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欲望と広告

その他のタイトル Desire and Advertising

著者 中農 晶三

雑誌名 関西大学社会学部紀要

8

2

ページ 37‑48

発行年 1977‑03‑28

URL http://hdl.handle.net/10112/00023121

(2)

人間の欲望の定義はむつかしい。それは時代と国によって異なるし, 1国の 1時代に限定して も,欲望の限度を確定することは至難である。わが国の現代社会に関していえば,馬が自動車を 欲しがることはないけれど,間違いなくいいうることだが,現代人はますます自動車を欲しが る。大気を汚染するからという理由で,自動車の排ガス規制はできても,石油の資源不足を理由 に自動車に対する欲望を規制することはできない。現代人の欲求は心理的,肉体的にきわめて多 方面にわたっていて,ますます多様化する。人間の欲求はそれを充たす対象を必要とする。だか ら対象の意識をともなう欲求が欲望であり,現代人の欲求はいつも欲望として現れる。したがっ て対象のシンボルやイメージが逆に欲望を呼び起こす結果にもなる。欲望が個人に根ざしたもの ではなく,いわば外から触発されて,個人を支配することになる。

対象のシンボルやイメージが欲望を喚起するとすれば,現代社会でその役割を果しているもの に広告がある。イクリアの作家であり評論家でもあるプッチーが,その著書『広告ーその文化的 政治的影響」の中で,やはり人間の欲求について触れ,その定義の困難さを述べている。つまり 穴居人にとっては,ネクタイをズボンよりも正当だと理由づけることはできないし,フォームラ バーのマットレスを羊毛やわらの寝床よりも,存在理由が大きいと誇ることはできない。また歯 で食いちぎる肉が食事であり,自然の泉と川の水が飲物であるなら,後世のすべてのものは余計 なものであって,肝要でない欲求のカテゴリーに入れられてしまう。反対に暑さ寒さから身を守 る役目をもっていた衣服は,食べたり眠ったりすることとはちがった欲求ー一装飾品としての役 割を与えられた。だからといって,欲求に序列をつけて,通勤着をおしやれな婦人服の上にラン

クづけすれば,保守的だと非難されるだろう。

「いまの様子ではわれわれの社会で,この欲求またはあの欲求に,より小さいまたはより大き な重要性を与えること,ある欲求が他の欲求よりも,より多くまたはより少い価値をもっている かどうかを決めるために,欲求を弁別することは明らかに不可能である。修正資本主義社会は,

単一のゴールがないことで特徴づけられている。それはイデオロギー的な観点が歓けている。そ れゆえ,いかなる欲求も真にアイデンティファイされえない。それらは積極的にも,消極的にも 判定することができない。福利の変名よりほかにゴールをもたない社会では,本の欲求とトース

1) Giancarlo Buzzi,  Advertising,  its  cuttural and political ejf ects  (Minneapolis: University of  Minnesota Press, 1968) p.  22. 

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関西大学『社会学部紀要』第8巻第2

クーの欲求は,同じレベルにある」1)。プッチーがいいたいのは, ゆたかな社会の人間は,物質 的な財貨をもつことが,ただ単に自由になるというだけでなく,所有することによって精神的に ゆたかな生活との間の障害物をとり除くという幻影で,自分を慰めている。だからゆたかな社会 の人間は,単にこの対象,あの対象ではなく,すべての対象を求めるという意味である。

ブッチーが修正資本主義社会というとき,おそらく彼の頭の片隅にケインズの偶像が息を吹き かえしていたであろう。だが20世紀における偉大で,もっとも現実的なこの経済学者は,すでに 昭和 5年に書かれた評論『われわれの孫たちの時代の経済的可能性」の中で,人間の欲求をふた つに弁別している。 「人間の欲求はふたつの種類にわかれる。他人がどうであろうと自分はそれ が欲しいという絶対的な欲求と,それを充たすことによって自分の状態が向上して,他人よりも えらくなった気がするという意味での相対的な欲求とである。第2の種類の欲求,すなわち他人 よりもえらくなった気がする欲求は,満足させようとしてもきりがないかもしれない。なぜなら 一般的な水準が高ければ高いほど,欲求もますます高くなるからだ」2)と,卓抜な先見の明を披 歴した。

一般的に経済理論は学問的整合性を重んずるあまり,人間の欲望の問題に立ち入ることをちゅ うちょする。それよりも需要と供給,生産と消費の問題に専念し勝ちである。だがケインズは欲 望の領域に,一歩を踏み込んだ。そして彼が「孫たちの時代の経済的可能性」といった孫たちの 時代の社会に,われわれは生きている。私が試みようとするのは,この野放しの領域であって,

