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龍谷大學論集 479 - 003楠 淳証「貞慶の菩薩種姓自覚の理論と仏道観 : 新資料『法相宗大意名目』ならびに『心要紗』等を中心として」

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龍谷大学論集 四 J'

貞慶の菩薩種姓自覚の理論と仏道観

││新資料﹃法相宗大意名目﹄ならびに﹃心要紗﹄等を中心として││

ご古 tニ子 ヨ当k R昆

一、はじめに

鎌倉初期の唯識学匠であった解脱房貞慶(一一五五│一二一三)撰述の﹃心要紗﹄についての講読本を昨年度、上 梓しわ。その後、新資料﹃法相宗大意名目﹄(東大寺蔵)等による研究の進展が幾つか生じたので、以下の四点にま と め て 論 を 進 め た い 。

ω

貞慶の﹁菩薩種姓自覚﹂の理論について。

ω

貞慶の﹁本有菩提心種子 L の 理 論 に つ い て 。

ω

貞慶の﹁極速三生﹂の理論について。

ω

貞慶の寸魔界﹂の理論について。 なお、﹃法相宗大意名目﹄(伝持者名は隆鹿)は﹁以上笠置上人御草﹂の奥書を有する新資料であり、貞鹿撰述の ﹁本六経之事﹂より寸四智心品之事﹂までの三十七事に、別記﹁法相宗血脈之事 L を加えた三十八事よりなる綱要書 である。とはいえ、そこには貞鹿独自の教学思想の展開が見られ、今後の貞慶研究の有力な資料の一つになるものと

(2)

考 え ら れ る 。

二、﹁菩薩種姓自覚

L

周知のように、法相宗では﹁五姓各別説 L を立て、本有無漏種子(種姓)の有無と種類の違いによって、仏に成る 者と成れない者とがいることを明らかにしている。いわゆる寸五姓﹂とは、声聞定姓・独覚定姓・菩薩定姓・不定 姓・無姓有情の五類をいい、さらに不定姓には声聞と独覚の無漏種子を有する者、声聞と菩薩の無漏種子を有する者、 独覚と菩薩の無漏種子を有する者、声聞・独覚・菩薩の無漏種子すべてを有する者の四類、また無姓有情にも断善問 提・大悲閥提・無性問提の三類の別があるとしたので、五姓各別とはいいながらも実際には有情のあり方を十種類に 分析した説であったということになる。これについて貞慶の祖父師にあたる菩提院蔵俊ご一

O

四ー一一八

O

)

の 司法華玄賛文集﹄には、玄突が師事した戒賢の言葉を紹介し、次のように伝えている。すなわち、 玄笑三蔵、来らんと欲するの時、西方の諸徳の云く寸無姓の文、若し本国へ至らば、おのおの信を生ぜず。願は くは将う所の経論の内、無仏性の語を略去せんことを﹂と。戒賢師の臼く﹁若し其の文を除かば、弥離車の人は 何の義を解せんや﹂と云々。ここに知んぬ、五性の差別は実理にして疑い無し。 また日く﹁西天の論師は皆、五性各別を立つに、絶えて誇論なし﹂と。三蔵は寒暑に往来すること一十七年、耳 目見聞は百三十園、名匠にして謁せざるは無く、大義にして問わざるは無し。然れば五性各別はすでに所存に非 らずや。那提三蔵の伝うる所もまた是くの知し。何ぞ弥離車の境に在って、窓に印度の論談を難ずる柄。 と。この文のとおりであれば、戒賢を初めとするインドの論師の間では五姓各別こそが真実であると見なされ、この 問題に関する詩論など全くなかったことが知られる。 な る ほ ど 、 インドの人たちは釈迦牟尼世尊と身近で接したことにより、釈尊の過去世の姿としての菩薩のあり方や 貞鹿の菩醸種姓自覚の理論と仏迫観(楠) 四 )L

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能谷大学論集 五 O 無師独悟する独覚の存在、はたまた仏弟子であった声聞の実態を目の当たりにすることで、コニ乗﹂を既知のものと 見なしていたであろうことは容易に推測される。また、無著や世親等の廻心が広く知られていたから、廻心の二乗の 存在もまた既知のものだったと推測される。その一方で、極悪非道な者たちの存在も知られており、その中には改心 する者としない者とがいたことも広く認識されていたであろうと推測される。ここに断普閲提と無性閥提の二類が想 定されるに至り、さらにこれに菩薩の一間提が付加された﹁無姓有情 L の概念が登場するようになるのである。いわ ば、五姓各別説は我々人間の実際的なあり方を厳しく分類しきった見方であったといってよく、想像の世界を描いた ものでは決してなかった。そして、これが中国に伝えられて慈思大師基(六三二│六八二)によって整備されるや、 法相宗の伝統的学説となったのである。 これに対して二乗﹂を主張する人々は、成仏しえない一類を説く法相宗を﹁権大乗﹂と批判するに至り、ここに ﹁一乗と三乗(五姓)のいずれが真実であるか L という詩論が生じることとなった。この静論は、日本では伝教大師 最澄(七六七│八二二)が天台一乗思想を至高のものとし、法相宗の徳一(七四九!?)と相対したことを契機とし て、広く行われるようになった。当時、最澄は新たな宗である﹁天台宗﹂の地位を確固たるものにするため、南都六 宗の筆顕であった法相宗を﹁権大乗﹂と厳しく批難した。また、南都に牛耳られていた戒檀の解放をめざして、天台 宗独自の円頓戒(大乗戒壇)の独立をも試みた。こちらは、当時の僧綱職の筆頭にあった法相宗の護命(七五O│八 三四)が厳しい対処を示したため、最澄存命中は果たされなかった。しかし、最澄の示寂直後に大乗戒壇の勅許が下 された。これを不服として僧綱職を辞した護命は、やがて叡慮に浴して天朝勅撰六本宗書の一つである﹃大乗法相研 神章﹄を著すに至るが、その中で厳しい天台一乗思想批判を展開するようにな&。その後、応和の宗論を経て、天台 宗源信(九四二ー一O一七)が﹃一乗要決﹄を著して五姓各別説に対する批判を展開するものの、平安末期から鎌倉 初期にかけてあらわれた蔵俊・貞慶の二大学匠によって更なる反論が示されるに至つわ。貞慶撰述の﹃心要紗﹄も、

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こうした天台・法相の詩論の流れの中で著されたものに他ならないが、そこには﹁一乗﹂を会通して自己のものとし て昇華していく会通の理論が示されていた。これについては、天台一乗への批判がことに激しい﹃論第一巻唯識論尋 思紗別要﹄においても同様であり、 此の経の怠は、理の一乗を以て有為の各別乗に対す。其の乗、設い三乗と嫌も設い五性と雌も皆、無為の一理に 違せず。若し五性の時に一乗を許さざれば、一文兼ね難し。市るに我が宗は惣じて一乗を許す(真理なり。且ら く有為の一乗に随い、今且らく理と説く)。其の上に二重あり。謂く法花の大意は暫時の二乗を許す。此の品は 別意に長時の五性を許す。二門、共に一乗に違せず。 とあるように、﹁長時の五姓、真理の一乗﹂と述べて、一乗思想を会通する﹁和会﹂の理論を展開している。ここに、 貞慶教学の特色の一つがあったといってよい。いわゆる﹁一乗和会の理論﹂とは、﹁理的面より見れば一乗(理その もの)であるが現実的(事的)面より見れば五姓となる﹂とするものである。したがって、﹃心要紗﹄の﹁菩薩種姓自 覚﹂の理論もまた、経文の真実一言(理)をもとに現実的な五姓各別(事)を論じたものであったと見てよいであろう。 そもそも﹁心要紗﹄によれば、すべての教えは一つ(理・一乗)であり、それが司法華経﹄に示される

J

仏 乗 ﹂ ﹁無二亦無三﹂の意味であるという。この観点より貞慶は、華厳も唯識も法華も皆﹁寂黙三点の理法 L であり、一味 の教えであると説いた。これによって寸唯識仏教﹂の正統性を高らかに宣言した上で、﹁菩提門解疑段﹂において、 自らの種姓に迷う者のために、次のような見解を示したのである。すなわち、 我等は福智微劣にして、人中には下賎也。若し宿習無くぱ、無上の法に於いて万が一にも信じ難し。今、仏語に 於いて既に疑誘無し。愚なるを以て還って知んぬ、大乗の性有ることを。猶し趣寂にあらず。況んや無性たらん や。亦た設し、﹁仏性の閥具は甚深の境界なり、法爾として疎遠なり、思惟す可からず﹂と聞くことを得るとも、 我等、恒時に論談し決択して、教を引き理を推すに、種姓地の中に、既に堪能有り。龍子は幼なしと雛も、何ぞ 貞鹿の菩醸種姓自党の理論と仏道観(楠) 五.

