成 二 十 六 年 度 本 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 学 位 請 求 論 文
曲 直 瀬 道 三 に お け る 中 国 針 灸 医 学 思 想 の 受 容 と 展 開
― 日 本 中 世 針 灸 史 の 基 礎 的 研 究
―
中 国 学 専 攻
天 野 陽 介
平
成 二
十
六
年 十
月
二 十
三
日
目 次
序 論‥
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‥ 11 は じ めに
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‥ 13 第 一 節 中国 伝 統 医学 と
、そ の日 本 にお け る受 容の 歴史
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‥ 21 一
.中
国
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‥ 22
(一
)中 国 伝 統医 学 の形 成と 三 大古 典
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‥ 22
(二
)唐 代 ま での 医 学‥
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‥ 26
(三
)宋 代
~ 清代 の 医学
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‥ 27 二
.日
本
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‥ 29
(一
)平 安 時 代ま で の医 学‥
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‥ 29
(二
)鎌 倉 時 代~ 安 土桃 山時 代 の医 学
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‥ 30
(三
)中 世 ま での 針 灸‥
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‥ 30
(四
)江 戸 時 代か ら 現代 の医 学
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‥ 33
第 二 節 経脈 経 穴 学の 歴 史‥
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‥ 36 一
.経 脈説 の 形 成‥
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‥ 36 二
.古 代の 経 脈
・経 穴 を伝 える 文 物‥
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‥ 37
(一
)武 威 医 簡‥
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‥ 37
(二
)綿 陽 出 土の 木 製人 形‥
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‥ 38
(三
)成 都 出 土の 医 書お よび 漆 経穴 人 形‥
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‥ 38
(四
)『 史 記』 扁鵲 倉公 列伝
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‥ 39 三
.漢 代の 医 書
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‥ 39
(一
)『 黄 帝内 経素 問』
『黄 帝内 経霊 枢』
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‥‥ 39
(二
)『 黄 帝内 経明 堂』
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‥ 40
(三
)『 難 経』
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‥ 41
(四
)『 傷 寒論
』『 金 匱要 略』
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‥ 41 四
.晋
~唐 の 医 書‥
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‥ 41
(一
)『 脈 経』
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‥ 41
(二
)『 黄 帝三 部針 灸甲 乙経
』‥
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‥ 42
(三
)『 千 金方
』‥
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‥ 42
(四
)『 千 金翼 方』
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‥ 44
(五
)『 外 台秘 要方
』‥
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‥ 44
(六
)『 医 心方
』‥
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‥ 45 五
.宋 代以 降 の 医書
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‥ 46
(一
)『 銅 人腧 穴針 灸図 経』
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‥ 46
(二
)『 針 灸資 生経
』‥
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‥ 46
(三
)『 十 四経 発揮
』‥
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‥ 47 六
.日 本の 経 絡 経穴 書
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‥ 48 文 献と 注‥
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‥ 51 第一
章 曲 直瀬 道 三 の『 針 灸集 要』 と その 周 辺‥
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‥ 57 は じ めに
