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Henri Fayol の著書を視点とした gouvernement と  administration に関する研究

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(1)

1 はじめに

(1)問題の所在

筆者は,行政組織で働く傍ら, マーケティ ング が行政組織でのよりよい仕事を行うた めに有益な理論(科学)と実務(技術)であ るとして,その導入に関する研究を行ってき た(志賀,2009,志賀,2010,志賀,2011,志 賀,2012)。ここで,なぜこのような取り組み を行うかといえば,奉職して四半世紀が経過 する中,従前の行政分野における社会科学の 知見では,実際の業務に役立つといった実感 が見いだせなかったからにほかならない。ま た,こうした取り組みとは別に,筆者は,行政 と経営,行政学と経営学,行政管理論と経営 管理論に関して,これまで比較検討を行う機 会を求め,第二次世界大戦前から現代にかけ て国内で発刊された書籍等に目を通してきた。

研究といえるほどの取り組みは行っていない ながらも,この作業過程で感じたことは,「行 政(Public Administration) = 経 営(Private  Administration)であり,研究方法などにつ いては,大枠で違いはなく,対象とする組織 体が異なるだけ。」ということであった。例え ば,アメリカにおける「管理過程学派(マネ ジメント・プロセス・スクール)」の初期の貢 献者として経営管理論等の教科書で紹介され ているギューリック(Gulick, L.H.)が「

」 に お い て POSDCORB という管理過程を提唱(Wren & 

Sasaki (2004) vol.5所収の原著p.21)しているが,

実のところ,この考え方は,20 世紀後半に西欧 諸国の新自由主義体制で生み出された「新公共 管理(new public management, NPM)」といっ た概念が日本の行政組織にも導入され,PDCA というマネジメント・サイクルにとって代わら

Henri Fayol の著書を視点とした gouvernement と  administration に関する研究

A study on “gouvernement” and “administration”

from the viewpoint of “Henri Fayol’s Theory”

志賀 秀樹

SHIGA, Hideki

アンリ・ファヨールの第一の主著「 」を読んだ際の疑

問点を足掛かりに, gouvernement と administration に関する従来の「経営」と「管理」

という捉え方について再考し,今日的に有用となる知見を得ることを試みた。

その結果,ファヨールのいう administration は,今一度, gouvernement とあわせて 論じられる必要があり,また, administration を「管理」と邦訳すること,それを 6 つ目 の活動に位置付けることは不適当であることを明らかにしたうえで,ファヨールの定義する administration は「仕事の仕方」のフレームワークとなり得ることから,あらためて,それに ついての知識普及(教育)が必要であることを問題提起した。

キーワード: アンリ・ファヨール(Henri Fayol),経営と管理(gouvernement and administration),

行政組織のマーケティング(marketing of governmental organization),行政改革

(administrative reform)

(2)

れるまでの間,日本における行政管理論の基盤 となっていた1)のである。

さて,このような時期にあって,「管理過程 学派の祖」とされるファヨール(Henri Fayol)

の第一の主著「

2)が公刊されてから 100 年が経過しよ うとしており,彼の功績は,今もなお,経営学 者の間ではすたれるものではない3)。ところで,

彼は第二の主著「

’ ’

や 第 三 の 主 著「

」を記しているが,どちらもフランス国 家への行政改革の提言である。例えば,第三主 著は郵便などの政府企業を研究したものである が,「はじめに」という冒頭からその経営上の 欠陥として,「1,企業の経営者である国務次官 の不安定性と無能力」「2,長期活動計画が無い こと。」「3,貸借対照表が無いこと。」「4,議会 の不当な,過度の干渉。」「5,熱意に対する刺 激が無く,果たされた貢献に対する報奨が無 いこと。」「6,責任が欠けていること。」(佐々 木編訳,1989,p.2)と刺激的な書き出しであ り,その内容は,10 年前に書かれた文章であ る,と語ったとしても,素直に受け止めてしま うほどである。それだけ,ファヨールの取り組 みは,「私経営」を研究する者だけでなく,「公 行政」を研究する者も関心を持つべきものなの である。よって,「行政組織が行うマーケティ ングに関する研究」を行う筆者にとって,ファ ヨールの administration 論をあらためて検 討することは,「行政組織が行うマーケティン グに関する管理論」の構築の際に必要な知見を 得る取り組みともなり,また,彼の行政改革の 提言を再確認することで,マーケティング以外 にも,行政組織に必要な有用な考え方や手法を 得ることが期待できるのである。

