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仏教文化研究所紀要50 004林, 智康他「現代社会と浄土真宗」

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(1)

常設研究

現代社会と浄土真宗

主 研 究 員 現代社会と浄土真宗 任

)J

内藤知康

川添泰信

深川宣暢

鍋島直樹

杉岡孝紀

玉木輿慈

高田文英

岩田真美

田畑正久

葛野洋明

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JI 11 JI /) Jl J)

龍渓章雄

那須英勝

殿

井上善幸

井上見淳

清岡隆文

吾勝常行

五 九

(2)

現代社会と浄土真宗 六

O

混迷する現代社会において、浄土真宗の教えはどのように対応できるのか。また苦悩する現代の人々に対して、真宗の教学はいかに関わるこ とができるのか。親鷺聖人の教えの伝統をふまえて、現代社会の諸問題に積極的に取り組み、それぞれ専門の分野から研究を進めてきた。 初年度および二年度は、研究分野を浄土教理史・真宗教義学・真宗教学史・真宗伝道学の四グループに分け、各研究員がそれぞれ関心のある 問題を中心に研究テ

l

マを決め、研究会を定期的に聞き、また談話会を通して相互に研究内容を深めてきた。最終年度は、五人のメンバーを選 び、九月八日(木)龍谷大学大宮学舎で開催された日本印度学仏教学会第六十二回学術大会において、パネル発表﹁親驚聖人と現代﹂を行った。 パネル発表の代表者(コーディネータ

l

兼パネリスト)は葛野洋明がつとめ、その他のパネリストは殿内恒・玉木興慈・井上善幸・高田文英 で あ る 。 以下、パネル発表者の論文について掲載する。

真宗文献学の一視点│普遍性と個別性│

殿

'

真宗における営みすべての基盤となるのは、その前提となるべき教義を示す聖教すなわち真宗文献に他ならない。ここで、そうした真宗の営

(3)

為を支える真宗文献、中でも親鷲撰述を文献学的にいま現代、 どのように捉えていくべきかということについて、普遍性と個別性という視点か ら一つの姿勢を提示したいロ 本来、文献学において求められる基本姿勢は、 その文献に込められた撰者の意図や時代背景等、成立した文脈を念頭に置いたものであるべき で、たとえば近年の教理史分野での主な研究成果は、そうした姿勢のもとに成っている。だが従来こうした文献学的姿勢は、親鷲撰述を対象と する場合にも十全に取られていたとは言い難い。そこには信体験に基づく学問という真宗学の特殊性が深く関わってきたともいえるが、この特 殊性の過大視は、 ともすれば読み手の窓意的な解釈を許すことにもつながりかねない。そこで以下、教理史分野で用いられる手法を親鷲撰述に 適用することを通して、普遍性と個別性をあわせ見る姿勢について試論的に概説していくこととする。 この手法は、宗学の歴史の中では早くも明治時代、前田慧雲(一八五七

l

一 九 三

O

)

により﹁横的﹂手法に対する﹁竪的﹂手法として示され ていた。だが現実には、江戸時代の宗乗以来の流れの中で、各文献の文脈以上に親鷲の視点を中心に真宗文献を捉える姿勢が、長きにわたり宗 学、真宗学における趨勢であり続けてきたといえる。そのような中、池本(旧姓水田)重臣(一九二ニーー一九六八)による教理史的手法の提唱 は、小論の視点に連なる重要な意味を持つ。昭和戦前の水田姓での論文には、 真宗教義に於ける本質と非本質の確定、 とは、数多の聖教に示されてゐる種々の教義を平面的に眺めて本質と非本質の確定をなさんとする のである、此は当然竪の教理史の研究によって、純粋性と爽雑性とを明かにして初めてなし得るのである。:::而して此教理史の研究は単 に歴史的に羅列して帰納的方法に依て本質と非本質を定めるのでなくて、飽くまで現実の宗教体験を基礎として理解するのでなければなら ぬ。此処に教理史の教理史たる所以が存してゐるのである。 と、﹁宗教体験を基礎と﹂しながら﹁竪の教理史﹂の手法により﹁本質﹂と﹁非本質﹂を確定していくことの重要性が述べられており、ここに いう﹁本質﹂﹁非本質﹂が、小論でいう﹁並巨適性﹂﹁個別性﹂の内容にあたっている。つまり、真宗教義としての本質にあたる普遍的内容と、各 文献に固有個別の文脈や性格とをあわせ見ていく姿勢、教理史の名のもとに示されたこの姿勢こそ、真宗文献すべてに対して適用されるべき学 問的姿勢であると考えるのである。 こうした文献学的姿勢をもって親鷺撰述を考察していくに際し、まず書誌的な情報によると、﹁観経弥陀経集註﹄を除くすべての撰述は﹃教 現代社会と浄土真宗 -L. /¥

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現 代 社 会 と 浄 土 真 宗 ....J... / 、 行証文類﹂成立後の撰述であるということができる。つまり十数点に及ぶ親驚撰述とは、基本的に﹃教行証文類﹄において完成された普遍的な 教義内容を前提に、その内容を敷街する中に成ったものと見ることができる。ただし、ここで注意すべきは﹃教行証文類﹂という文献自体をそ のまま普遍的と捉えるべきではないということである。従来の真宗学には概して﹃教行証文類﹄の内容すべてを普遍的な真宗教義とする傾向が 見られるが、﹃教行証文類﹂といえど、ある文脈の中で成った一文献としての特性を免れることはない。文献学的に﹃教行証文類﹂を捉えよう とする限り、やはりその普遍性と個別性との両面を見ていくことは不可欠といえる。 ﹃教行証文類﹄は真宗教義の全体像を体系的に示した真宗における根本文献であるが、そこには対外的な意味を込めた体系的な枠組による説 示という特性がともなっている。ここでは、その特性の一端として仮・偽の説示、そして行・信の別聞について一瞥しておこう。まず、 一 般 的 な﹃教行証文類﹄の解釈に前五巻を﹁真﹂、第六巻を﹁仮﹂﹁偽﹂と捉え、﹁真﹂の他力浄土門に対して﹁仮﹂は自力浄土門並ぴに聖道門、﹁偽﹂ は仏教ならざる教えと分別して捉える枠組があるが、実は親鷺の文言を子細に見ていくと、﹁仮﹂と﹁偽﹂は必ずしも枠組として明確に区分さ れているわけではなく、実は﹁化身土文類﹂末尾の後序までを一貫する親鷲の姿勢として、承元の法難を引き起こした現実の朝廷と仏教界に向 け、﹁真﹂の仏教としての念仏往生の法門の正当性を宣揚する姿勢が、それ以外の仏教を﹁仮﹂、仏教外の教えを重んじる道俗のあり方を﹁偽﹂ とする説示の中に浮かんでくる。そして行・信についても、親鷲は題号にこそ通仏教的な教・行・証の枠組を示しつつ、その構成として﹁行文 類﹂とは別個に﹁信文類﹂を立て、その中でいわゆる二双四重等の説示をもって真宗教義の体系を示すのであり、さらにそこでは、法然に厳し い批判を向けた高弁(明恵)、貞慶らに代表される諸宗に対し、真実信を﹁菩提心﹂﹁金剛心﹂、その真実信を得た﹁真の仏弟子﹂を﹁便同弥勤﹂ と示す等、真宗教義の仏道体系を﹁信﹂の別聞を通して明確化していく姿勢が見出される。このように、﹃教行証文類﹄には法然から承けた念 仏往生の教えの正当性を、諸宗に向けて宣揚する対外的な姿勢が色濃く見出されるのであ明代こうした姿勢は他の親鷺撰述とは異なる﹃教行証 文類﹄の個別性として捉えるべきものと思われる。 実際、﹁教行証文類﹄に類する撰述の﹃文類緊紗﹄﹃三経往生文類﹄では、﹃教行証文類﹄とは異なり行・信をもっぱら一具のものとする説示 のみが見出される口﹃文類家紗﹄では、行の釈における﹁願成就の文﹂として﹃無量寿経﹄から第十七願成就文・第十八願成就文を一連に引き、 続いて﹁またのたまはく﹂として弥勤付属の文を引いている。従来の宗学では一般に、﹃教行証文類﹄の説示を前提として、第十八願成就文は

