WWN(ワーキング・ウィメンズ・ネットワーク)の
設立と初期の活動
The Foundation and the Initial Activities
of the Working Women’s Network (WWN)
The Working Women’s Network (WWN) was established in 1995 and continues to operate to this day as a non-governmental organization (NGO) in Japan. The establishment was brought about by a sexual discrimination class-action lawsuit by several women against the Sumitomo conglomerate in 1995. The WWN specializes in activities that ensure the quick dissemination of information pertinent to its advocacy and urge relevant administrative systems through the internet and the mass media in order to reach the widest possible audience worldwide. Such information is directed at making various organizations such as the International Labor Organization (ILO), the European Union (EU), the United Nations Commission on Human Rights (UNCHR), the Committee on the Elimination of Discrimination Against Women (CEDAW) and the International Women’s Rights Action Watch (IWRAW) aware of the various issues, problems and realities pertaining to the WWN advocacy. It’s activities are widely recognized in Japan and in 2004 it received the 8th Ryoko Akamatsu Award for Excellence in Promoting and Advocating women’s Labor Rights in Japan.
はじめに 日本の女性労働力人口は、2015年に2842万人で、労働力率は49.6%であり、女性雇用者 数は2474万人で、雇用者総数に占める女性の割合は43.9%である1。2014年の女性雇用者の 56.3%は非正規雇用者となっている2。この間、女性の年齢階級別労働力率(M 字カーブ) の底は上がってきており、結婚退職や出産退職は減少している。しかし、日本政府も認めて いるように、「男女の賃金にも格差が見られる」3のである。ちなみに、世界経済フォーラム (WEF)が発表した2015年版「ジェンダー・ギャップ指数」では、日本は142か国中101位 と先進国の中で相当低位にある4。 1975年の国際婦人年以降、種々の女性政策が実施され、女性の地位は向上してきた。し かし、それは、日本政府が積極的に差別解消を行ってきたというよりは、差別撤廃条約の署
石 月 静 恵
Shizue ISHIZUKI
名や批准に示されたように、女性たちの声が、女性運動が推し進めてきたのである。働く女 性たちが、男女差別を不当に思っても、コース別人事や採用枠の違いを理由に、違憲とは認 められず、労働組合に訴えても女性の意見を取り上げてもらえない状態の中で、女性たちは 声を上げ、裁判を起こし、平等への道を模索してきた。そのような中で、裁判する女性たち を支援しようと女性たちは既成組織に頼らず、個人としてネットワークづくりを志向し、実 現してきた。その一つがワーキング・ウィメンズ・ネットワークである。 ワーキング・ウィメンズ・ネットワーク(WWN と自称、以下 WWN で表記)は1995年 に設立され、今日まで活動を継続している NGO 団体である。WWN が編集した『男女賃金 差別裁判「公序良俗」に負けなかった女たち』(2005年)5の「編者紹介」で同会を次のよう に記している。 住友メーカーの男女賃金差別裁判提訴をきっかけに、女性が人間らしく働ける権利の確 立をめざして1995年10月に結成。会員800人。ニュースレターの発行、働く女性のた めのセミナー、政府交渉や国際活動などを行う。国連女性差別撤廃委員会、国際人権規 約委員会、ニューヨーク女性会議などに参加し、日本の男女差別の実態を世界に知らせ、 国際条約の適用をせまった。とくに2003年の国連女性差別撤廃委員会で日本政府レポー トが審査されたとき、「コース別などの間接差別をなくせ」といった勧告をひきだし、 住友電工裁判の和解に貢献した。2004年12月、国際条約の普及に貢献したとして、第 8回赤松良子賞を受賞。 本稿では、WWN の設立と初期の活動について紹介し、女性の地位向上にとってどのよ うな意義を持ったのか考察したい。なお、本稿は、2007年ごろまでを対象とする。理由は、 以下の2点である。第1に、WWN は現在も活動を行っており、インターネット上にホーム ページがあり、そこで2007年の総会以降の「活動日誌」が掲載されており、他団体との共 同行動を含め、容易に活動内容を知ることができるからである。第2に、1995年の創立か ら2001年9月までは本多淳亮が会長であり2001年から2007年までは正路怜子が会長を務め た。その後2007年11月からは、越堂静子が代表を務めている。そこで、会長を置いていた 2007 年ごろまでで時期区分できると考えるためである。 一 WWN の設立 日本が女子差別撤廃条約を批准し、男女雇用機会均等法を制定したのは1985年であった。 均等法と同時に、労働基準法が改定され、女性労働者の時間外・休日労働の規制緩和・深 夜労働の規制の一部が解除され、労働者派遣法が制定された。均等法の調停制度をみると、 1995 年までの9年間に103件11社の申請が行われ、調停不開始が5社で、ただ1件調停が開 始されたのが大阪の住友金属工業であった。それが、「差別を具体的に是正する内容でない