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龍谷大学論集 五 怯弱なることを得ん。故に﹃法華﹄に云わく﹁若し法を聞くこと有らば一として成仏せずということ無し﹂と。 ﹃般若﹄に亦た説かく﹁一たび其の耳を経れば定んで菩提を得ん。信根具足せば久しからずして必ず成ぜん﹂と。 中道の教えは普く五乗の者の無我の道理のためなり。人天の戒善等は一分の義也。未だ必ずしも具さには聞かず。 或いは異解を生ず。若しくは阿陀那の教の甚深の義趣をぱ疑わざるを機と為す。生死の源底に名を聞くに、すで に足りぬ。況んや此土は是れ如来の記する所なり。東北方の国の諸の菩薩乗の人、般若に帰信して、受持し、読 諭し、書写し、供養すと。機感相応して、現に悉地を得る。仏性を具足すること、何ぞ疑惑せん柄。 と。この中で貞慶は、凡愚であるにも関わらず寸仏語に対して疑誘がない﹂ことをあげてまず、定姓二乗(趣寂)で も無姓有情でもないと明確に論じた。その上で、唯識の教えを学ぶ者が菩薩種姓であることは﹁恒時に論談し決択し 教を引き理を推﹂した結果であるとし、﹃法華経﹄・﹃般若経﹄・﹃解深密経﹄(阿陀那の文)の文を示して﹁信﹂あるこ とを強調し、かつ般若に帰信している現状をも合わせて提示し、寸仏性を具足することに何の疑惑もない﹂といいき ったのである。ここに、菩薩種姓の自覚のもと、唯識学侶の歩むべき道(仏道)が明確に示されたといってよい。 実は、このような論理展開は他師には見られず、貞慶独特のものであった。また、貞慶の他の書籍にも見出し得な かったので﹃心要紗﹄独特の見解かとも考えていたが、近年になって東大寺より発見した﹃法相宗大意名目﹄﹁五種 姓﹂段に、同趣旨の文が見つかった。本書には﹃心要紗﹄と同趣の文言が多々見られるので、おそらく同時期の著述 ではないかと考えられる。以下、当該箇所のみを翻刻して紹介すると、およそ次のようにな&。

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貞鹿の菩薩種姓自覚の理論と仏道観(楠) 問。種姓有無難知。未知、我等ハ備種姓ハ有哉無哉。 若仰種姓無者、設雛求無益乎。 ︹ 答 ︺ 。 種 姓 / 不同ハ悌二非ハ誰詳知是。恐機、不修-誰人設 趣 セ ン 。 但 我 等 ハ 仰 種 姓 也 ト ハ 教 ト 理 ト ァ 以 F 可 ν知。経ニ悌性 ア リ l 信 1 ル ヵ 日 疋 菩 薩 也 ト 説 ヶ リ 。 我 等 既 信 10 知 強 口 薩 也 。 亦 瑞 伽論説、無姓有情ノ相中ニ生死ノ衆多ノ過息 y 間:一念 t 不猷浬繋。無趨功徳ノ間ト二念モ不 娘 、 欣説リ。我等雛拙ト欣猷ノ心;。三賀ァ信ン、倒語ァ操 滋 y 流レ、身ケヲタツ。知ー、 謂念信蕪習在心功徳首熟能破無遁 無 姓 二 ハ 非 10 慈思大師云、 成大生死、云々。此文可怒。般若経云、一経其多 善根力故定得無上正等菩提、云々。法花経云、 若有開法者無一不成倒、云々。阿見達磨経 解深密経等二、阿陀那教え定姓無姓ニハ不開演、 勝者菩薩開演ト説ヶリ。我等阿陀那識ノ名ヲ閲ァ 五

(7)

龍谷大学論集 五 四 深細義趣ヲハ錐不知、無疑心。知、菩薩也。慈思 釈給事、尤可態。亦般若経云般修トノ行菩薩 乗 釈 ヲ 弁 ス ニ 、 東 北 方 ノ 五 ノ 百 歳 ノ 人 出 セ リ 。 東 北 方日本園等也。五ノ百歳、此時也。他宗ノ人師 釈 云 、 日 本 国 図 機 深 熟 セ リ ト 云 。 自 宗 古 徳 説 モ 多是同也。亦和光同塵ノ霊神アトヲタレ奇 瑞己ヲ、シ。我等既此事ァ見聞 70 何 ソ 怯 弱 セ ン ャ 。 亦 我等福智微劣也。人中下賎也。若シ宿習ナクハ 無 上 ノ 法 ヲ ヰ テ 万 ニ 一 モ 難 信 。 愚 ァ 以 f 還 す 知 ル 、 大 乗 姓 ァ リ ト 云 事 。 五 種 姓 ノ 道 理 ハ 、 大 型 慈 尊 ユ カ 論 / 中康 7 説 給 。 西 天 ノ 大 論 師 皆 侍 す 此 義 ァ 、 東 漢 ニ 弘 ム 。 三 蔵 以 前 古 徳 ハ 、 未 げ ユ カ 論 ァ 見 法 花 浬 繋 等 ノ 顕 ; 文 サ 。 平 ニ シ ァ 皆 成 仏 道 ト 習 也 。 *︹註︺﹁念﹂は二念﹂の誤り。

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と。これを見ると一目瞭然であるが、貞慶は﹃心要紗﹄よりも多くの文字を費やして、自らが、そして法相学侶がみ な﹁菩薩種姓﹂であるとの理論を展開していることが知られる。その要点を理論展開にしたがって整理すると、およ そ次のようになる。

ω

種姓(無漏種子) の不同は如来しか知り得ないが、如来の説かれた教え(経) とその道理に照らせば、仏種姓あ ることは明らかである。

ω

経典に﹁仏種姓ありと信ずるのが菩薩である﹂とあり、すでに我々は仏種姓のあることを信じているので、仏道 を歩む菩薩であることは明白である。

ω

﹃稔伽論﹄に寸無姓有情は一念たりとも浬繋(趣寂のこと)を厭わないし功徳を欣わない﹂とあるが、我々には すでに厭欣の心があり、三宝を信じ仏語を深く溜んでいる。したがって、無姓有情ではない。

ω

慈思大師は二念の信が蕪習されていれば功徳が熟して無量の生死を破す﹂と述べている。

ω

﹃般若経﹄に﹁一経典の持つ多善根力によって必ずや無上正等菩提を得るであろう﹂と述べられている。

ω

司法花経﹄に﹁法を間げばただの一人も成仏しないものはない﹂とある。

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司阿毘達磨経﹄可解深密経﹄等に寸阿陀那の教え(唯識)は定姓二乗や無姓有情に対して説かれたものではなく、 勝れた者たる菩薩に対して説かれた教えである﹂と記されている。すでに我々は阿陀那識の教えを聞いて疑いが ない。したがって、仏種姓を有した菩薩であることは明らかである。

ω

﹃般若経﹄に、﹁東北方の五々百歳 L すなわち今のこの時の日本において般若の菩薩行が実践されていることが 示されている。これは他宗の人師も自宗の古徳も等しく説くところである。事実、わが国(日本)には和光同塵 の霊神の垂跡の奇瑞が多く、そのことを我々はよく自にし耳にしている。弱気になる必要はない。

ω

我々は福智微劣な愚者である。そんな者が無上の教えを信じることなどできないはずなのに深く信じている。そ 貞慶の菩薩種姓自覚の理論と仏道観(楠) 五 五

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龍谷大学論集 五 六 れは宿習によるものであり、我々に大乗の姓(仏種姓)のあることは明らかである。 側五姓各別の道理は、弥勅慈尊が﹃稔伽論﹄の中で広く説かれた真理である。インドの大論師もみなこれを伝え、 中国に弘まった。玄笑三蔵以前の人師は﹃聡伽論﹄を見なかったし、﹃法華経﹄や﹃浬般市経﹄に出る明文を知ら なかった。そこで、誰もが平等に仏道を成ずることができるという一乗思想が展開されたのである。 と。﹃心要紗﹄において貞慶は、寸恒時に論談し決択し教を引き理を推﹂した結果、仏種姓(仏種子・本有無漏種子) のあることを確信したと述べていたが、教証は﹃法華経﹄・﹃般若経﹄・﹃解深密経﹄のみに限られ、理証は﹁凡愚であ るにも関わらず仏語を信じ疑誘がない﹂という一点に尽きていた。ところが、本書では教証として﹁経﹂・﹃稀伽 論﹄・﹁慈思釈﹂・﹃般若経﹄別文・﹃法華経﹄同文・﹃阿毘達磨経﹄・﹃解深密経﹄の七点が示され、また理証としても① すでに仏種姓ありと信じていること、②無姓有情は厭欣の心がないが我々は三宝を信じ仏語を慰んでいること、③一 念の信のあること、④菩薩種姓に対して説かれた阿陀那識の教え(唯識)を聞いて疑いのないこと、⑤凡愚であるに も関わらず仏語を信じているのは宿習力によることの計五点が示されたのである。これらは皆、実のところ﹃心要 紗﹄の﹁仏語を信じ疑誘なし﹂を開いてより詳細に示したものといってよく、いかに貞慶が仏法に対する﹁信﹂を菩 薩種姓自覚の核に据えていたかがわかる。なかでも、④に出る慈思大師の釈を、貞慶は﹁尤も惣むべし﹂として最大 の拠り所としている。実は、この文は﹃金剛般若経﹄を注釈した慈恩大師の﹃金側般若経賛述﹄に出るものである。 当該文を示すと次のようになる。 述して臼く、此れ第二文なり。無著・天親は義に随って前の如く科判す。謂く、若し此の経句において一念の信 を生ずることあらば、なお曾ての無量の諸仏を供養するがごとし。況んや多念をや。ないし受持・聴聞すること 等は、曾て集めた善根より更に多し。若し実想を生ずれば曾ての善よりまた多し。何が故に爾なるや。謂く、此 の生の一念の信の薫習して身にあれば、当来に成熟して能く無量広大の生死を破すが故なり、と説けり。

