルは︑数個の構成要件が充足されているにもかかわらず一罪とみる

立法者の意思が︑﹁主たる構成要件﹂と﹁補助的もしくは付加的構成要件﹂との︑ないしは︑﹁独立した構成要件a巴︲

冨鼓三億の.巨目言蟹哩需目鼻言の鼓ヨの︶﹂と﹁独立していない構成要件合房里冨鼓三億の﹀号冨長碕の目鼻富の註呂①﹂ 型﹂の問題とみることはできない︒ え︑窃盗罪ではかなりの個数の財物を一括して犯罪を数える差異は︑罪数論にとって重要であり︑また︑傷害を随伴した殺人は殺人罪一罪として数え︑傷害後たとえばかなりの時間を隔てて殺害すれば傷害罪と殺人罪の二罪として数え︑着衣を貫ぬいて傷害すれば傷害罪一罪として数え︑人を傷害すると同時にそばにあった衣服を段損すれば傷害罪と器物損壊罪の二罪として数える差異は︑↑罪数論にとって重要であるが︑それらを構成要件という法律上の﹁犯罪定

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一一一一一一一一一一一 一 一 −−−−一一−

− 1 7 −

︵媚︶

との区別と連関において︑明確に認識できるように立法されていなければならないと主張していることについてもす

でに述べた︒しかし︑メルケルの主張は︑その後久しく孤立していた︒それらの区別と連関において立法者の意思を

明確に認識できるように立法するということが︑法技術的に困難であると共に︑それだけでは法条競合の是認範囲は

非常に限定され︑実務上の要求に即応させることができないとみられたからであろう︒

ヘルムート・マイャーは︑一九三四年︑﹁競合問題﹂と題する論説において︑法条競合に関連して︑﹃立法者が︑

もっとも重い犯罪の刑を法律に定めるに際して︑その実行において︑その事前において︑その事後において︑通常他

の可罰行為を随伴する生活経験を考慮していると認められるときには︑独立した可罰規定は存在しない﹂という総則

︵︶

規定を設けることを提案している︒そこには︑メルヶルからのつながりと共に︑小野博士・団藤博士の所説と符合す

るものを認めることができるが︑それらを受けて︑シュナイデウインは︑一九五四年に刊行された刑法改正資料第一

巻において︑与えられたテーマ﹁多数の構成要件相互間のどの種の競合をどの範囲において法律に表現することが可

能でありまた推賞されるか﹂について論じ︑﹁法条競合の諸問題を立法的に解決しようとする努力は成功していな

い﹂﹁とくに補充関係についてことごとく法律に明示しようとする態度は︑実務において疑問を増大させることにな

る﹂﹁法条競合の諸問題については︑一般に将来においても︑上級裁判所の判例に任す以外によい方法は見出せない

︵躯︶

であろう﹂と主張している︒このシュナイデウインの主張は︑その後︑イェシェックの﹁競合﹂と題する論説におい

︵ぬ︶︵卵︶

ても︑ウルリッヒ・クルークの﹁法条競合の概念について﹂と題する論説においても︑ルドルフ︒シユットの﹁現在

︵副︶

および将来の刑法における競合﹂と題する論説においても︑すべて肯認して引用されているのである︒

法条競合の一罪性は︑個々の構成要件の定型性の問題ではない︒実務に役立ち実務を指導する結論は︑構成要件類

似の類型性において認識できることが望ましいが︑それは︑﹁犯罪定型﹂として︑﹁各の構成要件において類型的に

予想された事実の範囲﹂の問題ではない︒すでにメルケルも一個の構成要件の一回充足の評価において法条競合の一

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− − ‑一 一 ー 一 一一 一 ‐ ー ーー ー ー一 . 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

− 1 9 −

︵弘︶因.房言四ロの徳育のぐ◎目︑毎庁冨の雷昌.忌琶.・

︵妬︶因.雪晨︾豆①弓望月目旦閂目9房の冨呂留愚里賢鼻︾ご望.

︵鍋︶因.醇言四国の意言の8日ぐの獄胃の︒冨働.乞息.

