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ご挨拶
ご来場の皆様!遂に遂にこの日を迎える こととなりました。 この日のために、メンバーは、1年以上も前 から練習を積み重ねてまいりました。 3年前の第1回演奏会から、幾度となく、 団の運営に関して、様々な意見を交換しなが ら、紆余曲折多々あり、この日を迎えること ができ、このうえない喜びを感じております。 我々同志社グリークラブOBシンガーズ(通称DOBS)は、同志社 の魂を掲げ続ける男声合唱団です。そして、大半のメンバーが、日々 仕事に追われている社会人です。情熱なしでは、到底歌い続けること が困難だと思っております。加えて、本日ご来場の皆様の、ご支援、ご 協力なくしては、第2回演奏会を迎えることはできませんでした。改め て、この場をお借りいたしまして、心より感謝、御礼申しあげます。 さて、本日のプログラムをご覧いただき、どうお感じになられたで しょうか?無謀?本当?では、ないでしょうか? 現役時代さながらのラインナップに挑戦しました。この4ステージ を歌いこなすにはどうするのか、考えました。そこで、まずは声作りか らと、ボイストレーナー.に、平成3年卒業の小貫岩夫先生をお迎え し、基礎からやりなおすことにしました。 どの様な演奏になるかは、我々メンバーも図り得ないところではあ りますが、小貫先生のボイストレーニングを重ねることで、この4ス テージを全うできる基礎ができつつあるのでは、と考えております。 そして、DOBSメンバーの歌の基本は、ご来場くださいました皆 様の心に感動を与えられる演奏をお届けすることです。 全く男声合唱など聴いたことがない方も本日ご来場いただいている と思います。そういった方々にこそ、終演後、今日は本当に来て良かっ た、本当に感動した、涙が思わず出そうになった、と言っていただきた い。その事こそ我々DOBSメンバーが一番求めていることです。 本日は、同志社グリークラブOBとして恥ずかしくない演奏をした い。ご来場いただいている皆様の心を揺さぶる演奏をしたい。そし て、ご来場いただいている様々な方々に歌で感謝を現したい。メン バー一同、心から皆様に感謝しながら、1年以上練習し続けてきた成 果をご披露でる様、心を込めて、一所生懸命歌います。この“おっさん 達の気合と情熱”が、皆様がたに伝わることを切に願っております。 本日はお忙しいなか、ご来場賜り、重ねて御礼申しあげます。皆様 とともに、素敵な時間を共有できることを切に願います。 そろそろ開演の時間です。 どうぞご期待下さいます様…。 同志社グリークラブOBシンガーズ 代 表西山 勲
輪を広げよう!
同志社グリークラブOBシンガーズの第2 回コンサート、おめでとう。 グリークラブで顧問だった遠藤先生への追悼 の想いがきっかけになり結成されたOBシン ガーズですが、第1回のコンサートの感動が 忘れられず、この第2回になったのでしょう。 同志社グリーOBのなかでも、最もエネル ギッシュな年代の結集とみられますが、この エネルギーを大事にして、さらに多くの人たち、年代にも働きかけて、 その輪を広げてください。 先日の関西学院グリークラブOBの新月会が、創立80周年のコ ンサートをなんとフェスティバルホールで開きましたが、さすがに伝 統と歴史を誇る関学、と感じました。 同志社グリーOBも負けてはいられません。OBの力で、現役グ リークラブがさらに奮起するような方向へ持っていって下さい。みん なで力を合わせましょう。私も応援しています! 同志社グリークラブOB会 会長・音楽評論家日下部 吉彦
学長メッセージ
「第2回 同志社グリークラブOBシンガー ズ 演奏会」が盛大に開催されますことを心 からお慶び申し上げます。同志社大学で共 に学生生活を送られた皆様が、遠藤彰先生 のご遺志を継ぎ、今なお交流を持ち母校を 愛し、このたびの演奏会開催につながったこ とは、学長として大変うれしく思います。本日 は、日頃の成果を存分に発揮し、素晴らしい 歌声を披露していただきたいと思います。そして、聴衆の皆様に夢や 感動をお届けすることができれば、これに勝る喜びはございません。 同志社大学は、1875年に同志社英学校として誕生しました。以来、 校祖新島襄が『同志社大学設立の旨意』で宣言しているとおり、自治 自立の精神に富み、自由を尊び、良心を手腕に運用する力強い人物の 輩出を願い、教育研究活動を展開してまいりました。そして今、より個 性的で特色ある私学であり続けるために、時代に即応した様々な改 革に取り組んでいます。今出川においては国際主義とリベラルアーツ をキーワードに、京田辺においては最先端の科学技術と文理融合を キーワードに、飛躍・発展を続ける本学の新たな活動に、引き続き注 目していただきたいと思います。 大学運営には卒業生の皆様のお力添えが必要不可欠です。常日頃 の本学へのご厚情に対し心から御礼申し上げますとともに、今後とも ご支援・ご鞭撻の程、よろしくお願い申しあげます。 最後になりましたが、本日の演奏会の成功と同志社グリークラブOB シンガーズ及びご列席の皆様の益々の発展を心より祈念いたします。 同志社大学 学長村田 晃嗣
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PROGRAM
GREETING & MESSAGE
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NTERMISSION
MESSE A TROIS VOIX
作曲:ANDRÉ CAPLET 指揮:山下 裕司男声合唱曲「永訣の朝」
作詩:宮沢 賢治 作曲:鈴木 憲夫 指揮:武内 和朋 ピアノ:島田 稔也 朗読:道浦 俊彦バスクの歌(本邦初演)
指揮:山崎 知行 M C:道浦 俊彦男声合唱組曲「月光とピエロ」
作詩:堀口 大學 作曲:清水 脩 指揮:山下 裕司同志社グリークラブOBシンガーズの皆様へ
