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The Concept of Administration in H. Fayol s Theory

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(1)

(始めに)

我々が使う経営と管理は、 今までは必ずし も明確な意味内容を確定して使用してこなかっ た。 その延長で経営と管理が複雑に関連した 内容を扱うとき、 両者を分離しないままに経 営管理という表現でさまざまに解釈可能な展 開で、 対象をおおざっぱに包括しているとい う使用の仕方をしている。

その様な使用方法をする一つの原因は、 次 のように考えられる。

翻訳の過程で使用される日本の言葉に欧米 の言語と意味内容が全く同じと云えるものが あるとは限らない。 欧米の言語では限定され た対象や使用内容に明確な使用がなされた言 葉があっても、 日本語にはそれほど明確では ない表現しかなく、 翻訳に当たって内容に応 じて言語を対応させざるを得ない事が発生す る。 対象とされる社会現象は同じであっても 使用できる言語は内容の違いを含んだ表現に なる。 すなわち、 明確な対象を表現する言語 に対して、 翻訳に使用する言語は曖昧な表現 で内容とか意味が理解できるように使用する ことになって、 一つの言葉に対して複数の異 なる表現を使用することが発生しているので ある。

日本語の使用方法に混乱がある前に、 欧米 における使用法にも混乱があるという。 ファ ヨ ー ル が 発 表 し た 著 書(注1) で 使 用 し た administration に 対 し て 英 訳 す る と き managementを使用してしまったこと、 しか もその誤用がそのままに通用され続けてきた ことが混乱の大本にある(注2)という指摘であ る。 さらにその言葉を日本語に翻訳するとい

う複雑な過程が入ることになる。

その結果、 たとえば、 management を経 営とし、 administrationを管理と翻訳する一 方では、 それぞれを反対に翻訳することもあ る。 Scientific Managementを科学的管理と 訳すのがその一例である。

経営者が経営をしたり管理をするとき、 そ の内容が曖昧のままに展開されていては、 職 務内容を説明したりするとき大変難しいこと になる。 また経営管理の内容が発展して変質 化しているとき、 経営とか管理の内容が曖昧 のままではどのように変質したのかの分析が 困難となる。

こうした問題意識の元で、 「経営」 と 「管 理」 の内容を明確にする作業のため、 まず

「管理」 の概念を分析することを本論の目的 とした。

1. 問題の所在

「管理」 とは、 企業組織のさまざまな階層 で展開している責任者の活動を包括的に指す 表現である。 ファヨールによれば、 組織の経 営者から従業員までそれぞれのレベルで 「管 理」 をしているという。 経営者の行う 「管理」、

部長や課長の管理者層による 「管理」、 作業 労働者の行う 「管理」 は全てみんな同じ 「管 理」 と表現されているが、 機能的相違や概念 をどのように捕らえるべきかである。

今までの経営学では 「管理」 の内容は明確 な使い分けがなされて使用されているとは言 い難い。 論者ごとにそれぞれ定義を加え限定

The Concept of Administration in H. Fayol s Theory

井 島 宏 幸

(2)

的に使ってきた。

われわれは 「経営」 における 「管理」 の位 置づけを探る事を目指して、 そのための基礎 に 「管理」 がどのように使われているのかを、

ファヨールの理論を元に解明することを本論 の目的にした。

2. ファヨールによる管理の定義

ファヨールは、 「管理は事業の経営におい て、 …極めて重要な役割を演じる」 (注3)とい う。 管理は、 「企業活動の全般的な計画を作 成し、 社会体を構成し、 努力を調整し、 活動 を調和させる」 ことを任務としている。 これ らの活動は、 「普通われわれが管理と呼びそ してその権限と限界が不完全にしか定義付け られていない」(注4)ところのものである。

ファヨールは次のように定義する。

「 管理すること 、 それは予測し、 組織し、

命令し、 調整し、 統制することである。

予測すること、 すなわち将来を吟味し、 活動 計画を作成すること。

組織すること、 すなわち企業の物的ならびに 社会的な二重の組織を構成すること。

命令すること、 すなわち従業員を機能せしめ ること。

調整すること、 すなわちあらゆる活動とすべ ての努力を結びつけ、 一元化し、 調和させる こと。

統制すること、 すなわちすべての事柄が確立 された規準と与えられた命令とに従って行な われるように注意すること。」(注5)

