都市在住高齢者の出身農山漁村観について
栗 本 秀 樹
OntheAttitudesoftheUrbanAgedtowardtheirHomeRuralAreas
HidekiNoRIMOTO
1.課題
i)生まれ育った農山漁村や人生の一時期を濃密
に体験した地域を離れて、都市に暮らし続ける。そして、いま高齢期を迎えつつある。‑彼らは、
かつて後にした所をどのように思い感じているの だろうか。このことについて知る必要が生じてい るのではないか1)。
たとえば、多くの農山漁村で村おこしや町づく りが課題となっており、しばしば「都市民との交 流」が掲げられる。農畜林産物や海産物、農山漁 村の自然、伝続芸能や名所旧跡が資源として活用 されながら、都市民の来訪が促されるのである。
おそらく、このような対応は有意義であるし欠 かせない。だが、都市民を快適や安全や差異化を 求める消費者とみなす経済的交流だけで、はたし て十分なのだろうか。そのことによって、かえっ て農山漁村振興メニューの幅を狭めているのでは ないだろうか。農山漁村の活力低下が端的には
「農山漁村に人がいなくなった」ことであること を思えば、別の見方もあってよいのではないか。
その一つとして重要だと思われるのは、都市民 をたんなる消費者とみてしまうのではなく、人間 あるいは生活者として理解することである。たと えば、「職業生活や消費生活の便利さと快適さの ただ中にいる人たちであるとともに、さまざまな
ジレンマやアンビバレンスを抱えもつ人たちであ る」というように両義的に都市民を理解し気遣う とき、"癒し"や"福祉"や"対話"などの新し い農山漁村振興のキーワードが浮かび上がる。そ
れとともに、イベントの派手さや短期的射程での
経済効率には欠けるかもしれないが、「人の増加」に結びつくであろう諸方策が構想されるのではな
いだろうか。このような見方が、はたして地域を運営する人々
に受け入れられるかどうか。それに先立って、農 山漁村に生き暮らす人々において、都市民に対する開かれたまなざしが形成されているのかどうか。
逆に、都市に生き暮らす人々において、農山漁村
とそこに生き暮らす人々に対して率直で開かれた まなざしが形成されているのかどうか。こうした 点が大いに気になる。農山村に生き暮らす人々がたんなる農林業労働 力ではないこと。農林業などに従事し続けるなか
で生を実現したり自然や他者との関係についての 見方・感じ方を紡ぎ醸成すること。このことを、
筆者は長年農山村に生き暮らしてきた高齢者たち に垣間見た。それによると、彼らは、我が家や我
が村に偏執しないし、自分の人生をかけがえのな
いものと思いっつ村外や都市民とのコミュニケー ションを意義あるものと考えたり、間近に交流す ることを願っている2)。これに対して、都市在住の高齢者たちは農山漁 村に対してどのような考え方や感じ方をするのだ
ろうか。本稿では、この点について、出身地の農 山漁村に対する感じ方や考え方に限りながらみて おこう。
ii)「出身の農山漁村に対する感じ方や考え方」
を問うことば、農山漁村→般に対する姿勢を尋ね
ることと同じではない。また、特定の農山村の人々 が都市民一般をどうみるかという先の調査事例の
問題設定と対をなさない。こうした意味で不十分ではあるが、都市民ないし都市在住高齢者の農山 漁村観を見るための予備的考察としては有意義で
あろう。また、「出身の農山漁村に対する感じ方や考え
方」やふるさと観をみることには、特有の困難が 伴う。ー81‑
乗 本 秀 樹
すなわち、ふるさと観ないし出身農山漁村観の ありようは、各人の年齢、性別、歩んできたライ フコース、現在地での居住歴、配偶者の有無や配
偶者の出身地、郷里が山間・海辺地か都市近郊か、
親や兄弟姉妹が健在かどうか、といった諸要因に
影響されよう。また、ふるさとでの体験が幸福な
ものだったかそうでなかったかというちがいも大きい3)。さらに言えば、現在の生活が順調である
かどうかによって、ふるさとへの感慨も異なって くるのではないか。そうだとすれば、同一人にお いてさえふるさと観は一定しない。いわんや複数人のふるさと観について明確な傾向を導き出そう
とすることは不可能に近く、無謀でさえある。その意味で、なによりも大切なのは、高齢者の
数だけ多様な考え方や感じ方を、それぞれに重み あるものとして丁寧に描きとることである。それ にもかかわらず、ここではあえてアンケート調査 を読みようとするのだが、それはいまだ研究が着 手されていないと思われるこの主題に第一次的に 接近しておこうとしてのことである。2.都市在住高齢者の農山漁村観・ふ るさと観
(1)調査の方法
これまでの人生、郷里との交流の様子、郷里の 農山漁村振興への所感などについて尋ねる調査票 (「都市在住高齢者の方々の農山漁村観・ふるさと
観に関するアンケート」)を作成した。そして、
都市在住の高齢者に郵送し、原則として無記名で 回答し返送してもらうことにした4)。
調査対象は、1945年から1957年の間に三重大 学教育学部を卒業し、現在東京近郊(JR東京駅
から1時間以内の交通距離)に居住している人々 の全員であり、その数は101人である5)。調査票 の配布と回収は、1999年11月から12月上旬に かけて行った。回収状況については、転居先不明等で調査票が 配達されなかった者25人、配達されたが無返送 の者26人で、回収された調査票は50人分であっ
た。そして、後者のうちに回答辞退者が1名あっ
たので、実質の回収は49人、配達された76人に 対する割合は64%であった。以下には、単純集計の結果をかんたんに紹介す
