資本蓄積と信用制度
高倉泰夫
本稿では社会的資本の再生産過程での産業資本の資本蓄積に際しての「貯 蓄不足」すなわち貨幣の不足を論証するために,小稿〔19〕と同様に拡大再 生産表式における蓄積年数の存在を仮定する。この仮定によって,社会的再 生産過程における「信用の基本規定」の意義を明らかにすることを試みてい る。
1.蓄積基金の不足と信用
拡大再生産表式における粗蓄積率を固定不変資本の再生産に際して減価償 却(D)が更新(R)を上廻ることから生じる追加蓄積率と,剰余価値中の蓄 積分のうち(D−R)の実現から波及的に生じる蓄積分を除いた本来の蓄積 率との和として規定し,その両者の関係を考察した研究として大島〔14〕が
1)
ある。本稿では大島が拡大再生産表式において一般的に示した,粗蓄積率=
本来の蓄積率+追加蓄積率,という定式の中で,本来の蓄積率側に蓄積年数 の経過順に区分された個別諸資本群を想定し,その中で生じる社会的資本次 元での貨幣不足すなわち蓄積基金の不足と信用との関連を考察している。
ここでは(D−R)における償却側の価値実現に際しての更新側での貨幣 量の不足を,剰余価値中の(D−R)から派生する追加蓄積以外の本来の資 本蓄積(Mc+Mv)に際して生じる過去の蓄積基金の不足として現れる貨幣 量の不足とは区別して考えている。また,単純化のために(D−R)の差額 分はすべて固定不変資本への投資として現れると仮定している(高倉〔18〕
も参照)。
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ここで (D‑R)> 0から生じる追加蓄積のための貨幣不足と,本来の蓄 積 (Mc+Mv)における蓄積年数の設定によって生じる貨幣不足とを区分し た上で,後者において考えられる信用制度との関連を考察することとする。
この後者の本来の蓄積率の決定において個別資本の蓄積率の決定との関連の 方が,それと (D‑R)の実現のための追加蓄積との関連よりもより強いと いう想定をすることは可能である。なぜなら (D‑R)の要因が,本来の蓄 積率の決定よりも先行して組蓄積率の決定に影響を及ぼすとすれば,過去の 蓄積率の動向そのものが (D‑R)の要因を経由して組蓄積率を決定するこ とにおいて資本蓄積の動向を見ることとなり,本来の蓄積率の決定は二義的 要因としてとらえられることとなる。しかし,資本家の投資決定を間接的に ではあるが最も良く反映しているのは,有機的構成を一定とすれば,過去の 成長率と償却年数とから決まってくる追加蓄積分の余地を残すような剰余価 値のうちのある限られた範囲内ではあるが,その蓄積率の決定が自由度をも っ本来の蓄積率だとすることができょう。
本稿では資本蓄積に際しておこる貨幣資本の形成不足と信用制度の成立根 拠との関連を考える場合の出発点として,本来の蓄積率において信用制度の 存在根拠を考え,そしてその次にその論理が (D‑R)における貨幣不足と 対応する信用制度の存在根拠にも同様に適用されると想定している。つま り,信用制度と資本蓄積との関連を考えるときには,本来の蓄積一+追加蓄 積の順序で論理展開が行われるのであって逆ではない。
次にそのような貨幣不足は蓄蔵貨幣の第二形態(蓄蔵貨幣II)の形成不足 ということであり,この不足は第ーには信用制度による信用創造によって賄 われると考えられる。次に,再生産表式の前提とは相違するが,労働者階級 による一定比率の貯蓄を想定しうるとすればその蓄蔵貨幣の集中がその不足 を賄う状況も想定されることになる。
このような,商業信用ーート銀行信用の系譜すなわち「流通時間の止揚」の 系譜とは違う,社会的再生産過程から見た「資本の量的限界の止揚」として の信用を考える際に,信用制度はここでは銀行という範鴎によって代表させ ておく。二様の信用の基本規定の性格の相違によって信用制度の分化も論じ
資 本 蓄 積 と 信 用 制 度 95
られうるが,ここではまだ分化は論じないで二様の信用にかかわ.る業務を行 う機関として銀行を措定しておく。
[註]
1 )大島雄ーは.r現実の蓄積運動の「理想的平均」における抽象」としてとらえられた
「資本一般」の次元では本来の蓄積率の先行的決定を言うことができ,それは個別諸 資本の蓄積率の決定の基準となるのに対して. (D‑R)の要因を拡大再生産表式に導入 した場合にはその粗蓄積率は個別諸資本の蓄積率の決定を反映できなくなるとしてい る。「諸個別資本にとって,かれらの決定すべきものとしてあたえられる蓄積率が,さ きの規定での粗蓄積率であるとすれば,ここでは蓄積の本質的諸関係がすっかり消え 失せてしまうことになるJ([14J 411ページ)。