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‥ 59 第 一 節 沿 革
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‥ 60 一
.曲 直瀬 道 三 略伝
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‥ 60 第 二節
『針 灸 集要
』 の概 要‥
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‥ 62
一. 現伝 本 に つい て
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‥ 62
二.
『 針灸 集要
』の 成立
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‥ 66
三.
『 針灸 集要
』の 背景
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‥ 71
(一
)師
・ 導 道か ら の講 授‥
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‥ 71
(二
)『 当 流医 之源 委』 にみ る道 三流 の源 委‥
‥‥
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‥ 74 四
.『 針 灸集 要』 の周 辺
―
道 三の 針灸 書‥
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‥ 76
(一
)『 当 流医 之源 委』 にみ る道 三の 医書 講釈
‥‥
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‥ 76
(二
)『 当 流医 之源 委』 にみ る道 三の 針灸 書と 修学 次第
‥‥
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‥ 76
(三
)『 全 九集
』真 名本 と仮 名本
‥‥
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‥ 77 第 三 節
『針 灸 集 要』 の 構成 と引 用 書目
‥
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‥ 82 一
.書 式と 篇 目
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‥ 82 二
.『 針 灸集 要』 を構 成す る医 書‥
‥‥
‥‥
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‥‥
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‥‥
‥ 84
(一
)総 論 部 を構 成 する 医書
‥
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‥‥
‥ 84
(二
)総 論 部 につ い ての 検討 と 考察
‥
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‥‥
‥‥
‥‥
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‥‥
‥‥
‥‥
‥ 89
(三
)各 論 部
(「 諸 証的 治応 穴」
)の 検討
‥‥
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‥‥ 92 小 結
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‥ 95
文 献と 注‥
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‥‥
‥ 97 第二
章
『 黄帝 明 堂 灸経 不 審少 々』 考
―
安土 桃山 時代 の経 穴研 究の 一例 とし て
―
‥
‥ 105 は じ めに
‥‥
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‥ 107
第 一 節 書誌 事 項
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‥ 109 第 二 節 内 容
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‥ 110 一
.前 半部
「 黄 帝明 堂 灸経 不審 少 々」
‥
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‥ 110
(一
)『 黄 帝明 堂灸 経』 につ いて
‥‥
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‥‥
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‥ 110
(二
)前 半 部
「黄 帝 明堂 灸経 不 審少 々
」の 内容
‥‥
‥‥
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‥‥
‥ 111 二
.後 半部
「 一 渓先 生 秘説 一紙 也
」‥
‥
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‥‥
‥ 144 第 三 節 考 察
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‥ 156 一
.『 黄 帝明 堂灸 経不 審少 々』 につ いて
‥‥
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‥‥
‥‥
‥‥
‥‥
‥ 156 二
.秦 宗巴 の 質 問に つ いて
‥‥
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‥‥
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‥ 157 三
.曲 直瀬 道 三 の返 答 につ いて
‥
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‥‥
‥‥
‥‥
‥‥
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‥‥
‥ 159 四
.道 三の 問 答 書簡
―
『 翠竹 翁 答問 書
』に つい て‥
‥‥
‥‥
‥‥
‥‥
‥‥
‥‥
‥‥
‥ 161
(一
)『 翠 竹翁 答問 書』 につ いて