︵部︶小野可構成要件の諸形態と罪数L犯罪構成要件の理論︵昭和二八年︶一三○頁︒

︵記︶小野清一郎可同種類の観念的競合L刑事判例評釈集二巻︵昭和一七年︶三二五頁以下︒

︵豹︶小野清一郎可連続犯と包括一罪L刑罰の本質について・その他︵昭和三○年︶三○五頁以下︒︲

︵期︶団藤重光・刑法綱要総論︵昭和三二年︶三三六頁以下︒

︵似︶団藤・前掲書三三九頁注︵四︶・

︵蛇︶詞冨曾恵一ゞ宍目冒昌の旨︾ぐ口鈩︾淫.興乞民の●函岳鰯・

︵粥︶同.旨の侭閏ゞ塑国時の︒茸.固邑意言盲目茜.曾邑や︺忌む功.雪印〆p

︵︶詞冨①鼻堅︾宍︒p丙匡目の自噴︾ぐロシ︾國具卿ら易.い昭①閉.

︵妬︶詞冨①烏堅竺四.画︒○●︾の.い﹃の厚の.い割の哺・目.い酋号

︵妬︶詞冨の禺堅︺画.画.○●︾の.函ヨロ.の.喝幽目.の.宅醇

︵岬︶函.冨葛輿.宍︒p丙巨目の昌園時僧の国︺旨・の冒口烏屋鴨①旨ののシニ隔日①旨のロロの具︑暑の巨煕国笥の︒三の﹀粋言毒①員凰言国号門鈩冨号冒尉

曽門口①昌駕匿朋罰g宮︾西の津湯乞い歩のq屈函駒

︵蛆︶宍.の呂口の苞の三国﹀冒菖の尋凰芹啓騨の⑳目眉言旨回国Qの目其の三の易尋の具aの鈩耳烏尉宍○国丙昌吊口闘圃三mgのご目①言関の冒塑国津gl

ご$鼓口・の言臼の閉の厨画巨普屋号屋○丙①ロ﹃言必与雷冨凰巴后ご園旨H聖国時の︒茸閏風○国ご︾国員屋畠@m全の.︑呂岸ロ.の.画国璽︲

︵⑲︶函.帝のgの鼻︾ロ尉〆◎国戸口風の言︾園の乏鴛︾国g雪︾ご誤︾の・認式

︵印︶ロ.属旨四N目冒国の唱替露号吋Qのmの旨のの宮口丙貝愚口騨響国の乏夢嗣旦密.姑認.の.$P

︵弧︶宛.の呂目三.ロ尉宍︒p戸口員のロ雨︾目鴇岸①国号冒巨ごロ丙崖ロ津碕のロ聖国笥図三.固の乏戸︶国砕説.己訟︾の.届騨︵副︶宛.の呂目葺寧ロ厨房︒p冨昌

︵腿︶の︒宮凰夢画.色.○●︾の.心印

(20)
(21)

ー−−マーロー

1 I

− 2 1 −

構成要件説的思考は当然に罪数観念の出発点において予定されているからである︒罪数論固有の問題領域は︑むしろ

逆に︑科刑上の効果に関係し手続上の効果に関係して︑構成要件説の妥当性が及ばないところから展開されるといえ

構成要件説による罪数論の体系上の地位は︑犯罪論と科刑論との間をさまよっている︒実益を考え︑原則的な妥当

性を考えるならば︑その罪数論は犯罪論よりも科刑論により︑すべての犯罪事実に対する構成要件説の徹底を考える

のであれば︑科刑論にも親しむことができないで︑犯罪論の範囲内に限定されることになる︒そして︑構成要件理論

一般においては︑﹁刑事訴訟における指導形象としての犯罪構成要件﹂として︑構成要件の刑事訴訟上の機能にも強︵弱︶︽い関心が寄せられているのに︑罪数論の範囲内における構成要件説は︑公訴不可分の原則やいわゆる既判力の範囲な