(2)本研究の視点

以上の経過を受け,本研究では,ファヨール の第一主著の邦訳書を素直に読み,あらためて その原著仏文に目を通すことで抱くことになっ

た疑問点を足掛かりに,その疑問点についての 既存研究等を確認し,筆者自身が抱いた疑問点 を解決する中で,実務の当事者となる一般公務 員の資質向上へ寄与する知見を見出すことを試 みるものである。

なお,第一主著の邦訳書は 3 冊あるが,本 研究の原著邦訳の引用にあたっては,佐々木 訳(1972)を基本とする(邦訳の引用にあたっ ては,佐々木訳を「佐々木訳」と表記し,その 他の 2 冊については,「都築訳」「山本訳」と 表記する)。その理由は,訳者の佐々木教授に は,第一主著の邦訳のほか,第二主著及び第三 主著の訳出しも行っており,また,ファヨー ル関連の多くの文献4)に関与しており,更 に,レン(Wren, D.A.)との共著(Wren, D.A. 

& T.Sasaki, 2004)により世界的に名の知れる ファヨール研究の第一人者だからである。

2 既存研究等

(1)本研究における論点の提示

既存研究等の検討に入る前に,筆者が抱いた 疑問点を 3 項目にまとめ提示する。

1)  gouvernement 及び administration の 訳語

ファヨールは,第一主著の中で,gouverner

(gouvernement すること)を「経営すること,

それは企業が自由に処分するすべての資産から 可能な最大の利益を引出すように努めながら,

企業をその目的へと導くことである。それは六 つの本質的な職能の運びを確かなものにするこ とである。」(原著 p.5,佐々木訳 p.22)と,また,

administrer(administration すること)を「「管 理すること」,それは予測し,組織し,命令し,

調整し,統制することである。」(原著 p.5,佐々 木訳 p.21)と各々定義している。

筆者の経験的知識の中では, gouvernement という単語は「政府」または「統治」である

(英語も仏語も派生は同じ)。訳語とした「経 営」の辞書的意味を広辞苑で見ると「継続的・

計画的に事業を遂行すること。特に,会社・商

(3)

業など経済的活動を運営すること。」とある。

よって,ファヨールの定義と主旨は同じと言え ないこともないが,翻訳する当事者が経営学 者であり,大規模企業の経営者が記した書物 ということで,「経営」という語が当てられる のはわからないでもない。しかし,ファヨー ルは冒頭であらゆる組織について述べており,

仏語の「経営」にあたる gestion を用いず gouvernement を用いたことを考慮すべきで はなかったか。

同様に, administration においても,行政 は, Public Administration で あり, 経 営 は Private Administration と呼ばれる5)ことか らも,「管理」ではなく,「行政」または「経 営」とすべきではないだろうか。ちなみに,「行 政 管 理 」 の 英 訳 は Administrative manage- ment 6)である。ここで,「管理」を同様に広 辞苑で見ると,「①管轄し処理すること。良 い状態を保つように処置すること。とりしき ること。②財産の保存・利用・改良を計るこ と。」とあり,また,一般的な認識では,「管理 する」という言葉が忌み嫌われる言葉の一つ であることからも,ファヨールの定義に合致 することは無く,精々のところ,そこに含ま れる「統制(contrôle)」といったニュアンス が近いところであろう。ここで,一歩譲って,

administration を「管理」と翻訳することを 認めたとしても,第一主著は administration をテーマに語られている書物なのだから,言葉 は,すごくシビアに取り扱わなければならない はずであるが,例えば,活動のグループ分けの 際,財務的活動の内容 recherche et gérance  des capitaux (原著p.1)を「資本の調達と管理」