ケインズがいった「孫たちの時代」の社会では,広告が第2の種類の相対的な欲望の増殖に大き く手を借している。この小論はいわば,わが国の現代社会での欲望の問題を解明するための,ひ とつの試論にすぎない。

昭和20年代の欲望

シカゴ・サン紙の特派員として,敗戦直後のわが国に上陸したマーク・ゲインは, その著書

「ニッポン日記』(井本威夫訳,築摩書房,昭和26年)の中で,上陸第1日の昭和20125 厚木から東京へ向かう路上の風景を,つぎのように記録している。 「見渡すかぎり一面の廃墟だ った。ボロボロの着物を着た人たちは取り乱した様子だった。石くずの山を堀り返して,新しく 小舎を建てる空地をつくろうとしているものもあれば,煉瓦や木材を山と積みこんだ荷車を押し たり引いたりしているものもいた。だが破壊のあとは余りにも広く,こうしたあらゆる努力も役 立ちそうには見えなかった。新築の建物は1つも見当らなかった。鉄道の車両や機関車のがい骨

2) J.M. Keynes, Essays in Persuasion,'EconomicPossibilities for Our Grandchildren" (London:  Macmillan, 1931) p.  365. 救仁郷繁訳『説得評論集」(ぺりかん社, 1969 p.  337.  ケインズはこの 本の序文で「標題は Essaysin Prophecy and Persuationとすべきだったかもしれない。なぜなら不運 にも,予言のほうが説得よりも成功率が高かったからだ」と述べている。 この評論集に収められた『われ われの孫たちの時代の経済的可能性』は, 1930年に雑誌論文の形で発表されたもので,末来に対する予言 的性格を帯びている。

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がレールの上にそのまま放りっぱなしにされていた。電車も炎に捕えられたその場所におかれた ままで,炎はその金属の部分をねじくり,電線をバラバラに切断し,電柱をろう細工ででもある かのようにひん曲げていた。腸をぬかれたようなバスの車台や自動車が道ばたにころがってい た。ここはまさに人間がこしらえ上げた砂漠だった」。

東京にかぎらず,わが国の都会はどこもかしこも「人間がこしらえ上げた砂漢」の様相を呈し ていた。翌21510日には,こうも書いている。 「私の助手のロイ・尾崎がやって来て1週間 の暇をくれといった。 「私の区ではもう10日も米の配給がないのです。田舎で百姓をやっている 親類のとこへ行って,米を買うか借りるかして来ようと思うんです。あなたが缶詰をいくら下さ ってもどうにもなりません。私たちは米がなくちゃ腹がへってやりきれません」。よっぼど餓え ているにちがいない。尾崎は四国まで行くというんだが,四国までは汽車で3日もかかる。いま 日本人の汽車旅行はまさに塗炭の苦しみなのだ。肉体的な苦痛だけでなく,米を運ぶときはたえ ず危険にさらされているようなものだ。警察の取締りと米奪りと,二つの危険にさらされるわけ だ。それでもなお飢餓_真実のか幻想のか知らぬが_は,人をかりたてて,ともかくやって 見させている。 どの列車もどの列車も闇米運びの人たちですし詰だ」。マーク・ゲインが日記に しるした2日後の 5月12日に,東京世田谷で米よこせデモがあり(同日,主食遅配は北海道で74 日分,青森では79日分, その他全国的に遅配が慢性化した), 519日には皇居前広場で食糧メ ーデーが開かれ,主催者発表では25万人が参集した。

そのため天皇は, 5月24日食生活安定のために「乏しきをわかち,苦しみを共にする」ように と,前代未聞のラジオ放送をした。戦勝国の特派員であるマーク・ゲインが真実か幻想かしらぬ がといった飢餓は,彼の助手ひとりの問題ではなく,日本人全体の切実な欲求となっていた。 21 年政府は主食の配給,成人121勺を, 11月から25勺に増配すると発表したけれど,需 給のやりくりから東海以西は遅配欠配が改まらず,人びとはさつまいも,いもづる,大根の葉,

カボチャの茎,とうもろこし粉, ドングリの粉などで飢えをしのいでいた。ケインズは大きな戦 争がなく,人口増加がむやみに起らないと仮定すれば,経済問題は、孫たちの時代に解決される か,少くとも解決のめどがつくだろう,と昭和5年に予言したが,昭和6年からわが国は無謀な 戦争に突入して,必要なものを手に入れるという絶対的な欲求さえ,最緊急の経済問題となって