ど基本的な訴訟上り効果に関係する罪数の意義の是認に対して︑はなはだしくためらいがちである︒しかし︑その点

についてもまた十分に検討しておかねばならない︒

一一小野博士は︑﹁犯罪の単複と構成要件﹂と題する論説において︑まず︑牧野英一博士が︑刑法においては五四

︵師︶

条・五五条の観念的競合ないし連続犯を一罪とみておられるのに︑訴訟法においては牽連犯・連続犯を﹁集合的犯罪﹂

とされ︑﹁集合的犯罪ハ︑独立シテ犯罪卜為ルベキ行為ヲ処罰上合一視スルモノ﹂であるとして︑公訴時効または親

︵記︶

告罪の関係において各個の犯罪事実の独立性を認めておられたことに対して︑﹁刑法と刑事訴訟法とは勿論体系を異

にするが︑しかし両者は一体のものでなければならない︒刑法においては単純なる一個の犯罪であるが︑刑事訴訟法

においては数個の犯罪事件であると考うることはそれ自体ある論理的な不徹底ではないであろうかが疑われるのでぁ

︵弱︶

る﹂と評しておられる︒そこには︑少なくとも︑構成要件を一回充足しているにすぎない犯罪事実を刑事訴訟法にお

いて数罪的に扱うことを拒否する主張が含まれているとみなければならない︒しかし︑構成要件を数回充足している

とみられている嬢念的競合・牽連犯・連続犯については︑明確な主張が避けられている︒一方では︑それらに対し る︒

(22)

− 2 2 ' 一

て︑﹁手続上一罪﹂という観念を認められ︑実在的競合と﹁手続上の関係においてまでこれを同一に取扱うべきか

・一は︑一個の問題たるを免れない︒我が仮案第九○条第二項が既判力の点について実在的競合とその取扱を異らしめて

︵釦︶

いるのば︑この点を慮ったものである﹂とされると共に︑他方では︑それらに﹁手続上公訴の時効︑親告罪等の関係

においてその分割を許す﹂とされ︑仮案九○条二項についても︑﹁訴訟手続上なおこれを一罪に準じて取扱うべきもの

︵団︶

とするのであるが︑これも本来一の政策的考慮に外ならず︑立法論的になお論議の余地があるのである﹂とされる︒

しかしながら︑﹁刑法と刑事訴訟法とが本質的に一体のものでなければならない﹂ことを予定して︑構成要件説に

徹底すれば︑実体法上構成要件を数回充足している犯罪事実に対して﹁手続上の一罪﹂を問題にすることは拒否され

なければならないであろう︒井上正治博士は︑つとに︑﹁構成要件充足説は︑自然的観察において一個の行為であつ

︵砲︶

ても︑法律的考察においては数個の行為たり得る合理性を示すものである﹂と批評されると共に︑観念的競合につい

ても︑いわゆる既判力の範囲は各構成要件ごとに審理されて判決を受けた部分についてだけ認められその他の部分に

︵閃︶

までは及ばないことになる旨を示唆しておられた︒ドイツ〃においても︑比較的最近になって︑︒ゲールスは︑立法論と

してではあるが︑構成要件説に相当徹底した立場から︑罪数論におけるいわゆる自然的行為の単複の意義を完全に否

︵︶

定して︑訴訟法上の効果においても︑観念的競合と実在的競合との区別をまったく排除することを提案している︒構

成要件説に徹底しようとするならば︑この方向は支持されなければならないであろう︒

諸多の罪数学説のうち7構成要件説こそは︑罪数を分ける意義を刑法と刑事訴訟を通じて自覚的に強化する糸口を

開いており︑まずもってその点は高く評価されなければならない︒すなわち︑多様な犯罪事実に対して﹁構成要件を

一回充足するごとに一罪些として成立した犯罪の数を数え訴訟上も数個に扱うことは原則として妥当であり︑罪数論

しそもそも構成要件説的思考を当然のこととして予定すればこそ︑罪数を分ける意義を刑法と刑事訴訟を通じて強化

がなければならないことを自己の問題意識の中におさめることができるのである︒しかしながら︑ここにおいても︑

(23)
(24)
(25)

− − − − − . − − − − − I

− 2 5 −

1

においても︑構成要件説の原則的な妥当性の根拠を確認した上で︑立法技術的に克服することのできない必然的な制

約を受けている個々の犯罪特別構成要件とその集積を目的論的に補正して︑なお実体法的に︑成立した犯罪の数を数

えることができるものが︑その指導形象にならなければならないと考える︒

︵鯛︶

三そもそも︑構成要件がすぐれて刑事訴訟における指導形象になることができるのは︑構成要件が︑単なる価値

類型としてではなくして︑相当程度の客観的な経験的類型性を備えたものにおいて理解されているからである︒犯意︵鮪︶︵師︶説︵決意説︶にしても︑近くは目的説にしても︑たとえそれらが特定の犯罪観に深く根ざした罪数学説であるとして

