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著者 瀬尾 芙巳子

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(1)

販路法則の批判的体系について : アメリカ市場問 題研究のための理論的序説

その他のタイトル On the Critical Systems of "Theorie des debouchees"

著者 瀬尾 芙巳子

雑誌名 關西大學商學論集

巻 2

号 3

ページ 244‑283

発行年 1957‑08‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/00021834

(2)

2  

という問題は︑古典派経済学以来いく度となく設問されたきわめて実践的

な課題である︒アメリカを中心とする現代経済機構の主要な徴表であるところの︑資本主義的景気変動の分析を対

象とするにあたって︑まず本稽においては︑古典的販路法則とその批判的学説を検討し︑景気変動分析における方

法論の問題の所在を確定し︑後続する変動理論展開の序説とする︒景気変動の分析の用具としては︑基礎理論とし

ての資本蓄積論と︑実現理論をふまえなければならないというのが筆者の見解であるが︑その両者によって︑恐慌

ない し景 気変 動の 実在 的基 礎が 確定 せら れ︑ 生産 と消 費と の矛 盾w id er sp ru ch が措 定s et ze nせ られ るで あろ う︒

その場合︑変動理論の論理構成はたんなる抽象段階論にとどまることはできないのであって︑政策的効果に結びつ

くところの現実分析にまで上向することが必要である︒これらのより具体的側面︵利潤率の変動の如き︶の分析は︑

引き続き発表せられるぺき本論︑およびそれに続く諸分析に委ねられ︑本稲においては︑生産と消費との相関

11

矛 販路の梗塞はあり得るであろうか?

瀬 尾 芙 巳 子

ーアメリカ市場問題研究のための理論的序説ーー←

一︑古典的販路法則

二︑景気変動の実証的認証

三︑販路法則の批判的体系

販路法則の批判的体系について

阪路 法則 の批 判的 体系 につ いて

︵瀬 尾︶

四〇

(3)

阪路法則の批判的体系について︵瀕尾︶ (3) 

盾性︑すなわち景気変動の実在的基礎に関する理論的検討に問題が限定せられるであろう︒

一八一七年のリカード

であ ると ころ の︑

︑ 古 典 的 販 路 法 則

l l  

D .  

Ri

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o

の﹃経済学及び課税の原画﹄をもって大成した古典派経済学は︑その完成③ せる体系のなかに恐慌論ないし景気循環論を包括することはできなかった︒﹁近代産業の独自の生活径路﹂の開始③ ﹁外部的事情から起るのではなくて現代経済制度の本質から起る﹂ところの︑最初のイギリス恐

慌は一八二五年に勃発し︑アメリカから始まった世界恐慌はそれから二回の恐慌を経て一八五七年に至って勃発し

︑︑

︑︑

たが︑これらの事態の全面的考察は︑歴史的にそれ以前に完結した古典派経済学の体系のなかにくみいれられるこ

となくして終ったのである︒

山 D

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  1 81 7 

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I•Diez

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 667邦訳長谷部文雄訳日本評論社版第四分冊一四四頁︒

尚︑ヴァルガ﹁世界経済恐慌史﹂邦訳永住道雄訳第一巻第二部十一頁参照︒

M.

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19 01 .

邦訳鍵

本博訳﹁英国恐慌史論﹂一1

四頁

︑︑

︑︑

古典的な市場理論

(T

he

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  Ma

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)

をめぐる論争は︑このような歴史的事情︑︑︑︑︑︑を背景として︑十九世紀初頭の﹁その型からいえば十八批紀の恐慌に属する﹂恐慌を契機として︑リカード

11

セイ

凶 固

11

ミルなどの古典的販路法則の信奉者

11

一般的過剰生産不可能論者と︑マルサス

11

シスモンディなどの過少消費論

者との間にかわされたが︑それらは︑対象の限定と︑かれらの理論の性格のゆえに︑結局周期的恐慌

11

景気循環の

(4)

(4) 

本質を解明することなしに終った︒⑥ ドップも指摘しているように︑古典派経済学の主要な原理は︑貨幣は単なる交換の媒介物であるとすること︑商

品流通を生産物交換に還元することであって︑このことから︑販売は同時に購買にほかならぬという古典的市場法⑧ 則が帰結せられる︒したがって蓄積に伴う販路の逼迫ということは古典派においては問題になり得なかったのであ

O l l l  

愚 の

⑨ り︑必要なことはただ蓄積のみであってここに﹁蓄積せよ!蓄稼せよ!﹂という資本主義生産の規定的動み

が強調されるにいたる︒古典的市場法則においては︑貨幣ヴェール観によって販売と購買との窮梱的な統一ないし

同一性という論理の帰結として一般的過剰生産恐慌が否定せられるが︑そのことは︑労働の二重性←価値形態論の

無視によって︑貨幣を捨象し︑商品流逓を生産物交換に還元するところにその論理的基礎を有している︒

︑︑

︑︑

︑︑

勿論リカード体系においては︑資本蓄積の内部に矛盾を認めなかったのではない︒周知の土地収穫逓減←労働の︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑限界生産力逓減←穀物価格騰貴←労賃の長期的騰貴←利潤の長期的低下傾向というシニーマは︑蓄穣に危機をもた

e  

らす長期的な資本の過剰として趨勢的に把握せられているが︑その長期的な傾向の動因は土地収穫逓減という資本

蓄積の外部に措定された自然的与件であり︑資本の生産過程の内部においては︑賃金と利潤との対抗性に伴う長期的

︑︑

資本過剰としてのみ把握されている︒この点は︑マルクスによっても受けつがれ︑短期的な景気循環の一側面の解

マルクスの考察した資本の生産過程と流通過程との統一としての総

11

再生産過程朋にもちいられているが︑他方︑

︑︑

の分析とそこにおける一般的過剰生産は︑流通面における市場問題の欠落によって︑リカード体系においては解明

せられず︑流逝過程における﹁販路法則﹂の命題はその後の正統的経済学を支配したのである︒

D .   R i c a r d o " i b i d .

;   d i t to : L et t e rs   o f   D av id   Ri ca rd o  t o   T .

  R

.  M al th us  1 81 0‑ 18 23 .  (中

'野 ユ止 訳

i

﹁ リ カ ー ド の マ ル サ

阪路法則の批判的体系について︵瀬尾︶

(5)

(8)  (7)  (6)  (5) 

阪路法則の批判的体系について︵瀬尾︶

スヘ

の手

紙﹂

︶ J .B . Sa y: r   T ai te   d' Ec on om ie  P o l i t i q u e . 1 8   0 3 

(増井幸雄訳﹁セイ︑経済学﹂︶

d i t t o : Le tt er s 

Ma lt hu s  su r  D i ff e r en t s   s u j e t s d  'E co no mi e  P o l i t i q u e 1 8 .   2 0 

(中野正訳﹁マルサスヘの書簡﹂︶

J . Mi ll

"

Co mm er ce   De fe nd ed .  1 8 0 3 .  

T•R.