(都築訳 p.5,佐々木訳 p.17)(筆者記:gérance

=管理)と訳す箇所や,財務的職能の説明文中 の gestion financière (原著 p.3)を「財務的 管理」(佐々木訳 p.19)や「財務管理」(都築訳 p.5,山本訳 p.6)(筆者記:gestion =管理)と 訳す箇所が見られるのはいかがなものか。

2) 「 administration 活動」を 6 つの活動の 一つに含める違和感

ファヨールのいう administration の邦訳 は前項で述べたとおり「管理」ではなく「経営

(又は行政)」であるべきと思う。邦訳書を読ん だ際に最初に違和感を抱いた箇所がここであっ た。他の 5 つの活動は「仕事の内容」として受 け取ったが,6 番目の活動は「仕事の仕方」と して受け取ったのである。あらためて考えれ ば,ファヨールは最初に「仕事の役割分担(分 業)」を示したはずだから,ファヨールの示す 6 番目の活動は,つまりのところ,「経営者の 仕事」を割り振ったのであるから,そのものズ バリの表現とすべきであったのではないだろう か。「しかし,管理は上級責任者の任務のなか で極めて大きな地位を占めているので,時とし て彼等の任務は専ら管理的なものであるかのよ うに思われるかも知れない。」(原著 p.5,佐々 木訳 p.22)と,ファヨールも言うように,「経 営者の仕事」は administration 活動だけで はないのだから,これを含む表現であってしか るべきであろう。そして,ファヨールのいう administration が「仕事の仕方」であるなら ば,「経営(行政)活動をうまくやるための管 理」や「生産活動をうまくやるための管理」,

「販売活動をうまくやるための管理」が「経営 管理」や「生産管理」,「販売管理」といった言 葉となり,意味をなしてくるのではないだろう か。例えば,生産部長なる部門責任者は,当 然ながら「生産活動」に内包されるわけであ り,「生産活動をうまくやるための管理」を行 う役職者となるのである。ファヨールのいう administration 活動が,6 番目に並列される ことがはたしてよいのであろうか。更に,ファ ヨールの言うまま 6 つの活動と捉えたとして も, administration 活動と gouvernement 活動との差が見えにくいという違和感は残るの である。

(4)

3) 「活動(opérations)」,「職能(foncution)」

及び「能力(capacité)」の違い

まず,「活動」,「職能」,「能力」について,

広辞苑により各々辞書的な意味をみてみると,

「はたらき動くこと。いきいきと行動するこ と。」,「職業・職務の果たす役割。その職業に 固有の機能。」,「物事をなし得る力。はたらき。」

とある。筆者なりに考えるところでは,「活動」

は仕事を効果的効率的に行うための区分けした 状態をいい,「職能」とは,区分された各々の 活動の中で,主たる立場でもって仕事を行うこ とができる能力を持つ人一般のことをいう。そ して,「能力」とは,活動や職能に関係なく,

一個人が持ちうる何がしかである。

ファヨールは,企業が行う活動を 6 つに分 けた際,「これら六つの活動のグループあるい は本質的な職能はつねにそこに見出される」

(原著 p.2,佐々木訳 p.17)と述べ,以下,「活 動(opération)」としての説明ではなく,「職 能(foncution)」として説明している。そして,

administration の定義を示した後,「このよ うに理解されると,管理は企業の責任者あるい は指導者の独占的な特権でもなければ個人的な 責務でもない。それはその他の本質的な職能と 同じように,社会体の指導者とその構成員との 間で分担される一職能である。」(原著 p.5,佐々 木訳 pp.21-22)と述べている。また,引き続い て,「本質的な職能に対して一つの専門的な能 力が対応する」(原著 p.6,佐々木訳 p.23)とし たうえで,「技術的職能」の担当者を例にした