同志社グリークラブOBシンガーズの皆様、第2回演奏会の開催お めでとうございます。2012年4月7日に杉並公会堂で開催された「ガ チンコ勝負」のJoint Concertから2年を経て、更にパワーアップした 貴団の演奏を拝聴できることは、私どもOBMにとっても、この上な い喜びです。2年前に東京の男声合唱ファンの度肝を抜いた貴団の パワーと情熱溢れる演奏を、本日は地元関西のお客様に存分にお 聴かせいただけることでしょう。 DOBSとOBMは、現役時代は福永陽一郎先生の薫陶を受けた仲 間であるとともに、お互いを意識し高め合う最高のライバルです。こ れからも「OB合唱団」の枠を超えたハイレベルな演奏を目指して、 切磋琢磨してまいりましょう。 末筆ではございますが、本日の演奏会のご成功と皆様の今後 益々のご発展を心よりお祈り申し上げます。 早稲田大学グリークラブOBメンバーズ 代表 幹事井上 靖夫
Kyrie eleisionGloria in excelsis Deo Sanctus Agnus Dei O Salutaris Kitolis (キトリス/L.Aranburu 1905-1999) Bi Eusko Abesti (2つのバスクの歌/B.de Sagastizabal 1868-1950)
Maitia Nun Zira
(愛しき人は何処に/J.Uruñuela 1891-1964) Erriko Festa (街の宴/V.Zubizarreta 1899-1970) Ikusten Duzu (我が家/J.B.Elizamburu 1828-1891) Saratarra (サラから/González Bastida 1908-1997) 月夜 秋のピエロ ピエロ ピエロの嘆き 月光とピエロとピエレットの唐草模様
(20分)
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第2回 同志社グリークラブOBシンガーズ演奏会
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アンドレ・カプレ(1878∼1925)は、作曲家としては西洋音楽 史においてそれほど有名ではありませんが、16才年上だったド ビュッシーと緊密な交流が有り、その作品の協力者として、例 えば劇音楽「聖セバスティアンの殉教」の助手、ピアノ曲集「子 供の領分」のオーケストラ編曲者、管弦楽曲「夜想曲」「海」の ピアノ編曲者など、その名前はしばしば登場してきます。 彼の46年の人生、それは1914年に始まった第一次大戦に よって二つに分けられます。ノルマンディーのル・アーブル。大 西洋に向かって開かれたこの明るい港町でカプレは生まれま した。しかし貧しい家庭の7番目の子供であり、その優れた 音楽の才能を伸ばすためには、彼自身が学費を稼がねばなら ない状況で、キャバレーのピアノ弾きや歌劇場でのヴァイオリ ン奏者など、12才からいろいろと苦労を重ねました。しかしこ ういった仕事は、彼に「初見力」や「優れた聴覚」を身につけさ せます。そのかいも有ってか1896年、無事パリ音楽院に入学、 1901年にはカンタータ「ミルラ」で「ローマ大賞」も獲得しまし た。一方、音楽作りの現場で鍛えた彼には、学生でありながら 指揮の仕事が多く来るようになり、作曲家というよりも指揮者 として有名になっていきます。1899年には由緒あるオデオン座 の音楽監督に就任、1910年には海を渡ってアメリカのボストン オペラに音楽監督として招かれ、4年間も大西洋を往復しな がら活躍しました。また前述のようにドビュッシーの良きパート ナーとしても成果をあげています。 しかし順調だった彼の音楽人生は第一次大戦により一変し ます。志願兵として従軍した彼でしたが二度にもわたり負傷 をおい、また毒ガスによって神経を侵され、1918年に戦争が終 わってももう音楽の現場には戻れない体になっていたので す。その年にはドビュッシーが亡くなり、失意の彼はパリ郊外 に引きこもり、もっぱら作曲に専念するようになりました。 この「三声のためのミサ」は出版が1920年ですから、ちょう どこの時期に作曲されたようです。調性は一応あるのですが 流動的であり、メリスマやアゴーギクを多用したグレゴリア聖 歌風のゆらぎや、印象派らしい少しぼやけたような感覚的な ハーモニーが共感をよびます。大戦後の世の中や自分自身に 対する喪失感もあった中で作曲されたミサ曲ですが、透明感 や色彩感、まるで水彩画のようなイマージュあふれる作品で す。 日本ではソプラノ・メッツォ・コントラルトの三声部の女声合 唱で歌われる機会が多いのですが、スコアには括弧付きなが らテノール・バリトン・バスと書かれています。女声合唱がお好 みだったカプレがあえて男声パートを併記したところをみる と、このミサは男声合唱の方がいいのではないか?とも思って しまいます。全体を通して(ヘミオラ部分も含め)ほとんど3拍 子で構成され、そのことと三声であることによって、三位一体 である神への祈りが表現されています。また近代フランスのカ トリック礼拝形式の影響か、ミサ通常文のCredo は省かれ、 聖体賛歌であるO Salutarisが最後に加えられています。 山下裕司 1970年、同志社香里高校入学と同時にオルフォイス・グリークラブに入 部。西邨辰三郎氏の指導を受け第14代学生指揮者として活躍する。73 年、同志社大学経済学部に入学と同時に同志社グリークラブ入部。74 年、アメリカで行われた第4回世界大学合唱祭に参加。その後、第45代学 生 指揮者に就任、福永陽一郎、大久保昭男両氏の指導を受ける。卒業後 は京都ユネスコ協会国際合唱団及びクローバークラブを指揮。現在は会 社勤務の傍ら、9つの合唱団で指導をしている。 DOBSでは顧問という 肩書であるが、その職務は多岐にわたる。Kyrie
Kyrie eleison. Christe eleison. Kyrie eleison.Gloria in excelsis Deo
Gloria in excelsis Deo.