‥‥
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‥‥
‥ 161
(二
)針 灸 に 関わ る 道三 の返 答
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‥
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‥ 162
(三
)『 翠 竹翁 答問 書』 から みる 道三 の針 灸‥
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‥‥
‥ 163 小 結
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‥ 165 文 献と 注‥
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‥ 166
第三 章 国 立国 会 図 書館 所 蔵
『新 刊黄 帝明 堂灸 経』 の書 入れ につ いて
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‥ 173 は じ めに
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‥ 175 第 一 節 書入 れ の 実際
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‥ 178 第 二 節 書入 れ に つい て の解 析‥
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‥ 184 小 結
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‥ 187 文 献と 注‥
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‥ 188 第四
章
『 新刊 黄 帝 明堂 灸 経鈔
』に つ いて
‥
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‥‥
‥ 191 は じ めに
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‥ 193 第 一 節 書誌 事 項
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‥ 194 第 二 節 内 容
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‥ 195 一
.人 名・ 書 名
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‥ 195
(一
)人 名
( 日本 人
)‥
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‥ 195
(二
)人 名
( 日本 人 以外
)‥
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‥ 201
(三
)書 名
〔 医書
( 漢籍
)〕
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‥ 202
(四
)書 名
〔 医書
( 国書
)〕
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‥ 206
(五
)書 名
〔 医書 以 外〕
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‥ 207
二
.記 述内 容
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‥ 208 第 三 節 内閣 文 庫 所蔵
『 新刊 黄帝 明 堂灸 経
』‥
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‥ 212 一
.書 誌事 項
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‥‥
‥ 212 二
.書 入れ に つ いて
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‥ 213 三
.書 入れ の 実 際‥
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‥ 215 第 四 節
『新 刊 黄 帝明 堂 灸経 鈔』 と 内閣 文 庫所 蔵『 新刊 黄帝 明堂 灸経
』書 入れ の比 較‥
‥ 237 第 五 節
『新 刊 黄 帝明 堂 灸経 鈔』 に 見え る
「師
」「 私」 など につ いて
‥‥
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‥ 244 小 結
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‥ 248 文 献と 注‥
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‥ 250 結
論‥
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‥ 253 謝
辞‥
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‥ 263
序
論
はじ め に 日
本 にお ける 医 学 史の 研 究と 言え ば
、古 く は富 士川 游の
『日 本医 学史
』( 一九
〇四 年刊
)が あり
、近 くは 酒井 シヅ の『 日本 の医 療 史』
(一 九八 二年 刊) があ り、 近年 に至 り更 に多 数の 成果 に恵 まれ て、 おお むね 出揃 った 感さ えあ るこ とは 事実 であ る。 ただ
、そ れ らは 主 に所 謂「 漢方 薬」 を処 方 して 疾患 の治 療に 当 た る内 科 的 医療 技術 の実 際 と 展開 を、 数々 の医 方書 を中 心的 資料 とし て研 究す る もの で あり
、そ の結 果、 そ こに おい ては 針灸 の理 論や 技術
、ひ い ては
、そ の医 学思 想的 背景 につ いて の研 究が
、い さ さか 不当 に等 閑 視さ れ てき たよ う に 見受 け られ るの で ある
。そ れら の、 確 かに 優れ て完 成度 の高 い研 究が
、し かし 所謂
「 現代 医学
」の 観 点か ら成 さ れた も ので あり
、そ れ 故に
、内 科学 的な 漢 方薬 の 使い 方 に目 が 注が れ、 針灸 の理 論や 実 際の 応 用に つい ては
、さ ほど 重要 視さ れて 来 なか っ たか らで あ る
