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仏教福祉 No.10

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Academic year: 2021

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ISSN 1343-04

仏 教 橘 仏

2007

年3月

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仏 教 橘 仏

2007

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第九回仏教福祉シンポジウム

﹁寺院を拠点とした福祉活動の現状と課題﹂

パ 、 不 ラ l

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デイネイタ

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研究論文

日本的・仏教的要素を加えたスピリチユアルケア論

四天 王 寺国際仏教大学専任講師 研究論文

浄土宗にお

ける児

童教

化の

考察

浄土宗総合研究所研究スタッフ 若麻績 大河内 松 藤 長 谷 川 谷 士 口 LLJ 水 享 員リ

1

秀 人 手 口 俊 生 匡

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岳 84 彦

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書 評 三 宅 敬 誠 著 ﹃ 寺 院 の 社 会 福 祉

家族を守る仏教

淑徳大学准教授 藤 ァに ネ4巳 雄 介 105 研究ノ l ト 悲 嘆 ケ ア に つ い て ー 浄 土 宗 の 教 え に 関 連 し て │ 大正大学非常勤講師 曽 ネ艮 宣

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アンケート集計報告 浄 土 宗 寺 院 ・ 住 職 の 福 祉 意 識 に つ い て │ 社会福祉実践を支える理念について 仏教福祉研究班 1 (1

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)

11 一一 長 谷 川 匡 俊 ・ 坂上雅翁・曽根宣雄 鷲見宗信 ・ 藤森雄介 ・ 関 徳 子 渡治義昭・吉水岳彦 ・ 石川基樹 編集後記

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第九回仏教福祉シンポジウム

﹁寺院を拠点とした福祉活動の現状と課題﹂

平成十八年十月 二 十 三 日(月)日時 場 所 大本 山僧上 寺 三 縁 ホ

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ル パネラ │

入 、 4 V 1

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デ ィ ネ イ タ

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長谷

人 則

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手 小 E

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司 会 出門様、本日は浄土宗総合研究所主催の仏教福祉 シンポジウムにご参加いただきましてまことにありがと うございます 。 まずシンポジウム開催に当りまして、当浄土宗総合研 究所、石上善臆所長にご挨拶をちょうだいいたします 。

O

石上所長 ょうこそおいでいただきました 。 皆様 きょうはあいにくの雨天でして、皆さま方の出足も少 し悪いのかなと思つてはおりますが、時間が経過すれば おいでになる方も増えるかなと思っております 。 この研究所において、仏教福祉と申しますか、社会福 祉、社会 事業の 仏教系の研究が毎年のように続けられて き ﹄ 宇 A F 1 レ れ 九 。 シンポジウムも毎年のようにあちこちで展開 してきましたが、 今同は特にお示ししま したように、 ﹁寺院を拠点 とした福祉活動の現状と諜題 ﹂ という題で シンポジウムをお願いすることになりました 。 考えてみますと、浄土宗というのは明治以来、大変社 会事業に力を入れた宗派でした 。 かつては ﹁ 社会事 業 宗 ﹂ と呼ばれた時代もあるそうです 。 し か も 、 その内容 は、これは吉田久 一 先生のお書きになったご本をお読み するならば、関東を中心とした仏教の社会 事業の流れ と いうのは、渡辺海旭、矢吹慶輝長谷川良信という 三 人 の先生の名前をあげれば十分だとおっしゃっています 。 それのどれをとっても、すべて我々浄土宗の方々でいら っしゃいました 。 そういう流れを考えてみますと、戦争が入り、 そして ま た 、 その聞のいろいろな変化から、 今 日のような状態 にはなりましたけれども、再び、

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﹂れを何とか再生して いかなければならない、そういうものを私どもは課題と して背負っているように思います 。 き ょ う は 、 その辺も含めながらお話をちょうだいでき ることと思っております 。 かつての先学がどれほど力を 入れて仕事をしてこられたか、 そういうことの思いを重 ねながら、今日の社会福祉のあり方を検討していただき たいと思います 。 きょうはコ ー ディネータ!として、淑徳大学の理事長 であり、学長であります長谷 川 匡俊先生 そして若手の

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方々にお集まりをいただいております 。 長谷 川 先生を中 心に活発な論議がなされるものと思っております 。 皆さ ま、どうぞ最後までご清聴いただきまして、また、 ろ いろな質疑を賜りたいと思います 。 本日は本当にありがとうございました 。 御礼申し上げ ま す

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司会 石 上 先 生 、 どうもありがとうございま し た 。 それでは長谷 川 先 生 、 よろしくお願いいたします 。

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長谷川(コーディネータ

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皆さん、こんにちは 。 足元のお悪い中をこのようにシンポジウムにお集まりい ただきましてまことにありがとうございます 。 今回のテ ーマに 至った経 過を 含めて シンポジウムの趣旨につい てあらかじめお話を 申し上げたいと思います 。 浄土宗総合研究所の私ども仏教福祉研究班としては、 昨 年 、 . 昨 年 と -一 年連続で ﹁ 仏教教団の社会福祉活動の 現状と課題﹂、副題で﹁ 宗団 としての取り組みとその理 念﹂と題してシンポジウムを開催してきました 。 また、並行して、平成十六年度には浄土宗門の全面的 な理解と協力のもとで、﹁浄土宗社会福祉事業活動に関 するアンケート調査﹂を実施させていただきました 。 大 変多くのご寺院の方々からのご協力を得ま したことをこ の場をお借りして厚く御礼を申し上げます。 このような活動の意図はおおむね以下の 三 点でありま す 。 第 一 に、仏教系伝統教団における社会福祉の活動や事 業の現況ないし全般的な傾向と課題を 把 握すること 。 3 第 -一 に 、 そのような中での浄土宗教団における社会福 祉活動の相対的な位置、あるいは特徴とは何かを見出そ うとする試みであります 。 第 三 に 、 アンケート調査を通して、具体的に浄土宗の 寺院や住職の社会福祉活動への関与の実態把握、及び社 会福祉活動に関する意識の解明にありました 。 その成果の概要はいずれも当研究班の編集にかかわり ます浄土宗総合研究所発行の機関誌、受付の際にすでに お手元に聞いているかもしれませんが、﹃仏教福祉﹄と

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いう機関誌がありますが、こちらの第八号、九号に掲載 されておりますので、ご参考にしていただければ幸いで す 。 ところで、今回のシンポジウムのテ l マ、﹁寺院を拠 点とした福祉活動の現状と課題﹂ は、おおよそ以上のよ うな本研究班における調査研究の経過を踏まえて設定さ れたものであります 。 その具体的な理由について、若干 付 言 させていただきます 。 先ほどもちょっとご紹介申し上げましたが アンケ

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ト調査の結果を見てみますと たとえば、住職の社会福 祉についての関 心 を問う質問に対して、﹁個人として社 会福祉には関心があるが、社会福祉実践を行うまでに至 っていない﹂ と 回 答 を さ れ た 方 が 七 一 ・ 三 二 % 、 二 、 三 五八件にも及んでおります 。 また、社会福祉と仏 教者とのかかわりついて、﹁より積極的にかかわってい くべきである﹂という回符は五九 八 % 、 約 六 O % 、七七六件にのぼっているわけです 。 にもかかわらず、 実際の活動に従事している方の数となりますと、有効回 答数の 二 割強に止まっております 。 このような傾向から考え合わせてみても、浄土宗寺院 の住職の方々が社会福祉に強い関心をおもちになってお られながら、 他 方において実際にかかわっておられる方 は 二 割強、それ以外の方々はどのように福祉活動にかか わったらいいのか、 ﹂ういった術と申しますか、方法等 に関して、むしろ積極的に浄土宗から提示 し てもらいた ぃ、あるいは紹介していただきたい、 いろいろな情報を 発信してもらいたいという意向がおありではないか