Et in terra pax hominibus bonae voluntatis. Laudamus te. Benedicimus te,
Adoramus te. Glorificamus te,
Gratias agimus tibi propter magnam gloriam tuam. Domine deus, Rex caelestis,
Deus pater omnipotens.
Domine fili unigenite, Jesu Christe. Domine Deus, Agnus Dei, Filius Patris. Qui tollis peccata mundi, miserere nobis.
Qui tollis peccata mundi, suscipe deprecationem nostram. Qui sedes ad dexteram Patris, miserere nobis.
Quoniam tu solus sanctus, tu solus Dominus. Tu solus altissimus, Jesu Christe,
Cum Sancto Spiritu in gloria Dei patris, Amen.
Sanctus
Sanctus, Sanctus,
Sanctus, dominus deus sabaoth. pleni sunt caeli et terra gloria tua. Hosanna in excelsis.
Benedictus, qui venit in nomine domini. Hosanna in excelsis.
Agnus Dei
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: miserere nobis
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: dona nobis pacem.
O Salutaris
O Salutaris hostia, quae coeli pandis ostium: Bella premunt hostilia,
da robur, fer auxilium. Uni trinoque Domino sit sempiterna gloria: Qui vitam sine termino, nobis donet in patria.
主よ 憐みたまえ。 キリストよ 憐みたまえ。 主よ 憐みたまえ。 いと高きところには栄光、神にあれ。 地には平和、御心にかなうひとにあれ。 我ら主をほめ、主をたたえ、 主を拝み、主をあがめ、 主の大いなる栄光のゆえに感謝したてまつる。 神なる主、天の王、 全能の父なる神よ。 主なるおんひとり子、イエス・キリストよ。 神なる主、神の小羊、父のみ子よ。 世の罪をのぞきたもう主よ、われらを憐れみたまえ。 世の罪をのぞきたもう主よ、われらの願いを聞き入れたまえ。 父の右に座したもう主よ、われらを憐れみたまえ。 主のみ聖なり、主のみ王なり。 主のみいと高し、イエス・キリストよ。 聖霊とともに 父なる神の栄光のうちに。アーメン。 聖なるかな、聖なるかな、 聖なるかな、万軍の神なる主。 主の栄光は天地に満つ。 天のいと高き所にホザンナ。 ほむべきかな、主の名によりて来たる者。 天のいと高き所にホザンナ。 神の小羊、世の罪を除きたもう主よ、 われらを憐れみたまえ。 神の小羊、世の罪を除きたもう主よ、 われらに平安を与えたまえ。 ああ,救いのいけにえ、天国の門を開きたもうおん方よ、 われらの敵は四方から押し寄せる、 われらに力と助けを与えたまえ。 三位一体の不滅の神よ あなたの偉大なみ名が常にたたえられんことを、 終りなき生命の日々をわれらに、 天のふるさとにて与えたまえ。
MESSE A TROIS VOIX 「三声のためのミサ」解説
作曲:ANDRÉ CAPLET
指揮:山下 裕司
MESSE A TROIS VOIX
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Profile
(プロフィール)
「永訣の朝」解説
作 詩:宮沢 賢治
作 曲:鈴木 憲夫
男声合唱曲「永訣の朝」