。 し か しそ れは 日 本 医学 思 想史 の実 際 を十 分 に跡 付け るも ので ある とは 言い 難い
。例 え ば、 江戸 時代 中期 の医 家で ある 中神 琴渓
( 一 七四 四
~一 八三 三
)は
、そ の医 療的 実践 にお いて
、こ の 針灸 と投 薬と を絶 妙 の 組み 合 わ せで 使用 し てい る
。こ の点 につ いて は、 既 に 舘野 が 詳細 な研 究を 行っ てい る( 一
。)
い ま舘 野の 研究 によ れば
、中 神琴 渓に よる 針治 療の 実際 とは
、す なわ ち、 こ の鈹 針療 法 に つい て、 彼 自身 が、
予 ハ曽 テ 恒ノ 師ト 云 モ ノナ ク 皆古 人ヲ 師 トシ テ 学ブ ナ レバ 鈹 針ト テ モ古 人 ノ跡 ヲ 見テ 行 フ也 又 鈹針 ノ 用ハ 毒 血ヲ 去 ルニ 止マ レ ドモ
…
…針 ヲ 以テ 毒 血ヲ 抜 ク事 ハ専 ニ行 フ(
『生 生堂 医譚
』、 16 a- b) と述
べ る通 り、 この 鈹針 とは
、先 ず 基本 的に
hemospasia/phlebotomy
即 ち所 謂〝 瀉血
〟で あり
、上 の引 用 に続 い て、 例 えば
〈 卒倒 昏 暈し て 人事 不省 な る もの
〉に
〈 鈹針 ヲ以 テ地 倉百 会尺 沢委 中手 足ノ 十指 頭ヨ リ血 ヲ出 ス〉 とい う〈 鈹 針
〉療 法 を 処し
(『 生 生堂 医譚
』、 17 a
)、 また
〈両 足 冷テ 氷ノ 如ク 拘彎 シ テ遠 ク行 ク事 能ハ ズ
〉と いう 患者 に 両足 瀉血 して
、『 金匱 要略
』 に駆 瘀血 剤の 第一 と され る
〈桂 枝 茯苓 丸〉
( 桂枝
・ 茯苓
・桃 仁・ 牡丹 皮・ 芍薬 の処 方) に 更 に峻 剤 の〈 大黄
〉を 加え て与 えて 治療 し(
『 生生 堂医 譚』
、 17 b- 18 a)
、〈 全 身肉 脹シ テ脚 最巨 大四 体不 仁〉 なる 者に 鈹針 の上
、『 傷 寒論
』に
〝清 熱瀉 下駆 瘀血
〟の 処方 であ る〈 桃 核承 気湯
〉( 桃 仁・ 大 黄・ 芒硝
・桂 枝・ 甘草
)を 与 え(
『生 生堂 医 譚』
、 18 a)
、〈 面色 土ノ 如ク 短息 ニシ テ腹 中物 有テ 時々 心ヲ 衝ク
〉の 者 には
、鈹 針 の上
、
『傷 寒 論』 の〝 緩 急 止痛
〟 の処 方で あ る〈 小 建中 湯〉
(桂 枝・ 芍薬
・甘 草・ 生姜
・大 棗・ 膠飴
)に
〈茯 苓〉 を加 えた もの であ ろう
、 吉益 東 洞(
『 方機
』) の処 方 であ る〈 茯 苓建 中 湯〉 を施 し(
『生 生堂 医譚
』、 18 a- b)
、〈 聊 カモ 労働 スレ バ身 体痛 ミテ 忍ブ ベカ ラ ズ
〉 に、 鈹 針の 上、
『 傷寒 論』 にmyorelaxant
筋弛 緩剤 の典 型で ある
〈芍 薬甘 草湯
〉を 処し
(『 生 生堂 医譚
』、 18 b
)、 文 字 通り の
〈心 下 痞鞕
〉の 患 者 には
、鈹 針の 上、
『万 病 回春
』の
〈 浮萍 湯〉
( 浮萍
・ 当帰
・川 芎・ 赤 芍薬
・荊 芥
・麻 黄・ 甘草
)に
〈大 黄〉 を加 え たも の であ ろ う〈 浮 萍加 大 黄湯
〉を 与 え(
『 生生 堂医 譚』
、 19 a)
、〈 腰冷 両脚 痿弱 シテ 一歩 モ行 ヘカ ラズ
〉に は、 鈹 針の 上
、『 金匱 要略
』に 見え る
、一 種 の補 薬で ある
〈苓 姜朮 甘湯
〉( 茯 苓・ 白朮
・甘 草・ 乾 姜) を 与え
(『 生生 堂 医 譚』
、 19 a)
、〈 四 肢疼 痛緊 急不 能屈 伸〉
( 四 肢疼 痛 し、 緊急 し て 屈伸 す るこ と能 わ ず。
) とい うrheumatism
様 の患 者に は、
〈 尺沢
〉・
〈委 中
〉に 鈹 針の 上、 琴渓 独自 の〈 防 風 散痧 湯〉 を 処し
(『 生生 堂治 験』
、巻 上、 14 a
)、 同様 に
〈両 足一 屈不 能復 伸 者多 年〉
(両 足一 に屈 して
、 復た 伸ば すこ と 能わ ざる こと 多
年。
)に も
〈脚 裏刺 之放 血〉
( 脚裏 之を 刺し て血 を放 つ
)と 鈹 針を 施し
(『 生 生堂 治験
』、 上 17 b- 18 a
)、 また 同様 に〈 両 膝惞 腫不 能 屈伸
〉( 両膝 惞腫 して
、屈 伸す るこ と能 わず
。) の者 にも
、ま ず鈹 針を 施し た上 で、
〈浮 萍湯
〉と 琴 渓 独自 の〈 玄玄 散〉 を施 し(
『生 生 堂治 験
』、 上 20 a)
、更 に〈 痧( 病)
〉の 二例
(『 生生 堂治 験』
、上 10 a- 12 b
)や
、又
、や は り〈 痧
〉の 頭 痛(
『生 生堂 治験
』、 上 17 b)
、 更に
〈 面色 青黄 四肢 微腫 其乳 下動 悸撞 掌
〉( 面 色青 黄 にし て
、四 肢 微腫 し、 其 乳下 の動 悸掌 を撞 く。
)(
『 生生 堂治 験
』、 上 26 a
)と い う患 者 や、 更に
、こ れ は〝 結果 的に
〟 では あ るが
( ネコ に引 っ掻 かれ たた め、 鈹 針と 同じ く瀉 血し
)〈 頭 痛〉 を 治す にも 応用 され
(『 生 生堂 治 験』
、下 1b
)、 更に また
、〈 吃逆 経三 四日 而不 休〉
(吃 逆
、三 四日 を経 ても 休ま ず
。) のsingultus
に〈 三 稜針
〉に よ るphlebotomy 瀉血 を 施す
(『 生生 堂治 験』
、上 19 a
)等 々
、常 に〈 規 則〉 に 捉わ れず
、自 由 自在
・臨 機 応変 に縦 横無 尽の 治療 行為 の展 開に
、こ の 鈹 針、 す なわ ちハ リ に よる 治 療が 厳然 と して 行 われ てい るの であ る。 か く して 日本 医 学 思想 史 にお ける 針 灸の 分 野は
、未 だ十 分な 研究 がな され て来 なか った のが 現状 であ ると 思わ れる ので ある
。そ こ で本 論 攷は
、日 本中 世に おけ る針 灸の 実態 と展 開の 一端 を明 らか にす るこ とを 目的 に、 先ず はそ の手 始め とし て、 特 に安 土桃 山時 代 に 活躍 し後 世 に 多大 な影 響 を与 え た日 本 医学 中興 の 祖と 称 され る 曲直 瀬 道三 を中 心 に、 曲 直瀬 一 門の 針 灸医 学 思想 およ び 経穴 研 究 につ い て、 一方 で綿 密な 書誌 学・ 文 献学 的な 観 点か ら
、そ して その 際に 実際 の針 灸実 技の 上か らも 考察 を加 えて 研究 を試 みて ゆき た い。 後 に垣 間見 るよ うに
、日 本医 学 史に お ける 針灸 書 伝来 の 記 述は 六世 紀 に始 ま り、 江戸 時代 には それ に関 する 書物 も我 が国 で多 数 執筆 刊 行さ れ、 あ る程 度の 概観 は可 能な もの の、 そ の 萌芽 をな す日 本中 世に お け るそ れは 未 だ 手つ か ずの 状態 に ある と 考え られ る か らで あ る。 かく して 本論 攷に おけ る中 心的 課題 は、 針 灸医 学思 想と くに 経穴