「必要な諸能力」を担当者(労働者,職長,係 長…)の種類毎に示して説明し,「技術的職能」

の担当者の中で,役職が昇るほど「主要な能力 は管理能力である」(原著 p.7,佐々木訳 p.24)

と結論づけている。そして,まとめとして,他 の本質的職能の場合にも,同様な構成比につい て論じることができるといった主旨の言葉を述 べて説明の区切りを付けている。筆者は当初,

図や表ばかりに目を取られ,この締めくくりを 見落としていたため,ここでの説明の理解に苦

しんだ時期がある。これを見落とすと,「職能」

と「能力」を同じとみて誤読してしまう恐れも あると感じた。

ところで,ファヨールは「活動」と「職能」

との違い,「職能」と「能力」との違いをどの 程度,意識したうえで論じているのであろう か。ファヨールは,「活動」と「職能」をほぼ 同じように扱っているが,無理があるだろう。

例えば,技術的活動を行うとしても,技術的職 能の人だけが配置されているわけでもなく,一 つの活動に一つの職能だけでは仕事にならない ことは明らかである。財務的活動であれ,保全 的職能であれしかりである。

(2)既存研究等の捉え方

上記の 3 つの疑問点に沿って,「ファヨール」

や「管理過程」といったキーワードをもとに,

既存の論文や研究書を確認していく。しかしな がら,ファヨールの第一主著が日本やアメリカ に紹介されてから優に半世紀以上の年月が経過 しており,世界的に数え切れないほどの研究が 既になされているため,既存研究を網羅しきれ るものではない。よって,本研究では,それを 前提のうえで,国内の文献を中心に論じていく こととする。なお,古い文献には旧字体を用い るものもあるので,引用にあたっては新字体に あらためている。

(3)既存研究等の整理 1)訳語の混乱

①  Coubrou 訳(1930)と Storrs 訳(1949),異 文化コミュニケーションの難しさ

初めて英訳を行ったのはクーブロウである が,その影響範囲は狭く,その後ストーズに よって行われた英訳書がアメリカなど広く影 7)を及ぼした。

前者は, gouvernement を management と,

administration を administration と英訳し,そ の翻訳書のタイトルを

とした。一方,後者は, gouver-

(5)

nement を government と, administration を management と英訳し,その翻訳書のタイト

ルを

した。

言語の異なる国々の意思疎通を図る際に,

両国に共通の概念が無い場合,当該単語をど のように訳すのかは,洋の東西を問わず,い つ の 時 代 に も あ る も の で あ る。Storrs 訳 序 文でアーウィックは仏語圏には英語圏で使 われている management に該当する言葉 が 無 い(One of the difficulties of the French  language  is  that  it  has  no  exact  equivalent  for the management as used in the English- speaking countries.)(Storrs 訳序文,p.xii)と 述べるなど,今回の場合,意味内容が同じなら,

administration を management と訳すこ とは致し方ない,としている。これは翻訳に関 する有名な話である。

② 山本(1955)の認識

山本は,国内におけるファヨール研究の先 人であり,原著から訳出しした邦文による

「フェイヨル管理論研究」という研究書を最 初の邦訳書(都築訳)の出版に先駆けて発表 している。この中で,「管理(administration)

と 経 営(gouvernement) を 混 同 し て は な ら な い 」 こ と に つ い て,「 こ の gouvernement と administration とは国家作用に於ける政治 と行政との関係として把握せられるのであろ う。われわれは国家学と経営学との関連性を 指摘したいと思う」(脚注⑦ p.43)と述べてい る。このような認識にありながら,なぜ,第 一主著を自ら邦訳(山本訳)する段になって,