このように理解されると、 管理は企業の経 営者や上位の指導者の独占的特権でもないし、

個人的な責務でもないことが理解される。 す なわち管理は組織の指導者とその構成員との 間で分担される一つの職能に過ぎないと捕ら えているのである。

3. 経営者の管理行動

フ ァ ヨ ー ル は 管 理 と い う 言 葉 と し て administrationを利用しているが、 その内容 は経営者の経営行動と考えられても仕方のな いところがある。 それは、 管理は上級責任者 の任務の中で極めて大きな地位を占めている ので、 時として経営者の仕事は専ら管理その ものであるかのように思われるほどという事 からも分かる。 しかし先に挙げた 「管理は事 業の経営において、 …極めて重要な役割を演 じる」 にあるように、 「管理」 は経営行動の 一部を構成するものと理解していることにな る。 すなわち、 「管理は、 経営がその進行を 確保せねばならない本質的6職能の一つにす ぎない」(注6)と明らかに 「管理」 は 「経営」

の下位職能と扱っているのである。

ファヨールは 「管理を経営 (le gouvernement) と混同しないことが大切である」 とする。 そ して 「経営」 を次のように定義する。 「経営 すること、 それは企業が自由に処分するすべ ての資産から最大の利益を引出すように努め ながら、 企業をその目的へと導くことであ る。」(注7)とする。 そして経営するということ は次の六つの本質的な職能の運営を確かなも のにすることなのであるという。

技術的職能 (生産、 製造、 加工) 商業的職能 (購買、 販売、 交換) 財務的活動 (資本の調達と管理) 保全的活動 (財産と従業員の保護) 会計的活動 (財産目録、 貸借対照表、

原価、 統計、 等々) 管理的活動 (予測、 組織、 命令、 調整、

統制)(注8)

以上の六つの職能について、 ファヨールは 従業員に必要な能力として数量的な表示によ り相対的重要性を試算している。

(3)

図表―1は、 ファヨールによって推測され 数値化された仮説の表(注9)を図表にしたもの である。

彼自身 「この問題は数量的な表示には不向 ではあるが、 私は企業の担当者ならびに責任 者の価値における各々の能力の相対的な重要 性を数値化しようと試みた」(注10)といって、

大規模な産業企業だけでなくあらゆる種類の 企業の技術的職能の担当者に必要な諸能力を 比較したのである。

その結論は次の通りである。(注11)

一、 労働者の重要な能力は技術的能力であ る。

二、 階層組織において上昇し高い地位につ くのに応じて、 管理的能力の相対的重

要性が増大し、 これに反して技術的能 力の相対的重要性は減少する。 これら 二つの能力の間での等価関係は階層組 織の第三段階あるいは第四段階のあた りにおいて確立される。

三、 取締役の主要な能力は管理的能力であ る。 階層組織において階層が高くなれ ばなるほど、 この管理能力がますます 支配的となる。

四、 商業的・財務的・保全的ならびに会計 的能力は階層組織の第五段階あるいは 第六段階の担当者において、 それらの 相対的重要性は最高度となる。

階層組織を上昇するにつれて、 各種の 担当者の価値のなかで、 これら能力の 図表―1 産業企業の従業員に必要な諸能力の相対的重要性

グラフ

出所) 山本 安次郎著 フェイヨル 管理論研究 有斐閣、 昭和30年、 48頁

(4)

相対的重要性は減少し平均化する傾向 がある。

五、 階層組織の第四段階あるいは第五段階 から先では、 総価値の十分の一に接近 しながら減少するその他の係数を犠牲 にしてのみ、 管理的係数が増大する。

とファヨールは管理者と管理的能力の相関 性を考えているわけである。

4. 「枠」 について

労働者から経営者までの組織の階層を上が るにつれて、 それぞれ各位の担当者の管理的 能力が要求される度合いが高くなる。 労働者 もトップの経営者もその職務に応じて管理能 力は必要ではあるが、 相対的重要度は異なる。