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信、第十七願成就文・弥勅付属の文は行に関する文と分釈し、続く箇所の﹁乃至一念﹂の追釈でも文言ごとに行・信を区分する形で釈している が、﹃文類家紗﹂自体の文脈に沿って考える限り、この一連の文言は分けて釈するべきものではなく、 れていると見るべきだろう。こうしたことは﹃三経往生文類﹄広本の大経往生の説示でも同様で、第十七願成就文・第十八願成就文が﹁称名・ 信楽の悲願成就の文﹂として一連に引かれる等、行・信を分けてする説示はまったく示されておらず、これらから考えると、﹃教行証文類﹄に 一貫して行・信を一具とする説示がなさ 見られる行・信を分けてする説示が、逆にその個別性を示すものとして浮かび上がってくるのである。 一方、内容的に﹁文意﹂の類といえる﹃唯信紗文意﹄﹃一念多念文意﹄﹃尊号真像銘文﹄について考えてみると、 その教義内容は従来の真宗学 において、﹃教行証文類﹄の説示内容を助顕する補助的存在として、個別の位置づけ抜きに受け取られてきた向きがある。もちろん﹃唯信紗文 意﹄なら﹃唯信紗﹄の、﹃一念多念文意﹂なら﹃一念多念分別事﹂の解説書という、 一定の独自性は担保されているが、親驚がそれらを撰述し た際に込めたであろう個別の意義が顧みられることは、これまでほとんどなかったといえる。 そうした中で、先年刊行された﹃唯信紗文意﹄の講本における、安藤光慈(一九五九

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)

の次の見解は注目に値する。 ﹃唯信紗文意﹄と同じく、聖教などの文意を示したものには、他に﹃尊号真像銘文﹄と﹁一念多念文意﹄とがある口成立としては﹃唯信紗 文意﹄が比較的古く、﹁尊号真像銘文﹄と﹃一念多念文意﹂とはほぼ同時期と考えられる。しかしながらその撰述の目的は、 やや異なるも のと考えるべきではなかろうか。:::その製作意図という点からこれをいえば、﹃唯信紗文意﹂はあくまでも﹃唯信紗﹄を読むことが大き な前提となっており 一 方 ﹃ 一 念 多 念 文 意 ﹂ は 、 まさに﹁一念多念分別事﹂とセットで読むように書かれている印象を受ける。:::それに やはり祖師方への讃仰ではなかろうか。 対して﹃尊号真像銘文﹄の中心となるのは、 ここには、各文献に固有の位置づけを見る視点が明確に示されている。こうした視点を持ってこそ、個別性を超えた普遍性を捉えていくこと が、より正確な形で可能となるだろう。たとえばそれは、﹁信心をうれば﹂﹁実報土にうまる﹂そして﹁浬繋のさとりをひらく﹂といった内容が ﹁浄土宗﹂﹁浄土真宗﹂の﹁正意﹂﹁むね﹂と示されていることにその一端を垣間見ることができる。﹁文意﹂としての個別性が含まれでもいるだ ろうが、ここに現生・当来を一貫する内容が見出される点に、最後に一つ注目を促しておきたい。 以上に見てきた通り、﹁教行証文類﹄を絶対視することなく、同時に他の各撰述にも個別の撰述意図を見ていくことが、時代を超えた説得力 現代社会と浄土真宗 -L... /、

(6)

現代社会と浄土真宗 六 四 を持つであろう、親驚撰述をめぐる真宗文献学に必要な姿勢と考える。真宗という法義の普遍性への視点を失わない中で、あわせて各文献の個 またその中にこそ、伝統宗学の有意義な問い直しも成立すること 別性を見ていくこと、これが今後の真宗文献学に求められる基本姿勢であり、 と な る だ ろ う 。 註 ( 1 ) 前回慧雲﹁宗学研究法如何﹂(内題﹁宗学研究に就て同窓会諸君に白す﹂、 ﹃六条学報﹄六、一九

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一年一二月)には、宗学研究の方法について四項目 を あ げ る 中 に 、 ﹁ ( 2 ) 従来の研究は、高祖を中心として、三経も七祖の論釈 も、皆それに当般て解釈する、所謂横的解釈である、:::そこで、是からは、 左の方法に改めたらぱ如何と思ふ、:::(2)三経は三経で解し、七祖は七祖 で釈し、高祖は高祖で研究して、竪的の関係変遷を研究いたすことに改めた し、従来の研究では、七祖を解釈するも、高祖眼に映じたる七祖にして、七 組そのものの当分解釈にはあらざるなり﹂(一八頁ー一九頁)と示している。 ( 2 ) 一例をあげると、一九四三年に刊行された大原性実﹃善導教学の研究﹄ (明治書院)は、一九七四年に同﹃真宗教学史研究﹄(永田文昌堂)シリーズ の第六巻に収録されており、ここでは善導教学も﹁教学史﹂すなわち親鷺教 義を前提とする枠組の中に捉えられている。 ( 3 ) 水田重臣﹁真宗学研究法私見│特に教理史の地位に関して│﹂(﹃真宗学会 会報﹄九、一九三八年二月︹後に池本重臣﹃親鷲教学の教理史的研究﹄所収、 永田文昌堂、一九六九年一二月︺)三一頁│三二頁。 ( 4 ) なお﹁本質﹂﹁非本質﹂の語には価値の優劣といった要素も見出し得るが、 そうした価値的な判断をまじえずに﹁普遍性﹂﹁個別性﹂の両国をあわせ見 ていくことが、本来あるべき文献学的姿勢であろう。 ( 5 ) ちなみに広略前後の問題とは、﹃教行証文類﹄という一文献をそのまま普 遍的な存在と捉える中に成ったものといえる。つまり﹃教行証文類﹄の四法 門という枠組を普遍的前提とする中に﹃文類衆紗﹄の三法門を捉えようとし たことから、この問題が生じてきたのであり、各文献を個別に捉える視点の もとで書誌的に考える限り、この問題は成立しないこととなる。この点につ いての詳細は、拙稿﹁﹃浄土文類衆紗﹄の位置づけに関する一考察│﹁乃至 一念﹂の解釈を契機として

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﹂ ( ﹃ 真 宗 学 ﹄ 一 一 九 ・ 一 二

O

合 、 二

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九 年 三 月 ) を 参 照 さ れ た い 。 ( 6 ) ﹃教行証文類﹄の枠組に見られる対外的な特性については、拙稿﹁﹃教行証 文類﹄にみる対外的姿勢│仏道としての枠組│﹂(﹃真宗学﹄一一六、二

OO

七年三月)を参照されたい。 ( 7 ) 他にも、たとえば﹁行文類﹂に諸宗の祖師の文を引くにあたり、多くの祖 師名に﹁台教﹂﹁律宗﹂﹁三論﹂﹁法相﹂﹁禅宗﹂と宗名をあわせ示すのも、各 宗に向付て﹁真実行﹂を宣揚する姿勢を示すものと考えられる。 ( 8 ) それぞれ具名には、﹃滞土文類衆紗﹄﹃浄土三経往生文類﹄とある通り﹁浄 土﹂﹁文類﹂の語が示されており、このことは親鷲撰述の中で、﹃顕浄土真実 教行証文類﹄すなわち﹃教行証文類﹄を加えた三本にのみ共通している。 ( 9 ) 詳細は、前掲拙稿﹁﹃浄土文類緊紗﹄の位置づけに関する一考察﹂参照。 (叩)ちなみに﹃三経往生文類﹄略本では、行(第十七願)についての引文・釈 等は示されず、信(第十八願)と証(第十一願)のみの構成となっている。 (日)安藤光慈﹃唯信紗文意講読﹄(永田文昌堂、二

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一一年七月)二四頁

l

六頁。なお﹃尊号真像銘文﹄について二自問しておくと、これはいわゆる布教 伝道の場、それも名号本尊や祖師の絵像等に付された讃文を前にしながら、 一般の大衆に向げて教義の内容や祖師方の事績を紹介するといった、一般性 が求められる場での使用を目的に撰述されたものではないか、というのが論

