公共事業 と国家の経済的介入
フ ラ ンス土 木 公 団 のエ ンジニ ア ・エ コ ノ ミス ト
栗 田 啓 子
は じ め に
「 主権者 または国家の第三のそ して最後の義務 は,公共施設 または公共土木 事業 を建設 し維持するという義務であって,それ らは,たとえ一大社会 にとっ ては最高度 に有利であ りうるけれども,その性質上,その利潤 は,どの よう な個人または少数の個人にもその経費 をつ ぐなえず, したがってまた, どの ような個人 または少数 の個人 にもその建設 や維持 を期待 しえないものであ る
」(Smith,ⅠIp.723,訳
(4)p.57) 0
「自然的 自由の体系 によれば」,国家が負 うべ き義務 は国防 と司法 ・治安, そ し七ある種 の公共事業 に限定 され る, とス ミスは主張す る (
Smith,ⅠIps. 687‑8,
釈 (3)p.503) 。 このあと長 い伝統 をか たちづ くる, この 「 安価 な
」政府 に託 された三つの機能の理論的根拠 はどこにあるのだろうか。
この問いに対するス ミス自身の解答 は,満足のいくものではない。国家の最 初の二つの役割,国防 と司法 ・治安 についての彼の考察 は, これ らの制度 の比 較史的研究の範囲にとどまっている。 もっとも,公共事業の遂行 という国家の 第三の義務 になると,ス ミスの議論 はにわ かに論理的 になって くる。冒頭の引 用文が明瞭に示 しているように,公共事業が正の利潤 をもた らさないこと, し
1986
年1
0月
3日 原稿提出
本稿 は昭和6
0年度文部省科学研究費奨励研究
(A)による研究成果の一部である。また, 有益 なコメ ン トを寄せて くださった小樽商科大学土曜研究会 のメンバーにも,御礼 申 し 上 げたい。 もちろん,それにもかかわ らず見出 され る誤 りは,すべて,私 がその責 を負
うべ きものである。
〔123〕
ユ 2 4 商 学 討 究 第
37巻第
1 ・2 ・3号
たがって私企業 によるその経営が望 めないことに彼 は気づいていた。明示的で はないにせよ, この費用逓減産業の認識が,ス ミスに公共事業の遂行 を国家の 義務のひとつに挙 げることを可能に したのだった。
しか し,ス ミスの分析 にこれ以上の展開は見 られない。彼 は,国家による生 産でさえも,それを正当化する条件 を必要 とすることが理解できなかった。 さ
らに,当時の公共土木事業の実態 を反映 しているのかもしれないが, この費用 逓減産業 が企業 に正の利潤 を生みだす可能性や,その結果 としての寡 占あるい
は独 占の弊害 もス ミスは見過 ごしていた。
19 世紀半 ばのフランスにおける交通網 の拡充 という至上命令 を自らの課題 と して,ス ミスが残 したこの空隙 を埋 めようと したのが,土木公団 (
corpsdes pontsetchaussees)のエ ンジニアたちだった
。1) その職務か らすれば当然 だ
が,彼 らの関心 は公共事業の有用性 の論証 に集中 している。と りわけ,運河や 鉄道の建設 ・運営が私企業 に委託 され始 めるにつれて, これ らの公共事業への 国家の介入の是非が活発 に論 じられるようになる。 ここか ら,古典派経済学で は未開拓 のままにおかれていた,政府の経済活動の必要性 を理論化 しようとす る数多 くの⊥ 試みが生 まれてきたのである。
もちろん, これ らの試みがすべて経済学の発展 に大 きな影響 を与える内容 を もっていたとは言いがたい し, この時代 に公共事業省 (
ministeredestravaux publics)の管轄下 にあった土木公団
2)のエ ンジニアたちの論調が,多 くの場合,
自己弁護的な色彩 を帯 びていたことも否めない。 このように国家の経済的介入 を正当化する傾向が強 いとはいえ, これ らのエ ンジニアの業績 は確固と した理 論的成果 を示 している。彼 らの議論 を詳細 に検討するな らば‑ それが この 論文の課題 なのだが ‑ ,彼 らが公共事業の もつ経済的 インパ ク トを幅広 く
1 )フランス土木公団のエ ンジニアの機能 と特質 および経済学 との関連 につ いては,莱 田
(a)および
(b)を参照 されたい。
2)1 8 3 0 年の 7 月革命時 にその所属 を内務省か ら公共事業省 に移 されて以降 ,1 9 5 9 年 に
「 複数の省 に属 する公団 (
corpsnationalacaractさreinterministbriel)」 と新 たに 規定 されるまで,土木公団の位置づ けに基本的な変更 は見 られない
。 A.Brunotet R.Coquand,Lecorpsdespontsetchaussees,Paris,EditionsduC・ N. R. S. ,1 98 2
,p.616。
公共事業 と国家の経済的介入
125分析 していることに驚か されるにちがいない。 しか し,なによりも強調 しなけ ればな らないのは,彼 らが 「 市場の失敗」 と国家の経済的活動 との関連性 を明 確 に把握 している点である。
公共土木事業 に考察の対象 を限定す ることによって,
3)ェ ンジニアたちはか えって,「 市場の失敗」 の一例 を浮 き彫 りにす ることができたと言 える。 この あとす ぐに検討するように,彼 らは公共事業が供給するサ‑ビスの うちで公共 財 とみなされる部分 を切 り離す ことで,その費用逓減産業 としての特質の分析 に専念 していったのである。平均費用 と限界費用の現代的な意味での区分 は見 られないものの, この分析の結果 として,彼 らが社会的厚生の極大化の視点か ら,公共事業への国家の介入の必要性 を主張 したことは注 目に値する。 ここに おいて,エ ンジニアたちはス ミスがとどまった地点を完全 に超 えたのである。
費用逓減の性質 をもつ公共土木事業がひきおこす独 占という現象 に対 してな ん らかの国家の介入が必要だとする点では,エ ンジニアたちの見解 はほぼ統一 されている。だが,彼 らは単 にこの理由だけか ら政府 の経済活動の必要性 を主 張 したわけではない。それは,公共事業の経済的 インパ ク トに関する彼 らの分 析 を見れば明 らかである。
エ ンジニアたちは,ス ミスの 「 社会 の商業 を助長するための公共土木事業」
(smith,ⅠIp.724
,
釈 (4)p.58)という表現 か ら窺 える,外部効果のおぼろ げな認識 を深化 ・拡大 していった し,公共事業のもた らす所得再分配や雇用創 造の効果 も彼 らの視野か ら逃れてはいない。公共土木事業の このような効果 に 対する認識がすべてのエ ンジニアを政府介入 の必要性 という結論 に導ぴぃたわ けではないが,それでも,彼 らが政府 の経済活動 とこれ らの効果の関連性 を十
3
)公共事業の展開が経済理論の発展 を促 したとする評価 は, ここで取 り扱 う政府活動
の分析 という分野にとどまらない。ハチスンは,巨額 な固定費用 を必要 とする公益
事業の価格決定の問題が,その限界費用 ・収入 と平均費用 ・収入 との際立 った帝離
によって,限界分析の登場 を促 した唯一可能な 「 外生的」要因だと示唆 している0
彼の指摘 は,全面的にではないが,デュ ピュイの場合 に妥当す る。 T. W.