Ma lt hu s"

Pr in ci pl es f     o P o l i t i c a l   E co no my o   C ns id er ed   Wi th   a  Vi ew   to   Th ei r  P r ac t i ca l   A p p l i c a t i o n

・   1 8 2 0 2,   d  e d .   1 83 6

 (吉田零パ夫訳﹁マルサス︑経済学原理﹂︶

J . C .   L .   S im on de e  d i  S sm on di

"

No u' ve au x  P ri n c ip l e   d' Ec on om ie   Po l i t i q u e .   1 8 1 9

.  

( l m

‑ E :

1

止朔訳﹁シスモソディ︑新経済学原理﹂︶

d i t t o : Et ud es   sur '   d Ec on om ie   P o l i t i q u e .   1 83 7

8 . Ma ur ic e  Do bb :  P o l i t i c a

" l   E co no my n  a d  C a pi t a li s m .  c h a p . 2 .  

(岡稔訳﹁ドッブ︑政治経済学と資本主義﹂第二章︒︶

この点についての︑リカード

11

セイの立言はつぎのようたものである︒﹁生産物はつねに生産物又は勤労によって購買せ

られるものであって︑貨幣は単に交換を行う媒介物にすぎぬものである︒﹂

( D . Re ca rd o: Pr in ci pl es o f     P o l i t i c a l   Ec on om y  a nd   Ta xa ti on

;  e d .   b y  S r af f a   p .   2 91

│2 .

小泉訳旧阪二八五頁︶﹁菰は商品はつねに商品と交換されるとい︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ったおぼえはなく︑混のいったことは︑生産物を購買するものは生産物にほかならないということであります︒﹂

(M el an ge s  e t   Co re sp on da nc e  d

̀E co no mi e  P o l i t i q u e d,   e  J .   B .   Sa y,   pa

r  C ha rl es   Co mt e.   18 3 3 .

中'

野ユ

正訳

﹁恐

慌に

関す

る書

簡﹂

1一九頁︶︵傍点原文のまま︶

古典的市場法則はその大成者によって︑つぎのように定式化されている︒﹁生産物に対して販路を開くものほ生産である︒

・・・・・・生産を完了した生産物は直ちにその瞬間からその価値の全額だけ他の生産物にたいして阪路を提供するものである︒

・・・・・・ゆえに一生産物が形成されるという単なる事実が直ちにその瞬間から他の生産物に対して販路を開く︒﹂

( J. B . Sa y"

  Tr ai te  d 'E co no mi e  P o l i t i q u e 1 8 .   0 3 

p .  

1 63

1 6

7 ~井訳上羮芸一九九ー一110七頁)「諸商品の生産は生産される諸商品

のための市場を作りだす︒そしてこれはこの市湯を作り出す唯一のそして普遍的な原因である︒

. .  

⁝・‑国民の需要はつねに一国民の生産物にひとしい。」(J•Mill:

Co mm er ce   De fe nd ed .  1 8 08   p.8 11 83 )

﹁何人も消費するためもしくは売却するため以外に生産を行うものでなく、そしてかれは直接己れにとって有用であるか、あるいは将来の生産に貢~しうペ

き他の何れかの商品を購入する意図を以てする以外にほ︑けっして物を売却するものではない︒されば生産を行うことに

よってかれは必然にかれ自身の商品の消費者となるか︑あるいは︑誰か他人の商品の購買者かつ消費者となるかの何れか

(6)

当 時 の 市 場 論 争 に お い て

︑ 古 典 的 な 調 和 観 に 支 配 せ ら れ て 科 学 的 な 販 路 の 理 論

11

実 現 理 論 が 完 成 さ れ な か っ た こ と は

︑ 古 典 的 市 場 法 則 の 批 判 者 マ ル サ ス

11

シ ス モ ン デ ィ の 見 解 を み る こ と に よ っ て よ り 明 ら か と な る

マルサスは、リカードにしたがって、資本蓄積の内部において、土地収穫逓減を基礎とする労賃•利潤の対抗性乳

が 利 潤 率 の 低 下 と 蓄 積 増 進 の 停 止 を も た ら す と い う 命 題 を 継 承 す る が

︑ そ の 場 合 に

﹁ 絶 対 的 条 件

﹂ と し て

︑ 地 代 が 地 主 に よ っ て 収 取 さ れ る と い う こ と が こ の よ う な 資 本 蓄 積 の 行 わ れ る 場 と し て 前 提 せ ら れ て く る

︒ 本 蓄 稼 そ れ 自 身 の 内 在 的 論 理 に の み 立 脚 し て い た た め に

︵ か れ に よ る 価 値 法 則 の 堅 持 を み よ

u 2 )   U l )  

(10)  (9) 

であ

る︒

﹂ ( D . Ri ca rd o"

ib id .  p 2 9 .   0

前出

訳二

八三

頁︒

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑リカードは上述の基礎に立ちつつ﹁需要には制限がないーー'多少の利澗を生じるかぎり貴本の使用には制限がない︒そし

て資本がいかに幾富となっても利潤の下落に対しては賃金の騰貴以外に充分な理由は存在しない﹂という﹁結論﹂ーー'を

薄き

だす

︒ ( Ri c a rd o : ib i d .p . 2 9 6

訳二八九頁︶このようにリカードの体系においては︑過大賃金の支払による利潤率の低

下以外に︑資本の過剰はありえないことになり︑阪路の梗塞による投資の制限は問題になりえないことになる︒

﹁必要なものはただ資力

me an s

のみであり︑そして汽力を提供しうるものは︑生産の増加以外にはないのである︒﹂

(R ic ar do :  i b i d .   p . 2 9 2

二八五頁︶ここに︑古典派経済学の生産のための生産という立言︑再生産過程のp

p

•••

把握が必至

となっている︒マルクスの体系では︑これが︑生産された商品価値の実現たる阪売

W

▼︑

│G

`を

発端

11

前提とするところの

w`·:W、把握に引きなおされており、ここに、Fルクス体系における、抽象の一階梯としての再生産表式—ーW`···W`

把握による個別資本の社会的総連関と社会的総費本の素材的・価値的棋補の認識のもつ理論的意義と︑販路法則に立脚し

︑︑

たリカード

11

セイ的な俗流的な個.々の一回かぎりの販売

11

購買行為の一致という表象との質的な差異が存在する︒

Ka rl   Ma rx :  D as   Ka p i ta l

I .   .  

ch ap .  2 3  D ie z  V er la g  B e r i l i n .   p . 6 2 4

長谷

部訳

日評

阪第

四分

冊六

一︱

︱ー

四頁

︒ Ri ca rd o"

ib id .  ch ap

.  6の各所︒また︑﹁一国において生産的に使用しないほどの資本額が若禎されるということ[註│資

︑︑

︑︑

本の過剰]は必需品騰貴の結果賃金が騰貴し︑従って資本の利潤として剰らされるものが蓄糠の動機を終息せしめるほ

ど僅少となるときまではおこりえぬことである︒﹂

( i b i d . p . 2 9 0

二八

1一 頁

販路法則の批判的体系について︵瀕尾︶

単 な る 価 値 移 転 と

四四

リ カ ー ド は

︑ 資

(7)