へ︶

も︑そのけわしい主観的︵心理的︶性格のゆえに︑刑事訴訟における指導形象としては︑とうてい十分な機能を発揮

︵的︶︹︑︶

することはできない︒判例における犯意説的判示は︑犯意説︵決意説︶そのものではなくして︑構成要件説を補正す

︵Ⅶ︶

る目的論的思考の擬制になっている︒行為説についても︑もしもそれが行為の客観的な経験的類型性を行為者の超法

︵︶

律的な心理学的要素によって変形させて把握することを要求する説であるならば︑刑事訴訟における安定した指導形

象になることはできない︒そして︑構成要件説についても︑あるいは﹁違法性の類型化であると同時に道義的責任の

類型化でもある﹂と主張されるとき︑その違法性の類型化と道義的責任の類型化との緊張関係をどのように理解する︵渦︶・かが明確にされていないかぎり︑十分な指導形象になることはできず︑通説のように構成要件を違法類型として理解

する場合においても︑いわゆる主観的違法要素の個数にこだわるのは適切でない︒そのことは科刑を合理的なものた

らしめ観点から要求される構成要件についても同様である︒

そして︑個々の客観的な構成要件は︑社会現象として現実に存在する犯罪を念頭に置いて︑それを法的な定型に取

︵湖︶

り上げたものであり︑その範囲は︑原則として︑一回で審判することを義務づけることができるものである︒手続上の

罪数について︑構成要件説の原則的な妥当性の根拠はそこにある︒しかしながら︑立法技術的に︑社会現象としてま

とまった犯罪事実の一つ一つをすべて個々の犯罪特別構成要件にすることはとうてい不可能なことである︒大綱的

(26)

一ー ‑、ヨロ吉

− 2 6 −

には︑個々の犯罪特別構成要件の総数は︑当罰的な反社会的行為の違法内容を網羅することがでぎる数に限定され︑

︵泥︶

社会現象として個別化している経験的類型の列挙において︑いちじるしく制限されている︒したがって︑一般的に一

︵布︺

回で審判することを義務づけることができる一罪の範囲を︑構成要件充足の数を離れて︑刑事現象学的類型性に基づ

いて目的論的に理解することの必要は︑構成要件的刑法を予定して合目的的な妥当性を意図するかぎり不可避的であ

る︒しかも︑その指標は︑法条競合論において確認されつつある︒

最近では︑ルドルフ・シュミットは︑多数の可罰的構成要件が現に相互に充足されているにもかかわらず︑法条競

合として一罪性が認められる主要な指標として︑刑事学の分野において︑より正確にいえば︑刑事現象学︵厨凰冒旨呉︲

g蟹○日go旨唱の︶の分野において︑規則的にかつ類型的に︵﹃墨言践侭の7匡巨言︶再冨尉言の雷︶競合することを挙

︵︶︵犯︶︵︶︵即︶

げる︒ゲールスは︑通常随伴する現象であることを挙げる・類似の認識は︑すでに︑ビンディンク以来︑ハーネ︑フ︵副︶..︵躯︶.︵鯛︶︵︶︵鯛︶︵鮨︶︵師︶︵鯛︶インガー︑ゲルラント︑ヒルシュベルヒ︑ドーナー︑コンラド︑ザウアー︑ヤーグッシュ︑ウェルッェルなどにも示

されていた︒もとより妥当であると考えるが︑それは法条競合だけに特有な指標ではない︒観念的競合にも牽連犯に

も連続犯にも相通じる指標である︒そして︑その指標は︑科刑を合理的ならしめるという観点から見出される指標と

は性質を異にしている︒科刑を合理的ならしめるという観点からは︑主として︑各構成要件の法益相互間において︑

主従的近似が認められときには主たるものが従たるものに優越し︑法益侵害の強さにおいて強弱が認められるときに

は強いものが弱いものに優越して一罪性を基礎づけるが︑訴訟上の効果を合理的ならしめるという観点からは︑主と

︐︵︶して︑刑事現象学的類型性に枠づけられた通常の意味での行為の単一性が一罪性を基礎づける︒

・構成要件説は︑﹁科刑上の一罪﹂と﹁手続上の一罪﹂の問題を︑共に﹁処断上の一罪﹂﹁処分上の一罪﹂﹁取扱上

︿卯︶

の一罪﹂などと呼んで十分に区別せず︑かつ︑それらを罪数論の範囲外に排除しがちであったが︑罪数論固有問題

領域は︑まさに構成要件説が排除しがちであった﹁科刑上の一罪﹂と﹁手続上の一罪﹂のそれぞれ区別された問題を

(27)
(28)
(29)

