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(1)

成 二 十 六 年 度 本 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 学 位 請 求 論 文

曲 直 瀬 道 三 に お け る 中 国 針 灸 医 学 思 想 の 受 容 と 展 開

― 日 本 中 世 針 灸 史 の 基 礎 的 研 究

中 国 学 専 攻

天 野 陽 介

成 二

年 十

二 十

(2)
(3)

目 次

序 論‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

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‥ 11 は じ めに

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

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‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

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‥‥

‥ 13 第 一 節 中国 伝 統 医学 と

、そ の日 本 にお け る受 容の 歴史

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 21 一

.中

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

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‥‥

‥ 22

(一

)中 国 伝 統医 学 の形 成と 三 大古 典

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 22

(二

)唐 代 ま での 医 学‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 26

(三

)宋 代

~ 清代 の 医学

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

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‥‥

‥‥

‥‥

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‥‥

‥ 27 二

.日

‥‥

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‥‥

‥‥

‥‥

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‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 29

(一

)平 安 時 代ま で の医 学‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 29

(二

)鎌 倉 時 代~ 安 土桃 山時 代 の医 学

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 30

(三

)中 世 ま での 針 灸‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 30

(四

)江 戸 時 代か ら 現代 の医 学

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

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‥‥

‥ 33

(4)

第 二 節 経脈 経 穴 学の 歴 史‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 36 一

.経 脈説 の 形 成‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 36 二

.古 代の 経 脈

・経 穴 を伝 える 文 物‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 37

(一

)武 威 医 簡‥

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‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 37

(二

)綿 陽 出 土の 木 製人 形‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 38

(三

)成 都 出 土の 医 書お よび 漆 経穴 人 形‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 38

(四

)『 史 記』 扁鵲 倉公 列伝

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 39 三

.漢 代の 医 書

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 39

(一

)『 黄 帝内 経素 問』

『黄 帝内 経霊 枢』

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥ 39

(二

)『 黄 帝内 経明 堂』

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 40

(三

)『 難 経』

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 41

(四

)『 傷 寒論

』『 金 匱要 略』

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 41 四

.晋

~唐 の 医 書‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 41

(一

)『 脈 経』

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 41

(二

)『 黄 帝三 部針 灸甲 乙経

』‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 42

(三

)『 千 金方

』‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 42

(四

)『 千 金翼 方』

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 44

(5)

(五

)『 外 台秘 要方

』‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 44

(六

)『 医 心方

』‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 45 五

.宋 代以 降 の 医書

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 46

(一

)『 銅 人腧 穴針 灸図 経』

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 46

(二

)『 針 灸資 生経

』‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 46

(三

)『 十 四経 発揮

』‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 47 六

.日 本の 経 絡 経穴 書

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 48 文 献と 注‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 51 第一

章 曲 直瀬 道 三 の『 針 灸集 要』 と その 周 辺‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 57 は じ めに

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 59 第 一 節 沿 革

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 60 一

.曲 直瀬 道 三 略伝

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 60 第 二節

『針 灸 集要

』 の概 要‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 62

一. 現伝 本 に つい て

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 62

二.

『 針灸 集要

』の 成立

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 66

三.

『 針灸 集要

』の 背景

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 71

(6)

(一

)師

・ 導 道か ら の講 授‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 71

(二

)『 当 流医 之源 委』 にみ る道 三流 の源 委‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 74 四

.『 針 灸集 要』 の周 辺

道 三の 針灸 書‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 76

(一

)『 当 流医 之源 委』 にみ る道 三の 医書 講釈

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 76

(二

)『 当 流医 之源 委』 にみ る道 三の 針灸 書と 修学 次第

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 76

(三

)『 全 九集

』真 名本 と仮 名本

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 77 第 三 節

『針 灸 集 要』 の 構成 と引 用 書目

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

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‥‥

‥ 82 一

.書 式と 篇 目

‥‥

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‥‥

‥ 82 二

.『 針 灸集 要』 を構 成す る医 書‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 84

(一

)総 論 部 を構 成 する 医書

‥‥

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‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

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‥‥

‥‥

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‥‥

‥ 84

(二

)総 論 部 につ い ての 検討 と 考察

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 89

(三

)各 論 部

(「 諸 証的 治応 穴」

)の 検討

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥ 92 小 結

‥‥

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‥‥

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‥ 95

文 献と 注‥

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‥‥

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‥‥

‥ 97 第二

『 黄帝 明 堂 灸経 不 審少 々』 考

安土 桃山 時代 の経 穴研 究の 一例 とし て

‥ 105 は じ めに

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

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‥ 107

(7)

第 一 節 書誌 事 項

‥‥

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‥‥

‥‥

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‥‥

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‥‥

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‥‥

‥ 109 第 二 節 内 容

‥‥

‥‥

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‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 110 一

.前 半部

「 黄 帝明 堂 灸経 不審 少 々」

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 110

(一

)『 黄 帝明 堂灸 経』 につ いて

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 110

(二

)前 半 部

「黄 帝 明堂 灸経 不 審少 々

」の 内容

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 111 二

.後 半部

「 一 渓先 生 秘説 一紙 也

」‥

‥‥

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‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

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‥‥

‥ 144 第 三 節 考 察

‥‥

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‥‥

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‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 156 一

.『 黄 帝明 堂灸 経不 審少 々』 につ いて

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 156 二

.秦 宗巴 の 質 問に つ いて

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

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‥‥

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‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

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‥ 157 三

.曲 直瀬 道 三 の返 答 につ いて

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 159 四

.道 三の 問 答 書簡

『 翠竹 翁 答問 書

』に つい て‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 161

(一

)『 翠 竹翁 答問 書』 につ いて

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 161

(二

)針 灸 に 関わ る 道三 の返 答

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 162

(三

)『 翠 竹翁 答問 書』 から みる 道三 の針 灸‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 163 小 結

‥‥

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‥‥

‥ 165 文 献と 注‥

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‥‥

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‥‥

‥‥

‥ 166

(8)