( 或い は
、よ り 厳密 に経 穴部 位) 研 究を 中心 とし て日 本 中世 で 中国 針灸 医 学 思想 を いか に受 容 し、 ま たそ れ以 降展 開さ れて いっ たの かを 明ら かに する こと を目 的と する もの であ り、 その こ とは 従 来の 日本 医 学 思想 史 の欠 を補 い、 か つ、 現代 にお ける 針 灸研 究・ 経穴 研究 にい ささ かな りと も資 する 所が ある と考 えら れる の
であ る
。 こ れ を詳 細に 言 い 換え れ ば、
「十 四経 脈( 正 経十 二経 脈・ 任脈
・督 脈
)に 所属 し名 称を 持ち 部位 が 定 まっ てい るも の( 二
」)
と 現在 定 義さ れ てい る経 穴 は、 針 灸の 施術
・診 断部 位に 用い られ てい る が、 その 運用 にお いて 経穴 部位 が基 本的 要素 とな るこ とは 言を 俟た な い。 しか し なが ら
、医 学古 典の 諸書 にお いて は経 穴の 列記 法( 身体 部位 ごと にま とめ て記 載す るか
、経 穴が 所属 する 経絡 ごと にま と めて 記 載す るか
、対 応 病症 ごと にま と めて 記 載す るか
)に 相違 が見 られ
、ま た経 穴部 位の 表記 にも 相違 が見 られ る。 これ ら諸 説の 何 れに 従 うか はし ばし ば論 究さ れて きた
(三
。)
経穴 部位 の研 究が
、具 体的 にい かよ うに なさ れて きた かを 明ら かに す るこ と は、 医 学思 想史 的 意義 はも と よ り、 現 代の 経穴 研究 に資 する こと は大 きく
、ひ いて は針 灸臨 床に おけ る経 穴運 用 の 幅を 拡げ る上 にも 大い に 意 義 があ る と考 えら れ る ので あ る。 す な わち
、具 体 的に 言い 換え れば
、我 が国 にお ける 経穴 の研 究は 十七 世紀 前半 を境 にそ の依 拠す る 中 国典 籍が 大き く変 遷し て い っ た。 こ のこ とは
、 安 土桃 山 時代 に興 っ た針 灸 諸流 派の 流儀 書に おい ても その 傾向 が見 られ る。 つま り、 永禄
(一 五五 八~ 一五 七〇
) 頃に 興 った 吉田 流( 四
の)
流儀 書 では 経穴 は 部 位ご と にま とめ ら れ、 ま た経 穴名 に隠 名を 使用 して いる
。こ れ は自 流の 学術 秘匿 のた め であ っ たと 考え ら れ る。 更に また 文禄
(一 五 九二
~ 一五 九六
)慶 長( 一五 九 六
~一 六 一 五) 頃に 興っ た入 江流
( 五
の)
流儀 書で は経 穴 名に は 仏教 系医 学 書『 耆婆 五蔵 経』 に 基づ いた 隠名 を用 い、 病 症 名も 仏 教 系医 学書 の『 五 体身 分集
』に よ って 記載 して い る。 こ れら 吉田 流
、入 江流 に は 仏教 系 医学 の影 響 が見 ら れ、 経穴 の記 載に おい ても 同様 に仏 教系 医学 の影 響が 見ら れる
( 六)
。 一 方、 同 じく 文 禄慶 長頃 に興 った 扁 鵲新 流( 扁 鵲真 流
)( 七
の)
流 儀書 では 経 穴 の記 載は
『黄 帝明 堂灸 経』 に 基 づい てい る。 ま たや は り文 禄 慶長 頃に 興っ た雲 海 士流
( 八)
、 匹 地流
(九
)
の 流儀 書に お いて
、経 穴 の記 載は
『十 四経 発 揮』 に基 づ いて 行わ れて い る。 これ 以 降、 十 七世 紀半 ば に 興っ た 妙針 流、 路 針流 な ど諸 流派 の流 儀書 は『 十 四経 発 揮』 に基 づく もの が多 くな って いく
。
こ れ ら日 本の 針 灸 流儀 書 から 見た
、経 穴研 究の 主に 依拠 する テキ スト は十 六世 紀後 半か ら十 七世 紀前 半に かけ て、 仏教 系医 学 書 か ら『 黄 帝明 堂灸 経
』、 そし て『 十四 経発 揮』 へと 変遷 して いる こと が知 れる
。 こ れ らの 事に つ い て大 浦 宏勝 は詳 細 な研 究 を行 い、 その まと めと して 次の よう に述 べて いる
( 一〇
。)
今 回 取り あ げた 一 五六
〇
~一 六四
〇年 頃ま での 取穴 資料 は『 耆 婆』 取穴 に代 表さ れる 仏教 医学 的鍼 灸術 の実 践か ら、 明 代鍼 灸 医学 へ の変 遷 過程 を 示し て おり
、近 世鍼 灸医 学へ の脱 皮を 模索 して いた 一端 が理 解で きよ う。 こ う した 明 代鍼 灸 医学 の 本格 的導 入の 流れ と軌 を一 にし て、 諸流 派と もに
『耆 婆』 取穴 の影 響を 脱し
、『 十四 経発 揮』 ある い は『 明 堂灸 経
』の 経 絡経 穴 に基 づく 取穴 へと 衣替 えを して ゆく
。 そ
し て、 後述 す るよ うに
、十 七世 紀半 ば 以降 に 日本 で 活発 に 出版 さ れる 経 穴研 究書 は『 十四 経発 揮』 に基 づき 著さ れた もの が圧 倒 的に 多 くな り、 そ の 影響 の ほど が窺 い 知れ る
。 こ の よう な経 穴 研 究の 依 拠す る中 国 典籍 の 変遷 には
、慶 長元 年( 一 五九 六) に『 十 四経 発 揮
』が 古活 字 で印 行さ れ て 以降
、幾 度 と なく 翻 刻さ れ( 一 一)
広 く流 布し た こと がそ の一 因と して 挙 げら れよ う。 しか しな が ら、 この よう に『 十四 経 発揮
』が 翻刻 出版 され 活 用さ れ るよ うに な っ た原 因 は何 であ ろ うか
。 こ の 点に つい て 小 曽戸 洋 は次 のよ う に考 察 して いる
( 一二
。)
本 書
(筆 者 注:
『十 四経 発揮
』) は元 代に 刊行 され たこ とは 間違 いな いと 思わ れる が、 元刊 本は 伝 わ って い な い。 明代 に 入り
、
弘治 年 間( 一 四八 八~ 一五
〇五
)太 医院 医士 の任 にあ った 薛鎧
( 良 武) の 校訂 を受 け、 息子 の薛 己( 一 四八 七~ 一五 五九
)の 手 によ っ て嘉 靖 七年
( 一五 二 八) 盛応 陽の 序を 付し て刊 行。 後に 薛鎧
・薛 己父 子の 編著 をま とめ た『 薛氏 医案
』( 二 十四 種 本。 十 六種 本 には 入 って い ない
)に 編 入さ れた
。こ の薛 氏本 が現 伝本 の祖 本と なっ てい る。 中国 で は清 代 まで は『 薛 氏医 案』 本の み で
、 単行 さ れた も のは な い。 朝 鮮で は全 く顧 みら れな かっ た。 一 方、 日 本は とい うと 薛氏 父子 の校 訂本 が出 され た嘉 靖・ 万暦 間の 医学 文献 は、 日 本近 世医 学文 化 の 黎明 期に おけ る最 先端 の 医学 情 報で あ った か ら、 す こぶ る歓 迎さ れ、 中国 より もか えっ て日 本の 土壌 に浸 透し てし まう 結果 を生 んだ