調停案が出され」「裁判で争っています」6という状況であった。その裁判を支援するために WWN が結成され、種々の活動に取り組んだのである。 1 WWN 設立に至るまで 代表の越堂静子が WAN(ウィメンズアクションネットワーク)7のホームページ上で 「WWN には4つの草の根団体がありました」と語っている8。その4つとは、以下の団体で ある。 ① 国際婦人年北区の会 ② 男女賃金差別をなくす大阪連絡会 ③ 商社に働く女性の会 ④ 均等法実践ネットワーク講座 これらの団体について次に紹介しておこう。①の「国際婦人年北区の会」は、1974年に 大阪で働く女性たちが、国際婦人年を目前に、大阪市北区の新日本婦人の会(新婦人)と 母親連絡会によびかけて連続講座を行ったのが始まりである。「1カ月1回の講座で、半年 間話し合いをし、あとの半年でその中身をまとめて B7判64頁のミニパンフをつくり、1冊 100 円で普及した。十年間で延べ参加者20000人、普及したパンフは4万冊、この会がきっ かけで新しく生まれたグループは十を超える」9という。また、この会が行ったユニークな活 動としては、「女たちの昼休みデモ」があり、1997年に200名で始め、1984年の第7回には 800 名を数え、マスコミでも取り上げられ、影響力を持ったという。この会の創立から関わり、 活動の中心にいたのが正路怜子である。 ②の「男女賃金差別をなくす大阪連絡会」は、「1980年に「働く婦人の悩み110番」を始 めて仲間をつのり、1981年に結成」10された。当時、労働組合ではあまり取り上げられなかっ た男女賃金格差をどのようにしてなくしていくのかを話し合う場を提供した。「働く婦人の 悩み110番」は、毎月8日(日・祝日の場合は翌日)の10時から18時に開設され、1995年 の時点でも行われていた11。のちに WWN 代表となる越堂静子は「私自身は、当時は男性の 方が責任も重いのだから賃金格差があっても当然じゃないか、というような意識でもあった のですが、この会で勉強していく中で、不当な格差であることに気づいていきました」12と 語っている。「男女差別賃金をなくす大阪連絡会商社グループ」は、1984年に石田法律事務 所から『商社の女性は今 私たちの男女平等法』を出版している。また、1995年には会の 名称を「Pay Equity をめざす男女平等ネットワーク」と改称しており、「将来は女性労組もつ くりたい」と述べている13。 ③の「商社に働く女性の会」は、1965年に全国商社労働組合が発足し、男女賃金格差の 縮小や初任給男女同一などの活動を行い、商社に働く女性たちは1970年に「商社に働く女 性の会」を作り、会社の枠を超えて月1回の話し合いを継続していった。結婚出産をして
も働き続ける女性たちの中で、異常出産が相次ぎ、越堂静子は、出産3日目に第1子をな くしたという14。三浦美也子も職場結婚をしたが、2人目を流産、その後「商社という枠の 中だけで女性問題を考えることに不安を感じ、もっと違った職場の人たちとの交流」15を求 め、国際婦人年北区の会にも参加した。「商社に働く女性の会」は、就業規則チェックを行 い1984年に『商社の女性は今』というパンフレットを発行、次いで『商社に働くあなた─ いきいきしていますか』というリーフレットも作成した。越堂も三浦も WWN に参加した。 ④の「均等法実践ネットワーク講座」は、1990年6月から「労基法改正と真の男女平等 をめざす大阪連絡会と国際婦人年大阪の会、国際婦人年北区の会が主催」16し毎年開催され、 1994 年までに5期20回の講座を開催した。講座のテーマは年により変化したが、名称にも あるように均等法をどう生かすかについての講座であり、「一貫して取り上げてきたのは、 男女賃金差別の問題」17であった。「さまざまな職場に働く女性と弁護士・学者が一同に会し て人間らしく働ける職場づくりのために交流」する場を提供した。 このように、それぞれ異なる団体や会であったが、大阪という地域で女性の地位の向上を めざして、時には共同行動を展開していた。それが、住友メーカー裁判を契機に、その支援 と働く女性の権利を守るための WWN というネットワークを組織したのである。 2 WWN の会則と活動方針 WWN のホームページを見ると、「WWN にようこそ」に「会の目的」「会の活動」「主な 裁判サポート」「主な国際活動」が掲載されている。「会の目的」は、以下の3項である。 1)働く女性の地位向上をめざす 2)コース別制度など間接差別をなくす 3)同一価値労働同一賃金を法律に明記し、ジェンダーに中立な職務評価を確立する。 このうち、1)は、多くの女性団体が女性の地位向上を目指して活動しており、その点 では共通しているといえるが、「働く女性」を対象にしたところに特徴がある。2)のコー ス別制度とは、「均等法施行前後を通じて、男女別労務管理がコース別雇用管理に置き換え られ」18、総合職・一般職などの区分をさしている。この「コース」や「採用区分」が男女 の区分でなくても、「その適用結果が一方の性に不利になることが明白なものが間接差別」19 であり、WWN はその撤廃を目指しているのである。3)は、「同一価値労働同一賃金」は、 ILO100 号条約などで国際的に認められている基準であるが、日本では法律に明記されてお らず、明記すること、さらに、「ジェンダーに中立な職務評価を確立する」ことを目的とし ている。 また、「会の活動」として、以下の6項を掲げている。 1)働く女性の職場実態調査を行なう 2)男女賃金差別裁判やセクハラ裁判などをサポートする