Ⅱutchi‑ son,"InsularityandCosmopolitanism inEconomicIdeas,1870‑1914",American EconomicReview,May1955,p.50
1 2 6 商 学 討 究 第
37巻 第
・1・2・3号
分 に理解 していたことは注 目されてよい。 この ことは,政府が果すべき役割 に 対する評価 あるいは期待が,逆 に,政府の経済活動の基準 を定めるということ を如実 に示 している。そうだ・ とすれば,公共事業の経済効果 に関するエ ンジニ アたちの分析 は,彼 らの社会 に対するヴィジ ョンを垣間見せて くれることにも なるだろう。
このように,エ ンジニアたちの公共事業の分析 は大 きく二分することができ る。第一 は費用逓減産業 としての公共事業の分析 であ り,第二 の分析 は,その 経済的 インパ ク トを幅広 く考察の対象 に している。この論文 は,しか しなが ら, 第一の分析 に考察の範囲を限定 している。主要な課題 は,1) 公共事業 における
自然独 占の傾向の理解
,2)その結果 としての資源の最適配分の不可能性 と国家 の介入 の必要性 の認識 の二点 をエ ンジニアたちの著作 か ら読 み とることであ る。具体的 には, i) 公共事業 と公共財の関連, j i) 独 占の存在, i i i) 費用逓減 現象 ,J ' V) 国家の介入 の必要性, V) 最適資源配分 の
5点 に関する彼 らの考察が 検討 される。公共事業の経済効果についてのエ ンジニアの論議 は, これ らの課 題 と関連する限 りにおいて言及することに して,その総体的な検討 は次の論文
の課題 としたい。
1
排除可能性
公共事業のなかでも,運河やとくに鉄道 の問題 を取 り扱 ったエ ンジニアたち がまず気づいたのは,その排除可能性 という特質 だった。彼 らは,一般の道路 の建設 ・維持や公衆衛生の確立 などといった土木公団のそのほかの責務 と比べ ることで,運河や鉄道 のこの際立 った相違 を意識 していったように思われる。
ベ ル トー ル ‑ デュ ク リュ ウ
(ClaudeJean Baptiste Alexandre BER‑THAULT
‑
DUCREUX,1790‑1879)の表現 を借 りれば,一般 の道路 や航行 可能な河川 は 「 民主主義的」であり,鉄道 は 「 貴族主義的
」(Berthault‑Ducreux( C ) ,p.
73)だというこt̲ になる。
一般の道路が特定の通行者 を排除 しえないことは,エ ンジニアたちには自明
の ことだった
Oクル トワ (
Aim6CharlemagneCOURTOIS,1797‑?)は新
公共事業 と国家の経済的介入
127たな交通路 (
voiedecommunication)の選択の問題 を論 じた著作の冒頭 に, 次の ような公共支出によって供給 されるべき交通路の規定 を掲 げている。
出によって供給 されるべき交通路の規定 を掲 げている。
「 すべての人 によって使用 されるべきものは,本質的に公共の分野 に属 し ている。それは,その性質上,奪 ってはな らないものであ り,つねに共同体 の費用 において建設 され,維持 され なけれ ばな らないだろう
」 (Courtois, p. 9
)0ここでは,規範的な意味が こめ られてはいるものの,排除の不可能性
4)と政 府活動 による供給 との関連性が明確 に認識 されている。 しか し,一般の道路の もた らすサー ビスが共同消費
5)されるという,その公共財 と しての もうひとつ の定義 は,エ ンジニアたちの理解の外 にあった。消費の集団性 という現象 を等 閑視 し,国家 による供給 をもっぱ ら排除の不可能性 に帰着 させるのは,公衆衛 生の場合 も同様である。
6)4
)一般の道路の維持費 に関 して,そのための通行税 や交通量規制 をめ ぐってエ ンジニ アたちの間で戦 わされた論争 は,技術面の問題 とともに排除の コス トにも触 れてい て興味深 い。交通量規制 と維持費 との関連 を主題 とす る著作 は数 えきれないほどだ が, と りあえず,
Berthault‑Ducreux(a),Dupuit(C)お よび
Emmeryを挙 げてお こ
う。
一方,一般の道路 において自由な通行 が許 されている理由を, その建設 ・維持費が ゼロであることに求めているエ ンジニアも見 られる。
Minard,p.840
5) 上B.