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と。ここで慈恩は﹃金剛般若経﹄の文を解釈する中、一念の信のみであっても薫習して身にあれば必ず当来には成熟 して無量広大の生死を破することができると述べているのである。換言すればこれは、信の心所の蕪習によって輪廻 を解脱することができると述べたことに他ならず、﹃大智度論﹄に出る﹁仏法大海信局能入﹂等の大乗の思想をよく 継承するものであったといってよいであろうロこの文を貞慶は﹁尤も慰むべし﹂と述べているのである。この﹁信﹂ について貞慶撰﹃論第六巻尋思紗﹄﹁約入仏法﹂には、 愛に知んぬ、発心の初めより遠く仏果の資粗を修するには、信の心所を以て其の因と為す。 とあり、やはり﹁信﹂こそが仏果の資粧を積集実践する根本であると見ていたことが知られる。なるほど、寸信﹂を 能入とすることは大乗諸宗の通規であるといってよく、この点、法相宗もまた﹁信﹂を十住位の最初発心住に組み込 んで、仏道の初門とした。まさしく、寸信﹂なくして仏道はないといっても過言ではなく、この観点より貞鹿は﹁信 あることこそが仏種姓のあかしである﹂と主張したのである。 の教証として示されたのが前出の七典籍であった。

ω

についてはすでに述べた ので略すが、次に大きなキーポイントとなるのが

ω

に出る﹁仏性ありと信ずるが是れ菩薩なり﹂の文である。この文 は﹁自らに仏性ありと信ずる者が仏道を歩む菩薩である L ことを示すものであったから、貞鹿にとっては大きな根拠 の一つとなった。しかし、貞鹿は経典名を明示していない。それは、この文が世に広く知られている﹃浬柴経﹄の意 を取ったものだったからではないかと考えられる。すなわち﹃浬柴経﹄には、 そして、このような寸信﹂(理証) 大乗を信受し読諦・解説す。是の故に我も今即ち是れ菩薩なり。一切衆生に悉く仏性あり。:::其の心、実に有 仏性を信ぜず。利養の為の故に文に随って説く。是の如く説く者を名づけて悪人と為す。:::若し一閥提に仏性 ありと信ずれば、当に知るべし、是の人、三悪に至らず。是れをばまた一間提と名づけず。自ら仏性ありと信ぜ ざるを以ての故に、即ち三悪に堕す。三惑に堕すが故に一閥提と名づく。 貞鹿の菩離種姓自党の理論と仏道観(楠) 五 七

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龍谷大学論集 五 八. といい、﹁大乗読請の解説を信受するから私は菩薩である L と述べられた後に、寸一切衆生悉有仏性﹂と出る。また、 寸仏性あるを信じない者を一閥提と名づく﹂とも述べられている。おそらく貞慶は、高名な﹃浬繋経﹄の文を自ら取 意して経意を示したので、あえて経典の名を隠したものと思われるが、この教証の持つ意義は大きい。これによって 貞慶は、﹁我に仏種姓あり﹂と揺らぐことなく信ずるものこそが菩薩であると宣言したことになる。 次いで重要なポイントは、

ω

仰に示される唯識系経論の教証であ&。すなわち、我々はすでに﹁浬般市(趣寂)を厭 い功徳を欣う﹂厭欣の心を持っているのであるから無姓有情ではないし、また定姓二乗や無姓有情には開演されなか った阿陀那(唯識)の教えを間信しているので間違いなく菩薩種姓であると主張しようとして、貞慶はこの二つの教 証を引いている。換言すればこれは、唯識の教えを相承する法相学侶の優位性を高唱するものといってよいであろうロ これに対して

ω

ω

の﹃般若経﹄に関するものと

ω

の﹃法華経﹄に関するものは、再度﹁一般経典﹂を用いて行った論 証であり、菩薩種姓の教証が決して唯識経論のみに見られるものでないことを示すものであふ。とはいえ、これも多 分に貞慶独特の解釈がほどこされたものであったことはいうまでもない。すなわち、前者についていえばすでに﹃心 要紗講読﹄において詳細に論じたように、貞慶は般若信仰者であった。そして、その観点より、 般若は是れ修多羅蔵なり。一切の諸経は此の経より出ず。無量の功徳を含蔵せり。 に 満 つ 。 一句を調持すれば、福、虚空 とあるように﹃般若経﹄を至高のものと位置づけ、一句でも諦持すれば福が虚空に満ち満ちると見ていた。その﹃般 若経﹄が仏滅後に東北方で興隆することがすでに予言されていると貞慶が考えていたことは、すでに引用した﹃心要 紗﹄の文で明らかである。この確信は実は﹃般若波羅蜜多経﹄に、 舎利子よ。甚深般若波羅蜜多は、我れ滅度の後に復た北方より東北方に至りて当に漸ゃくにして興盛すロ:::舎 利子よ。我れ滅度し己りて後時の後分の後五百歳に、甚深般若波羅蜜多は東北方に於いて大いに仏事を作す。

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:::舎利子よ。彼の東北方の諸の善男子・善女人等、若し能く此の甚深般若波羅蜜多に於いて、信解・受持・ 読諦・修習・思惟・広説せば、我れ常に是の善男子・善女人等を護念して悩害なから令む。舎利子よ。彼の東北 方の諸の善男子・善女人等、若し能く甚深般若波羅蜜多を書写し、復た種種の上妙の華髭塗散等の香の衣服・理 瑠・宝艦・幡葦・伎築と灯明を以て、甚深般若波羅蜜多を供養・恭敬・尊重・讃歎せば、我れ定んで彼の諸の善 男子・善女人等に説けり。此の善根に由って畢寛じて諸の険悪趣に堕ちず、天人中に生じて常に妙楽を受し。 とある点に基づくものであり、これをもって貞慶は﹁仏滅後(後時後分後五百歳)の東北方の国である日本において 今現在﹃般若経﹄を信受している我が身は間違いなく菩薩種姓である﹂という論理を構築したといってよい。そして、 この論理がそのまま司法相宗大意名目﹄においても用いられ、その根拠としてさらに付加されたのが﹃般若経﹄に出 る二経の其の多善根力の故に定んで無上正等菩提を儀﹂という一文だったのである。要するに、釈尊によって予言 された﹃般若経﹄を信受することによって必ずや無上正等菩提を得ることができるのであるから、菩薩種姓であるこ とに何の疑いもないとしたのであった。これに対して、残る

ω

の﹃法華経﹄に出る﹁若有開法者無一不成悌﹂の教証 は、﹁唯有一乗法、無二無三 L の言葉と共に、一乗家が五姓各別義を否定して一乗真実を論ずる際に好んで用いるも のであった。﹁法華経﹄は世に広く知られている経典であったから、いわばこれは敵者の有力な論理を複すと共に、 敵者の教証をもって逆に﹁菩薩種姓﹂であることを証明しようとした貞鹿独特の反証であったといってよいであろう。 そのため貞鹿は、事前に一乗思想を会通しようとした。すなわち、﹃心要紗﹄菩提門において﹃法華経﹄をまず引い て 、 ﹃法務一・﹄に云く﹁諸仏世尊は唯だ一大事の因縁を以ての故に世に出現す。衆生をして仏の知見を閲か令め、清浄 を得せ令めんと欲するが故に世に出現す。衆生に仏の知見を示さんと欲するが故に出現す。衆生をして仏の知見 を悟ら令めんと欲するが故に世に出現す。衆生をして仏の知見の道に入ら令めんと欲するが故に世に出現す D 乃 貞慶の菩薩種姓自覚の理論と仏道観(楠) 五 九

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龍谷大学論集 ノ、 O 唯識修行者但三性ヲ謹覚也。三紙 劫 ノ 問 遍 計 所 執 ヲ 離 ァ 二 縛 依 ノ 果 ハ 即 依 他 円 成 実 性 ノ 煩 悩 障 7 出 タ ル 名 也 。 井 依 他 起 性 / 所 知障 7 離タル名也。大牟尼者寂然法也。寂然法 者 離 言 ノ 法 也 D 我 釈 迦 大 師 ハ 此 大 牟 尼 ノ 法 成 熟 給 へ リ 。 故 釈 迦 牟 尼 ト 名 ヶ 奉 ル 也 。 天 親 菩 提