る。精確な分析を施したり詳細なコメントを付さ ないのは、サンプルが少数であること、先に述べ たように傾向的把握の方法が必ずしも適切でない こと、ならびに既存研究の状況からみて概略の紹 介であっても斬新さがあると判断されることによ る6)。(2)回答者の属性
回答者49人の性別、年齢別、ならびに同居家 族員数別のうちわけは表1のとおりである。回答 者の多くは、いわゆる昭和1ケタ世代である。
東京近郊での居住歴ならびに東京近郊以外の地
表1性別・年齢別・家族員数別のうちわけ
年 齢
計 63‑65歳 66‑70歳 71‑75歳 1人 2人 3‑4人 5人以上
男 4 9 7
3
田 7 田 20
女 田 16 田 四 10 3 29
〈計〉 〈6〉 〈25〉 〈18〉 〈3〉 〈24〉 〈17〉 〈5〉 〈49〉
(注)単位は人。
表2 東京近郊在住期間別・他地域居住回数別のうちわけ 東京近郊
在住期間
10年以下 11‑20年 21‑30年 31‑40年 41年以上 無回答 計
田 3 6 9 28 ロ 49
他地域 0回 1回 2回 3回 4回 5‑9回 10回以上 無回答 計
居住回数 15 6 8 4 ロ ロ 14 49
(注)単位は人。
一82一
表3 郷里について思い出されること わらびがり、野あかりだんご、茸狩り、たにし取り、つつじの頃の赤い山、笹百合 の山、秋の七草つみ、秋の村祭り、祖母との会話と死、父から藁ぞうり・ふご作 り、講話り、員とりという魚採り。
わらび採り、筍掘り、杉苗植え、餅っき、あられ切り、柿の皮むき、干柿作り、綿入 れ着物、雪。
汽車がトンネルを出て櫛田川の鉄橋を渡り駅に止まる風景。東京から行って空 気がかしかったこと。田圃の上に雲の影が動〈のを見たこと。れんげと菜の花
の景色が美しかった。夏の今一色の海岸の宝探し、桜貝がいっぱいあったこと。
小学校・女学校・師範学校の学生時代の色々のこと。家庭内、その頃の社会の 様子[衣食住を現在と較べての違い]。町、津のまわりの山】1など豊かな自然。
小学生時代、前は海、後は山で思いっきり遊んだ。楽しい忙い、毎日。すばらし かった海と島の風景。お世話になり面倒をみてくれた今は亡き祖母のこと。
田植、松茸狩、野球の試合・練習。
大学生の頃、我が家の山小屋で海水から塩を焼いた。雑木をたき、ブローカーに 売って学資。川や海で小学生〜師範学校時代よく泳いだ[今は汚れて泳げない]。
田の仕事、山の仕事をしたこと。青年団長として活動したこと。
近くを流れる三滝川の川原であった花火大会。東南海地震・動員・空襲増し くこわい想い出だが、今になるとなっかしい想い出]。
子供の頃よく海水浴をした砂酎今は火力発電所]。遠足等で山深い谷J悍ヾ守っ た所。届鷲町のヤーヤ祭。
津観老境内に祭り、見せ捌、屋や店がよく出ていた。歌舞伎を上演する劇場、華 やかでにぎやか。遠浅の海水浴‰水泳などの遊び。空襲の中母と逃げた。防空 壕生活。
幼な友達、盆踊り大会、村祭、各同窓会。
伊勢平野の景観(軽ケ峰、長谷山、堀坂山、八頭山、菜の花・麦畑、蓮華畑等)、遊 びの場となった寺の境内、雲出川の流れ。
山はあおく静かで水は清く鮎が走っていたり、春は山ツツジの中でわらび採り、
夏ほかわずの鳴く田で蛍採り、秋には滝の落ちる硝でシイノミ拾い、冬は火 鉢のそばで本を読んでもらった。広い縁側でアネサマ人形、庭にムシロを敷い てママゴト等の遊びの楽しさ。
つくし摘、れんげそう摘、潮干狩、夏祭、盆臥渡し舟、夏休みラジオ体操。
陸軍の演習時の兵隊の宿、陸軍病院の慰問など。津まつり掴魂神社祭(しゃこ ん馬か出て祭をもりあげた)。師範時代、勤労奉仕、農業の作業など先生達と一 緒に働いた。
小学校低学年の臥雲出川のしんゆうという最も深い所で筏からとび込んで溺 れ、ああ死ぬとはこういうことか…と、黒い影がすっとのびて来て、それにつか まり助けられた。
川遊び、野原で摘んだ草でままごと遊び、古い街並みがあるところ。
津の海、伊勢湾を思い出す、白砂渦こある山々、母校の思い出。
阿漕浦に近く海辺で遊んだ事、初日を拝みにいった事、丸山神社のおまつり。岩 田川が氾濫すると床下浸水し、困った軋
祝園さん、初午、ひなわくぐりなどの伝統行事。阿漕浦や贅埼のすばらい、白砂 の遠浅海岸での海水浴。幼稚園での大根ほりや遠足等の行事、友達との行き来。
〈毎夏行って半月はど滞在した郊外の温泉宿(現白布温泉)での生乳旧城下町 の嵐〉
終戦の玉吉放送。夏場の川遊び、川魚捕り、冬場の薪集め(家事手伝い)。
小学生時代、蟻大数術で沢山の凱らまとれ海岸の道に山積みされた風景。戦争中、
魚がいくらでも食べられたので満足していたこと。旧正月のお祭り、鮪の大漁 を呼び寄せる祭り。
宮川とその支流で泳いだこと。つり橋とその下に見えたっらら。
津市内が戦災ですっかり焼けた当時の恐しさ[今となって懐かしい思い出]。
30 31 32 33
34 35
37 38 39 40 41
42 43
44 45 46
伊勢の海、白い砂喪、どこまで行っても遠浅の青いすきとおる海。録の松臥風 のざわめき、磯の匂い。山、経ケ峰、長谷山、よく登った布引山、[郷里に頼る電車 の塞からこれらの山々が目に入ってくると何故か涙がこぼれる〕。川、雲出川、
又その支流で泳ぎよく遊んだ。菜の花畑、レンゲ畑、つくしつみ、観音様の会式 のにぎわい、軟の祭り、おみこしなど数限りない。
とんぼとりやどじょうすくい、岩田川での釣り涌岸。経ケ蜂と長谷山がいっも 美しく、夕日もよかった。
田んぼの中の湧水池や小川でザリガニ、メダカを追ったこと。メダカの学校は 大きな二つの輸、忘れられない。氏神様の秋祭り、夜おそ〈まであそんだこと。
両親につれてもらった二見浦の海水臥宮‖魔のお花見、近くのj11での潮干狩。
