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嘉祥地震論補遺

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Academic year: 2021

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嘉 祥 地 震 論 補 遺

今 村 明 恒

余 は,曩 に文 化 元 年の 象 潟 地震 に關 す る激 震 地 域 と陸 地 の上下 變 動 とを 詳 論 し,嘉 祥8年 の 出 羽 地 震 を之 に比 較 し て,此 の地 震 に伴 へ る陸 地 變 形 も亦 同型 な るべ き所 以 を指 摘 した の で あ る,唯 嘉 祥地 震 に關 して は 文 献 が 乏 しい 爲,机 上の想 像 に 基 づ く所 多 く,論 據 薄 弱 な憾 み が あ つた のは 事 實 で あ る 。頃 日洒 田へ 出張 の機 會 に 於 て,本 楯 村 に 於 け る出羽 柵 阯 を見學 し 故 老 に 問 ひ 實 地 を踏 査 して 多 少 の 所 得 が あ つた。こ ゝに 前論 を補 ふ こ とに す る。 嘉 祥地 震 に 關 す る文 献 は,文 徳 實録 に 曰ふ 「地 大 いに 震 ひ裂 け,山 谷 處 を易 ふ,壓 死 す る者 衆 し。」と,之 に關 す る詔 勅 に 「城 柵 傾頽」 とい ふ 句 が あ るが,稍 詳 しい の は,三 代 實 録 所 載 の 國 府移 轉 の 議 に 關 す る記 事 で あ る。 此 は震 後37年 に 物 され た の で あ るが,當 時 の 状 況 を推 測 す るに 足 る もの が あ る.即 ち 「地 大 いに 震動 し,形 勢 變 改 す る 既 に雲 泥 を成 す 加 之,海 水 漲 り移 つ て府 の六 里 の 所 に迫 り,大 川 崩 壊 して 湟 を去 る こ と一 町 餘 。」と し て あ る。 余 の嘉 祥地 震論 は,此 等 の 文献 と出羽 地震 に伴 ふ 地 變 の 特徴 とに立 脚 し た もの で あ るが,唯 國 府 の位 置 特 に其 の 所謂 井 口の地 と大 川 の流 路 とに多 少 の 疑 が残 され て ゐた の で あ る。 そ しで今 回 の踏 査 は,此 の 疑 問 の解 決 に 一歩 を進 めた と言 つ て よか ら う 先 づ國 府 の 所 在 地 た る井 口の 地 で あ るが,余 は柵 阯 東北 隅 に在 る樋 ノロ の 地 を以 て之 に擬 した の で あ る。其 の根 據 と して は,土 地 が最 も高燥 で且 つ 城 輪 神社 に接 し,柵 内 に 於 け る 景勝 の 位 置 を 占め て ゐた ら しい こ とと , 井 口 ・樋 口の 昔 意 相 通 ず る こ と と を擧 げた の であ るが,樋 口 を ヒノ ク チ と 訓 んだ の は 早 計 で あ つた。土 地 で は現 今之 を レヒ ノク チ と言 つで ゐ るの で ― 〔12〕 ―