そして、 その反対に技術的重要度は労働者 が 高 く 、 経 営 者 は 相 対 的 に 低 く な る と い

う。(注12) ただしここでの 「価値の間に共通す

る尺度は存在しない。 …単位は同一のもので もなければ同じ重要度をもつものでもない。

これらの単位体を構成する要素は階層組織の 有る段階から他の段階に移行するにつれて変 化するが故に、 結局は下位の担当者の―技術 的・管理的あるいはその他の―能力と上位の 責任者の同じ名称の能力との間に共通のもの はもはや何も存在しない」(注13)また 「企業活 動の全般的な計画を作成し、 社会体を構成し、

努力を調整し、 活動を調和させるという仕事 を担当する…これらの活動は、 普通われわれ が管理と呼びそしてその権限と限界が不完全 にしか定義づけられていない」(注14)と指摘が なされている。

こうした 「管理」 がさまざまな階層で行わ れているのに、 階層間における 「管理」 の相 対的違いが存在していることは想像されても、

何がどう違うのかの定義が不鮮明のままに今 日までおかれてきた。

本論文の目的はこの 「管理」 の内容を明確

にする作業の端緒を探るところにある。 しか し、 ファヨールの主張の中には、 管理の対象 と内容・要素の記述はあるが、 階層間の相対 的違いの定義に繋がることに直接参考になる 記述は存在していない。 そこで逆に、 各階層 に相対的な違いがある対象であるのに 「管理」

という共通の言葉で括ることが出来る概念上 の共通項=指標を、 ファヨールの経営者とし ての管理行動とその理論の中に、 探る事をこ こでの課題とする。

ファヨールは、 「サン・テチエンヌ鉱山学 校を卒業後見習い技師としてスタートした。

1860〜66年、 コマントリ炭坑坑道技師 1866〜72年、 炭鉱経営者

1872〜88年、 コマントリ・フールシャムポー ル炭鉱及びベリ炭鉱経営者

1888〜1918年、 コマントリ・フールシャムポー ル及びデカズブィユ炭鉱全般経営者、 進んで 当社最高管理者としての経歴を持つ。」 「最初 にコマントリ炭鉱に入社した頃、 この会社は 炭鉱火災で悪名を天下に轟かせていた。 従っ て彼は先ず第一に炭鉱火災の問題に取り組む ことになった。 彼は当時の人々がこの問題を 単に経験的に処理していたのにひきかえ、 科 学的に究明し、 終に、 火災防止、 換気法、 注 水法に新機軸を打ち出し、 徹底的にこれを実 施した。」(注15) その結果彼は奇跡的な起死回 生の再建を成し遂げたという。 この結果に対 して彼自身は次のように答えている。 「…1888 年には管理職能のやり方に変化が起こった。

そして、 その他には何の変化もなく、 不利益 を伴う要素はその重さを減少させることもな かったのに、 事業は繁栄を取り戻し、 それ以 来大規模化することを止めなかった。 同一鉱 山、 同一の工場、 同一の財源、 同一の販路、

同一の取締役会、 同一の従業員であったに も拘わらず、 ただ管理の新方式のみによっ て会社は衰運への歩調と同じ早さで上昇し た。」(注16)

ここでの経験を元に管理論を構築したわけ

(5)

であるが、 経営者として、 経営をしたのでは なくて管理をしたという認識は、 どこから発 生していると考えるべきであろうか?

彼自身経営と管理はハッキリと区別してい るし、 「経営すること、 それは企業が自由に 処分するすべての資産から最大の利益を引出 すように努めながら、 企業をその目的へと導 くことである。」(注17)と述べている。 このこと から明確に言えることは、 経営者としての彼 の実践活動は 「経営」 行動というよりも、

「管理」 行動と判断していたということであ る。(注18)

そうするとファヨールが 「経営」 ではない と判断する部分はどこかを分離することで、

彼のケースでの分岐点が理解できると考える。

彼のいう 「経営すること」 は、 「企業が 自由に処分するすべての資産」、 と 「最大 の利益を引き出す」、 「企業をその目的に 導く」 の3点に集約できる。 彼の引き受けた 炭鉱経営にあっては、 の 「最大の利益を引 き出す」 との 「企業をその目的に導く」 の 2点は何の矛盾もない。 しかし、 の 「企業 が自由に処分するすべての資産」 は炭鉱経営 を引き続き運営することが前提になっている ので、 全く当てはまらない対象となる。 この 一点が彼の自由行動に規制をかけているため