友達とのれんげ細でのかけっこ、メダカとり、たにしとり、竹馬。近所の家での 純ない、ぞうり作り、海苔作りの体駄家の前の広場でお祭りの時の狂言の舞台 や夜店のにぎわい。田んぼの向うの空いっばいのまっかな夕焼(ナ。出征兵士の 見送りや千人針作り。
本多城址周辺で幼少期を過ごした日々の思い出。
自然。
小中高校の通学路。道路に沿った小川。
関西線の亀山から伊賀上野までの山なみ、田園風景。伊賀上野駅から見える白 鳳城、盆地の山なみ、伊賀弁による会話。中学・高校時代の通学路の古い町なみ。
野山で楽しく遊んだこと。
松茸がはえる小高い土地が庭だった。池があり、掛iあり、静かでやさい、人柄 の処だった。4D分も歩いて学校に通った。へびやいたちやかえるに出会った。か えるの合唱はなっかしい。田んぼの間をたにしやぎりがにをとりに歩いた。教 師になって山や川や美しい自然の中で生徒と共に過ごした間は、思い出しても なっかしい。
きれいた川lのせせらぎでメダカ、他の魚を追いかけた。野山をかけめぐって動 植物の生態を知った。11月半ばを過ぎると藤原ケ岳に雪が積もり、人々がその
年の寒暖について噂した。小さな村だから人々、家の様子がよくわかり、人間交 流がよくできていた。
桑名の名取祭り、正月の多度神社初詣。
津のまつり、津南削海浜学校)、長谷山の遠足(小学校時代)。
〈金閣寺の近くだったので、左大文字の山に登ったり、洛北の山で遊んだ。〉
川遊び(釣りなど)。
雲出川の上流や近くの山で、お寺・神社で、れんげ草畑で、主に友達と遊んだこ と。
田畑を耕したこと、川遊びをしたこと。
山道を自転車で越えて通学したこと。学校が遠いので、受験のため半年ぐらい 友達と町で自炊をしたこと。
ヤーヤ祭り、海水浴場[山をくずして埋め立てられてしまった]、港祭り(花七大会㌔
土地、風景。脂郷の機会もあり、懐かい、と特に思うことはない。]
〈戦災で消失した町だが幼き頃通った通がある。京東急行(父も勤務していた) の電車に乗ると駅名など優しい涌乱川崎など工員さんの町。飾りのない町が 思い出される。〉
物心っいた暗から戦争ばかりで、あまり楽しい事はなかった。母や近所の人々 と山菜やきのこ狩りに行った乳伊勢の海で海水浴をした事、広い松林と美し い海、波の音と松林を渡ってくる風の音。氏神様の夏祭り、大晦日のドンド焼き。
仲良しの友と野山で遊んだ事。鈴鹿の山まで田畑がひろがってのんぴりとした 風景だったし、四季が感じられた。山なみまで続く菜の花畠の美しさは、むせか える様な花の香りと共に今もはっきり思い出す。
友達と魚とりに明け暮れた小川。家の手伝いで、田の稲刈、脱穀、田植のきびし い農作業。テニス、野球に楽しんだ母校(小学校校庭)。
(注)①48人の記述を、なるべく原文のまま示している。
②[]は現在についての記述であることを、〈〉は三重県外の郷里についての記述であることを表す。
‑83一
東
本
秀 樹域での居住経験を、表2に示している。これによ
ると、多くが卒業後の人生の大半を東京近郊で過 ごしている。その一方で、少数ではあるが、近年 に東京近郊に居住しはじめた者もいる。また、他 地域での居住経験は多様である。なお、他地域居
住経験についての回答は無回答、「0回」、経験ありに3分される。無回答や「0回」が多いのは、
「転勤等によって他地域に居住したことがある方
は‥・」という設問文によるのではないか、あるいは教員という職業に従事した者が多いためではな
いか、と思われる。大学卒業後の職業経験は、男性については、
・ずっと教員(教育委員会勤務や管理
職も含む)・教員ののちに会社員(製薬、新聞、
貿易、金属加工)一‑‑一一一‑‑‑‑‑‑…‑‑‑‑‑‑‑
・教員・会社員ののちに再び教員一‑‑
・ずっと会社員(貿易、証券、出版) である。女性については、
・ずっと教員
・教員ののちに学校外教師(絵画教室、
音楽教室、学習塾)一‑一一一一一一一一‑‑‑‑一一‑‑‑‑‑
・教員ののちに会社員一‑‑‑‑‑‑一一一‑‑‑‑‑‑‑‑‑一一‑
・会社員ののちに教員‑‑‑‑一一‑‑‑一=‑‑‑‑‑‑‑‑一一‑‑‑
・ずっと会社員
・学校外教師ののちに公的機関勤務
11人
5人 1人 3人
18人
3人 2人 1人 1人 1人
・教員・主婦ののちに再び教員 ‑=一一‑‑一一‑‑‑‑‑1人
・教員を続けながら作家活動 一一‑‑一一一一‑‑‑‑‑‑1人
・ずっと主婦
である。女性の方が職業経験パターンが多様であ るが、彼女らのうちに三重県と東京都の両者で教 員を勤めた者が4人いることを考え合わせると、
女性の職業経歴はより複雑である。
さて、回答者たちは、次の地域を郷里としてあ げる。
・三重県内郡市
・山形県内市‑‑‑‑‑
・東京都区
・京都府内市(京都市)
ただし、2人が、郷里として複数地域をあげる。
うち1人は三重県内の2郡市を、他の1人は三重 県内市と山形県内市をあげる。
その郷里のかつての様子は、農山村9、商業地
8、都市近郊農村8、住宅地7、純農村6、山村4、農漁村3、ならびに漁村、山漁村、商工漁業地域、
漁林農商業地域各1である(東京都区と京都市を
除く)7)。そして、これらの郷里に誕生時から育っ たと思われる者は31人である。これに対して、
10歳前後から住み始めた者が約10人おり、その
きっかけの多くは疎開や引き揚げのようである。
彼らの心に残る休験や光景を描いてもらうと、
表3のようである。体験や光景の断面、筆致や抽
象度においてさまざまであるが、海・山・川など
の自然的なもの、水辺などでの遊びや伝統的な行
事に関するものが多くを占めている。また、彼らに、筆者が表現するいくつかの「ふ