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「あめゆじゅとてちてけんじゃ(みぞれをとってきてくださ い)。」最愛の妹・とし子の発したこの言葉が、その日の朝、賢 治の頭を離れることはなかった。 当時不治の病であった肺結核を患ったとし子は、隣家の古 い陰気な一室を病室としていたという。雪の日も少なくはない 晩秋の岩手県にあって、その部屋は古い屏風や蚊帳でようや く隙間風を防いでいたことが、賢治の詩からも窺われよう。 「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえな い。」(『農民芸術概論綱要』)そう願った賢治であれば、「けふ のうちにとほくへいってしまふわたくしのいもうと」を、何一つ 幸福にする術をもたない自身の存在に対して、耐えがたいほ どのもどかしさを感じていたことだろう。だからこそ、とし子の 発した「あめゆじゅとてちてけんじゃ」という言葉は、ただ茫然 として傍にいることしかできない兄を、「まがったてっぽうだま のやうに」みぞれの中に駆け出させたのである。 蒼鉛色の空のもと、とし子が自分を「いっしゃうあかるくす るために」雪のひとわんを頼んだことに、ほどなく気づいた賢 治は、「けなげないもうと」の心遣いに対して、「まっすぐにすす んでいく」ことを心に誓うのである。そして、とし子に最もふさ わしいみぞれを持ち帰ろうと、賢治は御影石の上にようやく 立って、つややかな松の枝にある「すきとほるつめたい雫にみ ちた」それを、二人がこれまで「いっしょにそだってきた」象徴 ともいえる「青い蓴菜のもやうのついた」陶椀に移し取るので ある。しかし…
「Ora Ora de shitori egumo」
突如、雷鳴のように賢治の魂を貫いたとし子の言葉。「わた しはわたしでひとりでいきます。」死を感得したとし子が発し た決別の覚悟を、言語として認識することを、彼の感情は本能 的に拒絶していたに違いない。詩作にあたって、賢治はこの言 葉をローマ字によって表記している。 果たして、急ぎ戻った賢治が目にしたとし子は「やさしくあ をじろく」いのちの炎を、まさに燃やし尽くしつつあった。いつ しかみぞれは雪となり、「どこをえらばうにも あんまりどこも まっしろ」な世界を前にして、賢治は迫り来るとし子の死とい う厳格な事実を、深い絶望とともに直視するほかはなかった のだ。今にも空の彼方にとし子を連れ去ろうとする死への恐 怖は、賢治をして「あんなおそろしいみだれたそら」と語らせ ている。 みぞれは、雪でもあり水でもある。また雪でもなく水でもな い。ちょうどその「二相系」なる存在は、生(此岸)と死(彼岸) のはざまにあるとし子の姿を暗示したものとして賢治の眼に 映っていたのだろう。みぞれによってつながれた生と死、そし て此岸と彼岸。降り積もる雪は、いつしかとし子のいのちを温 かく包みこんで、今まさに浄土へと迎え取ろうとしていた。 「わりゃのごとばかりで」命を終えていく我が身を嘆きつつ、 「さいごのたべもの」を口にしたとし子を前に、「わたくしのす べてのさいはひをかけて」、賢治はひたすらに祈りを捧げた。 この雪が「どうかこれが兜卒の天の食に変って やがてはお まへとみんなとに 聖い資糧をもたらすことを」と。 男声合唱曲『永訣の朝』は、1990年に南山大学メールクワイ ヤーと上智大学グリークラブの合同演奏によって初演されて いる。原曲の混声版は、1975年に作曲されており、作曲者の鈴 木憲夫氏は22歳であった。第一回日本合唱指揮者協会公募 入選作ともなったこの合唱曲は、賢治の詩が湛えている言葉 の美しさを、情感豊かな旋律に加え、自在に操られるテンポや 拍子を用いて美しく表現しており、合唱と伴奏が渾然一体と なって、聴く者に深い感動を呼び覚ます、氏の青年期を代表 する佳曲といえるであろう。 詩中ではとし子とされた賢治の妹・トシは、1922(大正11)年 11月27日、24年の短い生涯を終えた。時に賢治は26歳であっ た。『永訣の朝』は、トシの死後に創作されたものであるが、詩 の末尾には、彼女が世を去ったその日付が記されている。 武内和朋
指揮者:武内 和朋
1966年、真宗大谷派寺院の長男として大分 県日田市に生まれる。 同志社大学文学部在学中、グリークラブに所 属し、学生指揮者として研鑚を積む。大谷大 学大学院修士課程在学中は、淀川混声合唱 団指揮者も。1991年に帰郷し、私立昭和女子 高校(現昭和学園高校)在職中は、コーラス部 顧問として、ミュージカルを8年連続で上演 するなど、ユニークな音楽活動をおこなう。真宗大谷派合唱連盟の役員 として、各地で仏教讃歌の指導にあたるとともに、2001年∼07年には親 鸞聖人御誕生会慶讃音楽法要(松下眞一作曲)、2011年には新実徳英作 曲の「音楽法要」初演の指揮(いずれも東本願寺)をつとめた。DOBSで は、2012年に東京で行われた早稲田大学グリークラブOBメンバーズとの ジョイントコンサートで「永訣の朝」を指揮し、高い評価を得た。現在は、真 宗大谷派長福寺住職と、学校法人香光学園月隈こども園理事長・園長を 兼務。園では、合奏やオペレッタの演出など音楽保育を楽しんでいる。妻 と三男の5人家族。PIANO:島田 稔也