しまった。

衣食足りて礼節を知るというが,衣食は足りなくても, なんとか飢え死にしない程度になる と,まず女性のお化粧が復活した。戦時中パーマをかけたり,口紅を引いたりすると非国民との のしられた抑圧の反動である。 「世界的レベルまで行っていたのですが,今専心,元の様,或は 以上に研究しています」(昭22バビリオ)「なぜよいクリームができなかった?」 23資生 「クリームと化粧水をかねた新しい乳液」(昭23 明色ミルクローション)「新しき女性のた めの・・・」(昭23 クラプ乳液)「アメリカ帰りの美容師はすすめる」(昭24 ビアスビーナス)。こ のころから戦前の大手化粧品メーカーは,すべて出そろってくるし,新聞広告は化粧品花盛りの

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関西大学『社会学部紀要」第8巻第2

観を呈する。仁丹までが「口のお化粧」(昭24)と宣伝する始末で,いかに人びとが化粧に飢え ていたかがわかる。しかし,いずれもクリーム,乳液といった基礎化粧品で,口紅やアイシャド ーの宣伝はない。だから化粧というよりも肌の手入れをしはじめた時代で,いってみれば日本全 体が,荒れた日本の肌の手入れをしていた時代である。

昭和25年ごろから,わが国の戦後の復興がはじまる。焼け跡が整備され,企業や工場で生産が 少しづつ軌道に乗り出す。その当時,企業や庶民が目標にしたのは,アメリカが世界の旗手とし て高く掲げていたデモクラシー,男女同権はもちろんのこと,アメリカの市民生活の規範となる 合理主義,機械化が一般に広く受け入れられた。

「奥さま泣かせ,冷たい冬のお洗濯」(昭27 ナショナル洗濯機)「美しい手をいたわるもの」

昭28 日立電気洗濯機) 1台の電気洗濯機で奥様の生活革命」 昭28 ナショナル電気洗濯 アメリカの男女同権思想がじょじょにわが国に浸透するにつれて,主婦が家事労働から解 放されはじめる。家事労働の最たるものは洗濯であって,たらいに水を張り,洗濯板で家族の衣 類を洗っていた主婦たちは,ひび,あかぎれに悩まされたものである。この欠点をついて家電メ ーカーが電気洗濯機を製造し,いっせいに販売しはじめた。主婦の手をいたわる切り口上から,

それまでかみさんと呼ばれていた主婦に,奥様と呼びかけるに至るまで,広告特有のアイデアが 登場した。

奥様という呼称は,このころから広告が盛んに使いはじめたもので,たとえば「奥様方がいつ までも,お若い方と同じクリームを使っていてよい筈がありません」 昭26 マダムジュジュ)

「今日も 3 お料理上手な奥さまのお手つだい」(昭26 キジコーマン)と,地位の向上しは じめた女性心理をくすぐっている。いったい戦前は奥様といえば上流階級の婦人の呼称であっ て,庶民には縁遠い呼び名であったが,この時代から社会の階層移動が進み,大衆社会化現象が 広まって,いっきょに広告主たる企業は,奥様という呼び名を多用し,果ては男性までバパから はじまって,紳士にまで昇格し,わが国に広範な大衆社会が定着することになる。この場合,ゎ が国が大衆社会に突入する契機になったひとつに,広告の社会的影響力が挙げられる。すなわ ち,製品をひとりでも多くの大衆に売り込もうとする意図である。その後,かみさんが復活する のは,全員奥様になってしまって,奥様という呼称がありふれてしまった後である。 「ウチのカ

ミさんがねェー」(昭49 東芝冷凍冷蔵庫)。

だが現実にわが国の主婦が電機洗濯機の恩恵に浴して,洗濯の苦役から解放されるのはもっと 後のことで, 30年代も後半の昭和38年になって,普及率がやっと 50彩を超える。主婦の家事労働 のもう一本の柱である炊事に関していえば,電気炊飯器は同年50彩に満たない(中央調査社,

B.B.R 9月末普及率)。一方アメリカでは,電気洗濯機の伸びは同年86彩を超えている(「マーチ ャンダイジング・ウィーク」 12月普及率)。このようなわけで, 昭和20年代の欲望は, まだ肥大 化する余地がなく,ケインズがいう絶対的な欲求を充たすのに,きゅうきゅうとしていた時代と いえよう。

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]I  昭和30年 代 の 欲 望

昭和35年に池田内閣が成立し, 12月に所得倍増計画を発表する。戦後乏しさに耐えてきた国民 に,やっとわが世の春がめぐってきて,未来に明るい光が見えはじめる。わが国にいよいよ本格 的な大衆社会が,到来する時期である。スペインの碩学,オルテガ・イ・ガセーは,それよりも はるかに早く, 1930年に大衆社会の到来を予告した。オルテガがこの時期に着目したのは,人び との密集という事実である。都市,ホテル,汽車,喫茶店,医者の診察室,劇場,海岸••…·どこ もかしこも人でいっぱいで,充満しているという現実である。そこから彼は,大衆人間という概 念を見つけた。そして,大衆を分析してみせる。 「大衆とは<平均人>である。それゆえ,たん に量的だったもの—群集—が,質的な特性をもったものに変わる。すなわち,それは,質を 共通にするものであり,社会の無宿者であり,他人から自分を区別するのではなく,共通の型を みずから繰り返す人間である」3)