− 2 9 −

一ローマ法一・は︑罪数の問題は︑訴え︵窒鑓の︶の数として︑訴訟に関係づけて考えられていたとヒッペルはい

︵帥︺

う︒そして︑ヘフナーは︑主として︑ローマ法においても罪数についての行為説的見解が存在したか否かの観点から

︵蛇︶

検討しているが︑基本的には︑罪数もしくは訴えの数が法規違反の数によって決められていたことを認める︒すなわ

ち︑ローマ法においても︑基本的には︑罪数もしくは訴えの数が構成要件充足の数によって決められていたと考えら

れる︒その意味では︑構成要件説には歴史がない︒そして︑ディゲスタによれば︑法規違反の数によって各別に訴え

て各別に科することのできる刑罰は原則として併科することを立前にしていたQ・皆﹃ご侭$菌︵ロ︶合ゞH1ヘ阜邑皇屋の

︒︵鯛︶

の国営旨旦の屋○芹匡寓目○ず画鹿屋QQ①屋○骨屋寓冒門口一己屋騨逼○のご凹寓旨ご︶O

法条競合に関連した問題としては︑まず︑ローマ刑事立法の例示的性格︵の篇目昌言貢の邑閏O富国寓曾︶のゆえ

に︑しばしば︑同一の構成要件が反覆して複数の法典に規定されており︑チトゥス治下のセナートゥスの決定によっ

て︑それら同一の複数の構成要件の充足においては︑訴えの競合を認めない旨が法律でもって明らかにされたことが

︵鯉︶︵鮨︶︵妬︶︵︶︵兜︶

考えられる︒そのことは︑ピンディンクをはじめとして︑リストⅡシュミットやメッガーやゥエルッェルなどにおい

て︑法条競合の一形式として︑多様に論じられている﹁択一関係︵シ言目鼻三鼓s﹂の問題に関係するからである︒ ︵師︶国.﹈觜易9画旨の黛四侭$9号9戸F凰冨碕閏厨︒B目の昌胃︾︑声浮や︑︑捧具r喧雪・︒ふぐgか畠.

︵肥︶因.乏堅画里︾ロ溺己g誌呂の聾国笥の︒冨望国昌の留騨の目鼻耐呂のロ閏鼻堅旨国醇﹃・跨具塚毛邑轡の.い急. ︵的︶ぐ巴.両.言の畠閏1国.塵凰寧墜愚胃の︒茸胃︾の言昌のロゥg彦匡.シ属窒・恒宅談︾堕雪p

︵卯︶小野﹁犯罪の単複と構成要件L犯罪構成要件の理論︵昭和二八年︶三九九頁・四○○頁︒

第二童法条競合

第一節沿革的・比較法的考察

(30)
(31)