3)国連・CEDAW や ILO など国際機関に実態をレポートする 4)国会議員や政府に国際基準の遵守をもとめ法改正などを提案する 5)マスコミに働く女性の実態などを提供し協力を得る 6)ニュースレターを発行(季刊) この活動内容については、後述する。 1997年の「ワーキング・ウィメンズ・ネットワーク入会のお願い」では、会費は、「年間 1口2000円、できれば5口以上」と書かれ、「会の運営」は、「代表と世話人、会計、会計 監査をおき年1回の総会をします」となっている。 3 WWN のメンバーについて まず、会長および代表を務めた本多淳亮、正路怜子、越堂静子について紹介する。 本多淳亮(1925∼2001)は、1967年に「ユニオンショップの研究」で法学博士となり、 大阪市立大学教授を1988年に定年退職し、その後大阪経済法科大学教授となり、退職後は 弁護士として活躍した。労働法が専門であり、「均等法実践ネットワーク講座」でも講師を 務めた。住友電工男女差別事件では「原告訴訟代理人」となっており、2000年11月に発行 された『あごら』第263号「この判決を許せますか 住友電工裁判に怒る!」では、「国際 条約を踏みにじる裁判所」という巻頭言を寄せている。著書は多数あるが、『男女雇用平等 法とはなにか: 先進国ニッポン の条件』20や『女の労働基準法:男女均等法のつかい方・ 70 章』21など女性労働に関する著書もある。WWN 会長を1995年から2001年まで務めた初代 会長である。 正路怜子は、1942年生まれで大学卒業後、創元社に勤務。創元社は、『女の本がいっぱい』、 『婦人問題ハンドブック』、『現代の婦人問題』、『資料国際婦人年』など女性問題関係の本を 多く刊行している。正路が働いていた大阪市北区には「働く女性がたくさん集まって」おり、 「労働組合の婦人部も活発で、お茶くみ問題や生理休暇や育児時間や保育所探しにとりくん でいた」が、「仕事の中身や賃金問題をもっと議論」したいと思い、「川西渥子弁護士と組ん で「国際婦人年北区の会」をつくり、大阪の玄関である北区に働く女性たちのおしゃべり会 をスタート」させ、その後1980年に「男女差別賃金をなくす大阪連絡会」をつくり、1993 年国連・女性差別撤廃委員会に提出する NGO レポート「日本からの手紙」の作成に関わり、 住友メーカーの女性たちとニューヨークに会議の傍聴に行った。そして、住友訴訟を支援す る活動から WWN を起ち上げ、第2代会長を務めた。正路の定年退職を祝う会には、200人 以上が参集した。230冊の本を編集し、世に送り出したが、「ほとんどが、地方の無名の筆 者を育てる仕事だった」22という。 越堂静子は、1944年生まれで1962年に商社に就職。1960年代に職場で女子35歳定年制が 施行されており、退職扱いになる女性が出て、労働組合結成の契機となり、若年定年制を廃
止し、女性の復職が実現した。1965年に全国商社労働組合連合会(全商社)が結成された。 商社でも働き続ける女性が増えていったが、流産や異常出産が相次ぎ、越堂も第1子を出産 3日目に亡くした。これらの状況に対し、各労働組合や全商社が要求を組織し、母性保護協 定が実現した。全商社は、1974年に大手4労組が脱退し、商社労働者の団結の場が失われ ていったが、「商社に働く女性の会」を作り、会社の枠を超えて情報交換などをしていた。 1980 年に国際婦人年北区の会の正路事務局長の働きかけがあり、男女賃金差別問題に取り 組むことになり、1984年にパンフレット『商社の女性は今』を発行。その後、1987年には NHK の「暮らしの経済セミナー」に出演し23、コース制人事が性差別に繋がっていること を発言、試験を受け、事務職から一般職に転換した。パンフレットをもって1985年の世界 女性大会ナイロビ大会でワークショップを行い、1995年の北京女性会議にも参加、「住友裁 判はいま」という分科会を行い、WWN の創立に参加した。 住友裁判については、次章で述べるが、もちろん原告たちも WWN に参加した。WWN が出版した『男女賃金差別裁判「公序良俗」に負けなかった女たち』24には、「原告たちの手記」 として、西村かつみ、白藤栄子、石田絹子、矢谷康子、有森洋子が執筆している。 また、同書には、住友裁判の「弁護団からのメッセージ」として、住友電工事件の弁護団、 吉岡良治、渡辺和恵、長岡麻寿恵、小林徹也、有村とく子、眞継寛子が、住友化学事件の弁 護団、細見茂、野仲厚治、小山操子が文章を寄せている。弁護士の中で WWN に深く関わっ たのは、宮地光子と石田法子である。宮地光子は、1952年大阪生まれで、前述の「均等法 実践ネットワーク」講座でしばしば講師を務めた。住友裁判に際して、「従来型の「裁判闘争」 ではない、新しい裁判のやり方を考え」、裁判闘争に立ち上がった「彼女たちの思いをサポー トできる体制づくりも提案」25し、それが WWN につながったという。2002年に大阪市で女 性共同法律事務所を開いた。石田法子は、1948年生まれで、弁護士になった後、「折からの 「国連婦人の10年」の女性運動のうねりの中で、多くの企業で働きつづけている女性たちと も出会い、勉強会を共にし、活動をともにしてきました」26という。前述の「Pay Equity をめ ざす男女平等ネットワーク」は連絡先を石田法子気付にしている。石田は2014年度の大阪 弁護士会会長となっている。 住友メーカーの女性たちが、ニューヨークの CEDAW(国連女性差別撤廃委員会)に実情 を訴えるために向かった時に、サポーターとして同行した国際婦人年大阪の会の宮本英子も WWN の会員となっており、次のように語っている27。 95年秋には住友の女性たちやそれを支援した人たちで WWN(ワーキング・ウィメン ズ・ネットワーク)を立ち上げました。国内だけでなく国際的なネットワークとして、 働く女性の支援が活発に取り組まれるようになりました。私も WWN の会員になり、 裁判を起こした住友電工・住友化学・住友金属3社の女性たちを支援してきました。