共通の型をみずから繰り返す人間である大衆は, 1820年には浴室のついた個人住宅がバリで10 もなかったのに「今日の兵士は多分に将校的である。人類の軍隊はいまでは将校によって構成さ れ」ており,現代人は自分の生が,すべての過去の生よりもゆたかであると感じていると,オル テガは当時の歴史的観察を述べている。いまでは私流にいうと,現代人は将校ほど高貴な欲望を もたず,兵士もいないかわり全員下士官的である。そこから彼は大衆心理の分析を展開する。

「現代の大衆的人間の心理分析表に, 2つの重要な特性を書きこむことができる。生の欲望の,

したがって,かれの性格の無制限な拡大と,かれの生活の便宜を可能にしてくれたすぺてのもの に対する忘恩とである。この2つの特性は,甘やかされた子供の心理を構成するものとして,ょ く知られている。そして,じっさいに,現代の大衆の心をのぞくのに,子供の心理を対照として 使えば,まちがうことはないだろう」。 大衆が甘やかされた子供だとすれば,甘やかすという意 味は「欲望を制限しないこと,なにもかも許され,なんの義務もないという印象を,人に植えつ けることである」羞)。

オルテガは一方的に大衆社会の欠陥を指摘したのではない。彼はその結果生れた自由民主主義 はいままでの社会生活のうちで最高の型であり, 19世紀よりも劣った生活形態にもどるのは自殺 行為である,という結論を引き出している。にもかかわらず,この社会にはいくつかの構造的欠 陥があることも明白であるので, 「最大の善と最大の悪の潜在力である大衆」を,徹底的に究明 しようと試みたのだ。その悪の部分のひとつが,欲望を制限しない「甘やかされた子供」という ことになる。暗い戦争の谷間を通り過ぎてきたわが国は, オルテガの洞察よりもはるかに遅れ て,昭和30年代に大衆社会化現象が顕著になる。この時代の「甘やかされた子供」が欲しがった

3)オルテガ,寺田和夫訳『大衆の反逆」 (中央公論社,世界の名著56, 1971 p. 389.  4)同訳書, pp.426427. 

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関西大学『社会学部紀要』第8巻第2 のは,三種の神器である。

当時,三種の神器と呼ばれたのはテレビ,電気冷蔵庫,電気洗濯機であって,その三種の商品 を所有することが,地位のシンボルとされた。ステイクス・シンポルといっても,なにも貴族階 級や財閥,軍閥の門閥に連がることを意味するのではない。それらはすでに解体されていた。甘 やかされた子供の仲間入りをするためのシンボルである。だから,これらのシンボルを所有しな い人間は変人,奇人,そこまで行かなくても時代遅れの人間,ないしはけちん坊と見られた。大 衆社会の大衆は「平均人」であらねばならない。

わが国で民間テレビ放送がはじまったのは昭和28年,だがテレビ受像機が広まり出したのは30 年からで,この年にNHK受像契約件数が,やっと 5万台を突破する。当時は受像機の値段が高

く,白黒テレビ17インチで15万円,同14インチで9万円もした。だから家電メーカーは「一生に 一度のお買物です……十二分にご吟味下さい」(昭30 ナショナルテレビ)と宣伝したし,「白井 かペレスか」(昭30 ビククーテレビ)「ヵ道山対カルネラの世紀の一戦……」(昭30 シャープ テレビ)「クレントがあなたのお部屋に来て歌う」(昭32 ビククーテレビ) 「お家にテレビが来 たよ・'」(昭32 コロムビアテレビ) と まるで子供がおもちゃを欲しがる心理を援用して,大 衆の欲望をかき立てた。そして大衆がテレビを買い出したのは,皇太子ご成婚のあった34年から NHK受像契約件数が198万台に急増する。 30年代はテレビ視聴が急成長した時代で,東京 オリンビックがあった39年には,同件数が1,500万台の大台に乗る。

テレビの普及につれて,かつて大宅壮ー氏は「一億総白痴化」と評したけれど,オルテガも大 衆社会に優れた文化が衰退する危機を憂えている。それとは別に,オルテガは自由民主主義が社 会生活の最高の型だと認定したが,ライト・ミルズの所説にしたがうと,大衆社会はオルテガの 期待を大きく裏切る結果になっている。ミルズによると,古典的民主主義社会では,個人の間の 討論が主たるコミュニケーションの手段であって,意見の受け手とほとんど同じ程度に多数の意 見の送り手が存在する。ところが現代の大衆は単なる意見の受け手にすぎない。そこではマス・

