古 典 的 確 牽 論 の 基 礎
ロ︑史.︑的概観
二︑パスカルとフェルマーとの往復書簡
㈲第一の書簡
㈲肋弟二の書簡 .
㈹第三の書簡
㈹第四︑第五︑第六の書簡
三帆古典的確率論の成立.︑ 武隈良
一
一1‑̲
ラ剛︑吏的概観α
普通に確率論はパスカルとフェルマーに始まると言われているが︑蓮任せの勝負事(Φ蟄塁$o隔O置蟄β8)が古くか
ら行われている限り︑確率の概念そのものは入類の歴史ととも匿古ぐ︑これを始めて定義したのはアリストテレスで
ハ あると言われている︒5しかし彼の定義は純粋に量的な測定にょるものではなく主観的判断を必要とするものであつた︒
古典的確率論の基礎
一2一
古典的確率・諭︑a基礎一︑﹂噴︑,
れヘメロロ
椴子を投研たとぎ︑﹁如何なる目が幽るかという豫想については・既に一四ぜ七年にディモラ(閑窪ぐφ囮舅♂o臼︑ぼ量の警いたダシテ紳曲の註繹本にあらわれてい気︑撚し賭博の問題がはじめ藪学の書物にあらわれたのは
パチオリ(目⊆§団きご崔)の著書ω凶唐蟄に於て璽みグ・それは巴四九四年に刊行された・(4)
・その問題というのは︑̀二人の競技者が始めにn黙を獲得したとき勝つという約束のもとに勝負を開始したが︑甲が
し ト らa鮎乙がb黙を得たときゲームを中止輩たならば︑賭金を如何なる割合に分配すれば公亭で診るかというのである︒︑
これを通常︑黙の問題(用目oび夙Φ目o協娼o巨富)という魂π汽
偶然をはじめて数量的に取扱つたのは︑十六世紀に於ける伊太利のカルダノとガリレオであつて︑二人は殿子のゲ
ームに關する種々の問題を解決した︒當時に於ける賭博の流行は︑都市の隆盛︑航海の畿展︑商業資本の集積と投資
等々に基づくものと考鷹られ︑一撲千金を夢みる遠洋貿易が射倖の氣風を一段とあおつたことは想像に難くない︒
かくして古典的確率論は賭め問題をめぐつて南激地中海滑岸に華・かにひらいたのでみる︒︑
のノカルダノは数単者であると同時に專門賭博師であり︑賭博場に於てつねに不正が問題にされることを知つていた︒
そこで賭博をする人が不正に射して確固とした反駁をなし得るためにAカルダノは賭博に關する論読を嚢表し︑そこ.
ねヨぞに於て當時伊太利0賭博場に行われる椴子の種々のゲームに關する多くの敏学の問題を討議した︒ガリレオは專門賭
博師で倣なかつたが︑或る伊太利の貴族にょつ.て提出された椴子のゲームに關する多くの問題を取扱つた︒幸蓮にも一
そのうちの若干は今日小さなメモに淺されて⑱る︒︑戸 真・かく確傘の概念がはじめて数量的に取扱われたのな伊太利に於て讐あつたが︑これを更に理論的に藪学の問題とし
て取上げたの億佛蘭西の数学者パスカルとフェルマーとであつた︒
へ事の起りは專門賭博師ド・メレ(OげΦ<聾霞働㊦旨曾⑨HOδlH⑦縦)が=ハ五四年にパスカルに二つの問題を提禺
したことにはじまる︒その一つぼ本贋的にはさきに蓮べた購の問題であり︑これをパスヵルがフェルマコにも知らせ
爾者が個々に相異訟れる方法で解決した℃他の触つの問題は︑亥の如ぐで疹る︒︑・︑〜︑
︑十七世紀の佛蘭西の賭博者の冊では﹁一つの般子を四回投げるとき︑少くども一回6の目が翫る﹂と購ける'こどは
ヨし得な賭であると知られていた︒然らば﹁二つの般子を二十四回投げるとき︑少くとも一回爾方の般子の目が共に6に
もロしドし̀なる﹂と賭けることも得であろうと思われるのに維験にょると損な賭なので算術に甥Lて不信を懐くに至つたとド・
メレはパスカルに報告した︒︒,.︑
この二問題を解決する爲に﹂パスカルは著名だ算術三角形の理論を用いたのである︒'
パス殉ルとフェルマーとの間に取交された書簡によれば︑爾者による研究は興味深く︑且つ理論的に墜然としてい
るため二般に肇論はこの爾者餐つ藁礎づけられたと言われるのである(70)
の お 確率論に關する論文ではじめて印刷物となつたものはハイゲ一ンス(Oぼ溢寓罫β国昌σq①霧脳⑦トっ⑩1嵩譲)の論読であ
り︑これは一六五七年に刊行された︒これはパスカルとフェルマーとの文通の内容を知うたとき︑薪しい著想にか91
ねたてられて執筆したもの﹂であり︑この小冊子は確率を系統的に取扱つた最初の試みであるゆそこに於ては興味深いとしロ
ないうよりば寧ろ困難な問題が解かれており︑また現代確率論に於て重要な概念でみる﹁数学的期望値﹂は彼に負うも
のである︒∴'覧︑︑・︑灘有名なライソニッツもまた・偶然について書いている︒数学的確率に關する彼の最初め文献は・哲学潜ウォルフ