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長行伽陀造唯識性根釈。遂本師 釈 尊 ノ 名 号 諦 ル 白 此 ァ 唯 識 ノ 果 ト 名 70 則法花四悌 知 見 也 。 寿 量 品 ノ 一 乗 ハ 即 釈 迦 ノ 実 身 ヲ 顕 シ テ 寂 然法ヲ説給也。如来一化素意ハ只此事ニ有リ 0 是 一大事因縁ト云。二縛依果浬繋ハ四浬繋也。菩提四智 也 安︹註︺芥(菩提)は芥(菩薩) の 誤 記 。 と。唯識の修行が﹁ただ三性を悟ることにある﹂と明示した後、貞慶は﹁唯識の教えは大牟尼法である﹂といい、こ の寂黙離言の法(唯識の果)こそが﹃法華経﹄に説く﹁四の仏知見﹂すなわち二乗﹂に他ならないと論じているの である。この論理展開は、まったくのところ﹃心要紗﹄のそれと軌を一にしているといってよい。したがって、司法 相宗大意名目﹄の五種姓段において展開される論理もまた、﹁一乗﹂会通の上に成り立っていたと見るべきであろう。 とすれば、貞慶が五種姓段において教証として用いた﹃法華経﹄の﹁若有聞法者無一不成仰﹂は、明らかに五姓の中 の菩薩種姓を-証明する言葉に他ならなかったということになるのである。 以上のように、貞鹿は自宗所依の経論のみならず、世に広く知られている経典の文を教証としながら、﹃心要紗﹄ での﹁仏語を信じて疑惑なし﹂という理証を六つに開き、寸信﹂をキーワードに自己が、ひいては法相の行者が皆 寸菩藤種姓﹂であることを論証していった。﹃心要紗﹄においては﹁恒時に諭談し決択し教を引き理を推す﹂とのみで 具体性に欠けるきらいがあったが、司法相宗大意名目﹄では七つの教証を整えて寸信あるが故に仏種姓なり L という 理論を構築していたことが明らかとなったのである。 貞鹿の菩薩種姓自党の理論と仏道観(楠) -'-/、

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龍谷大学論集 -'- -/、 二、﹁本有菩提心種子﹂と仏種姓 ここで一点の疑問が生じる。それは、﹃心要紗﹄の﹁八門開示﹂および第一門の本文においては﹁菩提門 L としな がら、正規の門名になぜ﹁菩提心門﹂と付したかという点である。筆者は当初、誤記であろうと考えていたが、これ も貞鹿の深慮によるものではないかと考えるようになった。その理由は、第七の発心門において﹁本有菩提心種子﹂ の表現がなされていたからである。すなわち、 心とは道心なり。発とは調わく発起なり。我れ無始より菩提心の種子を具すれども、縁無くして未だ発せず。今、

ω

心願を以て資けて種子を薫じて、且らく有漏の菩提心の現行を生起せ令むべし。 と出る。文中に寸我々が無始の時より本来的に具有している菩提心種子﹂とある以上は、それは﹁本有種子﹂に他な らないが、そのようなものは衆生においては一つしかない。いわゆる本有無漏種子(仏種姓)のみである。この種子 は一阿僧紙劫の聞は累増され続ける。そこで、﹁心願をもって資けて種子を黒じ云々﹂と述べたのであろう。そう考 えると、第一菩提門の解疑段において﹁仏種姓論﹂が展開されたことも十分に首肯できる。また、﹁縁なくして無漏 の菩提心を発起することができない﹂現状を憂え、﹁しばらく有漏の菩提心を発起しなければならない﹂としている 点は、菩提心の発起を祈請した﹃愚迷発心集﹄によく繋がりゆくものであったといってよい。このように見てくると 貞鹿には有漏と無漏の二重の菩提心解釈があり、かつ無漏智を真実の菩提心と見たてた上での﹁本有無漏種子を本有 菩提心種子とする見方﹂のあったこと等が知られるのである。 実は、このような二重の菩提心解釈は﹃心要紗﹄第七発心門の解疑段において、より明らかとなる。すなわち、 一念の発心は実に長遠の因なり。設使い、三千塵点の劫数に久しく菩提を退するも、還って発さば旧の如し。衣 裏の明珠も酔中に捨てず。

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といって、﹁退することのある菩提心﹂と寸酔中でも捨てられることのない衣裳の明珠﹂という表現をもってのこ章一 の菩提心解釈を示しているのである。これを先の文と兼ね合わせて考えると、前者が有漏の菩提心、後者が無漏の菩 提心となる。このうち後者の寸衣裏の明珠﹂という表現は元来、﹃妙法蓮華経﹄に出るもので、そこには次のように 記 さ れ て い る 。 警えば、人有って親友が家に至り酒に酔って臥す。是の時、親友に官事あって当に行かんとするに、無償の宝珠 を以て其の衣裏に繋ぎ、これを与えて去る。其の人、酔臥して覚知せざるが如し。起き己りて遊行し他国に至り、 衣食の為の故に動力求索すること甚だ大いに娘難たり。:::後に親友の会過してこれを見るに、是の言を作す。 寸附哉、丈夫よ。何ぞ衣食の為に、すなわち是の如きに至るや。我れ昔、汝をして安楽なる五欲をば自ら恋に得 せ令めんと欲して、某年日月に無償の宝珠を以て汝が衣裏に繋ぐ。今・故・現も在り。而るに汝は知らず﹂と 0 ・::仏もまた是の如し。菩穫の為に時に我等を教化したまい、一切智の心を発せ令む。而るに尋ねても廃忘して、 知らず、覚えず。既に阿羅漢道を得て、自ら滅度と謂う。資生に銀難して少を得て足ると為すも、一切智の願は 猶し在って失わず。今は世尊、我等を覚悟せしめんとて是の知き言を作す。寸諸の比丘よ、汝らの得る所は究寛 滅に非ず。我れ久しく汝らをして仏善根を種え令む。方便を以ての故に浬繋の相を示す。而るに汝は実の滅度を 得んとすと謂う﹂と。世尊よ。我れ今すなわち実には是れ菩薩なりと知り、阿縛多羅三貌三菩提の記を得旬。 と。ここでいう﹁衣裏に繋ぐ無償の宝珠﹂は、﹁仏陀によって種えられた仏善根﹂あるいは二切智心 L ﹁ 一 切 智 願 L とあるから、明らかに菩提心をさしていると見てよい。と同時に、二切智﹂を生み出すものであるから寸無漏種子﹂ であると見ることもできる。事実、当該文に続く偽煩には、

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仏の無上の慧を得て、爾して乃わち真の滅と為す。 とあり、一切智を﹁仏の無上の慧 L と表現している。とすれば、寸衣裳の宝珠﹂はまさしく法相宗で説くところの無 貞慶の菩瞳種姓自覚の理論と仏道観(楠) --L / 、

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龍谷大学論集 六 四 漏種子(仏種姓)に他ならないということになる。この点、法相宗の所依の経典の一つである﹃華厳経﹄はもっと明 確 で あ り 、 菩提心は則ち一切諸仏の種子たり。能く一切諸仏の法を生ずるが故なれ川 o といい、菩提心を一切諸仏の法を生ずる仏種子(仏種姓)であると見なしている。したがって、無漏種子(仏種姓) をもって真実の菩提心とする理論が貞慶にあったことは、容易に推測される。 一方、前者の﹁退することのある菩提心﹂とは有漏の菩提心のことであり、﹃菩薩地持経﹄等に﹁初発心﹂としば しば記されるものである。貞鹿が﹃愚迷発心集﹄等で祈請したのも﹁最初発心﹂であり、これを貞鹿は﹃別願諮式﹄ 国 において﹁一念相似の発心﹂と表現した。なぜに﹁相似﹂なのかが、かつては定かではなかったが、﹃心要紗﹄の記 述によってそれが、真実の菩提心(本有菩提心 H 無漏智)に対する言葉であったことが明らかとなった。ちなみに最 初発心の内容について貞慶は﹃心要紗﹄において、 ﹃稔伽﹄に云わく﹁菩提心とは決定の希求をば以て行相と為す。無上菩提と一切有情の義利とを境と為す﹂と口 上は菩提を求め、下は有情を化す。:::発願は是れ初発心な

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といい、菩提(自利)と有情(利他)とを希求の対象とする二利の発顕であるとの解釈を示している。しかし、これ はあくまでも最初の発心であり、かつまた相似の心であるから、寸退屈 L することがあるという。これについて﹃法 問 相宗大意名目﹄の資粗位段には、

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J W F r J 源因菩提心 者、摂論稗云雄遇悪友ノ方便破壊、終不