− 3 1 −

ことを許している例を挙げる︒そのことは︑角度をかえてみれば︑特別犯が普通犯に優先するのではなくして普通犯

が特別犯に優先する形態を示しており︑そのかぎりでは︑法条競合の中でももっとも基本的な特別関係についての認

識もいまだ十分に確保されてはいなかったということになる︒モムゼンは︑結局︑競合についての少しく立ち入った

︵皿︶

問題になると多くのローマ法学者達も疑問を留保したままで沈黙しているという︒

けだし︑ローマ法では︑実体法的考察と訴訟法的考察とを区別した上での総合においてではなくして︑いわば即目

的に︑罪数を訴えの数としてとらえているので︑﹁科刑上の一罪﹂についても︑﹁手続上の一罪﹂についても︑確実

な認識が示されていないとみられるが︑まずもつ▲て︑﹁科刑上の一罪﹂に関して︑かたや違法事実をあますところな

く科刑に結びつけようとしているがゆえに︑かたや死刑や無期刑が法定刑の主体をなしているので︑多くの場合科刑

上の併科主義と吸収主義の根拠を区別する実益が直接的に意識されないがゆえに︑法条競合についての思考が容易に

進展しなかったものとおもわれる︒唐律についても︑死刑や無期刑が法定刑の主体をなしているので︑そこでの科刑

︵︶︵脈︶

上の吸収主義の根拠を︑今日有期の自由刑を念頭に置いて問題にする﹁科刑上の一罪﹂の問題と同性質のものと考え

二中世末期のイタリア法学について︑バウムガルテンは︑いまだ十分に罪数の問題は実体法上の問題にはなって

︵畑︶

いなかったと主張しているが︑基本的には︑罪数を訴えの数としてとらえるローマ法の考え方がそのまま受け継がれ

ていたとみるべきであろう︒しかし︑まず︑バルトルスにおいて︑特別関係︵需邑屋の園胃の罵凰①の︶についての認識︲︵噸︶↑が示され・ており︑ついで︑クラールスおよびファリナチゥスにおいて︑﹁加重された刑が科せられる犯罪の単一性

︵︑︶

︵農程儲且呂且の自画鳥目g8号目意昌宮愚8日目品四目三薯︶﹂について論じられている︒それは結合犯の問題

に関係する︒そして︑結合犯と被結合犯との関係を特別関係と区別して法条競合の一つに数える理解は︑現行のイタ

︵皿︶

リァ刑法において︑その一五条と区別した八四条の規定に受け継がれている︒

︵畑︶

ることはできない︒

(32)

− 3 2 −

ドイツ法の沿革において︑法条競合についての認識の起源に関し現在なおはげしく見解が分かれているのは︑窃盗︐︲

について加重事由が競合した場合にもっとも重い刑だけを適用する旨を規定したカロリナ法典一六三条︵雪︒目の言

合口冒凰罵塁皇国脇呂葛①昌冒晒す暑号日ロ厨房冨匡需昏且§三a︑1重○ず暑の言g豆号降里目の言含冒国四月匙暑

煕崩o言員§ぬ︑・言Qgぐ︒侭の言誌言少墨呂言ロョの刷呂重言固胆の目の三mの言︑の﹃昏巨の禍鑓嘩己の頁へ慰距の

の言﹃ご画︒三閏患者蚤︒言の昌晨言己雲吾言筐異言9.︶についてである.シェ︲フ︑サヴィ︲ニー︑

︵皿︶︵恥︶

ロテック︑ツェーラー︑ツィークラーは︑犯罪論における根拠なしに単に﹁重い刑は軽い刑を吸収する︵弔月目

冒畠目堅温o1萬昌言胃①日・︶﹂という命題を引き合いに出すことのできる単なる科刑上の吸収主義の適用を個別的に︵︑︶︵︶︵噸︶ゞ︵皿︶・是認した一規定であるに過ぎないと主張し︑ビンディンク︑ヨーン︑ヘフナー︑バウムガルテンなどは︑犯罪論上の

根拠のある法条競合に属するものの規定であると主張している︒しかしながら︑そこには立法上の一つの知恵が示さ

れているとは考えるが︑事柄は法条競合の問題だけに関係するのではなく︑ゲールスのように︑カロリナ法典におい

ては︑数個の法条に該当しているにもかかわらず一法条の刑罰が科せられる犯罪論上の一般的な根拠までを探る必要

︵皿︶

は意識されていなかったとみる方が正しいであろう︒

ゲールスは︑ドイツ法の沿革において︑法条競合についての理論が展開されるようになったのは︑一九世紀の半ば

︵煙︶

︵蝿︶︵翅︶︵唖︶︵岬︶・ごろになってからであるとみている︒そこでは︑まず︑ツェーラー︑ザンダー︑ケストリン︑ヤーゲマン︑ツァハリ︵函︶︵唾︶ェ︑クラウスハールなどによって︑ローマ法および中世末期のイタリア法学に対する強い関心が喚起されへついで︑

多様な主張が展開されるようになった︒特異な主張としては︑たとえば︑アウグスト・オットー・クルークは︑殺人

.︵函︶と傷害との間に特別関係を認め︑ケストリンは︑意思の方向︵雲筐9塁g冨晨︶の異同を重視し︑強姦と暴行との

︵︶

間にはその同一性が認められるが︑殺人と放火との間では否定されると主張している︒各主張においてほぼ共通して

いたのは︑﹁特別法は一般法に優先する︵F閏望局凰巴厨房員侭異汚唱的g禽農とどいう命題に示される特別関係に

(33)