販路法則の批判的体系について︵瀬尾︶四五 一般的過剰生産の承認がなさ ﹁消費﹂や﹁蓄積﹂という言葉の背後に︑蓄 刈nu 

しての地代が蓄積にとっての冗費であり︑蓄積にたいする阻害であるとして地主的利害を攻撃したが︑⑮ おいては︑地主的利害と社会の一般的利益との一致が強調せられる︒このような第三の階級を資本蓄稼にとっての

条件として設定することが︑マルサスによる有効需要論の提出の性格であった︒それゆえにそこでは︑資本蓄積の

内存的論理のなかから市場問題を提出するのではなくして︑すぐれてイデオロギッシュな地主弁護論としてかれのハ有効需要論が展開せられてくるところに特徴がある︒

マルサスの過少消費説

スはセイ

11有効需要論によれば︑有効需要の存在こそ生産ないし蓄稼の規定的誘因である︒マルサ

11

リカードの古典的市場法則を批判しつつ︑有効需要は蓄稼に必然的に随伴するものではなく︑かつ貯蓄餅部分の増大によっていっそう制限されたものとなることを指摘する︒マルサスはかように消費の抑制←有効需要の

不足によって一般的な供給過剰および資本の過剰を認めるのであるが︑この論理には︑のちのケインズ体系におけ餅⑫ る有効需要の不足

11

資本過剰︵投資にたいする貯蓄の過剰︶という命題の煎芽がみられるようである︒

おいては一方では︑人口の増大よりも急速な資本蓄積ということによって短期的な商品過剰

11

資本過剰が指摘され︑︑︑︑︑︑るが︑かれにとってより重要なことは︑奢移品および便宜品にたいする有効な嗜好が緩慢に成長し︑それによって

⑫ 増大せる生産力の果実にたいする需要の欠乏がもたらされることである︒そこではこのような個人的消費の制限性砂⑫ に加えて貯蓄が有効需要の不足をもたらすことが明白に説かれるのみでなく︑更に進んでマルサスにおいては︑蓄

墨耕自体がこのような消費の相対的不足をもたらすのであるここで︑

稲のために必要な生産財の消費という事実がまったく無視され︑その基礎にたって︑

れているのである︒生産された生産物

11

商品資本

W

の意大な部分が生産財の形態で集精され︑それが他の資本にと マルサスに マルサスに

(8)

n 8 )  

07)  U6)  U5)  U4) 

u 3 )  

販路法則の批判的体系について︵瀬尾︶

ヽ ヽ ヽ

mっての生産資本

p

として︑生産的消費のために購買されることが︑再生産過程における重要なメカーーズムなのであ

マルサスの再生産

11蓄積論には︑この転態過程の分析がまったくみおとされている︒このために﹁蓄積にた

︑︑

︑︑

いする過度の情熱﹂のもたらした潅大な︑無差別的な生産物の集積を前に︑彼は無棚念的な︑個人的﹁消費﹂者を

探さねばならないのである︒このような総生産物の消費財への還元︑及び﹁消費﹂の個人的消費のみへの還元の基⑳ 礎に立ってマルサスは︑﹁生産する以上の物質的富を消費する意志と能力との両者をもつ者﹂としての一大階級︑四すなわち地主を先頭とする不生産階級を︑この過剰な消費財生産の果実の消費のために導入する︒

みられるように︑

ているのであって︑生産手段

C

のための市湯の存在ということが全く欠落している︒したがってかれの過剰生産の

承認は︑全く消費財についての過剰であって︑奢修品使用階級の存在が︑資本蓄積の円滑な進行の前提として必要

とせられたゆえんである︒ る

が︑

T•R.

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  1 9

5 1  p

.2

71

‑2

 

九五

頁︒

Ri

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p.

2  3

 

Ma

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hu

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.  3 

s ec .

8  

この点のたち入った考察については︑マルクス﹁剰余価値学説史﹂マル・エン全集改造社版第十一巻六四ー五頁参照︒

Ma

lt

hu

s:

 P r

i nc i

p le s

.   p .   3

11

│2

邦訳下一七七ー九頁︒

i b i d

.   p .  

3156邦訳下一八八—九頁。この論理はつぎの通りである°「[蓄積の進行]においては明らかに、以前には個人 的奉仕に従事していた者が︑資本蓄禎によって︑生産的労働者に転換せられるがために︑異常の分量な総ての種類の商品 が市場にあるであろう︒しかるに労働者の数は全体として同一であり[註ー

Vの実現

r

そして地主およぴ資本家の間に マルサスの過少消費説

11

有効需要不足論は︑

吉田訳下

スミ ス

11

リカード以来の

V + w

ドグマに立脚し 四六

(9)

(20)  (19) 

販路法則の批判的体系について︵瀬尾︶

四七

k おける消費のために購買せんとする能力および意志[註

│ w C

k現]は仮定によつて減少されているのであるから[註1こ

のからという論理に注意'‑]︑商品の価値ほ労働に比較して必然的に下落し︑ひいては利潤をきわめて著しく低め︑そし

てしばらくの間より以上の生産を妨げるにいたるであろう︒しかしこれこそが正に供給過剰なる語の意味するところであ

り︑しかもこの湯合︑それはあきらかに一般的であって︑部分的ではないのである︒﹂

(P .3 16 .

1八九頁︶ここでは︑全生

産物が消費財>および

v i k

として把握され︑生産財のための市場が︑蓄稼に伴うCと山.との増加につれて拡大するという点

が看過されている︒

V+M

ドグマと二部門分割の欠如が︑マルサスの過剰生産論の内容を支えているゆえんである︒

﹁それに使用された労慟に比例して通常よりもより高い交換価値[註̲正し

V

は使用価値というぺきでぁる]を有すると

ころの市場に投ぜられた一新商品が︑まさに需要を増大させるにいたることほ容易に認められるであろう︒けだしそれは︑

たんなる分量の増大ではなく︑その生産物が︑社会の嗜好︑欲求および消費によりよく適合せることによる価値の増大

を︑意味するからである︒しかし︑この種の商品を製造または獲得することは︑著しく困難なことである︒そしてそれほ

確かに資本の蓄積と商品の増大とに自然的かつ必然的に随伴するものではなく︑かかる蓄積と増大とが消費の節約により︑

またはまさに需要と価値との要素たる嗜好および欲求への耽溺の抑制[註│貯蓄の増大]により︑もたらされたときにほ︑︑︑︑︑︑︑︑別してそうである︒﹂

(M al th us

"

ib id .

p . 

31 8.  