るさと」定義のうちから同感できそうなものを選 んでもらうと、表4のようである8)。これによると、父母などの近親者に因むことがらと夢中の体
験とがふるさとであることの二大要因のようである。なお、風景が似ていたり心が安らぐだけでは ふるさとにならないこと、少数者によってではあ
るが「目的をもって生きている、今このとき」と いう一見逆説的な定義か受け入れられていること は、示唆的である。
表4 ふるさとの定義
男 女 計
父母兄弟と過した所。今はなく、追憶だけ。3 8 n
父母兄弟と過した所。そこに立てば感慨儀る。15 23 38 父母兄弟と過した所に似ていれば、他蠍如も0 0 0 夢中で過した所。もう帰ってこない。 6 9 15 夢中で過した所。そこに立てば感慨が蘇る。13 23 36 家族たちと穏やかに暮らしている、今・ここ。4 3 7 意思疎通やネットワークができているこの地晩2 8 10 心がやすらげば、どこでもふるさと。 ロ l 2
目的をもって生きている、今このとき。 ロ 4 5
その他。 ロ 0 ロ
〈計〉 〈46〉 〈79〉 〈125〉
(注)(彰複数回答、単位は人。
②全員(男性20人、女性29人)について。実回 答者数も同数。
(3)現在の活動
仕事従事の現況は、男性では従事している者8
人、従事していない者12人、女性ではそれぞれ 2人、27人である。仕事の内容は、男性の場合、
会社監査役、教育史編纂講師、薬局経営、不動産 賃貸、出版社雑誌校閲、社会保険労務士事務所経
営、会社役員、区児童生徒日本語教室講師などである。女性の場合は、商品仕入・在庫管理、専門
学校講師・著述業などである。仕事以外の活動の状況を表5に示している。男 女ともに約7割が回答しており、女性の活動とく
一84一
表5 仕事以外の活動 [男性]
①趣味として絵画クラブ、ゴルフクラブ。
②市古文書研究会に所属。
③全国退職校長会生涯学習推進委員、退職公務員連盟市副 支部長、市老人連合会理事スポーツ委員長。
④東京都退職校長会写真クラブ。蒙刻・ゴルフ。
⑤囲碁。
⑥私小説的な作品執筆。新聞社校閲部OB会世話人代表。
⑦囲碁・ゴルフ。
⑧海外旅行(年平均3回)。
⑨囲碁の会。
⑩写真の会(撮影会)、囲碁(碁会所)。
⑪カルチャー。
⑫趣味の会。
⑬自治会組長。
⑭町会役員。
[女性]
①環境問題に関するボランティア活動。俳句、書等。
②趣味(俳句)。
⑨俳句の会。NHK教蔓受講、排誌投句毎日文化センター・エッセイ受 講、源氏万葉受講、老人大学(自彊術、、英会話)、スイミングスクール。
④児童館の学童に絵を指導。
⑤趣味の会。老人会役員。
⑥NHE通信教育、市の成人教育で書を学習。カルチャーで 源氏物語を受講。
⑦趣味の会。
⑧日本和紙絵画芸術協会会員(上野美術館に出展、受賞)。
⑨自治会老人コーラスの指導。フランス語の勉強、カンツォー ネの勉強(年1回発表会)。
⑬視聴覚障害者への朗読奉批フォークダンスなど。地域の歩こう会。
⑪ボランティア。絵手紙サークル。
⑫知的障害者の社会復帰準備に関する介助ボランティア。
W大エクステンションセンター社会人学級。
⑬NHKコーラス。
⑭地域のボランティア。町会の仕事。短歌の会、ダンス、テニス等。
⑮民生委員、児童委員、地域小学校交流会委員、更生保護婦人会、町会幹乳
⑬レザークラフト(月3回)、フォークダンス(月3回)
⑰趣味で踊り。
⑩ボランティア活動(ことぶき会)。趣味の会(茶の湯)
⑲町内会役員、連合町内会の郡代表。カラオケ練習(月1〜2 回、夫を含む10人程、地区センター)。
⑳水墨画(ボザール会員)、書道(かな)、お茶、俳句。町民文化 会役員・会計。文化祭の看板、舞台プログラム、名札書き。
㊧市明るい選挙推進協議会委員。
表6 暮らしの中の農山漁村的なこと
男 女 計
周囲が田園地帯なので満足している。 7 4 田
市民農園に参加して作物を作っている。 0 2 巴
自家菜園をしている。 2 7 9
プランターや鉢に花や野菜を育てている。13 20 33 漬物などを自分で作っている。 2 12 14
郷土の料理を作っている。 4 7 n
おりにふれて、自然があるところへ出向く。16121 37 木工などの大工仕事をする。 4 2 6
その他。 5 6 四
〈計〉 〈53〉 〈81〉 〈134〉
(注)①複数回答、単位は人。
②全員(男性20人、女性29人)について。実回 答者数も同数。
に自己啓発的学習やボランティア活動の活発さが 目立っ。
また、日常生活の中に農山漁村的なことがらが どのように取り込まれているかをみたのが、表6 である9)。1人あたり2ないし3のことがらが取 り込まれているようである。なお、同表には山村 的、漁村的なことがらについての選択肢が乏しい。
そのために、「その他」において、「環境問題に関 心を持ち、衣食住について自然のままのものを取
り入れるようにしてt・1る」などとともに、「庭に
木・草を絶やさないようにしている」「庭木の手 入れ」「さつき作り」「野鳥関係の諸事」「林に囲
まれた遊歩道をときどき歩く」、あるいは「家族 で度々釣りに」などが記述されている。(4)郷里との交流
都市に居ながら、郷里とどのようにコミュニケー ションを保っているのか。この点について表7に 示している。それによると、年賀状交換、冠婚葬
祭への参列、テレビ画面(片方向ではあるが)な
どの方法に他の1、2の方法を組み合わせて、交 流しているようである。「その他」は、「2〜3年 に一度、帰る」「2年に一度の高校クラス会に出 席」「墓参をかねて年1〜2回は訪ねる」「母が郷 里で一人住まい。健康だが月一回一週間ほど滞在」
「教え子や同期生の同窓会にときどき行く」「友人、