セ イは, アダム ・ス ミスが定義 した国家 の三つ の義務 の うち,国防および司 法 ・治安 というは じめの二つのサー ビスが共同消費 されることを指摘 している.「 個 人 の集 合 体, た と え ば社 会 も ま た そ の欲 求 を も ち, そ の 欲 求 は公 共 の 消 費
(consommationspubliques)をひきお こす。 それ は‑行政 や‑軍事 力‑民事 お よび刑事裁判のサー ビスを購入 し,消費する
」 (Say,p.475, 訳 下巻
, p.364)0 しか し , 「 公共 の消費」 という表現 を用 いているが, セイはむ しろ社会 を一個人 と みな しなが ら, あとの議論 を展 開 している。消費 における競合性 の欠如 という点で は,彼 の発明 という情報 につ いての認識のはうが より厳密である。 この間題 は,栗 田啓子
「上B.セ イの企業者概念 ‑ 革新者 の出現
‑」
,『 商学討究』 ( 小樽商
科大学 ) ,第
36巻第
3号
,1986年
, p.184で検討 されている。
6
)政府 が公衆衛生 に関与 すべ き理 由は,次の ように説明 されている。「 支払 えない人々
に水 を与え,公園に水 を撒 き,汚れた道 を洗 い流す ( 公共 の)泉の第‑の ( 効用 )
は,公衆衛生 を高めることである。その効用 はきわめて現実的ではあるが,測定す
る ことはできない。 この効用 は,共通 の費用 (
sacrificecommlln)で購入 され る
べ きで ある
」 (Minard,p.25) . この ように, ここで も公衆衛生 のサー ビスを市場
化できない点が強調 されている。
128
商 学 討 究 第
37巻第
1 ・2 ・3号
このようなエ ンジニアたちの傾向 は,土木公団の活動範囲がほとんどすべて 共同の消費を特徴 とする分野 だったことによるのかもしれない。区別が認識の 契機 だとすればi消費 における排他性の有無 という差異の欠如 は,彼 らがこの 現象その ものの理解 に到達するのを妨 げたと言えるだろう。ともあれ,エ ンジ ニアたちの関心 を惹いたのは,運河 もそうだが,それ以上 に,鉄道 とい う新 し い交 通 手 段 が 容 易 に利 用 者 を排 除 で き る と い う事 実 だっ た。
7)コモ ワ (Gui l l a umeEmma nue lCOMOY,1 803‑1885)は, この新たな交通手段の特 徴 を二点 にまとめている。
「 鉄道 は新 しい ( 交通 )手段である‑それは,ほかの種類の交通路 と比べて, 本質的な違 いを示 している。そこでは通行が自由には行なわれていない し, 輸送 をとりt Lきっているのは同一の経営である」(Comoy ,p. 1 89)
0第‑の特徴 は言 うまでもな く鉄道 における排除の可能性 を合意 している。そ して, 複数の運送業者が存荏するほかの交通路 と比較 した第二の鉄道の特徴 は, その独 占という経営形態の存在 を指摘 したものだと言えるだろう。この ように, 単一の私企業が経営する鉄道の出現 は,その排除の可能性 だけでなく,独 占と
いう現象 によっても,エ ンジニアたちの注 目の的 となったのである。
2
公共事業にお. ける独占
鉄道が最新の事例 を提供 し,新たな論議 をまきおこしたものの,運河 も含め た交通路が独 占的な経営 を許 しているという事実 に,エ ンジニアたちは早い段 階か ら着 目 していた。 デュ ピュ イ ( Ar s 占 neJul e sEmi l eJuv6 na lDUPUI T , 1804‑1866 )によれば
,「( 交通路の)経営 は,法律上 はともか くも,事莱上 はほとんどつねに独 占を形成 している 」 (Dupui t( d) ,Ⅰ Ip.340) のである。
彼の表現か ら窺えるように,実際には,法律 によって認可 された独占会社が 鉄道や運河 を開発する場合が多かった。 しか し, これ らの公共土木事業 の私企
7)ベル トー
ル‑デュクリュウは,この事実を料金徴収の可能性と結びっけて考えてい る。彼によれば,一般の道路だけが収入を生みだすことのできない交通路である。
Be r t h a 直t ‑ Du c r e u x
(b), p. 1 4 5 0
公共事業 と国家の経済的介入
129業への委託が増加するにつれて,たとえ認可 されたものだろうと,独 占による 弊害が顕在化 して くる。 このような事態 を前 に して,土木公団という行政機構 の一端 を担 うエ ンジニアたちは,その弊害への対応 を迫 られたのである。彼 ら の独 占批判の多 くは,独 占が 「 公共の有用性 (
utilit6publique)」あるいは 「 一 般の利益 (
int6r8tg
6n6ral)」と抵触 するという点 にその論拠 を兄 いだ してい
る。エ ンジニアたちの批判の具体例 を見 ることに しよう。
「 営業認可 というものは,一般の利益 にもっとも対立す る独 占を生みだす‑
なぜならば,それ (‑投機 ・私企業 )はたったひとつの目的,すなわち最大 限に利潤 をあげるという目的 しかもっていないか らである‑・ それは輸送費を つ りあげることで収益の増大 を計 る。この ように,輸送費 を非常 に高い水準 にお しとどめることによって,消費 を抑制 して しまう。というのは,この ( 輸 送 )費用 はあ らゆる ものの価格 の重要 な要素 をな して いるか らで あ る」
(Courtois,ps.12‑3)O
このクル トワの見解 に代表的 に見 られるエ ンジニアたちの独 占批判 は,次の 二点 に集約 される。第一点 は,独 占企業が輸送費の高水準維持政策 をとるとい う事実 にむけられている。 この ことが生産費 を通 じてあらゆる商品の価格 をお しあげる結果 をもたらしているというのが,第二の批判点である。 この第二点 が,漠然 と した需要法則の理解 に支え られて,需要量の減少 を導 くと考え られ ているのは
,「 消費 を抑制」するという表現か ら読みとることができる。そ して,
こゐ消費の抑制 こそが,社会一般の利益 に対する最大の侵害 だとエ ンジニアた ちは捉えていた。。
しか し,この場合には,少な くとも独 占者の利潤 は増加 しているはずである。
そうだとすれば,独占者 をも含 めた社会全体 の利益の増減 を一概 には結論でき ないことになる。エ ンジニアたちがお しなべて消費者の利益 を擁護 したことは 注 目すべきだが,それを社会の利益 とア ・プリオ リに同一視 している限 り,そ の論理 は厳密性 を欠 くと言わなければな らない。消費者余剰 という考え方 を展 開 したデュピュイが, この点 を鋭 く衝 いている。彼 は,その消費者余剰概念
8)を援用することで,社会的厚生の極大化 を阻害する要因と しての独 占の弊害 を
130
商 学 討 究 第
37巻 第
1・2・3号
指摘 す る ことが で きたの で あ る。 だ が ,彼 の分析 を検 討 す る前 に,公 共 土木 事 業 が なぜ独 占 を招 来 す るのか , とい う問題 に対 す る三 ンジニ ア た ちの考 察 を概 観 して お くの が よいだ ろ う。
3
困難 な新規参入