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者の私見である。 (ロ)もちろん真宗教義において現生・当来を混同することは許されないが、こ れらの文言から現生・当来を一貫する法義として真宗を示そうとしていた親 驚の姿勢が窺われることも、また否定できないことと思われる。 (日)これまでの学問的営為の中で生み出されてきた各文献を、それぞれ固有の 文脈のもとに捉え直すことは、その学問的営為の新たな意味を見出すことに つながり、そこに、真に学問的な伝統宗学そのものの問い直しが成るものと 考 え る 。

親鷺思想における大行・大信の思想

i

め 思想に立ちつつ、現代社会の課題の一つである﹁縁﹂﹁共生﹂ 親鷺が明らかにした浄土真宗という仏教は、衆生から仏への仏道ではなく、阿弥陀仏の廻向による仏教である。この弥陀廻向の大行と大信の の語について、考究したい。

﹁共生﹂リ﹁共に生きる﹂の概念は、﹁人間と自然の共生﹂﹁他民族・多文化の共生﹂﹁障がい者との共生﹂﹁男女の共生﹂などと用いられ、﹁共 生は理論的課題であると同時に、すぐれて日常の行動的課題﹂と記されるように、二十一世紀の人類の課題ということができる。この共生思想 は、椎尾弁匡(一八七六

I

一九七ご の﹁共生運動﹂が一つのル

l

ツと言われている。椎尾の論拠は善導﹃往生礼讃﹂ の﹁弥陀智願海 深広無 涯 底 聞名欲往生 皆悉到彼国 願共諸衆生 往 生 安 楽 園 ﹂ ( ﹃ 真 聖 全

I

﹄六五八頁) である。また真宗七高僧の、天親﹃浄土論﹄には﹁願見弥 陀 仏 普共諸衆生 往 生 安 楽 園 ﹂ ( ﹃ 真 聖 全

I

﹄二七

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頁 ) とあり、源信﹃往生要集﹄ には﹁共生極楽成仏道﹂(﹃真聖全

I

﹄七八四頁) と あ り 、 現代社会と浄土真宗 六 五

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現代社会と浄土真宗 六 六 浄土真宗の聖教・文献においては、 いずれも﹁共に往生する﹂という意で用いられている点をまず第一に注意しておきたい。対して、﹁共に生 きる﹂意味での﹁共生﹂は、縁起の思想に基づいて、﹁すべての存在は縁って起っているものであり、それだけで独立自存する実体的なものは ない。すべての存在は相互に支えあっている。﹂と語られているロ しかし、縁起によってのみ語るのでは不十分である。 つまり、縁起とは﹁相依性﹂ではなく、﹁一方向﹂の関係性として受付とめるのが理解 の一つであり、﹁双方向﹂は﹁縁起﹂の総てではないということである。﹁共に生きる﹂意味での﹁共生﹂の仏教的理論背景としての縁起に、 ﹁すべてのものは互いに関係し合い、互いに支え合って存在している﹂という意味・価値を付加して来た点に、一つの問題点があると考える。 かかる点を問題提起とし、親鷲の﹃教行信証﹄に見られる大行・大信の思想に立って、﹁共生﹂についての愚考を示してみたい。

弥陀廻向の仏教

親驚思想の大きな特徴として﹁廻向﹂があることは、﹃教行信証﹄官頭に﹁つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の廻向あり。 一 つ に は 往 相 、 二つには還相なり。往相の廻向について真実の教行信証あり﹂(﹃真聖全

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﹄二頁)と明示されている点にうかがうことができる。この文の﹁往 相の廻向について真実の教行信証あり﹂を承けて、﹁行巻﹂﹁信巻﹂冒頭でそれぞれ﹁つつしんで往相の廻向を案ずるに、大行あり、大信あり。 大 行 と は ・ : : : : ﹂ ( ﹃ 真 聖 全 H ﹄五頁)、﹁つつしんで往相の廻向を案ずるに、大信あり口大信心は::::・﹂(﹃真聖全日﹄四八頁)と明かされ、 ﹁信巻﹂﹁証巻﹂では﹁しかれば、もしは行、もしは信、 一事として阿弥陀如来の清浄願心の廻向成就したまふところにあら、さることあることな し。因なくして他の因のあるにはあらざるなりと、知るべし﹂(﹃真聖全

H

﹄五八頁)、﹁それ真宗の教行信証を案ずれば、如来の大悲廻向の利益 なり。ゆゑに、もしは因、もしは果、 一事として阿弥陀如来の清浄願心の廻向成就したまへるところにあら、さることあることなし。園、浄なる がゆゑに果また浄なり。知るべしとなり﹂(﹁真聖全日﹄ 一

O

六頁)と御自釈に於いて記され、廻向が弥陀の廻向であることが強調される。

﹁行巻﹂所説の大行と﹁信巻﹂所説の大信

﹁行巻﹂所説の大行の理解については、所行・能行、広讃・略讃等、撤密な論議がなされているが、﹁往相廻向の行﹂としての大行の第一義と

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して、﹁衆生を往生せしめる為に阿弥陀仏が廻向した行﹂と解釈することができる。未信の衆生が自身の往生のために修する行ではなく、獲信 者の報恩の意で修する行でもなく、未信の衆生を往生せしめる行が大行ということである。﹃教行信証﹄全体の構造が、親鷲の獲信に顕わにな った事態であるならば、﹁行巻﹂の行は、親驚を獲信に導いた行である。それは直接的には、﹃歎異抄﹄第二条に﹁親驚におきでは、 ただ念仏し て弥陀にたすけられまゐらすべしと、 よきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり﹂(﹃真聖全 H ﹂七七四頁)と示される法然の説 法であり、法然を含めた七高僧の念仏であり、釈迦諸仏の念仏である。その根抵に阿弥陀仏の衆生に対する選択本願の行・浄土真実の行がある のである。裟婆・繊土に生きる衆生に対する阿弥陀仏の動態を、大行ととらえたい。 同様に、﹁信巻﹂所説の大信についても、註

1

の拙稿で論じた知く、第一義的には、阿弥陀仏の信心を大信と理解すべきであると考える。大 信釈から=二問答・菩提心釈へ至る一連の流れに於いては、御自釈・引文を通じて、衆生の不実なる心に対し、阿弥陀仏の真実心が顕らかにさ れる口この弥陀の真実心が無縁の大悲であり、この無縁の大悲の動態が廻向として、﹃教行信証﹄の軸となっているのである。 ﹃教行信証﹄に即して語るなら、﹁私が阿弥陀仏と共にある﹂のではなく、﹁阿弥陀仏が私と共にある﹂と語ることができる。

﹃歎異抄﹄第五条にあるご切の有情はみなもって世々生々の父母・兄弟なり﹂(﹃真聖全 H ﹄七七六頁) の文よりすれば、﹁共に生かされてい るから大切にしたい、大切にすべきである﹂と言い得るが、我々衆生の現実相は﹁共に生きるべき他の命を互いに喰い合わねばならない﹂姿で ある。この点を、大谷光真本願寺門主は、次のように示す。 ご切衆生なのだから﹂という生き方と﹁一切衆生なのだけれども﹂という生き方がある。可能な部分と不可能な部分、両方がある。人間 として生きていく以上、すべて一切衆生というわけにはいきません。あらゆるいのちを完全に平等に扱っていたら生きていけない。しかし、 ﹁一切衆生なのだけれど、自分にはここまでしかできない﹂という考え、考えというより感じ方が節度を生み出していくのです。 通仏教的には﹁人と人とは互いに支え合う﹂と言い得たとしても、親驚の厳しい人間観に立てば、﹁人と人とは互いに喰らい合う﹂という視 点も見過ごすことはできない。であるとするならば、﹁人と人とが共に生きる﹂というのは美しい標語としては可能であるが、現実には不可能 現 代 社 会 と 浄 土 真 宗 /, 七

(10)