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Ir~、叫

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奇捨大菩提心ヲ、云々。此位ニ三種ノ錬ハ磨ヲ修ス O 無 上 菩 提 ノ 大 ナ ル ァ 聞 f 心一シリソケト エトモ、化己 大 菩 提 ァ 鐙 セ ル ヲ 以 y 、息ァハケシマシテ退セ 1 0 経云、彼 既大夫 D J W a 航。不慮前一舵而退屈、云々。悌モ昔 凡夫也。我等モ遂ニハ悌也トノ如ク思也。二大乗施等修ン カタキ事 7 聞 テ 心 退 屈 ス レ ト モ 我 カ 意 楽 ヲ ハ ケ マ シ テ 能 7 施等 7 修ス。三悌果ノ謹カタキ事 7

7 心 ニ 退 屈 ス レ ト モ 己 妙因康善能心ミカク。此三種錬磨ハ我等モ分々 是 y 可 修 。

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︹ 説 1 ︺出拠の﹁大阿弥陀経 L で は ﹁ 我 ﹂ は ﹁ 我 亦 ﹂ 。 ︹註2︺出拠の﹁大阿弥陀経﹄では寸自性 L は 寸 自 軽 ﹂ 。 とあるように、資糧位の菩薩が菩提心を退屈しないための﹁三種の錬磨しを勧めている。換言すればこれは、退屈す ることのある最初発心は寸真実の菩提心しではなく方便心であったことを示すものといってよく、そこで貞慶は最初 発心を﹁相似菩提心﹂と称したのである。これに対して失われることなく存し続ける真実の菩提心は、まさしく﹁衣 裏の明珠﹂であった。いまだ現行してはいないが、強い輝きを秘めた真如と休会する智慧そのものである点より、貞 鹿はこれを仏種姓(無漏種子)と見たのである。 貞 鹿 の 並 口 融 種 姓 自 覚 の 理 論 と 仏 道 観 ( 楠 ) /、 五

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龍谷大学論集 六 六 以上のように、貞鹿には二重の菩提心解釈があり、真実の菩提心を無漏種子(仏種姓)と見る見解を有していたこ とが知られる。したがって、﹃心要紗﹄の第一菩提門の表記が寸菩提心門﹂となっていたのは単なる誤記ではなく、 貞慶独特の深慮によるものであったと考えられるのである。

四、﹁極速三生の仏道観﹂による弥陀信仰

拙著﹃心要紗講読﹄においては貞慶の弥陀浄土信仰をも論じたが、その中で奇異な文章に出あった。それは﹃心要 紗﹄第八覚母門の解疑段に出るもので、 此くの知きの人、臨終に自ら仏号を唱えて、数さく十返を過ぐるに、定んで三界を過ぎて浄土に生ずべきや否や。 他人をば知らず。己に於いては信じ難し。愚か度らいの如き者は、多く人天に生ずべし。宿習力の故に、重ねて 善縁に値いて、漸く勝心を発して、二三生等に宿願を果たし遂げん。是れ猶し勝事な

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とあるように、二三生等を経ての上での往生が論じられていた点である。なるほど、建久三年(一一九二)に著され た﹃発心議式﹄の奥書にも、 但だ世尊の恩に依り、慈氏の化を受け、知足天上の安養浄土院に於いて、且く弥陀に奉持せんとす。慈尊一代の

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末たる円寂讐林の暮に、長く極楽に生じ、不退転に至らん。愚意をもて望む所は、蓋し以て此の如し。 とあり、今生の裟婆世界から知足天上の安養浄土院、安養浄土院から慈尊下生時の裟婆世界、裟婆世界(円寂隻林) から極楽浄土へと往生する寸二三生等往生﹂の次第がまごうことなく示されていた。では、なぜ貞慶は﹁即得往生﹂ を論じないで、﹁二三生等往生﹂を論じたのであろうか。これは、実は貞鹿に寸極速三生﹂の理論による仏道観があ っ た か ら で あ る 。 この言葉が初めて登場するのは、﹃発心講式﹄より以前に著されたと考えられる﹃安養報化﹄(上人御草)において

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そこで貞慶は﹃観経﹄九品の疑難と三重の相対を論ずる中で、 中三品の一は日く、斎戒をもって彼に生じ、花開いて須陀一湿果を得ると云うが故に、極速三生の性相に違す。 :・若し化土の実の声聞・異生なりと執すれば、宣に阿羅漢は初地に勝るや。宣に迂廻の人は直往に勝るや。宣 に極速三生、宣に一大阿僧紙の修行、虚説ならんや、と言わんと向。 と述べた。もともと、﹁極速三生﹂という言葉は﹃大毘婆沙論﹄に出るもので、 善根未熟の者は、謂く仏法により極速三生にして方に解脱を得る。第一生中に解脱分を種え、第二生中に修して 成熟ならしめ、第三生中に既に成熟し己ぇ、聖道を引起して能く解脱を証打。 と説かれている。これを受けて世親の司倶舎論﹄にも、 論に臼く、順決択分をば今生に起こす者は、必ず前生に順解脱分を起こす。諸有はじめて解脱分を殖え、極速三 生にして方に解脱を得る。調く、初生に順解脱分を起こし、第二生に順決択分を起こし、第三生に入聖し、ない し 解 脱 を 得 旬 。 と記されている。これを大乗に置き換えると、寸入聖﹂は初地となる。初地に入るためには本来、一阿僧紙劫にもわ たる修行が必要であり、これによって菩薩は初地入見道の時に無漏智の現行を見て二空を一分発得するといわれてい る。この位地の菩薩の見るべき浄土が報土(他受用土)であり、古来より阿弥陀仏の浄土がこれに想定されてき加。 しかし、阿弥陀仏の浄土が唯だ報土のみであれば、凡夫の願生するところとはなりえないロそこで、貞慶は﹃安養報 化﹄(上人御草)等において、阿弥陀仏の浄土には報土のみならず化土もあることを論証し、これに兜率天の安養浄

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土院をあてたのである。しかし、それでもなおかつ法相教学に従えば、阿弥陀仏の報土に生まれるまでは一阿僧紙劫 もの時間を要することになる。そこで次に、貞慶が用いた理論が﹁極速三生﹂であった。この理論を用いれば、一阿 僧紙劫という﹁時間的壁﹂が壊れて、三生という極速で往生が可能となるのである。ここに貞鹿の理論的工夫があっ で あ り 、 貞鹿の菩醸種姓自覚の理論と仏道観(楠) /、 七

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龍谷大学論集 ﹂ 、 、 1

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-, -, . -, J たといってよい。ところが、その貞慶もついに弥陀浄土への往生を断念する時がくる。 そもそも、貞鹿の弥陀浄土信仰の理論は、﹃安養報化﹄(上人御草)によれば、寸本願念仏臨終来迎 L の理論と﹁報 化二土一体同処 L の理論、および寸極速三生﹂の理論によって構築されていた。これらを駆使して西方を願生した貞 慶であったが、建久六年(一一九五)になると﹃小島記注﹄に、 建久六年正月十日:::上は世尊の恩徳に報い、中は弥勅の値遇、下は春日大明神の加護を蒙る。臨終正念の大事 を遂げんと欲し、暫く念仏の単修を抑えて、再び稽古の広業を交えるロ是非の問、進退測り難凶 o と述べるように、﹁極速三生の仏道観﹂を翻して再び J ニ阿僧祇劫の仏道観﹂に立ち返り、西方願生を断念して弥勅 の値遇を求めるようになるのである。なぜか。これについて筆者は別稿においてすでに、貞慶に寸五逆愚迷﹂の自覚

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が深まった結果であると論じた。しかし、それだけでは論理に不足が生じるので、本稿ではさらにもう一点の論理を 付加したい。それは、臨終正念の後に来る寸来迎﹂である。当初、貞慶は﹃安養報化﹄(上人御草)において安養通 化を明かす中にも、 また四十八願の中の第十八願に云く﹁十方造悪一切衆生最後十念不往救者不取正覚﹂と云々。その往救とは、来 たりて西方浄土に迎うるな

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とあるように、十念来迎を頼みとしていた。ところが、﹃観世音菩薩感応抄﹄第三臨終加護の段においては、 菩薩の位を得て諸の仏身を見る。初めに小化身を見て、次に大化身、後に謹上の舎那を見る。其の報仏身に云く また十重ありと。これを以てこれを案ずるに、菩薩に値遇することは尚、仏身より易し。菩薩に於いてまた変じ 易し。愛に臨終の時を以て、弥陀降臨し聖衆と囲繰するも、感得すること甚だ難し。観音一身沙門の形相は、彼 に対して以て易し。滅罪生善の利益は、彼は大にして此れは小なるも、敢えて誇う可からずロもとより仏子の自 の分を量り、浅近の望みを係るが故なり。:::我れ若し最後の時に大聖の化身を見らば、所有の求願はみな満足