メディアから印象を受けとる個人の抽象的な集りにすぎなくなっている。 「マス・メディア,こ とにテレビは,今日を風靡しているが,それは往々にして小規模の討論を侵略し,理性的な,時 間をかけて熟慮された,温かみのある意見の交換を破壊する。それは私的生活とそれにともなう すべての人間的意味とを破壊する主要原因である」。 そして「メディアは,個人内部の緊張であ れ,個人の中に反映している社会の緊張であれ,緊張にたいする合理的洞察力を増進させぬ。反 対にそれは人工的に熱狂をつくり出し,個人の注意をそこに釘づけにし,逸散させ,自らと世界 とを理解する機会を隠してしまう。……メディアのつくり出す緊張のおもなものは,商品にたい する欲望と現実におけるその商品の非所有との緊張,美貌への願望と現実の容貌との緊張などで

5) 

c . w .  

ミルズ,鵜飼信成・綿貫譲治訳『パワー・エリート』下(東京大学出版会, 1969 pp. 224‑

225. 

‑ 42 ‑

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ある」5)という見解を示している。マス・メディアが大衆を単なる意見の受け手にするばかりで なく,ぼう大な経済力に支えられた広告主がマス・メディアを操作することによって,商品に対 する欲望と,その商品を所有しないことによって生ずる緊張関係をつくり出すと非難している。

テレビとともに時代の花形として,登場してきたのが電気冷蔵庫である。従来の氷冷蔵庫に代 って,経済的であることと家事省力化が訴求された。「氷冷蔵庫の%の費用」(昭30 東芝電気冷 蔵庫)「1日わずか10円の電気代で……」(昭31 三菱電気冷蔵庫)から「食料品のホームデパー ト」(昭34 三菱電気冷蔵庫)「これがわが家のスーパーマーケット.I 小さくてもこんなにた<

さん入ります」 35 NEC電気冷蔵庫)にいたるまで。ときあたかもマイホーム主義が社会 の風潮となり,管理社会化が進むにつれて,マイホームに大衆が憩いを求めるきざしが顕著にな ってきた。だから31年には「おとうちゃん,ビール./ 急いでおうちへお帰り下さい。かわいい 坊やとやさしい奥様,ナショナル電気冷蔵庫には冷たいビールが待っています」と宣伝されて,

電気冷蔵庫がマイホーム主義を助長し(つづいて3C, カー,クーラー,カラーテレビ時代へと 移って行く),幸福なマイホーム像の必需品となる前兆が現われてきた。

「あなたがお召しになれるディオールライン」(昭31 大丸)「すてきな色柄をコンビナートで 楽しむ」(昭36 三越イタリアンルック)「パリからトーキョーヘカルダンがやって来た」(昭36 高島屋•松坂屋カルダン製品)。ファッションはむかしはもともと自然発生的なものであったが,

この時代からまずデバートがファッションを採り入れ,大衆化した。それが次いで繊維メーカー に移って行く。デパートでは顧客は大衆社会の中でも上得意に限られたが,メーカーがファッシ ョンを宣伝すると,一般大衆の間に流行が広まって行く。天然繊維とちがって「石油から生れた 新しいせんい,私に名前をつけて下さい」(昭32 帝人)「ありがとう,石油から生れた新しいせ んい,私の名はテトロンと決りました」(昭32 東レ)のように,新しくテトロンやアクリルな どを生産する合繊メーカーは,大量生産,大量消費を促進するために,大衆の間に流行を広めな ければならない。「テイジンが贈る涼しい夏.I」(昭36 帝人ホンコンシャツ)「春の主役はシャ ーベット」(昭37 東レ)。ホンコンシャツやシャーベットトーンは流行をつくり出すことに成功

した例である。「資生堂口紅,シャーベットトーン,唇をいろどるクールなファッション」(昭37 資生堂)。

アメリカでも,最低にまで落ち込んだ紳士,婦人,子供服とアクセサリーに対する消費支出 1963年から上昇傾向をたどることになる。アメリカの場合,所得が増加したことと,ヤング の購買層が増えたこと,職場に進出する女性が増えたことが挙げられる。わが国でもその後似た ような傾向をたどり,流行をつくり出す主体が,繊維メーカーから繊維製品メーカーヘ,そして 再びデパートがパリやイタリアのファッションデザイナーと提携して,かつては上流階級の高級 衣服であったはずのオート・クチュールやプレタポルテが,大衆の射幸心をそそるための既製服 化する。オルテガは「平均人の生は,以前に最高の小数者だけに属していた生の目録によって構 成されているわけだ」と彼の時代のヨーロッパを明晰に解釈し, 「生の平均的水準がむかしの小