関西学院大学社会学部卒業。在学中、関西学 院グリークラブに所属。卒団後、関西学院グ リークラブ春季演奏旅行にピアニストとして 同行し、その後、同グリークラブ常任指揮者 (故)北村協一氏の指導のもと、合唱ピアニス トとして本格的に活動を始める。関西学院グ リークラブリサイタルをはじめ、春・夏季演奏 旅行、東西四大学合唱演奏会、関西合唱コン クール、その他、定期演奏会等にはピアニストとして数多く出演している。 1994年7月、英国ウェールズで開催されたスランゴスレン国際音楽祭(男 声合唱コンペティション)に合唱指揮者広瀬康夫氏率いる新月会(関学グ リーOB会)が参加の際にもピアノ伴奏者として同行。 2000年1月、東京オペラシティコンサートホール、大阪フェスティバルホー ルにて開催された関西学院グリークラブ100周年記念リサイタルにおい ては、(故)林雄一郎指揮による「山田耕筰歌曲集」において伴奏者を務め 好評を博す。 また2005年3月、『関西学院グリークラブコレクション第5弾』(故)北村協 一指揮による男声合唱組曲「水のいのち」のCDレコーディング(Amazon 等にて現在発売)においてもピアニストとして録音に参加している。 現在、大学事務職員として勤務する傍ら、関西学院グリークラブ、新月会、 男声合唱団コール・セコインデ(常任指揮者:広瀬康夫氏)、同志社グリー クラブOBシンガーズをはじめ、またこれまで、りそな合唱団や一般混声 合唱団等の定期演奏会や、合唱以外ではバイオリン、サックス奏者のピア ノ伴奏者としても幅広く活動している。 ピアノをヴァレー優美子、武谷安子、田淵幸三、(故)植田信朗の諸氏に師 事する。また、ピアノ伴奏法を久邇之宜氏に師事する。朗読:道浦 俊彦
1961年三 重 県 生まれ。8 4 年 早 稲田大 学グ リークラブ 卒 団 後、読 売テレビにアナウン サーとして入社。現在、報道局専門部長で『情 報ライブミヤネ屋』の原稿・テロップチェック や吹き替えを担当する傍ら、早稲田グリーの OB団体「大阪稲門グリークラブ」で歌い続け ている。DOBSとの共演は今回が3度目。Profile
(プロフィール)
指 揮:武内 和朋
ピアノ:島田 稔也
朗 読:道浦 俊彦
けふのうちに とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ (あめゆじゅとてちてけんじゃ)(註1) うすあかくいっさう陰惨な雲から みぞれはびちょびちょふってくる (あめゆじゅとてちてけんじゃ) 青い蓴菜のもやうのついた これらふたつのかけた陶椀に おまへがたべるあめゆきをとらうとして わたくしはまがったてっぽうだまのやうに このくらいみぞれのなかに飛びだした (あめゆじゅとてちてけんじゃ) 蒼鉛いろの暗い雲から みぞれはびちょびちょ沈んでくる ああとし子 死ぬといふいまごろになって わたくしをいっしゃうあかるくするために こんなさっぱりした雪のひとわんを おまへはわたくしにたのんだのだ ありがたうわたくしのけなげないもうとよ わたくしもまっすぐにすすんでいくから (あめゆじゅとてちてけんじゃ) はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから おまへはわたくしにたのんだのだ 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの そらからおちた雪のさいごのひとわんを…… ……ふたきれのみかげせきざいに みぞれはさびしくたまってゐる わたくしはそのうへにあぶなくたち 雪と水とのまっしろな二相系をたもち すきとほるつめたい雫にみちた このつややかな松のえだから わたくしのやさしいいもうとの さいごのたべものをもらっていかう わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも もうけふおまへはわかれてしまふ (Ora Ora de shitori egumo)(註2) ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ あああのとざされた病室の くらいびゃうぶやかやのなかに やさしくあをじろく燃えてゐる わたくしのけなげないもうとよ この雪はどこをえらばうにも あんまりどこもまっしろなのだ あんなおそろしいみだれたそらから このうつくしい雪がきたのだ (うまれでくるたて こんどはこたにわりゃのごとばかりで くるしまなぁよにうまれでくる)(註3) おまへがたべるこのふたわんのゆきに わたくしはいまこころからいのる どうかこれが兜卒(註4)の天の食に変って やがてはおまへとみんなとに 聖い資糧をもたらすことを わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ (註1) あめゆき(みぞれ)をとってきてください。 (註2) わたしはわたしでひとりでいきます。 (註3) またひとにうまれてくるときは こんなにじぶんの ことばかりでくるしまないようにうまれてきます。 (註4) 釈尊もかつて修行し、現在、弥勒菩薩が説法をして いるとされる天界の一つ。宮沢賢治
永訣の朝
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「バスクの歌」解説
指揮:山崎 知行
M C:道浦 俊彦