公共 土 木事 業 にお け る独 占 とい う現象 は, この事 業 が必 要 とす る多額 の固定 費 用 の存 在 と, その結 果 と して の平 均 費用逓 減 の傾 向 か ら説 明 され な けれ ばな らな い。結 論 か ら先 に言 うと,エ ン ジニ ア た ちが費用 逓 減 の現象 と独 占 とを明 確 に結 びつ けて考 え る ことは少 なか った。彼 らの多 くに は,平 均 費用 と限界 費 用 を哉 然 と区別 す る こと さえ困難 だ ったの で あ る。彼 らに特 有 な費用 分 析 にお け る混乱 は, ナ ヴ ィエ (
ClaudeLouisMarieHenriNAVIER,1785‑1836)に顕 著 に見 られ る。
彼 は, まず ,輸 送 コス トの構 成 要 素 を建設 ・維 持 費 と輸 送 サ ー ビス を実 現 す る ための 直接 費 とに二 分 す る. とい うの は,第 ‑ の要素 が公共 支 出 に よ って ま
8)公共事業における効用の測定 というエ ンジニアの伝統的な問題意識がデュピュイに おける消費者余剰概念の発見 を促 したことを入念 に追跡 したのが,エイカラン ドと ヘバー トの一連の研究である。彼 らは,この論文 にも登場するナヴィ工, ミナ‑J L ,
そ してボルダというエ ンジニアたちを 「 発掘」することによって,1) 土木公団に 「 学 派」 と呼びうる経済理論の継承関係が存在 したこと
,2)M.ボウレイの指摘 とは反 対に,ス ミスや リカー ドゥ,セイという既成の経済学者の影響 よりも,この 「 学派 」
の内部的展開がデュピュイの業績 を生みだ したこと,を明 らかにしている。参考文 献 に あ げた
EkelundandHebert(a),(b),(C)の ほか に,
MarianBowley,
"The PredecessorsofJevons‑TheRevolutionthatwasn't
",ManchesterSchoolofEcon0‑ micandSocialStudies,vol.40,No.1,March1972
,ps.9‑29,およびこれに対するエ イカラン ドとヘバー トの批判,
EkelundandH6bert,"Dupuitandmarginalutility :contextofthediscovery",HistoryofPoliticalEconomy,vol.8,No.2,summer 1972,ps,266‑273を参照 されたい。
付 け加えて言 うならば,エイカラン ドとヘバー トの研究が,どちらかと言えば,土
木公団のエ ンジニア ・エコノミス トの 「 主流」 を対象に,限界効用や消費者余剰 と
いう経済学上の概念の発生あるいは彫琢の過程 を分析 しているのに対 して,私たち
は,公共事業 に関するエ ンジニアたちの見解 をより広範に検討することによって,
そこでの国家の役割 についての彼 らの理解 を明 らかにするという異 なった目的を抱
いている。エ イカラン ドとヘバー トの業績が私たちに有益な指針を提供 して くれた
ことは言 うまでもないが,私 たちの試みが成功すれば,逆 に,彼 らの主張 をより広
い社会的文脈のなかに位置づ けることになるだろう。
公共事業と国家の経済的介入 131 か なわれ るの に対 して,第二 の費用部 分 を負 うの は運 送業者 だか らで あ る。9)
この ように,費用 をそれ を負担 す る主体 の違 いに応 じて区別 す ることに よって, 固定 費用 と可変費用 を識別 す る手 だて は失 なわれて しまったのであ る0
公共土木事業 の工事 費 や維持 費 の計算 とい うエ ンジニアの職務 か らすれ ば, 彼 らが費用分析 に無関心 だ った とは考 え られ ない。事実 ,彼 らは費用 ・便益分 析 を先駆 的 に使用 して い るほどで あ る。10)しか しそれ に もか かわ らず,固定費 用 と可変費用 を区別 し, この ことか ら公共土木事業 における平均費用 の逓 減現 象 を明確 に指摘 しえたの は, デ ュ ピュ イだ けだった。11)彼 は,輸送 コス トを次
の ように分類 す る。
「1)交通 路 の建設 費用 に対 す る利子 。 (それ は)輸 送量 に左右 され ない揖定 額 で あ り,輸送 され るそれぞれの一単位 によって均等 に負担 され る。(第二 は) 輸送量 に比例 す る運搬 費用 (fraisdetraction)」。
この分類 自体 はナ ヴ ィェ の もの と類 似 して い るが, その基 準 が まった く異 な っている ことに注意 しな けれ ばな らない。 デュ ピュイは,支出主体 の違 いで はな く,輸送量 との比例 関係 の有無 を費用 の分類基準 に採用 したの である。彼 の 表 現 に 従 う な ら ば, 「固 定 費 用 (fraisfixes) と比 例 費 用 (fraispro‑
portionnels)との区別 が確 立 され な けれ ばな らない」 とい うことにな る。資 本利子 が固定 資本 と同一視 され てい る点 が特 殊 で あるが,12)それで も, この分 類 は現代 の固定費用 と可変費用 の分類 に相 当 す ると言 えるだろ う。それ ゆえに,
9)Navier,ps.2‑3。同様の区分は,Courtois,ps.19‑20にも兄いだされる。
10) Ekelund&II6bert(a),p.242,(b),ps.640‑4および栗田(a),p.163。
ll)
エイカランドは 「明確な費用分析の (欠如)がデュピュイの最大甲弱点」であり, 彼の分析に明白な限界費用概念を兄いだすことは難 しいと主張する (Ekelund(a), p.466)。 しか し,デュピュイが少なくとも固定費用と可変費用を区別 していたこ とは,ここで見る通 りである。12)クル トワを例外として (Courtois,p.25),費用分析 を行なっているほとんどすべ てのエ ンジニアたちは,計算の際に建設費ではなくその資本利子を計上 している (Comoy,p.135,Minard,p.19,Navier,p.16)。これは当時のエンジニアの慣例に よるのかもしれないが,その理由を明らかにすることはできなかった。
デュピュイの場合を分析 したエイカラン ドは,この資本利子を長期限界費用と解釈 する可能性を示唆 しているが,彼も認めるように,それが供給量の変化にかかわら ず一定と仮定されている限り,この解釈は困難である。(Ekelund(a),p.467)0
132
商 学 討 究 第
37巻 第
1 ・2 ・3号
デュ ピュイは次 の ように結論 す ることがで きたの で ある。
「その結果 と して,建設資本 の利子 が巨額 な場合 には,輸送 コス トは極度 に 輸送 量 に依 存 す る ことにな る‑輸送 量 が だん だん増加 して ゆ くと仮 定 す れ ば, (ある商 品 ) 1 トンを 1キ ロ メ‑ トル輸送 す る費 用 を示 す数字 が徐 々に 小 さ くなって ゆ くのが理解 で きるだろう。もっとも,この費用 は
0. 0 2
フラン,この額 は交通路 の建設 に用 い られ た資本 の利子 を除外 した運搬 費用 だが,そ れ以下 になる ことはない」(Dupuit(d),ⅠIp.848)0
この文 章 か らデュ ピュ イが平 均 費 用逓 減 の現象 を理 解 して い た とみ なすの は,決 して無理 な ことで はない。彼 が と りあげた数値例 を定式化 す る と次の よ うになる。