1九ニー︱︱一頁︶︵傍点引用者︶︒こうしてマルサスにおいては生産の増大が需

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑,

要の増大をもたらすのは︑効用の増加を媒介としてであり︑しかも︑貯蓄の存在によって︑直ちに需要の創造になりえな︑︑︑︑︑︑い部分が存在することを認める︒したがってそこでは︑生産と消費との同一性というリカード

1 1セイ的命題は全く否定さ

れている︒

こうした考え方は︑マルサスが引用しているように︑リカードにもみられる︒

(R ic ar d0

"

ib id . p. 29 3

二八六頁︶この点

は︑リカードによる資本の過剰

11

商品の一般的供給過剰の事実上の承認であるが︑ここでも︑リカードの市場理論におけ

V+M

ドグマの貫徹が︑すなわち︑菩積における

CI

産の増大のみしか理解しなかったのである︒このことほ︑アダム・スミスとともに︑菩被をば︑単に生産的労働者による ︑︑︑︑︑︑︑︑︑ I生産財市場の問題の欠落がみられる︒かれは若積による消費財生

剰余生産物の消費としてのみ︑すなわち菩積ファンドMの

M i への転化としてのみ︑把握していたところに根源がある︒

(R ic ar do

"

ib id

1p . 

51  

I――七頁註)これにたいして蓄稼ファンド

Ma

が、労賃部分

Mi のみではなく‘•生産手段訟との両者

に配分されるということが︑マルクスによる古典的蓄煎論にたいする重要な批判点の︱つである︒ついでながらケインズ

(10)

(25)(24) 

( 2 3

)  ~2) 図1)

体系においては︑C

が企業の所得として︑所得概念のたかにふくまれているのであるから︑この点では︑一応古典的誤謬

は克服されている︒ケイソズ体系をV+Mドグマとして批判する遊部久蔵氏︵﹁近代経済学と価値論﹂購座﹁近代経済学

批判﹂第二巻所収︶にたいする川口弘氏の反批判︵﹁﹃ケイソズ批判﹄の批判﹂経済評論昭和=二十二年五月号所収︶参照︒

なお最近の端的な文献として︑

H . C

. E

de

A .  

T .  

Pe

ac

oc

k:

 N

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l  I

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om

e  a

nd

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al

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co

un

ti

ng

19 54  ( 久

︑ 武雅夫︑藤択袈裟利訳︶をみよ︒そこでは﹁企業による所得支払の合計は︑企業の生産物の価値合計と等しい︒﹂すなわ

ち﹁所得には利潤も含まれている︒﹂︵

p. 19 1

1︱︱一頁︶そのさい﹁利澗は減価償却を差引かない総額として含められている︒﹂

(p .5 7

五八ー九頁︶かくて︑企業の所得は︑CプラスMにひとしいであろう︒

Ma

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 i b

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p .  

320‑1.一九四ー六頁︒

i b i d

.   p . 

32 3.

二〇ニー三頁︒かくて︑﹁いかなる国民も︑消費の永続的減少[註̲貯蓄の増大]より生ずる資本の若積によ

っては︑おそらくは富みえない︒﹂

( i b i

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p . 

326 

1 1

︱︱︱一頁︶﹁ほとんどすべての商人および製造業者は︑繁栄期には︑⁝

国民資本が増大しうるよりもはるかにより速かに貯菩する︒しかし︑もしこのことがかれら全体にとり真実であるならば︑

かれらの現実の習慣を以てしてはいろいろの生産物を交換することによって︑かれらが相互に適当な市場を供しえないこ

︑ ︑

とは︑全く明らかである︒﹂

( i b i

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p . 

40 0 1

一一五二頁︶前者では︑マルサスがCの認識を欠いていたために︑貯蓄を︑あら

̀ ゆる消費市場の抑制として把握していたことがあきらかにみられる︒この貯菩は︑実は生産的消費に投資されるのである

が、この観点はここでは全く欠落する。他方後者には貯巷•投資の不一致による不況認識の萌芽がみられる。

Ma

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32 5.

二〇五頁︒

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.   p . 

40 0.

二五

1一 頁

i b i d

.   p . 

4 0 5 .   4 0 6 .

︱︱一六ニー五頁︒マルサスにしたがえば︑政治家︑兵士︑利子生活者の存在もまた有効需要を保証する

ものとして有用な階層である︒

( i b i

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p . 

40 9.  

I︱︱六八頁︶﹁利子生活者の安楽往生﹂を説くケイそスは︑マルサスを継承し

つつ︑そのイデオロギッシュな側面を揚棄している︒リカードにとって地代が資本家における冗費であると同様に︑ケイ ッズにおいては︑利子は︑企業者にとっての冗費であるとせられているからである︒この地代

11

利子に対するリカードと

ケイソ︒スの問題意識の変化には︑資本主義の構造的変化が看取せられる︒ 販路法則の批判的体系について︵瀬尾︶四八

(11)

販路 法則 の批 判的 体系 につ いて

︵瀬 尾︶

実現の問題は︑ ただそれだけのことで国内に渋滞が起るのである︒﹂

四九

﹁社会はその所得によってのみ購買できるものであ

このようにして︑市揚梗塞ないし攪乱が直ちに生産と消費と

﹁生産と所得と消費との⁝⁝均衡が破れれば う命題にたいして︑ かれの市場問題を提起した︒

シスモソディほ︑当時の急速な資本制蓄積の進行という歴史的現実に当面して︑蓄稜のこのような急激な進行に

たいする不信という立場から︑⑳ 

の礼讃者︶として行われる︒リカードの命題は︑生産がそれ自休みずからのための市場をつくり出す︑ということ であるが︑シスモンディはこれを批判して︑セイ

1 1リカードの無制限な消費︑またはその生産のみによる限界とい

︑ ︑

﹁消費ほ所得によって制限されている﹂とし︑当時の﹁市場の梗塞﹂の責めを無制限な生産を

かれの批判ほ︑八

l a u d

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往時

贅美するかれらに帰しつつ︑生産が﹁所得を有する消費者﹂によってもっぱら規制されているということを主張す

り⑫ 

る︒シスモンディによれば﹁絶対的消費は⁝⁝再生産を規定する﹂︒

の矛盾に帰せられるのであって︑そこに﹁果しない生産を奨励する人々の誤謬﹂が説かれ︑蓄積のより漸進的な進

⑳ 

行が願望せられてくる︒その場合のシスモンディの蓄稼論においては︑かれは﹁消費元本﹂のほかに﹁固定資本﹂

g l l l  

n u 

と﹁流動資本﹂とを認め︑播種のための﹁種石﹂や﹁原料﹂および固定資本の減耗分が再生産されねばならないこ とをある箇所では認めつつ︑実現の問題の考察にあたっては︑このみずからの指示を放棄し︑

V+M

ドグマを踏襲

d

m

してしまう︒﹁再生産資本の補填﹂がときに思い出されて所得の一部分として包含されるとはいえ︑終局的には忘

A廿

ヽ ヽ ヽ ヽ 侶

れ去られて︑国民所得

11

国民支出が消費元本と等置される︒

る ︒ ﹂

m5  

る︒こうして過剰生産による減価も>と

M

についてのみ考察されるにすぎない︒このようにシスモンディにおいて

﹁富者﹂による奢移品

( I I M )

と﹁貧者﹂による生活資料

( I I V )

の消費の問題に還元され

も︑実現理論のなかでは︑生産が個人的消費にのみ連繋させられ︑生産手段のための市場という問題がまったく無視

(12)

6 1 ) ( 3 0 ) ( 2 9

)(28)  (27)(26) 

一般的過剰生産︑ないし︑それをその一極にふくむところの資本主義的景気循環に関する全面的検討

︑︑

︑︑

ほ︑この段階では︑まだ科学的には展開されるにいたらなかった︑とみることが正しいであろう︒

Ma

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O.