(略)WWN は今も政府の労働政策に目を光らせ、とりわけ民間企業の女性労働者の実 態をよく把握し、いち早く申し入れや抗議行動をするなど、全国的な運動を展開、ホー ムページもあり、国際的に活躍しています。公務員労働者であった私は WWN の運動 にかかわることによって民間企業の労働者の厳しさや企業論理の在り方を学ばせても らってきました。 WWN の会員は、労働組合には頼れないということで、裁判闘争に踏み出した住友メーカー の女性たちを支えるために、国際婦人年を契機に女性の地位向上のために活動してきた人た ちを含め、企業で働く女性や公務労働に携わる女性、弁護士などの支持を得て組織されたの である。 二 WWN 初期の活動 1 裁判闘争の支援 ① 住友メーカー裁判の経緯 WWN のホームページには、「住友メーカー裁判資料」というカテゴリーが設けられており、 資料を閲覧できる27が、ここでは簡単に経緯を紹介しておこう。 1994年3月に住友化学工業、住友電気工業、住友金属工業に勤務する12名の女性が、大 阪婦人少年室長に対し、均等法15条に基づく調停の申請を行った。同期同学歴の男性社員 と比較して、配置や昇進が著しく遅れており、男女差別であるとしての申請であった。住友 金属工業については調停開始、住友化学工業は、会社が同意せず調停不開始、住友電気工業 も調停不開始であった。そして、翌年2月に日本で初めて調停案が示されたが、その内容は 納得できるものではなかった。そこで住友3社の女性たちは労働組合に差別是正の取り組み を要請したが、差別はないという立場が示され、裁判に訴えることにした。調停案が示され てすぐ、『日本初の調停案を考える 均等法は誰のもの─住友メーカーに働く女性たちの思 い』というパンフレットを作成し、受諾拒否回答書などを掲載し、「思い」の普及に努めた。 また、1995年1月には国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)にカウンターレポート「日本か らの手紙」を提出し、会議の傍聴にニューヨークまで出かけた。2月の調停案を拒否し、8 月8日に住友金属4人、住友化学3人、住友電工2人の女性たちは裁判を提訴し、12月に は住友生命の女性12人も裁判提訴し、住友裁判が始まった。 この訴訟を契機に「この裁判を支援しながら、働く女性の地位向上を目指す運動体とし て WWN(=ワーキング・ウィメンズ・ネットワーク)が95年秋に誕生」28した。WWN は、 国連女性2000年会議に合わせ、ニューヨーク大学を借りて、「住友裁判と日本の女性差別」 というワークショップを開催した。しかし、同年7月の住友電工の判決は、原告敗訴となり、 直ちに控訴した。この判決を不当と受け止め1か月後の8月31日に昼休みの15分間330人
の参加で裁判所を取り巻く「人間の鎖」の抗議行動が行われ、インターネットを通じて抗議 のメールも寄せられた。 住友裁判は、住友生命が2001年6月に既婚女性への昇給・昇格差別は違法という判決が 出され、総額9000万円の差額賃金相当損害金の支払いが命じられた。会社が控訴したが、 2002 年12月原告勝利和解となった。住友電工裁判は、2003年12月に、「一般職と専門職の 職種区分を廃止する」という条項を含み、損害賠償の支払いを伴う和解案が示され和解する ことになった。住友化学裁判は、2004年6月に原告勝利で和解し、その後58歳の一般職女 性が初めて管理職に昇格した。住友金属は、2005年3月に「原告主張の1986年からの19年 間の差額賃金相当損害金をも認めた画期的判決」29が出された。しかし会社は控訴し、2006 年4月やっと和解が成立した。 ② 住友裁判原告の思い 住友電工の西村かつみは、高校を卒業して入社したが、女性はいつまでもルーティンワー クで昇進せず、平社員のままで、「上司や労働組合に、何度も何度も、ステップアップにつ ながる仕事をしたい、昇進も考えてほしいと訴えましたが、無視され」30たという。そこで、 「WWN を中心に先輩たちや学者の方々などの力を得て、直接国際機関に対し日本の実態を 知らせて」いった。裁判の和解後、昇格し、「自分の業務に関して課長より権限委譲されま した。自分で決済し、書類も自分の捺印のみで外部に提出します。これはとてもスムーズに 仕事が進み気持ちの良いものです」31と責任ある仕事に就いたことの喜びを述べている。 住友化学の石田絹子は、1963年に高校を卒業後入社。最初の2年を除き、定年まで受注 ─出荷─代金回収というデリバリー業務を担当し続けた。毎日同じことの繰り返しで「もっ と能力を発揮できる仕事がしたいと考えるように」32なり、数年後に生産担当の仕事に就く ことができたが、営業担当につきたいと申し出た。その後営業からデリバリー専任に戻れと いう指示があり、営業職に戻してほしいと調停申請をしたが、「営業補助」であり、裁判所 に提訴した。「会社の壁は厚く、私の管理職昇格は実現できなかった」が、他の女性が一般 職として初めて管理職となり、裁判の成果があった。「提訴から9年、全面敗訴の地裁判決 をくつがえす今回の和解は、私たち WWN の国連や ILO への働きかけからもぎとったもの と言える」と語っている。石田は「私は自分自身の尊厳をかけて裁判を起こし」、「結局ヒラ 社員のまま、7月末で定年退職したが、在職中に和解が成立して、晴れ晴れと退職」したと いう。 住友金属の北川清子は、1959年に入社1965年に結婚したが、「当然のこととして働き続け て」いたが、結婚退職がまかり通っており、北川はミセス第1号であった。社風に反する ということで、いじめが始まり、「結婚2カ月後に配属替えになり、部長席の一番近いとこ ろにポツンと机を置かれ、1年半の間、殆ど仕事を与えられませんでした」33という。それ