「経営」 と成らない部分となるわけである。

すなわち、 組織行動での意思決定者がその 地位の許される範囲での自由行動に、 「規制 枠」 がかかるとき 「管理」 と判断することに なる。

我々は経営と管理を機能的に分解・分析す るため、 便宜的に枠内・枠外という 「枠」 の 概念を導入して機能的特徴を説明するための 当面の道具として使用する。

「枠」 は組織の構造的枠を意味しているわ けではない。 たとえば、 企業組織の構成員か 他の企業の一員かとか、 営業部・総務課など のような組織内の他の部・課との区別をする 構造的枠を指していない。 ここで使用する

「枠」 は組織内で意思決定をする主体者の意 識を規制し、 実行行動に影響を与える認識的 な枠をさす

上司と部下の上下関係で発生する行動枠が ある。 たとえば、 上司の考えのもとでの部下 の行動に与える自由行動の規制という枠は、

部下の行動は 「管理」 のもとでの行動となる。

上位者がいない経営者にあっての 「管理」

行動の 「枠」 は、 組織の存続のために目標や 具体的手段の意思決定をするとき、 自由が許 されない枠が認識されているときに成立する。

一般的にある範囲の組織を統括するとき、

それを担当する者の行動の自由に制限を加え る効力をもった機能がある時に 「枠」 が形成 されているとみる。 また、 確定している目的 があって、 それを動かすことの出来ない状態 の中で実現するように行動を要求されるとき、

その 「目的」 は実行者に 「枠」 をはめている と考える。 その意味で経営者の場合は、 組織 の目標や手段が確定しているとき、 そしてそ の確定した目標や手段を経営者の意識が明確 に認識しているときは、 それが経営者の意思 決定に掣肘を加える力として作用するので

「枠」 と捕らえるものとなる。

すなわち、 本論における 「枠」 とは意思決 定者の主体的行動に一定の範囲を強制する力 と定義する。

枠の存在が経営の意思決定行動に影響を与 えて、 管理行動としての性質を規定すること になる。 故に、 ファヨールの経営者としての 経験は 「経営」 ではなく 「管理」 をした人と して把握することになるのである。

5. 管理の一般原則〜組織管理について〜

ファヨールによると経営活動の中で管理職 能が果たすべき対象は 「従業員に働きかける だけである」(注19)という。 この表現から理解 できることは、 管理に関する一般原則は、 基

(6)

本的に管理者層の原則ということになってし まう。

原則についての数は有限なわけではないと いう。 しかし、 組織を強化したり、 あるいは その機能を容易にするような規準や管理方法 は、 非常に価値あるものと確認している原則 についていくつかあるという。 すなわち管理 の一般原則はまだまだたくさんあるのだが、

価値あるといえるものを少しだけ次にあげる ということである。

ファヨールは、 その原則について次のよう に列挙し説明を加えている。(注20)

分業 権限 規律

命令の一元性 指揮の一元性

個人的利益の全体的利益への従属 報酬

権限の集中 階層組織 10 秩序 11 公正

12 従業員の安定 13 創意

14 従業員の団結

ここでは、 このうち代表的な数点を紹介す ることで一般原則の全体的性質を理解するこ とにする。

分業

分業は同一の努力でより多くの、 より良い ものを生み出すようになることをその目的と する。 いつも同じ部分的な仕事を行う労働者、

絶えず同じ問題を取り扱う責任者は彼等の能 率を増進させる熟練・自信・正確さを獲得す る。 仕事が変わるごとに適応の努力が必要と なり、 それは生産を減少させる。 だから、 分 業を管理することが注意と努力の対象を減少 させ、 個人と集団を利用する最良の方法とな る。

権限―責任

権限は、 命令する権利であり、 服従させる 力である。 また権限を行使するということは、

報償や懲罰を加えることになるので責任もつ いてくる。 それが管理として重要な部分だか ら組織の階層を上がって行くに従って権限の 行使は難しくなり、 判断の行使に当たっては、

高度な道徳的価値や公平さ確実さが要求され るようになる。 もしそれが満たされないなら ば、 企業から責任感が消えて無くなると言え るほど重要なものと考えられている。

命令の一元性

管理するに当たって、 命令は欠くべからざ るもので、 しかも一人の責任者によってなさ れるものである。 複数の命令源があると作業 が混乱していまい組織は破壊され続けるとい う。