バスクの歌(本邦初演)
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バスク地方は、イベリア半島の付け根、フランスとスペインの 国境にある、一つの文化・経済圏である。現在は「スペイン王国 バスク自治州」となっていて、バスク人が住みバスク語を話し、 大西洋に面した良港が数多くあり、温暖で肥沃な土地は農業 に適し、「食の宝庫」として昔からその名を知られている。ま た、ピレネー山脈から連なる裾野には広大な森林があって、林 業も盛んであった。これら第一次産業のもたらす富と、勤勉で 屈強な船乗りや木こり、腕の良い職人集団と高度な造船技術、 更には海運・陸運の拠点としての技術や情報の集積、といった 多くの条件が噛み合い、バスク地方は大航海時代、そしてスペ インが海洋王国となる道を拓くのに多大な貢献をした。キリス ト教布教のため大海原に乗り出し、1549年8月に来日したフラ ンシスコ・ザビエルもまた、そんなバスク人の一人である。 19世紀の産業革命以降には、鉄鉱石を産出したことから、潤 沢な資金を投入して鉄鋼・造船といった第二次産業に鮮やか な転身をして成功、工業製品の生産拠点として現代に至るが、 一方、これらの恵まれた条件がバスクを翻弄する原因ともなっ た。陸海の交通の要所でもあったから、周辺民族・諸国からの 侵略・攻撃に耐え続けねばならなかった。 特に20世紀前半のスペイン内戦(1936-1939)においては、フ ランコ将軍の率いる反乱軍がバスクを主要制圧対象とした。バ スクの主要都市・ゲルニカは、フランコと軍事提携していたドイ ツの空軍による、世界初の無差別空爆を受け、ピカソは絵画 「ゲルニカ」でその非道を世界に訴えた。 内戦終結後のバスクは、フランコ政権によってバスク語の使 用禁止などといった厳しい抑圧を40年にわたって受け続けるこ とになるが、その中でバスクの伝統文化を守るべく、フランコ 政権と2年近い交渉の末に1940年に設立した「CORO EASO」 という音楽家集団がある。その中核は男声合唱団であり、現在 も欧州で活発な活動をしているようである。 その「CORO EASO」の演奏したバスク男声合唱のCDを、 20世紀末も押し迫った2000年に偶然手に入れていた山古堂 主人、DOBSで「面白い企画」を探しているというので早速「バ スク男声合唱曲はどう?」と持ちかけた・・・のは良いが、楽譜 が出版されていない上、「CORO EASO」に何度連絡を取って も返事が来ない。だが山古堂主人はここで諦めない。楽譜が入 手出来ないなら、とCDから楽譜を聴き起こし、全く解らない バスク語の逐語訳まで作るのに半年ほどかかった。本日は、そ うして本邦初演される巡り合わせとなった、19世紀半ばから20 世紀前半のバスクの歌を演奏するが、大阪から1万4千キロ、地 球三分の一周も離れているのに、その旋律や曲想に日本に通 ずる何かを感じるのはDOBSメンバーだけではない、と確信し ている。 なお、バスク人は数万年前の石器時代からバスク地方に住 み続けている、という説もあり、バスク語という言語も、欧州の どの言語系統とも違い、現在の欧州文化を築いていく諸民族 が進出してくる前からピレネー周辺に存在し、そのまま取り残 された、らしい。バスク語で「ナイフ」を意味する言葉は「物を切 る石」、「天井」は「洞窟の屋根」「台所」、 は「火の隣」なのだとい う。多種多様の語尾変化・格変化があり、どの言語系統にも類 似しないという言語学上の謎と、その習得の困難さという2つ の意味において、日本語と双璧なのだそうである。こんなとこ ろにもバスクと日本との親近感はある∼かもしれない∼が、 DOBSメンバーには、まさに恐るべき「悪魔の言語」であった。 「山古堂主人」こと 山崎知行(平成元年卒)指揮者:山崎 知行
早 稲田 大 学グリークラブ198 8 年度 ベースパートリーダー。卒団後も多く の合唱団の設立や運営に携わる傍ら、 「山古堂本舗」として大学男声合唱を 中心とした多くの古い音源のデジタル 化保全に注力、その成果はCDにして 実に300枚相当に及ぶ。声楽を高校時 代からの友人・海野修一氏(現在ドイ ツ・キール歌劇場)に20時間ほど師事。◆Kitolis/キトリス
1)キトリスという老いた漁師が言う。「俺は海に生まれ育ち、 その海で兄弟や息子を亡くした。あの夜、船から投げ出さ れた息子に、俺の手は届かなかった」。 2)海は深く、底は見えない。海は愛憎すべてを呑みこもうと しているようだ。 3)聖マリアの饗宴は近い。俺たちは黄金の波止場で再会し、 手を取り合い、聖マリアに感謝するのだ。 4)陽光にゆらめく花がお前ならば、俺は太陽となり、これか らもお前を照らすだろう。◆Bi Eusko Abesti/2つのバスクの歌
1)リンゴの木の枯れ枝の先で小鳥が鳴く、チルリルリ、チル リルリ。小鳥の歌声で上手に踊れるのは誰?
2)カッコウの巣で雛が生まれたが、他の鳥が来て食っちまっ た。何と不運なカッコウ!