邦訳七

0

頁 ︒

Si

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: 邦訳上﹁第二阪への序文﹂三六六頁︒なお︑シスモソディによれば﹁消喪者がいつでも限りのない生産物を

消化することのできる限界のない力と想像することほ︑大部分の近代経済学者が陥っている大きな誤謬である︒﹂︵九六頁︶

としてセイ

1 1 リカードに対する直接的批判を提起する︒

前掲書一1

一五

ーー

ニ七

頁︒

前掲書一〇七ー八頁︒

前掲書一

0

四頁︒一

0

九頁︒一1八頁など︒

﹁再生産は︑加工された原料

[C

]と︑労働者が労働中に消費した生活必需品[註ー正し

V

ほ労賃

v ]

とヽ織機その他ご切

の固定資本が生産中に減損した割当高

[C

]と︑さいごに︑労働に出資し︑そこから利益を得たいという希望だけで配慮と

危険とを冒したすべての人々の利得

[M

]とに相当するものでなければならない︒﹂︵前掲書︱︱一頁︶ここでは︑再生産が

した がっ て︑

販 路 法 則 の 批 判 的 体 系 に つ い て

︵ 瀕 尾

︶ 五

〇 覇 り n u n u  

されてくる︒シスモンディによる過剰生産論すなわち﹁消費を凌駕する生産の結果たる困窮﹂の理論は︑こうして︑

資本制生産の矛盾を︑すなわち︑﹁一方における生産力の自由なる発展︑および同時に商品からなりたつ販売されね

6 a

2  

ばならぬ富の増加と︑他方における︑基礎としての生産者大衆の必要な生活手段への局限︑この根本矛盾﹂を感じ

とることによって︑恐慌がリカードにおけるような偶然事ではなくて︑﹁内在的矛盾の本質的爆発﹂としてとらえ

ているのであるが︑その場合に︑資本主義市場の性質を理解することなく︑当時において分解し窮乏化しつつある餅

中産者層の局限された個人的消費の観点に依拠することによってのみこれをなしたのである︒このいみで︑リカー

セイ的な古典的市湯法則は︑生産のための生産・蓄積のための蓄積という資本制蓄積および市場問題1 1

( 1 1

実 現

nW

 

に理論︶の本質を直観的に把えたものとして︑むしろより生産力的な理論的・歴史的意義をになっていたのである︒

(13)

販路法則の批判的体系について︵瀕尾︶ 躙 園 斡 閲 闘

C+

>+

Mとして︑正当にも把握されている︒︵傍点引用者︶しかるに個別的な再生産におけるCの認識は︑社会的に連結

された国民所得が考察に上るやシスモソディの視野から消え失せてしまうのである︒

前掲書一ー五頁︒﹁年生産すなわち国民によって年内になされた一切の労働の成果も二つの部分からなる︒そのーつは:・

富から生ずる利潤

[ M

]

であり︑他は・・・労働者階級の生活資料

[V

]

であ

る︒

前掲書︱︱六頁︒一︱八頁︒一ー九頁︒かれはここでは︑﹁固定資本の年減損に対応する本源的労働によって彼自身および

それらの資本の所有者たちがその権利を獲得した所得﹂という表現を使い︑所得のなかに減価償却を含めているのであっ

て︑のちの近代経済学の所得概念に接近している︒前出註

( 2 6

)のピーコックの概念をみよ︒シスモンデイの所得概念には

この側面の混入していることを逸することはできず︑かれのV+Mドグマを批判するにあたって注意すべき点である︒

前掲粛第六章は︑Cの欠落という観点で支配されている︒﹁国民所得は国民支出を規定しなければならず︑後者は︑消費︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑元本として生産の総計を吸収しなければならない︒﹂︵ーニ

0

頁︶︵傍点引用者︶

前掲

害︱

︱︱

1一ー五頁︒﹁生産はそれがもはや所得と交換されないようになるや否や停止するものである︒﹂︵九九頁︶

マニュフアクチャ︑︑︑︑

このことを数字をあけてツスモソディは計算している︒かれの例によれば︑ある製造工場において︑はじめに︑百人の労

働者が一人当り年に一︱ー百フラソを受け取り計一1一万フランの労賃を得るとする︒

(l l>

︶他方︑十万フランの流動資本が年に

一万五千フラソをもたらし︑その中六彩の利子六千フランを控除したのちの九千フランを利潤とする︒

( I

I M

)

翌年

には

1 1

百人の労働者を一人年二百フラソで雇い労賃合計四万フラソを与える︒

( I

I V

)

他方︑二十万フランの流動資本を投下し︑四

彩の利子八千フラソを支払い︑一万六千フラソを利澗とする︒別に二十万フラソの固定資本を投じ︑四%の利子八千フラ

̀

ソと八%の利潤一万六千フラソを得る︒こうしてこの年度においては︑利子が合計一万六千フラン︑利潤合計が一一一万二千フ

ラソである︒

( I

I M

)

こうしてはじめの年度においては︑総所得

(I

IV

+M

)は四万五千フラソであったが︑つぎの年度におい

ては︑総所得

(I

IV

+M

)は︑八万八千フラソとなる︒このように総所得は二倍たらずに増加したが︑生産物は︑雇傭労働

カの倍加と︑固定資本の使用による生産能力の倍加によって︑四倍に増大したと仮定される︒これはどういうことであろ

うか?みられる通り︑シスモソディは︑労賃以外の流動資本の価値および固定資本の償却分の価値の再生産

( I

I C

) を全く

排除しているのである︒しかるにかれはこのことに全く気がつかず﹁販売の困難﹂をここから郡き出す︒﹁︵このように︶

生産が四倍となり︑梢費が二倍になるにすぎない時には︑どこかに生産が1一倍となるに止って︑しかも消費が四倍となる

(14)

経済学の正統的学派において︑古典的販路法則は︑完全厖傭といういま︱つの命題とともに依然として維持せら

れたのにもかかわらず︑事実的諸関係は理論的表象にかかわりなく進行し︑

期的な循環を繰りかえしつつあった︒そこでこれらの諸現象の観測が︑十九批紀の終り頃から確立することとなる︒

躙 園 閲 罰

産業が存在する必要があるからである︒[!]さもなければ正に商業の過重在荷︑販売の困難︑そして最後に損害が生じな

ければならない︒[!]それぞれの製造業者は他人を︑外国人をあてにしている︒⁝⁝だが:・⁝‑エ湯について最初におこ

なった計算は︑直ちに全国民に︑そしてついには既知の世界市場全部に適用されるであろう︒﹂(‑︱

10

八ー

1‑

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0頁︶シス

モンディはこのドグマによって︑リカード

11

セイ的な公理を﹁根底から拒否﹂︵三︱︱頁︶するものとする︒シスモンディ

ほ生産財Cの価値補棋のための生産財市場の存在を無視することによって︑﹁製造場の生産はもはや市湯の需要と比例し

︑︑

︑︑

ない﹂︵三一三頁︶ことを提示し︑かれの過剰生産論をここから導き出すのである︒

前掲

密一

1

︱︱

一頁

︒ Ma rx :‑ a.

  a.