指揮の一元性

一つの目的を実現させるためには、 全体に ついて唯一の責任者と唯一の計画が必要なの だという。 しかも 「指揮の一元性と命令の一 元性を混同してはいけない」。 それは指揮の 一元性は組織体の構成によってなされるのだ が、 命令の一元性は従業員の機能状態に掛かっ ているからであるという。 従業員の置かれた 状況によっては、 機能状態に違いが起こり命 令の一元性が確保できるとは限らないのだと いうわけである。 ここに管理の必要性がある ということである。

個人と全体の関係や報酬の問題など重要な 問題が扱われているが、 管理の視点より組織 への注意すべき点が展開・説明されているの である。

ところで、 説明されている14項目において は、 「管理」 が上司による部下への行動であ るケースがたくさん展開されているが、 ファ ヨールが主張しているように労働者も5%の 管 理 的 能 力 を 必 要 と さ れ る と い う 立 場 か

(注21)、 部下のいない労働者の場合はどのよ

うな 「管理」 をするのかの視点についてどの

(7)

ように扱っているのかを明確にしてみたい。

そこで、 労働者自身が直接関係する項目と して、 「3の規律」 と 「13の創意」 に検討を 加えておくことにする。

規律は組織の参加者全員が実現することを 期待されているものであるが、 「規律は責任 者がつくり出すものである」 という視点から 見ると、 労働者を統括する立場におかれた労 働者が責任者となったときのみに 「管理」 が 期待されるものとなる。

創意は 「計画を立案しそれを実行するとい う」 中に存在する。 「知的な人間が経験しう る最高の満足の一つであり、 また人間活動の 最も効果的な刺激の一つである」 創意を、 企 業の全員が発揮すれば一つの大きな力になる という。 しかし 「権限と規律の尊重によって 課せられる制約の中で全員の創意を喚起維持 するためには、 多くの明敏さと一定の勇気が 必要である。 部下にこの種の満足を与えるた めには、 責任者は自尊心をいくらか犠牲にす るすべを心得ていなければならない」(注22) いうように、 上司による 「管理」 の対象とし て扱われており、 労働者も創意を発揮する対 象になっているが 「管理」 をする対象とはさ れていない。

以上のように、 ファヨールによる管理の一 般原則においての説明は、 いわゆる管理者層 もしくは部下を持った責任者層による組織管 理一般の重要な側面についての原則を対象と するものであった。

6. 管理の要素

予測(注23)

「経営 (le gouvernement) すること、

それは予測すること」 とあるように、 予測 は経営の本質的な一部分ととらえる。 そし て、 予測を具体化するものとして活動計画 を立てることになる。

活動計画は、 目標となった成果があり、

同時に活動の方針がある。 克服されるべき 段階が示されていて、 その手段がある。 そ こには、 近い将来の結果が一定の明瞭さで 表示されている。 またそこには遠い将来の 結果が次第に漠然と現れてくるといった、

これからの企業の歩みが示されているので ある。

活動計画は、 第一に企業の資源 (建物・

施設・原料・資本・従業員・生産能力・商 業的販路等々) に、 第二に進行中の活動の 性質と重要性に、 第三に将来の可能性に予 測できない様な変化にさらされている。 そ のため活動計画の準備は企業で最も重要で 最も難しい活動の一つである。 それはすべ ての部門とあらゆる職能、 とりわけ管理職 能を活動させる。 実際、 責任者が活動計画 の主導権を握り、 その目的と範囲を決定し、

共同作業における各部門の役割を定め、 全 体を調和させるように各部門を調整し、 最 後に取られるべき活動方針を決定するのは、

管理者が自己の職務を遂行するためである。

経営の対象領域である予測の過程で、 実 行の活動計画が予測内容の発現・感覚的な 表示・効果的な手段において管理の領域と 把握されることになる。

組織(注24)

企業活動を遂行するのに必要なもの、 た とえば原料・設備・資本・従業員といった 有用なすべてを有機的に関係づけることが、

企業を組織するということである。

有効な社会体を創設するためには、 人間 を結集し、 職能を割り当てるだけでは充分 ではない。 その組織体を諸要求に適合させ、

必要な人間を見つけ出し、 各人を彼が最も 役に立ち得る場所に位置付けるすべを知ら ねばならない。

そして、 組織の典型として株式会社とい う社会体をとりあげて、 次のような主要な

(8)