現代社会と浄土真宗 な命題といわねばならない。親鷲の仏教に於いて﹁共生﹂(共に生きる)を語るならば、﹁人と人との共生﹂ではなく、﹁阿弥陀仏と人との共生﹂ 1¥ J¥ が論じられねばならない口﹃教行信証﹂ に即して言うならば、﹁私が阿弥陀仏と共にいる﹂というのではなく寧ろ、﹁阿弥陀仏が私と共にいる﹂ またその事実によってのみ、 ということである口﹁阿弥陀仏は

A

さんと共にいる﹂﹁阿弥陀仏は

B

さんと共にいる﹂という事実において初めて、 ﹁

A

さんと

B

さんは共にいる﹂と論じられるのである。 と共に生きる者として、共に集うことにおいて、共に生きる﹁共生﹂ 生きとし生きるもの全てが、皆、阿弥陀仏と共に生きることにおいてのみ、平等と言い得るのである。阿弥陀仏と共に生きる者が、阿弥陀仏 のぬくもりを知り、共に往生する﹁共生﹂も成立するのである。 註 ( 1 ) 大行・大信の思想をうかがう時、﹃教行信証﹄﹁行巻﹂﹁信巻﹂を丁寧に解 読せねばならないが、本稿は、いわゆる行信論を論じるものではない。筆者 の﹁行巻﹂﹁信巻﹂の理解の一端は、次の拙稿を参照されたい。﹁﹃教行信証﹄ 行巻の行!称名破満釈を中心に│﹂﹃龍谷大学論集﹄四七四・四七五合併号、 二

O

O

年。﹁﹃教行信証﹄﹁信巻﹂の構造│親鷲の仏道の学び

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﹂ ﹃ 真 宗 研 究﹄第四七輯、二

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三年。﹁親驚思想における﹁常行大悲﹂の意味﹂﹃真宗 学 ﹄ 第 一

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九 ・ 一 一

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合併号、ニ

OO

四年。﹁親鴛思想における疑蓋の意味﹂ ﹃真宗学﹄第一一一・一一二合併号、ニ

OO

五年。﹁親鷲思想における無碍の 意味﹂﹃真宗学﹄第一一四号、ニ

OO

六 年 。 ﹁ ﹃ 教 行 信 証 ﹄ に お け る ﹁ 金 剛 ﹂ の意味こ)﹂﹃真宗学﹄第三三了一二四合併号、二

O

一 一 年 。 ﹁ ﹃ 教 行 信 証﹄﹁信巻﹂逆詩摂取釈について﹂﹃典籍と史料﹄(﹃龍谷大学仏教文化研究所 善 本 叢 書 幻 ﹄ ) 、 二

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二年。 ( 2 ) 紀平英作編﹃グローバル化時代の人文学 l 対話と寛容の知を求めて l ︿ 下 共生への聞い﹀﹄京都大学学術出版会、二

OO

七 年 。 ( 3 ) 詳細は、拙稿﹁仏教共生学の構築に向けて l 親驚の思想に立脚して l ﹂ ﹃地球と人間のつながり l 仏教の共生観│﹄法蔵館、二

O

一 一 年 。 ( 4 ) この主語の違いは看過すべきではない。同様に、﹁私が阿弥陀仏に救われ る﹂という表現と﹁阿弥陀仏が私を救う﹂という表現も、その相違を厳密に 区別すべきである。﹁正信念仏偏﹂源信章にある﹁我亦在彼摂取中煩悩障 眼雌不見大悲無倦常照我﹂の三句についても、﹁我﹂﹁煩悩﹂﹁大悲﹂がそ れぞれの句の主語であることを動かしては、全く意味をなさない。 ( 5 ) ﹃愚の力﹄文春新書、二

OO

九 年 、 五 二 頁 。

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親驚の証果論の解釈をめぐって

親驚の証果論理解には、①現生正定衆、②往生即成仏、③還相に関する三つの特色がみられる。本論では、親鷺が示す還相が、これまでどの ように解釈されてきたのかという問題に関心を絞り、現代における伝道ということも視野に入れつつ、若干の考察を加えてみたい。なお、特定 の教義概念の諸理解を検討する場合、解釈の歴史的変遷を概観したり、代表的な先哲・研究者の見解を解説しながら議論の展開をあとづける方 法などがあるが、還相をめぐる解釈は非常に多様である一方、各説の論者の間で論争が必ずしも展開されていないという現状がある。そこで、 ここでは様々な見解を類型化し、それらの解釈の背景をなす論点を整理しながら考察を進めていきたい。

還相解釈の三つの類型

個々の解釈の検討に入る前に、還相について教理史的な展開を概略しておこう。浄土教独自の行業を示した世親の﹃浄土論﹄では五念門とい う行道体系が示されるが、その注釈を著した曇驚は、五念門の第五・回向門を、往相と還相という二種の相によって解釈する。この場合の回向 とは、自らが得た功徳を他者に振り向け与えることを意味しており、往相とは、生きとし生けるものすべてを阿弥陀仏の浄土に往生させるため に、自らが得た功徳を一切衆生に振り向け与えて(回向)共に往生を願うすがたであり、還相とは、浄土に往生した後、応化身を示して再びこ の迷いの世界に還り来たって、苦悩の衆生を救っていくすがたである。両者は本来、仏果を得るための回向行の二種の相状を表しており、共に 浄土教の利他の側面をあらわす教義概念である。伝統的な理解では、還相は浄土往生後に仏果を目指して実修される因行として理解されてきた が、往生即成仏を説く親鴛は、還相を仏果を得た後の大悲の必然的展開として理解している。しかし、その説明は、曇鷲の﹃往生論註﹄の引用 現代社会と浄土真宗 /¥ 九

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現代社会と浄土真宗 七

によっており、しかも浄土における菩薩のすがたをもって還相の釈に当てるため、その具体相について親鷺がどのように解釈していたかという 問題について、見解が分かれている口 還相解釈の第一の類型は、日本古来の他界観念との関連において浄土往生や還相を論じる立場である。この立場を代表するものとしては梅原 猛氏の説や阿満利麿氏の説を挙げることができる。両者はともに親鷺における浄土往生の理解が﹁古来から日本人が持ち続けた︿あの世﹀衡に や、﹁伝来の民族宗教における他界観停を、仏教的に再解釈して復権させたとみており、生まれ変わりということについて、迷いの生と死を 繰り返す輪廻転生ではなく、新たな宗教的価値を見出す教義概念として評価している。 もっとも親鷺の還相の思想は、あくまで教理史的な背景をもとに展開したものであり、﹁日本古来﹂の死生観を強調する説には批判も見られ る。しかしながら、近年、還相について様々な解釈が示されるようになってきたということは、換言すれば、これまで特に取り立てて還相の具 体相については議論がなされてこなかった、 ということを示している。その意味では、││教義概念の理解という問題をいったん棚上げにして ││還相が素朴な死生観の中で受け止められていたと理解することも可能であるかと思われる。 第一の類型が死後の他界の観念と関連づけて還相を理解するのに対して、第二の類型は、還相を浄土願生者の獲信以降の具体的生活の中で論 じようとする立場である。この立場では、還相は獲信者の今ここでの宗教的生活や社会的実践との関わりにおいて理解される。この説が提示さ れる背景には、第一の類型に見られた素朴な他界観を受容し得ないという我々の死生観の変遷が横たわっているが、より直接的には、真宗教義 の倫理的価値体系の欠落を指摘する髄や、伝統的な真宗の死生観・成仏観を批判する純に触発されるかたちで、教学的な対応を試みた理解であ る と ヰ = ロ え る 。 ただし、還相を社会的実践などと関連づける解釈を、親驚自身は示していない。そのため、第二の類型に見られる解釈は、文献学的な手法に よる親鷲教義の解釈から必然的に導き出されるというより、社会的実践の原理や倫理的価値体系の構築という課題に対して、真宗の信仰がいか なる役割を果たし得るかという課題設定のもとで還相を論じようとしたものだと言える。 第三の類型は、還相を真宗との値遇を促すはたらきかけとして理解する立場であるロ還相を社会的実践との関連において論じる第二の類型に おいて、還相の主格として私自身が想定されるのに対して、促しとしての還相の主格は他者とされる。その他者が、具体的にはどのような存在