第三 章 国 立国 会 図 書館 所 蔵

『新 刊黄 帝明 堂灸 経』 の書 入れ につ いて

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 173 は じ めに

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

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‥‥

‥‥

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‥‥

‥ 175 第 一 節 書入 れ の 実際

‥‥

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‥‥

‥‥

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‥‥

‥‥

‥‥

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‥‥

‥ 178 第 二 節 書入 れ に つい て の解 析‥

‥‥

‥‥

‥‥

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‥‥

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‥‥

‥‥

‥ 184 小 結

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‥‥

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‥ 187 文 献と 注‥

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‥‥

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‥‥

‥ 188 第四

『 新刊 黄 帝 明堂 灸 経鈔

』に つ いて

‥‥

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‥‥

‥‥

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‥‥

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‥‥

‥ 191 は じ めに

‥‥

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‥‥

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‥ 193 第 一 節 書誌 事 項

‥‥

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‥‥

‥ 194 第 二 節 内 容

‥‥

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‥‥

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‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 195 一

.人 名・ 書 名

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 195

(一

)人 名

( 日本 人

)‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 195

(二

)人 名

( 日本 人 以外

)‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 201

(三

)書 名

〔 医書

( 漢籍

)〕

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥ 202

(四

)書 名

〔 医書

( 国書

)〕

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

‥‥

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‥‥

‥ 206

(五

)書 名

〔 医書 以 外〕

‥‥

‥‥

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‥‥

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‥ 207

(9)

.記 述内 容

‥‥

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‥ 208 第 三 節 内閣 文 庫 所蔵

『 新刊 黄帝 明 堂灸 経

』‥

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‥‥

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‥‥

‥ 212 一

.書 誌事 項

‥‥

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‥‥

‥‥

‥‥

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‥‥

‥ 212 二

.書 入れ に つ いて

‥‥

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‥‥

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‥‥

‥‥

‥‥

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‥‥

‥ 213 三

.書 入れ の 実 際‥

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‥‥

‥ 215 第 四 節

『新 刊 黄 帝明 堂 灸経 鈔』 と 内閣 文 庫所 蔵『 新刊 黄帝 明堂 灸経

』書 入れ の比 較‥

‥ 237 第 五 節

『新 刊 黄 帝明 堂 灸経 鈔』 に 見え る

「師

」「 私」 など につ いて

‥‥

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‥‥

‥‥

‥ 244 小 結

‥‥

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‥ 248 文 献と 注‥

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‥ 250 結

論‥

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‥ 253 謝

辞‥

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‥ 263

(10)
(11)

(12)
(13)

はじ め に 日

本 にお ける 医 学 史の 研 究と 言え ば

、古 く は富 士川 游の

『日 本医 学史

』( 一九

〇四 年刊

)が あり

、近 くは 酒井 シヅ の『 日本 の医 療 史』

(一 九八 二年 刊) があ り、 近年 に至 り更 に多 数の 成果 に恵 まれ て、 おお むね 出揃 った 感さ えあ るこ とは 事実 であ る。 ただ

、そ れ らは 主 に所 謂「 漢方 薬」 を処 方 して 疾患 の治 療に 当 た る内 科 的 医療 技術 の実 際 と 展開 を、 数々 の医 方書 を中 心的 資料 とし て研 究す る もの で あり

、そ の結 果、 そ こに おい ては 針灸 の理 論や 技術

、ひ い ては

、そ の医 学思 想的 背景 につ いて の研 究が

、い さ さか 不当 に等 閑 視さ れ てき たよ う に 見受 け られ るの で ある

。そ れら の、 確 かに 優れ て完 成度 の高 い研 究が

、し かし 所謂

「 現代 医学

」の 観 点か ら成 さ れた も ので あり

、そ れ 故に

、内 科学 的な 漢 方薬 の 使い 方 に目 が 注が れ、 針灸 の理 論や 実 際の 応 用に つい ては

、さ ほど 重要 視さ れて 来 なか っ たか らで あ る

。 し か しそ れは 日 本 医学 思 想史 の実 際 を十 分 に跡 付け るも ので ある とは 言い 難い

。例 え ば、 江戸 時代 中期 の医 家で ある 中神 琴渓

( 一 七四 四

~一 八三 三

)は

、そ の医 療的 実践 にお いて

、こ の 針灸 と投 薬と を絶 妙 の 組み 合 わ せで 使用 し てい る

。こ の点 につ いて は、 既 に 舘野 が 詳細 な研 究を 行っ てい る

い ま舘 野の 研究 によ れば

、中 神琴 渓に よる 針治 療の 実際 とは

、す なわ ち、 こ の鈹 針療 法 に つい て、 彼 自身 が、

(14)

予 ハ曽 テ 恒ノ 師ト 云 モ ノナ ク 皆古 人ヲ 師 トシ テ 学ブ ナ レバ 鈹 針ト テ モ古 人 ノ跡 ヲ 見テ 行 フ也 又 鈹針 ノ 用ハ 毒 血ヲ 去 ルニ 止マ レ ドモ

…針 ヲ 以テ 毒 血ヲ 抜 ク事 ハ専 ニ行 フ(

『生 生堂 医譚

』、 16 a- b) と述

べ る通 り、 この 鈹針 とは

、先 ず 基本 的に

hemospasia/phlebotomy

即 ち所 謂〝 瀉血

〟で あり

、上 の引 用 に続 い て、 例 えば

〈 卒倒 昏 暈し て 人事 不省 な る もの

〉に

〈 鈹針 ヲ以 テ地 倉百 会尺 沢委 中手 足ノ 十指 頭ヨ リ血 ヲ出 ス〉 とい う〈 鈹 針

〉療 法 を 処し

(『 生 生堂 医譚

』、 17 a

)、 また

〈両 足 冷テ 氷ノ 如ク 拘彎 シ テ遠 ク行 ク事 能ハ ズ

〉と いう 患者 に 両足 瀉血 して

、『 金匱 要略

』 に駆 瘀血 剤の 第一 と され る

〈桂 枝 茯苓 丸〉

( 桂枝

・ 茯苓

・桃 仁・ 牡丹 皮・ 芍薬 の処 方) に 更 に峻 剤 の〈 大黄

〉を 加え て与 えて 治療 し(

『 生生 堂医 譚』

、 17 b- 18 a)