。す なわ ちこ の『 十 四経 発 揮』 は 簡明 であ ると とも に、 薛氏 の校 刊と いう こと も手 伝っ て、 日本 で初 めて の古 活字 版医 書と なっ たの であ る。 慶長 元 年( 一 五九 六) 十二 月、 小瀬 甫庵
(道 喜。 さき に豊 臣秀 次の 侍医 をつ とめ た。
『信 長記
』『 太 閤 記』 の 作 者と し て も知 られ る
)の 刊行 し た『 十 四経 発揮
』が これ であ る。 以後 これ を皮 切り に本 書は 何度 とな く翻 刻を 重ね
、わ が国 にお ける 最大 ベス トセ ラー 医 書と な った
。 す
な わち
、日 本で
『 十四 経発 揮』 が かく も受 け入 れら れた 理由 とし て、 嘉靖
・万 暦 間の 医学 文献 は日 本近 世医 学文 化の 黎明 期す な わち 安 土桃 山時 代 か ら江 戸 時代 前期 に おい て は最 先端 の医 学で あっ た
、『 十 四経 発揮
』が 簡明 であ った
、日 本で 広く 受け 入れ られ た 薛氏 の 校刊 を経 て
『 薛氏 医 案』 に編 入 され た
、こ れら のこ とを 背景 に 日本 で 初め ての 古活 字版 医書 とし て出 版さ れた
、と いう
。 古 活 字版 医書 の 役 割に つ いて は、 町泉 寿郎 は「 古活 字本 は曲 直瀬 家な ど有 力な 医者 が学 塾で 教え る際 のテ キス トと して 印刷 され た もの で はな いか
」と の 見解 を示 して おり
(一 三
、)
『十 四経 発揮
』受 容 の先 駆け とな った 古 活字 本 印行 に曲 直 瀬家 な ど有 力 な医 者 の関 わ りを 示 唆し てい る
。
こ れ ら先 行研 究 に より
『 十四 経発 揮』 が日 本に 受容 され た概 略は 述べ られ てい よう
。し かし
、経 穴 研 究の 拠る とこ ろと なる テキ ス トが
『 十四 経発 揮』 へ と変 遷 し てい く過 程に つい て の 具体 的 な 様相 につ いて は 未 だ十 分に 明 ら かに さ れて いな い。 こ の経 穴研 究の 依 拠す る 中心 テキ ス ト の変 遷 の具 体的 な 様相 を 明ら かに する こと は、 とり もな おさ ず、 針灸 分野 にお け る 中国 医学 思想 の受 容の 具体 的 様相 を 明ら かに す る こと に なる と言 え よう
。本 論 攷で は、 安土 桃山 時代 から 江戸 時代 前期 にお いて 中 国 医学 思 想 がい かに 日本 に 受 容 され た か、 その 具 体 的様 相 を針 灸・ 経 穴を 中 心に 論ず るこ とを 目的 とす るも ので ある
。 こ れ まで 述べ て き た通 り
、我 が国 にお ける 経穴 の研 究は 十七 世紀 前半 を境 にそ の依 拠す る中 国典 籍が 大き く変 遷し てい った
。こ の 時期 に 行わ れて い た 経穴 研 究の 具体 例 につ い て従 来そ の詳 細は 明ら か でな か った
。前 述の 通り
、我 が国 にお ける 経穴 およ び経 穴部 位 の研 究 は江 戸時 代 以 降盛 ん に行 われ
、多 くの 経穴 書が 編ま れた
。そ の初 期に 著さ れ、 以降 の経 穴研 究の 先駆 けと なっ た書 とし て、 秦 宗巴
( 一五 五〇
~一 六〇 七
)の
『 兪穴 参伍 的法
』〔 天 正 二年
(一 五七 四) 曲直 瀬道 三奥 書〕
、饗 庭 東庵 の『 黄 帝秘 伝経 脈発 揮
』が 知 ら れる
。 この 秦宗 巴 は 曲直 瀬 道三 の門 人 であ り
、ま た饗 庭東 庵は 曲直 瀬玄 朔の 門人 であ り、 とも に曲 直瀬 家に 従学 して いる こと から
、 経穴 研 究の 初期 に 曲 直瀬 家 が少 なか ら ず影 響 を与 えて いた こと が推 察さ れる
。 以 上 のこ とか ら
、曲 直瀬 一門 なか でも 特に 曲直 瀬道 三の 針灸 医学 思想 およ び経 穴研 究の 実例 を審 らか にす るこ とは
、日 本に お け る 経穴 研 究の 依拠 す る 中国 典 籍の 受容 と 変遷 の 具体 例を 明ら かに する こ とに な り、 以て 日本 中世 にお ける 針灸 技術
・経 穴理 論の 概 要 が 明ら か にな るも の で ある と 考え るの で ある
。そ こ で具 体 的に 言 えば
、本 論攷 にお いて は、 以上 のよ うな 流れ の中 にあ っ て、 先 ずは 曲 直瀬 道 三の 針灸 医 学 思想 を 記し た著 書『 針 灸集 要』 を 概観 し、 そ の針 灸 につ い ての 考 え 方を 検討 し
、こ れ まで 埋も れて いた
、道 三 の 針灸 医 学思 想に つ い て明 ら かに し、 ま た道 三と その 門弟
・秦 宗巴 と の間 で行 わ れ た経 穴に 関 す る問 答 書簡 の記 録 であ る『 黄帝 明堂 灸 経不 審 少々
』と
、道 三・ 宗 巴に よる もの と推 測さ れる 書入 れが 保存 され てい る国 立国 会図 書館 所蔵
『 新刊 黄帝 明堂 灸経
』の
、正 に そ
の 書入 れに つ い ての 研究 を 行っ て
、こ れ また 従来 手 つか ず であ っ たと こ ろの 経穴 に つい て の、 当 時の 医 家た ち の理 解に つ いて 精 査 し、 更 にこ れら をま とめ る意 味で
、従 来 その 内容 はお ろか
、そ の 存在 すら ほ と んど 知 ら れて いな か った
『 新刊 黄帝 明堂 灸経 鈔』 の 内 容を を 詳細 に検 討 す るこ と とな るの で ある
。こ の『 新 刊黄 帝明 堂灸 経鈔
』こ そ
、道 三と その 弟子 たち の手 に成 る、 所謂
「抄 物
」
―
すな わ ち、 彼 らが そ の弟 子 たち に『 黄帝 明堂 灸経
』を 講釈 した 時の 筆録
、謂 わば
「講 義ノ ート
」
―
で あり
、彼 ら 一派 の、 ひい ては
、 当時 の 主流 をな す 針 灸技 術
・経 穴理 論 のつ ぶ さな 内容 が看 取で きる もの だと 考え られ るか らで ある
。 か
く して
、こ れ まで 顧み られ るこ とが なか った 諸文 献の 詳細 な研 究を 通じ て、 従来 見逃 され てき た 曲 直瀬 道三 の針 灸医 学思 想 の 実 態を 概 観し
、日 本中 世に お け る針 灸医 学思 想の 受容 と展 開の 様相 の一 端を 明 ら かに し
、以 てこ の領 域の 研究 の礎 たら んと する もの で ある
。 そ
こ で以 下、 本論 攷に おけ る検 討の 背景 をな す日 本中 世の 医学 の全 体像 を概 観す るが
、先 ずは それ に先 立っ て、 更 にそ の淵 源を な す所 の
、中 国伝 統 医 学史 に つい て、 既 にい さ さか 研究 を行 って いる ゆえ
