論文審査の結果の要旨
氏名:奥江紗知子
博士の専攻分野の名称:博士(生物資源科学)
論文題名:魚油の抗肥満作用およびアルツハイマー病予防効果に関する研究
審査委員:(主 査) 教授 関 泰一郎
(副 査) 教授 山室 裕 教授 鈴木
美和近年,平均寿命の延伸により,認知症患者の増加が大きな社会問題となっている。我が国の認知症患 者の約
60
%はアルツハイマー病(Alzheimer's disease, AD
)である。魚油は,イワシ,アジ,サンマなど 青魚から製造される食用油脂でサプリメントなどにも広く利用されている。魚油にはn-3
系の脂肪酸 であるエイコサペンタエン酸(EPA
)やドコサヘキサエン酸(DHA
)などが豊富に含まれ,EPA
やDHA
は心血管疾患の予防効果に加えて,メンタルヘルス,認知機能との関連も疫学研究から明らかにされ ている。本学位論文では魚油の摂取が肥満を予防することでAD
病態の進行を抑制する可能性を考え,研究を立案,実施している。
第一章では,肥満と認知症の関係に着目し,魚油の抗肥満作用メカニズムの解明に取り組んでいる。
C57BL/6J
マウスにラード含有高脂肪食(LD
)または魚油含有高脂肪食(FD
)を給餌し,1, 4
週後に解 剖する肥満予防作用の解明を目的とした実験と,C57BL/6J
マウスにLD
を8
週間給餌することで食餌 誘導性肥満(DIO
)マウスを作製した後,LD
またはFD
を4
週間給餌する肥満改善作用の解明を目的 とした実験を実施した。魚油の肥満予防作用を明らかにする実験においては,魚油の肥満予防作用が 確認された。鼠径部白色脂肪組織におけるUCP-1
遺伝子発現はLD
群と比較してFD
群において有意 に増加し,UCP-1
タンパク質発現も増加した。白色脂肪組織のUCP-1
発現が増加したことから体温の 上昇を推察し,深部体温を測定したところ,予想に反して非活動期(明期)における体温はLD
群と比 較してFD
群において1
℃低かった。さらにLD, FD
給餌マウスの摂餌行動について検討した。LD
を給 餌したマウスでは暗期に70
%,明期に30
%の摂餌行動が観察されたが,FD
給餌マウスでは暗期にの み摂餌行動が観察された。これらの結果から,FD
給餌マウスでは食餌誘発性熱産生の低下により明期 の深部体温が低いことを推察し,鼠径部脂肪組織のUCP-1
発現増加は体温の上昇には寄与しないこと をはじめて明らかにしている。さらに,白色脂肪組織においてUCP-1
発現が消失する30
℃の飼育環境 においても魚油は抗肥満作用を示すことを確認し,UCP-1
非依存的なメカニズムにより肥満を予防す ることを明らかにした。魚油の肥満改善効果に関する実験では,
DIO
マウスにFD
を給餌したDIO-FD
群の体重や脂肪組織重 量はDIO
マウスにLD
を継続して給餌したDIO-LD
群と比較して有意な差はなかったが,体重増加量 および飼料効率はDIO-FD
群で有意に低値を示した。さらに,DIO-LD
群と比較してDIO-FD
群の肝臓 トリグリセリド濃度は低値を示し,肝臓の組織像の解析からも魚油の脂肪肝抑制効果が明らかになっ た。鼠径部白色脂肪組織の白色脂肪細胞のサイズも魚油により小型化する傾向を示していた。これら の結果から,魚油は肝臓や脂肪組織への脂質の蓄積を阻害することでDIO
マウスの体重増加を抑制す るが,体重の減少等の肥満改善効果は示さないと結論づけている。1
第二章では,魚油の
AD
予防効果を解明した。AD
のモデルマウスとしてAβ
前駆体タンパク質(APP
) を過剰発現させた遺伝子改変マウスが一般的に利用されている。しかし,このAD
モデルマウスではAβ
の蓄積よりも認知機能低下が先行すること,脳内炎症や神経細胞の脱落が観察されないなど,ヒト のAD
病態とは大きく異なることなどを指摘し,本研究では,ヒトの家族性AD
で観察される3
種類 の変異を有するAPP
遺伝子をマウスにノックインしたApp
NL-G-Fノックインマウスを用いて魚油のAD
を予防効果について検討している。App
NL-G-Fノックインマウスに普通食(ND
)あるいはLD
,FD
を給 餌したところ,体重,白色組織重量はLD
群と比較してFD
群で低値を示し,魚油はApp
NL-G-Fノックイ ンマウスにおいても肥満を予防することを明らかにしている。さらに,新奇物体認識試験を実施して 認知機能を評価し,ND
群と比較してLD
群では肥満とともにAD
を悪化させることを明らかにしてい る。また,FD
群ではLD
群よりも新奇物体認識試験の成績が有意に改善したことから,魚油はAD
病 態を改善することが示唆された。26
週齢時の脳組織におけるAβ
の沈着量および脳内炎症について免 疫染色法により解析した結果,海馬におけるAβ
の蓄積量及びGFAP
陽性アストロサイト,Iba1
陽性ミ クログリアの発現は,ND
群と比較してLD
群では増加し,FD
群ではND
群と同レベルであった。AD
における認知機能の低下に関与する海馬のCA1
領域における錐体細胞の機能障害についてGolgi
染色 法により検討したところ樹状突起上のスパインの量は,ND
群と比較してLD
群で減少した。一方,FD
群のスパインの量はND
群と同程度に維持されていたことから,海馬におけるAD
病態,脳内炎症は 肥満により促進され,魚油により抑制されることが示唆された。さらに,次世代シーケンサーにより海 馬の遺伝子発現を網羅的に解析した結果,ミトコンドリアの電子伝達系酵素複合体Ⅰ~Ⅴに関連する 遺伝子,主にNdufs, Sdhd, Uqcr, Cox, Atp
がND
群よりもLD
群で低下し,FD
群では発現が維持される 傾向を示した。これらの結果から,肥満はAPP
ノックインマウスの海馬でのAβ
蓄積,脳内炎症,CA1
領域の錐体細胞の樹状突起量,神経細胞におけるミトコンドリア障害などを悪化させること,魚油は その抗肥満作用により肥満によるAD
の悪化を抑制することをはじめて明らかにした。以上,本研究では,肥満と
AD
の関係を明確にし,AD
の予防における魚油の新規機能性について先 進的な手法を用いてその分子メカニズムを解明した。また,AD
の動物モデルにおける基礎的な病態,発症メカニズムについても多くの新知見を提供している。
本研究は,魚油の新規生理機能の解明にとどまらず,新たな機能性食品の開発や創薬に役立つ基礎 的な知見を提供しており,審査員一同,本研究の内容は博士(生物資源科学)の授与に十分値するもの であると判断した。また,本研究の内容がすでに国際誌に公表され,インパクトのある成果として評価 されていることを確認した。
以 上 令和
3
年2
月22
日2