-

4-v 」 のように受け止めるものであります 。 したがいまして、今回、﹁寺院を拠点とした福祉活動﹂、 これを具体的になさっておられる講師のご報告、あるい はまた、これからの地域社会の中でボランティア活動等 がより活性 化 していくよう望まれておりますが そのよ うな場合に地域の側からボランティアの育成ということ を考えてみますと、 どのように 寺 院の人的、物的な福祉 資源の活用といいましょうか、 そういうものが求められ るのかどうか、あるいはまた、浄土宗寺院がある意味で

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は総決起して、運動的な展開として、寺院と社会との接 点をどのように見出していくべきか、また、可能である の か 。 そうしたことをこのシンポジウムを通してパネリ ス ト の方々からお聞きしよう、ということで今回のテ

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マに至ったわけであります 。 したがいまして、 き ょ , つ の テ ー マに沿ってこれからお 三 人の パ ネリス ト の方をご紹 介申し上げます 。 私のすぐお隣、若麻績 享 則先生であります(拍手) 。 先 生 は、元 全 国浄土宗青年会の理事長をなさっておられ ました 。 現在は 善 光 寺 さまの淵之坊の副住職、 他 に 、 善 光 寺 保育園の園長、地元 長 野県におけるさまざまな N P O 法人 等 の 要 臓をおつとめになっておられます 。 若麻績 先生ご自身が 青 年会の理事長をなさっておられたときに 提唱された﹁コミュニティ ・ テンプルの運動﹂などを中 心にきょうはお話をしていただくことになります 。 それから次に大河内秀人先 生 です(拍手) 。 大河内先 生は、現在、浄七宗の 寿 光院のご住職であり、 ﹁ 江 戸 川 ノ ナ ど も お ん ぶ ず ﹂ の代表をおつとめにな っ ておられます 。 きょうは特にこの ﹁ 江 戸 川 子どもおんぶず﹂ の活動を中 心にご発題いただきますが、先生は、国内での地域活動 ばかりでなく、 さまざまな海外における国際的な支援活 動などにも従事されておられる方であります 。 きょうは 浄土宗の寺院に限りませんが、 寺 院が地域を拠点にして どのような活動の可能性が聞かれているか、具体的な事 例を中心にお話をちょうだいいたします 。 二 番目は、松藤和生先生です(拍手) 。 先生は K T 福祉研究所の代表を現在なさっておられます 。 長きにわ

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5-たって、千葉市社会福祉協議会 ・ ボランティアセンター に居を据えられて、地域活動やそのリ ー ダ ー の育成 等 々 に あ た っ てこられた方であります 。 福祉の専門職者の 養 成 等 にもかかわりながら、地域ボランティアの育成に強 いご関心をおもちになって、 これまで活躍をされた先生 であります 。 地域の側からボランティアの育成、 そのような中で寺 院や住職にどのようなことを期待し得るのか、 寺 院、住 臓の役割を 含 めてご提 言 をいただく予定であります 。

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以 上 お 三 方にこれからそれぞれ 二 十分ずつ お話を いただきまして、 一 巡したところで、各五分ずつ、補足 をしていただき、 その後、休憩に入らせていただきます 。 休憩に入ります折に フロアの参加者の皆さま方から、 先ほどご紹介がありましたご芳名カ

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ドの裏側の方にご 意見、ご感想、あるいはご質問がございましたら、ぜひ お書きください 。 それにお答えする形で第 二 部の方は質 疑応答などディスカッションを行っていきたいと思って おります 。 どうぞよろしくご協力をお願い申し上げます 。 大体四時半を閉会のめどとしておりますので、ご協力 のほど お願い中し LL げます 。 それでは若麻績先生からよろしくお願いいたします 。

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若麻績 皆さん、こんにちは 。 ただいま長谷 川 先生か らご紹介いただきました若麻績享則です 。 座らせていた だきます 。 失礼します 。 皆 さ ま 、 お手元の β に資料があるかと思いますが、 れはまた、後ほどご覧いただきながら話を進めてまいり ます 。 その前にいま、私がさせていただいていることとか、 浄土宗青年会とのかかわりで始まった ﹁ コ = 、 ユ ニ -ア ィ ・ テンプル﹂ のいきさつについて、最初に入り口のお話を したいと思います 。 私はきょう、朝、長野からやってきまして、こうやっ て見ますと、浄青時代に 一 緒に活動した 仲間や先 輩もお られるようで、懐かしく感じております 。 また、﹁コミ ユニティ ・ テンプル﹂といって、まだ皆さんのお耳にも

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馴染みがないかもしれませんが、 そのことについてご指 導いただいた先生方がそちらにおられるものですから、 非常にここでしゃべるのはしゃべりにくい状況にありま し て 、 できるならば、 いまからでも誰かに変わっていた だきたいと実は思っている次第です 。 それでも与えられ た時間を全うしたいと思います 。 私も今側、保育園に行きまして、元気のいい 二

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名 そ ほどの子どもの顔を見て、 きょうも 一 日、預かった命に 対して、無事、何事もないようにまたお家に帰るのだよ

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という願いをこめてこちらに来ております 。 善 光 寺 には保育園があります 。 その園長を昨年から拝 命しておりまして、務めております 。 先ほど申したとお り、約 二

OO

名の園児がおり、仏教保育、﹁明るく・正 しく ・ 和よく(仲良く)﹂ということで、それを 一 番の 保育理念として毎日、先ほど申したとおり、﹁命を預か る ﹂ という 気 持ちで取り組んでおります 。 ちょうどいま、長野の方は紅葉も始まっておりまして 環境もいいので、きょうは東京は雨ですが、 長 野の方は まだ晴れておりました 。 この秋のいいときですから、 ﹁ 小さな秋を見つけに行 っ ておいでよ ﹂ という 言 葉を残 してこち ら に来たわけです 。 そういった福祉に少しかか わらせていただいております 。 そういう中で私自身もそ の中からさまざまな子どもからの学びというのでしょう か、そういうものを頂いていることに 気 がつく次第であ ります 。 地 一 川 、 長 野の β で は ﹁ スペシャル ・ オリンピックス ﹂ ということをずっとやっておりました 。 いまでもや っ て いるのですが、これもやはり福祉の 一 つかもしれません 。 知的発達障 害 をもっお 子 さまや人たちに対してスポーツ の場を提供しようということで、これは日本中で盛んに なってきています 。 いま細川佳代子さんが提唱してやっ ていますが、実は長野で、昨年、 二

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五年の 二 月に世 界大会が行われまして、世界中から知的発達障 害 をもっ 方々が大勢集まりまして 一 、

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人規模の世界大会、 冬季大会ですが、聞かれました 。 そういった知的発達障 害 をもたれる方々という 言 葉 一 つとってみても、私にと

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-つては勉強になりましたし、また、 言 葉と同じように知 的発達障 害 をもっ、﹁アスリート﹂と呼んでいますが アスリートからも私達が 学 ぶことがたくさんあるのだと いうことに気がつかせていただいています 。 長野はオリンピックをやったり、 パラリンピックをや ったり そしてスペシャル ・ オリンピックスをやったり ということで、ある意味では私自身もその中で多くのボ ランティアの意識というか、私達でいえば、布施行とい うのでしょうか、 そういったことを学ばせていただきま

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した 。 そのようなことを地元長野でやっています 。 そ こ で 、 浄土宗青年会ですが、私はすでに卒業しまして、青年で はないよと 言 われて 一年ほどたっわけです 。 四十 三 歳ま でなのですね 。 ここにおられる方はほとんど浄土宗の方 でしょうから説明は要らないと思いますが、法然さまが 立教開始の御年 四十 三 歳をもって浄青は終わるという のがル ー ルでありまして、終わって 二 年ほどたちます 。 その浄土宗青年会に在籍中 いまから 三 年ほど前です が、全国浄土宗青年会、﹁全浄青﹂ で理事長をさせてい ただくご縁をちょうだいしました 。 そのときに、ちょう ど時は 二 十 一 世紀が始まって 二