そして.r競争」の次元では粗蓄積率そのものにおいて蓄積率はとらえられることに なり,それは当期に生産された剰余価値を越えうるものとして現れることになるとす る。「第三には,粗蓄積率は,諸個別資本にとって,蓄積限界をまったく把握しえない ものとするJ(同上)。しかし「競争」の次元で組蓄積率が当期の剰余価値を越えうる こと,そしてそれが恐慌へつながることを言うために,個別資本と社会的資本との次 元の相違から本来の蓄積率の先行的決定の意義喪失を論じているのであるが,表式次 元で個別資本の蓄積率と再生産表式次元の蓄積率との対応を考えることには問題があ り,そしてそれを「資本一般」と「競争」の次元とに分ける基準としうるかについて は疑問がある。
「競争」の次元において粗蓄積率が限界を越えうることの論証に「競争」の分析の 中心点を見出すだけではなく.r競争Jの次元での本来の蓄積率の先行性を考える場合 と,粗蓄積率として一括して考える場合とを想定し,それぞれの接近法によって分析 対象としうる経済事象の内容が相違してくる点の双方に注目する方法の方がより広い 射程をもつであろう。
2 )高須賀義博は(D‑R)の実現のための貨幣不足から信用制度が論理的に導き出され ることについて次のように述べている。「この場合. (D‑R)は信用の導入によって実 現可能になったのではなくて,総資本の立場における(D‑R)の実現の必然、性(これ なくしては資本制的蓄積は不可能となる)が,その実現を可能とする信用機構を導出 するのであるJ([17J 229ページ)。
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2 .銀行の自己資本と「信用の基本規定」
以下の叙述では再生産表式を理論展開の基底に置いているために,労働者 階級による蓄蔵貨幣の形成は想定していない。
そして, 1流通時間の止揚」と再生産表式との関連については,川合一郎 [9Jにおける単線的生産構造としての解釈に立つ振替的信用創造の図式を 援用して考えている。そのことによって商業信用ー+銀行信用として表され る流通資本の節約としての信用の側面が理論的に明確となるためである。
次に, 1資本の量的限界の止揚」と再生産表式との関係については,単線 的生産構造としての再生産表式解釈に立つときたとえば固定不変資本の処理 で困難が生じることから,複線的生産構造としての拡大再生産表式の理解に 立って展開している。また, 1資本の量的限界の止揚」の「最高の結果」と しての擬制資本はここではまだ導入されない。それは債権を他の貨幣所有者 に転売することで流動化しうる場としての資本市場における遊休貨幣資本の 集中の問題として,本稿の次に考えられうるものである。
マルクスは利子生み資本を G‑G' として表示したが,その場合『資本論』
第3部第5篇(章)では平均利潤の形成に商業資本と並んで参加しているは ずの銀行の自己資本が明示されていない。
たとえば, w資本論』の当該部分では 15)信用と架空資本J(とくに「第25 章 信用と架空資本J)では次のように述べている。 I(彼ら〔銀行一一引用 者〕の利潤は,一般的に言えば,彼らが貸すときの利子よりも低い利子で借 りるということにある)J (Kill. [Ms. S. 317J, S.416)。また,銀行の自己 資本については「第29章 銀行資本の諸成分」で「これらの物的成分から構 成されている資本は,さらに銀行業者の投下資本と預金とに分かれ,この預 金は彼の銀行営業資本 (bankingcapital)または借入資本をなしているJ(K ill. S. 481)としているが,この「銀行業者の投下資本」の分析はなされて いない。
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しかし,銀行の自己資本は平均利潤率の形成に参加するものとして理論上 は考察されるべきである。それは,商業資本の場合に,自己資本が商品買取 資本あるいは商品取引資本と営業資本 (1事務所費や商業労働者の賃金JCK III. S. 302J など)から構成され,その双方において平均利潤が計算されて いたように,銀行の自己資本でも営業資本と貸付等のための準備金としての 投下資本に分けて考えられるべきであり,その双方において平均利潤が計算 されることになる。この場合,商業資本における利潤の根拠が再生産過程で の流通費の縮減そして資本回転の促進に求められたように,銀行あるいは信 用制度にとっての利潤の源泉は,単に預金利子と貸付利子の差額だとするの ではなく,社会的資本の再生産過程における「信用の基本規定」に求められる。