親戚とときどき電話で話し合う」などである。な
お、表7で「毎年、時期を決めて郷里で過す」
「毎年、何回か郷里を訪問する」「郷里や郷里近く で祭りなどのイベントがあれば行く」と答えた者 に対して、誰が交流しているかを尋ねると、表8
のようである。
そのような交流状態を、彼らはどのように感じ
‑85‑
乗 本 秀 樹
表7
郷里との交流の方法
男 女 計
毎年、時期を決めて郷里で過ごす。 5 2 7
毎年、何回か郷里を訪問する。 7 n 18
郷里や舅担近くで祭りなどのイベントがあれば行〈。ロ 0 ロ
法事などの冠婚葬祭に行く。 14 19 33 郷里の親戚や友人が訪ねてきてくれる。 6 8 14 我が家の冠婚葬祭に払里の艶戚や友人がきてくれる。10 10 20 郷里の友人や親戚と年賀状などを交換する。18 25 43 郷里の食材を取り寄せて味わっている。10 四 四
路里の材木を使うなど、郷里の蛸資源を活用している。ロ 0 ロ
郷里の広報誌を取り寄せて読む。 ロ 3 4
テレビなとに胆の光景やできごとが登場すると懐しむ。13 22 35 同郷の出身者たちで集まりをもっ。 7 17 24
郷里とかかわりがない。 0 ロ ロ
その他。 3 3 6
〈計〉 〈96〉 〈133〉 〈229〉
(注)①複数回答、単位は人。
②東京都区、京都市以外を郷里とする47人につ いて。実回答者数も同数。
表8 交流する人
男 女 計
自分だけの交流。 2 4 6
自分たち夫婦だけの交流。 2 5 7
家族そろっての交流。 4 3 7
知り合いも引き連れての交流。 ロ 0 ロ
その他。 0 ロ ロ
〈計〉 〈9〉 〈13〉 〈22〉
(注)①複数回答、単位は人。
②表7で上3つの選択妓(「毎年、時期を決めて 郷里で過ごす」「毎年、何回か郷里を訪問する」
「イベントがあれば行く」)のいずれかに○を つけた男性9人、女性12人について。実回答 者数は、男性9人、女性11人。
表9 交流の満足度
男 女 計
満足している。 10 14 24
少し不満なので、もっと交流したい。田 3 5
少し不満だが、どうしようもない。 3 4 7 大いに不満なので、もっと交流したい。 0 0 0 大いに不満だが、どうしようもない。 ロ ロ 2
関心がない。 0 ロ ロ
その他。 3 3 6
〈計〉 〈19〉 〈26〉 四
(注)①択一回答、単位は人。
②東京都区、京都市以外を郷里とする47人につ いて。実回答者数は男性19人、女性26人。
表10
交流を難しくしている要因
男 女 計
毎日が忙しい。 ロ 13 14
行き来にお金がかかる。 13 10 23
行き来に体力を要する。 4 7 四
一人では移動できない。 0 0 0
郷里の人々の代が変わった。 3 6 9 郷里の風景が変ってしまった。 5 5 10
郷里での交通が不便。 5 4 9
郷里での宿泊施設がない。 2 ロ 3
とくにない。 4 0 4
その他。 ロ 3 4
〈計〉 〈38〉 〈49〉 〈87〉
(注)①複数回答、単位は人。
②東京都区、京都市以外を郷里とする47人につ いて。実回答者数は男性18人、女性25人。
表11交流の永続性
男 女 計
子や孫の代まで続いてほしい。続くだろう。 6 3 9 子や孫の代まで掛、てはしいが、途絶えるだろう。10 18 28 自分は交流していないが、子や孫は交流するだろう。0 0 0 子や孫が郷里と交流することなど、考えもしない。3 ロ 4
その他。 0 4 4
〈計〉 〈19〉 〈26〉 〈45〉
(注)①択一回答、単位は人。
②東京都区、京都市以外を郷里とする47人につ いて。実回答者数は男性19人、女性26人。
表12 思い入れをもつ他の農山漁村
男 女 計
あ る。 13 13 26
な い。 7 16 23
〈計〉 〈20〉 〈29〉 〈49〉
(注)①択一回答、単位は人。
②全員(49人)について。
表13 思い入れをもったきっかけ
男 女 計
配偶者の郷里や親戚。 5 田 田
知人に紹介されて。 ロ ロ 2
仕事で訪れたところ。 2 田 5
パンフレット、テレビなどで。 2 0 2
その他。 8 6 14
〈計〉 〈18〉 〈16〉 〈34〉
(注)①複数回答、単位は人。
②表12で「ある」と答えた男性13人、女性13人 について。実回答者数も同数。
‑86‑
ているのだろうか。これを尋ねたのが表9であり、
満足できている者は約半数である。ただし、不満 だからといって改善しようとする(できる)者は 少数であるβ)。
その「満足」もスムーズに達成されているわけ ではなさそうである。郷里との交流を難しくして いる要因がありはしないか尋ねると、表10にみ
られるように、全男性の7割、全女性の約9割が さまざまな問題点を指摘するからである。なお、
同表の「その他」は、「郷里に医院が不足してい る」「郷里にいる妹の負担が大きいので、ホテル
に一泊して妹の家に一泊する」「他県人と結婚し
たので」「結局年とってくると億劫になる。つい つい電話手紙ですませてしまう」である。上のような郷里との交流は、自分(たち)1代 限りなのか、次世代まで継承されるのか。このこ
とについて尋ねたのが表11である。これによる と、子や孫の代までの交流を展望する者ほ少数で ある。なお、「その他」は、「子供の代(に交流す
るかどうか)はわからないが、郷里の友達のお子 様と私の子供が友達になっている」「子どもがい ないのでわからない」などである。
さらに、自身の郷里以外に思い入れをもっ農山 漁村があるかどうかを尋ねると、表12のようで ある。約半数が、自身の郷里以外の農山漁村にも 格別の親しみを感じている。そのきっかけは、表