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闘 を 得 る 。 とあるように、唯識仏教における見仏の道理ならびに浄土知見の道理よりすれば、弥陀の来迎を感得することは難し いといい、﹁沙門の形相﹂を示す観音の来迎を求めるようになったことが明記されている。その理由として貞慶は

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﹁自の分を量り:::・:﹂と述べているから、そこに﹁愚迷﹂の自覚のあったことは歴然としている。しかし、それで もなおかつ﹃安養報化﹄(上人御草)でいみじくも貞慶自身が理論化したように、弥陀の化身の浄土(化土)への往 生ならば可能ではないかと思われるが、右の引文には﹁感得すること甚だ難し﹂と明記されている。なぜか。実はこ の時すでに、貞慶の心の裡において来迎する阿弥陀仏を化身とみなす理論が崩れていたのである。 貞慶在世当時、﹁偏依善導﹂を標梼する法然浄土教(専修念仏義)が急速に弘まっていた。善導は、貞慶もまた

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﹃心要紗﹄において﹁三昧発得の人﹂と述べたほどに、一目置いていた人物であった。その善導が﹃観無量寿仏経疏﹄ において﹁是報非化﹂論を語る中で、 問うて日く、弥陀の浄国は当に是報是化なるべしと為んや。答えて日く、是報非化なり。云何ぞ知るを得るや。 ::また、﹃観経﹄の中の上輩の三人は、命終時に臨んで皆、阿弥陀仏と及び化仏(阿弥陀仏及輿化仏)と来り て此の人を迎うるなりと言へり。然らば報身、化を兼ねて共に来たりて手を授く。故に名づけて﹁興﹂と為す。 此の文証を以ての故に﹁是報﹂なりと知れ仏。 といい、寸来迎する弥陀は化を兼ねた報身仏である﹂との解釈をすでに示していたのである。したがって、このよう な見解が当時すでに広く知られていたであろうことは容易に推測される。これに対して貞慶は、﹃安養報化﹄(上人御 草)において﹁通化﹂を主張し、いったんは化土に往生することを主張して西方を願生した。ところが、貞慶の﹁愚 迷の自覚﹂は深まるばかりであった。これについて﹃観世音菩薩感臆抄﹄第二滅罪利益の段には、 彼の五逆と雄も復た、弥陀の悲願に及ぶこと能わず。捨てて救わず。今この呪(観音の呪)に依らば、忽ちに消 貞腿の菩離種姓自党の理論と仏迫観(楠) /、 九

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龍谷大学論集 七 O

滅することを得る。宣に奇特にあらず令。 と述べているから、貞慶が﹁唯除五逆誹誘正法﹂とある弥陀の第十八願を寸直受﹂した結果、我が身の﹁五逆風間迷﹂ を顧みて西方願生を断念し、逆悪をも消滅する観音の呪に帰依していったことが知られる。﹃観世音菩薩感臆抄﹄を 通読すると、こうした﹁五逆愚迷の自覚﹂に立ち至った貞慶が、唯識仏教の見仏の道理(浄土知見の道理)に基づい て、一度は会通したはずの﹁出過三界の難﹂に再び苦しめられていったことが鮮やかに知られるのである。これにつ いて﹃観世音菩醸感臆抄﹄第四当来値遇の段には、 所居の器界は設い出過三界の浄土にあらざれども、所感の身形は設い相好具足の身にあら,されども、出離に於い て妨げなし。何ぞ必ずしも恨みとせんや。先ずは観音の国土を以て我が住所と為し、大聖の一身沙門の形を以て 能 化 と 為 す 。 といい、ついには出過三界の難のない観音に帰依し、その所居を願生するに至る。これを第三臨終加護の段より通読 すると、貞慶に弥陀浄土を報土とみなす寸報仏来迎の難﹂のあったことが知られる。これが前に示した﹃観世音菩薩 感応抄﹄第三臨終加護の段の一文である。あらためて確認して見ると、唯識仏教における見仏の道理(浄土知見の道 理)を述べた上で、弥陀の来迎を感得することが難しいこと、菩薩身なら感得が容易であること、さらに沙門の形相 はもっと容易であること等が順次述べられている。弥陀も変化身ならば感得が可能なはずだが、ここでは観音との比 較において感得が困難であると述べられている。実は、貞慶は﹃論第一巻尋思紗別要﹄﹁大悲悶提事﹂において、 末に云く、﹃維摩経﹄を以て大師は普賢等の成仏の証と為す。其の所説の分斉は実に応化の事仏と為すと難も、 実意を深く顕さば悶提菩薩の成・不成仏の二門なり。浄名・文殊・観音等の閥提菩薩に至っては、或る時は常に 菩薩と称す。愛に知んぬ、此れ皆、実事なり。成仏にして成仏に非ず。菩薩にして菩薩に非ず。 といい、観音等の閥提菩薩について﹁実成道、実菩薩﹂説を展開した。この理論に準ずれば、観音の本体もまた如来

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であるということになる。その観音が菩薩身を実身として現じ、 さらに化身として沙門の形相を示す。これらはすべ ては、海よりも深い観音の誓願によってなされる﹁不思議﹂に他ならないが、そうなるとたとえ随類身(化身)であ ったとしても、観音の補陀落山もまた化土であるということになる。弥陀の浄土も化土、観音の浄土も化土ならば、 そこに何の優劣もないことになる。ところが、貞鹿は弥陀の来迎は﹁感得すること甚だ難し﹂という。なぜか。すで に来迎する弥陀を報身仏と見ていたからである。したがって、貞慶に寸報仏来迎の難﹂のあったことは、まず間違い ないところである。 では、このような解釈の変化が貞鹿に生じたのはいつ頃からであろうか。これについては別稿においてすでに指摘 したようね、筆者は建久三年(一一九二)の守発心諮式﹄撰述以降より建久六年二一九五)正月十日の﹃小島記 注﹄撰述までの聞のことであったと考えている。この間、貞慶は寸念仏の単修﹂を試みており、その結果として西方 願生を断念し、弥紡の値遇を求めていくことになる。この間に何があったかは記録がないので不明であるが、しかし 吋観世音菩薩感応抄﹄の記述を見る限り、少なくとも寸五逆愚迷の自覚﹂と寸出過三界の難﹂﹁報仏来迎の難 L の 三 つ 事由のあったことが確かめられるのである。しかし、それでもなおかっ、貞慶に西方への未練の色濃くあったことは、 ﹃観世音菩薩感応抄﹄第三臨終加護の段の末尾に、 若し西方の紫雲に乗ずれば直に安養界の宝池に生じ、南海の背波を渡れば且く補陀山の石室に住れ。 とあることで明らかである。

﹁魔界﹂理論と法然浄土教

貞慶には、このような阿弥陀仏に関する深い理論および信仰があった。そのため、同時代の法然に対する批判はか えって激しいものとなった。法然は、善導の立てた﹁凡入報土論 L を 継 承 し 、 貞鹿の菩離種姓白党の理論と仏道観(楠) ー じ

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龍谷大学論集 七 間 我れ浄土宗を立つる心は凡夫の報土に生まれんことを示さんとしてなり。 といいきった。それは実は貞慶自身の願いでもあったが、しかし﹁法然の理論はただ本願を頼むばかりでとても三界 出過の難を克服するほどの理論ではない﹂と、貞慶の目には映ったのである。これについて﹃心要紗﹄覚母門には、 今、正念なからん。かくのごときの人、臨終に自ら仏号を唱う。さくさく十返を過ぐ。定んで三界をすぎて浄土 に生ずべきや否や。他人をば知らず。己に於いては信じ難い。 といい、建久六年(一一九五)の段階ですでに、法然の唱えた凡入報土論を明確に否定していたことが知られる。ま た 、 建 仁 元 年 こ 二

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二撰述と推定される﹃観世音菩薩感跡地抄﹄の第四当来値遇の段には、 大師の釈して云く、﹁他方浄土は越分の望みなり L と。:::当に知るべし、越分の事は修しても所得の果を望む べからず。能感の業をば量って分斉を定め、宜しく希望に及ぶ。響えば世人の官を望み職を求めるが如し。・: 念仏の行者は大道の三学を捨て、口称の一門に付く。宣に志を同じくせざらん。我等は食限痴の三毒をば未だ一 豪も伏さず。戒定慧の三学も未だ一徳も備えず。僅かに仏号を唱えるは、専修にあらず。専念にあらずロ善心を 起こすを希わず。深心なく、誠心なく、内は邪にして外は正。其の過なお重し。況んや外儀なお整わず。 といい、三界を出過した報土に生じるという﹁越分の望み﹂をかけて口称のみを勧める念仏の行者(法然一門)を痛 烈に批判したくだりが存する。この中で貞慶は、そのような念仏行者のあり方を響えて﹁庶民が官を望み職を求める ようなものだ﹂と切って捨てているが、この表現が何と元久二年三二