、〈 全 身肉 脹シ テ脚 最巨 大四 体不 仁〉 なる 者に 鈹針 の上

、『 傷 寒論

』に

〝清 熱瀉 下駆 瘀血

〟の 処方 であ る〈 桃 核承 気湯

〉( 桃 仁・ 大 黄・ 芒硝

・桂 枝・ 甘草

)を 与 え(

『生 生堂 医 譚』

、 18 a)

、〈 面色 土ノ 如ク 短息 ニシ テ腹 中物 有テ 時々 心ヲ 衝ク

〉の 者 には

、鈹 針 の上

『傷 寒 論』 の〝 緩 急 止痛

〟 の処 方で あ る〈 小 建中 湯〉

(桂 枝・ 芍薬

・甘 草・ 生姜

・大 棗・ 膠飴

)に

〈茯 苓〉 を加 えた もの であ ろう

、 吉益 東 洞(

『 方機

』) の処 方 であ る〈 茯 苓建 中 湯〉 を施 し(

『生 生堂 医譚

』、 18 a- b)

、〈 聊 カモ 労働 スレ バ身 体痛 ミテ 忍ブ ベカ ラ ズ

〉 に、 鈹 針の 上、

『 傷寒 論』 にmyorelaxant

筋弛 緩剤 の典 型で ある

〈芍 薬甘 草湯

〉を 処し

(『 生 生堂 医譚

』、 18 b

)、 文 字 通り の

〈心 下 痞鞕

〉の 患 者 には

、鈹 針の 上、

『万 病 回春

』の

〈 浮萍 湯〉

( 浮萍

・ 当帰

・川 芎・ 赤 芍薬

・荊 芥

・麻 黄・ 甘草

)に

〈大 黄〉 を加 え たも の であ ろ う〈 浮 萍加 大 黄湯

〉を 与 え(

『 生生 堂医 譚』

、 19 a)

、〈 腰冷 両脚 痿弱 シテ 一歩 モ行 ヘカ ラズ

〉に は、 鈹 針の 上

、『 金匱 要略

』に 見え る

、一 種 の補 薬で ある

〈苓 姜朮 甘湯

〉( 茯 苓・ 白朮

・甘 草・ 乾 姜) を 与え

(『 生生 堂 医 譚』

、 19 a)

、〈 四 肢疼 痛緊 急不 能屈 伸〉

( 四 肢疼 痛 し、 緊急 し て 屈伸 す るこ と能 わ ず。

) とい うrheumatism

様 の患 者に は、

〈 尺沢

〉・

〈委 中

〉に 鈹 針の 上、 琴渓 独自 の〈 防 風 散痧 湯〉 を 処し

(『 生生 堂治 験』

、巻 上、 14 a

)、 同様 に

〈両 足一 屈不 能復 伸 者多 年〉

(両 足一 に屈 して

、 復た 伸ば すこ と 能わ ざる こと 多

(15)

年。

)に も

〈脚 裏刺 之放 血〉

( 脚裏 之を 刺し て血 を放 つ

)と 鈹 針を 施し

(『 生 生堂 治験

』、 上 17 b- 18 a

)、 また 同様 に〈 両 膝惞 腫不 能 屈伸

〉( 両膝 惞腫 して

、屈 伸す るこ と能 わず

。) の者 にも

、ま ず鈹 針を 施し た上 で、

〈浮 萍湯

〉と 琴 渓 独自 の〈 玄玄 散〉 を施 し(

『生 生 堂治 験

』、 上 20 a)

、更 に〈 痧( 病)

〉の 二例

(『 生生 堂治 験』

、上 10 a- 12 b

)や

、又

、や は り〈 痧

〉の 頭 痛(

『生 生堂 治験

』、 上 17 b)

、 更に

〈 面色 青黄 四肢 微腫 其乳 下動 悸撞 掌

〉( 面 色青 黄 にし て

、四 肢 微腫 し、 其 乳下 の動 悸掌 を撞 く。

)(

『 生生 堂治 験

』、 上 26 a

)と い う患 者 や、 更に

、こ れ は〝 結果 的に

〟 では あ るが

( ネコ に引 っ掻 かれ たた め、 鈹 針と 同じ く瀉 血し

)〈 頭 痛〉 を 治す にも 応用 され

(『 生 生堂 治 験』

、下 1b

)、 更に また

、〈 吃逆 経三 四日 而不 休〉

(吃 逆

、三 四日 を経 ても 休ま ず

。) のsingultus

に〈 三 稜針

〉に よ るphlebotomy 瀉血 を 施す

(『 生生 堂治 験』

、上 19 a

)等 々

、常 に〈 規 則〉 に 捉わ れず

、自 由 自在

・臨 機 応変 に縦 横無 尽の 治療 行為 の展 開に

、こ の 鈹 針、 す なわ ちハ リ に よる 治 療が 厳然 と して 行 われ てい るの であ る。 か く して 日本 医 学 思想 史 にお ける 針 灸の 分 野は

、未 だ十 分な 研究 がな され て来 なか った のが 現状 であ ると 思わ れる ので ある

。そ こ で本 論 攷は

、日 本中 世に おけ る針 灸の 実態 と展 開の 一端 を明 らか にす るこ とを 目的 に、 先ず はそ の手 始め とし て、 特 に安 土桃 山時 代 に 活躍 し後 世 に 多大 な影 響 を与 え た日 本 医学 中興 の 祖と 称 され る 曲直 瀬 道三 を中 心 に、 曲 直瀬 一 門の 針 灸医 学 思想 およ び 経穴 研 究 につ い て、 一方 で綿 密な 書誌 学・ 文 献学 的な 観 点か ら

、そ して その 際に 実際 の針 灸実 技の 上か らも 考察 を加 えて 研究 を試 みて ゆき た い。 後 に垣 間見 るよ うに

、日 本医 学 史に お ける 針灸 書 伝来 の 記 述は 六世 紀 に始 ま り、 江戸 時代 には それ に関 する 書物 も我 が国 で多 数 執筆 刊 行さ れ、 あ る程 度の 概観 は可 能な もの の、 そ の 萌芽 をな す日 本中 世に お け るそ れは 未 だ 手つ か ずの 状態 に ある と 考え られ る か らで あ る。 かく して 本論 攷に おけ る中 心的 課題 は、 針 灸医 学思 想と くに 経穴