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三 年たったころでしょ うか、何をいまの青年層、我々の世代で考えるべきなの かなということを││大体こういうことはみんなで酒を 飲みながら考えるのですね、 一 人でじっくりなどという ことはないのです 。 地元長野の連中と、 どういうことを 考えればいいのかなということから、やはり将来のお寺 の姿とか、私達の

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我々はいま青年ですが、あと 三 十 年 後 、 四十年後は一体どういう寺院環境というか、社会 構成の中において私達の存在があるのかなという、ある 意味の危機感というのでしょうか、心配を超えた危機感 をもったというところから話が始まるかと思います 。 そして浄土宗でも、﹁浄土宗基本構想﹂という、 い宇品 となっては懐かしいかもしれませんが、基本計画のこの 冊 子が発行されました 。 私はこれを読んで、非常に心を 打たれるものがあったというか、ここの構想について、 夢をもちまして、やはり私達浄青の世代がこの基本構想

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-をしっかりと踏まえた上で、普段の寺院活動や浄 育 活動 というのはあるべきではないかと思ったのが入り口でし た いま、このことについては詳しくは申し上げませんが、 やはりさまざまな切り口、 つまり宗教的な、仏教的なこ と以外の活動展開をもっともっとしていこうではないか ということがこの基本構想の中にはたくさん書かれてい ます 。 その中で、やはり私達の置かれている現状をまずしっ

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かりと見極めることから始め、 そしてその見極めるとい うのは、私達僧侶の中だけではなくて、第 三 者からの目 線、評価というものをまず聞いて、 それに対して ﹁ 私達 はどのように考えるべきか﹂ということから始めなけれ ばいけないねということで、 そういうところからまず議 論を始めました 。 きょうお配りしたレジメの順番でお話しする と 、 ち ょ っと前後するかもしれませんが、ご覧いただいて、 ぉ 2 f 同 一 の 参 考にしてもらいたいと思います 。 い 土 品 、 レジュメの ︻ はじめ お話ししていることは、 に ︼ の部分に入ってくるかと思います 。 { はじめに ︼ と ︻ 背 景 ︺ と害いである 二 つの部分からお話ししますと 平成十四年から十五年に私がさせていただいた全浄 青 の 理事長のとき、テ 1 マが先ほど申し上げた ﹁ どうしたら い い か ﹂ というこ と か ら 、 こう致しました 。 ﹁ 時は今 ところ足もとそのことに うちこむいのち 永遠のみ命 ﹂、椎尾先生の有名な辞世の句があります が、私はそれが大好きなものですから、 そこからちょ っ とお借りしま し て、﹁時はいま、すべては還愚から﹂と いうサブテ ー マをつけました 。 いまのこの社会や私達の 姿、そういうものを見つめようではないかということで す 。 そして、努頭 宣言 にもありました ﹁ 愚者の自覚 ﹂ か ら、法然様からの私達宗侶に対する 一 番のメッセ ー ジと いうのは、﹁愚者の自覚﹂ であるということから、 ﹁ 愚に 還る﹂﹁還愚 ﹂ ﹁すべては還愚から﹂という サ ブテ ー マ を つけて、この活動に入りました 。 この浄土宗 青 年会というのは 二 、 五

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人ほど会 員 が 9 おりますので、日本中話して歩くわけですが、 ただ、こ ういう難しいテ ー マだけだと浄 育 というのはなかなか動 かないものですから、 三 つ の キ ー ワ ー ドに分けました 。 一 つ目が、これからお話しする﹁社会 ・ 寺院 ・ 僧 侶 ﹂ 、 社会と私達の﹁時は今﹂ それから浄土宗と私達の 時 は今﹂、最後は浄青としての ﹁ 時は今﹂、この 三 つに分け て活動を展開したわけです 。 大遠忌を控えた中でありま すので、大遠忌に向けた活動も始めたわけです 。 きょう はそのあたりは割愛しますが、社会 ・ 寺 院 ・ 僧侶の ﹁ 時

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は 今 ﹂ 、 それが 一 番のテ

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マかと思います 。 そ の 三 つ の 、 ﹁ 三 位 ﹂ と 書 い て あ り ま す が ま ず そ の 現 状 を し っ か り と見つめ、今は何が求められているのか、 そ し て 私 達 、 青年僧侶が将来に向けて今から何を求めていくのかを考 える機会としたということです 。 私達は よく宗教者である││レジメには括弧して ﹁仏教者﹂と 書 いてありますが その使命を今 一 度、や はりここで考えるべきではないか、 せっかく、法然様、 元祖様の教えを私達はいただいてこうしているわけです か ら 、 その伝道者としていまの社会とどのようにかかわ るかということを考える、 その委 員 会をもったわけです 。 きょう会場にもみえていますが、山形の佐藤(智史) さんが委員長になりまして、 ﹁ 寺 起こし委 員 会﹂という 委 員 会をつくりました 。 元祖様のことは多くは語りませ んが、私は個人的には時の苦しむ衆生というか、弱者に 対してすごく卓魅した感性をもって洞察されたのだと思 っ ております 。 私はその思いというものは、﹁すべては 還愚から﹂﹁愚者の自覚 ﹂ というところにすべて人 っ て くるのではないかということからこのテ ー マをつけたと いう思いもあります 。 その背 景 で す が 、 お 寺 を取り巻く背 景 、それから私達、 お坊さんの意識と 一 般の 意 識とはどうなのだろうかとい うことです 。 お寺の取り巻く 一 般的な感覚と僧侶との意 識の恭離 さらに僧侶に対する期待とは伺か、 そして時 折耳にする﹁聞かれたお寺﹂とはどんな こ と なのかなど 私達を取り巻く環境を率直に見つめることから始めると いうことでした 。 n u そしてそこには自分自身の自己反省をもとに、還愚に 立 脚 し た 、 宗 侶らしい態度が肝 要 と思われます 。 先ほど、石上先生も中された浄土 宗 の輝かしい歴史を 私達は知っております 。 その時代の要請に応え、社会へ 慈しみの眼差 し を注いできたことが その証として ﹁ 社 会 事 業 宗 ﹂ とも 言 われたと伺っています 。 こ の ﹁ 社会事業 宗 ﹂ という 言 葉は私達にとっても 誇 り でもありますが 、 も っ と い え ば 、 それは私達の未来への 可能性であると私は考えています 。

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さ て 、 いまの私達はどう見られているか、 お寺とはど のようにみられているのかということを全浄青の研修会 じ ん で行いました 。 皆さんもご存知の全育協の神先生におい でいただきまして そのあたりのお話を聞いたわけです が、簡単にお話しされた 一 番のポイントは お寺は自分 にとってどんな場所かということを 一 九九九年十 一 月 に アンケートをとられた 。 六

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名のサン 。 フ ル で す が 、 の 一 番が ﹁お葬式や法事をする場所﹂ であったというこ とです 。 あとは﹁仏事に絡んだことである﹂、 そして 番の核心部分である﹁困ったときに相談する場所﹂とい うのが

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・三%しかなかったという数字が出ております 。 また、地域のお寺が行う活動についてどんな期待をし ているかということですが、地域の世代間交流の促進を してほしいとか、子どもの教育や健全な育成にかかわっ てほしいとか、教育や文化、 スポーツなどの啓蒙、発信 をしてほしい 。 また、﹁生活上のカウセリングや相談も してほしい ﹂、﹁高齢者ケアをしてほしい﹂とか、仏事と 直接かかわらない部分ですが、 そういった活動に期待を しているということが読み取れたわけです 。 そこで私達のお寺 そしてお坊さん、僧侶にどんな問 題点がいまあるのかということになってきます 。 三 番目の問題点というところにもありますが、私達の 置かれている寺院環境は将来に向けてどのようにすれば いいのか そのためにこのような問題意識の大きな切り そ 口 と し て 、 一 番目には、僧侶という仏教者はどうすれば い い か 、 二 番目には寺院という施設の機能とはどうすれ ばいいのか 。 - 11 -﹂のソフトとハ