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13 嘉 祥 地 震 諭 補 遺 地 震 あ る。 本楯 の本 村 か ら東 北2.8粁 に 在 る樋 ノ ロの 方 を ヒ ノク チ と唱 へ るか らだ とい ふ 解 説 で あ る。併 し熱 考 して 見 る と,樋 とい ふ漢 字 は 單 に或 る樹 木 の 名 で,之 を ヒ或 は ト ヒの 意味 に使 用 す るの は 日本だ けの こ と,隨 つて 嘉 祥 年間 に は 此 の 準 國 字 は ま だ無 か つ た か も知 れ な い。 井 口が 後 世 にな つ て 樋 口に書 き改 め られ るな ど は有 り得 べ き こ とで あ る。 次 に 舊 記 に あ る大 川 を現 今の 最 上 川 とす る説 であ るが,其 の根 據 と して は(1)傳 説(2)慢 性 的 陸地 變 形の 示唆 す る巨 川 の 自然 皆 流 路(3)地 圖 に 依 つ て指 示 され る舊 川床等 を擧 げ た の で あ る。 今 回 の見 學 に於 て は更 に他 の 根 據 を附 加 へ た が,併 しなが ら上 記 の(3)は 訂 正 を要 す るこ とに 氣 づ いた 。 此 は,中 牧 田(松 嶺 町 の 西 北1.5粁)か ら市 條(柵 阯 東 方2粁)に 至 る約10粁 の 間 が東 山裾 の斷 層 に 當 り,略 ぼ 一直 線 をな して現 在 に 於 て も村 落 を缺 く こ とか ら然 か 考 へた の で あ るが,此 の 村 落 を缺 く といふ こ とは近 年 行 はれ た 統 制 の結 果 ら しいか ら此 の點 だ け を訂 正 しで置 く。 余 が 今回 の 踏 査 に 依 つ て新 た に 附 加 へた 根 據 は次 の 通 りで あ る。 1)現 今荘 内 三郡 に於 て は最 上 川 を大 川 と俗 稱 して ゐ るが,往 昔 も恐 ら く さ うであ つ た ら うと思 はれ るこ と。 2)柵 阯 と松 嶺 町 の中 間 に 在 る生石(お い し.小 藤 博 士研 究 の 矢 流 澤 斷 層 の 線 上 に あ り)に 俗 稱 「十 二 ノ木 」 といふ 所 があ り ,大 昔の舟繋 ぎ塲處 で あつ た と傳 へ て ゐ る。 此 の 傅 説 は,甞 て其 處 に巨 川の 有 つ た こ とを前 提 と して ゐ るが,現 在四 近 に は 田舟 の通 ふ細 流 す らな く,言 ふ まで もな く, 土 地 で は之 を舊 最 上 川と して ゐ るの で あ る。 3)柵 阯 の隣 區 に 巨 川の 川 床 ら しい もの ゝ儼 存 し てゐ る こ と。 現 今柵 阯 の 四 近を 流 れ て ゐ る川 は,日 光 川並 に其 の 支流 た る荒 瀬 川で, 本 支流 共 に 鳥海 山 の 南側 の渓 流 に 過 ぎな い の で あ るが,柵 阯附 近 の 平 地 に 於 て す ら 川幅10米 以下の 細 流 さあ る。少 くも大 川 とは稱 し得 ない で あ ら う。 併 し現 塲 に は50乃 至100米 の 川幅 で あつ た ら う と思 はれ る川 床の 跡 が 儼 存 して ゐ る。言 ふ まで もな く,10米 程 度 の 川 幅 の細 流 で も零 勾配 に 近 い平 地 ― 〔13〕―

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第18巻 嘉 祥 地 震 論 補 遺 14 に記 ては 大 き な川 幅 とた るであ ら うが,三 代 實 録 に 日 ふ 「大 川 崩 壊 して湟 を去 る こ と一 町餘 」は,川 の激 流 で あつ た こ と を思 はせ るに 十 分 であ つ て, 上 記 のや うな 緩 勾配 といふ 想 像 を許 さな いの であ る。 斯 くい ふ 川 床 の最 も著 明 な もの は,柵 阯 の東 方15.粁 で市 條 部 落 の 西端 近 くを南 が ら兆 に横 ぎ り,そ こか ら西 北 西 に折 れ て走 ると 約800米 で 二 派 に分 れ,北 な るは 大豊 田部 落 の 北 方 を掠 め て西 北 方の 刈 屋 部 落 に 走 り,南 な る は大 豊 田部 落 の小 字 で あ る上 星 川 と中星 川 との 間 を貫 き,南 西 の 方 向 を取 り.柵 阯 の 東南 陽 を掠 め て ゐ る。 本 楯 村 長 後 藤 氏の證 冒 に擦 る と,同 氏 の佳 所庭 田部 落 柵 阯 の 西南 西2粁 の 北 方 に は,東 西 の 方 向 を取 れ る一 帯 の 砂 地 があ り,薔 川 床 ら しい とい ふ に とで あ るが,上 記 の 南派 に 接 績 す る も の か も知 れ ぬ。 上 記 の 南 派 は,前 述 の通 り柵 阯 の泉 南 隅 に 接 して ゐ るが,此 處 には 古 川 部 落 が あ り,大 川 の蕎 流路 に當 る とい ふ 傳説 が あ る位 で あ るか ら,三 代 實 録 に 目ふ 「大 川崩 壊 して湟を 去 る こ と一 町餘」 は既 邊 であ つ た ら う と解 し て よ か ら う。 ―〔14〕―

参照

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