が−−−−−一一

− 3 3 −

︵︶︵皿︶︵唖︶︵蝿︶︵皿︶︵噸︶ついての認識であり︑クルーク︑ヨーン︑カラディア︑ローゼンブラット︑ヘルシュナー︑シュワルッなど︑いずれ

も特別関係について論じており︑おおむね一行為において問題にしていた︒ヒッラーが罪数と行為の数とは別である︵︶・・と主張し︑多行為における一罪性についても一般的な問題にしていたのは︑まったくの異例であった︒ヘルシュナj

は︑既遂と未遂と予備の関係を取り上げているが︑既遂に達するためには必然的に予備・未遂の段階を経過して一行

︵w︶

為で犯されうることを前提にして︑しかも特別関係の問題として︑取り上げていたのであった︒したがって︑一般・︵︶に︑不可罰的事前および事後行為の問題については意識されていなかったといえる︒

結局︑法条競合についての理論は︑﹁科刑上の一罪﹂に関連して︑中世末期のイタリア法学に端を発し︑一九世紀

︲後半のドイツ法学においてしだいに充実されてきたとみられる︒その原因については︑まず注釈法学の形で︑実体法

的考察が細かくなってきたことを見のがすことはできないが︑同時に︑死刑や無期刑に代わって有期の自由刑がしだ

いに法定刑の主体をなし︑かつ︑ローマ法以来の併科主義のきびしさを緩和しようとする意図もそこに作用してい︵︶ぷる︒今日の知識に連なる法条競合論の展開は︑ビンディンクに端を発するとみることができるが︑わが国においては

法条競合論についてほとんど共有財産をもたず︑それらの検討は本論に譲らなければならない︒

﹁手続上の一罪﹂に関しては︑当初︑おおむね﹁科刑上の一罪﹂の反映として認識されていた︒顕著な例として

は︑すでに中世末期のイタリア法学において︑観念的競合を実在的競合から区別して科刑上の吸収主義を是認すると

︵叩︶

.共にその反映として手続上の一罪性を是認していることに示されている︒ドイツ現行刑法七三条の立法態度もわが国

における刑法五四条の立法態度もその系譜のもとにある︒しかしながら︑一九世紀の終りから二○世紀にかけて︑連

続犯について︑集合犯について︑〃不可罰的事前および事後行為について︑継続犯についてなど︑﹁科刑上の一罪﹂と

﹁手続上の一罪﹂との概念の区別が次々と問題にされてきた︒それらに関連する法条競合論の検討もまた本論に譲ら﹁手続上の一罪﹂江

なければならない︒

(34)
(35)

一 菖

− 3 5 −

各構成要件の外形と配列において︑一罪とみる立法者の意思が明確に認識できるように︑立法されることを要求して

︷︵蝿︶いたこと︑ならびに︑ヘルムート・マイャがや一九三四年に︑個人案として︑﹁立法者が︑もっとも重い犯罪の刑を

法律に定めるに際して︑その実行において︑その事前において︑その事後において︑通常他の可罰行為を随伴する生

活経験を考慮していると認められるときには︑独立した可罰規定は存在しない︵同旨のののぎの鼓呂侭の聾国琴のの言目日︲

匡邑屋①胆庁ご旨毒計ぐoH︾葛の回国四国画匡邑の弓H百の国豚鳶・画顧旦の﹃の①の①庁園函の弓の﹃宣凰・の爲甸の里の①庁圃巨ご函旦ののの曾画南埼煙弓閏巨の国の冷嘩H