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関西大学『社会学部紀要』第8巻第2

数者の水準であるというのは,ヨーロッパでは新しい事実であるかもしれないが,アメリカでは 本来の体質的な事実であった」6), 以前には思いつかなかった考察を披露し, よい意味におい てではなく「ヨーロッパはアメリカ化しつつある」と慨嘆している。

ケインズのいう絶対的な欲求が,どうやら充たされた昭和30年代の欲望は,向きを変えて,そ れを充たすと,他人よりもえらくなった気がする相対的な欲求に方向を転じた。そして大量生 産,大量消費期に入るとともに, いよいよ広告が盛んになり,大衆心理を自由に操作しはじめ

る。昭和37年には年間広告費が2,400億円を超え,広告費の伸び率が世界で第1位になる。戦後 間もなく生れたアメリカ志向が, その後いつまでも尾を引いて, わが国もアメリカ化しつつあ り,その結果平均人的生を歩みつづけるのであろうか。ケインズは絶対的な欲求は,この種の欲 求が充たされる地点に,われわれが気づくよりも早く到達するだろうが,相対的な欲求は一般的 な水準が高ければ高いほど,ますます欲求も大きくなるから,満足させようとしてもきりがない かもしれないと,孫たちの時代に向って説得した。しかし,この時代にはすでに大量生産,大量 消費の消費社会が形成されている。

皿 昭 和40年 代 の 欲 望

昭和40年代に入ると,わが国の人口が1億人を超え, GNP世界第2位となって,高度経済成 長が板についてくる。当時アメリカの女性はもともと肌が白いのに,海辺で日光浴を楽しんだ り,ホテルのプールサイドで寝そべったりして,肌を小麦色に焼くことが流行した。小麦色の肌 の女性は,金と暇のある証拠で,それが自慢の種になり,他人よりもえらくなった気がしたもの だ。わが国の女性は本来白い肌でもないのに,経済大国の美名に踊らされて,アメリカ女性の欲 望が,日本女性の欲望になる。「お陽さまが味方になる」(昭40 マックスファクター)「太陽に 愛されよう」(昭41 資生堂)「赤道を超えて南の色がやってくる,プロンズサマー」(昭44 生堂)。「太陽に愛されよう」は前田美波里がモデルに起用され,小麦色に焼けた伸びやかな肢体 が話題を呼んで,流行のきっかけをつくった。だが石油ショック後は「煉瓦通りの白い肌」 50  資生堂)「プロンズが消えた昼下り」(昭50 カネボウ化粧品)と旧に復するが,流行とはか

くも移ろいやすく,現代人の欲望とはかくも簡単に,広告で操作できるものなのだろうか。

高度経済成長期に入ると,大衆は欲望を充たす耐久消費財を,ひと通り揃えてしまった。昭和 49年の普及率はカラーテレビ87.9%,電気冷蔵庫98.2%,電気洗濯機97.5%,電気掃除機87.1%

(B.B.R 9月末普及率)などである。 その結果隆盛をきわめるのがレジャー産業である。小麦色 の肌が大衆の欲望を刺激すると,ワンビース,セバレーツ,ビキニとだんだん日焼けする肌の部 分が大きくなってきた女性水着が,レジャーブームに乗ってファッション化してくる。海外プラ ンドとの提携が盛んになり,テイジンとピーターパン,東レとカタリナ,日レとトリンプなど,

6)前掲書「大衆の反逆』 p.399. 

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大胆で華やかな水着が豊富になり,海辺やプールサイドは,水泳のためというよりもファッショ ンショーの銀を呈してくる。

アメリカの歴史学者ダニエル・

J

・プアスティンは, 1958年から1973年の間に『アメリカ人』

3部作を発表した。 1973年に刊行された『アメリカ人』第3部では,南北戦争以後現在にいたる までの約一世紀にわたるアメリカ社会と,アメリカ人の発展変化の状勢を記述している。その中 の「消費社会」の項では,現代のアメリカ社会の変貌のもようをつぎのように述べている。「帽 子や服や靴から食物にいたるすべての物が,新しい社会のシンボルあるいは手段となった。今や 人々は思想の内容よりは消費する物資によって結びつくようになった。比較的旧式の世界では,

人々が所有している物はほとんどすべて1種類につき 1つしかないものだった。新しい世界で は,宝石や芸術作品を除くと, ユニークな物は風変りとされ,疑いの眼で見られるようになっ た。同じ意匠や銘柄の物が他の多くの人々により広く使用されると,これによりその価値が保証 されたと考えられるようになったのである。そして多くの消費者の社会が生みだされた。互いに 見知らぬ人々が,所有者でさえ見分けることができないほどに似かよった物を同じように使用す ることにより結びつけられた」7)