administration の訳語の選択に検討を加えな かったのであろうか。

③ 北野(1965)・北野(1985)の孤軍奮闘 北野(1965)では,「fonction administrative」

を「経営機能」と,「gouvernement」を「統帥」

と訳出し(p.45)している。

また,北野(1985)に至っては, gouverne- ment を「統治」と administration を「行

政」と訳出し(p.320)しており,後者に至っ ては,筆者の私見とほぼ同じであり,この見解 に接した時には,筆者は驚きを得た。この見解 は,ファヨールが示す gouvernement の定 義とともに,フランス語の辞書的意味合いを精 査し,リーダーシップそのものと理解したうえ で,「統治」の訳語を与えているのである。ま た,3 冊の邦訳書についての言及もあり,「い ずれの版においても統治が「経営」,行政が「管 理」と訳されている。これはおそらく政治用 語が経営学にはなじまないという感覚的な反 応から来ているものと思われる」と論じ,「か えって職務の本質を見のがさせることになる」

(p.335)と忠告している。

④ 佐々木(1999)の熟考

ファヨール研究の第一人者である佐々木で あるが,あらためてファヨールの理論を検討し ていく中で,従前は gouvernement を「経 営」と administration を「管理」と訳出し していたが,「筆者の解釈は,もしファヨール の理論を経営学の古典とみなすなら,彼のいう Administrationを「管理」と理解するよりも「経 営」と理解するほうがよく,そうなれば,その 上位概念である Gouvernement は「統轄」と でもよぶ以外にはないだろうということである」

(脚注 16 pp.75-76)と述べている。先に述べた筆 者の私見に近い見解が述べられているのである。

⑥  Wren,  D.A.,  A.G.  Bedian,  J.D.  Breeze

(2002)の指摘

彼らは,1908 年のファヨールによる講演の 未刊原稿について英訳する機会を得,次の結論 を述べている。「もしその訳者たちが 1908 年の この定義を知っていたなら,われわれはアドミ ニストレーションとマネジメントの語義上の争 いに加わることはなかっただろう」(Peaucelle,  J.-L. et al.(2003)の邦訳書 p319)と。

つまり,ファヨールの 1908 年の定義とは,

次の通り。

「しかし差し当っては,次の用語の意味を理 解する必要がございましょう。すなわち,管理,

(6)

管理業務,管理能力についてです。」とファヨー ルは前置きしたうえで,「管理」について,次 のように説明を続ける。「管理すること,これ は,辞書によれば,統治することであり,公的 あるいは私的な事業を経営することです。すな わちそれは,会社の目的を達成するために配置 することが可能な資源の最良の部分を引き出す ことです」(Peaucelle, J.-L. et al.(2003)の邦 訳書 pp.224-225)。そして,「管理業務」,「管理 能力」と話は続く。この時点では,「経営」に ついての言及がなく,ここでいう「管理」が gouvernement に整理されたということにな るのであろう。そして,「管理業務」にあたる 箇所が洗練され,あらためて administration と整理されたのであろう。

⑦ 関(2008)のニアミス

関(2008)がガバナンスの論述の中,ファ ヨールの第一主著を参照している(p5., 脚注 4)

が, 山 本 訳 と Storrs 訳( gouvernement = government , administration = manage- ment )の参照である。関はマネジメント・サ イクルを基本としたガバナンスに関する論述を するために参照していたようであるが, gov- ernment の単語が目に入っていなかったのだ ろうか。もし, government の訳語にこだわ りを持っていたならば,ガバナンス論を研究す る学者において,経営学者の視点とは異なっ た論述が行われ,ファヨールのいうところの Gouvernement について,あらたな視点が 提供されたのではないだろうか。非常に残念な ことである。しかしながら, administration の要素である「統制(contrôle)」について,「今 日の内部統制につながる概念である」(p.5,脚 注 5)(該当箇所:第一主著 p.134,佐々木訳 p.184)との解説もあり,救われた思いである。

2) ファヨールのいう administration とは何 なのか

① Newman(1951)の創作

administration 活動を横からの視点,他の 5 つの活動を縦からの視点とするマトリクス表

(Wren & Sasaki(2004)vol.6 所収の原著 p.12 の FIGURE1,邦訳第一表 p.6)を作成し,5 つ の活動それぞれに, administration 活動の