G‑Bk‑G' (G+dG, dG/Bkは平均利潤率に等しい。)と表示される銀行 の自己資本は銀行における設備費および事務的経費と銀行労働者に対する賃 金に対応する資本と自己資本としての貸付可能な資本より成るが,銀行を基 底において支えているのは自己資本中の物的成分および銀行労働者に対して 支払われる賃金部分にあたる資本だといえる。次に,銀行の自己資本のうち,
貸付可能な資本の一部をなす準備金にあてられる部分は,その時代とその国 ごとの経済的条件の相違に応じて固定的水準にあるのではなく,またそれが 銀行の貸付可能な資本のうちで大きな比率を占めるとはいえない。しかし それは信用制度の安定に対する必要性を考えるときには,零以上の水準にあ ることが必要である。
以上のように,社会的分業の中での物象化した「一つの生産関係」として の信用制度の存立の根拠は,信用が社会的再生産過程において果たしている その役割に求められる。ところで,信用の基本規定とは「流通時間の止揚」
と「資本の量的限界の止揚」であった。この二様の信用の役割のうち,前者 はW‑G‑Wにおける流通資本の節約として,そして後者は拡大再生産す なわち産業資本の資本蓄積に対する貨幣資本の供給者として,その資本蓄積 に対する積極的機能においてとらえられるものであった。銀行がその自己資 本に対して平均利潤を獲得する根拠はこの二様の信用の役割に求められるの である。
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前者の機能から言えることは銀行の自己資本に対応する平均利潤の源泉は 流通資本の節約に求められるのであり,後者の機能からは資本蓄積すなわち G…G' (G+aG)の拡大の中から, aGより支払われる利子が平均利潤の源泉 となる。後者の場合は,資本蓄積に対応する利子生み資本の管理に対しての,
受取利子と支払利子との差額から平均利潤が出てくる。
このような,社会的資本の再生産過程における信用の役割に応じて信用制 度の中に存在しうる金融機関の分化の根拠があり,また個別資本としての銀 行間の競争もそのような信用の基本規定にみられる再生産過程中の存在根拠 の相違の中でまず考えられることになる。
なお,ここで銀行は利子生み資本の管理者としての側面と G‑Bk‑G'と いう平均利潤を求める資本としての側面とをあわせもつことになる。すなわ ち,銀行業者は一方では利子生み資本の人格化として現れるだけではなく,
他方では G‑Bk‑G'という資本運動における資本の人格化としても現れる ことになる。
[註]
3 )パニゴは,マルクスー‑ケインズ一一+スラッファの理論的系譜において利潤と利子 を考察する際に,銀行の自己資本として,家屋等の物的投入財,労働者の賃金および 銀行業者自身によって前貸しされた貨幣準備の一部を挙げている([15Jpp. 91 ~94) 。
4 )たとえば,マルクスの次の叙述も参考になろう。「利子生み資本は貨幣資本家におい て人格化されており,産業資本は産業資本家において,地代を生む資本は土地の所有 者としての地主において,最後に労働は賃金労働者において人格化されている」
(Kr.[15問, S. 928J, S. 1511)。
3 .銀行の集中と「信用の基本規定j
先にみたように銀行の自己資本に対応する利潤の源泉を二様にとらえた場 合に,銀行における競争の一つの結果としての銀行における集中の問題を考 えることができょう。
資本蓄積と信用制度 99
( i )
r
流通時間の止揚」まず,
r
流通時間の止揚」から考えていく。そこでは「多数の諸資本」と しての産業資本による競争が行われている状態,すなわち自由な参入が可能 な競争が行われている状態が想定される。そして,それに対応する銀行ある いは信用制度も資本量に格差のない状態が想定されることになる。そして,国内市場を統合する巨大産業資本が存在しない状況において,商業信用によ る産業資本間の連鎖、が局限されたものとなるのに対応して,銀行の側も商業 信用の銀行信用による代位において行われる振替的信用創造の中で,準備金