機関を区別する。

株主集団

a 取締役会の構成員と監査役の任命 b 取締役会の提案を討議する 取締役会

全般的指揮の提案を審議し、 全般的 統制をする。

全般的指揮

企業が自由にする資源から極大利潤 を引出すように勉めながら、 企業をそ の目的に導くことを担当し、 執行権を 持つ人である。

参謀

全般的指揮者の欠けている力や能力・

時間を準備・補佐する人間の集団であ る。

改善 (perfectionnements)

これは改善の探求であり、 事実を観 察し、 収集視、 分類し解釈して場合に よっては実験をする。 (このような職 務内容から、 われわれはスタッフ・研 究部門を指していると判断する。) 地域的ならびに地方的指揮

中規模から小規模の集団を想定した 構造を考えている。 たとえば、 大企業 の工場長レベルを想定したもので、 そ の権限は問題の性質と同時に全般的指 揮と地方的指揮の間で行なわれる権限 の分割にかかっている。 往々にして、

この権限は自律性に等しく、 時として はそれはかなり制限されている。 また 大部分の地方的指揮に置いても、 参謀 がいることが多い。 管理的秘書・技術 的秘書・顧問―専門家・研究室・実験 室の形を取っている。

ここでファヨールは、 テイラー・シ ステムと呼ばれる組織制度を紹介し、

命令一元性の原則を否定する主張に反 対しつつも、 参謀による補佐の必要性 などを認めて、 システムの多面的有用

性について展開している。

技師長 部課長 係長 職長 労働者

(ただし、 五以下九までの説明は何らな されていない。)

この組織の項目にあっては、 「管理」 を 実行する責任者の置かれた組織的状況を把 握すると同時に、 組織の責任者が行動する ために必要な能力の必要性と、 それを教育・

育成する問題について説明している。

命令(注25)

社会体が構成されたら、 それを機能させ ることが問題となる。 そこで命令が要求さ れることになる。 この使命は企業の各種の 責任者の間で分担され、 各責任者は自己の 分担する単位体についての役目と責任を負 う。 各責任者にとっては、 命令の目的は企 業の利益のために、 その単位体を構成して いる担当者から可能な最大の利益を引出す ことである。

命令の役目を負うている責任者は、 次の ようなことを必要とする。

従業員について深い知識をもつこと。

無能力者を排除すること。

企業とその担当者を結びつける約定 についてよく知っていること。

良き模範を示すこと。

社会体の定期的な検査を行い、 これ らの検査においては一覧表を使用する こと。

指揮の一元性と諸努力の集中が、 そ こで準備される会議にその主要な部下 を招集すること。

末梢的な事柄に注意を奪われるがま まにならないこと。

従業員の間に活動性・創意・献身を

(9)

みなぎらせるように注意すること。

調整(注26)

調整することは、 企業の活動と成功を容 易ならしめるように、 企業のすべての活動 の間に調和をもたらすことである。

それは各々の職能をもつ物的ならびに社 会的組織に、 その組織が確実且つ経済的に その役割を遂行し得るのに相応しい大きさ を与えることである。 それは要するに、 さ まざまな事物と行為に適当な割合を与える ことであり、 手段を目的に適応させること である。

よく調整された企業においては、 次のよ うな事実を確認できるとしている。

各部門はその他の部門と一致して活動 する。 すべての活動は秩序と確実さをもっ て遂行される。

各部門において、 諸部局と部課はそれ らが共同作業において担当せねばならな い役割とそれらが承諾せねばならない相 互援助について、 正確に情報を与えられ ている。

諸部門ならびに各部門の諸部課の運営 計画は、 絶えず周囲の状況と調和が保た れている。

これら三つの条件がどのような場合にも 充たされているわけではないと思わねばな らない。 なぜなら、 いくつかの企業で次の ような明白な不調整の徴候を観察すること が出来るからである。

各部門は他の部門を無視したり無視し ようとする。 各部門は隣接した部門のこ とも企業全体のことも気にかけることな く、 あたかもそれ自体がその目的であり その存在であるかのように活動する。

諸部門ならびに同一部門の諸事務室の 間には、 異なった部門の間におけると同 じように、 完全な仕切りが存在する。 各 人の最大の関心事は、 自己の個人的な責

任を、 書類や命令あるいは回覧上の背後 に隠すことである。

全体的な利益のことを考える者は誰も いない。 創意と献身が欠けている。 企業 にとってまことに困ったこのような従業 員の気持ちは、 予め一致した意見の結果 ではない。 それは効果のないあるいは不 十分な調整の結果である。