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ドという部分だと思います 。 そ の 点について社会から求められている姿、外側から求めら れている姿と、今度は私達自身が求めている姿、内側か らの姿ですが、 その両面を感じみることが必要です。 そしてそこで大切なことは、私達、浄青もそうですが、 みんなお寺にいて、住職あるいは副住職という立場にな っております 。 日々 、宗 教的活動をしてお檀家さんやご 信者さんのさまざまなご期待に沿うように布教活動をし ていると思いますが 一 般的な葬儀や法事というものが

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あります 。 きょうのコミュニティ ・ テンプルのお話をす るにつけても、ご葬儀や法事というものを否定するもの ではありません 。 これはもちろん、 一 番基本的に大切な ことですし、大切な布教の場であるととらえています 。 そのことをまず前提においてお話を進めていきますが、 そのような檀信徒さんですね、お檀家さんや信徒さんと のお寺の関係を含めて今必要とされるお寺とは何なのか ということを考 え る 、 そして昔から、例えば寺子屋とい う 言 葉に象徴されるようなさまざまな機能を有するお寺 と地域に焦点を当てて考えた 言葉 が ﹁ コ 三 、 ユ -一 -ア ィ ・ -ア ンプル ﹂ ということになったわけです 。 これは先ほど申した檀 信 徒さんももちろん大事であり ま す 、 と同時に地域の方々とのかかわりもさらに大事に していかなければいけないということから ﹁ コミュニテ ィ ﹂ という 言葉 を使わせていただきまして、 ﹁ コミュニ テ ィ ・ テンプル ﹂ というのを提唱しました 。 略しますと C T といいます 。 神 宮 寺の高 橋卓志先生とこのお話をし た と き に 、 C T と言ったら、﹁それはね、私のところは コンビニ・テンプルだよ﹂といわれまして、 ﹁ コ ン ベ ビ ですから 二 十四時間あいています﹂と言われて、﹁参つ たな﹂と思いましたが ここではコミュニティ、地域を 大事にするということで、 C T とさせていただきました 。 その意義ですが それぞれの地域に根づきながら 宗教 活動のみならず、福祉や文化活動などを行っている 寺 院 、 または拠点となって人々が集う 寺 院とさせていただきま し た 。 まことに勝手な定義ですが、私達で考えたもので あります 。 フ ︼ そして ﹁ テ ン 。 フ ル ﹂ お 寺 という 意 味で は、もちろん、 す が 、 そこにはソフトとしての僧侶も含むということで す 。 こ の C T 、 ﹁コミュニティ ・ テ ン プ ル ﹂ の運動の提唱 を し それではそのあとどんな展開をしたのかというこ と で す が 、 実 はここに 今 日もっているのですが、 当 時 、 Z J と 言 って、これを浄青の 二 年間の集大成として発行 して、すべてこの中に網羅しております 。 この中にアン ケ 1 ト結果とか、当時とったものすべてあるのですが

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概 略 の み 、 お話しさせていただきます 。 まずこの C T について、全浄 青の会員 と、日本中の各 教区の役職者、・:六

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名の方にアンケ ート をとらせ ていただきました 。 アンケ ー トの中身については お 寺 とコミュニティの地域のつながりとか、宗教活動以外の 活動をしていますかといった、先ほど長谷 川 先生もおっ しやられた内容にかなり似ているかと思いますが、 そ の ことのアンケ ート でした 。 ところが、結果、こういうものはなかなか回収できな いということは、初めから何となくわかっていたので、 このアンケ ー トを出すだけでも価値があるだろうという 思いもありました 。や はり回収率は非常に低く 一 一 % 、 二 九 二 通ということでした 。 その中で C T 、 つまり﹁コミュニティ ・ テンプル﹂活 動を現在おこなっているというのが 一 二 ヵ 寺 、 過去に行っていたというのが六八ヵ 寺 、合計カ 一 八

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ヵ 寺だということでした 。 ﹁どんな活動を していますか﹂ということの上位が 子ども会、子ども信行道場、 それから老人会等々であり 土 A F l v 七 九 。 そういったアンケ ート によってある程度いまの現状と いうものをみることができたわけです 。 そのアンケ ー ト調査をし、 いまの C T というものに対 しての意味というか、意義について少しでも理解を深め たいという思いがあったものですから 、 その辺について のアンケ ー トの内容もありました 。 それはこの C T に対して、もちろん、﹁賛成﹂という 13 方もいますが、﹁必要ない﹂という方もいらっしゃった ということです 。 その中で ﹁ 要らない ﹂ という理由の 一 番は、檀信徒の 強化が 一 番 で あ る 、 二 番 目 に は 、 それは 宗 教性が欠如し ていて必要な い ということでした 。 それから活動する意義については、 それを認めておら れる方は 一 番はお寺への親近感をも っ て いただけると い う こ と 、 それから宗教心の凶養につながるということ が上位でありました 。

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そういった意識調査をした上での活動展開ですが、時 聞がきたものですから、また後ほど、展開と課題につい てはお話しさせていただきますが シンポジウム等々を 通じて

C

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にいて深めていったところであります 。 その中で最終的な結論として 一 言 、申し上げておくと、 私は 一 つのあり方として、 ハードの部分は、 ﹂ れ は 坂 上 先生のご提案でしたが、﹁場の提供﹂ はしていかなけば ならないということ、 お寺という資源を生かすというこ とはまず第 一 である 。 できることから始めるということ の答えでありました 。 もう 一 つは、社会福祉の 側面か ら 、 仏教ソ 1 シャルワ

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を増やしていこうではないか これは浄青世代ができることであるということ、これが 二 つ目の答えです 。 それからソフトとして、 これは武田 道生先生のお言葉でしたが まずは我々自身の意識改革 から始めなければいけない 。 批判を受け止めて、地域と か社会のさまざまなものに対する求めを感じ取れる感性 を瞬いて、相手の立場に立って行動を起こすようにしな ければならないこれがやはり僧侶として大事な部分で ある ということでした 。 ハードとソフト それぞれに課 題が出てきたわけです 。 また詳しいことは後ほど、 お話しさせていただきます 。

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長谷川 ありがとうございました 。 それでは続いて大河内先生の方からお願いします 。

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大河内 あらためましてこんにちは 。 ご紹介いただき ました大河内です 。 私も座って、 そして話があまりうま くないものですから、絵でごまかしながらやりたいと思 14 い ま す の で 、 スクリーンの方をご覧ください 。 -スライド ・ 表紙

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支援とコラボレ

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ション) それでは寺院活動をめぐってということで、今、若麻 縞さんの方から理念的なお話をいただきましたが、私の 万は、実際、仏教福祉という枠組みに当るかどうかは別 として、とりあえず、比較的﹁コミュニティ ・ テ ン プ ル ﹂ に近い活動を行っているのではないかと考えております 。 今、そういう活動は必要ないというご意見も多々あると 伺いましたが、確かに私もそういう意見をたくさん伺つ

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ておりますので、 そういうこともあるのかと思いますし、 ま た 、 それはそれで 一 つのご見識ではないかと思います が、私自身の 一 つの仏教者としての活動の仕方というか、 生き方、価値観の中ではやはり大変必要なものだと思つ てやっていますので、 その辺のところについてちょっと お話をさせていただきたいと思います 。 -スライド

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支援とコラボレ

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シヨン) レジメにも 書 きましたが、私の寺、 寿 光院としては ﹁