(V+M)の節約のために銀行を集中する動機は小さいと考えられる。
この段階の銀行にとっては手形割引市場によって準備金の節約をよりおし すすめ,またその量的な調整を可能とすることができる(深町 C1 J 265~
274ページを参照)。あるいは準備金の社会的節約と調整とは同時に銀行相互 間でのコルレス関係の形成によってもまたおしすすめられる。他方で各地域 での手形交換所の形成によってもまた各個別銀行による社会的な流通資本の 節約が果たされるのであり,この機能は中央銀行を措定したのちは中央銀行
とその支庖において果たされることになる。
このように自由主義段階の資本制において想定される産業資本間の自由競 争に対応する銀行の側において,流通資本の節約効果をより高めるために銀 行の集中をはかる要因は弱く,むしろ他の制度的諸条件によってその流通資 本の節約効果は高められるとすることができょう。すなわち「流通時間の止 揚」について言えば自由主義段階において想定される資本量の格差を考えな L 、産業資本に対応して,銀行の側も「多数の諸資本」としての競争を行って いると考えることができる。すなわち,
r
流通時間の止揚」に立脚した銀行 を考えるとき,その信用の機能が規模の経済によって銀行の集中をおし進め ることになるとする論理の説明力は弱L、といえる。( ii)
r
資本の量的限界の止揚」まず自由主義段階での「資本の量的限界の止揚」が信用制度の存在根拠の
AU
nH u
‑ E E ‑ ‑ 経 営 と 経 済
中でもつ意義は, I流通時間の止揚」に比べて小さかったとして処理してよ いであろう。なぜならその段階での固定不変資本投資が不変資本に対する投 資中に占める比率は,いわゆる独占資本制の段階に比べて低かったと考える
ことができるからである。
この自由主義段階から後期資本制への移行期において資本蓄積の中での固 定不変資本の比重がましていく中で「資本の量的限界の止揚」としての信用 の意義も高まっていったと想定できる。すなわち,この固定不変資本の比重 増加はl単位あたりの投資に必要な資本量を増加させることとも相まって蓄 積年数の設定の妥当性を支えるものとなるであろう。ここにおいて,先に述 べた拡大再生産表式での (D‑R)における貨幣不足あるいは蓄積年数の設 定により生じた蓄積基金における貨幣不足の問題はより重要なものとしてこ の移行期以降現れることとなったと言えよう。
以上のように固定不変資本の比重増大に基礎をおき,そして資本蓄積に際 しての蓄積基金の不足に対応して「資本の量的限界の止揚」としての信用が 社会的再生産過程において果たす役割の重要性が次第に高まっていくと言え る。すなわち,粗蓄積中の本来の蓄積における貨幣不足を起点として,
(D‑R)の実現のための貨幣不足に至る蓄蔵貨幣 Eの形成不足が社会的な拡 大再生産過程の正常な進行のためのより重要な要因として現れるに至ったと することができる。ここで,信用制度は産業資本の蓄積において生じる蓄蔵 貨幣Eの不足を充足させることが必要となる。すなわち,信用制度は蓄蔵貨 幣Eの不足を,銀行における一国内での遊休貨幣資本の集中を基礎とした新 たなる信用創造によってまかなうことになる。
このような産業資本の側での集積‑集中傾向と並んで生じてくる投資の中 での固定不変資本の比重の増大の中で,銀行もまた資本蓄積の正常な進行の 条件としてその重要性を増している蓄蔵貨幣Eの不足に対応するために,そ の基盤として遊休貨幣資本の集中を必要とするのであり,そのことから銀行 も集中の必要性が生じることになる。このように,銀行における集中を考え るとき,社会的再生産過程における「資本の量的限界の止揚」の要請が集中 の主導的要因となるといえよう。
資本蓄積と信用制度 ‑ ‑ ‑ A hHv ‑ za
そのことは自由主義段階からの市場における集中傾向において,すなわち 独占資本の成立にともなって正常な現実資本の蓄積にとってより重要となっ た,蓄積のための貨幣不足に起因する銀行における集中傾向について見てみ ると,産業資本の側における利潤率の格差が規模の差において生じるが,銀 行にとっても産業資本の側で大資本ほど蓄積のための貨幣不足が集中的にあ らわれることから,その貨幣不足に対応して銀行間でも生じるその規模の差 が同時に銀行の自己資本にとっての利潤率の差をもたらすことになる。すな わち,産業資本の側での集中頃向は蓄蔵貨幣Eの形成不足を媒介として銀行 の側での集中傾向をもたらすのである。この集中傾向は,同時に個別の銀行 においては規模の経済として現れることになる。すなわち大銀行ほど大資本 の蓄蔵貨幣不足に対応することができ,また規模の経済とともに産業資本の 側の利潤率格差も作用してより高い利潤率を獲得できることになる。