r定 平均費用 :
AC
‑S+‑ 0q
ただ し R は一定 と仮定 され た建 設 費,
r
はその資本利 子率 で あ り, qは輸 送量 を示 す。 そ して, この場合 限界 費用 と言 いか えて もさ しつ か えないが,Sは一定 と仮定 されてい る平均可変費用 で ある。 この ことか ら, デュ ピュイが言 うように, 「建設 資本 の利子 が巨額 な場合 には」 平均 費用 が限界 費用 を大幅 に 上 回 る領域 が大 きい ことがわか る∴ しか し,限界 費用 が一定 で あるので,平均 費用 が限界費用 に限 りな く近づ くと して も,それ以下 なる ことはな く,したが っ て,平均費用 が逓増 す る領域 は存在 しない ことになる。 デュ ピュイがつ ね に, こq)ような費用 関数 を前提 に してい たか どうか は確 かで はない。す ぐ次 にあ げ る引用文 を見 るな らば,独 占企業 に正 の利 潤 を保 障す る,限界 費用 が平均費用 を上 回 る場合 を想定 していた可能性 もある。 だが,残念 なが ら,彼 の ほかの数 値例 を伴 う費用分析 に よって, この点 を確 定 す るの は不 可能 だ った。13)ともあ れ, ここで重要 なの は,巨額 な建設 費 とい う固定 費用 の存在 が平均費用 を逓減 させ る ことを彼 が理解 してい た ことである。
13)デュピュイが基本的には限界費用を一定とみなしているのに対 して,限界費用が逓 増する場合を指摘 したのが ミナールである. ミナールは,この差を交通機関の種類 の違いに帰着させているO彼によれば,橋の輸送単位あたりの維持費が一定である のに比べて,道路や鉄道の特徴は輸送量の増大が単位あたりの維持費を増加させる 点にある (
Mi na r d,ps .2 7‑8
)。 しかし, ミナ‑ルは固定費用をほとんど間盛にし ていないので,平均費用の概念を展開することはなかった。公共事業と国家の経済的介入
1 3 3
この ようなデュ ピュイの平均費用逓減の現象 につ いての理解 も,それ と独 占ヽ とを直接 に関連 させ るところまではいっていない。む しろ彼 は,誰 の 目にも明 らか な14)公共土 木事業 にお ける巨額 な固定費用 の必要性 が その供給者数 を制 限 し,独 占を生 みだす と考 えていた。「まず,新 しい交通路 を建設 す るために必要 な資 本 の巨大 さが, それ を経営 す る可能性 を非常 にわずかな数 の人間 に限定 して しまう。 そ して,既存 の企業 が たったひとつ なので,最初 の (企業 )を犠性 にす る しか新 しい (企業 )が生 き残 る途 はない。 なぜな らば, ひとつ (の企業 )には十分 な利益 で も,ふ たつ
(の企業 )には十分 ではないか らである
」 (Dupui t( d) ,Ⅰ Ip.340)0
クル トワが指摘 す る通 りであ るな らば,15)当時の フランスの民間資本 の脆弱 性 が第一 の理 由を正当化 す るだろう。 しか し,第二 の理 由 は,デュ ピュイが費 用逓減産業 を前提 に していた ことを明 らか に示 している。次 に挙 げる ミナ‑)I,
(Cha r l e sJos e phMI NARD,1 781‑1870
)の公共事 業 にお ける競 争 につ いて の考察 も, この解釈 を支持 す るはずである。彼 は公共事業 が社会 に損失 をもたらす第三 の場合 と して, そ こでの夢争 を指摘 する.
「その時代 の欲求 を超 えて しまうにちがいない新 たな企業 は,危 険 な対立関 係 を生 じさせ る。それ らは無用 なサ ー ビスを提供 し,その資本 の一部 を失 い, 同 じ種類 の企業 に既 に投資 している人 々を危 険 にさらすのである
」(Mi na r d
,p.
32)。ここで語 られているの は,公共事業 における企業数 の増大が生産者 の利潤 を 負 に して しまうという認識 である。その場合, も し各企業 がそれぞれに正 の利
1 4)
例えばクル トワは,交通路が通行というサービスを生産するという妥当な指摘とと もに,その巨額な建設費に言及 している。「産業という観点からすれば,交通路は, いくつかの運搬手段の助けを借 りて,通行 (t r a ns po r t
)を生産する場である。新しい交通路の建設は大量の労働,すなわち多かれ少なかれ巨大な資本を必要とする」
(Co u r t o i s , p.1 8
)01 5)
クル トワは1 8 4 3
年に次のように語っている。「フランスでは,ここ二,三年の経験 が資本家の力に関するあらゆる幻想を吹きとばしてしまった。それは,私的な企業 が蒸気機関を用いたわれわれの鉄道を建設できないということを知 らしめたのである 」(Co u r t oi s , p.1 0
)0
134
商 学 討 究 第
37巻 第
1 ・2 ・3号
潤 をもた らすべ き供給量 を維持 しようとすれば,「 無用 なサー ビスを提供」 す るというように,産業全体の供給量 は過剰 にな り,資源の浪費 を結果する。逆 に資源の浪費 を回避するには,産業内の企業数 を十分 に小 さくしなければな ら ない。つま り, ここで 「 その時代の欲求」 と表現 されている需要 をごく少数の 企業で分 けあわなければならない. 'そうすれば,個別企業 に対する需要曲線 は 上方 にシフ トし,平均費用の逓増領域 に入 ることができるが, この場合 には, デュピュイが 「たったひとつ」 の企業 という言葉 で表わ した独 占,あるいは ミ ナ‑ルが暗示 している寡 占
16)の問題 が生 じることになる。すなわち,彼 らは ス ミスが理解 しなかった公共土木事業 における独 占 ・寡 占の不可避性の認識 に 到達 したのである。
彼 らは公共土木事業 が実際 には新規参入 を阻止 しているという事実 の うち に,その費用逓減産業 としての特質 を読 みとっていたと言える。そ して, この 事実か ら,公共土木事業 を私企業の 自由な活動 に委ねるな らば,資源の最適配 分が妨 げられる結果になるということも彼 らは理解 したのである。この ように, 費用逓減産業 という特質 をもつ公共土木事業が 「 市場の失敗」 のひとつのケー
スだか らこそ,政府の介入が要請 されなければな らない。デュピュイはこの関 連性 を次のように明確 に指摘 している。
「したがって,この ( 公共土木事業 という)産業の経営に政府がなん らかの 介入 をせずにお くというのはかな り難 しい。それを営 むのに少額の資本 しか 必要 と しない限 りにおいて,それ は完全 に自由である。( その場合 には)ほ か ( の産業 )と同 じように, ここでも競争があらゆる弊害 を除去するのに十 分な役割 を果すはずである 」(Dupui t( d) ,Ⅰ Ip.630 ) 0
16)
ナ ヴィェは公共土木事業が入札制度 をとったとしても,完全競争 は保障 されないと 主張する。「というのは,競争者がほんのわずかな数で しか決 してありえないので, 彼 らが望む程度 に高 い価格 でのみ入札するように談合するのは簡単 だか らである」
(Na vi e r ,ps . 2 7 ‑8 ) 。デュ ピュイも同様 の指摘 を行 なっている ( Du p u i t( d ) ,Ⅰ Ip.