13のように多様である。「その他」が多いが、
「友人がいる」「自分の研究テーマ(歴史)との関 係」「長男が勤めている」「(小説執筆のために)
山歩き体験をしてみようということで歩いた所」
「セカンド・ハウスをもっている」「最初の勤務地」
(以上、男性)、「家を建てた」「夫の転勤先で住ん だ土地の人々への思い及び自然の美しさ・豊かさ」
「母の里」「きまっていくようになった釣り場」
「落日が見たいとか、山が見たいとかという単純 な発想」(以上、女性)である。
(5)農山漁村振興への関心
都市在住高齢者は郷里の自治体などが行う町づ
くりや村おこしに関心をもっているのだろうか。この点についてみたのが表14である。これによ
ると、多くの者が関心をもっており、「まったく
ない」者ほ皆無である。また、関心をもつ者の割合は女性よりも男性で高い。
しかしながら、表15にみられるように郷里の
まちづくりの事業内容については、知らない者の方が多い。また、郷里の自治体が企画する農林水 畜産物の直販やイベント、レジャープランに参加
するかを問うと、表16のように、「内容によって は参加したり利用したい」という冷静な態度を示 す者が多い11)。
他方、都市に在住する高齢者たちは、郷里の自 治体などが都市(民)との交流に力を注ぐことを どのように感じているのだろうか。このことをみ たのが表17である。肯定する者が多く、参画し たり力を貸すことに意欲を示す者が約4割いる。
なお、「好ましくないので、やめてほしい」(1人)
は、「それぞれに個性的に発展すれば自ずと交流 が生まれると思う。あまり画一的な考え方はかえっ
て進展をさまたげると思う。」という理由による。さらに、郷里を離れた者の意見が郷里のまちづ くりに生かされるべきかどうか。この間いに対し ては、表18のように、「発言の機会を設けて、振 興の参考にしてほしい」と「在住者が運営すべき。
意見を聞いてもらう必要はない」とに回答が二分 される。「その他」の内容は、「意見を言う機会を 設けるという大げさなものではなく他出者の意見
も参考にするとよい。」(男性)、「どちらとも言え ない。」「ことがらによる。"純朴さを残せ"など は、地元の人に失礼だと思う。」「別にそこで生ま れ育って外へ出た者とは限らず、広い気持ちで人々 の意見を聞き参考にした方がよい。」「地方の町や 村の人たちはあまりにも行政側に対しておとなし
すぎる。どんどん意見を言って住みやすい方向に もっていけばいいのにと思う。他出者が口出しし
たくなる。居住者がそれでよいと思うなら(無関
心も入れて)、それでいいのかもしれないが、長 年都会暮らしをしていると、田舎の人のそういうところがとてもおかしいと思える。」(以上、女性) などである。
表14 郷里のまちづくりへの関心
男 女 計
ある。 四 8 20
少しある。 4 9 13
ほとんどない。 3 田 14
まったくない。 0 0 0
〈計〉 〈19〉 〈28〉 〈47〉
(注)①択一回答、単位は人。
②東京都区、京都市以外を郷里とする47人につ いて。
ー87‑
乗 本 秀 樹
表15 まちづくりの内容
男 女 計
よく知っている。 2 0 2
ある程度知っている。 4 13 17
はとんど知らない。 12 12 24
知らない。 ロ 3 4
〈計〉 〈19〉 〈28〉 〈47〉
(注)表14に同じ。
表16 直販・イベント・施設の利用と参加
男 女 計
すでに参加したり利用している。 2 3 5 ぜひ参加したり利用したい。 ロ ロ 2
内容によっては参加したり利用したい。 13 16 29 あまり参加したり利用したくない。 2 4 6 まったく参加したり利用したくない。 ロ ロ 2
関心がない。 0 0 0
その他。 0 3 3
〈計〉 〈19〉 〈28〉 〈47〉
(注)表14に同じ。
表17 郷里と都市(民)との交流
男 女 計
好ましいので、都市民として参加したい。 2 7 9 好ましいので、架け橋として参加したい。 2 田 4
好ましいので、郷里民として参加したい。 3 ロ 4
好ましいことだが、かかわりたくない。 7 5 12
どちらとも言えない。 4 6 10
好ましくないが、しかたないことだ。 0 0 0 好ましくないので、やめてほしい。 0 ロ ロ
わからない。 ロ 巴 3
〈計〉 〈19〉 〈24〉 〈43〉
(注)表14に同じ。
表18 他出者の意見
男 女 計
発言の機会を設けて振興の参考にしてほしい。8 8 16 在住者が運営すべき。聞いてもらう必要はなしも6 10 16
その他。 3 5 8
〈計〉 〈17〉 〈23〉 〈40〉
(注)表14に同じ。
3.調査結果からの示唆
(1)農山漁村観の屈託
以上の諸表のそれぞれに、少数回答であっても
注目し吟味しなければならないことがらが多くある。だが、ここでは第一次的な特徴把握にとどめ る。すなわち、前節(2)〜(5)を、各設問において多
数を占める回答によりながらしいてまとめると、
次のようである。
̀長年東京近郊に住み続けている人々は、今、
それぞれに自己啓発的な学習や地域創造的な活
動に勤しんでいる。日々の暮らしの中には、農 山漁村を彷彿させることも織り込まれている。
そして、郷里と呼ぶことのできる地、求められ ればふんだんに思い出をあげることのできる地
をそれぞれに持ち、交流も途絶えてはいない。
その交流に一定程度満足しているが、一代かぎ
りのものと覚悟してもいる。彼らは、郷里がどのようにまちづくりされて いくかについて無関心ではない。しかし、まち づくりの実態や構想をよく知っているわけでは