そういう従業員の気をそらさずに、 義 務の遂行を容易にする方法の一つとして 部門責任者の会議が存在する。

部門責任者の週例会議 部門責任 者の会議は、 企業の運営に対する指揮に ついての情報を与え、 諸部門がそれらの 間で当然なすべき協力を明確にし、 共通 の利益に関する諸問題を解決するために 責任者の出席を利用することを目的とす る。

部門責任者の会議は調整のためのもの であり、 一つの徴候に対して本質的な手 段で対応するということになる。

統制(注27)

企業において、 統制はすべてのことが採 用された計画・与えられた命令・承認され た原則に従って行われているかどうかを確 かめることにある。

統制はあらゆるものに、 事物・人間・行 為に適用される。 管理的見地からすれば、

計画が存在すること、 計画が適用され絶え ず保持されること、 社会的組織が完全であ ること、 従業員の一覧表が用いられること、

命令が原則に従って与えられること、 調整 のための会議が催されること等々を統制は 確かめなくてはならない。

そして、 商業的見地、 技術的見地、 財務 的見地、 保全的見地、 会計的見地などから の統制が、 企業の責任者とその階層的組織 的に位置づけられた部下によって遂行され、

監督の領域に属する活動とされるのである。

(10)

ただあまりにも複雑にあるいは広範なもの になってくるときは統制係や検査係という 特別の担当者を作ることで管理を効果的に 実施する事が必要になってくるとするので ある。

7. 結論

トップ・マネジメントの行動であるにもか かわらず、 ファヨールは管理と把握したのは どうしてだろうか? 経営行動と管理行動は 非常に似ている部分があり、 混同しても仕方 がないところがあるほどである。

しかし、 ファヨールは明確に 「経営」 と

「管理」 を峻別している。 管理は経営のやる べき事の一部でしかない。 ただ、 「管理は上 級責任者の任務の中できわめて大きな地位を 占めているので、 時として彼等の任務は専 ら 管 理 的 な も の で あ る か の よ う に お も わ れるかも知れない」(注28) と経営が管理をする ことと同一視されやすいという表現の中に意 識的な使い分けがなされている事が理解され る。

彼の主張においては、 経営はすべての資産 を利用して最大の利益を引き出しながら企業 目的を実現するために行うものと明確ではあ るが単純化されて説明されている。 それ以上 の分析・言及はなされていない。 その意味で、

彼の理論展開は経営ではなく管理についての 分析で一貫されている。

すなわち、 「経営」 ではなく 「管理」 とし て一貫した使い方をしている彼の立場は、 経 営と管理を明確に区分けする指標は何だろう かという問題を、 われわれに提起しているこ とになる。 本論では、 その指標を探すことも 目的の一つとしている。 まだ鮮明であるとは 言い難いが、 次のように把握してスタート・

ラインとする。

ファヨールは利益が上がらず倒産し掛かっ ている鉱山経営を引き受けて、 見事に立ち直 らせたといわれている。 ある決まった仕事を 引き受けて、 それに改良を加えながら組織全 体を生き返らせたわけである。 この決まった 仕事を引き受けたことの中に、 「枠」 として の規制が存在しているわけで、 仕事そのもの に自由な変更を加えられない状況が存在して いると見る事が出来るのである。

「管理」 = administrationという言葉で 発表された彼の管理論は、 彼の理論の発展を 後押しした現実の管理体験によって形作られ てきたと云える。

故に、 ファヨールが administration 使用して経営者行動の職能的範囲を明確化し た背景には、 本論でいうところの 「管理」 の 実践が 「枠内での職務」 を意識して判断して いたと考えることが出来るのである。

ここに、 「規制枠の範囲を逸脱しない事を 意識しながら意思決定と実行活動をすること」

を 「管理」 の一つの典型的スタイルとして把 握し、 今後の 「管理」 内容の比較をするため の基本を形成する概念と規定することにする。

すなわち、 「管理」 とは一定の規制枠の働 いている中で許される範囲の自由な運営活動 をすることと定義することにする。 これを

「管理」 の一つの基本スタイルとすることで、

今後の 「管理」 の概念を比較・分析し内容を 明らかにする手段として利用することにした い。

(あとがき)