853) 。 しか し,寡 占の場合 の企業行動 に関する分析 は, どちらの場合 にも展開 さ れていない。ナヴィ工の文章か ら推察 されるのは,価格 カルテルの認識である。同 様 に ミナール は併行 する運河 と鉄道 との間の価格 カルテルの存在 を指摘 している
(Mi n a r d, p. 2 4
)。公共事業 と国家の経済的介入
1354
国家の介入の必要性
ミナ‑ルとデュピュイが公共土木事業 における独 占あるいは寡 占を規模の経 済の必然的な結果 として捉 え, このことか ら国家の介入の必要性 を主張 したの はむ しろ例外的な事例である。 しか し, この ような認識 を共有 していなかった と しても,多 くのエ ンジニアたちが独 占の弊害 を敏感 に察知 し,それを批判 し たのも事実だった。 この弊害の是正 は土木公団に所属する彼 らの主要な課題の ひとつだったのである。
彼 らの多 くがその弊害 を独 占企業 による高輸送価格の維持政策 に還元 したの は,既に見 た通 りである。エ ンジニアたちは,経験的に,独 占企業の設定する 価格が政府経営の場合 より必ず高いことを一様 に指摘するO一般的に彼 らは, 政府 が費用
17)をカバーする水準 に価格 を設定するのに対 して,私企業 が利益 の最大化 を追求する点 にその理由を兄 いだ している。だが,デュピュイをも含 めたエ ンジニアたちにおける厳密な費用分析 の欠如 は,独 占企業の 「 利益の最 大化」行動の基準 を明 らかにすることを阻んでいる。彼 らに見 られるのは,刺 潤が価格 と費用の差額 である以上,私企業 は利潤 を求めない国家 よりも高い価 格 をつ けざるをえないという論理である。
デュピュイは 1 8 44 年の 「 公共事業 における効用の測定 について
」のノー トの なかで,企業 の行動基準 と して収入極大化原理
18)を採用 し,政府 と私企業 に おける価格差の分析 を試みている。彼の行論 はこうである。
「まず,ある橋の通行料か ら,
Aという額 の使用 した資本の利子 を支払 う ことに しよう。( その場合,つま り政府経営の場合 には)消費曲線 (
courbe17)
この費用の内容 を一概 に定義することはできない。 ここまで検討 してきた意味での 平均費用 を考 えている場合 と維持費 という限界費用 を意味 している場合のふたつ と も兄いだされる。前者の考え方の代表 と してデュピュイをあげておこう。後者の明 示的な例 は,あとで検討するナヴィェの場合 に見 られる。 ′
18)
ほかのところでは,デュピュイも総収入 (
recettebrute)と,それか ら費用 (
frais d'exploitation)を引いた利潤 (
b6n6fice)を区別 し,総収入が同額 でも異 なった
額 の利潤が発生する ことを検討 している (
Dupuit(a),H p.851) 。 しか し,一般
的にはこの分析 を応用することはな く,収入最大化 を企業行動の原理 としている。
1 3 6 商 学 討 究 第
37巻第
1・2 ・3号
deconsommation) をy‑ ∫(Ⅹ)とす るな らば,Ⅹy‑ Aとい う方程 式 を解 けば よい ことにな る。 で は, (私企 業 が )最大 限可能 な収入 をあげるに はど う した らよい だ ろ うか。 (その場合に は,)普 ‑Oとい う方 程式 を解 けば よい」 (Dupuit(a),p.375)019)
ここで限界収入‑0とい う条件 か ら,独 占企業 が収入 を最大 にす る点 に価格 を設定 す るとデュ ピュ イが考 えていた ことが よくわか る。 しか し,彼 が主張 す る通 りに, この独 占価格 がつ ね にⅩy‑ Aか ら導 かれ る,つ ま り平均費用 を償 うに足 る政府価格 よ り高 い と言 うことがで きるだろ うか。答 えは否定 的で ある。
この場合 は可変 費用 を度外視 してい るので,解答 は平均 固定費用 曲線 (
AFC
)と需要 曲線 (D
)の形状 に依存 して いる。固定費用 が非常 に巨額 な場合 には,AFC
とD
が交 わ らな い場 合 ももち ろん あ りうる。20)また,AFC
とD
が交 わるか あるいは接 す る場合 で も,そのすべての交点 あるいは接点 が収入 を最大 に す る価格 よ りも低 い価格 を示 す とは限 らない。あるいは,
AFC
とD
の交 点が, 限界収入‑0が示 す価格 の両側 に位置 す る可能性 も存在 す るはずである。したが って,政府価格 よ りも独 占価格 が高 い とい うデュ ピュイの結論 はあ ら ゆる場合 に妥 当す るもので はない と言 わな けれ ばな らない。 あるいは,彼 の分 析 の枠 内 にはその推論 を成立 させ る前提条件 が明示 されて いない と言 い換 えて もよい。 いずれ にせ よ, デュ ピュイの費用分 折 か らは,収入最大化原理 をとる 企業 の価格 と平均 (固定 )費用原理 を採用 す る政府 の価格 の大小 を確定 す る こ とはで きないのである。それ に もかか わ らず, この ような論理 がエ ンジニ アた ちの国家 の介入 の必要性 の主張 を支 えていた ように思 われ る。 それ は,彼 らの
1 9)
デュピュイを公共料金の限界費用価格形成原理の先駆者と規定 したのはホテリング だが,彼がその論拠としたデ‑ベルナルデイ編 『効用とその尺度について』に収め られているデュピュイの諸論文にこの原理の明確な叙述を見つけることはできな い。ここでの資本利子も一定と仮定 されており,既に検討 した彼の費用分析 を考慮 に入れると,固定費用を意味すると考えられる。あとで見るように,一般的にはデュ ピュイはこれに維持費を加えた総費用を償う料金を最適とみなしているが,どちら の場合にしても,彼を限界費用価格形成原理を結びつけることに疑義を提出 したエ イカラン ドが支持 される結果になる。Ekelund(a),p.4 6 9
,Hotteling,p.2 43
および
Dupuit,Del'utiliteetdesamesure,6critschoisisetrepubli6sparMariodeBer‑ nardi,Torino,LaRiformaSociale,1 9 3 3
0公共事業 と国家の経済的介入
137主要な関心が理論の彫琢にはな く,現実 に存在する独 占価格が 「 社会の利益」
に及 ぼす影響 に集中 していたためだった。恐 らく,エ ンジニアたちが依拠 した データも,彼 らの主張 を裏切 ることはなかったのだろう。 こうして,彼 らは確 信 をもって, 低廉 な輸送費 を実現 させるために政府の介入 を要請 したのである。
もっとも,政府の介入 と一口に言 っても,その形態 はさまざまであ りうる.