0.邦訳六九頁︒

シスモソディはいうーー̲﹁国民全体をたえず就業している生産的労働者の一大集団に転化することは富の原動力になるの

とは反対に︑一般的な窮乏を惹起するであろう︒﹂︵九八頁︶これは︑資本制蓄糠の進行に伴う階級分解にたいする不信の

表明であり︑資本制蓄積がみずからの市場を見出すというリカード

11

セイ的命題とするどく対立する︒シスモンディによ

れば中産者層のかかる分解こそ奢俊品市場におけるMの実現を阻害するものである︒︵九八

‑100

頁 ︶

M e の観点の欠落に

よる︑ッスモンディの後向きの中産者的立場の固守︑当時進行しつつあった階層分解に対する慨歎的立場が︑ここにみら

れる

以上のとくにシスモンディに関する実現論的見地からみた古典的文献として

W .

I•Lenin"Nur

Ch ar ak te ri st ik  d es   ci ko no mi oc he n  Ro ma nt is mu s 

( f f i : :

訳全集箪t二巻所収︶邦文では︑宇高基輔氏﹁再生産諭と恐慌との連緊について﹂

︵﹃

社会

科学

研究

﹄第

1一巻第一号所収︶︒なお

Ro sa Lu xs em bu rg :  D ie   Ak ku mu la ti on   de s  K ap it al

の第二編参照︒

︑ 景 気 変 動 の 実 証 的 認 証

販路法則の批判的体系について︵瀕尾︶

一八五七年以来の世界恐慌は︑その周

(15)

販路法則の批判的体系について︵瀬尾︶

と市場の予測に資することである︒ジュグラー② 

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やトウガン・バラノフスキー その主要対象は︑周期性の発見と︑循環における産業諸指標の変動を実証的・統計的に研究し︑企業家行動の参考

C .   J

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のいわゆる十年毎の﹁ジュグラー波﹂の研究以来マッ③ 

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プニアチアンクス・ヴィルト④ 

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が詳細な恐慌史研究を行ったが︑

一九

0

七年の恐慌を契機として一九一三年にアメリカ合衆国において

連邦準備制度

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が樹立された頃から︑景気予測は先進資本主義国において本格的な事業

の一 っと なり

一九

0

年にはアメリカにおいて

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ということがきわめて実践的な要請となっていったことが挙げられねばならない︒すなわち︑

ルガン財閥の指導の下にアメリカ鋼鉄トラスト

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が創設され固た︒その初代の理事長であるミッチェル

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は景気循環論に関する大著をあらわし︑これに先立っ⑧ たヘンリー・ムーア

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とともに︑統計

的経済学による景気循環の実証的研究が確立せられる︒こうしたアメリカにおける景気循環の実証的研究の背後に

産業資本の終局的確立とともに︑巨大な独占企業が形成され︑金融資本ないし独占体による景気の観測とその支配

一八八二年以来のロックフニラ

ーの石油トラスト

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一八

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年︶などの禁止にもかかわらず︑

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0

四年のいわゆる

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を経て︑その産業界にたいする強力な支配を確立

しつつあったのであって︑これらの独占体の市場問題にたいする高度な実践的要請が︑イギリスを中心とする正統

的経済学にかかわらず︑こうした景気循環の実証的研究を必要としたのであった︒なおこれらの外にも︑十年周期 ま ︑," 一八六一年ー五年の南北戦争後︑

一八

六五

年︑

が設 立さ れ︑

一八

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一年

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一八七三年の世界恐慌を経て︑鋼鉄・石炭・石油を中心とする

(16)

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茶賦和以゜廷鐸咽釦疇懇暉漉監臨畔忙報罪壽拠

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....)¥..J ニマ゜

(N)  (I)  (8)

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(9)  (9)  (8) (6)  (l) 

(OP 

C.  Juglar:  Des  Crises  Commerciales  et  Leur  Retour  Periodique  en  France,  en  Angleterre  et  aux  Etats‑

Units.  1862.  Max  Wirth:  Geschite  der  Handelskrisen.1857

.和ぢ匹知J叫立む心'iJA」や出錢組紐暉鐸畔

サ内全Qサぃ以翌べ心共ドニ#゜「築返心担丑,..)'戎心二ば感令廷玲共戌心‑<々心晦善店紐帽チ心#父Q啜或Q+捻壮

菰廷',...)I',fut::‑,..)社挙潔'囲出姦淀Q速索.¥.!(':;,I‑'Q歯嵌',...)社茶C¥‑'出以仕Aヂ戎共'柴返中QQQ座ヌQ宙娯出囚~,oo」(綜111<ギ回婚虻似)

M.  Zugan‑Baranowsky:  Studien  zur  Theorie  und  Geschichte  der  Handelskrisen  in  England.  1894.  M.  Bouniatian:  Geschichite  der  Handelskrisen  in  England  im  Zusammenhang  mit  der  Entwicklung 

des  Englischen  Wirsschaftslebens  1640‑1810.  1908.  W.  C.  Mitchell:  Business  Cycles;  the  Problem  and  its  Setting.  1927,  Arthur  F.  Burns  &  W.  C.  Mitchell: 

Measuring  Business  Cycles  1946..fu

江疇翠疇戸紐

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Business Cycle 

"山條如ピ心゜

He)lry  L.  Moore:  Economic  Cycles;  their  Law  and  Cause.  1914. 

W.  M.  Persons:  Indices  of  General  Business  Conditions.  Review  of  Economic  Statistics,  Preliminary  Vol.  I.  1919. 

C.  Snyder:  Business  Cycles  a‑nd  Business  Measurement.  Studies  in  Quantitive.Economics..  1927.  E.  Wagemann:  Konjunkturlehre,  eine  Grundlegung  zur  Lehre  von  Rhythmus  der  Wirtschaft.  1928.  A.  Aftalion:  Les  Crises  Periocliques  de  Surproduction.  1913. 

(17)

阪路法則の批判的体系について

一九二七年のミッチェルの書物においては、景気循環に関する学説として、天候

(W•Herschel,

W.   S . 

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Moore)、価格や註文の不確実性(c.o•Hardy)、事業決意における情緒的要素(A.

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M.B•Hexter)を重視する見解に加えて、発明、革新(J.