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かという点については解釈が分かれ、大別して、如来のはたらきと見る立場、解釈を拡大して、釈迦、諸仏、祖師や、 ろに遍在するとする立喝さらには聖道門も還相の具体相とみる立働どどがある。 さらには人生の至るとこ 聖道門を還相の具体相の一例とみる立場は、﹁化身土文類﹂に見られる﹁利他教化地益﹂の親驚による解釈を論拠とするものであり、還相の 主格を知来とする立場とは一線を画するが、私の往相が、根源的には阿弥陀知来の還相によって成立するという理解は多く見られ、 一 定 の 支 持 を得ている。しかしながら、この理解が妥当性を持つためには、阿弥陀知来自身が往相するという理解を明示する必要がある。この問題につい て、江戸期の宗学者である深励こ七四九

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一 八 一 七 ) はないという見解を示している。 は、往相と還相はあくまで衆生の上で語られるべきであって、知来の上で論じるもので また、﹃往生論註﹄において、還相に関して﹁応化身を示す﹂という説明がなされ、親驚が師である法然に対して化身と見なす理解を示して いることから、還相と化身とを関連づける理解もあるが、還相はあくまで往相と対になった教義概念であるから、崇敬という情念的現象を土台 とした化身の概念とは区別すべきという見解もある。

親驚における還相の思想

還相に関する以上のような解釈の幅は、そもそも、親鷲自身が和語聖教や消息において、自らの言葉によって明確に還相の具体相について規 定していないという点に由来すると思われる。したがって、還相の具体相について解釈を示したところで、それらはいすれも厳密な文献解釈か ら導き出されたものではないということになる。 ところで、親鴛は、還相だけでなく、往相についても具体的な言及をしていない。往相と還相とは、阿弥陀仏によって回向される浄土真宗の 綱格をなす教義概念であるが、親鷲は、還相だけでなく往相についても、具体的な規定をしていないのである。ということは、 むしろ自明なこ ととしてあえて論じる必要がなかった、 ということを示していると理解することも可能である。浄土往生と成仏の関係について、親鷲以前と親 驚自身の理解の聞に相違は見られるものの、浄土往生の目的については、浄土教理史上、 一貫した理解が見られ、それらはいずれも浄土に往生 した後に大悲が完成するとみる。 現代社会と浄土真宗 七

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現代社会と浄土真宗 還相を今ここでの自分のあり方に重ねる理解は、往々にして、未だ経験していない死後の浄土往生は不確かでリアリティがないという不安と 七 表裏をなしている。あくまで私自身の上で、すべて実感をともなう経験として語ろうとすれば、還相だけでなく往生も今ここでの問題として語 らざるを得ない。還相を今ここでの私の行為ゃあり方として理解する立場は、現生正定衆と往生を重ねる立場の必然的な帰結でもある。しかし やはりそのリアリティを持ち得な いと思われる。還相の具体相とは何か、 ながら、浄土往生にリアリティを持ち得ない者は、結局のところ、還相についていかなる解釈を施そうとも、 という主題のもと、真撃な論究がなされる一方で、伝道の現場などで、取り立てて言挙げすることなく 還相の教義が受け容れられているという状況は、浄土往生のリアリティをめぐる相反する立場の反映とみることも可能であろう口 もちろん、還相の具体的なすがたを我々が完全に把握することは不可能である。不断の大悲は我々が認識するしないにかかわらず、 つねには の具体相とは、私自身の上で語るならば、 たらき続けているからである。しかし、自身の往相についてリアリティを持つ者は、同時に還相についてもリアリティを持つはずである。還相 それは浄土に往生して仏果を得て後の大悲の救済活動ということになるし、他者の上で語るとするな いま現在私たちに働きかけている大悲のすがたと見るのが、 らば、阿弥陀仏の本願に出遇って今生の命を全うし、すでに浄土に往生した方が、 穏当と考えられる。 註 ( 1 ) 梅原猛﹃日本人の﹁あの世﹂観﹄中央公論社、一九八九年。 ( 2 ) 阿満利麿﹃中世の真実│親鷺・普遍への道﹄筑摩書一周、一九八二年。 ( 3 ) 山崎龍明﹁親鷲の二種回向論│梅原猛氏の﹁生まれ変わりと還相﹂への疑 義﹂﹃印度学仏教学研究﹄四三

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一 、 一 九 九 四 年 。 (4)森龍吉﹁還相廻向の問題点﹂(﹃宗教研究﹄一七

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、一九六一年)、野間宏 ﹃ 親 鷲 ﹄ ( 岩 波 書 店 、 初 版 一 九 七 三 年 ) 、 川 上 清 士 口 ﹁ 還 相 廻 向 ﹂ ( ﹃ 教 化 研 究 ﹄ 八、一九五五年)、武内義範﹁往相と還相﹂(﹃親鷺教学﹄ニ八、一九七六年) な ど を 参 照 。 ( 5 ) 加藤周一﹃日本文学史序説﹄(筑摩書房、 つ て の 親 鷲 ﹂ ( ﹃ 続 ・ 親 鷺 を 語 る ﹄ 三 省 堂 、 一 九 七 五 年 ) 、 家 永 三 郎 ﹁ 私 に と 一 九 八

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年 ) な ど を 参 照 。 ( 6 ) 久松真一﹁還相の論理﹂(﹃久松真一仏教講義﹄第三巻、一九四八年)、岡 ﹁究極の仏教的生活としての還相行﹂(﹃大谷学報﹄二九│二、一九四九年) な ど を 参 照 。 ( 7 ) 曾我量深﹃大無量寿経聴記﹄(丁子屋書店、一九五三年)、旧辺元﹁親惜の 三願転入説と憐悔道の絶対還相観﹂(﹃慨悔道としての哲学﹄岩波書庖、一九 四六年)、寺川俊昭﹁親惜の二種目向論﹂(﹃宗教研究﹄二八三、一九八九 年)、同﹁願生の仏道│親鷲の二種回向論﹂(﹃藤田宏達博士還暦記念論集イ ンド哲学と仏教﹄所収、一九八九年)などを参照。 ( 8 ) 亀井勝一郎﹃親鷲﹄(創元社、一九五

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年)、神子上恵龍﹃真宗学の根本問 題﹄(永田文昌堂、一九六四年)などを参照。 ( 9 ) 稲葉秀賢﹁還相廻向の表現﹂(﹃大谷年報﹄第十号、 一 九 五 七 年 ) 、 普 賢 大

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円﹃真宗概論﹄(永田文昌堂、一九五

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年 ) な ど を 参 照 。 (叩)親鷲は﹃入出二門偶﹄において、伝統的に阿弥陀仏の浄土に往生するため の行として理解されてきた五念門行について、法蔵菩薩が修めたという理解 を示している。ことから阿弥陀仏自身の上で往相と還相を語る根拠を見出す 理解もあるが、親鷲が﹃入出二門偶﹄において示すのは、あくまで法蔵菩薩 │阿弥陀仏の入出の功徳であって、往還の相ではない。この問題については、 他稿において論じたいと思う。 (日)気多雅子﹃宗教経験の哲学│浄土教世界の解明﹄創文社、一九九二年。 (ロ)もっとも﹁証文類﹂では﹃往生論註﹄の引用によって還相の具体相が示さ れており、引用の形態や漢文訓読から親鷲が還相について、どのような教義 学的解釈を示しているかを論じることは可能である。