( 或い は

、よ り 厳密 に経 穴部 位) 研 究を 中心 とし て日 本 中世 で 中国 針灸 医 学 思想 を いか に受 容 し、 ま たそ れ以 降展 開さ れて いっ たの かを 明ら かに する こと を目 的と する もの であ り、 その こ とは 従 来の 日本 医 学 思想 史 の欠 を補 い、 か つ、 現代 にお ける 針 灸研 究・ 経穴 研究 にい ささ かな りと も資 する 所が ある と考 えら れる の

(16)

であ る

。 こ れ を詳 細に 言 い 換え れ ば、

「十 四経 脈( 正 経十 二経 脈・ 任脈

・督 脈

)に 所属 し名 称を 持ち 部位 が 定 まっ てい るも の

と 現在 定 義さ れ てい る経 穴 は、 針 灸の 施術

・診 断部 位に 用い られ てい る が、 その 運用 にお いて 経穴 部位 が基 本的 要素 とな るこ とは 言を 俟た な い。 しか し なが ら

、医 学古 典の 諸書 にお いて は経 穴の 列記 法( 身体 部位 ごと にま とめ て記 載す るか

、経 穴が 所属 する 経絡 ごと にま と めて 記 載す るか

、対 応 病症 ごと にま と めて 記 載す るか

)に 相違 が見 られ

、ま た経 穴部 位の 表記 にも 相違 が見 られ る。 これ ら諸 説の 何 れに 従 うか はし ばし ば論 究さ れて きた

経穴 部位 の研 究が

、具 体的 にい かよ うに なさ れて きた かを 明ら かに す るこ と は、 医 学思 想史 的 意義 はも と よ り、 現 代の 経穴 研究 に資 する こと は大 きく

、ひ いて は針 灸臨 床に おけ る経 穴運 用 の 幅を 拡げ る上 にも 大い に 意 義 があ る と考 えら れ る ので あ る。 す な わち

、具 体 的に 言い 換え れば

、我 が国 にお ける 経穴 の研 究は 十七 世紀 前半 を境 にそ の依 拠す る 中 国典 籍が 大き く変 遷し て い っ た。 こ のこ とは

、 安 土桃 山 時代 に興 っ た針 灸 諸流 派の 流儀 書に おい ても その 傾向 が見 られ る。 つま り、 永禄

(一 五五 八~ 一五 七〇

) 頃に 興 った 吉田 流

流儀 書 では 経穴 は 部 位ご と にま とめ ら れ、 ま た経 穴名 に隠 名を 使用 して いる

。こ れ は自 流の 学術 秘匿 のた め であ っ たと 考え ら れ る。 更に また 文禄

(一 五 九二

~ 一五 九六

)慶 長( 一五 九 六

~一 六 一 五) 頃に 興っ た入 江流

流儀 書で は経 穴 名に は 仏教 系医 学 書『 耆婆 五蔵 経』 に 基づ いた 隠名 を用 い、 病 症 名も 仏 教 系医 学書 の『 五 体身 分集

』に よ って 記載 して い る。 こ れら 吉田 流

、入 江流 に は 仏教 系 医学 の影 響 が見 ら れ、 経穴 の記 載に おい ても 同様 に仏 教系 医学 の影 響が 見ら れる

。 一 方、 同 じく 文 禄慶 長頃 に興 った 扁 鵲新 流( 扁 鵲真 流

流 儀書 では 経 穴 の記 載は

『黄 帝明 堂灸 経』 に 基 づい てい る。 ま たや は り文 禄 慶長 頃に 興っ た雲 海 士流

、 匹 地流

の 流儀 書に お いて

、経 穴 の記 載は

『十 四経 発 揮』 に基 づ いて 行わ れて い る。 これ 以 降、 十 七世 紀半 ば に 興っ た 妙針 流、 路 針流 な ど諸 流派 の流 儀書 は『 十 四経 発 揮』 に基 づく もの が多 くな って いく

(17)

こ れ ら日 本の 針 灸 流儀 書 から 見た

、経 穴研 究の 主に 依拠 する テキ スト は十 六世 紀後 半か ら十 七世 紀前 半に かけ て、 仏教 系医 学 書 か ら『 黄 帝明 堂灸 経

』、 そし て『 十四 経発 揮』 へと 変遷 して いる こと が知 れる

。 こ れ らの 事に つ い て大 浦 宏勝 は詳 細 な研 究 を行 い、 その まと めと して 次の よう に述 べて いる

今 回 取り あ げた 一 五六

~一 六四

〇年 頃ま での 取穴 資料 は『 耆 婆』 取穴 に代 表さ れる 仏教 医学 的鍼 灸術 の実 践か ら、 明 代鍼 灸 医学 へ の変 遷 過程 を 示し て おり

、近 世鍼 灸医 学へ の脱 皮を 模索 して いた 一端 が理 解で きよ う。 こ う した 明 代鍼 灸 医学 の 本格 的導 入の 流れ と軌 を一 にし て、 諸流 派と もに

『耆 婆』 取穴 の影 響を 脱し

、『 十四 経発 揮』 ある い は『 明 堂灸 経

』の 経 絡経 穴 に基 づく 取穴 へと 衣替 えを して ゆく

。 そ

し て、 後述 す るよ うに

、十 七世 紀半 ば 以降 に 日本 で 活発 に 出版 さ れる 経 穴研 究書 は『 十四 経発 揮』 に基 づき 著さ れた もの が圧 倒 的に 多 くな り、 そ の 影響 の ほど が窺 い 知れ る

。 こ の よう な経 穴 研 究の 依 拠す る中 国 典籍 の 変遷 には

、慶 長元 年( 一 五九 六) に『 十 四経 発 揮

』が 古活 字 で印 行さ れ て 以降

、幾 度 と なく 翻 刻さ れ

広 く流 布し た こと がそ の一 因と して 挙 げら れよ う。 しか しな が ら、 この よう に『 十四 経 発揮

』が 翻刻 出版 され 活 用さ れ るよ うに な っ た原 因 は何 であ ろ うか

。 こ の 点に つい て 小 曽戸 洋 は次 のよ う に考 察 して いる

本 書

(筆 者 注:

『十 四経 発揮

』) は元 代に 刊行 され たこ とは 間違 いな いと 思わ れる が、 元刊 本は 伝 わ って い な い。 明代 に 入り

(18)

弘治 年 間( 一 四八 八~ 一五

〇五

)太 医院 医士 の任 にあ った 薛鎧

( 良 武) の 校訂 を受 け、 息子 の薛 己( 一 四八 七~ 一五 五九

)の 手 によ っ て嘉 靖 七年

( 一五 二 八) 盛応 陽の 序を 付し て刊 行。 後に 薛鎧

・薛 己父 子の 編著 をま とめ た『 薛氏 医案

』( 二 十四 種 本。 十 六種 本 には 入 って い ない

)に 編 入さ れた

。こ の薛 氏本 が現 伝本 の祖 本と なっ てい る。 中国 で は清 代 まで は『 薛 氏医 案』 本の み で

、 単行 さ れた も のは な い。 朝 鮮で は全 く顧 みら れな かっ た。 一 方、 日 本は とい うと 薛氏 父子 の校 訂本 が出 され た嘉 靖・ 万暦 間の 医学 文献 は、 日 本近 世医 学文 化 の 黎明 期に おけ る最 先端 の 医学 情 報で あ った か ら、 す こぶ る歓 迎さ れ、 中国 より もか えっ て日 本の 土壌 に浸 透し てし まう 結果 を生 んだ

。す なわ ちこ の『 十 四経 発 揮』 は 簡明 であ ると とも に、 薛氏 の校 刊と いう こと も手 伝っ て、 日本 で初 めて の古 活字 版医 書と なっ たの であ る。 慶長 元 年( 一 五九 六) 十二 月、 小瀬 甫庵

(道 喜。 さき に豊 臣秀 次の 侍医 をつ とめ た。

『信 長記

』『 太 閤 記』 の 作 者と し て も知 られ る

)の 刊行 し た『 十 四経 発揮

』が これ であ る。 以後 これ を皮 切り に本 書は 何度 とな く翻 刻を 重ね

、わ が国 にお ける 最大 ベス トセ ラー 医 書と な った

。 す

な わち

、日 本で

『 十四 経発 揮』 が かく も受 け入 れら れた 理由 とし て、 嘉靖

・万 暦 間の 医学 文献 は日 本近 世医 学文 化の 黎明 期す な わち 安 土桃 山時 代 か ら江 戸 時代 前期 に おい て は最 先端 の医 学で あっ た

、『 十 四経 発揮

』が 簡明 であ った

、日 本で 広く 受け 入れ られ た 薛氏 の 校刊 を経 て

『 薛氏 医 案』 に編 入 され た

、こ れら のこ とを 背景 に 日本 で 初め ての 古活 字版 医書 とし て出 版さ れた

、と いう

。 古 活 字版 医書 の 役 割に つ いて は、 町泉 寿郎 は「 古活 字本 は曲 直瀬 家な ど有 力な 医者 が学 塾で 教え る際 のテ キス トと して 印刷 され た もの で はな いか

」と の 見解 を示 して おり

『十 四経 発揮

』受 容 の先 駆け とな った 古 活字 本 印行 に曲 直 瀬家 な ど有 力 な医 者 の関 わ りを 示 唆し てい る

(19)

こ れ ら先 行研 究 に より

『 十四 経発 揮』 が日 本に 受容 され た概 略は 述べ られ てい よう

。し かし

、経 穴 研 究の 拠る とこ ろと なる テキ ス トが

『 十四 経発 揮』 へ と変 遷 し てい く過 程に つい て の 具体 的 な 様相 につ いて は 未 だ十 分に 明 ら かに さ れて いな い。 こ の経 穴研 究の 依 拠す る 中心 テキ ス ト の変 遷 の具 体的 な 様相 を 明ら かに する こと は、 とり もな おさ ず、 針灸 分野 にお け る 中国 医学 思想 の受 容の 具体 的 様相 を 明ら かに す る こと に なる と言 え よう

。本 論 攷で は、 安土 桃山 時代 から 江戸 時代 前期 にお いて 中 国 医学 思 想 がい かに 日本 に 受 容 され た か、 その 具 体 的様 相 を針 灸・ 経 穴を 中 心に 論ず るこ とを 目的 とす るも ので ある

。 こ れ まで 述べ て き た通 り

、我 が国 にお ける 経穴 の研 究は 十七 世紀 前半 を境 にそ の依 拠す る中 国典 籍が 大き く変 遷し てい った

。こ の 時期 に 行わ れて い た 経穴 研 究の 具体 例 につ い て従 来そ の詳 細は 明ら か でな か った

。前 述の 通り

、我 が国 にお ける 経穴 およ び経 穴部 位 の研 究 は江 戸時 代 以 降盛 ん に行 われ

、多 くの 経穴 書が 編ま れた

。そ の初 期に 著さ れ、 以降 の経 穴研 究の 先駆 けと なっ た書 とし て、 秦 宗巴

( 一五 五〇

~一 六〇 七

)の

『 兪穴 参伍 的法

』〔 天 正 二年

(一 五七 四) 曲直 瀬道 三奥 書〕

、饗 庭 東庵 の『 黄 帝秘 伝経 脈発 揮

』が 知 ら れる

。 この 秦宗 巴 は 曲直 瀬 道三 の門 人 であ り

、ま た饗 庭東 庵は 曲直 瀬玄 朔の 門人 であ り、 とも に曲 直瀬 家に 従学 して いる こと から

、 経穴 研 究の 初期 に 曲 直瀬 家 が少 なか ら ず影 響 を与 えて いた こと が推 察さ れる

。 以 上 のこ とか ら

、曲 直瀬 一門 なか でも 特に 曲直 瀬道 三の 針灸 医学 思想 およ び経 穴研 究の 実例 を審 らか にす るこ とは

、日 本に お け る 経穴 研 究の 依拠 す る 中国 典 籍の 受容 と 変遷 の 具体 例を 明ら かに する こ とに な り、 以て 日本 中世 にお ける 針灸 技術