ここでは 「経営」 と 「管理」 がどのように 混乱しているのかの概略を概観して、 今後の 研究の方向性を探るよすがとしたい。

まず、 managementの組織的な把握を試み たい。 経営学の黎明期といわれるのは、 今か ら100年ほど前のF. W. TaylorとH. Fayol が論文発表をしていた頃と言われている。

当時は産業と企業の発展がみられると同時

(11)

に労働環境が未整備であった。 それで労働争 議など経営者側と労働者側のはげしい対立が 頻発しているときでもあった。 そのせいもあっ て、 企業組織はtop・management, middle・

management, low・managementの経営者 側の立場とworkerの労働者側に分かれてい る。

それに対して、 本論文で理解したように administrationは組織のトップから労働者ま で全員が関係している概念である。

フランス語から英語に翻訳するとき、 労働 者を含めるadministrationを 労働者は入ら ないmanagementに置き換えてしまったわけ である。

一方、 労働者を入れていないmanagement 概念なのに、 目標管理や小集団管理、 全員経 営参加にみられる管理の自主化、 エンパワー メントのなかに、 労働者の自分自身による managementをする事で経営効果を高めるの を実現しようとするようになってきている。

こうした 「経営」 と 「管理」 の混乱が現実 の使用方法の中で埋没しているのが現状なの である。

注記

注1 Henri Fayol, Administration Industrielle Et Generale , Dunod, Paris, 1962

(邦訳、 都筑 栄訳、 産業並に一般の 管理 、 風間書房、 1958)

(邦訳、 山本 安次郎訳、 産業なら びに一般の管理 ダイヤモンド社、

1985)

(邦訳、 佐々木 恒男訳、 産業なら びに一般の管理 、 未来社、 1981) 注2 山本訳、 産業ならびに一般の管理

の 「解説」、 222〜227頁参考

注3 ibid., preface (上掲、 佐々木訳、 13頁) 注4 ibid., p.4 (同上、 20頁) 注5 ibid., p.5 (同上、 21頁) 注6 ibid., p.5 (同上、 22頁) 注7 ibid., p.5 (同上、 22頁) 注8 ibid., pp.1〜2 (同上、 17頁) 注9 ibid., p.10 (同上、 25頁) 注10 ibid., p.7 (同上、 24頁) 注11 ibid., pp.8〜9 (同上、 27頁) 注12 ibid., pp.8〜9 (同上、 27頁、 参照) 注13 ibid., p.8 (同上、 26頁) 注14 ibid., p.4 (同上、 20頁) 注15 山本安次郎著 フェイヨル管理論研究

有斐閣、 昭和30年、 24〜5頁参考 注16 同上、 (28〜9頁、 参考) 注17 ibid., 5 (上掲、 佐々木訳、 22頁) 注18 {ファヨールが彼自身の経営者として の活動を経営とみなしているかどうか の認識とは関係なく、 「経営」 の概念 の存在については今後の研究課題とな る。}

注19 ibid., p.19 (上掲、 佐々木訳、 41頁) 注20 ibid., pp.20〜47 (同上、 42〜76頁) 注21 ibid., p.10 (同上、 25頁、 第一表参照) 注22 ibid., p.44 (同上、 71〜2頁) 注23 ibid., pp.48〜64 (同上、 77〜 97頁) 注24 ibid., pp.64〜120 (同上、 97〜166頁)

(12)

注25 ibid., pp.120〜128 (同上、 166〜176頁) 注26 ibid., pp.128〜133 (同上、 176〜183頁) 注27 ibid., pp.133〜137 (同上、 183〜187頁) 注28 ibid., p.5 (同上、 22頁)

参考文献

Henri Fayol, Administration Industrielle et Generale., Dunop, Paris, 1962 H. フェィヨル著、 都筑栄訳、 産業並びに

一般の管理 、 風間書房、 昭和33年

H. ファィヨール著、 山本安次郎訳、 産業 ならびに一般の管理 、 ダイヤモンド社、

昭和60年

H. ファヨール著、 佐々木恒男訳、 産業な らびに一般の管理 、 未来社、 1981

山本安次郎著、 フェイヨル 管理論研究 、 有斐閣、 昭和30年

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