「計画」「組織」「経営要素の調達」「命令」「統制」

が関わると位置付けた。図表における「管理的 職能」の表記が紛らわしいが,筆者の私見へ通 じるものである。

② 雲嶋(1953)の指摘

ファヨールが管理職能を他の「五つの職能と 同列において理解している」とし,「同一平面 において理解することが,果たして「管理職 能」の具体的把握を意味するの」かと疑問を投 げかけ,会計職能を除く 4 つの職能は「過程 的職能であり」,管理職能は「組織的職能」と したうえで,「立体的な関係において理解され ねばならない」と指摘(p.261)した。そして,

「「管理職能」は過程的職能の総てについて理解 されるべきこととなる」とし,「技術活動の管 理・商業活動の管理・財務活動の管理などの如 きがこれ」と例示(p.262)している。雲嶋が Newman を見たかは定かでないが,筆者の私 見と同じ理解である。

③ 山本(1955)の指摘

ファヨールの「管理」の定義の解説として,

「概念としては管理も他の五職能に対立するが,

組織上の地位としては或は五職能に内在し或 は専門化し独立化し得ることは明らかである」

(p.42)と述べている。

④ 北野(1985)の見方

ファヨールが「統治」と「行政」を同義化し ている前提にたつと,「統治から行政を差し引 いたあとにネットの統治といったものはいっ さい残らない」とするも,「しかしかれの展開 する行政理論には行政とは異質な要素が含まれ ており,とくにかれの論じる指揮者役割の内容 は,明らかにそのようなものとして特定するこ とができる」とし,「指揮者役割」がネットの 統治そのものになる(p.333)と述べている。

北野の見方は統治論を視点として,当時のフ ランスの状況なども考慮しながらファヨールの

(7)

第一主著を見ている。よって,他ではこうした 知見に巡り合わないことから,当該研究は,筆 者のこの点の疑問を拭い去る最も有用な研究成 果と思われる。

3)ファヨールの産む混乱

① Urwick(1949)の指摘

第一主著の Storrs 訳序文の中で, adminis- tration はただ一つの意味であるのに,「活動」

と「職能」の使い分けが厳密でない(Fayol  employ the word  administration  with one  meaning and one meaning only. He uses it to  describe a function, a kind of activity.)(Storrs 訳序文 p.xiv)と指摘している。

② 雲嶋(1953)の注意喚起

「経営における「管理職能」の重要性を立証 すること」を目的に,「各種能力の相対的重要 性」が論じられていると指摘し,「「管理職能」

の重要性は,以上二つの分析にあらわれた「管 理的能力」の地位から,充分に立証し得ると考 える」と論じたのち,「彼の論述の内容を正し く理解するためには,彼のいう能力の意味,と くにそれと職能との関係が吟味されねばならな いであろう」(p.86)と注意を促している。

③ 北野(1965)の誤解

まず,北野(1965)では,他の論者と異な り,「職能」を「機能」,「管理」を「経営」と 捉えて論じている。「ファヨールは,経営者の 地位が高くなればなるほど,その職務において 経営機能が他の機能にたいして占める比重がま し,最上位にいたっては,「経営をもっぱらに するものであるとの印象をうける」とすらいっ ている」(p.46)と論じているが,これは,「職 能(foncution)」と「能力(capacite)」の区別 ができていない典型であろう。

④ 木暮(2001)の捉え方

ファヨールは「諸能力の相対的重要性」の検 討により「あらゆる種類の企業において,下位 の担当者の主要な能力は企業の特徴的な職業的 能力であり,上位責任者の主要な能力は管理能 力である」(原著 p.13,佐々木訳 p.33)と結論

付けている。これを受け,木暮(2001)は「下 級担当者ほど当該職能を遂行するのに要求され る最も重要な能力は専門的能力(たとえば,生 産担当者では技術能力,商業担当者では商業能 力など)であり,また,管理階層を上に行くに 従って,管理職能を遂行する管理能力の比重が 増大するとされる」(p.33)と論じているが,こ うした理解だと,例えば,技術的職能の下位か ら上に行く際には,いつの時点で「管理的職能」