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や、 E•H.Vgel)

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貯蓄および投資の過程

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  J .   A•Hobson)、建設事業(A.

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G•H•Hull,

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重視する見解をあげ︑同時に﹁景気循環は経済組織の特殊的に現代的型を有する社会においてのみ起る﹂こと︑

れらの循環を﹁最近の発展の制度的要因にあとづける﹂ことこそは﹁もっとも高度に理論的意義を有する事実であ し

てい

く︒ (11) 

︵瀬

尾︶

五五

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1,  

92 3.  

これらの景気循環の実証的研究は︑古典派経済学の伝統をはなれて︑大陸︵ドイツ・フランス︶および︑アメリ

q4 カ合衆国の制度学派

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s t の影響下の統計経済学者の手によって行われた︒十九世紀末から二十世紀初

にかけてのいわゆる^よ

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(商業恐慌︶の研究は︑やがてその循環性が認証されるにつれて小景気循環6

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(イギリスでは

6:

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の研究へと移行する叫ここに恐慌をその一桓に

ふくむところの循環現象が包括的に研究せられるが︑しかしそれと同時にその数量的︑統計的研究ほ︑古典派経済 学の大成した生産諸関係の内在的分析を全く捨てさることになり︑資本制蓄積の理論を捨象してしまったところに

その限界性を有する︒けれども他方では︑その数量的︑統計的研究じたいが﹁循環的変動の間における原料︑工業

的設備および消費財の生産の相互関係︑貯蓄と投資の量の相互関係﹂に着目せしめたのであって︑事実上︑二部門 分割が研究者の意識に上り︑古典的販路法則の批判者たるマルサス

11

ッスモンディの

V +

ドグマを実験的に克服

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(18)

(14)  U3) 

U 2 )  

路 法 則 の 批 判 的 体 系 に つ い て

︵ 瀬 尾

︶ 五 六 閾

る﹂ことを指摘した︒そして彼はその貨幣経済的観点にもかかわらず︑実物的な所得

︑︑︑︑︑︑︑︑︑ 11支出分析にまで進み︑銑鉄

Pi

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を主とする生産財の循環的変動を研究しているが︑

かる生産財の認識を強調するこうした方法論は︑大陸のカッセルやウィクセル︑

スキ

ー︑

シュピートホフやッガンバラノウ

イギリスのロバートソンとともに︑すでに古典的な

V+M

ドグマにたいする警鐘をいみし︑古典的市場論

争の基礎を揺駿するものである

アメリカにおける景気循環研究の始祖たる

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 Institutional~、いわゆる制度経済学

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の代表者たる

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 (

18 57

'1 92 9)

の直接的感化の下にかれらの仕事をおしすすめた︒小原敬士氏﹁ア

メリカ経済思想の潮流﹂一九六ー七頁などを参照︒

ミッチエルは︑彼の先行者たちの業績を評してつぎのように述ぺている︒﹁初期の﹃商業恐慌﹄についての著者たちは︑・・・

・・・統社を集め︑事業年誌を作り上げ︑異った事業活動における循環的変動の振幅や期間を比較し︑術語的概念を発展させ

定義づけることの必要を感じなかった︒もっとも短かい序論ののちにかれらは恐慌の原因についての議論にとびこみ︑か

れらの立論のなかに引用するように証拠資料を加工した︒したがって︑かれらの議論はわれわれの世代がうらやむぺき心

地よい卒直さをもっているとはいえ︑広く倣い得ないものである︒﹂

( W .

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ここには︑従来の﹁矛盾の爆発﹂としての恐慌論を︑慎重に経済過程の諸側面の実証的研

究︑したがって景気循環の生態研究におきなおそうとする意図がみられる︒しかも同時に若穣論の欠如が︑かれらの研究

に大きな無概念性を附与した︒

こうした点に関聯してエルスナー

F.

Oelssnerほ、「景気循環論」の方法を否定していう`—|「循環の四つの基本的局

面ー恐慌︑不況︑および高揚ーを同等の意義をもった局面として把握することは︑完全にあやまっているであろう︒

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑̀︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

恐慌ほ循環の決定的局面であり︑それは循環の基礎をなし︑循環の性格を決定するものである︒不況はたんに恐慌の作業

を完成し︑恐慌において公然と爆発した諸矛盾を均衡せしめるだけである︒活況と涵揚とはたんにつぎにおこる恐慌の準

備局面にすぎない︒循現全体の性格は︑恐慌の性格︑恐慌6範囲と深さとによって決定的に左右されるのである︒だから 統一的な理論として大成されなかったとはいえ︑

(19)

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(DieWirt‑ schafskrisen.  Erster  Band;  Die  Krisen  in  vormonopolistischer  Kapitalismus.1953. 

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Mitchell:  ibid.  p.1  W.  Herschel:  Philosophical  Transactions  of  the  Royal  Society  of  London.  1801;  W.  S.  Jeyons:  Investigati  ons  in  Currency  and  Finance.  ed.  by  H.  S.  Foxwell,  1884.  H.  L.  Moore:  Economic  Cycles,  Their  Law  and  Cause.  1914. 

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und  Verwaltung.  Vol.  xix  1910;  Theorie  der  Wirtschaftlichen  Entwicklung.  1912,  M.  T.  England:  Fisher's  Theory  of  Crises  Quarterly  Journal  of  Economics,  Nov.  1912;  Promotion  as  the  Cause  of  Crises.  ibid.  Aug.  1915;.  "Economic  Crises"  Journal  of  Political  Economy  Apr.  1913;  An  Analysis  of  the  Crisis  Cycle. 

ibid.  Oct.  1913;  E.  H.  Vogel:  Die  Theorie  des  Volkswirstchaftlichen  Entwicklungs  prozesses  und  das 

Krisenproblem.  1917. 

M.T.Baranowsky:  a.  a.  O.;  J.  A.  Hobson:  The  Industrial  System.  1909;  Economics  of  Unemployment,  1922. 

A.  Spiethoff:  Art."  Krisen"  im  Handworterbuch  der  Staatswissenshaften.  4  Aufl  Bd.  VI.  1925;  Die  Wirts‑ chaftlichen  Wechsellagen.  2Bde  1955;  G.  H.  Hull:  Industrial  Depression.  1911;  M.  C.  Rorty:‑Some  Problems 

in  Current  Economics.  1922. 

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甘ギ

(20)

阪路法則の批判的体系について︵瀬尾︶

を制度的なものに帰因するとする理論をつぎのように分類している︒(‑)制度の変化に循現の源泉を見出すものI④社会

的諸過程の本質的な

by

nature痙華性ー「その速度と方向における変化が撹乱を生み出す」ことを強調する見解(E•H.

︑︑

︑ Vo ge l)

@新機軸

In no va ti on

が波動をもたらし︑活動の初期は恐慌と不況によって伴われるとする見解

(J .S ch um pe

︑︑︑︑︑︑︑

t e r , M  in ni e  T .  E ng la nd ) 

(二︶現在制度の機能に変動の源泉を見出すものー④貨幣造出の技衛的逼迫をあげるもの﹁予

想利潤の変動は︑事業の資本化および確信における変動の原因となり︑後者は予想利潤の新たな変動を惹起する︒﹂

( T .