・経 穴理 論の 概 要 が 明ら か にな るも の で ある と 考え るの で ある

。そ こ で具 体 的に 言 えば

、本 論攷 にお いて は、 以上 のよ うな 流れ の中 にあ っ て、 先 ずは 曲 直瀬 道 三の 針灸 医 学 思想 を 記し た著 書『 針 灸集 要』 を 概観 し、 そ の針 灸 につ い ての 考 え 方を 検討 し

、こ れ まで 埋も れて いた

、道 三 の 針灸 医 学思 想に つ い て明 ら かに し、 ま た道 三と その 門弟

・秦 宗巴 と の間 で行 わ れ た経 穴に 関 す る問 答 書簡 の記 録 であ る『 黄帝 明堂 灸 経不 審 少々

』と

、道 三・ 宗 巴に よる もの と推 測さ れる 書入 れが 保存 され てい る国 立国 会図 書館 所蔵

『 新刊 黄帝 明堂 灸経

』の

、正 に そ

(20)

の 書入 れに つ い ての 研究 を 行っ て

、こ れ また 従来 手 つか ず であ っ たと こ ろの 経穴 に つい て の、 当 時の 医 家た ち の理 解に つ いて 精 査 し、 更 にこ れら をま とめ る意 味で

、従 来 その 内容 はお ろか

、そ の 存在 すら ほ と んど 知 ら れて いな か った

『 新刊 黄帝 明堂 灸経 鈔』 の 内 容を を 詳細 に検 討 す るこ と とな るの で ある

。こ の『 新 刊黄 帝明 堂灸 経鈔

』こ そ

、道 三と その 弟子 たち の手 に成 る、 所謂

「抄 物

すな わ ち、 彼 らが そ の弟 子 たち に『 黄帝 明堂 灸経

』を 講釈 した 時の 筆録

、謂 わば

「講 義ノ ート

で あり

、彼 ら 一派 の、 ひい ては

、 当時 の 主流 をな す 針 灸技 術

・経 穴理 論 のつ ぶ さな 内容 が看 取で きる もの だと 考え られ るか らで ある

。 か

く して

、こ れ まで 顧み られ るこ とが なか った 諸文 献の 詳細 な研 究を 通じ て、 従来 見逃 され てき た 曲 直瀬 道三 の針 灸医 学思 想 の 実 態を 概 観し

本中 世に お け る針 灸医 学思 想の 受容 と展 開の 様相 の一 端を 明 ら かに し

、以 てこ の領 域の 研究 の礎 たら んと する もの で ある

。 そ

こ で以 下、 本論 攷に おけ る検 討の 背景 をな す日 本中 世の 医学 の全 体像 を概 観す るが

、先 ずは それ に先 立っ て、 更 にそ の淵 源を な す所 の

、中 国伝 統 医 学史 に つい て、 既 にい さ さか 研究 を行 って いる ゆえ

、そ の大 まか な流 れを 垣間 見て おき たい

(21)

第一 節 中国 伝統 医 学と

、 その 日本 にお ける 受容 の歴 史 は

じ めに

、中 国伝 統医 学の 歴史 を概 観し

、本 論攷 が 検討 の 対 象と する 曲 直瀬 道 三の

、我 が国 の安 土桃 山時 代か ら江 戸時 代前 期に お ける 医 学史 的位 置 づ けを 明 らか にし た い

。 中 国 伝統 医学 は 中 国に そ の源 流を 発 する 伝 統医 学で

、薬 物湯 液治 療、 針灸 治療

、養 生を 三大 柱と して 行わ れる

。薬 物湯 液治 療は

、 動・ 植・ 鉱物 薬を 単独 ある いは 複数 を用 いて 治療 にあ たる

。針 灸 治療 のう ち

、針 治 療は 主に 金属 製の 針を 用い て人 体に 刺入

( とき に 圧迫

・擦 過) する こと によ り、 また 灸治 療は ヨモ ギの 葉を 精製 して 作る 艾を 人体 上で 燃焼 する こと によ り、 身体 に刺 激を 与え るこ と を治 療 手段 とす る

。そ の刺 激は

、長 年に わた る経 験の 蓄積 によ り高 い治 療効 果が 認め られ た部 位( 所謂 腧穴

・経 穴・ ツ ボ) や、 症 状 のあ る 部位 など に 与 えら れ る。 養生 は 按摩

、 運動

、飲 食、 性生 活、 生活 指導 など を通 じ、 健康 維持 や長 寿の 実現 を図 るも ので ある

。 中 国 伝統 医学 の 歴 史は 長 く、 その 淵源 は古 代中 国に まで 遡る

。そ の医 学は 日本

・韓 国な ど周 囲へ 広が り、 各々 独自 の展 開を 果た し た。 わ が国 では

、こ の 中国 伝 統 医学 は東 洋医 学あ る い は漢 方 医 学と も呼 ば れ、 現 代に おい ても 疾病 の治 療お よび 予防 とし て活 用さ れ てい る

(22)

.中

(一

)中 国伝 統医 学の 形 成と 三大 古典 中 国 伝統 医学 は そ の源 流 を中 国に 発 する

。こ の 伝統 医学 は、 殷(

~ 前十 一世 紀 頃)

、西 周(

~前 七七

〇)

、春 秋( 前 七七

〇~ 前四

〇 三)

、戦 国( 前四

〇三

~前 二二 一

)、 秦

(前 二二 一~ 前二

〇二

)の 時代 を通 じ厖 大な 経験 と知 識が 集積 され 形成 され てい った

。 殷 の 甲骨 文字 史 料 には 神 意を 問う こ とが 目 的で 刻ま れた もの が多 い が、 中 には 疾病 に関 する 記述 も多 く残 され てい る。 その た め 経 験的 医 療も 並行 し て 行わ れ てい たと 考 えら れ てい る。

