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黄 帝

明 堂

灸 経

鈔 』

に つ

い て

は じ め に

『新 刊黄 帝明 堂灸 経鈔

』は 他 での 所蔵 を聞 かず

、こ れ まで 存在 は知 られ てい なか った が、 柳 田征 司編

「 医家 の抄 物( 一

)」

著 録さ れ てお り、 それ を見 てそ の存 在を 知っ た。 そ こで 所蔵 者の 米谷 隆史 教授

( 熊本 県 立 大学 文学 部

)に 連 絡を 取り

、本 書 の実 見に 及 んだ

。 本 書 は曲 直瀬 門 の 者が そ の門 弟に

『新 刊 黄帝 明 堂灸 経 鈔』 を 講釈 した 時の 筆録 であ り、 所謂 抄物 であ る。 本書 自体 が他 に存 在す る 報告 を 聞か ず天 下 一 品で あ ろう 事、 ま た、 この たび 初 めて 内 容 の検 討が な され る こと

、こ のこ との みを 以て して も本 書の 意義 また 本 書を 検 討す る意 義 は あろ う

。加 えて 本書 は、 十六 世紀 後半 から 十七 世紀 前半 にか けて 行わ れて いた 経穴 学の 実態 を保 存し てい る書 で あり

、 ある いは

、『 黄 帝明 堂灸 経』 をど のよ うに 受容 し日 本の 医学 およ び医 学思 想に おい て展 開し てい たか を知 りう る資 料で あり

、 また

、彼 ら一 派の

、延 い ては

、当 時 の主 流を なす 針灸 技 術・ 経 穴理 論の つぶ さな 内容 が看 取で きる 書 で ある

。そ し て、 こ れら はい ず れも 従 来知 られ て い なか っ たこ とで あ り、 本 書を 検討 する こと によ って はじ めて 垣間 見る こと が出 来る 当時 の様 相で ある

。 本 章 にお いて

、こ れ まで 明ら かに され てい なか った その 意義 を明 らか にし

、以 て日 本中 世に おけ る 針 灸の 実態 と展 開の 一様 相 を 垣 間見 て

、本 論攷 の 論 証の 一 部と した い

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第 一 節 書 誌 事 項

筆者

が 本書 を実 見 に 及ん で 得た 書誌 事 項は 次 の通 りで ある

『 新 刊黄 帝明 堂 灸 経鈔

』。 三 巻一 冊。 縦二 八〇× 横 一七 八ミ リ。 線装

。一 一行 二〇 字。 無界

、四 周双 辺、 双黒 魚尾

、黒 口。 版心

、 書名 巻 数丁 数( 灸 経 抄 上 一

)。 首「 新刊 黄帝 明堂 灸経 起

」一 丁

、次

「新 刊黄 帝明 堂灸 経序 鈔」 二至 十一 丁、 次「 新 刊黄 帝明 堂灸 経 巻 上鈔

」末

「新 刊黄 帝明 堂灸 経 鈔上 畢

」一 至四 十九 丁、 次「 新刊 黄帝 明 堂灸 経 鈔巻 中

」一 至十 九丁

、次

「 新刊 黄帝 明堂 灸経 鈔巻 下」 一至 七丁

、次

「 明堂 尺寸 法」 一 丁。 書 末に 刊記

「 承 応三 天

/初 夏上 旬

/刊 行

」。 題簽

「灸 経鈔 全

「 新 刊黄 帝明 堂 灸 経序 鈔

」中 に『 新 刊黄 帝 明堂 灸経

』の 語と して

、「 至大 辛亥 春月

」( 十丁 表)

、「 燕 山活 済堂 刊」

( 同

)、

「竇 漢 卿」

(十 丁 裏)

、「 新刊 黄 帝明 堂 灸経 目録

」( 十一 丁表

)、

「 太平 聖恵 方編 類」

(同

)、

「巻 上

」( 十 一丁 裏)

、「 皇 慶壬 子中 元」

(同

)が 見え る。 所 々 に鼇 頭注 あ り

。書 名

、人 名、 篇 名な ど に朱 引き

(巻 上二 丁裏 ま でに 多 し)

。 そ

こ で以 下、 そ の 内容 に つい てま と めて み たい

。( 例示 した 原文 の返 点・ 送仮 名は その まま 記し た。 句点

、〔

〕 内は 筆者 補記

。)

第 二 節 内

容 一

. 人

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