、そ の大 まか な流 れを 垣間 見て おき たい
。
第一 節 中国 伝統 医 学と
、 その 日本 にお ける 受容 の歴 史 は
じ めに
、中 国伝 統医 学の 歴史 を概 観し
、本 論攷 が 検討 の 対 象と する 曲 直瀬 道 三の
、我 が国 の安 土桃 山時 代か ら江 戸時 代前 期に お ける 医 学史 的位 置 づ けを 明 らか にし た い( 一 四)
。 中 国 伝統 医学 は 中 国に そ の源 流を 発 する 伝 統医 学で
、薬 物湯 液治 療、 針灸 治療
、養 生を 三大 柱と して 行わ れる
。薬 物湯 液治 療は
、 動・ 植・ 鉱物 薬を 単独 ある いは 複数 を用 いて 治療 にあ たる
。針 灸 治療 のう ち
、針 治 療は 主に 金属 製の 針を 用い て人 体に 刺入
( とき に 圧迫
・擦 過) する こと によ り、 また 灸治 療は ヨモ ギの 葉を 精製 して 作る 艾を 人体 上で 燃焼 する こと によ り、 身体 に刺 激を 与え るこ と を治 療 手段 とす る
。そ の刺 激は
、長 年に わた る経 験の 蓄積 によ り高 い治 療効 果が 認め られ た部 位( 所謂 腧穴
・経 穴・ ツ ボ) や、 症 状 のあ る 部位 など に 与 えら れ る。 養生 は 按摩
、 運動
、飲 食、 性生 活、 生活 指導 など を通 じ、 健康 維持 や長 寿の 実現 を図 るも ので ある
。 中 国 伝統 医学 の 歴 史は 長 く、 その 淵源 は古 代中 国に まで 遡る
。そ の医 学は 日本
・韓 国な ど周 囲へ 広が り、 各々 独自 の展 開を 果た し た。 わ が国 では
、こ の 中国 伝 統 医学 は東 洋医 学あ る い は漢 方 医 学と も呼 ば れ、 現 代に おい ても 疾病 の治 療お よび 予防 とし て活 用さ れ てい る
。
一
.中
国
(一
)中 国伝 統医 学の 形 成と 三大 古典 中 国 伝統 医学 は そ の源 流 を中 国に 発 する
。こ の 伝統 医学 は、 殷(
~ 前十 一世 紀 頃)
、西 周(
~前 七七
〇)
、春 秋( 前 七七
〇~ 前四
〇 三)
、戦 国( 前四
〇三
~前 二二 一
)、 秦
(前 二二 一~ 前二
〇二
)の 時代 を通 じ厖 大な 経験 と知 識が 集積 され 形成 され てい った
。 殷 の 甲骨 文字 史 料 には 神 意を 問う こ とが 目 的で 刻ま れた もの が多 い が、 中 には 疾病 に関 する 記述 も多 く残 され てい る。 その た め 経 験的 医 療も 並行 し て 行わ れ てい たと 考 えら れ てい る。
『呂 氏春 秋』
『淮 南子
』な ど にも 中国 伝統 医学 の形 成過 程の 一端 が残 され てい る
( 一五
。)
『 史記
』は 前漢 の司 馬遷 が編 んだ 中国 最初 の通 史
。そ の列 伝( 重要 人物 の伝 記) には 春 秋 戦国 時代 の 伝 説上 の名 医・ 扁 鵲と
、前 漢 時代 の 倉公 淳于 意 の 伝記 や 医療 記事 が 残さ れ てい る。
『 史記
』に 次ぐ 前漢 の正 史『 漢 書』 に は
、今 か らお よそ 二〇
〇〇 年前
、紀 元前 後の 宮 廷に 所 蔵さ れて いた 図書 の目 録「 芸文 志」 が ある
。 当時
、医 学 は
「方 技
」と 称さ れ
、『 漢 書』 芸文 志で は医 書を 方技 書と 呼び
、「 医 経
(医 学総 合 理 論書
)」
「 経方
(薬 物治 療 書
)」
「房 中
(性 技養 生 書
)」
「神 仙( 不老 長 生術 書
)」 の四 つに 分類
、総 計三 十六 書八 百六 十八 巻を 収載 して いる
。こ こか ら、 当時 すで に 医学 の 理論 は体 系 化 され
、 専門 書が 著 され る ほど の水 準で あっ たこ とが 知ら れる ので ある
。 こ れ らの 他の 医 学 的資 料 とし ては
、一 九七
〇年 代に 中国 で相 次い で発 掘さ れた 医薬 に関 わる 出土 資料 があ る。 その 代表 的 なも の と して 馬 王堆 医書 が 挙 げら れ る。 紀元 前一 九三 年に 長沙 の王 侯と なっ た利 蒼と その 妻子 の墓 であ る、 馬 王 堆漢 墓か らの 出土 物に 医学 資 料が 含 まれ てい た
。妻 の墓 であ る一 号 墓か ら は婦 人の 遺体 が出 土。 夫妻 の子 の墓 であ る三 号墓 から は帛 書・ 竹簡
・木 簡に 書か れた 十
四種 の 医学 書も 出 土 した
。 すな わち
『 足臂 十 一脈 灸経
』『 陰陽 十一 脈灸 経』
『 脈法
』『 陰陽 脈死 候』
『 五十 二病 方』
『養 生 方
『雑 療方
』
『胎 産 書』
『 十問
』『 天 下至 道談
』『 合陰 陽方
』『 雑 禁方
』『 却穀 食気
』『 導 引図
』の 医 書群 で ある
。こ れら の書 は前 漢の 医 学思 想 を伝 え る一 級 の遺 物と し て 重視 さ れて いる
。 湖 北 省江 陵県 で は 張家 山 漢墓 が一 九 八三
~ 八四 年に 発掘 され た。 被葬 者は
、楚 国人
、前 漢王 朝の 下級 文官 とし て九 年間 勤務 し、 没 した の は呂 后二 年( 前 一八 六
)も しく はそ のや や後 とさ れて いる
。張 家山 漢墓 から は『 脈書
』『 引 書』 が出 土。
『 脈 書』 は 竹簡 六 十六 枚に 書 かれ
、内 容 は 六十 余 種の 病名
、 馬王 堆
『陰 陽十 一脈 灸経
』『 陰陽 脈死 候』
『脈 法
』 と類 似の 文 を 含む
。『 引 書』 は竹 簡百 十 二枚 に書 か れ、 内容 は 四 季の 養 生、 導引 の 術式
、 導引 術を 用い た疾 病の 治療
、導 引養 生の 理論 につ いて 記述 して いる
。馬 王堆
『導 引図
』 と類 似 の術 式と 思 わ れる も のも 含ま れ てい る
。 か く して
、馬 王 堆( 湖 南省
)と 張 家山
( 湖北 省) か ら 類似 の内 容を 持つ 医学 書が 発見 され たこ とに より
、当 時 これ らの 医学 が広 範 囲で 行 われ てい た こ とが 明 らか にな っ たの で ある
。同 時に また
、『 黄帝 内経
』以 前の 医学 を示 す資 料と して
、そ の価 値は 計り 知れ な いも の があ る。 さ ら に、 一九 七二 年に 甘粛 省武 威県 で発 掘さ れた 武威 漢墓 から の出 土物 には
、木 簡 七十 八 枚、 木 牘十 四枚 の医 学資 料が 含ま れて い た。 そ こに は箇 条 書 きで
、 医薬 処方 名
、病 名
、薬 物名
、薬 物の 量、 調合 方法
、服 薬時 間、 経穴 名、 禁忌 など が列 記さ れて いる ま た
、一 九六 八 年 に河 北 省満 城県 で 発見 さ れた 満城 漢墓 から は医 療 器具 と され る遺 物( 金針