このような「資本の量的限界の止揚」に基づく銀行の集中をみるとき,銀 行における大資本化の中で合併等による預金集中のための支庖網の拡大は,
「流通時間の止揚」としての銀行の業務においても流通資本の節約を個別資 本内部でより一層果たすことになる。そして,そのことは国内市場の統合化 をおしすすめる産業資本の側の構造変化とも対応することになる。
このように,独占段階への移行期における銀行での集中化傾向は,資本蓄 積とくに本来の蓄積における貨幣不足を主たる要因とし,そのことが同時に 流通資本の節約をより個別資本としての銀行内部でおしすすめることになる と理解すべきであって,主たる要因とこれにつづく要因とを逆転させてとら えるべきではない。ここで,銀行の自己資本に対する利潤の源泉としては資 本蓄積の進展に伴って生じる剰余価値の拡大の中から分割される部分をまず 第一に,そして同時にその中でより一層進むことになる流通資本の節約を第 二の源泉とすることができる。そして,後期資本制への移行期以降において は,銀行における規模の格差すなわち貨幣力の格差に応じて銀行の自己資本 に対する利潤率にも格差が生じることになる。
このように, G‑Bk‑G'として示される銀行における自己資本が資本と しての運動を行ってL、く方向は産業資本の流通過程での資本節約あるいは貨
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幣資本そのものの調達というそれぞれの再生産過程の中での信用の機能して いる部面の相違に基礎づけられることになる。
以上のように,産業資本内部での資本格差の発生,すなわち大資本と中小 資本との間での格差の発生は蓄蔵貨幣Eの不足の社会的な現れ方にも差をも たらすことになる。そして,その不足に対応しうる信用制度の側においても 遊休貨幣資本の集中とそれに基づく信用創造の能力においてその内部で格差 が生じるとしてよいであろう。
このような拡大再生産の正常な進行に際しての蓄蔵貨幣Eの不足を解消す るために遊休貨幣資本を集中する一つの制度として,すなわち「資本の量的 限界の止揚」を可能とする一つの制度として資本市場が成立し,またそのこ とによって金融的流通の拡大ももたらされることとなる。そのことと同時に 貨幣制度においても貨幣と貨幣商品としての金との距離が次第に広がったこ とが,蓄蔵貨幣Eの不足に対する貨幣供給の制約要因をより小さくする一つ の要因として現れ,そのことが一方で世紀の転換点以降において現れている 経済成長率の上方への移動としても見ることができる拡大再生産における組 蓄積率のゆるやかな上昇を可能にしたと考えられる。
[註]
5 )なお,ここでは川合の図式とは少し異り,極限まで展開された振替的信用創造では なくて,まだ分散的な振替的信用創造を想定している。すなわち下図に示す通りであ る。
I
手 形 割 引 市 場 │」ー一一ーー‑‑vーーー一一一一一一一司、r一一一ー一一一一一一一一‑‑rーーー‑‑‑J
c c c
A 一一一一一一一一一一一一一一 I一一一一一一一一一一一一一 Z
資 本 蓄 積 と 信 用 制 度 103
Aから Zまでを集計すれば川合の設定と一致するが,それとともに手形割引市場等を 設定しうる余地も消失する。
6 )マルクスによる金融市場を念頭においた銀行制度の位置づけを見ておく。マルクス は 15) 信用と架空資本」の初めの部分である第25章で次のように述べている。
「彼ら〔貨幣取引業者一引用者〕は貨幣資本の現実の貸し手と借り手とのあいだ に《媒介者として》はL、ってくる。一般的に表現すれば,銀行業者の業務は,一方で は,貸付可能な貨幣資木を自分の手中に大規模に集中することにあり, したがって個 々の貸し手に代わって銀行業者がすべての貨幣の貸し手として再生産的資本家に相対 するようになる。彼らは貨幣資本の一般的な管理者としてそれを自分の手中に集中す る。他方では,彼らは,商業世界全体のために借りるということによって,すべての 貸し手に対して借り手を集中する。(彼らの利潤は,一般的に言えば,彼らが貸すとき の利子よりも低い利子で借りるということにある)。銀行は,一面では貨幣資本の,貸