ない。また、郷里が都市(民)と交流すること について歓迎する。だが、自身が参加するかと 問われれば、積極と消極の二つに態度が分かれ
る。あるいは、郷里のまちづくりのあり方に関
して他出した者(自身)が意見を言うことをめ ぐっても、「参考にしてはしい」と「口を差し挟 むべきではない」とに、態度は二分される。なお、長いライフコースを歩むあいだには、
愛着や親しみを感じる第三の地が生まれること もある。"
この要約からもうかがわれるように、「ふるさ と」としての農山漁村観には複雑さないし屈託が 伴う。表3のように郷里の原風景が回想されたり、
表4のように父母兄弟に因むふるさと定義が受け 入れられるかぎりで、郷里はかけがえがない。そ の切実で親密な郷里の現在や将来について語ると
き、ためらいがちになるのである12)。自由記述例 をいくつかあげておこう。
qこの年になると、いや自分の育ったふるさ とは誰でも良かった悪かったは別として、嬉し いものです。大昔の事でも忘れることができま せん。若い人と遠い先の事を考えるより過去の 事を思うのが楽しみで、友人(クラス会)と会
うと「あんな事があった」「あの山に登ってつつ
じがきれいだった」とか何でもないことを話し ます。毎日忙しい仕事をして居られる方は先々 の日本経済など心配しておられるのでしょう。年をとった証拠です。よく布引山、経ケ峰、長
谷山、ふもとの村の冬景色、夕方になると煙がたなびく様子が目に浮び無性になっかしくなる
ものです。
今の生活では見られぬ生活、風景です。「ふ
るさと」の歌が出てまいります。難しい事は考
一88‑
えぬ思い出丈がなっかしい「ふるさと」津で す。'[A氏;女性]
"どうしても、よく遊び風景のよかった子供 時代を中JL、に考えてしまいます。
子供の頃、水泳・魚釣・舟漕ぎなどで遊んだ 所には広い海岸が作られ、自動車が疾走して危 険な状態にあり、子供達の遊び場はなくなって しまいました。…繁栄とは裏腹に魅力を感じな くなってしまいました。年々観光地化が進めら れ‥・ますが、一方では折角の人情も営利心に押 さえられて影をひそめ、…商店も減ってひっそ りとし、子供の頃以上に差異が生じているよう に思われます。またその割には文化的な発展は 感じられません。
何事も経済優先という名の開発が進められ、
自然が破壊され、人間が振り回されていること は悲しむべき日本の現象ですが、しかし少なく とも「ふるさと」だけは昔のままであってほし かったと気ままな感懐を抱いています。
地元の人達はどう思っておられるか分かりま せんが、このようなことから懐かしい故郷を思 う気持ちはあるにしても、現実の姿に落胆を味 わうことを恐れて、いざ訪れてみようという思 いは積極的には湧いてまいりません。カ[B氏;
男性]
■…久しぶりに帰りました。住居の跡は「たん ぼ」でした。つり橋ではなく車の通れる橋が出 来ていました。…あの谷底まで美しかった流れ が「ダム」になり、ガッカリしました。夏の日
泳いだ…川の支流に温泉ができて宿泊しました。
不便だった昔の生活が便利にそしてハイカラに なって屈ました。村の人達が皆これを喜んでお られるのかしら?と考えてしまいました。"
[C氏;女性]
このように、ふるさとの変貌に落胆したり疎外 感を味わうなかで、農山漁村のあり方への感慨や 提案はいきおい抑制的になる。
ただし、農山漁村の現実に向き合う意見がない わけではない。
"「ふるさと」は確に懐かしい。私にとっては 三重大を卒業する迄過した場所であり、父母、
弟妹、友人等との想出が走馬灯のように思出さ れる。最近では毎年春のゴールデンウィークに 1週間程家内と墓参りをかねて帰郷している。
囲(ママ)りの田が一枚一枚と植えられて青くなっ ていくのをながめているのは楽しいものです。
反面憂うつな事は、長男であるが故に相続さ せられた家屋、畑、山林の処理と墓の移設です。
2人の子供とその家族は東京を離れるつもりは 無いので、私が存命中に処理しておかねばと考 えると頑が重くなる。
上記の如き個人的感傷は別として、農村の過
疎化の問題は三重県だけでなく全国的に大きな 問題と思います。良い振興策はないでしょうか?"[D氏;男性]
̀「ふるさと」はここ数年来沿岸漁業がふる わなくて、最悪の状態です。町民の中ではます ます貧富の差がでてきており、過去の遺産をく いっぶしています。しかし、最近の地方紙によ
ると、観光客を呼ぶ催しが行なわれて、第1回 はどうやら成功したように見受けられます。具
体的な行動は町にとってはじめての行動でした。
この行動の道筋がますます発展してくれるよう にと願っています。"[E氏;男性]
都市に住む高齢者たちは、充実した日々や地域 の生活を送りつつも、こと郷里についてはどこか しら乾いた気持ちを持ちがちである。ふるさとへ
の想いと記憶が強い一方でその変容がありのまま
には受け入れ難かったり、住民自治の根本原則や"住み分け"の知恵への律儀さのあまりにふるさ とへの気持ちの自然な発露をも「気ままな感懐」
(B氏)や「個人的感傷」(D氏)と言い、どこか しら引いてしまう。あるいは、郷里の行く末を積 極的・具体的に気遣っていても、ただ遠くから
「願う」(E氏)ことしかできない。このような態 度には、諦めや潔さとともに抑圧の様相を感じ受 ける13)。
(2)抑圧からの解放
そうだとすれば、次のことがらが検討されなけ ればなるまい。
その一つは、抑圧のありようが一人一人におい てどのように異なるのか。それぞれに抑圧からど
のように解放されようとしているのか、という点
である。たとえば表4において「意思疎通やネットワークができている、この地域」こそがふるさ