エ ンジニアたちの念頭 にあったのは政府の直接経営だが, もちろんそのほかの 形態 も彼 らは考えていた。
20)
エ イカラン ドとヘバ ー トが紹介 しているように (
Ekelund&H6bert(a),ps.244‑5,(ら)
,p.
641),ナ ヴィ工 は輸送サー ビスの政府 による供給 で さえ必 ず しもつねに 正当化 されるわけではないことに気づ いていた。 これはヒックスの最適資源配分 の 総体条件の問題 だが,ナ ヴイ工 はそれ を一種の費用 ・便益分析 的手法 で論 じている。
彼 は輸送費用の低下 をもた らす運河の国家 による建設 を例 にとり,次の ような最低 輸送量 の基準 を設定す る。
運河の年間輸送量 × ( 旧輸送価格 一新輸送価格 )≧建設費の年間資本利子 十年 あた り経常費。但 し,経常費 には,維持 費,運搬費 および経営費 が含 まれる (
Navier,
ps.16‑7)。すなわち,輸送価格 の低減が生 みだす総便益が総費用 に等 しいかある
いはそれを上 回る時 にのみ,政府経営 が許 されると彼 は考 えー たのである。 しか し, 政府経営 にも限界があると した点 においてナ ヴィェはス ミスを超 えたと言 うことが できると して も,彼の規定 にはやや問題 が残 る。それ は,ナ ヴイ工が考えるように 輸送量が輸送価格 の低下 とともに増大するとすれば,総便益 を新旧の輸送価格 の差 と運河 における増加 した輸送量 との積 とする彼の定義 は,それを過大評価す る結果 になるという点 である。 この点 は,の ちに ミナ‑) I / か ら次のような批判 を受 ける。
「この ( 新旧の価格 の)差の全部が節約 されたと考 えるのは,価格の低下以前の消 費 ( 量 )に しかあてはま らない。なぜな らば,新 たに ( 増加 した消費 )はほかの種 類 の消 費 か ら代替 され たの であって, ( 新 たな消費 か ら)実 際 に獲得 され た効用
(utilitb)は,それ を選好 (
pr6f6rence)す る決定 を下 させた効用 で しか ない。
しか し,我 々にはそれが問題 の価格差 に等 しいとは限 らないということが判 ってい るだ けである
」 (Minard,p.15) 。 この ように, ミナ‑ルは新 たな消費者が新 旧の 輸送価格 の差額 より少 ない効用 しか得 ていないことを強調する。消費者がその消費 に認める効用 と価格 の差 を消費者が実 際に獲得 した効用 だとする ミナ‑ルの この考 え方 はデュピュイの消費者余剰概念 と近似 している。デュピュイ自身, ミナ‑ルと
・同 じ論理 で,ナ ヴ イ工の効用概念 を批判 し,消費者余剰概念 を展 開 したのである
(Dupuit(a),ps.34719) . だが, ミナ‑ルに とって,それ は測定不可能 な 「 我 々
にはわか らない何 か
」 (Minard,p.15)で しかなか った。 とはいえ, この ような
エ ンジニ アに特有 な問題設定が,デュ ピュイにおける消費者余剰概念 の発見 を促 し
たことは間違 いないと言 えるだろう。
Ekelund&II6bert(a),(b)も参照の こと。
138
商 学 討 究 第
37巻 第
1・2・3号
まず国家財政 に過重 な負担 をか けるの は望 ま しくない とい う立場 か らは,刺 子 保 障 が 提 唱 され た。 そ の 一 人 が コ リニ ョ ン (CharlesEtienneCOLLI‑
GNON,1802‑1885)である。彼 は公共土木事業 の雇用創造効果 に強 く注 目 し, その政府経営 が失業対策 の秀 れ た手段 で ある ことを主張 す る一方 で,遊休資本 を吸収 し活動資 本 に転 化 す る株式会 社 を奨励 す る。21)彼 の意 図 は,不確 実性 に 対す る保 障 を与 え る ことに よって,公共事 業 へ の民 間投 資 を促 進 す る ことに あった。 そ うすれ ば,多額 の公共支 出 に よ らず失業救済 も果せ る ことになる。
この ような考 え方 は,政府 に よる株式 への配 当保 障 とい う提案 に も見 られ る。
しか し,政府 の直接経営 も租税 を通 じて間接的 に遊休資本 を吸収 す ることにな るのだか ら,利子 あるいは配 当保障 を主張 す る背景 には,私企業 に よる経営 の 方 が よ り望 ま しい,恐 らくよ り効率 的 だ とい う考 え方 が存在 して いた と考 え ら
れ る。
第二 の政府介入 の方法 は補助金 の交付 で ある。 さきに挙 げた利子 ・配 当保 障 も補助金 の一種 とみなす ことがで きるが, その背後 にある考 え方 には画然 と し た違 いが見 られ る。補助金 の効果 を分析 す るデュ ピュイやナ ヴ ィ工 は, それが 巨大 な固定資本 を必要 とす る公共土木事業 に固有 なもので ある ことを明確 に意 識 してい る。22)とはいえ, この補助金 を利 潤 が負 にな って いる公益企業 に対 す
21)Collignon,ps.18‑32。私企業 に対 して全幅の信頼 を寄せるコルデイエ (Louis JosephEtienneCORDIER,1776‑1849)になると,独占認可制を廃止 し自由競 争の制度的枠組を整えさえすれば,公共土木事業においてもはかの産業と全 く同様
に市場機構が有効に機能すると考えている (Cordier(a),ps.2‑3,31et91,(b),p.