でも住友セメントの鈴木節子が裁判で、1966年に結婚退職は違憲という判決を得たことを 励みに、1968年には出産、産休明けに保育所に子どもを預け、職場に復帰した。昇進・昇 格があまりに遅いので、人事に理由を尋ねたら評価表は結婚後殆ど C 評価で、愕然とした。 定年まであまり時間はなかったが、男女差別是正のため調停を申請、しかし納得できるもの ではなく、裁判所に提訴した。「極平凡な女性が、国や会社を相手どって裁判をするに至る までには、自己葛藤があり、勇気もいりましたが、人間の尊厳を30数年間に亘り傷つけられ、 踏みにじられてきた無念な思いと怒り」34の選択であった。 『男女賃金差別裁判「公序良俗」に負けなかった女たち』には、前述の西村、石田のほか、 住友メーカー裁判の原告である白藤栄子「ニューヨーク国連から10年間のあゆみ」、矢谷康 子「国家試験を受けて総合職へ」、有森洋子「定年まで闘い続けて」という手記も寄せられ ているが、いずれも自分の後に続く女性たちのために、裁判闘争に踏み出し、自分自身が成 長していったこと、WWN などの支援に力を得て継続できたと語っている。 ③ 裁判官のジェンダーバイアスを問う 1985年に男女雇用機会均等法が成立し、女性差別撤廃条約を批准して日本は、法的には 男女平等社会への仲間入りを果たした。しかし、実態としては性別役割分担意識に縛られ実 質的な男女平等にはなかなか近づけていない。公正であるはずの司法の分野でも、ジェンダー バイアスが見られる。まず、司法の分野への女性の参画を見ると、裁判官(判事・判事補) の女性の割合は、1980年2.8%、1985年3.3%、1990年5.0%、1995年8.2%、2000年10.9%で あり、増加はしているが、依然女性は1割強である。検察官(検事・副検事)における女性 の割合は1990年2.1%、2000年6.1%である35。日本弁護士連合会登録会員数の女性の割合は、 1990 年5.5%、2000年8.9%といずれも少ない。 2000年2月に家電製品販売会社の女性社員が昇進・昇格差別があるとして裁判所に提訴 した判決で「女性側にも役割分担を固定し、教育訓練に消極的で労働意欲が低いものも多く あることは否定できない」と裁判官が述べた。また、2001年3月の判決で実父母が死亡し た場合、夫の両親よりも忌引き休暇が少ないことを「男女差別ではなく、旧来の家族制度の 名残」と判断、会社に是正を求めなかった36。「この論理でいけば、続く住友金属の裁判で もきっと原告敗訴になるだろう、ということで、住友金属裁判の原告と弁護団は、三つの裁 判すべてを担当している松本哲弘裁判長と西森みゆき裁判官の忌避を申し立てた」37、そし て WWN は裁判官忌避申し立てに賛同し、200名を超える賛同者の氏名と、海外からの署名 を集め、『週刊金曜日』と『女性ニューズ』に全面広告を出し、ジェンダーバイアスを持っ た裁判官に抗議をした。 2001年6月には、WWN、大阪弁護士会、福岡県弁護士会が協力して「裁判における男女 平等促進のための全米司法教育プログラム」(NJEP)の責任者のリン・H・シャフラン(Lynn
Hecht Schafran)を招いて「裁判官とジェンダーバイアス」についてのシンポジウムを大阪と 福岡で開催した。NJEP は1980年に設立され、裁判においてジェンダーに関する公平性を促 進するための活動を行ってきた。WWN は、シンポジウムと資料を冊子として発行38し、こ の冊子は再版もされた。弁護士の中島通子は、『朝日新聞』「私の視点」で「裁判官をはじめ とする法曹関係者への人権教育、特に女性の人権のためのジェンダー教育の導入を盛り込む よう、強く求めたい」39と述べている。 このように、海外の活動も参考にして、連帯しながら、裁判の行方を見守るだけでなく、ジェ ンダーに公正な裁判が行われるよう活動したのである。 ④ 住友裁判以外の裁判闘争 住友裁判の和解解決で原告が受け取る解決金について、「解決金をこれから裁判に立ちあ がろうとする女性たちのために役立てたいと、裁判基金を設立すること」にし、裁判の「費 用の一部を援助」するという。基金の代表者は、弁護士の宮地光子で問い合わせ先は、女性 共同法律事務所になっている40。 ところで、WWN は住友裁判以外にも、働く女性の種々の裁判の支援を行ってきた。2000 年2月には大阪地裁でシャープの一部勝訴判決が出たが、過去の差額賃金相当の損害請求は 破棄されたため、控訴した。同年9月には日立製作所の男女差別裁判が和解した。同時期の 安川電機の裁判も勝利で和解した。また、11月の商工中金の横田幸子は大阪地裁で一部勝 訴したが、控訴した。12月には芝信用金庫裁判が東京高裁で原告ら女性労働者の地位を認め、 差別賃金の支払いなどを会社に命じたが、控訴となり2002年に最高裁で和解した。2001年 5月には内山工業裁判が広島地裁岡山支部で勝訴するも控訴となった。同年6月の住友ミセ ス裁判も大阪地裁で勝訴したが控訴。9月の京ガス裁判も京都地裁で勝訴するも控訴。2002 年野村証券裁判でも東京地裁でコース別管理の違法性を認定し、慰謝料を会社に命じたが控 訴。2003年1月昭和シェル裁判も東京地裁で勝訴するが控訴。同年11月兼松裁判は東京地 裁で敗訴し、直ちに控訴した。このように、女性たちの個々の裁判闘争により、少しずつ女 性差別を認めない判決が出てきてはいるが、その背景には WWN のように日本における女 性の地位の向上を願い、支える活動が存在している。 2 国際機関への働きかけ WWN は、国際機関への働きかけや各種のシンポジウムなどを開催し、それらを冊子とし て発行してきた41。そして、活動内容の普及に努めてきた。この冊子を中心に国際機関への 働きかけ活動を紹介していく。 まず、1997年の ILO などへの旅についてみていこう。9月13日から23日の旅程で WWN のメンバー12人がジュネーブにいき、ヨーロッパ在住の3人も同行した。目的は、日本の 男女賃金格差の現状や間接差別の横行などの実態を知らせることであった。9月15日には