◆Maitia Nun Zira/愛しき人は何処に
1)愛しき人、君はどこにいる?「私はあなたのものよ」と言っ てくれたのに。 2)僕の心は変わっていない。嫉妬深い君のお父様が僕たち を引き離してしまった。 3)お父様は、君を修道院に送り込んでしまった!だが、君が 修道女の道に進むことはないだろう。僕たちには強い絆 があるのだ。
◆Erriko Festa/街の宴
祭りの翌日、彼女達だけがなじみの、とある片隅。独り身のお ばちゃん4人、一人は旦那を亡くしているが、日陰に座って、膝 の上の大きな石板で、トランプに興じていた。◆Ikusten Duzu/我が家
1)朝、小高い丘の上に光が差すと、4つの岩山の間にある白 い家が見えるだろう。 そこには泉があり、家の扉には白い犬がいる。そこが、心 の休まる我が家なのだ。 2)立派でなくとも先祖代々守ってきたこの家を、私は愛して いる。この家で暮らすことで、私は心も落ち着き、自分を見 失うこともないだろう。◆Saratarra/サラから
旅人1:「俺の出身、サラってところにゃ綺麗な羽根の鳥がい て、どこの鳥にも負けねえ」 旅人2:「俺の囲ってた小鳥が逃げちまって嘆いてるところだ。 そいつは俺につきまとって、俺をコーヒー漬け、酒漬 けにしてくれていたからさ。」山古堂本舗
山崎知行(早稲田グリー)と古賀準一(関学グリー、ともに平成 元年卒)が、大学男声合唱ライヴを中心とした古い音源をデジ タル化し、保全するための活動を総称したもの。便宜上、山崎 が「山古堂主人」として矢面に立っている。足かけ14年、これま でにデジタル化した旧いレコードやオープンリールなどはwav 音源で200GB(CDでおよそ300枚)以上にもなる。Profile
(プロフィール)
バスクの歌/大意
※氏が持っているレコードは、第77回 同志社グリークラブ定期演奏会(昭和51年)のもの作詩:堀口 大學
作曲:清水 脩
指揮:山下 裕司
男声合唱曲「月光とピエロ」
『月光とピエロ』の作者は?と聞かれて「清水脩です」って即 答する人、あなたはいわゆる合唱人ですね。普通の人なら (ちょっと教養が要りますが)「堀口大學」と答えるはず。まぁそ れほど『月光とピエロ』という作品が合唱の世界では超有名だ からでしょうけど。なにせ合唱組曲という日本では定番スタイ ルの原点ですからね。でもさすがに本家本元、どの曲も色彩 感豊かで、小編成管弦楽作品の面持ちがあります。いや、実際 に上質のチェンバーオーケストラで聞いてみたいと思います。 さて『月光とピエロ』の詩を書いた人、堀口大學のことです。 1892年(明治25年)1月8日、父・堀口九萬一、母・政の長男とし て東京で生まれました。その後、外交官である父の海外単身 赴任、郷里新潟県長岡への転居、母の死、父の下獄。彼のまわ りにはさまざまなことが起こります。特に17才からの数年は、 詩人に波乱万丈は付き物とはいえ、本当に大騒ぎの連続。大 まかに箇条書きするだけでも、長岡中学卒業、上京、一高受験 失敗、親代わりの祖母・千代の死、短歌との出会い、新詩社入 門、鉄幹・晶子に師事(同期に佐藤春夫)。18才になると、一高 受験再度失敗、鉄幹の斡旋で春夫と共に慶應義塾入学、永井 荷風に師事。翌年、文学三昧の息子を案じて九萬一は任地メ キシコに大學を呼び寄せます。客船に乗って旅立ちますが寄 港地ハワイで喀血、早世した母と同じ病に侵されます。現地に て治療後、再出発。メキシコ到着、再婚していた父、継母・義 妹・義弟との生活。その後比較的平和な日々を過ごしますが 21才になる直前、風邪をこじらせ肺炎になり瀕死の状態に。医 師の荒療治(焼鏝と馬用麻酔の大量投与)で九死に一生。し かし直後にメキシコ革命が勃発し、日本に一時帰国となりま す。しかし話はまだまだ終わりません。新任地スペインに旅立 つ父に同行し、シベリヤ鉄道でヨーロッパへ。ベルギー・ブ リュッセルにある継母スチナの実家にフランス語修得のため 彼一人で下宿。どうやらこの家で『月光とピエロ』は書かれたよ うです。22才になってまたすぐ喀血。自分の命は30才までと覚 悟します。駆けつけたスチナの手配でスイス・ダボスのサナト リウムにて半年間治療(その甲斐あって自分の予想の3倍もの 人生を過ごすのですが)、結核は全快し再びブリュッセルへ。 1914年7月、今度は第一次大戦が勃発します。直前に父の指示 でスペインに脱出し、ここも九死に一生。当時スペインは中立 国、ピレネーの向こうとは別世界。1915年『三田文學』四月号に 一連のピエロ詩を発表。原稿を投函したのが1月19日マドリッ ド、その翌日にマリー・ローランサンとの(最初は絵画だけの) 運命的な出会いをすることになります。 自身の健康、家族の事情、世界の情勢。3つの大きな波が寄 せては返し大學を襲います。二十才の前後、たった6年ほどの 間に。しかしその中で大学は「青年」から「詩人」へと成長して ゆきます。明治から大正に移り変わるその時代、こんな物語の ような人生を歩んだ日本人はいたでしょうか。稀有な才能が、 ある意味恵まれていたとも思えるこの土壌で、世界的な視野 を持って育っていきました。そしてこの時期、詩人として歩み始 める最初の一歩として、これらピエロ詩が燦然と輝いている のです。 大學詩の特徴は格調高く、しかしわかりやすい事。解説抜き では理解しがたいアカデミックな詩とは一線を画します。「僕 の文法」という二行詩「文語に口語のやさしさを 口語に文 語のきびしさを」この標語のような詩が彼の日本語観すべて を表しています。それと歌うようなリズム。鉄幹・晶子を彷彿さ せる心地よさ。それは日本語詩に限らず、『月下の一群』に代 表される多くの訳詩集やアルセーヌ・ルパンの活躍する小説な ど、彼の中を通り抜けるとフランス文学が日本語の服を着て 歌いだし、踊りだす。他の誰もが経験できなかった青春を送っ た、またそれゆえ日本の文学界におけるアンチ・テーゼだった 大學だから表現できた世界ではなかったでしょうか。「詩は一 生の長い道」昭和56年、詩人はその89年の人生を静かに閉じ ます。 「誕生日 初めて活字の 日としたら、今年ピエロは 九十九」 いつも泣笑いのわがピエロ君、今日は白寿のお祝いです。「月光とピエロ」解説