『呂 氏春 秋』

『淮 南子

』な ど にも 中国 伝統 医学 の形 成過 程の 一端 が残 され てい る

『 史記

』は 前漢 の司 馬遷 が編 んだ 中国 最初 の通 史

。そ の列 伝( 重要 人物 の伝 記) には 春 秋 戦国 時代 の 伝 説上 の名 医・ 扁 鵲と

、前 漢 時代 の 倉公 淳于 意 の 伝記 や 医療 記事 が 残さ れ てい る。

『 史記

』に 次ぐ 前漢 の正 史『 漢 書』 に は

、今 か らお よそ 二〇

〇〇 年前

、紀 元前 後の 宮 廷に 所 蔵さ れて いた 図書 の目 録「 芸文 志」 が ある

。 当時

、医 学 は

「方 技

」と 称さ れ

、『 漢 書』 芸文 志で は医 書を 方技 書と 呼び

、「 医 経

(医 学総 合 理 論書

)」

「 経方

(薬 物治 療 書

)」

「房 中

(性 技養 生 書

)」

「神 仙( 不老 長 生術 書

)」 の四 つに 分類

、総 計三 十六 書八 百六 十八 巻を 収載 して いる

。こ こか ら、 当時 すで に 医学 の 理論 は体 系 化 され

、 専門 書が 著 され る ほど の水 準で あっ たこ とが 知ら れる ので ある

。 こ れ らの 他の 医 学 的資 料 とし ては

、一 九七

〇年 代に 中国 で相 次い で発 掘さ れた 医薬 に関 わる 出土 資料 があ る。 その 代表 的 なも の と して 馬 王堆 医書 が 挙 げら れ る。 紀元 前一 九三 年に 長沙 の王 侯と なっ た利 蒼と その 妻子 の墓 であ る、 馬 王 堆漢 墓か らの 出土 物に 医学 資 料が 含 まれ てい た

。妻 の墓 であ る一 号 墓か ら は婦 人の 遺体 が出 土。 夫妻 の子 の墓 であ る三 号墓 から は帛 書・ 竹簡

・木 簡に 書か れた 十

(23)

四種 の 医学 書も 出 土 した

。 すな わち

『 足臂 十 一脈 灸経

』『 陰陽 十一 脈灸 経』

『 脈法

』『 陰陽 脈死 候』

『 五十 二病 方』

『養 生 方

『雑 療方

『胎 産 書』

『 十問

』『 天 下至 道談

』『 合陰 陽方

』『 雑 禁方

』『 却穀 食気

』『 導 引図

』の 医 書群 で ある

。こ れら の書 は前 漢の 医 学思 想 を伝 え る一 級 の遺 物と し て 重視 さ れて いる

。 湖 北 省江 陵県 で は 張家 山 漢墓 が一 九 八三

~ 八四 年に 発掘 され た。 被葬 者は

、楚 国人

、前 漢王 朝の 下級 文官 とし て九 年間 勤務 し、 没 した の は呂 后二 年( 前 一八 六

)も しく はそ のや や後 とさ れて いる

。張 家山 漢墓 から は『 脈書

』『 引 書』 が出 土。

『 脈 書』 は 竹簡 六 十六 枚に 書 かれ

、内 容 は 六十 余 種の 病名

、 馬王 堆

『陰 陽十 一脈 灸経

』『 陰陽 脈死 候』

『脈 法

』 と類 似の 文 を 含む

。『 引 書』 は竹 簡百 十 二枚 に書 か れ、 内容 は 四 季の 養 生、 導引 の 術式

、 導引 術を 用い た疾 病の 治療

、導 引養 生の 理論 につ いて 記述 して いる

。馬 王堆

『導 引図

』 と類 似 の術 式と 思 わ れる も のも 含ま れ てい る

。 か く して

、馬 王 堆( 湖 南省

)と 張 家山

( 湖北 省) か ら 類似 の内 容を 持つ 医学 書が 発見 され たこ とに より

、当 時 これ らの 医学 が広 範 囲で 行 われ てい た こ とが 明 らか にな っ たの で ある

。同 時に また

、『 黄帝 内経

』以 前の 医学 を示 す資 料と して

、そ の価 値は 計り 知れ な いも の があ る。 さ ら に、 一九 七二 年に 甘粛 省武 威県 で発 掘さ れた 武威 漢墓 から の出 土物 には

、木 簡 七十 八 枚、 木 牘十 四枚 の医 学資 料が 含ま れて い た。 そ こに は箇 条 書 きで

、 医薬 処方 名

、病 名

、薬 物名

、薬 物の 量、 調合 方法

、服 薬時 間、 経穴 名、 禁忌 など が列 記さ れて いる ま た

、一 九六 八 年 に河 北 省満 城県 で 発見 さ れた 満城 漢墓 から は医 療 器具 と され る遺 物( 金針

、銀 針、 銅盆

、銅 薬匙 など

)が 出土

。 金針 に は、 鋒針 と 目さ れる もの 一本

、毫 針 と目 さ れる も の二 本、 円 針と 目さ れる もの 一 本が あ り、 銀針 は 円針 と 目さ れ るも の 一本 が ある

。 あ る いは

、一 九九 二年 に四 川省 綿陽 の前 漢墓

(前 一 七九

~ 前 一四 一年 間

)で 出 土し た黒 漆塗 りの 木製 人形 には 朱漆 線で 経脈 と目 さ

(24)