国連人権センターで白石理に NGO やロビー活動についてのアドバイスを受けた。そこで偶 然 CEDAW 前議長のイヴァンカ・コルティに会い、現議員タルマ・カーンに紹介の労をとっ てもらい、レポートを渡した。16日には ILO のルームⅢで、日本の女性労働者についての レポートを披歴、同席した女性の権利監視協会(IWRAW)のマーシャ・フリーマンからの 意見も聴取した。18日には EU 機会均等課会議室で EU の女性政策について聞き、同日ベル ギー労働省機会均等評議会も訪ねた。21日には、ドイツ・ブレーメン大学教授ウルスラ・ ルストの講義を聞く機会に恵まれた。ロンドン・ウィメンズ・ネットワークからの参加者も おり、現地採用の日本人女性の実態なども聞き、交流を深めた。 1998年には WWN 主催で福岡・大阪・東京で国際シンポジウムを開催した。冊子は、大 阪のシンポジウムを中心にした記録となっている。テーマは「男女平等と人間らしい働き方」 でドイツから招いた2人の基調講演が行われた。講師の一人は国連女性差別撤廃委員会委員 のハンナ・ベアテ・ショップ=シリング(Hanna Beate Schopp-Schilling)で差別撤廃条約と日 本の関係についても言及した。もう一人の講師ウルスラ・ルスト(Prof. Dr. Ursula Rust)は、 前年のジュネーブ訪問の折に、WWN のメンバーが訪ねたブレーメン大学教授で EU の男女 均等措置などについて報告した。日本側のパネラーは、住友電工社員で男女賃金差別につき 調停申請をした西村かつみと弁護士で住友メーカーの弁護団の一人である原野早知子、コー ディネーターは宮地光子が務めた。 1999年には、国際女性の権利監視協会会長のマーシャ・フリーマン(Marsha A. Freeman) が白藤栄子・西村かつみを原告とし、住友電工と国を被告とした裁判担当の大阪地方裁判所 民事第5部に対し、「意見書」を提出した。これはもちろん、WWN などの働きかけにより 実現したものであり、差別撤廃条約の即時実施を促す意見となっていた。そして、1999年 10 月16日にマーシャ・フリーマンを招いて大阪のドーンセンターで国際シンポジウムを開 催した。「男女の賃金差別訴訟に日本で意見書を提出」したことは、新聞でも取り上げられ、 12 月23日付の『朝日新聞』の「ひと」にマーシャ・フリーマンが掲載された。 2001年6月には、前述の「裁判におけるジェンダーバイアスをなくすために」という日 米国際シンポジウムが大阪と福岡で開催された。同年9・11同時多発テロから1か月余りの 10 月20日に「絵と音楽とトークショー あなたも使える女性のための国際やくそく─女性 差別撤廃条約・選択議定書をめぐって」という集会が開かれた。主催はこの集会のために作 られた「女性差別撤廃条約・選択議定書の批准をすすめる会」であり、事務局は WWN に 置かれた。 「2003年は CEDAW へのレポート作りと国連へのロビー活動に専念した年でしたが、その 年末には国連の勧告にそった和解が成立したという画期的なとしでした」と『CEDAW と住 友電工裁判』は書き始められている。冊子には、改めて、WWN が国連に訴えたこと、国連
での審議と最終コメント住友電工裁判などが掲載されている。2003年7月に国連近くのレ ストランで CEDAW 委員のショップ・シリングと会い、日本に来ないかと尋ねたところ、中 国政府の招きで北京に来るので、その折、日本に行っても良いという約束をした。そして、 9月28日大阪で「選択議定書と間接差別」という講演会を開催、その後、10月1日に福岡、 3日に東京、4日には日弁連の大講堂で講演会が開催された。さらに、同年11月9日には、 米国ハワイ州裁判官のサブリナ・静枝・マッケナを迎えて「裁判官とジェンダーバイアス日 米比較」という講演会も開催した。 このように、WWN は、実際に EU や国連、CEDAW や IWRAW などに働きかけ、人的な つながりも作って、日本に関係者を招聘し、講演会などを開催して、政府への圧力ともして いった。この活動の中で、住友裁判で活躍した宮地光子をはじめとする弁護士をコーディネー ターや講師に迎え、また、住友メーカー裁判の原告が、海外でも実情を訴え、日本でも支援 を呼びかけることにより、裁判は身近なものになっていったといえよう。 三 活動の継続 「セクシャルハラスメントやパート・派遣など、働く女性が抱える問題に取り組む初の全 国組織「働く女性の全国センター(ACW2)」42が、今月20日、誕生した」のは、2007年1月 であった。発足式には190人が参集し、会員は同日250人という。代表は、伊藤みどり女性 ユニオン東京前委員長であった。この全国組織の呼びかけ人に WWN で活動しているメン バーも加わっていた。 同年4月に WWN は、電話相談「発見しよう!あなたのまわりの間接差別」を開設した。 「WWN は「事務職の女性を契約社員やパートタイマーなど非正規雇用の女性にかえている。 これも間接差別だと訴えたい」という」43。このような活動のほか、これまで同様の活動も 継続している。ここでは、裁判闘争支援の継続と国際活動の2点を挙げておく。 1 裁判闘争の支援 2007年以降の裁判闘争については、WWN のホームページで「主な裁判サポート」とし て紹介しているが、以下のものがある。 まず、2008年に長迫忍が提訴した中国電力男女賃金差別裁判がある。長迫は13年間も同 じ職能等級にとどめ置かれ、上司によるパワハラも受け、裁判に訴えた。2013年2月の広 島高裁の本人陳述には、WWN のメンバーがかけつけ、傍聴席は満席になった。同年7月の 判決は、男女間の格付け・賃金の格差を容認するという完全敗訴となり、直ちに最高裁に上 告した。 また、2010年3月に解雇の無効を要求したボブリース里奈の裁判もセクハラ事件である。 2009 年3月にプラダ日本法人に就職したボブリースに対し、同年9月に人事部長から呼び