同じデザインやプランドの商品が多数の人びとに使用されることによって,消費社会が形成さ れる国では,マス・メディアで説得技術を駆使する広告が,消費者全員に有効に機能する。この 点についてもプアスティンは「実際に広告は,この商品を買えば,この銘柄の煙草を吸えば,ぁ るいはこの型の自動車を運転すれば,周囲の人々と同じように生活していることになりますと客 に保証する一種の保証書であった。広告の宣伝活動がいっそう大がかりで,広くゆきわたり,効 果的なほど, それだけ強く宣伝活動はその商品に一種の共同社会的な承認印を押したことにな る。たしかに百万人もの人々が間違った選択をするなどということはありえないのだ。こうして 広告は専門家の判断ではある種の消費社会が存在しているとのことであると告げ,あなたも加わ りませんか, と呼びかけるのである」s)と,今世紀のアメリカに消費社会が出現する契機を解明 している。

昭和40年代のわが国に,消費社会が大きく成長する理由は,プアスティンが述べたアメリカの 事情とよく似ている。大衆が精神面でなく,消費する物質によって結びつくようになり,広告さ れるシンボルやイメージが,現代社会に生きる「一種の保証書」の役目を果す国では,人びとは 画ー化され,没個性的になり,非人格化してくる。 「買うという行為は, 1つの対象を決定する ことで完結してしまう。しかし,それだからこそ,買うという行為はあらかじめ選択することで あり, その選択は,市場が提供する種々の可能性に気づくことではじまる。 このことから<買

7)ダニエル・J.プアスティン,新川健三郎訳『アメリカ人・大量消費社会の生活と文化』上(河出書房新 1976 p.  110. 

8)同訳書, p.172. 

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関西大学『社会学部紀献」第8巻第2

う>という面でいえば,生は,まず第一に,購買の可能性を可能性として生きることに存する」9)

とオルテガがいったとき,まだその時点では,消費社会は存在していなかった。彼はただ大衆社 会の出現を予感していただけである。いまのわれわれは「購買の可能性を可能性として生きる」

自由すら失っている。それは「市場が提供する種々の可能性」から選ぶのではなく,企業(広告 主)が提供する種々のシンボル,ないしはイメージの中から選択するからである。

いまのわれわれから見れば,まだしもしあわせな時代に生きていたオルテガでさえ,それにも かかわらず,つぎのように述べている。 「とどのつまり,われわれの時代の高さはどうなのだろ う。それは充実の時代ではない。しかし,それにもかかわらず,過去のすべての時代より上にあ り,知られているすべての充実よりも上にあると感じている。われらの時代が自身で感じている 印象を定式化するのは容易ではないが,現代は,他の時代よりも豊饒であると信じていると同時 1つのはじまりであると感じている。そのくせ,自分がいまにも死にそうであることを否定 する自信もない」10)。われわれよりもはるかに人間的な時代に生きていたオルテガでさえ,当時 の人間が運命に不安を抱き,自分たちの力におびえている状況を描き出している。当時の人びと は過去のどの時代よりも,ゆたかな時代であると信じながら,いったいなににおびえていたので あろうか。

オルテガは『大衆の反逆』に9年遅れて刊行した『技術とは何か』の中で述べている。 「拙著

「大衆の反逆」はその成立を,なによりもまず,わたくしが当時—念のためいっておくが,当 時はいわゆる繁栄の時代であった一~率直に感じていた大きな不信に負うものである。その不信 とは,現在の壮大ですばらしい技術は大きな危険にむかってばく進しているということ」11)と彼 の感じていた不信感を表明している。彼はこの著書の末尾で,テクノクラットたちはデマゴーグ であり,あまり良心的でない,軽率な手合いである,ときめつけたあと「人間の生はたんに物質 との戦いだけではなく,人間と人間の心霊との戦いでもある。ヨーロッパ・アメリカはこの戦い にたいして,いかなる心霊の技術を持ち出すことができるであろうか。この点に関しては,深遠 なアジアの方がはるかに卓れてはいないだろうか。わたくしはもう幾年も前から,ヨーロッパの 技術とアジアの技術とがたがいに対比されるような研究の可能性を,ひそかに夢みているのであ

12)と,東方の国の技術に,大きな期待を寄せた。

だが東方の国の中でも,残念ながらわが国は,オルテガの夢を裏切る結果になった。高度経済 成長が爛熟期に達した昭和40年代には, オルテガが軽率な手合いと評したテクノクラットたち

9)前掲書「大衆の反逆」 p.412.  10)同訳書p.409. 