ノノ一亀9臨)への書簡であり︑そこでは無限級藪昌ーμ+戸ーH+⁝⁝の和に就ても論議されている︒
にレゆ き
一.またモンモ遭ル(団貞O目犀Φ函傷冒POβ9q①冒Oβ隔目O目酔Mμ⑦刈Qo‑H司μ⑩・)も確率に關する小論を一七〇八年に嚢表した︒
古典的確率論の基礎
古典的確率論の基礎
﹁確率論に貢墜叢初の霧は︽ベルヌ身(・(10)q鐙B①o頃①目嵩O昌一一詑H㊦駅吟lH'80α)の﹁推論法﹂(聖・・量忌一"4H母Q︒・)である︒これは偶然の理論に於ける革命的な書物であり︑軋偶然を数学的見地と哲学的見地のこ方面かち論じ實朝際σ問題にその購を示し忽のである・藪多くの重饗完理の申に・今具ルヌ}の定理と呼ばれる姦の法則
夢の﹁つが含ま轟ているが︑これは数学的確牽と維験的確率との一致をしめす確率論の礎石ともいうべを定理でめる︒
確率論に貢献し%第二の書物はド・モア.7ル(bび量昼蟄B自o§才円①脳⇔⑦唄ー昌誤悩)の﹁偶然論﹂(⇔oo首宣①o隔
︑○昼魯昌oΦ砿︑"Oさb,自Φ穿OqO恥O籍oq冒煎昌σq窪Φ国Oび欝び出一ξO恥團4Φ9μ冒困蟄ざ一刈HQ︒)であ馬る︒この書物も原理
的に貢献する庭が少なくなかつたが︑困難な問題に樹して薪しい有力な方法を提供した黙に於て著名である︒問題の
ノゆ讃明は含の讃者に髪しく撃られるが︑有釜籍果を数多く含んでいる・例えば﹁・・2・3・⁝f・なる数
へ字をそれぞれ各面に記した正f面髄の般子がn個ある︒之れを悉く投げるとを︑,あらわれる敏字の和がkになる確率
如何﹂というのはド㌦・・モァブルの著名な問腰である︒︑﹁第三のも︑のとして修ンプソン(厚︒髪ωぼb・・β昌馨〜崖)の﹁偶然の法則﹂(日墓︒8冨8葛§
があるが︑これは饒り注目されなかつた︒これ昏もむしろべ堰発葺乱鍔q・"憲8の論斧方が重響あ‑り︑これは事後確率の決定を取扱い確率論に於ける重要鶴堕昂観鶴すものである︒しかし不幸にも・べーイスの法則
として知られている彼の法則は不注意に鷹用され勝ちなので︑ベーイスの理論は今日若干の数学者によつて拒否ざれ
ている︒
以上これらの書惣よつて知らる姦く︑+八世紀に於て↓馨論竺段と叢蓬げたのであるが・それ最多
くの優秀な数単者が参加したζとに起因する︒例えば︑ダニェル・ベルヌーイ︑オイラー︑ニコラス及びジヨン・ベ
ル条叉ダランベル︑ビユ︒フオン︑ルジ.ンドル︑ラグランジ・︑筆の名は託蓮することが出來ない・今は
繁・♪
一5一
これ等の学者の確率論に於ける貢献を仔細に蓮べる飴裕はないが︑その中の若干に就て述べれぱ︑
,先づダニ・エル・ベルヌーイ(∪蟄艮£(H)国Φ円昌︒自戸嵩OOlμ届卜9)がペテ⑳スブルグ学士院記奮(一七三〇1三
触一)に⁝提出 bた次の問題がある︒
.甲の貨幣を投げて表が出たら︑乙は甲に1圓を與える︒もし表が萬なかつた場合には再び試みて二回目に表が出た
ら甲に2圓を與える︒以下順次之のように行つて一般に(βーH)回まで表が出ないで︑第且回目に初めて表が雌.だ
ら︑甲に同,園を與える約束をしたとすれば︑乙は甲に何程支彿うことが合理的であるか︒(これを聖ペテルスブル しリログの問題という︒)',
お問題は確釜謄幾多の疑冊をぴき起し︑そ案礎を危うからしめたものである︒生じたつ・ド︒グスに封する
解決のための論孚が数多く展開された︒就中ダランベルの理論的解決に劉するピユッフオンの實瞼的解決にょる反駁
は著名であるが︑これらの論争を通し﹂で確傘の理論は愈々深まつて行つたのである︒ベル鑑ーイはこの問題の研究に
於て﹁道徳納期望値﹂(岩︒目暫一︒図bΦ︒蜜菖︒β)乏いう概念を導入したが︑これは経濟学に於墨も重要な概念の﹂つで
ある︒︑ψ軌︑し,F
ズその他ビユッフオン(Q①qσqΦBo目δ8①9魯oΦ量隔ぐoβ閑q崩o♪昌O刈i嵩︒︒◎︒)の針の問題というのがある︒それ
は﹁奉面上に等しい間隔をおいて無敏の李行線が引かれてあるとき︑これに針を投げると︑針が築行線ど交わる確率
はいくらであるか﹂という問題である︒・この問題によリビユ︒フオンは幾何学的確率論の父と呼ばれるに到つたので
ある︒'/︑かかくして十九世紀を迎えた確傘論はその初頭に於てラプラス(詔BoβB患冨oρH禄⑩IHQ︒bっ刈)の大署﹁確率の解
(13)洗\析的理論﹂(日屠oほ①卸§ζ菖ρqΦ伽$娼目oび暮罠ま@Hoc昌トっ)となつて集大成され︑.普通にこれ迄の確率論を古典的確牽
古典的一確率論の基礎