須弥山説と現代

須弥山説は﹃阿毘達磨倶舎論﹄ の﹁世品﹂をはじめ、広く仏典のなかに見え、印度・中国・日本へと、仏教史のなかで伝統的に継承されてき た世界観であるロすなわち、世界の中心には須弥山がそびえ、その周囲を日・月・星辰がめぐり、 また須弥山を中心に九山八海が交互に囲み、 さらにその外周の四方に、人聞が住む南膳部洲をはじめとする四大陸があり、この地表世界を金輪・水輪・風輪の三層が支えているという。 時の一般的世界観と連絡を有しながらも、 この須弥山説の成り立ちに関しては、古代インドの﹁いわば学術的常識に拠ったもの﹂でありつつ、﹁漸次これを仏教流に改造し、初めは当 またこの聞に一流の特色を発揮するに至った﹂ものと言われている。須弥山説は天動説であり、また 大地平坦説に立つが、こうした世界構造には、当時の学術的常識が反映されていることは疑うべくもないであろう。 そして日本では、近世後期から近代にかけて、西洋の科学的な世界観である地球説・地動説が市民権を得ていくなか、伝統的な須弥山説をど う考えていくべきか、仏教者のなかで大きな問題とされたのである。 今、当時の議論の詳細を振り返る余裕はないが、全体の傾向としては、仏教側においても須弥山説を廃することが近代的な仏教であるとの考 え方が主流となっていったものと言えよう。その一つとして、ここでは井上円了こ八五八

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一 九 一 九 年 ) の言葉を挙げておきたい。 現代社会と浄土真宗 七

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現代社会と浄土真宗 七 四 釈尊の精神、思想は実に無限絶大、高妙不可思議なるも、 ひとたび人間界に生まれて人間的生活をなすにあたりては、吾人と同一なる感覚 的境遇にありて、同一なる感覚的現象を見ざるべからず。・:しかしてこの天地万有は吾人の感覚上に現立せる諸象にして、天文も地質も物 理 も 化 学 も 、 みな感覚上に成立せるものなり、地球説も分子説も元素説も、またみな感覚上研究の結果なり。 ゆえに、もし釈尊は吾人と同一種の感覚を有するものとなすときは、これらの感覚に属する学問や実験は、釈尊必ずこれを既知せりとな 従 す つ を て 要 可 せ な ず りす 0 0 -か く

と き は その当時の定むるところに一任し、釈尊の時代にありてはその当時の説に従い、今日にありては今日の説に このように井上円了は、釈尊が地理的な知識においても、全てを知り尽くしていたと考えねばならない必要性はなく、釈尊は当時の学術的知 識に従ったまでであり、今日にあっては今日の学説に従えばよく、それが﹁怪奇的宗教﹂ではなく﹁常理的宗教﹂である仏教のとるべき道であ ると論じている。 そして明治以降の仏教界は、殊更に表明しなくとも、仏教は科学と矛盾しない、それが仏教の特性の一つであるとの考えのもと、科学的世界 観を受け入れてきたものと思われる。それが今にまで繋がっていることは、こうした井上の仏教世界観に関する見解が、現代の我々の感覚から してもそれほど違和感を生じさせないところからも、窺知されるのである。 しかし、仏教の世界観の問題を、自然科学的な知識の問題にすべて還元してしまうことには、慎重な態度が必要であることにも注意を払わね ばならない。例えば小野玄妙氏は、須弥山説の特質について次のように述べられている。 人智は発達し科学は進歩した、併かし如何なるものが宇宙の本体であるか、又如何なる力が万象を惹き起してゐるのかといふ根本問題にな ると、結局最新科学の知識でも解釈はつかない。そこへゆくと敢て我田引水の説を立てる訳ではないが、心を宇宙の本体とし業を万象を起 す原力とする我が仏教の学説は、諸方面の学説に超越して含蓄が尤も多い。 また定方愚氏は、次のように論じられている。 仏教宇宙観の底に流れているものは、業と輪廻の思想である。これらの思想が、この宇宙観の生みの親といっても、 いいかもしれない。こ れはあきらかに宗教的宇宙観であって、今日の科学的宇宙観のように、人間の存在を離れても意味をもつような宇宙観ではない。仏教宇宙

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観がなんのために説かれているかといえば、 まさに人間存在の業と輪廻の姿を明かにするためなのである。 両氏の指摘にあるように、仏教の世界観である須弥山説は、 その中で﹁人間存在の業と輪廻の姿﹂を語り、我々はどこから来てどこへ行くの か、また我々は何を求めるべきなのか、 といった人生の意味や方向性が語られていると言えよう。 こうした点に留意するならば、現代において天動説・大地平坦説をとる須弥山説をそのまま主張することは困難であるにしても、業と輪廻の 思想は、仏教にとって本質的なものであり、これが否定されるならば、輪廻からの解脱を目的とする仏教そのものの存在意義もまた極めて暖昧 なものとなるであろうと思われる。真宗学においても、業と輪廻の思想は、機の深信の内容と密接に結びついており、これらの思想を抜きにし た真宗の信心というものはあり得ないと言わねばならない。 翻って現代の科学的な世界観はどうかと言えば、基本的に業も輪廻もその世界観の中には位置づけられることはない。無論それは、科学によ る業や輪廻の思想の積極的な否定を意味するのではなく、実証不能の領域に置かれていると言うほうが適当かもしれないが、 いずれにせよ今日 の我々が信頼を寄せる科学的な世界観に、業や輪廻の思想が位置づけられないという事実は、多くの現代人をして、これらの思想を古代の迷信 として否定させる大きな要因となっているであろう。ここに、仏教の須弥山説と現代の科学的な世界観との看過できない相違点がある。 こうした観点からすれば、古代の地理的知識にもとづいた須弥山説が、現代の自然科学の水準から見れば不十分であるのと同様、現代の科学 的世界観もまた、仏教の立場からする限り、業や輪廻の思想と同じ位相の領域を解明できていない点において十分とは言えないと、このように 現代の科学的世界観をも、ある種相対化して見ていく視点がどうしても必要となるであろう。 宗大谷派僧侶であった南保神輿こ八一四

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一八八七年) そしてこうした視点をもって、すなわち業と輪廻の思想に足場をおいて、科学的世界観に対していくあり方は、すでにその先例を、明治の真 の上に見出すことができる。紙数の都合上、 の﹁往生要集乙酉記﹄(一八八五年講義) 原文を略するが、南傑神興は、西洋の地球説にもとづいて地獄の存在を否定する論難(南膳部洲の地下四万由旬にあるとされる無関地獄は、地 球の裏側を通り越してはるかアメリカの上空にあることになる) に対し、﹁人間ノ業果ノ目﹂によって見ている世界を、世界の全てであると考 えているその前提自体が、仏教の世界観からすれば﹁笑フベキノ愚難﹂であると論じているロ つまり、科学的な世界観では、客観的で固定的な 世界というものがただ一つ存在していることが当然の前提とされているが、仏教の世界観は業の感見にもとづく重層的な世界観を説くのであっ 現代社会と浄土真宗 七 五

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現代社会と浄土真宗 七 /¥ て、我々が見ているのは、 その重層的な世界の一面にしか過ぎないのだと言うのである。 南僚神興の言葉からは、科学的な世界観を、ただ無批判に受け入れていくのではなく、業や輪廻の思想に立脚しながら、科学的な世界観に対 して仏教世界観の独自の立場を示していこうとする姿勢が窺われるのであって、現代においても参考とすべきものがあると言えよう。 ただし、こうした南傑神興の解釈に従えば、現代においても須弥山説のままでなんら問題ないのかと言えば、必ずしもそうとは言えない面が 残る。南僚の説では、地獄だけでなく、須弥山などのもともと古代インドの地理的な常識(それは古代インドの人々にとっては目の前に広がる 日常の世界であった) から成り立っているであろう部分までも、感見の不同によって、我々の業果の自には見えないだけと解釈することで、教 説の真実性が保守されている。 しかし、須弥山説と現代の自然科学の世界観との相違をすべて業による感見の不同で捌くとなれば、須弥山説のほぽ全ては﹁我々にとっては 目に見えない世界﹂とならざるを得ないであろう。それでは、論理としては須弥山説を守ることができたにせよ、本来、須弥山説が果たしてき た﹁人々の生きる実感と一つとなった世界観﹂とでも言うべき信仰生活上の意義は、満足には果たし得ないのではないだろうか。 ここに、須弥山説は古代インドという時代的な制約のなかで生まれた世界観であるという事実が不可避的に内包する一つの限界があることを 認めねばならない。もはや自然科学の知見に対し、単なる否定や領域の棲み分けという対し方だけでは、十分ではないであろう。今後求められ る一つの方向性として、自然科学の知見にもとづく世界観を柔軟に受け入れつつ、 しかも仏教思想との繋がり・接点を探っていくことが求めら れるものと考えたい。 勿論それは、決して科学と仏教の境界をなくすことを意図するものではない。科学が仏智の領域の全てを解明できるとは考えがたいであろう し、先述のごとく、科学的世界観の有限性を見定め、仏教存立の地歩を明らかにすることも常に必要である。 今言うところの両者の繋がりとは、科学に現代人が仏教の言説を受けとめる上での媒介としての可能性を認めることと表現できよう。そもそ もの課題は、現代の仏教者たる我々が仏教・浄土真宗の教えをいかに実感をもって受けとめていくことができるかにある。そうであれば、自然 科学の知見を、我々をして仏教から遠ざける障害とするのではなく、むしろより身近に具体的に仏教を味わうための糧とし、 また仏教への橋渡 しとしていくような試みが必要である。こうした観点から、科学的な知見と仏教思想との繋がりをもった世界観というものが、今後模索される