11)オルテガ,前田敬作訳『技術とは何か」(創文社, 1960 p. 28.  12)同訳書, p.109. 

, 本稿に使用した広告のキャッチフレーズは, 梶祐輔・天野祐吉•福沢一也共著『生きているキャ

ッチフレーズ全書」(自由国民社, 1973年),マドラ・グループ編著『キャッチフレーズ3000選』(誠文堂新 光社, 1976年)に負っている。

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が,社会の技術エリートとして勢威をほしいままにした。その結果,イタイイクイ病,水俣病,

スモン病,田子の浦ヘドロ,光化学スモッグ,チクロの製造販売中止,欠陥車問題,ハイオクガ ソリンの鉛害など,各種公害がいっきょに社会全体の問題として噴出し,この狭い島国は「世界 の公害実験場」と,評されるにいたった。

さすがに消費社会の大衆も自然と人間性の回復を希求しはじめる。「スコーレ,人間を愛し,人 尊間を考え,人間に帰ろう」(昭45 テイジン)「人間回復せんい」(昭45 国際羊毛事務局)「人 間重車」(昭45 東洋工業)「野生の朝がはじまる」(昭46 カゴメトマトジュース)「トヨクは美 しい日本を大切にします)(昭46 トヨク)「人間は人間さ」(昭47 コカコーラ)「1972年,地球 の上にきれいな空を」(昭47 サントリー)「ゆっくり走ろう。ゆっくり生きよう」(昭47 日産)

「人はふれ合いを求めている」(昭48 日立)「グリーン・エイジ1974」(昭49 ホンダ)等々,

数え挙げたら枚挙にいとまがない。しかし,これらの広告が表現している世界は,新雪の輝く山 であったり,あくまでも透きとおった紺羞の海であったり,さんさんと陽の降りそそぐ草原であ ったり,そこで愛を認歌する美しい男女であって, 1年の大部分をスモッグと騒音の中で暮して いるわれわれの日常に比べて,あまりに夢幻的で,一言でいえば,イージーパラダイスに接して いる気分になる。

昭和45年は日本万国博の開かれた年で,ある大企業が未来の人類が過去の時代を回顧するため に,当時の生活資料を詰めたカプセルを埋めたそうだが,もしそのカプセルの中に当時のテレビ コマーシャルや新聞,雑誌広告を詰めたと仮定すれば,何千年か後にカプセルを堀り出した人類 は,過去の広告を見て,昭和40年代のわが国をどんなにか美しい国,楽しい人間生活と想像する にちがいない。だが現実には,マスコミを駆使する広告によって, 「商品に一種の共同社会的な 承認印」が押され,「平均人」の欲望がむやみに肥大化し, その結果, 人間が非人格化して,東 方の国にあった魂の技術が,衰退している社会である。

魂の技術の数少い導師のひとりであった武田泰淳氏の逝去を悼んで,大江健三郎氏が鋭利な弔 文を寄せた。 「大きい人間がなくなった。この人は『人間」という言葉を,その青春から生涯を つらぬいた学問に立って,地上の人間世界の全体をさして使うことがあったが,かれの死によっ てわれわれは,この現実世界にうずめることのできぬ穴ぼこが開いたように感じる。••…•われわ れが穴ぽこに眼を向ける時,人間の滅亡, 「人間』の終末という想念が照りかえした」と,大い なる導きの師の死を悼み,人間の滅亡を痛感している。そして武田泰淳氏が,敗戦によるわが国 の滅亡の認識を出発点として,まったく新しい日本文学の創造に立ち向った道程をふり返り「そ の文学的な道のりから, しだいにく『人間, このいかがわしきもの』『人間, このいやらしきも の』という考えをすっかり棄ててしまって, 『人間,このけなげなるもの』という感慨>がにじ みでてくるのも感じとられた。そしてわれわれは武田さんの,この感慨に鼓舞されたのである」

と,弔いのことばを贈っている。(朝日新聞夕刊,昭和51109

武田泰淳氏が「人間,このいかがわしきもの」「人間, このいやらしきもの」という認識を抱

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関西大学『社会学部紀要』第8巻第2

いたのは戦後のわが国の社会と, その中に住む人間が,彼に与えた動機であったことは否めな い。その人が晩年には「人間,このけなげなるもの」という感慨を抱いてくれた。われわれは大 江健三郎氏と同様に, この感慨に鼓舞される。 しかし, われわれが「人間,このけなげなるも の」に価する道のりは,まだまだ遠くて長い。そのために必要とする目標と手段は,背負いきれ ぬほど多くて重いが,ひとつには西欧の物質の技術と東方の魂の技術をかみ合わせる努力もいる

し,われわれの極度に肥大化した欲望を,笑止千万とあざわらう決断力も必要であろう。

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