出しを受け、髪形や体形につき指摘され、イタリアの本社に報告すると解雇された。そこ で、裁判に訴えたが、2012年10月の東京地裁の判決は、解雇は有効とする原告敗訴であった。 さらに、会社は名誉棄損で原告を逆提訴、ボブリースは上告した。 東和工業の本間啓子は、1987年に事務職として入社。90年から設計職となったが、2002 年に会社がコース制を導入した際、設計職7人のうち、ただ一人の女性である本間を一般職 とし、本間は定年まで同じ仕事をしていたのに、賃金・退職金で差別された。そこで2012 年会社を提訴し、賃金と退職金の差額を求めた。2016年金沢地裁で判決が出され、約440万 円の支払いを会社に命じた。本間の勝訴ではあったが、額の面では問題が残った。 丸栄コンクリートで19年間働いてきた R 子は基本給18万円に届かず、短大卒で就職した T 代は高卒初任給でスタートしたが、すぐに年齢給に追いつくといわれたが、9年間勤め て17万2000円であり、2013年男女賃金差別を名古屋地裁に提訴した。これらの裁判闘争を WWN では支援してきた。 2 国際活動 WWN では、2007年9月8日から17日まで ILO への旅を行った。記者や通訳を含み26人 の参加者で、兼松裁判の原告4名や住友金属元原告なども参加した。国連・社会権規約委員 会リー(Lee)、国連・自由権規約委員会ギルバート(Gillbert)、高等弁務官ジェンダーコーディ ネーターのサイモン(Simon)、ILO 平等部、イギリス ILO100号条約─条約勧告専門会員な どを訪問した。また、兼松ロンドン支店前でビラ配りも行った。 2008年11月8日から16日には CEDAW 作業部会(ジュネーブ)と OECD(パリ)を訪問した。 2009 年には、ニューヨーク国連女性差別撤廃委員会の傍聴を行い、その様子は NHK の BS で放映された。さらに、2013年には、ジュネーブ国連社会権規約委員会を傍聴し、ILO、世 界経済フォーラム本部も訪問した。
2014年6月には国連・自由権規約委員会(UN Human Rights Committee)に WWN レポー トを提出した。同年11月には OECD のステファノ・スカーペックを招いて「OECD から見 た日本の働く女性の地位向上と非正規問題」という講演会を開催した。さらに、2016年9 月には ILO へのレポートを提出。テーマは「日本の職場におけるセクハラ・パワハラの実態」 (Violence against women and men in the world of work)であった。
WWN のホームページには、「WWN の国際活動」と並んで「ILO・CEDAW から」が見出 しになっており、その点でも国際活動を重視していることが理解できる。日本政府が、国内 の活動団体の意見になかなか耳を傾けなくても、国際機関の勧告や意見は有効であり、その 点でも、WWN が国際機関に働きかける活動は、影響力を有効に活用する手段でもあり、ま た各国の状況から学ぶことも多い。
むすびにかえて 1995年に設立された WWN は、男女差別を告発する裁判をおこして闘ってきた働く女性 たちを支援してきた。特に裁判の判決が、原告に不利なものであっても、主張は間違ってい ない、ジェンダーバイアスに縛られた判決に問題があるという確信をもたらす支援活動で あった。 また、国内外の女性たちが、女性差別撤廃に対する国際機関の考え方やそのレベルを知る ことで、連帯を深めることができ、日本の実態を知らせる役割をも担ってきたのである。ま た、全国的団結の推進も行ってきた。 WWN のメンバーや裁判の原告が国際機関に出向き、傍聴したり意見を述べることで、理 解も得られ、時には日本政府や裁判所への意見書も出してもらえた。また、実際に会い、つ ながりができることにより、日本でのシンポジウム参加や講演を依頼し、世界のレベルを日 本の人々に知らせることもできるのである。 このような活動を精力的に展開してきた WWN は、差別撤廃条約や ILO などの実質化に 大きな役割を果たしてきたといえよう。それでも、同一価値労働同一賃金を法律上明記し、 ジェンダーに中立で公平な職務評価が行われるようにするには、まだまだ活動が必要とされ ている。 註 1 厚生労働省『平成28年度厚生労働白書─人口高齢化を乗り越える社会モデルを考える』平成28 年10月 2 内閣府男女共同参画局『男女共同参画白書(平成28年版)』平成28年5月 3 総理府『男女共同参画の現状と施策(平成9年版)』平成9年7月、27頁 4 「男女平等ランキング 日本は101位 女性活躍へ道遠く」『日本経済新聞』2015年11月19日 電子版速報 nikkei.com 5 明石書店、2005年 6 日本婦人団体連合会『婦人白書1996』ほるぷ出版、1996年、105頁 7 認定特定非営利活動法人ウィメンズ アクション ネットワーク(WAN)。 定款には、「男女共同参画社会実現に寄与することを目的として、女性の情報や活動の相互交流 の場を提供し、女性のネットワークの構築と、女性のエンパワーメントに寄与する事業を行う」 と書かれている。2009年5月21日 設立、2013年2月13日 認定 NPO 法人となる。 8 WAN ホームページ、2010年11月5日付 https://wan.or.jp/article/show/3116 9 海路はるか(正路怜子のペンネームと思われる)「国連婦人の十年と大阪」『知りたい知らせた い女たちの戦後史』創元社、1989年、245頁 10 『日本初の調停案を考える 均等法は誰のもの─住友メーカーで働く女性たちの思い』Pay Equity をめざす男女平等ネットワーク、1995年、表紙裏。 11 同上。