Ve bl en , 

J.  L es cu re )

﹁貨幣経済は︑商品註文︑製造︑原料の生産における変動にみちびく︒そしてそれらは︑すぺての

事業が直接にか間接にか︑その市場に依存しているところの︑消費者購買物における変動よりも累進的により大きいもの

であ

る︒

﹂ ( H . S .   D en ni ss on , 

L•K.

Fr an k, S .   より大きくなるという理由は、事業体制のもたらす競争上の幻想にある。」(T.W•Mitchell)@所得を分配し費消する ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑   S•Kuznets)「前述の変動が、消費者需要から原料生産に向うにつれて

︑︑︑︑̀︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

過程と︑価値を生産する過程との間の均衡の欠乏をあげるもの﹁所得は︑賃銀稼得者に対し︑生産された商品の貨幣価値

の変化の後に遅れて支払われる︒かくして︑消費者の需要は︑現在の供給よりも大きいか小さいかとなる︒﹂

( R. E . Ma y)  

﹁価格の騰落する比率の不均衡は︑消費者の所得が繁栄期の消費者財の産出におくれる原因となり︑不況期の産出より超

過する原因となる︒﹂

( E . Le de re r)

﹁企業によって︑個人に分配される所得は︑阪売のために生産される商品の全部価値

より多いか少いかであり︑かくして始まった変動は︑個人の貯蓄によって高められる︒﹂

(W .C at ch in gs , 

W•T.

F o s t e r ̀  

︑︑︑︑︑︑︑︑︑H.B•Hastings)「繁栄は流動資本の増大を必要とする。それは、もしも繁栄が継続するとすれば、消費者財貨に支出さ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑れねばならぬ基金からのみ供給されうる。不況が流動資本の成長を阻止するゆえに回復が来る。」(P.W•Martin)「消費︑︑︑︑︑︑︑者の所得は︑銀行信用の膨脹によって融資される資本設備の増大によってのみ︑消費者財貨の価値産出高を超過させるこ︑︑︑︑︑︑︑︑とが可能である︒けれども繁栄を特徴づけるこの状態はそれ自身の破減をつくる︒﹂

(A .B .A da ms )

◎商品一般を生産す︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑る過程と消費する過程との均衡の欠如をあげるもの﹁一般過剰生産の波は︑﹃産業競争というほとんど普遍的な事実﹄か

︑︑

︑︑

ら結果する﹂

(W .B ev er id ge )

﹁すぺての事業計画にふくまれている不確実性は︑商品の過剰又は過少生産に導く︒﹂

( C .

0•Hardy)「商品取引は、産業設備の、ついで産出高の急速な増大に導き、そして遂に、消費者財の限界需要価格の低

下に導く︒産業設備と産出高の成長が阻止される不況がそれに続く︒ついにふたたび消費者財の限界需要価格が上昇し︑

活動の新たな時期が始まる︒﹂

( A . A f t a l i o n M,   .  Bou ni at io n)

 @消費・貯蓄•新建設における投資の諸過程における均 五八

(21)

(25) 

阪路法則の批判的体系について︵瀬尾︶ (24)  (23) 

五九

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

衡の欠如をあげるもの﹁繁栄期においては︑資本に対する需要は現在貯蓄を超過する︒そのための資本の稀少性が恐慌を 引き起す︒不況期には︑投資が現在貯苦以下に低下し︑自由な資本は︑投資が今一度稼極的となり︑新たな活動の時期が

開始するまで︑菩租される︒﹂

(M

.

Tu

ga

n,

Ba

ra

no

ws

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)

﹁繁栄期に急速に成長するところの大きな所得は︑過剰貯菩︑

︑︑

︑︑

および新設備に対する過剰投資に導く︒そこで供給は現在の需要を超過する︒大きな所得が縮少し︑過剰貯菩の終る不況

︑︑︑︑︑︑︑︑︑がそれにつづき︑消費が生産においつき︑回復が始まる︒﹂

(J

.A•Hobson)「恐慌ほ、工業設備の過剰生産とその設備を

使用するに必要な商品の附随的な過少生産によって生じる︒﹂

( A.

S pi e

t ho f

f )

﹁消喪者財に対する需要と︑建設コストに

おける比較的僅かな変化は︑建設作業の量におけるはるかに激しい変化の原因となる︒後者の変化は消費者財需要の変化

︑︑︑︑︑︑︑を高め、伝播させるように反作用する。」(G•H•Hull)「あらゆる種類の事業増設の過剰は、増大した生産によって埋

合わされない程の購買力の追加を伴う︒価格は︑かれらのストックに対する追加に人々が危険をみ出すまで騰貴する︒そ

のとき購買は縮少し︑恐慌がくる︒﹂

(M

C .

.  R

or

ty

)R銀行業の過程を上げるもの

(H

aw

tr

ey

)( M

i tc h

e ll ,

  ib i

d .  

p .4 9

53 ) 

(傍点引用者︶このように︑ミッチェルに至る諸研究においては︑生産財生産の認識と︑﹁生産﹂と﹁消費﹂との関聯

が重視され︑そのばあいに

Ca

tc

hi

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s1

1F

os

te

r1

1H

as

ti

ng

s

では︑マルサス的なV+Mドグマと消費財の過剰生産の観

点が引きつがれているが︑

Nu

ga

n,

Br

an

ow

sk

y1

1H

ob

so

n

Uみるように貯蓄︑投資の相互作用および

Hu

ll

にみるように

加速度原理の原型がすでに指摘されいることに注目される︒ミッチエルはこれらの見解を︑かれの﹁景気循環の構造研 究﹂において﹁私の使用することのできる作用仮説

wo

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in

g

hy

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th

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e﹂として利用しているのである︒

( i b i

d .

p . 4 9

)  

Mi

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he

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,  i

b id .

  p .

6 1 

ミッチェルの問題意識はすぐれてプラグマチックである︒﹁もし景気循環の過程を﹃資本主義﹄に関聯させるならば︑景

気循環にふくまれているさまざまな過程についての研究を︑より有効に組織しうるであろうか?・﹂と設問した上で彼は結

局﹁生産手段の私有﹂という賢本主義概念を放棄する︒その理由はそれが﹁﹃貨幣経済﹄という概念によって強調される特

徴ほど︑景気の好・不況の交替を理解するに役立たない特徴である︒﹂からという︒

( i b i

d .

p . 6 2

)

かくしてかれの景気循現

論にほ資本菩戟論が全く欠如

u

ているのであって︑現象の記述をこえた変動理論として大成しなかったゆえんである︒

勿論ッガソやシュピーホフほ︑理論としての販路法則はむしろ継承してをり過剰生産はたんなる不比例としての過剰投資

によるのである︒この点について青山秀夫氏﹁経済変動理論の研究﹂第二巻参照︒

参照

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