に移行するのか,といった疑問が湧いてくる。

⑤ 岡田(2011)の過ち

第一主著の概説を試みているが,文章の区切 りの最後まで読み込むことなく,技術的職能の 例示のみを取り上げて「諸能力の相対的重要 性」の全てを解説していると思いこんでいるの ではないか。筆者が初めの頃に犯した過ちと同 じである。更に,佐々木訳(1972)掲載の図表

(邦訳 p.25)を引用しているが,引用表記され ている図表(p.33)の表記には,「大規模企業」

の次に「技術的職能の従業員」の文字が抜け落 ちている。これでは,初めてこの表を見た人に 対し,掲載されている図表があらゆる職能に該 当するように読み間違えられてしまう。

3 考 察

(1)組織が目的を叶えるための形

既存研究等を眺めてきたが,私達は,今一 度,ファヨールが示した「6 つの活動又は職 能のグループ」のうちの「管理的活動(職能)

opérations(fonction) administratives 」につ いては,先に取り上げた雲嶋(1953)の指摘の ような捉え方,つまり,技術的活動(職能)な どと並列的に見る平面的な捉え方や,管理的活 動(職能)を他の 5 つの活動(職能)全てに関 わりを持つと見る立体的な捉え方(Newman や 岡田も同様)のほかに,北野(1985)や佐々木

(1999)のごとく, gouvernement までも含め て検討し直す必要があるのではないだろうか。

こうした検討が進められることで,経営学や 経営管理論の教科書などの中で「経営」や「管

(8)

理」の定義が論者によって十人十色といった現 状についての改善が図られ,あらためて「経営」

や「管理」,加えて「経営管理」などの「○○

管理」という部門別管理についての専門用語の 学問的定義が明確にできるのではないだろうか。

そのような取り組み過程において, gouverne- ment の意味するところをふまえたうえで,あ らためて残りの 5 つの活動と関わりのない「経 営者の仕事」という活動を 6 つ目の活動として 位置付けることができ,ファヨールのいう 6 つ 目の活動である administration 活動を「仕 事の仕方のフレームワーク」として捉え直す中,

経営学及び経営管理論,そして,その他の専門 職能に関する管理論(例えば生産管理論)まで も含めた体系化が行えるのではないだろうか。

(2)より良く仕事をするためのフレームワーク そ も そ も, 第 一 主 著 は, そ の 第 一 部 の 題 名を見れば明らかな通り,「管理教育 d’un  enseignement administratif 」を行うための教 科書として,つまり,「 administration の教 育のためのたたき台の提示」にほかならない ことから, administration に特化した記述 となっていることは仕方がない。しかしなが ら,例えば,北野(1985)が「その過程で,冒 頭において指摘された最終的準拠枠としての 統治が急速に姿を消し,その一要素である行 政が独走しはじめる。統治のための,統治を 促進するための行政という行政のそもそもの 存在理由が完全に見失われてしまうことにな る」(ここで,3 冊の邦訳書では,「統治=経 営」,「行政=管理」である)と指摘する通り,

administration 活 動 と gouvernement 活 動との差が見えにくいという不備なところ―

これは特に重要な点であるが―はある。しか しながら,「管理は企業の責任者あるいは指導 者の独占的な特権でもなければ個人的な責務 でもない。それはその他の本質的な職能と同 じように,社会体の指導者とその構成員との 間で分担される一職能である」(原著 p.5,佐々

木訳 pp.21-22)というファヨールの主張を再認 識したうえで,あえて gouvernement と切 り離して administration を捉え直すことで,

administration は,あらゆる活動に有効な

「仕事の仕方のフレームワーク」であり,「予測 し,組織し,命令し,調整し,統制すること」

という過程的表現8)で手順を示すことで,組 織が目的を果たそうとするにあたって,どのよ うな手順を持って仕事に取り組んでいくことが 良い成果を得やすいものか,という考え方をわ かりやすく示している教科書であるとの認識に 立つのも一つである。