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の支援とコラボレ

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シヨン﹂、共働とでもいいま しようか、そういったものを寺の 一 つの運営の柱にして おります 。 これは仏教の ﹁ 縁起 ﹂ の思想、すべてのもの はつながっている、要するに 言 葉を変えれば、関係のな いものはない、すべてのものに慈悲の心を振り向けるべ きであるといった仏教の根本的な考え方です 。 そして初 転法輪にもあります四諦八正道の ﹁ 凹諦 ﹂ ですね 。 こ の ﹁ 苦 ・ 集 ・ 滅 ・ 道 ﹂ の 一 つのプロセスというもの そ れ にかかわることですね 。 それからもう 一 つは、仏教の目的である ﹁ 党り ﹂ と い う も の と 、 いまの市民社会の中での﹁市民性﹂というも のが非常に共通しているものだと私は考えております 。 それに対して 寺 院というものがもっているリソ ー ス 、 場の提供というのもありますが、場だけではなくて 、 歴 史であるとか教義であるとか、あるいはそこに集う人々 で あ る と か 、 さまざまな可能性を私達がもっているとい う こ と で 、 それを活用 して いくことによって非常に大き な可能性があると感じております 。 -スライド 15 まず、私が基本としておりますのは、今、 シ ャ ン -ア ィ !という名前に変わりましたが、 かつて曹洞 宗 ボランテ イア会という団体がありまして その中心人物であった 亡くなりました 山 口県の曹洞宗のご住職の有馬 実 成さん からいろいろ私も教えをいただいて、なるほどと思った の で す が 、 四諦八正道の ﹁ 四諦 ﹂ で す ね 、 これは仏教の 基本的なスタ ー ト だと思います 。 ﹁ 苦 ﹂ というのは、まず、私達は現実の問題、人々の 背しみとかかわるというところ、あるいはそれに共感す

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るというところからスタ ート すべきである 。 そしてその次、これがとても仏教的で大事だと思うの で す が 、 ﹁ 集 ﹂ の部分、原因とメカニズムを徹底的に あるいは合理的、理性的に解明していくという作業です ね それから﹁滅﹂というのは、これは苦が取り除かれた 理想的な状態であるとともに、私達は何を目 指 すのかと いう明確なビジョンをもっということ 。 そして具体的な実践と し て の ﹁ 道 ﹂ で す 。 以仁の四つにあてはめて基本的にはすべてにおいて与 えております 。 -スライド 実 際 、 いろいろな団体とコラボレ 1 シヨンしていると 、 昼 、 a 、 レ , っ カ つながりをもって活動していますが そもそも 私は若麻績さんと同じ浄土宗青年会がスタートです 。 大 学を卒業したのが 一 九八

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年で カンボジア難民が大量 に流出したという年だったのですが そのときに青年僧 侶となった私は、浄土宗青年会の 一 員 と し て 、 カンボジ アの難民放援募金を始めたのがそもそもの始まりです 。 そこからスタ ー トしたといってもいいか と 思います 。 そこで実際に数年たって、東京浄青の事務局長を 仰 せ っかるというめぐり合わせになりまして、実際に活動の 中心にかかわり、 カンボジア、ブ

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タン そして現場、 ││最初はプ

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タンでしたが カンボジアであるとか、 出かけていったときに まさに非常に痛感したことは 実際にその場にいって初めてわかることが多いというこ とですね 。 実際にそこで苦しんでいる人たち、あるいは - 16一 そこで問題を抱えている人たちの問題と 一 緒になって初 めてわかる 。 それまでは救援といって、非常に日本とい う先進国の、私達が高いところから救ってあげるのだと いう、あるいは指導してあげるのだという感覚でかかわ っていたのですが、実際に現場に入ってみると、全く違 ぅ 。 逆にそちらの方から世界を見た方が世界の真実が見 え る と い う 、 いろいろな世界の構造のいろいろな矛盾が 見えてきました 。 その辺は語ると 二 時間ぐらいかかるの でやめますが、 そういったことであります 。

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それからもう 一 つ、東京浄青では、子どもの命を守る ということを目標に﹁母子保健﹂ の活動をしていました 。 後で考えても、この活動にかかわったことは大変大きな 意味があったと思います 。 子どもたちの命を守るために は何をしたらいいかということですね 。 これは決して医 者とか薬とかが守るのではなくて いかにそこの地域の お母さんたちが、本当に民主的にというか、自分たち自 身で子どもを守れるようになるのか、あるいはその地域 の 人たちが 、自分たちの力で守れるようになる というこ とが大変大事だという、 そういった地域保健だったり、 母 子 保 健 、 その当事者が主役となるような、 そういうも のが大事であり、そしてまたそれは技術ということより も いわゆる社会のシステムの問題なのだということに 気づかされま し た 。 これに対しては﹁福祉 ﹂ という分野 とも大変近い発想をもたせていただいたのではないかと 思います 。 もう 一 つ私にとって大きかったのは、大正大学に編入 してから卒業しまして、先ほど、ちょっと若麻績さんの 話にもちらつと出ていたのですが、全青協、全国青少年 教化協議会というところの職員として働いたことです 。 主に全国の子 ども会とか日曜 学校な ど 、 お寺を拠点に青 少年教化活動をなさっている方々のサポート役という仕 事で し た 。 そんなことで、研修会を主催して、 いろいろ な先生にお目にかからせていただいたという大変貴重な 経験をたくさんさせていただいたこともあるのですが 同時に全国、各宗派の、本当に地域に根ざした活動をし ている人たちとの出会いがたくさんあったということ - 17 -﹂れも私にとって大変大きな 宝になりました 。 もう 一 つ は 、 そういった彼らの活動を通して私自身も 気づいたことなのですが ﹁ 教 化 ﹂という この人たち を何とかしてあげようということですね 。 そういう上か ら引っ張り上げる﹁教化 L でなくて、子どもたちの中に ある魂の力といいますか それを育てていく、ある意味 ﹁ 仏性 ﹂ というものはそういうところなのではないかな と感じるところがある の で す が 、 こういうことに関して 大変大きな﹁気づき﹂を、私自身がいただいたわけです 。

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そしてそういった人たちをいかにサポ ー トしていくか、 あるいはあなたの存在に対して、あなたの命に対してい かにそれを肯定していくかというエン パ ワ

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メ ン 卜 の活 動というのは非常に大 事 だということを 実 感したわけで す 。 そして地域活動の中から﹁苦 ・ 集 ・ 滅 ・ 道 ﹂ を実感し ていくのですが、 実 際に私達は、先ほど申しま し たよう にカンボジアというところにかかわり │ │ それまでは難 民支援ということでお金をもっていったわけですが、 実 際に難民支援をしてどうだつたのかということを、現場 のプノン ペ ンとか、あるいは周辺国に行きましでも、私 達が思 っ ているのと全く進う世界の構造というものが見 えてきた 。 そして私達がもしかしたら、難民支援、支援 と大騒ぎしてきたことがかえって彼らの窮状を固定さ せ、足を引 っ 張ったということも実際にあ っ たのではな い か 。 あるいはパレスチナという 地 域にかかわったこと によって │ │ パレスチナに関してはいまだにずっとかか わって、今も現場のプロジェク ト を運 営 しているのです が ーー 思いこまされている恐さを 実 感しました 。 皆さん もそうだと思うのですが、多くの方はパレスチナという か、アラブ世界、 イスラムの人たち、本当に戦闘的で大 変な人たちだと、テロリス ト の卵ばかりだと思っている 方、大変多いと思うのですが、 実 際現場にいくと 全 く違 うのですね 。 つまり私達が思い込まれさている、まあ、 私達だけではなくて、 アメリカとかヨ ー ロ ッパの人たち が思い込まされている 一 つのイメ ー ジ というものがいか にでたらめな、間違いであるかということに大変シヨツ QU クを受けました 。 そしてなぜそういうことが起きているのかということ をいろいろと突き 詰 めていくと 、 また そこで新しい活 動の方法がみえてくるわけです 。 それから国 内 の問題でも、私達の江 戸 川 区のグル ー プ で は 、 実 際に都会の │ │ 江 戸 川 区も 一 応東京都なのです が ーー生 活の陰でわりを食 っ ている人たちというのがい るのではないかと思うわけです 。 実 際に私達が使う便利 さの陰に、ダムであるとか原子力発電所の 立 地の人たち