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五)に起草された﹃興福寺奏状﹄ならびに ﹃興福寺奏達状﹄にも反映され、次のように述べられる。すなわち、 市るに近代の人、あまさえ本を忘れて末に付き、劣を鴻みて勝を欺むく。寧ぞ仏窓に叶わん。彼の帝王、政を布 くの庭に、天に代わって官を授くるの日、賢愚は品に随い、貴賎は家を尋ぬ。至愚の者、縦い他に夙夜の功あり と難も、非分の職に任ぜず。下賎の輩は縦い奉公の労を積むと雄も、卿相の位に進み難し。大覚法王の園、凡聖

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来朝の門、彼の九品の階級を授くるに、各おの先世の徳行を守る。自業自得。其の理、必然なり。市るに偏えに 悌力を怨んで涯分を測らず。是れ則ち愚療の過なれ川 o と。ここで貞慶は﹁至愚の者は非分の職に任ぜず﹂﹁下賎の輩は卿相の位に進み難し﹂という轡えをもって寸近代の 人﹂たる法然の﹁涯分を測ざる凡入報土論 L を批判したのであるが、その元となった表現がすでに司観世音菩薩感臆 抄﹄には存したのである。また、この傾向は臨末に口述筆記された﹃観心為清浄円明事﹄においても明瞭であり、 聖衆すでに現ずれば往生、疑いなし。但し真実浄土の業の成就は、多くは彼の聖衆摂取瞥時の間に在り。爾らざ れば争か最下の凡夫、島浅の縁を以て忽ちに微妙の浄土に生じ、永く不退転の利を得んや。是れすなわち不思議 中の不思議なり。予、深く西方を信ずるが故に織に此の案を廻らす。また、世の人の一向の信に同じから抗。 と述べて、もし仮に凡夫の報土往生を会通したとしても、それは法然ら・﹁世の人の一向の信﹂とは全く異なるもので あると、再々々度におよぶ批判を示している。それほどに、貞鹿の心の裡には﹁出過三界の難﹂が大きな壁としてあ り、貞慶にはとてものこと﹁法然の理論がこれを解決するもの﹂とは思われなかったのである。 このように考えてくると、貞慶の法然浄土教批判の根底には﹁凡入報土論 L のあったことは明白であるが、実はそ れだけではない。魔界思想に基づく﹁法滅 L への不安が貞慶を脅かし、それが﹃興福寺奏達状﹄ならびに﹃興福寺奏 状﹄の起草となって現れたといってよい。すなわち、貞慶の心情がより濃厚に現れている思われる﹃興福寺奏達状﹄ の 第 五 条 を 見 る と 、 彼の念仏の讃、永らく神明を異にす。権跡実類を論ぜず、宗廟大社を僚らず、織かなりと神明に臨む者はみな魔 回 界に堕っと、云々。 とあるように、ことの初めは﹁専修念仏を提唱する人たち﹂の側より、﹁聖道を歩む人たち﹂をさして﹁魔界に堕つ﹂ と非難していたことが知られる。このような妄言が生じた背景には、根本的に法然の﹁弥陀一尊帰依﹂の思想のあっ 貞鹿の菩離種姓自党の理論と仏道観(楠) 七

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龍谷大学論集 七 四 たことは歴然としているが、法然自身に寸聖道を歩む人たち﹂を進んで庇めるような思いがあったとは考え難い。お そらくは、魔界に対する法然の解釈を誤解もしくは曲解した結果の言辞ではないかと思われる。今しばらく、法然の 寸魔界﹂に対する記述例を示すならば、弥陀の来迎を解釈するにあたって、次のような文言が﹃黒谷上人語燈録﹄に は見られる。すなわち、 また、魔事を対治せんがための来迎なりというは、古えより臼く寸道は高ければ魔も高し﹂と。仏道修行には必 ず魔障の難あるなり。真言宗の中に云く﹁普心決定すれば魔宮振動す﹂と。天台止観の四種三昧を修行するに十 種の境界の発こるなか﹁魔境来れり﹂と云う。また、菩薩の三紙百劫の修行の既に成じて正覚を唱うる時、魔王 の来たりて種種の障磁を至す。何に況んや凡夫の呉縛の行者は設い往生の行業を修すると雄も、魔障の難を対治 せざれば往生の素懐を遂げることは難かりし。然るに阿弥陀如来は、間続せる無数の化仏菩薩と、光明赫突とし て行者の前に現ず。此のとき魔群、前の障擬を近づげること能わず。然れば則ち、来迎引接は魔障を対治せんが 為なり。来迎の義、略述するに斯の如凶 o と。これを見ると法然は、真言宗や天台宗あるいは法相宗(三紙百劫の修行)の行者が仏道修行をする際に、しばし ば﹁魔障﹂に襲われることを指摘した上で、﹁魔障﹂を対治せんがために阿弥陀仏は来迎するのであると説いている ことが知られる。このとき修される﹁行﹂とは主に止観に他ならないが、実は釈尊の樹下の成道でも明らかなように、 インドの昔より禅定中に寸魔障﹂に襲われることはよく知られていた。法然の言葉もこれを受けた記述であろうと思 われるが、しかしそこには明確に真言宗・天台宗・法相宗などの聖道諸宗のあり方が例示されていた。おそらくは、 このような言葉が誤解もしくは曲解されて広く弘まり、右のような妄言になったものと考えられる。しかし、これは ﹁聖道を歩む人たち L にとっては由々しき大問題であった。むしろ、その妄言こそが寸法滅の因﹂となる﹁魔界﹂そ のものではないかと貞慶は受け止めたのである。これについて貞慶の手になる﹃魔界週向事﹄という一文には、

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﹃心地観経﹄に云く、寸或いは菩薩あり。諸の天魔を以て而も恐怖と為す。天臓の替属は欲界に充満して修道の人 を障う。菩提を退せ令むるが故に﹂と云々。末代の僧徒の深く恐る可きは此の事なり。若し夫れ上根人の宿善淳 熟して行願清浄の人ならば、魔王魔衆も憂悩すること能わず。仏子の如き等は、窓に出離を欣い仏法を受くると 雄も、戒定恵の中に都べて一分の功も無く、身口意の間に未だ衆多の失を離れず口常に世俗のことを念じて、名 をば阿蘭若に仮る。内と外と相応せず。名利に多く汗することあり。:::抑も我が朝の中古よりこのかた、顕密 修学の人、有徳有功の輩、粗ぽ魔界に堕して法を妨げ、人を悩ます。嶋呼、如意の珠を投げて徒に名利の直と 為し、甘露の薬を嘗めて剰え煩悩の病を増す。昔は行徳を以て魔軍を伏しき。今は何ぞ其の伴党と為らん。昔は 智力を以て法城を守れり。今は何ぞ其の怨餓と為らん。哀しき哉、凡夫の心は掌を変ずと雄も、何れの日にか何 れの生にか方に不退に住せん。大象の尾の窓に拘わり、師子の虫の身を食しめんも、蓋し此の謂い向。 とあり、顕密修学・有徳有功の者たちが魔界に堕ちると、かえって仏法に健をなすことが記されている。吋魔界廻向 事﹄を見るかぎり、﹃心地観経﹄を引用した上で寸常に世俗のことを考えてばかりで、阿蘭若(森林などの寂静処) に身を置く修行者の顔をしているが名利に執われる愚者である﹂と述べているから、貞慶の魔界思想はもともとは自 己の迷妄(魔)に対しての記述が主であったと見てよい。しかし、その中にすでに右のような﹁法滅への怖畏﹂もま た明確に存した。引用文がないため、﹁法滅への怖畏﹂を﹁魔群﹂と見た貞慶の見解が何によるものなのかは今一つ 定かではないが、しかし﹃大般浬繋経﹄には次のような記述が存する。すなわち、 是の一閥提の悪比丘の輩は阿蘭若処に住し、阿闘若法を壊し、他を見て利心を得て嫉妬を生じ、是の如きの言を 凶 作す。﹁所有ゆる方等大乗経典は悉く是れ天魔波旬の所説なり﹂と。 とあるように、一閲提の悪比丘が仏道修行の場である阿蘭若に紛れ込み、大乗の諸経典を天魔波旬(魔王)の説であ ると批難するというのである。﹁阿蘭若﹂や﹁名利﹂﹁魔界に堕して法を妨げ﹂等々、﹃魔界週向事﹄と一致するとこ 貞慶の菩薩種姓自覚の理論と仏道観(楠) 七 五