れて い る線 が引 か れ てい た

(左 右対 称 に九 本

、背 部正 中に 一本

)。 さ ら に二

〇一 三 年

、四 川 省成 都の 前漢 墓で ある 老官 山か ら漆 経穴 人形 と竹 簡医 書が 出土 した

。出 土 し た竹 簡九 百二 十支 のう ち 七 百 三十 六 支が 医書 で 九 部あ っ た。

『五 色脈 診』

『 敝昔 医論

』『 脈死 候』

『 六十 二病 法』

『尺 簡』

『 病源

』『 経脈 書』

『諸 病証 候』

『 脈数

』(

『 五 色脈 診

』の み 原 書に 名 があ り

、あ とは 暫定 的 付 けら れた 書名

)。

『 経脈 書』 は馬 王堆

『陰 陽十 一脈 灸経

』や 張家 山『 脈書

』と 同 系 統の 経脈 書 であ り、

『 霊枢

』経 脈 篇に 繫が る内 容を 持つ

。し かし

、『 陰陽 十一 脈 灸 経』

『 脈 書』 で「 歯脈

」と 記 され てい た脈 が「 手陽 明脈

」 と記 さ れて おり

、『 霊 枢』 経脈 篇の

「大 腸手 陽明 之脈

」の 名称 に近 くな って いる こと など は注 目に 値す る。 同時 に出 土し た漆 経穴 人 形は

、現 在 公表 され てい る写 真で は詳 細ま では 分か らな いが

、白 色 と赤 色で 経 脈 と思 われ る 線 が引 か れ、 そ の線 上に は経 穴と 思わ れ る点 が 刻さ れて い る

。背 部 の 正中 には 上か ら「 心」

「 肺」

「肝

」「 胃

」「 腎」 の 文 字が 彫ら れて いる

。老 官山 から 出土 した 医書 と 経 穴人 形は

、現 在伝 わっ てい る『 黄 帝内 経』 系 の医 学と 別系 統 のも の( 扁 鵲系

)が 含 まれ てい るの では ない かと の指 摘も ある

今 後の 画像 公 開と 研究 が 待 たれ る

。 こ れ ら出 土資 料 か らは 当 時の 医学 お よび 医 学理 論の 断片 を窺 い知 る こと が でき

、そ の いず れも 貴重 な資 料と なっ てい る。 一方

、医 学理 論 がま とま っ た 形で 編 纂さ れ後 世 へ大 き な影 響を 及ぼ した もの に、 前 漢( 前 二〇 二~ 九) から 後漢

( 二五

~二 二〇

)に 成 立し た とさ れ る『 黄帝 内 経

』『 神 農本 草経

』『 張仲 景方

(傷 寒論

・金 匱要 略)

』が あ る

。こ れら は 今 なお 中 国 伝統 医学 の最 重要 書と し て 尊重 され

、 三大 古典 と 称 され て いる

。こ の うち

『 黄帝 内経

』は

『黄 帝内 経素 問』

『 黄 帝内 経霊 枢』 から なり

、春 秋戦 国時 代以 来の 医論 を 綴り 合 わせ

、前 漢 末 から 後 漢初 に成 立 した と 考え られ てい る。

『 素 問』 は医 学 理 論書 で

、陰 陽五 行 説な ど を主 な理 論背 景と して

、 養生

・ 生理

・病 理・ 医学 思想 など が説 かれ てい る。

『素 問』 の 伝承 経 緯を 略述 す る と次 の よう であ る

。五 世 紀末 に全 元起 が注 解を 施し た( 全元 起本

)。 次に

、唐 の王 冰が 当時 の『 素問

』の 伝本 は

(25)

錯誤 が 多く 未整 理 で ある た め、 全元 起 本に 基 づき

『素 問』 を改 訂、 全 元起 本 に欠 けて いた 一巻 分を 付け 加え

(所 謂運 気七 篇)

、 七 六 二年 に 注解 書( 王 冰 本・ 次 注本

)を 作 った

。 北宋 の政 府主 導に よる 医 書校 勘

・出 版事 業で は、

『素 問』 は全 元起 本・ 王冰 本・

『 太 素』 など に より 林億 ら に より 校 正さ れ、 一

〇六 九 年に 出版 され た( 新校 正本

・林 億本

)。 しか しこ の北 宋版 は現 存せ ず、 現伝 の『 素問

』 で最 善 とさ れる の は 北宋 版 に連 なる 明

・十 六 世紀 の版 本( 顧従 徳本

)と され てい る。

『 霊 枢』 は針 灸 医 学の 専 門書 とも 言 える 内 容で 構成 され る。 前述 の 出土 文 献で は経 脈は 十一 本と 想定 され てい たが

、『 霊枢

』で は 十二 本 に想 定さ れ

、お のお の独 立し て いた 経 脈は 十二 本 が繫 が り全 身 をめ ぐ ると いう 循環 概念 が加 わり

、ま た臓 腑( 六臓 六腑

)と 接 続す る とい う概 念 も 付加 さ れた

。現 在用 いら れて いる 経脈 説は この

『 霊枢

』に 依 拠 して いる と こ ろが 大き い。 経 脈・ 経 穴・ 針 具な ど 針灸 医 学の 重要 事 項 は多 く 本書 を典 拠 とし て いる

『 神農 本草 経』 は、 個々 の 生 薬の 薬効 に つ いて 述 べた 薬物 学 書。 後 漢代 に成 立し たと 推定 され る。 三百 六十 五種 の動

・植

・鉱 物 薬 が、 薬 効別 に分 類 収 録さ れ

(上 品・ 中 品・ 下 品: 三品 分類 と称 され る)

、そ れぞ れ別 名・ 気味

・産 地・ 薬効 につ いて 記さ れて いる

。 また

、 君臣 佐使

、 七 情と い った 薬物 配 合に お ける 配慮

、原 則が 記さ れて いる

。本 書は 後代 の本 草学 書の 基礎 とな った

『 張仲 景方

』は 後 漢の 張仲 景が 三世 紀の 初頭 に著 した とさ れて いる

。『 傷 寒論

』『 金 匱要 略』 と して 伝わ り、 こ の両 書は 現在 も湯 液 治療 の 古典 にお い て 最も 重 要視 され て いる

。 三 大 古典 のほ か に

、針 灸 に おい て 重 要古 典と さ れる も のに

『 難 経( 黄 帝八 十一 難経

)』 があ る。

『 難経

』は

『黄 帝内 経』 に基 づき つ つ独 特 とも 言え る 医 論を 展 開、 八 十一 の問 答形 式で 述べ た書

。扁 鵲( 秦 越人

)の 作 とさ れる がこ れは 偽託 で、 後 漢頃 の作 と考 えら れ てい る

。内 容は 脈・ 経絡

・ 臓腑

・病 侯・ 経穴

・ 治法 など

、針 術の 理論 と臨 床が 簡潔 に述 べら れて いる

。現 伝 する

『難 経』 の最 善テ キ スト は『 難 経集 注』 とさ れて いる

。同 書 は『 難経

』の 古い 注釈 を集 めた もの で、 呉 の呂 広、 初唐 の楊 玄操

、北 宋の 丁徳 用・ 虞庶

・ 楊

参照

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