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がいろいろな苦 し みを抱えている、あるいはゴミの処分 場をめぐって大きな問題が起きている、そういうことが あります 。 私達の江 戸 川 区のグル ー プでは毎年夏に、 ヤンプに行ったりして、そういったところの人たちと 実 際に膝を詰めて話し合って、 どんなことなのかというこ とを聞いてくるということをしてきました 。 そこから 実 際の私達の活動に展開していくというところになります 。 それからもう 一 つは、私自身、法然上人というか、念 仏というか、 ﹁ 極楽浄土﹂ということのイメ ー ジを 一 番 感じたのは、 パレスチナとかカンボジアとか、 ルワンダ の人たちと話し合 っ たときです 。 本 当 に自分の家族とか 親戚をどんどん殺されて、あるいは目の前で親を殺され 子どもを殺され、母親がレイプされという体験をしてき た 人 た ち 、 そ し て ま た 、 そういうことの加 害 者が自分た ちの隣人であったり、すぐ 一 緒に交えている民族であっ た

そういう人たちがそれを乗り越えて、未来をどう 切り開いていくかという、 そこに 一 緒に、そうい っ たプ ロジェクトあるいは活動にかかわったときに非常に感じ たのは、法然上人の時代もきっとそうだつたのではない かということです 。 父親を亡くし、 また、平安の末期と キ いう本 当 に暴力が当たり前の時代の中で、その法然上人 が目指した ﹁ 極楽﹂というものは、同じメンタリティ ー だというつもりはないのですが、 それに近いものを感じ たというか、彼らが目指したとしたら、これはいま、こ こで、幾ら約束をしても、目標をもって、きっと自分の 子どもとか孫の代でも決して恨みというものが消えるこ とはないだろう、絶対許せるものではないだろう、 19 し か し、それでもなおかっ、何かを 信 じて、何かを認めて 緒に生きていかなければならないのだ、 そして自分の未 来に 一 つ 希 望 をもって歩かなければならないのだという、 本 当 に 切 実 な思いをした人たちと 一 緒に活動することに よって、浄土宗というものが持っている ﹁ 極 楽 浄 土 ﹂ ﹁西方十万億土﹂という距離は絶 望 的に遠いのだけれども、 それはないのではなくて、必ずあるのだと信じてしか生 きていけない私達というも の を非常に感じることがで き たと思 っ ております 。

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もう 一 つ大事なことは、﹁自覚から自立へ﹂と申しま すが、私も国際協力という分野で私も長く活動してきま したが、国際協力といっても、実際にやることは、 そ こ の地域の人たちがいかにその地域の資源で、地域の自分 たちの力で自立していくかということ、あるいはいろい ろ外からの経済的、軍事的、あるいは天候的な力によっ て左右されずに自分たちの生活を守っていけるかという ことをサポートするという事業なのですね 。 これはすべて いかに地域、自分たちの地域をつくっ ていくかという活動なのです 。 それをやっていったとき に、翻ってみて、自分が江戸川区という地域に住んでい て、それではどこまで自分たちは本当に自立しているの だろうかという活動なのです 。 あるいは自分たちは自分 たちの地域の人たちと 一 緒に信頼関係を結んで活動して いるのだろうか、あるいはコミュニティをつくり上げて いるのだろうかと思ったときに、やはりもっと自分たち の地域をやらなければいけないと思いました 。 -スライド(参加とコラボレ 1 ションの例) 先ほども申しましたように素朴な疑問からスタートす るわけですが、私達の﹁グループ

KIKI

﹂というグル ープですが、 アルミ缶を回収しました 。 それは私達がい ろいろなボランティア活動をするための資金を集めるた めにアルミ缶を集めて売っていたのですが、 その値段が どんどん落ちてくるのですね 。 アルミというのは大変高 エネルギーを必要とする原料なので、本当は高く売れて いいはずなのにどんどん落ちてくる 。 それはなぜだろうという疑問からみんなで市民研究を始

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-めました 。 いろいろな文献を読んだり、 いろいろな講座 に参加したりしながら突き止めたのは、途中ははしより ますが、最終的には私達の郵便貯金や簡易保険のお金が 世界中の資源を荒らしまわっているのだというところに 行き着いたわけです 。 これを話すととても長くなるので、 省略しますが、まずはアルミ缶が安くなったというとこ ろからですが、実際にそれによってアルミの原料が安く な る アルミだけではなくて、 パルプであるとか ろ いろな原料が安くなることによって、世界中の人たちが

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人権侵害を受けている、あるいは命を蝕まれているとい う状況を、本当の苦しみに接した上でその原因を探って いったという作業の上に、それでは私達は何をしなけれ ばいけないのかということを考えていきました 。 それから私達も地球温暖化防止のプログラムに取り組 むグル ー プをつくっております 。 地球温暖化によ っ て 、 私達はどうということはないかもしれませんが、現実に 世界中では本当にたくさんの苦しみが、切羽詰った苦し みがあるという現場を通じて、 それから私達は原因を追 求していこうということから立ち上がっていきました 。 そして実際、ダムの現場にいった人たちと話したとき に、それでは私達なりに何か答えを出したいという中で、 市民立の発電所ということで、市民エネルギ ー 、太陽光 の発電所を設置しました 。 そしてまた実際に、 そこから どういう仕組みをつくれば、本当に資源を収奪したり、 あるいは自然を破壊したりして、あるいは未来の命に対 しでも 責 任をとれるような活動ができるか そういう地 域社会をつくれるかということを目指して、 いまは省エ ネ融資という活動も始めています 。 そのパンフレットをお配りしておりますので参考にし ていただきたいと思います 。 -スライド ﹂れは夏のキャンプ、岐 阜県の板取村 というところ、 今は関市に併合されましたが、 そこに地域の連中と一緒 に、家族を連れて、 みんなで本当の自然の豊かなところ に 行 っ て 、 そしてそこがダムの底に沈むという、 そこで いろいろな活動している人たちの話を聞いて、 つ 臼 一 緒 に 酒 を飲んで 三 日 間 、 いろいろなフィールドワークをしてく るのですが、そんなところから私達の活動が展開してい くわけです 。 -スライド それで私達はそういった問題に対して ﹁ ( 四 諦 の ) 集 ﹂ の 部 分 つまり現実のメカニズムをしっかり理解して解 明することによって、私達は合理的なシステムをつくっ ていく、それに対して私自身がどういう社会をつくって いくべきなのか、 どういう社会の仕組みをつくるべきな

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のかということまで、もっていかないと、これは活動と しては非常に不完全だと思っています 。 ただ、ボランテ ィアとして意識の問題とか気持ちの問題と 言 っているだ けでは問題は解決しないわけで、私達は問題を解決しな ければならない 。 なおかっ、そういう生き方というもの、 個人の生き方もそうですが、 一 つの社会のあり方という ものを次の世代に伝えていかなければならないというこ とを、私達は責任をもっていきたいということです 。 その中には当然、明確なビジョン どういう 世界を私 達は望まれているのか、しっかりとビジョンをもっとい うことですね 。 その中でも大変大事だと感じています 。 いま、憲法九条の問題がいろいろ 言 われておりますが、 ヨ ぬ や 4日 、