、銀 針、 銅盆
、銅 薬匙 など
)が 出土
。 金針 に は、 鋒針 と 目さ れる もの 一本
、毫 針 と目 さ れる も の二 本、 円 針と 目さ れる もの 一 本が あ り、 銀針 は 円針 と 目さ れ るも の 一本 が ある
。 あ る いは
、一 九九 二年 に四 川省 綿陽 の前 漢墓
(前 一 七九
~ 前 一四 一年 間
)で 出 土し た黒 漆塗 りの 木製 人形 には 朱漆 線で 経脈 と目 さ
れて い る線 が引 か れ てい た
(左 右対 称 に九 本
、背 部正 中に 一本
)。 さ ら に二
〇一 三 年
、四 川 省成 都の 前漢 墓で ある 老官 山か ら漆 経穴 人形 と竹 簡医 書が 出土 した
。出 土 し た竹 簡九 百二 十支 のう ち 七 百 三十 六 支が 医書 で 九 部あ っ た。
『五 色脈 診』
『 敝昔 医論
』『 脈死 候』
『 六十 二病 法』
『尺 簡』
『 病源
』『 経脈 書』
『諸 病証 候』
『 脈数
』(
『 五 色脈 診
』の み 原 書に 名 があ り
、あ とは 暫定 的 付 けら れた 書名
)。
『 経脈 書』 は馬 王堆
『陰 陽十 一脈 灸経
』や 張家 山『 脈書
』と 同 系 統の 経脈 書 であ り、
『 霊枢
』経 脈 篇に 繫が る内 容を 持つ
。し かし
、『 陰陽 十一 脈 灸 経』
『 脈 書』 で「 歯脈
」と 記 され てい た脈 が「 手陽 明脈
」 と記 さ れて おり
、『 霊 枢』 経脈 篇の
「大 腸手 陽明 之脈
」の 名称 に近 くな って いる こと など は注 目に 値す る。 同時 に出 土し た漆 経穴 人 形は
、現 在 公表 され てい る写 真で は詳 細ま では 分か らな いが
、白 色 と赤 色で 経 脈 と思 われ る 線 が引 か れ、 そ の線 上に は経 穴と 思わ れ る点 が 刻さ れて い る
。背 部 の 正中 には 上か ら「 心」
「 肺」
「肝
」「 胃
」「 腎」 の 文 字が 彫ら れて いる
。老 官山 から 出土 した 医書 と 経 穴人 形は
、現 在伝 わっ てい る『 黄 帝内 経』 系 の医 学と 別系 統 のも の( 扁 鵲系
)が 含 まれ てい るの では ない かと の指 摘も ある
( 一六
。)
今 後の 画像 公 開と 研究 が 待 たれ る
。 こ れ ら出 土資 料 か らは 当 時の 医学 お よび 医 学理 論の 断片 を窺 い知 る こと が でき
、そ の いず れも 貴重 な資 料と なっ てい る。 一方
、医 学理 論 がま とま っ た 形で 編 纂さ れ後 世 へ大 き な影 響を 及ぼ した もの に、 前 漢( 前 二〇 二~ 九) から 後漢
( 二五
~二 二〇
)に 成 立し た とさ れ る『 黄帝 内 経
』『 神 農本 草経
』『 張仲 景方
(傷 寒論
・金 匱要 略)
』が あ る
。こ れら は 今 なお 中 国 伝統 医学 の最 重要 書と し て 尊重 され
、 三大 古典 と 称 され て いる
。こ の うち
『 黄帝 内経
』は
『黄 帝内 経素 問』
『 黄 帝内 経霊 枢』 から なり
、春 秋戦 国時 代以 来の 医論 を 綴り 合 わせ
、前 漢 末 から 後 漢初 に成 立 した と 考え られ てい る。
『 素 問』 は医 学 理 論書 で
、陰 陽五 行 説な ど を主 な理 論背 景と して
、 養生
・ 生理
・病 理・ 医学 思想 など が説 かれ てい る。
『素 問』 の 伝承 経 緯を 略述 す る と次 の よう であ る
。五 世 紀末 に全 元起 が注 解を 施し た( 全元 起本
)。 次に
、唐 の王 冰が 当時 の『 素問
』の 伝本 は
錯誤 が 多く 未整 理 で ある た め、 全元 起 本に 基 づき
『素 問』 を改 訂、 全 元起 本 に欠 けて いた 一巻 分を 付け 加え
(所 謂運 気七 篇)
、 七 六 二年 に 注解 書( 王 冰 本・ 次 注本
)を 作 った
。 北宋 の政 府主 導に よる 医 書校 勘
・出 版事 業で は、
『素 問』 は全 元起 本・ 王冰 本・
『 太 素』 など に より 林億 ら に より 校 正さ れ、 一
〇六 九 年に 出版 され た( 新校 正本
・林 億本
)。 しか しこ の北 宋版 は現 存せ ず、 現伝 の『 素問
』 で最 善 とさ れる の は 北宋 版 に連 なる 明
・十 六 世紀 の版 本( 顧従 徳本
)と され てい る。
『 霊 枢』 は針 灸 医 学の 専 門書 とも 言 える 内 容で 構成 され る。 前述 の 出土 文 献で は経 脈は 十一 本と 想定 され てい たが
、『 霊枢
』で は 十二 本 に想 定さ れ
、お のお の独 立し て いた 経 脈は 十二 本 が繫 が り全 身 をめ ぐ ると いう 循環 概念 が加 わり
、ま た臓 腑( 六臓 六腑
)と 接 続す る とい う概 念 も 付加 さ れた
。現 在用 いら れて いる 経脈 説は この
『 霊枢
』に 依 拠 して いる と こ ろが 大き い。 経 脈・ 経 穴・ 針 具な ど 針灸 医 学の 重要 事 項 は多 く 本書 を典 拠 とし て いる
。
『 神農 本草 経』 は、 個々 の 生 薬の 薬効 に つ いて 述 べた 薬物 学 書。 後 漢代 に成 立し たと 推定 され る。 三百 六十 五種 の動
・植
・鉱 物 薬 が、 薬 効別 に分 類 収 録さ れ
(上 品・ 中 品・ 下 品: 三品 分類 と称 され る)
、そ れぞ れ別 名・ 気味
・産 地・ 薬効 につ いて 記さ れて いる
。 また
、 君臣 佐使
、 七 情と い った 薬物 配 合に お ける 配慮
、原 則が 記さ れて いる
。本 書は 後代 の本 草学 書の 基礎 とな った
。
『 張仲 景方
』は 後 漢の 張仲 景が 三世 紀の 初頭 に著 した とさ れて いる
。『 傷 寒論
』『 金 匱要 略』 と して 伝わ り、 こ の両 書は 現在 も湯 液 治療 の 古典 にお い て 最も 重 要視 され て いる
。 三 大 古典 のほ か に
、針 灸 に おい て 重 要古 典と さ れる も のに
『 難 経( 黄 帝八 十一 難経
)』 があ る。
『 難経
』は
『黄 帝内 経』 に基 づき つ つ独 特 とも 言え る 医 論を 展 開、 八 十一 の問 答形 式で 述べ た書
。扁 鵲( 秦 越人
)の 作 とさ れる がこ れは 偽託 で、 後 漢頃 の作 と考 えら れ てい る
。内 容は 脈・ 経絡
・ 臓腑
・病 侯・ 経穴
・ 治法 など
、針 術の 理論 と臨 床が 簡潔 に述 べら れて いる
。現 伝 する
『難 経』 の最 善テ キ スト は『 難 経集 注』 とさ れて いる
。同 書 は『 難経
』の 古い 注釈 を集 めた もの で、 呉 の呂 広、 初唐 の楊 玄操
、北 宋の 丁徳 用・ 虞庶
・ 楊