とと言う人、「目的をもって生きている、今この とき」がふるさとと言う人、「父母兄弟と過ごし た所。今はなく、追憶だけ。」がふるさとと言う 人とでほ、郷里への関心や姿勢、ひいては抑圧の
様相にちがいがあるのではないだろうか。あるいは、郷里との交流に障害が多い人とそうでない人
ー89一
乗 本 秀 樹
とでは抑圧の度合いにちがいがあるのではないだ ろうか(表10)。こうした点を明らかにするため には調査個票や面接調査による詳細な検討を積み 重ねることが必要であり、他稿を期したい。
検討を要する第二は、郷里からの疎外から解放
されるための方策についてである。そのためにま ず考えられるべきは、コミュニケーションの回路
を用意することであろう。都市在住高齢者たちは たしかに人生のある段階で都市生活を選択した人々 であるが、"村や町を棄てた人"であったり"都市に住むたんなる消費者"なのではない。村や町 の現状と将来に大いに関心を持ち続けてくれてい
る人々であるし、彼らのうちには都市と農村の交 流を歓迎し「都市民として」「都市にいる郷里民と
して」あるいは「都市と郷里の架け橋として」提 案や対話することを厭わない人々もいる(表17)。
農山漁村に生き暮らす高齢者たちにおいても都市
(民)への柔らかいまなざしが育ちっつあること を考え併せるならば(注2))、提案や対話のための柔らかい機会が積極的に創造されてよいのでは
ないか14)。
このことは、都市在住高齢者から見れば、農山 漁村の振興や変容の過程に立ち会い参画すること でもある。そのような主体的参加の機会が周意さ れるとき、回想と現実の落差に落胆することも減
るのではないだろうか。他方、郷里の町や村にお いても、農林漁業とそれを中心にした生活が備え
る経済・生態・文化の諸価値を再認識し、それら を総合的に実現するための方策発見に示唆を得る よい機会になるはずである15)。[注]
1)高度経済成長期に都市に移り住んだ人々が向老期を 迎えつつある折り、高度成長とは何だったのかを総括 するうえでも重要な主題である。
2)三重県多気郡宮川村での聞き取り調査を、長くなる が紹介しておこう。
[a氏]昭和1ケタ生まれ。50年間山ばかりで仕事を してきたが、現在は妻と級径30cⅢの材を市場へ持っ ていく程度だ。村の山は40〜50年のものがほとんど で、木に粘りがある伐出期は今からだ。老齢化で伐出 できなくなっているのがいちばんL、配だ。素材業者に 買ってもらおうにも、人出がないし林道が整っていな い。
住居の周囲にある15枚の水田は、水が良いせいか、
米がよく獲れた(最高10俵)。昭和60年代に村道の 排土を盛って畑に変え、その畑にさまざまな農林産物
一90‑
を試作している。a氏のいく枚かの畑はさながら実験 圃だ。
アケビは昨年2万円ほど、コンニャクは2〜3万円、
フォレストピアに出荷した。今後が有望だ。サルナシ も有望で、長野県まで見学に行った。トチの木も 40〜50本植えており、ホオノキ団子の材料にしてい る。需給が逼迫しているが、これを植えているのはa 氏だけで、真似をする人はまだ現われない。シカがホ オノキの幹を食べるのに困っているが、有望だ。村の 人々にとくに奨めたいのは、杉や櫓ではなくクヌギを 家の近くに植えることだ。米が作れない人でも椎茸な ら作れ、その原木として使えるからだ。それに、何代 も行くほどに次々と原木に使え、冬は落葉し夏は涼し い。
盆と正月に帰ってくる子供たちやその配偶者も、こ の田舎が好きだ。「息抜きできるように家屋は保存し ておいてくれ」と言ってくれる。しかし周囲には空き 家が多く、近隣の空き家の草を頼まれて刈っている。
自分らがいなくなっても、この家や土地を守ってほし い。子供たちが、遠くから釆て団地に暮らす人々のう ちに親しい人をこしらえる。そうした人々に村に入っ て守ってもらわないといけない。都市近郊では田地を 切り売りして住宅を建設しているのだから、この近く (山の中)でそういうことがあってもよい。
[b氏]昭和1ケタ生まれ。夫は椎茸、自身は野菜作 だ。役場が作ってくれた低農薬野菜栽培グループに参 加していたが、出荷量が少ない、形状が不揃いなどの 理由で、グループは解散した。引き続きEM(微生物) 栽培グループとして無農薬栽培している。グループ員 は8人で、平均年齢は64〜65歳。若い人たちにも呼 びかけるが、なかなか参加してもらえない。
作目は、サツマイモ、ネギ、ミズナ、ラディッシュ、
ホウレンソウ、コマツナ、ショウガ、バレイショ、タ マネギなどさまざまだ。病害虫予防液、肥料も自分で 作る(肥料は購入肥料をもとにして)。配合のしかた が難しいが半値ででき、病気にも虫にも強くなる。農 薬も化学肥料もないから、野菜が柔らかくて甘い。い ろいろ気を使うが、農業新聞や気象状況を見て勉強し たり工夫している。冷夏・暖冬などは逆手にとるよう にしている。涼しく日照りが短いのであれば、それに 合うものを植えるのだ。
この栽培をするようになったのは、農薬の威力を知っ たからだ。農薬によって、虫は見ているうちにこける。
農薬を怖く感じ、昔の百姓にもどったらどうかと思っ た。そんなときにEMの広告を見た。何だろうと思っ ていたところ、津市で開かれる大会に役場が誘ってく れた。さらに知りたくなって、自分で電話して学習し た。そして、自分のものにしていった。
「形が不揃いの野菜も欲しい」と保母さんが言って くれる。買いに来る近所の人が、「まだあるなぁ」と 安心し楽しむ表情を見せてくれる。喜んでもらえてい ることが実感できる。もみじ館やフォレストピアに出 すと、客が喜び口コミで評判が拡がる。「経費がこれ だけかかったからこれだけの価格を」ではなく、「ど