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﹄ 日本の中でこういう問題がごたごたするのも、実 際はあまりビジョンというものが、具体的にどういう社 会の仕組みだったら 、 どういう経済の仕組みだったら戦 争が起きないのかというビジョンが足りなかったから、 い 中 広 、 こういうことになっているのではないかとも思つ ているのですが、 そういう意味では、 ビジョンというも の、あるいは法然さん、私達からすれば﹁極楽浄土﹂な のですが、法蔵菩薩の四十八願の中に書かれている明確 なビジョンのようなものを私達はもっと具体的にもって いかなければいけないということを感じています 。 そし てその意識から意識ではなく、 システムとして完成させ ていきたいと感じています 。 もう 一 つ、寺院としてなのですが、寺院というのは いま、私がこの活動をする上で自分自身が参加するとい うこともそうなのですが、寺の場というものを提供して

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-いるのですね 。 ﹁寺の場﹂というのは、もちろん、境内 地 であるとか お寺の 一 室を使っていただくのですが、 なかなかそれでは 地域 の人たちは入ってこれない 。 江戸 川 区というのは、創価学会の人とか、 いろいろな宗教の 方もいらっ しゃいます の で 、 お寺というとどうしても敷 居が高いということもあって、あるいは宗教性があると、 それだけでも 何か ちょっと避けられてしまうということ もあるので、寿光院では、土地の等価交換で、多少便利 がよくみんなが集まり易い場所のビルの 家 ↓ を 確 保 し て 、

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NGO や地域の市民活動に開放しています 。 そこからい ろいろな人たちがそこに場をつくって、 そこからいろい ろなアイデアが出ていく 。 それによって、私達はそうい った人たちが新しい仕組みをつくっていくのをサポ ー ト していきたいと思っています 。 ﹁公共﹂という 言 葉を考えると、今の日本では親方日 の丸の﹁公﹂と﹁私﹂ はありますが、“人々"が主体に な る ﹁ 共 ﹂ の文化が非常に弱いと思います 。 おそらく昔 のお寺というのは共存の﹁共﹂という部分をかなり担つ ていたのではないかと思うのですが、 ﹁ 共 ﹂

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-ア

イの再生というものを私達は考えていかなければいけな いということを感じています 。 すみません 。 ちょっと時間がなくなってしまいました 。 後ほどまた、補足のときに付けさせていただきます 。 それでは、松藤先生、 よろしくお願いします。

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長谷川

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松醸 ご紹介いただきました松藤と申します 。 よろし くお願いいたします。 -スライド I ( 表 紙 ) 私だけ、今日は門外漢というか、皆様には大変申しわ けないのですが、増上寺というお寺の名前は知っていま したが、来るのは初めてです 。 一体どこにあるのだろう と、昨日の夜になってインターネットで探したぐらいで す 。 普段は K T 福祉研究所というところで、ボランティア 活動や地域福祉活動についての研究を進めております 。 長く社会福祉協議会に勤めておりまして、直接、地域の

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中で活躍をされるボランティアの方々を育てる仕事を 十二年ほどしておりましたが、十年前にそこを出て、今 度はその育てる方たちを育てる側に変わりまして、現在 はいろいろなところでボランティア ・ コ ー ディネータ

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を育てる仕事をさせていただいております 。 実際、今日、 ここに呼んでいただいたのは、私が淑徳 大学出身でありまして、長谷 川 先生には二十数年前に講 義を受けた学生であります 。 きょうは、先生に﹁先生﹂ と 言 われて非常にこの辺がかゆくなっているので、落ち

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着かないので すが、短い時間ですので、手短にお話をさ せていただければと思います 。 寺院の皆さんに提 言 をというテ ー マ で す が 、 そういう 立場でもないので、私はボランティア ・ コ ー ディネ ー タ ー という、ボランティアを育てる立場の方たちを育てる ときにどういうことをお話ししているかということを中 心 に 最 初にお話をさせていただければと思います 。 -ス ラ イ ド

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いろいろデ

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タが出てきますが、裏づけを話している と 長くなりますので 、 ﹁ あ あ 、 そうなんだ﹂ということ でお聞きいただきたいと思います 。 日本人のボランティア感としては さまざまな調査が 行われておりますが、日本人に﹁ボランティア活動をし てみたいか﹂という問いかけを現在しますと、 手 A F f 4 F、 六五%以上の方が﹁ボランティア活動に参 加してみた い﹂と答えるのがここ数年のデ ー タです 。 一番大きなデ ータは、総務庁の調 査 で 、 ﹁ 地域 貢献活動﹂という聞き 方をしていますが、﹁地域貢献活動に参加をしたいか﹂ という問いかけに対して、六七%の方が、﹁何らかの機 会があれば参 加をしたい ﹂ と答えています 。 その他の各新聞社やテレビ局のデータでも、六O%を 下回るものは最近はありません 。 六 二

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六三%から六七 ー六八%という中でデータが出ておりますので、私達と しては六五%以上と考えていいのではないかととらえて います 。 と こ ろ が 、 ﹁実際にボランティア活動を どのくらいの 方がしているか﹂という話になると、これは全国社会福 -24 祉 協 議会が と ら え て い る デ 1 タ に 基 づ き ま す が 、 約 八 O O 万人 。 この八OO万人というのは日本の人口に照 らし合わせますと、約七%弱ということになります 。 六五%の方がボランティアに参加したい、やってみた いと答えているのですが、実際に恒常的にやっている方 は七%、これを引き算しますと五八%ということになり ますので、国民の六割近くはボランティア活動に参加し たいと考えているが 日常的には参加していないという ﹂とになるわけです 。

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﹁なぜ参加できなのか﹂、これにはいろいろなことが考 えられると思います 。 -スライド

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私達は勝手に、 イメ ー ジ的に ﹁ 特殊な活動だと考えら れているのではないか﹂、 それから﹁近くに活動がない のではないか﹂と考えられているのではないかという想 像を当初はしておりました 。 まあ、遠からずだと思うの ですね 。 ボランティア活動というのは │ │ きょういらし ている寺院の皆さんにも、ご自分たちのお寺を中心にい ろいろな活動をされているので お寺というのは町の中 に幾つもありますし、ないところは日本の場合はないわ けですから、この寺院さんが全部やっていれば、身近に あるということになるのですが │ │ これはなかなか、 そ ういう身近なところで活動がみえにくいということがあ ります 。 マスコミ等が取り上げるボランティア活動というのは、 最近では 一 番多く取り上げられるのが災害支援 。 災害支 援ということは、向分の地瓜に災 害 が起こるということ は、人聞はあまり想定しませんので、 そ ん な 身 近 に 起 ' ﹂ ってもらっても困るし、逆に自分のところで起こったら、 自分はボランティアする側よりも被災者ですから る側というイメ ー ジになってしまう 。 あとは海外支援というのもよくテレビ、 マスコミ 等で 取り上げられますがこれもなかなか自分たちが直接出 るというイメ ー ジにはほど遠いということになってしま います 。 でも、実は私達の周りにはさま 、 ざまなボランティア活 動があるのですが、地味なボランティア活動が多いです か ら 、 それはなかなか 一 般の方の目に触れにくいという ﹂とがあるのではないかと思っていました 。 と こ ろ が 、 いろいろなところで調査をしてみたり、 れから総務庁の方でも調査されていて そのデ ー タなど を擦り合わせてみますと、本人の都合から参 加 できてい ないということが最近は明らかになってきています 。 まず第 一 番にあげられるのは、 ﹁ ボランティア活動は したいのだけれども、時間がないから﹂と 言 っている方 さ れ F h u q / ︼ そ