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龍谷大学論集 七 /、 ろが多い。恐らく、貞慶の寸法滅への怖畏﹂の根拠は、﹃浬繋経﹄ではなかったかと思われる。なお、興味深いこと に、この見解は﹃心要紗﹄﹁一心門﹂にも一部登場する。すなわち、 練若の仮名は証を招くこと尤も多凶 o というくだりである。筆者は﹃心要紗講読﹄の解説文において、﹁これは貞慶自身の深い自己反省に他ならない。 :::なお、この言葉はまた比叡山をおりて吉水に隠棲した法然のあり方をも念頭においたものではないかとも考えら 間 れる﹂と述べたが、妥当な見解ではなかったかと考えている。このような貞慶に内在する魔界の思想がいよいよ﹃興 福寺奏遥状﹄および﹃興福寺奏状﹄において強烈な専修念仏者への批判として示されていくのである。すなわち、 ﹃ 興 福 寺 奏 達 状 ﹄ 第 八 条 に 、 専修は﹁囲碁・隻六は専修に訴かず。女に耽けり肉を食するものも往生は妨げず。末世の持戒は是れ市中の虎な り﹂と言うは、嘘あ特に戦傑すべき者なり。:::彼の箆毒の如き、若し国土に流れ街びこること有らば、則わち 是れ正法の怨盤、駕れに途えるもの莫し。:::魔風、日に織かん D 専修の僧尼、都郡に俳佃し、北陸・東海、充 満せざる莫しロ斯の時に当たり、緊びしく勅宣を垂れて以て過を禁じざれば、則わち群園、皆、魔民に陥ん。天

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奏の趣、純ら此に存り。 といい、また﹃興福寺奏状﹄第八条にも、 専修の云く﹁囲碁・双六は専修に訴かず。女犯肉食は往生を妨げず。末世の持戒は市中の虎なり﹂と。恐る可し 悪む可し。若し人、罪を怖れ、悪を傍らば、仏を溜まざるの人なりと。此の如き食言、国土に流布す。:::剰え 破戒をば宗と為し、道俗の心に叶う。仏法の滅する縁、此れより大なるは無し。洛辺近園、猶し以て尋常なり。 北陸東海等の諸国に至っては、専修の僧尼、盛んに此の言を以てすと云々。勅宣ならざるよりは、争でか禁過す 倒 ることを得ん。奏聞の趣、専ら此れ等に在るか。

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と述べている。要するに貞鹿は、専修念仏の教えが﹁正法の怨瞥﹂寸魔風﹂そのものであり、﹁仏法の滅する縁﹂であ るといい、群国の民が魔民に陥ちないようにと﹁禁遇﹂を求めて上奏に及んだのであると、上奏の趣旨を明確に示し ているのである。その禁過の対象となった﹁魔風﹂について可興福寺奏達状﹄ならびに﹃興福寺奏状﹄の第九条には、 側 ﹁沙門源空の専修念仏の邪義﹂寸沙門源空の専修念仏の宗義﹂とそれぞれ記され、法然の名前が名指しされている。し たがって、﹃興福寺奏達状﹄および﹁興福寺奏状﹄は、教学的には法然の凡入報土論を批判しつつ、政治的には仏法 の滅縁となるような反社会行為を繰り返す専修念仏者を批判し、﹁沙門源空の専修念仏の宗義﹂の糾改と停止を朝廷 に求めた習であったということになるのである。これもまた貞慶の深い仏道観に根ざすものであったと考えてよいで あ ろ う 。 -L・ ノ、 む す ぴ 以上のように、貞慶には明確な仏道観があり、まず自己が菩薩種姓(無漏種子 H 菩提心種子)であることを確信し た後、有漏の菩提心を発起することを願っていたことが知られる。貞慶にとって、菩薩種姓(仏種姓 H 無漏種子)こ そが﹁真実の菩提心﹂に他ならなかった。そこで、有漏の菩提心を発起することを﹁一念相似の発心﹂と述べたので ある。しかし、有漏の菩提心の発起もなかなか困難であった。そこで貞慶は、自らの愚迷を深く見つめた上で、菩提 心の発起を三宝に祈請するのである。では、なぜ有漏の菩提心を発起することが肝要なのであろうか。それは、有漏 の菩提心を発起すれば、輪廻の流れから離れて仏道の流れに入ることができたからである。具体的にいえば、諸仏の 浄土(変化浄土)に詣でて見仏関法し、福慧の資粗を積集することができるようになる。これを一阿僧祇劫ものあい だ勤修すると、無漏種子(真実の菩提心日行仏性)の現行する環境が整う。かくして、初地入見道において下品の無 漏智を得た行者(菩薩)は二空真如の一分を発得し、以降、中品の無漏種子の現行をみて一の重障を断じ一の真如を 貞鹿の菩薩種姓自覚の理論と仏道観(楠) 七 七

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龍谷大学論集 七 J¥ 証していく。そして、第十地の満位において最後の微細な煩悩である仏果障を断じ、ついに上品の無漏種子の現行を みて仏果を証するのである。この仏道観は法相宗の伝統的な仏道観であり、貞慶の仏道観もこれに則っている。そし て、何よりも重要なことは、これらの仏道観に立って浄土と信仰の問題が深く分析されていたということである。 そもそも、有漏の菩提心を発起した行者(窓口薩)は、資糧位の時には一の小化仏と小世界ご須弥界)を知見する にすぎない。ところが、加行位に至ると一の大化仏と三千大千世界を見るに至り、ついに下品の無漏智の現行をみて 一の報身仏と百仏国(百の三千大千世界)を見るまでに知見が拡大する。以下、第二地においては一の報身仏と千仏 国(千の三千大千世界)、第三地においては一の報身仏と万仏国(万の三千大千世界)、ないし第十地において一の報 身仏と不可説葉量仏国(不可説葉量の三千大千世界)までをも知見するに至る。これらの仏国が、いわゆる菩薩のた めに示現された浄土である。菩提心を発起してから一阿僧紙劫の聞は小化土から大化土を知見する程度であった菩薩 の知見が一挙に拡大し、初地以降は十重の報土を知見していくようになり、ついに仏果を成じた時には自己の第八無 垢識の現ずる真浄世界(自受用土)を知見するに至るのである。これが仏道を歩む者が順次に知見していく世界(浄 土)の順序次第であった。この点についてすでに引用した﹃観世音菩薩感臆抄﹄第三臨終加護の段には、 菩薩位において諸の仏身を見るを得る。初めは小化身を見、次に大化身を見る。後には台上の舎那なり。其の報 身仏身に云く、また十重あり。これをもってこれを案ずるに、菩薩に値遇することなお仏身より易し。菩薩にお いてまた変じ易し。実身は下位の知る所に非ず。たとい化身に於いても本形なお見難し。随類の一身、値遇もつ 仰 と も 易 し 。 とあるからやはり、貞慶は伝統的仏身仏土説を継承しながら、最後は﹁値遇もっとも易し L と判じた随類身の観音 (沙門の形相)の来迎を求めたことが知られるのである。 このように考えると、貞慶の信仰は決して場あたり的なものではなく、法相教学の道理に基づいてのものであった

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ことが知られる。筆者は別稿において、貞慶の信仰は釈迦・弥陀・弥勅・観音を中核とする複合型信仰であったと述 べた向、これらの四尊にはそれぞれに霊山・極楽・兜率・補陀落という本居の世界があった。ことに弥陀・弥勅・観 音は来迎の尊者であったから、来迎を強く求める貞慶の信仰の中核となりえたのである。これらの世界(浄土)は理 より見れば一味平等である。しかし、凡夫の身には寸一四天下の難 L がある。この難がある以上、今生では一尊の所 まずは西方を願生した。その際、本願念仏臨終来迎論と報化二土一体同処論および極速 三生論の三つを駆使して理論化したことは、すでに指摘したとおりである。まずは臨終時に正念に住して弥陀化身の 来迎を受け、浄土に生まれる。これによって仏道の流れに乗り、二三生後には弥陀の報土に往生して不退転の境地に 至る。これが貞慶の当初の目論見であった。いかに速やかに不退転位に至るかが鍵であったといってよい。ところが、 ﹁出過三界﹂と﹁報仏来迎﹂という二つの難を貞慶はついに会通しきることができなくなり、西方願生を断念せざる をえなくなった。そこで、本来の伝統的な J ニ阿僧紙劫の仏道観﹂に立ち返り、まずは兜率浄土に上生し、次いで諸 仏に歴仕してさまざまな浄土を知見し、見仏間法して福慧の資魁を積集し、ついには無漏智を現行して不退転地(初 地)に至るという道を歩む決意をしたのである。それが建久六年正月のことであった。しかし、弥勅もまた本性は化 身の仏陀である。そこで、より来迎を受けやすい随類身の観音(沙門の形相)に帰依したというのが、貞慶の浄土信 仰のあり方であったといってよい。もちろん、貞慶が観音に帰依した大きな要因として寸大悲行の実践についての熱 闘 いまでの思い﹂寸弥陀への未練﹂等のあったことはいうまでもないが、浄土知見と仏尊来迎というこ点よりみると、 右のように考えられるのである。貞慶の信仰については現在までに種々に論じられているが、このような教学理論の 視点からの見方もまた、重要ではないかと筆者は考えている。 居しか望み得ない。そこで、 貞 鹿 の 強 口 薩 積 姓 自 覚 の 理 論 と 仏 道 観 ( 楠 ) 七 九

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