し手の集中を表し,他面では借り手の集中を表しているのである。
銀行が自由に処分できる貸付可能な貨幣資本は二様の仕方で銀行に流れ込む。一方 では,生産的資本家たちの出納係として,銀行の手中にも,それぞれの生産者や商人 が準備金として保有する貨幣資本または彼らのもとに支払金として流れてくる貨幣資 本が集中する。この準備金は,彼らの手中で,貸付可能な貨幣資本になる。これによ って,商業世界の準備金は,共同の準備金として集中されるので,必要な最小限度に 制限されるのであって,もしそうでなかったならば準備金として眠っているはずの貨 幣資本部分が利子生み資本として機能する,つまり貸し出されるのである。ところで 他方では,銀行の貸付可能な資本は貨幣資本家たちの預金によって形成されるのであ って,彼らはこの預金の貸出を銀行にまかせるのである。銀行制度の発展につれて,
またことに銀行がどの預金に利子を支払うようになれば,すべての階級の貨幣貯蓄(す なわち当面遊休している貨幣)は銀行に預金され,こうして,もしそうされなかった らば貨幣資本として働くことができなかったはずの小さい金額が大きな金額に,こう して一つの貨幣力にまとめられる。この集積は,銀行制度の特殊的作用として,本来 の貨幣資本家と借り手とのあいだでの銀行の媒介的な役割とは区別されなければなら ない。最後に,ただ少しづっ消費しようとする収入も,銀行に預金されるJ(K皿.
CMs. S. 317J. S.416)。ここで,資本蓄積に対応する銀行による貨幣資本の供給につい
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ては,資本家階級における蓄蔵貨幣の形成を主としてその上に諸階級の貨幣貯蓄の集 積が付け加わるとしている。そのような遊休貨幣資本の集中は銀行の自己資本の運動 に立脚した銀行資本の利子生み資本としての運動においてとらえられる。
7)以上に見てきた資本蓄積における蓄蔵貨幣Eの不足の問題は,たとえば、現代資本制 のもとでの「貯蓄・投資バランス」の問題すなわち企業の側での貯蓄不足の問題へ新 たに接近することが可能な方法である。しかし,そのためには,たとえば労働者階級 の側での貯蓄の問題等これまでとりあげてこなかった要因を明示的に組み込む必要が ある。
4 .金融資本と「信用の基本規定」
以上のように,社会的資本の再生産過程に即して「信用の基本規定」をと らえるべきことを論じてきたのであるが,このことは信用制度を個別銀行の 次元でのみとらえることなく,社会的再生産過程において信用制度をとらえ るべきであり,そこでは資本蓄積から出発してとらえるべきだということで あった。このことは,後期資本制への転換期においてヒルファディングによ って与えられたいわゆる金融資本規定も,それが成立可能である場合に個別 産業資本と個別銀行の融合癒着関係においてのみとらえることは社会的資本 からみた信用の役割に対する接近を捨象してしまうことになるのである。
ヒルファディングは次のように『金融資本論』で述べている。「産業の資 本のますます増大する一部分は,これを充用する産業資本家のものではない。
彼らは銀行を通じてのみ資本の処分権を与えられ,銀行は彼らにたいして所 有者を代表する。他面,銀行は,その資本のますます増大する一部分を産業 に固定せざるを得ない。これによって,銀行はますます大きい範囲で産業資 本家になる。かような仕方で現実には産業資本に転化されている銀行資本,
したがって貨幣形態における資本を,私は金融資本と名づける。それは,所 有者にたいしては常に貨幣形態を保持し,彼らによって貨幣資本,利子生み 資本の形態で投下されており,かっ彼らによって常に貨幣形態で回収されう るJ ([ 4 J S. 309)。このように産業資本に対して貸付けられた貨幣資本に
資本蓄積と信用制度 105
即して金融資本をとらえている。すなわち, I産業において充用される資本 のますます増大する一部分は,金融資本である。すなわち銀行によって支配 され産業資本家によって充用される資本であるJ(ibid.)。