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が非常に多いのです 。 これは、総務庁のデ ー タだけでは 六割近く 。 ボランティア活動に参加したいができていな い と 言 っている方の半数以上ですから、国民の 三 割 は 、 ボランティア活動に参加したいけれども、時間がないと いっています 。 しかし、ボランティア活動をやっている方たちに ろいろなアンケ ート をとりますと、ボランティア活動と いうのは時間がないからやらないというものではなくて、 時間をつくってやるものだという方がボランティアをや っている人からの方では常識なのですが、ゃったことが な い 方 は 、 どうも時間がないからだというようです 。 私達としては、この﹁時間がないからだ﹂と言っている のは方便で、本当はやりたくないのだろうととらえてい ます 。 ところが、残りの国民の 三 割ぐらいは、 ﹁ 本 当 に やりたいのだけれども、 できない﹂という方がいる 。 こ れはどういう理由からかというと、 まず 一 番目にあがっ てくるのは、﹁何をしたらいいかわからない﹂、もう.っ、 ﹁どこにいったらできるのかわからない﹂この つ で ほ ぼ全部を占めることになります 。 これはな、ぜそういうことになるのか、 お手元の資料に は書いてありますが、この 二 点、﹁どこにったらボラン ティア活動ができるのか﹂﹁何がボランティア活動なの か﹂というのは、人間の場合は教えられなければできな し3 いわけです 。 これ、学校で教わった方、今日いらしてい る方はどうでしょうか、小学校中学校でこの二点を教 わった方がいらしゃいますでしょうか 。 ないわけですね 。 そうなると、学校で教えないものは当然わからなくて当

円 。

フ 臼 たり前なのです 。 ということは、日本人はボランティア活動について 義 務教育の中で教わってきていませんので い ざ 、 ﹁ や り たいな﹂という気持ちゃ﹁できる﹂という状況になった 場合にどうしたらいいかわからないというのが現実なの ではないか 。 実際、ボランティア活動に参 加しているご く少数の、七%から 一 割、ぐらいの方というのは、うまく そのボランティア活動をしたいなと自分が思ったときに 自分がやれる活動が目の前にあった運のいい方ではない

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かなと思われるわけです 。 ですから、多くの日本人がボ ランティア活動に参加するには、ボランティア教育とい うものが大切ということになってくるわけです 。 この辺はあとでも出てきますが、最近は非常にボラン ティア教育というものが盛んにな っ てきました 。 いわゆ る小中学校の中で総合的な 学 習の時間というのができて か ら は 、 その中にボランティア学習とか福祉教育という ものを取り入れる学校が多くなりました 。 ただ、これは 最近、総合的な学習の時間というのは削られていきます ので、またそういうものが減っていくのかなと思われま す 。 ただ、総合的な学羽円の時間というのは、何をやって もいいわけですから、必ずしも福祉やボランティアとい うものを教える必要性は全くないので、それに興味を示 した学校がやっているわけです 。 義務化はされていませ ん ですから、これからは、私達の時代よりもこれからの将 米の子どもたちは少しはこの ﹁ どこにいったらいいの か ﹂ ﹁ 何がボランティアなのか ﹂ ということを教わって くるので、変 化 が起こるかなと期待していますが、要は 私達、大人です 。 大人は、教わっていませんので、これ をどこかで教えてもらう場所がない限り、やりたいなと いう 気 持ちをもったまま死んでいく可能性があります 。 これは蛇足ですが、やりたくないという人が 三 十 数 % お り ま す が 、 そんなのは放っておきます 。 日本人の場合 は多数派に流されますので、私達の現在の目標は、やり たいと思っている六五%が全員やってしまえば、残りの 二 五%はやっていないことが変なので、やらざるを得な 27 -い状況になる、だろうから、目標はやりたいと思っている 人をやらせるということです 。 ですから、やりたくない と思っているものはそのまま野に下れということです 。 それは蛇足でしたが・. そういう点ではボランティア学習をどこで行わせるの かというのはこれからの大人にとっても、子どもにとっ ても、大きな課題になります 。 -ス ラ イ ド

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ただ、ボランティアを教えるというようになったとき

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に、私は十 二 年間ボランティア ・ コ ー ディネ ー タ ー をし てきましたが、その時代 いまとは考え方が違いました ので、ボランティア原則論というのを徹底的に 言 ってき ました 。 まず、自 主性である とか、無償性であるとか、 社会性であるとか、創造性、継続性、 こういうものであ ります 。 内容についてはきょう話していると長くなりま すので、ご想像ください 。 た だ どうも日本人は、この原則優先主義というのが あって、ボランティア観も原則優先主義のボランティア 観が非常にはびこっていまして、ボランティアをやりた いのだという気持ちのある方に対して、このボランテイ ア原則論が非常に邪魔をしているのではないかと最近は 考えています 。 例えば﹁自主性﹂ で す 。 自主的にやらないとボランテ ィアではないのだよという方がいらっしゃいます 。 とこ ろが学校教育の中でボランティアをやらせるということ は、これは自主的ではないわけです 。 学校の方でやって きなさいといわれてやってくるわけです 。 中には │よ

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申 の評価がよくなるので、ボランティアにきました﹂とい う中学生、高校生が最近は増えていますが、 これを否定 する方がいらっしゃいます 。 私はそういうきっかけでも ボランティアに参加したことで、 その子が将来的にボラ ンティアに参加をすることを覚えていただけるのであれ ば、自主的でなくてもいいのではないかと思っています 。 次に﹁無償性﹂ ですが、人間ですから、ボランティア をずっとやっていきますと││ボランティアの活動者の 方がよく 言 います、﹁ありがとう﹂という 言 葉がその代

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償 な の だ よ と 言 いますが │ │ 人間ですから﹁ありがと う ﹂ というのは、 言 っ てもらったところでうれしいとき もありますが、﹁これだけしてやってただかよ﹂という こともありますので、これは多少、有償性というものも 考えていかなければいけない時代になったのではないか、 逆にボランティアを受ける側も ただでやってもらった のではということがあります 。 こういう点では 最 近はい わゆる地域通貨とか、ボランティアの点数性とかいろい ろなところで 言 われるようになって、そういうものも少

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し、無償性というも のに対 して、私 達の考え方 としては 非営利性の方向にいっていると思います 。 こ れ らさまざ まなことを含めて、ボランティア活動を これからやりたいのだという方が 最 初から明確な目的意 識をもって参加するという方は日本人の場合は少ないわ けです 。 そういう中で、自分が意思を明確にし、目的意 識をもってお金をもらわずにやるからには続けてくださ いとボランティア活動を勧める側が 言って しまえば、日 本人はどん引きです 。 ほとんどの方が引いてしまってい るのではないかと考えられます 。 これをどうやって、否定はしませんが できれば、こ ういうような原則だとか、こうあるべきだとか 苦 一 日 j 前 に 、 とにかく何かやってしまおうというイメージ これをど こかで根づかせていくことが、現状のボランティアをこ れから増やしていくことにつながっていくのだろうと思 います 。 ボランティア活動を長年している方は、もう活動して いく中で﹁無償﹂ であるとか ﹁ 自 主性﹂である と か こ ういう原則論は実感していきますので、実感をする前に まずは何かできることを自由にやろうということをどこ かで進めていく必要があるのではないかと考えます 。 -スライド 5 長年ボランテ ィア活動をしてきた方に、﹁なぜボラン テイア活動に参加したのか﹂ということを、これは十年 以上ボランティア活動を続けている方に調査をしたデ

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タです 。 十年以上ボランティア活動をしている方に調 査 をしますと、﹁自主的である﹂というのが五 三 %と半数 29 以上にのぼ っ ています 。 これは 実は どうも最初、十年前 にボランティア活動をやり始めたときにどうだつたかと いうことを忘れてい る様子です 。 すっかり自主的だと思 い込んでいるのではないかと考えられます 。 ﹂れはおいておいて、ここが大 事なのです 。 ﹁ 学 校 、 地域、職場、団体などで 参 加する機 会を得られて﹂ とい う方が % これは非常に高い数 字だ と私達は思 っ て います 。 先ほど 言った よ う に 、 学校教育です か ら 、自 主 的であることはあり 得ないの で 、 いやでも何でも、学校

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