12 註8に同じ。 13 註10に同じ。1995年の事務所は、弁護士石田法子方に置かれ、世話人は次のとおりである。石 田法子、宮地光子、雪田樹理、岩永恵子、豊田和子、三浦美也子、正路怜子、森井久美子、北 川清子、越堂静子、福井ふく子、尾崎良江、本田淳亮の13人。 14 越堂静子「商社の女性はいま─均等法施行前後」前掲『知りたい知らせたい女たちの戦後史』 256 頁 15 三浦美也子「総合商社で働いた39年」『聞き取り大阪の今を築いた女性たち Part 1』国際婦人年 大阪の会、1996年、162頁 16 国際婦人年大阪の会『草の根女性白書 Part 3 大坂の女性は今 世界の女性とともに』1995年、 50‒57頁 17 宮地光子「提訴前史─ネットワーク講座から調停申請まで」『男女賃金差別裁判─「公序良俗」 に負けなかった女たち』明石書店、2005年、15頁
18 『WWN went to the ILO ─日本の職場の男女平等を国際機関に訴えて─』1997年、63頁 19 『草の根女性白書 Part 4 大坂の女性は今』国際婦人年大阪の会、2000年、60頁 20 ダイヤモンド社、1984年 21 本多淳亮・宮地光子共編著、労働旬報社、1986年 22 「女の定年(窓・論説委員室から)」『朝日新聞』1997年2月27日付、夕刊 23 「どう変った職場の女性─均等法1年」1987年6月、前掲『知りたい知らせたい女たちの戦後史』 261 頁 24 註17に同じ、185‒230頁 25 註17に同じ、23頁 26 宮本英子『平和と平等を追い求めて─ひとりの女性教師のあゆみ』ドメス出版、2015年、247・ 248 頁 27 次の資料が掲載され、閲覧できる。 〈住友電工資料〉 住友電工男女賃金差別裁判、住友電工 和解の意義について 弁護士 宮地光 子、住友電工 和解解決に当たっての WWN の声明、住友電工 和解勧告、住友電工 和解調書、 住友電工裁判和解で国際条約で憲法が生き返った!、住友電工男女賃金差別訴訟 和解にあたっ ての原告声明、住友電工男女賃金差別訴訟和解解決にあたっての弁護団声明、働く女性の平等 への挑戦・裁判基金設立にあたって 〈住友化学 資料〉住友化学男女賃金差別裁判、住友化学女性差別事件 和解解決にあたっての 原告声明、住友化学女性差別事件大阪高裁和解成立についての弁護団見解 〈住友金属 資料〉住友金属男女賃金差別裁判、住友金属男女賃金差別事件 和解勧告、住友金 属男女賃金差別事件勝利和解の意義 28 『あごら』263号、2000年11月、78頁 29 国際婦人年大阪の会『草の根女性白書 Part 5 大阪の女性は今 「平等・開発・平和」の世紀に』 2005 年、58頁 30 西村かつみ「私の人間宣言」、前掲『男女賃金差別裁判「公序良俗」に負けなかった女たち』 188 頁 31 同上、194頁 32 石田絹子「「定年まで会社の礎」にならなかった私」、前掲『男女賃金差別裁判「公序良俗」に 負けなかった女たち』207頁 33 北川清子「住友金属での昇進・昇格差別と私の体験」国際婦人年大阪の会『聞き取り大阪の今 を築いた女性たち Part 1』1996年、168頁
34 同上、173頁 35 ワーキング・ウィメンズ・ネットワーク『裁判におけるジェンダーバイアスをなくすために アメリカの司法教育に学ぶ』2001年、46‒48頁の表から作成 36 『朝日新聞』夕刊、2001年6月22日付 37 前掲『男女賃金差別裁判「公序良俗」に負けなかった女たち』143頁 38 註35に同じ 39 2001 年5月31日付 40 『あごら』293号、2004年4月、43頁
41 『WWN went to the ILO 日本の職場の男女平等を国際機関に訴えて』1997年、『半分の賃金でも 男女平等?』1997年、『男女平等の国際基準 CEDAW と EU に学ぶ国際シンポジウム』1998年、 『国連女性2000年会議と WWN』2000年、『裁判におけるジェンダーバイアスをなくすために』 2001 年、『WWN &住友原告 スイス国連へ国際人権社会権規約委員会へ訴え』2001年、『女性 差別撤廃条約は日本で活かされているか─マーシャが日本の裁判所に伝えたこと─』2002年、 『女性のための国際やくそく女性差別撤廃条約選択議定書をめぐって』2002年、『CEDAW と住 友電工裁判 WWN のレポートと国連からの勧告と裁判での和解』2004年、『CEDAW と住友電 工裁判 WWN のレポートと国連からの勧告と裁判での和解』2004年、『ILO への旅同一価値労 働同一賃金の立法化をめざして』2007年、『WWN 国際シンポジウム─すべての女性へのプレ ゼント女性差別撤廃条約(CEDAW)を活かすために』2009年 42 『朝日新聞』2007年1月28日付 43 『朝日新聞』2007年4月2日付 〈付記〉 WWN 事務局の石田絹子さん(住友裁判元原告)に書籍のことなどで便宜をはかっていただいた。 また西村かつみさん(住友裁判元原告)にも小冊子を送っていただいた。お礼申し上げる。なお、 今後聞き取りをさせていただくことになっている。 また、サマリー(summary)については、尾張旭市公立小中学校外国語授業助手(ALT)であり、「Mr. マイケルの英会話教室」を主宰しているエンジェル・マイケル・リニョン(Angel Michael Riñon) さんに英訳していただいた。お礼申し上げる。