このように銀行の産業資本に対する支配の根源を,銀行によって産業資本 に対して供給された貨幣資本としての金融資本においてとらえている。ここ での視角は個別銀行と個別産業資本との関係をみる個別資本視角である。ま たここでは銀行と産業資本との関係を G...G'に対する利子生み資本の運動 形態としての G‑G'の関与に即して見ていることから,銀行の自己資本へ の言及が全く見られない。すなわち銀行もまたその投下資本以上の収益を目 指して資本としての運動を行っているのであるがそのことの意義は大変に軽 視されている。
ヒル'ファディングは銀行の自己資本について次のように述べている。「銀 行は総貸付資本のうち,銀行の利得が許すだけを自己資本となしうるJ(( 4 J s. 233)0 Iしたがって,銀行の自己資本は,自己資本について計算された利 得がこの資本にたいする平均利潤に等しくなるように,算定されねばならな い。ある銀行が一億マルクの貸付資本を処理しうる場合を仮定しよう。この 資本によって銀行は600万の総利得および200万の純利得をあげるとする。こ の場合には,銀行の自己資本は,利潤率が20%ならば, 1000万であることが でき9000万は預金として銀行の処理に任されることになるのであるJ(( 4 J S. 234)。このように,銀行の自己資本は擬制資本価格の計算と同様にとら えられており,その実体は架空なものでありまたそれは G‑G'の運動にお いてのみとらえられている。
ヒルファデイングによる産業資本の集中とそれに伴う金融資本を通じての 銀行の産業支配という問題提起においては,社会的資本の再生産過程におけ る信用制度と産業資本の蓄積との関連を見るという「総体」としての再生産 過程における信用の役割をみるという視角が欠落していたといえる。このよ うな信用を社会全体としての資本の中に位置づける論点の欠落が,個別銀行 が産業資本の再生産過程でのそれぞれの信用の役割に基づいて, G‑G'その ものとはちがう独自の資本運動を行っていること,すなわち G‑G'をその
106 経 営 と 経 済
基礎としながら資本として独自の運動をしている銀行をとらえる視点が欠け ることとなったと考えられる。
しかし現代資本制における「生産関係の最高度の転倒と物象化J(Kr. (15 冊, S. 896J, S. 1460)としてのG‑G'をとらえるためにも,ヒルファディ ングが提示したような個別資本視角だけではなく,社会的資本の再生産過程 における信用の役割に基づく信用制度の理論化という方法も必要であろう。
そして,資本信用もその意義は個別資本視角からだけではなく,社会的資本 の視点からとらえられた「資本の量的限界の止揚」としての信用にもとづく 信用制度とのかかわりにおいて,位置づけられるべきである。その際には個 別資本としての銀行相互間の競争にも注目する必要がある。
[註]
8 )レーニンは『帝国主義論』でヒルファディングのこの定義に対して次のように註釈 している。「この定義は,最も重要な契機の一つに対する指摘を含んでいないというか ぎりで,つまり生産と資本の集積は独占をみちびきつつあり,すでにみちびいている ほどに,はげしく進展しているということの指摘を含んでいないというかぎりで,不 完全なものである。しかしヒルファディングの叙述全体のなかでは,とくにこの定義 をとり出した章の前の二つの章では,一般に,資本制的独占体の役割が強調されてい るJ((10J 320ページ)。
ここではヒルファディングにおける銀行の自己資本の欠落と,それを惹起した要因 である社会的資本の視点から信用の役割をとらえていないことへの言及はみられない。
一般的に言って,マルクスの草稿では社会的再生産過程と信用との関連についての分 析が未完に終ったことが,そのような認識への障害となっていると思われる。
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108 経 営 と 経 済
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~資本論』第 3 部第 5 章(篇)の草稿からの引用は,大谷禎之介 rr信用と 架空資本J(~資本論』第 3 部第25章)の草稿にっし、て一第 3 部第 1 稿第 5 章か ら 一J(上) (中) (下)~経済志林 J (法政大)51巻2‑‑‑‑‑4号, 1983年 10月, 12 月, 1984年 3月,他の同誌所載の大谷論文によっている。**本稿では原文の強調はすべて下線で示している。
(本稿は, 1989 [平成元]年度の特定研究経費による研究成果の一部である。)