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べきであると言えよう。課題は多いが、 ともかくの問題提起として稿を終えることにしたい口 註 ( 1 ) 木村泰賢司木村泰賢全集第五巻小乗仏教思想論﹄(大法輪閣、一九六八年 ︹もとは﹃木村泰賢全集第四巻小乗仏教思想論﹄、明治書院、一九三七年︺) 二 七 一 頁 。 ( 2 ) 井上円了﹃妖怪学全集第一巻﹄(柏書房株式会社、一九九九年︹もとは ﹃ 妖 怪 学 講 義 ﹄ 、 哲 学 館 、 一 八 九 四 年 ︺ ) 三 八 八 頁 。 ( 3 ) 井上円了前掲書、三八八

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三 八 九 頁 。 ( 4 ) 小野玄妙﹁仏教天文学(第八こ(﹃現代仏教﹄三三、大雄閣、一九二七年) 一 四 二 頁 。 ( 5 ) 定方最﹃須弥山と極楽﹄(講談社現代新書、一九七三年)一一九頁。 ( 6 ) 仏教にとって輪廻思想は本質ではない、釈尊は輪廻思想を否定した等の見

現代における真宗伝道の課題

は じ め 解もあるが、こうした見解への反論は﹁﹁輪廻転生﹂は﹁諸法無我﹂と矛盾 す る か ﹂ ( ﹃ 龍 谷 教 学 ﹄ 四 二 、 二

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七年)などの、松尾宣昭氏の一連の論考 に詳細であり参照されたい。 ( 7 ) 善 導 ﹃ 観 経 疏 ﹄ ﹁ 散 善 義 ﹂ 二者深心。言諌心-者、即是深信之心也。亦有乙一種山一者決定深信=自身現 是罪悪生死凡夫、噴劫己来、常設常流転、無 p 三 出 離 之 縁 ↓ ( ﹃ 真 宗 聖 教 全 書﹄一、五三四頁) ( 8 ) ﹃真宗大系﹄一二、二六八

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二 六 九 頁 一 U なお、本稿で取り上げた南候神輿 の見解については、拙稿﹁真宗先哲の地獄論│近世・近代を中心に l ﹂ ( ﹃ 真 宗研究﹄五六、二

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二 一 年 ) に て 検 討 を 加 え た 。 葛

浄土真宗はあらゆるものを救う﹁万機普益﹂の宗教である。それ故に伝道は大きな課題である。 現代社会と浄土真宗 二

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九年、龍谷大学に新しく設置された実践真宗学研究科は現代の諸問題に実践的に対応しうる、高度専門的な宗教的実践者の養成を目指 七 七

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現代社会と浄土真宗 七 J¥ している。伝道は宗教実践の大きな要素の一つである。 浄土真宗と現代を考究するとき、現代における伝道は欠くことのできないテ 1 マの一つである。しかも現代の伝道にはさまざまな課題がある。 実践真宗学研究の視点からこれらの課題に応える最も肝要なる点を明示したい。

龍谷大学

大学院

実践真宗学研究科について

実践真宗学研究科は﹁︿宗教実践﹀と︿社会実践﹀のいずれかの実践実習を行う﹂ことなどを特色として設置され午現代の問題に、実践 的・具体的に対応する、実践真宗学研究の視点から、現代における真宗伝道を考究したい。

現代における真宗伝道

現代における伝道の課題 布教伝道は、伝道する者と伝道される者がいて初めて成立する。その意味では時代や社会の背景、 ニーズなどに影響され変還してきた。 種々に展開されてきた伝道の一例として、絵解き説教・節談説教・講義形式の法座・話し合い法座・日曜学校、仏教婦人会などの組織を形成 しての組織教化等が挙げられる。 また布教伝道についての研究や研修会において、数々の課題が提起されている。その主な課題は﹁専門用語の問題﹂﹁現実的課題との議離﹂ ﹁マンネリ化した伝道方法の打破﹂を挙げることができる。 一 一 ー ー 一

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一 専門用語の問題 布教伝道において、とにかく﹁わかりやすく親しみゃすい法話﹂が求められる。﹁わかりにくく親しみにくい法話﹂としているのは、専門用 語の用い方にあるとして、﹁専門用語はわからない、だから専門用語を用いず、日常語だけで話すべきだ﹂と指摘されることが多い。 専門用語の課題は、伝道する個々が様々に工夫を凝らして対応している。しかし、そのなかには大きな問題を誘発していることもある。例えば、

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専門用語がわかり難いから、全ての専門用語を日常語に置き換えるという対応をする場合、 その専門用語が意図している文脈や内容を暖昧にし てしまっているという可能性がある。 ﹁慈悲﹂を﹁愛﹂に、﹁仏陀﹂を﹁親様・まんまんちゃん・大いなるいのち﹂などに、また﹁信心﹂を﹁目覚め﹂、﹁名号﹂を﹁名前﹂と置き換 えたりすることは、専門用語を日常語に置き換えて、 わかりやすく親しみゃすくする工夫ではある。しかし、置き換えられた日常語のみで法話 が展開すると、これらの専門用語が示す内容が暖昧となり、結果的には誤解を誘発するという可能性が大きくなっている。 また、警轍・因縁(事例談)などを用いることも重要な対応の一つであるが、仏の慈悲を親の愛情に睦言えた事例談などが、迷いの凡夫同士で の愛情と混同させ、本来の意味とズレを生じさせ誤解を与えることもあるように、大きな問題を誘発していることがある。 専門用語の問題は、単に言葉を置き換えたり、身近な警轍・因縁を用いるだけではなく、専門用語が示す教えの内容や文脈、 また警轍・因縁 などが阿弥陀仏の救いの何を示しているのかが明確で、法話の構成からも何を明らかにしようとしているかが明白なことこそが重要である。 そ こ に は 、 また﹁専門用語が示す教えの内容や文脈をわかりやすくする、警轍・因縁などの話材を探すことが難しい﹂という課題も生じてい る このように専門用語の問題を考究すると、次のようにまとめ、提言したい。 浄土真宗の教義は、人間の経験や知識の蓄積によって構築されてはいない。人間の知を超えた悟りのはたらきである。無分別智が無分別後得 智と展開して、倍りが迷いの存在を悟らしめようとはたらいていると言えよう。これらのことを踏まえると、人間の言動によって他を悟らしめ ることは不可能であり、人間の言語活動によって﹁わかりやすく親しみゃすい﹂わけがないことを銘記しておくべきである。 単なる言葉の置き換えや、安易な警轍・因縁での説明では専門用語の問題に対応できないのは当然である。自らが浄土真宗を自らの宗とする 教 え と し て 、 その教えを正確に理解し、専門用語が示す内容を的確に把握することで、日常語や響轍・因縁を用いて﹁わかりやすく親しみゃす い﹂布教伝道とすることも可能となり、 その危険性にも気づくことができる。また誓轍・因縁などの話材も日常の言動の上にあることに気づく こ と が で き る 。 浄土真宗を自らの宗教とし、仏徳讃嘆することが最も重要であり。少しでも深く味わえるようにと、仏徳讃嘆の努力を惜しむべきではない。 現 代 社 会 と 浄 土 真 宗 七 九