9
)。22)Dupuit(d),ⅠIp.558およびNavier,p.9。もっとも,この二人とも積極的に補助金 の交付という介入方法を支持 したわけではない。ナヴィ工は 「ほかに方法がなけれ ば」と限定を付 しているし,デュピュイは補助金を不公平な課税とみなしていると ころもある (Dupuit(d),H p.849)。これは,補助金が 「最適資源配分」の達成 には有効であっても,所得分配の観点からすれば望ましいとは限らないことを彼 ら が感 じとっていたこと,を示 している。ナヴイエは明らかに政府による直接経営を選 好 している。デュピュイの場合は判然としないが,現実的にはこのあと検討する料 金規制を考えていたようである。 しか し,彼の理想 は
,
「独占状態にあるすべての 交通路は国家によって経営 されるべきである」 (Dupuit(d),ⅠIp.854)ということだったと思われる。
公共事業 と国家の経済的介入
139る損失の補填 として解釈 することはできない。彼 らにとっての問題 は, この産 業の費用が巨額であ り,その結果 と して通行料が高騰 し,交通サービスの供給 が望 ましい水準 を下まわって しまうという点 につ きる
。繰 り返 し見 てきたよう に, ここでもエ ンジニアたちは,利潤最大化 の視点か らの企業行動の分析 とは 無縁だった。 しか し,彼 らがほかの場合 と同様に,企業が一定の利潤 を加 えた 平均費用 に価格 を設定すると考 えているとすれば,補助金 という形で資本の一 部 を公共支出か ら負担することは,企業 にとっての平均費用 をお し下 げ,彼 ら が言 うように, 通行料 を低下 させるはずである。この ように現代理論 とは異 なっ た視角か らではあったが,輸送量の極大化 という意味での最適な資源配分 を実 現するためには補助金 を交付す る必要 もあ りうることを彼 らは理解 していたと 言える。
はっき りと公共土木事業 における独 占への対抗策 として打 ち出された政府介 入の方法は,料金規制である。
「 国家 は,( 独 占の)弊害 を抑制するために介入 しなければな らない。つ ま り, 通行料の上限を設定すべきだったのである。競争が事実上排除 されているの
だか ら,それが必要だったことは歴然 と している」 (Dupui t( d) ,H p.851 )0 デュピュイのこの発言 は, コルデ イ工のようなごく少数の例外 を除いて,エ ンジニアたちに共通の主張 を代弁 したにすぎない。彼 らに残 された問題 は,ど の水準 に価格 を設定すべきかということだった。彼 らの解答 は,政府経営の場 合 と同 じ水準か,あるいは,それに妥当な利潤 を加えた額 に求め られている。
後者の場合 には前者の場合 よりも当然輸送量が減少することになるが,それで も,「( 政府経営の場合 より,公衆が)より少 ない利益 しか受 けられないとして も,結局 その方 が何 も得 られないよ りはま Lである」 (Mi na r d,p.81)と考 え られていた。
では,政府が直接経営するときの価格 はどの水準 に決定 されるべ きなのだろ
うか。こうして,エ ンジニアたちは公共料金の設定の問題 に取 り組 むことにな
る。
140
商 学 討 究 第
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1・2・3号
5
公共料金 の決定
公共料金の決定 は,社会 の利益 の最大化 と無関係 に論ず ることはできない。
多 くのエ ンジニ アたちがそれ を輸送量 の極大化 と同一視 していた ことは既 に見 た通 りだが,そのためには輸送価格 を最低 限 に抑 える必要 があった。輸送量 だ けを問題 にす るな らば,通行料 をゼ ロにす ることが もっとも望 ま しいはずであ る。 もちろん,彼 らは この論理 を認 めている。だが,一般 の道路以外 の交通路 における通行料廃止 の主張 はほとん ど見 られない。 これ は,排 除可能 な交通機 関 を完全 に公共支出 によって賄 うの はあま りにも不公正 な課税 だと考 え られて いたためだろう。23)ェ ンジニ アたちは 「受益者負担 の原則」を等 しく支持 して いたので ある。24)しか し,受益者 が どこまで費用 を負担 すべ きか とい う点 にな ると,彼 らの意見 は二分 され る。
資源配分の観点か ら現在一般的 に公共料金 の設定基準 として採用 され る限界 費用価格 の原理 を主張 したの は,デュ ピュイではな く,ナ ヴィ工 である。ナ ヴ ィ 工 は国家 による直接経営 の強力 な支持者 だったが,それ はこの経営形態 が最大 の輸送量 を保障す ると考 え られ るか らだ った。 この視角か ら,彼 は維持 費の水 準 に料金 を設定 すべ きだと主張 する。
「要 す るに,いかなる通行料 も徴収 しないか,あるいは通行料 をで きる限 り最低 の率,つ ま りせいぜ い推持費 を捻 出す る率 にまで引 き下 げることが, 交通機 関のための工事 がその結果 と して期待 される利益 を生 みだすための必 要条件 である。 この条件 はその費用 を国債 か ら支出す るときに満足 され うる し, またその ときに しか満足 されえない。 したが って, この ことはほかの何 よ りもこの遂行方法 を選好 す る強 力な理 由にな る」(Navier
,p
,12)023)この考え方から,エンジニアたちが公共事業の所得再分配効果を琴識 していたこと がわかる.「富の不平等,それが公共事業の有用性 (utilit6)の強力な原因」だと 断言するミナ‑)I,は,公共支出による公共土木事業が納税者から受益者への所得移 転を伴うことを明瞭に把握 している (Minard,ps.13‑4et27)0
24)例えば,Comoy,ps.139‑140およびMinard,p.84.しかし,一般の道路に関し ては,交通量の増大とともに維持費が増加するという事実にもかかわらず,その公 共性を理由に通行料の徴収を避けるべきだと考えられていたことは既に見た。