・囚のの︒言召①勗誘く①門ごRのo匿の国ず閂凰扇島の伊のすの国の曾註寄尉屋ごいす曾嘩の宍の旨彦はぬの自乏昌岸ゆ︒顕昌の凰邑①の曾四津異圃巨H

ぐ○号閂凰言邑頤己貝呂言言匡ご頤且閏甸o再惑頁屋邑m回国四回・閏g言い四国頤目呂乏のaの冒頁帝哩・︶﹂という総則規定を

︵噸︶

設けることを主張していたことについてはすでに触れた︒その間に︑エル・シュミットとローベが︑一九二五年ドィ

シ刑法改正草案のためにドイツ刑法協会から委託されて作成した案において︑法条競合を含めて一罪についての総則

.︵脚︶.︵皿︶

規定を設けることを意図していたようであるが︑結局その改正草案にも採用されていない︒比較的最近では︑ゲール

スが︑一九六一年に刊行された﹁刑法における競合論について﹂と題する著書において︑﹁立法者がその違反を他の

法条の法定刑において考慮していることが︑その文言から︑各法条との関係からもしくは生活経験によってその事実

の諸事情から認められるときは︑その刑罰法規を他のものと共に適用することはできない︵両旨陣国碕①の①冒璽

己のずの国①一ロ①寓目凹邑・の局①己屋自画己皇暑①国旦己四﹃︾皇暑の自国画匡のの①﹈国の瞬巨ぐく︒H二四巨庁︾のの一己のHロー﹃の尉壷壁岸ご尉園色四国園匡星どの邑・のごQの国

の閉里園○号R圃巨の烏日ご白の註邑号邑号印蜀巴行の自画o底Q閂伊①雷易閏註言崖邑晦園巨の邑言①言帛邑尉丘含浄・閂

⑦①の禽侭呂閏号画く閏鴛忌言︼聾忌時号日の目号の目号Rの己⑦閉の高のの意昌呉凰g画哩言ご︲|と規定することを提案

︵唾︶

している︒しかし︑ルドルフ・シュミットは︑一九六三年に発表した﹁現在および将来の刑法における競合﹂と題す

る論説において︑ヘルムート・マイヤーとゲールスの提案に対して︑そのような規定を設けることは不必要であると

批評する︒なぜならば︑真正の競合のほかに不真正のものが存在することについてはまったく争われてはいないので

(36)
(37)

マ ー ー ー 、 − ー一

− 3 7 −

︵兜︶国g曽岡寧凹画.︒︾切式

〆6 ︵兜︶目.富○日目器ロ︾罰曾凰留冒朗塑愚野g罫竺忌誤︾の.︑蜜︾鈩昌ロ.号

︵妬︶尻.国冒島ロ四国習号月昏号の聾国許R亘妙閉鹿.吟届誤寧の.謹廻

︵%︶園.匡留了Ⅱ閃.の︒言凰鼻︾Fの匿号昌彦倖朋口の具の︒底の口理国笥の︒辱の︾誤・樺届建・︾這団副いお届.

︵卯︶因.言の樹閏︾聾愚笥の︒寡自竪聾巨昌①国ず巨呂︾・樺員﹈・・毛謡︾の.誤興鈩昌昌.評

︵兜︶函.ぎぎ旨堅・ロ思園麗幹留意塑圖津隠冨寧評跨属建●︾忌邑匂いgo

︵卵︶詞.甸国目原口器塑愚碕のの鼻号巨oロ皆尉Q勝己①鼻のo彦の詞のざ戸岳.捧具﹈・︾忌日︾の.混騨

︵Ⅷ︶園.言ご胃轡塑国溥g宮︾少.弓・︾ご認︾切虐の幹

︵川︶国.智唱の呂亨旨唖塑圖碕朋の首99︾P凰冨侭①H屍︒目冒の昌胃︾の上官室●︾乞雪寧切紹廻

︵Ⅲ︶国言曽胃.同旨言笄屋目旦冨呂忌の澪号矧ぐの﹃胃①号の旨.国e瘍毛三画の.届寧崖昌目.崖目.忌.

︵柵︶前注︵邪︶参照︒

︵柵︶冨自旨勗のP詞曾凰讐冊聖圖笥①︒算.届盟︾の.︑置屋.皆目︐い

︵柵︶小野清一郎可犯罪の単複と構成要件L犯罪構成要件の理論︵昭和二八年︶三四五頁︒

︵Ⅷ︶沙.浮き自席1園.野宮武9重聖国碕のの①賃99閑◎員員旨の具胃.届L宮建●・這訣等の.心霊1か認ぐ︒号曾目.蝉

︵Ⅶ︶前注︵胡︶の判例は︑その意味で︑司科刑上の一罪Lの基本に関する思考に適合した判例ではない︒

術U缶.国豐自彊鼻のロ︾H房崗︑の言のぐ︒目烏門昼8房◎国両目獄のロ㈱目目今の①の興国の禺︒昌穴色目の目︾聾周崖言・︺露こい.毛g︾の.﹃・

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︵伽︶ぐ巴.の$a〃PPO・画の.震い口上盲目.愚勲忌澳忌P

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