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同志社大学および大阪音楽大学卒業。文化庁オペラ研修所第11期修了。数々のコンクールで優勝、 入選する。95年、堺シティオペラ『魔笛』タミーノ役に抜擢され、テオ・アダムら世界的歌手と共演し デビュー。96年にはケムニッツ市立歌劇場(ドイツ)から招聘を受け、同役で出演し地元紙より好評 を得る。98年より文化庁派遣芸術家在外研修員としてミラノへ留学。2000年に新国立劇場デ ビューを飾り、その後二期会を中心に活躍。近年は2011年に兵庫県立芸術文化センターにて佐渡 裕指揮『こうもり』アルフレード役、13年二期会本公演『こうもり』では主役アイゼンシュタインで出 演し絶賛されるなど、オペレッタの分野でも演技力を発揮している。2014年11月には二期会本公 演「チャールダーシュの女王」にエドウィン役で出演する。コンサートでは2011年、13年にウィーン・ オペラ舞踏会管弦楽団のニューイヤーコンサートのソリストとして舞台を飾った他、『第九』『メサイ ア』『レクイエム』などでも高い評価を得ている。2013年、天皇皇后両陛下御親覧の舞踏会で演奏 しお言葉を賜る。同年、フィレンツェにてイタリア元首相夫妻主催のコンサートに招かれ出演。毎年 東京と大阪でリサイタルを開催している。二期会会員。二期会オペラ研修所講師。2010年、カメラー タ・トウキョウから『いつも微笑みを∼オペレッタ名曲集』をリリース。:小貫 岩夫
ピエロ
ピエロの白さ! 身のつらさ! ピエロの顔は 真白け! 白くあかるく 見ゆれども ピエロの顔は さびしかり! ピエロは 月の光なり! 白くあかるく 見ゆれども 月の光は さびしかり!月光とピエロ/歌詩
月夜
月の光の照る辻に ピエロさびしく立ちにけり。 ピエロの姿白ければ 月の光に濡れにけり。 あたりしみじみ見まはせど コロンビイヌの影もなし。 あまりに事のかなしさに ピエロは涙ながしけり。秋のピエロ
泣笑ひしてわがピエロ 秋ぢゃ!秋ぢゃ!と歌ふなり。 Oの形の口をして 秋ぢゃ!秋ぢゃ!と歌ふなり。 月の様なる白粉の 顔が涙を流すなり。 身すぎ世すぎの是非もなく おどけたれどもわがピエロ、 秋はしみじみ身に滲みて 真実なみだを流すなり。ピエロの嘆き
かなしからずや身はピエロ、 月の孀の父無児! 月はみ空に身はここに、 身すぎ世すぎの泣き笑ひ!月光とピエロと
ピエレツトの唐草模様
月の光に照されて ピエロ、ピエレツト 踊りけり、 ピエロ、ピエレツト。 月の光に照されて ピエロ、ピエレツト 歌ひけり、 ピエロ、ピエレツト。 踊りけり、 ピエロ、ピエレツト。 歌ひけり、 ピエロ、ピエレツト。 踊りけり、 歌ひけり、 ピエロ、ピエレツト。 ピエロ、ピエレツト。 月の光に照されて ピエロ、ピエレツト。 ピエロ、ピエレツト 月の光に照されて。Profile
(プロフィール)
©Kiyotane Hayashi ヴォイス トレーナーMEMBERS'
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顧問 : 山下 裕司 代表 : 西山 勲 首都圏顧問 : 筒井 隆文 東海地区顧問 : 奥村 圭司 ヴォイストレーナー : 小貫 岩夫 首都圏技術トレーナー : 栃木 篤子 首都圏ピアニスト : 坂下 美佳 常任指揮者 : 須藤 彰治 テクニカルヘッド : 八幡 諭 テクニカルアドバイザー : 尾池 智治 パートリーダーTOP : 西山 勲 パートリーダーSECOND : 田中 祐之 パートリーダーBARITONE : 北尾 俊明 パートリーダーBASS : 芦田 直幸 総括マネージャー : 豊田 尚紀 マネージャー : 高梨 純 マネージャー : 栃木 義博(首都圏) マネージャー : 池田 祐一(東海地区) マネージャー : 奥野 和敏 マネージャー : 辻 透(会計・音源) マネージャー : 瀬戸 正己(ライブラリー) ステージマネージャー : 奥田 茂弘 ステージマネージャー : 松本 崇 キリスト教解説担当:加藤 栄嗣Top Tenor 卒年 Second Tenor
H23 H 8 H 8 H 3 H 3 H 2 H 1 H 1 S63 S63 S63 S61 S61 S59 S59 S59 卒年 H 3 H 1 H 1 H 1 S63 S62 S62 S61 S61 S60 S60 S59 S59 S58 S56 卒年 H25 H15 H 1 S63 S62 S62 S58 S58 S57 S54 S53 S52 卒年 H15 H 6 H 2 H 1 S63 S63 S61 S60 S59 S59 S57 S57 S55 S54 S53