筆者が疑問点を提示した際,ファヨールの administration を「6 番目の活動は「仕事の 仕方」として受け取った」と述べたが,ファ ヨールの後,ブラウン(Brown, A.)(1947)が

「計画・実行および点検」(邦訳 p.26),いわゆ る,plan/do/see を提示し,以後,経営学界で は,PDS が中心となって利活用されてきてい る。しかし,昨今では,品質管理分野から提唱 された管理サイクルであるが,出所が明確でな い(星野,2010)ともいわれる PDCA(plan/

do/check/action)が企業経営者ばかりでなく,

一般社員も必要な,また,行政組織においても 同様に,広く利用されているところである。し かし,「いまひとつ PDCA のマネジメント・サ イクルがまわらない」との嘆き声が聞こえてく るのである。つまり,ファヨールが「管理教育」,

つまり「仕事の仕方の教育」の必要性を論じ,

世紀が変わった今でも,やはり,その必要性は 変わらない一つの現れではないだろうか。

4 まとめ

フ ァ ヨ ー ル の 第 一 主 著

を読むことで抱いた 疑問点を足掛かりにこれまで論じてきたが,学 問的貢献がなされたものか,いまひとつ自信が 持てない。しかしながら,先人が指摘したが,

その有用な指摘が埋もれていると思われる今日 にあって,筆者の果敢な疑問を出発点としては

(9)

いるものの,それらを今一度,公の目にさらす ことになったということだけでも意味ある取り 組みであったのではないだろうか。

今後,筆者としては,ファヨールが提示し た Administration を「 仕 事 を う ま く こ な すために必要な Administration 」と位置付 け,彼が言うように,最高責任者や部門監督者 といった役職者ばかりのものではなく,あら ゆる階層の人々が利用できるフレームワーク として活かされるよう,ファヨールの提示す る Administration を今一度,洗練する取り 組みを行い,「効果的効率的なフレームワーク」

として再構成し,誰もが持つべき基礎能力とし て,「 Administration 教育」へ貢献できるよ う努めていきたい。その際には,品質管理分野 における PDCA の生成過程や,「予測・組織・

調整・統制は,われわれが一般に耳にするよう に異論なく管理の一部をなす」(原著 p.4,佐々 木訳 p.20)というファヨールの言葉の意味する ところを今一度ふまえたうえで取り組んでいこ うと考えている。

【注】

1) 中塩(1959)p.11,伊藤(1966)p.106。

2) 本研究では,Fayol の第一主著の仏文原著は,

DUNOD 社が 1970 年に発行した 55 版(55eMille)

を用いた。なお,第二・第三主著の仏文原著,

Brown, A. (1947)及びPeaucelle, J.-L. et al. (2003)

の原著を参照することはできなかった。

3) 今世紀に入ってからも,Wren, D.A., T. Sasaki  co-edited(2004),Peaucelle, J.-L. et al.(2003)

(佐々木監訳,2005),佐々木編著(2011)のよ うに,ファヨール自身や功績を,また,丸山

(2007),藤芳(2010),高橋・木全・宇田川・高 木・星(2012)のように,紙面を割いて取り上 げる文献を目にできる。

4) 佐々木(1984),佐々木編著(1999),佐々木編 著(2011)。

5) 手島(1999)pp.2-5。

6) 今村(1987)p.3。

7) Peaucelle, J.-L. et al.(2003)訳書,pp.309-315。

8) 今現在,筆者自身,「仕事の仕方のフレームワー ク」の試行的発想として,「考えて,体制作って,

やってみて,調子はどうだい,どうなった」と

いった言葉で表現し,自らの仕事の中で習慣化 ができないものか取り組んでいる。これは,ファ ヨール以降,様々な管理の要素が提案されてい るが,原点のファヨールのいう「管理の要素」

の構成と意味するところが最良のものと感じた ことからである。この試行的発想をたたき台に,

今後の研究を進めていきたいと考えている。

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