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現代社会と浄土真宗 J¥

一 一

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l 二 現実的課題との希離 現実的課題と希離していると指摘を受けることが多い。例えば﹁本願、名号、信心、称名、往生等の言葉を使って、教えを説く法話は、現実 の苦悩や現実的課題に対する視点がない﹂﹁人権、環境、平和などの現実的な課題は、生死を超えるという宗教的課題から比べると二次的なも のだ﹂﹁現実的課題に応える教学がない。新しい教学を構築しなければならない﹂などがある。 これらの課題に対しては、次のように考えるべきであろう。 ﹁現実的課題に対する視点がない﹂と指摘するが、果たしてそのような仏教・浄土真宗が有り得るであろうか口釈尊の四門出遊や、阿弥陀仏 の仏願の生起本末を自らの上に領解するならば、仏教・浄土真宗は現実の苦悩、自身の生死出離の問題が出発点となっており、その苦悩を解決 する教えであることは明白である。﹁本願、名号、信心、称名、往生﹂などの用語は、まさに私の現実的課題を見定めた上での救いを示してい るのだから﹁現実的課題に対する視点がない﹂はずがない。 ﹁現実的課題は宗教的課題からすると二次的﹂と指摘するが、宗教は自身の究極的課題を究極的に解決する、人生の拠り所となるものと理解 すると、その宗教に支えられ生きている自身は、社会的に現実世界に生きている生身の人間であるので、教えが現実的課題を等閑にすることは ないと言わねばならない。浄土真宗という教義を明らかにすることによって、 ように対応していくかべきかという座標軸が示されることになる。 さまざまな現実的課題に対して、 どのような位置づけをし、どの ﹁現実的課題に対する教学の構築をするべきである﹂と指摘するが、 ニーズに合わせた教学を構築するのは問題である。現実的課題について、 従来の教学では言及されていないことも多い、しかしニ l ズに合わせた教学を構築することは、現実的課題に直面している人の要望に応えるた めに、仏教や浄土真宗の教えやその論理を利用するという方向性を取ることになり、仏教や浄土真宗の本来の教えから需離し、誤解を与える可 能性が大きい。自らの要望を充足させるために、本来の教えに違う教学を構築することは、最も避けなければならないことは明白である。 現実的課題に対して、直接的に言及されていないからといって、新しい教学を構築するのではなく、教学を基にして、現実的課題をどう位置 づけ、どう対応するかを考えることが重要である。 このように現実的課題との議離の問題を考究すると、次のようにまとめ、提言したい。

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現実的課題と教えが希離していると指摘を受けることが多いが、本当に教えは現実的課題とは講離しているのかを検証する必要があるロ現実 的課題に対応するために、要望を充足する教学を構築するのではなく、教えを基にして現実的課題に対応することが重要である口 これらのことから現実的課題を考える時には、根源的(宗教的)課題を明らかにしてこそ、対応し得ると考える。 つまり、浄土真宗の教えが 明らかであるからこそ、 それぞれの現実的課題に対応していくことができるのである。 浄土真宗を自らの宗教とし、仏徳讃嘆することが最も重要であり。そこにこそ現実的課題に相即した対応が為し得ると考える。 二ー一│三 伝道方法の検討 布教伝道は長年行われてきて、伝統があり認知・受容されてきた面と、 マンネリ化し、新しい伝道方法が検討されてきた面がある。 現在は講義形式の口述による法話が主であるが、 さまざまな伝道方法が模索されている。例えば﹁情感に訴えることに重きを置く、節談説 教﹂﹁知的理解の推進をはかる、講義・輪読・研修会﹂﹁傾聴などによる両方向性のある深い領解を進めようとする、話し合い法座﹂﹁視聴覚的 効果を用いる、絵解き、プロジェクタの利用﹂﹁幼少期からの宗教教育、仏縁つくりとする、日曜学校、 キッズサンガ﹂﹁仲間意識の向上を募る、 組織教化﹂などがある。 伝道方法が検討され続けているということは 従来の伝道方法が十全ではなく、反省する点があり補うべき点があることを意味している。 これらの課題に対して考究するとき、以下のことに留意しなければならない。 伝道方法に十全なものがあるわけではないので、 より深く法義を味わうために伝道方法を検討することは更に重要視するべきである。しかし 伝道方法の目新しきゃ、参加者の人数、会の規模など、期待される効果にのみ焦点をあてて、共に仏徳讃嘆するという布教伝道の本来の意味が 等閑になっては意味がない。 そ こ に は 、 一人でも多くの方とともに、 より味わい深く仏徳讃嘆できるように、 さまざまな伝道方法を検討し、阿弥陀仏の仏徳を共々に讃嘆 するという、布教伝道の本来の意義がますます充実されなければならない。 現代社会と浄土真宗 J¥

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現代社会と浄土真宗 まず自らが阿弥陀仏の徳を聞きよろこび、仏徳讃嘆することが重要である。 ま A m

浄土真宗の伝道は仏徳讃嘆に尽きる。私自身が阿弥陀仏の徳を讃嘆し、 こに伝道が為されたと考える。 J¥ その讃嘆に縁のあった他者が共に仏徳讃嘆するようになるならば、そ 伝道に関する課題として﹁専門用語の問題﹂﹁現実的課題との訴離﹂﹁伝道方法の検討﹂を挙げたが、 いずれにしても、明確に阿弥陀仏の救い を自らの宗とする教えとし、その仏徳を讃嘆していくことこそ肝要であると窺った。 浄土真宗と現代を考究する、重要な一視点を提言してまとめとしたい。 それによってこそ、親鷲聖人が開顕された阿弥陀仏の救い﹁浄土真宗﹂が現代に大きな影響を与えることとなる。 註 ( 1 ) その他、教理・教義の研究を中心とする教育・研究を基礎として、複雑 化・多様化する現代の問題に、実践的・具体的に対応し、社会的要請に実践 的・具体的に対応しうる宗教者のあり方について教育・研究する。社会に求 められる宗教的実践者にふさわしい高度な専門的素養の修得を目指すなどが 挙げられている。(参照・・龍谷大学ホ l ム ペ l ジ 宮 G u ¥ ¥ 認 可 d F q c r o } E ・

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一 一 一 年 一 月 十 九日取得) ( 2 ) 拙稿﹁安心論題の現代性﹂(﹃浄土真宗総合研究﹄ 6 教学伝道研究センタ

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一一年)において、次のように論じた。 浄土真宗のみ教えの誠に微細なところまで見定めて、浄土真宗と浄土真宗 以外の境界線を明らかにしているのが﹁安心論題﹂であった。 安心論題は、さまざまな課題に対して、真宗教義からどう対応していくべ きかという座標軸が提示されている。これらのさまざまな座標軸を用いて、 真宗念仏者としてのスタンスが確立される。直接関わらないと思われる課題 に対しても、これらの座標軸を論理的に延長させて判断していくこともでき 得るし、または座標軸からはなれたままの課題であっても、これらの座標軸 からの距離を測ることで、その位置づけを見いだすこともでき得る。 ( 3 ) 拙稿﹁﹃歎異抄﹄における証巣得益に関する異義の研究│念仏者への示 唆の探求 l ﹂(矢田了章・林智康編﹃歎異抄の教学史的研究﹄龍谷大学仏教 文 化 研 究 叢 書 口 二

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七年)において、次のように論じた。 第十八条の最後に すへて仏法にことをよせて世間の欲心もあるゆへに同朋をいひをと さ る る に や ( ﹃ 浄 土 真 宗 聖 典 ﹄ ( 原 典 版 ) 九 二

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頁 ) と結ぼれているように、様々な課題を克服するために、浄土真宗の法義にかこつ けて、しかも浄土真宗の謹賓と異なることを主張して論理を構築することが最も 歎 げ か わ し い 事 態 で あ る と い う こ と が 、 こ こ に は 指 摘 さ れ て い る と 言 え よ う 。

参照

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